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人生の選択で会社選びは痛烈に大事である。ところで、世の中には会社選びという重大事を幸か不幸かまったく通過することができないというタイプの人間もいる。自分などもそのクチで陸軍の徴用馬生産農家だった父親は、実家をはやばやと出奔した。そんな父親や、養子で父親の実家にやってきた祖父などからすれば戦後孫の自分に稼業として継ぐことを強いるようなものを戦後ついに提供しなかった。親父も、実家をほりだされて好き放題に人生設計をしたように思う。親父は自分がやりたいことを思う存分やって、子供を制約したり抑圧したりするというような事に皆目興味がなかったらしい。これには感謝しなければならない。マネーの虎に登場する社長の中で異彩をはなっているのが堀之内九一郎氏。株式会社生活創庫の代表取締役の半生期を問わず語りに番組の中で耳にする。どうも堀之内社長は「事業に失敗し、ホームレス生活を送る」という時代を経験されているらしい。堺化成工業という会社に勤務されていたと略歴にあるが、いまや堺化成工業という会社を検索してもほとんどその総てが堀之内九一郎氏の略歴として登場してくるばかりで堺化成という会社のホームページが見当たらない。ホームレス時代を通過した堀之内氏の存在感が際立ってしまって、出身企業である堺化成工業という社名がかすんでいる事が興味深い。堀之内氏についてではなく、堺化成工業という会社についてである。年商90億円を越える生活創庫という事業シーズを産み出した堀之内氏を放出してしまった企業として、想像力を刺激されてしまうのである。資産家の家に生まれ、根っからの商売気質だった堀之内さん。しかし家が破産。夜逃げ同然で逃げたが、両親は早くになくなり、数億あった遺産もすぐに遊びで使ってしまう。会社を作っては倒産。作っては倒産。膨らんだ借金は1億5000万円。そんなとき、助けるようにお金を出してくれる人がいて、また事業をはじめ、成功。借金を返したところで、スタッフがお金を持ち逃げし、また会社が倒産。いよいよホームレスとなり、ゴミをあさって生活していたころ、捨てられていた電化製品を修理して売れば、お金になることを思いつく。「もっとすごい金儲けになる商売、ないもんかな」とホームレス仲間に語ったところ、こういわれたそうです。「そんなあんたに商売できっこないよ。商売って何だ? 人は何のために商売する? 人は金を儲けるために商売するんじゃない。商売とは自分が楽しいと思ったことを、とことんやることだよ。人は、ほんとに楽しいと思ったことには、いくらでも労力を惜しまないだろう。それだけ、がんばれるってもんだ。そこに大きな夢をかかげてまっすぐに進む。それが商売ってもんだ。金儲けを1番に考えるあんたは、今まで自分が本当に楽しいと思ったことを商売にしてきたのかね? そこに夢はあったのかね?」「マネーの虎」という番組で堀之内氏が繰り返し語ることで、非常に興味深い。ここで語られていることは真実だと思う。祖父は、養子で父親の実家に働きにきたぐらいだからさほど豊かな家の出身ではなかったのだろう。曾祖父は、どうも一代で築き上げた事業で相当隆盛だったそうだが昭和20年で最大の納品先である陸軍を失ったわけだから父親の実家は戦後長男であった父親をはじめ一家すべてがノーアイデアでの出発だったように思う。その中でも自分の父親は、もっとも行動主義者でわれとわが身の肌身で感じる実感以外に頼らなかった人だったと思う。早い話が、「行き当たりばったり」の連続だったのだろう。母親は、いつも憎しみを込めてそれを懐古する。(笑)父親も自分も、「自分が楽しいと思ったことを、とことんまでやる」というスタイルで見事に踏襲していると思う。いくらでも労力を惜しまないというというのも本当にそのとうりだと思う。このエネルギー。どうも日本の会社や企業が収容することがヘタなのではないか。祖父は、養子で実家にはいったことを悔いてはいなかったが相当曾祖父から抑圧された人だったらしい。その怨念は、たぶん間違いなく親父や自分の人生に影響を与えたように思う。
2004年08月31日
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光ファイバーがやってきた。去年あたりから毎日部屋に営業がくる。うるさくてたまらないので、「ニフティーのメールアドレスをキープできるのなら変わってやる」と言ったら苦労して一年がかりでニフティーを説得したらしい。それで、ニフティーのメールアドレスを維持したまま乗り換えた。IP電話がきたら、NTTの黒電話もADSLもほり出して光一本の生活になるらしい。今日はとりあえず設定に追われている。-----光ファイバー設定中-------めっちゃくちゃ簡単であった。(笑)しかし、異様に速い。こんなに速い必要がないのだけれども、速くなったので仕方がないから重い画像にガンガン挑戦してみる。どれもこれもあっけなく落とせる。ニフティーは、未練たらしく会員の籍を残すという仕組みらしい。相当ややこしいダンジョンをクリアするとなんと月額250円でニフティーのメールアドレスは維持できることになるらしい。仕組みとしてはよく分からないが、月額の経費は大幅に減少させることができるようだ。ようするにヒラの市民の無知につけこんで、これまでNTTとニフティーがぼろ儲けをし過ぎていたのだと思う。まだまだ通信費は高すぎる。
2004年08月30日
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日本人選手が、ドーピング事件で繰り上げ金メダルを獲得するなどという事件があるらしい。日本人選手は、本当にドーピング事件から疎遠でいられているのだろうか。そもそも、ドーピングってどんなことをさすのだろうか? 「ドーピング(doping)」の原語である「ドープ(dope)」の語源は、アフリカ東南部の原住民カフィール族が祭礼や戦いの際に飲む強いお酒"dop"とされています。これが後に「興奮性飲料」の意味に転化し、さらに「麻薬」という意味でも用いられるようになりました。 英語の辞書に「ドープ」が初めて載ったのは1889年のことで、「競走馬に与えられるアヘンと麻薬の混合物」と説明されています。つまり、この当時のドーピングの対象はヒトではなく、ウマでした。いずれにしても、「薬物を使用すること=ドーピング」というわけです。一般的にドーピングとは競技に勝つために薬物を使用することと考えられていますが、実際こうした意味でのドーピングの歴史は古く、既に古代ギリシャ、ローマ時代の勇者がコカの葉を噛んで競技に出場したといわれています。これは競技力の向上というよりも、幻覚作用などを利用して精神の高揚を図り、命をかけた猛獣との戦いの恐怖から逃れるためにドーピングをおこなったのでしょう。また、同じような目的の麻薬使用は宗教儀式にもみられます。現在でも、中南米やアフリカの土着宗教・呪術(例えば、ヴードゥー教)に麻薬が重要な役割を果たしているとされています。 (クリックでジャンプします)闘いや、戦争とドーピングは切っても切れない関係にある。それゆえにオリンピック選手に軍人や自衛官が多数参加しているかぎり戦争の手法のひとつとしての高度に洗練されたドーピングはさけ難く影を落とす。思い起こすのは、あの昭和天皇の最晩年いわゆる下血報道といわれるものだ。下血報道とは、天皇裕仁が日々ウンチするたびごとに混じる血液をご丁寧に報道機関がさもありがたそうに報道したという出来事をいう。国民は寝ても覚めても食事中もその日天皇がどれだけのウンチに血が混じっていたのか、を聞かされ続けた。これだけでも顰蹙ものなのだが、実はこの天皇の下血報道の背景にあるものは日本の昭和天皇がドーピングによって延命措置を受けていたという事実と裏腹であった。昭和天皇の輸血報道は、実態でわが国の血液ドーピング技術のいかに高度であるのかを国民に知らしめたといえる。全国の日本人自衛官の青年たちの体内から厳選採取された血液を昭和天皇に投じているという風に世間では思っているらしい。ことはそれほど単純ではなかった。血液ドーピングとは、、、、競技者に血液や赤血球または関連製剤を投与することをいう。一般に、競技者自身の血液を事前に採取保存しておき、後に血液レベルが正常に回復してから競技会の直前に再注入する。このような行為は、医学やスポーツの倫理に反する。 ネット上では、この程度での紹介しか見当たらない。これでは日本の血液ドーピングのすざまじいまでの先進的なプレゼンスはまるで理解できないことだろう。それは今をさる16年以前昭和末年においてすでにとてつもない高度な医療技術であることを国民の前に開示している。それは天皇への延命措置として姿をあらわしたのだが、本来すでに臨終の場にある天皇をあれほどのながきに渡り延命しえた日本の血液科学というものの実態はいかなるものであったのか。ここにひとつの宗教セクトである、あのエホバの証人の機関紙ものみの塔誌2000年6月15日号29ページの血液に関する『読者からの質問』記事をみてみよう。彼らは、なにせ名うての反輸血主義者である。血液科学についての原理主義的な反感を常に表明していることで鳴り響いている。http://www.geocities.com/Athens/Agora/2105/bible.htm主要成分とは,(1)赤血球,(2)白血球,(3)血小板,そして(4)血漿と呼ばれる液体成分のことです。…… エホパの証人は,全血を受け入れることも,それら四つの主要成分のいずれかを受け入れることも,神の律法に背く行為であるとみなします。 http://www.geocities.com/Athens/Agora/2105/bible.htm私は宗教倫理としては、エホバの証人のセクトから放たれるメッセージにつきまるで共感も理解も生じるものではない。しかしながら、その徹底ぶりにはなにか宗教セクトの成立沿革に尋常ならざる強い体験共有が存在するのかもしれない、という風な印象が湧いた。彼らのセクトでの禁忌は、さらに徹底している。血液成分を「誘導するもの」や、その「分画fraction」的な構成要素についても彼らは倫理的な地平において忌避することを暗黙のうちに信者へ求めているようにも読み解けるのだ。血液蛋白質の代表であるアルブミンについても、「アルブミンは血液の一成分である」、「アルブミンは血漿蛋白質の一成分である」という表現は日常的に使われており、医学的にも言語的にも何もおかしなことはありません。ここでは、従って血液の部分は全て「成分(分画)」と呼ぶことにし、それらの中でものみの塔協会の言う「主要成分」と「分画」との間に本当にそのようなはっきりした一線を画すことができるのか、とまで問うのだそうである。http://www.geocities.com/Athens/Agora/2105/bible.htm血漿から様々な分画を取り出せるのと同じように,他の主要成分(赤血球,白血球,血小板)も,処理すれば,さらに細かい要素を分離することができます。…… クリスチャンは治療を受ける際,それらの分画を受け入れてもよいでしょうか。はっきりしたことは言えません。聖書は細かなことを述べていないので,クリスチャンは神のみ前で自分の良心に従って決定しなければなりません。 http://www.geocities.com/Athens/Agora/2105/bible.htmこれは、昭和天皇の延命事件の背後に進行していたあの輸血事件をさかさまに照射し、みごとに描写しているという風に私には思えた。実は、昭和天皇は血液問題と生涯縁の深かった人である。和光堂(株)の前身である和光堂薬局の創設者弘田長は、東京帝国大学小児科の初代教授で言わば我が国初の小児科医であった。明治35年(1902)8月5日宮内省御用掛(ごようがかり)として、当時1歳2カ月になられた昭和天皇(迪宮(みちのみや))の侍医を拝命、大正10年(1935)10月7日退職した。迪宮殿下がジフテリアに罹られた時、「馬の血液から作った血清を使うには、明治天皇のご決済がなければ…」と侍従の強い躊躇にもかかわらず、「一刻の猶予もないのだ」と独断で血清を注射、殿下は見事に快復された。自分も2歳の時、看護師資格のある母親の機転で生命を救われたことがある。昭和天皇は、すでに1歳の幼児期に血清の投入で最悪の事態を回避したという事件が存在している。晩年、東大の血液研究の権威者が全国の自衛官の血液を取り寄せその血液成分を顕微鏡で観察分級を行なうという空前の成分輸血を連日実行した。いわゆる報道の伝えるがごとき「輸血」などという生易しいものではなかった。それはさながら製薬会社における、血液製剤を意味する医薬と大差ないほどの処理をすませた「名ばかりの血液」だったのである。血液ドーピングは、もちろん他人の血液だけを意味しない。本人の血液を平時に採取しておくなどというような真似はきわめてポピュラーな手法であるという。「選手の血液の5分の1ぐらいを抜いて冷凍保存すると、選手の体は失われた血液を補おうと造血作用が活発になる。1ヶ月後、冷凍保存の血液を再注入すると、酸素運搬能力の一時的向上により、能力は20%上昇するというアイデア」から生まれたもので、自分自身の血液を用いるので、尿や血液に証拠は残らない。この血液ドーピングは、血液中のヘモグロビンの量を増やす効果があるといわれ、長距離選手や水泳選手の高地トレーニングと同じ効果が上げられると考えられています。http://www.sc.gp.u-tokai.ac.jp/kuboken/SP/drug/sp-drug.htmlいやはや、すざまじい世界である。これでは薬物検査でドーピング判定を受けた他国の選手は、まだしもバカ正直という他無い。こんな事実上サイボーグ同然のテクニックで体力強化された筋肉の祭典とは、スポーツの名に値するだろうか。スポーツには、本来慰安とか愉しみという要素が含まれていたはずである。軍事科学だか、未来医学だか、知らないけれども映像にあらわれる選手たちの活躍に心からの喝采を集めることができるのはいつまでも可能なのだろうか。理論的可能性として欧米で議論されているのは「遺伝子ドーピング」です。化学物質を用いるこれまでのドーピングに対して、将来はスポーツ界でも遺伝子操作が問題になると予想されています。すでに、いくつかのホルモン欠損症に対する遺伝子治療が可能になっており、これを不正に用いて、身体能力を向上させる目的で遺伝子操作が行われる可能性があります。たとえば、難病筋ジストロフィーの遺伝子治療を正常な選手が悪用すれば筋肉増強が可能なことは明かですし、またEPO産生の指令を出す遺伝子情報を組み込んだ無毒化ウイルスをベクターとして選手に感染させれば、赤血球の分化が大幅に促進され、ヘマトクリット値が60%以上に高まることが既にマウスを用いた実験で成功しています。また、胚の発生過程で筋肉への分化を決定する因子が発見され、その抑制因子であるミオスタチンを抗体でブロックすることによって筋量の増加が可能であるとの報告があり、スーパーアスリートの「生産」さえ、夢物語ではなくなってきています。人間の想像力は、もはや一時的な競技力向上の域を超えて、遺伝子組み換えによる"人間改造"とでもいうべき次元に踏み込んできたわけです。
2004年08月26日
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1973年の映画、「デリンジャー」です。あの映画のことは記憶の底に、またビデオもDVDも絶版になっているようですね。推量するにアメリカのFBIがよほど手柄話にしたかったのか。ギャングに舐められたFBI捜査官が手口を問わずに徹底して追いかけ仇敵を仕留めるまでの顛末譚です。遺憾ながら悪漢礼賛話になっちまう、というお馴染みの展開です。ジョン・ミリアス監督デビュー作品で知られていますが、映画そのものは断然ウォーレンオーツの際立った個性の魅力で維持されているという印象があります。この映画は、京都の三条でみたのだっけ?実に、面白かったですね。デリンジャーの彼女が、インデアンだというのも映画で知りました。あの時代には立派な「主張」を託されているように印象しました。本当は、そんなつもりはなかったのかもしれませんが、デリンジャーというギャングに救いを感じた観客もいたのかもしれません。ジョン・ミリアス John Milius 生年 ■ 1944/04/11 出身地 ■ アメリカ/ミズーリ州セントルイス 本名はJohn Frederick Milius。高校時代はサーフィン、歴史に熱中し、黒澤明の映画へ傾倒。USC映画学科へ進み、ルーカスらと出会い一緒に短編アニメーションを製作したりしていた。69年よりロジャー・コーマン門下生となり、「ダーク・ファイター8」で脚本家デビュー。以後、「ダーティーハリー」(クレジットなし)、「ロイ・ビーン」、「大いなる勇者」などメジャー作品の脚本を書く。73年の「デリンジャー」で監督デビュー。“タカ派監督”の異名を取りつつも、骨太な作品の脚本や監督をし続け、「風とライオン」、「ビッグ・ウェンズデー」、そして「地獄の黙示録」の脚本と話題作を提供。ちなみにスピルバーグの「ジョーズ」でロバート・ショウが昔話をするシークエンスは彼とミリアスが考えたシーンだとか。無類のガン・マニアでも知られ、全米ライフル協会の重役でもある。 偶然、彼のことを思い出しました。彼とはデリンジャーという人物です。ジョン・D・ロックフェラーにとって自己の重要感を満たす方法は、見ず知らずの中国の貧民のために、北京に近代的な病院を建てる資金を寄付することであった。ところが、ディリンジャーという男は、同じく自己の重要感を満足させるために、泥棒、銀行破り、ついには殺人犯になってしまった。Gメンに追われ、ミネソタの農家に逃げ込んだとき、彼は、「おれはディリンジャーだ!」といった。自分が凶悪犯人であることを誇示したのである。「おれは、お前たちをやっつけたりする気はないよ。しかし、おれは、ディリンジャーだ!」この一節を読んで、瞬時に懐かしい70年代のニューシネマの一シーンを思い出してしまいました。著述の引用部分は、D・カーネギーです。人は、どこまで行っても自分の存在を誇示するいきものだと言うのがカーネギーの述べるところ。凶悪犯であることすら、自己顕示の拠りどころになるのだと慨嘆しています。
2004年08月25日
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なにしろ10回以上の問い合わせを行なったので、富士通のなんちゃらクラブとやらは無料で問い合わせに対応しないと言ってのけなさる。こちらは購入製品の不備を割り出すという公共性のあるサービスを富士通になりかわって実行しているつもりになってきているが、彼ら側からすれば大きな御世話。ようするに泡沫のような消費者が火を噴いているだけなのだろう。FMV L18B/F のサポート屋が問い合わせ頻度の高さをとがめて(当方からすれば、製品の不備に対する「詰問」のつもりだ)有償サポートへの移行を言うので、以後はサポート屋ではなく同じく富士通パソコンの修理屋をとっ捕まえての継続交渉である。気分は、継続闘争の雰囲気だ。しかし、平素から紳士で知られるシャルドネのこと。言う事は辛らつであるが感情的な発言は一切せず、諄々と彼ら窓口を説いて聞かせるという一貫したスタイルを維持している。けっして関西流儀で怒鳴り上げたりはしていない。実は、火曜日にも応酬を続けていた。富士通の修理屋に対して「このパソコンに追い銭するということについてのリスクも感じるのは、さすがに無理のない話である。それならば現状でこのFMV L18B/F の特異な機能(ホームサーバー)を回避して外部のADSL信号と交信する方法はないのだろうか。たとえば、自分は個人としてBaffalo社のLANカードを持っている。手元のノートパソコンで当方のADSL信号は利用できる、ということは確認した。それならばこのFMV L18B/F は、LANカードを収容できさえすれば修理を実行せずとも通信を再開できるのではないか」という打診である。富士通側の修理屋は、「実に伝えにくいが、富士通パソコンでこの種のトラブルは少なからずあって一旦故障をした消費者が工夫してそのような処置をして済ませているという事例は割合あるようだ」と、意外な程正直に告白した。それで、さっそく当該の社内で会社社長などに報告をして大阪駅前のヨドバシカメラに走って貰いLANカードを一枚入手しようではないかというプランを協議し始めた。11万円の修理リスクよりは、遥かに安くあがる。しかし、先週来の不安もある。もう一度確認のために修理屋へ電話を入れた。富士通の修理屋窓口は、「FMV L18B/F の右側側面にPCカードのスロットが用意されているので、そちらでファミリーサーバーの不備をおぎなえるはずだ」と言明した。ヨドバシ梅田店にも電話をいれた。間違いなく店頭にも在庫があった。さっそく人を走らそうと考えた。その瞬間に、富士通の修理屋から逆に電話がかかってきた。こんなことは先週来初めてだ。曰く、「LANカードをいきなり購入いただいては不安なので、お手持ちのLANカードがあれば一度挿入していただき、動作確認をしていただいてからご購入いただいた方が宜しいかと存じます」と言うわけだ。(笑)よほど富士通の修理屋の諸君も自社製品に自信がないのだろう。それは、それとしてアドバイスの意味はよく分かる。これまでの経緯からひとつづつ確認検証なしに先へは進めない。わずらわしいが消化試合的に確認はしておこう。実は、平行してノートパソコンを準備して自宅から持参のLANカードでADSL信号が拾えることまでは確認済みだった。同様の操作をこの部屋でやるだけだから、いとも簡単にやれるはずだ。ところが、、、やれるはずだったものが、ふたたび仰天する羽目になる。FMV L18B/F にはご大層に、LANカードが二枚も収容できる立派なスロットがついている。分厚いマニュアルにも、きちんとPCカード収容のスロットと表記がなされており、まさか挿入口を間違えたという事はない。しかし、まったくロックしないのだ。つまり、ピストン状態。人間の女性とのピストンならば大歓迎だが、いままさしくADSL信号を取得する為のLANカードを挿入するスロットがロックできずにピストン状態であるという事は大問題だ。とても、安心して信号を取得できるとは思えない。われと我が眼を疑うような大事件である。ふたたび富士通修理屋の窓口に電話を入れた。入れ替わり立ち代り窓口担当が変わるが、最後の窓口は鈴木さんと言う。彼は、私の言及を聞いて驚いたらしい。それはそうだろう。いくら酷い製品を売っていても、まさかそんなレベルだとまでは思わなかったに違いない。さっそく、修理屋のオフィス周辺にあるFMV L18B/FにあたってPCカードスロットを確認したらしい。電話口に戻ってきた彼は終始もごもごと不明瞭な語り口だったが、ようするにLANカードがロックしないという現実に遭遇したらしい。(笑) 「君、小野小町も困るけれど果てしなくピストン運動させられるのも困惑だね。さまざまな電気信号を日常端子から得たり出力したりしている消費者の経験から言わせてもらえれば、LANカードがロックせず信号をやりとりすれば早晩悲惨な事件に遭遇するのは火をみるよりも明らかだろ。こんなスロットにLANカードを挿入しろと平気で言えるものなのか。ここは富士通修理部門の担当者として、当方にきちんと言明してくれ」と詰めた。彼は不承不承、「個人としては、見てはならないものを見てしまったという思いです。ムニャムニャ・・・(以下同文)」散々、遠まわしに断定的な発言を避けていたがようするにこの機種のPCカードスロットは彼個人としても「使い物にならない」という私の観察意見に不承不承同意した。つまりは庶民的感覚でいえば「粗悪品」である。彼は事実上、富士通製パソコンFMV L18B/Fが粗悪品であるということを認めたのも同然である。少なくとも私はそのように理解をした。彼のギリギリの善意について感謝したい。そこで急遽方針をかえた。LANカードで、ADSL信号を取得するというプランは予期せぬ展開で断念せざるを得ないことになった。それならばUSB端子から何とかADSL信号を取得できないか、という踏み込んだ質問である。流石に、修理屋部隊の鈴木氏は不安気で相当自信を無くしていたが一応「可能な筈」との回答。そこで、さっそく電話を切り先般来まともげな反応をしてきているNTT側のADSLサポートに電話を入れてみた。NTT側は、富士通パソコンのあまりの貧困さに苦笑いをしながら「USB端子から、ADSL信号を取得するというのはけっしてお勧めできません。しかし、一応不可能ではないはずで試みる価値はあるかもしれません。ただし動作確認を実行したわけではなく、あくまでその確認は富士通側の責任でしょう」との事。なんだか悲惨な話になってきたが、とりあえず明朝ヨドバシカメラ梅田店にLANコードとUSB端末をつなぐ信号変換のコネクターを購入して貰うことにした。当該の企業では、このような子供の使いは会社社長がすることになっている。メモにかかれたBaffalo社製品の記号をくりかえし口で暗唱しながら、不安気にそわそわしているご老人に声をかけた。「明日は、遠足のようなお気持ちでしょうがご心配いりません。ヨドバシには確認をいれておきました。間違いなく在庫されているそうです。もとはといえば富士通製パソコンを購入してしまったボタンのかけ違いでまことに残念ですが社長にはご足労をいただき、ふたたびパソコン購入の際の判断材料を得る貴重な体験学習としてください。私ならば富士通製品を絶対に購入しなかったでしょう」
2004年08月24日
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黒瀬正(秋田県大潟村)昨年末におコメの有機栽培関係のシンポジュームが東京で行われましたので参加してみました。この催しを実質的に主宰した稲葉光圀さんは、栃木県の農業高校の先生を本職とする一方で「化学肥料の多用による増収技術=成苗2本植え栽培法」を唱え、全国の多収穫技術に熱心な農家にファンが多く尊敬されてきた農業指導者です。 私たちは、稲葉さんの技術力には敬意を持っていましたが、「肥料多用による増収」というコンセプトとは相容れないので深いお付き合いはありませんでした。ところが、稲葉さんは、いつの間にか私たちの知らない間に、化学肥料・農薬依存の栽培技術から、ノンケミカルによる安全安定栽培技術に大転換されており、上のシンポを開かれたのです。今までの「有機関係技術」は経験からくる断片的な技術情報が多く、体系的な科学的視点が欠けているものがほとんどでした。しかし、この集会は、稲葉さんが、稲作の増収技術を長年科学的に追求されてきただけあって、有機栽培技術に対しても科学的視点を持って追求されていたこと。有機稲作技術の資料が整っていること。など驚くと共に、意義多いものでした。稲葉さんは、昨年春に定年を待たずに高校の先生を辞め【民間稲作研究所】を設立して、実験ほ場を運営しながら、コメの有機栽培の技術指導に打ち込まれることになったとのこと。この研究所の東北地区技術講座が3月6日に福島市であります。早速私たちの生産者チーム15名はマイクロバスで受講に向かいます。(クリックでジャンプします)偶然、上掲のような記載をウェブ上で発見した。稲葉光圀さん、という方は風評を耳にした事があるがネットでもどのような人なのかについてあまりにも情報が少ない。ここでようやく稲葉光圀さんが「栃木県の農業高校の先生」をされていて今はNPO民間稲作研究所の代表をなさりながら有機栽培技術の普及に腐心されているのだ、という沿革にたどりついた。そのプロフィール紹介すらない。大鵬薬品工業で、ホルムアルデヒドを体内で発生させるような危険なクスリを阻止した北野静雄さんもわれわれの時代の英雄だと思う。しかし、この稲葉光国さんのような方は、おそらくこの時代の偉人だと後世語り継ぐような人だろう。畠山重篤さんの存在にも仰天をしたが稲葉光国さんを知ったときも私は心底驚いた。朝日も、読売もボンクラばっかりだから皆さん名前もご存じない。ネット検索しても北野静雄さんや畠山重篤さんのようにその素顔もみつからなかった。しかし、自分たちの「平成」って時代は、きっとこんな素晴らしい人達で着実に守られているのだ。日本を守っているものは、自衛隊でも在日米軍でもない。このような無名の熱い志の民間研究者たちのはたらきで守られているのだと心から思う。自分が子供の頃(また、子供の頃の話で恐縮だが・・・)自分の祖父が父親の実家で叔父たちに一生懸命反駁しているのを記憶をしている。実家にやってきた小型三輪車で、叔父が屎尿を遠方に廃棄しに頻繁にでかけてゆくことについて悲憤慷慨していたのだ。祖父からすれば、人間の屎尿というものは先祖伝来田畑にとってはかかせない農業生産者にとってのお宝。お金をだしても購入したいほどのお値打ちの資源なのである。それをよりによって昭和30年代に華々しく実家にやってきたモータリゼーションのはしりであるダイハツミゼットで遠方まで投棄するとは、、、祖父の驚きは怒りでもあった。18世紀末以後の江戸で1年間に農家が支払う金額は、大人10人あたり2分か3分、4分が1両だから店子が30人いる長屋なら、年末に1~2両の収入になった。一人前の大工の月収が月2両程度。丁店中の尻で大家は餅をつき」 記録によれば太子堂村(現世田谷区)の名主森家では二人の日雇いを雇い、月に半分ぐらいの日数を青山、赤坂辺まで往復約3里の道程を歩いて下肥1荷(約60キログラム)を担いで運んでいる。馬や小車も使われた。屎尿の品質にはランクがあり、上級品は大名・旗本・大店、中級品は一般の武家・町屋、下級品は貧民の多い長屋のものであった。このような記録を拝読しても分かるように、われわれの糞や尿を水洗式などと澄まして下水へ流し、果ては海へ捨ててしまうというような野蛮な真似を行なうようになったのはまだ自分が小学生時代からの日の浅い習慣に過ぎない。江戸時代には、我々のトイレにむざむざ捨てている屎尿は立派な商品として流通しており、あまつさえ相場すらあったのだ。どちらが社会環境にとって健常なすがたであるか。それは言うまでも無い。現在のわれわれの生活が病的なのである。自分は、祖父が必死になって叔父たちの暴挙に抗議している姿をはっきりと記憶している。叔父は、当時旭化成などからリリースされ始めた農薬を使用することが現代流儀だと強く主張し祖父の異論を封殺した。われわれの知る農業とは、このようにして現在の姿になったのだ。稲葉光圀さんの活躍を知れば、死んだ祖父が泣いて喜んだことだろう。なんと稲葉光国さんは農薬を使用せず、除草薬を使用せず、しかも美味しくて生産性の高い稲穂(お米)を作れるということを実証した。いわゆる稲葉農法といわれるものの考案者だ。その素晴らしさは、知れば知るほど強い感動が湧いてくる。祖父が怒りに身を震わせて、ミゼットで村の外へ運ばれる屎尿を眺めていたその当時自分は父親の実家の村の川を奪われた。農業用水に大量の農薬が流れ出ているために、前年まで夏に泳げた川には入ってはいけないとの禁止を喰らった。それ以来、私も従兄弟も父親の実家周辺の川で一度も泳いだ事はない。その日から、すでに50年を経過した。自分にとっては、あの半ズボンの時代の川の思い出を呼び戻す一大革命が始まったという強い思いが湧く。
2004年08月23日
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昨晩、大阪で「華氏911」をみた。眠かった。映画から教えられることは少ない。ほとんど、事前に日本の良心的なメデアやネット配信の情報で知っていることで今回新たに知ったことはほぼない。さりとて、映画人の井筒和生がさもしいケチをつけているように無意味な映画だとも思わない。映画としては、かつてJudy Irving女史がつくってたDark Circle(1982)なんかの労作に比べるとスタイルは似ているが、相当手抜きだという気がしてならない。さはさりながらムーアがつくる映画にはアメリカに脈打つひとつの流れだということは確認しておきたい。Dark Circle: Nonfiction feature about nuclear weapons and power, told by those directly affected. 1983, updated 1991, New Yorker Films. Distributed worldwide in seven languages. Broadcast on PBS prime-time network series, "P.O.V.," won National Emmy. Producer/Director/Writer/Narrator. "Completely riveting," Roger Ebert.※1990年に全米で放映されエミー賞最優秀長編ドキュメンタリー賞を受賞。それを受けた形で、日本でも「NHK特集」の枠でオンエアされた。日本未公開それに比べて、井筒のコメントはさらに眠い。映画とちゃうで、こんなん。“報道スペシャル”には勝たれへん、言うてんねん。取材していくのにプロの取材をしてないように思うねん。小泉さん見ても、何もびびることないと思います。たわいないドキュメントです。ブッシュは屁とも思ってないでしょうね。カンヌが熱狂したって・・みんなTVとか見てへんのかね?おれは熱狂してへんよ。(「華氏」のポスターに載っている自分の記事を見て)書いてないのにのっけられてる!おれ書いてないよ、これ。おかしいよ!×つけといて! 悪いが、自分はムーアの映画には金を出して二度みたことになるが井筒の映画を一度もみようと思ったことがない。いってみれば、映像の消費者としての「自分」は、映画としてどうか、とか映画として成立しているのか、という問題はどうでもいいと思っている。映画をみるという行動にそれほどの意味があるものか。「欲しい」か「欲しくないか」だけである。自分にとって井筒和生やその表現なるものは「欲しい」とも、意味があるとも思わないが、ムーアの映画。いまはとりあえずないよりマシという程度の意味は感じた。これは決定的な差だ。すこしは我々が欲しくなる映画をつくってからものを言え、井筒。21日の夜、最終上映にすら整理券がだされてフロアーを埋め尽くす観客をみてきた実感からいえばこの映画へのヒラの庶民の関心は尋常なものではない。映画として「正しく消費されていようがいるまい」が平素から稼げる映画をつくっているつもりの井筒は、他の稼げている映画を批判するのならば、ムーア以上に稼いでからモノを言えばよろしい。少なくともみにゆこうぜ、って思わせたムーアは間違いなく井筒よりも成功した映画制作者だろう。井筒、少しは日本の庶民や大人がとりあえず観に行こうと思うような映画を黙々とつくってみろ。
2004年08月22日
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ふたたび、NTTのサポートと電話での応酬が始まった。これはどうした事なのか。NTT側も、困惑しはじめている。すべてに渡って未経験な反応が生じるというのだ。連日、相当な件数のサポートをしているがあまり見聞したことがない挙動が多く、すっかり自信を無くしてしまった。電話を何度も中断してNTT内部で相当時間協議しているようだった。最後に、NTT側のサポートがモデムの故障、もしくは故障という判断で取替えを行いサポートの業務は打ち止めにさせて欲しい、と泣きついてきた。私はモデムを取り替えて直せるのであれば、それで結構とさっそくモデムの取替えを依頼した。実は、前日もNTT側は初期型XPでのトラブルをさまざま経験していて、NTT側のモデムとの相性の悪さを経験してきているとかで、最新バージョンのADSLモデム用設定ソフトを急送してきていた。朝にも、そのソフトで立ち上げたもののそれでも通信設定を拒否したのがFMV L18B/Fで、これにはさすがのNTTのサポートもショックを隠せなかった。それで、至近の営業所から管理職がまあたらしいADSLのモデムを持参して数時間ですっとんできた。コワモテのオヤジだったが、プロ意識のかたまりのようで実直にモデムをチェックしていた。ところが、その管理職オヤジがいうには、旧いモデムも持参した新しいモデムもいずれもADSLの信号がきちんと動作している。けっして旧いモデムが信号をひろっていないわけではない。つまり故障しているのはNTTのモデムではない、という事が判明した。モデムが故障だと判断したNTTのサポートは、その管理職から怒鳴りあげられていた。またしても、振り出しに戻る。富士通のFMV L18B/F側のトラブルであることが事実上判明したわけだ。そこで、ふたたび金曜日を費やしての富士通サポート屋AzbyClubとの応酬が始まる。これはまた腹立たしい。リカバリーを苦労して行なっているにもかかわらず、皆目挙動が変わらない。今度は富士通側のサポートが、内部協議に追われることになる。いくらさまざまに点検項目をつくしても一向に、FMV L18B/F を認識しようとしないのだ。そこで、ようやく容疑者が浮かび上がってきた。この特定作業だって、生半可なチェック項目ではない。蚊の目玉のような小さなインディケーターがフロントの液晶画面の左側についている。それがみどり色なのか、オレンジ色なのかを報告しろとサポート屋は言う。しかし、そんなランプは、ついているのかついていないのかが分からないほどか細い点灯状態だ。まして、それがみどり色なのか、オレンジ色なのか分かるはずもない。社内のルーペを持ってこさせて、なんど視認してみてもみどり色なのかオレンジ色なのかがついに分からないままだった。実は、富士通のFMV L18B/F というパソコンはけっして安いパソコンではない。購入当時は、オープンプライスで30万円以上で購入しているのではないか。それほどの高価なパソコンだが、さりとて高性能というわけでもない。自分がみているかぎりではドウでも良いようなくだらないアクセサリーやアプリケーションを山盛りに投入して、割高なものに仕立てあげたものだと印象した。その中で、この富士通独自の奇怪な機能がついている。「ホームネットワークの新しい使い方を提案する」などという美名のもとに、、、昨今のブロードバンド・インターネットの普及により、パソコンは「一家に一台」から「一人に一台」の時代を迎えています。今回の新製品は、「ホームサーバー機能」により、家庭内の複数のパソコンをワイヤレスで接続しホームネットワークを構築することができます。『FMV-DESKPOWER Lシリーズ』は、17型ワイド液晶ディスプレイ一体型のスタイリッシュな新デザインを採用した省スペースパソコンです。「ホームサーバー機能」を内蔵することにより、家庭内の他のパソコンとブロードバンド・インターネット回線や、様々なデータを共有することができます。これにより、ハードディスクに蓄積したテレビ番組や音楽データを他のパソコンから視聴でき、今後オーディオシステムにストリーミング再生できるようになります。さらに外出先からノートパソコンや携帯電話を利用してパソコン内のデータにアクセスしたり、テレビ番組の録画予約を行うことができます。ああ、あの木村拓也がテレビでくだらないコマーシャルをしている。あれ、あれ。「あのパソコンがこれか」と、ようやく得心がいった。富士通ファンならば、木村拓也のCMでおなじみのってあたりなのだろうが、木村拓也にも富士通にも興味のない自分は、くだらないCMと動作しない絵に描いた餅のような付加機能で消費者を欺くような売り方が富士通の面目躍如だとつくづく感服した。富士通のサポートのニュアンスは、まったくもってニフティーのそれと同じだ。消費者を待たせることは平気で、迅速さのかけらも無い。なんども同じ電話操作を要求して、サポート登録番号を入力させ、購入者の名前を名乗らせ、名前が違えば勿体つけて一切サポートに応じようとしない。購入時登録の電話番号まで言わせて、電話番号が違えばサポートには着手しない、などと平気で言う。最後に、10回以上もサポートに電話をいれると、それ以後の相談は有償だ。カネを払えというのだ。製品の不備へ抗議するにも、カネがいるらしい。丸々二日も騒がせられて、こちらは仕事がまるで進まず自分も朦朧とするぐらい振り回されあまつさえNTTのADSL屋のサポートまで翻弄されている。ADSLの機材部隊まで管理職を動員して当方へ駆けつけてきてまでの信号確認をしているのだ。しかし、富士通側のサポート屋は、「ご登録の10桁のAzbyClub番号をご入力ください」などと平然と述べる。これで沸騰しない人間がいれば、血肉が通っていない消費者というものであろう。しかも、最後の富士通側のサポート屋は女性で懇切丁寧にチェック方法を教えてくれたがその結果やはり「容疑者」は、その「ホームサーバー機能」の重篤なトラブルだろうとい推量になった。そして、電源ケーブルを抜いて30分もの長い放電を行なったのちに再度ホームサーバー機能の初期化を実行して、初期化に失敗したならばそのなんちゃらクラブの「修理屋」に電話をしなさい、などとのご託宣を述べた。すでに金曜日の夜、9時を越えていた。その会社の社長は、国内大手取引先である●●●●●●の受注関連のニュースが入っているメールが読めないために浮き足立っていた。自分は、それまで一貫してクールに対処していたが、さすがにこの女性に向けて静かに切出した。「お気づきかと思うが、このパソコンはこちらの会社代表が社内事業の中でも特別重要度の高い活動のために、専用でスタンドアローンで使用している。ホームサーバー機能などという不思議な装備は、まったく必要がなく結果的には使用目的のアダとなっている。しかし、今回残ったのは御社パソコンの高機能ぶりを発揮したのではなく、富士通製品にはきわめて高いリスクが存在する、という印象だけだった。これは細部のデザインの不明さも含めて、のちのちこちらの会社には強い不快さとして残るだろう。ひらたくいえば二度とこの会社は富士通製品のパソコンは購入しないだろう」要約すればそのようなことだ。それから一時間後、ようやく富士通のサポート屋さんから指示されたメニューをこなし初期化に失敗したことで、決着した。まるまる二日の大騒動が富士通FMV L18B/Fの重篤な故障もしくはトラブルが原因となり、外部のADSL信号を受け付けなくなっているものとほぼ判明した。富士通の修理屋の窓口へ電話を入れる。どうやら、この手の故障が多いらしい。過剰装備のような「ホームサーバー機能」とやらは通常オフィスなどでパソコンの外部にあるサーバーやルーターなどの諸機能を一台のパソコンに内臓させて、一気に家庭内の家族全員のパソコンと無線で家庭内LANを構築しようという、とんでもないアイデアに基づく機能らしい。そこが今回脆くも壊れた。修理屋に、「どれぐらいの費用と、日時がかかるのか」と問いただしたところ仰天ものだ。「保証期間を過ぎていますからねえ、ホームサーバー機能のお取替えで6万円弱。それにマザーボードに支障があれば、さらに3万円は必要でして、ハードディスクに不安を感じるような事例だと、さらに加算されますから最悪は11万円ぐらいはご予算いただければと存じます」などと言う。このまる二日間の徒労に終わった作業のすべてを一気に思い出して、ふたたび確信した。自分は、今後絶対に富士通製品を購入しない。
2004年08月21日
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私が偏見持ちなのは、自覚がある。しかし、偏見にも根拠らしきものはあるものでやはりえてしてそれなりの背景もあるのではないか。自分の富士通パソコンへの偏見は平素から結構根深いものがある。まず、かたちが嫌い。富士通パソコンを購入する人が嫌い、みたいなレベルかもしれないが、同社の製品には自分の気持ちの琴線に触れるものがなぜか無いんだと思う。93年から、10年以上もニフティーだけをプロバイダーにつかって脇目をふらず利用してきたがゆえに猛烈な富士通嫌いになってしまった。これからも絶対に個人で富士通のパソコンを購入することはないと思う。ここ数日楽天広場を留守にしていた。それも知人の会社で社長を中心の特命業務を行なっているチームがあり、パソコンがトラブルが起きた。社内的にも秘密のプロジェクトが多々進行していることもあり、社長が懇意で内容を秘匿できるという事で自分に調整を依頼してきたのだ。年齢のわりにパソコン習熟度がやや高いという点もあって、かねてからそちらの社長に信任されているようだ。本来は、そちらの社長がパソコンに弱すぎるという傾向があるのだ。しかし、そのおかげで好感を抱かれているのであれば悪いことでもない。さっそく出かけてくだんの富士通FMV L18B/F と取っ組み合いを行なった。これは、2002年モデルだ。それほど旧いという感じはない。自分は、たまたま富士通製品ぎらいでさわったことがないが、いぜん江蘇省の総経理の依頼で一台購入して送りつけた記憶がある。同型機種のパソコンだった。あとで国際電話があり、画面が広くてみやすいと嬉しそうに伝えてきたことを記憶している。しかし、いずれのパソコンもとりどりに不思議な挙動をするもので自分が知っているWindows XP のチューニングをすべて投じてもなかなか速度が改善しない。操作性が極めて悪いのだ。自宅の、牛丼パソコンの無名ブランドがかなりきびきびと動くのに比較しても、これは極端に動作が間延びして不審な遅さだ。初期設定のままで使っているのも問題で、かなり無駄なソフトが装着されていた。当然ビシバシ削除していったが、一向に軽くなる気配がない。しかも、肝心なプロジェクト相手からのメールが届いているはずの通信ができなくなっていた。ADSLのモデムを認識できなくなっており、ネット検索はできないしメールはまったく取り込みできなくなっている。当初、NTTのサポートのお姉さんと何時間も応酬していたがついに判明せずに終わり富士通のサポート(AZBEY CLUB とか自称している部隊だ)と、入れかわり立ち代り散々応酬が続いた。まわりのプロジェクトチームも不安気に眺めている。自分も、妙な挙動が続くので不安になってくる。NTTのサポートも頭をかかえるような現象が続き翌日にまで持ち越した。その間、富士通側サポートは、これはもう限界なのでそんなにADSLモデムを認識しないのは、その他の不審な挙動から一旦パソコン内部を完全にリカバリーを行なって、再度設定を改めて最初から行え、という指導にいきついた。それまでの間に、もうへとへとになる応酬がありパソコン内部へのさまざまな調整がバカらしくなるほど徒労に終わったがいたしかたない。受注先からの大切な特命的なメールが社長に向けて何通も届いている筈なのだが社内の他のパソコンで開くなどをできない、と判断しているらしい。そのためにわざわざ社長がそのパソコンを他のLANから隔離してスタンドアローンでこのプロジェクトに割り当ててきたのだ。いたしかたなく、FMV L18B/F の内部のデーターをCDに焼付けて「引越し」で大騒動をしていた。まわりに操作できるものがいないので、結局自分が代替わりで実行するしかない。こんなときには経営陣のパソコン習熟度の低いことは、けっこうどこの会社でも当たり前ながらリスクだと思わないでもない。散々時間を費やして、翌日朝からようやくリカバリーを行なってパソコン内部は、まっさらになった筈だった。しかし、引き続きADSLのモデムをパソコンは認識をしようとはしなかった。(つづく)
2004年08月20日
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こちらには、19日参加した同窓会の話題を記する予定でした。FMV騒動で、前後しますがそのうちアップする予定です。(シャルドネ)
2004年08月19日
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名称 クロレラ [英]Chlorella [学名]Chlorella pyrenoidosa、Chlorella vulgarisなど(クロレラ属) 概要 クロレラは淡水に生息する緑藻の一つで、多量の葉緑素や種々の栄養素を含むものである。クロレラの中国語名は「緑藻」である。俗に「免疫能を向上させる」、「コレステロールや糖質の吸収を抑制する」などといわれているが、ヒトでの有効性については信頼できるデータが見当たらない。安全性については、下痢、疝痛、ガス、吐き気、光過敏症、喘息やアナフィラキシーなどのアレルギー症状を起こすことが報告されている。・抗酸化物質としてコレステロールの酸化を抑えると考えられている(64)。 ・経口摂取することで免疫系を刺激して、白血球の数を上げると考えられている(64)。 ・エネルギーを上げ、解毒を促進する目的で用いられる(64)。 ・試験管内及び動物での実験では、クロレラの成分は抗腫瘍、免疫システム活性化、抗ウイルス活性が示されている。クロレラはマクロファージや多形核白血球の数と活性を上げるらしい。また、細胞壁由来の多糖類は、インターフェロンの産生を誘導するかもしれない。しかし、これらの知見についてはヒトでの評価はなされていない(64)。 ・白血球の貪食能を調べ、胸腺、ファブリキウス嚢、脾臓、虫垂、下垂体、ハーダー腺などを組織学的に調べたところ、体重は0.5%淡水藻類投与により増加し、白血球の貪食能は有意に増加し、腸管のリンパ組織とハーダー腺は刺激されていた(102)。 医薬品等との相互作用 クロレラにはビタミンKが含まれるため、ワルファリンなど抗血液凝固薬の作用を減弱させることが考えられる(101)。 安全性 食品として通常の食事の補助として使う場合には安全性が示唆されているが、他の使用法では安全性に関して十分な情報がない。副作用としては、下痢、疝痛、ガス、吐き気、光過敏症、喘息やアナフィラキシーなどアレルギー症状も報告されている。ようやく、ありうべき国の国民にたいする健康食品や機能性食品についての客観公正なアナウンス機能がかたちになり始めた。「健康食品」の安全性・有効性情報(クリックでジャンプします)独立行政法人国立健康・栄養研究所のサイトから適宜客観公正な判断材料がひろく国民に提示されるようになったことは喜ばしい。こちらにはアロエについてのコメントの事例をしめしたが、以下。それぞれ個別にサイトにかかげられた関心のある素材情報と詳細にあたられたい。キシリトールや、アガリリスク、ウコン、ビール酵母、などなど五十音順に所望の情報が即座にとりだせるようになっている。そろそろ、国民のなかに巣くう「バカの壁」を減らそうという試みではないでしょうか。
2004年08月14日
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怒りの孤島は小学校4年の時に見ました。サクマのドロップの場面は今でも忘れられません。崖の上からの場面がエンディングでした。見た映画館は、今は阪神高速の高架の下です。皆さんに見て欲しい映画です。オイラも、日記のどこかに書きました。怒りの孤島、という映画について他人様が言及されるのは、中程度の長さの人生で、初めてです。本当に印象深い映画です。60年代、ということは、オイラは中学生です。とすれば、記憶違いですか。。。小学校4年ですと、1958年ですから。ぼちぼち7203さん 小学時代には、映画がまさしく人生道場であり学校でした。小学校時代の教師諸兄には申し訳ないけれど、教え子の我々の方が当時スクリーンの内、外に人生の修羅場を遥かに多くみていたわけで、教室で形式論理をまくしたて、女生徒の背中に花瓶の水を流して喜んでいるような担任たちなどを腹の底から軽侮していたという記憶が鮮烈にあります。映画「おとうと」(クリックでジャンプします)岸恵子は、小学生時代の自分には憧れの女優さんでした。小学生ながら彼女の相当危ない映画も、みています。いまどきの成人映画よりもシンボリックな意味で遥かに危険なかおりがスクリーンに放たれていたです。映画「からみあい」(クリックでジャンプします)浅丘ルリ子は、どんな映画でも全身全霊という感じでしたね。残念ながら、ただの一作も彼女の背丈にあったという完成度の映画がない。いつも裕次郎や、小林旭のそえもののようで気の毒なほど。それでも戦後映画史に赫々と輝く大女優だったことは間違いがないでしょう。映画「愛と死のかたみ」↑画像から松尾和子の絶唱「再会」へジャンプします。再会佐伯孝夫 作詞吉田 正 作曲逢えなくなって 初めて知った海より深い 恋心こんなにあなたを 愛してるなんてああ ああ 鴎にも わかりはしないみんなは悪い 人だと云うが私にゃいつも 良い人だったちっちゃな青空 監獄の壁をああ ああ 見つめつつ ないてるあなた仲良く二人 およいだ海へ一人で今日は 来た私再び逢える日 指おり数えるああ ああ 指さきに 夕陽がしずむ小学生って、馬鹿にしたものではないと当時も今も思う。正義感という骨格は、いつも楽天日記で自分が言うことだけれども小学生時代が頂上であり極相だ。あとは、汚れて身過ぎ世過ぎで生半可な事を口にできるようになるだけだと思っている。本当は、行政も国政も小学生を担当させてみればいいんじゃないかと思ってしまう時もある。
2004年08月13日
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しかし、井上ひさしも野坂昭如もベースに良いDNAをもっていた。シャルドネさんもどうやらそんなDNAをもっていたようです。これは特別な才能、凡人が真似をしてもムダなんだろうと思います。自然体がいちばん…。msk222さん井上ひさし、野坂昭如などという作家は私は好んで読んできました。井上ひさし氏は、あの「ひょうこりひょうたん島」の原作者として自分達の年代には圧倒的な認知がありました。野坂昭如氏は、たしかに「火垂れるの墓」の強い衝撃は60年代から隠然とあった気がします。宮崎駿のアニメ化して以後、ますますそのコアなメッセージは光芒を放っているという気がします。しかし、一方で家庭人としておふたりがどれほどのものであるのかはまったく不明です。本名内山廈。1934年11月16日、山形県川西町(旧小松町中小松)で生まれる。父の早世、母が持ち逃げに遭うなど苦しい生活の中、仙台のカトリック系孤児院に入る。奨学金を得て上智大学文学部フランス語学科卒業。在学中から浅草のストリップ劇場「フランス座」で戯曲台本や進行などのアルバイトをする。大学卒業後、放送作家となり、山本護久ととともにNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」(1964~1969年)の台本を担当。戯曲、作詞、エッセイ、評論、小説などに活躍。1984年に劇団「こまつ座」を結成。妻:西舘代志子さんに猛烈な家庭内暴力(DV)をふるったとされ、離婚に至った。現在、西館さんはDVを題材にした本の出版や講演活動を行っている。井上ひさし氏の前妻、西館好子さんとの悲惨なまでの家庭内暴力の話は繰り返し耳に入ります。検索エンジンで叩けば延々とでてきますね。「肋骨と左の鎖骨にひびが入り、鼓膜は破れ、全身打撲。顔はぶよぶよのゴムまりのよう。耳と鼻から血が吹き出て…」西館好子さんと、井上ひさし氏の確執の激しさは最後には夫婦とか男女を越えて路線闘争の様相だったのかもしれない。また、どんなに酷い対立をしていても限度を越えた暴力に及ばない人と、そうでない人との差はあるもので。年齢的に、戦時体験をして来た人達の中にはいかんともしがたい鉄拳衝動のようなものがあるようにみうける。虐待された人達は、反転して加虐的になるというケースは少なくなかったかも。小泉首相の後見人が森「神の国」喜朗前首相だが、ある雑誌が同氏が大学生時代に買春で逮捕された動かぬ証拠を公表した。すると、森氏は司法官僚と共謀して、この雑誌を訴え、東京地裁は森氏に偽証を許して、同氏の勝ちとした。また、森「オットセイ」氏の弟子の小泉首相の暗い影を英米の諜報機関は握っている。同首相の「ロンドン遊学」の真相は、ある女性に対するハレンチ行為が警察ざたになるのを恐れて、父親の防衛庁長官(当時)が英国にほとぼりがさめるまでと逃がしたものらしい。しかし、日本のメディアはこの真相追及はしない。今、こんな及び腰のメディアをも封じ込めるのが個人情報保護法である。 霍見芳浩(ニューヨーク市立大教授)(クリックでジャンプします)くりかえし、くりかえし浮上する小泉純一郎総理大臣の「ロンドン逃亡説」。まったく格別な意味も無く27歳までプータローをやっていた小泉総理のその「人生イロイロ」。選挙前にもひともんちゃくあった小泉氏が婦女暴行疑惑で、なるほどイギリス留学歴を詐称してまでの身辺配慮を行なっていたという疑惑が、いかに父上の小泉純也氏の骨折りで隠しおおそうと腐心しても幾度も露呈してしまうもののようだ。他ならぬ自民党の党内からその風評は途切れる事なく小泉総理誕生以前からささやかれていた。年齢的にも、従兄などと近い。いきおい類推もできるのだけれど確かにこの年代は婦女暴行の事実があったか、否かはともかくも。概して無意識が荒れてすさんでいる傾向が存在している。これは分かる。いまの時代から到底想像も推量もできないほど、女性に対する距離感や蔑視が心身に染み込んでいるのは彼らから10年ほど後に。とにもかくにも戦乱が沈静化してはいた時代に生まれた自分には微妙に見え隠れする部分が多い。ネットでみれば、女性に対する暴力については容赦ない声が大多数を占めている。私もそれをまったく否定しない。ただ、彼らの年代に今から想像ができないような状況や抑圧があったことも証言しておかないといけないという気がする。女性に暴力を振るうというとんでもない衝動は、またそれをもたらした「なんらかの社会関係」が存在したという事でもある。自分自身は、「ベースに良いDNA」というものがどうしても理解できない。あるとすれば運、不運ではないかと思う。自分は、幼少時には鈍いぼんやりとした俊敏さのない少年だったらしく七歳年上の父親の従妹にあたるお姉さんに随分と可愛がられて育った。なにをしてもボーとしている鈍さが可愛いと思えたのかもしれない。よちよち歩きの頃から長男で上に兄姉がいない自分は、いつも朗らかで抱っこしてくれる父の従妹を姉のように付き従っていたように記憶している。彼女のように、手放しで可愛がってくれた女性が自分の身近にいたのは本当に偶然に過ぎない幸運だという気がする。母親であろうが、なかろうが女性からたっぷりと愛情をそそがれている男はおそらく女性に対して限度を越えた暴力を行使することはないのではないか。例外は知らないが、ふとそんな気がした。井上ひさし氏や小泉総理は、そんな意味合いからは少し不幸な人なのではないかという風な予感がする。貧乏人の自分が彼らの同情をするのも不遜であるが、幼少期には女性から愛されちゃった方が勝ちだという気がする。
2004年08月12日
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全ては子供に繋がります。養育、教育…お金のかかる事ばかりです。特に成長に伴い、支出も比例します。今まで主人の収入のみでは、幼稚園からエスカレーター式の私学通い二人では無理があり、ワタシの親の助けと相続金で賄ってきたのが原因です。主人は教育に関して全くの無知、無関心!単身赴任前はギャンブル三昧!何度離婚を考えた事か…今思えば早く決断すべきだったと後悔しています。メールで説明するには難しいです。宝塚市在住 主婦Aエンジェル係数という奴ですね。でも、不思議。自分たちの半ズボンの頃には存在しなかった養育、教育に大きな金銭負担とは。井上ひさしも孤児院出身。神戸にも馴染みの深い野坂昭如は「火垂るの墓」の戦災孤児。戦後の教育に投じられた資金と努力とは、本当に教育に必要な資金だったのならば、そんなものとまったく疎遠だった井上ひさしや野坂昭如などがはたして作家になれたのだろうか、と思いました。自分は、教育大付属池田と同じような坊ちゃん学校から船場の有名高校に行きましたが、自分自身はあんな反教育的な学校組織はない、といまだに憤懣やるかたない思いがあります。(クリックでジャンプします)同窓には、裁判官や検察官もいます。大手メデアで偉い人をやっているような方もいるかもしれません。しかし、あんなくだらない学校はなかったと今でも確信しているわけです。その証拠に、どいつもこいつもロクな奴がおりません。やっていることは悪い事ばかりでしょう?組織をのぼりつめて公金を詐取して、ふところを肥やしているのばかり。そして日本には一切貯えがない事態になっている。戦後大切に積み上げた筈の1300兆円の個人資産の大半は知らないうちに国外へ持ち出しされているではないですか。経済新聞を読まれていますか?ご期待の学校組織の文化が作ったものなんですよ。戦後の教育は本質的な意味で人間を養ってはきていません。大阪の日本橋や東京の秋葉原を一度歩いてみてください。戦後教育がまともであれば、あの町の今があんな風にならないと私は思う。まして、その教育に実家と相続金を投じてなさったというのは少々奇異な気がします。教育というのは、どこかで誰かに教わってくるものではなくてAさん、あなたが行いをしめしてお子さんに伝えるものですよ。あなたの行いが「教育」そのものなんです。有名私学へ子弟を送り込むことが教育なのではありません。子供は、ほかならぬ親の願望に向けて努力をすることでしょうが、親の願望そのものが教育的意味をあらかじめ希薄にしているのであれば身体は成長をしてもけっして幸せにはなりづらいと思うんですよ。あなたの配偶者が無知、無関心だということですが教育についての無知、無関心という事はないでしょう。なぜならば教育とはAさんとご主人のお2人の夫婦としての振る舞いの事だからです。自分で振り返って学校で教えられたことで、まともに世の中で役に立ったことなぞ数えるほどもありません。自分が世の中で、役立ったり励まされたのは親の働く後姿の記憶だったと私は思っています。そうですか、元気を貰いましたか。なにより元気が一番ですね。
2004年08月11日
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日本の初等中等教育はでたらめだ。都市という地域に合致した人間をつくるために、肉体をもった自然を最初から管理してかかる。「肉体をもった自然」とは子供のことだ。昨今、どこのニュータウンをながめても欧米なみの立派な公園はあるが肝心の子供の姿がみえない。公園だってりっぱな人工造形であるがそんな公園にすら子供を解き放つことをしない理由は、自然はやはりどこまでいっても人間の小道具、大道具だという発想だろう。自然を道具だと思うから、海遊館のようにたかだか大きな水槽でしかない箱をゼネコンにつくらせて、わざわざ近鉄のバスかなにかで大挙して水槽を眺めにゆくことになる。太平洋で泳いでいてこそのジンベイ鮫を窮屈な水槽に泳がせておいて「おお、みごとに閉じ込められているわい」という風に感動する他愛ない都市部の善良な市民に大枚をまきあげて鑑賞させてきたわけだ。おかげで東南アジアの海洋汚染は「海遊館汚染」の様相である。そこへ軍国主義者のディズニーが殊勝気に父子愛を謳った罪作りなニモを持ち込みしてくれたおかげで日本中に海洋汚染の共犯者が氾濫してしまった。(笑)なんで海の生物をわざわざトイレに流すなどというばかばかしいディズニー流儀の仕立てられた映像都合な感動のために膨大な規模の熱帯魚が青酸中毒で殺戮されなければならないのか。不条理としかいいようがない。以下に、Monterey Bay Aquarium の紹介をしている。ここでは紹介しているのはたまたまシャルドネだが、水族館自体が海の紹介者に徹している。この水族館も凄い。内海の海中をそのまま鑑賞させる考案だ。どこにもゼネコン好みの水槽などない。こちらの水族館は、海をそのまま眺めるという正しい思想でできている。ほかならぬ海遊館がモデルにしたものだ。モデルにしておきながら、日本側では海を世界に先駆けて汚染させまくっているのだから「日本の常識、世界の非常識」を絵に描いたような漫画である。ことは海遊館にかぎらない。日本中の水族館は、どこかも似たようなものだろう。日本人はキレイ好きだという。しかし、周囲を汚してまわって平然としている点では誰の眼にも国中糞糞まみれの中国人よりも遥かにダーティーだという風に思えないでもない。少しはわれわれが自己像を修正する必要がないだろうか。この怖そうなホオジロザメですら日本人が垂れ流すシアンや、ダイオキシン、その筋肉部分はPCBだらけになりつつある。彼らは日本人が仇だとも気づかずに静かに海に沈んでゆくだけ。なんとこんな凶悪そうな鮫よりも、迷妄な日本人は凶暴なまねをおこなっている。得意技は「知らぬ、存ぜぬ。忘れました」というわけだ。いや、実は日本人の食べているかまぼこは彼らの肉のすり身だったりする。けっきょくそれらダイオキシンやPCBはわれわれ日本人のお腹に入るのだ。 (クリックでMonterey Bay Aquarium 水族館にジャンプします)
2004年08月10日
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(↑画像は必ずクリックを)楽天日記に、はねられつづけて整然と投稿する意欲を削がれた。日曜日の報道特集で、あのカクレクマノミに代表される熱帯魚の今を取り上げていた。しかし、最近の報道特集って全体に鈍い感じがしてならない。田丸美寿々世代になってから、どこかの放送局の番組のリメークみたいなものばかりで独自にテーマを追っているというような迫力がすこぶる低い。しかし、この海洋汚染と日本の熱帯魚ブームの相関はかなり以前から伝えられていた。今回の報道は、まったくスクープ性がなく、またも状況を後追いしているという印象を強く感じた。70年代から、原発の問題は同じことがらを旋回している。なにも変わっていない。日本先住民であったアイヌは民族としても水を汚すことに対して実に繊細な恐れの感覚を抱いていたと聞く。彼らは、大地も自然も汚すことなく何千年も日本の国土を養ってきた。ところが米を喰らうわれわれの先祖はどうも水を汚すことが大好きらしい。「米を研ぐ」のも水を汚す作業だし、なんでもかんでも「水に流す」という神をおそれぬ所業を好む。神社にゆけば口を漱いで、穢れを落とすということなのだけれど落とされた「穢れ」の方は、水に流すのだ。アイヌ民族は、日本人の祖先がまだ大陸を追われて日本海を渡ってくるはるか以前からアリューシャン列島をわたりイヌイットともなり、南下してはアメリカインデアンとなった。南米のペルーのメヒコ(インディオ)も遺伝子的には同じ。彼らの特徴はみごとに水を汚さない。カクレクマノミに限らず、熱帯魚ブームとやらで大量のシアン化合物が熱帯の海にまきちらされている。ようするに需要期に必要な規模の熱帯魚を空輸してでもまにあわさなければならないために貧しいアジアの漁村があわてて金属メッキなどに使用する青酸ソーダのようなものを希釈して、くりかえし海洋にながしてまで熱帯魚を集めている。実は、田丸美寿々らは今ごろ気がついたように言っているがこの件だけでも相当以前から繰り返し行なわれている知れ渡った話である。大阪に、海遊館という近鉄系が経営するドデカイ水族館がある。こちらの熱帯魚を含めて、海外の魚類の収集に際してアジアの漁民による海洋汚染は相当話題になっていた。つまり、台湾などの漁民が珊瑚礁へ大量の青酸、シアン化合物をまきちらして沿岸部の海底中の自然環境が極度に悪化し、珊瑚礁が続々死滅していると環境保護団体は伝えていた。しかし、例によって例のごとく朝日、読売、毎日はまともに報道してはこなかった。いまごろ「ファインディングニモ」にかこつけて忘れた頃に報道特集がアリバイ証明を行なおうとしている。とかく、日本人は水や海を汚すことに躊躇がない。原子力発電所の冷却水は、放射能核種をいっぱい吸い込んで日本海に垂れ流し。なにしろ日本海側の原子力関連施設が廃棄する冷却水というもの。汚染物質だけではなく、熱までも捨てている。この廃熱たるや膨大なもので日本海全体の海温を2度も上げる力があるという。ほかならぬ田原総一郎の「原子力戦争」という本に書いてある。この本が発刊されたのは1973年だ。日本のジャーナリストも、垂れ流し体質は変わらない。(クリックでジャンプします)
2004年08月09日
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偶然、ネットで探しごとをしていて検索していたらなぜか独身女性の婚期遅れの話題にまぎれこんでしまった。(笑)普通ならば、先を急ぐのだけれど自分から考えて不思議なほど自虐的な話題が多いのでしばらく掲示板のスレッドを読んでいた。「婚期遅れ」「30過ぎては売れ残り」という話題が意味もなく旋回しているのでそれで閃いた。ようするに、その掲示板では自分の売り込み方をしらない人達がおなじような感覚の人達と馴れ合っているのだろう、と。自分は、常識的な感覚の持ち主なのか彼女らの実態を知らないせいもあるのか多分彼女らは自分を売り込むという努力をほとんどしてこなかった人達なのではないかという印象を抱いた。30過ぎなぞ、わたしからすれば女ざかりである。放っておいても売れるぐらい。女性の生涯でももっとも冴え渡っている季節だろう。なんという智恵の無い話だと嘆息した。言うまでも無いが、日本の国でベンチャー事業を目指したならば営業力がない人にはわずかな期間も、一瞬間も事業を維持することは難しい。もともと資金が少なく急成長を強いられているベンチャー事業者では停滞や立ち遅れは致命的な問題となる。つまり、今日売らなければならないものは今日間違いなく売り切ってしまう、というぐらいの仕掛けが連続してできなければ平行して開発性の高い製品の事業は立ち上げなど不可能であると言って良い。つまり、楽天広場などで話題になっている起業やニュービジネスを片手間で口笛ふきながらラクラクやれるぐらいのパワーが存在しなければ、けっして市場創生級の製品は手をだしてはいけない。片方で売り上げた利益を、一方の開発製品の販売管理費に犠牲にできるぐらいの辛酸を覚悟してはじめてなりたつもの。それが本格的な急成長期待型ベンチャー事業だと思う。そこで、独身女性の売り込み方を指南するつもりはさらさらないが、今日は営業力についての考え方を述べてみたい。営業にとって最も大切な能力の一つは言うまでも無くプレゼンテーション能力である。営業の仕事のうち、特に重要となる製品・サービスの販売計画から販路開拓において、自社の製品・サービスについて、顧客に「わかりやすく説明」できなければならない。「わかりやすく説明」するということは一見簡単なように見えて一番難しい要素である。何故なら「わかりやすく説明」することの前提には、自社のサービス・製品について正確な知識を持ち、簡潔に、誰が説明を受けてもわかるようにしなければならないということだからだ。現在パソコンは営業ツールとして無くてはならないものとなっている。中でもプレゼンテーションソフトとしてMicrosoftのPowerPointを使いこなせることは営業としては必須のスキルといえる。(毎日キャリアナビ)(クリックでジャンプします)こういう話は、いくらでも転がっているのだけれども果たして本当だろうか?「プレゼンテーション力」というのがいきなり来るか?そして、その系として「パワーポイント」だという神話だ。これに企業人事も相当そまっているらしい。いや、自分はつぶさに人事系の「現在」をみてあるいている。こんな通説というのか、企業内の風説のようなものが金太郎飴社会を席捲しているから困る。私は、まったく信じていない。まず、営業力がプレゼンテーション力などという人間。これはよほど営業力の不要な企業づとめしているのか、営業の技量を鍛えるチャンスがこれまで無かったか。または、営業センスが悪いのか。そのいずれか。または、すべてだろう。(もしかしたら広報や、販売促進を営業の本質的な部分と勘違いしているのかもしれない。)実は、あの坂井三郎氏の「大空のサムライ」を読んだ去年猛烈なショックを受けた。彼は、あの太平洋戦争で輝かしい戦績をあげて部下の僚機にただのひとりの戦死者をださずに終戦を迎えた撃墜王だ。その戦績が非力な機体についている7.7ミリ機銃ですべて叩き出されていると証言している。そして、彼は敵機との格闘戦など下の下だと述べている。つまり、ドッグファイトなどアホな戦闘機乗りのやることで世界の撃墜王はそのことごとくが背後からの急襲、接近戦で全弾命中させるという。これは凄い証言である。生き残った撃墜王が、しかも行いと思考を取りまとめる高い文書力の人でもあったという奇跡がもたらした貴重な時代証言だと私は思う。そして、これは私の実体験とみごとに符号する。つまり、読みながら「そうだ、そうだ」と本当に心から同意できる思いがあった。初期の零戦は冗談だろうと思われるほど、強かった。しかし、その高い能力は予想される以上に引き出した日本のパイロットの練度と高い士気、そして鍛え上げられた独創的なワザが多重にその戦績を裏づけた。戦後のわれわれがそれを読まない、耳かたむけない。ただそれだけのことなのだ。いずれにせよ、「プレゼンテーション力」などという教養的な技量を磨いておれば営業力でございますよ、などという非分析的な精神が日本の経済力をも疲弊させているとわたしなどは慨嘆せざるをえない。いうなれば、営業力のもっとも高度な発現は断然高い「マーケティング力」に依存をしている。そして、「マーケティング力」を一気に全開させることはいかなる高い技量の撃墜王にも不可能である。つまり圧倒的な「機会発見力」つまり「索敵力」こそが営業力の源泉である。こんなことも知らない人事屋どもに、恥も衒いもなくネット上の記事配信をさせているからいつまでたっても雇用のミスマッチが続くのだ。人事屋の総務支配もつくづく困ったものだ。
2004年08月08日
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愛と死をみつめろ!シリーズ(34)今日で、この「愛と死をみつめろ!」のシリーズはいったん終わりです。今日という日をぜひご記憶ください。原爆記念日翌日8月7日。いまから40年以上も前のことになりますけれども1963年8月7日。かつては日本国民の感涙をあつめた150万部もの巨大なベストセラー「愛と死をみつめて」で広く知られた大島みち子さんが亡くなられた日です。そして、このシリーズでくりかえし述べてきましたが今や書籍流通には一冊も存在せず、からくも記憶にとどめているものにさえその書にあたるに際しては大きな図書館に求める以外に探しだせないという程にわれわれ日本国民がみごとに掻き捨ててしまった何らかの「魂」の所在でした。わたしには、この日記に「愛と死をみつめろ」というシリーズにしていることに強い思いいれがある。われわれがこの40年間のあいだに書店の棚から完全に駆逐してしまい、記憶の痕跡からも消し去ってしまった事実。まさしくあの「愛と死をみつめる」という精神。消し去った事実そのもの。これがわたしたちの周囲から判断力を奪い去り蒸散させてしてしまったもの。今まさしくわれわれのひとり一人の決意や判断の根拠をゴシゴシと雑巾がけで消したっている同じ「力」なのだと思う。カントののべる「判断力」とは、わかりやすく言えばわれわれの美についての感覚のようなものだ。愛と死から眼をそらし、われわれは美しく生きているのだろうか。 (クリックでジャンプします)この原作は、なかなか手にいれることはできないかもしれませんが素晴らしい日記です。すくなくともいまに残っている湿っぽい歌謡曲の旋律やあの焦点のボケた演技で知られる吉永小百合などという女優の映像に食傷されたりなど遠ざけておられる方がたにぜひ一度この入手し難い原作をお読みになられることを強くお薦めします。われわれがたった40年ほどのあいだに、どれだけのものを喪失したのかというその「瀬踏み」を強いるだけの迫力があると私は考えるものです。最後に、あらためて大島みち子さんに心から哀悼の意を述べたいと思います。大島みち子『若きいのちの日記』より病院の外に健康な日を三日下さい。一日目、私は故郷に飛んで帰りましょう。そして、おじいちゃんの肩を叩いてそれから母と台所に立ちましょうおいしいサラダを作って父にアツカンを一本つけて妹たちと楽しい食卓を囲みましょう。二日目、私は貴方の所へ飛んで行きたい。貴方と遊びたいなんていいません。お部屋をお掃除してあげて、ワイシャツにアイロンをかけてあげておいしいお料理を作ってあげたいの、そのかわり、お別れの時 やさしくキスしてね。三日目、私は一人ぼっちで思い出と遊びます。そして静かに一日が過ぎたら三日間の健康ありがとうと笑って永遠の眠りにつくでしょう。(クリックでジャンプします)
2004年08月07日
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愛と死をみつめろ!シリーズ(28)大阪のご高齢な社長さんのことである、気が向いたら電話してくださる。北野高校から京都大学へ。卒業後いまの会社をつくり戦後草分けの起業家として、さまざまな経験を語っていただける旧知の方です。ご年輩ながら、パソコン通信の頃からヘンな奴が好きやねん、とずっと物陰から見守ってくださっているらしい。メルマガの読者の一人なのかもしれない。あと、以前には同年輩には日本フルハップ(旧西日本KSD)のイトキン氏などがそんな風であったが大阪のニフティーでビジネス系フリークの拠点が崩壊をしてからは氏とは立ち消えになった。また氏の場合は所詮は元高級官僚。それに比してこの社長さんは私と同じように零細事業者としてさまざまな大手企業と丁々発止、干戈交えて戦い続けてきた人。イトキン氏のように出身省庁から団体の専務理事で楽隠居されている人とはやはりモチベーションが違う。私と視点が近いことも大きいでしょう。ひさびさの社長さんの電話口の声をきいて、ピンと来た。先日も、堀場雅夫らが構成する「目利き委員会」(正確には、京都市ベンチャー目利き委員会)が、Aランク認定企業にかかげているある事業者を知って驚きました。予想されていたこととはいえ呆れてものが言えないわけです。ほかならぬ堀場雅夫が、わたしに対して赤坂プリンスで「三和銀行が自分ところにもってきたが、くだらないと一蹴した」と直々に酷評したまさしくそれ。そのプランがかたちになりその後の諸兄の奔走で米国標準にもなった、その製品をつくっただけの事業者がなぜに堀場雅夫所属の「目利き委員会」でAランク認定になるのか。いや、実態はその事業者代表の祖父が創業した大手上場企業の工場で製造されただけなんですが、、、この部分を面白がって、反応されたのでした。世間では分かりきったことを、そこそこ年齢もくっている私が性懲りもなく青臭いことをいって突っ張っているのが笑えるということらしい。「そらあ、そうや。あんた、当時北野や天王寺でて東大や京大いった人間なんかいま大手企業で役員や専務、常務、社長になっているのがゴロゴロおる。堀場も京大やろ。あんな人ら、いまや雲の上の人で君らごとき『ゴマメの歯ぎしり』系のベンチャーなんか人間やと思ってないって・・・」「だいたい、実力主義やとか能力至上主義やとか言うてみたってやなあ。あんな人らは、自分の出た東大やら京大でたクラスの後輩しか可愛いとおもわへんし、そういう安心感の中でしか気持ちよく後継者にしようという考えあらへんで」「だから、実力主義で競争させるのもそのあたりの大学でた後輩の中で競争させよるんやけれど、君らみたいにそこまでいけへんかったようなタイプが、どんなドハズレた凄いことやってもあの人ら黙ってパクルの全然良心傷まへんねん」「まして京都の人間やろ。わしら大阪の人間と違うがな。眉毛も動かさんと、平気で片足で潰してポイしよるで。まあ、面白い経験したよなあ。あんたも。そうか、そうか」「まあ、そんな連中の正体はそんなもんや」と、折り込んで戦うしかないよとの暖かいお言葉であります。そんななか、新発想ビジネスヒントフォーラム時代からの旧い知人S氏からもメールがありました。おなじく同様な趣旨で、超大手企業のコワモテなオヤジが並んだベンチャー支援など血なまぐさいものだという事は相当ひろく知れ渡っている事のようです。これは知りませんでした、どうも同じ京都にいても「堀場系ベンチャー」とは別世界の 旧態依然たるどころに棲息しているようです。「目利き」というと聞こえはいいが、結局のところパクリのエサを探しているのは大資本家?! 共通のようで。小生の知っている かって堀場氏にAランクをもらった電気自動車の卸と制作会社は「融資面で地元金融から優遇された」とはいってましたが補助金がほしいの一点張りで、成長は止まったようです。どうせ社員1-2名の町工場ですが。昭和の妖怪とよばれた、瀬島龍三を財団の相談役においている稲盛財団やらなにやらがゴロゴロならんでベンチャー吟味って、ようするに大企業ジュニアが零細事業者に対して海賊行為を実行するのを後援する「院外団体」みたいなものじゃないですか。手際よく零細企業から海賊行為やって来い、大手企業の関係者が成長段階直前になってパクった事業にはAランクで目利きしてやるというのであればあの北の首領さまとどこが違うのでしょうか?(クリックでジャンプします)
2004年08月01日
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