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小説の核となるのはアイデアか、展開か、文章そのものか、はたまた行間か。この小説集は作家の乙一さんが、読者から応募したアイデアを基にリメイクした作品なのでどれも「完全なオリジナル」ではない…でも、乙一さんらしさが加味されてるという不思議な短編集です。だからかな…黒乙一が好きな柊としては、物足りなさを感じたりもします。とくにあとがきなどを読むと、リメイクするにあたって、元になった作品に対する遠慮といいますか、「この部分だけは壊しちゃいけない」というような制約を無意識にもかけていたように感じられそう云う手加減、匙加減をまったく意識させない「乙一さんオリジナル」が今度は読みたいよー。…という気持ちにもなりました。収録されている作品中好きなのは「青春絶縁体」と「ホワイトステップ」です。「コンビニ日和!」も楽しかったけど。柊は毒舌の応酬が好きなのかもしれません…。絶対こんなこと言えない、言える相手もいない、でも小気味良いという会話が好きです。 柊の読書メーターは→こちら 柊のつぶやき(Twitter)……
2011.07.22
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音楽について、身近な人について、宗教や信仰や自分を取り巻いているものなら、なんでも。それについて考えや思いを巡らす事はすべて、自分と向き合う、自分を掘り下げていくことに繋がっている…と感じました。主人公の鳴海くんは信仰や、オルガンを弾くこと、家族について、ものすごくイライラを募らせて、不満を抱えて、孤立することを選んでいるように見えるけど考えることからは逃げてない。それって実はものすごく大変な、精神力のいることだと思う。人によって興味を持つもの、好きなものは違うけれども鳴海くんにとってのオルガン、音楽に共通する「なにか」を持っている人には鳴海くんが考えることによって、どんどん自分という人間を理解しようと、手掛かりを得ようとしていることが、感覚としてわかる…ような気がする。それは自分が自分と1対1で向き合うことが出来る唯一、不可侵の場所でそこにはどんな親しい人であろうと、生身の人間が入り込むことのできない精神の世界で。そこに到ろうと努力する人もいれば、つらくて考えることを放棄する人もいる。偏見かもしれないけど、音楽や絵画などの芸術分野に関わる人の多くは弾くことや描くことを通じて自分と対峙する、その手段を持っている人だと思う。楽譜通りに弾くだけじゃなく、対象をそのまま描き写すのでもなく。対象と向き合い、自分自身をそこに投影したり、話しかけたり、闘ったりした跡がそこに表れてこなければ「表現する」とはいえない…気がする。柊は信仰心は持っていないけど、神様みたいなものを意識してしまう瞬間はあります。信じてないのに、不思議だなと思うことはあります。。信仰をもつことはいいことかもしれない…でも妄信してしまうことが怖いのです。柊はキリスト教系の大学に通っていたことがあり、在学中は礼拝堂でパイプオルガンの前奏、後奏を聴くのを楽しみにしてました。聖歌隊の讃美歌とか、クリスマスに聴くメサイアとか。音楽を聴いていると信仰心などなくても、不思議なほど敬虔な気持ちになれたのを思い出しました。メシアンの「神はわれらのうちに」を聴きながら読みたい…と思いましたがうちにはその曲のCDはないので、代わりにバッハを流しつつ。なんだかとりとめのない感想になってしまいました。この物語、感想書くの難しいよー。中学生対象の課題図書でしょう?中学生たちがこの本を読んでどんなことを感じるのか、考えるのか応募される感想文を読んでみたい気持ちでいっぱいです。 柊の読書メーターは→こちら 柊のつぶやき(Twitter)……
2011.07.17
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心にぽっかり穴があいてしまったかのような喪失感。長かった。終わってしまった。もう次を待たなくていい。「ラストを見届けるまでは何があっても死ねないぞ!」と思っていた。それくらい、待ってた。でも、そういう思いで長い時間待ち続けることが出来た物語も、とうとう終わってしまった。一つの物語とお別れする。それだけでもう胸がいっぱいになってしまった。 *映画の公式HPは→こちら原作を読んでいるから、展開もラストも知っている。それでも、たたみかけるような展開だった。最後の場面に向けて、駆け足で走り去っていくような。映像として観るにはあまりにつらすぎると覚悟していた場面すら、「さらりと流し過ぎてしまっているのでは?」と思えるくらい先を急ぐ展開で、当初は「これで最後。」という感慨すら覚える暇もなかったのだけど。原作で言うところの第33章めの場面はやっぱり悲しくて、悔しくて涙が出てきた。心の底で物語(映画)の“最後”を意識したのはこの場面からだと思う。最後の対決する場面や、エピローグよりも印象が強い。いい意味でその人に裏切られた、「してやられた」と思うからだろうか。つらい出来事にばかり見舞われてきたハリー・ポッターだけど、それと気づかずいろんな人がいろんな思いで彼を守ってきた。そのことにすごく胸を打たれる思いだった。(いっそぼろぼろ泣いてしまいたかったのだが、3D眼鏡がそれを邪魔した。ううー、やっぱり、出来れば2D字幕版で観たかったと思う。)凝った演出のないシンプルなエンドロールだったけど。その向こうに約10年に及ぶ長い長い道のりを感じた。終わってしまった。そう実感している一方で、信じられずにいる自分もまだいたりする。
2011.07.15
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なんて、鮮やかな印象を残す人なんだろう…。辻村さんという作家さんは。作品を読み始めたときと後とでは、登場人物の印象ががらりと変わってしまってる。通して読めば、それは確かに同一人物なのに。いかに人は、自分は、一面でしか物事を見ようとしていないか思い知らされる。読後すぐに最初からページを読み返してしまうのは、見落としてた部分を確かめたくなるから。何気ないセリフの奥に隠されていた真意をようやく知って、「やられたー」と思う。それがむしろ心地良かったりして。お見事です。完敗です。この作品には双子の姉妹が登場します。柊には双子の娘がいるので(一卵性双生児といわれてる)なんとなく、重ねて読んでしまった。過去に娘たちに「双子の繋がりをわかってないね。」と言われたことがあって、そのときはどきり、としたけど親からしてみれば決して“同じ”に見えたことは一度もないです。姉と妹という見方をしたことも一度もないです。どっちが先に彼氏を作ったり、結婚したりするんだろうねと冗談めかして質問してみたことがあります。「作らないし、出来ないよ。」なんて言ってる顔がその日を想像して寂しそうに見えたから互いに遠慮しあうかもしれない…なんてふと思いました。まあ、現実はどう転ぶのかわかりませんが。驚いたのは『子どもたちは夜と遊ぶ』の狐塚くんと恭司くんが登場してくれたこと!ああ、なんて粋なはからい。懐かしい人に再会して、元気にやってるのを確認して、ちょっぴりほっとした気持ちになりました。 柊の読書メーターは→こちら 柊のつぶやき(Twitter)……
2011.07.11
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一編読み終えるごとに、自分の周りの現実がふっと遠のいて、しんとした静けさに取り残されてしまうような、そんな余韻にずっと浸っていたいような気持ちになりました。比喩のひとつひとつに溜息が出るような感嘆をおぼえ、それをいつまでも胸の奥にしまっておきたいのに、いつかは忘れてしまう…自分の記憶力の悪さを呪いたくなりました。一人の人間に対し、必ず一つは何か語れるような物語があるんだろうか。在って欲しい。自分にもそれがあって欲しいと望んでしまいました。でも、きっとただ流れを語るだけじゃこんな余韻には浸れないんだろうな。的確にそれを伝えられるような、言葉を選び出す、使いこなすセンスがないと。そんな能力を与えられた人が、作家さんという職業が、心底羨ましいです。小川さんの『猫を抱いて象と泳ぐ』が文庫化されたみたいですね。買いに行きたいです。再読したいです。 柊の読書メーターは→こちら
2011.07.10
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不朽の作品、記憶に刻まれて忘れられない作品ってあるなあ…ってしみじみ感じます。最初に『時をかける少女』に出会ったのは筒井康隆さんの原作本でした。原田知世さんで映画化される…っていうのがきっかけで手に取ったんだと思います。読後、すごーく気になったのが“ラベンダーの香り”で、当時はそれがどんな花でどんな香りのするものなのか知らなかったので、その匂いが知りたくて堪らなくなったのを覚えてます。ラベンダーの香り=タイムスリップ(今はタイムリープというのか)と繋げて捉えてしまうのはこの小説による影響で、実際その香りを初めてかいだ時は想像と違っていることに驚いたんだったか拍子抜けしたんだったか…。なのに今は自宅の庭にラベンダーを植えていたりするのだから不思議だなー。原田知世さん主演の「時をかける少女」を観たのは原作を読んで、ずっとしばらくたってからだと思います。当時テレビで流れた予告編が怖くて。ホラー映画なんじゃないかって思い込んでたから。角川映画だったし。この映画を初めて観たときもラベンダーの香りはまだ想像上の香りだったと思います。原田さんは可愛らしいけれど台詞は棒読みに近くて観ている方が照れくさくなった気がするな…。この映画を観たときは、未来人っていうのはドライというか、冷たいなあという印象を抱いた気がします。自分と関わった人の記憶を消してしまえるなんて、冷たいなあ…と。だからその分ラストシーンの印象は強烈で、どうしてもその後どうなったのか想像してしまって。そこから、数年(数十年?)経過してアニメ版が作られると聞いた時は驚きました。「今更?」と。続編とも違うし、全く話をなぞっているわけでもないし。でも、アニメで描かれることに初めは抵抗があったけれど、観れば映像が斬新で惹きこまれ未来から訪れた人との淡い恋と、せつない別れに素直に共感することが出来ました。そして2010年、現代版「時をかける少女」。物語は原作、原田知世さん主演作の続編と言っていいと思います。設定が変化して、この映画の主人公自身が今度は未来人として、過去へ旅する。なんていえばいいんでしょうね。消された筈の記憶が、記憶より強い想いが封印を解いて溢れ出す、それが重なっていくところに胸が痛くなりました。出来ることなら、あかりのお母さんには原田知世さんが…なんて思わなくもないですがそれは思い入れが強過ぎるってものでしょうね。「未来で、待ってる」はアニメ版の台詞だったかしら。どの作品も、強く未来を待ち望む気持ちで締めくくられるのが印象に残ります。観たあとにせつないのは、記憶を消されたからじゃなくて、記憶を消されてなお忘れられず、残されてる強い想いに胸打たれるからだと気付きました。今ではラベンダーの香りをかぐと「時をかける少女」を思い出すようになってしまった。こんなに世の中にラベンダーの香りが氾濫するようになるなんて想像もしていなかったなあ…。それが未来を知るということかしらん?時間の流れって決してとめられないのに、時に過去が無性に懐かしくてたまらなくなる。未来よりも大切なもののように感じられるときがあるなんて、そんなふうに感じる時があるなんて、何だか自分が年を取ったみたいで嫌だなあ☆
2011.07.02
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大事な人、大切な場所。それが失われそうになると、人は心の中を流れていく時間を止めてしまうことが出来るんだな…って思いました。自分の受け取り方次第で未来にだって、ちゃんと楽しいことや素晴らしいことが起こりうるのに時間を止めてしまうとそれ以後に起こることは全て色褪せたものにしか目に映らなくなってしまう。それはとてももったいないことだと、自分でもわかっているのにな。そう云う心持ちが、後悔やなんかひっくるめてすべて愛おしくていじましくて、でもやっぱり寂しいと思ってしまいました。でもなあ…。本当は羨ましいのかなあ…そう云う人や場所に出会えたタキさんが。
2011.07.01
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