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miyabi★1128

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2019.02.13
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駅前には坊ちゃん列車が。
これは展示物かと思いきや、この列車が時間になると
走っているということをこの時知り、びっくり。
確かに展示されているところからいなくなっている
時があった。




駅から徒歩5分くらいで松山城ロープウェイの乗り場に到着。
ポンジュースの蛇口が!
料金は大人往復510円。この日はリフトがお休みだったので
ロープウェイで向かいました。

松山城は別称「金亀城」と呼ばれています。
名前の由来について看板に書かれていたのでそのまま転記。
お城は、標高132メートルの山(勝山)の上にあり、
勝山城または金亀城とも呼ばれています。
松山城築の際、山麓の内堀(愛媛県庁西側)の処が、
深い淵になっていて、そこに「金色の亀」が棲んでいたと
いわれています。その伝承にちなんで、別名「金亀城」と
呼ばれるようになりました。


大手門跡より松山城天守を眺める

ロープウェイを降りるとなかなかの坂道が待っています。



戸無門(重要文化財)

この門は、本丸の大手入口の最初に現存する高麗門。
登城道U字屈折の終点に位置します。
昔から門扉がないので戸無門と呼ばれ、
鏡柱にも扉を取り付けた痕跡がありません。



筒井門

この門は築城の際、正木城から移建されたと伝えられる
松山城最大の門です。三之丸・二之丸から本丸へ向かう、
大手(正面)の固めを構成する重要な櫓門で、
城中で最も重要かつ堅固な所となっています。



隠門(重要文化財)

この門は筒井門の奥の石垣の陰に隠された、
埋門(うずみもん)形式の櫓門で、
戸無門から筒井門に迫る敵の背後を急襲する構えとなっています。
脇戸を持たず、扉の横板張りの中に潜戸(くぐりど)を仕組むなど規模は小さいですが、豪放な構えで、続櫓外部の下見板張りや
格子窓形式の突揚げ戸などとともに、
築城当時の面影を見ることができます。

※埋門(うずみもん):土塁、塀、石垣などの下部を
くり抜いたようにして造られている門。




太鼓門

本丸大手の正門と位置づけられている脇戸付の櫓門で、
巽櫓や太鼓櫓とともに防衛線を構築しており、隠門や
筒井門とその続櫓による第1の防衛線に続く第2の
防衛線となっています。


天守には頑丈な「望楼型」と低コストの「層塔型」が
あり、松山城は層塔型です。
「層塔型」天守は、関ヶ原の戦い後に登場した形で、
築城名人の藤堂高虎(とうどうたかとら)が考案したもの。
第一層から同じ形の建物を規則的に小さくしながら積み上げて
いくので、望楼型に比べてスッキリとしたシルエットになります。
また工期が短縮できる上に建築コストが抑えられるため、
短期間で多数の城を築くことが求められた慶長の築城ラッシュで
一気に全国に広まったそうです。


天守(重要文化財)と小天守

天守は三重三階地下一階の層塔型天守で、
黒船来航の翌年落成した江戸時代最後の完全な城郭建築です。
また、「現存12天守」の中で、唯一、築城主として瓦には
葵の御紋 が付されています。

天守、小天守、隅櫓を渡櫓で互いに結び、
武備に徹したこの天守建造物群は、わが国の代表的な
連立式天守を備えた城郭といわれています。

天守の全高は、本壇から20m(しゃちほこの高さを入れると21.3m)。本壇は本丸から8.3mの高さがあり、本丸の標高は約132mであることから、天守の標高は約161mあることになります。これは「現存12天守」の平山城の中では最も高い城郭です。山の高さは、同じ平山城である姫路城の約3倍の高さです。(松山城HPより)



井戸

南北2つの峰を埋め立てて本丸の敷地を作った際、
谷底にあった泉を井戸として残したといい伝えられています。
井戸の直径2m深さ44.2mで当時の技術では、
通常、掘ることができない深さがあります。



馬具櫓

本丸広場の西側にある二重櫓で、太鼓櫓とともに
二之丸方面の監視・防衛を担う櫓です。
この櫓は、明治43年(1910年)に「松山公園」として
開園される直前、管理人用寝泊所として改装されました。
 昭和10年(1935年)国宝に指定されましたが、
同20年(1945年)7月に戦災で焼失したため、同33年(1985年)
3月に本丸の防災ポンプ操作室として鉄筋コンクリート造で
再建されました。木造以外の工法で再建された城内唯一の
建物で、現在は、本丸の防災を含む管理事務所となっています。
 再建には、西側石垣(高さ約13m)に荷重を与えないように
するため、建物直下にケーソン※工法の基礎3個が用いられています。
この工事中、ケーソン基礎2個の最深部(深さ約4.7~5.9m)で
現在の石垣とは別の石積みが発見されました。
これは、まだ知られていない松山城の歴史を示すものかもしれません。


※ケーソンとは、防波堤などの水中構造物として使用され、あるいは地下構造物を構築する際に用いられるコンクリート製又は鋼製の大型の箱のことである。(Wikipediaより)



乾門東続櫓

乾門の東側に設けられた平櫓で、乾門とあわせて、
搦手(からめて)の防備を担っています。



野原櫓(重要文化財)
~日本で唯一現存する望楼型二重櫓~


野原櫓は乾櫓とともに本丸西北を防備するとともに、
その東にあった小筒櫓(跡)と本丸の北側を防衛する重要な櫓であり、
日本で唯一現存する望楼型二重櫓で、天守の原型といわれています。

野原櫓(騎馬櫓)は、1階の天井の梁(はり)を通じて
2階を支える構造となっています。
これは「現存12天守」の犬山城と同じ初期の望楼型(ぼうろうがた)
と言われる建築手法です。
黒船来航の翌年に再建落成された松山城の天守は、
層塔型(そうとうがた)といわれる天守台(柱を受ける土台)の
精度が要求される建築技術となっており、
城郭の作事(建築)の技法が進化していく過程を
本物で見ることができるのも松山城の魅力です。


艮門(うしとらもん)東続櫓

艮門と同東続櫓は、本丸の北東(艮方向)に配置された
脇戸付の櫓門と二重櫓で、城の東側の防衛を担っています。
また、ここから出撃し、大手や搦手(からめて)に迫った
寄手(よりて)の背後を急襲するという役割も担っていたと
考えられます。




ここはNHKスペシャルドラマ
坂の上の雲 」撮影スポットだったようです。
看板が設置されていました。




ロープウェイに乗り松山城を後にしました。
思っていたより結構歩きました。
そして中国人・韓国人の観光客がやたら多くて微妙でした。






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最終更新日  2019.08.04 18:35:06


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