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おっしゃるとおり。口で奇麗事言ってもあれはどうなるのだと思っておりました。鈴木邦男のこの本、私も読みましたがシャルドネ。さんの解説で深まります、感謝。Re:男の子を産む機械(01/30) オダギリチガさん (2007/01/30 11:31:05 AM)今日は、ジョークから這入ろう。先日、軽くふれたが社会主義の路線差異はいわゆる左翼論争の内部では完結しない「社会関係依存」が底流にあると喝破する論旨が次第に注目を浴びている。私などから言わせれば「女を男の子を産む機械だと見做す共同性」がスターリニズムというのだ。惣領相続に事の外傾斜する政治指導者で占められた社会主義運動というのも噴飯ものだけれども、よくよく遠景で考えれば社会主義運動もひとつの「物理」であるから理念として退嬰的な共同性に恣意される可能性は常にある。一方、相続資格の平滑感を醸す西欧社会主義は、都市化の程度に応じてチャーチの硬直さに対しては開明さを含む程度によってトロツキズム(異端セクト)の様相をさまざまにする。ローザルクセンブルグの思想や、グラムシらのそれをスターリンなどの社会主義といわゆるマルクス主義の「教義」論争の枠内で理解しようとしても、ばかばかしくてやっていられない。彼らはそれぞれの生育した社会環境を是とするシグナルで角逐していただけではないのか。猪木正道京大教授の著書を読んだ記憶からすると、ようするに名著「共産主義の系譜」の語られざる真実というものはそのあたりにあるような気がしてきた。猪木は、共産主義の問題の本質は、どれがほんとうの共産主義なのかという指摘に苦慮する、というまさしくその不分明さにあるのだという巻頭言を思い出して笑えた。実は、親父が危篤状態になったと聞いて実家で電話番に当たっていた夜。かねてから気がかりだったスペイン映画「蝶の舌」を深夜みていた。知る人ぞ、知るという佳作で冥府へよたりながら歩みを進める親父への追悼気分にも、ふさわしい作品だったと思う。喘息もちの8歳の少年モンチョ(マヌエル・ロサノ)が、こともあろうに魂の恩師ともいうべきグレゴリオ先生(フェルデナンド・フェルナン・ゴメス)に投石をもって遇するという不条理感が、沢木耕太郎をして「衝撃的なラストシーン」とまで呼ばしめたこの映画の迫力の中心にある。(つづく)一 弥陀の本願、不思議におはしませばとて、悪ををそれざるは、また本願ぼこりとて、往生かなふべからずといふこと。この条、本願をうたがふ、善悪の宿業をこころえざるなり。よきこころのをこるも、宿善のもよほすゆへなり。悪事のおもはれ、せらるるも、悪業のはからふゆへなり。故聖人のおほせには、「卯《う》毛《もう》羊《やう》毛《もう》のさきにいるちりばかりも、つくるつみの宿業にあらずといふことなしとしるべし」とさふらひき。また、あるとき、「唯円房は、わがいふことをば信ずるか」と、おほせのさふらひしあひだ、「さんさふらふ」とまうしさふらひしかば、「さらば、いはんことたがふまじきか」と、かさねておほせのさふらひしあひだ、つつしんで領状まうしてさふらひしかば、「たとへば、ひとを千人ころしてんや。しからば往生は一定すべし」と、おほせさふらひしとき、「おほせにてはさふらへども、一人も、この身の器量にては、ころしつべしともおぼえずさふらふ」と、まうしてさふらひしかば、「さては、いかに親鸞がいふことをたがふまじきとは、いふぞ」と。「これにてしるべし。なにごともこころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども、一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて、害せざるなり。わがこころのよくてころさぬにはあらず。また、害せじとおもふとも、百人千人をころすこともあるべし」と、おほせのさふらひしは、われらが、こころのよきをばよしとおもひ、あしきことをばあしとおもひて、願の不思議にてたすけたまふといふことをしらざることを、おほせのさふらひしなり。そのかみ邪見におちたるひとあて、悪をつくりたるものをたすけんといふ願にてましませばとて、わざとこのみて悪をつくりて、往生の業とすべきよしをいひて、やうやうにあしざまなることのきこゑさふらひしとき、御消息に、「くすりあればとて、毒をこのむべからず」とあそばされてさふらふは、かの邪執をやめんがためなり。またく、悪は往生のさはりたるべしとにはあらず。「持戒持律にてのみ本願を信ずべくば、われらいかでか生死をはなるべきや」と。かかるあさましき身も、本願にあひたてまつりてこそ、げにほこられさふらへ。さればとて、身にそなへざらん悪業は、よもつくられさふらはじものを。また、「うみかわに、あみをひき、つりをして、世をわたるものも、野《の》やまに、ししをかり、とりをとりて、いのちをつぐともがらも、あきなひをもし、田畠をつくりて、すぐるひとも、ただおなじことなり」と。「さるべき業縁のもよほせば、いかなるふるまひもすべし」とこそ、聖人はおほせさふらひしに、当時は後世者ぶりして、よからんものばかり念仏まうすべきやうに、あるひは道場にはりぶみをして、「なむなむのことしたらんものをば道塲へいるべからず」なんどといふこと、ひとへに賢善精進の相をほかにしめして、うちには虚仮をいだけるものか。願にほこりてつくらんつみも、宿業のもよほすゆへなり。されば、よきことも、あしきことも、業報にさしまかせて、ひとへに本願をたのみまいらすればこそ、他力にてはさふらへ。『唯信抄』にも、「弥陀いかばかりのちからましますとしりてか、罪業の身なればすくはれがたしとおもふべき」と、さふらふぞかし。本願にほこるこころのあらんにつけてこそ、他力をたのむ信心も決定しぬべきことにてさふらへ。おほよそ、悪業煩悩を断じつくしてのち、本願を信ぜんのみぞ、願にほこるおもひもなくてよかるべきに、煩悩を断じなば、すなはち仏になり、仏のためには、五劫思惟の願、その詮なくやましまさん。本願ぼこりといましめらるるひとびとも、煩悩不浄、具足せられてこそさふらふげなれ。それは願にほこらるるにあらずや。いかなる悪を、本願ぼこりといふ。いかなる悪か、ほこらぬにてさふらふべきぞや。かへりて、こころをさなきことか。親鸞「歎異抄」第十三条↑クリック
2007年01月31日
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この国の国民の少なからずは、偽善者である。女性が子供を産む機械であると失言した柳沢は、糾弾されている。あやつは辞任するまでこの怒りは治まらないだろう。だがしかし、その国民がどれほどの偽善者であるのか。それはあの人をみていればわかるというものだ。国民のすべてとは言わぬが、相当規模が暗黙のうちにあの人に迫っているのは粛々と「男の子を産む機械」であれかし、という願望なのである。柳沢は、ここまで本音をいえばよろしい。本音を言って、国務大臣を辞任しろ。国務大臣に恋々として、すがるのは愛国者と対極的な挙措だ。鈴木邦男は、言う。「正論」(2006年2月号)が、この国の反動的な男系皇統堅持派の骨頂にして嚆矢だというのである。面白いのは、女帝を求めるものは不敬、不忠の大悪人弓削の道鏡と同類だと罵倒している。つまり、中核派が革マル派を公安警察の手先だと言っているのと同じである。そう鈴木は述懐している。また、明治につくられた皇室典範はそのような主張に根拠を与えている。第一条「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と。実は、国民の大多数、推定80%ほどは女帝を歓迎するという。しかし、知識人、評論家は男系男子説があなどりがたくむしろ多数派。つまり論壇をあげてあの皇太子妃に「男の子を産む機械」であることを強く求めているのである。皇太子は「雅子のキャリアやそのことにもとづいた人格を否定するような動きがあったことも事実です」と述べて周囲に諌められた。諌められはしたが、むしろ国民は懸命に皇太子妃雅子さまを守ろうとする皇太子に少なからず好感を抱いたものと思う。今回、柳沢がはしなくもこの皇太子発言にたいして虹彩をあたえたかたちになった。いずれにせよ日本国民は、柳沢には怒りを覚えるが皇太子妃には平気で「男の子を産む機械」を願望するというダブルスタンダードを生きている。福島瑞穂らは、いつか本気で皇室典範改正の議論をするのだろうか。日本国民は、皇室典範を例外思想とするつもりなのだろうか。実は、三島由紀夫が生前この状況あることを遥かに透徹して考え抜いていたと鈴木はいう。(つづく)
2007年01月30日
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三島由紀夫のあの事件の当日、自分が友人たちと大学にいた。授業中にさっそく話題になり少し驚いた。やる、やると言われていたが、まさかこんな事をやるとは意外だった。民青の諸君は、蔑視していた三島が頓死したと、笑いながら嘲笑していたのが印象的だった。三島の行動学が市谷の占拠と、自害だったとは・・・彼は、小説家である。それの戦後、抜きん出た才覚で大衆的規模の人気を博した大作家だ。それが、罷り間違えばあの太宰治と重ねあわされかねないような「情死」と錯誤されかねないという情況で、死を選ぶということに少々暗澹としたのである。それは、生前三島がもっとも忌み嫌っていたことだったではないか。あれほど嫌がっており、誤解を招き寄せるまでの韜晦癖が、彼のメッセージの重みや意味合いを希釈してしまうのは必至だと思われた。つまりS/N比というのだろうか、音像が無意味を招き寄せかねないようなノイズを多産するという流儀は、けして三島好みの「表現」であると思えなかったのである。三島由紀夫は、良くも悪しくも美意識の人である。その洗練、その尖鋭化が彼の一連の文芸作品の魅力だと思ってきた。その流れからすれば楯の会結成と、政治へのコミットを躊躇なく行う三島由紀夫は、冷静に考えれば異様に映るものがあまりにも多かった。市谷での割腹自殺には、彼の美意識の貫徹とは。二十代の不熟な学生であった自分にはなかなか理解をし辛いものがあるのだろう。(つづく)
2007年01月29日
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さて、ふたたび天皇を鈴木邦男著「愛国者は信用できるか」を読み通してみる。自分は、鈴木がこの時期にわざわざ「愛国者」をテーマに語る理由が次第にわかってきたように思える。鈴木邦男は、三島由紀夫をひとつの羅針盤のように73年以降を生きてきたと告白している。しかし、自分はあの事件になんの触発も受けなかった。この落差は一体どうしたことだろう。鈴木によれば、三島由紀夫の市谷占拠事件の衝撃が赤軍派や、東アジア反日武装戦線ひいてはアラブ赤軍などおよそ解体期全共闘運動全体を揺るがすような影響を生じさせたという風に描写されている。そのように読めた。そこが、他の既成右翼(体制同伴暴力装置)と、一線を画している部分だというのはよく分かるのだけれども、自分には三島由紀夫の事件そのものに触発されるものが皆無だったために、彼の主張の全般が「愛国者」についてのひとつの趣向、つまり解釈に過ぎないという印象になった。悲しいかなこの時代の状況では、愛国者という対象化がほんとうはかなり困難なのである。日の丸掲揚や、国家斉唱の強制がこれほど話題になるのは、その困難が誰の眼にも現前し始めたからである。自分には、鈴木の論旨ではこの困難そのものはけして低減しないと思った。今日は、この件についてふれてみたい。
2007年01月29日
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親父が死んで、これまで疎遠だった家族も打ち合わせに集まる頻度が高くなった。関わりを持ちたくもない親戚とも、相当顔あわせを行った。もううんざりとをいうぐらいだ。こまかな事務手続きが延々続くけれども、所詮多額現金が残っているわけでもなく、親父の事業関係者が、かすりをとって荒稼ぎをした軌跡を眺めているだけというような心境だ。それで、暇つぶしに母親とまた昔のエピソードを掘り返しては面白がっている週末だった。どうも親父の運気も半端ではない。これは、あまり何度も話題にしているのでこの日記を読んでいる人は、呆れるかもしれないがやはり親父もなにか霊的に庇護されているのかと思うほどだ。世間では、不幸な交通事故や辻斬りのような無惨極まりない非業の死を遂げる人が多いというのに、どこ吹く風というほど健やかな息のひきとりかただった。棺の中でも、昔どうりのおちゃめな顔で寝ていたので恐ろしげな気配もない。棺の周囲にも、最後をみとった女性たちが色々とお越しだったが、なんという艶福家だと笑うしかない。こちらも特段拒むこともなく出棺のきわのきわまでオープンにスペースを開放して差し上げていた。まあ、草葉の陰の親父からもなんとさばけた息子と感謝されていることだろう。母親自身がその手の女性のご参加に、まるで平気だったし、晩年の親父を巧みに重宝して相互依存な関係で楽しんでいただけただろうと達観しているように思えた。親父の筋の高祖父に竹次郎というこれまた超絶的な艶福家がいて、こちらが妻妾同居も堂々と押し通し近隣に顰蹙をかいつつも、平然と過ごしたものでそんな無理無体の「伝統」があるのかもしれない。その高祖父(つまり親父にとっての曾祖父)が、暴力体質で親父の性格を曲げたのだが、その一方で病床にあっても女性に囲まれて過ごしていられる奇特なDNAも貰いうけたのかもしれない。 今回は、母親の守山空襲の話題は抜いておく。母親と、話し合ったのはそんな親父から自分は一体何度ぐらい殺されかけたのかという枚挙だ。よくぞ、こんな酷い親父に殺されずにすんだという笑い話なのだけれど、それが自分の運気の強さだと思う。2歳の腸重積では、3人の医師から助からないと診断されたらしい。完全に土色になりはて、葬儀屋の手配を考えるほどだったそうだ。一説によれば、腸重積はウィルス性疾患による腸閉塞だという。たしかに、肝臓にも異変が残っているらしく内科医によれば、2歳頃に肝炎ウィルスが襲来した痕跡があるという。これは克服されているのだけれど、その痕跡で肝臓の機能が一部ダウンしている部分があるらしい。アトピー発症のスペクトルも広い。その割には、病気らしい病気をしないし、風邪で寝込んだのも数回あるかないかだ。二十代以上では皆無といっていい。すこぶる健康体と言ってよいだろう。その2歳の危険な事態も実は父親の無為でことさら危なかったのだと母は言う。5歳の放火で死ななかったのも、強運といえば強運だがその翌念ぐらいに親父から風邪で寝ているところを薬を間違えて投与され、それも大人の摂取量の劇薬の睡眠薬で危なかった。しかもそのような酩酊状態にある自分をバイクの後ろに乗せて天王寺動物園につれていったのだ。いまもその時の危なさを覚えているが、酷い親父だと思う。そんなこんなで殺されかけた数をかぞえていると、悪意で殺されている世間の人たちが気の毒になるほど運良く助かってきた。危なかった。危なかったが、助かるというのは自分も運気が強いのだろうか。多少、不運がやってきてもこれまでの幸運に免じて甘んじて受けようと思う。テレビで映画「赤い月」をみた。なかにし礼も凄い。世の中には凄い人が沢山いるものだ。凄いという以前に、圧倒的運気の強さ。これがないと始まらないらしい。多少の偏差値で差別され学歴社会の勝ち組、負け組みたいな話で鬱々するのや止めよう。勝ち組とやらもせいぜい多少の年収と少しは豊かそうな環境にあるだけで、その心象はどこまで豊かなものかあやしいものだと思う。いずれも運気の強さでは、自分らの敵ではなさそうだ。
2007年01月28日
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When the Boise reached Manila, officers alerted members of Gen. Douglas Mac-Arthur’s staff of their find, Fenton said. Their reaction, as he recalled, was: They’ve got as much right to be in the water as we do.It was only when word came down Dec. 7 about the Pearl Harbor attack that Fenton and his shipmates realized they had seen the fleet that brought America into World War II. While the Boise hid by a remote Pacific island after the attack and awaited orders, talk buzzed about what its crew could have done. That conversation has dimmed today; most crew members have passed away. But Fenton, a retired Colorado Springs plumbing company owner, replays the talk to himself. I always think that perhaps we could have prevented the whole thing . . . if we had got the alarm off,the 82-year-old said last week in his kitchen. I always think: ‘Maybe I could have prevented this.’ I get real sad about it.But he said that thought is followed quickly by the realization that if the Boise had made any move that could have alerted the Japanese it had seen them, the fleet would bombarded it into the pages of history. I think the whole picture of World War II would have changed if we had just gotten a radio off,he added. But it would have cost my life.82歳の老人は、証言する。真珠湾攻撃は、事前に察知されており回避できたと。巡洋艦Boiseが、2ダースもの連合艦隊と遭遇しこれを目撃していた。1941年11月の出来事だ。順当に考えて、あの男はやはり事前に察知していたと考えなければならない。
2007年01月28日
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砂山の砂を 指で掘ってたら まっ赤に錆びた ジャックナイフが 出て来たよ どこのどいつが 埋(うず)めたか 胸にじんとくる 小島の秋だ 共産主義の問題の多くの路線対立は、闘争方針だとか社会分析の差異性だと勘違いされているのだけれども実は、農業生産地の惣領相続、分割相続の相克が社会制度により増幅されてイデオロギーに化体しているという意見もある。つまり、惣領相続的な地域性の濃厚な国ではスターリニズム的なもの(いわゆるロシア型マルクス主義)に傾斜しがちであるし、分割相続的な所有権意識の平滑な地域性のもとでは都市型の労働者の権利意識と共振しやすくトロツキズム的なそれ、たとえばスペインのアナルコ・サンジカリズムとか、かつてのイタリア共産党のような構造改革的路線選択に傾きやすいというわけである。葬式を何度も経験すると、このようなコアの心情圏ともろに遭遇することがしばしばある。「世代間の思想信条の差異」の現実が、このように生産財や生産と流通のスキルが伝統的に地域や地縁に帰属していたり、地域の歴史的な社会関係、文化的な依存性が濃厚であったりすれば封建的だと言われて、これまで貶められがちだった惣領相続的な感覚や発想が、まだまだ世の中には相当程度色濃く残滓が存在することがたちまちみてとれる。他者への不寛容、もしくはイジメという現象にはえてして平素からこういった所有、分割の御作法というようなものを相当意識的に文化史的にあとづけてゆく必要もありそうだ。他者への好き、嫌いの感情も深層心理面では、意外なほど、相互に「第三項排除」(つまり社会排外主義的斥力)の動機において、個人の発意を相互に尊重するよりも家族関係の長子を尊ぶ精神にみられるような、長兄、長子を惣領として垂直的な社会関係についての帰依が問われるという事態から還元されるような気がしてならない。父親と母親の60年に喃々とする角逐は、遠景から描写すると結局そういうことのように思えてくる。
2007年01月27日
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共産党にもカネはいる。あの党は、全体が株式会社のようでもありかなり資金力もあると噂されているが、自民党や公明党と対峙してきてあれだけ好き勝手やれているのだから当然だろう。無論、広く過去のようには大衆的な基盤に翳りが生じてきていて、じわじわ支持層を減らしているのだろうと推量するが、自分の親父のような妙なスポンサーがこれまた他方にもいっぱいいるのだろうと思う。議員先生らの、借用証書を眺めていると単なるカネの貸し借りではなく、またイデオロギー上の同志みたいなケチな関与ではなさそうに思える。この世の「世渡り」に、深く同伴関係がなりたっているから、あんなもの何通も親父に託していたのだろう。まるでヤクザの共犯関係のような雰囲気が漂っている。なにせ母親にも自分にも妹にも見せたことが無い。それが金庫から出てきたから笑ったのだ。家族と国税には、いたってケチで「舌をだすのもいやだ」と顧問会計士が聞いていたそうだ。同じ会計士が、あんたの親父がもし酒を飲まなければあとビルのひとつ、ふたつは建っていただろうとも。自分は、知っている。親父が飲める酒の量など知れている。どうせ共産党の関係者や、支援組織のわけのわからない怪しげな連中と毎晩酒盛りばかりやっていたのだろう。親父の年代の、アプレゲールな感覚は子供時代から良く知っている。日本共産党の戦後は、書籍にでている外側でこういう訳の分からない怪紳士がわんさかいて支えていたのだ。
2007年01月26日
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一水会の現顧問で、新右翼提唱者のひとりとして孤高を守り続けたことで知られる鈴木邦男。彼が国内で、どうやら全肯定には不本意ながらもひとつの「愛国政党」のあり方として認めるらしいあの日本共産党。同党に謂ういわゆる「対米追従」理解についてその党綱領において言及している部分をさっそく読み直してみる。なるほど、40年代から共産党が述べているところはぶれていない。最近、右翼団体の一部で急速に日本共産党への評価がかわりつつあるという風評が耳に入ったがこの一点ではなるほどと思える面がある。個人的にみて現状、よりまし的な意味合いで日本共産党が一番まともだと思われる箇所だ。親父が、自民党後援会から日本共産党支持者になったのは記憶では30年代後半だったように思うが、案外支持者同士ではこの「反米」の志と部落解放同盟への徹底した対決姿勢に感銘しての支援者も多かったような気がする。親父が、衆議院議員だったKやMと関わりをもっていた時代は内務班経験者や、シベリアなどの抑留経験者が多数共産党後援会にはいたらしい。このあたりが、共産党の草刈場だった時代があるのだろう。残念ながら、新左翼諸党派などよりもこの一点においては日本社会の現状分析としては透徹して抜きん出ていたと思わずにいられない。二、現在の日本社会の特質 (四)第二次世界大戦後の日本では、いくつかの大きな変化が起こった。 第一は、日本が、独立国としての地位を失い、アメリカへの事実上の従属国の立場になったことである。 敗戦後の日本は、反ファッショ連合国を代表するという名目で、アメリカ軍の占領下におかれた。アメリカは、その占領支配をやがて自分の単独支配に変え、さらに一九五一年に締結されたサンフランシスコ平和条約と日米安保条約では、沖縄の占領支配を継続するとともに、日本本土においても、占領下に各地につくった米軍基地の主要部分を存続させ、アメリカの世界戦略の半永久的な前線基地という役割を日本に押しつけた。日米安保条約は、一九六〇年に改定されたが、それは、日本の従属的な地位を改善するどころか、基地貸与条約という性格にくわえ、有事のさいに米軍と共同して戦う日米共同作戦条項や日米経済協力の条項などを新しい柱として盛り込み、日本をアメリカの戦争にまきこむ対米従属的な軍事同盟条約に改悪・強化したものであった。 第二は、日本の政治制度における、天皇絶対の専制政治から、主権在民を原則とする民主政治への変化である。この変化を代表したのは、一九四七年に施行された日本国憲法である。この憲法は、主権在民、戦争の放棄、国民の基本的人権、国権の最高機関としての国会の地位、地方自治など、民主政治の柱となる一連の民主的平和的な条項を定めた。形を変えて天皇制の存続を認めた天皇条項は、民主主義の徹底に逆行する弱点を残したものだったが、そこでも、天皇は「国政に関する権能を有しない」ことなどの制限条項が明記された。 この変化によって、日本の政治史上はじめて、国民の多数の意思にもとづき、国会を通じて、社会の進歩と変革を進めるという道すじが、制度面で準備されることになった。 第三は、戦前、天皇制の専制政治とともに、日本社会の半封建的な性格の根深い根源となっていた半封建的な地主制度が、農地改革によって、基本的に解体されたことである。このことは、日本独占資本主義に、その発展のより近代的な条件を与え、戦後の急成長を促進する要因の一つとなった。 日本は、これらの条件のもとで、世界の独占資本主義国の一つとして、大きな経済的発展をとげた。しかし、経済的な高成長にもかかわらず、アメリカにたいする従属的な同盟という対米関係の基本は変わらなかった。 (五)わが国は、高度に発達した資本主義国でありながら、国土や軍事などの重要な部分をアメリカに握られた事実上の従属国となっている。 わが国には、戦争直後の全面占領の時期につくられたアメリカ軍事基地の大きな部分が、半世紀を経ていまだに全国に配備され続けている。なかでも、敗戦直後に日本本土から切り離されて米軍の占領下におかれ、サンフランシスコ平和条約でも占領支配の継続が規定された沖縄は、アジア最大の軍事基地とされている。沖縄県民を先頭にした国民的なたたかいのなかで、一九七二年、施政権返還がかちとられたが、米軍基地の実態は基本的に変わらず、沖縄県民は、米軍基地のただなかでの生活を余儀なくされている。アメリカ軍は、わが国の領空、領海をほしいままに踏みにじっており、広島、長崎、ビキニと、国民が三たび核兵器の犠牲とされた日本に、国民に隠して核兵器持ち込みの「核密約」さえ押しつけている。 日本の自衛隊は、事実上アメリカ軍の掌握と指揮のもとにおかれており、アメリカの世界戦略の一翼を担わされている。 アメリカは、日本の軍事や外交に、依然として重要な支配力をもち、経済面でもつねに大きな発言権を行使している。日本の政府代表は、国連その他国際政治の舞台で、しばしばアメリカ政府の代弁者の役割を果たしている。 日本とアメリカとの関係は、対等・平等の同盟関係では決してない。日本の現状は、発達した資本主義諸国のあいだではもちろん、植民地支配が過去のものとなった今日の世界の国際関係のなかで、きわめて異常な国家的な対米従属の状態にある。アメリカの対日支配は、明らかに、アメリカの世界戦略とアメリカ独占資本主義の利益のために、日本の主権と独立を踏みにじる帝国主義的な性格のものである。 (六)日本独占資本主義は、戦後の情勢のもとで、対米従属的な国家独占資本主義として発展し、国民総生産では、早い時期にすべてのヨーロッパ諸国を抜き、アメリカに次ぐ地位に到達するまでになった。その中心をなす少数の大企業は、大きな富をその手に集中して、巨大化と多国籍企業化の道を進むとともに、日本政府をその強い影響のもとに置き、国家機構の全体を自分たちの階級的利益の実現のために最大限に活用してきた。国内的には、大企業・財界が、アメリカの対日支配と結びついて、日本と国民を支配する中心勢力の地位を占めている。 大企業・財界の横暴な支配のもと、国民の生活と権利にかかわる多くの分野で、ヨーロッパなどで常識となっているルールがいまだに確立していないことは、日本社会の重大な弱点となっている。労働者は、過労死さえもたらす長時間・過密労働や著しく差別的な不安定雇用に苦しみ、多くの企業で「サービス残業」という違法の搾取方式までが常態化している。雇用保障でも、ヨーロッパのような解雇規制の立法も存在しない。 女性差別の面でも、国際条約に反するおくれた実態が、社会生活の各分野に残って、国際的な批判を受けている。公権力による人権の侵害をはじめ、さまざまな分野での国民の基本的人権の抑圧も、重大な状態を残している。 日本の工業や商業に大きな比重を占め、日本経済に不可欠の役割を担う中小企業は、大企業との取り引き関係でも、金融面、税制面、行政面でも、不公正な差別と抑圧を押しつけられ、不断の経営悪化に苦しんでいる。農業は、自立的な発展に必要な保障を与えられないまま、「貿易自由化」の嵐にさらされ、食料自給率が発達した資本主義国で最低の水準に落ち込み、農業復興の前途を見いだしえない状況が続いている。 国民全体の生命と健康にかかわる環境問題でも、大企業を中心とする利潤第一の生産と開発の政策は、自然と生活環境の破壊を全国的な規模で引き起こしている。 日本政府は、大企業・財界を代弁して、大企業の利益優先の経済・財政政策を続けてきた。日本の財政支出の大きな部分が大型公共事業など大企業中心の支出と軍事費とに向けられ、社会保障への公的支出が発達した資本主義国のなかで最低水準にとどまるという「逆立ち」財政は、その典型的な現われである。 その根底には、反動政治家や特権官僚と一部大企業との腐敗した癒着・結合がある。絶えることのない汚職・買収・腐敗の連鎖は、日本独占資本主義と反動政治の腐朽の底深さを表わしている。 日本経済にたいするアメリカの介入は、これまでもしばしば日本政府の経済政策に誤った方向づけを与え、日本経済の危機と矛盾の大きな要因となってきた。「グローバル化(地球規模化)」の名のもとに、アメリカ式の経営モデルや経済モデルを外から強引に持ち込もうとする企ては、日本経済の前途にとって、いちだんと有害で危険なものとなっている。 これらすべてによって、日本経済はとくに基盤の弱いものとなっており、二一世紀の世界資本主義の激動する情勢のもとで、日本独占資本主義の前途には、とりわけ激しい矛盾と危機が予想される。 日本独占資本主義と日本政府は、アメリカの目したの同盟者としての役割を、軍事、外交、経済のあらゆる面で積極的、能動的に果たしつつ、アメリカの世界戦略に日本をより深く結びつける形で、自分自身の海外での活動を拡大しようとしている。 軍事面でも、日本政府は、アメリカの戦争計画の一翼を担いながら、自衛隊の海外派兵の範囲と水準を一歩一歩拡大し、海外派兵を既成事実化するとともに、それをテコに有事立法や集団的自衛権行使への踏み込み、憲法改悪など、軍国主義復活の動きを推進する方向に立っている。軍国主義復活をめざす政策と行動は、アメリカの先制攻撃戦略と結びついて展開され、アジア諸国民との対立を引き起こしており、アメリカの前線基地の役割とあわせて、日本を、アジアにおける軍事的緊張の危険な震源地の一つとしている。 対米従属と大企業・財界の横暴な支配を最大の特質とするこの体制は、日本国民の根本的な利益とのあいだに解決できない多くの矛盾をもっている。その矛盾は、二一世紀を迎えて、ますます重大で深刻なものとなりつつある。「日本共産党 綱領」
2007年01月25日
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日本人の金が、ごそっと日本の歴代ポチ政権のおかげで抜き取られてまんまと使われているわけだが、まさかアフリカ難民や「北」の飢餓に投じられているはずがない。ここが日本人の懐から血を吸うように巻き上げた金の使い先なんだって思い知ろう。村上ファンドやら、オリックス、はたまたあのライブドアの調達した金というのも、要するにに泥棒ポチがアメリカ経由で使い込んでいる「まじめな日本人社会」の「戦後の稼ぎ」なんだって事。はやく気づけよなあ。みな、本当にナイーブなんだよね。↓クリックWhat $1.2 Trillion Can Buy The way to come to grips with $1.2 trillion is to forget about the number itself and think instead about what you could buy with the money. When you do that, a trillion stops sounding anything like millions or billions.
2007年01月24日
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父親の葬式以来、母親からの電話が多少増えた。今日も妙なものが金庫から出てきたらしい。親父は、金庫を3つ以上部屋に置いていてその中によく分からないものが色々入っていたらしい。母親は、興味もなかったが生前大事に金庫保管して鍵もどこに隠したのか分からないままだった。自分が、依頼を受けたのでプロの手を借り開錠した。それを、幾日もかけて母親が精査したという。今日の電話は、それだ。日本共産党の議員さんたちが、親父から借り入れた金員の借用証書だという。どうするつもりなのだろう。母親に聞いてみた。どうも、ノーアイデアらしい。一部、鬼籍にはいった議員もいるという。困ったものだ。どうせ返ってこない金ならば、せっかくだから記念にスキャナーかけて衆議院選挙の前にでもインターネットで晒したらどうだろう。共産党の偉い人が、母親に慰留に飛んで来るだろうか。それとも黙殺だろうか。昨年、共産党系の経済団体の事務局長から母親は思いもよらぬ侮辱を受けたといって怒っていた。俺は知らないぞ。八十過ぎたキレやすいお婆さんを怒らせたのは、共産党の方なのだ。一旦腹をくくっちまったら息子が、止めて止まるような人ではない。日本共産党の関係者諸兄も覚悟しておいて欲しい。
2007年01月23日
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誰よりも君を愛す作詞:川内康範作曲:吉田 正唄:松尾和子・和田弘とマヒナスターズ1 誰にも言われず たがいに誓った かりそめの恋なら 忘れもしようが ああ 夢ではない ただひとすじ 誰よりも誰よりも 君を愛す2 愛した時から 苦しみがはじまる 愛された時から 別離(わかれ)が待っている ああ それでもなお 生命(いのち)かけて 誰よりも誰よりも 君を愛す3 あなたがなければ 生きてはゆけない あなたがあるから 明日(あした)も生きられる ああ いく歳月(としつき) 変わることなく 誰よりも誰よりも 君を愛す右翼の本質は、なにだろう。今日は、夜にクーペーで滋賀の国道を走りながら思い巡らせていた。右翼の皇道派など、昨今在日と被差別部落民の示威に過ぎないと喝破したnak1さんの意見が先日日記で語られていた。ほぼ、的中というぐらいの実態である。では、本質論として右翼主義は日本から消えてしまったのだろうか。実は、こんな日本でもけして右翼主義は消えないだろうと思った。↑クリックから軍馬生産農家の小倅が、大阪の闇市で子をなしたのが自分だ。このような自分には、いわゆる郷土愛というものはない。親父の実家ではいつも孤立して誰からも暖かい声をかけてもらったという思いがない。いや、結構叔父叔母は親切だったけれども、それは親父の息子、「長男の長男」であるという記号に由来しているもので、素直に受け止めればいいのかもしれないが、それでは私という存在は空無な非存在となる。これは困る。このあいだも、大阪の中学時代の同窓会サイトを発見した。しかし、そちらはこれまた鼻につくような地域愛の凝り固まりだ。それも、有名進学校へ進んだ高偏差値勝ち組クラブとなっている。このようなものが郷土愛ですらあるのか、怪しいと思った。ようするに日本の都市部の物言わぬ多数者の「沈黙」をよいことに、WEBで騒がしい大多数の麗しげな言葉は、この種の偏った郷土愛や、地域的なシンボルに矜持の根拠を置く程度の視野閉塞な魂の「寄り合い所帯」が放つノイズにすぎないと思う。彼らが、どこから日本の国家的なものや日本民族のコアな心情圏を密輸してくるのだろうか。これを凝視することが文化的無産者である自分の任務だと思ってきた。それは、彼らの矜持の根拠となる偏差値信仰、社会排外主義の今日的な実存形態である。これが、あの「教育委員会なる存在」の政治性だと私は思う。彼らは卑怯にも、教育の現場には関与せず虫も食わぬ顔をして人事権を握って離さない。かくして、地域は矜持の根拠を「公的総括」するものとしての教育委員会に真綿ぐるみで仕切られてきた。これがあの中央官庁の見えざる暴力装置、叙勲とおなじ機能性なのだ。かくして、地域の高偏差値勝ち組オヤジやおばさまはそこここにとぐろを巻いて尊大にも「村おこし」「町おこし」に余念がない。青テント住民や、自殺者、路上生活者には眼もくれず、今日もしたり顔で日本の伝統と文化のために汗かきしているつもにになれる理由。それは、やはり教育委員会が、地域の父であり母であるという構図のもとに「中央」をルックアップしてゆくという階梯を丸ごと齧ることを余儀なくされ、あやしまないからだ。いま、こちら自分の日常でも酷いことになっている。小学生の父兄が、給食に滋賀の伝統食えび豆がでることに断然抗議した。なんでも自分の子の喉に蝦がひっかかり危ないというのだ。馬鹿野郎である。よりによってこんな馬鹿親が地域に溢れてきていることも、かねてから憂慮していたのだが現場教職員が輪をかけて抜けている。その親の言い分がもっともだと学校給食からえび豆をはずしたというのだ。ふざけるのもいい加減にしろといいたい。滋賀のえび豆は、食文化のありかたとしては軽く数百年の歴史のある伝統食である。ことと次第では天皇制などよりも遥かに透徹した歴史を内実として持っている。このようなものを地域から駆逐して、平然としている教職員やその上位で人事権を握っている教育委員会は田んぼの案山子(かかし)以下の存在であるというのは自明である。
2007年01月23日
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このあいだくたばった親父は、共産党支持者だったが間違っても共産主義を信じてなどいなかったと確信している。だから、息子の自分に対して共産党に入党しろとか、赤旗を読めとかマルクスレーニン全集を読め、などと言ったことはただの一度もない。親父からすれば日本共産党はひとつの巨大な趣味装置なのである。そう、自分は思った。つまり、親父にとってはゴルフ愛好家が何チャラカントリークラブの会員であるように、好きなことをするためにエントリーしていただけだろうと思う。たしかに、一度だけ息子さんをどうか民青同盟に入ってもらえませんかと誰かに打診されて、わたしに向かって「民青同盟に入れという人がおるがどうする」とか、なんとかボソボソ言ったような記憶はある。だが、眼がまるで本気でない。まさか、お前マジで民青同盟などにはいったりしないよな、という眼つきだった。高校時代には親父も共産党の衆議院議員に、二人も三人も友人づきあいしていて府会議員や市会議員は、親父をさもパトロンのように揉み手してつきあっていたのを何度も目撃したが、ようするに気前良く金や店舗スペースの無償供与する、熱心な支持者というスタンスを維持していただけだと思う。彼らも、党への建前はさることながら、可能なかぎり親父の依頼には反応していた。特に、大阪府警を共産党系のコネクションでサクサクと駆動するスゴさには呆れた。遠縁の親戚の子息が家出したときにも、親父に泣きついたその子の家族の眼の前でわずか一二本電話をしただけでほぼ30分程度で、大阪府警が身柄確保してくれるなどという事がある。そのご両親が腰を抜かした。笑えるようなことがあったものだ。よほど幸運な事例だとは思うが、共産党系議員も往時はパワフルだったんだね。自分的には、小学生時代には自民党の国会議員の後援会へ出入りしていた親父がなにか利用価値をみつけたのだろう、ぐらいにしか思っていなかった。親父の方は、親父の方で、新左翼全盛期に三島由紀夫の全集を読んでいる息子を頭がおかしいのではないかと思っていたらしい。なにしろ自分の出身校は、新左翼系の拠点校のように全国紙で名指しで糾弾記事を書かれたこともある札付きの公立高校だったので、親父が呆れたのも無理はない。卒業したら、自衛隊に入るといったらさすがに「(共産党系の交際で)バツが悪いのでやめてくれ」みたいな事を言っていたような気がするが、もし自分が本当に自衛官になっていたら別にとやかく言わなかったのではないか。とにかく、イデオロギーというものでモノを一切考えない愉快な親父だった。三島由紀夫は、大正14年1月の生まれ。わが親父は、その4ヶ月あとの誕生となる。大審院判事の永井岩之丞の孫で、学習院、東大というエリートコースを踏んでいる三島と、地方の軍馬生産農家の小倅にすぎない親父を比べては失礼だとは思うがともに幼児期に祖母、祖父に虐待されているところや風貌など、似ている面もあると自分は思う。幼児期の虐待は、メンタルなものと鉄拳的なそれと大いに違うが、ともにあの歴史的大事件。昭和20年8月15日を、同じような年代で通過している。疎通するものが多少あっても不思議はないと思っていただけないだろうか。わたしは、彼らにいくつかの同時代性を感じるものだ。三島も、一時期日本共産党の入党を友人からそれとなく勧誘する旨示唆されたこともあったらしい。即座に一蹴しなかったという。そのような時代を通過していることは、相違ない。ともに絵に描いたような愛国者には侮蔑の思いがあったような気がする。いかなる逡巡も軋轢もなしに、胸を張る愛国者など嘘っぱちだという風に、自分は思うが、きっと三島や親父の世代の影響だと思う。
2007年01月22日
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僕は日本一の愛国者だと断言できる。「君が代」は5000回以上歌い、「日の丸」も5000回以上揚げた。靖国神社には500回も参拝したし、自衛隊の基地祭でストリッパーを呼んだと聞いて防衛庁に抗議をして逮捕され、釧路に日ソ友好会館が建つと聞けば「許せん」と思って抗議に行って機動隊と乱闘になり逮捕された。 左翼のデモのプラカードに天皇の似顔絵があればカーッとなって殴りこんで逆に袋叩きにあい、不敬な記事をのせた出版社を襲撃したこともある。東郷健が演出した舞台で天皇に扮した男がマッカーサーに扮した男に後ろからオカマを掘られている場面では、思わず舞台に駆け上がって大乱闘になった。愛国心がなければ、誰がそんな危ないことをやるもんか。僕はそうやって40年も右翼をしているのだ。 そのあいだ、僕は命を賭けてやってきたつもりだが、世の中はちっとも変わらなかった。変わりつつあるかなという小さな手応えもない。いつも「右翼のたわごと」と一蹴されてきた。鈴木夫「愛国者は信用できるか」鈴木邦夫も、やっとここまで成熟したのかと思った。実は、新左翼全盛の学生叛乱時代。左翼の陣営と思われた進歩派論陣で鈴木と同じ趣旨を述べていた人がいた。竹内好だ。竹内は、毛沢東中国と日本の関係修復に砂を噛むような思いで関与し続けた人だ。左翼からも右翼からも政権サイドからもさほど評価されもしない、地道な営為だったと思う。彼らの頭上を足蹴にして田中角栄らが疾駆していったが、彼などは沈黙したまま昨今思い起こす人もいないのではないかと思われるほどだ。鈴木も新右翼という、70年代にはキッチュなまでのポジショニングで40年近く汗をかいてきた人だ。とうとう最近のネット右翼に対して頭にきたらしい。当たり前だろう。愛国者などと、デカい看板あげるやからがその重さを支えるだけの努力も営為もやってのけているはずがない。かつて新左翼が、壊しまくった大学や社会資産の一部も背負ってきたものが無かったのとまったく同じ。三島由紀夫が、腹を切った。直後触発されて無造作なまでに動いた新右翼らが、その後軒並み新左翼の退潮と同時に企業社会へ戻っていった流れの中で、ついに鈴木邦夫も居所の払底したことを現認したらしい。
2007年01月22日
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軍馬補充部(ぐんばほじゅうぶ)は、日本の陸軍省の外局の一つ。軍馬の供給・育成及び購買並びに軍馬資源の調査を管掌した。明治7年3月31日に設置された軍馬局が前身で、軍馬育成所、軍馬補充署などを経て明治29年の「軍馬補充部条例」に拠って5月9日軍馬補充部に改称された。長は本部長で、国内各地に支部を持った。昭和20年11月の陸軍省廃止と共に解体された。三本木支部青森県三本木町(後に十和田市)の三本木支部は各支部の中では最も規模が大きかった。明治18年5月に軍馬局出張所として設立され、明治29年の軍馬補充部設置に伴い三本木支部となる。切田・赤沼・元村の各分厩と七戸派出部、中山(岩手県)・戸来(三戸郡戸来村、後の新郷村)倉内(上北郡六ヶ所村)の各牧場を統括した。昭和47年6月3日に開館した十和田市郷土館は西十二番町にあった三本木支部庁舎を改良したもので、軍馬補充部時代の資料や馬具等を展示している。同館は平成16年9月十和田市立中央病院の拡大に伴い西三番町へ移転。三本木支部本部の正門から本部事務所庁舎までの道は「官庁街通り」として日本の道百選に選ばれている。曾祖父にあたるTは、まだ十代で陸軍軍馬補充部の事業の周辺で滋賀に地にあって岩手、青森の軍馬徴用向け生産のスキルと人脈を滋賀の地に移殖し成功を収めた。当時の急成長期待型ビジネスの着手者であった。しかし岩手、青森と滋賀の陸路は長い。 季節になると母親に、毎年のようにりんごの木箱が届いた。当時の苦労を一身に負い馬を搬送する任に当たった藤原氏は、なぜか父ではなく母に傾倒していた。藤原氏に折々に耳にする父方の不思議は、都市部で生活する昭和の自分たちには想像を絶するもので理解の片鱗にも及ばないと思う。 その回想譚によれば、父方の実家はもともとの大家族に加えて藤原氏をはじめ東北から徴用馬生産に従事するために呼び寄せられた多くの青年が寝食を共にするという大所帯。ところが、祖父は曾祖父の長女に養子ではいっておりこの折り合いが極めて悪かった。藤原氏や祖父、そしてわが父は、すべて馬小屋同然の飼育場に寝起きして、祖母らとは隔離された生活だったというのである。ルカの福音書では、飼い葉桶の上にイエスは生誕するということになっている。馬小屋だか、家畜小屋だかに救世主ならば、東方の三博士も訪ねてきたかもしれない。しかし、父親には幼少期から曾祖父の虐待が日常だったという。曾祖父は、なにかにつけて父親を拳骨制裁したらしい。藤原氏によれば、特別な悪戯があったわけでもなく、ただ養子である祖父に対しての憤懣と、若い牧童たちへの誇示のつもりだったのか、意味なく常に父親は、殴られ続けていたらしい。 また、曾祖父は堤康次郎の時代の人である。本家屋敷の雨戸から、先様の家庭が見渡せる距離で「妻妾同居」を実行して、平然としていたという。妾宅からはのちに長男が、わが父親の小学校長につく。幼少期の虐待の反動もあってか、父は近隣に鳴り響くほどの悪童だったらしい。藤原氏は、のちに曾祖父の娘の一人と祝言し分家を構える約束にしていたらしいが、ついに果たせずに失望のうちに東北へ戻ることになる。太平洋戦争の勃発で、その婚約合意が流れたのである。自分からすれば、祖母の姉妹だが姉妹の中でももっとも美しい人だった。不本意にも藤原氏と所帯をもつこともできず、若狭の海軍軍人と写真で見合い。嫁がされたが、すでに愛人と居を構えている軍人宅に夢破れて離縁。ふたたび再婚先に嫁ぐものの不幸続きだったらしい。復員し戦後帰国した藤原氏と再会した時には、叔母が奔走して大津で出逢いの機会を纏めたと聞いた。以後、青森から藤原氏が関西入りする際には滋賀の実家ではなく、大阪の手狭な我が家が拠点になった。主に軍隊時代の同窓会のようなことだったと記憶する。藤原氏は、出征のために生涯設計を狂わされたが、父方からは冷遇をされたと思わずにいられない。母親は、そんな冷遇を失礼と見做し、父親には藤原氏に懇ろに遇するよう常に強く求めた。藤原氏は、父方の実家や長男にではなく、関西との最後の拠り所が大阪の母親の気持ちだけが頼みだったといつも我が家の食卓で学生時代の自分や妹にそのことを繰り返し口にした。 雪の進軍作詞・作曲:永井 建子 著作権:消滅(詞・曲) 一、 雪の進軍氷を踏んで どれが河やら道さえ知れず 馬は斃(たお)れる捨ててもおけず ここは何処(いずく)ぞ皆敵の国 ままよ大胆一服やれば 頼み少なや煙草が二本 二、 焼かぬ乾魚(ひもの)に半煮(はんに)え飯に なまじ生命(いのち)のあるそのうちは こらえ切れない寒さの焚火 煙(けむ)いはずだよ生木が燻(いぶ)る 渋い顔して功名噺(ばなし) 「すい」というのは梅干一つ 三、 着の身着のまま気楽な臥所(ふしど) 背嚢枕に外套かぶりゃ 背(せな)の温(ぬく)みで雪解けかかる 夜具の黍殻(きびがら)しっぽり濡れて 結びかねたる露営の夢を 月は冷たく顔覗き込む 四、 命捧げて出てきた身ゆえ 死ぬる覚悟で吶喊(とっかん)すれど 武運拙(つたな)く討死にせねば 義理にからめた恤兵真綿(じゅっぺいまわた) そろりそろりと頚(くび)締めかかる どうせ生かして還さぬ積り
2007年01月21日
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葬儀に参加された親族や、遠縁にも懐かしい顔ぶれが散見されるものの世代変わりも著しい。子供時代の記憶など遠のき、みな子持ちのおやじになっている。その子供世代では祖父、祖母の代の記憶など関心を払う余地もないという気がしてならない。 告別式後の会食で、驚いた。52年前、妹が生まれたときに自分が父親の実家に預けられた事があって、そのときのことを記憶してくださっている父親の従弟がいた。地域に住まう人は、遠縁といっても家族のようなものだ。実は、その方は同姓ながら30年もお会いしていない。都市部ならば、完全に他人さまだろう。しかし、Kさんは覚えてくださっていた。Kさんのお父上は、おやじの小学生時代の学校長だったりする。52年前、自分は3歳児だ。 しかし、テーブルでKさんが話題にした自分の52年前のすがたを聞きうけると驚いたことに52年前の風景が一瞬で蘇ってきた。人の脳は、どのようにできているのだろう。52年も封印されていても、見事に保存されているものらしい。 父方の祖母のつくったタドンが面白くて、いつまでも眺めていた。うららかな日差しの春のことだったと思う。いまは農産地でも、みかけることが皆無だろう。当時は、玄関先に私製のたどんが山積みになっていたものだ。
2007年01月20日
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わたしは、ここのブログでは一貫して@niftyを酷評してきた。驚くことに、その「轍」にまんまと楽天ブログもはまってしまったらしい。利用者を無視して、はまればはまるほど時代から遠のいて行く。いまの楽天ブログの企画者らは、あの古河建純なみのど鈍い感性の持ち主らしい。
2007年01月19日
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お悔やみ申し上げます シャルドネさんがお父さんのことを具体的に書いたのを初めて読みました。もしかしたら、見逃しただけかもしれませんが…。それにしても、異才児シャルドネさんの両親はどこか不思議な匂いを感じます。失礼かも知れませんが、北野武の両親を彷彿とさせるのですが、これは僕だけの感じ方でしょうか。msk222さん (2007/01/19 09:03:56 PM)これまで父親のことは、楽天ブログであえて取り上げてこなかった。これは、実の父親を描くことに諸般の支障があり躊躇(ためら)われたからというだけではない。女性は、生きているあいだがもっとも人間的であって、生きている関係そのものが個性の本質だという気がするが一方、男は棺を閉じて骨の塊になってからが、勝負だという私独自の考え方からだ。実は、本質的な問題としては父親はこの楽天ブログの中でも避けてきたつもりはない。「不倫と経済社会」は、父親なるものをも踏まえて考えたものなのだ。子供の眼でみて、個人としての父親はあまりにも不可思議な挙動の多い人格であって、到底理解も納得も行くものではなかった。すでに相当以前から、このような歴史の表層を綾どるような華やかな時代精神などとは遥かに隔てて、到底語るも覚束ないような矮小な個人、その生涯の軌跡、それぞれが、さまざまにこの世の地層に澱のように沈んでいるのかと思い至りつくづく興味が尽きないと思い始めた。自分は、小説などを書きたいと思ったことは過去に一度もない。だが、父親についていえばその思念と行動を描写する手法は、残念ながら小説以外にはなさそうだという風に思い始めた。先の告別式では、遺族代表の辞としてわずか5分程度の時間を欲しいといったのだが父方からは長すぎるとクレームが出た。出棺の際の挨拶は、思い切り短く切り上げた。耳の遠いおやじらには何を言っているのかが理解できなかったのだろう。日曜の朝、母親から電話があった。どうやら母方の親類縁者らから反響があったらしい。自分が、楽天ブログで3年も前からこのテーマを折々に取り上げていることは誰も知らない。ここの読者の存在すら、一族で知っているものはいない。 実は、母親も「守山空襲」というテーマで再々描写されている事すら知らないのである。初めて耳にする話が多かったので、告別式の遺族代表の辞を敷衍して、なにか読み物にして欲しいという意見が母親にあったらしい。葬儀に参加された方の中にも、なにか同じ時代についての目次のようなものが欲しい、という思いがあったのかもしれない。不倫と経済社会という連載をこの楽天ブログにやってきた年に綴っていた。これは、父親とその生きた時代を描写するための基礎打ちだという風に思っている。「不倫と経済社会」シリーズはこちらから。
2007年01月18日
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不倫と経済社会1自分が、楽天広場に来て驚いたのは事前に聞いていたとうり小学生が多い事。噂に聞いていたが(耳打ちしてくださったのはtak-shonaiさん)これ程多いとは。あらかじめ申し上げておきますが、自分は小学生を馬鹿にはしていないんですね。これは持論だけれど、小学四年生ぐらいが男の子の一生で一番正義感が強い。あとは棺おけに入るまでその時代に吸収した正義感を消費していくだけだと思っています。自分なんか、いつも寝る前に自分の小学四年生ぐらいの頃の情感や感情生活を一生懸命の思い出してイメージトレーニングしているぐらいです。だから、そんな年齢層の子供が多い楽天広場でいい大人が不倫だ、浮気だ、愛人だなどと話題交歓をしているのが不可解でしかたがない。こういうものを看過しているのが記憶する自分らの小学生時代には考えられないからです。自分は、40年も前のそんな時代の事ばかりをカキコするので嫌がる人もいるのです。でもこちらはジョンFケネディを尊敬していた半ズボンな小学生時代を、いまだに誇りに思っているので単なる懐古趣味という訳ではないつもりなんで、、、まあ、おつきあいの程。自分が小学生時代。マガジンやサンデーの表紙に女の子が出てくるなんて考えられなかったです。それをあやしみもしませんでした。良い悪いではなく激変したのを目撃したわけなんです。激変を目撃した立場から成立する俯瞰(ながめ)というものもありえるでしょう?そういう知見を排除せず耳を傾けるという処が、この世を楽しくする知恵。異質なものと共存する知恵ではないですか。(笑)イタリア映画「アルジェの戦い」なんかをみていると小学生ぐらいでも立派なテロリストですよ。画像のメガフォンを持っておるマルクロダン大佐だったかな、アルジェリアではテロ弾圧に奔走したがのちにフランス本土側から抑圧されてドゴール暗殺に地下組織つくるという役回り。バリバリのコマンドなんだけれど、その敵対するテロリストが実は小学生ぐらいの子だったりする。(笑)そんな壮絶な時代が60年代だったわけ。経済成長期には差し掛かっていたけれども同じ空の下で往時の日本の小学生も知力、胆力にはそれなりに迫力はあったんですって。8歳の時に、山口二矢が繰り返しニュース映画で報道されていたのも眼にこびりついています。ところが、今の時代。大人が小学生を前にあまりにもだらしない。いや、政治的にだらしないだけではなく、不倫だの、賄賂だの、エロ動画だのという性モラルが不在なのか、朦朧としているのか、軸がぶれているのか、、、、支離滅裂じゃないですか。実は、もしかしたら小学生時代にもっともエロティックな存在(扇情的な存在)だったのはあの政権政党も一目おく存在だった浅沼委員長を一閃でしとめた山口二矢だったのかもしれないと、澁澤龍彦氏の「神聖受胎」なんかを読んでいてつくづく思うんですね。ところが、この時代はエロチックな存在が消失してしまって。それどころか宅間守みたいな人があらわれて刃物もって小学生を追いかけるっていうんだから情けないですよね。まるで「逆さま」じゃないですか。性的なエネルギーが弛緩(ゆるむ)する時代は、実は政治の世界でも見映えのするイベントが発生しないのは間違いないわけなんですよ。大人がケチなぐらいズルくて不公正。怯惰が、コンクリート化している。こういう時代っていうのは世間で思われているのとはまったく逆。間違ってもエロティックなものが存在しえない時代なんですね。だから小学生や中学生がヒマをもてあまして自傷したの、リストカットしただのって多発するわけなんですよ。人生がエロティックで満ち満ちている時代ならば、だれも死に急ぎはしませんって。じゃあ、なぜって、、、ここも踏み込んで大の大人もはっきり考えてこないでしょう?仕方ないから、私がやりますよ。ここビジネスヒントフォーラムなんだけれど、このレベルの事をきちんとやる人がいないから貧相なオヤジが政治の話題、性モラルの話題に越境せざるを得ないというのを理解してください。キリスト教徒とか、ユダヤ教徒っていうのは「汝、姦淫するなかれ」なんですね。だから、ストレートに「姦淫だめ」「不倫だめ」「売春だめ」なわけですよ。これは実行されているのかどうかとは別問題です。実行されているのは悪いけれど、やっちゃっているという事ですよね。我々の社会では、実は法的に売春や不倫が悪いとかいう風に云う弁護士さんがテレビにはでてくるけれど根拠はつまるところ「人権のシステム」なんですよ。つまり他者の所有権を侵害するという、これはいけないよ。債務不履行ですよ、っていう考え方なんですね。(1)所有権の侵害(2)生命身体に対して危害をくわえる(3)他人の自由を束縛することこれらの結果で、他者に危害を加えていなければ犯罪にならないというのが近代のシステムなわけです。そこで、冷静に日本の社会で売春や不倫を悪いといっているものを調べると大半が状況的な議論なんですね。付随する現象ばかりを叩いていて、本質的な議論は逃げるといういつものパターンなんです。売春だって、金のカタで縛るなとか、健康に良くないとか、子供ができたらどうするの、お嫁に行けなくなるよ、社会には悪影響があるんだ、というお話が大半です。たとえば、売春防止法という立派そうな法律がありますが戦前は「公娼」といって売春は政府公認だったわけです。いまでも大阪の飛田新地などという旧赤線地帯では堂々と遊郭が復活していますし、地域の入り口には交番まであって実態で政府公認みたいなものなんです。つまり、売春防止法という法律は売春がいけないという法律じゃあないんですね。「えっ」と、思うんだけれどそうなんですよ。実は、売春防止法というのはそのココロ的には管理売春禁止法なんです。(笑)女の人からは、いとも簡単にピンハネできるのですぐに管理売春が発生しやすい。だから女の人を守ろうという法律なんですよ。実態で。つまり、売春は事実上肯定されているに等しいの。だから、1958年4月1日(売春防止法施行日)からこちら倫理的なステージでは売る側も買う側も処罰されていたわけではないんですね。それで、ビジネスのカテゴリーにこの種の「稼ぎ」も俎上にのってしまうわけなんですよ。理由は、ひとつです。最初から・・・売春が悪である、という社会合意を形成していないんだ。これって、まさしく今の小泉がやっている「海外派兵」と同じでしょう?(笑)日本国憲法があるのに、憲法第9条があるけれど、とりあえず自衛隊派兵させて、、、立派な不倫だよね。反対に、「売春は悪い事」だという主張についてどこが弱点なのかを考えないといけません。いや弱点があるに決まっていますよ。これだけ制動かけそこねているんだから、理念として必ず欠陥がある筈なんです。また、これが分ればなぜ不倫が消えないのかも同じ根としてみえるという風に思います。売春が悪い、そして不倫が悪い。その理由は、そのふたつが「多量の罪悪感」を発生するからです。これが真実でしょう。その罪悪感のリソース(あらわれる元)がどこか。これを問い詰める事が課題です。家庭にはいった女性には、「母親」「妻」というパーソナリティがあってこれが際立って強くでてくるために「女」ですよという面を背景に隠すような仕組みになっています。親と子には、有名なタブーがあります。近親相姦のタブーです。親と子のあいだで下手を打つと社会全般から相当手厳しく叩かれます。このタブーは、堅牢に社会的合意を形成できている。ある意味で「売春」や「不倫」以上に合意形成に成功していますね。これが極めて厳格に性的行動をコントロールしているために、家庭では「家庭を含む不特定多数との性行為」という考え方を排除している。これが理念の側のエネルギー源なんです。その証拠に、「家庭を含む不特定多数との性行為」が罪悪感を発生させない社会では売春とか不倫とかが家庭となじんでいる。そんな国もこの世にはあります。これはあります。(明日以後は、なぜ売春や不倫を退けるモラルを家庭で紡ぎだす事態にならずけして排除されないのかを私論的に読み解きします。)不倫と経済社会2へは、こちらをクリックされると近道です。
2007年01月17日
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見よ東海の空あけて 旭日(きょくじつ)高く輝けば 天地の正気(せいき)溌剌(はつらつ)と 希望は躍る大八洲(おおやしま) おお晴朗の朝雲に 聳(そび)ゆる富士の姿こそ 金甌(きんおう)無欠揺るぎなき わが日本の誇りなれ 戦後一貫して共産党支持者だった父親が、こどもの頃。息子の自分に教えてくれた唄が愛国行進曲だった。音痴だが、強心臓のおやじは平気で小皿叩いて愛国行進曲だったのである。同曲をご存知なき方は、情景の画像をクリックしていただけるとメロディーにリンクをしておいた。金甌とは、金の壺であって多分金箔をほどこした装飾性の高い美術工芸品のようなものだったのかもしれない。それとご来光にまばゆい霊山である富士を比喩したのかもしれない。しかしこの比喩には、もうひとつ大切な要素があると思う。金甌無欠金甌無欠とは、聞きなれないかもしれない。瑕ひとつ無い美しい金の壺は、つまり他者の指や手の触れられていないという意味でヴァージンのようなものだろう、と。そう古代の人たちはみなしたのかもしれない。つまり、あの男には一切影響を受けてはいない。豊葦原瑞穂の国の独自の文明論をぶちあげられた時代がついこのあいだまであった。往時のそんな日本人の気概を示しているのだ。
2007年01月16日
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小学生時代の思い出。滅多に青春期のことも語ったりしなかった。そんなおやじは一度だけぼそぼそと口にしたことがあった。おやじは、万年筆が好きで何本も高級万年筆を買っていたがつかっている処をみたことがない。たまにメモを書いてあるのをみたが、判読できなかった。字がかけなかったのだ。書けるほど字を知らなかったというよりも、字を書く術も素養もないという域だったのかもしれない。病床では、努力の証に立派に手紙を書いたりしていたので驚いた。父親二十歳の頃の最大の出来事は、本土決戦の軍事訓練だったのだろう。手榴弾を二個抱いて、シャーマン戦車の底に飛び込む訓練の連続だったという。これに万感の想いを抱きながらも、決死の行いで散華することが強いられていた。この精神的な重圧から回避ができた戦後は、なにものにも換え難い「ありがたい」ものだったのだった事だろう。外地への出征はなかったが、内務班での訓練をへて実家に帰宅したときに祖父母の恥かき子ではないが、自分とわずかな年齢差しかない最年少の叔父が生まれて座布団に寝ていたという。そのせいか、その叔父Tとわたしのあいだに明らかに錯視があったふしもある。自分が生まれたとき。産院で「早く大きくなって、お兄ちゃんと呼べよ」と口走り周囲を笑わせた。本人は、弟のひとりが増えたという程度の意識だったのかもしれない。そんな息子が、本を読むことをものすごく嫌った。 活字を読む子供、というものが不快でならなかったらしい。自分の視野、経験にないことを子供が欲するということが度し難い。理解し難いことだったように思う。晩年に至るまで、父親は国税を納めることを忌み嫌った。胸裏にある「金甌無欠揺ぎ無き」わが日本の誇りは、けしてこの国に税をすみやかに納めることなどではなく、極力遅延し忌避することだと言う風に確信されていたのかもしれない。
2007年01月16日
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おふくろも、自称霊能者だそうだが、自分はまったく霊能などと縁がない。おやじは、おふくろには色々不満を抱いていたのは知っているが、おふくろの霊能センスには怯えていた。理由は、その的中率だと思う。おやじは、あまりに生涯の折々におふくろの霊視と称する宣託に助けられすぎた。金融犯罪に遭遇したときも、おふくろが間一髪おやじを救ったことがなんどもある。自分も、おふくろには何度も助けられているのでその霊視レベルの洞察力には傾倒している。 だが、霊能というものはまるで信じてはいないし、あてにもしていない。憧れたこともないし鍛えて身につく能力だったとしても、まっぴらごめんだ。2歳で、3人の医師から生存を絶望視されても生き残った。それは母親の科学的な医療措置によるもので霊的な超感覚知覚で救われたものではないだろう。5歳で、暮らしていた自宅を放火されて焼け落ちたがやけどひとつせずに助かった。これも運が良かっただけである。 ■7月30日 守山市、守山駅の列車[機銃掃射]/死者11名・負傷者24名 (守山市史による) おふくろは、アメリカの戦闘機に銃撃されて死に損なった。幸運だと思う。ネットで、「守山空襲」と検索する。このブログ以外に、あまり取り上げれていないらしいということが分かる。自分は、なんども話題にしてきた。この幸運さに、なにか霊的な背後があるのだろうか。おふくろは、「ある」という。自分は、そんなものあろうとなかろうと見えも聞こえもせぬものなどにかかずらわっているのは面倒だ。楽しいことをやりたいみたいのは人情だが、見えも聞こえもせぬものに怯えたり託したりするのは、やはり自分は嫌だ。だから、墓場の上でも平気で熟睡できるのだ。だが、父親はそうではなかった。あの嫌がり方は、両親の相性の悪さの集約だと思う。
2007年01月15日
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ついに、悪運尽きて父親が他界した。 息子の自分が言うのもおかしな話なのだけれども、わがオヤジは可愛い人だった。長門裕之が阪東妻三郎にぶらさがるあの画像を思い出すたびに、さながらおやじと自分のしあわせな時代を思い出す。おやじは、子煩悩でもなければ、子供を手放しで溺愛するという人ではない。終始借入金で、家に金を入れるということをしたくてもできなかったのだと思う。事実そうだったのだろうが、当人に子供というものを考える動機も少なかったのかもしれない。生涯、本人自身が子供だったし、子供でいたかったという風だった。ただ、子供の頃にはケチで金をくれないことを疑問に考えたことはなかったが、いまから思うと子供が喜ぶことを実行するというワザをまったく知らなかったのかもしれない。わがオヤジが、どう考えても強運の持ち主で、運を呼び込むこともたけていた。その強運。招きよせワザ、相当なものでいつも舌をまくものだ。バブル期に、2億7千万円で建てたアパートを、築後20年も経過しているというのになんとほぼ同額で最近売り抜けている。当時は、周辺近隣におなじようなスケールの物件が存在していなかったのであるが、この20年で相当なマンション建築ラッシュ。竹の子のようにいっそう高級なマンションが立ち並んでいる。そんな中で、この事実は斡旋者や販売委託をされた人たちの中でも、仰天ものの椿事である。なにをするにつけても、おやじは一筋縄でおさまらぬ凄みがある。ただの爺さまではなかった。
2007年01月14日
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ついに、悪運尽きて父親が他界した。 息子の自分が言うのもおかしな話なのだけれども、わがオヤジは可愛い人だった。長門裕之が阪東妻三郎にぶらさがるあの画像を思い出すたびに、さながらおやじと自分のしあわせな時代を思い出す。おやじは、子煩悩でもなければ、子供を手放しで溺愛するという人ではない。終始借入金で、家に金を入れるということをしたくてもできなかったのだと思う。事実そうだったのだろうが、当人に子供というものを考える動機も少なかったのかもしれない。生涯、本人自身が子供だったし、子供でいたかったという風だった。ただ、子供の頃にはケチで金をくれないことを疑問に考えたことはなかったが、いまから思うと子供が喜ぶことを実行するというワザをまったく知らなかったのかもしれない。わがオヤジが、どう考えても強運の持ち主で、運を呼び込むこともたけていた。その強運。招きよせワザ、相当なものでいつも舌をまくものだ。バブル期に、2億7千万円で建てたアパートを、築後20年も経過しているというのになんとほぼ同額で最近売り抜けている。当時は、周辺近隣におなじようなスケールの物件が存在していなかったのであるが、この20年で相当なマンション建築ラッシュで竹の子のようにいっそう高級なマンションが立ち並んでいる。そんな中で、この事実は斡旋者や販売委託をされた人たちの中でも、仰天ものの椿事である。なにをするにつけても、おやじは一筋縄でおさまらぬ凄みがある。ただの爺さまではなかった。
2007年01月14日
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近しい親族に重篤な症病があり、予断を許さぬ事態が迫っているとの連絡がかかりつけ担当医から届きました。しばらく大阪の実家へ戻ります。
2007年01月13日
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↑クリック 三井環元大阪高検公安部長自身の語りが動画配信されています。 さて、近親に重篤な事態があり数日実家へ戻ります。ブログは、その間お休みします。
2007年01月13日
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鳥取で、暴力団組員3人が市民に刺傷されたというニュースだ。昨晩も、松尾和子の「誰よりも君を愛す」にかこつけて、テロルの基調が時代に漂ってきたと予兆を感じたことを率直に述べた。昨今ヒラの市民ほど怖いものはない。六甲にばらばら死体が出てきたら、ヤクザが次は自分らの番かと首をすくめるそんな時代が、やってきたのかもしれない。わたしは、当然ながらテロルを奨励しているのでも、鼓舞しているのでも、礼賛しているのではさらさらない。ご政道と、「官」「業」「地下社会」のでたらめが、もはや日本国民の忍耐の限度を遥かに越えているのだと各種指標や感触から印象をしているのである。この国は、古くは大化の改新。江戸にさがっても天草の乱、赤穂浪士討ち入り。大塩の乱。昭和に入ってからも226動乱やら、山口二矢、嶋中事件に至るまで「肉体言語」で人々が動き出すまで権力が自浄力などを発揮することは、絶無という伝統。その立ち尽くす「非決定」の森のような動かざる伝統が情けなく継承されている。えてして、凶刃などと多くは見做しがちだが、この国と社会への国民からはっせられた「海より深い恋心」のいびつな発露なのだろうか。 私が、調査活動費、裏金作りを告発しようと思ったのは、私憤であったことを最初に明らかにしておきます。 加納駿亮という私の先輩にあたる、検事がいました。仕事ができると、評価が高い人でした。戦後最大の経済事件、イトマン事件を手がけた人でもありました。私が大阪高検刑事部の時、京都で医学部を舞台にした贈収賄の疑惑が発覚。捜査を直接担当したのは京都地検ですが、指揮したのは、大阪高等検察庁。私は高松地検で同種の事件の独自捜査していた経験から、どうも裏付け捜査が十分ではありません。この程度の内偵、捜査状況で逮捕するのは早いと進言しました。しかし、大阪高検は逮捕にGOサインを出していました。関わった大学講師を逮捕、教授まで捜査する予定でした。結局は、教授を逮捕できず、講師も釈放され、起訴猶予となり事件は霧散してしまいました。これは、検察にとって大きな失態です。私は内偵不足など捜査の問題点を指摘しました。しかし、この時、検察は失敗に目をつぶり、加納氏はじめ関係者を不問にして、栄転させたのです。検事への道でも触れましたが、なぜ、検事が机の上ばかりで仕事をしたがるかというと、独自捜査で失敗すると責任をとらなければならない。だから、無難な仕事をするために、独自捜査は極力しないのです。私は、独自捜査を他の検事よりはずっとやってきました。いつも何かあれば、責任をとる覚悟で、やってきました。正義を貫く検事として、それが当たり前のことなのです。加納氏は正論を唱える私を「三井はオレに恥をかかせた」と逆恨み、人事権者として私を冷遇しはじめたのでした。そこで、私は当時の荒川検事長に「関西におれんので東に行かせてくれ」といって名古屋高検総務部長になりました。私は平成11年7月、大阪高検公安部長となりました。ここでも、加納氏の横やりで給料や待遇のポストを示すランクが本来、2号であるのに3号に据え置かれた。大阪高検公安部長は2号と決まっていた。3号という人は近年いませんでした。給料が安いことを問題にしているのではなく、プライドがいたく傷つけられた。検察官は独立して良心に従い、事件を処理して、正義を貫く。加納氏のやっていることは検事としてあるまじき行為です。「私にも覚悟がある」 私は加納氏が調査活動費を裏金に流用していることで、告発してやろうと考えた。加納氏は平成7年から8年に高知地検検事正でした。私も昭和63年から平成3年まで高知地検次席でした。その人脈で加納氏がいかに調査活動費で豪遊していたか手に取るように知っていました。ゴルフが好きで、休日には調査活動費をゴルフ代に充て、料亭でもよく飲食をしていました。加納氏は平成7年から8年に高知地検検事正でした。私も昭和63年から平成3年まで高知地検次席でした。その人脈で加納氏がいかに調査活動費で豪遊していたか手に取るように知っていました。ゴルフが好きで、休日には調査活動費をゴルフ代に充て、料亭でもよく飲食をしていました。そんな裏事情を私はいくつかの雑誌に告発をはじめました。先に申しました、則定氏の女性スキャンダルでは雑誌報道をきっかけに新聞、テレビにと広がり、辞任に追い込まれました。
2007年01月12日
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誰よりも君を愛す作詞:川内康範作曲:吉田 正唄:松尾和子・和田弘とマヒナスターズ1 誰にも言われず たがいに誓った かりそめの恋なら 忘れもしようが ああ 夢ではない ただひとすじ 誰よりも誰よりも 君を愛す2 愛した時から 苦しみがはじまる 愛された時から 別離(わかれ)が待っている ああ それでもなお 生命(いのち)かけて 誰よりも誰よりも 君を愛す3 あなたがなければ 生きてはゆけない あなたがあるから 明日(あした)も生きられる ああ いく歳月(としつき) 変わることなく 誰よりも誰よりも 君を愛す右翼の本質は、なにだろう。今日は、夜にクーペーで滋賀の国道を走りながら思い巡らせていた。右翼の皇道派など、昨今在日と被差別部落民の示威に過ぎないと喝破したnak1さんの意見が先日日記で語られていた。ほぼ、的中というぐらいの実態である。では、本質論として右翼主義は日本から消えてしまったのだろうか。実は、こんな日本でもけして右翼主義は消えないだろうと思った。思った瞬間に思い浮かべたのは、昭和35年日本レコード大賞に輝いた「誰よりも君を愛す」だ。この歌を、男と女の耽美的な恋歌だと勘違いしてはいけない。川内康範は、個人的にはあまり好きではないが彼の作品を貫いているものは常に反米愛国だ。われわれポスト団塊世代に「月光仮面」を与え、あの「レインボーマン」にいたる川内のメインテーマは民族主義のコアな心情を裏声で(マヒナスターズとは違った意味で)語りかけるという姿勢が終始漂っていた。松尾和子が、なぜあれほど自分の魂を打つのか。小学生時代から、不思議でならなかった。いま、ようやく分かるような気がする。少なくとも、三島由紀夫を「烈士」とか言って持ち上げているむきは、この往年の松尾和子の名曲「誰よりも君を愛す」を100回以上聞いたほうがいいと思う。「あなたがなければ生きてはいけない」など、女が口走るはずがない。そんな甘ったれたことをいっている奴は、いつか寝ているあいだにワイン瓶で頭をかち割られることになるだろう。この唄は、艶歌を装いした真性右翼への応援歌だ。この直感には絶対の自信がある。↓クリック昭和三十五年十月十二日事件報道の動画へ
2007年01月11日
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起訴、不起訴という検察官の「裁量範囲」が、検察組織という権力の外にさらなる権力もどきの実態を形成し、ひとつの裏利権を形成してしまっている。裏利権に、警察の裏事情が複雑にからみ、この国の司法、行政ごと国民のほうを向いている暇などないほど金と、腐敗しきった組織原則で迷走してくださっているというのが現実だろう。われわれの日常で警察との接触があるのは、せいぜい落し物の届け出と自動車運転免許証の交付更新などかもしれない。しかし、何らかの犯罪がある場合には、かならず警察が動きだすものと素朴に信じられている。水道管から水が流れるように、犯罪に警察の司法活動が対応すると、そう考えるのがほんらい健常な市民感覚であろう。実際には、警察が動きそうで動かない組織だということが広く知られ始めてている。こんな不思議なことがなぜ生じるのかといえば、やはり犯罪の摘発を行政職として実行するはずの警察機構が、行政職として職務を遂行するに際して、常に検察に裁可を得て、司法職者の判断に依存しているという現実があるからだと思われる。実は、警察そのものが行政職者と司法折衝者を分けている。これを知ったのは、過去に警察署で窓口担当者が、ある実害を生じた事件で被害者となった私が署にでむいてのか被害届けについて受付をおこなわない、との言明をうけて問いただした際に、そのような事例につねに案内される小部屋、その部屋は、「相談窓口」と呼ばれるものだけれども、わざわざ被害届けを受け付けない理由の言い渡しを受けて驚いたことがある。(それは昨年、自分のバイクが放火された事件の前である。放火されたバイクは、警察はおろか消防署すら放火である旨の罹災証明をださない、という同伴ぶり。つまり警察の退嬰的なことは、もはや消防署にまで関与を広げているという情けない事態だ。)警察官そのものも、実は「捜査」と呼んでいる司法警察活動にも「司法巡査」と、「司法警察員」という役割の差異がある、というのである。被害者にとっては、なんの関係もなさそうなそらした説明だが、行政職である、警察のその顔の中身として、一般市民が窺い知れない事情がある、というのである。被害届けをまじめに受け付けていたのでは、司法巡査に過ぎない行政職であるわれわれは、つねに行政職に過ぎないヒラの警察官(つまりは、ノンキャリアという意味と大差ないと感じた)は、警察署長らに代表される司法警察員の走狗(パシリ)であって、そうたやすく被害届などを受けていられない、という驚くべき説明だった。いうまでもない、この司法警察員などというもったいぶった解説の背後にあるものは警察そのものが書類送検(検察送検と呼び変えた方が分かりやすいだろう)の先である、巨大な検察官への配慮で凝り固まっているということだと読み解いて間違いないと思う。なぜ、国民の窮状を斟酌せずに、検察官へこれほどに配慮や気兼ねをせねばならないのだろうか。それが、まさしく有罪率100%神話。かつてあれほど不人気だった検察官がいまや司法修習生が、こぞって検察官志望とっている秘密がそこにあると思われてならない。欧米の裁判所は「有罪か無罪か判断するところ」。わが国は「有罪であることを確認するところ」。これ。 これなのである。被害届などを受理しちまって、まちがっても容疑者をみつけられず加害者をつきとめられないようでは検挙率にも響くが、それよりも検察送検して有罪にできないような真似を実行する度胸が、ヒラの司法巡査らには恐ろしくて手を染めかねるというところまできているのだ。まして上層と地下社会の癒着はみえみえ。そういう時代相も、あいまっていそうだ。 国民主権などとは世をたばかる真っ赤な嘘。この国は、法科支配、司法職主権だったのかと言いたいほどだ。
2007年01月11日
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学生時代の友人のひとりが、検察官だという事は何度か述べた。学生時代の気安さで、彼の家に乗り込んでその父親も現役の検察官時代にいろいろ話を聞けたものだ。すくなくとも正義の体現者とはほど遠いものだ。彼らは、犯罪者を糾弾する公務員というよりも犯罪を刻印する絶大な権力を駆使して、社会から犯罪という特殊なサービスを取り次ぐ一種の周旋業という側面が間違いなくあると確信したものだ。警察が、ヤクザや広域暴力団と深い関わりを持つのだが、そこに検察が関与しないという事は考えられない。むしろ、彼らの組織が積極的に警察とヤクザの交渉に仲介し、仲裁役で積極的に関与せずに瞬時も成り立たないという風に思った。警察は、検察に根回しせずにヤクザと大手を振っては交際ができない仕組みになっていると私は思う。警察が、さまざまな不正を働いてきているのはいまや市民周知の事実だが、その見返りについては、間違いなく「分け前」の上納先という意味あいで検察の組織があるとみて間違いないだろう。起訴=有罪主義に陥っている 刑事事件の被告は裁判所の有罪判決が確定するまでは無罪として推定される。これが無罪推定の原則。「疑わしきは被告人の利益に」と同じ思想だ。しかし現実には起訴=有罪主義は明らかに働いている。最近の犯罪白書の統計は確認していないが、少なくとも99.9%の有罪率だ。私は弁護士になる前に13年間検事をやっていたが、その意味で検察官の感覚を色濃く残している。私のいう検察官感覚というのは、客観性と公平性という意味で、決して罪を犯した人間を厳しく処罰すればいいというものではない。検察の捜査や起訴に至る判断というものは客観的で、なおかつ慎重であるべきだ。これは私の想像だが、これまで証拠不十分として不起訴処分にした事例であっても、検察がいかにも慎重に調べて起訴しましたという顔をすれば、半分は有罪判決となるのではないか。そういう意味では裁判官も起訴有罪主義に陥っている。まして一般市民もそうではないか。ところが逮捕された事件の中で、起訴される事件の割合は有罪率ほど高くない。結構不起訴になっている。匿名報道継続を報道各社に要望男性の将来を最優先に考慮すべきだ ―京都・児童傷害事件で弁護団が報告―代表世話人/前野育三(関西学院大学教授) 野村 務(弁護士) 発行者/人権と報道関西の会 市民・メディア 事務局/木村哲也事務所 「想像」などとは、とってつけた話だ。実態で起訴すれば罪人にできる(できてしまう)という特異な権力なのだ。起訴、不起訴という検察官の「裁量範囲」が、検察組織という権力の外にさらなる権力もどきの実態を形成し、ひとつの裏利権を形成してしまっている。裏利権に、警察の裏事情が複雑にからみ、この国の司法、行政ごと国民のほうを向いている暇などないほど金と、腐敗しきった組織原則で迷走してくださっているというのが現実だろう。
2007年01月10日
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横浜地検は昨年28日、佐賀地検在籍時に、背任事件で逮捕された元佐賀市農協組合長(76)の取り調べで、「ふざけるなこの野郎。ぶっ殺すぞ」などの暴言を吐いた横浜地検小田原支部の市川寛検事(40)を厳重注意処分とした。 (中略)この自白調書は公判では証拠不採用となり、1審で無罪。今年9月の控訴審判決も1審判決を支持し、検察側の控訴を棄却し、無罪が確定した。 記者会見した佐賀地検の壬生(みぶ)隆明次席検事は「検察官として極めて不適切な行為で、国民の信頼を失墜させた」と述べた。 この「ぶっ殺す」で市川検事は同日付で辞職したというではないか。ならば、香川県警の丸亀警察署・津島利夫副署長の「不適切過ぎる行為」は、どう扱えばいいのであろう。 本紙川上は、佐賀地検の壬生次席検事が、暴言を不適切な行為と捉えた検察の判断に期待して、昨年の12月30日、丸亀警察署の津島利夫副署長を高松高検検事長に告発した。 罪名罰条は、「傷害」「公務員職権乱用罪」「特別公務員暴行陵辱罪」である。 告発事実は、少年非行事件として平成17年8月23日、少年Kが逮捕された3百17枚のガラス割り事件に始まる。 これは5人の少年が犯行に及んでいた事件で、その後、3つの別事件でも少年Kが犯人であるとの前提で被告発人は取調べを進めていた。 坂出警察署の取調室において、少年Kの髪を引っ張ったり、右腕の肘と手首の間あたりをつねったりして、同少年の加療約14日間を要する傷害を与えながら自白を迫るという被告発人津島の独特な卑劣極まりない取調べ手法であったが、その際、「お前の母親は、なぜお前を産んだのか分からん、…お前は人間のクズだ」「お前は生きとる価値もないので、はよ死ね」「お前の母ちゃんと弁護士がいくら頑張っても、俺たち警察に勝てるとは思うなよ、お前を長いこと少年院に行かせてやるけんの、覚悟しとけよ」らの暴言を吐いた。 腕がはれ痛かった少年Kが「病院に連れて行ってよ」と訴えると、「そんなのは怪我でない、唾でもつけとれ」が被告人津島の返事だった。「丸亀副署長が、少年の自白強要で暴言に傷害」四国タイムズより
2007年01月09日
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佐賀市農協事件1佐賀市農協事件2佐賀市農協事件3↑クリック 昨年末の、「ザスクープ」の西山事件も衝撃的だが、いまや七夕なみの特番扱い。この番組を特番に追いやった勢力はこのシリーズ一連のインパクトの強烈さを自覚しての上なのだろう。自分は、ほぼ見落としなしに見てきたが手元の記録に残せないシステムがいかに野蛮なものかと改めて思う。シリーズの特徴は、一貫していてそれはズバリ、検察批判だ。いや、批判などというものではない。まともならば検事総長から、法務大臣の逮捕拘禁、内閣総辞職レベルのものが延々と続いてきたのが日本の戦後。この連中に、愛国心だの、民族意識だのと聞かされたくはないと思う。警察批判よりも、いっそう深刻である理由は検察が警察の内部腐敗を深化、手本となっている可能性は高い。西山事件での、佐藤道夫などの立ち回りがその後の検察全体にがくアメリカの顔色をうかがうばかりの対米盲従「ぽち」機運を加速した可能性は高く、あの西山事件は分岐点ではないかという気がしてならない。高校の同級にいた友人は、検察入りした二十代。むしろ検察は不人気で司法修習生時代に教官から肩を叩かれて拝まれたという時代があったと聞いた。彼は、父親に続く二代の検察一家で、任官にはその呼吸が働いたのではないか、と彼自身が口にしていたものだ。ところが、数年前彼が呼び出して大阪梅田で出会ったときに、彼が口にしたのは昨今司法修習生の大多数が判事、弁護士ではなく検察官志望者が急増してきていて、教官がいさめて弁護士に振り分けるというほどの人気だという。どれほど、彼らが厚遇されているのかが伺えるではないか。都心の官舎に、呆れるほど廉価に住まいして年収は定年前の民間サラリーマンとは桁違いであるうえ、昨今の法科大学新設で彼らが教鞭をとることで得られる副収入は、言ってみれば国家行政の怪しい口封じ代とも取れる。そう思わずにいられない。 東京地方検察庁特別捜査部長 大鶴 基成 なあにがって感じだよ。投資なんかやったことないヤツがほざけと思うよ、まったく。こんなのが東京地検特捜部長?いまさらこんなコトいってもまったく心に響かないよ。そんでもって去年の4月に就任したときの会見で>「額に汗して働く人、リストラされ働けない人、違反すればもうかると分かっていても法律を遵守している企業の人たちが、憤慨するような事案を万難を排しても摘発したい」だったら検察なんかやめて日当の土方や新聞配達やヤクルトに行ってみなよ。誰もお前がやったことをほめるヤツなんかいねえよ。ほんと検察も含めて日本の役所はおバカな連中ばっかりでとんちんかんなこといってるよ。やってることは、都合の悪い人間には法を拡大解釈して、都合のいい人間には縮小解釈やってるだけじゃねえかよ。こんな連中に社会正義なんか教えられなくって結構だし大きなお世話だ。「てめえさえよければいい」なんて昔からじゃないのかね?今回のLDや村上Fの件で諸悪の根源で社会悪のような書き方をされているけれど彼らのやっていることを潰した所でまったく世の中変わるはずがないだろうよ。どうせ捕まえるんだったらオリックスの宮内義彦みたいなの捕まえてクレよなこいつのほうがずっと悪い。 ☆287 :法の下の名無し :2005/04/10(日)新しい東京地検特捜部長、成りすましじゃないか? 新任の東京地検特捜部長に「大鶴基成(おおつる・もとなり)」が就任したが、ずっとドサ回りの元交通部長を特捜部長にするとは、検察庁もヤキがまわったな。名前であまり言うのは申し訳ないが、「大鶴」なんてのは親指半島の奴らの名前だよな。しかも本サイトで散々言っている金日成の息子、「金基成」と同じ「基成」という名前・・・やる気があるのかね、検察首脳は。前任の原田検事総長も朝鮮パチンコ屋の金で韓国に行っているが、松尾邦弘検事総長、あんたは大丈夫か?進退と後任は自分で決めるのが検察庁の慣例だからな。
2007年01月09日
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実は、この話題はこちらのブログで何度も取り上げている。大多数は興味がないらしいので、勝手に口ばしっているだけだが、興味を示す人も意外に少なくないような気がする。早い話、自分の母親が、子供の頃からうるさくてしかたがない。迷信深いのとは少し違うようだ。本人は、天然自然の不思議、みたいなことを言っているが、霊験だの、あの世だのを持ち出されても知ったことかというのが不孝者な息子の基本姿勢だ。小学生時代に、やけに山伏だの修験者だのが家にきて、憑き物めいた話をするので与太にもいろいろあるものだとつくづく感心した。自分は、迷信深くもないものの、与太の愉しみはよく分かるので、飛び跳ねた話は大歓迎である。もっとも自分自身は霊的感受性が皆無のようで、墓の上で寝ていても熟睡してしまう。むかし、長野県の宿で食事がおいしく女将が気さくで楽しい旅館があった。そこで同僚の出張時に強く推奨したものだ。後日、帰社した同僚からさんざん恨まれたものである。夜中に魑魅魍魎が怒涛のごとく押し寄せてきて、一睡もできなかったのだそうだ。朝、おそるおそる窓を開けると裏は一面の墓地で、腰が抜けるようだったといっていた。あの恐ろしい旅館で、よくぞ熟睡して朝夕飯が食えたものだと呆れられた。心なしか同僚の頬が削げていたように思う。気の毒な事をした。そんなこんなで、周囲の霊的感応者らのそれぞれがさんざんな眼にあっているのは耳にする。母親に言わせると、アメリカの戦闘機に殺されずにすんだのもなにか霊的な疎通のせいなのだとか。そうすると、自分が悪運強く生きているのも、なにかの霊界のおぼしめしなのだろう。母親が、守山空襲で殺されておれば、当然自分は生まれておらぬが、それよりも2歳で死にかけても、5歳で家を放火されても、涼しい顔して生きていられるのはなぜなのだろう。考えてみれば、墓の上で涼しい顔して寝ていられるという「鈍さ」もなかなか凄い能力だとわれながら感心してしまうわけだ。同じようなことを、前にも述べたが、何度述べてもここのところは実に面白くてならぬのである。むかし比叡山を焼き討ちしたむちゃくちゃな戦国大名がいたが、多分自分のような奴だったのだろう。 共感覚(きょうかんかくsynesthesia、ギリシア語で「共」+「感覚」)とは、視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚の五感が未分化である人間の幼児期のさまざまな感覚が(特異的に)関連しあうこと。例えば、7という文字に青い色を感じたり、音階のミの音に緑色を感じたり、ハンバーグの形が苦い味に感じたりするなどである。その後の成長による感覚の発達にともなってこうした共感覚は失われていく。しかしながらたまにこうした共感覚を保持したままの大人もいる。特に、その場合に共感覚と呼ぶ場合が多い。女性の高い声を「黄色い声」などと言うように、人類、あるいは特定の環境・文化に共通の感覚はある。しかし、共感覚を持たない人には感じられない先述のような感覚(数字に色を見るなど)を、共感覚者は切実な実体験として感じている。共感覚の中でも、音楽や音を聞いて色を感じる人は「色聴」といわれる。絶対音感を持つ人の中には、色聴の人がいる割合が高い。音を色で判断しているとすれば、音を判別するとっかかりが通常より多いことも一因と考えられる。これは、自分が霊的感応力というのか、霊能について考える手がかりにしている生理学の視野に登場した「共感覚」についての読み解きである。思うに、いわゆる「霊能」とは、これら共感覚と同じ地平にあるものだとするならば生物の起源以来の由来を踏襲するわれわれが細胞から分化する際に、外胚葉とよばれる同じ位相に感覚器官を平衡させて感受していた名残という気がしてしまう。われわれが霊長類として脊椎動物の極相にあるについても、原生動物以来の、膨大な年限をかけての系統進化の過程でたぶんこの細胞分化の集約度ごとにそれぞれ塊をなしてなんども高度化してきたのだろうと思うが、五感がそれぞれ相互干渉しあう事のないというのは、脳の高度化にとって必要だったにせよ、はたしてわれわれと言う種のそれぞれの一固体(個人といってもいい)にとって、それほど幸せなことなのかどうかは判断に苦慮する。自分は、視覚的なものが大変刺激として好きで音で耳にするものはなるべく少ないほうが快適だ。だが、音感の良い人は、つねにスリーピングマスクをして視界をさえぎって音曲に没入していたいという動機の人も多数見かける。脳の好む刺激ですら個体差があるのだ。霊能者たちのように、五感の外側に人生の意味の所在を求めるという姿勢も重々ありえる事なのだと思う。では、なぜこれほど自分には霊的感受性が希薄なのだろうか。それは、どうにも言語の有意味性が霊的感応者とまるで違っているからではないだろうか。 自分などはつねに言語の有意味性が、記憶と体験から昇化し、化体したものだと思っているのだけれども、霊能者にとっての体験は自身の思うそれとはまるで違っているようなのだ。その差は、先に述べた「不良設定問題」への対処方で劇的に違ってくると思う。自分にとって、「不良設定問題」の解法は、思い出すことであるけれども、霊能者にとっては憑いてくるなにかなのである。どちらも現在とは相違するなにかなのであるから、形而上的な存在だとは思うのだけれど、いずれにせよそれは快適であるか否かではなく、それ以外の選択しかありえない、というかたちでわれわれに纏わりついてくる。ひめようこさんは、自分のブログを比較的良く読んでいて文字面は訳が分からないといいながら拙生のみょうちきりんな語彙を辞書をひきながら、結構楽しんで読んでくれているらしい。たぶん、なにかが行間に漂っていて「言霊」のように彼女には憑いていくのだろう。こちらは、ただ思い出しているかのように脳裏へ連続して湧いてくる事柄を適当に打刻して忘れないように信号化しているだけなのだが。いったいどこで言霊を連行してくるのだろうか。興味はつきない。ブログを読んでいる人の流儀を聞いていると、これまでのわれわれの活字生活で図書をつうじて読者が著者の作品を読み解くのとは相当違っている気がする。
2007年01月08日
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昨日は、ひめようこさんからスカイプで質問を受けた。去年からの続きだ。いくら遠方でも、スカイプがあるから内線と変わらない。世間話をしていると、お年玉の話題になった。そういえば、自分はお年玉というものに記憶がない。握り締めてモノを買った記憶がほとんどない。お年玉は、おろかモノを貰ったことも数えるほど。貰ったものも、ほとんど親が取り上げて誰かに贈り物をしていた。一言も意見を聞かれたことがない。外からかえって押入れをみたら、親戚の伯母さんから貰ったおもちゃが消えていたという経験を何度もした。わずかに貰ったお年玉も、すべて母親が握っていた。妹のも同じだったと教えてやったら、長じて妹が「そのお年玉は、どうなったの」というので指差した。部屋の隅にある、古びた貧相なやぐらコタツである。妹は、怒り出してなんで子供に親は、お年玉をつかわさずに家の家電製品を購入することに使ったのかというのだ。自分は、親になりかわってお年玉を勝手につかった母親の動機を解説しなければならなくなったのだが、解説に詰まった。建前は理解できても、どうも釈然としない。親は、そのような対処をして子供がどれほど脱社会的な気分に陥るのか想像ができない人だったのだろうと思う。学校をでて、給与生活を始めてからも無駄遣いがあまりできないのだけれども、親にもカネを入れるということはしていない。親は、少しはカネを家にいれろ、と言うがお金をやり取りすることが心のバリアになっている気がする。世の中には、お金のやりとり以前に「互酬」という社会関係が基層にあると社会学は教える。これが理解できない人が、戦後日本には圧倒的に増えてしまった。お金のやりとりをするときも、お金のやりとりが無いときにも、人間は相互に「互酬関係」を形成していなければならない。かつて大阪の商売人は、それがよく生理で身に染みて理解できていたらしい。「おかげさまで」という言葉が、それだという。あれは大阪が石山本願寺という教団の基盤に、発展し大阪城に化体し、その周辺に緒方洪庵の適塾ができ、富山商人が薬を運んでなりわいするなどという流通の形成に、シンボリックに阿弥陀如来が核心として存在したという古老の意見だった。「おかげさま」は、誰がいうまでもなく弥陀如来のおかげで、その道にはずれると「もったいない」になる。もったいないのは、節約という意味以外に、この「互酬」の道から外れることを指していると自分は思った。最近の親、それも団塊世代の親。つまり自分よりも5、6歳上の世代は簡単に子供に金をくれてやる癖を身につけていると言われている。たしかに彼らの子育ては、金をやたらばら撒く。金をばら撒くことは、けして悪いことではないが、その金の動きに同伴するだけの規模の、相当量の「互酬関係」を形成しているのか、というとそれがまったく感じられない。彼らは、互酬ではなく「偏差」で報酬の体系を構築することをなんの疑いもなく受け入れてきた連中だ。個人的には、そういわれて否定する向きがいるかもしれないが、これは事実だ。彼らは(ひとつの塊としてあえて指摘すれば)、無意識のうちに入念に人間関係を選別している。彼らを育てたのは、日教組世代の教員だ。日教組は、普通には左翼思想で日本を破壊したと信じられているようだが、自分はそうではないと思っている。日教組という組織は、日本の教壇から「互酬」の社会関係を毀すことを教唆し続けた。親の世代の価値観、よりも偏差値の階段を上り詰めれば自立した個人になれ、親の呪縛から逃れられると(実態として)説き続けた。あの「核家族化」の巨大な奔流のような動きが、戦後社会に押し寄せた。その中核的な動きをなしたのが、日本の左翼系教職員の労働組合だったと自分は思う。これに対抗するかのようにみえた保守論壇も、実は本気で日教組教育を封殺するといふしがなかった。理由は、簡単だ。なんのことはない、まさしく日教組という組織そのものがあの男が日本にもたらしたものだったからだ。1947年、毛沢東やスターリンが日本にこのような組織を形成して、世に放つことが可能だった筈がない。日本教職員組合は、日本全国を対象として、1947年(昭和22年)6月8日に設立された。第二次世界大戦直後に「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」を標語として出発し、当時は、教師の倫理綱領を定めて新しい教員の姿を模索する一方、文部大臣(現在の文部科学大臣)と団体交渉を行った。1947年5月3日 - 日本国憲法施行 7月1日 - 公正取引委員会設置。 7月3日 - GHQが財閥解体の一環として三井物産・三菱商事の解体を要求。 7月4日 - 旧日本海軍所属航空戦艦『伊勢』解体完了 8月4日 - 最高裁判所発足。初代長官に三淵忠彦が就任。 9月18日 - アメリカで国防総省(ペンタゴン)と中央情報局(CIA)が正式に発足 10月14日 - アメリカの『ベルX-1』が水平飛行で音速を突破 11月29日 - 国連総会でパレスチナの分割案が可決(国連決議181号) 11月30日 - 旧日本海軍所属航空母艦『葛城』解体完了
2007年01月08日
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見るべし!第一級現代史資料語るべからず!これを見ずして。↓クリック ↑必ず上の画像クリックのこと。必見の36分 源田実なにゆえのルメイ推挙か? ↑クリック 大君の辺にこそ死なめ↑クリック 勲一等旭日大綬章 ↑クリック 人は、戦争で死ぬために生まれてはこない。 ↑クリック
2007年01月07日
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小学生の時にみた、納戸の行李の中に納められていた近松行重の討ち入り装束はこの雑誌のイラストがもっとも近いように思う。粗末な手縫い雑巾のようなものに見えた。間違っても映画や、テレビドラマの討ち入り衣装などとは似つかず隔たりがあった。土木作業員用の野良仕事にでも出て行く装備。とび職の作業着のたぐいにみえた。ただ、作業着と決定的に違ったのは鎖帷子というのだろうか。刃物が通らないように、金属の細かな網があって、ここ数十年のものではないというのがみてとれた。すべて手づくりの金網なのだ。規格品ではないもののもつ迫力があったが、さりとて槍が本当に防げるのかは少し疑問に感じるような印象があった。日本刀は、以前に話題にしたと思うが祖母がアメリカ軍に恫喝された影響だろうか。ゲンノウで祖母が叩き壊して、ニワトリの餌をつぶす菜切り包丁に化けていた。自分は、従兄とニワトリの餌やりをして遊んだことを思い出した。妙なナイフだと思っていたが、砕けた日本刀だったのを従兄に教えられて、「仇討ち」がいかに野蛮な伝承であるのかとアメリカ軍人に説諭された祖母が実行した「軽挙」を、多少は短慮だとも思いながら、状況的にいたしかたなかったものと納得したものだ。なにしろ伯父は、南方戦線で戦死している。家督を継ぐ教養ある長男が不在の家だったためにおそろしく資料、書簡、所持品は乱雑に保管されていた。母親に、「表具師に保管する方法を打診すればいいのに」と言うような意味をこっそりと耳打ちした記憶がある。叔父は、実直ながら多少がさつで無教養な人に思えた。しかしそんなことよりもなによりも、昭和30年代の頃。まだまだ赤穂浪士の遺品などそれほどの価値があるものだという感覚が、一族にはまったく無かったのである。
2007年01月07日
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ご存知、正義の味方顔でおなじみの検察OB佐藤道夫民主党参議院議員。参議院議員さまに収まるに際しては、南無妙法蓮華経で赤絨毯へ送り込まれているドンドンつく議員であることはつとに有名。ところがこの先生が、現役の検察官だったときに敵失というにはあまりにもお粗末な。不倶戴天の敵創価学会へ「大きなプレゼント」をしているのだから面白い。 「真相の究明」とは、可能な限りあらゆる努力を尽くしてもどんな疑問も後に残さないということである。検察官が特別な事情もないのに、安易に現状と妥協して真相の究明を取りやめる。それは公益の代表者として重大な任務違反である。 仮に暴力団との癒着が取りざたされている者から政治献金があった場合、献金を受けたのが団体か個人かあいまいで、個人なら罰金刑、団体なら禁固刑という場合、授受された金の使い道不明な場合、個人の所得とみられれば脱税の疑いがある場合、それらの追求を怠る検察官がこの世に存在するとは思えない。 もし、怠っているとすれば、検事総長の訓示が全く無視されていることになる。 いずれにしろ、特別な人を特別に扱うのは司法の世界で絶対にあってはならぬことである。 司法に対する国民の信頼には揺るぎがないと思われてきた。それは、裁判、検察の場でどんな人をも特別扱いせず、どんな人も差別せずに常に公平を旨として運営してきたことが大きな力になっている。そうなるには、諸先達の血のにじむような努力が注がれてきた。その成果を今、無造作に投げ捨てるような結果になることは、なんとしても避けるべきではないか。いつの時代にあっても、司法と国民の一体感の醸成を目指しての関係者の一層の努力が必要と思われる。 佐藤道夫 「検察官の役割とは何か」 朝日新聞9月29日付朝刊「論壇」 お言葉どうりに、佐藤道夫議員が検察官として「安易に現状と妥協して真相の究明を取りやめる」ことがないのであれば、国民もご政道に不安を抱いたりなどしない。ところが、ところが・・・ 沖縄の祖国復帰の見返りに、本来米国が支払うべき土地の復元費用を、日本が肩代わりしたのではないかとされる一九七一年署名の沖縄返還協定について、当時、外務省アメリカ局長として対米交渉にあたった吉野文六氏(87)=横浜市在住=は、七日までの北海道新聞の取材に「復元費用四百万ドル(当時の換算で約十億円)は、日本が肩代わりしたものだ」と政府関係者として初めて日本の負担を認めた。この肩代わり問題は外務省密約事件として知られ、警視庁が当時の毎日新聞記者西山太吉氏(74)を逮捕、国民の知る権利をめぐる論議になった。四百万ドルは、米国が軍用などに接収していた土地を、元の田畑などに戻すための費用。「米国が自発的に払う」と同協定四条で決めた。一方、七条は、沖縄にあるとされる核兵器の撤去や、米国資産の買い取りのため日本が米国に三億二千万ドル払うと決めており、西山氏らは電文などをもとに「三億二千万ドルの中に四百万ドルが含まれている」と主張してきた。吉野氏は「当時のことはあまりよく覚えていない」と断った上で「国際法上、米国が払うのが当然なのに、払わないと言われ驚いた。当時、米国はドル危機で、議会に沖縄返還では金を一切使わないことを約束していた背景があった。交渉は難航し、行き詰まる恐れもあったため、沖縄が返るなら四百万ドルも日本側が払いましょう、となった。当時の佐藤栄作首相の判断」と述べた。また、日本政府が、円と交換して得た返還前の通貨、米ドルを無利子で米国に預託し、自由に使わせたことも明らかにした。金額には言及しなかったが、米側文書によると、連邦準備銀行に二十五年間無利子で預け、利息を含め計算上約一億千二百万ドルの便宜を与えたとみられる。これらの肩代わりや負担は、これまでマスコミや沖縄の我部政明琉球大教授(国際政治)が、米国の情報公開法で米側外交文書を入手し、指摘してきた。しかし、日本政府は否定し続け、情報公開もしていない。外務省は「現在、西山氏から当時の報道は正しかったと謝罪を求める裁判を起こされており、コメントできない」としている。我部教授は「証言が正しければ、米側外交文書を裏付けたことになる。日本政府は負担を三億二千万ドルと言っているが、米側文書によるとこのほか、基地の施設改善移転費などが七千五百万ドルあり、現在の巨額の思いやり予算につながっている。政府はきちんと説明すべきだ」と話している。「警視庁が当時の毎日新聞記者西山太吉氏(74)を逮捕」の、その張本人が佐藤道夫参議院議員その人ではないか。当時、流行語のように有名になった「女性事務官をホテルに誘ってひそかに情を通じ、これを利用して」という起訴状。売れっ子コピーライターも、まっさおの72年流行語大賞は、佐藤道夫先生の筆である。よくぞ、ぬけぬけと「公益の代表者として重大な任務違反」をやらかしてくれたものだ。閻魔大王が、鉄釜で湯をたぎらせて手ぐすね引いてお待ちになられていることだろう。 当時、すでに小説家松本清張は怒り心頭に達し新聞コラムなどで検察批判を繰り返していた。水面下で、この一件の怒りも含めてあの「糖尿せんべい」の請託にやすやすと乗り、よりによって、真っ正直にもあの宮本顕治「獄中非転向おやじ」とくっつけようなどと大技をかけたりする。これはまんまと糖尿病せんべいの術策に陥り幻の創共合作劇と称される和解の仕掛けを試み、潰える。もはや記憶から遠のくのだけれども、その余波は思いがけず大きい。一層大きな変化へ結果する。まずこの国家機密漏洩事件なるものにより毎日新聞の屋台骨が揺らぐわけだ。購読者数が5大紙中で最下位。「密約」に関するマスメディア、プレスの疑惑追及攻勢は一機にダッチロール。謀略的なまでの不買運動と忘れもしないオイルショック。たちまち経営不振に見舞われた毎日新聞は確か翌年ぐらいに会社更生法適用を申請することになる。 そこへ狙い澄ませたように、あの糖尿病せんべいから、お仕事が入る。2ちゃんねらーご存知のとうり。毎日新聞社は、及慈雨のようなありがたい創価学会機関紙「聖教新聞」の印刷代行を受注。以後、創価学会の下請け印刷所としてその巨大な影響を排除しきれなくなったのである。 立正佼成会が、民主党へ旋回したのも、もとはといえば後援している佐藤道夫先生が、公益通報者を刺した、その一件がまわり回って猿まわししたものなのである。最近は、民族派団体から北朝鮮についての認識が支離滅裂だと糾弾されたりなさっておられる佐藤道夫先生なのだが、よくよく草加糖尿せんべいと裏癒着でもされているのだろうか。
2007年01月07日
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今朝がた、知人の6人もいれば関西圏ぐらいは軽々アクセス可能だと豪語していたが、インターネットの恐ろしさでズルズルなんでもかんでも引きずって出てくる。杉山巡氏のBBSで、うっかり忘れていた40年前を手繰っていたら怒涛のごとく昔の話題が転がりこんできた。古い昔という奴は、所詮度し難いものだ。たとえばこの間も、赤穂浪士の話題をしたが今の時代とは価値観が180度違う。いってみれば、あの時代には公儀に弓引いたという意味で所詮は「元禄の連合赤軍」みたいなものではないか。たまたま五十人近くで仇討ちしたもので、一種のクーデターのような効果も生じて芝居にも取り上げられたが、それほど家督を継いだ者たちに常に肩身の広い時代ばかりではなかったと思う。一族には、思い出したくもないという時代も予想以上に長くあったと聞いている。 たまたま執拗にここで話題にしているのは、自分が無責任に語れる程度の「距離」を許されているからだ。当事者とは、相当ほど遠い。ようするに赤の他人ほどの距離があるがゆえにせいせいして語れるが、あんな歴史の一事件をいつまでも引きずり昔がたりをしなければならないのは、つくづく不幸だと思う。自分には、赤穂浪士が良くて連合赤軍が悪いという理由がよく分からない。世間評価などというものが、いかに怪しいものか。改めて思うわけである。ひっそりと日陰者で漂泊していた時代も長かったのではないだろうか。昭和になってからでも、たっぷり危うい話題は耳にしている。人間、歴史を背負うのはほどほどでいたいものだ。たとえば、たまゆら1/f氏に昨日もいろいろ話をしたが、どう考えてもブログ向きではない話題というものもあるものだ。つまり、ぜったいに額面どうりに理解されない。いや、理解されないどころか一人歩きして悶絶しそうになるものが必至という場合もある。 うっかり間違うと、ブログは本当に危険な代物であることは間違いない。
2007年01月06日
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さきほど、杉山巡氏のブログを読んでいての事。まるっきり記憶のかなたの自分の中学のことを40年ぶりぐらいで思い出した。そこで、検索したところ出身校にWEBサイトができていて、知らなくてもいいことを沢山知った。なんと森村泰昌が、よりによって自分と同期の同学年だ。同学年だと知ったのは母校のサイトではなく、ウィキペディアの詳細をみてのこと。眼が点になった。これはまったく知らなかったのでショックである。生まれ育ちがやけにご近所らしいとは、思っていたがまさか同じ学校で同期だとは夢にも思わなかった。いや、ほんとに驚いた。あちらは秀才だし、3年間まったくすれ違った記憶も話を交わしたという覚えもない。ただ、検索すると自分が生まれて育った(道路収容で空き地になりはてている)5歳で放火され、いつもここで話題にしているすでに存在しない当時の自宅から徒歩で5分ぐらいのところの生まれらしい。松岡正剛の「千夜千冊」に登場するぐらいだから、よほど偉いセンセーらしいのだがいまだに彼の仕事のお値打ちがよく理解できない。NHK教育テレビで、なんどか解説を聞いたがさっぱり分からぬ。しかし、きっと良い仕事なのだろう。汗普通は、多少の記憶に残っているようなものだと思うに、まったく世の中狭いようで知らないことが多いものである。彼もMで、いつぞやゴロまいて婉曲にたしなめられたY新聞のMも、それに自分もMだ。つくづく知らないことという事が足元にゴロゴロとあるものだと痛感した。まあ、凡人と秀才の落差というものが隔絶して存在する。これはいかんともし難いというものだろう。
2007年01月06日
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MIXIで、数百人も知人を並べている人もいるが結局この世は6人ほど粒よりの友人を持っておればリーチだということなのか。自分は、毎年でたらめな年賀状を送る友人が何人かいる。群馬県の坊主(天台宗)。大阪府内の産婦人科医。四貫島の鉄工所の親方。業界3位の書籍卸売りの営業。京都のコンビニ店長。奈良の研磨剤技術営業。あと、何人かは年賀状を出していても返事もこないのでやめた。上の6人は親友というわけでもないのだけれども、人生のある局面でやけに気があって話し込んだことがある。それ以来、気乗り薄の年賀状をやりとりしているだけの関係だ。一番、まともに相手をしてくれているのは産婦人科医ぐらいだと思う。ほんとうに6枚しか年賀状をだしていない。親しい友人は、e-mailと電話ですんでいる。しかし、仮説によればこの程度の横着な人間関係だけでも大切にしておれば近畿2府4県ぐらいには立派にリーチが届くのだということがわかる。■イェール大学の心理学者スタンレー・ミルグラム教授(Dr.Stanley Milgram)は1967年に次のような実験を行った。ネブラスカ州オマハの住人160人を無作為に選び、「同封した写真の人物はボストン在住の株式仲買人です。この顔と名前の人物をご存知でしたらその人の元へこの手紙をお送り下さい。この人を知らない場合は貴方の住所氏名を書き加えた上で、貴方の友人の中で知っていそうな人にこの手紙を送って下さい」という文面の手紙をそれぞれに送った。その結果42通(26.25%)が実際に届き、届くまでに経た人数は平均5.83人であった。■左側は、小さな正方形をした4つのノードがクラスターを形成しながら全体がつながった規則正しいネットワークです。この場合、ある2点(青~緑)を結ぶ隔たり係数は13です。一方でこのネットワークにランダムに2本新たなラインを入れてあげると、たちまち2点間の隔たり係数は5まで減ります。仮に別の2点をとっても左より右の図のほうが隔たり係数は相対的に小さくなっています。これがはじめに紹介したミルグラムの実験の不思議な現象を解明するヒントです。お互いが緊密につながったクラスターは人間社会でいえば、仲の良い友人や家族、会社の同僚などに相当します。クラスター同士は、クラスター内の関係より弱いつながりによって結ばれていたりします。実はスモールワールド・ネットワークにおいて重要なリンクはクラスター間の緊密なつながりではなく、むしろ、年に1、2度連絡をとりあうかどうかというような関係の弱いつながりのほうです。この弱いつながりがネットワークを広げ(左の図)、さらに右図のランダムに追加されたラインに相当する弱いつながりうちでも特別なものが複雑な世界を狭くします。■例えば、43.15人の知り合いを持つ人間を6人介すると43.156=6454829873.820447015625となり、地球の総人口6453581351人を上回る(2005年7月13日現在Census Bureau Home Page調べ)。つまり43.15人の知り合いを持つ人間は世界中の人間と6人を介して、間接的な知り合いであるという事になる。 また、22.42人の知り合いを持つ場合は、22.426=127002903.436222894144となり、日本の総人口126824166人(住民基本台帳に基づく人口・人口動態及び世帯数(2004年3月31日現在)調べ)を上回る。
2007年01月06日
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単に政治の圧力に屈しなかった、利上げができたから日銀の勝ち、という日銀の面子を保つためだけで強行するようなことがあれば、その代償は余りにも大きい。そんなことのために日銀の政策手段の独立性があるのではない。私は、マクロ経済運営の基本は「一に金融政策、二に税制、三、四がなくて五に補正」といっている。それほど、金融政策の影響は大きい。ここで景気が後退して再びデフレの時代に戻ったら、また、新規学卒者から正社員雇用の機会を奪うことになる。多くの若者の人生のチャンスを奪うことになる。日銀は自らの責任を十分に自覚していると思う。2000年のゼロ金利解除失敗により失業、倒産、フリーター化をまねいたのではないかとの問題は、当時は政府の側にも不良債権処理など、やらなければならないことがあったので不問にふした。しかし、今回は政府はやるべきことはやっている。もう景気拡大も58ヶ月、いざなぎ景気を超えるのだから仕方がない、などとあきらめてはいけない。米国経済を見れば、1991年3月から120ヶ月間の景気拡大の後、わずか数ヶ月の調整期間を経て、2001年第四四半期から今日まで約60ヶ月の景気拡大が続いている。英国経済を見れば、1992年7月から14年間、170ヶ月以上の景気拡大が続いている。情報革命への潮目の変化をとらえれば、超長期の景気拡大は可能なのだ。10年前、米国ではグリーンスパンがこの「潮目」の変化をとらえて、緩和気味の金融政策で景気拡大に貢献した。そして、グリーンスパンは「巨匠」(マエストロ)と呼ばれた。是非、日本でも「巨匠」となることをめざしてほしい。戦時中の日本では、戦線を縮小しようと思っても、「それでは指揮官である○○の顔が立たないではないか」と、指揮官の面子問題で戦略目的なき戦線拡大が続き、取り返しのつかない泥沼に陥って行った。それは戦後日本の企業社会にも残る宿痾のようなものだ。日銀はその宿痾の例外でなければならない。また、戦前・戦中の日本は軍部が「統帥権干犯」の名で政府の介入を排して、軍部の暴走が始まり、最終的には本土決戦という名の「一億玉砕」の一歩手前まで突き進むことになった。政策協調を「統帥権干犯」と誤認して面子問題で政策を強行すれば、再び、日本経済はデフレに戻るだろう。それは「平成の経済的一億玉砕」を意味する。日銀は政策手段の独立性は有するが、日銀法第4条で政府との意思疎通を図らなければならないことになっている。政府との意思疎通を欠き、国民生活や実体経済から遊離し、「平成の関東軍」などといわれることのないことを期待している。(12月9日記)中川秀直 / 自由民主党幹事長 国民のあずかり知らぬところで、大きな綱引き。与党と日銀のあいだで角逐があるようだ。与党は、日銀に総裁を送り込むという「お仕置き」を持っている。日銀は、油断なく与党のお仕置きを避けながら「統帥権」を我がものとしたいらしい。この状況下で、われわれの理解は実質収入に貢献する側に一票を投じたいところだ。しかし、国民は与党にお仕置きをして平素の恨みを晴らすことになる。選挙制度というものの限界だ。選挙で、政権には痛烈な打撃が生じよう。しかし、与党は日銀の統帥権をほしいままに泳がすわけには行かない。これはチキンレースだ。安部は、株価上昇と地価高騰以外に国民の支持を引き寄せられないと踏む。結局、2007年われわれは選挙よりも株価に期待するしかなさそうだ。
2007年01月05日
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Judging Nippon from just this side of the screen you may slander our nation as a yellow peril, or a blood thirsty nation or maybe a protoplasm of military clique.Though you may use the surprise attack on Pearl Harbour as your primary material for propaganda, I believe you, of all persons, know best that you left Nippon no other method in order to save herself from self-destruction.フセインの死刑などを眺めていると、「極東軍事裁判」なるものの正体がさすがに60年を経て日本国民には、明瞭さが差してきたのではなかろうか。あれに相乗りして悪騒ぎをした左翼、共産主義者がようするにドサクサの火事場泥棒みたいな存在であることをこの過程で如実に露呈したと思う。実は、自分の中学時代に技術家庭の教諭が一人。ものすごく、きまじめな人で教育熱心。骨身を惜しまないその姿勢。さすがに生意気な生徒らも敬服して一身に尊敬を集めていた。義務教育年限で、授業中にあの極東軍事裁判を正面きって批判したのは、実はその技術家庭の教師だけだった。歴史や、社会科の教師がどいつもこいつも日和見なことを言っていたことに比べてあの教諭はいまさらながら、凄いと思う。言葉でいたぶるとか、生徒を叩くとかいった挙動の無い正々堂々とした人だった。多弁を弄さず自ずと語るところに説得力があるというのか。あんな教諭が一人でもいたことは、自分の義務教育年限は、幸運だったと思う。市丸利之介少将なんぞを理解するときに、ついついその教諭の顔を思い浮かべてしまった。
2007年01月04日
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A Note to Roosevelt 日本海軍、市丸海軍少将、書ヲ「フランクリン ルーズベルト」君ニ致ス。 Rear Admiral R. Ichimaru of the Japanese Navy sends this note to Roosevelt.☆我今、我ガ戦ヒヲ終ルニ当リ、一言貴下ニ告グル所アラントス。 日本ガ「ペルリー」提督ノ下田入港ヲ機トシ、広ク世界ト国交ヲ結ブニ至リシヨリ約百年、此ノ間、日本ハ国歩難ヲ極メ、自ラ慾セザルニ拘ラズ、日清、日露、第一次欧州大戦、満州事変、支那事変ヲ経テ、不幸貴国ト干戈ヲ交フルニ至レリ。 之ヲ以テ日本ヲ目スルニ、或ハ好戦国民ヲ以テシ、或ハ黄禍ヲ以テ讒誣シ、或ハ以テ軍閥ノ専断トナス。思ハザルノ甚キモノト言ハザルベカラズ。 貴下ハ真珠湾ノ不意打ヲ以テ、対日戦争唯一宣伝資料トナスト雖モ、日本ヲシテ其ノ自滅ヨリ免ルルタメ、此ノ挙ニ出ヅル外ナキ窮境ニ迄追ヒ詰メタル諸種ノ情勢ハ、貴下ノ最モヨク熟知シアル所ト思考ス。 畏クモ日本天皇ハ、皇祖皇宗建国ノ大詔ニ明ナル如ク、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)ヲ三綱トスル、八紘一宇ノ文字ニヨリ表現セラルル皇謨ニ基キ、地球上ノアラユル人類ハ其ノ分ニ従ヒ、其ノ郷土ニ於テ、ソノ生ヲ享有セシメ、以テ恒久的世界平和ノ確立ヲ唯一念願トセラルルニ外ナラズ。 I have one word to give you upon the termination of this battle.Approximately a century has elapsed since Nippon, after Commodore Perry's entry to Shimoda, became widely affiliated with the countries of the world. During this period of intercourse Nippon has met with many national crises as well as the undesired Sino-Japanese War, Russo-Japanese War, the World War,the Manchurian Incident, and the China Incident. Nippon is now, unfortunately, in a state of open conflict with your country. Judging Nippon from just this side of the screen you may slander our nation as a yellow peril, or a blood thirsty nation or maybe a protoplasm of military clique.Though you may use the surprise attack on Pearl Harbour as your primary material for propaganda, I believe you, of all persons, know best that you left Nippon no other method in order to save herself from self-destruction.His Imperial Highness, as clearly shown in the "Rescript of the Founder of the Empire" "Yosei"(Justice), "Choki"(Sagacity) and "Sekkei"(Benevolence), contained in the above three fold doctrine, rules in the realization of "Hakko-ichiu"(the universe under His Sacred Rule) in His Gracious mind.☆☆之、曾テハ「四方の海 皆はらからと思ふ世に など波風の立ちさわぐらむ」ナル 明治天皇ノ御製(日露戦争中御製)ハ、貴下ノ叔父「テオドル・ルーズベルト」閣下ノ感嘆ヲ惹キタル所ニシテ、貴下モ亦、熟知ノ事実ナルベシ。 我等日本人ハ各階級アリ。各種ノ職業ニ従事スト雖モ、畢竟其ノ職業ヲ通ジ、コノ皇謨、即チ天業ヲ翼賛セントスルニ外ナラズ。 我等軍人亦、干戈ヲ以テ、天業恢弘ヲ奉承スルニ外ナラズ。 我等今、物量ヲ恃メル貴下空軍ノ爆撃及艦砲射撃ノ下、外形的ニハ退嬰ノ己ムナキニ至レルモ、精神的ニハ弥豊富ニシテ、心地益明朗ヲ覚エ、歓喜ヲ禁ズル能ハザルモノアリ。 The realization of which means the habitation of their respective fatherlands under their own customs and traditions, thus insuring the everlasting peace of the world.Emperor Meiji's "The four seas of the world that are united in brotherhood will know no high waves nor wind"(composed during the Russo-Japanese War) won the appraisal of your uncle, Theodore Roosevelt as you yourself know.We, the Nippon-jin, though may follow all lines of trade, it is through our each walk of life that we support the Imperial doctrine. We, the soldiers of the Imperial Fighting Force take up arms to further the above stated "doctrine".Though we, at the time,are externally taken by your air raids and shelling backed by your material superiority, spiritually we are burning with delight and enjoying the peace of mind.☆☆☆之、天業翼賛ノ信念ニ燃ユル日本臣民ノ共通ノ心理ナルモ、貴下及「チャーチル」君等ノ理解ニ苦ム所ナラン。 今茲ニ、卿等ノ精神的貧弱ヲ憐ミ、以下一言以テ少ク誨ユル所アラントス。 卿等ノナス所ヲ以テ見レバ、白人殊ニ「アングロ・サクソン」ヲ以テ世界ノ利益ヲ壟断セントシ、有色人種ヲ以テ、其ノ野望ノ前ニ奴隷化セントスルニ外ナラズ。 This peacefulness of mind, the common universal stigma of the Nippon-jin, burning with fervour in the upholding of the Imperial Doctrine may be impossible for you and Churchill to understand. I hereupon pitying your spiritual feebleness pen a word or two.Judging from your actions, white races especially you Anglo-Saxons at the sacrifice of the coloured races are monopolizing the fruits of the world.☆☆☆☆之ガ為、奸策ヲ以テ有色人種ヲ瞞着シ、所謂悪意ノ善政ヲ以テ、彼等ヲ喪心無力化セシメントス。 近世ニ至リ、日本ガ卿等ノ野望ニ抗シ、有色人種、殊ニ東洋民族ヲシテ、卿等ノ束縛ヨリ解放セント試ミルヤ、卿等ハ毫モ日本ノ真意ヲ理解セント努ムルコトナク、只管卿等ノ為ノ有害ナル存在トナシ、曾テノ友邦ヲ目スルニ仇敵野蛮人ヲ以テシ、公々然トシテ日本人種ノ絶滅ヲ呼号スルニ至ル。之、豈神意ニ叶フモノナランヤ。 大東亜戦争ニ依リ、所謂大東亜共栄圏ノ成ルヤ、所在各民族ハ、我ガ善政ヲ謳歌シ、卿等ガ今之ヲ破壊スルコトナクンバ、全世界ニ亘ル恒久的平和ノ招来、決シテ遠キニ非ズ。 卿等ハ既ニ充分ナル繁栄ニモ満足スルコトナク、数百年来ノ卿等ノ搾取ヨリ免レントスル是等憐ムベキ人類ノ希望ノ芽ヲ何ガ故ニ嫩葉ニ於テ摘ミ取ラントスルヤ。 只東洋ノ物ヲ東洋ニ帰スニ過ギザルニ非ズヤ。 卿等何スレゾ斯クノ如ク貪慾ニシテ且ツ狭量ナル。 In order to attain this end, countless machinations were used to cajole the yellow races, and to finally deprive them of any strength. Nippon in retaliation to your imperialism tried to free the oriental nationsfrom your punitive bonds, only to be faced by your dogged opposition. You now consider your once friendly Nippon an harmful existence to your luscious plan, a bunch of barbarians that must be exterminated. The completion of this Greater East Asia War will bring about the birth of the East Asia Co-Prosperity Area, this in turn will in the near future result in the everlasting peace of the world, if, of course, is not hampered upon by your unending imperialism.Why is it that you, an already flourishing nation, nip in bud the movement for the freedom of the suppressed nations of the East. It is no other than to return to the East that which belongs to the East.It is beyond our contemplation when we try to understand your stinted narrowness. The existence of the East Asia Co-Prosperity sphere does not in anyway encroach upon your safety as a nation, on the contrary, will sit as a pillar of world peace ensuring the happiness of the world. ☆☆☆☆☆大東亜共栄圏ノ存在ハ、毫モ卿等ノ存在ヲ脅威セズ。却ッテ、世界平和ノ一翼トシテ、世界人類ノ安寧幸福ヲ保障スルモノニシテ、日本天皇ノ真意全ク此ノ外ニ出ヅルナキヲ理解スルノ雅量アランコトヲ希望シテ止マザルモノナリ。 飜ッテ欧州ノ事情ヲ観察スルモ、又相互無理解ニ基ク人類闘争ノ如何ニ悲惨ナルカヲ痛嘆セザルヲ得ズ。 今「ヒットラー」総統ノ行動ノ是非ヲ云為スルヲ慎ムモ、彼ノ第二次欧州大戦開戦ノ原因ガ第一次大戦終結ニ際シ、ソノ開戦ノ責任ノ一切ヲ敗戦国独逸ニ帰シ、ソノ正当ナル存在ヲ極度ニ圧迫セントシタル卿等先輩ノ処置ニ対スル反撥ニ外ナラザリシヲ観過セザルヲ要ス。 卿等ノ善戦ニヨリ、克ク「ヒットラー」総統ヲ仆スヲ得ルトスルモ、如何ニシテ「スターリン」ヲ首領トスル「ソビエットロシヤ」ト協調セントスルヤ。 凡ソ世界ヲ以テ強者ノ独専トナサントセバ、永久ニ闘争ヲ繰リ返シ、遂ニ世界人類ニ安寧幸福ノ日ナカラン。 His Imperial Majesty's true aim is no other than the attainment of this everlasting peace.Studying the condition of the never ending racial struggle resulting from mutual misunderstanding of the European countries, it is not difficult to feel the need of the everlasting universal peace.Present Hitler's crusade of "His Fatherland" is brought about by no other than the stupidity of holding only Germany, the loser of the World War, solely responsible for the 1914-1918 calamity and the deprivation of Germany's re-establishment.It is beyond my imagination of how you can slander Hitler's program and at the same time cooperate with Stalin's "Soviet Russia" which has as its principle aim the "socialization" of the World at large.☆☆☆☆☆☆卿等今、世界制覇ノ野望一応将ニ成ラントス。卿等ノ得意思フベシ。然レドモ、君ガ先輩「ウイルソン」大統領ハ、其ノ得意ノ絶頂ニ於テ失脚セリ。 願クバ本職言外ノ意ヲ汲ンデ其ノ轍ヲ踏ム勿レ。If only the brute force decides the ruler of the world, fighting will everlastingly be repeated, and never will the world know peace nor happiness.Upon the attainment of your barbaric world monopoly never forget to retain in your mind the failure of your predecessor President Wilson at his heights.市丸海軍少将市丸 利之助(いちまる りのすけ、1891年(明治24年)9月20日 - 1945年(昭和20年)3月26日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将(戦死後)。佐賀県唐津市出身。横浜市磯子区に居住していた。日本航空機草々の時代のパイロットとしてその名を知られ、海軍の航空畑を歩む。1944年に硫黄島に赴任し、翌年の硫黄島の戦いで戦死。 硫黄島で玉砕にあたり、米大統領に当てた手紙を書き、戦後、有名となる。
2007年01月04日
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国有地37万平方m、200億円を時効取得で無償譲渡 国有地を一定期間占有してきた個人や法人に、国がその土地を無償で譲り渡す時効取得制度で、2003年度以降、06年11月末までの3年8か月間に計37万平方メートルが民有地に変更されていたことが、読売新聞の情報公開請求などで明らかになった。 財務省の推計価格は計107億円だが、譲渡後の実勢価格は200億円を超えるとみられる。財務省は時効取得の実態を公表しておらず、国有財産の処分のあり方が問われそうだ。 財務省によると、時効取得は、国有地と知りながら不法占有してきた者には20年、知らずにいた者には10年経過すれば、その所有権を認める制度。大半は、田畑のあぜ道や土手、水路として使われていたところで、その後造成される見通しの宅地なども含まれる。全国で、山梨県(4200平方キロ・メートル)に匹敵する対象土地があるとされる。 財務省の開示文書によると、東京都世田谷区の約1900平方メートルが、50年近く宅地として占有してきた法人に所有権移転された。関東財務局の推計価格(国有財産台帳価格)は5億6300万円。実勢価格は2倍以上とみられる。 財務省は、時効取得された土地について、町名、地番と占有者(取得者)の氏名を非公開としている。 一方、開示文書と読売新聞の取材で、三菱自動車が05年と00年、京都市右京区にある京都工場内の計約2850平方メートルを時効取得していたことが判明。推計価格は約2億円とみられる。 兵庫県姫路市では、建設会社が04~05年、農家などから私有地計約1600平方メートルを売買や土地交換で入手。あぜ道などとして使われていた周辺の国有地約1400平方メートル(推計価格約3500万円)の占有を引き継ぎ、06年2月に時効取得した。同9月、計約3000平方メートルを不動産会社に一括転売した。 同制度では、占有者の私有地部分の相続人や売却先が、周辺国有地のそれまでの占有期間を継承でき、時効取得後の転売制限もない。(2007年1月1日3時3分 読売新聞)国の土地といえば、れっきとした国民の共有の「公共財」である。これを無償でくれてやったのもタワケものだが、200億円もの規模の不動産をタダでせしめたヤカラの顔ぶれをみると、なんだあの道路を走れない戦車をつくっている連中の流れじゃないか。島田洋七の「佐賀のがばいばあちゃん!」のテレビ版をみていたら、CMに顔をつらねている。貧乏人を馬鹿にするのもほどがあるというものだ。
2007年01月04日
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いい機会じゃないのかな。アメリカも、日本を守って危機に陥るよりは日本に自国武装して自立して欲しいみたいなポーズをしだしている。そういう論調が出てきだしているんだね。そりゃあそうだろう。歴代売国政権が、もう日本から持ち出すだけ持ち出して金目のものが底。米びつが空寸前と読めば、乗り換えるだろう。そのお知らせみたいなものだと思う。揺さぶりかけてきているんだから、少しは背筋正してお手合わせしてできる国にしようよ。Some wonder whether Tokyo could be trusted with the bomb. Do they mean compared to unstable Pakistan or authoritarian China? The Japanese do not possess a double dose of original sin.Moreover, the U.S. government now risks Los Angeles to protect Tokyo. Facing down China in a crisis would not be the same as confronting Serbia or Iraq. Americanizing and nuclearizing disputes between China and its neighbors is a policy of potential catastrophe.There are many reasons for Washington and Tokyo to remain close friends, and many issues upon which the two nations can cooperate. However, the alliance needs to be updated for a new age.Japan should become a normal nation with normal defense responsibilities. The transformation won’t be easy, but it is both necessary and inevitable. Washington should make the process as smooth as possible.Doug BandowDec 14, 2006Normalize relations with Japan
2007年01月04日
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メールマガジン453号 2006/12/13日発行(月・水・金発行) NHKで「ワーキングプア」の報道を見ました。見ていて胸が熱くなる思いをしました。一生懸命働いて、それでいて生活保護以下の収入しか得られない人々。しかも登場人物は世間が悪いとか自分は不幸だなどと一切言い訳せず、黙々と働いて、しかも生活が出来ない。世の中、勝ち組と負け組みの二極分化が激しいとは聞いていましたが、これほどまでとは思いませんでした。「才覚はなくとも一生懸命働けば報われる」のが日本の常識だったのに、時代は大きく変わったと思われます。人々はこの格差社会を小泉構造改革のせいだといいますが、少し違います。まず国際経済のグローバル化がこのような事態をもたらしたことは明確です。国際競争に勝てず大企業が不振であった失われた10年の間に、大企業が思い切った合理化を促進し、当時世界一高いといわれた日本の人件費削減に努めました。その結果多くの契約社員やパートを生み出したのです。正社員は企業の回復で苦労がめぐまれますが、パート、契約社員は置き去りのままです。その人たちがワーキングプアーに追い込まれています。民間企業が懸命に生き残りのために人件費削減に努めているのに行政は落ちこぼれる人たちのセーフティ・ネットの構築に努力しなかったのが、このようなワーキング・プアーを生み出したことは間違いありません。安倍総理は「再チャレンジ」を重要政策課題にしていますが、税金の無駄使いに慣れた官僚たちは見当外れのお金を使い税金の無駄使いをします。実情が見えていない官僚に血の通った行政が出来るはずもありません。個人で支えられているIT関係のSOHO支援策を行政が推進し、かえってSOHOを苦しめるトンチンカンなことをする実例も知っています。官僚の考え方は「ワーキングプアーでとにかく予算を獲得した。これは使い切らないといけないから、適当にお題目を見つけて消費しよう」との考えしかなく、「ワーキングプアーを生み出した原因とか実情」を深く追求しません。それが官僚の慣わしです。安倍内閣の再チャレンジでまた税金の無駄使いが始まるかと思うと憂鬱です。民間がこれほど苦しんでいるのですから、談合や裏金で汚染された列島を抜本的に改革し、税金の無駄使いからお金を捻出して、一刻も早いセーフティネットを構築して欲しいものです。 NHK「ワーキング・プア」番組を見て 藤原雄一郎の経営最前線シリーズ 藤原雄一郎という人の、メールマガジンがいつ頃からか入って来ていた。内容を、斜めに読んでいてキレを感じなかったので今回のメールでそろそろ購読をやめようかと思っている。NHKのあの番組をみていて「胸があつくなる」というところは良心的だと思うのだがこれまでこの現実をみとおしたり、読み解きされたことが無かったのだろうと推量する。つまり、「これほどまでとは思いませんでした」という箇所だ。この方は、あの90年代後半の「貸し剥がし」状況をついに読み落としてこの世紀に困惑されている人なのだろう。楽天ブログを読んでいる大多数の諸兄と大差ないに違いない。当然それなれば、どういう構造から生じてその後も日本の基調にどのような影響を生じているのかを、おそらく今に至っても読み解けてない、ということになる。このような善意の方には、気の毒だがメールマガジンを垂れ流すのはやめて猛勉強されたほうがいいのではないか、と老婆心ながら思う。官僚に血のかよった行政ができるはずはありません。それもよろしいでしょう。で、セイフティーネットを構築して欲しいって?誰が?誰のために?なぜ?これに言及できないので、皆困っている。困った、困ったと言われても、やはり困るばかりなのである。セーフティネットなど、鉄壁のものが出来ようはずがない。日本の行政にそれを作らせない工作もあるのだ。それを見落として、「セーフティネットを構築して欲しい」などと、昼行灯のようなゴミを撒かないで欲しいものだ。自分が生まれるわずか七年ほどまえ、乗組員2740人もの将兵を乗せたまま平然と北緯30度43分、東経128度04分、長崎県男女群島女島南方176キロ、水深345mの地点に戦艦大和を沈めた国なのだ。それがやれるような国ならば、負ける戦争を始めたりはしない。2006/11/15ルメイの再来 ↑クリック
2007年01月03日
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あの難しい06年で、また15億円も儲けたBNF氏だが、まもなく200億円まで突っ走る風情で、「きつい」はないだろう。普通、20億超えたらやめる。たぶん、別段資産運用に廻すとかすると思うけれど、あいかわらず株一本というのなら凄い。いや、凄すぎる。この意味では「神さま」。是川銀蔵もあの世で呆れていることだろう。
2007年01月03日
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湯川裕光(ゆかわ ひろみつ) 【出身地】 1950年生まれ。 【最終学歴】 東京大学法学部卒業。ハーバード大学大学院修了。 【作家になるまで】 【作家について】 本名は松崎哲久。民主党の元衆議院議員であり、政治評論家でもある。作家以外にも、ミュージカルの脚本などを手掛ける。 詳細は、「仰天新解釈」をクリック。↑昨日のテレビ東京、あの底抜け脱線手抜き番組「忠臣蔵」の原作者は、こういう人物だったのね。実のところ、この時代の吉良上野介とはこういう奴なのだ。ぜひ殿中ではなく、一太刀浴びせたいと思う。
2007年01月03日
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世界のコトバで遊ぶ ~深夜の語学新年会~1月3日(水)教育 午前0:00~1:30(2日深夜) この番組の切り口は「ことば」。そこには民族の考え方が凝縮されている。スタジオで外国人が、日本人が、日本語やいろいろな外国語のことをマニアックに語り合う。「ことば」という深遠なテーマを遊び尽くす番組である。 外国人は主にNHK語学番組出演者。○○語のネイティブが△△語のネイティブと「おまえのコトバはおかしい!」と大激突! ○外国語習得の秘訣とは? あのネイティブの涙の日本語学習奮闘記 ○比べてびっくりコトバの不思議。中国人の名前はなぜ短い? ○ボディーランゲージ。フランス人はベタベタおさわりがお好き? <司会>林家いっ平 (落語家)…中国語を勉強中 ジャスミン (タレント・英語) <出演> 町田 健 (言語学者/名古屋大学文学部教授) クリスティアン・トリーベル (ドイツ語) ジェニファー (フランス語) パトリス・ルロワ (フランス語) 廬思 (中国語) キム・ジナ (韓国語) ジョージ・ウィリアムス (英語) エミリオ・ガジェゴ (スペイン語) マッテーオ・インゼオ (イタリア語) 正月の手抜き番組中でも、今回の「忠臣蔵」は酷かった。解釈の趣向だけによりかかり、出演者が脱力しているのがわかってしまう。口直しに、深夜NHK教育をみていたら面白い。こちらの方が、はるかにスリリングで知的感興に訴えるものがある。おきに入りの語学番組のキャスターたちが勢ぞろいして日本語で壮絶な「朝生」的応酬をやらかすわけである。この連中の頭の良さは、脳みそのオリンピックのようなものである。もう、固唾を呑んで見届けるほどだった。今年の正月番組の中で最高位のものだと思う。「不良設定問題」の解決過程こそが、人間の脳高次機能の中核的なカテゴリー。ようするに歴代哲学者が、本質直感だとかなんちゃらと韜晦的に表現していたものは彼等にかかれば、おちゃのこさいさいのお遊びでこなせるという示唆でみちみちていた。あれは、常人ではできないと思うが、彼等のように水準を抜いている人たちに苦もなくなされてしまうと、凡庸なわれわれ衆上も発奮して「やってやろうじゃないか」という気にさせられるものだ。日本人が、日本語を使いこなせるという事も相当なものだと改めて思った。これは、キヤツらのようなスーパーマンにも相当手ごわい言語だったのだろう。しかし、やはりスーパーマンばかりだ。「難しかった」と、一同過去形で語るのだから、、、、
2007年01月03日
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景気に取り残される車、国内市場は07年も前年割れへ-競争力に危機も 12月30日国内の景気拡大が戦後最長記録を更新する中、自動車はその波に取り残されている。今年の新車販売は1986年以来の580 万台割れ、来年はさらに570万台も下回って85年以来の低水準になることが見込まれているほどだ。メーカー各社はてこ入れ策に乗り出しているものの、今のところはっきりした効果は見られない。このまま低空飛行が続けば、日本の自動車メーカーの競争力低下につながりかねないとの指摘も出ている。 日本自動車工業会が21日公表した今年の国内新車需要見込みは、前年比 1.9%減の574万2600台と2年連続の前年割れ、86年(実績570万8152台)以来の水準にとどまる。このうち軽自動車は各社から一気に11もの新車が投入された効果とガソリン高も追い風となって、同4.8%増の201万7000台と初の大台乗せが見込まれている。その一方で登録車は、排ガス規制強化に伴う代替需要があったトラックが快走したものの、乗用車の落ち込みまではカバーできずに同 5.2%減の363万5000台と3年連続の前年割れを余儀なくされる。 自工会の07年見通しは同2.0%減の563万3000台と、さらに落ち込むとみている。その理由として自工会では、ガソリン価格の落ち着きや新車投入が通年並みになることで軽が4年ぶりの前年割れが見込まれるほか、登録車ではトラックが前年の代替需要の反動が生じるためとしているメーカー首脳の困惑 07年も水面下、しかも85年(実績555万6878台)以来の570万台割れという状況にメーカー首脳も困惑している。マツダの井巻久一社長は「正直言って分からない」と本音を漏らす。またホンダの福井威夫社長は「近所を歩いてみると、これまで2台持っていたところが1台に減っているところが目につく」としたうえで、「ガソリン高や道路事情など車が使いにくくなっている。それに車自体が良くなっているので買い換える必要がなくなっているのではないか」と話す。 トヨタ自動車の一丸陽一郎専務は「薄型テレビや住宅などとの競合で、車を買う優先順位が下がっている。それに車本来が持つ、乗る楽しさや走る楽しさが少なくなったこともある」と反省する。一方、初の大台乗せが確実な軽だが、大手には危機感はある。「軽市場は良いといわれているが、ダイハツはシェアを落としている」とダイハツ工業の神尾克幸副社長は語る。実際、軽を販売している7メーカー中、11月までの累計販売でシェアを落としているのはダイハツとスズキの大手2社だ。しかも神尾副社長は、同社の軽量販モデル「ミラ」でも「80 万円台のモデルでは利益が出ない」と打ち明ける。 ・・・・絶句ですな。自分達の組織内部で正規雇用を極限まで追いかけて、派遣労働と季節労務者ばかりを揃えておいて、あげく月給20万円以下に絞り数十万人の若者を奴隷労働させているトヨタ、日産、ホンダ、マツダのクルマがどこをどうやって売れると言うのだ。馬鹿野郎さまの典型。
2007年01月03日
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