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webカメラを買ったのでキース・ジャレットの「Prayer」を吹く動画を撮った。あまり反応はないだろうと思いながらもfacebookにアップしたらそこそこの「いいね!」が付いた。(といっても、友達少なめなので大した数ではないが)中でも、近所のジャズバーで知り合った音楽仲間に喜ばれたのが嬉しかった。なにやら、今入院中で、初めてスマホを開き最初に出て来た私の動画で元気が出たという嬉しいコメント付きだった。社交辞令も入ってるだろうが思わぬ効用だった。
2020/07/27
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音楽仲間の誘いでオープンマイクに参加した。後で相当上手いピアニストだと分かったが、演奏を聴かず人と話していることにカチンと来た。ギターやベースを弾けるマスターもどこか暗く愛想もなかった。他の参加者は、あがりながらも選曲センスの良い女性、かなり上手いフルーティスト、能書きが多い割にヘタなヴォーカリストとかだった。私の演奏はなんとか格好が付いたような気がする。店の女性に次のオープンマイクに誘われた。しかし、あの店にはもう行きたくない。
2020/07/21
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Quoraの嫌いな回答者が哲学を冷笑していた。モンテーニュの「エセー」から引用し、要するに、「哲学者は難解な言い回しで読者に満足を与えている」という論旨だった。全く笑うべき言い掛かりに過ぎない。しかし、こういった例は無数にある。以前利用していた教えてgooでも、「ピカソは単に変わったことをやっただけ」というこれまた笑うべき意見があった。「じゃあ、あんたも変わったことをやってみたら?」と返したくなる。ともあれ、彼らは、自分が理解出来ないものを単にケナしたいだけなのだろう。それで、自尊心を保ちたいのだろう。そんな彼らでも社会で活躍出来ているのだ。全くもって人なんか当てにならない。
2020/07/20
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脳神経の配線地図のことをコネクトームと呼ぶそうだ。配線の長さは推定数100万マイルらしい。なんと、太陽の直径の2倍に及ぶ。人間の心が複雑な訳だ。配線の仕方が違えば、当然、能力や個性も違って来る。おそらく、そこに人間性の核心があるのだろう。そこで、「私はコネクトームである」という命題が成り立つ。そして、脳を使うことによって新たなシナプス結合が出来るにことは既に知られていた。TEDの講演者は、それを水が流れる川床になぞらえていた。水の流れ方によって川床の形も変わる。やたら太くて数本の川もあるだろうし、めったやたら複雑でグダグダのもあるだろうし、ほとんどが繋がらない川もあるかもしれない。
2020/07/19
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Quoraで音楽作品と人格についての質問が立っていた。その例で、小山田圭吾がいじめっ子であったことが書いてあった。記事を読んだが、なかなか酷いものだった。小山田圭吾における人間の研究http://koritsumuen.hatenablog.com/entry/20061115/p1今まで、結構尖がった才能のあるミュージシャンだとは感じていた。しかし、伊達や酔狂で尖がってた訳ではなかった。そういえば、カラヤンもナチス党員だった。ユダヤ人の皮膚で作った笠で蔽われたランプの灯りの下で美しいピアノの旋律を奏でるナチス党員のエピソードもある。ひとつ言えるのは、完全性を求める者には残虐性もセットになっているかもしれないことだ。そして、いじめは彼らにとってエンターテイメントなのだということだ。やはり、人間を決して安易に信用してはならない。
2020/07/18
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それほど幸福そうでない女性が、「この小さな贈り物を貰えば誰でも幸せになれる」と言った。私は、直感的にそんなもの要らないと思った。案の定、それは彼女の脳腫瘍だった。それを手術で取って貰い幸福を得たのだ。明石家さんまの、「生きてるだけで丸儲け」の感覚に似ている。確かにそうだ。だが、「人生はパンのみに生きるにあらず」も事実だ。人は欲望から離れられない。問われるのは欲望の中身なのだ。
2020/07/16
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Quoraで、「Barで流す曲」の質問が立っていた。先にUKのオシャレな選曲をしていた人がいたので、少し泥臭くしてアメリカのR&Bを混ぜた選曲を投稿した。(でも、UKも少し混ざった。そして、敢えてジャズは避けた)すると、その人から、「自分が出そうとしたミュージシャンと半分は被ってました。趣味が合いますね」とメッセージが来た。被ったのはケイト・ブッシュとブライアン・フェリーだった。だが、その人は、他の所で、「コルトレーンの『至上の愛』を買った時、金返せと思った」と書いていた。そこは私と決定的に違うのだ。でもまぁ、相当音楽好きのようだから、私程度の被り方でも嬉しい気持ちも分かる。
2020/07/15
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Quoraで「コルトレーンの『A Love Supreme』 は糞」という質問が立っていた。どうやら、多くのジャズファンが高く評価するのが気に食わないらしい。当然、良さが全く分からない上、不快ですらあるのだろう。勿論、人それぞれ好みはある。そして、その幅はとても広く、あまりにも遠いと、「糞」と呼びたくなる気持ちも分からないではない。しかし、それを、わざわざ公共の場所で問うのは何故か?私にも嫌いな音楽や芸術作品はあるが糞とまでは言わない。ましてや、公共空間で口に出すなどありえない。ひとつ言えるのは、「自分も人と同じでありたい」という気持ちが強いのではあるまいか。(これは、私と全く違う)後、「自分に分らないものはダメなもの」と思いたい。(イソップのキツネと同じ)こんな所だろうか。とりあえず、我儘かつ幼稚な人物であることは間違いないだろう。
2020/07/13
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「娯楽はふさぎの糧」という言葉が出て来た。頷ける。双極性障害の人がはしゃいだ後に落ち込むのに似ている。酒に酔ってる時は楽しいが、醒めると惨めな気分になるのにも似てる。そもそも、すべての依存症に共通するのではないか。「面白うてやがて哀しき」。そういえば、家を物で一杯にしてないと気が済まない人もいるらしい。ネットで誹謗中傷を執拗に繰り返す人間がいるがあれも一種の中毒だろう。人間は、一時の快楽の為、容易に狂う。その境界はどこにあるのだろう。アルコールの適量は純度100%にして、たったの20mlらしい。おそらく、狂うには、ほんの少し行き過ぎただけで可能なのだろう。
2020/07/10
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アル中匿名者の会(アルコホリックス・アノニマス)をアラノンと呼ぶらしい。そこに、こんな祈りの言葉がある。「自分に変えることのできないものは受け入れる静かな心と、変えうるものは変える勇気と、その二つのちがいを見分ける知慧と」。確かに、重要なことを言っている。しかし、二つを見分ける智慧は存在しないのだ。今、変えられないものが永遠に変えられないのかどうか誰にも分らない。詰まる所、それは賭けでしかない。だが、とりあえず、変えられないものに耐える力は致命的ですらある。
2020/07/08
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ティモシー・ガウアーズによると、「数学的対象とは、それが何を為すかによって規定される」となる。一方、ソシュールは、「言語には差異しかない」と言い、ヴィトゲンシュタインは、「語の意味とは、言語のなかでその語がどう使われているかだ」と言った。なるほど。それを人間に演繹すると、「人とは、何を欲し、何を為せるか」となりそうだ。
2020/07/06
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「小説『浮き雲』の作者は二葉亭四迷である」は正しいが「『浮き雲』の作者は二葉亭四迷である」は、林芙美子も書いているから正しくない。だが、「『坊ちゃん』の作者は漱石である」は、漱石しか書いてないから正しい。つまり、A=Bが真の時、Bがただ一つしかない場合、B=Aが成り立つことを「同一法」というらしい。なるほど。単純だが、使えそうだ。今まで、もっぱら、「雨が降っていると天気が悪い」の逆、「天気が悪いと雨が降っている」が、曇りも天気が悪いので成り立たないことを使っていたが、そのバリエーションのひとつだ。
2020/07/04
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パスカルによると、「最も強いものに従うのは、必然のことである」となる。これは当然だ。だが、「最も弱い者に従うことこそ自由」と続く。「自由」という表現に少し引っ掛かるが、何か深いことを言い表しているように感じる。ヒトラーが典型だが、社会には、弱者を排除しようとする幼稚な残酷さが常に存在する。だが、弱者を救おうとする者に究極の強さを感じる。
2020/07/02
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