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土曜日は、その気がなかったのにスカイプ三昧になってしまった。午後から、お馴染みの皆さんのあいまに南米の男性とスカイプ。なにしろ下手な英語だから、まともに通じない。しかし、そこはチャットも併用しておぼつかないながらも打ち解けてなんとか会話らしきものにはなったのではないだろうか。以前、ヤフーでチェスをしながら色々な国の方と結構話題交換はしたことがある。あれはあれで面白い装備だと思った。なにしろゲームが進行してゆくので荒れるときもあるが、紳士と出会うことも多い。フィリッピンの男性はかなり強かった。ドイツでは結構高齢の女性がパソコンでチェスをしているのに驚いた。アメリカの兄ちゃんは負けると「ぶっ殺すぞ」を乱発する。とにかくお国柄とか、人となりはヤフーチェスでも伝わるのは知っていた。このスカイプの交流は、音声が通じる分だけこの振幅がどう触れるのかにはかなり興味が湧く。南米の男性は、4人家族で美しい奥さんと可愛い2人の娘さんをスナップした画像を送ってくれた。大胆だと思うのだが、こちらの人となりを彼もどこかで読み解きしたのだろう。この嗅覚に依存するのだが、当然リスクの多い世界である事は従前とかわりない。利用される方は、このような幸運ばかりではないと思われるので、緊張して向かわれるよう。ご留意を促したい。しかし、なかなか愉しいものだ。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年01月29日
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自分のSKYPEでのIDは、chardonnay99_jp である。この「chardonnay99」については、意外なこだわりがある。自分は、以前にも書いたが93年にはじめてパソコンを購入した。それはMacのPerform520だった。ワープロ専用機しか使ったことがなかった自分が、はじめて手をだしたパソコンだった。これを使いこなせるのか相当不安があった。ただ、それ以前に8ビットのワープロを購入する際にも事前の不安に比して徹底的な使い込みがあり自分なりに無駄にはしないという確信はあった。周囲には何人にもサポートいただける環境に無く、無謀にも購入してしまった。いまから思えば相当な飛躍だったと思う。おかげで、解説書を読んでも日々困惑し立ち往生の連続。致し方なくパソコン通信で先達らの手助けを得ようと思い立った。これがニフへの最初の踏み込みの動機である。当時のIDは、GBH03710 だったと思う。このIDでビジネス系フォーラムに参加できるようになるまでに、丸々3ヶ月もかかってしまった。当時、パソコン通信で一番大きなフォーラムだったビジネスマンフォーラムに潜りこんだときに最初の自己紹介をする会議室(つまり、BBSのことだ)で発言した直前の男性があの松島庸氏だった。偶然が、彼の新設したフォーラムに自分を吸引したのである。彼がつくったフォーラムが、まぼろしの「新発想ビジネスヒントフォーラム」なのである。まぼろしのと言うのは、あまりの粗野な放言癖のインテリやくざばかりが集まったために、ついに松島氏も持て余し、とどのつまりは富士通ニフティーサーブに廃絶されたといういわく因縁深いフォーラムだったのである。ネット検索しても、往時のパソコン通信時代の話題がまったく捕捉できなくなってしまった。それもこれも楽天で、わたしが大風呂敷を広げてしまった罪である。事情のわからないgoogleは、この楽天のFBHINT残党だけに反応してしまうらしい。(笑)はじめて、ニィフティーサーブにはいったときに作ったのがシャルドネというHNである。実は、80年代後半に某三菱系の食糧商社が「義理買い」させられた輸入ワインがあった。どうやら巨大な通関倉庫に山積みされていて売りあぐね困惑していたらしい。色々ややこしいいきさつがあって、最後の最後にわたしと数名の男にこのワインの販売を課せられた。もともとシャルドネは、画像のような葡萄(ブドウ)なのである。ご存知かどうか。葡萄とは、神の怒りの姿だという伝聞もある。あのスタィンベックの「怒りの葡萄」とは、その伝承を踏まえている。いまでこそワインの認知は高い。しかし、80年代に甘い甘いポートワイン以外にワインに通暁している消費者がどれほどいただろうか。当時は、この超絶的に売りにくいワインにはほとほと手こづった。消費者が求めていてすら営業は厳しいことも多い。消費者も求めていない、そんな商品としてのシャルドネには、自分は相当鍛えられたという思いがある。怒りの葡萄という小説には、自分なりに共鳴がある。自分は脳裏に浮かんだ表象に素直に従ってハンドルネームにシャルドネを選んだのだった。その後の、パソコン通信での交流はまだしばらく開示しないでおきたい。支障のある人たちも相当おられるだろう。彼らが、すべて定年に達した時期にはどこかで誰も読まれない場所で回想がてら文章化することがあるかもしれない。いずれにせよシャルドネは、98年突如わたしのハンドルネームとして用いる事が困難になった。当時、新聞紙面や通産省などのサイトに「緊急経済対策」という文字が連日のように踊っていた。山一證券倒産と、ともに山一系キャピタルからの出資予定が突然目の前から消え去りシャルドネを育んでくれた会社もほどなく出資組合員である大手リース会社から引き金を引かれて絶命した。当時の、新発想ビジネスヒントフォーラムの有志だったある社長さんがこの顛末をご覧になられていて「窮鳥の懐に入るは、仁人の憫れむところ」とばかりに今のLEL02554 をくださった。その後正式に継承したが、その際もちいたのが今のchardonnay99 なのである。99年は、日本のベンチャー事業者にとっては酷寒の状況下でひそかに再生の想いを込めた年だったと思う。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年01月25日
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山崎を舐めながら、ビリージョエルを聴いている。なかなか使い心地のよいIRIVERである。実は、これを買うつもりは全然なかった。その名前を知ったのも売場の展示をみて。一度も、製品名を聞いたことはなかった。iPodは知っていたのだけれども、IRIVERは見た事も聞いたこともなかった。SKYPEのレシーバーを購入した帰り道でのひとめ惚れって言うやつだ。楽天日記の、ミドル英二さんのおすすめの「ピンズラー英会話」を購入することに決めた。これを平素使えるようにということでMDウォークマンか、なにかを買うつもりでいたのだ。しかし、MDだとCDからいちいち書き込みしなければならない。これは少々うんざりする作業がまっていそうだ。最低でも、MDに録音することができるデッキかなにかのような変換のできる機器を買わなくてはならない。それが脳裏にあったので、売場でいきなりIRIVERが眼に飛び込んできたのである。音質がどの程度か不安があったので、いやがるヨドバシの店員に無理強いしてモニターしてみた。これが満足度が高かったので、その場で購入した。毎日使っているのだが、重いバッテリーからも解放され本体の軽さにつくづく満足だ。なにもついていない。ただ音楽を聴くだけ、学習ソフトをまわすだけ。これだけ目的を絞り込んでいると、軽さは最大のメリットだと気づく。いま、パソコンのWindows Media PlayerでCDを収容して、IRIVERのフラッシュメモリーにデーターを移しかえているが、すでにCDで7枚以上いれてある。まだまだ余裕がある。USB端末で充電して、連続11時間ということになっている。われわれおやじには懐かしい、思い起こすあの40年前----ゲルマニウムラジオの興奮を再現してくれたような感激がある。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年01月24日
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スカイプも凄いが、ヨドバシ梅田でレシーバーを購入した帰りについでに衝動買いしたアイリバーも凄い。アイリバーってご存知?これって、まるでネックレスみたいでしょう?ミラーみたいなところがモニターになっていてファミコンみたいな操作で使い込むんです。あのヒット商品のiPODと一騎打ちしているアジア製品。使ってみて快適ですね。軽い。これが最高です。多少使いにくいとかいう意見も、この軽さの前にはひっこみますね。どこにでも歩いていくときに、音楽がついてくるみたいな快適さです。あのMDウォークマンなどと比較にならない軽さ。肩もこらないです。今晩は、これでも話題にしましょうか。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年01月23日
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(クリックでジャンプします)Skype Technologies S.A.は、ルクセンブルクに本社を置き、従来の電話による通話をインターネットでの音声コミュニケーションに進化させる“P2P テレフォニー”を世界的に展開する会社です。現在、全世界でダウンロード数4800万以上、常時100万人超のオンラインユーザを抱え、高品質な通話を世界規模で、無制限に、しかも無料で利用できる音声コミュニケーションソフトウェア「Skype(TM)」(無償)および固定電話や携帯電話に発信可能な「SkypeOut」(有償)を提供しています。メセニ0506さんの日記は、こちらから。メセニ0508さんに、オフ会でご一緒したときに問わず語りでスカイプSKYPEを教えられた。根が「歩く一知半解男」こと、シャルドネである。いきなり日曜日は、梅田ヨドバシカメラへ出動。SKYPE対応のレシーバーを購入してきた。なんだ、なんだ売場ではどれもこれもLivedoorが仕切っているのか、どの製品にもlivedoorのログマークがはいっている。しかも高額設定になっているようだ。そこでlivedoorのマークの入っていない一番安いのを買った。月曜日には、メセニ0508さんのご指導でスカイプSKYPE初体験。しかしこれは凄い。こんなにクリアな音質だとは夢にも思わなかった。パソコンの前に、メセニ0508さんがいなさるような凄いことになっている。温厚な紳士であるメセニ0508さんを相手に、ひたすらシャルドネが喋りぱなしの独演会モードとあいなった。どこの誰が作ったソフトなのかは、知らないまま満喫したスカイプだがいくら長時間話をしても電話代がかからない、というのは当然凄い。しかし、もっと凄いのは電話とは桁違いのクリアさだ。パソコン両脇のスピーカーでは氏の背景のご家庭の空気や、奥さんの笑い声だか、テレビの番組まである種の解像度でまのあたりになる。これは少し怖いかもしれない。これは受話機を通した電話でも多少は経験したことがあるが、これほどまでとは・・・みなさんも、せいぜい数百円、数千円程度の支出でレシーバーを購入されて、是非スカイプSKYPEをパソコンにインストールしてみてください。そして、どうかシャルドネやメセニ0508さん一度話かけてみてください。いかがですか、たまゆら1/fさん。このあいだのオフ会の続きの話題をスカイプSKYPEでやらかしませんか?スカイプでのシャルドネのID; chardonnay99_jp検索してもらえれば直ぐにコールできます。明日10時以降にはパソコンの前におります。メリット・通話料金が無料である事・通話品質が固定電話以上である事・複雑な設定等は一切不要 (どんなネットワーク環境でもOK uPnPルータじゃないと不可 などのような一般人には意味不明なモノが一切無い)・最初は違和感があるものの、ヘッドセットでの会話は普通の電話 よりもとっても快適♪・Yahooメッセのお絵かき、PMチャット、Webカメラなどと組み合わ せる事により更におもしろく! デメリット・PCが起動している事が前提条件・現時点で正式対応しているのが旧世代のWindowsで動作しない。 (Windows Me以下は不可 MacOS X、Linux、PDAには正式対応いたしました。・電話と言うより世界規模のボイスコミュニケーター的なので、 外国からも電話が来る (ウザいと思う人もいますよね? 設定次第で知らない人 からの電話はシャットアウトできますけどね)スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年01月22日
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「超映画批評」パッチギ!そして、よくよく考えてみると、この映画では朝鮮人側が日本人の立場を思いやったり、歩み寄ってゆく様子がほとんど伺えない。日本人の主人公は彼らの立場を必死に理解しようとし、また歩み寄っているが、彼らの方は結局日本を認めてはいない。連絡は前田有一まで(クリックでジャンプします)別に、わたしは在日朝鮮人を擁護もしないし弁護もしないです。酷い目にもあいました。はい、もう皆さん想像できないぐらい酷い目にもあっています、わたし。私は、前に日記にも書きましたが大阪の朝鮮人租界のど真ん中で生まれ育ちました。父親が、某自治体の公務員から物資ブローカーの妙味を知り、あげく事業に失敗して大阪の闇市に身を潜めた時期の子供だったのです。自分の幼馴染は大半が済州島出身者の在日二世の子供たちで占められていました。自分は、二重三重四重に混乱した図で大阪の街を眺めざるをえなかったわけです。(笑)日本にありながら父母の実家から遥かに遠く、2歳で死亡宣告され5歳で生家の放火による火災を経験し、育った街が大阪在日16万人の中核的な租界。まずまず劇的な境遇で大阪を「あの世」から見ていたような幼児期でした。境遇(実存)は、本質に先立つというのは本当です。あの映画は、それほど誇張でもなんでもない。それはその時代の普段着の生活を描いているだけですよ。(2005/01/24 01:32 AM)わたしは、嘘書いていないです。生まれた家に火をつけた奴も、火をつけさせた奴も自分は在日韓国人だと思っています。偏見だと言われても、思い込んでいるのだから仕方がないです。でも、自分は彼らに恨みもつらみもまったく無いですね。その理由は、端的に言ってひとつです。彼らは日本語で考え、日本語で話し、日本語で愛を交わして妻を娶り、生涯を日本で過ごすことを選んだ人達なんですよ。韓国に出向いては韓国人に騙され、結局日本にあって日本に暮らし、日本で生涯を終え日本の土になるる覚悟をした人達だ。実態で、これが事実でしょう。彼らがどこをどうして、反日的で日本を認めていないと前田有一氏は思うのだろう。ご自身が、目からウロコを外さないと見えるべきものはいつまでたっても見えやしないと言うものでしょう。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2005年01月21日
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(クリックでジャンプします)「パッチギ! 」監督:井筒和幸 脚本:羽原大介・井筒和幸 原案:松山猛「少年Mのイムジン河」 音楽:加藤和彦 撮影:山本英夫 奈良の資産家のこせがれから、映画監督になった井筒和幸監督は昔から名前は雑誌プレイガイドジャーナル(ぷがじゃ)などの誌面で知っていた。彼の作品はともかく、テレビの論評でエゴセントリックさに閉口するばかり。映画を特別みたいという思いは湧かなかった。今回、67年頃の京都を舞台に描くというのでスクリーンに向かった。しかし、奈良の青春では話にならないとみえて京都を選ぶというあたりが多少ずるいような気がしないでもない。映画「夜を賭けて」では、自分が生まれる少し前の時代の大阪の空気のひとつをよく汲み上げていたように思う。さりとて懐かしいという気はなかった。「パッチギ!」は、同年齢の井筒和幸ならでは。あの時代の心象はよく描けている。作品が秀逸かどうかは、分からないがあの雰囲気を映画で再現する力量は長崎でおじょうずに生きていた村上龍などと較べてみても遥かに巧みそうである。風景や、ディテールではない。時代の心象を再現する点においては、十分感情移入に堪えるものだという気がした。この映画が、一定のリアリティを得ているとすればそれは主人公の坂崎幸之助に実在するアルフィーの板崎幸之助氏の青春期の実体験をあらかじめ緻密に拾い上げ物語の骨格に据えるなどの手際の良い作品構成が成功しているからだろう。この映画は、主題そのものよりも細部が愉しい。作品が佳作として成立するための大切な要素は、この種の映像に盛られている情感や描写のそれぞれ細部についての入念な配慮と繊細な計算づくのパッチギ(頭突き)が絶妙に調理されていることにもとめられるのだろう。わたしは愉しめた。(クリックでジャンプします)
2005年01月20日
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古代米・粟・稗・黍・麦・・・ざっと五穀とはこんなもの。自分はアトピー体質なので、最近アトピー患者の中に米穀でのアレルギーなどがあって求めて粟、稗、黍を食する一群の重症アトピー患者がいることを耳にしたことがある。米は、今や一部の人達には忌避される食物だったりするらしい。飽食の時代ならではの風景なのかもしれない。昔は今日(こんにち)のような米余り現象など夢のまた夢。白米などは大変貴重な贅沢品。それは深沢七郎の小説で「楢山節考」なんか読むと猛烈に伝わってくる。新宿の高層ビルの中で仕事をしていると、そんな日本の歴史と途絶して生きていられるような錯覚がしてしまうものらしいが、どっこい地震一発でわれわれはいつでも縄文時代に逆落としになる。それが人類というものだ。その証拠に、都留重人という経済学者の「第一回経済白書」を読めば、1945年の敗戦当時日本が縄文時代人に転落したのが如実に伝わってくる。戦後の60年は、日本史の古代から現代をぶち抜いて未来を招きよせて迷走しているわけだ。個体発生は系統発生を再現するとか。日本人は、日本史の系統的な伝統をわずか60年で追体験したのかもしれない。迷走の結果ふたたび原始日本に転落しないなどという保証はどこにもない。それはあの阪神淡路大震災を被った近畿の一部の人間は肌に粟立つほど体感をしたところだ。都留重人一橋大学元学長ハーバード大学博士号取得1947年片山哲内閣の下で経済安定本部次官となり、第1回経済白書「経済実相報告書」を執筆。米が、われわれの口にはいってあたりまえとなったのは日本の歴史で戦後の奇跡的な復興(いや、病的な幸運)に依存した現象であって日本人は、滅多やたらに米を食ってきたわけではなかった。むしろ米は晴れ着のようなもので、祭りや正月成人式に食べるような穀物だった。これはパソコンのモニターをみているようなご同輩にはまず理解をされない。だから、ネットワーカーなど肝心なときには当てにならないのである。なぜなら日本人の血脈についての理解の視点がみごとに欠けているからだ。肌に粟立つほどの飢餓の記憶が、じつはついこのあいだまで市井の人々の生活には染み付いていた。米は、そんな時代のスーパーななにものかであったのだ。粟(あわ)子供の頃に食べた、「粟おこし」だが粟自身をみかけたことはすでに50年代ですらなかったように思う。しかし、ながらく日本人の多くの農民は米などもともとハレの日(祭礼)に頂くもので、常日頃はながらくアワ、ヒエなどの雑穀で、お粥には大根や芋などを多く入れて水増ししたものだった。NHKの秀作ドラマ「おしん」を繰り返し放映しているが、あれがむしろまともな日本人の姿だったというのはあながち老人たちの繰言というわけでもない筈だ。新米が収穫できると、おのずと神前に供え、最初に五穀豊穣を祈る神事の後、ありがたく「お下がり」としてかしずかんで「かたじけなく」頂いたのである。この「かたじけなさに涙こぼるる」というのが天皇制の情緒的な基礎なのである。この神事にたずさわる神官らのその頂上にある人。神祇官の頭目が天皇なのだから。そこでわれわれが、なにゆえに米を格別に穀物の高い位階に祭りあげたのかという疑問が湧いてくる。稗(ひえ)稗(ひえ)や粟(あわ)が、くだらない穀物なのかといえばけっしてそんなことはないはずである。にもかかわらず稗には、「卑」というツクリがあてられている。なんと卑しい穀物だとみなされていたのか、と驚く。これはおそらく米との価値の差異が際立っていた心象を反映していると考えるしかない。この米の異様なまでの傾倒ぶりは、日本人をかたちづくる最大の謎の核心部分に位置しているとわたしは思う。実は、この米への傾倒がわれわれの社会の語られざる資源の水脈とつながってきたと私は痛烈に感じるのである。つまるところ、米はきわめて作りにくい穀物だったのである。病害虫に弱く、営々たる品種改良を要し、農民小作の血のにじむような努力の果てにはじめて収穫が可能となり、得ることに険しい極限の穀物だった。そのことが一方で他の栄養価が高く、意外なまでに美味しい筈の稗、粟、黍を惜しげもなく雑穀と蔑称させたのであろう。この過度な誇り高さをおびた穀物を流通させ、日本人の情緒にみごとに染み渡っている米作。まさしく米作なるものが、われわれの国土の資源がけしてつねに貧困なばかりではなかったという証左でもある。まず日本の降水量、水は比較的潤沢に与えられ生活を潤してきた。すでにこの日記でも水という物質の資源的な奥行きの深さは再々言及してきている。これだけ雨水に恵まれている国も、珍しい。当然、植物相は豊かになる。豊穣な植物相と旺盛な植物の繁殖は、たとえばあの有名な踏鞴製鉄(砂鉄精錬)を可能にし、分かりやすい話日本刀の成立や秀逸な農耕器具の形成に基礎づけをなしている。こんな国を資源小国といえばそうでない国々から、お叱りを被ろうというものだ。贅沢をいうものではない。日本の潤沢な資源環境は、まちがいなく日本人にワザと錬度についての高い緊張感あふれる創意をもたらした。われわれの民族的な最大の獲得形質は、これ以外にない。故郷(ふるさと)作詞者 高野辰之 作曲者 岡野貞一(文部省唱歌)1 うさぎ追(お)いし かの山(やま)小(こ)ぶなつりし かの川(かわ)夢(ゆめ)はいまも めぐりて忘(わす)れがたき ふるさと 2 いかにいます 父(ちち) 母(はは)つつがなしや 友(とも)がき雨(あめ)に風(かぜ)に つけても思(おも)いいずる ふるさと 3 こころざしを はたしていつの日(ひ)にか 帰(かえ)らん山はあおき ふるさと水(みず)は清(きよ)き ふるさと
2005年01月19日
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資源がないという場合、油や鉱物を言うことが多いのですが、あんなもはないほうがいいと僕は思います。あったら、今頃アメリカやロシアに蹂躙されていたのではないでしょうか。それより、海に囲まれて淡水に豊富、ほどほどの四季、(今のところ)なんとか豊かな緑に保たれている。たとえば、中国や中東で日本の四季のコンディションをつくりだすとしたら、どれほどの化石燃料が必要でしょうか。いや、できないでしょう。淡水が確保できている(これも今はですが)のも、人工的につくり出すとしたら、大変な投資が必要になる。危惧するのは、こんな恵まれた条件をどんどんと手放してきていることです。 msk222さん昭和天皇が、「雑草という草はない」と述べられたという。生物学者としての天皇は、予想外に健常な精神の持ち主だったようだ。植物相の豊穣さを追い求めていれば、コスモロジィーから世界の本質にたどりつくという事もあって当然で、まったく不思議はない。あの南方熊楠の力量を見抜いていたほどの昭和天皇は、こと天然自然の摂理については凡百の臣民よりも遥かに透徹した俯瞰を抱いていた可能性はある。われわれの時代にも、鳴り響いていたあの「五穀豊穣」とは、一体われわれの生活と文化にどのような影響を与えてきたのか。少しこれにふれてみたい。今晩は、このあたりを、、、
2005年01月18日
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日本は、たしかにアメリカほど「資源がありあまる国」ではなかったが、さりとて資源小国だったわけではない。日本は近代の資源大国とは別の意味で立派に世界に誇りうる資源を保有していた。自分は、バイクが好きで奈良などを走ることがある。奈良公園などの外周を走っていると、外気が鼻啌にはいって大気の繊細な微小成分が肺腑に染み入ってくる。あれはどう考えても日本の固有の資源だと思う。鳥瞰図の絵師、石原正などの講演でも事実植物相の繊細にして多岐にわたり手厚いことは日本の植物公園ほど素晴らしものは滅多に海外ではみあたらないそうだ。一木一草を描きわけてきた鳥瞰図絵師が証言するのだから間違いない。奈良なら、奈良にある大気は間違いなく我々日本人のながらく貴重な資源だった。問題は、戦後「資源、資源」だと喧しくいわれてきたものと日本の資源の様相が少しずれているという点にある。日本にないものは、産業資源であって資源の無い国ではけしてないのである。そうでなければ、あんな資源大国のアメリカと闘って64機も撃墜した坂井三郎などという人物がこの日本から育つはずがないのである。すでに坂井三郎の高い「錬度」については言及した。実は、この高い錬度を坂井個人の資質などに求めて、「凄いおやじがいた」という逸話にして流してしまえばそれでおわり。われわれのトリビアがいま一つふえるだけのことになってしまう。坂井三郎の高い錬度を裏支えしたものや、奈良公園の大気中の雰囲気は、すべて日本の資源に発しているものではないか。これは精神論を言っているのではなく物質的な資源でもあると指摘したい。坂井三郎や、思い起こす司馬遼太郎の憂鬱はまさしくこの資源を戦後日本人が根こそぎ見落としていることに根源があるように思う。まず日本の降水量、水は比較的潤沢に与えられ生活を潤してきた。すでにこの日記でも水という物質の資源的な奥行きの深さは再々言及してきている。これだけ雨水に恵まれている国も、珍しい。当然、植物相は豊かになる。豊穣な植物相と旺盛な植物の繁殖は、たとえばあの有名な踏鞴製鉄(砂鉄精錬)を可能にし、分かりやすい話日本刀の成立や秀逸な農耕器具の形成に基礎づけをなしている。こんな国を資源小国といえばそうでない国々から、お叱りを被ろうというものだ。贅沢をいうものではない。つまり、日本は物質的、産業資源には多少ハンデはあったもののワザについての成立はむしろ豊穣であって資源皆無な国などではなかったのである。
2005年01月17日
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戦後(25回以上渡米)、「こんなに大きな、資源があり余る国と戦って勝てると、なんで思ったのか。なぜ、海軍上層部は、『勝てません』と、はっきり言わなかったのか。戦略、戦術以前の問題…。あまりにもばかばかしくて…」と、あらためて旧海軍首脳への怒りと悔しさを痛感したという。日本のベンチャー事業者は、坂井三郎の「大空のサムライ」を読むだけではなく、その戦後の思考遍歴を辿るべきではないか。これは日本の多くの庶民も、とりどりに感じてきたことに重なるのだがこんな貴重な社会経験と実体験に則した生活実感の表明に何故か戦後みな耳を傾けてこなかった。翻って考えてみれば、道路公団のETCが反国民的なまでの高額な設定になっているのも、東大のロケットが続々失敗して玄界灘の藻屑となって果ててしまい、いつまでも気象衛星ひとつ満足に打ちあげられないのも。そして、陸上自衛隊が三菱重工から重量が法外すぎて全国の幹線道路を移動できない巨大な戦車を愚昧にも調達しつづけて恥じないのも、すべて同根であるということが分かるはずだ。足掛け3年この日記を続けてきたが過去の話題をご明記されている方は、坂井三郎のこの晩年の憂鬱が戦後一貫したわれわれの状況なのだということに気づくはずなのである。今日は、このあたりを。
2005年01月16日
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零戦という飛行機は、自分が小学生時代には巨人、長嶋と同じぐらいのステイタスだった。旧日本軍艦載機などというような諸雑件とは訳が違う。「巨人、大鵬、タマゴ焼き」級のどでかい存在だったと思う。坂井三郎というのは、当時の小学生からは内閣総理大臣岸信介などよりも遥かに尊敬されていたのは間違いない。しかし、自分は40年以上坂井三郎の「大空のサムライ」を読むことがなかった。つまりはまぶし過ぎたのである。いま、改めて思うのは自分にとって零戦とはついに坂井三郎というひとりの稀有な日本人の言行に重なりあって不即不離な関係となっていることに驚く。まずはこちらをお読みいただきたい。例によって、松岡正剛氏の「千夜千冊」である。実はその赤井先生が坂井三郎の大ファンだったのである。なにしろ授業の途中で10回以上も坂井三郎の名が出てきた。数学とは何の関係もない。ところが、これがものすごく記憶に残った。まあ、中学生が10回も一人の人物の話を聞かされれば、誰だって記憶に残る。その坂井三郎のことにもう一度出会うとは思っていなかった。ぼくが25歳のときである。そのころ初めてアパート暮らしをはじめたのだが、その三軒茶屋近くの三宿のアパート「三徳荘」の二つ隣りに古ぼけた床屋があって、そこでぼくは『遊』を創刊するにあたってすっぱり坊主頭になった。そうしたら、床屋のオヤジの栗原清司に大いに気にいられ、稲垣足穂の『ライト兄弟に始まる』の話をしたら、飛び上がるように抱きつかれた。 このバーバー栗原のオヤジがとんでもない坂井三郎ファンだったのである。「そうか、松っちゃんも坂井三郎を知ってるのか。坂井三郎は神様だねえ」。そう言って眼を細める栗原のオヤジも飛行機乗りで、しかもカナキン貼りのプロペラ機しか乗らないという頑固者だった。いや、分かる。分かりすぎるほど、興奮が伝わってくるのである。昨今この興奮が再現できるとすれば、岡野雅行ぐらいのものである。ところで、零戦は21型につきる。初期型の完成度の高さは、大方の認めるところである。さわればさわるほど、バランスを崩し使いにくくなったそうだ。坂井三郎の著述にも、21型の完成度についてなんども言及されているのを発見できる。零戦とその運命は、日本のあらゆる本格的な研究開発型ベンチャーの象徴的ななにかだという気がする。戦後(25回以上渡米)、「こんなに大きな、資源があり余る国と戦って勝てると、なんで思ったのか。なぜ、海軍上層部は、『勝てません』と、はっきり言わなかったのか。戦略、戦術以前の問題…。あまりにもばかばかしくて…」と、あらためて旧海軍首脳への怒りと悔しさを痛感したという。坂井さんは、94年11月25日、東京・有楽町の外国人記者クラブで講演、記者の質問に答える形で、「天皇制は必要」「国民統合のために天皇がおられることが良いと思う」との前提をおきながら、「軍人から言うと、天皇の責任はもちろんある。最高指揮官であり、私たちは開戦の詔勅を信じて命をかけて戦った。命令した人に責任がないなどということはありえない」と、昭和天皇の戦争責任を肯定する発言をした。次女を米国の大学に進学させ、米国人の孫を持つ坂井さんが、「太平洋戦争の歴史は、とかく、かつての上層部の人々が語る記憶なり、残した記録によって作られていることが多い。しかし、特務士官、准士官、下士官・兵として戦ったわれわれが語る歴史もまた真実である」<日本の撃墜王>より
2005年01月15日
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楽天日記では特にそうかもしれないですね(^^;私は水処理に片足入れてるので目を疑いました。お客さんが見たら引っくり返ります(爆)まっく さん楽天日記は、まだいい方だと思います。yahooなどの掲示板では、もとより期待すらできないのですよ。その点で楽天日記の先進性は凄いと思います。自分は、パソコン通信や、ライコス2ちゃんねる、yahooとみてきていますので、こちらの楽天日記で不可能であるのならば、ネットでできることは知れていると証明されたようなものだと思います。楽天日記には、まだしも夢がありますね。実は、オフでもこの種のテーマに鋭敏な方とそうでない方とのあいだの差は歴然でして。なにを隠そう、製造者が驚いているのはこの画像が大手製薬会社の研究職が驚いた、という事についてでした。(笑)この機能水も日本では黙殺モードだが、いちはやくアメリカでEPA承認番号が下りようとしている。日本側の当局者は、水は食品だという。なんと食品添加物に収載できないかぎり認知しないのだという。あの次亜塩素酸ソーダ(カルキ)は食品添加物だと言い放つ役人は、一体この国をどうしようというのだろうか? シャルドネ☆研究職だって、日常の消費者目線にまで思いが馳せられるような人は稀少でしょう。日々、顕微鏡をのぞいているがゆえに市場や流通の様相にはうといという事は当然ありうることです。だから市場と開発のあいだを往還する「菩薩道」というのか、私のようなコーディネーター職みたいな存在が意味を帯びるのだと思うのです。しかし、日本にはこと当該のコーディネーター職についての認識は氷河期でして。大手企業といわず経済産業省といわず、雇用や新規事業創設について分かっている人はまったくいないといっていい事態が長く続いています。企業社会では、結局体力勝負と資金力、設備、看板、地盤に、議員バッチ、カバンまで用いて個人の力は発揮でいないような重層的な構造になっています。これは間違いなくそうです。中村修二教授のようなスーパースターですら、その労働の対価は1000万円程度のものだ、などと日亜化学に主張されて、それに根拠を与える東京高裁みたいな当局らに圧殺されて結果アメリカへ逃げ出す。頭脳流出とは聞こえがいいが、ようするに知的能力者の「亡命」なんです。こんな亡命者を多数輩出してしまう日本は、どこかで国家安全保障の感覚が狂っているという風にしか思えないんですね。※カバンとは、カバンに詰められた裏資金の意味。(クリックでジャンプします)個人と集団の「契約関係」の概念や個人の組織貢献度に日本独特のものは感じます。アメリカ支社の人事系先輩が、その感覚の違いに目を丸くしてたのを想い出しました。 まっく さん欧米で戦後刊行された「大空のサムライ」はなぜか相当読まれて、坂井三郎などというような敗戦国日本の撃墜王をあながち戦犯だなどと受け止めず訳された「大空のサムライ」をきちんとよんでベストセラーになったりする。映画のタイトルにあやかりで「サムライsamourai」なんて名づけられたりする。他ならぬ日本人社会自身が、もっとも個人とその能力の全面開花を総力をあげて抑圧している気がします。(笑)
2005年01月13日
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剣道もそうですが、「道具」を使う武道(スポーツでも同じ?)で同じ感覚を求めるのを想い出しました。会社も、せめて「目の届く」丈ならマシかとも想いますがどうなんでしょう・・・まだ分からないです。 まっく さん実は、道具を使う武道以外に徒手空拳であるかのような空手などでもこの件はけっして例外ではないのだ。つまり、道具というものの普遍性を考え抜けれればワザというものは本質的に「道具性」を帯びているものだと気づく筈なのである。たとえば空手の「正拳づき」ひとつをとりあげてみても、わたし等が繰り出す拳固とは空手家のそれとは似て非なるものである。つまり練達の空手家が錬度をあげて打ち出す正拳づきは、そのままひとつの道具性をおびた物質力であると言明できる。つまり自分の技そのものを、道具化するという普遍性において人は自身の肉体やその運用すらも、物質化するという過程をつうじてわれわれの精神は明らかに物質たらしめることすらできるわけなのだ。フランシスコ・ベーコンが「知は力なり」と、述べた理由は知が占める錬度の高さとその維持(関係づけの空間占有)が間違いなく物質力を凌駕するもうひとつの物質足りえるからではなかろうか。さて、閑話休題。岡野雅行さん自身と、私は実は直接なんの関係もないのである。たぶん岡野氏もシャルドネと一面識もなく、ここでわたしが岡野氏に対して妙な感謝の意を述べても怪訝に思われるかもしれない。当然である。しかし、自分自身は、岡野雅行氏に、深甚からの感謝と心からの敬意を述べたいと思っている。実は、自分はいま大阪であるベンチャー性の高いビジネスモデルに当事者として関与させていただいている。次の画像をご覧頂きたい。この画像は、わたし自身が撮影したものだ。左の牛乳瓶には大阪の普通の水道水がいれてあった。右の牛乳瓶には私が深いかかわりのあるマテリアルが入っていた。しかし原則的には水であって99.998%は水で占められているのである。しかし、その僅か0.002%無機材料で占められている。この前のオフ会で、たまゆら1/f氏や、さすらいのもの書き氏、woody-craftman氏にご披露したものである。驚異的な能力。その技術的な水準と効用は以下に示した画像が如実にしめしている。この画像はインチキでもいつわりでもない。昨年の12月15日にわたしが購入した花をふたつにわけて実験を開始したものだ。明日でほぼ一ヶ月になる。水道水側のそれは枯れ果てている。一方の水は、いまなお咲いているのである。ここだけの話だが、某大手製薬会社中央研究所の主要な研究陣にもこの画像を提供した。信じがたい画像であると、激励をいただけた。無論、このような極めて成長性の高い研究開発型ビジネスのコアな製品と技術は偶然私の手元にあるわけではない。正直に言う。この機能水を私が販路形成させていただくことになった。その経緯顛末はご説明できないのであるが、岡野雅行氏が私に間接的なフォローの風を送っていただけている。この間に、なんらの因果律は存在しないのであるが私にとってはこれはただの偶然とは思えない。右側の花に込められた物質力は、私にとっては(私にとっての意味としては)わたしが岡野雅行氏に深く傾倒した魂の持ち主であることと無関係ではないと私には思われてならない。この水には、ある無機材料が含まれている。その無機材料は、200年も前からその能力が予言されていた。しかし、それを安定して製造する事は不可能とされていたのである。今回、その製造に特許が成立した。その技術をシャルドネに扱えと指名したフォースは、まさしく岡野雅行氏に痛くない注射針の開発を託したまさしく同じフォースだったのである。「偶然は、準備なきものを救わない」私は、大変深い満足を得させていただいたと申すほかない。
2005年01月12日
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岡野雅行さんの言行をながめていると、いかに事業が倫理と深いかかわりがあるのかということが如実にわかる気がする。会社を大きくしない、というのは会社に個人の「いきざま」が行き届くというサイズを岡野雅行さんは常々考え続けたのだろうと思う。一方、唐突のように引き合いに出した坂井三郎さんだ。氏の名著「大空のサムライ」や関連図書を読んでいると夢中にさせられるようなさまざまな啓発をうける。たとえば坂井三郎氏の搭乗される零戦など、ほとんど氏の四肢身体というぐらいの操作性にまで使いこなされている。錬度の高さは、坂井三郎の功績の語られざる根拠のひとつだ。つまり、零戦が坂井三郎の眼となり額となり、つまさきとなる。その瞬間には感覚的にも坂井個人が肥大化する。そんな風に装備がパイロットの非有機的身体と化する瞬間にすべてのワザが初めて現出するのだとされている。当たり前のようで、実はこのことが壮絶な男坂井の全身全霊を賭した闘いであったということが著述の中に浮き彫りになっている。錬度とは、まさしく倫理の姿そのものだったのである。岡野雅行氏が、会社を大きくしないというなにげない述壊の中にこめられている意味合いは透徹して深いものがある筈だ。すべてその起源には、倫理の問題が横たわっている。
2005年01月11日
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かならず「小」は「大」に勝つ! 2003年7月25日 第22号 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■実際の話「小」でも「大」に勝ってます。--------------------------------------------------------・岡野雅行(世界)世の中には凄い人がいますね。あの有名な岡野雅行氏です。もう、みなさんご承知ですよね。あらためてご紹介するまでもありません。もしご存じなければ氏の両箸を直接お手に取ってご覧をいただければと存じます。開発ベンチャーなどとスカしていうまえに手が動いていそうな方。盗られることはあっても、人の技術を盗ったことがない。----涙腺がゆるみかけそうになるぐらい男らしいきっぱりとした心構えだと思います。草原のペガサスも街角のビーナスもどこにも消えていやしません。中島みゆきが都合よく見落としたふりをしているだけなんですよ。http://books.rakuten.co.jp/com/images/goods/80611760.gifhttp://books.rakuten.co.jp/com/images/goods/57603152.jpg━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━かつて、岡野雅行さんを自分のメルマガで紹介したことがあった。一昨年の夏の事だ。この楽天日記を知った直前だったと思う。当時、このメルマガを業務命令で刊行するように言われた。適当なメルマガのテーマが無かったので、岡野雅行さんをイメージして、題して「かならず小は大に勝つ」というタイトルで発行することにした。あのタイトルの、かならず小は大に勝つというのは岡野さんから教えられたテーゼなのである。(笑)(クリックでジャンプします)中小企業の強みは・・会社を大きくしても、お腹一杯食べれる量は同じ?!SB/何度も聞かれていると思いますが、なぜ会社を大きくしないのですか?岡野/本当によく聞かれるんだけど、俺は分かんないだよね。会社を大きくする理由が・・・俺がね、寿命500年も、1000年もあるんだったら大きくしたいよ。実際に働けるのは50年~60年の限られた時間だろ。それに大きくしたらね、後を継ぐ人は大変だよ。一代目を越えるというのは半端じゃなく難しいことだからね。もっと分かりやすく言うよ。大企業の社長がね、お昼メシ、例えば盛りソバを食べに行ったとして、やっぱり1人前でお腹一杯なるよな。俺も1人前でお腹一杯なるんだよ。おんなじじゃねぇか。大企業の社長だから、20人前食べられるようになるんだったら、俺も会社を大きくするよ。俺は本当にそう思うんだよな。春秋の筆法でゆけば、さしずめ岡野雅行さんの覇気は、怠惰でど鈍いシャルドネをして3年に及ぶメルマガを継続せしめたというわけなのだ。SB/本来、職人に徹していたいということですが、全国からの要望でご講演に行かれていますが、参加者に伝えたいことはありますか?岡野/いっぱいあるね。やっぱり元気出してほしいよ。人と同じことばかりやっちゃダメだということを伝えたいね。みんなと同じことをしているから不景気になるんだよ。でも、この不景気でも儲かってる会社はいっぱいあるんだから。何度もいうけど、人と違ったことをし続ければ、自然と道は見えてくるはずだよ。あの日本の誇る零戦の撃墜王、坂井三郎さんの名著「大空のサムライ」を読んでいても敵戦闘機ともみ合いのドッグファイトをやっちゃいけないって、卓越した教えを貰えた。オンリーワンってぜったいに市場で占有率を競ったりする精神ではない。小さくても業界独占なんだって、、、その教えは岡野雅行さんからふたたび貰えたものなのだった。志は、通じるものがあると思う。あとにも先にも俺しかない、みたいな闘いを組み立てないといけないのである。太平洋戦争中、主に戦闘機「零戦」(三菱航空(現重工)製作「零式艦上戦闘機」)で200回以上の空中戦に出撃し、敵機64機を撃墜したうえに、その間、戦死した部下を1人も出さなかったことで有名。最後の階級は中尉だったが、海軍での経歴は、旧海軍兵学校卒のエリート士官とは違う、いわゆる“たたきあげ”の道のりであった。戦後、米国のAP通信が「最も多くの連合国機を撃墜した日本パイロット=ゼロファイターのサカイ」と紹介したのがきっかけで坂井さんは、「日本の撃墜王」と呼ばれた。 また、1953(昭和28)年に当時東京の印刷屋であった坂井さんが出版した「坂井三郎空戦記録」は、「サムライ」の題名で英訳され、海外でもベストセラーになった。
2005年01月10日
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久しぶりに面白いドキュメンタリーを観ました。政治色が無くて感激でした。(たまゆら1/f氏)たまゆら1/f氏の言う「政治色」というニュアンスには、つくづく万感がこもっている思った。私にも深く共感できるものがある。(実は、オフ会の場でも述べたが、私はVHSビデオデッキを持っていない。いまではDVDプレィヤーだけでで暮らしている。80年代に取りだめしたさまざまなビデオ収録画像。実は、その情報をこの10年以上も再生しておらず会場で久々にみたものだ。)当時も、あつめた収録放送。そのなにげない番組も記録映画の取り置きもいまや入手することは不可能に近い。業界の人間でもなければふたたびあの放映番組に出会うことはありえそうにない。きわめて稀少なものだと思う。しかし、平素われわれの日常で視聴しているテレビとどれほど違った情報が伝わることか。ニ三の良心的な番組をみていると、その相違に驚くばかりである。今回、オフ会のモニターでたまゆら1/f氏などとともども視聴した海外の秀作ドキュメントはまずもって赤い旗が立たない。市民の素朴な実感レベルの直接行動が大半である。環境やエネルギーについての運動を行っても、いきなり自治労や官公労、全電通、社民、共産などが旗を立て隊伍を推し進めてゆくというようなわれわれに馴染みのある恒例。それゆえほとんど形骸化してしまっている各種の「異議申し立て」風の儀式にわれわれ都市部のヒラの市民の思いは毎回たな晒しされてきたという思いはある。「ダークサークル」では、監督であるジュディーアーヴィング自身が草の根市民運動を始めてその活動メンバーの発言も収録されているが、これが見事に政治色がない。尼さんといっても、みかけは図書館の司書のようであるし、子供の手をひきながら地域をまわる主婦は額面どうり主婦で、運動以前にさっさと引越ししてゆくがその立ち去り方があの離党とか転向とかいう奴ではく、見ているわれわれがむしろなんで「さっさと引越ししなかったの」「仕方ないじゃないの」って風なのである。運動の規模が拡大するにつれて、さまざまな組織が関与してくるという事は避けがたいとは思うが市民が自主的になにかを提起するという風なスタイルは、まったくもってわが国では底を払って久しい。マイケルムーア監督のあのスタイルが登場するに至るまで、それなりに背景も水脈も存在するのであろう。たまたま80年代に、「ダークサークル」と「アトミックカフェ」を画像ストックに収容していたわたしはあの一連のマイケルムーア監督作品をみた瞬間に、その作風の酷似に気づいたものである。↓(クリックでジャンプします) 「当時『アトミック・カフェ』というすごい映画を撮っていたケヴィン・ラファティに、俺にも映画の撮り方を教えてくれ、と頼んだら、驚いたことに気軽にOKしてくれたんだ。」---------マイケル・ムーアその頃のケヴィンは「アトミック・カフェ」というすごい映画を撮っていました。私はふざけて訊ねましたよ、『ミシガン州のフリントまできて、俺に映画の撮り方を教えてくれないかい?』。驚いたことに彼は、ああいいよ、と言ってくれました。(後略)」こうして撮影道具の使い方からドキュメンタリーを撮る際の貴重なコツまで全てを教わったマイケル・ムーアが作り上げたのが処女作「ロジャー&ミー」(1989)であり、実際にこの作品ではケヴィンが撮影を務めてもいる。↓(クリックでジャンプします)↓(クリックでジャンプします)そのケヴィン・ラファティと「アトミック・カフェ」のもう一人の監督ピアース・ラファティであるが、実はこの2人、ブッシュ現アメリカ大統領のいとこなのである。同じく「バカでマヌケなアメリカ白人」の文中、ムーアが以前、ブッシュ(父)の大統領就任を見に行った折、ブッシュ(子)現大統領と一緒に、自分の師であるラファティが並んでいたのを発見して肝を潰した、というくだりがある。ムーアによると、ブッシュ父は大統領就任数ヵ月後、キャンプデービッドで、甥っ子の参加作品「ロジャー&ミー」を一家揃って鑑賞したらしい。
2005年01月09日
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たまゆら1/fさん昨日はありがとうございます。久しぶりに面白いドキュメンタリーを観ました。政治色が無くて感激でした。木工職人さんの話も物書きさんの話も理系の話で新鮮でした。理系の見方ってあったのですね。アバウトな見方しかしてこなかったので新鮮でした。またお会いすることを楽しみにしています。(2005/01/09 06:57 AM)昨日は、ほんとうにお疲れさまでした。もしかしたら、今回のオフ会はたまゆら1/fさんと私の二人っきりになるかもしれないという予感もありましてたっぷりとソフトを持参していったわけなんです。施設の女性から、予定時間の15分前に部屋の鍵を渡すという風に言われて20分前に到着したのですがおさきに部屋にご入室されていたようです。それだったらもう少し早く会場に到着したのですが失礼を致しました。御逢いして、ほんとうに嬉しかったです。想像どうり、知的な風貌の紳士でした。一昨年、日記を拝見させていただいて以来一度は御逢いしなければと思っていましたが、今回このようなご厚誼で御逢いできてほんとうに喜んでいます。いまややっていないのですが、テレビ番組のモニターも20年を経過すると、もの凄い時代時代の証言になったりするんですよね。麻原彰晃の出てくる「朝まで生テレビ」なんか、田原総一郎がオーム真理教のシンパだったのではないかというぐらい怪しい雰囲気を漂わせていたりします。ウディクラフトマン氏がご登場されるまでのあいだモニターしていた熱帯雨林の伐採の実態を伝える80年代のボルネオ原住民の悲惨な生活のルポルタージュなど現在でも古びない迫真の証言だという気がしました。あの番組には、当時のいかなる書籍からも受けたことがない強い影響を今も感じています。オーストラリアの放送局制作のドキュメンタリィーは、あの映画「スリーピングディクショナリー」などの舞台となったボルネオ島サラワクの原住民の生活破壊の実態を描いた秀作でした。「ダークサークル」も、知られざる秀作だという気がします。今手元にVHSをDVDにリプリントする機材を持ち合わせていないのですが、もし入手ができたりしたらば是非お手元に送らせていただこうと思っています。繰り返し反復して眺める価値のある作品だと思います。きまぐれ開催の「新発想ビジネスヒントフォーラム」ですが、お別れ際にさすらいもの書き氏のご希望にもありましたが、せめて1年に1回ぐらいはやらないといけないのかもしれませんね。いちどは、新宿でもこじんまりとやってみたい気がします。その際はぜひともご協力をお願い致します。昨日は、ほんとうに遠路お越しくださいましてありがとうございました。ご参加のみなさんに、心から御礼を申し上げます。
2005年01月08日
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明日は、新発想ビジネスヒントフォーラムのオフ会です。実は新発想ビジネスヒントフォーラムのオフ会は古くは93年ぐらいから。あのニフティーサーブ時代からやってました。当時は、あの松島庸さんがシスオペで新宿でワイワイがやがや楽しかったものです。いまの新発想ビジネスヒントフォーラムというのは、わたしが勝手にあやかりで任意団体みたいな真似をしているものですから・・・(爆笑)言わば、まぼろしの新発想ビジネスヒントフォーラム慕情というのが実態です。残念ながら、コアメンバーのひとりO氏は現在経済産業省外郭の某団体の所用で東京出張に。今回のご参加は断念です。これは残念至極です。O氏も、急な所用で参加できず「みなさんに、よろしく」とのことでした。一昨年まで、新発想ビジネスヒントフォーラムのBBSにご参加いただいたWOODY-CRAFTMANさんはご多忙な中ご参加いただけるとのことでした。ウッディクラフトマンさんは、原子炉工学科の理系バリバリという経歴ながら今は木材工芸作家。いや、今回ご参加いただけることを心から切望していた方です。富山県の女性社長、桃未氏は今回新店舗のオープニングで忙殺されており残念ながらご参加はいただけないとのことです。次回のご参加を期待します。度々申し訳ないです。 お誘い有り難う御座います。先日も言いましたが、今年こそは一席交えたいとは想っては居るのですが?お正月が全て休みが取れた分、明日からの3連休は三重県は名張方面での仕事が有りますので、申し訳有りません。 mebhi(まぶはい)さん(2005/01/07 09:30 PM)おなじく、昨年新発想ビジネスヒントフォーラムBBSに素晴らしい原稿をお届けくださった料理研究家マブハイ氏もご所用で参加は無理との事です。そして、スペシャルゲストは言うまでも無くこの楽天日記でも異彩を放つわれらが たまゆら1/f氏です。なにしろ会場が、大阪市教育委員会というオカタイ組織の運営会場なもので。登録団体が「新発想ビジネスヒントフォーラム」だというので、当初絶対に登録いただけないというコメントでした。市教育委員会は、金儲けの話をされる団体に会場は貸せない、ということだったのです。(笑)しかし、わたくしシャルドネがカネ儲けどころか「カネを捨てる天才」だという事を演説しましたところ何故か急遽会場を貸与できる団体としてご登録いただけたという訳です。A(^_^;)イヤホントそんなこんなで手狭な会場ですが、まだ余裕はあります。不意に来世に不安を感じられるムキがございましたら迷わず明日午後大阪北市民教養ルームにお運びくださいませ。(^-^)ナンノコッチャ 2005年1月8日土曜日 大阪北市民教養ルーム 第一会議室 「新発想ビジネスヒントフォーラム」 記録映画<ダークサークル>鑑賞会 兼 新年会オフ 午後13時から16時30分 ※ご参加予約を受付中です。 ※記録映画「ダークサークル」は、日本未公開作品です。 会場:大阪北市民教養ルーム 大阪市北区茶屋町1-4 06-6371-1833注意、会場は梅田東生涯学習ルームと近い場所にありますが別会場ですので誤解なきようお願いします。ヤンマー本社真東の分かりにくい場所です。新御堂筋高架下の方です。
2005年01月07日
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中国政府、スマトラ沖地震で被災国に緊急援助 温家宝総理は27日、スマトラ沖地震とその津波による被害を受けたインドネシアなどの国に対し、災害援助を提供することを明らかにした。援助物資は早急に関係国に空輸される。商務部によると援助物資は食品・テント・毛布などで、資金援助と合わせ2163万元相当。インド・インドネシア・タイ・スリランカ・モルジブの各国に提供される。 「人民網日本語版」2004年12月28日 2163万元って、もしかして日本円で2億8000万円ってか???えっ、5カ国に5000万円?なるほど、日本政府が5億ドルの無償資金供与を提起した根拠は、これなんだね?5億ドルって一応、約515億円ぐらいになるのかな。この際、買い支えたドルがわんさかしまってあるしね。(笑)無償資金5億ドルのほか債務支払い猶予も=インド洋津波で外相1月5日、町村外相は、ロイター通信のインタビューで、5億ドルの無償資金供与にとどまらず、被害国から債務の支払い猶予の要望があれば受け入れる意向を示した。[東京 5日 ロイター] 町村外相は5日午後、ロイター通信のインタビューに応じ、インド洋津波に伴う災害復旧に向けた資金援助で、5億ドルの無償資金供与にとどまらず、被害国から債務の支払い猶予の要望があれば受け入れる意向を示した。一方、政府開発援助(ODA)については、2005年度を底に今後は増額する方向で努力する、と語った。<インド洋津波>輸入備蓄米使い食料支援を検討 農水省 農水省は5日、スマトラ沖大地震被害について、政府の輸入備蓄米を活用した食料支援を検討することを決めた。政府米(国産米含む)による国際緊急支援例としては、03年の対イラク、01年の対北朝鮮などがあるが、自然災害では例がない。このほか、農漁村の復興を目的とした専門家派遣なども実施する方針。(毎日新聞) - 1月5日20時8分更イージス護衛艦の派遣問題は、昨年十月の対テロ特措法の審議や、派遣期間延長のたびに浮上してきた。しかし、憲法の禁じる集団的自衛権の行使につながりかねないとの懸念から、常に見送られてきた。今回も野中広務自民党元幹事長は、山崎拓幹事長との会談で「絶対反対」を伝えている。公明党はこの日の常任役員会で「国民のコンセンサスを得られていない」と全会一致で反対方針を確認したばかりだ。無差別に市民の命を奪うテロは、いかなる理由をつけても容認できるものではない。しかし、非道なテロは、今や世界的な広がりを見せている。テロを撲滅するために、日本も国際社会の一員として果たす責務がある。それでも今回のイージス護衛艦派遣にはきちんとした説明が欠かせない。テロ対策といえども、自衛艦の海外派遣には、厳格なシビリアンコントロールの確立がなければならない。 あら、あら。野中さん(親中国利権派)は、やはり今回も自衛隊の海外派遣にご賛同ではない!このあたりのニュアンスは、ほんとうに微妙な気配を感じるところです。いや、表面的な路線の違いの問題などではなく事は意外に底が深いように思うわけです。自衛隊の海外派遣が、今回の津波がらみでなくてもアジア各国側にとってはどう考えても中国の海洋覇権を目指しての暗躍に比べればよりマシ的歓迎というニュアンスが濃厚にあるわけでしょう。日本の自衛艦が自国海域に派遣されるという事について赤い国へのよりマシな緩衝的存在として歓迎される「下地」があるということなのかも。日本国民からすれば、親米ぽち政権のやりそうな大奮発にしか見えない。それはそうなのだけれどもいまの人民中国の出方が、結果的にまんまとアジア全域で親米ぽち小泉政権の引き立て役にまわってしまっているんだ。だって、考えてもみてくださいな。中国の海軍などが津波被害国に派兵されたりなどしたら、ただで引っ込みそうな雰囲気がないでしょう?(笑)中国っていう国は、近隣国にかぎらずアジア全域で古代から昨今の中華社会帝国主義にいたるまでその「手口」「やり口」とその伝統はさんざん見てきているではないですか。この国が対外的に親分顔をし始めるときには大体自分利益になるとソロバンを弾いたときだ。まちがっても自腹を切ってまで、アジアの困窮する国に手を差し伸べるなどというタイプの国ではない。また、たとえ中国海軍にタイまで被災者の捜索や救難に出向く意思やその実力があったとする。そりゃあ、嫌がるにきまっている。地つづきの国が、それも中国だとくれば嫌だろう?東南アジア諸国も中国について潜在的に強い警戒心を抱いている。まずもってきっぱりと断るだろう。アジアの発展途上国とてバカではない。中国の、本当の素顔がどんなものなのかは日本人以上によく知っている。過去の歴史の教訓からすれば、中国の海上における実力がいったん東南アジアの海域で奔走を開始するなどすれば救難活動を行うと称していずれ、中国側のがひそかに雇用した華僑の陰謀団や海賊らが各地で跋扈しはじめるのだろう。そんな野蛮なヤカラがまずもって東南アジア海域で暴れに暴れ始める。そののち、おもむろに制圧するというふれこみで主力がやってきてその海域を赤い旗で埋め尽くそうとするんだろうなあ。(笑)それよりは、自衛隊のイージス艦など持参金つきで歓迎しておこうっていうチョイスはありなのかもしれない。一過性でしぼむのか、それとも後世に残る動きになるのか──。東アジアに自由貿易協定(FTA)ブームが起きている。きっかけを作ったのは日本だ。 1999年に韓国と共同研究を始め、これを見ていち早く反応したシンガポールとの間でFTA交渉を迅速に進めたこと(昨年1月締結)がブームに火を付けた。「シンガポールと日本のFTAを批判していたマレーシアも今や日本と話し合いを進めており、フィリピンもすぐに続くだろう。中国は日・シンガポールの動きを見て東南アジア諸国連合(ASEAN)・中国FTAを提案してきた。中国とASEANの取り組みが進むのを見て、今度は日本がASEANに包括的な経済連携(CEP)を提案した。また、韓国は興味を示していなかったが、今はシンガポールとの2国間FTAを話し合っている」──。
2005年01月05日
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20世紀の半ばに生まれ落ちた御蔭で色々おもしろいものをみる。わが国日本人の歴史中でも、この自分の年代ほどありとあらゆるものを見た年代も珍しいだろう。まず、自宅にテレビが来た頃はほんとうに仰天した。カラーテレビが来たときも、頭がパチクリンするほど驚いた。いや、なにが起きても驚くことの連続だった。冷蔵庫が来たときには、製氷機で氷ができるのがほんとうに不思議な思いで眺めていた記憶がある。ソニーのオープンリール型テープレコーダーを見せられた時には、これを欲しいとはまったく思わなかった。ただただ気味が悪かったのだ。(笑)(正直にいって、魂を吸い取られるのかと思った。)バカにされてもかまわない。近頃の発展途上国の住民だって、今どきテレビやテープレコーダーで驚いたりはしないだろう。しかし、テレビウォッチをセイコーが出したり携帯電話を持ち歩き始めた頃からは半ばあきらめの境地になってきた。小学生時代の未来像から、かんぜんに逸脱している。つまり自分自身が未来を確実に踏み越え始めていることを自覚したからだ。なにせ鉄腕アトムは、ジェット噴射で地上に降りてきて「おばさん、電話をおかりできませんか」という時代のアニメで育っている。個人が携帯電話などを持ち歩くなど、完全に子供時代のSF小説や漫画の世界をぶち抜いてしまっているのだ。こんなに、毎回毎回驚きをもって時代の変化を体験してきた自分だがいまだに驚くネタが少しも減っていないことにもう一度驚く。まるで田舎者なのだが、この時代に田舎者に驚くネタがまだまだあるというのも凄い。インド洋での大津波は、まるで手塚治虫の長編漫画の世界そのものだ。まさか、こんな規模の天変地異を生きているあいだに目撃することになるとは夢にも思わなかった。しかし、今朝はまたまた仰天である。愛子親王が日本で典範をあらためて天皇になる、などというのは事前に聞いていた。しかし、愛子親王に養子をとって天皇家の命脈をつなぐなどというアイデアが来年の通常国会に原案提出されるのだという。これは凄い。日本の歴史の書き換えの現場に居合わせるような事件のひとつだ。まだまだ現代史は楽しめそうに思う。
2005年01月04日
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正月が過ぎてゆく。テレビをはじめとするメディアに、いささかならぬ怒りが湧いてくる。静かな怒りではあるが、怒りは深い。人は、なぜこんな風に殺され続けるのだろうか。正月のテレビのいずこにも、このインド洋で勃発した数十万人もの途轍もない規模の津波災害にわずかもふれる特別番組もない。ただ例年のように手抜きのきわみのようなバラエティー番組と性懲りないかたちの取り溜め歌謡番組ばかりである。自分なりに、この巨大な津波災害の行く末について漠たる思いとはいえどただならぬ影響の大きさを感じるとすでに述べた。私の怒りを少し解説しなければならない。歯がゆさを堪えて、言わずもがなの解説を試みたい。むかし、50年代に東宝映画「ゴジラ」が話題をかっさらっていた頃のこと。有楽町にゴジラが登場して、国電の客車が狼藉されるというシーンを恐怖から固唾をのんで眺めていた小学生のような視点ではなく、なぜあんな巨大怪獣が闊歩している状況下で、平素どうりに国電の車両がむざむざ通過しなければならないのか、という根本的な疑念なのである。そんな風な疑念をいだく事は関西では「つっこみ」といわれて日常的な思考のパターンとして認知を得ているはずである。いかなる共通感覚として、われわれの普段着の生活でひろく社会的合意を得ているような視点論点ですら、ヒラの庶民は疑念を抱いてよい。それが市民社会の基礎にあって、庶民生活者の知恵というものである。ことは、冗談ではない。現状ですら10数万規模の死者をだしている巨大災害である。ソビエト原発災害ですら、いちどにこれだけの人間が斃れるというような事態にまで一気にゆくなどは無かっただろう。あの熱核戦争の勃発を思わせるほどの、大惨事ですらこのような途轍もない規模での死者がでるものか。世界はどのように反応しているのだろうか。わが国のメデアのノー天気ぶりには、ほとほと呆れかえるばかりである。そして庶民は、そんなメデアに対応して見事に局私的な生活の軌道に閉塞を強いられているかのようだ。踏み込んで考えてみる。われわれの国土日本のある太平洋側には津波監視のシステムがあったという。にもかかわらず、インド洋側は未整備であったのだなどというメデアのご託宣が耳目を埋めている。馬鹿馬鹿しい。インド洋には海運の運行と統制は存在しないのか。津波情報すら疎通しないようなそんな海域があるとすれば、そんなもの国家安全保障上の大事件ではなか。真顔でそんな話を信じられるものだろうか。そもそもインド洋などといってもあのマラッカ海峡を経て、わが国日本にとっても経済水域と呼ばれていた部分と重なり合っていないとでも言うのだろうか。いや、それどころか「もしもし、そちらは少々危険ではございませんか」「お気づきかどうかは存じませんが、いささか尋常ではない危機が迫っているのではないでしょうか」と電信を打てないほど世界は弛緩して緊張感を失っていたのだろうか。いや、国際電話はなんのためにあるのだろう。電子メールは存在しないのか。いったい巨額の資金を投じて埋設されたる海底ケーブルは誰のためになんのために存在していたのだろうか。人をバカにするにもほどがある。津波被害に5億ドル供与・首相、復興首脳会議に出席 小泉純一郎首相は1日夜、談話を発表し、スマトラ沖地震の復興支援のため6日に東南アジア諸国連合(ASEAN)が主催しインドネシアで開かれる緊急首脳会議に出席することを表明した。談話によると緊急支援として当面5億ドル(約510億円)を被災国や国際機関に無償供与するなど「資金、知見、人的貢献の3点で最大限の支援」をする。 資金面のほか(1)インド洋地域の津波早期警戒メカニズムの速やかな構築のため、日本の技術を活用した関係国との協力推進(2)人的貢献として消防のヘリコプターの活用、自衛隊の航空機、艦船の追加派遣の早急な検討―も行う。緊急支援に加え、社会基盤などの復旧・復興面でも最大限の支援を行う。特に警戒体制の不備が被害を拡大した事情を踏まえ、首相は首脳会議で、18日から神戸で開催される国連防災世界会議で今回の地震に関する特別セッションを設けることを提案する。首脳会議は、インドネシアのハッサン外相が「国際社会の人道的結束」に基づきASEANと日本、米国、中国、韓国などに開催を呼び掛けた。〔共同〕 (22:16) 日本に、内閣情報調査室とかいう組織もポストもあるのならばそこは一体なにをしていたのだ。津波の発生をとめろなどというヤクザな要求をしているのではない。津波が発生したというのならば、その発生を検知した瞬間になぜに近隣諸国に対して通報できなかったのか?まさか津波は超音速のマッハ15で伝播するものではないだろう。せいぜいジャンボジェット機よりも少々遅い程度の速度で海上を伝わってきたはずである。また、海洋にはさまざまな運行をする船舶が往来しているはずなのである。それらは少なくともわが国の船舶や英米先進国の艦船であればこの津波に現地レベルで通報ができえたはずである。そもそも時速数百キロで海上をゆく津波が捕捉できず、これについての対処ができない国々が「北」が放つ音速のテポドンやノドンに対処できる筈が無い。日本国民は、この至極当然のことがどうして理解できないのか。少しは怖いという感覚をとりかえしてはいかがだろう。 「強いアメリカ」を標榜し、軍拡を実施。ソ連を「悪の帝国」と非難し、ソ連のSS20というミサイルに対抗して西ヨーロッパにアメリカ製中距離核ミサイルを配備します。それだけではなくレーガンは、宇宙空間からソ連のミサイルを打ち落とすというSDI(戦略防衛構想)に着手。これは、当時はやった映画「スターウォーズ」になぞらえ、つまり「滑稽な計画だ」と皮肉られたのですがスターウォーズ計画と呼ばれます。 また、グレナダ侵攻(1983年)、リビア爆撃(1986年)など、軍事行動も行い、各国、とりわけ第三世界と呼ばれる地域から不信を買います。とはいえ、それ以上には拡大せず、意外と軍事介入には慎重ではありました。ただし、イラン革命の後、イランと戦うイラクのフセイン大統領に対し、ラムズフェルドを大統領特使として派遣し、支援の意を表明(イラン・イラク戦争)。武器も与えていくのですが、もくろみが外れて、湾岸戦争、さらに先頃のイラク戦争へつながります。この記事は、クリックして貰えれば分かるようにジョージ・W・ブッシュの話ではない。ことは20年も前に69歳で大統領に就任したあのレーガン大統領の話である。今回2004年の末において、まさか宇宙から地上を監視する軍事衛星などの先進的な機構やシステムの装備品が存在しませんでしたとか宇宙から地上を監視する軍事衛星の精密観察が起動しておりませんでした、などとは絶対に言わせるつもりはない。その証拠に、ブーケットに向けて津波の巨大な規模をつたえる衛星写真は多数報道されているのだ。私は理不尽な怒りを述べているだろうか?(クリックでジャンプします)
2005年01月02日
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謹賀新年「冬が来た」 高村光太郎きっぱりと冬が来た八つ手の白い花も消え公孫樹(いてふ)の木も箒になったきりきりともみ込むやうな冬が来た人にいやがられる冬草木に背(そむ)かれ、虫類に逃げられる冬が来た冬よ僕に来い、僕に来い僕は冬の力、冬は僕の餌食(えじき)だしみ透れ、つきぬけ火事を出せ、雪で埋めろ刃物のやうな冬が来た
2005年01月01日
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