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大母様は、絶対善霊に”非常事態”を宣布し、ヘリを風呂敷に包んで守ったと言われます。 えっマジ話しが大風呂敷を広げてるだけじゃないの 絶対死守の歩みは、イエス様を犠牲にしたごとく、TPを犠牲にし、同死同生しての最初の天の願いであり、「日本は今回、絶対勝利しなければならない。」とおっしゃられています。 イエス様と一緒にしないでもらいたいな・・・・・・。 目標ができなければ、「8月とんでもないことが起こる。」とも言われています。 またまた脅しですか? 不信のゆえTPが難しい道を行かれました。 おっと、やはりそうきましたか?今回の事故は、やはり信者の不信仰が原因だというわけですね? 女性が先頭に立ち、死力を尽くしなさいとも言われます。 日本のエバさんは大変ですね。死ぬまでこき使われて、ボロ雑巾のように捨てられるだけですよ。クワバラ、クワバラ・・・・・。
2008年07月31日
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事故後、初めて訓読会で語られたみ言が”同死同生”でした。TPと共に全人類が一緒に死に一緒に生きて新しく復活したので、新しく出発しなければなりません。本来7月15日までに勝利すべき内容を今日31日まで延長しましたが、まだできていません。よって8月6日までさらに延長になりました。以下の通り日本全体が「絶対死守の歩み」の取り組みを行いますので、よろしくお願いします。 絶対死守の歩み 期間:7月31日(木)~8月6日(水) 条件物:各家庭50Kを勝利 新しいヘリコプターを購入するのに、各家庭50Kの献金要請が来てます絶対死守だそうですよ~。献金地獄はまだまだ続きますね。
2008年07月31日
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「楽しかったのなら、やめるわけがないでしょう?あほか?天理教のことを言っているのではないですよ。統一教会にきて天理教を実践していたあなたの行動に対して理解に苦しむのです。1!2!3!ダ~ッ!なんてやっていたんでしょう?やっぱあなたは精神病ですね、お大事に。」 SAKAさん、人をあほとか精神病とか言うのはあまり関心しませんね?それが愛の人格者を目指している統一教会員の言う言葉でしょうか?
2008年07月31日
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「現在でもカントやショーペンハウアーの影響を受けた哲学が、全宇宙は人間の表象にすぎない、人間は眼がなければ、どんな光も知覚しない、眼がなければ、われわれの周囲は闇でしかない、と論じています。確かにそれは真実なのですが、しかし大切なのは、それが真実であることではなく、真実が常に真実の一側面にすぎない、と考えることです。真実を完全なものにするためには、別の真実を付け加えなければなりません。そうでないと、私たちは真実を抱えて、 誤謬の中に突き進んでいくことになりかねません。そもそも、間違ったことを主張するときの間違いは、最悪の間違いではありません。そのときには、世間が頭を正しい位置に直してくれます。しかし一面的な真理を絶対的な真理だと思い、 正しいことをどんな場合にも正しいと思うときの間違いは、誤謬によってではな く、真理によって間違えるのですから、もっと深刻です。 ・・・・・・・・途中略・・・・・・・・・真理を問題にする場合には、いつでも、それを一方の側からだけでなく、別の側からも見なければなりません。大抵の哲学者が誤謬に陥るのは、間違ったことを言うからではなく、一面だけから見た真理を語るからなのです。その場合、真理を語っているので、簡単には論破できないのです。」
2008年07月30日
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TPは病院でも3時間、5時間の訓読会をされ、世界摂理を進めておられます。特に日本に対しては沈明玉会長を呼ばれて、「必ず今月までに日本全体が100%果たさなければならない深い意味があるので、至誠を尽くして勝利するように。40日特別摂理を勝利しなければ大きな問題が起きる。私が神様と約束したので、あなたたちが責任を全うしなければ、私が神様との約束を守ることができない。一日も早く日本に帰って勝利しなさい」と語られました。 「大きな問題が起きる」って、何が起きるんだろ?勝手に神様を持ち出して勝手な事を言ってるけど、神様からしたら大きな迷惑だよな~。相変わらず、文教祖は日本に対して脅迫めいた事を言ってるよな~。
2008年07月29日
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ルドルフ・シュタイナーはこう言っています。「健全な思考力、判断力を育成するために我々に必要なのは真理感覚だ。」 一般人である私たちには情報のすべてを掌握して、真実の全貌を洞察することは許されません。だから、ものごとの真相を知ったと言い切ることはなかなか出来ません。しかし、自分に許された情報を吟味して、この話はうさんくさいと感じる感覚はあるはずだし、またそうした感覚を育成すべきなのです。そうした背景から「真理感覚」という言い回しをシュタイナーはしているのです。 シュタイナーはまた次のように戒めています。「半真理を真理と受け取ってはならない」。多くの制限を加えて初めて部分的に真実といえること、あるいは特定の角度から見たときにのみ真実であることを、あたかも「全面的な真実」と思うこと、これは私たちの魂に少しずつ毒を盛っていきます。「半分本当のこと」のたちの悪いのは、私たちがそれに対する留保を忘れてしまい、無批判になりがちだということです。 佐藤公俊(シュタイナー研究家) ※序論、創造原理、堕落論、復活論、と少しずつ毒が盛られていき、再臨論の頃には毒が完全に回って冷静な判断が出来なくなり、『アボジ、マンセー』となります。
2008年07月28日
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キャメロン・ディアスが出ている、ソフトバンクモバイルのCMで、洋楽(懐メロ)が効果的に使われてますね。 http://jp.youtube.com/watch?v=eSX2sYLrpE4&NR=1(CM1)http://jp.youtube.com/watch?v=gZc0QRwwT7Y&feature=related(元歌~オリビア・ニュートン・ジョン) http://jp.youtube.com/watch?v=vriAB1Tslho&feature=related(CM2)http://jp.youtube.com/watch?v=9PvE2cpUkx8&feature=related(元歌~バリー・マニロー) http://jp.youtube.com/watch?v=nCS4CfWtWyI&feature=related(CM3)http://jp.youtube.com/watch?v=yXL9AkXzlt8&feature=related(元歌~スイングアウトシスター) http://jp.youtube.com/watch?v=as8M8POpzu8&feature=related(CM4)http://jp.youtube.com/watch?v=ezMbFbwr7Lk&feature=related(元歌~シーナ・イーストン)
2008年07月27日
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「お前馬鹿じゃねえの?元信者さんよ。途中で挫折したんじゃねえの。今のお前の人間関係もどうせ本音の付き合いが出来ていねんだろうな~。最低~最低~もう二度と俺のブログ尋ねなんでくれよ。拒否します。」 あらら・・・・・・。現役さんが、統一教会のイメージダウンに貢献してますね? http://plaza.rakuten.co.jp/suwako/
2008年07月26日
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文中より抜粋 『この神秘的使命を追求することは、直接的な人間的健全性を配慮することに勝る。目的が手段を正当化するのである。組織の外部者に対しては、うそ、偽り、あるいは何を言ってもかまわない。外部者との交渉は自分たちの益になる限りは良いとされる。統一教会とかハレ・クリシャナは、自らの嘘を"天的虚偽"とか"超越的欺き"と呼んでいる。メンバーはそのようなうそをつくことを正当化するほどにその教義を信じ込まされている。メンバーはカルトの活動に深く関わってしまう。そのため自分のライフスタイルについて思い巡らすための時間も精力もないのである。』 『覚えて下さい:カルト的であるグループがすべて宗教的というわけではない。要求が高いグループは商業的かもしれないし、政治的かもしれないし、心理学的かもしれない。注意して下さい。特にあなたが聡明で、知的で、理想主義者である場合には。このような組織にもっとも囚われ易い人は「自分は絶対に大丈夫、決して自分はそうならない。私はこれらのことをよく知っている」と主張する人なのである。』 http://www.kingdomfellowship.com/Treatises/CULT_METHODS.pdf#search='
2008年07月23日
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「AERA」最新号に、『キリスト教会の「カルト化」』という記事が載っています。単立教会(プロテスタント)で起きたいくつかの事件が取り上げられています。http://www.aera-net.jp/summary/080718_000113.php 以下、記事より引用 【教会の門を初めてくぐるとき、聖書の存在は知っていても、中身についての知識を持たない人は少なくない。今回取材した十数人の「被害者」たちも、そうした人がほとんどだった。彼らにとっては、最初の牧師の口から語られる教えが真理となりがちだ。牧師は他の教会関係者との交流を禁じ、読書を制限するなどし、信者を極度の視野狭窄に陥らせる。教会関連の仕事を次々と命じ、考える時間を与えない場合も多い。信者は、牧師に批判的な考えをもつことは不信仰だと考え、理不尽なことが身に降りかかっても、非は自分にあると思う。信仰が足りないという牧師の言葉を素直に受け入れ、牧師への忠誠を一層強めていく。】 【「破壊的カルト」の特徴~●集団の中にいないと不幸や危険が生じるという恐怖感や、自分の力ではどうすることもできないという無力感をメンバーに与え、指導者への依存や忠誠を高める。●「自己否定せよ」「自分を神に捧げよ」と指示し、さもないと「救われない」「幸せになれない」と説く。「宗教は本来、心を解放するものなのに、こうしろ、あれはいけないと、逆に縛りつける。解放するように見せかけながら縛っていくのが、カルトの本質だ」~静岡県立大学准教授 西田公昭】これってまるっきり、統一教会のことですよね? 【カルトと呼ばれるオウム真理教や世界基督教統一神霊協会(統一教会)に比べると、これらの教会の社会的な影響は小さくみえる。】あらら・・・・オウム真理教と並んでカルトと言われちゃってますね? 【「まず、牧師の言うことであってもむやみに従わず、自分の頭で考え、納得したうえで信仰をもつこと。また、医療のセカンドオピニオンと同様、いろいろな教会を比較し、一番しっくり行くところを選ぶのも賢明だ。そうした行動を不信仰と呼ぶ牧師がいたら、その教会はやめたほうがいい」~北海道大学大学院教授 櫻井義秀】 現役のみなさん、牧師という言葉をメシア(アベル)に変えて読んでみて下さいね~。 ※宗教ミーハーさん、御協力ありがとうございました。m(_ _)m
2008年07月23日
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「2008年7月15日、都内のホテルに日本統一教会の元老食口、先輩家庭、現場責任者など約1200名が参集して、「日本宣教50周年記念大会」が、盛大に開催されました。 宗教界、政界、学界からの来賓に加え、韓国統一教会からは、50年前、日本に命懸けの開拓伝道に来られた西川勝先生(韓国名は崔奉春)、第2代韓国統一教会会長の金榮輝先生ご夫妻をお迎えしました。」 えっ?西川先生って、脱会したんじゃないの?また、戻ったのかな? http://www.uc-japan.org/news.aspx?id=435
2008年07月22日
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夕食時の会話。。。。 家内 「お父様が死んだんだって・・・・。」私 「えっ?マジ?教会からFAX来たの?」家内 「ウソ・・・・・。」私 「何じゃそりゃ!人を喜ばしてんじゃないよ!」
2008年07月22日
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TBSの「ザ・ベストテン」という歌番組で、久米宏はよく歌手に対してセクハラ発言をしていました。 特に、八神純子に対しては・・・・・・。 http://hwopt.gate01.com/cliford/pechapai.htmlhttp://hwopt.gate01.com/cliford/nahoko.html当時、郷ひろみ(右端)と一緒に映画を観に行ってたそうです。
2008年07月22日
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〈質問〉MKさん 現在、某宗教団体に入信しているのですが、家族や友人の関係もあり辞められずにいます、おまけに辞めると罰が当たるとか、生命は永遠で地獄に堕ちるとか言われると悩んでしまいます。こうした宗教団体についてどう思われますか?<回答>まず、辞めると罰が当たる、不幸が起こるという宗教団体を脱会したら、どうなるだろうか? しばらく過ごしていれば、不運と思えるようなことがやがて訪れるだろう。それは小さな不運かもしれないし、大きな不運かもしれないが、とにかく訪れることは間違いない。なぜなら、宗教団体を辞めようと辞めまいと、そんなことには関係なく、誰だって、幸運だけの人生などというものはないからだ。いつか必ず、よくないことは起こる。 にもかかわらず、宗教団体は待ってましたとばかり、「ほら見なさい。罰が当たったのですよ」というだろう。おまけに、それを見せしめにして、他の信者を辞めないように利用するかもしれない。 本人も、罰が当たったと思うかもしれない。誰だって不吉なことをいわれれば気になるものだ。普段なら気にしないような、ちょっとした不運でも、「罰が当たったのかもしれない」とビクビクして、そのように解釈してしまう。また、そのような恐怖心をもっていれば、類は友を呼ぶといわれるように、わざわざ不運を自らに呼び寄せるようなことになる。これは罰が当たったのではなく、心の状態がそうさせてしまうのだ。ビクビクしながら仕事をしたり生活をしていて、うまくいくはずがない。当然、"不運"が訪れてきても不思議ではない。 すなわち、脱会後の、その団体がどのような言動をとるかは、最初からわかっているのである。たとえ脱会者に幸運が訪れてもそれには目を背け、ひたすら不運が訪れるのを待ち続けて、不運が訪れたときに「それ見たことか」というわけだ。 ところで、そういうこととは別に、本当に「罰があたる」などということが、あるのだろうか? 「罰」とは、何なのだろう? それは、神や仏が人間を懲らしめるために行う災難や不運なのだろうか? それとも、自分の行いが悪いことに由来する、いわゆる因果応報の結果のことをいっているのだろうか? たとえば、まだ病気が治っていないのに、入院している病院から抜け出してしまったら、どうなるだろうか? おそらく、病気が悪化するだろう。それが「罰」だとするなら、それは自業自得ということになる。 もし、その宗教団体が非常にすばらしい教えを説いていて、それによって人格高潔となり、悪いことをしない人間であり続けたとして、もしその宗教団体を辞めたら人格が低下して悪いことをするようになってしまうのだとしたら、上記の病院のたとえのように、その宗教団体を辞めたら(自業自得という意味において)「罰が当たる」という可能性があるといえるかもしれない。 だが、宗教団体を辞めたら低下してしまう程度の人格というのは、真の人格であるとはいえない。「病院を出たら病気になりますよ、入院している限りあなたは健康で幸福です」という病院と同じである。つまり、その宗教団体は、真の人格を形成しているのではなく、何らかの依存性や、偽の人格を真の人格のごとく見せるごまかしが横行しているのではないかと推測がつく。つまり、この団体にいても、真の人格性というものは育ちにくい。このような場所にいることは、むしろ逆に不運の種を形成してしまう可能性が高いとさえいえるわけだ。 一方、神や仏が、人間を正しい道に戻すために、罰を与えるということは、あるのだろうか? これについては何ともいえない。子供が悪いことや危険なことをしようとすれば、親は愛情から厳しい対処をすることもあるだろう。神仏は、私たちを幸せにしようと願っている、いわば人間にとって親のような存在であろうから、そのためには「罰を当てる」ということも、あるいはあるのかもしれない。人間を正しい道に戻すためには。 では、その宗教団体に入信し続けることは、「正しい道」なのだろうか? 質問者のさしている宗教団体は、自分以外の教えはすべて邪教であり、地獄に墜ちるといっているので有名な団体である。つまり、この宗教団体以外の宗教を信じている人は、「正しい道」ではないということになる。だとすると、これ以外の宗教信者はすべて罰が当たっていることになる。だとすると、明らかに統計的にも経験的にも、この宗教団体の信者は幸福で、それ以外の人はすべて不幸であると気づくはずだが、そんなこともない。それとも、死後に地獄へ墜ちるから、現世ではわからないのだというかもしれない。しかし、それは当人がそういっているだけであって、要するにひとりよがりな見解であり、何ら実証されるものでもない。 ところで、「辞めれば罰が当たる」という、脅しともとれる言葉は、その団体の信者からすれば、「このすばらしい教えを捨ててしまうのは残念だ。だから、あくまでもその人のために、罰が当たるという脅し文句を使っても、教えを信じさせる必要があるのだ」と思っているかもしれない。いわば、ある種の「真心」「思いやり」で、そういう言葉を言っているのかもしれない。おそらく、そういう純真な動機で「辞めたら罰が当たる」と言っている人もいるのだろう。少なくても自分ではそのように思って、強引に脱会を阻止したり、布教したりしている人は多いはずである。 しかしながら、この種の団体では、「人を入信させればさせるほど、仏様の功徳(恩恵)が得られるのだ」と説かれている。もし、そういう動機で布教しているならば、本質的には単なる物欲につき動かされていることになる。 さらに下世話な動機となると、入信させた数が多い人ほど、その団体内部での地位があがる、というシステムになっていることが多い。そういう動機で布教しているならば、単なる名誉欲につき動かされていることになる。 このような動機で動かされているのであれば、それが神仏の心にかなった「正しい道」であるとは思えない。 さらに、信者を多くする理由としてあげられるのは、社会的な権力を大きくするという目的もある。権力はそれが正しい目的で用いられればいい結果を生む可能性もあるだろうが、この団体は土台が「自分の教え以外は邪教だ」という教義であるから、いい結果が出るはずもない。こうした団体に金銭や労力を貢ぐことは、日本を北朝鮮のような国にするために加担しているようなものではないかと思う。結局、財力や権力を増やしていい思いをするのは、幹部クラスの上層部の人間だけである。末端の信者たちは、仏法を広めるといった大義名分で洗脳され、奴隷のように利用されるだけの存在となる。 また、信者を多く集めれば集めるほど、自分たちが信じている教えにリアリティが出てくる、ということもある。3、4人だけが信じているだけでは、自分の教えは真実なのかどうか自信がもてない。しかし、何千人、何万人が信じていれば、この教えは本物だという確信が出てくる。逆にいえば、「自分の教えは本物ではないかもしれない」という恐怖心や不安をぬぐいさることができる。 理由はどうであれ、「罰が当たる」とか「地獄へ墜ちる」といった文句で人を脅し、恐怖心を煽って動かそうとするのは、もうそれだけで犯罪行為であり、それだけで宗教たる資格はないと私は思っている。「俺のもとから去ったらひどい目にあうぞ」と脅して女性を自分のもとにとどめておこうととする最低の男と何ら変わらない。 罰が当たるなどということもない。私の父もむかし、この団体から「入信しないと不幸になる」としつこく言われて入信し、いざ辞めようとすると「辞めると不幸になる、早死にする」とさんざん脅かされた。結局、辞めたが、特に不幸といったこともなく、今は70歳を過ぎて元気にしている。 仮に百歩ゆずって、その団体を辞めたら罰が当たるとしても、人に恐怖を与えるような団体に加担するようなまねは、たとえ罰が当たるとしても拒絶するという潔い勇気をもつという意気込みがあってもいいと思う。たくさんの人が信じているからその教えは正しいということはまったくない。ヒトラーのナチス政権は、ある種の宗教団体であったといえなくもないが、あの当時は国民すべてがナチスに賛同していたのである。しかし、結果はあのようであった。一番危ないのは、たくさんの人が信じているから真実だという、「長い物には巻かれよ」という意識、権威への盲信、特に日本人にありがちな、そういう態度なのだ。 ただ、退会に際して難しいのは、家族がその宗教団体の熱心な信者であった場合だ。 当然、そうなると家庭内がごたごたするのは避けられない。宗教のためにもっとも大切な家庭が台無しになることほど宗教のあり方に反し、また不幸なことはないと思うが、そういう場合、この宗教団体は「それは法難である。家族を正しい道に戻さなければならない」などといって正当化するであろう。その結果、家庭が崩壊しても知らんぷりで、「信仰が足りなかったからそうなったんだ」といわれておしまいであろう。 一番いいのは、説得して家族も脱会させてしまうことであるが、一度宗教に首をつっこんでしまった人を改心させるのは容易なことではない。仕方なく、家族の和を大切にするために、表面上は入信して適当に信じているフリをする、ということも、場合によっては必要な手段として考えた方がいいのかもしれない。ある意味で、その家族も被害者であることを考慮すれば、そのために家庭というもっとも幸せを感じられる場所が地獄になってしまうことは、非常に悲しいことだ。それゆえ、自らの信念を殺して家庭の和を優先させるとしても、それが家族への愛を動機としたある種の犠牲精神によるものであるという理由から、それもまた高潔な「正しい道」であるといえるのかもしれない。 あるいは、たとえ家庭が崩壊しようとも、自らの信念の自由を徹底的に貫くという道も、それはそれで「正しい道」であるといえる。案外、「雨降って地固まる」といったこともないともいえない。 いずれにしろ、自分の心にやましさを感じない選択をするべきであると思う。 *回答に対する質問者からの感想長年悩んでいた心の問題が、あっさり解決してしまいました。まさにその通りだな~って人間関係もあり、すぐに辞めたりは出来ませんが、心は晴れ晴れしました。今まで宗教に全て依存していてたため自分自身で人間性を磨くことをすっかり忘れていました、これからは宗教に依存することなく自分の足で一歩一歩、人間性を磨いていこうと思います。全て自己責任でいくってすごい自由で、世界が広がった感じです。本当にありがとうございました。 斉 藤 啓 一(精神世界著作家)
2008年07月20日
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先日のヘリコプター事故について、某現役さんがこのようなコメントをされていました。「私は、こうした事が起こるというのは霊的、摂理的に観たら絶対何か食口(特に日本の)の人達の信仰と無関係じゃないと思っています。今回、このような事が起きた事は私達食口が悔い改めなければならない点があるのだとは思います。」 平均的な日本の信者は、多分今回の件でこのように思ってるんでしょうね。統一教会が、日本に執拗に献金要請をするのもわかるような気がします。日本の信者は早くこういった思考パターンから解放されない限りは、執拗な献金要請から解放されることはないでしょう。クワバラ、クワバラ・・・・・・。 http://jp.youtube.com/watch?v=ZTcLm7ToxPI
2008年07月20日
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心理学者のフロイトは、宗教とは「神経症の産物だ」と述べたが、狂信的な信者の様子を見ていると、彼の説にはうなずけるものがある。もちろん、宗教の本質が神経症の産物であるわけではないが、狂信的な信者に関しては、ほとんど神経症的な動機に支配されているとしか思えない。 神経症とは、ある固定化した観念に振り回されてしまう心理的トラブルである。たとえば、何回も手を洗わなければ気がすまない「不潔恐怖症」だとか、人前で赤面するのではないかといった「赤面恐怖症」などがよく見られる。ある一定の儀式的な行動をしなければ眠れないという人、いざセックスをしようとすると性機能が発揮できない性神経症というのもある。これらは「眠れないのではないか」「セックスがうまくできないのではないか」という不安が大きな原因のひとつといわれている。 同じように、狂信的な人が、熱狂的に「自分の信じる宗教だけが正しい」と叫ぶのも、その裏には「自分の宗教が正しくなかったらどうしよう」という懐疑と不安が潜んでいるように思われる。そうした不安をぬぐい去るために、声を大きくして叫び、不安をごまかそうとしているのではないか? やたらに信者を増やすことに熱中している教団なども、同じような動機に基づいているのではないのかと思う。自分の宗教を信じる者が多ければ多いほど、その宗教が「本物」らしく思えてくるからである。 また、過剰に厳しい苦行や禁欲などを実行している人ある組織に所属し、その組織の教えを堅く守り、多額の布施や奉仕を捧げ、祈りの際には、どのような方式で祈るのか、その細かい段取りを厳密に実行しなければいられない人なども、「これをしなければ救われないのだ」という恐怖心が根底になっていると考えられる。あるいは「こんなにも厳しい行ができるのだぞ」といった自己優越感を満たそうとしているか、そのいずれかであろう。さもなければ、未開な民族にしばしば見られるように、伝統や因習や周囲の雰囲気などに飲まれて、何も考えずに、ただ理由もなく狂信的になっているかである。 神経症がそうであるように、狂信も、結局その中核には「自我」がある。ひらたくいえば、「利己的な目的」で支配されている。表面的には、自分を犠牲にして、宗教や教団や教祖に尽くしているように見えても、本質的な動機は、利己的であり、常に「自我中心的」な視点から抜け出していない。彼らは、自分を守るために宗教を手段として利用しているにすぎない。あるいは、自分の信じる教団を大きくすることを通して、「自分を大きく」しようとしているのである。教祖を崇拝しているつもりで、実は自分自身を崇拝している。 こうした行為の根底には恐怖があり、その恐怖ゆえの自己防衛と、その自己防衛のための攻撃性が存在している。狂信的な教団が、頑なに伝統や形式を保守し、また、神経過敏ともいえるほどの防衛的な懐疑心や攻撃性を発揮するのも、そのためであると考えられる。 このように、狂信は、基本的に恐怖、あるいは支配欲や自己優越欲といったものが土台になっている。後者の支配欲や自己優越欲といったものも、それは「自分を守ろう」とする欲求、換言すれば恐怖からの逃避を動機としていると考えられるので、これも結局は恐怖を土台としているということになる。そして、なぜ恐怖を感じるのかといえば、「自分」を守ろうとするからであろう。 要するに「自分(エゴ)」があるということなのだ。エゴと恐怖とは表裏一体である。これが狂信の正体ではないのだろうか。狂信とは、恐怖に駆られたエゴの産物であるように思われる。 ならば、敬虔さとは、いったいどのようなことをいうのだろうか? 敬虔な人は、まず何よりも、利己的な視点をもっていない。「我意」にとらわれていない。自分というものを忘れている。エゴがないから、守るべきものもなく、そのための攻撃性もない。声高に「自分だけが正しいのだ」と叫んだりしない。敬虔は、恐怖を土台としていない。つまり、エゴを土台としていない。 敬虔な人にとって、自分の信じる宗教だとか、その教団だとか、教義などといったことは、おそらくは二の次である。彼らには、それらが自分の「所有物」であるという感覚はない。その宗教なり教団なり教祖を、自己の安全やアイデンティティを確立するための「手段」にしていない。 たとえ、いかに崇高に感じられる宗教的な事柄であっても、「自分のために」行う行為は、決して敬虔ではない。「自分を見せよう」とする動機で行われた行為は、決して敬虔にはなり得ない。自己を宣伝する行為には、敬虔のかけらもない。他者のための犠牲というわけでもなく、ただ自らの肉体を苦しませるだけの苦行は、単なる自己満足であって、決して敬虔ではない。 敬虔な人たちは、表面的な教義を越えた本質的な教え、つまり、真の宗教の本質を体得した生き方をしている。彼らは聖典なり経典の「字面」を読むのではなく、「行間」を読んでいる。彼らにとって、宗教は「服」のようなものに過ぎない。偉大なのは「服」ではなく、それを着る「人間」なのだと知っている。教義を口にすることではなく、「生きること」が、宗教の本質であると理解している。 すなわち、敬虔とは、自分のためではなく、神のために生きること、神のために生きるとは、人のために生きることであるということが、理屈ではなく、行動として現前されていることだ。 敬虔な人は、だから生き生きしており、形式ばった規律や組織制度にとらわれたりしない。彼らは外からではなく、内から教えを感得している。そのため、そこには自由と柔軟性がある。 しかし、狂信的な人たちは、体感的に神の理念を把握する次元にまで意識を拡大することができない。固定化した枠組みの中をくるくると回っているだけだからである。狂信的な人は、ギラギラしてはいても、生き生きしていない。まるで決まりきった方向にしか曲げられない関節をもった機械のように、どんなに馬力があり、熱を帯びていても、柔らかさというものがない。狂信的な人はどことなく傲慢さを感じるが(エゴからきているために)、敬虔な人は自然の謙虚さを備えている。いかに小さなことに対しても、感謝の念を忘れない。誠実で、穏和である。敬虔な人は、どこまでも神や真理に対して素直である。だから、争いや対立をもたらすことはない。 敬虔さとは、こうしたあらゆる美徳の総称ではないのだろうか? 斉 藤 啓 一(精神世界著作家)
2008年07月18日
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「自己奉仕者達は、自分達のゴールを達成するためには、手段を選ばないのです。「何でも根こそぎ利用する」のが彼らの信条なのです。その結果、疑うことを知らない多くの善意の人々が、それと気づかない間に自己奉仕者グループによって利用されました。自己奉仕者のグループのリーダー達は、自分たちの利益のために操ることができる、だまされやすい人々をおびき寄せる方法を取っています。疑うことを知らないこうした人々は、自分たちが欺かれたなどとは決して気づかないのです。・・・・・・・・・・・・・・途中略・・・・・・・・・・・・彼らはカルトのリーダーで、ダークアートやサタニズムで人気を集めています。彼らは世界のジム・ジョーンズ(カルト教団人民寺院の教祖)であり、レバレンド・ムーン(統一教会教祖)です。彼らの正体を見抜くのは簡単です。彼らはカリスマ的、知的、革新的、因習にとらわれず、リーダーシップとコミュニケーションに長けています。彼らは、素朴で理想を持った若者や、無防備な人々を欺くのに必要なものを、全て備えているのです。」 ※この本には、テオドールという宇宙存在からチャネリングを通じて伝えられた内容が書かれてあります。テオドールはこの本でカルトについて語っており、驚くことにそのカルトの代表としてジム・ジョーンズとレバレント・ムーンを挙げています。つまり、レバレント・ムーンは宇宙存在のお墨付きのカルトリーダーなんですねレバレンド・ムーンさん、その知名度?を生かして宇宙統一でもしますか
2008年07月18日
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「キリストとは何かを、ヨハネ福音書の立場からいえば、キリストとはロゴスのことです。ところが、そのロゴスは、実は一人ひとりの人間の中で言葉として存在しているのですから、そもそも音声を発して言葉を互いにやりとりするとき、実はその中にキリストが生きているのです。しかし現在の私たちは、言葉でそういうキリストの生命を共有している、とはまったく考えていません。言葉は一種のヴェールのように、魂を覆い隠す手立てにさえなっています。政治家の言ってることを聞いていると、ひたすら本音を隠すために言葉が使われている、としか思えません。ヨハネは、今はそんな言葉になってしまっているが、本来は言葉の中にキリストが生きている、ということを言いたいのです。ですから、「初めに言葉があった」のです。現代人が言葉を粗末にするに応じて、キリストもしくは神が人間から離れていくのです。従って、ヨハネ福音書の思想は、人間が言葉との関係を取り戻すための思想です。・・・・・・・・・・・・・・・・・途中略・・・・・・・・・・・・・・・・シュタイナーが「キリスト衝動」と呼んでいるのも、それに関係があることで、本当の言葉の意味を自分の中に生かすことは、キリストの衝動を生かすことになる、という教えです。シュタイナーは、この問題を、二十世紀の宗教の本来の問題として提示したのです。オウム真理教の問題も、このことの関連で考えてみたいのですが、オウム真理教は、ある意味では、悪の問題と霊性の問題とがどんなに不可分な関係にあるのかを、痛ましいほどに示してくれました。オウム真理教にとって、言葉がどんなに無意味なものだったかは、どんな嘘でも平気でつけたことの中によく現われています。徹底的に嘘をつき通したわけです。例えば、「われわれ仏教徒にとって、一番基本的な教えは、五戒であり、その中に、不殺生、不妄語が入っているから、人を殺したり、嘘をついたりできるはずがない」と主張したのです。そのように、あまりにも信じられないくらい徹底して嘘をついたので、他のほとんどの人が、学者や評論家を含めて、判断を間違えてしまいました。こんなに見事に嘘がつけるはずはない、と思ったのです。ですから、坂本さんの事件のいきさつをたどってみても、嘘があまりにも見事だったので、警察の司法関係者も、その嘘に引きずり廻されたのが、初めの頃の段階でした。言い換えると、言葉という宇宙叡智を徹底的に否定し、冒涜したわけです。そういう宗教が、現代において有力な力をもち、魅力をもっていたということも、大変ことです。言葉に対する絶対的な信頼、絶対的な畏敬の念がないままに、宗教生活が成り立っていること、それが現代のもっとも危険な精神状況を示しているのではないでしょうか。」 高橋巌(シュタイナー研究家) ※統一教会は、神の摂理を進めるためなら「嘘も方便」で様々な嘘をついてきました。つまり、言葉(キリスト)という叡智を徹底的に否定し、冒涜しているわけです。そのような宗教に、果たして神は働いているのでしょうか?
2008年07月18日
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「宗教商法みたいなものも、あとをたたない。そんな煩悩に取り憑かれないように、宗教法人は「杖も袋もパンも金も持ってはならない。下着も2枚は持ってはならない」(ルカ福音書)ことにしてあげたらどうだろう。「財おほければ必ず其の志を失ふ」(正法眼蔵随聞記)だ。個々人の自由な精神生活がなによりも大事であって、それを束縛するような教団なら、有害無益である。現在は、ぼくたちひとりひとりが天使界、神界との関係を築いていくべきであって、狂言的な集団に自分を埋没させてしまうのは禍だ。どんな種類の団体でも、自負心満々で自分の主張を押し通したい人、権勢を張りたい人は悪魔的な力に取り憑かれる。明るく温かいグループであるためには、謙虚さと寛容さがとことん必要だ。宗教というのは、信仰によって人が神と結びつくことだといわれている。別の説では、良心的に誠実におこなうことだという。人として良心的に誠実なおこないをしていれば、もうそれで神と結びついているはずだ、とぼくは思う。神との結びつきばかりを希求して、誠実なおこないを軽んじていると、悪魔的なものと結びつくことになってしまうかもしれない。イエス・キリストは<新しい掟>として、「たがいに愛し合いなさい」と、いっている。「神を信じなさい」は古い掟だ。ぼくたち人間どうしが愛情をもって誠実につきあうとき、神的ー天使的な存在はぼくたちとともにいる。とくに神や天使のことを考えなくても、人としての誠を尽くそうとしているところに、神や天使はいるのだ。ほんとうに人を愛するとき、ぼくたちは自分のことではなく、相手のことを大事に考えている。そんなふうに愛するとき、ぼくたちの魂は神的な輝きを発しているという。「神は愛である」というんだから、自分が愛を発するという神的なありようをしていると、そこにはおのずと天使もいるはずだ。光を求めることよりも、自分が光を発するようにしていればいいのだ。」 西川隆範(シュタイナー研究家)
2008年07月17日
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「文鮮明がいまの私にわかっているような詐欺師であると認めることは、緩慢な、そしてつらいプロセスだった。それができたのは、それを認めても、最終的には神に対する私の信仰が揺るがされることはなかったからである。文鮮明は私を失望させ、人を信じやすい理想主義的な信者たちすべてを失望させたように、神をも失望させた。だが神は私を失望させなかった。孤独と絶望の中で、見知らぬ国の奇妙な家の中で、ひざまずき、救いを求めて祈っていた十代の私、その私が顔を向けたのは神に対してだった。夫から性的な快楽のためのおもちゃとして、あるいはその乱暴な怒りのはけ口として扱われた、大人になりきっていない女、その私を癒してくれたのは神だけだった。」 洪蘭淑 http://jp.youtube.com/watch?v=L0nm0mABf2o&feature=related『わが父 文鮮明の正体 』 日本語版 (統一教会教祖の家庭の真実)http://www.geocities.jp/mikotobakenkyu/kousatu206.htm(因みに統一教会では、この本に対してこのような捻じ曲がった解釈をしています。ハイハイ、深い意味があるんでしょ?)
2008年07月15日
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「それから私は真実を知ることとなった。父親はこの頃の私について、薄紙が剥がれてゆくように、と表現したが、私としてはまさにかさぶたがベリベリと剥がれていくような気分であった。私は原理講論で使われている聖句を、聖書を通してじっくり読んでみた。そして、統一原理が引用している聖句がいかにねじまげられて使われているかを理解し、統一教会の教理がどれほどずさんで、でたらめであるかを検証したのである。そしてその上で、統一教会自らが出版した膨大な量のパンフレットや書籍などを較べた結果、その中にある数多くの矛盾や嘘を、はっきりとこの目で確かめたのだ。」 飯星景子 「何もかもがメッチャクチャだった。あまりにも、あまりにもいい加減な聖書の引用、ねじ曲げ。文鮮明師の美談も、統一原理のルーツも、真っ赤な嘘だった。それが、反対派の資料だけだったら、信じられるものではない。しかし、統一教会が出している資料によって嘘が明確になるのだから、話にならない。そして統一教会の表の顔と、裏の様々な顔、顔、顔。「いったい私は何を信じてきたというのだろう。神を証できる喜びを味わいながら、生きてきたというのに、サタンの手先となって働いてしまったのか」布団の中で、泣きながら考え続けた。」 山崎浩子
2008年07月14日
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「他人を崇拝する傾向を持った人は、限りなく依存性を求め、自分の意志や思考をまったく見失ってしまうことになる。高次の認識の代わりに、憐れむべき内容空虚と無気力の生活がこのような人物の運命となる。あるいはまたその圧倒的な感情が敬虔さと宗教的高揚に傾きがちな性質の人は、彼を盲信的な宗教的熱狂に追いやる。」
2008年07月13日
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「外の世界であなたがたを支配する者たちは、一番高い地位に座るから、あなたがたは彼らに従い、言われたとおりにしなければならない。だが、彼らと同じことをしてはいけない。彼ら自信が自分の教えを実行していないのだから。彼らは、重い負担をつくり出して人々の肩に担わせるが、その負担を軽くするために自分たちは指一本動かそうとはしない。」 「それに地上の誰のことも、霊的な「父親」「真の親」と呼んではいけない。真の霊的な父母である神は唯一で、すべての創造の源であり、あなたがたはすべて、その唯一の神の子供で平等な兄弟姉妹だから、唯一なるものとひとつなのだから。」 ニール・ドナルド・ウォルシュ著「新しき啓示」より
2008年07月13日
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家内が一応まだ現役なので、毎日のように教会からFAXが届きます。現役といっても、特に活動をしているわけではなく、ただ籍を置いているだけなんですが。そのほとんどは献金要請の内容です。はっきり言って、紙がもったいないんですが・・・・・・。今日もFAXが届きました。 「・・・・・・・・最後まで諦めずに14日(月)まで各家庭の目指している目標を完遂するために至誠を尽くして下さるようお願いいたします。Kが困難であれば借り入れに協力して下さるようお願いいたします。この勝利を通して50年のすべての恩恵が各家庭に連結されるでしょう!」 献金が無理なら、借り入れをしてくれという要請です いや~現役の人は大変ですね~。次から次とこれでもかこれでもかと「わんこそば」のような献金要請。真面目な人は、今回も借り入れして献金するんでしょうか?御愁傷様です。
2008年07月11日
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「自分は人よりも特別だ」と宣言するような者の言葉は、聞かないことだ。自分だけは特別だ、他の人間たちとは違うとか、自分の方が他の人間たちよりも気高い、優れている、清らかだと主張する者、自分は人より「上」だとか「偉大」だと宣言する者、自分は救世主、救い主だとか、人類の唯一の真の親、唯一の真の預言者だとか、そういった大げさなことを言う者からは、さっさと逃げ出す事だよ。 ニール・ドナルド・ウォルシュ著「新しき啓示」より 「神との対話」シリーズの「新しき啓示」という本の中で、神様がこのように語っております。変な宗教に引っ掛かってるみなさ~ん。さっさと逃げ出した方がいいですよ~。
2008年07月10日
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「聖書で、アダムとイブが神の命令に背いたこと。この出来事によって、人間は物質の中に嵌入し、愛と自由の力を得た。人間が意識的な考え・意志を持つ前の出来事であるから、原罪の責任は人間ではなく、楽園の蛇(ルシファー)にある。ルシファーの影響下に、善悪の判断という、のちに与えられるべきものを、早く獲得しようとしたのが原罪なのである。原罪の均衡はキリストによって取られた。」 「シュタイナー用語辞典」より抜粋 「あなたがたは不完全な者としてこの世に生まれ出たと教えられている。あなたがたの宗教で言う原罪だ。たしかにそれは最初の罪だが、あなたがたの罪ではない。神が不完全なものを創造した、創造できたと考えているとすれば、それは神の何たるかを知らない世界があなたに対して犯した最初の罪だ。その誤解を中心にすべての教義ができあがっている宗教がある。まさに「誤解」だ。わたしが生み出したもの、生命を与えたものはすべて完璧だからである。生きとし生けるものはすべて、完璧さの完璧な反映であり、わたしの姿をかたどって、わたしに似せてつくられている。だがあなたがたの宗教は、神は罰するという考えを正当化するために、怒りの対象をつくりあげた。そのせいで、模範的な人生を送っている者まで、救われなければならないことになった。救われなければならないような悪い事はしていなくても、もって生まれた不完全さから救われなければならないというわけだ。こうして(その宗教は)、あなたがた全員に、急いで何とかせよ、そうしないと地獄へ落ちるぞとおどす。」 「アダムの堕落と説明されているものは、じつは向上だった。人類の歴史で最も偉大な出来事だった。それがなければ相対性の世界は存在しなかっただろう。アダムとイブの行為は原罪ではなく、じつは最初の祝福だったのだ。あなたがたは、彼らがはじめて「間違った」選択をしてくれたことを心の底から感謝すべきだ。アダムとイブは、選択を可能にしてくれたのだから。あなたがたの神話では、イブが「悪者」にされている。善悪を知る智恵の木の実を食べ、巧みにアダムを誘惑して同じ罪を犯させたという。この神話によって、女性は男性を「堕落」させるということになり、性に対するかたよった見方や混乱は言うまでもなく、あらゆるゆがんだ現実を創り出してきた。」 「神との対話」より抜粋 原罪のそもそもの責任は誰にあるのか?シュタイナーは、原罪の責任は人間ではなくルシファーにあると言っています。「神との対話」の中で語っている神も、あなたがたの罪ではないと言っています。これはキリスト秘教の見解と言ってもいいでしょう。統一教会では、いたずらにこの原罪という問題をクローズアップし、人は皆罪人であることを強調し、呪縛しようとします。シュタイナーは、原罪の均衡はキリストによって取られたと言っています。なのに何処かの再臨主は、原罪という呪縛を押し付け、信者を蟻地獄の中に引きずり込もうとしています・・・・・・・・。
2008年07月09日
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「人類が明視的でなかったときに、キリストは一度だけ肉体の中に現われ、人々の肉眼に映りました。しかし彼は、「私は世界の終わりまで、いつも君たちのところにいる」(「マタイ福音書」28章)と約束しました。キリストは肉体という覆いの中にとどまりませんでした。キリストはふたたび肉体の中には現われません。・・・・・・・・・しかし、ほかの人々は、キリストが肉体のなかに再来するという誤った意見を固執するでしょう。そのような人々は、偽の救世主に惑わされ、誤った道を勧められるでしょう。・・・・・・・・・・どっぷりと唯物論に浸っている者は、キリストは物質的身体のなかに再び現われる、としか考えられません。20世紀半ばに偽救世主たちが現われて、「私がキリストだ」と人々に言うでしょう。」 統一教会よりも先にシュタイナーと出会っていたら、統一教会に行かなくて済んだのにな~。でもすべては必然、統一教会に行ったのはカルマだったんだな~。
2008年07月06日
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あっ・・・・・間違えた・・・・これじゃなくて、これです。 風呂上りにいつもオロナミンCを飲んでるんですが、今日はオロナミンCを牛乳で割って飲んでみました。意外といけます。皆さんも是非試して下さい。また皆さんの中で、これはいけるというレシピがありましたら、情報お待ちしております。m(_ _)m http://www.otsuka.co.jp/orc/contents/recipe.html
2008年07月03日
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私が唯一聴いているヒップホップ系のグループです。ヒップホップをベースに様々なジャンルの音楽を取り入れ、非常にクオリティーの高い音楽性を持っています。MCのVERBALは、在日コリアン3世で牧師を目指していたそうです。(DVDの特典映像の中に、VERBALを中心にメンバーが手をつないでお祈りをするシーンがあります)LISA (ボーカル)が脱退してからは、様々なアーティストとコラボしています。 (ライブ)http://www.nicovideo.jp/watch/sm1745896http://www.nicovideo.jp/watch/sm3563717http://www.nicovideo.jp/watch/sm3588457(PV)http://www.tvbreak.jp/12450/24954http://www.tvbreak.jp/12450/31888http://www.tvbreak.jp/12450/33114
2008年07月02日
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http://smile.hippy.jp/ehon/index.htm
2008年07月01日
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アメリカのイラク戦争1日のコストは7億2千万ドルです(約800億円)。毎分50万ドル(約5500万円)という巨額の国家予算(その一部は日本が買った米国債のお金)が費やされています。これを使って、他にたとえばどんなことができるでしょうか? たとえば・・・・6483戸の家族向け新築住宅が建設できます84校の新しい小学校が建設できます34904人に4年生大学の全額支給奨学金を与えることができます12478人の小学校の先生を新たに雇用できます(アメリカは先生が不足)95364箇所の幼児教育(Head Start)の場所を新設できます(保育園のようなもの)1274336戸の家を再生可能エネルギー(自然エネルギー)にすることができます1153846人の子どもに無料の給食を支給できます423529人の子どもに無料のヘルスケア(健康保険)を支給できます イラク戦争の1日のコスト 7億2千万ドルこれだけあれば、いろいろなことができます。 http://jp.youtube.com/watch?v=Wnq6cD5jk1Q
2008年07月01日
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