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中国語で良縁を結ぶ仲人を紅娘 Hong niang(ホンニャン)と言うそうです。ボクたちがその紅娘になるかも?というような話。先日上海に社員旅行で来られたK社長の社員の「お嫁さんにどうか」とガイド補助のPさんにご指名がありました。Pさんは、通常ある不動産会社で日本人向けアフターサービスを担当されています。じつはその週Pさんは、仕事のことで会社の社長(日本人)からずいぶんこっぴどく注意されていて、少し元気がありませんでした。といっても、Pさんが日本語で「濡れ衣です・・・」と言うように、Pさん原因の問題ではないことで、叱られていたのです。その会社の同僚の日本人が「あんなにPさんのことを叱っていたら、Pさん、思いつめて自殺してしまうかもしれないですよ。」と注意を勧告したそうで、今週は何も怒られなかったそうですが、Pさんは「そんなことで私は死にませんよ。」と さすがキッパリ言うところが中国人らしいとも思いました。さて白羽の矢が立ったPさん、数多くの中国人に触れてきたタイタイが「この子だったら・・・」という思いで、仲良くなっている女性です。タイタイは彼女から中国語を、彼女はタイタイから日本語をとお互いに学びあっています。面白い縁で、思わぬ話が舞い込んできてPさん驚きっぱなしでしたが、上海に来ていちばん最初に手がけようとした「互助会サービス」のような結果になるかどうか・・・。「誰かいい子いませんかね~」と言いますが、これからも時どき こういう話があるのでしょうね、たぶん。
2006.09.30
先日 日本人Fさんから電話あり、日曜日の礼拝に参加したい、という旨をいただきました。それを聞いてボクもタイタイもこころの内から歓びが湧いてきました。この感覚は、じっさいにじぶんが体験してみると、何とも表現が出来ないほどのうれしさですね。なぜか、夜通し興奮して眠れず、ほとんど寝ていないまま、朝まで「半祈り」の状態でした。一心に励む方は、夜を徹して祈るとか、何度も聞いてはいましたが、あの嬉しさが感謝に変わって、そのことを治めるのに祈るような感覚でした。Fさんは マツダ・ミヒロさんの歓迎会でお会いしてからの接点で、通常ほとんどコンタクトらしいことはしていなかったのですが、だいぶ前に信仰を持たれて、台湾、そして上海と活動拠点を移されました。少し前に、ボクがそのことを匂わせる話をしていたら、久々に上海の国際礼拝堂に行かれて、「やはり、日本語で説教を聞いてみたいです」と言われていましたので、機が熟したのでしょう。ボクたちには、ひとに影響を与えるようなことは何もできません。ただ、こういう異国の地でそういう環境があり、真理とは何か?をたえず学べるきっかけができれば、とだけ考えています。
2006.09.29
星飛雄馬が父一徹に大リーグ養成ギプスを強制着用させられたおかげで、筋肉は鍛えられ、それを外したときに恐るべき速球や魔球を投げ込むだけの体力が形成されたように、中国で多少不便な生活を要請され続けていると、ほんの些細な快適さもエラく快適に感じるものです。そういう不利な境遇というか、負荷を課すのも「幸せ感」を10倍にも100倍にも拡大させるのに案外良いものです。それを思うようになったのは、先に上海在住10年のIさんにお会いした時、「『日本に戻って仕事やりなよ、きっと上海で10年もやってこれたんだから、日本の方が楽だよ。』とみんなに言われているんですよ。』ということを聞いたのと、たとえ、「あられ」一個でも 日本の食品をいただくにつけて、「何て美味いんだろう」と極めて微妙な味の違い、包装など心配りの違いにありついたときです。中国のものも「食べられない」わけではないとはいえ、日本のものを経験している人からすれば、「段違い平行棒」の衝撃といえます。中国人の友人によく言われることは、中国から日本へ行き生活することはそんなに難しくない、なぜなら サービスが遅れている所から進んでいる所にいくのは「憧れ」すら携えて行けるし、ちょっと働くことができさえすれば、お金にも恵まれる、でも その逆は10倍くらい大変。生活が不便になるし、ガマンの連続。中国人はマナーが悪いし、外国人だからといって気遣いをするわけでもない、むしろどうやって騙してやろうか、と狙っているヤツは日本の比ではない。はたして、日本からお越しのT社長とMさん最初のホテルから次のホテルに移動される時、少しランクアップしたお蔭で「とびきり」快適な気分を満喫できたとか。でも、だからこそ、、、、という動きもあるのです。最近愛読している「荒野の泉」(カウマン)にはこうありました。「困難は奇跡の前提である。そしてそれは奇跡の最初の段階である。もし、それが大きな奇跡であれば、その条件は困難どころか、むしろ不可能事である。」と。奇跡とは大きな、劇的な出来事だけを指すわけでは毛頭ありません。ただ、自分の人生にひとつずつ小さくとも深く味わえるクサビを打ち込むことです。ボクにとっての中国生活の不便さは、その「養成ギプス」になっているようです。
2006.09.28
英語でローリングストーンとは偉大なロックミュージシャンの名前(複数形)になっていますが、直訳すれば「転がる石」でことわざ「転石コケ(苔)を生ず」もこのローリングストーンがそのまま使われます。その「転石コケを生ず」は「イヌも歩けば棒にあたる」というような意味です。でも、日本語で「転石コケを生ずる」はあまりいい意味では用いず、英語では いい意味で用いるのだ、というエッセイを 高校時代に読んだのをうろ覚えしています。ひとが何か動き始めると 日本人は 悪い出来事が起こる方に解釈し、欧米人は いいことが生じる方に捉える違いです。同じような表現でも、それが使われる地域によって、意味合いが違ってしまうのが、地域性の地域性たるゆえんです。さて、上海で折に触れてお世話になっているLizさん のブログに 「赦せない日本社会の圧力」ということについて以下のようにコメントしました。・・・「本質以外は寛容であれ」とは、先達の教えですが、過ちや異端は絶対に赦さない、という日本社会のプレッシャーが、元気さを取り除いているのでしょう。日本以外では「Noプロブレム」や「没問題」を多用するのは、人間は過ちや失敗を犯すものだ、という暗黙の了解があるからで、日本のシステムのように、「うまくいって当然、できないと激しく厳しく問題を追究する」というやりかたとまるきり違いますね。・・・それはボク自身のいまのビジネス展開を正当化するための言い訳でもあるわけですが、あまりにも「やるせないニュース」が連日あります。今日も「太陽がくれた季節」で知られるフォークグループ「青い三角定規」の元男性メンバーが先の酒気帯び運転逮捕に気を病んでか、飛び降り自殺した、というショッキングなニュースがありました。「団塊の世代の人たちに、自分たちの歌でエールを送りたい」と新曲発表で意気込んでいたという時だからこそ、なお更です。ボクはこちらに来て 団塊の世代と呼ばれる方々と 接するチャンスが増えました。今まで頑張ってこられ、また これから先 どう進むべきか思案されている方々が多くおられます。ひとがいったん動き出しますと、過ちも起こすし、いい面だけで万事が進んでいくとは限りません。それを 人生の転がる中で コケが生じて 「コケ」た、と悪い視点だけで見つめるか、国歌にさえある「コケの生(む)すまで」と永遠の繁栄の視点で見つめるかは、まさに「♪君は何をいま見つめているの?」で決まると思います。「飛び出せ青春」であったはずなのに、「飛び降りた団塊」が激増とは 何ともやるせない・・・。絶対的な逃げ場が必要ですね。
2006.09.27
中国語で開門見山(カイメンジェンシャン)、「門を開けたら、山が見える」とは、「単刀直入」というような意味です。日本で生活しているとそれが当然なので、気づきませんが回りくどい言い方が多い日本語からすると、中国語の「簡潔さ」には非常に戸惑います。この「開門見山」が中国人の平均的な感覚のようです。この感覚を身につけるには、モノの要点をズバリつく習慣が必要です。一般的な日本人は意思表示をハッキリすることよりも、事をうやむやにすることを好みますので、(周囲にあわせるというか)この瞬時の決断が そのまま言語に落とされた中国語が ちょっとダイレクトすぎると感じることがあります。でもYESはYES、NOはNOとはっきり明示することがとても大事です。日本語と中国語のコンパーチブル(相互互換性)がスンナリいくことが中国とかかわる上での事業の基でもありそうですが、そこがうまくいかない。そこがミソですね。
2006.09.26
パソコンにウィンドウズをインストールすれば、ウィンドウズが画面に現れ、マックは出てきません。入れたものが出てくるのが世の倣いです。つい最近のニュースで「上海のパジャマ」姿をどう思うか、 が話題になっていました。ボクも昨年の7月にブログに書きましたが、 「どうして上海人は街中をパジャマ姿で歩くのか」は根強く抱いていた疑問でした。それを中国在住10年選手の方々数名と食事するチャンスのとき、質問として投げかけましたら、意外とスンナリ理解できる回答が返ってきました。「上海人は パジャマを寝るときに 着ないんです。寝るときは、パジャマを脱いで寝ます。当初、パジャマやネグリジェを売り出したとき、これは外に出て行くときにちょうど良いよ、という宣伝をしていた。」と言うのです。つまり、パジャマ、ネグリジェ=睡眠着 ではなくて、=外出着 という初期設定があったのです。寝るときに脱ぐ、というとあらぬ妄想も描けますが、「下着で寝る」わけです。モノが販売され始める時、最初売り出したときに他国や他地域で認識されていることと違うカタチから入ると、まったく違う使用方法でモノは普及してしまうということです。これは最高の服で、こころが澄んでいるひとでしか見えませんよ、と「裸の王様」では仕向けられました。こどもは「王様は裸だ!」と言いのけました。でも、だれかがパジャマでオモテを歩くのは「ハシタナイ!」と言ったとしても、「オモテを歩くに堪える」ゴージャスなパジャマになってきてもいますので、たとえ「睡衣」と中国で翻訳してあっても、あくまでも「寝る前の準備服」としての地位は揺るぎないものとなっているのです。
2006.09.25
さて、LGタイタイは 日本に8年いましたが、それだけの歳月があったから日本語があれだけ流暢になったのか、と思いきや、さにあらず。いまでは想像できませんが、滞在期間中は、ほとんどしゃべれなかったのだそうです。中国に引き揚げてきて日本語学校に入り、隣に日本人がいていつもいつも日本語を聞いていたから、グングン伸びたのだそうです。この話は意外でした。それまでの下地、準備時間というのがあります。目に見えてオモテには出ないけれども、着実に地下に染み渡るようなそういう段階。語学ではよく聞くことです。でも、急に美人になったな、とか急に強くなったとか、他の出来事でも時に見られます。テレビで昔の巨人のエース、スタルヒンが旭川でまだ高校生だった頃にグランドで投球練習していたら、ある日突然 球が速くなった、という証言を当時のキャッチャーが回顧していたのが忘れられません。そんなことがあるのかと。でもチャクラが開く、というか何かがフッっと、そう つかえていたものが取れて広がっていく ような話の一種なのでしょう。こういう思いがあるのは、ボク自身のそういう願望があるからに他なりません。
2006.09.24
時どきマイクロバスの手配もして観光のお手伝いをしています。 今回お願いした強生という会社の運転手Cさんは、この道30年の大ベテランだけあって、モノの見事な運転ぶりでした。観光バスの場合、運転手がいいと「百年の豊作」のような気分です。期待以上の運転手にうれしくなりました。行程表を中国語で細かく翻訳してくれたYさん、そして補助ガイドをしてくれたPさんにも感謝です。わずか一日で上海を周るのは度ごとに楽しいことであり、難しいことでもあります。豫園が想像以上に混んでいて、ひとり逸れるというハプニングや、お昼の食事の間が空き過ぎたようなこともありましたけども、総じて、特に雑踏の上海をうまく通り抜けて周れたのでは、と思いました。食事の内容は、昼、夜ともに問題なしでした。お付き合いしていただけたK社長の社員の方々ほんとうにありがとうございました。さて、こんどは業界研修のツアーがあります。設定をもう少し変えてみたいと計画しています。
2006.09.23
安倍首相になると、久しぶりのファーストレディになります。安倍氏の系図はご存知のとおり、すばらしく華やかなものです。奥さんはまだ40代半ば。森永製菓の創業一族のご令嬢で、・・・ということは「天使」の御使いが首相の身近にいて「いつでもいつでも眺めてる」という先にブログに書いたとおり、 森永エンゼルの歌の通りに首相の一挙手一投足を見守っていくのかもしれません。靖国に参拝するのか、はたまた教会で祈るのか・・・?・・・それはないかな。テニスのマイケル・チャンといえば、 中華系で初めて4大タイトルを (1989年フレンチ・オープン)制覇したプレーヤーで、小柄であるにもかかわらずハンディを乗り越えて、大型の欧米のプレーヤーに負けぬファイトで闘ったことで、とても人気がありました。そのチャンはいま引退して、伝道者として世界中を駆けめぐっています。この春、マイケル・チャンが上海に立ち寄った際、知人の華僑Xさんを通して、友人Sさんにも食事会に出席され、あかしが伝えられました。チャンはあの優勝した試合で、試合中に「主」にお祈りしたことを話しました。「もう、これ以上どうにもこうにも動けません。前にも進めず、後にも行けません。」そうしてベンチで汗をぬぐっていた時、「勝負の勝ち負けは、わたしが決めることです。あなたは、あなたのベストを尽くしなさい。」というどこからともなく歓声とは全く違う声がはっきりと耳に聞き取れたそうです。押されていた試合でしたが、その言葉で息を吹き返したチャンは、この後逆転をして、フルセットの末、栄冠を手にしたのです。人智でどこまでできるか、いつもオマエはベストを尽くしているのか?ボクは 苛まれています。「やるだけのことをやって」あとはお任せにしていきたいものです。「人事を尽くして天命をまつ」とはよく用いられる言葉ですが、これにも原文があるそうで、「まず、天命に従ってそののち人事を尽くせ」というのように順序は逆がほんとうの意味だそうです。チャンのあかしは、事の成就の寸前で、まさに この順序になっています。
2006.09.22
さて、Gさんは そんなに熱心な信徒ではありませんでした。何をもって熱心か、そうでないかはボクもよくわかりませんが、その彼女にふしぎなワザが強烈に現れたのです。息子がどうにか立ち直れるようにとの一途な思いだけでした。彼女は キャンバスの前で お祈りをしていると、体中が歓びに満ち、踊りだすというのです。そして、その踊りとともにインスピレーションで湧き上がったイメージをそのままキャンバスに表現するのです。絵を何も知らなかったオバちゃんが、絵を描いて多くのひとに感動を伝え、今では 福音を伝道する「手段」になってもいます。最初はLGさんがGさんに述べ伝えていたのに、いまでは彼女がLGさんに教えているほどです。あの熱心ともいえなかった一信徒が、いまではたくさんの会衆を前に福音を述べ伝えているのですから、「後のものが先になり」とはまさにこのことです。彼女の説教のパワーがあまりにも迫力に満ちているので、その熱にあてられて、参加しているノンクリスチャンですら圧力で倒れてしまうほどです。群集心理などでよくこういうこともありますが、彼女に起こった突然の異変。立派な画集も出版されていますので、その偽らざる証拠がいつでも手にとって見ることができます。引っ張りだこになった人気画家の彼女は「上海の青山」(洋服の青山ではありません)とも呼ばれる「衡山路」の一角にアトリエ兼自宅を構えるまでになり、中国人の友人Yさんに向っては「あなたはローンがあるので、わたしが払います」と食事や何らかの出費の時には全てを負担する始末。こんなこともあるのか、というほんとうにふしぎなあかしです。
2006.09.21
上海人Gさんは、自閉症の高校生を持つ悩めるお母さんでした。ゲームにのめり込むあまり、外界と断絶したままの息子に憂い、LGさんのお宅に尋ねてきたのはそれほど昔のことではありません。もともとそれほど繊細ではなく、典型的な?粗雑な上海人オバちゃんタイプのGさんでしたが、LGさんの浮世離れ?した説教に違和感を覚えながらも、すがる思いでお祈りし、しばらく時が経ったある日、「天からのお告げ」?(よくありがちな逸話ですが・・・)がありました。「いますぐ筆を買ってきて、絵を描きなさい。」それまで油絵を書いたことも、そもそも絵を楽しむような趣味も何もなかった彼女が、いきなり画材店に飛び込んで、「絵を書かなければいけないので、筆と絵の具を下さい」と訳もわからず画材を用意し、帰宅してすぐにキャンバスに描き込みました。彼女は、ほとんどじぶんの意識がないままに、一心不乱に作品に打ち込みました。さて、そんなことが数ヶ月続いたころ、彼女はその絵をある場所で披露しました。それを見た友人たちは、ビックリしました。まさかその彼女が絵などを描く趣味があるとは。さらに、その絵が とてもその本人が描いたものとは思えないほど、すごいエネルギーを放っていたのです。そのウワサは、すぐに上海の美術関係者の耳元まで伝わりました。ほとんど、だれもその出来栄えの凄さにど素人の彼女が描いたものとは信じられませんでした。彼女は、評判が評判を呼んで、とうとう個展を開くに至りました。たまたまそれを見学に来ていたアメリカ在住の中国人がその絵に強烈に惹かれて、どうにかアメリカで個展ができないものか、と人を通じて宣伝し、とうとう ニューヨークのかなり有名な美術館で中国人女性としては初めて個展を開くに至りました。ここまで来ますと、自閉症の息子さんも以前のままではありません。いつの間にか、その話題も出てこないほどお母さんが 各地で引っ張りだこになってしまったからです。 (つづく)
2006.09.20
これでも2年上海に住んでいますので、完璧でなくとも中国人たちが何を話しているかは、少しでもわかる機会が増えてきました。いつものスーパーに買出しに行きますと、先方でオバちゃん従業員たちが手持無沙汰で駄弁っています。タイタイは「この間、あの人たち、わたしが姿を見せるや、ター(彼女という意味=女ヘンに也)来了!と言ったあと、何だかんだ話していた。」と言いました。いつもそこの食パンのコーナーでタイタイは3キン大きな食パンを一気に買うのです。それを吟味して買うお決まりの行動パターンが毎週一回ありますので、「あっ! 彼女が来たぞ!また、パンを3つ買うだろう」など内輪で話していたのでしょう。この食パン、ほぼ毎日昼食のサンドイッチ用に買うのですけども、一斤 3.5元(50円程度)でとても美味しいのです。2年前に上海に来た時には庶民レベルのお店で販売しているものは、とても食べられた食パンではなかったのです。味はドンドン良くなっています。
2006.09.19
週明けの上海本土市場の株式相場は、後場になってAB株統合のうわさが火付けとなってB株が急伸しました。ほぼ全銘柄が9%高以上で、指定構成銘柄の半数以上がストップ高。STも5%のストップ高でひけました。およそ、5月から3ヶ月ジリジリ上下していたB株。きょう一日の急騰で下げる前のレベルにほぼ戻ってしまいました。B株制度の改革は間違いなくこの年度内に推進される話です。こういう政策的な出来事は織り込まれていましたが、しばらくするとすぐに市場の話題から去り、そしてまた忘れたころに今度は現実味を一層帯びて復活してきます。その他に周小川・総裁が人民元の為替レートの変動幅を拡大する用意があると発言した要因もきょうの相場を刺激したようですが、なんと言ってもAとBの株価の調整は関心が高まるところです。きょうのような日が突然やってくるのが中国株の特徴です。なので、「寝ていた龍(虎)が目を覚ます」という表現がピッタリくるのです。こういう状況だと、B株に定期的に投資されている方は一気に利益が膨らんだでしょう。ボクは意見を聞かれると応えることは、「チャンスが来るまで少しずつでも買いつづけると、チャンスがほんとうにチャンスになるのが中国株」ということに尽きます。「黄泉に下り、3日目によみがえる」イエスさまではないですが、地獄に落ちていくようなときに耽々と仕込んでいくのが報われる可能性が高いのです。モノは安く買うことに抵抗はないですが、カブは安く買えるときには、なかなか買えないものですが。
2006.09.18

敬虔なクリスチャンとして知られるメル・ギブソン監督の話題作 映画「パッション」のDVDをお借りして見ました。パッション、それはキリスト・イエスの受難を言います。この映画は、大部分が4つの福音書をベースに脚本が作られていますので、聖書に日ごろから親しんでいる者にとっては、ときに忠実な記録フィルムに錯覚してしまうほどかもしれません。メル・ギブソンは「マッド・マックス」で一躍大スターにのし上がりました。第二次世界大戦に召兵されるまでお父さんが神父になるべく勉強していたというほどの熱心なカソリック教徒で、その影響があったようです。でも、メル・ギブソンは映画俳優という本業に35歳くらいまでのめり込み、ほとんど信仰を抱いていなかったようです。ですが、ある時期 そんな大スターにも行き詰まりがやってきたのが、きっかけで信仰を抱くことになり、今では自宅近くに 礼拝堂を持つほどの信徒に変身したようです。彼は、この映画を「聖霊に導かれて描いた」と語っていますが、この言葉まさにクリスチャンの「業界用語」ですね。映画の描写は、とてもナマナマしく、イエスがどれだけ過酷な磔の刑でひとびとの罪を贖われているか、が残像となるのは難くないものになっています。また、役者のセリフが当時の言葉「アラム語」 そしてローマ帝国の軍人は「ラテン語」ですので、とてもリアリティをもって、うったえてきます。ボクは残酷に殺されるシーン自体では、泣くほどにはなりませんでしたが、時おり挿入される回顧シーンでイエスが民衆や使徒たちに「福音」を述べ伝えるシーンではジーンと胸に伝わるものがありました。いまローマ法王の発言できな臭い話も噴出しているキリスト教周辺ですけども、だいじなのは宗教団体ではなくて、イエスに対する信仰であります。
2006.09.17
土曜のビジネスマンの集いは、毎回毎回 本音で交流し合える貴重な機会です。門外不出の内容なので、ブログでは詳細に書き残せませんが、オトコだけの語り合い、はこの場にあって各自 気分を発散させるものになっています。テーマは聖書から逸脱したものでも何でもかまわないのですが、ベクトルが同じ人間同士での集会ですので、結果的に「聖書」の内容に終始してしまいます。というよりかは、聖書に世の中のほとんど全てのテーマや事象があると言っても言い過ぎではないということなのでしょう。今回のテーマはズバリ「姦淫について」。特に夜の活動が華やかなこの上海で、このテーマはタブー視されつづけています。ですが、人間社会にあって、永遠のテーマであるし、各自だれであれもっとも気になっていることの大きな問題なので、このことを論ずるのは 素晴らしいことでした。上海に溺れる、という話は後を絶ちません。おそらく日本よりも性の解放、自由度が実質大きいとさえいえます。この罠に(サタンの誘惑)はまって、家族崩壊やら、刃傷事件なども耳をふさいでいても入ってきます。あまたあるカラオケやらサウナ、マッサージやお茶屋さん、どこにでも罠はあります、というかじつは罠の中に生活しているというくらい「広き門」です。まぁちょっとくらいイイか、は晩稲のボクですらアタマによぎるようなものです。けっきょく「危険地帯」には近づかぬことではありますが、巧妙に危険が隠されていますので、勘違いしないことですね。ここはとても勘違いしやすいところですので。
2006.09.16

トウ小平の足跡が詳しく描かれた絵本を購入してみました。トウ小平の肖像は、ボクがむかしよくお世話になった長野県のある地方都市の中華料理屋「天国」の主人に非常によく似ています。この絵本は、明解な本文に全てピンイン(中国語読みの表記)がふられていまして、子供向けなのですが、ボクの中国語の読みの楽しみにはちょうど良い内容です。何度手がけてもまた挑戦する忍耐力とか、希望とかは一体何から生ずるのでしょうか?たとえば、名作「カモメのジョナサン」はじつに60回も出版社に断られたあとに日の目を見た小説です。また、スタローンの映画「ロッキー」も何回も断られた以上にまったく相手にされない作品でした。モンゴル帝国を創建したチムルの逸話も有名です。あるとき、敵から逃れて壊れた建造物の中で身を潜めていた若きチムルが、アリがモノを運ぶ様をじっと観察していて、ある難所を59回トライしてもダメだったのが、60回目にして乗り越えたとき、ひとつの啓示を得たのだといいます。前にこのブログに書いたあの、リンカーン大統領はいろいろな試練がフツウ以上にあったのですが、それは 人間として よく整えられるためでした。彼は、論的スタントンから 大統領選挙公開討論会のとき、そうとう罵詈罵倒で攻められました。かなり生理的なことまで踏み込んで、否定されたようです。ただ、リンカーンが当選した暁にそのスタントンを陸軍大臣に迎えたといいます。リンカーンは「いまの政治にとって必要な人間を採用したまでです」と語ったそうですが、リンカーンが暗殺されたとき、スタントンは悲嘆に暮れて、棺の前に一昼夜立ち尽くしたそうです。「世界史上最大の 真の指導者が横たわっている」スタントンは そう周囲に語ったそうです。忍耐力や希望は、にわかに理解しがたい深い意味を周囲に知らしめるために沸いてくるのかも知れません。3度政治的に大きな失脚をしたトウ小平もそんな指導者のひとりといえましょう。
2006.09.15

友人の中国人YさんにはGWのとき中国国内向けのビジネス協力で打ち合わせをしてもらいましたが、その後計算して利益があまり見込めないのと、 不良在庫の発生のおそれがあるため、頓挫していました。でも、あるビジョンが思い浮かび、彼女とともにある企画を推し進めるべく一歩を歩みだしました。あまり悠長な時間はありません。焦りもありますが、これは必ずカタチにしてみたいと念願しています。また、昨年暮れから進めている内装の案件は 進んでいますが、やはり 専門業者が中国側に常駐していないのが根本的な問題となって双方の見解が食い違い(このことは最初から指摘されていますが)満足なものができないまま、ズルズル今年も暮れまでに完成するか?という感じが続いています。さらに、ある飲食のためのテナントの件も、こちらにイニシアティブがないと、ほとんど空回りのまま時間だけが過ぎていく、ということになっています。これらの数件だけをみても、いかに日本でならOKなやり方や手法がこちらではあてはまらないか、が良くわかりますが、まず 何事も出来上がりのイメージが鮮明でなくてはいけません。あと、やはり表面的にではなく、こちらになるべく長くそして深く居ないと本当の意味でスタートも切れないのだけは確かではないか?ということです。お会いしてきた 大きな販路と資金を持った多くの担当者がそれでも苦闘しているのですから。 Yさんの新居にしつらえた小さな畳の間。懐かしいニオイで安らぎました。
2006.09.14

きのうはサンマを取り上げました。きょうは、タイタイがある日本人のお宅からいただいてきたイワシをいただきました。じつに何年ぶりかの味です。日本だと安くてバカにして食べないようなイワシです。でも、ふつうの上海の街中では売っていませんですから、たいそう貴重な味なのです。さて、このように ひとは「立場」(いまある場所)によって価値観が変ってくるものです。9.11といえば、世界を震撼させた同時多発テロの勃発の日でした。あの日、ボクらは米沢店をオープンさせるために、市場を視察しに行き、帰り栃木県日光にある同業者の店に立ち寄って、大型台風の中フラフラになりながら千葉に戻ってきました。次の日、朝早く店に行き、準備をして10時のオープンを待ちました。そこへ常連さんのAさんというお客さんが息せき切って店に入ってきました。「店長!! スゴイよ! スゴイもの見つけたよ!」マニアのAさんは、手にそのスゴイやらというものを携えてボクに見せます。Aさん 「ほら、このスペクトルマンの絵本と 魔法のマコちゃんのノート、スゴイでしょ。」ボク 「ほほう、スゴイですね。よくこんなの見つけましたね。」Aさんは、これらのものを見つけた経緯と喜びをしばし語りつづけました。ボク 「いや~、きのうの台風スゴかったですね。 東北自動車道の福島付近の川があふれそうでしたよ。 きのう夜遅く戻ってきたので、少し疲れていますよ。」Aさん 「そうでしたか。 そういえば、アメリカスゴイですね。」ボク 「えっ、何が?」Aさん 「え、 あのビルに飛行機が突っ込んだヤツですよ。」ボク 「それ何ですか?」Aさん 「えっ、知らないのっ! いまアメリカ厳戒態勢ですよ。 映画みたいに。 ボクなんか ニュースあさの4時まで見ていたから、いま眠いんですよ、 そういえば。。」ボク 「ていうか、その話から先に行ってよ。フツウその話が最優先でしょ!!」(ぎゃふん)ボクは前の日遅かったし、この日は朝早かったのでテレビもラジオも見るヒマがなかったので、同時多発テロの起こったことは、知らなかったのです。でも、マニアっていうのは面白いものですね。価値観の順序が変わってきますもの。スーパーで買った量り売りのビスケット。ちょうど9.11元でしたので、留意の意味をこめてパチリ。
2006.09.13

「秋刀魚の味」とは小津安二郎監督の傑作ですね。秋の刀の魚とはうまく表記したもので、中国語も同じ表記です。秋風が吹いて、長袖でないと風邪を引きそうなくらい、にわかに寒くなってきた上海。この季節、日本人ならサンマが待ち遠しい食材のひとつです。でも、とうとう上海にもサンマブームが到来しているようです。とある食品街では、このようにサンマを鉄板の上で焼いて、定食に盛りつけます。ベニ花かステーキホリタンのようです。この写真を撮った後、店内監視人に注意されました。撮影禁止ですと。それはそうと、胡椒か薬味をまぶすものだから、周囲のひとは皆ハクショ~ンと クシャミにうながされます。中国では魚を蒸すとか、煮る料理は多いですが、「焼く」というのはポピュラーではありませんでした。でも、この香ばしい焼き魚のニオイに誘われて次第に焼き魚ファンも増えていくでありましょう。ちなみに以前は焼き網をほとんど見かけませんでしたが、最近は大きなスーパーでは売られ始めています。あながち、魚が足りなくなる!?と危惧されているのも、間違いではないでしょう。
2006.09.12

ボクらの千葉にある家の玄関には、屏風が飾ってあります。この屏風は、結婚記念にふたりで表参道の「富士鳥居」という骨董、アンティーク屋さんへ行って注文作製してもらったものです。玄関の灯りは池尻大橋の家具屋「Globe」で見つけたものです。当時、ボクらは 趣味でよく骨董屋に行ったり、美術館に行ったりしていました。ボクは当時 ゴミ箱ひとつでも買うのに何件も回るほどの凝り様(ヒマジン?)でした。いまはそういうゆとりは無くなっていますが、ボクは特に「書」が好きで、じぶんでは書かないのですが、眺めているだけで、とてもいい気分になります。いまは 書の本場 中国に住んでいながら、上海博物館に書の作品を見に行ったきり、全然 芸術 骨董 書とは 無縁の生活をしています。そこへ先日、教会の日本人の方から卓上標語をいただき、書の芸術性と御言葉の力強さに毎日勇気づけられています。さて、書は筆の芸術です。最近、中国人も文を書くというよりもキーボードを「打つ」ので、字が下手になっているということを聞きますし、実際 変態少女文字のような丸文字のような漢字を書く若者も増えているのを見ます。でも中国語に無頓着な日本人なら、どんな標語であっても崩した漢字で表記されていれば、時として芸術に映ってしまうかも知れません。たとえば 「謝絶外帯食品包酒水飲料」(持込みダメよ)「保管好貴重物品」(貴重品に注意して)などさりげない標識でも、達筆なワザで書に表されたら、額に入れて飾りたい気分にもなります。そういう欧米人もひょっとしたらいるかも知れません。
2006.09.11

タイタイと午後待ち合わせをして、 豫園と新天地などを再調査してきました。日本からお客様が見えられるので、コースの確認と、食事場所、それにクルマの停車場所などのチェックです。何度訪れてもいつも工事しているし、ということは工事が終わってしまうと、前とはまるきり違う風景になってしまうので、事前に下見をしておかないと、思わぬズレを生じてしまうからです。なるべく いいポイントをうまくアレンジするのが ボクらの任務です。まず、事情通の知り合いから推薦された豫園にある食事場所ですが、ボクにはどうしても ナットクのいかない内容でした。上海に慣れ親しんでいる人ならば、こんなもんだろうな、まずまずの満足度なのですが、ほとんど初めての上海旅行の人たちにとっては、その改めて推薦いただいたところでも、もうちょいのレベルだと思ったのです。ボクはあんなもんだ、では基本的にイヤなのです。というのは、日本人が日ごろ慣れ親しんでいる味は本当に高レベル。一方、観光地の営業努力がイマイチな食事場所は割り高だけで、ほんとうに安くとも美味しいところは確かにあるからです。人は旅行した後花より団子、大概 あそこの料理はうまかった とか まずかったが思い出に残るからです。ボクは 過去20カ国ビンボー&贅沢旅行した経験から、ツアーのリズムを比較的心得ている方だと思うので、やはり ボクらのとっておきの場所でうまく調整したほうがいい、と考え直しました。新天地は コース取りにほとんど難しくないので、クルマの乗り降りの場所などを確認したまでです。ここはマンションが次々完成して、ほんとうにすごい場所になっていっていますね。ところが、ここに向う途中のバスの運転手のオバちゃんが携帯電話に夢中になってしまって、降車口を閉めずに走りとおしてしましました。これがその時のベストショットです。いい加減さもここまで来ると、愛嬌!?です。豫園の際を走る 河南南路は いま 道路拡張工事が始まりました。この旧住宅が いきなり マンションに変貌しますここにまた大きな商業ゾーンや娯楽施設がドーンとオープンする予定です。完成予想図豫園は、豫(楽しい)園(場所)、がひとつの愛称です。ここの周囲全体が、上海豫園旅遊商城股フェン有限公司として株式上場しています。主な業務は 観光地としての豫園の経営ですが、不動産業務全般、飲食、国内外の貿易、総合問屋など「花やしき」のようにアトラクションなど乗り物にお金をかけないで、そこを通ってお金が落ちるような実際的なものだけに多角経営しています。豫園の株価。これには助けてもらいました。。。ところでバスで陝西南路を豫園に向けて走っていますと、元 ニセもの市場があったところも 広い開発地帯になっています。でも更にしばらく走った建国路の手前の左側にも膨大な更地が広がっています。上海のど真ん中に位置するココも、近い将来マンションができるようですが、ココは最高の立地のひとつかも。
2006.09.10

では、リニア的投資法(勝手に命名)においては、何が最重要なんでしょうか。上海証券市場の開場時から最前線で見てきたLGさんに言わせると、「じつは、頭がいいとかよく勉強しているとかは全然関係ないです。」「ふつう、新聞を読んだり、MACDを分析したり、チャートを研究したり、いろいろな本を読んだり、証券会社からの報告書を見たりして、判断します。」「でも・・・ 中国の場合、ほとんど それは 関係ない ということを市場関係者 みんな知っています。」「たとえば、こうしたらこうというトレードのルールを決めたがります。でも、ほとんどルールはないです。ないというか、じぶんの方針はあるけど、パターンは決めません。」「アメリカのある有名な投資家が、買う 待つ 売る、市場ではこのことしか必要ない、と言っていますが、じつは中国の株をやる人はこの考え方に非常に近いです。」つまり、余計なことは一切考えたり、推測したり、そういうことは全然考えない、と言うのです。「過去は まったく関係ありません。将来もわからない。だから 『今』。 『今』しか見ない。」でも、何も考えずに買うなんてことはないでしょう、との疑問に、「何も考えずに、買う人がいるのです。考えないで買う、そして少しでも上がったら売る、下がったら切ってしまう。」「なるべく 長く持たない という考えに徹しています。後に残さないようにする。日本に留学している時、すぐにわかったのですが、大概の日本人の考え方と 全然違います。」「ほとんどの投資家はパチンコと同じようにゲームとして考えています。ゲームなので切り替えるのが肝心。だから 訳わからず上がったり、 下がったりするのです。」「有名な評論家が 何か言ったときにそのアドバイス通りに するのが 日本人は安心します。でも、中国人は 言うことを素直に聞きません。極端に言えば、朝決まったことが夕方には変るようなこの国で、そのときそのときのじぶんの判断だけが大事で、それを妨害する意見もないのです。」確かにそんなような傾向はあるなぁ。売っちゃうか、買うか だけが命綱というわけです。それでこれからどのくらい成果があるのか、は未知数ですが、基本的には「寝ていた竜が目を覚ます」ようなものが多いですね。北京天橋というIT関連の最近の株価。全体の調整時に波乱の大暴騰が続きました。
2006.09.09

無錫の日本人総経理のHさんが、先日 日帰りで 「山東省までクルマで行ってきた」 と言っていました。片道7時間あまりで往復14時間。山東での所用は4時間ほどだったらしいのですが、こんな無謀なことをしていたら、身が持たないのでは。。。と思いきや、結論は「やはり、泊るべきだった。」でも、相当すっ飛ばしたんでしょうね。以前ボクらが 千葉から山形米沢まで およそ片道6時間かかってクルマで移動していましたが、(雪のときは国道経由で片道11時間かかりましたが。。。)無錫~山東間の移動距離はそれをはるかに凌ぎますからね。東京育ちのボクにしたら、じつは 東京から見た山形と岩手はほとんど同じような距離感だったのですが、住んで移動してみてその広さに辟易したものです。山形米沢から山形市まで1時間、そしてそこから天童や村山なども1時間、そこから岩手の盛岡はだいたい2時間半くらいはかかりますから、「東北」とひとくくりで言っても、まるきり違うものだ、と骨身にしみました。東京から出ないで生きていると、起きて半畳、寝て半畳の感覚で全て落着しますから、案外「偉大な田舎モノ」要するに世間知らず、で済んでしまいます。しかし、違う世間を知ること、この「地境の広がり」がとても深い経験と認識とをもたらしてくれます。何も山東までクルマで行かないまでも、じぶんの周辺だけでモノを考えてしまいがちから脱皮することは、非常にたいせつですね。一見近いようで遠いんです。山東省はだいたい北海道と同じくらいの大きさですので。下は香港まで。 やはり電車で片道27時間かかるだけのことはあります。
2006.09.08
LGさんがめずらしく奇声を発しています。どうやら運用をしている株式投資が、なかなか好調で「太好了!!」の連発です。ある保有銘柄の成績を見てみると、この一週間程度で50%も上げているものがありました。それに投資している額は個人投資家としては そんなに少なくない金額ですので、「これだけで 一年分の家賃になったよ。」と言うわけでした。LGさんはきのう今日で今までのマンションから引越しをしました。前のマンションは ボクのアパートの前にありました。でも、通気が悪いうえ、ゴミのニオイが循環してくるあまりいい環境ではなかったため、証券会社のもっと近くに転居したのです。その新しい年間のマンション家賃分に相当する利益だったわけです。こんなのばかりではないですが、長年 証券関係の仕事をされてきたLGさんにとってみると、いまは なかなかやり易い環境なようです。彼はもともと政府の金融政策担当者のひとりでした。上海の人気新聞も立ち上げ、いまの関わっている証券会社でも立ち上げのメンバーでした。ここの現場責任者は、LGさんの 元同僚です。LGさんの投資姿勢と 投資技法はボクにはなかなか真似のできるものではありません。判断がリニアモーターカーのように速いんです。任されて資金を運用されているのですが、自己のやり方が確立されていて、徹底的にじぶんの流儀に従ってやります。捨てる時は あっさりで、「投資でいちばん重要なのは執着しないこと」(福沢桃介)という先人の訓戒を地で行なっています。ボクも 現場を見つづけて約一年ちょっと。古本・ビデオ屋経営の時代も 一年半くらいからほとんど 正確に業界の動向がわかるようになった経験から、あと もう少しである程度の 技法はマスターできそうな気分でいます。あまり いい気になって突っ走らないように自身を諌めながら進むことにします。。。。
2006.09.07
急に秋めいてきた上海です。三浦綾子さんのエッセイ集を お借りして読んでいたら、関西学院創立の奇蹟にこころを動かされました。関西学院は関学として親しまれいまでは 関西を代表する学校法人です。きっと関学関係の資料には詳しく載っているのでしょうが、かいつまんで言うと、青年育成のための学園創立に向けて 海外から来たひとりの宣教師が関西に広大な土地を買い求めようと祈ったことから始まったそうです。異国の土地で何の資金のあてもなかったそうですが、この熱心な祈りを香港の金融業者が 夢まぼろしの中で聴きとめ、見ず知らずの この宣教師に送金してきた というのです。さらに、アメリカからも次々と 献金が送られてきたのがいまの関学の礎になった そうです。じつは こういったエピソードは多いのです。同じく関西私学の雄 同志社を創立した新島譲は 北海道からアメリカへ渡航中 「聖書」と出会い、創世記の一節を読んで ヒラメキを受け、同志社創立に至ったと言います。創立当初 生徒数は わずか数名。真理に根ざした 教育をめざしてその 勢いは拡大し、いまのような 大きな学園に発展していったのです。大和教会の 大川先生がわたしの祈りが ビル・ゲイツあたりにでもまぼろしで聞きとめてくれないかとジョークを飛ばされていたことがありますが、そういう祈りの気持ちは 別にクリスチャンだけの特権ではないでしょう。皆さんも 神仏に願をかけたことは人生一度や二度あるでしょう。ボクは祈れば どうにかなるものなのか、まったく わからなかった時代が何十年もあったのですが、祈りはだいたい 叶います。いつ それが叶うかは 聖書にはどこにも書かれていませんが、叶うということは、いまは信じられるようになりました。コージ苑という懐かしい漫画に「こんなに祈っても全然 神さまは返事してくれないじゃないか!!神さまなんかいやしないんだ!!」と言う主人公の嘆きに、神さまが天から降りてきて、「いまあなたの祈りは聞けないけど、いることはいるぞ」というギャグがありました。今思うと なかなか深いギャグです。 ・・・わたしの秘密を教えましょうか。わたしは祈ります。 (マザー・テレサ)日づけはハッキリとはわかりませんが、本の出版のめどがようやくついてきましたよ。。。
2006.09.06

今はですね、 ビジネス的な成果は何も出ていないんですが、周囲の環境が見事に整ってきたといえるのです。まず、精神的な土台として日々の感謝のお祈りの習慣と日曜ごとの礼拝。何よりタイタイが常にあらゆる点でサポートしていてくれる。そして、わずかの間に急速に深く親しく交わることができるようになった日本人駐在員氏たちとの得がたい絆。定期的ではないものの、日本からの訪問者と今まで培ってきたネットワーク。肝心の中国上海の ほんとうの「文明的発展」はこれからだし、ボクにとっては粋がってこの地で根づくだけの使命がありそうにも思えるのです。以前気になった 一人の若者が逃げる の意味がわかりました。まず、LGさんに尋ねたら、日本語で一生懸命説明してくれました。若者とはマルコ自身を指し、まだ幼くて 弱弱しい当時のじぶんの姿を 示している のだそうです。「日本のビリーグラハム」こと先日来海いただいた中野先生に再度確認したら、 その通りで、瞬間 瞑想されて 3ヶ所から その全体の意味を説き明かして下さいました。こんな詳細な質問にも 牧師先生は、すばらしく明快な回答を瞬時に情熱的に与えてくださるんですね。感服しました。まだ若く信仰があるかないかの頃は弱虫で 裸で逃げてしまうほどマルコは力のない 人間でしたが、時間を経て 後代に大きな影響をもたらす人物に変貌を遂げたわけですね。ほぼ毎日牧師でもあるLGさんより上海での生活の支柱を与えられ、こうして はるか海を越えて大きな伝道者の直の励ましを与えられているわけですので、非常に充実しております。森永エンゼルで有名な森永製菓の創始者 森永太一郎 は アメリカへ単独乗り込んだ際、行く手を阻まれたおり、クリスチャンの老夫婦に世話になり、福音を与えられ、日本で 耶蘇の菓子屋 としてリヤカーで 菓子を売り出した と言われています。ボクが子どもの頃CMで よく聞いていたフレーズ♪ だーれも いないと 思っていてもどこかで どこかで エンゼルがいつでもいつでも ながめてる ちゃんと ちゃんと ちゃんと ちゃんと ちゃちゃーんと ながめてるー そういえば 小学校の卒業記念旅行は森永製菓の工場でした。。。(お土産は キャラメルでした)そのキャラメルがちょっと前ですが日本人教会からプレゼントで与えられました。
2006.09.05
「かわいい娘には 足袋を履かせろっ!」とかいう アブノーマルフェチ系写真集があったような気がしますが、ノーマルな話として、近頃の若いお母さんに「かわいい子には ○させよ」の○の中に 適語補充させると、なんと 「楽(らく)」と回答するそうです。今回Sさんご一家が一週間上海に来られて、この時期 中国初上陸の経験は なかなか貴重なものになるのではないか、と思いました。Sさんご本人が大変好奇心と熱意が旺盛で、それに 巻き込まれるカタチで息子さん2人が 同行してこられたのですが、一方は K大学大学院生で 来春から M下電器に入社され、一方は W実業出身で W大学4年生。出版社に就職希望の お二人。性格も素直で、学歴的にも申し分ないお子さんとともに、中国に来られたのは、世界の動きを肌で感じる上で最後の親御さんの明確な教育だったかもしれません。さて、「フランスから来た男」とボクが称した 友人の日本人がついに 第二の母国語 フランス語を操るチャンスが突如めぐってきました。上海の日本人教会に 新しい方が来られました。ダンナさんの仕事の関係で、上海に来られて半年。お父さんが日本人でお母さんがタイ人のハーフ。で本人はフランス生まれ、でダンナさんは フランス人。子どもの日常会話が フランス語ということで、その相手になっていたのです。この場合、この子どもは 何人になってしまっているのかわかりませんね。本人は 日本で勉強されていたそうで、日本語の聞き取りは堪能である、だから日本人教会の説教に来られたのですが、しゃべりは フランス語のほうが 達者みたいで、誰かと中国語交じりのフランス語で電話していました。ところが 端はしに英語も飛び出します。本人は複雑ですので。。。とごあいさつされていましたが、非の打ち所のない複雑ぶりです。最初韓国人教会に問い合わせたと言っていましたので、顔つきからして韓国人なのかな、と思いましたが、ここまで振り返っても韓国の接点がないわけで、とても奥行きの深い人種の登場です。旅をすれば、違いがわかるわけですが、違いすぎるのはやはり 易々とは わかりませんね。
2006.09.04

J・ロジャー・ルーシー神父の祈りのことば。。。大事をなそうとして力を与えて欲しいと神に求めたのに慎み深く従順であるようにと弱さを授かったより偉大なことができるように健康を求めたのによりよきことができるようにと病弱を与えられた・・・・求めたものはひとつも与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた・・・・わたしはあらゆる人の中でもっとも豊かに祝福されたのだキリスト者になったからといって、何も俗世から切りはなれて生活しているわけでもなければ、驚くべき奇跡を現出できる能力を賜わったわけではないです。今までと同じように大胆な願いを立ててもたちどころに失望の淵をさまようような目には遇います。でも、「格段の豊かなくらしが望めない」という今の境遇であっても、冷蔵庫を開けたまごが5つきれいに並んでいると、ああ何だ こんなにたまごがあって幸せだ、と思えるのは じぶん的に すごい成長です。ボクは詩を好むわけではないですが、詩的な視点や雰囲気は好きです。詩人の金子光晴は 1930年代、上海に夫婦ふたりで 移住していたそうです。まるでボクらのように ほとんど何ももたず、文無し同然で 上海で生活していたそうですが、その当時の上海の雑踏、街のカオス、ニオイがたまらなく詩人の魂を揺さぶったようです。ボクも 大きな存在にふれる中で、今までの人生では味わえなかった豊かさを感じることができているのが じつにふしぎです。廉価なゲッペイの香ばしさですら、ボクの魂が満たされます。
2006.09.03

ボーンと 時おり大音響がこだまします。これは 爆竹ではありません。ポップコーンを製造している音です。油断して歩いている時に、ボーンと いうこの音に出くわしますと、肝が潰れてしまうほど驚くことがあります。玉米花(ユイミーファー)と言いますが、ポップコーンはちょうど 花が開いているような感じですね。ところで、ものを買うと袋に入れてくれますが、ずっと引っかかっている大したことない疑問のひとつに、なぜ 「コーナン」の 袋がよく用いられているのか、ということです。上海では九州のホームセンター「コーナン」のビニール袋をもった方をよくお見かけします。この前は BOOK OFFの黄色いビニール袋を持って歩いていたオバちゃんを見かて、非常に感激しました。学生時代に ネパールとインドの国境をバスで越境した際、ヤギを連れてバスに乗り込んできたオバちゃんの息子のシャツに 「くらし生き生き九州電力」と書かかれたその場所にあって意表をついた文字列を見て 眠気が覚めたものです。大げさに言えば、見慣れていたものを久しぶりに見ると、砂漠でオアシスに遇ったようなそういう感性になるのです。さて、昼休みの後、本好きのLGさんが また本を目一杯買いこんで部屋に戻ってきました。街角の本屋さんは、新古本をよく叩き売りしているので、とても安いです。袋を見ますと、「ドンキホーテ」とあります。「ドンキホーテ」は初めての遭遇です。こういうのはきっと、こちらで印刷した際に、余っちゃったものが流れているのでしょうかね。
2006.09.02

上海をかけずりまわっておりますと、舗装されていない砂利路や思わぬコンクリートの穴ぼこや出っ張り、それにひとに踏みづけられたり、蹴っ飛ばされたりで、靴の傷みが早くなります。現に、日本で買って履いていた黒い革靴と スポーツシューズがこの2年の間に 穴が開くほど消耗してしまいました。日本にいた時は 主にクルマで移動していたこともあって長持ちしましたものの。そこで 「Hot Wind」 (暑い風)という人気のカジュアルショップに帰りがけ立ち寄り、手ごろなシューズを入手しました。ここは靴で若者たちに大人気ですが、その他 衣服や アクセサリーも豊富に並んであって、価格は日本とさほど変らないにも関わらずいつも人で溢れかえっています。若者たちのファッションチェックにはここのスポットは一見の価値あります。アフターサービスが行き届いているのも人気の秘密です。この日は服飾市場がある七浦路へSさんご一家をご案内したばかりでした。ホントウは一日がかりで這いずり回っても大変な場所です。卸売市場なので、早めに店じまいをしてしまいますが、どうにかお目当ての品物をゲットしかも対価還価(価格交渉)をして初中国としては申し分ない結果。最終日の ボクらのお気に入りの瑞金 小南国での食事は 大成功。ホッとしました。 夜の小南国入り口
2006.09.01
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