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ココ最近ある理由で寂しさを感じることがあり、少しそれを誤魔化さずに味わっていたら、ああ本当に胸に穴があいているようだ、と思った。この寂しいという感情、孤独感は僕の恐怖のパターンだったのだと思う。今まで色々と誤魔化してきた。人との繋がりを求める感情、繋がりたがる心とは、すなわち帰属欲求(まあこの言葉の意味を正確に知っているわけではないが)それはリング(輪)なのかもしれない。友達であるために、恋人であるために、家族の一員であるために、会社の一員であるために、その組織の一員という欲求と、その中でもっと自分の存在を示したいという上昇欲求。どこかに人、集団、人類に帰結したいという欲求。その組織が小さいほどリングは小さくなり、孤独、寂しさも少ない。大きくなるほど成果、結果が必要で寂しさに耐えなくてはならない。だから孤独感、寂しさが大きい方が人は成長する様な気が、その帰結欲求、寂しさが恐怖であるために僕は、自分を誤魔化しながらも人と繋がろうとし、多くのガラクタを得ていたような(自分を安心した(下の)存在にみせること)どこか、まだ釈然としない矛盾点がありそうだが、まあ仮説といことで
2005年12月30日
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前のプログに書いた様に身体を「そこにあるモノのとして見るように感じる」をやっていると思考が止まるというか、そこに思考が入ると出来なくなる。で、僕が時々強く感じる「奥底の衝動」(上昇欲求、黒いケモノ)をくみ上げてみる、意識がはっきりする。思うにこれは、「本能」と呼ばれているもの、それは私という意識から切り離された、医学書には載っていない「身体に搭載されているもの」人間の三大欲求(食欲、性欲、睡眠欲)身体の欲求としてはわかりやすいが「もっと高次な存在への欲求」と「人とのつながりを求める欲求」も多分、「私」が求めるものではなく「身体が求めるもの」もしかすると、「喜怒哀楽」いやすべての感情は「私」ではなく純粋な身体の反応基本的にすべての人間が持っているもの、これだけ見ると私と他人に差異はない。私とあなたの違いは、その「身体との付き合い方」の違いだけ、身体との付き合っている自我こそが「私」と呼べるもの。身体には一見すると矛盾する欲求が多いから、普通はどれかを優先し、どれかを抑えなくてはならない。それはとかく世間でこうあるべきだと言われていることに流されがちだけどすべて自分で決めていいし、決めるべきだと思う。ただPQ開発者の理想は「すべての欲求をかなえる」こと何かを抑えて、何かを優先させる「身体との付き合い」ではなく、すべての欲求をを無理なく、矛盾なくかなえる「身体との付き合い」もしかすると欲求の強弱も生まれた時には誰もが同じ、差異はないかもしれないただ何らかの理由(主に環境的、幼少期の不足、道徳的)で個々が削りとられたり、強化されたりしただけ、誰だって本当はオンリーワンだけじゃなく、ナンバーワンにもなってみたいでしょ
2005年12月28日
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ここ最近、歩いているときとかの身体内部の流動を感じる時に「ここにあるものとして自分の身体を感じる」ことが出来るようになる。これはPQでは基礎的な部分である。身体と心の境が出来るということだと思う。本当の身体との会話をする場合心と身体の分離が出来ていないとダメで「私という意識」と「身体さん」が他人として感じないとダメだということそこで身体がそこにあるものなら、私とは何かの定義が必要になる。私とは身体意識そのもの、身体を通る、身体を取り巻くオーラ、気、そのもの、私の肉体が私ではない。このオーラのようなものが今まで脳に濃く集中していたような気がする。だからこそ、誰がこう言っていた、みんながこう言っていたという記憶、情報に集中していたから「世間のこうあるできこと」を受け入れてきたようなそのオーラを全身に分配すると全身で世界が解る。より実体を持って感じられる、触らずともその感触、温度が解る。多分この感覚重視したら自分の本能的ルールがわかるんじゃないか?世界を一から自分で構築するということなんだろう。その先の麻薬的運命というやつも世界は自分の手と足、全身で理解する。誰かが言っていた事なんて気にせず、世間のこうあるべきことなんて「こうあった方が都合がいい事」がほとんどだ。静止した状態で感じるのはまだ難しい。相違がわからなくなる。身体内部は動きがあってこそより伝わる。(よりPQが高くなると血液、心臓の動きが常時わかるようになるかもしれないが)解るようになるには、オーラをより感じる必要がある。PQ禅ということ、僕はこれがまだまだ全然だ身体のことで昨日はっきりと解ったことそれは首が力みすぎということ、頭を首の筋肉だけで支えすぎだ、もっと力を抜いて仙骨まで落とす。だからあごがいつも上を向くんだな、首で固定するために、だから肩が凝る。昨日3歳ぐらいの子が頭を揺らしながら立つ姿を見て「ああ、あれでいいんだ」歩くたび起こる上下運動をどこかでせき止めず頭まで伝いきる。歩いていると左足が右足より長いと感じるから(骨盤がずれているからかどうかわからんが)上下運動が激しいから頭が揺れる、揺れる、手もよく揺れる。進む方向はまっすぐだが全身フラフラしながら歩いていた。これで正しいのか?、それとも全身に小さな力を掛け身体を固定すべきか?
2005年12月24日
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夜一人で、らせんの動き、骨の支持力、内側ハムストロング、脱力による上下する肩甲骨、脱力がすぎて、膝カックン(笑)等を感じながら歩いていると、人、集団とすれ違う時(若い人の場合特にそうだが)体がそれまでの自由な感じから硬直状態に入る。具体的部位で言えば横隔膜?、肩包体、肋骨自体が硬直する。コレはやはり人を受け入れない自意識の防御反応なのだと思う。(自分特有かもしれないが)一人の時間で獲得した自由な身体操作を世間で体現するためには、まずは周りを受け入れなくてはならないと感じた。自分ひとりの世界だけを受け入れるんじゃなく、他者も共存している世界を受け入れる。それはどんなに社会が腐っている、人間は残酷なもの、人は信用ならない、等の「世界の絶望」を述べたところで、それがどんなに真実だとしても、その中で生きていかなくてはならない。どんなに真実に近くても「世界の絶望」で生きると当たり前のことだが屈折してしまう。世界がどんなに醜く感じても、それを受け入れ、他者の存在を受け入れ、その中で、自己の自由、人間の自由を体現していく。どんなに正しくても「世界は間違っている」と叫んでいるだけではダメで、その間違っている世界の中でなんとか理想を実現する。「受け入れない」ということは、さっきまで一人で歩いていて自由な感じの「自分一人の世界」だったのが他者が入ってきて「みんなの世界」になる「世界の変化」を拒むということだと思う。それは例えばある島で一番魚が獲れる漁師がいて、今まではその人がたくさん獲っていたのだけど、誰にでも簡単にもっと大量に獲れる機械が開発されその島のみんなが使っているのに納得せず、機械そのものを破壊するということなのか?自由な感じから身体の硬直を感じると、ああ常に人体は流動しているのが自然なのだと感じる。「目が覚め、食事をして、活動して、糞して寝る」その繰り返し。どれかにとどまることは出来ない。多分これは何に対しても言えることで「真理」だろう。「すべてが流動している」らせん階段の様に同じことを繰り返しているような日常でも確実に死に近づいている。今日がどんなに悲しい状態でもずっとその状態にとどまることはない、明日はもっと悲しくなったとしてもそれも流れているということ。時代の流れもどんなに今のままがいいんだと思っても、とどまることはできないし、とどまろうとすると、どこかで必ず無理が生じる。ましてや、時間が戻ることなんてありはしない。(望んでしまいがちだけど)「同じことを繰り返す」という変化かもしれないけどやっぱりすべては流動している。そこから新しい変化をどう起こすか、今までいたリングのサイクルからどうしたら違うサイクルのリングになれるのか?すべては流動しているけど、私というリングサイクル自体をどうしたら別のリングサイクルにのせられるか?それが問題だ
2005年12月19日
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デフティクを聞きながら、そして歌詞カードに映った思い出の写真などを見ながら思ったことは「ああ、羨ましいな」と思ったことと、僕はやっぱり少年時代に埋められなかった「穴」をずっと埋めたくて、埋めたくてという思い、「みんなとのつながり」というやつね。(あの風呂場に集まった大勢の子供達とか特にいいね)聞いているとなんだかそういう「仲間が集まるだけでなんだか楽しい」という気分が伝わって楽しい気分になる曲もあるけど平和賛歌だとか、もっと静かな優しさを歌った曲もあり、そんな曲と歌詞を聴くとなんだか違うなとも思い、素直に賛同できなかった。歌詞がはっきりとモノを主張している分だけに反発も大きかったのだろう。簡単にいうとやっぱり「ダークサイドを軽視しているような」感じ少年時代僕は「みんなとのつながり」を本当の意味ではもてず、かといって「何か一人でも夢中になれることもなく」どちらも全く無かったから、多分この二つの「穴」を埋めたくて、埋めたくているわけだけどでまあ普通人は、どちらもほどほどには埋まっているわけで、だから「なんとなく幸せ」と思うわけで、もしくはどちらか一方を埋めることに全力を尽くす生き方になるか。このどちらか一方だけという個人が極に走ることが問題で、「僕達は戦争なんて、争いなんて嫌なんだ」だからやめろよ。といくら叫んでも、人の本能は争い、競争、どちらが正しいか、優位か白黒決めたがっているわけで、戦争を起こそうとする人間を短期的に見ればどうにかしなければいけないけど、本当は戦争を起こそうとする心を観なければいけないそれを抑圧するんじゃなく、認め、それがどういうものなのか頭でなく身体で理解すること、決してその感情に振り回されないこと、それで個人レベルでどうにか折り合いをつけることドラマのケイゾクの真山刑事は愛していた妹をレイプされ、自殺に追い込まれて、憎しみに身を焦がして復讐しようとしているわけだけど、気持ちは解るし、僕だったら、時間をかけて殺してゆき、そしてまた生き返らせまた時間をかけて殺すそれを何度も何度も繰り返したい。でもその姿は間違いなく「不幸」だそんな事件に見舞われた被害者だからこそ自分のなかの気持ちを社会的許される範囲で吐き出して苦しみながらも「幸福」にならなければならない。それはその事件に蓋をすることでも、自分の感情を無視することでもなく、何十年かけてでもその気持ちを表現し続け、なんとか折り合いをつけるべきだ、そして幸せにならなくてはならない。なにが言いたいかというと、とにかく「極」に走るなということ。僕は宗教は現実誤認を自分で自分にしていることの様な気がする。「感謝の言葉」、「祈り」を何時間かけたところで自分の中で処理が終わるだけで、「現実は何も変わらない」それは自分を洗脳しているだけ、それを求めるひとにはそれをやればいいが、それで人格が変わり、人生が変わることもあるだろうだけどそれは心のダークサイドを無理やり封じ込めていてやっぱり「不自然」なんだ現実を真剣に生きている現実主義者が人生を達観し宗教に走るのはいいただ何も知らないものがその教義の世界観に走るのは自分を殺すことに他ならない。「僕は完全な悪人もなれないし、聖人なんてなりたくもない」「悪を憎みけど、自分を支配しようとする善も憎む、世間で善とされているものほどそれが本当は何なのかを見極めるべきだ」「自分を支配している考えほどそれが何なのかを見極めるべきだ」世間の考えが悪いというわけじゃない、ただそれが「なにか良いとされている」からというのはやっぱりおかしいし、それが何なのかを知った上であえてそれを選ぶならそれは正しいと思う。「もっと知る」ことそれがすべてかもしれない知っていることでも違う方向から眺めて違った側面を知ることその中で選ぶ両極の矛盾した想いを持っているとしてその一方しか実現しようとしないのであればそれは幸せにはなれないと思う。だってあなたはその両極の想いを実現することを望んでいるのだからだからその両極の想いが具体的になんなのかを知ること今回のプログに書いた言葉はやっぱりどこかで拾ってきたガラクタ感があるんだけど自分の言葉があるとすれば「もっと人間であれ、もっと自分自身であれ」ということかななんだか書いてて馬鹿みたいだ(笑)
2005年12月17日
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この前TVでホワイトバンドというプラスチィク製のブレスレットについて特集が組まれていた。それはCMで世間の評価が集まる人達がアフリカの貧しい子供達を救おうという意思の現れとして装着していたものだ。それはいまや大ヒットらしい募金も集まり、活動も盛んに行われているそうな、そういうことを訴えた音楽活動もあるらしい、ミスチルの桜井が始めたのがきっかけだろう。それはいい、桜井はそれを伝えたくて音楽活動として一番最初に伝えたのだから、最初は違和感だったけど思い返してみてだんだん腹が立ったののは「模倣者」達への怒り、あいつ等は何だ、「誰々がつけていたからつけた」、アホミュージシャンの「意味なんて伝わらなくても、その内ホワイトバンドが気になってアフリカの子供に関心が向くことができればいいんです」あいつ等はアフリカの子供が貧しく3秒に1人が死んでいることを理由にして「自分は世の中に対してイイコトをしています」と自己満足と自尊心を満たしたいだけ、アフリカの子供を理由にバカ騒ぎしたいだけ、その内「そんなにアフリカで人が死んでいてかわいそうだから僕等が生んであげよう」と乱交パーティを開きかねない。「苦しんでいるアフリカをさらに辱めている」その活動で集まった募金だってアフリカには届けられずにそれをやっている団体の活動資金にされていることが今問題にされているらしい。アハハハ、ハハハ、あ~おかしいクソ政治によくありそうな集金システムだ。もともとあのCMもイギリスかどっかのマネだっていうし、いいビジネスプランだ。アフリカが何故そんなに貧しいのか僕には分からない、でも僕が生まれる前から貧しいままだ、政府のシステムに問題があるのか、世界そのものに問題があるのか、それはわからない。アフリカを救うならそのシステムを正さなくてはならない。でないとザルに水をやっているのと同じだ、無意味とはいわないが・・あと爆笑の大田も言っていたがアフリカの貧しい者には貧しい者の価値観がある。日本人の幸せ感がアフリカの人達と一緒とは限らない(まったく関係ないけど僕は爆笑大問題は好きで見ている)お金を送ることも大事だろう、子供のワクチンを買ってあげることも大事だろうけど、その人たちが本当は何を求めているのか?ホワイトバンドなるものをつけているのなら、一年に一週間だけいいから現地で生活して来い!と強く言いたい。何が一番腹が立ったかと言うと立派なガラクタが欲しいために、貴様等の自尊心と自己満足満たすために、アフリカの貧しい人達がレイプされたことだ(まったく関係ないが北朝鮮の拉致問題も、建築偽造問題も、政府の税金の無駄づかいも腹立たしいだけでもう見たくも無い、日本だって破産すれば金持ちと貧乏人の差が今以上にはっきり出て、アフリカなんていっていられない、政府とメディアはなんとなく幸せ感をあいかわらす出すだろうが)こう言っている僕だってあいつ等とそう変わらないのかも知れない、いや募金してないとい点ではもっと悪いだろう。ただもう満足そうな顔を見せないで欲しい。「あなたが善を叫ぶたびに私の中の悪は肥大する」byバックマン
2005年12月15日
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今日「特ダネ」を見ていたら今年一番売れたアルバムは何か?という特集があり、まあどうせ「オレンジレンジ」だろうなと思っていたらDeftickという日本人とアメリカ人の二人組みユニットがナンバーワンになっており、「聞いたことないな」と思っていたらCMのタイアップから火がついたらしく、聞いて見ると「おおこの曲知っている」と思い、思わず魅入ってしまった。「地に足付け、頭雲抜け、そう、前へ、前へ、前へ、でも、いつもでもそばいないから、そこまでお前は弱くないから」というサビ部分に「おお、センターじゃん、高岡英夫じゃん、PQ開発じゃん」と驚いてしまった。んで、インタビューを見ると、「自分がかっこいいと思った曲なんて五分で飽きる、でも人のために曲をつくっていると無限に力が出てくる」のを感じるという言葉にああ倉本圭造もそういうことを言っていたなと思い、PQだなと思ってしまった。今思い出すとパンプオブチキンのボーカルに見た手がバラバラな感じが日本人の方にあったような気がしてPQの高さを感じた。音楽の幅も2歳から70歳を目指しているらしく子供でも買えるようにとアルバムの値段も1500円と知り、「え、そんなんアーティストが勝手に決められんの?」とそれもまたびっくり。インディーズだからかな?JPOP以外の曲調(ハワイアンとジャマイカンが混じった)のを買いたいと思ったのは初めてだけど買います。というか聞いてもいないアルバムのことを評価するのって本当はいけないと思うんだけど多分大丈夫。236位?からわずか10週で一位になったんだから「本物感」があるとういか間違いなく本物だと思う。まさに時代が押し上げたという感じ、紅白にも出るというし来年はくるね、とういか来てるし、というか俺遅いし、完全にミーハー女子高生だし、書いていて世間の評価で価値を決めている気がして、なんか嫌なんだけど、ちゃんと聞いてもいないものを評価するのは嫌なんだけど、Deftickな予感マジで恋する5秒前
2005年12月13日
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前のプログがなぜ小説みたいになったのかというと名前について考えてたらストーリーが走り出したので書きました。過去の自分から変化するためには、一度自分の名前を捨ててみることが必要なんじゃないかということを思いました。名前には色んなイメージが付随する気がします。例えば、OOO君は優しいわねとか、ほんとにいい子ね、色んな人から言われると、その子は無意識的にそういう風になってしまい、自分とはそういうものなんだと自己イメージを形成します。OOO君=優しい、いい子=自分という形で自分を固定、縛ります。自分が思っている自分のイメージも本当の自分とはかけ離れている場合が多くあります。それは自分に対する認識の低さでそうなっており、自分とはもっと不可解、分からないもののような気がします。つまり、周りがその人を観て思ったその人の分かりやすい表層的部分が、名前に付随し、自分が認識できるそれでも自我からみたら表層的部分も名前に付随します。名前=自分という認識だと、名前を呼ばれると無意識的にそういう人間を演じてしまう。あなたはOOOOではなく、OOOOと呼ばれる存在である。OOOO=あなたでは無い。何故この認識が必要かというと、分かりやすい形でいうと名前にはときに親の希望やら、世間の期待がある場合そうしなければならない役割が存在します。普通に生きていても表層的部分だけ見た世間のイメージがあなたの名前に役割として付随します。無意識が名前自体に意味を持たせるようになることが問題なのです。無くては困るが名前になんて意味は無い、意味を持つのは自分と言う存在自体、僕の呼ぶ名なんてどうでもいい。こういう心境になれた時、初めて世間から、今までの自分から自由になれるそんな気がします。前のプログ小説をちょっと書き直します。
2005年12月09日
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その犬は死にかけていました。そんな死にかけの意識の中自分が何者なのか思い出しました。自分が何者でもなかった頃の記憶もタロであった頃も記憶も、女の子が必死になって川から自分を助けてくれた時の記憶も、そしてあの黒い犬の記憶も、あの記憶、あの・・・・!!彼は目覚めました。グワォォォォォォォン!!!!!雄たけび上がります。全身が振るえ、世界が震撼するようなそんな目覚めの雄たけびでした。彼はもう「タロと呼ばれていたもの」ではありません、犬という認識も捨てました。彼は彼に戻りました。続いて彼の首に掛けられてある首輪をはずそうとしましたがなかなか食いちぎれません。彼は諦めたのか土手に上りました。目の前には先が恐ろしく尖った岩がありました。!!次の瞬間その岩の先を目がけて首を差し出し飛び込みました。大量の血と共に首輪は外れました。彼は少し笑いまた意識を失いました。その町には首に大きな傷を持つ犬がいました。その傷は彼にとって大きな誇りであり、自分が自分であるという「しるし」でした。その傷を見て町の人は「死にたがり犬」と呼んでいます。その犬は前の暮らしと同じ様に人から神風のごとき速さで食べ物を奪い、生きています。しかし変な習慣も身につきました泣いている女の子のそばに行き泣き止みまでその子のそばを離れません。どんなに犬嫌いの女の子も不思議とその犬だけは好きでした。母親が「何故あの犬は平気なの?」と聞くと「あの犬とても優しいもの」「じゃあ飼いましょうか?」「でもあの犬絶対に誰のいいなりにもならないよ」「なんでそんなこと分かるの?」「?」「見れば分かるでしょ?」彼には名前がありません。犬という認識もありません。自分を何者なのか定義することをしません。彼は彼という意思であり、一生命体としてこれから生きることを選びました
2005年12月08日
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タロと呼ばれる犬がいました。タロは豪邸に住んでいる女の子の飼い犬でした。タロにはこの家に来る前の記憶がありません。気付いたらこの家の飼い犬としてここにいました。女の子にはタロの他にもう一匹飼い犬がいます。ジロという名の年老いたその犬はタロに「この家の犬としてのあり方」を一から教え込みました。タロは厳しくも優しいジロは好きでしたがそれより大好きだったのが飼い主である女の子でした。女の子の喜ぶ顔を見るのが大好きでした。その顔を見るとタロも嬉しくてたまりません。ジロにも「飼い主には絶対服従」と言われてました。が「絶対服従」の意味がタロにはよく分かりませんでした。けどジロには作法のことではよく怒られましたが「もっと服従しろ」とは一度も言われなかったので女の子を大好きなことが絶対服従の意味なのだと勝手に解釈しました。ジロはタロに教え込みます。「この家にふさわしい犬のあり方」を、「この家にふさわしい犬」は、むやみに吠えたりしません。吠えるのは主人の言われたことに返事をする時だけ。「この家にふさわしい犬」は、歩くのも走るのも優雅でなくてはなりません。「この家にふさわしい犬」は、どんなにお腹が減っていても、どんなに暑くても下品に舌を出したりしません。タロは必死に「この家にふさわしい犬」になろうとします。女の子はそんな変わって行くタロが悲しくありましたが、女の子の前では以前のタロに戻るので安心していました。「飼い主には絶対服従」の意味をまだ「女の子が大好きであること」とタロは思っていました。そんなタロにも苦手なものがありました。水がどうしてもダメでした。最初の頃は水が飲めなくて死にかけたこともありました。女の子が凄く心配して泣きじゃくっているのをみて、なんとか女の子の与える水は飲めるようになりました。何ヶ月後にはタロはりっぱに「この家にふさわしい犬」になっていました。タロはむやみに吠えません。タロは歩くのも走るもの優雅です。タロは下品に決して舌を出したりしません。ジロはとても喜んでいます。実はジロはもうあまり生きれません。自分の後を継ぐものを欲しかったのです。タロも、女の子も、ジロも、みんな幸せ、みんな笑っていました。でもタロは水がダメなままでした。その日はみんなで庭で遊んでいました。いつもの様にタロは女の子が投げる肉を食べていました。一個、二個と投げていき四個目で肉が奪われました。最初はタロにも奪われたことが分かりませんでした。何か黒いものが横切った、それはほんとに瞬きをするほどの一瞬でした。振り向くとそれは黒い犬だと分かりましたが、すぐにその認識はタロの頭のなかで否定されました。犬ではありえない速さ、いえその存在そのもの、雰囲気がタロにとって犬でありませんでした。タロはすぐに追いました。けど追いつけません、タロの「優雅に見えるだけの走り」では追いつけるわけありません。その上相手は犬では無いない「何かわからないもの」なのですから、見失わない様にするのが精一杯でした。けどココは僕達の庭決して逃げられない。そう、ココは四方高い壁に囲まれたタロ達の庭です。けどタロは忘れていました。この「黒いモノ」はそれを飛び越えてきたことを「それ」は路地に入っていきました。その先は行き止まりでした。これで追い詰めたぞとタロは思いました。しかし、しかし、「それ」は目の前に壁が確認できても一向に速度を落としません。むしろ上げています。タロは困惑しました。「バカな、ぶつかるぞ、その速度じゃ死ぬ」思わず脚を止め叫びました。次の瞬間信じられないものをタロは目撃します。タン、タン、タン、ターンそれは両脇の壁を蹴り続けて前方の壁を優雅に越えて行きました。タロはしばらくその場を動けませんでした。タロは心の底からその姿を美しいと思ってしまいました。その日からタロの中の何かが目覚めました。正確には思い出したのですが・・・ジロにあの黒いモノが何なのかと聞いても「分からない、多分物の怪の類だろう」と言いましたがタロには「物の怪」が何なのかわかりませんでした。あの日から女の子もジロも幸せでしたがタロは幸せではありませんでした。あの日からタロは庭の路地へ行きあの黒いモノのように両脇の壁を使って前方の壁を乗り越える練習をしました。タロは自分を幸せではなくしたあの黒いモノが許せなかったのです。ジロはそのことにすぐに気がつき何度もタロにやめるよう言いましたが毎日身体がボロボロになりながらタロは決してやめませんでした。ただ女の子がタロの姿を見て心配していると聞くと心が痛みました。そして、その日がやって来ました。あの日と同じ様にタロが女の子から肉を投げてもらい、あの日と同じ様に四個目で奪われました。ただあの日と違ったのは、「それ」はやはり犬だと通りすぎる瞬間タロが確認できたこと、黒い犬の後のすぐ後ろにタロの姿があったことでした。タロは「彼自身の走り」を取り戻しつつありました。黒い犬も最初自分が追いつかれそうなことに驚きましたが、すぐ平静を取り戻し、本気の走りを見せはじめました。タロが追いつきそうなことに喜んだのもつかの間その瞬間に離され始めました。「くそ!」とタロは言い、あの日と同じように見失わないようにするのが精一杯の自分に腹が立ちました。あの日と同じ様に路地に入ります。タン、タン、タン、ターン黒い犬は相変わらず普通のことのように壁を越えていきます。タロはあの日からずっと練習を続けましたが一度も成功したことがありません。ただこの時は成功するであろうと直感で悟りました。今日あの犬を見た瞬間から自分の中の何かが弾け飛ぶのが分かりました。タン、タン、タン、ターンあの犬ほど優雅ではありません、必死にギリギリではありますが壁を乗り越えました。だが次の瞬間タロは絶望します。着地点は大量の水、そう川でした。向こう岸にはあの犬がタロにお尻を向けて、尻尾を振りながらタロの存在に気付かぬまま肉をおいしそうに食べていました。タロは悔しさに全身を震わせながら自分の存在を主張するように雄たけびをあげますがあの犬が振りぬくことはありませんでした。タロは、流されながら自分が川に落ちることが初めてでは無いことを思い出しました。
2005年12月08日
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彼には名前がありません。彼は森の住んでいました、けど食べ物をとるのに都合が良さそうなので町に下りました。彼は人と呼ばれる存在から食べ物を奪って生きています。誰も彼の存在に気付けません。買い物かご、商品それらを奪われた後、しばらくしてから始めて気付きでも気付いた時には、もう彼の後ろ姿しか視認できません。だから彼の顔は誰も見たことありません。彼の凄さは一部で妖怪、神の業として噂になっているほどです。「神風」彼はそう呼ばれるようになります。接触した瞬間に気付く姿の無い「風」よりも、接触した後に時間を置いてからなにか違和感に気付いて初めて認識できるという理由からです。彼自身はそう呼ばれていることはもちろん知りません。彼は基本的に思考しません。もっと深い自分の衝動で生きています。その衝動が彼自身だと言っても過言ではありません。彼は普段人目のつかない、でも彼自身にとっては居心地がいい場所に居ます。そして夜になると人通りが少ないところに現れ、獲物を物色します。それは、一人で歩いている買い物帰りの女性、閉店間際の店主のわずかな隙を突いて行われます。心の隙、獲物が注意を逸らした瞬間、音の立てず風のような速さで近づき、獲物に獲られたことに気付かせぬよう衝撃が発生しない獲り方をします彼は基本的に思考しません、彼の本能が最も効果的な方法を選びます。月日は流れ、彼はある感情を発見します。それは、自分に「似た姿をしたもの」達が二本の脚で歩く彼の標的と一緒にいるのを見た時に起こります。始めはそれがなんなのか分かりません、なんだか彼を弱くさせるものだと彼は考えます。ときどき強く「それ」は襲ってきます。彼の瞳から水が流れることもありました。それは「孤独」と呼ばれるものでしたが、彼はそれを今まで感じたことはありません。とすれば「疎外感」なのでしょうか?彼にはどちらでも構いませんでした。彼はしだいに食べるために現れることは無いようになります。なにか彼をひどく弱くさせる「それ」を埋めるため外に出ます。今まで存在を消していて、人々の目には映らなかった顔と彼の姿は様々な所で見かけるようになります。そんなある日、なにやら黒いものに身をつつんだ少年から時々食べ物をもらうようになります。彼も最初は凄く違和感がありました。彼の世界ではこういう風に食物をもらうことなどありえない、あってはならないことでした。でもなんだか彼に「似たもの」がこうして食物をもらい食べているのを見たことが何度かありますし、それがひどくうらやましく感じていたので彼は戸惑いながらも受け取りました。なんだか暖かいものが流れ込んでくるのが彼にはわかりました。すごく嬉しい気分になりそれから毎日餌を食べるようになりました。その少年の前で一度も出したことの無い舌を出すようになりました。彼の表情が生まれて初めて笑っているのに彼は気付きました。なんだかとてもいい気分、彼の中の決して埋められることの無かった部分がすっぽり埋まりました。幸せでした・・・とても・・・いつものように少年の前で餌を食べていると、激しい痛みと共に身体が宙に浮いているのが分かりました。「お~い神風をやったぞ~」「本当か!?」「親父のゴルフクラブ汚れてないだろうなぁ~」彼は自分が敗北したことを知りました。彼の身体はフェンスを越え川へと落ちました「バカ!、お前飛ばしすぎだよ」「しまった!、いっけねぇ~」「あ~あ」少年たちは学生でした。
2005年12月08日
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興味深いプログがあるので紹介したいと思います。咲夜さんに前リンクのやり方教えてもらったんですが苦手なので、僕のおすすめ新着と掲示版新着にある一夢庵さんのプログに行ってみてください。一夢庵さんは完全整体法をメインに今はやっておられる方なんですが、前はエネルギー関係(気導術、レイキ、等)をやっておられていてプログも身体関係の事について書かれており、なかなか面白いです。
2005年12月03日
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