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ドナルド・キーンによると「土佐日記」に通底するのは土佐で亡くした娘への哀惜だったようだ。そして、萩谷朴という学者が唱える、「有力者の子弟に歌論を教える」「その親に自分の清廉潔白さを訴える」という意図は退ける。まぁ、確かに穿ち過ぎかもしれない。ともあれ、任期を終え、我が家に帰った貫之が娘を想って読んだ「生まれしも かへらぬものをわが宿に 小松のあるを見るが悲しさ」は胸を打つ。息子を失ったエリック・クラプトンから名曲「Tears In Heaven」が生まれたが、歌をこよなく愛した貫之は愛娘を失った悲しみを歌を作ることで癒すしかなかったのだろう。
2020/01/31
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芭蕉は平泉で城を巡り、古代夷と戦った義臣を想い涙を流す。「国破れて山河在り、城春にして草青みたり」と、杜甫を引用し「夏草や 兵(つわもの)どもが夢の跡」と「五月雨の降りのこしてや光堂」の二つの名句を並列する。まだ中盤だが、おそらく、この平泉の章が白眉だろう。
2020/01/30
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19才の大学生が世に溢れる児童虐待や育児放棄のニュースに触れ、今まで自分がやって来た、「せっかく作ってくれた食事を残したこと」「掃除してくれてる横でスマホをいじっていたこと」「話かけられても無愛想だったこと」等を反省していた。そして、自分が恵まれた家庭に育ったことに気付き感謝した。更に、その恩は一生かかっても返せないだろうと思った。いやいや。そう思えた時点で返せている。そして、当時、もし親が小言を言ったとしても、決して素直には聞かなかっただろう。人間には経験を積まないと決して分からないことがあるのだ。
2020/01/29
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長さが1のベクトルを単位ベクトル( e )と呼ぶそうだ。e = 1/| a |・a = a /| a | と置くと、e は a と同じ向きになる。なるほど。|a |に向きはないが a には向きがあるのでそうなるのか。ということは、ベクトルをスカラーで割るのはオッケーなのか。待て待て、そもそも、実数倍の所でスカラーを掛けてたから当然か。そして、|e | = |1/| a |・a |=1/| a |・|a | = 1となる。ここで、|e |は絶対値なので、最後の1は当然スカラーになる訳か。
2020/01/28
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ベイトソンは1978年の時点においてこう述べる。「不信と罵声と狂気と資源濫用と人間疎外と商業主義が、怒涛のごとく押し寄せる中」と。これは、2020年の現在も全く同じである。いや。加速しているかもしれない。以前、終末医療に携わる医者が、「人は生きて来たように死んでゆく」と言っていた。おそらく、人類はグダグダのまま終末を迎えるだろう。では、個人としてどうすればよいか?簡単である。「必要最小限の物質で満足して生きる正気で温かい人と連携すること」だ。
2020/01/27
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引き算の項の順序を変えても絶対値が変わらないことに疑問を持った。Yahoo知恵袋の回答によると「差が同じだから。3歳違いの人が左に並ぼうが右に並ぼうが差は同じ」とあった。左右の並びの例えはイマイチに腑に落ちないが、差は同じは納得がいく。引き算とは差を示す計算であったか。
2020/01/26
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なにやら、太陽の中心で4個の水素がヘリウムに成る時、陽電子2個とニュートリノ2個が生成されるらしく54億年後には水素を使い果たす。スーパーカミオカンデでは、このニュートリノにより地下で太陽の写真を撮った。「時空自在」のタイトル通り、超ミクロな空間における超微細な働きから途方もない遠大な時間にわたる話題である。
2020/01/25
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ロックは言う、「我々は神の創造物である」と。これはまぁいいだろう。そして、「神は我々の行為を最善のものに導くための善意と叡智とを持っている」と続ける。これはどうだろうか。そもそも、神を人格神としたことに致命的誤りがあるのではないか。それでは、その神が数多の悪意と愚かさを持った人間を生み出したことの説明がつかない。次の、「神は来世に於ける、無限の重さと持続を持つ報酬と処罰によってこの事を強制する力を持っている」となると、単なる恣意的で自己都合の希望的推測としか思えない。結局、この世は恣意性と独善性に満ちた混沌でしかないのだ。その中で、出来るだけ気分良くこの世を去るには、あくまで自分にとっての善に従うしかないのだ。誰に何と言われようと知ったことではない。もし、たまたま、善を共有する他者に巡り合えたら、掛け替えのない僥倖というべきだろう。
2020/01/24
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なにやら、ゴルフボールにディンプル(くぼみ)があるとよく飛ぶらしい。それは、最初、つるつるだったボールがボコボコになり、それの方がよく飛ぶことから発見された。科学的にいうとディンプルがあるとボールの後ろに乱流が発生し、気圧が低くなって空気抵抗が生じる領域が狭くなるからだそうだ。だが、それ以上の理由は分っていない。なんと、それは血流中の血小板の発生にも関わっているらしい。最近、iPS細胞による血小板の作成にも利用されている。新幹線のパンタグラフに梟の羽を真似た凸凹を付け騒音が30%減ったそうだ。そもそも、乱流の存在は19世紀の科学者レイノルズによって知られていた。カルマン渦は知っていたが、そんなに早くから知られていたのだ。イメージとしては、割に真っ直ぐ垂れる油とさらさら流れる水による杭の後ろに出来る渦が分り易いか。液体や気体が流れる速度と粘度との関係によって決まる係数を「レイノルズ数」と呼ぶそうだ。
2020/01/23
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当然、電卓で循環小数や無理数の無限小数を正確に表示出来ない。場合によって、切り上げ、切り捨て、四捨五入する。ただ、分数の足し算の時は通分してからの方が正確になる。例えば、1/3+1/7=10/21で答えの10/21を電卓で計算すると、0.47619047619だが、それぞれ先に電卓で計算して足すと0.33333333+0.14285714285=0.47619047618で、末尾に1の誤差が生じる。これほどの正確さが求められるのは理系の科学しか思いつかない。だが、先に手計算が入った分、なにやら人間臭い温もりを感じる。
2020/01/22
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「遥か彼方を予見し、悲劇的なポーズなしに、細小のことに至るまで予め用意しておくこと」。当たり前のことばかりかもしれないが共感する。どこか、福沢諭吉の「常に最悪の事態に備えておけ」に似ている。だが、より大らかだ。そして、こういう態度でことに臨んでいれば、水俣病やJR福知山線の脱線事故、あるいは、東電の原発事故も起こっていなかっただろう。
2020/01/21
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ウィリアム・ジェイムズは言う、「科学における優れた仮説は、それが直接説明されるように要求されている現象の性質だけでなく、それ以外の現象の性質をも説明するものでなければならない」と。いやいや。それはないものねだりというものだ。私はニュートリノに質量があったことが証明されたことだけで十分満足出来る。続けてこうも言う。「人間の絶対的な確信と平安とを正当とするためには、神はもっと広い宇宙的関係に入らなければならない」と。これまた、途方もないないものねだりである。人間の絶対的な確信と平安とを正当とするなど決して出来はしない。多くの人間は多かれ少なかれ儚く愚かで醜くかつ残酷ですらある。それは、現代社会は勿論、歴史が端的に証明している。私にとって、ウィリアム・ジェイムズの言う宗教的人間とは途方もないないものねだりをする能天気な妄想家である。私は、あくまで、ごく僅かに存在する確かな事実と人間だけを信じる。
2020/01/20
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井本陽久は進学校の数学教師だ。そのカリスマ的授業を視察されることも多い。型にはまった正解に導くことはしない。一見単純に見える問題を出し生徒たちに考えさせる。考える生徒たちの顔は美しい。崇高さすら漂う。ここにこそ人間の素晴らしさがあるのだろう。井本の兄は足が不自由だった。家族はそれを自然に受け入れた。だが、世間は過度に憐れんだ。そこに、世間の規範とのズレを感じた。井本は進学校だけの授業に飽き足らず、街場の塾や親の居ない子供が通う施設にも足を運ぶ。生徒たちの議論が白熱し、井本の想定を超えたレベルに達した授業は感動的だった。教えるとは、正解を与えるだけではなく、良問を与え創造的な思考に導くことなのだ。
2020/01/18
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父、弘之は聞きしに勝る強父だった。いや。部分的には狂父だったかもしれない。ちゃぶ台返しは日常茶飯事だった。騒ぐとえらい剣幕で怒られるので阿川家の前を通る時は近所の子供も静かにした。実際は、怒鳴る阿川弘之の声の方がよっぽどうるさかった。それほど神経質だったのだ。だが、真剣に日本の為に従軍した後、戦後の日本人が手のひらを返したように、戦前の日本を完全否定した状況を思うと理解出来る気もする。ともあれ、志賀直哉に深く傾倒していた弘之はひたすら作家の道を目指す。そんな弘之に惚れた妻も、東大出の弘之に劣らず総代を務めるような秀才だったが、ベニア板で出来たようなバラックの貧乏暮らしに耐えた。夫の凄まじい癇癪持ちは結婚するまで気付かなかった。阿川佐和子の「聞く力」は父の顔色を窺うことで培われたのだ。「義務教育まではつけてやるが、その後は野垂れ死のうが知ったことではない」という言葉も自立心を植え付けるには十分だっただろう。それで潰れなかったのは阿川佐和子も当然優秀だったのだ。実際、子供の頃、雑誌の表紙を飾るくらい美人で、その後、慶応を出ていた。弘之は、「うちの家はろくなもんじゃないから、偉そうにするな」と言っていたようだが、なんのなんの、両親とも元は武家だった。特に、父方は、ひょっとすると宇多天皇の血を引いているかもしれないほど由緒正しかった。この番組を見ていつも感じるが、人に対する家系の影響は絶大である。
2020/01/17
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声欄に白鵬擁護の投稿が載っていた。曰く、「相撲は格闘技である。かちあげや張り手は大鵬や北の湖もやっていた。白鵬の人格を疑う意見もあるようだが次元が違う」とのことだった。いやいや。こちらは、あの再三のダメ押しや、脳震盪を起こし、鼻血が出る、肘打ちのようなかちあげのことを言っているのだ。「どうだ」と言わんばかりに懸賞金を横に振る所作も頂けない。ともかく、「さぁ、どこからでもかかって来なさい」というような横綱相撲が見たいのだ。「勝つ為ならなんでもする相撲」ではない。それを横綱に求めて何が悪い。正に次元が違う。
2020/01/16
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今まで伊藤理佐は、焼き肉屋で申し訳なさそうに白いご飯を頼む男を微笑ましく見ている振りをしていた。本当はその「オレって いい人」的な言い方が気に食わなかったのだ。しかし、年配女性のグループとネイルの話になり自分もネイルなんかしないと言ったときの言い方が「オレっていい人」と同じだった。思えば、おにぎり買う時も無難なやつ、弁当大会でも蟹や雲丹ではなく地味な弁当、鮨でもひかりものとイカ、蕎麦屋では鴨南蛮ではなくせいろだ。要するに、高級、あるいは、オシャレな目立つことをして嫌われたくないのだろう。しかし、都会に一戸建てを買い、沖縄に何日も家族旅行をし(しかも、飛行機代はマイル払い)、しっかり、フランス旅行もしている。ここに、目立たないようにやることはやるという伊藤理佐のいやらしさが出ている。おそらく伊藤理佐のファンたちも同様なのだろう。ともあれ、鴨南蛮くらい食えよ。
2020/01/15
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ナショナリズムが本国から差別された植民地生まれの白人から始まったというのは意外だった。そういえば、アメリカもそうだった。ソ連の支配から解放された後、他民族との軋轢があった東欧で起こったのも理解出来る。移民や難民を嫌うイギリスや西欧もそうだろう。西欧列強によって無理やり一緒くたにされていたアフリカも同様だろう。同じく西欧列強の脅威に晒されていた明治の日本も。要は、外部の脅威に対してナショナリズムは勃興するのだ。後、不遇な境遇に生きる不幸感を強く持った人間がナショナリズムに傾倒するのも理解出来る。彼らは、天皇等、権威と自分を結び付けることによって一体感を得ようとする。イスラム原理主義のIS,オウム真理教、共産主義、皆そうだろう。最終的に目指すのは個の区別が無くなった単一の液体のような一体感だ。私には極めておぞましい。そもそも、人間は多様である。仮に、自分たちが気に入らない人間を全員虐殺しても、自分たちの子供は多様だろう。兄弟姉妹でも性格は違う。なにか一つのことで全員をまとめることなど所詮無理なのだ。人間は、最低限のルールでなんとかやってゆくしかないのだ。
2020/01/14
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なにやら、アメリカでは「boomer」と呼ばれる高齢者たちが若年層に疎まれているらしい。「OK boomer」は戦闘時、大勢で突撃する時の雄叫びに似ている。当然、侮蔑感情が含まれる。それは、boomerたちが環境問題や国債のツケを後代に押し付けたからだ。そこへ、ミレニアル世代のブダジェッジ氏(37)が大統領選に名乗りを上げた。彼は同性愛者を公言している。同性愛を否定している聖書の影響が根強いアメリカでは不利だろう。だが、あの下劣極まりないトランプ再選への懸念の他に大統領選の楽しみが一つ増えた。
2020/01/13
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朝日新聞の記者が障害者を大量に殺害した植松と16回面会していた。植松は本気で重度の障害者は要らないと考えている。あれほど計画的かつ大量に殺害出来たのだからそれはそうだろう。「テレビで真実を語っていた」とトランプの影響も語った。しかし、極めつけはこれだろう。「人生で一度も一番になったことがない。事件を起こし、かっこいい、役に立つ人になりたかった」。そういえば、ヒトラーも死ぬ直前まで、ユダヤ人による金融陰謀説を信じていたそうだ。ヒトラーも、大衆を前にし強気で演説する自分がかっこいいと感じていたのではないか。トランプもそうではないのか。「かっこいいいことをしたい」、あるいは、「役に立ちたい」という願望も、時として、凄惨な結果を生む。徹頭徹尾重要なのは本物の賢明さなのだ。しかし、そんなものが一体どれほどこの世に存在するのだろうか。
2020/01/12
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前から銀行のポスターで気に成ってた吉高由里子が出てたので観た。主人公の高良健吾はイマイチ上手くないなりに味があり吉高由里子は強烈な存在感があった。ゆったりしたテンポながら各所に深い描写もあり脱力青春ムービーの秀作に仕上がっていた。
2020/01/11
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戦争は、虐殺、拷問、凌辱、監禁、粛清等によって、それらを経験しない者にも恥辱を与える。中には記憶から消し去る、あるいは、否定する人間もいるだろうが、確かにそうだろう。もうひとつ付け加えるなら、それらに対する無力感も植え付ける。人間は、無力感に耐え、例えささやかでも、自分に出来る善行を為すしかないのだ。
2020/01/10
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今回の「折々のことば」も響いた。「戦争をした人がもっといやな人なら、良かった」梶谷和恵優しい自分のおじいちゃんへの言葉だ。好きなおじいちゃんが戦地で人を殺したと思うと恐ろしい。よく分かる。ユダヤ人を大量に殺害したナチス高官も家では良いお父さんだったらしい。人間は場合によって優しくも残酷にもなれる。これはもう、その時の状況で判断するしかないのだ。仕方ないのもあれば極めて愚かなのもある。
2020/01/09
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心斎橋の大阪浮世絵美術館へ北斎の富嶽三十六景を見に行った。美術館といっても美術部屋くらいの広さだった。生憎、写真はレプリカしか写せなかった。しかし、さすが画狂人、圧巻の見応えだった。見た事のない作品も沢山あった。動きのある凧や、花魁か芸者か分からないが艶めかしい二人が欄干にもたれ富士を遠望する後ろ姿が印象に残った。
2020/01/08
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映画の「横道世之介」が結構秀作だったので原作を調べた。星五つと四つを合わせて高評価が82%二つと一つを合わせて低評価が11%だった。どうやら、心優しい天然お嬢様が国連職員になり難民キャンプで働くのが気に入らないようだった。そして、同じく心優しい主人公の男が韓国人と一緒に線路に落ちた人を助けようとして死んだのも気に食わないようだった。そもそも、長崎の浜辺で二人がいた時、ベトナムからの難民たちがボートで流れ着き、お嬢様が赤ん坊を助けようとした辺りから気に食わなかったのだろう。中には、「控え目に言ってゴミ」と書いたレビュワーもいた。82%が高評価のものを「ゴミ」とはよく書けたものだ。それほど、金持ちや異民族への嫌悪が強いということか。ともあれ、人と社会の話をする時は相手をよくよく見てからしなければいけない。
2020/01/07
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「決意した母子心中から、みじめな母親を救ったのは、抱いていた嬰児の微笑であった例も少なくない」霜山徳爾久しぶりに「折々のことば」が響いた。今まで、疑えないもののひとつとして赤ん坊の微笑があった。なるほど。それには死を決意した母親をも思い止ませる力があったか。というか、とどのつまり、世の中にそれ以上価値のあることなどないのではないか。
2020/01/06
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「初釜やいまぞ生きよと富士の土」「空青く子供育てし注連飾り」「又一つ風を尋ねてなく蛙」「強霜(つよしも)に日のさす如し磯の人」。どれも味わい深い。しかしAI作である。中には、「かおじまい つきとにげるね ばなななな」なんてシュールなのもある。玉石混交なのだ。北海道大学の川村秀憲教授が江戸から現代までの名句と、季語にちなむ写真を覚え込ませた。だが、句に意味を見出すのは、あくまで人間だ。AIは膨大な言葉をシャッフルしているに過ぎない。そこには越え難い跳躍がある。
2020/01/05
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ウィリアム・ジェイムズは、「宇宙のより高い部分」を「神」と呼ぶ。ここが私と決定的に違う。私も宇宙を統べる力を神と呼ぶことに異存はない。だが、宇宙を統べる力は無数の醜く愚かな行為をも生み出した。決して「より高い部分」などではない。
2020/01/04
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柄谷行人によるとマルクスのコミュニズムは根本にアソシエーショニズムがあるようだ。現代では協同組合が分り易いか。共感する。エンゲルスとレーニンは軽視したらしい。勿論、資本主義経済の中での生き残りは困難ではあるだろう。だが、幻想とも言い切れない気がする。人と人は近い価値観でしかつながれない。様々な帝国が崩壊した一因にそれがあるのではないか。実際、同じキリスト教でもカトリックとプロテスタント、イスラム教でもシーア派とスンニ派、政治的には右と左、保守と革新等、感性が違えば決して分かり合えない。そして、アソシエーショニズムがどれほど広大に拡がったとしても、あくまで点と点をつなぐ網の目(ネットワーク)であり、すべてを覆う面には成り得ないだろう。
2020/01/03
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ドナルド・キーンによると文学としての日記がこれほど盛んなのは日本だけらしい。内気な日本人らしいと言えるだろうか。とりあえず、ダンテの「神曲」とは趣がえらい違う。「奥の細道」も日記と言えば日記だ。それも極めて完成度の高い文学だ。それもそのはず、芭蕉は旅から帰ってから5年の歳月を掛けた。曾良の簡潔な日記によると、芭蕉が「青葉若葉の日に光」と詠んだ日光に着いた時、雨だったらしい。芭蕉が感嘆をこめて描写した金色堂の内部も見れなかった。芭蕉は盛ったし作ったのだ。正に創作であり文学である。TVならやらせだが。ともあれ、「蜻蛉日記」や「土佐日記」をその内読んでみたい。
2020/01/02
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ネットにおける匿名Q&Aサイトの信憑性について調べていたら正しくそのQ&Aサイトにそういう質問が立っていた。概ね、「参考程度に」という回答だった。だが、1人だけ「便所の落書きと同じ」という意見があった。これはなんぼなんでも言い過ぎだろう。こういう極端な人間こそ警戒しなくてはいけない。
2020/01/01
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