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昨日、気功やら太極拳の本を借りようと図書館に行ってきました。そのなかで江原氏のスピリチュアルの本があってはじめの八つの法則だけ読んで色々考えました。自分の始まりはいつだろう?記憶の始まりは幼稚園の年長組のころ一人家に帰ってアニメを見ようとしている夢のようにはっきり思い出せない記憶、それからの記憶は年齢が飛び飛びで思い出す。それ以前の記憶はない、(べつに虐待されたからどうこうというわけじゃない多分)父の話によると二つ下の弟が白血病で入院していて、母が付きっ切りで看病していて、父も店で忙しくどちらも自分を見ることができずにいたらしい。その当時自分は泣き虫でいつも泣いていたらしく、保育園でもほったらかしにされていて、そのことにきづいた父が保育園を変えて、そのことに負い目を感じたからか長男だからという理由をつけて他の兄弟よりも優遇されていた(なにかおやつとか一番最初に選ばせるとか、大きいのは長男に、とかその程度)それ以前はなんかあったら尻をほうきで叩くとか結構スパルタしてたらしい(全く憶えていない)謝られてもなんのこっちゃわからんかった。そのころの自分はずっと寂しかったんだろう、世界の誰一人自分を必要としてくれなくて、世界から必要とされなくて、本能的に外界を閉じ自分のなかにひきこもったから内向的になったのかもしれない。外界や人と接するのが怖くて、自分の世界のなかで生きてきた。その癖はずっと消えずに前ほどじゃないとおもうけど今でも残っている。あの時誰かが僕を必要としてくれていると感じさせたくれたなら、こうはならなかったかも知れない。(今でも、「お前が生きていることを今まで誰か必要としてくれたか?」と言われると答えられない)重要性の欠如、自己肯定の欠如ハンターXハンターのジャイロの少年時代の回がなんとなく好きなのは自分のなにかを反映しているからかも知れない。子供を見ると安らぐのもそこに「欲しかった全て」があるからだろうか?弟達をいじめてていて、兄弟仲良く暖かさを持った関係、一番欲しかったものが築けなかったせいだろうか?人の正より負の部分を信用するのは前のプログでもかいた「裏切り痛み」だけじゃなく、自分の中に正よりも負の部分が強く、大きく、自分の中で正当性を持って残っているせいでもあるだろう。人を受け入れられない、受け入れた先にある痛みを知っているから、温もりよりも多くの痛みを人から与えられたから受け入れるのが、「怖い」「怖い」「怖い」そんな僕をを受け入れようとした人が離れていくのはどんなに受け入れても僕がその人を受け入れなかったせいだろう。温もりが欲しいなら、温もりを持った人間になればいい「波長の法則」だけど、どうすれば温もりのない心を持った人間が温もりを持った心を持てるのか?どうすれば人は変われるのか?PQ開発で変われそうな気がするし、その答えもあるような気がする行動を変えれば心も次第に変わっていくと聞いた事がある。けど俺は心にもない行動をとりたくないし、そんなのは嫌だ「ぼのぼの」のアライグマの親父風にいうなら、「俺はな、お前の熱血を押し付ける所が嫌いなら、くだらない事を自己主張している所も嫌いなんだよ、だがな、なにが一番嫌いかって言うと自分は正しい生き方していますっていう自己満足たっぷりの妙に輝やいた瞳で見られることなんだよ!!!」(蹴り)(う~んこの表現法好きだな)こういう気持ちに嘘をついていきたくない。問題はどうすれば自分に残っている負の部分を正しく昇華できるか?僕はできるならダークサイドには落ちたくない、なんかいろいろ面倒そうだし、憎しみを抱えて生きると幸せにはなれないと思うし、なんか疲れるできれば捨て去りたい、でもそういうのは捨てることはできない、見ないよう、感じないように自分に嘘をついて生きることしかできない。それと向かい合ってなんとか昇華させないといけない。過去と決着つけないと、過去の自分を何度も殺さないとならない。ダークサイダーとして生きなくてはならないなら「俺は今から世界を正してくるからお前らは安心してそちらの光側に居ろ、だけど帰って来たらお前らの光に触れさせてくれ」と妻と子供に言うような感じがいいかな?確認しなければならないのは自分の負の質と量はどの程度なのか?世界を変えずにいられないほどなのか?今まで自分の負の部分から、現実から逃げてきたのでまだよくわかっていない。PQ開発の先、問題中毒解消の先に、「なにか」あると思う。昔のことを色々書いたけど記憶にない部分もあるので事実と違うかもしれない。
2005年09月30日
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「親なんて自分の都合で子供生んどいて自分が主人公の親というストーリーに酔うためにあれこれ世話をする」という言葉はとても救いのある言葉に感じました。よく「生んでくれって頼んだわけじゃねぇ」とい不良の台詞がありますが、あれを日常で自分が使えないのは、やっぱりここまで育ててくれた親への恩だとか義理があったし、なんか負け犬みたいに思えて言えませんでした。正しいとは思いませんが(生命はすべからく生きたいという生存本能を持っていると思うから、自我のない胎児ならなおさら)どんなに不遇の境遇で生まれたとしても、どんなに愛情のある家庭に生まれたとしても、「親の都合で生まれたのには」変わりないです。宿った命をどうするかは全部親の都合です。「人間は親の都合で生まれてきたけど、いや親の都合で生まれたからこそ、生きていく意味は自分で見つけるんだ、見つけていいんだ、親に縛られなくていいんだ」という救いが倉本さんの書いたにあの文章にはあると思いました。だから理想の親とは、幼い頃は愛情は必要だ思いますが、ある程度になったら徐々に干渉しない、社会に流されず「自分の人生を自分らしく輝いて生きる」ことだと思います。「男は黙って背中で語る」みたいな母親も子供がある程度になったら徐々に妻に女に戻ればいいと思います。「お前はお前の道を行け」というのを生き方で示す。子供も親父を尊敬し親と同じ道を歩きたいなら必ず親父を超えること、親という呪縛に捉われず、自分は自分、親は親の意識をしっかり持って、周囲の人に流されず友達より、恋人より、最も繋がりの深い「他人」としてその家族というチームに所属するみたいな感じ、家族を絶対視しないこと冷たいようだけどそれが一番子供の人生を尊重する生き方なんじゃないかと思う。
2005年09月27日
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ここ数日、もしかしたらもっと長い期間、身体との対話時間が、ただの運動時間になっていた気がする。完全に運動になっていたわけじゃなく、会話が浅かったのではないかと感ずる。認識を改めよう。今行っている運動は身体内部のことを肌で実感するため、このことを深く認識しよう。でももしかすると、身体内部ののことのイメージが明確になってきたから、以前より深く「会話」ができるようになり、以前の「会話」を浅く感じたのではと思った。
2005年09月27日
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身体の事を普段から感じようとする自意識が邪魔になる。緊張したり、雑念が湧いたり、感じようとすればするほどその「感じよう」とする意識が邪魔をする。感じようとするんじゃなく、自意識の扉を開けること、その扉から身体の情報は勝手に流れ込んでくる。感じないのは自意識がブロックしているからだと感じた。倉本さんのいう、自分から迎えにいこうとするんじゃなく、ボーと身体解剖図を思い出しながらという、PQバイブルにあった言葉の意味を本当に理解したという感じだ。本当の理解とはこういう事だと思う。
2005年09月26日
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PQ禅での殺意、姦淫、倦怠、嫉妬について書きいたいと思います。解ったというより解らされた感じで昨日ふっと浮かびました。殺意これはもう爆発的エネルギーを持った感情で、社会の中でいうと「核兵器」ぐらいの危険性と、パワーを持っているものだと思う。なにか事に向かうとき底力(絶対何が何でもという意志力)として使えばいいんじゃないかと思う。姦淫は他者と繋がる最も強力な手段だと思う。なぜ必要か、それは直接身体で他者を理解できる手段だからと思う。ずいぶん前にプログで倉本さんが書いた「異物だと思うのがオープンなんですよ」に書いてあったより他者のことを理解して安心感を得ようとする行為なんじゃないかと、そこに愛情がある場合は、他者の持っている何かを得ようとする最も強力な手段なんじゃないかと思う。子供を生むということは自分の存在をこの世に多く残したいという「死」という絶対的現実における唯一の抵抗なんじゃないかと思う。だからより自分に近くあるいはもっと優秀にと育てるんじゃないかと思う。倦怠は自分の内なる声でまあ、うざい、めんどくさい、に似ている。そう感じるから色々な便利なものができたという月並みな結論になるし、自分が嫌なものを知る基準になると思う。嫉妬は倦怠とは逆に自分が望んでいるのを知る羅針盤だと思うし、善用すれば強力な推進力になると思う。まあ自分で気づたというか気づかされた感があるので素直には喜べない。結局どうすればその善用に力を持っていけるか説明できない、でも何が善用かを認識すること自体、力を善用に持っていける手段かもしれない。
2005年09月25日
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気というのは生命エネルギーみたいなものと思い込んでいたけど、もっと感情的なものなんじゃないかとPQ禅の前段階の「気を感じる」で思った。殺気というのは殺意を持っているからこそ発散する気の種類だろうと思うし、なんか優しいうたを聞いて「ほんわか」なるのも気を発生させているんじゃないかと思う。スピリチュアルの江原氏によればオーラの色は感情によって変わるらしいし、強い、弱いもあるらしい(ん、オーラと気は違うのか)人間は嬉しければ、身体が生き生きしてくるし、悩んで「鬱」になると身体に良くないだろうし、笑うと免疫力が上がるらしい、緊張すれば身体は固くなる、すべて感情状態に影響されている。あの人の優しいわとか、なんかオーラがあるねというのは、その人が優しい精神状態でいるから伝わるものなんじゃないかと思う(つまり行動だけ優しかったら、女の人には危険さが伝わるんじゃないかと思う。)、オーラがあるというのも明確に自分の感情を感じ、発散させ生きているんじゃないかと思う。気に関する本を読んだことがないのでわからないが感情がなんらかの因子として存在しているんじゃないかと思う。
2005年09月24日
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以前母に「出来損ない」と決め付けられて、ほったらかしにされ、その自己イメージがどうたらこうたらと、倉本さんのプログのコメントに書いたけど、妹をみていると期待され、かまわれるのも「悲劇」だと思う。いや期待しているというより、もうそれしか今の生活に楽しみが見出せないと言った感じだ。「自分の人生生きろよ」と言いたいけど、こういうとグダグダと今と今までのの生活の愚痴が始まりそうで言いたくない。思えばあの人趣味ひとつ持っていなかった。働いて、飯作って、TV見て、臭い音のしない屁こいて、親父の夜這い拒否して、一日中仏頂面で、そして寝る。それでも四人も子供生んだのはなんでだろう?自分の未来を子供に託したのか?今家に学生は妹一人だから彼女に付きっ切りまるで「召使い」のように彼女に仕えている、その代わり「勉強しなさい」みたいなまあ妹も素直に言うこと聞くわけじゃなく「ワガママ」放題、「飯が古い」だの、「アイスはこれほしいのじゃない」だの、「勉強」もそんなにやっていない、TV見ているか、寝ているか。顔も母と同じでいつも仏頂面、おかしかったのが母にはそんな妹が美人に見えるらしい、「あの娘は美人だから男は狼だから気をつけろと言はないと」など言っていた。経験から言っているんならそれは間違いで「あんたが親父に惚れたんだろう」と言いたかった。母は愛情?はあったかもしれないけど、その表現を誤っている。「愛情も表現間違えれば毒にしかならない」母はその間違いに気づいていない、いずれ痛みを持って知る時が来るだろう。そしてその「痛み」を持ってしか過ちに気がつかないだろう。そんな気がする。
2005年09月23日
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PQバイブルで倉本さんが言っていた「天才になると大変だから凡人は天才になんか本当はなりたくないんだ」という事がなんとなくわかった気がする。(いや、僕が天才になったとか、劇的に変化したとかそういうんじゃなく)PQが高まるといろんな問題がいやおうなく見えちまうんだろうなという事今の時代解決しなきゃいけない様々な問題がある、それこそ未来の人類が生き残るかどうかという重要な問題も、温暖化問題、環境問題、生態系の破壊、テロ対策、北朝鮮問題、核問題、世界の貧困問題、爆笑問題(笑)書いてるだけで頭が痛くなるし、(おわぁ~も~めんどくせ~っ)庶民の生活レベルの問題ならもっとある、年金問題、教育問題、高齢化社会の問題、(どわぁ~めんどくせぇ~)凡人はできるだけ意識しなくてすむ問題を天才は肌で感じるんじゃないかと(バイブルにもそう書いてあったと思う。)なにも感じないんならそれが楽だし、今の生活で幸せならこんなことは「なんか偉い人」に任せておけばいい。でも「本当にそれでいいんか」お前「本当にそれでいいとおもとるんか」(なぜか関西弁(笑))そんな自分の声に耳をふさいではいけないと思う。じゃあ、「あんたなんか解決策あるんか」(やっぱり関西弁(笑))「あるわけねえべ、ばかこくでねぇ」(もう何弁かわからん(笑))と言う話。でも良く考えればその「なんか偉い人」もうすぐ死んじゃう人ばっかり、人の善よりも悪を信用するダークサイダーとしては、「奴ら本気で考えてない」「どうせもうすぐ死んじゃうし、いいやぁ~」という感覚なんかじゃないか思う。じゃあどうするか奴等をなんとか「本気」にさせる。村上龍が世界の貧困や環境問題を解決するには企業にそういう問題を解決するのは金になると示してやればいいと書いていた。ボランティアだけじゃ絶対変わらないと、政治もなんらかの方法でヨボヨボの連中に危機感抱かせ本気にさせる。(なんかあぶない方向になってきたけど地球に優しい方法でね(笑))あと最も理想的な方法であるのは、全人類のPQを上げること、もちろんPQ開発を使って、江戸時代は高岡氏いわく身体意識が高かった故に調和のとれた時代らしい。それにそうすりゃそのうち政治の道を進む(麻薬的運命によって)天才が出てきてめんどくさい問題をみんな解決!!(結局他力本願(笑))あと最も現実的なのはPQの高い若い政治家に投票すること。文面はふざけた感じになっちゃったけど、結構イイんじゃないかと思う。共感された方こちらへ
2005年09月23日
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自分には人に受け入られることを前提とした接し方をすることが時々あり、その度なんだか自己嫌悪に陥る。(なんか妙に爽やかぶって健全な人間ですみたいな感じ)このプログではそんなことないと思うけど(最初のころのプログは変に(笑)とか入れてそんな感じもあるけど、自分で見て気持ち悪い)女性相手だと特に出るような気がする。そういう「自分を良く見せる」というのは誰にでもあると思うけど、「キャラ」を変えるというのはやっぱ良くないと思う。自分の自身をどうやったらわかってもらえるように伝えるかという「伝え方」だと思う。だからと言って言葉遣いを変えるとかじゃなく(人と時と場合によっては必要だと思うけど)自分の良さを誤解を招かない言葉で伝えるみたいな漫画「今日から俺は」で三橋貴史の「俺は人に好かれるために生きてるわけじゃない」という台詞があるけど読んだとき結構「おお」と思った。奴は時たまイイ事言う、あの生き方はどうかと思うが(笑)どんなに「いい人」ぶったって自分のこと100人いて100人が好きになるわけじゃなし、好きになる確率が高いか低いかということでだったら自分出して生きましょと言う話(どっかの本にも似たような事が書いてあったな、「道は開ける」というタイトルだったと思う。だって一時期で言えばあの自己主張の強い、田中真紀子だって、野村佐知代だって、デビ夫人だって支持されたんだから、人によって好き嫌い激しいと思うけど、いや、好き嫌いが明確に出るほど自分をはっきり出せたから好きな人にはより伝わって支持されたんだと思う。(嫌いな人にもはっきり嫌いと伝わったと思う)
2005年09月23日
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レオナルド・ダヴィンチが書いた、足を肩幅に開いて、両手を少し開いて立っている人の絵と同じポーズをとると全身がくまなく意識できてかなりイイんじゃないかと個人的に思う。レオナルド・ダヴィンチは世界初水の動きを絵として描いた人だし人類初「人体解剖図」を描いた人なのでかなりPQは高いんじゃないかと思う。モナリザは正直どこがいいかわからない。(まあというか絵画の良さ自体自分はわからないので、でも直接見れば絵画の良さも解るかもなと最近思う)でもあの絵はなにか仕掛けがしてあるらしいここに書いてあるダヴィンチ情報は全て「うる憶え」なので間違いがある場合、指摘のコメントお願いします。あとPQ禅は自己探求系の自分には興味深いです。感覚がつかめるまで時間がかかると思いますが、気づきがあったらプログに書きたいと思います。興味がある方はこちらから
2005年09月23日
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今日はPQ開発に戻ります。PQ開発始め身体のことがわかると、身体のすみずみまでバラしてみたい、全部の骨をバラして、全ての臓器を取り出し、バラバラになりたいという衝動にかられた時期があったんですがそういうのって皆さんないですか?最近の感じたことといえば、いつでもってわけじゃないですが、「骨で立つ」ということがどういうことか感覚的に分かってきました。まさしく骨で立つって感じでそれ以外言い様がないですね。あと歩く時にブレない体の芯みたいなものを感じます。多分正しく歩けているということだと思います。これが「センター」だと思います、高岡流だと身体に針金を通すイメージを持つということですが、自分の場合、身体中の力や凝りをとっても身体の芯に残る感覚があってそれが「センター」だと思います。高岡流とは逆に力を抜いた結果意識できました。それで感じたのが自分が感じるセンターより身体が左に傾いているなということです。鏡で見てそう感じるんじゃなく、センターから視てそう感じます。それと今まで「肉単」「骨単」でフォトリーデングやってましたが、そろそろ本格的な写真解剖図と、高岡英夫氏の「究極の身体」「大極券」「気孔」「ヨガ」の本が欲しいです筋肉のイメージは複雑でまだまだですが骨の方はだいぶつかめたと(あとは腰骨、(特に股関節とお尻側)とヒ骨のかんかくがもっとつかめればと思います)もし購入方法がわかるのであれば、できれば九州地区で購入可能な情報ください(特にネット購入が無理なだけに「究極の身体」と「写真解剖図」が欲しいです)よろしくお願いします。あとコレ読んで興味を持ったかたこちらへ
2005年09月21日
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人生を本当楽しそうに生きている人、心からやりたいことに夢中になって熱中している人、そんな人は輝いて見えるし、なにより笑顔が素敵だ。(男性でこのタイプの人に会ったことはないが)そんな人間になりたいと思うしどうして自分はなれないんだろうと思う。「人が感動するのは命の輝きに触れたとき」だとTV番組爆笑大問題に出演した誰かが言っていた。その人は「夢を持てば命は輝き出す」とも言っていたと思う。でもどんなに頑張ってもまだ夢は持てそうにない、よし、「俺も今日から明るく毎日を楽しむんだと」思っても「自分で必死に嘘をついている」だけのよう、既存の光の行動をなじってもだめで、自分のわずかにある光を押し広げることが重要なんじゃないかと思う。やはり昔の自分は一人一人殺していき自己のイメージを回復させないといけないのかもしれない。子供の無邪気な笑顔は自分を受け入れてくれる笑顔だと思うそんな自分はやっぱり幼少時代に問題ありなんだな命が完全に燃焼するような毎日を、魂が震えるほど感動する毎日を、前に倉本さんのプログでコメントした「自分が獣になるんじゃないかと思うほどの激情」はそんな本当の自分の咆哮なんじゃないかと思い直す。
2005年09月20日
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倉本さんのプログのコメントに「本人的にはダークサイダーとしての自覚がない」と書いたけど、自覚がないだけでダークかもなと思ってきた。自覚がないのはみんな言葉にださないけど、本当はそう思っているだろうなぁ、と今まで思っていた事と、悩んだとしてもそこまで真摯に悩んでいるわけでもなく、「矛盾しているよな」「どうしてそうなんだろうな」と思っても結局日常に流されていって、「人の考えた答え」が書いてある本を読んでああそうかぁと思う程度だったからだと思う。何故そう思っちまうか考えてみたら、「自分が今幸福じゃない」からだと思う。「幸福じゃないからどうすれば幸福になれるんだろう」と考えるし、「俺にとっての幸福って何だろうと考える」、というか「俺は何がしたいんだろう」、「何で俺この世界にいるんだろう」とだんだんディープになっていく。そんなこと思いながら日常へと流されていく、その日常が幸福じゃないんでまたそんなこと思う、また日常へ、その繰り返し、倉本さんとか、お役立ちさんとか、と違うのはその事を深く追求しなかったということ、既存のこの社会で「どうすれば」、「何が」、「何で」と思っても「行動」はしなかったということ。「人は何が善かを理解し、どんなに善を語ったとしても、善を行っているとは限らない」そんな言葉を思い出す。大事なのは行動すること、「思っている事」と「口に出すこと」と「行っていること」が一致することが「真の誠」という。そんな言葉を思い出す。行動に移せないのはその他大勢の人達と一緒だと安心するし、母の恐怖のパターンもあるし、なにより自分のなかでまでビジョンが全然視えてないということ。どうして「幸福じゃないのか?」それは少年時代「裏切られる痛み」を知ってしまったことと、その人の前では気さくに仲良さ気に話しているのに、その人がいないところでは悪口、陰口をたたいている世間という存在の「本音と建前」を知り、人の温かさを感じていたいけど、人と心を繋ぐのが怖くてたまらないからだと思う。人を信用してないから本当の友達関係、恋人関係を築くことができない。まずそんな自分を受け入れてくれるかが不安でもある。なぜ闇を抱え込んでしまったのか?それを書くとぐじぐじとした真っ黒な日記になるのでやめておきます。(本当は書いた方がいいかもしれんけど)倉本さんは人と人とが解り合えるなんて神話であり、甘い幻想である。と言う意見は事実を重ねていった真実だと思うし、正しいと思うが、それでも僕は「笑顔の無邪気なスタイルのいい彼女と心から解り合える仲間に囲まれ毎日を楽しく過ごす」という幻想を望んでいるし、それが僕にとっての一番の幸せだと思う。
2005年09月20日
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僕は「幸福は他者の存在なしではありえない」んじゃないかと思っている。他者とのどういう風に繋がりが幸福だと感じるか人それぞれだと思う。(その他者が親だったり、恋人だったり、異性だったり、他人だったりで繋がり方はそれぞれ違うと思うけど)べったりくっついている事に幸福を感じる人、ある程度距離を置くことで幸福を感じる人、人を傷つけるで幸福を感じる人、人の役に立つ事に幸福を感じる人、人に優越感を持つことで幸福を感じる人、色々だと思う。でも他者が存在しなければ人は幸福を感じることはできないんじゃないかと思う。「全世界の支配者になっても、いや例え神になったとしても他者が存在しなければ、そんなものに意味はない」「人は独りでも生きていけるけど他者が存在しないと生きる意味はない」
2005年09月20日
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こういうことを書くとそんなん当たり前やんって感じると思うけど(特に認識が深いPQ開発者はそう感じると思う)でもまあ当たり前のことを一度きちんと定義する事も重要なんじゃないかと思うので書いてみます。あらゆるルールはそれが抽象的でない場合は(こういうときは必ずこうしなきゃならんとか、製品の説明書とか、)間題を起こさないためだけに存在するものだと思う。つまりそんなルールのために「何かできない」とか「別の問題」が生じるとかある場合、そのルールが封じている問題を起こさなければ、起きたとしても自分で責任のとれる範囲であれば、ルールを破ってもいいと思う。別の言い方すると、「ルールを破ったから問題が必ず起きるとは限らない」「ルールを破れば問題の起こる可能性がある」ということ。ここをルールだからだとか、頭っからに考える人は認識して欲しい。何故そんなルールが存在するかをもっと考えて欲しい。そんなルールがあるために別の可能性がなくなっていることを認識して欲しい
2005年09月20日
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とりあえず、自分の中の思っていたけど人には言えなかった事をあらかた書いたので、もっと身体についてのPQ日記に移りたいと思います。なんか前の日記はかなり一人で突っ走っているなと客観的にそう思いました見苦しかったと思うのでちょと反省しています。この前図書館から高岡英夫氏の「意識の形」という結構前の本を借りました倉本さんが書いていた「身体運動の研究についてアホみたいに凄い」というのがよくわかります、別に疑っているわけじゃなく「なんでそんなことまでわかるんだ」というのが素直な感想です。PQ開発を進めてきて、骨、筋肉、臓器、脳の存在を感覚として肌で感じることができるようになりました。もうひとつ気づいたことは自分の背骨はやっぱり変わっているということ具体的にいえば全部が均一的に可動するんじゃなく一部分が大きく可動し、全く可動していない部分の運動を支えているということ。形状的にも橋がアーチしているような形状、胸骨の一番下の位置らへんでアーチが止まり、そこから首部分までアーチが続き、首からは正常みたいな二段アーチだからなのか、第三の習慣の身体と会話をするとき、背骨が「鳴る、鳴る」しかもそれが気持ちいい、ついでにいうと背骨だけじゃなく、手首、足首、腰まで鳴るときがあります、一番鳴るのは左肘、形状的に肋骨部分の骨格も少し違う、前に急にでっぱり過ぎ、骨格異常なんじゃないかと思ってしまう。前までかなりの猫背だったし、鳩胸だし、鍔関節症だし、それで思ったのが骨格って人それぞれ違うんじゃないかということ。自分の骨格を正確に知るためには、レントゲン撮ってそれをもとに模型を作ったらいいんじゃないかと思う。(お金かなりかかると思うけど)骨の話はそこまで高岡英夫氏の「意識の形」でジンブレイドの存在を知り感動して、早速やってみる。とりあえずフリークライムから、まず感動したのが開側芯を意識しゆるめた瞬間、下半身の力みがドッと抜け初めてそんな力みの存在に気づけたこと。ジンブレイドの意識したけどなんとなくこれなんじゃないかなとわかる程度多分今の状態でどんなに意識してもあんまり解らないと思うので、ジンブレイドの形成の前提であるフリークライムと開側芯の開放に意識を集中最初は分からなかったけど身体全体の力を抜き、開側芯を開放すると重心線を支持線で追うという事がなんとなくわかってきた。この感覚のままだとまだふらつくけど、こういう感じで今後歩いてみようと思う。いずれジンブレイドもモノにしちゃる
2005年09月17日
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パソコンの前に座りキーボードを叩いていると活字の限界というか自分はこう書いたけど、これで自分の気持ちというか、熱量というか、は正確には伝わらないんじゃないかと、なにを言いたいかさえ本当の正確さでは伝わっていないんじゃないかと、でもまあもともと活字でそこまで正確に自分の気持ちの熱量まで伝えるというのは無謀なんですけど、これはPQが同じでもあなたと私は違う肉体(生物学上じゃなく存在として)を持っている(超あたりまえの事実)から感じ方が違くて当然という事実。そう本当に活字で伝わるのは事実事項だけかも、会話ではもっと伝わると思うPQが高ければ相手がどんなことをどれくらい思っていて、さらに相手自身の気づかなかった部分まで気づけると思う(自分がそこまでPQが高いとかじゃなくただの想像)あと態度とかリアクションとかPQ開発者なら相手の微細な動きでいろんな相手のことが分かるかもしれない、でも、人間が肉体の比喩で外界を感じているんであれば違う肉体を持っているという事実がある以上頭で色々想像し理解することはできても、相手の感じていることを肌感じることはできないこれはPQが高くても同じ、頭で理解し、こんな感じだろうと想像できても、相手の感じていることと全く同じに感じることはできない、人は本当の意味で相手を理解することはできないし、する必要もないのかもしれない、でもPQが低ければ自分を理解することもできない。
2005年09月16日
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実は自分は前に東京に上京していたことがあって、まあ生活できなくなって帰ってきたんですけど(恥)上京した目的は田舎者によくある東京行けばなにかあるんじゃない、一人暮らしって楽しそう、もうこんな家居たくない」てな動機だったんですが、金貯めて一人暮らしの資金にしようとして最初は住み込みの仕事始めたんですが1年間は貯めるという目的でなんとか凌ぎ、二年目、三年目は、いつもなんでこんな「ここにいるために働き働くためにここにいるこんな生活になんの意味もないし楽しくもない」という疑念に駆られながらも一人暮らしして「フリーターになれば自由だし、自分の成長し、好きなこともできる」という、その好きなことも分からないくせに「超甘い考え」のもとなんとか頑張り、途中で速聴という能力開発の甘い言葉に掛りこれで自分の能力伸びれば東京で成功間違いなしだという「超他力本願」の考えの下150万という今までためた金を途中吐き出してそれでもなんとか長い道のりを歩いて、一人暮らし始めたんですが、その反動からか1年間は何もしない、ゲーム、TV、マンガの現実逃避にはまって、「何でオレ生きてんだろう?」「結局何がしたいんだろう?」という疑念に駆られながら、バイトを始めたけど、また「ここにいるために働き、働くためにここにいる生活」に疲弊し、死人のような生活の中、こんなの生きているといわないよなと思った時期があったんですけど今にして思えば結局家の束縛から離れたかったけど母のお金に対する恐怖のパターンが抜けれず、興味あることをするよりも、働いて金貯めるを優先しそれでも完全に会社から離れ自由になればという幻想にとらわれて、自由になったら目的を失ったてな感じかな、なんかthe「問題中毒」てな感じ今は身体意識を高めて「体の声心の声」を聞くこと自分が何者なのか、何をしたいのか、何のため生存しているのかを感じて意識がそれを為すための選択をし、やるのは体に任す。いつか「どうしてそんなに生きたいの?」というネガティブな問いに、「なんとなく」とか「死ぬのが嫌だから」とかじゃなく、「何々するために生存している」と明確にポジティブな返答で返したい。生きるとは自発的に生きてこそ、誰かの強制とか、仕方なくとかじゃなく「生きたいから生きる」
2005年09月16日
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日記をどういう感じにするか考えた結果、とりあえず自分の中にあるものを精製せずそのまま出し切ろうという考えに落ち着きました。わかりづらいかもしれないし、何当たり前の事をって思うかもしれませんがとりあえず、読者無視、作者主体で突っ走ります。(まあ、日記って本来そんなもんか)生粋のダークサイダーと評されたし、まずは自分なりにダークサイドについて書きたいと思います。人の抱える矛盾、平和をあれほど訴えてるのに戦争は何故なくならないか?食料は賞味期限がきたら捨てるほど先進国に溢れているのに何故貧困問題は解決しないのか?あれほど分かりやすい悪なのに、なぜ金正日がいつまでも裁かれずに済んでいるのか?もっと助け合いの精神を、もっと道徳観を、悪いことはするな、人に迷惑かけるな、と教えられてきて、世界が、人が、全人類が、そんな考えならいいけど(個人的には薄気味悪いが)残念ながら世界はそうじゃない、逆説的になるけど「そうじゃないからこそ、もっと助け合おう、もっと道徳観を」になる。そんな矛盾をなしで生きられる人はよっぽど現実みてないか、宗教にはまっているか、世間の了承事項が骨まで組み込まれているか、のどれかだと思うでも個人的には本当に世界は素晴らしいと信じていて人生楽しんでいる笑顔が素敵な女性と付き合いたいな(男の幻想?)まあそれはそれとして置いといて矛盾を押さえつけて生きている人はいつか爆発するんじゃないかと思う。じゃあ、人の本質は悪なんだって突っ走るのも辛いと思うし、周りの人は迷惑だ(前まで自分のそんな感じ)だから認めよう、人の心に善も悪もない、憎悪、嫉妬、怒り、不満、あらゆる負の心、ただ「心で思っても悪は為さない」これは自分の良心と美意識に関わると思う「そんなのかっこ悪いからやらない」という美意識どんなに江戸時代の人がPQ高くてもそれはなくならないと思う。逆にそういうものを持っているものだと認識したから「部落」というなんの根拠のない一番低い身分制度があったんじゃないかと思う(多分江戸時代からだったよな?)だから前、倉本さんが書いた「明確なビジョンのある人生と上善如水の人生」(上善如水の意味は知らないけど)に「こりゃ一歩進んどる」と感心した、そう「ヒューマニズムだけでは世界は回らない」。人には、闘争本能というか狩猟本能というかサバイバル本能というか、とにかくそういうものが昔からありそれは徐々に退化してるのかもしれないけどやっぱりなくならずにあり、それがあるから、格闘技、アクション映画、などはなくならずどこかで本能的に戦争を求めている。んじゃどうすればいいかというと、とりあえず「世間の常識レベルまで負の心は悪ではなく普通のもんだと「善、悪」の基準をとっぱらい認め」もっと大題的に発散する機会を持つこと、例えば「エイプリルフールには嘘だけじゃなく軽犯罪も犯していいですよみたいな」(笑)すんません銃弾です、いやいや冗談です(笑)毒舌芸人が流行るのもいい発散になるからなのかもしれませんねちなみにカンニング竹山は嫌いです
2005年09月16日
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名前の登録が親のだったので一度日記削除してました。咲夜さん返事ありがとうございます。パソコン初心者なもので、色々迷惑かけるかもしれませんがよろしくお願いします。皆さんとの交流のなかで色々と自分がよい方に向かっていけたらなと思います。
2005年09月15日
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