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森田先生は慈恵医学校の「精神病学」の講義をするようになったのは、大学卒業後9か月目だった。1時間の講義のために8時間かけたという。もしこの時に「自分は講義をする自信がないから、1年先に延ばしてもらいたい」と言えば、チャンスはするりと逃げていってしまっただろう。仕事は他の人に回り、自分にはもう二度とチャンスは回ってこなかったかもしれない。「イエスかノーかに迷うときは、断然イエスと答えること」そしてのっぴきならない状況に自分を追い込んでいく。背水の陣をひいて、運命を切り開いていくことが大事です。そうすれば、できないと思うようなことでもできるようになります。できなくても、どうしてできないのか分かる。失敗に学んで、次に生かすことができる。(森田正馬全集 5巻 536ページ参照)誰でも初めて取り組むときは予期不安でいっぱいになります。それ以外でも、一人で知らないところに行く、雲の上のような人に頼みごとに行く。彼女や彼氏に交際を申し込む。初めて車を運転する時なども不安や恐怖でいっぱいになります。成功するというイメージが湧いてこない。成功するというイメージが湧かないことに気合だけで敢えて取り組んでも失敗するに決まっている。そこで予期不安を軽減させるか、無くすることを考えます。例えば訪問営業をする時、当然冷たく断られることが怖いわけです。でも仕事だからさぼるわけにはいかない。どうするか。そうだ、セールスの本をできるだけたくさん読んでセールスの基本や極意を身につけることが肝心だ。そのために喫茶店などに入り浸り一生懸命に学習する。ある程度安心・安全な心の状態を作り上げて、重い腰を上げて仕事に行く。でも現実は断られてばかりで仕事にならない。これはまだセールス理論が甘いからだ。さらに学習にのめり込む。悪循環が続く。森田先生に言わせるとこんなやり方はダメだと言われています。不安でいくら尻込みしようと、セールス技術がいくら未熟であろうとも、その不安を抱えたままで、実際に営業活動に取り組まないと成果は上がらない。失敗から学んで成功のコツを掴むこともできない。だいたいセールスなどと言うものは、断られることの体験を数多く積むことで鍛えられる。そういう人がセールスの世界で生き延びている。断られることから逃げてばかりいると、成績不良でやめさせられることになってしまう。ここでのキーワードは「ダメでもともと、成功すれば儲けもの」です。自分を成長させて、器の大きな人間になるためには、頭の中で考えているだけではダメで、失敗の経験から学び、改良や改善をくり返すことが大事になってきます。
2026.06.30
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奥村幸治氏のお話です。イチロー氏曰く。「奥村さん、目標は絶対に高くし過ぎると絶対に駄目なんですよね。必死に頑張っても、その目標に届かなければどうなりますか。諦めたり、挫折感を味わうでしょう。それは、目標の設定ミスなんです。頑張ればなんとか手が届くところに目標を設定すればずっと諦めないでいられる。そういう設定の仕方が一番大事だと僕は思います」奥村幸治氏は、少年野球チームの監督を務めています。野球の上手な子にアドバイスすると何をやってもすぐにできるようになる。ところができるようになったうまい子が、いつの間にかその練習をやめてしまう。下手な子はアドバイスしてもなかなかうまくいかない。でも下手な子は粘り強くそれを続け、いつかはできるようになる。そして継続することの大切さを知っている彼らは、できるようになった後もなお練習を続けるため、なにをやっても上手な子を追い越してしまうことがある。イチロー選手は卓越したセンスを持ちながら、野球の下手な子と同じようなメンタリティーを持ち、ひたすら継続を積み重ねた。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書 致知出版社 藤尾秀昭監修 223ページ)スポーツや楽器の演奏などで、本番前に極度に緊張する人がいます。喉がカラカラになり、頭が真っ白になり手先や足が硬直して自由に動かなくなります。パニックになるのです。抗不安薬などを飲んで本番に臨む人もいます。これらは、練習で今までできなかったことができるようになると、本番でも練習通りにできるはずだと錯覚してしまうからだと思います。本来は、そこを出発点と心得てさらに練習をくり返す必要があります。すると、前頭前野がいちいち指図を出さなくても、運動野や頭頂葉や側頭葉などの指図によって安心・安全な成果が出せるようになるのです。何も考えなくても、手足が練習通り、スムーズに動くようになります。これは指示命令系統が前頭前野から、大脳基底核や小脳などに切り替わっていることを意味します。その段階に到達すると前頭前野が、「お前本当に大丈夫なのか」とお節介をやきに出てこなくなるのです。この状態を作り上げて、本番を迎えると、無心の境地に入ります。つまり適度の緊張状態(ゾーン)に入りますので、高いパフォーマンスを上げることが可能となります。その練習回数は出雲充氏によると459回と言われています。かなりの練習を繰り返さないと成功はおぼつかないということです。その結果、成功率は99%に跳ね上がります。関連記事が2026年5月16日にありますので、興味や関心のある方はご参照ください。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書 致知出版社 藤尾秀昭監修 45ページ参照)
2026.06.29
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小林正観氏のお話です。人間の体が壊れていく理由の20%は、酒、煙草、暴飲暴食が占めています。あとの80%はストレスや考えていることが思い通りにならないことです。つらい、悲しい、つまらない、嫌だ、嫌いだ、疲れた、不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、恨み言葉、憎しみ言葉、呪い言葉・・・ありとあらゆることに否定的な言葉を吐き、否定的なとらえ方をしていると、「そんなに生きているのがつらいのだったら、早く死んでしまいましょうね」と体が自ら反応するのです。それを改善する方法があります。今後一切否定的な言葉は使わないようにするのです。例えば、今日は熱いというとき、「暑いので嫌になってしまいますよね」というのではなく、「これだけ暑いと稲がよく稔るでしょうね」「海水浴場は今日も大儲けですね」という。晴れていると、「今日は紫外線対策をしなければいけない」というのを、「今日は洗濯物がよく乾くぞ」と思う。雨が降ったら、「紫外線対策をしなくてもいい」と思えばいい。現象は全く変わっていないのに、捉え方が100%変わると全部が喜びに変わった。肯定的な言葉だけを使うようにすれば、悩み苦しみ、苦悩煩悩すべてなくなってしまいます。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書 致知出版社 藤尾秀昭監 284ページ)これは、イヤだ、ダメだ、無理だ、無駄だという言葉を無意識のうちに口にしていると、自分が発した言葉に刺激されて、ネガティブ思考、マイナス思考の悪循環に陥ってしまうということだと思います。本心でなくでも形として、できるはず、大丈夫、何とかなるはずだ、いいぞその調子、なんだかわくわくする、おもしろいかも、そのうち楽しくなるかも、あんたは天才だ、私にはツキがあるなどという言葉を使うようにするとよいのです。仮に、最初にネガティブな感情が湧き上がり、ネガティブ言葉が出てきたら、「今のは取り消します」と言って、ポジティブ言葉に置き換えてやればよいのです。これを「イエス・バット方式」と言います。多くの人は、無意識のうちにネガティブ言葉をつかっているとおもいますので、この方式を採用して、訓練をする必要があります。形を整えることに注力していると、そのうち心まで変化してきます。
2026.06.28
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稲垣栄洋氏のお話です。中国では先生のことを「老師」というそうだ。江戸幕府には、「老中」「大老」という役職があった。幕府の「老中」は「年寄」とも言った。相撲では引退した力士は「年寄」となる。現役時代に実績を残した力士だけが「年寄」となる。本来、老人というのは、知識や経験が相当数積み重なり、リスク管理能力を獲得している。ミスや失敗の経験が半端ではない。何度も経済変動、病気やケガ、人間関係の軋轢、紛争や戦争、自然災害などに巻き込まれながらも、それを何とか乗り越えて今に至っている。試練を乗り越える過程で新たな知恵や能力を獲得し、器の大きな人間に成長している。だから困難な状況に至ったときに適切な対応がとれるのである。社会の宝ともいえる。若い人がいくら頑張っても、いきなり年寄りの高みに到達することはできない。決して体力が落ちて動くことがままならず、しわやシミで皮膚の張りがなくなり、記憶力が衰えて物忘れが多くなり、持病持ちで年金財政や医療費高騰の原因を作っている社会のお荷物的存在という意味ではない。稲垣さんが面白い話をされている。地球上では閉経しても長生きする生物は、人間とシャチとゴンドウクジラしかいない。他の生き物は子孫を残すという役割を果たすとたちまち命が尽きる。例えば、サケは生まれ故郷の川に戻って子孫を残すとすぐに絶命する。長生きする生き物は、社会にとって意味がないことなのか。そうではない。その理由がシャチの最近の研究によって分かってきた。シャチはおばあちゃんシャチをリーダーとして、メスを中心とした群れを作って生活している。おばあちゃんシャチが群れの中にいる場合は、孫の生存率が格段に高くなっている。おばあちゃんシャチの豊富な経験と知識がいかんなく発揮されているからだ。海のなかは危険がいっぱいである。おばあちゃんシャチの豊富な経験と知恵が群れを正しい方向に導いている。そして、母親世代のシャチに子育ての知識を伝える役割を果たしている。特に厳しい環境では、おばあちゃんの存在が必要不可欠となっている。シャチの閉経は40歳くらいだが、しかしその後90歳くらいまで生きて家族に貢献している。一方、群れをつくらないで自由気ままに生きているオスは50歳くらいまでには死んでしまう。それは家族のために貢献するという生きる目的が喪失しているからかもしれない。(生物が老いるということ 死と長寿の進化論 稲垣栄洋 中公新書ラクレ)
2026.06.27
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昨日の引き続きです。3、感情の法則③「感情は同一の感情に慣れるに従って、にぶくなり不感となるものである」も活用していきたいものです。いくら良いことに気付いても、そのままに放置しておくと薄れて忘れてしまうということです。そうならないためには、メモ書きして残しておくようにする。これは以前の生活の発見誌に「紙切れ法」として紹介されました。殴り書きのようなものでも構いません。後で思い出すきっかけになればよいのです。スマホのカレンダー機能は行事予定は確実に捉えることができます。現在はグーグルキープやメモ帳もあります。簡易録音機や卓上カレンダーなども意外と役に立ちます。4、感情の法則➃は、「感情は、その刺激が継続して起こるとき、注意をこれに集中する時に、ますます強くなるものである」というものです。これは欲望に弾みがついてしまうと、欲望が欲望を生んで際限がなくなる。最悪依存症に陥ってしまうということです。アルコール、薬物、ネットゲーム、風俗、グルメ、ネットでの買い物などがあります。脳のなかではドーパミンやβエンドルフィンという神経伝達物質に乗っ取られたような状態になっています。人間一人の力ではどうすることもできなくなります。そしてどんどんのめり込み、逃れようとしても今度は離脱症状で苦しむことになります。最悪の場合、自己破産や社会的制裁を受けることになります。対策としては、欲望が暴走しないように予防措置を講じることです。普段から「少欲知足」「吾唯足知」を心がける。依存対象には絶対に近づかない、制御力を持っている人と一緒に行動するなどがあります。その他、日常生活の中で小さな楽しみや喜びを見つける習慣を作る、などがあります。5、感情と行動の分離・・・不快な感情、怒りの感情と行動をきちんと分ける。人生という舞台で役者を演じているという意識をしっかりと持つ。具体的には、まず「割り込み動作」を身につける。次に不快な感情、怒りの感情の脱同一化を目指す。これは自分のマイナス感情を客観的に眺められる能力を身につけることです。流れる雲を価値批判しないで、災害現場に急行して被害状況を実況中継をするリポーターを自分の中につくり上げる。これはマインドフルネスの手法です。6、気分と行動の分離・・・いやだ、面倒、しんどい、やる気が起きない、つらそうだ、面白みがない、気がすすまない、障害物が大きすぎる。どうせ失敗するなどという気分が沸き起こると、仕事をさぼる、ドタキャンする、社会的責任と義務を放棄する。子育てをしなくなる。これらは主観的事実でどうすることもできません。主観的事実に対して客観的事実があります。客観的事実は、自分を取り巻いている状況、他人の都合や考え方、自然の状況などに耳を傾けることです。この2つの事実の調和を図る必要があります。行動は主観的事実よりも客観的事実を中心に基づいて行動すればうまく収まることが多くなります。
2026.06.26
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森田理論は実生活に応用してこそ光り輝くものです。森田理論を深めることばかりにエネルギーを使うことになると、混迷の度を深めることになります。どんなところに注目すればよいのかを考えてみたいと思います。1、規則正しい生活習慣を確立する。まず起床時間を一定にする。365日決まった時間に起床する。そのためには、起床後に手掛けることを決めておく。私の場合は6時20分に起床しています。その後このブログ作成に取り組んでいます。テーマだけは前日の内に決めておいて、当日は8時まで取り組んでいます。起床時間が一定になると、一日の流れがとてもよくなります。引き続いて、ルーティンワークを確立する。毎日決まった時間に決まったことをするということです。これが習慣化すると、何も考えなくても身体が勝手に動いてくれるようになります。これが確立しないと、前頭前野でこの次は何をしようかと考えるようになります。前頭前野を酷使するようになるとともに、気分に振り回されるようになります。ルーティンワークは脳の部位でいうと運動野や側頭葉や頭頂葉が働いていることになります。2、「感情の法則」の活用ポイントについて考えてみたいと思います。「感情の法則①」は、不快な感情や怒りの感情はひと登りしてピークを迎え、その後下ってくるということです。自然発動に従えば、薄まったり消えていくようになっているのですが、問題は一山登っている途中で待つことをしないでちょっかいを出してしまうことです。これが習慣になっている人はひとまず1秒の間を置くことを考えてみましよう。「割り込み動作法」があります。間を置く方法①・・・親指の爪先を少し尖らせておく。不快な感情や怒りの感情が湧き上がったら、すぐに中指で押さえる。痛いのでそちらの方に意識が向く。間を置く方法②・・・反論や批判の言葉を発する前に、まず「ん」と口を閉じたまま鼻に抜ける音を出し、言葉の衝動を一瞬だけ呑み込むようにする。間を置く方法③・・・相手とのやり取りでカッとなった時、相手の表情や目から視線を外し、全く関係のない一点に意識的に注意を移します。腕時計やスマホなどです。脳は感情的な情報処理と、客観的な情報処理は同時にはできませんので、一秒の間が取れるのです。その他の応用ポイントは明日以降に随時投稿します。
2026.06.25
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日本生産性本部理事の西堀榮三郎氏のお話です。アムンゼン隊とスコット隊はほぼ同時期に南極探検に挑戦した。アムンゼン隊は全員無事だったが、スコット隊は全滅したという。その違いは何だったのか。興味深い。1、隊長の情熱の差が歴然としていたという。アムンゼンは幼少の頃から極地探検にあこがれ、そのために機会あるたびに勉強し、鍛錬していた。スコットは自ら選んだ極地探検ではなく、南極に情熱を持っていたマーカムにおぜん立てをされた探検だった。2、スコットはイギリス海軍の将校だった。軍隊は上官の命令で動く組織です。部下の意見が取り入れられることはない。部下にしてみれば、極寒の地で、自由を剥奪されて、ただ上官の指揮命令に従って行動するしかない。物理的なストレスだけでなく、精神的ストレスにさらされていた。アムンゼンは部下の提案やアイデアをとり入れて、臨機応変な対応策を採用していた。嵐で一歩も進めないとき、スコット隊は無理やり進行させて消耗していたが、アムンゼン隊は、「ああ、これは神が与えてくれた休暇だ」などといってエネルギーの温存を図っているわけです。隊員の気持ちや考えを聞き入れないで、自分の指示命令に絶対服従というスコット隊は兵卒であったものから順に死んでいった。スコットは一番最後まで生き残り、最後に亡くなったと英雄視されているが、組織としては全滅している。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書 致知出版社 藤尾秀昭監修 43ページ)組織として目的を達成するためには、リーダーが果たすべき役割は大きい。リーダーが必ず目的を達成するという情熱を持ち続けることが不可欠ということが分かります。カリスマリーダーが先頭に立って、全員をぐいぐいと引っ張っていく組織は力強く成長します。それが消費者や社会のニーズとマッチしているときは、飛ぶ鳥を落とすような勢いがある。ところがいつまでもそんなことを続けていると、風向きが変わって、成長が鈍化してくるどころか、衰退に向かう。例えば、平家一族や織田信長はいずれも一時期栄華を極めた。以前ダイエーという巨大スーパーがあった。いずれもカリスマリーダが存在していた。ところがその勢いは長くは続かなかった。リーダーがすべてを取り仕切り、部下を有無を言わせずコントロールするというやり方は、短期では成功を収めても、いずれは淘汰される運命にある。森田に「物の性をつくす」という言葉がある。これは「他人の性を尽くす」ことにつながる。部下の存在、能力、考えをリスペクトして組織の中で大いに活用してもらうという考え方を持っていないと組織は成長、発展していかないということではなかろうか。
2026.06.24
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各国首脳が日本を訪れた際、栄誉礼を行っています。まずは高市首相が各国首脳を出迎えます。その後、陸上自衛隊の第302保安警務中隊(特別儀じょう隊)によって、相手国の国歌が厳かな中にも格調高く演奏されます。今年来日したイタリアのメローニ首相は微かに涙を浮かべていました。イタリアの国歌はとても明るいですね。トランプ大統領はアメリカ国家が演奏されたとたんに敬礼していました。アメリカファーストの立場ですから、アメリカ国家には思い入れがあるのでしょう。日本がこのように最大限の敬意を持って迎え入れてくれるとは、想像していなかったという雰囲気が見て取れます。これは「あなたを国賓として全力で歓迎しています」という日本国の意思が感じられます。この極限までに高められた栄誉式は、相手国首脳に対する「最大の敬意」の物理的表現であり、言葉以上の意味を持っています。続いて自国の閣僚や官僚の紹介、対手国の閣僚や官僚を紹介し合います。単なるトップ同士の会談だけではなく、「日本国を挙げてあなたの国をリスペクトしています」という意思の表明です。これは儀礼的な挨拶がどんなに人間関係のなかで重要な意味を持っているかを示しています。森田理論学習をしている私たちは「挨拶」を重視しています。どんなに馬の合わない人でも、儀礼的にきちんと挨拶をすること。できれば口角を上げて、にこやかに挨拶を励行する。「おはようございます」「こんにちは、お元気そうですね」「今日もよろしくお願いいたします」「お先に失礼いたします」人間関係のテクニックを学ぶ前に、形だけでも笑顔できちんと挨拶をすることが欠かせないのだなと考えさせられます。儀礼と言えば、私の苦い経験からすると、親しい人の葬儀は、万難を排しても参列することが肝心です。遠方だからとスルーしてしまうのは後で禍根を残します。私は以前会社を代表して得意先の葬儀に参列することがありましたが、会社の香典だけを用意して、自分の香典は用意しないということがありました。これはまずいい対応です。相手は会社の香典は当たり前のことであり、私の香典があったかどうかをチェックしているのです。その他、結婚式への出席・欠席というのがありますが、この場合はよほどのことがない限りは、欠席してもその後に禍根を残すことはありませんでした。
2026.06.23
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小林弘幸氏のお話です。自律神経を整えるためには整理整頓が大事です。特にクローゼットと靴箱の整理整頓がとても大事です。なぜなら、クローゼットと靴箱は、外出する際の自分の自律神経の状態にダイレクトに影響を与えるからです。クローゼットの中が不要なものであふれかえっていると、これを目にしただけで自律神経は乱れます。いくら身だしなみを整えようと思っても、なかなかうまくいきません。(長生きする技術 小林弘幸 経営科学出版 138ページ)確かに全く着ることのない衣類がたくさんあります。クローゼットや整理ダンスや段ボールの中に有り余るほど持っているのに、気に入ったものや安いものを見つけるとまた買い込むというのはどういうことなのでしょうか。森田の「物の性を尽くす」という考え方の真反対のことを行っている。理論学習と行動は車の両輪だといいますが、これでは神経症を克服するのは難しいのではないでしょうか。私は必要なものは何でも3分以内に取り出すことに取り組んでいます。そのためには、大まかに区分けをして同じ種類のものは同じところに集めて収納しておく。例えば文房具類、請求書や領収書類、通帳やハンコや権利書など重要書類、生活の発見会関連の書類。服は夏服、冬服に分けて保管管理しています。本はたくさんありますのでジャンル別に分けて保管場所を決めています。森田関係の本は1ヵ所に分けてすぐに取り出せるようにしています。ブログの投稿記事は5600になりました。それらは14の項目別に分けて、エクセル管理しています。必要な記事はそれを見ると目的の記事をすぐに見つけ出すことができます。生活の発見誌や森田正馬全集第5巻は、主なキーワードをつけて項目別に区分けしてあります。記事の引用をしたいときに大いに役立っています。次に定期的な棚卸作業に取り組んでいます。これは月ごとに取り組むものを決めています。園芸用品、衣類、書籍、文房具類、請求書や領収書、老人ホーム慰問の小道具、趣味のもの、森田関係書類、パソコンのメール、不要なファイル、スマホで撮った写真、口座管理・カード関係、車やバイクのメンテナンス、田舎の行事、年間作付け管理、ベランダの整理整頓などです。棚卸をすると、忘れていた物で思わぬ活用法を発見できる場合があります。特に本などは改めて再度読むようになります。不要なものは廃棄しています。あるいは欲しいという人に差し上げるようにしています。必要で愛着のあるものに囲まれて生活するのは幸せな気持ちになります。自分が管理しているものの分類と棚卸作業に丁寧に取り組むだけで、神経症は克服できるのではないかと思っております。私の好きな言葉に「平凡道を非凡に歩む」というのがあります。整理整頓というのは、人間力を鍛えて高める一つの方法ではないでしょうか。
2026.06.22
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小林弘幸氏のお話です。有名な巌流島の戦いで、佐々木小次郎が宮本武蔵に負けたのは怒ったからです。遅れてきた宮本武蔵にイライラして、カッとなり、その結果、自律神経が乱れて、それが血流を悪くして一瞬の動きを鈍くしてしまった。もし佐々木小次郎が、「あ、僕は今、イライラしている、カッとなっている」と気づいていたら、あの闘いはまた違ったものになっていたかもしれません。なぜならば、「自分は今、怒っている、乱れている」と気づいた瞬間に、自律神経は安定して、整ってくるからです。つまり、これは怒りや嫉妬をコントロールする一つのコツです。もしそれでも怒りや嫉妬が湧いてきたら、「あ、今、自分は怒っているな」「今、嫉妬しているな」と素直に認める。そうすると、案外その感情は、たやすく落ち着いてきます。また、そうすることで、怒りや嫉妬による損失も、スムーズに抑えることができるのです。(医者が教える長生きする技術 小林弘幸 経営科学出版 179ページ)小林氏は湧き上がってきた怒りの感情は、流れる雲を眺めるようにすればよいと言われています。湧き上がってきたすべての感情は自然現象なので、自由自在にコントロールできないものです。できることは、マイナス感情を第3者の立場から客観的に見ることだけです。つまり手出し無用です。そのからくりが分からないと、その感情を取り除こうするわけです。森田理論では、感情と行動は別物である。感情と行動は分離することが大事であるといいます。また感情の法則では、どんな不快な感情でも一山登ってピークに達すれば、必ず下降してくるといいます。理屈通りに行動すれば、人間関係に亀裂が入ることを抑えることができます。私はこの段階の前に、瞬間湯沸かし器のように突発的に湧き上がってくるマイナス感情を一時的に止める必要があると思っています。一時的に止めることで、次に感情の客観化に向かうことができるのではないかと考えています。それは「割り込み動作」といわれるものです。私は怒りを感じた瞬間に3つの動作を心がけています。①親指の爪を尖らせておいて、怒りの感情が湧き上がってきた瞬間に中指で押さえるのです。②次に怒りが込み上げてくると、口を開かずに「ん・・・」と短く発音する。③カッとなった時、時計や鞄などに意識的に目を向けます。この3つの動作をとると、少しだけ間が取れます。つまり買い言葉に売り言葉的な拙速な感情の暴走を一旦抑え込むことが可能になります。この方法は、相手を傷つける「一言多い発言」が目立つ人にも有効です。この段階をクリア出来たら、いよいよ感情の客観化に向かうことができます。
2026.06.21
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アメリカの詩人、サムエル・ウルマンの詩に、「青春」というのがあります。有名な詩なのでご存じの方も多いと思いますが、改めてご紹介いたします。青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意志、ゆたかな創造力、燃える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。青春とは臆病さを退ける勇気、安きに就く気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。歳月は皮膚にしわを増すが、情熱は失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、脅威に魅かれる心、おさな児のような未知への探求心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。霊感が絶え、精神が皮肉の雲におおわれ、悲嘆の氷にとざされるとき、20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、80歳であろうと人は青春にして已む。(青春とは、心の若さである サムエル・ウルマン著者 作山宗久訳 角川文庫)これは森田でいえば、生の欲望の発揮の大切さを詩にされていると思います。課題や目標、夢や希望は心の食べ物のようなものだと思います。人間は食事をとらないとガリガリに痩せてきます。心も同様です。目標には「短期目標」「中期目標」「長期目標」の3つがあります。短期目標・・・日常生活の目標です。日々の生活は規則正しく行う。ルーティンワークを確立して同じ時間に同じ行動をとる。物そのものになって行う。凡事徹底です。すると感情が動き出してきます。気づきや発見がやる気の源となります。日々の生活に収まらないものは、基本的に1週間単位で片づけるように心がける。中期目標・・・1年から3年間の間で達成する目標を立てる。例えば、3000メートル級の北アルプスに登頂する。夢で終わらせないためには、仲間の協力や綿密な計画と訓練が欠かせません。長期目標・・・私はこのブログを生涯にわたって続けるという目標を持っています。365日毎日続けるつもりです。そのための仕組みはすでに作っています。その他、認知症とは無縁で、寝たきりにならないで100歳以上の長寿を目指しています。そのために、身体の健康、心の健康、良好な人間関係、生きがい作り、経済的自立に取り組むが必要があります。天寿を全うすることは登山に似ているように思っております。そのための勉強会も立ち上げています。みんなで知恵を出し合って基本方針を立てることが必要になります。
2026.06.20
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森田先生のお話です。「夏が来れば暑い」「それなら暑いと思っていればよいか」と問うてはいけない。思わなくとも、暑いから、そのままでよろしい。夏は暑い。いやなことは気になる。不安は苦しい。雪は白い。夜は暗い。なんとも仕方がない。それが事実であるから、どうとも別に考え方を工夫する余地はない。(現代に生きる森田正馬のことばⅡ 白揚社 27ページ)森田先生は、自然現象に対して絶対服従の態度が肝心だと言われている。最近の夏はとても長くて、しかも日中外に出られないほどかなり暑い。暑いのはどうしようもないことだから、これに反発し、対抗してはならないと言われている。この暑さに負けるようなことがあってはならないと強がって、無理して外出するのは考えものだ。体力を消耗し熱中症にかかり緊急搬送されることにもなりかねない。私は暑い夏はどうにもならないが、なんとかその暑さを軽減させる方法はあるのではないかと考えている。たとえば、私はマンションの管理人の仕事をしている。暑いから仕事をしないでエアコンの効いた部屋でじっとしているというわけにはいかない。そこで外仕事をするときは風神服を着て外に出る。扇風機がついている服である。これを着用すると暑さがなくなるわけではないが、風が循環するので、汗でびっしょりになることはなくなる。また着替えのシャツを余分に用意して途中で着替えをしている。それから外仕事は極力太陽光が直接当たらないところを見つけてするようにしている。たとえば昼からは東側で陰になったところで掃除をすればある程度暑さをしのげる。それから外での業務は30分を目安にして、エアコンの効いた事務所に戻りしばらく休む。冷蔵庫で凍らせたペットボトルを3本用意して適宜飲むようにしている。清涼飲料水はほとんど飲まないが、疲労回復のドリンクは時々飲んでいる。その他家に居るときはシャワーを浴びるとすっきりする。それから暑い夏はバイクで走ると爽快である。食欲がなくなるがきちんとした食事をとるように心がけている。私は夏の暑さに対して、基本的には根本的な解決策はないが、それでもある程度軽減させる方法はいくらでもあると思っている。できる限りの対策を工夫して見つけて実行するのが先だと思う。夏の暑さに体力的・精神的に真っ向から反抗するというよりも、夏の暑さをそのまま受け入れるのは難しいので、多少緩和して凌ぐ、何とか乗り切れればOKという考え方をとっている。その方が現実的だと思っていますが、みなさまはどのようにお考えでしょうか。
2026.06.19
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小林弘幸氏のお話です。「失敗は成功のもと」という言葉があります。しかし、失敗をそのままにしておくだけでは、それは決して成功の元にはなってくれません。この言葉の本来の意味は、「失敗してもその原因を追究し、欠点を改善していくことで、成功に近づくことができる」ということです。では、若い頃の失敗を成功の元に換える、あるいは、若い頃の失敗を自分をより成熟・成長させるための貴重な糧とするには、一体どうすればよいのか。それは、とにかく一度、「これまでの失敗を紙に書きだしてみる」ことだと、私は思うのです。(医者が教える長生きする技術 小林弘幸 大和経営科学出版)若い頃の失敗なんて、「思い出すのも恥ずかしい、ああ嫌だ」「恥ずかしい」「なかったことにしたい」「出来れば人目につかないようにずっと隠しておきたい」と思っている人が多いと思います。これでは宝の持ち腐れになります。私たち神経質性格者は元々自己内省性が強いという特徴を持っています。これは分析力、探究心、原因追及力、洞察力が強いということです。神経質性格をプラスに活かすためには、過去の失敗や不祥事を敢えて紙に書きだしてみる。これは人に見せるわけではなく、自己洞察、自己分析を深めるために活用するのです。私は人間関係で多くの失敗を繰り返してきました。早速それらを幼児の頃から現在まで思いつく限り書き出してみました。続いて分析・洞察してみました。次のような結論に達しました。・笑顔であいさつをすることが少なかった。挨拶は人間関係をよくするための潤滑油のようなものだと気がついた。・怒りの感情の取り扱い方が間違っていた。買い言葉に売り言葉で反抗的に態度に出ることが多かった。感情と行動は別ということを森田理論で学んだ。割り込み動作で不快な感情を1秒間我慢する方法を学んだ。そして、慢性的な不快感情は流れる雲を眺めるように客観化すればよいということを教えてもらい役に立った。・気分本位な面があった。いやだ。めんどうだ。しんどい。やる気が起きないなどの気分に振り回されて、本来やるべき課題に真摯に向き合ってこなかった。特に仕事面ですぐに放り出してしまうという弊害が出た。森田では主観的事実だけではなく、客観的事実も視野に入れて行動する必要があると学んだ。行動は、客観的事実を重視する方がうまく収まることを学んだ。・思ったことを相手の気持ちを考えないで、ストレートに口にする傾向があった。「あの人はいつも一言多い」と言われてきた。自分の不用意な発言によって相手がどのように傷つくかという配慮をしてこなかった。・「あなたメッセージ」の言動が多かった。「私メッセージ」の発信を心がけるべきだと思った。・自分の気持ちや考えを相手に押し付けることが多かった。自分と相手との間には大きな溝があるということはあまり考えたことがなかった。人間関係を改善するためには、話し合いで双方の妥協点を探ることが必要であった。対人恐怖の場合、人の思惑が気になって苦しいので何とかしたいと思っていたが、人間関係の基本から逸脱するようなことばかりしていて、精神的に楽になりたいというのはあまりにも無茶なことを考えていたものだ。
2026.06.18
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私は最初に集談会に参加し始めた頃、先輩会員の方から「あなたの症状はなんですか」と質問されてびっくりしたことがあります。私は気質的な心の病気に罹っているという認識はなかったからです。会社の中での人間関係が悪くなって、孤立しているのをなんとかしたいと思っていました。心の病気と言われるうつ病や統合失調症や双極性障害ではないと反発していました。ところが不思議なもので、続けて集談会に参加しているうちに、症状という言葉を違和感なく口にするようになりました。対人恐怖症、強迫神経症、不安神経症、普通神経症という言葉を頻繁に使うようになりました。症状というものは、原因があってそれを取り除くことで完治するというイメージがあります。森田理論学習では神経症は器質的病気ではない。人間性に対する誤った考え方や見方によって発生しているものであると言われています。ですからどんなに重篤に見えようとも、神経症を治すという態度で対応すれば、克服する方向からどんどんそれてしまうことになります。悪化するばかりとなります。では症状に変わる言葉としてどんな言葉に置き換えるとよいのでしょうか。私の「不安、恐怖、違和感、不快感、心配事、悩み、問題点、とらわれ、生きづらさ」という言葉ではないでしょうか。それらを集談会のような場で、赤裸々に、具体的に公開して、みんなで認識の間違いを話し合ってみる。そしてその乗り越え方を自分なりに見つけ出す作業を行う。例えば、対人恐怖症の人は仲間内から排除されて孤立して苦しいと訴えます。そのとき、「人の思惑が気にならないようにするにはどうすればよいのですか」と質問するのは、症状として捉えている考え方であり、それを推し進めていけば袋小路に入ることになります。悪化している人間関係に陥ったのはどんな問題があったのかを具体的に公開していくと、さまざまなアドバイスが得られます。笑顔での挨拶は人間関係の基本ですが、基本に忠実に行動していますか。葬儀や法事などには万難を排して参列していますか。腹が立ったときの対応はどうしていますか。森田では怒りの感情と行動は別々に取り扱うことと言われているがあなたの場合はどうなのか。気分と行動も別々に取り扱うことと言われていますがどうしているのか。ドタキャンなどは控えていますか。お金をごまかしたり、異性関係のトラブルを起こすことは、人間関係悪化の原因となりますが、問題ないですか。人を不快にする言動は控える必要がありますが、ぐっと我慢できていますか。これらの問題を放置しておいて、人間関係を良くしたいと考えても絵に描いた餅になると思います。人間関係の基本を具体的に踏まえた上で、次のステップに進む必要があります。ですから、症状という言葉はできる限り使わないようにしたいと思います。
2026.06.17
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森田理論では、あくなき欲望の追及は百害あって一利なしと言います。不安を活用して意志の力で適度に制御しなければ、人間関係は対立するようになりますし、自己破産を招くことがあります。心身の健康を害し、社会から排除されることにもなります。これはあたかもブレーキの壊れた車に乗って坂道でアクセルを踏み込んでいる状態です。欲望の暴走を野放しにしておくと大惨事を招きます。欲望の暴走はどんなところに起きているでしょうか。世界を見渡せば絶えず紛争や戦争が起きています。話し合いによる問題解決ではなく、武力で優る国が弱い国に戦争を仕掛けています。大国の覇権争い、自国の利益優先の態度、為政者の個人的利益の拡大などが原因です。その他、人間による自然の収奪があります。酸性雨、温暖化、海洋汚染、熱帯雨林の森林破壊、オゾンホールの出現、資源の枯渇、自然循環を無視した農業などで地球は病んでいます。個人の問題としては依存症があります。アルコール、ギャンブル、薬物、ネットゲーム、買い物、風俗依存などがあります。森田では精神拮抗作用という考え方があります。欲望が起きると、同時に不安が湧き上がり、欲望の暴走が制御されて、調和やバランスが保たれているというものです。この機能が正常に機能するためには、理性や意志の力が必要になります。飛行機が離陸するために加速を始めると、ある限界点を越えてしまうと、どんなに突発的なトラブルが発生しても停止させることはできないといいます。滑走路からはみ出して大惨事になるからです。欲望の暴走も同じことが言えます。欲望の暴走が起きている為政者、国は何としても中止してもらわなくてはなりません。当の本人には制御能力が破壊されているので、周りの人が忠告してあげなければなりません。仮に現在うまく立ち回っていても、いずれ長い歴史のなかで淘汰されてしまうでしょう。個人の依存症の場合は、脳が依存物質に乗っ取られているような状態です。人間の意志の力ではどうにもなりません。依存対象には決して近寄らないようにすることが一番です。そういう人が単独行動をとることは極めて危険です。制御力を持った人と行動を共にすることが欠かせません。最終的には、医療的措置をとることになります。さらに自助組織に参加してみんなで取り組むなどの方法があります。森田理論では、「生の欲望の発揮」が大きく取り上げられています。それと共に、欲望の暴走の弊害とその制御能力をいかに獲得するかについても議論してみる必要があると考えています。
2026.06.16
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作家でエッセイストの浅見帆帆子氏のお話です。私は仕事のお話については、全部直感で決めています。直感で決めているというと、自由気ままで根拠がなさそうに聞こえますけど、私は自分の本音の感情が、一番最初にどう動いたかにすごい情報があると思っています。この時、条件などに目をやって頭であれこれ考えては駄目なんです。ある企画を前にして心がわくわくしないのに、条件を見て、やったほうが得かもしれないとか、あの人の紹介だから断れないとか、断ったら印象が悪く見られるとか、これらはあとから頭で考えてひねり出した理由であって、自分の本音を覆い隠してしまうことになるんですね。逆に、わくわくしている自分がいるのに、前に同じようなパターンで失敗したから今回も失敗するんじゃないかとか、こんなおいしい話は世の中にはないだろうとか、頭で考えているうちに一番最初にやるぞと思った感情が、だんだんと萎んでしまう。せっかく未来からのわくわくする提案がきているのに、世間の常識や自分の思い込みの枠でブロックしてしまう。実際、私も初めは随分迷いました。自分の気持ちがわくわくしていないとか、気持ちが乗らないという理由だけでお断りするのって、すごくわがままなことに感じますよね。ただこれは実験してみるとすぐ分かるんです。もやもやして気持ちが乗らないのに、条件がすごくよくて、時間的にも余裕があるからっていうことでそのままお引き受けすると、途中でおかしなトラブルが起こるんです。結局、最初に感じていたすっきりしない感覚のままに進んでいくことがほとんどですね。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書 致知出版社 藤尾秀昭監修 267ページ)浅見さんは、自分の直感、本音を大事にして生きていきたいと言っておられます。これは森田でいう「純な心」ですね。森田では最初に湧きあがってきた素直な感情を大事に取り扱いましょうと言っています。このことを「初一念」とも言います。この感情はきちんと掴まえないと、すぐに「かくあるべし」を含んだ、初二念、初三念に置き換わってしまいます。初二念、初三念は素直な感情、本音とはかけ離れていますので、これを基にして建前を重視する言動や行動は人間関係を悪くしたり、意欲が減退することになってしまいます。本音と建て前は多くの場合一致しません。相手がいる場合はどう調整していけばよいのでしょうか。森田先生がよく引用されている西郷隆盛の対応が参考になります。西郷隆盛は自分の考えはしっかり持っていたようです。しかしそれを持って相手を鼓舞するようなことはしなかったそうです。西南戦争で新政府と戦うかどうか激論になった時、西郷隆盛のとった態度は、みんなの意見に静かに耳を傾けることでした。衆目の意見が新政府と戦争することでまとまった時、自分の考えに固執することなく、責任者としてその先頭に立って戦いました。西郷隆盛は、「主観的事実」は大事したいところなのですが、それで突っ走ってしまうと、周囲と調和がとれなくなってしまい混乱を招いてしまうことを直感的に感じていたのだと思います。森田では「主観的事実」「客観的事実」を天秤にかけて、調和を図ることが大事になることをお勧めしています。最終的に、「客観的事実」に沿って行動する方が収まりがよくなります。神経質者の場合、「主観的事実」で突っ走り、「客観的事実」が眼中にないということがしばしば発生し、後で後悔することが多いように思います。それ以外の場面では、浅見氏が指摘されているように、興味や関心が湧いたことは、自分の素直な気持ちを最優先して積極的に挑戦していきたいものです。いろんな理由をつけてパスしていると、生きる喜びを味わう機会は激減してしまいます。
2026.06.15
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平成27年ノーベル生理学・医学賞を受賞された大村智氏のお話です。人間はこれまで傲慢すぎたのだと思います。自分たちの力で自然でも何でもコントロールできると、とんでもない間違った考えをするようになった。その結果、人間が地球環境を侵す発生源になり、地球は病気になってしまった。異常な大きさの台風の発生や40度を超える猛暑はその筆頭ですよ。私たちはここで傲慢さを捨てて「大自然に生かしていただいている」という感謝の気持ちを取りもどさなくてはいけません。見方を変えると、これからの時代は、困難になるほど、助け合う、譲り合う、励まし合うというということが個人レベル、集団レベルで行われるようになると思うのです。そこに絆が生まれる。これはとてもいいことですね。次に老子の「知足者富」(足るを知る者は富む)の態度で生活することです。これは、満足することを知る者は心豊かに暮らすことができる、という意味です。足るを知ることで心は穏やかに保たれ、1日の食事やなすべき仕事を与えられていることに感謝の念が湧いてきます。いろいろな困難に直面しても、「あれが欲しい、これが欲しい」と欲をかかないで小さなことにも満足していく心の習慣、ウィズ・コロナの時代に求められる一番のマインドはそれではないかと思います。私なりにもう一つつけ加えれば、何ごとにも丹精込めて生きるということが大事だと思います。数年前、臨済宗の高僧・松原泰道先生が101歳の時に「よき人生は日々の丹精にある」という言葉を送ってくれましたが、これはこういう苦難の時にこそ噛み締めなければならない言葉だと思います。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書 致知出版社 藤尾秀昭監修 263ページ)これは森田につながる言葉だと思います。最初の言葉は自然から収奪することばかり考えるのではなく、自然をリスペクトして、自然循環を心がけることだと思います。これは自然だけではなく、他人や他国、自分の身体、時間やお金にも言えることです。いま存在しているものの存在価値を見直し、命尽きる時まで、居場所や活躍の場を確保して、人の為・世のために貢献していくことだと思います。これは森田理論の、「物の性を尽くす」「己の性を尽くす」「他人の性を尽くす」「時間の性を尽くす」「お金の性を尽くす」「自然の性を尽くす」に通じる考え方です。次の言葉は、欲望の暴走は歯止めが効かなくなると、最後には、自他ともに破滅してしまいます。欲望の暴走の制御を担っているのが不安の役割です。不安の役割を再認識して、欲望と不安の調和を心がけることが大事になります。森田では不安は欲望があるから湧き出るものだといいます。不安と欲望の関係を学習することが大事になります。最後の言葉は「凡事徹底」ということです。不安は絶えず襲ってきますが、規則正しい生活とルーティンワークを確立して、今に集中するようにすれば、感情が動き出してきます。気づきや発見が生まれて意欲ややる気が高まってきます。神経症で悩むことはどんどん少なくなってきます。
2026.06.14
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ラ・パルム・ドールのオーナーシェフの後藤雅司氏のお話です。最近の若い人たちを見ていると、「自分の人生の段取りを整えていく」という部分が非常に弱いように感じることがあります。嫌なことがあったり辛くなると、その感情ですぐにやめてしまう。もちろん私も下積み時代は辛い、止めたいと思うことは日常茶飯事でした。高校卒業後、料理の道に進んだ私は、一旦やると決めた以上、中途半端な三流料理人で終わりたくない。一流シェフになって見せるという夢を抱きました。そして、「そのためには、まずは小さな店でいいから、30歳までにシェフ(料理長)と呼ばれる立場になろう」と考えた。そして「そのために、最初に就職したホテルの同世代の仲間のなかで、後藤が一番仕事ができると認められる存在になろう」という目標を立て、一つ一つクリアしていこうと思いました。この夢に対する目標設定が人生の段取りであり、ここを明確にすると、一つの目標をクリアするためにどのくらいの期間で、どこが踏ん張りどころなのかも自然に見えてきます。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書 致知出版社 藤尾秀昭監修 214ページ)イヤなこと、辛いこと、面倒なこと、難しいことなどが目の前に立ちはだかると、途端にやる気をなくして何もしないということはよくあります。回避した時はヤレヤレと思ってほっとします。しかし後から暇を持て余し、自己嫌悪、自己否定で苦しむことが多いように思います。気分本位の態度で、リスクを避けまくって、楽な道を選択してきた人は、失敗の経験がほとんどなくて、幼児が身体だけ大きくなったようなもので、社会の荒波を生き抜いていく力はありません。経験不足というのは、大人になって確実にそのつけが回ってきます。そのときに反省しても遅いのです。森田では、気分本位の態度は犬も食わない代物だといいます。ではどうすればよいのか。その答えを後藤雅司氏が教えてくれているように思います。私は森田理論学習の中で、目標を立ててそれに向かって努力する態度が欠かせないと学びました。そして目標の立て方は3つある。短期目標(その日の目標、1週間の目標)、中期目標(1~3年間の目標)、長期目標(生涯目標)です。絶えず気分に振り回されそうになりますが、しばらく休憩を取った後は、その都度3つの目標を再確認して、また前に向かって歩き始めることが肝心だと思います。
2026.06.13
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作家の宇野千代さんのお話です。よく、どこが痛い、ここが悪いと自慢げに話す人がいますが、私はこの年になるまで頭痛がしたこともないし、肩がこることもない。そういうことをまず思わないの。そして、人にもいわない。その代わり、いい話は会う人ごとに自慢するの。あのね、私の特技なんですけど、私はなんでも困ったな、と思うような状態になったときに、逃げないでね、まるで待ち構えていたように、一瞬間にさっとその中へ飛び込むの。そうやって平気に入り込むと、なんてことはないのね。ところが、みんな、逃げるからね。やりきれない状態というのは、その当人がやりきれない分量が多ければ多いほど、やりきれない形になるんです。平気でいれば、ある程度、平気になれる。これくらい平気になれたと、自分で自分に自慢するのが暮らし方のコツですね。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の人間学の教科書 致知出版社 藤尾秀昭監修 186ページ)宇野千代さんは、体調が少々悪くても大げさに吹聴しないようにすることを勧めておられます。自分が発したグチ、不平不満の言葉に刺激を受けて、実体以上に痛みを意識するようになります。そういう痛みは器質的なものではなく、精神交互作用によって悪化しているわけですから、薬物療法や治療によって簡単に治せるようなものではないようです。私たちが問題にしている神経症的不安は生の欲望があるから不安が湧き上がっていると言います。神経症的な不安はそのまま抱えて、目的本位・物事本位に行動していくというのがセオリーということを説明されているのだと思います。目標や目的を見失って、不安を取り去ることにエネルギーを投入することは、百害あって一利なしです。森田ではこのことを、手段の自己目的化といって、神経症のアリ地獄に陥る一因と言われています。森田先生は丸木橋を渡るコツは、不安を持ったまま、絶対に目標物から目を離さないで行動していくことだと言われています。私はこれと同様の体験をしました。自動二輪の免許を取得する時、一本橋というのがあります。高さ5cm、長さ15m、巾30cmの鉄板の上を5秒以上で落ちないように走行するというものです。ちなみに大型自動二輪の場合は10秒以上となります。コツは思い切って一本橋に乗る。乗ったら目線を上げて、橋の向こうの目標物に視線を移すということでした。落下することを怖れて、一本橋に視線を移すとほとんど落下してしまいます。頭で考えると、一本橋から視線を離すから落下するのだと考えやすいのですが事実は全く違います。目標物から目線を離してしまうというのが落下の原因となります。落下したとたん即不合格となりますから、事は重大なのです。
2026.06.12
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2026年4月12日の中國新聞の朝刊に次のような相談があった。この春、中学生になる娘がいる44歳の男性会社員の悩みです。最近、娘に注意すると明らかにイヤだという態度を取られるようになりました。もうすぐ思春期なのだと思うと、成長をうれしく思う反面、娘とのコミュニケーションが少なくなるかと思うと寂しいばかりです。みなさん、年頃の娘さんとどのようにコミュニケーションを取っていますか。仲よく付き合うためのコツを教えてください。28歳の女性の会社員の回答です。私は高校生ぐらいから反抗期のようになり、その頃は父と同じ空間にいるのも嫌でした。たばこ臭さと長い説教が原因だったと思います。父と母がけんかをしているのを見ると、父への嫌悪感が増していました。家事を分担したりして、夫婦仲を良くしておくのが、娘さんとの関係を良くしておくのがコツかもしれません。56歳のパートの女性の回答です。女の子はお父さんの爪や足の裏、髪の毛、においなんかも敏感に気にするようになると思います。実は私がそうでした。大好きで愛するお父さんだけれど、そういうことが気になる歳ごろなんだと思います。家ではついだらしなく過ごしてしまいがちですが、いつまでもかっこいい、すてきなお父さんを目指してください。59歳の自営業の男性の回答です。いらんことを言わないのが一番です。親から注意されると、子どもは自分のために言ってくれていると分かっていても腹が立つものです。必要なことは向こうから言ってきます。受け身で、温かく長い目で見守りましょう。ちなみにgoogle geminiに聞いてみました。質問・・・娘はなぜお父さんを「胡散臭い」と感じるのか。中学生になると、客観的な視点が発達し、父親を「一人の不完全な人間」として観察し始めます。建前への敏感さ・・・親が言う「正しいこと」と、実際の行動の矛盾(例:自分はスマホを見ているのに勉強しろと言うなど)を敏感に察知し、それを「胡散臭い」という言葉で表現することがあります。心理的距離の確保・・・二次性徴を迎え、父親という異性に対して無意識に心理的な壁を作ろうとする本能的な反応でもあります。・父親が避けるべき「逆効果」的な行動があります。良かれと思ってやっていることが、溝を深めてしまうケースが多々あります。過度なアドバイスや説教・・・正論であればあるほど、今の娘さんには「自分の気持ちを否定された」と感じさせてしまいます。プライバシーへの侵入・・・スマホの中身や交友関係を細かく聞き出すのは厳禁です。不自然な歩み寄り・・・急に若者言葉を使ったり、機嫌を取ろうとしておどけたりすると、その「不自然さ」がまさに「胡散臭さ」を助長します。・ 接し方の黄金律があります。基本的には「程よい距離感のある同居人」くらいのスタンスが理想的です。「聴く」に徹する・・・何か話してきた時は、批判や解決策の提示をせず「そうなんだ」「それは大変だったね」と受け止めるだけに留めます。挨拶と感謝は欠かさない・・・返事がなくても「おはよう」「おやすみ」「(手伝ってくれた時に)ありがとう」という言葉だけは、淡々と、かつ誠実に伝え続けます。背中を見せる・・・娘に干渉するよりも、お父様自身が仕事や趣味、あるいは何かに一生懸命取り組んでいる姿を見せる方が、結果として「胡散臭さ」を払拭し、一人の大人としての信頼を取り戻す近道になります。今の状況は「健全な成長」の証です。娘さんが親に対して批判的な視点を持つのは、「親の価値観から離れて、自分の価値観で生きようとしている」証拠であり、自立に向けた健全なステップです。今は無理に仲良くしようとせず、彼女が「必要な時にはいつでも頼れる、どっしりとした安全基地」でいることを意識してみてはいかがでしょうか。結論としては、森田理論の「不即不離」でいくのがよいのかと思います。叱責、批判、否定、説得、無視、小言を言うのは、ますます親子の関係悪化につながるようですね。
2026.06.11
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私の周りにはプロ野球の贔屓球団を応援している人が多い。勝てば大喜びで、その日はテレビのプロ野球ニュースの梯子をする。翌日は新聞のスポーツニュースを隅から隅まで見ている。時々コンビニでスポーツ新聞を買ってくる人もいる。反対に贔屓球団が負けると、不快な感情ですぐにイライラして不機嫌になる。テレビを見ていてもスポーツニュースになるとすぐにチャンネルを変える。翌日の新聞は読まない。時には解説者に早変わりして、監督の采配、チャンスで打てなかった選手やエラーをした選手の誹謗中傷をする。不快な感情に対して反抗的な態度をとっている。それでも気が収まらない。会社の上司であくる日まで機嫌が悪く、部下にその不快な気持ちを吐き出す人がいた。営業は贔屓チームが負けた日は、針の筵に座るような感じになるので、会社に寄り付かなくなった。そのとばっちりは、内勤社員に向けられて重苦しい雰囲気になった。そんな不快な思いをするのならば、プロ野球を見ないようにすればよいのにと思うのだが、時々勝つこともあるので、試合の開始時間に合わせて予定を組んでいる。森田理論では不快な感情は自然現象でありどうすることもできないという。また感情の起伏が激しいということは、悪い面ばかりではない。感情には、不快、怒りなどのマイナス感情だけでなく、喜び、感動等のプラスの感情あります。マイナス感情を大きく感じる人は、プラスの感情も大きく感じることができます。感情が豊かな人は、感性の豊かな人であり、芸術鑑賞には必要な資質である。問題は不快で憤懣やるかたない感情をどう扱うかである。いくら不快で嫌な感情であっても目をそむけるのはまずい。これをすると、森田先生が言われるように、頭の中で苦しみから逃れるためにさまざまなやりくりを始めるので、そしていつの間にか「煩悩の犬」が頭の中に住み着いてしまう。「煩悩の犬」が昼夜を問わず出没して我が心身を痛めつけるようになる。贔屓チームが負けたという事実に向き合うことが真っ先に取り組むべき課題となる。悔しい感情をしっかり味わうことである。グチや不平不満は極力押さえて時の経過を待つ。次にこなさなければいけない問題点や課題を持っている人は不快な感情を早く流すことができます。そのためには、規則正しい生活習慣を作り、同じ時間に同じ行動をとるというルーティンワークを確立するとよい。身体が何も考えなくても自然に動くような状態になっていると、不快な感情がいつまでも居すわることはありません。それから、生活態度として、小さな不安、小さな問題点、小さな課題、小さな不具合、小さな心配ごとに気づいた時、それをメモなどしてきちんと掴まえるようにしている人は、イライラする感情は割合早く流れていきます。気づきをそのまま放置している人は、不快な感情を持て余し、自分だけでなく周りの人を巻き込んで険悪の雰囲気を作り上げる名人になります。
2026.06.10
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森田先生のお話です。「我を捨てる」ことは、言葉にとらわれると、なかなかむずかしい。「我」は、捨てようとすればするほど、捨てられないものであります。私はいつも、「見つめよ、逃げるな」といって教えます。たとえば、便所の掃除などは誰でも嫌いです。その場合、普通の人はよく「嫌いという心をなくして、精進努力して掃除しなければならない」というふうに考えます。しかしそれは、毛虫を好きと想え、死を恐れるな、とか忠告するのと同じことで、実は不可能でありますからなかなか思うようにゆかずに苦しみます。森田先生は、こういう場合、「見つめよ、逃げるな」と教えます。いろいろな汚いものが目についてきます。少し我慢して逃げずにいれば、手を出すのは苦しいけれども、汚いままに放任しておくのも気になってしかたがありません。心の中にはいろんな葛藤が起こります。けれども、結局思い切って掃除をすると、はじめに想像していた時よりもラクであることが分かります。汚い仕事をすることが嫌いなのも我であり、清潔にしておきたいと思うのも我であり、両方とも我であります。(神経質問答 白揚社 156~157 意訳)この話は主観的事実と客観的事実の取り扱い方から考えてみると分かりやすい。便所掃除をするのがイヤだというのは主観的事実です。ネガティブ感情や思考は自然現象ですからどうすることもできません。主観的事実を抑圧しようとすると神経症になります。そっとしておくことです。イヤだという気持ちを前面に出して何もしないというのは気分本位の態度です。人間には精神拮抗作用という機能が標準装備されています。これはたとえば高額の乗用車が欲しいと思っても、家計のやりくりのことを考えて思いとどまるようなものです。汚いトイレを眺めていると、きれいに掃除したいという気持ちも同時に湧いてきます。これは客観的事実です。この気持ちを無視するのは考えものです。客観的事実を考慮しないというのは、飛行機でいえば片肺飛行しているようなものです。バランスが悪いので着陸に失敗する可能性があります。この場合、自分で掃除をするのが基本ですが、どうしてもしたくない場合もあります。そのときは、極端な話、お金を支払ってトイレ掃除を他の人に依頼するという方法もあります。こうすれば、自分でトイレ掃除をしなくても、トイレはきれいになります。この方法が必ずしもよいとは言いませんが、主観と客観の両方の事実を大切に取り扱うと、こういう対応もあるということです。問題は客観的事実を無視して、主観的事実で押し通してしまうことです。どこまでも自分の考えを押し通そうとする態度です。両面観を無視しています。人間関係に問題を抱えている人は、主観的事実で物事を処理してしまう場合が多いのではないでしょうか。森田理論学習で視点を変えれば解決します。
2026.06.09
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神経質者は、これを逆に捉えて、「内相を整えば、外相に好影響を与える」と考える傾向があります。行動するにあたっては、やる気、意欲、自信、安心、安全、安定した心の状態をあらかじめ観念的に作り出すことを目指す傾向が強いのです。そうすれば、なんでも積極的、情熱的に取り組むことができ、しかもやることなすことがすべて大成功に終わるはずだと信じています。例えば、営業活動の仕事をする場合、まずセールスのハウツー本やセールスセミナーに通っても完璧なセールステクニックを身につける。見込み客の見分け方、キーマンの見つけ方、アプローチの方法、セールス話法、クロージング技法などである。そのテクニックを駆使して、顧客の断わり文句を巧みに切り返しながらすべて契約に持ち込む。完全主義者、完璧主義者、理想主義者の考え方です。想定通りに進展しないと、すぐに挫折することになります。私がまさにこのタイプでした。対人恐怖の私は大学を卒業後、訪問販売の仕事に就いた。最初から適応不安で仕事をするのが怖かった。そこでとった作戦がこの作戦だった。営業活動しても最初から無駄だと思う人には営業はしなかった。見込み客を厳密に選び、そういう人たちだけを相手にしていた。目標に届かないことが多く、仕事に行くのが怖くなった。9年目に営業の適性がないと判断して転職しました。訪問営業で成果を上げている人は私のやり方とは違いました。確率という考えを持っていて、ローラー作戦できる限り多くの人に営業攻勢をかけるというやり方でした。できるだけ多く営業機会を作り出すというやり方です。冷たく断られたからといって落ち込むことはあまりありません。確率というのは、例えばサイコロをふると出目は6つありますが、最初のうちは頭の中に思い描いている数字が出ることはほとんどありません。出目はランダムですから信用できないということになります。ところが2000回振り続けると、1から6の出る確率は不思議なことに16.6%に収束してくるという法則です。これを営業に当て嵌めると、2000回の営業をかければ、1667回は断られるが333回は成約に結びつくということになります。目からうろこの法則です。この考えでローラー作戦をとっていると、断られてもそんなに落ち込みません。むしろ、早く断られる数字を積み重ねていくほうが、成約に近づくと思うようになります。また断られることによってセールス技術はどんどん向上していきます。私は途中で転職しましたが、そのやり方でどんどん成績をあげて、幹部にまで上り詰めた人がいたことを噂で聞きました。この話から学ぶことは、まず精神的にやる気、意欲、自信、安心、安全、安定した心の状態を観念的に作り出して、精神的に余裕をもって営業活動をすれば、おのずとよい成果に結びつくという考え方は間違いだということです。それよりも、未熟な営業能力のまま、不安を抱えたまま、怖いまま、確率理論を信じて、ローラー作戦で地道な営業活動をしていった方がよいということです。これが営業活動で外相を整えるということです。営業能力を高めたい人は失敗経験を数多く積み重ねることが必須となります。失敗の経験はイヤなものですが、これが自分を成長させる肥やしとなるのです。これは必要な注射針を刺されるときはイヤなものですが、健康を維持するために避けて通れないことと同じです。頭で思考錯誤を繰り返している人と不安な気持ちのまま仕事に取り組んでいる人とは、数年経過後はどんどん差が開くばかりとなります。思い当たる方はぜひ参考にしてみてください。
2026.06.08
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昨日に続き川島隆太教授のお話です。子育て中に子供に読み聞かせをしている家庭では子どもにとても良い影響を与えていることが分かっています。絵本の読み聞かせる親の脳のどの部分が一番働いているかというと、言語領域ではなくて実際には相手の気持ちを慮る領域なんです。絵本の読み聞かせをしている親は、子供に意思伝達しているのではなく、心と心のコミュニケーションの領域なんです。では子供の脳はどうなっていたかというと、感情を掌る辺縁系の領域が最も強く働いていました。このことは読み聞かせの間、子供がハラハラドキドキといろいろな感情に揺さぶられながら親の声に耳を傾けていたことを意味します。子育ての忙しいときに敢えて読み聞かせをしてもらう実験を山形県長井市で幼稚園児、保育園児を持つ保護者に対して行いました。すると意外にも子育てのストレスがぐっと減ることが分かりました。その理由は子供の問題行動が激減することなのです。子供が親の言うことを聞かないとか、我ままを言うとか、よく耳にしますが、子供たちの思いを翻訳すると、「自分にもっと関心を持って」と言っているだけなのです。読み聞かせを通して子供の心が充足し、不満をいう必要がなくなるからみんないい子になるのです。(人間学を学ぶ月刊誌 致知 2026年5月号 26ページ)これに関連する投稿が2025年2月18日にあります。このお母さんは子供たちが3歳になるまでに1万冊の絵本を読み聞かせたという。4人の子どもたちは驚くことに日本最難関大学の一つと言われている東京大学理Ⅲに全員合格を果たした。興味のある方はご参照ください。子どもや孫の知的能力を伸ばしたい方は、3歳までに絵本の読み聞かせをするとよいことが分かります。
2026.06.07
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東北大学の川島隆太教授のお話です。本は紙、デジタルのどちらで読むべきかという議論は、科学の世界ではすでに決着がついています。これは紙でなくてはダメです。デジタルでは頭に入らず応用ができないばかりか、反対に使ったことによる弊害が起きる。これはもう世界の常識になっています。日本では、発達障害の児童がここ16年間で7000人から12万人に増加している一因になっているのです。オーストラリアでは2025年12月、16歳未満の子供のSNS利用を制限する法律が施行されました。16歳未満はアカウントがつくれず、運営する企業が違反した場合、日本円で51億円もの罰金が科されることになりました。他にもアメリカやフランスで規制の動きが進むなど、世界は子供のスマホやタブレットの使用の問題点に気が付いているのです。北欧のフィンランドやスウェーデンも電子教科書は子供に百害あって一利なしと気づいて、紙に切り替え替えました。文部科学省はその事実を知っています。世界の動きを知っているにもかかわらず、日本では、規制するどころか推進する方向で動いています。世界の常識は日本の非常識になっているのです。2019年から文科省は「GIGAスクール構想」と称して、全国の小学生全児童に1人1台のデジタル端末を貸与し、家庭学習のために自宅に持ち帰らせるという動きを加速させています。これは経済産業省主導で、文科省がそれに引きずられているような感じです。つまり子供の将来というよりは、利益優先の巨大IT企業の意向に沿った教育政策が立案されて実行されているわけです。学校現場では、タブレットを使用しないと教育委員会からペナルティを課せられる。やらない学校が多いと教育委員会は文科省からの予算が下りなくなるという問題を抱えているのです。(人間学を学ぶ月刊誌 致知 5月号)なお私はkindle電子本で、このブログの記事をテーマに沿って電子書籍化しております。現在14冊出版しました。今後も継続していきたいと考えています。これは元手なしで本ができるので重宝しているのです。kindle unlimited会員は無料の本です。会員以外はAmazonのプラットホームを利用させてもらっているので250円です。紙ベースの本は高価になるので今のところ静観です。Amazonの検索欄で「森田生涯」で検索してもらえればどんな本を出版しているかが分かります。さらにサンプルをダウンロードしてもらえれば目次がわかります。現在、この本を活字で読みたいという方のために、word原稿を無料で直接送付しております。メールのあて先は、ホームページ「森田理論学習のすすめ方」に記載しております。
2026.06.06
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芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という短編のあらすじは次のようなものである。お釈迦様が極楽の蓮池から地獄の様子をご覧になっていると、犍陀多(かんだた)という大泥棒がうごめく姿が目に留まります。犍陀多が生前、一度だけ蜘蛛を助けたことを思い出したお釈迦様は、極楽から一本の蜘蛛の糸を垂らして犍陀多を助けられようとされました。喜んだ犍陀多は蜘蛛の糸を手繰りながら極楽を目指して懸命に登り始めます。ところが、数多くの人たちが細い糸を頼りに登ってくる様子を見た犍陀多は恐れおののき、「この蜘蛛の糸は俺のものだ」と大声で叫びます。その途端、糸はぷっつりと切れて犍陀多は再び真っ逆さまに地獄に落ちていった。自分さえ命が助かれば、他の人はどうなってもよいという自己中心的な考え方がこの悲劇を招いたという見方が一般的です。勧善懲悪的な小説なのでしょうか。この話は森田理論と関係がある小説ですので取り上げてみました。犍陀多の自己中心的な行為は、生きとし生けるものすべてが持っています。すべての生き物は、生きている限り与えられた命をできる限り延命させることと与えられた命を末代まで引き継いでいくことが唯一最大の目的となります。犍陀多の行為は、それに忠実にのっとっています。なにも責められるものではないと思われます。考えてみれば誰でもなりふり構わず死に物狂いで生きているのです。生き残るためには他の生き物の命を頂いて、自分のエネルギーとして活用しなければなりません。そうしなければ1日たりとも生きていくことはできません。他の生き物を殺生することで初めて自分の命の延命が可能になるという、きわめてパラドックスな世界で生きているのです。自己中心性が前面に出ているわけですが、これがなくなれば生きものとは言いません。森田ではこのことを主観的事実といってとても大切に扱います。主観的事実に対して、客観的事実というものがあります。森田では両方の側面から見ていかないと、物事を正しく見ることはできないといいます。他人も、他の動植物も自分たちと同じように、命を延命させて子孫繁栄を願っているという事実があります。すべての生き物は同じ目的に向かって歩んでいる同士なのです。同じ目的を共有する同士として、他の生き物をリスペクトし合うことがなくなれば、この世は争いや戦争ばかりでとても住みにくくなります。森田理論に「物の性を尽くす」という考えがあります。すべての生き物に居場所や活躍の場を提供して、その命や能力、可能性を追求するという考え方です。貪欲に主観的事実を追い求めるよりも、客観的事実に基づいて行動する方が自他ともに幸せになります。
2026.06.05
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東北大学の川島隆太教授のお話です。川島教授には4人の息子がいてそのうち3人は小学校の教員をしています。最近の小学校では、じっと座っていられない子どもばかりではなく、何も言わずふらふらと教室から出て行ってしまう子どもが増えているという。注意欠陥多動性障害の子どもです。発達障害と言われています。文部科学省の調査によれば、2006年には発達障害の児童数は7000人でしたが、2022年には120000を越えました。ここ16年間で約17倍に増えているのです。このまま推移すれば怖い社会が出現することになります。様々な原因が考えられますが、その一つにスマホやタブレットにどっぷりと浸かった生活があります。スマホとタブレットの利用と学習意欲、学力の関係を調べたところ、スマホ、タブレットの利用が思った以上に悪影響を及ぼしていることが分かりました。スマホを1日に1時間以上利用している子どもたちは、全く勉強しない子どもたちよりも学力が低いというデータが出ています。インターネットを毎日のように使っている子どもたちの脳は、言葉や情報伝達を掌る領域をはじめとして、かなりの部分で発育が止まるという信じられないテータが出ました。集中力もかなりダメージを受けていて、カナダでは成人の2割が10秒しか集中力を保てないという結果が出ています。スマホ中毒の親に育てられた子どももスマホ中毒に陥るという現象が起きています。スマホ中毒に陥った子どもは、他人とのコミュニケーション不足に陥り、他人の気持ちを理解することができなくなってしまう。また愛着の形成が不十分となって、例えば他の大人をなかなか信じることができなってしまう。愛着障害を抱えてしまうと、疑い深くなり、積極的に人と関わることができなくなります。職場や社会での人間関係で問題行動が多くなります。所属集団からはじき出されて、孤立してしまいます。空き時間ができると絶えずスマホを取り出してラインやメールなどのチェックをする。AIで調べごとをする、You Tubeを見たり、オンラインゲームに過度に関わるというのは考えもののようです。(人間学を学ぶ月刊誌 致知 2026年5月号 20~24ページ参照)
2026.06.04
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第37回の形外会の記録の中から、鈴木氏のお話です。私は、あまり静かだと勉強ができないという体験を、今度初めてやりました。帝大の寮が山中湖にあって、80人収容のできる大きな家に、私はただ二人でいたのです。あまりシーンとしていて、いたずらに空想ばかりが頭を駆け巡り、何も勉強はできませんでした。今度は、他の家へ越しました。するとそのところは、ラグビー選手の宿泊所で、ダンスはやる、レコードはかける、実にうるさいところでしたが、不思議とドンドン勉強がはかどりました。いろいろの事が、クルクル頭の中を駆け回る時は、勉強も楽にでき口笛なども思わず出たりすると気である。これについて森田先生が解説されています。これは心が自然のままで白紙の状態になるとできる。つまり外界と肉体の釣り合い・調和によってできる事である。調和という事は、例えば歩く時に、静かに足を運ぶ時には、両方の腕も、静かに振り、走る時には、急速に振っていくようなものである。もし拙なる功利主義で、少しでも労を省くために、腕を少しも動かさないで、足ばかりで走る時は能率はあがらないようになるのである。読書でもその通りで、例えば病気で寝ている時とか、人を訪問して、応接間で待たされる時とか、余分のすたれた時間と考える時には、つまらぬものを読んでも、ゆっくりと落ち着いて読む事ができる。しかるに、遊び事に心が流行っている時とか、試験勉強の時とかは、心があれもこれもと、ハラハラして落着かない。この時にはかえって、騒がしいところとか、電車の中とかで、その心の自然のままに、雑念を自然起こしながら、読書を進める時は、心は元気に充ちて、読書の進行も早ければ、理解もますますよくなる。これに反して、悪知を持ってその雑念を抑えよう・心を落着けようとする時には、あたかも走る時に、手を振らないようにすると同様に、心の流動が思うようにできなくなるのである。もし心の活動が盛んであって、雑念の盛んな時に、静かな一室で、独り勉強する時には、心は雑念に奪われて、勉強する方には、少しも心が向かない。しかも強いてこれを長く、頑張る時には、ついウトウトと眠くなってしまう。(森田正馬全集 第5巻 410~411ページ)勉強や仕事の能率を上げようと思えば、あれも気になる、これも気になるというふうに、たくさんの課題や目標を持っていると、ゆっくり時間をかけてやるというよりは、早くたくさんのことを片づけるために創意工夫して取り組むようになります。それはあたかも、かけっこをしている時には、無意識ではあるが腕を高速回転しているようなものである。雑念などに振り回されて行動が滞るという事はなくなる。これは激しい流動変化の中に身をおくだけで、私たちの精神活動もそれにつられていくということだと思います。仕事を頼むときは、暇を持て余している人よりも、忙しく立ち回っていて時間がないというような人に頼む方がよいと言われます。精神が緊張状態にあり、次々に素晴らしいアイデアや問題点、課題を思いついて、仕事の内容がよくなるからです。これは日常生活のなかで応用していきたいものです。
2026.06.03
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森田先生のお話です。平常自動車に酔って、その恐怖にとらわれている人や、自動車の動揺や臭気やらで、既に多少とも、気分の悪くなった場合は、当然、心は外界に転ずることができないようになる。この時には、もし素直な心ならば、当然、心がその苦痛の方に奪われるようになる。それでよい。すなわちその時には、その苦痛に見入り、心をその方に集中して、いわゆる「なりきる」というふうになればよいのであります。例えば気分が悪い、ムカムカして今にも吐きそうになる。この時決して心を他に紛らせないで、一心不乱に、その方を見つめている。息をつめて、吐かないように耐えている。吐けば楽になるとか考えて、決して気を許してはなりません。断然耐えなければならない。このとき、ちょっと思い違いやすい事は、自分の苦痛を見つめていると、ますます苦しくなるような気がして、ツイツイ気を紛らせて、他のことを考えたりしようとする事である。速く行き着いて寝ようとか、もうここまで来たから、もう十分間だとか、都合のよい・楽なことを考えようとするからいけない。こんなとき、もう2、3分というところで、安心し気がゆるんで、急に吐き出すようなこともある。なお自動車の事について、酔うような人は、常になるべく消極的で、自分は酔うものと決めて、用心深い方がよい。常に自分を見つめて、ちょっと気持ちがよいからといって、決して軽はずみをしてはいけないということを充分注意しなければならない。こんな時に、決してはしゃいだり、しゃべったりしてはいけない。そうすると、たちまち精神の緊張を失って、急に酔うようになる事が多いのであります。またもう一つ大事な事は、目的地に着いたからとて、決してたちまち安心して、気を抜いてはならない。自動車から降りたときは、荷物を整理するとか、今取り組んでいる仕事の準備をするとか、少しでもよいので手を出す方がよい。決して大急ぎで、寝床をとって、横になるようなことは控えた方がよい。もしすぐに寝るような心がけでは、いつまでも、決して乗り物酔いはなくならない。目的地についても、前に述べた何万歩の内の「現在」という気持ちを失わないように、気を張っていなければならぬ。すなわち何かの事情によっては、再び歩き出さねばならぬ、という用心をしなければならぬ。(森田正馬全集 第5巻 455~456ページ要旨引用)最初の話は、車に酔うという不安や恐怖にきちんと向き合うことが大事だと言われています。イライラして少しでも気を紛らわせることを考えたり、行動に移したりすればたちまち吐き出してしまう。次の話は目的地に着いた途端、緊張状態から急に弛緩状態に陥ってはいけないと言われています。切り替えはソフトランディングを心がける必要がある。身体が弛緩状態にはいっても、精神状態はすぐに切り替えられないということだと思う。身体と精神が調和を失えば風邪などを引きやすくなります。
2026.06.02
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高良武久先生のお話です。私は自分を犠牲にして人の為に尽くすということは、あまり人には言いたくないのであります。非常な危急の場合にはできますけれども、普通の平和な社会において、自分を犠牲にして、人のためにやるということは自分でもなかなかできませんから、人にもあまりすすめない。(2026年4月 生活の発見誌)私も高良先生と同じ考えです。人の為に尽くすというのは、自分を犠牲にして、人の役に立つことをすることだと理解している人がいます。人の為にというのは自己犠牲の上に成り立っているというものです。この考え方は尊い考え方ではありますが、建前と本音が違うようですんなりとは受け入れられません。考えてみますと、この自然界に生きているすべての生きものは、自分の命を大事にして、少しでも長く生き延びたい。できるだけ多くの子孫を残したいというミッション(使命や任務、目標や目的)を持って懸命に生きております。これをないがしろにして、自己犠牲心を前面に打ち出して、人の為に尽くすことが唯一最大のミッションというのは、人生への向き合い方がずれているといわざるをえません。では森田先生が、「もし単に自分が治ったというだけで、犠牲心が発動せず、自分の打ち明け話が恥ずかしいとか、人に知られては損害になるという風では、まだその人は小我に変質し、自己中心的であって、本当に神経質が全治しているのではない」というのはどう理解したらよいのでしょうか。生活の発見会に「ヘルパーズ・プリンシプル」(助力者原理)という考え方があります。これは自分の神経症が治ればよいと考えているとなかなか回復しない。私たちの集談会という森田の学習会は、ボランティアでやっているので。今は神経症で苦しいけれども、集談会の円滑な運営のために、自分の出来ることはできるだけ引き受けよう。自分の神経症の問題点は、その後で考えようと思っていると、不思議なことに神経症の苦しみが軽減していくというものです。今まで神経症のことで頭がいっぱいだったのが、物事本位に考えられるようになったのです。その減った部分が神経症が治ったということにつながる。しかし、世話活動をすると神経症が治るのなら、引き受けてみようと考えている限り、注意や意識が神経症の苦しみを刺激するのであまり効果はないのです。犠牲心を発揮するのはどうも違和感があるという人は次のように考えるようにするとよいと思われます。「行列ができるラーメン屋」「行列ができる法律相談所」を参考にすればよいのです。これらは、その業界で成功したいという目標ももちろんありますが、「涙が出るほどのおいしいラーメンを提供してお客様に喜んでもらいたい」「難しい案件を解決してお客様に感謝されるような仕事をしたい」という明確なミッションを持っています。他人を喜ばせたいというミッションが自分が目指すべき目標や目的となっているのです。誰でも自分の目標や目的が明確になると、意欲的、積極的になって、工夫やアイデアがどんどん出てきます。人の為に尽くすというのが、自己中心的な目標を達成するためのものか、人に喜びや感動を与えたいという目的になっているのかどうかがその後の展開を大きく左右します。
2026.06.01
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