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ひいちゃんが幼い頃歌っていたこども讃美歌です。 両手いっぱいの愛1、ある日イエス様に聞いてみたんだ どれくらいボクを愛してるの これくらいかな これくらいかな イエス様は黙ってほほえんでる2、もう一度イエス様に聞いてみたんだ どれくらいボクを愛してるの これくらいかな これくらいかな イエス様はやさしくほほえんでる3、ある日イエス様は答えてくれた 両手をいっぱい広げ その手のひらに釘を打たれて 十字架にかかって下さった それはボクの罪のため ごめんねありがとうイエス様 それはボクの罪のため ごめんねありがとうイエス様 ごめんねありがとうイエス様幼い頃のひいちゃん、無邪気に歌っていたなあ。今も無邪気だけど・・・。両手いっぱいの愛を受けてよく育ちました。
2015年03月18日
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BAABAが書きます。お姉ちゃん、生まれて始めてアルバイトをしました。大きなレストランで結婚式場も備えています。何しろ生まれて始めてなので、せいぜい裏方かお料理を運ぶ程度と思っていたのに、なんと、お酒の注文も受けなければならなかったそうで・・・・。生まれた時からお酒に縁のない我が家に育ったお姉ちゃん、栓のあけかたさえわからない。「ハイボール」と言われても「え、それってなんですか「オンザロック」と言われても「え、え、え、?」てなもので・・・。「熱燗」 「え、え、え、どうするの?」「ぬる燗」 「え、なに塗るんですか?」「チェリー」 「え、さくらんぼ、どこに?」「いもー」 「おいも、召し上がるんですかーー?」少々面白く脚色しましたが、ほぼこんな調子だったようですよ。「お酒の勉強しとかなくっちゃ」と言っていました。色々、経験するねお姉ちゃん。
2015年03月17日
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BAABAが書きます。8日、自死フォーラムに行ってきました。私もパネラーの一人として発表しました。閉会後、数人の方が話しかけてこられましたが、その中の一人の方が今現在、不登校になっている娘さんが居て、「死にたい願望」があり、こうして家を空けている間も心配でたまらないと言われ、家でも娘に対してどう対応すれば良いか分からず、つい、自分の方もイライラしてしまって、娘を傷つけてしまう。こういうことは誰にも相談できず、家庭がメチャメチャになってしまっている。こんな状態だと、娘を自死に追い込んでいるのではないかと心配で心配で・・・・と、いうことでした。私はどこの市町村でも、相談機関があるから早めに相談に行って下さい。特に青少年のサポートをして下さる機関なら、親の心配も汲み取って下さるから・・・・と、言いました。親自身の心が安定することによって、娘さんも安定してくるから、早く相談に行かれるよう勧めました・子ども自身のケアはチャイルドラインなど、色々ありますが親のケアもあることがあまり知られておりません。その方もこんなに悩んでおられるのに、そういうサポートをしてくれる機関があることを知っておられませんでした。もっともっと、多くの人に知っていただく必要があるとつくづく思いました。
2015年03月12日
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「ぞうさん」と「しゃぼん玉」 息子を亡くした母 河上八千代「ぞうさん」と「しゃぼん玉」このふたつの童謡を、私は歌うことができない。えっ?「ぞうさん」?「しゃぼん玉」?・・・かわいい歌じゃない・・・。どうして?・・・って思われるでしょうね。 ♪ ぞうさん ぞうさん お鼻が長いのね そうよ母さんも長いのよそうそう、母さんとそっくりなんだよね。 ♪ ぞうさん ぞうさん 誰が好きなの あのね 母さんが好きなのよそれなのにどうして大好きな母さんに言ってくれなかったの?「死にたい」って・・・。いいえ、もしかしたら言っていたのかもしれません。でも、私がわからなかった・・・。 ♪ しゃぼん玉とんだ 屋根までとんだ 屋根までとんで こわれて消えたあの薄~い玉の中に、七色の美しい光をあつめてふわりと舞い上がるしゃぼん玉は、危なっかしく、美しく・・・。ああ、ほんとにしゃぼん玉のように消えた。十五才。子どものような幼い顔を残した少年でした。私の子ども 河上祐樹(ゆうき)あれから三十五年過ぎました。三十五年も過ぎたのに、まだ「ぞうさん」が歌えません。「しゃぼん玉」が歌えません。涙が胸につまるのです。もうひとつ歌えない歌があります。それは、「涙そうそう」 ♪ 古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ 晴れ渡る日も雨の日も 浮かぶあの笑顔 想い出遠くあせても おもかげ探して よみがえる日は涙そうそうそのまんまじゃないですか、私の気持ちと。私は祐樹が死んだ後、数年間というか数十年は、祐樹の顔を思い出すことが出来ませんでした。ショックのせいでしょうね。アルバムの写真を見て、やっとああ、こんな顔だった・・・って・・・三十数年たった今、やっといつでも思い出せます。いつも笑っています。表情やしぐさまで思い出せます。そう、やっと・・・です。でも、「涙そうそう」を歌うと涙が出ます。特に終わりのフレーズ ♪ 会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそうは、胸がつまって歌えません。私は心に決めていることがあります。あの子が生前に言った言葉・・・ ✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩ぼくが神様にお祈りすることは、「あれを下さい、これを下さい」とか「病気を治して下さい」とかじゃなくて、「ぼくの心を守ってください」って祈るよ。「ぼくが人を憎んだり、恨んだり、馬鹿にしたりしないように」って。そして、「みんなが平和に暮らせるように」って祈るよ。✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩✩子どもに教えられるとはこのことでしょうね。祐樹の言うとおり、私も憎んだり恨んだり蔑んだりしないように、それに加えて妬むこともしないように、そのことを神様にお祈りしながら生きましょう。祐樹が死んで三十五年。私も七十五才になりました。残る生涯は、ひとりでも自死者の出ない世の中と、悲しむ家族が出ないようにと祈りながら、自分に出来ることを、行動をもって歩んで行きたいと願っております。「悲しみの 家にも届く 初茜」 ※初茜 朝日が昇る前の、まだ暗闇の中だけれども、これから明るくなっていく希望、予兆「自死の子に 紅さす母や 冬帽子」 ※祐樹のくちびるに、うっすらと自分の口紅をさした時のことを思い出しながら
2015年03月09日
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記事をスキャナにかけました。これで読みやすいかな?(*^_^*)ネットにアップされた新聞記事はこちらから。http://news.goo.ne.jp/article/mainichi_region/region/mainichi_region-20150306ddlk32040518000c.html
2015年03月08日
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今日の毎日新聞の地方版にBAABAの記事が載りました。けっこうでっかくスペースが取られていました。写真入りです。別に悪いことをしたわけではありませんよ。8日にある自死フォーラムにBAABAは出ますので、2週間ぐらい前に取材を受けていたものです。記者さんとは3時間ぐらいお話をしたのに、さすが毎日新聞の記者さん、すごく上手に間違いなく記事にしておられました。毎日新聞を購読しておられる島根の方、見てくださいな。
2015年03月06日
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パンを食べながらひいちゃんが言いました。「このパン、ドマヨさんて人が作ったのかなあ」袋に「マスタードマヨ」と書いてありました。マスター・ドマヨ? マスタードマヨ?ああ、マスタード、マヨね。変なとこで切るから・・・・。 BAABA記
2015年03月04日
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