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当時勤めていた会社が原宿と渋谷の丁度間くらいにあったので、クリスマスシーズンはよく表参道を散歩しながらイルミネーションを楽しみました。 私の一番思い入れのあるイルミネーションです。。。 表参道イルミネーション
2008年12月24日
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山下達郎~クリスマス・イブ稲垣潤一 ~クリスマスキャロルの頃には 坂本龍一~戦場のメリークリスマス 竹内まりや~THE CHRISTMAS SONG竹内まりや~今夜はHearty Party竹内まりや~クリスマスは一緒に 辛島美登里~サイレント・イヴ松任谷由実~恋人がサンタクロース岡村孝子 クリスマスの夜Wham ~Last ChristmasMariah Carey~All I Want For Christmas Is You Bing Crosby ~White Christmas
2008年12月23日
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当時のラジオ番組の音源です。 彼女の歌声もいいですが、話し声も何とも言えませんね~。
2008年12月21日
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昨日、EPOのヴォイスヒーリングライブ(アンプラグド)に行ってきました。会場は、東京オペラシティの中にある、近江楽堂という小ホールです。 EPOのマイクを通さない生歌声に癒されました。 ライブも半ばを過ぎた頃、EPOさんから何と爆弾発言が まだHPの方では公式発表してないので、書いていいものかどうか迷ったんですが、でも公の場で発表しているので、EPOさんいいですよね? 「私、結婚しました。。。」 お相手は、カウンセリングルームで一緒に仕事をされている宮川さんという方です。先日、プライベートライブの件で私が一人で勝手に盛り上がった時、何度かメールのやり取りをさせて頂いた方です。会場でも少しお話しをさせて頂きました。 私は、宮川さんはEPOさんの公私共のパートナーだと思っていたので、それ程驚きませんでした。。。 そりゃ~ファンとしては寂しい気持ちもありますが、でもEPOさんが幸せになるんだったら心から祝福しますよ。 EPOさん、御結婚おめでとうございます末永く、お幸せに
2008年12月21日
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八神純子の幻の名盤といわれている「Mellow Cafe」というアルバム(廃盤)があるんですが、御覧のようにAmazonでは4980円という高値がついています。 オークションでも、大体いつも3000円以上で出品されており、何度か入札したんですが未だに落札できません。 日本では活動していない今でも熱狂的なファンがたくさんいます。 作曲家の故宮川泰氏は、「繊細で大胆、感覚的で理論的、作曲家としての必須の条件を全部持つ素晴らしきミュージシャンである。」と、最大級の賛辞を送っています。 あのユーミンも、ラジオ番組(ユーミンの声が若い!)で共演した時に、賛辞を送っています。 旦那の松任谷正隆氏も八神純子のファンで、アルバム「夢見る頃を過ぎても」では、アレンジとピアノで参加しています。 「Mellow Cafe」
2008年12月18日
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ユーミンネタが続きます。。。ユーミンが結婚して、松任谷由実になってから出した初めてのアルバムです。松任谷由実名義のアルバムの中では、一番思い入れがあるアルバムです。学生の頃、年上の渡辺真知子似の彼女とつきあっていた頃によく聴いていたので、当時の事がフラッシュバックするというのもあるんですが、フォルクローレやボサノバ、サンバ調のいわゆるラテンぽい曲が多く、ブラジリアンテイストの曲が好きな私好みのアルバムです。ユーミンのアルバムの中ではかなり地味な部類に入ると思うんですが、ユーミンらしくない?シックでしっとりと落ち着いた感じが好きです。 紅雀(試聴)九月には帰らない残されたもの
2008年12月17日
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<あらすじ>貧しい家で育ったOL、ゆき子はふとしたことから大企業の御曹司、高木と知り合う。あまりの立場の違いにためらうゆき子だったが、頭は悪いが情に厚い妹思いの兄、菊雄の応援で恋を実らせようとする。一方、反抗心から家出していた高木の妹、瞳も菊雄・ゆき子の兄妹を知り、生き方を変えていこうとする。二組の兄妹と二組のカップル、その行方を描くラブストーリー。 ドラマ「夏子の酒」と、このドラマで和久井映見のファンになりました。岸谷五朗(兄役)と和久井映見(妹役)のやり取りが、夫婦漫才みたいで笑えます。日向敏文の音楽も、良いです!ラフマニノフの曲(交響曲第2番第3楽章)も効果的に使われてます。それにしても。。。携帯。。。デカ。。。 全編観られます。
2008年12月17日
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彼女のアルバムはそんなに持っているわけではないんですが、中でも好きなのが「Ensemble」です。 ユーミンや竹内まりやに比べると確かに地味かも知れませんが、独特の神秘的な魅力があるアーティストです。 一見、強面?なルックスとは対照的な癒し系の声の持ち主ですね。。。 映画「東京日和」の音楽も担当しており、これもなかなか良いですね。 大貫妙子~「横顔」
2008年12月17日
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ある夜、彼は夢を見た。それは主とともに海岸を歩いている夢だった。その時彼の人生が走馬灯のように空を横切った。その場面場面で彼は砂浜に二組の足跡があることに気がついた。ひとつは主のもの、そしてもうひとつは自分のものであった。そして最後のシーンが現れた時、彼は砂浜の足跡を振り返って見た。すると彼が歩んできた今までの道の多くの時に、たったひとつの足跡しかないことに気がついた。そしてそれはまた彼の人生で最も困難で悲しみに打ちひしがれているときのものであることに気づかされた。彼はこのことでひどく悩み、主に尋ねた。「主よ、かつて私があなたに従うと決心した時、あなたはどんな時も私とともに歩んでくださると約束されたではありませんか。でも私の人生で最も苦しかった時、ひとつの足跡しかありません。私が最もあなたを必要としていた時、どうしてあなたは私を置き去りにされたのですか?私には理解できません。」主は答えられた。「私の高価で尊い子よ、私はあなたを愛している。決して見捨てたりはしない。あなたが試練や苦しみの中にあった時、たった一組しか足跡がなかったのは私があなたを背負い、歩いていたからです。」
2008年12月16日
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竹内まりやのベスト盤です。 買おうと思って買いそびれていたんですが、このPVを見てさっき衝動買いをしちゃいました。 普通アルバムの中には、外れというわけではないんですが、あまり自分の好みじゃない曲が1~2曲入ってるものなんですが、彼女の場合それがほとんど無いんですね。 竹内まりや「エクスプレッションズ」PV7曲竹内まりや「エクスプレッションズ」PV8曲全曲試聴
2008年12月16日
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久々に、ユーミンを聴きました。 何だかんだ言っても、ユーミンは私が高校生の時にニューミュージック系の音楽を聴くきっかけになったアーティストで、アルバムも結構持ってるんですが、最近はとんと御無沙汰でした。。。 でも改めて聴くと、やはり良い曲が多いですね。 5cmの向こう岸よそゆき顔で夕闇をひとり埠頭を渡る風DESTINY 晩 夏さざ波 ハルジョオンヒメジョオン青いエアメイル シンデレラ・エクスプレス
2008年12月15日
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クリスマス特別コンサート「メサイア」公演に行ってきました。主催は、荻窪栄光教会です。行ったのは、今回で2回目です。今日、ギリギリで整理券を貰ったのに、会場の真ん中の真ん中というとても良い席に座る事ができました。普段の心掛けが良いからかな?以前はちょくちょくこういったクラシックコンサートに行ったんですが、かなり久々でした。やはり生の音は良いですね!先日、「第五福音書」の記事をアップし、キリストに思いを馳せていた時期だったので、いつになく感動しました。 「ハレルヤ」コーラス
2008年12月14日
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ブログ仲間の小径さんが、ヒトカラデビューされたそうです。 私のこの記事がきっかけだったみたいですね。 私もここ最近は、一週間に一回は行ってます。 皆さんも是非、ヒトカラデビューして下さいね~。
2008年12月14日
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今日は休みの予定だったんですが、アポがあったので雨の中カッパを着てバイクでお客さんの所に行きました。 チャイムを何度か押してるのに出てくる気配がない。。。 えっ?留守?。。。こっちは風邪をひいてるのに、わざわざ雨の中(往復2時間、しかも寒い)バイクで来てるのに、 バカヤロ~~~!フザケルナ~~~! 都合が悪くなったんなら電話ぐらいしろ~~~!
2008年12月14日
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普段はあまり漫画は読まないんですが、唯一コミックを全巻揃えた漫画です。このビデオを見て、「九字の印」を練習しました。今でも結べますよ。 映画版
2008年12月11日
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『キリストという地上存在は人間の表象能力を超える最も深い苦しみから生まれました。 ・・・・・・・・・・・・・途中略・・・・・・・・・・・・ヨハネによるヨルダン川での洗礼を通して地上に下り、三年の間肉体の中に生き、ゴルゴダの丘で死を体験した霊はヨルダン川でのヨハネによる洗礼以前は地上とは全く異なった世界に生きていたということをはっきりと把握しなければなりません。この霊が地上とは全く異なった状態の中に生きていたというのは何を意味するのでしょうか?人智学的に言えば、この霊は地上的な業(カルマ)をもっていないということを意味しています。キリストという霊が地上で人生を送ってきたナザレのイエスの体の中に三年間、魂の中に地上的なカルマを持つことなく生きたのです。このことによってキリストが地上で持った経験と体験は人間の魂が持つ経験とは全く異なった意味を獲得しました。苦しみ、様々の経験をすると、苦しみの根拠はカルマの中に存することがわかります。けれどもキリストという霊にとってはそうではありませんでした。キリストは三年間、カルマを負うことなく地上での経験を積みました。キリストの苦しみとは一体なんだったのでしょう。カルマ的な意味のない苦しみ、実際、いはれのない苦しみ、無実の苦しみです。 ・・・・・・・・・・・・・途中略・・・・・・・・・・・・キリスト存在は徐々にナザレのイエスの体に似てゆき、自らを圧縮して地上的な状況へと入り込み、それと共に神的な力は消え去ってゆきます。これら全てをキリスト存在はナザレのイエスの体に類似してゆき、ある点で下降的進化を遂げることで成就してゆきます。キリスト存在はナザレのイエスの体に類似してゆくことによっていかに神の力がますます失われてゆくかを感じなければなりませんでした。キリストは神から人へとなってゆくのです。自分の体が消え去ってゆくのを見て非常に苦痛を感じるように、キリスト存在はエーテル実体としてナザレのイエスの肉体に似てゆくことによって神的実質が消えてゆくのを見、遂には人間のように不安を感じることができるまでになりました。他の福音書にも記されていますが、ナザレのイエスの体の中にいるキリスト存在は弟子たちと共にオリーブ山から下るとき、額に不安のあまり汗をかきます。キリストはますます人間になってゆき、ナザレのイエスの体に似てゆきます。エーテル的キリスト存在がナザレの体に似てゆく分だけ、キリストは人間になってゆくのです。そして、神的霊力は消え去ってゆきます。ヨルダン川に於けるヨハネによる洗礼のすぐ後、神的な力によって病人を癒し、魔を追い出した時からキリスト存在の受難の道は始まります。 ・・・・・・・・・・・・・・途中略・・・・・・・・・・・・・キリスト存在はナザレのイエスの病み疲れた体に似てゆき、もはやピラト、ヘロデ、カヤパの問いに答えられなくなる程ナザレの体に似てゆきました。ナザレのイエスの体はますます虚弱に病み疲れてゆきました。 ・・・・・・・・・・・・・・途中略・・・・・・・・・・・・・ヨルダン川での洗礼からこの無力に至るまでの受難の道をキリストは歩んだのです。かつてキリスト存在の超地上的な霊力に驚嘆した多くの人々はもはやキリストを賛美せず、人間になって十字架に懸けられた無力な神を嘲弄して、「おまえが神なら、十字架から下りてみろ。おまえは他の人々を救った。今度は自分を救ってみろ。」と叫びます。神的な力の充満から無力へと至るのが神の受難の道です。人間となった神は人類の苦悩を負って果てしない苦痛の道を歩みました。この苦痛の甘受が聖霊降臨の日に使徒たちに下った霊を生み出したのです。この苦痛から全てを支配する宇宙的な愛が生まれ出ました。このすべてを支配する宇宙的な愛はヨルダン川での洗礼によって地球外の天界から地球界へと下り、人間に、人間の体に類似してゆき、人間には決して考えることができない程の苦痛を体験し、最高の神的無力を通過することによって、人類の発展の中でキリスト衝動として認識される衝動が生み出されたのです。将来理解されるに違いないキリスト衝動の意味全てを深く理解し、人類の未来の文化の発展のために必要とされるものを理解するためにこのことを把握しなければなりません。』 ※キリスト秘教では、イエスがヨルダン川で洗礼を受けた時にキリスト存在がイエスに受肉したと捉えています。
2008年12月11日
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ゴルゴダの秘儀とはかつては少数の秘儀参入者が密儀の神殿で、三日半の仮死状態において、人間の心魂と精神が霊的な世界に属していることを確信した。それと同じ経過が民衆の目の前で演じられた。民衆の前で行われた秘儀参入がゴルゴダの秘儀である。十字架の意味この秘儀参入は、その時周りにいた者達のためだけではなく、全人類のために行われたものであった。十字架上の死から流れ出るものが、全人類のなかに流れ込んだ。ゴルゴダの丘のキリスト・イエスの傷口から流れ出る血を通して、霊的な生命が全人類の中に流れ込んだ。血とは地球進化がはじまったときに、人間の自我が物質化したのが血である。血液は、人間自我の外的な表現である。キリストが出現しなかったら、人間は自我をますます強め、エゴイズムを発展させていた。この出来事によって、人間はエゴイズムに深く陥ることをまぬがれた。自我の余剰物質である血液が、流れでなければならなかった。そのとき流れ出た血は、エゴイズムの余剰として人間の本性のなかで犠牲にされねばならないもののしるしであった。無限の愛がやってきて、この血が流されなかったら、人間はエゴイズムに陥っていたはずである。余剰の血が、ゴルゴダの丘で流された。無限の愛が、ゴルゴダの丘で流された血に混じっている。無限の愛がやってきてエゴイズムを駆逐した。ルカが知覚したもの流れ出る愛、地上で最も恐ろしいことをした者をも許す愛を知覚した。十字架から響いてくる三つの言葉の意味(1)「父よ、彼らをお許し下さい。彼らは何をしているか知らないのです。」(ルカ福音書23章34節)ゴルゴダの丘で十字架にかけられた者が、その無限の愛から、自分を十字架にかけた者たちのために許しを乞うた。(2)「きょう、おまえはわたしと一緒に天国のなかにあるもののなかにいるだろう」(ルカ福音書23章43節)感覚界であらゆる犯罪を犯した人間が、法廷で裁かれたとしよう。しかし、その人は自分の中に芽生えた信仰の力を守ったとしよう。そうすると彼は、信仰の力を芽生えさせることのできなかった犯罪者とは区別される。ひとりは信仰をもたず裁きが下される。もう一人は、かすかな光のように信仰をもつとする。その光は霊的世界に現れ、霊的世界との関係を失うことがない。(3)「父よ汝の手に私の精神を委ねます。」(ルカ福音書23章46節)精神として、私(キリスト)の中に生きるものが次第に物質的な地球存在を変容させていくように、地球での進化が行われなければならない。即ち、私達の手が、私達によってではなく、父原理によって創造されたように、この手は、キリスト原理に浸透されるのである。そして、人間は輪廻転生を重ねていき、身体の行為の中に、ゴルゴダの秘儀から父原理のなかに注がれる霊が流れ込み、外界はキリスト原理に浸透される。「私の中に信仰を芽生えさせ、私の中に愛を芽生えさせる。そうすれば、信仰と愛が私の中に生きる。そして、私は信仰と愛が外なるもの全てを貫くことを知る。そして、私の中で父原理が信仰と愛に浸透されることも、私は知る。」という理想を手本として生きる。人類の未来についての希望が、信仰と愛に加わり、人間は未来に向けて、平静さを自分のものとする。「信仰と愛をもっているなら、キリスト・イエスから私に注がれたものが次第に外に流れていくという希望を、私は持っても良い」と平静に思うことにより、この十字架の言葉の真意をつかむことができる。まとめルカ福音書を精神科学を通して理解することによって、次のような印象的な言葉が流れてくる。「善意に生きる人々の魂に、平和があるように。」愛と平和は高みから地上に流れてくるものの最も美しい反射像である。啓示は霊的な世界から地上に注がれ、人間がキリスト原理を本当に人間の中心、人間の自我から流れ出る善意として発展させる分だけ、その啓示は人間の心から、愛と平和として反射する。高みから霊的世界の啓示と、その人間の反射像が、地上の進化の経過のなかで、本当に善意を発展させようとしている人々に平和をもたらす。
2008年12月11日
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当時の「日本たばこ」のCMで流れていた、セミクラシック的な音楽が好きでした。 古澤巌この曲が入っているアルバム天野清継中川昌三
2008年12月10日
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先日の日記で紹介した、江藤有希(ヴァイオリン)が参加しているユニット、「LEMBRANCA」のセカンドアルバムです。 こちらも「Antique」 同様、ヴァイオリンの音色が心地良く聴きやすいアルバムです。 レンブラ祭ライブ映像試聴
2008年12月10日
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バイクで道路を走ってて、左折をしようとしたら白バイ警官がいました。 警官 「あなた、一時停止しなかったでしょ?」私 「いや、しましたよ。」 前と同じパターンで止められました。今日、走ってた道も普段は通らない道です。私は確かに止まったんですが、一時停止線で止まらなかったと警官は言うわけです。向こうは反則切符を切るつもりでいます。でも今回切符を切られたら免停になります。最初のうちは、止まった止まらないの押し問答が続きました。 私 「実は今年一回免停になってるんですよ。今回も免停になったら仕事が出来なくなるんですよ。何とか今回は見逃して下さいよ。」 警官が頑なな態度を取るので、ついこちらも感情的になりました。 私 「でもこういうのって、普通、指導警告で済むことでしょう!何でもかんでも切符を切ればいいってもんじゃないでしょ!」 そういうやり取りが20分位続いたでしょうか?最後は結局向こうが折れました。実は、3ヶ月程前にも警官とこういうやり取りがあって、最終的には警官が折れました。皆さん、素直に切符にサインをすると損ですよ。こっちが納得がいかない時はちゃんと主張した方がいいです。大体、何でもかんでも切符を切るというのはおかしいんです。大抵の違反は、指導警告で済むんですから。。。(特にお勧めはしませんが、今回切符を切られると免停になるんですと泣き落としをすると、見逃してくれる可能性が高いです) 交通違反対応事例&よくある質問集(重要語句解説)
2008年12月10日
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今朝、フジテレビの「とくダネ!」で、MISIAがアフリカを訪問した時の様子が紹介されていました。MISIAは、普段テレビ媒体にはほとんど出ないので、知らない人もいるかも知れませんが、ドラマ「やまとなでしこ」(今、再放送やってますね)の主題歌を歌ってる歌手です。私もアルバムを何枚かと、ライブビデオを一本持っていますが、私が知る限りでは若手では最も歌唱力のある歌手だと思います。現在、「チャイルド・アフリカ」というサイトを立ち上げて活動しています。MISIAのトークイベントの様子はこちらで見られます。彼女のような影響力のあるアーティストが、こういった活動をするのは、とても有意義で素晴らしい事だと思います。
2008年12月09日
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私がCM関係の仕事をしていた時によく使ってました。CMのキャスティングが主な仕事だったので、必須アイテムでした。各家庭に一冊あると便利ですよ~。・・・・・って、何に使うんだ?そう言えば、当時勤めていた会社から借りて返してなかったのがどっかにあるな。。。 日本タレント名鑑
2008年12月08日
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先日のEPOのライブ、「AQUA NOME 」のメンバーでもある笹子重治(ギター)と江藤有希(ヴァイオリン)+黒川紗恵子(クラリネット)によるユニット「Ko-ko-ya」のファーストアルバムです。ギターとヴァイオリンとクラリネットという編成がありそうで無いですよね。私はジャズヴァイオリン( ステファン・グラッペリや寺井尚子など)が好きなので、このアルバムもとても気に入りました。アンティックでノスタルジックな感じが良く出ていると思います。 ko-ko-ya / コーコーヤ動画
2008年12月08日
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当時の歌番組で、八神純子はよく久米宏や井上順にいじめられてましたね。 本人の前に体重計なんか持って来て、こんな事今やったら立派なセクハラだよね~。 久米宏は当時、八神純子に言いたい放題だったな~。 私は彼女より年下ですが、何となく守ってあげたくなるキャラでしたね~。
2008年12月07日
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今後、ライブに行こうと思っているピアニストです。街角で見かけたことがあるんですが、綺麗な人でした。ドラマの音楽も多く手がけ、とてもハートフルで叙情的な曲が多く、彼女のピアノを聴くと暖かな優しい気持ちになります。癒されたい方にはお勧めですよ。 明日のためにあなたに最高のしあわせを明日を信じて お勧めアルバムBest Of Best: 20 SongsSuper BestMoon
2008年12月06日
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この写真は、江藤有希さん(バイオリニスト)のブログより拝借しました。(私は写真中央の前から五番目にいます・・・・暗くて見えませんね) EPOのAQUA NOME ライブ、行ってきました。9月のライブは、80年代のポップ中心だったのに対し、今回のライブは、アコースティック・ヒーリング系(精神世界的)のライブでした。EPOがポップ路線から方向転換したアルバム「WICA」辺りから聴いた人は、それ程抵抗なくス~ッと入れると思いますが、私のようにリアルタイムでポップ路線の洗礼を受け、当時の音楽に思い入れがある人間にとっては、ちょっとしたカルチャーショック体験でした。私はどちらかと言うとサウンド志向なので、歌詞は添え物的にしか捉えていない所があるんですが、AQUA NOME ライブで歌われた楽曲の歌詞は、決して添え物的なものではなく、それはまぎれもなくEPOの魂の叫びそのものでした。彼女は、ライブ中に何度か泣きながら歌ってました。。。きっと、AQUA NOME ライブは彼女のリハビリでもあるんでしょう。。。彼女が今まで人生の中で通過してきた心情路程、人生観、精神世界を理解できて初めて共感できるライブだと思います。ポップ路線(メジャー路線)から今の音楽に路線変更をしてから離れてしまったファンの人達も少なくないと思うんですが、今もこうしてEPOのファンを継続し、今のEPOの音楽に共鳴できる人たちは、ある意味選ばれた人達なんでしょうね。9月のライブとはまた違ったバイブレーションに包まれたライブでした。。。 DVD「わたしについて」より
2008年12月04日
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私のもう一人の歌姫、八神純子がFM番組で渡辺真知子の「ブルー」を歌った貴重な音源を見つけました。八神純子版「ブルー」八神純子おまけ こちらは、渡辺真知子が八神純子の「思いでは美しすぎて」を歌っています。渡辺真知子版「思いでは美しすぎて」 渡辺真知子は、私が学生の頃付き合っていた彼女(美容師で三歳年上)に似ていて(もちろん今の渡辺真知子じゃなく当時の渡辺真知子)、←これを見ると当時の事を思い出して何だか切なくなります。勝手に言ってろ~ あっ、そうそう、八神純子も8年前に「スイートベイジル STB139」(9月にEPOのライブを観に行った所)でライブやってたんですね。ん~~~、彼女のライブはもう観れないだろな。。。その「スイートベイジル STB139」に、明日(正確には今日)、いよいよ待ちに待ったEPOの「AQUA NOME ライブ」を観に行きま~す。
2008年12月03日
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人生の意味や目的を問うことは理論理性の能力の及ぶところではない、と主張したのは 近代ヨーロッパの理性そのものでした。それ以来200年間、「この世に生を受ける」ということの意味を「科学」の名の下に考えることはほとんどなくなってしまいました。科学はもっぱらこの世の現実に仕えることに終始し、哲学はそのような科学の方法論として生きのびようとしているかのように見えます。この世の現実そのものの意味を問うことは、むしろ文学の課題になってしまいました。そして今、大学生たちがアカデミズムに対する闘争をあきらめたあとを受けて、もっと幼い子どもたちが自殺と暴力行為を通して社会に精一杯の抗議をしているのに、大人たちがそれに対する本質的な対応の仕方を見いだせない教育の現状を見るにつけて、この200年間の付けがまわってきたと思わずにはいられません。 新たな地平模索 これまでにも、ディルタイ派のいわゆる「精神科学」がこのような課題にこたえるものとして登場し、わが国でも大いに歓迎されたことがありました。感情移入、了解、構造分析、歴史科学としての精神科学などの概念を使って、教育学、美学、歴史学、心理学などの分野で、この立場から多くの優れた業績が出されましたが、どこか論旨が常識的になりがちで、たとえていえば、設計家に向かって、設計の本質は良い家を建てることにある、と力説しているようなところがしばしばありました。戦後の思想的状況の中で一時もてはやされた実存主義や存在論も、存在することの切実さを思考の対象にすることには成功しましたが、それも悪くたとえていえば、冬山で遭難している人に向かって、寒さの体験の切実さを説いているようなところがありました。 そうした状況の中で、ここ10年間、20世紀前半に現れた三つの方向にそって、科学が新たに生きることの意味を問いはじめているような気がいたします。その三つの方向はいずれも、近代社会が見失ってしまったイマジネーションの力を甦らせて、近代人の意識のために新たな地平を開こうとする点で共通しています。(1)エリアーデ、ケレニイらの文化人類学 (2) C・G・ユングの深層心理学 (3)ルドルフ・シュタイナーの人智学 この三つの方向は現在のところまだいずれも、多少なりとも異端の科学ですが、その中でもいわばもっとも異端度の高いのが第三の人智学です。 神智学を再構築 人智学は1902年ころからオーストリアの思想家ルドルフ・シュタイナー(1961~1925年)によって創始された新しい人間論の立場を言います。彼はこの立場を19世紀のロシアが生んだ最大の神秘思想家へレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー夫人(1831~1891年)から受け継ぎました。ブラヴァツキー夫人はよく知られているように、今日でも世界各地に存在する神智学運動の創始者です。そして、これはあまり知られていない近代ヨーロッパ精神史の一側面ですが、この運動、特にブラヴァツキー夫人の人格的影響は非常に多方面に及び、20世紀におけるキリスト教神学のひとつの頂点を示しているといわれるロシア正教の、特にドストエフスキー、ソロヴィヨフ、ベルジャーエフに代表される神学、モンドリアン、カンディンスキー、スクリヤビン、シェーンベルクらの前衛芸術にも深刻な影響を与えただけではなく、ヒンズー教や仏教から日本の教派神道にいたるまで、東洋の宗教思想にもその影響は及んでおります。 ルドルフ・シュタイナーはこの神智学の伝統--それは新プラトン主義、錬金術、カバラから近代の浪漫主義的自然哲学までを含みます--を20世紀の思想的状況の中で新たに復興させようとした稀有なる人物です。 そのために彼はカントの認識批判に耐えうる思想として、神智学を「人智学」として再構築しました。その際彼はゲーテの中に人間と自然とに対する新しい認識の萌芽が見いだせることを指摘しました。それを (1)有機的形式の研究(形態学)、(2)直観の論理、という二点に集約することができると思いますが、この二点をシュタイナーは生涯をかけて追求し、現代文化のあらゆる側面に適用して見せてくれました。1970年以降、特にここ数年、わが国でもにわかに注目されるようになった彼の業績--教育家、建築家、バイオ・ダイナミック自然農法の創始者、類似療法(ホメオパシー)医学者、治療教育学者、オイリュトミーという新しい運動芸術の創始者等々としてシュタイナーの業績はすべて、このゲーテ的認識態度の発展であるといえます。 ルドルフ・シュタイナーの生涯を顧みると、40歳までと40歳からとでは、まるっきり異なっていることに気がつきます。彼は意図して自分の人生をそのように形成していったようです。前半生はウィーン、ワイマール、ベルリンで、ゲーテ学者、エドゥアルト・フォン・ハルトマンに近い認識論哲学者、文芸批評家として働き、ドレフュス事件で反ユダヤ主義に対する論陣を張ったり、ニーチェやヘッケルの最初の理解者として数多くの論文を著したりしました。それは、彼が幼少のころから体験していたいわゆる超感覚的知覚と科学的認識批判の立場とをどう結びつけるかという後半生の課題のための準備期間であったということもできると思います。 弾圧・無視超え このようにして彼は後半生の25年間を、正に超人的な努力を重ねながら、人智学的文化運動にささげました。この彼の働きはただちに多くの同時代人(たとえばアルバート・シュヴァイツァー)の関心をよび起こしましたが、ナチスの時代に弾圧され、戦後は合理主義的な風潮の中で無視されて、70年代にいたったのです。 しかし今日、真剣に生きようとする人たち、しかも予感的な衝動から新しい生き方を求める人に彼がどれ程大きな影響を与えうるかは、たとえば1976年度のノーベル文学賞を受けたソール・ベローの『フンボルトの贈り物』がよく示しています。この小説の主人公は、あらゆる現代の文化現象を通過する中で、人智学的認識を通して、次第にその人生を変革させていきますが、その過程が重厚なタッチで実に生き生きと描かれております。 1981年6月19日付 朝日新聞夕刊より 高 橋 巖
2008年12月02日
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何だか最近ハマっちゃってますね。。。 今日は、山下達郎以外に、原田真二の「てぃーんずぶるーす」や森田健作の「さらば涙と言おう」なんか歌っちゃいました。 4時間ぶっ通しで歌ったので、のどが少しガラガラです。 「一人カラオケ、行きたいけどちょっと。。。」と思っているあなた、一回思い切って行っちゃえばどうってことないですよ。
2008年12月01日
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