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「『君がなにを考えているのか、私は知ってるよ』と言うことは正しい。『私がなにを考えているのか、私は知ってるよ』と言うのはまちがっている」普通は逆だろう。しかし、ヴィトゲンシュタインは「知る」という言葉の使い方にこだわっているようだ。とりあえず、自分が考えていることに「知っている」を使ってはいけないのだ。一方、たとえその内容がまちがっていようとも、他人が考えていることを「知っている」と使ってもいいわけだ。となると、「私は木がなにを考えているのか知っている」と言ってもいいのか?ともあれ、ヴィトゲンシュタインにとって「知る」=「確信」なのだろうか?すると、「自分が考えていることを知っている」は明らか冗長ではある。
2025/01/30
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ヴィトゲンシュタインは「新生児には歯がない」「ガチョウには歯がない」「バラには歯がない」と並べ、最後の「バラには歯がない」をよりクリアとする。これはまぁいい。しかし、「雌牛はエサを噛んでから、それをバラに肥料としてやるので、バラは動物の口の中に歯を持っている」と続け「この文が馬鹿げたものでないのは、バラの場合、どこに歯を探せばいいのか、最初からわかりっこないからである」とする。「この文が馬鹿げたものではない」とするのはなかなかのものだ。しかし、言いたいことはなんとなくわかる気がする。つまり、バラは雌牛を自分の歯として使っているわけだ。これはよくあることだ。そもそもすべての道具がそうだ。釣りでは「竿は腕の延長と思え」という。人間の細胞もミトコンドリアを使っている。ウイルスも動物の細胞を繁殖のために使っている。多くの(ひょっとするとすべての)事象はつながっている。しかし、つながり方の強度は文章表現に表れる。この場合「バラには歯がない」という文のクリアさに表れている。
2025/01/29
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「いま死なば、最高の幸せならん」たしかにそういう瞬間は結構ある。フライフィッシング・バードウォッチング・バックパッキングをしている時がそうだった。よく晴れた日、お気に入りの街路樹に日が当たってる道を歩いている時にもそう感じる。いままさに眠りに落ちようとする時もそうだ。なんの障害もなく満たされた時間、それこそが人生最高の時だろう。
2025/01/27
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啄木は結婚当初日記にこう書く。「あゝ我が恋しき妻よ。聖書に『神の合わせたまへる者は人これを離すべからず』と云えるもの」と。しかし、5年後には「夫婦!なんという馬鹿げた制度だろう!」となる。いや。違う。啄木は単に結婚相手を間違ったのだ。しかし、理想の相手と結婚出来た人は現在においても1割にすぎないらしいので仕方ないことではあるだろう。
2025/01/24
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「幾多の信が現存している必要があり、判断を行う余地があり、すべての本質的な価値については疑念がないということ、これがすべての生物とその生との前提条件である」これは「真理」を指している。つまり、真理がすでに存在してなければ生は不可能なのだ。たしかにそうだろう。今まで生きるには一定の価値観が不可欠だと考えていた。その根底にあるのは真理なのだ。そして、それは人それぞれ異なる。人を知るには、その人にとっての真理を知ることが必要になる。
2025/01/22
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「薔薇の花びらですべてが和む」真実だ。ドストエフスキーの「人生の幸福を味わい尽くすには1日あれば十分である」も真実だがその根底にはこれがあるだろう。「昼の雲、夜の星を大切にする」の心境にも通じる。若い頃、私が「歳を取ったら夕焼けを楽しみに生きる」と言ったら嘲笑した知人がいた。でも、今は不幸になったようだ。やたら負けん気の強い人間だった。問題はささやかな日常に幸福を感じる心がないことにあるのではないだろうか。
2025/01/21
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殷王朝の湯王が使った沐浴盤には「毎日汝を完全に新たにせよ。それを再び、さらに再び、永久に繰り返せ」とあったそうだ。これは非常に大事だ。どこか「明日を必要としない者こそ明日を気持ちよく迎えられる」を連想する。ともかく、人間、毎日自己を更新するべきだ。
2025/01/17
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「世間と呼ばれるものは、いわば世間に身売りしているような人々からだけ出来上がっている。しかし、彼らは彼ら自身ではない。彼らが一切を賭し得るような、神の前における自己ではない」たしかに、人は、食欲・睡眠欲・性欲など生理的欲求を除けば、承認・優越・支配など他者を対象にした欲求を持ち世渡りしているように見える。それを、キルケゴールは「世間への身売り」と呼ぶ。後は享楽だろうか。そして、「神の前の自己」は仏教における「一無位の真人」を思わせる。ともあれ、「一切を賭し得るような自己」を生きる人は稀だろう。
2025/01/17
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「私は朝早く起きて池で水浴したが、それはひとつの宗教的行事であり、私のした最も善いことのひとつであった」私も、入浴中、風呂のドアを少しだけ開けておき、大きめの音でかけた音楽を聴きながら湯舟に浸かっているのが至福の時間だ。宗教的行事とまではいわない。だが、人生における最良の時間のひとつであることは間違いない。
2025/01/16
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近代的自我として、ピューリタニズム・スノビズム・ダンディズムが挙げられていた。それぞれ「回心告白を教会への加入希望者に求め、それを選抜し、絶えざる問い返しによって信仰の強さを確信させる」「成熟しはじめた市民社会において上層の人を称賛・模倣する一方、下層の人々を軽蔑・隔離する上昇志向」「スノビズムのゲームの外に出てそれを拒否し、何者かであることも徹底的に拒否し、純粋な空虚を基準にし、何者にも根拠づけられない虚無に耐える」とされる。ピューリタニズムはどこかカルトっぽい。スノビズムはありふれている。ユーミンが好きでDQNを軽蔑しそうだ。自己責任論も吐きそう。ダンディズムはどちらかというとニヒリズムを連想させる。ともあれ、ごく僅かな純粋価値において生きる私はどれにも入らない。
2025/01/16
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「広々した地平線を自由に楽しむ者以外には世の中に幸福な者はいない」ある意味真理かもしれない。実際、人は都会からわざわざいい景色を見に行く。都会での享楽は所詮この代用に過ぎないのかもしれない。
2025/01/09
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「恥を知らず、烏の首魁のようにがやがや叫び、厚かましく、図々しい人は、生活し易い。この世では、心が穢れたまま生きて行く」まるでトランプや立花孝志のようだ。「恥を知り、常に清きをもとめ、よく仕事に専念していて、慎み深く、真理を見て、清く暮らす人は、生活し難い」首相の発言を忖度した官僚に公文書改竄を命じられ自殺した役人を思い出す。
2025/01/05
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