FINLANDIA

FINLANDIA

PR

×

Calendar

Keyword Search

▼キーワード検索

Archives

2026年08月
2026年07月
2026年06月
2026年05月
2026年04月
2026年03月
2026年02月
2026年01月
2025年12月
2025年11月
2017年05月19日
XML
テーマ: 戦ふ日本刀(97)
カテゴリ: 戦ふ日本刀

ある駄馬の死

 自分は、足の向くままに東へ出た。
日本の大きな楊柳樹の前に、軍馬が一頭斃れていて小さな蓆がかけてある。
よく見ると、馬の頭のところに、空き罐に入れた水と、
線香の代わりに火のついたタバコが一本供えてある。日本馬だ。
しばらく佇立〔ちょりつ〕している自分の後ろから来て軽く肩を叩く者がある。
ふり返って見ると、それは昨日修理に見えた若い獣医少尉だ。
「昨夜死んだ馬ですよ。駄馬です。輜重〔しちょう〕の。」
 少尉はそういって、何か感慨深そうにじっと斃馬〔へいば〕を見つめている。
「どうして死んだんです。」
「それがね。……」
 少尉は語った。
昨日のちょうど今頃のこと、隊にいると一人の特務兵がやって来た。
部隊外の兵で、渡河点から荷物を運んで来て帰ろうとすると、馬が動かない。
口から泡を吹いて苦しむから診察してくれとの事で、
行ってみると他の特務兵が、馬を揉んだり、さすったりしていたはっている。
診察すると、過労の結果で、もう心臓が参っている。注射をして帰ってきた。
夜中になってから室の入り口で
「獣医官殿獣医官殿。」と叫ぶ声がする。
起きてみると、さきの特務兵だ。
「どうした。」見ると特務兵は眼をはらしている。
「お願いであります。もう一度注射をたのみます。」
特務兵は泣いているのだ。
到底助からぬとわかりきってきたが、あまりにかわいそうなので、
懐中電灯をつけて行ってみると、もう半分死んで、全身に痙攣が来ている。
「アッ、もう駄目だぞ。」といいながら、注射をさらに一本打ってやった。
帰って寝に就くと、夜明け近くになって、その特務兵が再び来て起こした。
「獣医官殿、馬は死にました。いろいろと御世話になりました。帰ります。」
悲痛な声であった。
今日自分は前線に出て今帰ったので、来てみたところです、と、
こう語り終わった若い獣医官の眼はうるんでいた。
 風が吹いて楊柳の枝葉がゆれる。
馬の長い顔は、しずかに安らかに眠っている。
機関銃の音が遠くから聞こえてくる。
日は血のような色をして大きくゆらゆらと落ちてゆくところだ。

 自分は室へ帰ってきた。
ボロボロの麦飯の一椀と、粉味噌汁の汁が置いてある。
釜田曹長は粥をまずそうにすすっている。
「今日は割に静かだね。」と自分は箸をとり上げながら言った。
「敵はかなり近くまで寄って来たらしいです。
おとくいの迫撃砲でやろうというんでしょう。
明一日がやつらの総攻撃だと言いますからね。」
 食後、自分は床の上にごろんとなって考えた。
 軍の事は素人にはわからない。
しかし、◯◯車両から弾丸燃料その他がはいり、
続いて、毎日補給されているというのに、目立って活況が現れないのは、
満を持して放たないのだろう。
そこに作戦の中心があるのかも知れぬ。
敵は敵で真剣に乗り込んでいるらしい。
修理に来た人達の話によると、
敵の中には、我が某砲兵陣地深く単独に接近して来て、
本部に手榴弾を投じて行ったり、
某陣地へは、白昼三度も突撃して来て、瓦斯〔ガス〕の放散を企てたり、
負傷した敵兵が我が軍の面前で自ら手榴弾で自爆したり、
その他、従来に見なかった猛闘ぶりを発揮しているという。
この精悍な中央軍を、ここで一台殲滅する事は、今後の戦局、
特に武漢三鎮の攻略にも影響する事甚大であるから、
相当作戦は大きく、深く、
ことによれば、徐州を陥れた一部の兵力をしてずっと南を迂廻させ、
この大軍を挟撃するのではなかろうか。
 どやどや兵隊が帰ってきた。
「おぢさん、すごいぞ。敵がぎっしりいるぞ。」
「この西の部落は、敵の歩兵でいっぱいだ。」
 てんでにこんなことを言いながら、
ゴトゴトと飯盒につけわけのしてあった飯を食い始めた。
今夜は不思議に砲声がせぬ。
 ここから約三キロ、一里足らずの部落に、敵の歩兵が集結しているという情報である。
 早目に燈火を消して寝た。時々大砲の音がする。
 一眠りしてから目をさますと、夜光時計は青白く十一時十分過ぎのところを指している。
砲声もない。なんだか雨が降り出したようだ。いやに涼しい。
耳をすませば、たしかに雨だ。またうとうとする。
突然タンタンバラバラという銃声に目覚めてみると、西の方で盛んに機関銃が鳴っている。
弾丸が屋根の上にバラバラ落ちる。
バーンと一つ、力のない音がして厚い板扉にあたる。
兵隊はみな起きた。
「やっぱり来たな。だが大した事もなさそうだ。」
 機関銃は盛んに鳴っている。
弾丸はこなくなったが、今度はボカーンという音がする、手榴弾の爆発らしい音だ。
雨はショボショボ降っている。午前二時三十分である。
そのうちまたもとの静けさにかえった。
兵隊は寝た。自分も寝た。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2017年09月25日 15時35分38秒


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: