全8件 (8件中 1-8件目)
1
アメリカ全土を震撼させた銃乱射事件。死者は過去最悪の32人が無意味な銃弾の下に散った。このような悲劇が度々起こる背景にはアメリカの銃社会が大きく影を落としている。アメリカの歴史を振り返って見ると、遙か遠くの記憶をたぐり寄せねばならないだろう。大海原を渡り一人の男が謎に満ちた大陸を発見した。未知の世界には当然危険も多く潜んでいる。広大な土地で先住民族のインディアンと出会い、大いなる発見と友情の印しを結ぶに至ったようにも見えた。しかしこれからが悲劇の始まりだった。新大陸を発見し、数多くの土産を持って国に帰った男を待ち受けていたものは、狂気乱舞する王様と野望渦巻く未開の土地に対する羨望の眼差しであった。それ以後多くの白人たちがわれ先とばかりに帆船を率いて新大陸に渡ることとなる。その先にどんな悲劇が待ち受けているとも知らずに。土地を手に入れ開拓をし、様々な動物たちや、インディアンの部族と出会う事になるが、言葉が通じない為場合によっては避けて通れぬ血が流れて行った。夜ともなれば、巨大な熊や狼の群れに恐怖を抱く。誰も助けてくれない未知の世界で、自分を守るのは自分自身だった。そして最も役に立った物が銃である。銃の歴史がこの大陸を変貌させて行った。長きに亘るインディアンとの戦いに終止符を打ったのも銃である。銃は進化し、やがて強大な兵器へと姿を変え、人間の想像を遙かに超える物となった。一度手に入れた武器と野望はそう簡単に捨てられるものではない。そして自由の国アメリカが手に入れたもの、それは余りにも代償が大き過ぎた。一人の青年がもたらした恐怖の瞬間だった。鳴り響く銃声と逃げ惑う学生たち、大学構内が戦場と化した。狂気に走った青年の内部で一体何が起こったのか。血の通った人間のやる事ではなかった。彼は狂った妄想の中で生きていたのかも知れない。母国「韓国」から遠く離れ、アメリカの地に夢を抱いて渡ったチョ容疑者。本人も自らの手で命を絶ってしまった為、この事件の詳細については彼がこれまでに至った道程を紐解いて、彼の内部に迫るしか事件の真相を知る鍵はないだろう。チョ容疑者については様々な憶測が乱れ飛んでいるが、彼を理解出来る人物はいない。アメリカには大きな夢もあるが、それ以上に暗雲が立ち込める部分も多い。人種差別もその一つだろう。韓国人だった彼が差別を受けていたかは知らないが、白人至上主義がその土地によってはいまだに根強く残っているのも事実。人種の坩堝で耐え切れぬ威圧感と疎外感を抱きながら、それは時間とともに一人の青年を狂気へと導いて行ったのかも知れない。銃を手に入れるにはさほど難しくないアメリカ。このような社会で生きて行く為には、それなりの覚悟が必要だろう。銃の規制だけを厳しくしても、この国には更に深い傷が歴史と一緒に見え隠れしている。日本国内でも同時期に悲惨な事件が起きている。2発の凶弾に撃たれ政治生命を絶たれた長崎市長。金さえ払えば一般人でもそれほど苦労せずに銃を手に出来る世の中。市長を撃ったのは山口組系の暴力団員だったが、アメリカ社会の歪みが日本にまで及ぶのも時間の問題かも知れない。
2007.04.28
コメント(4)
親はなくとも子は育つ、確かに。親代わりになる人物がいれば子どもは育つ。しかし最も重要な事は子どもの育つ過程である。施設を転々としたり親代わりがころころ変わっては健全な成長とはほど遠い結果になる。赤ちゃんポストについては賛否両論。何が問題かといえば将来その子どもが成長し自分の過去に疑問を持った時、真実を明かす事が出来るかである。ポストは良いとしても育てる環境が子どもに与える影響を考えた時、現代の子どもたちを取り囲む環境が悪化する一方で、赤ちゃんポストは謂わば特殊な環境である。その存在すら意見が分かれている以上そう簡単に答えは出て来ない。コインロッカーに捨てられるよりは遙かに増しであり、赤ん坊にとっては捨てるような親に育てられるよりも幸せかも知れない。その昔、日本には口減らしという行為が行われていた。貧しい家庭では子どもの数が増えると、とても養っては行けずその為養子にやったり奉公に出していた。出す親も、離れる子も非常に辛く断腸の思いであっただろう。時代は変わり、日本の経済成長と共に暮らしは豊かになり食べる事に困るような家庭は殆ど無くなった。世の中が便利になるに連れ、人はより一層の利便性を求めるようになった。飽食の時代、捨てられるゴミの増大、その中には食品類も多く含まれる。家がなくホームレスになっても腹を充たすことが出来るほどだ。環境の激変と人間同士の関係が少しずつ希薄になり、思いやる心が失われつつある現代で子ども中心に時間は動かない。産みの親、育ての親、子どもがどちらを選ぶか或いはどちらも選ばないにしても、これだけは言える。産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう...そう言われる大人でありたいと。
2007.04.24
コメント(6)
アメリカはよい意味で自由の国と言われているが、何事も許される訳ではない。向井亜紀、高田延彦夫妻が訴訟を起こしていた裁判に判決が言い渡され、その結果実子とは認められなかった。その心境を記者会見で語っていたが、亜紀さんの表情に笑顔は見えるものの、無念と怒りそして悲しみにくれていた。科学や医学が急激に進化している影で、法律がそのスピードに追いつかず充分な論議がなされないまま、現場だけが先走りしている状態が続いている。過去に死の定義について臓器移植に基づく議論が各界の著名人を織り交ぜて話しあわれたが、脳死を人の死と位置づけるのかが話題になった。脳が死ねばそれは紛れもなく死なのだろうか?人間の身体は全て脳によってコントロールされているようだが、脳の意志とは関係がなく動いている臓器が心臓である。心臓は自ら発する微弱な電気信号によって動き続ける。脳が死んだ後も何らかの処置をすれば果てるまで動く。だから死は実に曖昧な定義によって理解されている。医学、科学の進歩は必要ではあるが、時としてそれが神の領域に達する場合もある。神の領域とは自然の摂理であるが人間の欲望は果てしなく、クローン人間、遺伝子組み換え植物など未知の領域で実験が繰り替えされている。代理母出産や臓器移植などは、アメリカが最も早い時期から着手しているが、日本国内では法律の準備が整わず、心臓移植などについては多額の募金を募り、渡米して移植を行い命の継続が保障される子どもたちがいる。しかし代理出産或いは臓器移植にしても表面には現れない闇の部分がある事は間違いないだろう。一時国内で話題になった腎臓移植、臓器を金で買う紛れもないビジネス。そしてこれらにもブランドがあるということ。健康な臓器ほど高く売れる。代理母出産に関しても同じ事が言えるだろう。妊娠や出産にはリスクがつきまとうもので、場合によっては死に至るケースもあり、契約金の交渉時にはその保証料も含まれる。出産は女性だけに与えられた特権だが、ある事情によりその特権を奪われてしまう場合も多々ある。子どもを欲しくても産めない苛立ちは夫婦間に亀裂さえ生じさせてしまう時もあり、自然が与えた試練にしては余りにも酷である。僅かな望みを抱きながら病院の門を叩き、今度こそはと期待と不安が交錯した中で不妊治療を繰り返し、通院を続けるのである。望みさえ絶たれてしまった夫婦にとっては諦念とも言える孤独を味わう結果となるが、産むことが全てではない。もちろん自分の血が通った分身に越した事はない。しかし子育ては別である。血筋にこだわらなければ、世の中には親を欲しがる子どもは多くいる。出産と子育てを混同して捉えてはいけない。産むことなら丈夫な身体さえあれば誰でも可能。しかし子育ては親になるという人生において最も価値のある事なのだと思う。アメリカでは既に代理母出産はビジネスとして存在しているが、その背景には様々なトラブルや人種差別などの問題が重くのしかかっている。白人と黒人を比べた場合、黒人女性は白人女性の半分の金額で代理母出産が可能となる。もし仮に貴方が代理出産を希望した場合この両者のどちらと契約を結ぶだろうか。生まれてくる子どもにはどんな方法にせよ責任はない。子どもを巡り大人たちのエゴだけがぶつかり合っているようでは、生まれて来た子どもに本当の幸せは果たして訪れるのだろうか。
2007.04.20
コメント(6)
春がそこまでやってきたからんころんと 音たててしあわせ探しにやってきた新芽の萌え出るふるさとは雪さえ消えて 雨のまちかあさん お空は広すぎてわたしは 迷子になってますからんころんと 音たててわたしの春は 待ちぼうけいつまでたっても来ないからわたしは 眠くてしかたないかあさん そろそろお迎えにいつもの笑顔で お迎えにからんころんと 音たてて命が 二つ消えました
2007.04.12
コメント(6)
統一地方選挙、そして都知事選。この結果は投票が始まる前から決まっていたようなものだった。他者の追い上げをものともせず投票箱を空にする必要さえなかった。この圧倒的な大差は何処から生まれるのであろうか。石原慎太郎以外に東京都を任せられる人物がいなかったのだろうか。都民が求めているものそれは安定。とりあえず冒険はしたくないという臆病風に吹かれたのだろう。都民或いは国民が変わらなければ国も変わらず動きもしない。しかしながら選挙のたびに思う事は投票率が低すぎるということ。無関心派があまりにも多すぎる。わたしは選挙権を得てから一度も休んだ事はない。自分が障害者である為どうしても福祉に力を注いでくれそうな人に一票を投じるが、自分の票が活かされたことはまだ一度もない。しかしそれでも選挙には必ず行く。税金を一円たりとも無駄にしたくはない。一体いつ頃からこんなに政治から人々が離れて行ったのか。もし日本が経済的に貧しい国で、あちこちでテロや諍いが耐えない国だったら、国民の大半は選挙に行くだろう。そして大声で叫ぶ「平和を我らに」と。この国を堕落と腐敗に追い込んだもの、それは急激な変化、富と繁栄に他ならない。石原慎太郎の問題発言に「三国人」というものがある。日本の経済力に目をつけ多くの外国人が仕事と金を求めて、近くの国或いは灼熱の地から蟻の群れのように流れ込んで来た。いつの間にか上野公園は日本人より外国人の溜まり場と化していた。外国人による犯罪も増加し、それを憂いての発言かどうかは知らないが、外国人に対して「三国人」という差別用語を平気で使う都知事をまたしても選んでしまったのである。政治家の問題発言が頻繁に世間を騒がしている割にマスコミは傍観者という立場で見送っている。金に結びつかないニュースには飛びつかない。操り人形同然の日本のマスコミそれを影で高笑いする政治家たち。この国に正義は最早存在しないのであろうか。作家としての石原慎太郎は認めても政治家としてみた場合、高飛車な態度や民衆の嘆きを数で計算する打算的で狡猾な姿からは人としての優しさが見えて来ないのである。32年前に観た映画、石原慎太郎原作の「化石の森」が懐かしい。映画の内容に興味があって観た訳ではなく、主演が当時人気俳優であった萩原健一が主人公だったからである。政治は小説よりも奇なり、まさにそんな印象を持つ選挙であった。
2007.04.10
コメント(8)
今、最も騒がれているタレントと言えば元モー娘の加護亜依。一部週刊誌に「18歳年上男性との温泉デートで喫煙」と報じられ所属事務所も困惑し、最終的には解雇に至った。以前わたしも「モー娘も悩む禁煙生活」という記事を書いたが、反響は大きかった。芸能人、特にアイドル的存在の人気タレントの場合、世間に与える影響は計り知れないものがある。それだけに、芸能人は自分のプライバシーに至るまで世間の目を気にしなければならず、ストレスも相当溜まっていると思われる。我々一般人が未成年でありながら、煙草の一二本吸ったところで学校の教師に注意されるのがせきの山。ファンは勝ってなもので、自分の好きなタレントを自分の中で大きく作り上げてしまうところがある。ファン故の行動と意識でもあるが、自分流のイメージが壊された事で批判をする人も中にはいるかも知れない。吉田拓郎がエレキギターを持った時に会場は帰れコール一色になった。ボブディランも同様だったし、歌手或いはタレントに対し固定観念を持ってしまい信じられない現象に拒否反応を起こす訳である。幸い「加護亜依」のファンは心の優しい人が多いようで、彼女を擁護する意見の方が圧倒的であるが、それも彼女の人気が高い事を裏付けるものである。が、しかしファンの気持ちを壊すような事だけは避けて欲しいものである。ところでわたしの住んでいる近くに元モーニング娘の後藤真希の実家がある。時々帰って来ることがあり、自然体の彼女を見ることが出来るが、やはり実家に帰ってきたと言う安堵感からか、TVで見る姿とは180度違う素顔を覗かせることがある。どちらが本当の顔かなどとやぼな考えは抜きにして、どちらも後藤真希には違いない。人間誰でも二つの顔を持っている訳で、時と場所を選んで使い分けている。スキャンダルや思いがけない記事で売り上げを伸ばしている週刊誌の事だから多少の捏造はあるだろう。人気タレントだからこそ記事になる、謂わば金づると同じで週刊誌の記者たちにとっては最高のボーナス点とも言えるだろう。芸能界とは不思議な世界で、煙草で解雇であれば覚醒剤を使用した歌手が現役で活躍しているのはどうかと思う。加護亜依も時期がくればいずれ復帰する可能性は高い、芸能界のいい加減さに呆れるばかりである。
2007.04.08
コメント(5)
昭和の時代を象徴する人物がまた一人消えて行った。昭和30年代に入り日本は高度経済成長へと、付き纏う戦後の亡霊を振り払うが如くに一つの目的を目指し成長して行った。サラリーマンがタイムカードに一日の自分を記憶した時代。初々しさと恥ずかしさが入り混じった集団就職の列車が金の卵たちを乗せ上野駅に到着する。活力の溢れた昭和が懐かしい。クレイジーキャッツが全盛期でテレビではシャボン玉ホリデーが人気番組だった。今の様な録画番組は少なく、殆どが生放送。てなもんや三度傘、お笑い三人組みなど等。母方の祖母が「布施明」の大ファンであった。それもその筈、息子の竹男(わたしの叔父)が布施明そっくりだったので、シャボン玉ホリデーにゲスト出演している彼の映像を食い入るように見詰めていた。番組のラストではハナ肇が人気双子歌手のザ・ピーナツが歌う「スターダスト」の中で番組を振り返るのだが、最後に肘鉄を食らうそのエンディングが面白く、わたしもお気に入りの番組だった。植木等のコントも最高でそれが今の志村ケンを生み出したとも言えるだろう。わたしは一度だけクレイジーキャッツを生で見た事がある。しかし記憶の片隅を掘り起こしても植木等の顔は浮かんで来ない。祖母や叔父さん達と一緒に静岡市の駿府会館へショーを見に行った時の事。わたしはまだ小学生にも満たない頃だった。超満員のステージには煌々とスポットライトが当たり、異様な興奮と観客が投げるテープが踊り狂っていた。ほんの断片的にしか思い出せないが強烈な印象として今でも脳裏に焼きついている。竹男叔父さんは中学を卒業すると同時に、母(わたしの)を追って福島へ行き小さな町工場へ就職した。そしてその一年後には帰らぬ人となった。僅か50ccのバイク、スーパーカブに跳ねられ即死だった。僅か16歳でその生を終えた叔父さん、わたしを弟のようにかわいがってくれた。母も父も叔父、叔母さんたちは何れもわたしより遙か若くしてこの世を去っている。わたしはその分寿命を頂いて病気ながらも生きていられるのは、早くして亡くなった身内のお陰かも知れない。ちょいと一杯の積りが、いつの間にかアル中になってしまい肝硬変で亡くなった父を植木等の歌にだぶらせてしまう今日この頃である。
2007.04.03
コメント(4)
日曜の朝、誰もがのんびりと休日の朝を迎えていた。日本海は何処までも澄み切って、春の潮風が岸壁に打ち寄せている。そんな喉かな風景を一瞬の揺れが襲いかかった。能登半島を襲った巨大地震、震度6強の恐怖に住民は戦き震え上がった。幸いにも被害は最小限に留まった事が救いとも言えるだろう。しかし余震の続く日々を送る住民に本当の安心が訪れるのはまだ時間がかかるかも知れない。さて、このニュースをTVで知った時わたしは33年前の自分を想い出していた。静岡県の伊豆半島を襲った伊豆半島沖地震である。当時17歳のわたしは店内装飾などの仕事をやっており、徹夜明けでフラフラになった身体を休める為に事務所の二階に上がり、仮眠を取ろうとしていた。午前8時を少し回り掛けた時だったと思う。地響きとも獣のうなり声ともつかぬ、この世の者とは思えぬ音がうねりと共に襲って来たのである。眠る暇もなく飛び起き、揺れが少しずつ遠のいて行くのを確認しながら、恐る恐る一階へと降りた。立て掛けてあった看板類が折り重なるように倒れている。震源地は何処だろう?田舎(藤枝)は大丈夫だろうか...。現代のように携帯電話など無かった時代、とりあえず知り合いの家に電話を掛けてみたが、中々通じなかった。しばらくすると会社の上司がやって来て、カーラジオで伊豆地方が震源らしいというニュースを聞いたと知らせてくれた。わたしが生まれて初めて経験した大地震であった。阪神淡路大震災や新潟の中越地震など過去の大きな災害が思い出されてくる。自然は優しさと恐さの両面を持っている。賢い人間はその自然に順応しながら生きているもの。地球を人間で例えるとまだ小学生ほどだろう。悪戯盛りであり、行動も活発。そんな地球が咳をしたようなものだが、もし東京がこのような巨大地震に襲われた時、人はなす術もなく呆然と時の過ぎるのを待つだけになるのだろうか。一極集中型の日本の弱点が浮き彫りになり、我々の視点が根底から覆される時は必ずや来ると覚悟を決めておいた方がよいだろう。
2007.04.01
コメント(0)
全8件 (8件中 1-8件目)
1