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久しぶりに我が家のペットをアップします。約2年ほど前、近くの公園の雑木林で鳴いていた生後一ヶ月余りの捨て猫?を見つけた。わたしは最初の復職がうまく行かず、うつのリハビリを再スタートしている最中だった。うつの人は朝方最も状態が悪くなり気分が落ち込み、朝などこなければいいと思うほどである。しかし、朝起きなければうつ状態はよくならないので、主治医の言われる通り早朝散歩を始めたのである。6月の始め、空はどんよりと曇り梅雨を思わせる空気が重く張り詰めていた。車の往来も少なく、人も疎らな公園の中に子猫の親を探す鳴き声だけが虚しく悲壮感さえ漂わせながら響いていた。あれから2年が過ぎ、今では堂々たる飼い猫となった「タラコ」♀。この二年間タラコの名前が呼ばれない日はなかった。彼女の姿が少しでも見当たらないと誰かが必ず「タラは?」と声をかける。いつの間にか我が家に無くてはならない存在となったわけである。猫の為に人がいるのか、人の為に猫がいるのか。猫に限らず多くの動物がペットとして飼われているが、親身一体となって飼われているペットがどれだけいるだろうか。我が家にはインコもおり、猫と小鳥の共存については細心の注意を払っていたが、いつの間にかインコの方が先輩風を吹かせており、タラコは目線さえ合わせようとしない。猫の爪とぎに悩む人も多いと思うが、江戸川区に住んでいた頃は持ち家だったから、まったく気にも留めずすき放題にさせておいた。しかし今は貸家住まいなのでそうも行かない。引越ししたばかりの頃はタラコもさすがに新居に慣れず、食事も二日ほど口にしなかったが、慣れてくると持ち前の好奇心を発揮し家中を歩き回り、しまいには何処で見つけたか知らないが、屋根裏に入ってしまいその内出口が見つからず、鳴き声だけが、三つの部屋を行ったり来たり。探す方も何処にいるのやら、天井から声が聞こえるものの、何処から入ったのか解らず大笑いしながら探しまわった。好奇心が強いわりに一度も外へ出たことがなかく、窓から外を眺める程度。猫は犬と違い喜びを表現する態度がわかりずらいが、実は猫ほど思いやりに溢れた動物はいないのである。猫は自分が獲物を捕まえると飼い主にそれを見せに来るが、この行為は「食べ物を手に入れたのであなたにも分けてあげますよ」という意味が込められているそうだ。犬は舌で汗をかくが、猫の場合は肉球だそうである。猫の爪研ぎにも色々な意味が込められているようで動物の不思議はまだまだ数多くありそうである。
2007.12.31
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例年より一ヶ月も早いインフルエンザの流行に戸惑いを隠せない人々。これは環境破壊がもたらす時間のずれが生じているのかも知れない。12月に入りインフルエンザは本格的に猛威を各地で振るい始めている。今回の特徴は近年にない「Aソ連型」。予防注射で何とか感染を防ごうと早めのワクチン摂取で病院は混雑している。岡山県倉敷市では早くも死者が出ており、体力のない子どもやお年寄り、慢性の疾患を抱えている人たちは要注意である。昨年から今年はじめにかけて話題となった「タミフル」だが、現在は処方が10代止まりとなっているため、治療の選択肢には限りがある。ただ、予防注射が確実に効くという保証はどこにもなく、ワクチン投与済みだからと安心するのは早計。予防の基本はうがい、手洗い、洗顔、人ごみを避けるなどしか方法はない。インフルエンザを人類最強の敵と捉えれば、人間同士で争っている場合ではないのだが。そういえばこのわたし、ここ5年ほどインフルエンザにかかっていない。運がいいのか、偶然なのか定かではないが、心臓を患っているわたしが最も注意しなければならない。小学生以来予防注射を受けたことがない。もちろんその間にはインフルエンザに罹患したことはあっても、多少の熱で治まっているし、心臓にそれほど影響を及ぼさなかった。確かに悪運が強い部分はある。しかしそれは生命力の問題だろう。人はみな持って生まれた生命力があり、人それぞれ異なっている。心臓の手術は成功したものの、その後の体力が回復せず亡くなってしまう人もいたりする。闘病生活が長いと様々な病気を知ることになるが、中には奇跡的な回復を示す者もいたり、病気の世界は予想以上に医学で割り切れない部分が多々ある。人間の持つ自然治癒力或いは偶然が重なっただけなのか、死の淵を彷徨ったあげくにこの世に舞い戻った話はよく耳にする。病気は出来るだけ避けたいが、そのお陰で人間の細胞が活発になり抵抗力を増す部分もあるだろう。人の口の中は雑菌だらけだが、それを抑えているのが唾液であることを付け加えて置きたい。
2007.12.27
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電化製品の中で最も身近になった携帯電話。日替わりメニュー並に携帯各社とも新製品を打ち出して来る。消費者はサービスで選ぶか、或いは見た目重視のデザインで選ぶと思われる。性能については、ほぼどこのメーカーも一列状態なので重視される点は使い易さだろう。NTT Docomo SoftBank au WILLCOM、これらが携帯電話産業の4代メーカーであるが、つい最近まで、携帯電話による電磁波の影響について議論されていた。携帯電話についてはその歴史が短く、詳細なデータを採取することは難しい。現時点では人体に於ける影響は確認出来ないとされているが、電磁波そのものが人体に悪影響を及ぼすことは科学的に証明済みなので、やはり油断は禁物である。携帯電話に限らず、電磁波はあらゆる電化製品から発生している。わたしたちは便利な生活の中で電磁波を浴びながら生活を送っているとも言える。普段の生活や仕事の中で、電磁波の事など考えもしないが身体は少なからず電磁波の影響を受けているのである。携帯電話から発せされる電磁波の周波数と電子レンジの周波数は非常に近く、同じマイクロ波であることから、熱を発生させる特徴を持っていること。この発熱作用が人体に害を与えると考えられている。人間の組織の中で最も熱に弱い部分は眼と睾丸である。最近よく言われている精子の減少などがこの影響かどうかはいまだ立証されていないため、今後の研究の課題となっている。脳に与える影響がどれほどのものかは定かではないが、マイクロ波により脳の中心の温度が高くなることは検証済みであり、中でも頭蓋骨が薄い子どもの方が最も影響を受け易いようである。そしてもうひとつ、携帯電話の機能が増えるほどバッテリーの長時間使用が求められてくるため、バッテリーに対する負担がかなり大きくなっている。これも危険要素のひとつであろう。PCが発火する時代でもあり、日頃安全と思っている物から災害が発生したりする。危険は思わぬ所に潜んでいるもの。絶対安全であるという確証は持てない。各メーカーも売り上げに重点を置くのはよいが、データの信憑性だけに頼っていると思わぬ事故を招く恐れがあるのでよく注意して欲しい。
2007.12.25
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ゴキブリがつい最近まで話題になっていた。ケンタッキーフライドチキンでの「ゴキブリ揚げ」、バーミヤンでの「ゴキブリラーメン」、ファミリーマートの「ゴキブリ入り肉まん」。これらの原点は吉野家から始まった「テラ丼」だろう。世間を騒がせる面白さにとり付かれたかどうかは知らないが、ひとつ似たような事が起こると伝染病のように次々と波状して行く。恐さを知らない無知な子どもと同じである。子どもはまだ心が純粋だからよいが、善悪の判断が付く年頃の人間がやることではない。ゴキブリは元々森に棲んでいたいた昆虫。人類より遙か昔にこの地球上に現れた。その繁殖力と生命力は他の生物を寄せ付けないほどである。シーラカンスのように「生きている化石」とも言われる。核戦争が起こったとしても生き残っているのはゴキブリくらいだろう。人間は自分達の棲む領土を開発するため、次々と森林を伐採し環境破壊をもたらして来た。ゴキブリは棲みかを森から民家へと変えていった訳である。地球全体を通して見た場合、このゴキブリを害虫扱いする国は以外と少ないことが解って来る。もちろんこれは国の生活環境などが違うので当然のことであろう。医薬品、非常食用といった使われ方をしてきた過去もある。ゴキブリが嫌われるのは鼠と同じで、病原体の媒介、見た目の悪さなど不潔とうイメージが固定観念として人間の脳に組み込まれてしまっているからだ。何も知らない無垢な赤ん坊は毒蛇を恐れず、玩具として引き千切ってしまったと言う。ゴキブリも単なる珍しい物として捉えるだろう。しかし人間の生活に害を与えているかは特に根拠もないが、衛生管理の下では許される生き物ではないことは確かである。ゴキブリではなく薔薇の花や見た目の美しい蝶だったらこれほど問題にならなかったかも知れない。人間は雑食性でゴキブリと同じだが、犯罪を犯さない部分ではゴキブリの方が優れているのかも知れない。
2007.12.21
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佐世保市のスポーツクラブ「ルネサンス佐世保」の散弾銃乱射事件。このニュースを知った時、日本もアメリカ並の銃社会になってしまったのかと嘆かずにはいられなかった。銃の歴史は古いが、元々人を殺す為の道具ではなく、危険な状況に陥った時自分の身を守る為の道具として開発された。銃社会の本場アメリカでは銃発砲の悲劇が毎年起こっている。つい最近も立て続けに乱射事件が起こったばかりだった。国内でも暴力団員による人違いの犠牲になった事件や、幼い子どもがライフル銃で誤射があり命を落とすという痛ましい事件があった。今朝の新聞でも大きく取り上げられているが、馬込政義容疑者には事件を起こす動機があり、単なる通り魔的犯行ではなく用意周到に練り上げられた計画殺人である事が濃厚となっている。どんな恨みを抱いていたか容疑者が自殺している以上、その真相を突き止めるのは困難であろう。この事件に至るまでの数年間に馬込容疑者の異様な行動が前兆として現れていた。この間警察は全く関知せず野放し状態であったこと。市民の不安を解決するのも警察の仕事であるのに、事件が起きてからでないと行動しない警察は全く当てにならない。銃の所持に対する現行の5段階審査に不備がないのか、或いは許可が下りた後の状況チェックなどを厳しくするなどして、強化を図るべきである。最初から人を殺す目的で銃所持の申請をする人間はいないと思いたいが、人の心の奥底に潜む闇まで見通せるものではない。趣味で狩りやクレー射撃などを楽しんでいるまでは良いが、人は常に同じ精神状態でいられるものではないし、性格も環境によって変わってくるものである。許可を出した後のフォローをする機関があって然るべきだと思われる。民間人に銃口が向いた瞬間、その行為はテロと同様である。同じ悲劇を二度と起こさない為にも早急に対策を取る必要がある。日本には米軍基地も多く点在しており、合法以外にも金をだせば銃の一つや二つ誰でも簡単に手に入れられる環境にあることを忘れないで欲しい。
2007.12.18
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病気を治すのは、医者でもなく薬でもない。貴方自身が病気と正面から立ち向かうことである。薬や医者はその手助けをしてくれるものだと言うことを忘れてはいけない。薬で今最も売れているのが「抗うつ剤」である。うつ病が現代病と呼ばれるほど身近な病気になった背景には、複雑化する人間関係や利益重視の企業体制など環境が悪化する中で、多くのストレスを抱え込み、その一方でストレス発散が出来ず、理解されない苦しみの渦に巻き込まれ行く人たちが増え続けている社会問題が根底にある。先日、向精神薬「リタリン」の乱用が目立ち、危険水準を越えてしまった事に対する処置として、処方できる医師を専門医などに限定し登録制にする流通管理策を発表した。これに対し、今までリタリンに頼って来た患者たちが困惑しているとう。それも当たり前な話で、リタリンの効果で病状が回復してきた人たちにとってみれば、リタリンは神様と同じだろう。しかし、どんな優れた薬にも副作用という産物があることを忘れてはいけない。リタリンが手放せないという状態はもしかすると薬依存症とも読み取れる。画像はわたしが毎日飲んでいる薬たちだが、循環器系が5種類、抗うつ剤が2種類、向精神薬が2種類、睡眠剤が1種類となっている。これだけ多くの薬を毎日服用しているとどの薬がどんな副作用をもたらしているか判断出来ない。だからあまり深く考え込まないようにしている。即効性のある薬はワーファリン(抗凝結剤)ラシックス(利尿剤)マイスリー(睡眠剤)とこの3種類だけ。後の薬たちがどのように効しているのか、全く分からないが、それでも医者が処方した物を指示に従って服用しているだけである。薬そのものは毒物。身体によい影響を与えることは先ずない。毒を持って毒を制する。これが医学の根底に今でも根強く残っている。病気を治す理想的な形は自然治癒。しかし現代人は文化の発展に伴い免疫力や抵抗力を犠牲にしてきた。だから薬を発明し、より多くの優れた薬が次々と開発されていく。儲かるのは製薬会社だけだろう。さて、タイトルにもなっている「プロザック」この名前を聞いたことがある人は多いだろう。しかし日本人で服用した人となれば限られてくる。日本では承認されていないので、公的に手に入れることは出来ない。Eli Lilly社が1988年にアメリカで発売して以来、爆発的人気を呼び、世界中で二千万人以上の人々が使用してきたと言われる。飲んだ次の日に効果が現れ、気分爽快、元気溌剌。世界が自分を中心に動いているという至福の時間にたっぷりと浸れるという。夢の抗うつ剤として知れわたり、健康な人までもが使用するまでに至った。しかしその薬の正体は恐ろしい副作用にあった。うつ状態がよくなった訳ではなく、薬の作用で躁状態に転換しただけのこと。個人差はあるものの、余りにも激しい吐き気やめまいに襲われ、薬を止めてもその影響は長い時間にわたり続くのである。故ダイアナ妃の事故は運転手がプロザックの愛用者で、事故当日も異様な躁状態にあったこと。そして自分がいかにもF1レースのドライバーになったつもりで、車をハイスピードで飛ばし過ぎ、その結果悲惨な事故を起こしてしまったのである。うつ状態は内側に向かって攻撃的になるが、躁状態はまったくその逆で、外に向かって攻撃的になってしまう。だから人とのトラブルも絶えない。このように、脳に刺激を与える薬ほど慎重に選び服用しなければならないが、自分の判断で薬の量を減らしみたり、増やして見る場合は医者が合意した時だけに限られる。出来れば薬とは一生縁のない生活を送りたいものだが、わたしのように慢性的な病を抱えてしまうと薬が手放させなくなってしまうが、あくまでも自分が治すのであって、それを薬に頼るような気持ちだけは避けたいと思っている。
2007.12.16
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夕暮れ近くうす青色の霞みかかった空に白い月が浮かぶコンパスで描いたような円をくっきり際立たせている遥か昔地球の一部だった月兎を一匹連れて行き地球を優しく見詰めている白く輝く月
2007.12.14
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認知症の女性の命を一匹の老犬が救った。このニュースは7日の夕方NHKテレビで知ったのだが、この時点では犬の詳細は知らされておらず、ひたちなか市の公園で無事保護された時、犬はいつの間にか姿を消してしまったからだ。野良犬か飼い犬なのか判断がつかず、どうせなら犬も一緒に保護すればよかったという声も聞かれた。その数日後、このニュース知った女性が名乗り出て犬は飼い主の下へと無事に戻った。一体どんな犬なのか気になっていたが、ネットで犬の姿を確認出来た。優しさに満ち、実に賢こそうな犬だったのでおそらく飼い主の女性が思いやりのある素敵な人なのだろうと想像出来た。嫌悪感を抱くようなニュースばかりが目立つ中で、このような心が温まるニュースは珍しい。その主人公が犬ということ。しかも見知らぬ女性を助けたという信じ難い話。これにはどうも神秘的な要素が含まれているような気がしてならない。介護犬や救助犬の活躍を耳にすることはあっても、彼等は訓練された特殊な犬である。今回の犬はありふれた飼い犬であり、特に際立った特長もなかった。行方不明になった認知症の女性は73歳と多少高齢であり、当日の茨城県は真冬の寒気に覆われ、夜は氷点下に近い気温にまで下がった。公園の中で一人吐く息も白く凍り付き、寒さに身体中を震えさせながら助けが来るのを待っていたのだろうか。深夜の闇の中に突然姿を現した犬に対し、普通なら恐怖感を抱くであろう。犬か女性かどちらが先に寄り添ったは知らないが、犬が湯たんぽ代わりになり女性の命を救ったといいう事実に変わりはない。もしこの老犬が現れなかったとしたら女性は凍死していたことは誰もが想像出来るだろう。世の中には人知の及ばないところで時に奇跡に近いことが起こるもの。これもその奇跡のひとつかも知れない。神様が一匹の老犬に乗り移り、女性を救ったのかも知れない。救われた彼女にとって認知症と言うこともあり、今回の出来事を覚えていないかも知れないが、一足早いサンタクロースのプレゼントと言えるだろう。そしてこの老犬「ウシ」がわたしたち人間にまさしく「命」の尊さを教えてくれたのだろう。ありがとう「ウシ」。優しさを本当にありがとう。
2007.12.12
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先日、ローソンのおでんが賞味期限切れというニュースを知ったばかりだったので、ついに吉野家まで飛び火したのかと思いきや、こちらは少々事情が違っていた。人気動画サイトの代表と言えば「You Tube」「ニコニコ動画」。一度は開いて見たことがあるのではないだろうか。問題になっているのは皆さんもうご存知のはずで、アルバイト店員の悪ふざけから始まった超大盛り豚丼(テラ丼)のこと。この映像を見た人たちから多くの苦情が相次ぎ、食材を遊び道具に使うとは何事かと視聴者の怒りを買ってしまった訳である。ライバル会社に対抗意識を持ち、メニューにはないものを軽い気持ちで作り上げ、不特定多数の人が見るインターネット動画を利用する。確かに宣伝としては大いに役立つネットではあるが、吉野家という大きなブランドを背負っている以上例えアルバイト店員の起こした騒動とは言え、社内の徹底管理が出来ていなかったというこれも不祥事のひとつである。受け狙いが目的であるなら、ある程度ユーモアのセンスを持たないと見る側に受け入れて貰えない。空気を読むという言葉がよく使われているが、今年ほど食品関連がクローズアップされたのも珍しい。内容が全て情けない結果なので、消費者は食べ物に関して神経を針先のように尖らせている。「頂きます」「ご馳走様」と素直に言えない人たちが増え、食がなおざりにされている現代。食とは何かをもう一度考え直すよい機会かもしれない。「頂きます」は命を頂く意味。そして「ご馳走様」は作ってくれた人に感謝する意味。この二つを絶対に忘れてはいけない。
2007.12.09
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芸能人や著名人には死しても尚、プライバシーがないのかと思わせるようなニュースだった。故松田優作の長女と二男が夕食のおかずについて翔太さんと口論になり、都内の病院に搬送されていた記事。このニュースを見て久しぶりに松田優作を思い出したのだが、芸能人に関わることなら何でも報道してしまうマスコミに多少疑問を持った。だが、わたし自身がこれを切っ掛けにブログで取り上げるので、モラルのないマスコミと同じ穴の狢だなと少し反省をしている。松田優作の姿をスクリーンで最後に見たのは1989年公開の「ブラック・レイン」当時彼は癌に侵されていたが、病を封じ込めるほどの熱演で、主演のマイケル・ダグラスが霞んで見えるほどだった。初めて彼を見たのもスクリーンで1973年に公開された「狼の紋章」だった。当時わたしは17歳。遊び盛りで土曜の夜などは友人たちと朝まで意味のない会話を楽しんでいた。オールナイトで見た映画が志垣太郎主演の「狼の紋章」だった。それまでは松田優作の存在は知らなかったが、その映画で白い学生服に日本刀を持って現れた彼の姿が異様に眼に焼きついた。その後彼は、刑事ドラマ『太陽にほえろ!』で人気を獲得。ジーパンと言う愛称で呼ばれるようになり、マカロニこと萩原健一とも共演している。わたしにとってこの二人はやがて忘れられない存在として影響を受けるに至った。ドラマ『探偵物語』は余りにも有名であり、アクションスターとして出発した彼の持ち味はその後様々なドラマや映画で発揮されることになる。森田芳光監督の「家族ゲーム」では一風変わった家庭教師役を見せ、俳優としての幅の広さを見せ付けた。この映画は曰く付きで、霊が映りこんでいるとして話題になったほどである。角川シリーズの映画には欠かせない俳優となり代表作「蘇る金狼」は大ヒットした。本人も極真空手2段の腕前を持つ武術家でもある。「母さん、僕のあの帽子どうしたでしょうね ええ、夏、碓氷峠から霧積へ行くみちで渓谷へ落としたあの麦藁帽ですよ...」西条八十の詩が劇中で語られ、ジョー山中の切ないボーカルがより一層場面を引き立てる「人間の証明」。松田優作が残した遺作が今鮮烈に脳裏に蘇って来るが、彼はもういない。
2007.12.04
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わたしたち消費者に最も愛され、そして子どもから大人までが利用するマクドナルド。ミスタードーナツもその代表であるが、このように身近な存在であるファーストフード店から偽装が発覚したことは実に残念で仕方ない。この一年多くの食品関連の偽装や改ざん問題が明るみに出て、消費者はうんざりしている。もう無いだろうと思った矢先に、売れ残ったサラダの調理日時の偽装。これだけ世間を騒がせた騒動が何の教訓にもなっていない。見た目に問題がなければ売れ残った商品は翌日に回すと言う節操のない人間が多すぎる。今は夏と違い確かに腐るような事はないだろう。自宅の冷蔵庫を探せば賞味期限切れのハムや牛乳も見つかることもある。それを口にするか捨てるかは個人の責任だから特に追及することもないが、お客様に売るものについては全く別次元の問題である。ここまで偽装が日常化してしまうと、消費者の不信は拭うことが出来なくなる。どんな商品や食品を見ても疑いの眼で売り場の店員に尋ねなければ不安で仕方ない状況に陥るかも知れない。偽装に関しては過去に散々書き尽くしてきたので、今更書く事がなくなってきた。信用を得ることは誠実さと長い間積み重ねた努力と真心が実って出来上がるもの。それが一瞬にして消えるのは、人間の道徳心が欠如し善悪の判断すら出来なくなった末期状態とも言えるだろう。教訓は活かしてこそ実になり花が咲く。信頼という希望の花をいつになったら咲かすことが出来るのだろうか。
2007.12.01
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