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夕方からSさん親子を豫園にお連れしました。豫園は また改装がされていて、ますます店構えが洗練されてきています。夜まで待ってライトアップを楽しむのがオススメです。南翔小龍包のお店もいま改装中で、セルフサービスの小吃のお店に入ったのですが、相変わらず大雑把な味で 場所がここじゃなかったら、すぐ潰れるわい、と思いながら箸をつつきました。 クリントンもヒラリーもここで食べたとさ観光地の食い物屋は なぜ美味くないところが多いのでしょうか?豫園のハーゲンダッツや スターバックスでさえまずかったら 笑っちゃいますが・・・豫園はそれでも、上海の魅力が凝縮していますので観光には欠かせない場所です。そこから新天地へ向うのにボクにはめずらしく ヤクザなタクシーに捉まってしました。車内のシートが高級なのはいいのですが、メーターがタンタカ音を立てて上がる。アレよと言う間に 通常の倍の値段を請求されました。金満運転手の鼻歌のBGMは石川さゆりの「天城越え」です。最後の清算時に さらに倍に跳ね上がったら どうしようかと何が「天城越え」かよ、 と心穏やかな気持ちではありませんでしたよ。 ま、夜の豫園のタクシーはなかなかつかまりませんからね、仕方ないですが。タクシー会社はやはり信頼できるブランドに限りますね。新天地も、一段と華やかなイメージになっていました。あれだけ夕闇の中に欧米人がいたら、「外人の盆踊り大会」 みたいなものですね。 中途半端なお腹の調子だったので、最後に ワイ海路の 香港系のレストランへ入りましたが、ここも お世辞にもそんなに美味くはない。話の中でSさんのお子さんの長男大学院生Rさんと大学生の次男Mさん、ともにボクのオヤジの関わっている大学病院でお生まれになったということが発覚。奇遇です。最後の日は 「小南国」で勝負だ!!お願いです、オイシイものに出会えますように!!
2006.08.31
聖書には無限の叡智と恵みが散りばめられていますが、今では そのひとつひとつの感動を瞑想しながらじっくりじぶんの奥深くに入れる歓びがあります。たとえば、人間を「土の器」にたとえた御言葉も、ボクは非常に愛すべき箇所です。じぶんは 土でできた器にすぎず、その中を何で満たしているか、がそのひとの人生を決めていくというものです。計り知れない創造主の知恵とご計画は、人間の計算では到底わからないことばかりです。はじめに主を認めよ、という言葉が箴言にあるように、若いうちに いや 死に迫る間際であっても、わたしたちの認識をはるかに越えた存在を認めて、親しんでいくことは大きな意味があります。「霊」というと、世俗的な認識では あまりいい意味では用いられておりませんが、聖なる「霊」で、この土の器が絶え間なく満たされていくことが、大いなる恵みです。と、いうようなことを最近よく書くので、日系企業の女性総経理 Cさんと メールを交わしていたら、彼女は 上海に「天女」のようなものが存在しているイメージがわくのです。。。 という ご返事をもらいました。異国に暮らし、生活ていますと、五勘を総動員してコミュニケーションを取ろうといままで用いなかった部分を発揮しているせいか、インスピレーションというか、人間に誰にでも備わっている本性が露呈することがよくあるそうです。ボクが異国に来てそういうことに巡り会えたのは、特別なケースではないのです。
2006.08.30
この道を導いてくれた直接の人間は LGタイタイです。上海の右も左も、 片言の中国語も解さない外国から突然来た夫婦、それがボクたちです。会った瞬間に、LGタイタイは LGタイタイがその後じぶんでも振り返って どういうわけだか勝手に足が動いた、というくらいボクたちのためにアパート探しや 生活の情報、わずかでも生活の資を得るための道、など 朝に夕に 支援してくれました。ボクが やっと確保した新しい住居の門で 別れ際 LGタイタイに向かい「なんか ボクは あなたに会うために ここに来たような気がする」と思わず口から出てきました。要するに、まずLGタイタイに出会ってこちらへ参りましょうと、真の人生のガイドさんをボクたちの前に与えてくれたのです。LGタイタイは もともと身体が丈夫ではないので、真夏にアパート探しを手伝ってくれたこともあって、その後 しばらく立てないほど 床に伏す時期がありましたが、全てを投げ打ってひとに尽くすという母親にも似た愛情をそのとき味わいました。だからといって、LGタイタイもひとりの小さな人間ですから全てが完全ではなく、もともと 超エリートで 鼻柱が強く、驕る性格であったのです。それが、日本留学時代に 大きな死線をさまよう体験をして、新しい命を得、救われたことが彼女の人生の転機だったのです。ボクは彼女をよく知るにつけ、「このひとは もし日本で死ぬ、生きるの経験をしなかったら、決してボクらとは接点を持たないようなイヤ~なオバチャンだっただろうな~」と感じることがあります。そのくらい頭は切れるし、性格は強い。もともと病人、罪人 至らない人間、こういうひとが 救われて、今度は御使いとなって ひとに奉仕するのです。今では ボクもそういう姿勢でひとに接していくのが希望です。
2006.08.29
目を閉じて こころを落ち着かせ、何も考えないで一心に内なる声を聞こうとしました。あまりに雑然として整理のつかないいろいろな事柄で何が何だかわからなくなっていた、人生の最大の結論はこれでした。「お帰りなさい・・・」心の中に ゆっくり 「お帰りなさい お帰りなさい ・・・」という文字が ゆっくり流れていました。じぶんのアイデンティティを求めて放浪していた40年あまり・・・。この間にあったことは、いまから起こることの準備段階であることを自覚しました。たとえ嵐の中にあっても、失意の中にあっても必ず 帰れる場所があるのは何と 大きな恵みでしょう。始まりです。死んで始まる世界があるのです。・・・ 一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。じぶんの命を愛するものは、それを失うが、この世でじぶんの命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。 (ヨハネによる福音書 12・24 25 )きのうの写真やっとアップできました。西湖の様子 ぜひご覧下さい。
2006.08.28
Sさんご一家を杭州へご案内しました。ご宿泊先の錦江飯店から まず地下鉄一号線で上海南駅へ行きます。(地下鉄に乗せるのがボク流です)南駅に着いてビックリ!!(中国語で南駅を「ナンジャン」と発音します)いきなり余談ですが、中国人のLGタイタイに帰宅報告時、「南駅は すごく広くて 斬新なデザインで驚いた。ナンジャ、これは~ッ と思った、とダジャレを言いましたが、少し難解すぎたようで まったく通じていませんでした。 それはそうと、 南駅の列車ターミナルは まだ新装してほどないのですが、ドーム状の待合室の下にプラットフォームがあり、とても形容しがたい壮大な雰囲気でした。 さてSさんたち 出発が早くて、ホテルの朝食を食べ損ねたため、車内で 腹ごしらえのためカップ麺を 入れ込みます。こういうことでもないと、旅行中の上海でカップ麺など食べないでしょうが。。。列車は8時半に出発して 10時20分には杭州の駅に着きます。ボクの手際の悪さから、杭州に着いたあと、西湖までの タクシー バスを 確保できませんで、ようやく ちょっと高めの値段で ほとりの 楼外楼までたどりつきました。さて、楼外楼から 遊覧船に乗り湖の中に位置する 小島を散策しました。 この屋形船に乗って 2つの島をめぐり 帰路をいくつか選択できます。 直射日光が肌に突き刺さりますので、湖面からのさわやかな風に しばしホッとします。旧跡のあるエリアと このような発展している高層ビルの光景が交差しています。 島の内部には 清の時代の皇帝たちが 風雅を楽しんだ幾つかの庵のようなものが復元されていまして、当時を忍ばせます。湖上からの 六和塔の眺めもなかなか 風流です。当時の皇帝たちは 月光に照らされた柳の下でさざなみとたわむれる至極の夜を堪能したのでしょう。けっこう時間に追われてしまって、本来周りたい場所を2つ端折ることになってしまいました。少し遅めの「楼外楼」での食事。有名なお店で この日も待たされましたが、値段は 高めで、 味は 這可以(まあまあ)でした。この場所代なんでしょうね。 杭州からは 夕方4時20分の列車でトンボ帰りです。その途中で 目撃した杭州駅構内のひとの多さは、Sさんご一家 いきなり面食らったご様子でした。ひとが塊になっていて、広大な通路なのに足の踏み入るすき間もありません。これぞ中国のひとのパワーです。それでも、上海とは違った魅力をほんの一瞬でも感じていただけたかなと思います。上海に戻って、タイタイを合流させて評判の「火鍋」屋さんにご案内しました。これは 評判でした。まだまだ続きます・・・せっかく写真を載せようとしているのですが、なんか 機能がまた変わって載りません、、、そのうち載るかも。。。
2006.08.27
いつもすみません、おつきあいくださり... 予定では27日だったのですが、ちょっとだけ 早まりました。今後もご縁があれば、おつきあいください。ごくたまには イイ情報もありますので。さて 浦東国際飛行場にSさんご一家をお迎えに。 それにしても あの迎える場所でさまざまな国のひとの表情を見ているのもけっこうオモシロイものです。 中には完璧にあやしいひともいて。。。いい中年のおじさん (見事に脂ぎっている)が ピンクのスーツ羽織って サングラスをかけて出てきました。ズボンは白く光り、靴もいかにも高級な感じです。 アンタッチャブルのような帽子もかぶっています。荷物は何も持っていません。すばらしくラフというか、遊び人の体(てい)。やはりというか 入り口でちょっとケバ目のオネエさまがお出迎え。 ところで 日本人のグループはすぐ 等間隔で 円になりますね。あの均等感覚は見事です。では、 いまから杭州へ行ってまいります。。。
2006.08.26
ということで (前ふりはないですが)あすは 杭州へ日帰りガイドをしに行きます。この間の 香港までの列車がなかなか よかったこともあり、多くの方に中国の列車の旅のよさを 味わってもらいたかったので、日本からのお客さんにはちょうど良い機会です。ましてや 行った人がほぼ 全員 「杭州は きれいで よかった~」という感想が多いところです。杭州のある同じ浙江省で働いているちゃいひめさんにメールして 助言をうかがったところ、すぐさま 気合の入った懇親の返事が返ってきました。その行程に則って行ってきます。道中の車窓からの眺めと 湖畔の散策がたのしみです。
2006.08.25
ある所に ツケのきく店がありました。店の入り口にこう書かれてありました。「お客さま 当店では ツケがききます。お代は お客さまのお孫さんの代まで ツケておくことができます。」それを見て、「やや、 何てありがたい店だ!オレには ちょうど子どももいなけりゃ、まして孫もいない。飲むだけ飲んで、食べるだけ食べて ずらかろう。」と思い、ひとりの客が店に入ってきました。さて、次々と注文をし、食べて飲んでいい気分になりました。 何しろ、ツケは孫の代にまかせればいいのですから。。。さて、食事が終わり席を立とうとしたところ、店員が 勘定を請求してきました。「お客さま 全部で100ドルになります」。 「あ、それなら ボクの孫のときまでツケておいて。店の入り口に書いてあるじゃない。」お客は言いましたが、店員「すみません、これは お客さまのおじいさまの分でございます」「・・・」 これは中東のジョークらしいのですが、どうやら「ひとは蒔いたタネを刈り取る」ものらしいですね。・・・涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。(「詩篇」126:5~6)
2006.08.24
タイトルは かわぐちかいじの「沈黙の艦隊」 をもじったものです。さて じつは ボクも「沈黙のダンナ」 となってしまいました。それは、というとこれからなるべく2人の会話は中国語でしようと、決めたからです。 さっそく スーパーに二人で行きましたら、ふだんの十分の一もしゃべらなくなりました。 要するに、 ささいな日常会話はすべて日本語で行なっていることを痛切に感じたのです。はけ口を タイタイは ダンナにダンナは タイタイに 通常日本語で言い放っていますから、異国生活のストレスが発散されているのです。ちょっとしたかけ声や 気を引かせる言葉は中国語でどう言い回すのかわからない。日本語を完全に禁止しますと、しゃべらない しゃべらない。 つまり 微妙な感覚を瞬時に 発せないのです。これは 大変だ!! と思いました。相手が 中国人のダンナさんや 奥さんと言う場合、こんな感じで 伝えるのに苦労するのでしょうが、われわれの場合、 どちらも完全な中国語を理解していないことはちょっと 問題です。過ちを指摘、手ほどきできないですから。それでも、さらに強化して中国語で話す訓練を積まないといけません。昨晩 タイタイもがきながら寝言を中国語で言っていました。。。 ・・・・イーヤンダ イーヤンダ (同じだよ ということ? 何が?)
2006.08.23
駐在員のSさんがぜひこれを、と映画「炎のランナー」を貸してくれました。かつて見た覚えはあるけれども、中身を全然覚えていませんでした。このたび じっくり鑑賞して大変なテーマが潜んでいたのだと、今さらながらわかりました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「炎のランナー」 (Chariots of Fire 1981年度アカデミー-賞作品賞)実話に基づきます。1924年パリオリンピックの陸上で 祖国イギリスに金メダルをもたらした2人の若者の話。ユダヤ人の血を引いているため、差別と偏見を受けてきたハロルド。彼にとって走ることは、世間に対する勝利でありました。宣教師の家に生まれたエリック。彼は信仰と神のために走りました。走ること自体が喜びであり、祝福でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・エリック・リデルは 中国の天津で宣教師の子供として生まれ、5歳で祖国スコットランドに戻りました。速く走る天賦の賜物を得て、次々に国内の短距離走の競技会で優勝。パリのオリンピックで100m栄冠の本命視されていたにもかかわらず、予選当日が日曜日の安息日(礼拝日)のため出場を棄権し、平日に行なわれた専門外の400mで金メダルを取ったスコットランドの英雄です。自分と国の栄誉のためか、それとも信仰か。これは ただひとりの宣教師の物語ということ以上に、ひとの生きざまとして とても重要なメッセージを含んでいます。エリック・リデル(本人)リデルは 神からの召命を受け、その後中国にて宣教を行なっていましたが、戦時下 日本軍の捕虜収容所にて天に召されました。(タイタイはそれを知ってショックのようでした。また 日本軍。。。)この映画も よくよく見るにつけ栄光を手にすることへの 執念と努力は人間として非常に尊いことかもしれないけれども、それ以上の存在に対する畏怖を忘れてはいけない、というテーマがあります。米沢の教会に かつての広島商業の夏の甲子園優勝投手 佃さんが来られたそうです。活躍されたのが江川の時代で、バッテリー時の相棒は カープの監督もされた 達川捕手です。 今でいう駒苫の田中投手や 早実の斉藤投手のような存在でした。まさに栄光をこの手につかんだ方です。ですが、この春 余命2年のガンの告知を受けられました。(このことは公表されていますので、ここでも書きました)ウワサを頼って この教会に来られたそうですが、こんどは 信仰の前に 栄光をつかもうと闘っていらっしゃると聞きました。わたしたちは 「いま」が恵みの時です。この祝福をいつも感謝しなければならないのです。
2006.08.22
中国語で 「早稲田」 というのは店をやって すぐ潰れるとかあまり いい意味ではないと聞きましたが、ともかく すごい試合でしたね。 見ていなくても、通じてくるものがあります。BSが映らないアパートに住んでいますので、もっぱら この サイトで 甲子園の熱闘を 逐次 確認していました。第88回全国高校野球選手権大会 -朝日新聞この前 日本に一時帰国したとき新宿駅で 乗り降りする、早稲田実業の 野球部員を見かけました。( バッグにこれ見よがしに刺繍してあるからすぐわかりますよね )かれは 誰だったのか 知りませんが、日本一に輝いたのですね。素晴らしい!!そう思っていたら、今週上海に来られるSさんに同行されるご子息が早実ご出身だと、メールが。大そうお喜びでしょう。かつては 東東京で男子校だったけども、いまは 西東京で共学になっているようですね。王さんは 世界一になって、大手術をされ、テリ-伊藤は 亀田の擁護に大童で、小室哲哉は 吉本にほかされると 早実出身の方の話題が豊富ですが、この優勝は 抜きん出ていますね。高校野球のパワフルさに感激しました。
2006.08.21
浦東へ授業に行くためにバスで石門一路駅へ行き2号線に乗り換えたら、人民広場で足止めを食らいました。地下鉄構内は てんやわんやの大混雑です。 いつ正常に戻るか 分からなかったので、1号線に乗り換え、上海駅まで行き、そこで 4号線に乗り換えて浦東大道駅まで行く途中学校の事務員から 急きょ「きょうの授業はありません」との連絡をもらいました。くたびれ儲けには 慣れっこになってきて、じゃ そういうときは別のことをしていおこう、と以前よりだいぶ機転が利くようになってきました。そこで 上海駅で 来週の予定を確認することにしました。途中で 旅行会社 と ホテルを訪問していくつかのことを確認しました。チケット売り場は どの窓口も長蛇の列ができていて、まさに 上海駅の暑い人波を感じました。 それでも、ほんの少しだけ風の向きが変ってきたようで、こんどは長い 残暑(中国語で秋老虎)の始まりを予感しました。
2006.08.20
一人の若者が、素肌に亜麻布(あまぬの)をまとってイエスについて来た。人々が捕らえようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げ出してしまった。・・・このただの2行は 新約聖書の マルコによる福音書の14章51、52節です。「一人の若者、逃げる」という 小タイトルが わざわざ ついている話です。福音書というのは マタイ マルコ ルカ ヨハネと 4つを指します。そして、この4つは およそ内容が重複しているものもいくつもあります。この文章が出てくる前後は 弟子のひとり ユダが裏切るシーンで 新約聖書でも 大変重要な 箇所です。ところが、 この「一人の若者、逃げる」という話は、マルコの福音書にしか記載されていない上、いったい 何のことを 言い示そうとされているのか、何で これが この部分に書かれてあるのか、 にわかには推測、もしくは 啓示が受けにくいものです。聖書に記載されていることは、ほんの 一文字でも かなり深い意味があることが、ここに来て だいぶ実感してきているので、この 2行にも必ず何か真意があると思います。他に この2行だけのように 短い説話は「真の幸い」とか「狭き門」など数箇所ありますが、 これらはキリスト教のことを 知らなくてもよく 知られているような話です。しかし、 この2行は何回 読み返しても前後の文脈からのヒントは見出せないし、ふしぎな話です。 ユダから裏切られ すでに身柄を拘束されているイエスについて来ただけで捕らえられようとする理由はなんなのか、しかも 何も 裸で逃げることもなかろうに、と いろいろ考えてしまうのです。ボクは この意外な話の展開に思わず 笑ってしまったほどです。聖書読んでいて 大笑いするのもヘンですが、 じつに 超越しています。原語に意味が隠されているのでしょうか。 すぐにわからなくてもいいのが、聖書通読の妙味です。実生活の場面などで ハッと気がつく導きが 至るところに散りばめられてあるのです。
2006.08.19
タイタイが 教えている日本語の生徒さんがヨーロッパ出張だかのお土産で「チーズ」をくれました。「先生、これ 先週 渡すの忘れました。はい お土産の チーズです・・・」チーズが大好きなタイタイですが、浮かぬ顔してチーズをカバンから取り出しました。何ともいえない ニオイ。 チーズというのは ビミョ-です。それが だいじょうぶなニオイなんだか、悪くなって腐ったニオイなのか、判断が しにくいからです。チーズの専門家でもないかぎり。チーズ好きなタイタイでも、この チーズを 「不可」と判定しました。気を失うほどの 臭さ だというのです。 ボクも ニオイを嗅ぐ以前に袋から にじみ出ている汁のようなものを見た時点で速攻アウト。 気持ちはありがたいのだけども、たとえ高級チーズ でなくても新鮮なものがいいですね。せめて。
2006.08.18
予定では 日本からOさんが来られてある問屋街に お連れするはずでした。ところが、待てども 連絡が来ず、やっと お電話いただいたと思ったら、日付を一日間違えて他のスケジュールを入れていた、とのこと。Oさんは 上海に半年以上留学滞在された女性シニアで、いまは 薬剤師の免許を活かして、東洋医学の関係の 企画をされています。Oさんと同行された ご家族がこの滞在期間中上海の市内観光と 蘇州巡り さらに 杭州周遊を楽しみたいとのこと。3日の間に これはかなり堪えるのでは。 連日スチームサウナのような 上海の蒸した気候ですし、熱中症で頻繁に 救急車で 運ばれるのも 耳にします。内陸に行けばいくほど 暑いですし。 いろいろ周るのも 気持ちはわかるのですが、日本でたとえて言うならば 東京周って 次の日 甲府いったん 戻って その次の日 松本 に行くような感覚ですからね。暑さの中、 うまい調整が必要でしょう。ジョンベネちゃんのことが ふと頭にあったと思ったら、容疑者逮捕のニュースが。。。 ボクの脳のクセで 突然 わけのわからぬ順番で 昔のニュースの犯人とか事件のことが 記憶の中から 甦ることがあります。ハードディスクで言うところのデフラグが 必要です。きのう事業家Mさんから電話をもらったときも、何か そのとき電話がかかってくることが 当然のような予感がしていました。このヒラメキって ほんとうに理屈を超えたふしぎな能力ですね。
2006.08.17
最初に中国に旅行で来た時に、訪れた海南島で、目に見えて 爪が伸びるのが早く感じました。海南島では たとえば 一年に3回もおコメが収穫できると説明がありました。もちろん育種は、種によって微妙に 違うのでしょうが、とにかく、 南の島には良くあることで、タネを蒔いておけば勝手に育って 何ぼでも成長する 環境らしいのです。限りある環境と時間で 実りが豊かなことは ほんとうにうらやましい事です。ただ、 そのおかげで土地の 人たちは あまり勤労意欲がない、「賭け事」ばっかりしている、ということでした。何も 賭け事が好きなのは、海南島の人だけではありません。日本人もパチンコや宝くじは一大産業が成り立つほどですし、欧米でも ブックメーカーが 流行っているわけで、変りはありません。当然 中国人の性格も様ざまですが、「賭け」が大好きな類の 民族に違いがないようです。その性格が 証券投資や 不動産投資 実業経営にさえ反映している ことをボクながらに感じています。下に 時間と 数量(収穫)を 表したごくカンタンな 表を示しました。 日本人的な発想と 中国人の発想のはっきりした 違いと いえば 「時間」の観念のような気がしています。日本人的な発想は スタート地点から 目標(ここでいえば 第三目標)まで 時間とともに だんだん積み重なっていくような 方向性を好みます。設定した目標値へ到達が半分ならば、 あと半分 時間の経過も必要だと推測していきます。しかし、 中国人は そんな悠長な(と中国人は考える)発想はしません。目標が 1ならば 1まで 行きます。しかし、すぐ ズドン とスタート地点に戻ります。また 最終目標を目指して スタートを切ります。そして あっさり 到達すると また ズドンと 元に戻ります。そして、 同じ条件内で 3回目のトライをします。そして またすぐに 目標に 到達します。要するに、小商いをする回転主義が根っからの性格のようなところを見受けるのです。大きなプロジェクトでも、日系企業で 中国人を用いているところは、こんなの期限ギリギリで大丈夫かよ、ということでも最終的に何とかカタチになってしまうのは、じつは 状況把握だけは 抜群なところからくるのではないでしょうか。全体の中の最終目標だけはとっくに知っているのです。これを 経営や投資に 応用している(というか自然に)ので、日本人が 時間をかけて ひとつの目標 を得る間に片方は 時間をかけずに その3倍 収穫を得るわけです。もちろん、 ズドン と落っこちる前にうまく 目標設定を切り替えた 人だけが この神業を享受できるわけですが。そして日本人は当然 このズドンを味わいたくないのです。だから少しずつ積み重ねていくスタンスを好むのです。このことを 上海の不動産や 商店経営そして 証券市場に 当てはめて見てください。こちらの人はそういうやり方に慣れっこになっているのが ボクの印象です。いくら投資の理論を学んでもそこいらのオバちゃんにも勝てないケースは、発想の下地が違うからでしょうか。いまの中国ではこの発想が そのままリスクヘッジにもなっているところもまた ミソなんですね。
2006.08.16
コミュニティサイト 「ミクシ-」 は 来月上場するらしいじゃないですか?ふと、ボクが 上海起業ストーリーさんをそそのかしてミクシーでことしの2月に 立ち上げていた「上海ライフ満喫倶楽部」 という ネットワークコミュニティを久しぶりに訪ねてみたら、加入者が 130名を超えているじゃないですか。プロフィール欄にある外灘3号から 撮ったバンドの写真は 昨年7月にここを 訪れた時に ボクが収めたものです。楽天日記でも使用したものです。「関連ブログ」欄に「夫婦でチャレンジ上海」およびタイタイの 「中国上海食彩ライフ」 って思いっきりわかるように銘打ってあるのをいまさっき始めて気がつきました。いかん、いかん。完全に放置していました。言い出しっぺなのだから、時々 耕さないといけませんね。タイタイに そのことを話しましたら、「そんなの見たことない」と。取っ付けはするものの、その後は 忘れてしまう、ボクらしい 仕業です。ぜひ、皆さんご関心があれば、ご参加を!(まず じぶんが参加せよ ですね )
2006.08.15
おそらく中国でもっとも名前の知られている 不動産デベロッパー万科という会社の代表者である 王石氏が「いまの 本土の不動産は 中国のもっとも富裕層である 上位20%が ほとんど買い占めている」というようなコメントを新聞に載せていました。20%が80%を占めるという、パレトの法則はここでも 当てはまるのでしょうか。報道されている範囲でしか王石氏のことは 知りませんが、軍隊上がりの とてもユニークな経営者としてよくマスコミにも取り上げられます。通常は 過酷なエベレスト級の登山をしており、もっぱら エネルギーを 登山中における瞑想など精神的な部分に注いでいる 独自のやり方で万科を 築いてきました。高い山に登って、社会と遮断している中で正確に舵取りをしている経営者もいるのですね。つっちーさんのブログに よくまとまってありますが、先日お会いしたCSKの会長さんが日本の人口と世界のマーケットについて 面白い切り口で 述べていただきました。人口が1億2千万で、 すべて日本語である日本でのマーケットは 世界を相手にしなくても それだけで成り立つ産業もあるし、鼻から世界を視野に入れないと、やっていけない産業もある、と。経営者が 何をもって どこを目指しているのか、が 非常に問われている時代です。この人口1億2千万というのがけっこう クセモノの数字です。人口14億を超える 中国のことを考えるとき、1億2千万人で培われた発想で モノを考えるときに混乱する要素も あるのです。
2006.08.14
日曜礼拝でいつもメッセージをいただいている大川牧師が「幻が見られなくなったら、滅ぶしかないじゃないですかっ!」と 熱く語っていたことが 印象的でした。だれでもご存知だろう ある食品メーカーの社長さんが 礼拝仲間におられますが、ある組織を通して かなりまとまった額のお金を中国の寒村地区の学校建設に 寄付したい旨を申し出ていました。お金を「何に使うか」は なかなか難しい面がありますが、欧米企業では 積極的に福祉や難病などの支援に力を注いでいます。これは、もちろん政治的な一面もないわけではありませんが。あのハリーポッターの翻訳者の日本人は先日 所得隠しを摘発されたということですが、裏では 永年に渡り 難病患者に対する支援の資金に回していたのが 事実のようです。認識の違いでしょう。ところで、 ヘンリー・ランドワースというひとをご存知でしょうか。ベルギー生まれのユダヤ人だったランドワースは、13歳から18歳までの5年間にわたる第二次世界大戦中、一家でナチス・ドイツの強制収容所に送られました。父は銃殺、母は爆弾をしかけた船に乗せられて殺されました。さらにランドワースさんの目の前で、毎日多くの仲間が、飢えと虐待によって惨殺されていったといいます。ランドワースは18歳の時、あるドイツ兵から逃がしてもらい途中チェコ人の夫妻に拾われて生き延びることができました。5年後わずかな金を手にアメリカに渡り、ホテルのボーイから始まり、日々の努力と才覚により、巨大なホテルの経営者となりました。成功を収めたランドワースは、死を待つ難病の子どもたちの施設「ギブ・キッズ・ザ・ワールド"Give Kids The World"」を創設し、世界中から難病の子どもたちとその家族を招待し始めました。ランドワースは、多くの企業にも呼びかけ、無料の航空券、食事、宿泊、そして遊園地の無料チケットなどまで提供できるようにしました。この村に滞在した難病の子どもたちは、まさに夢のような数日間を過ごして帰っていきます。ディズニーランドからミッキーマウス達が遊びに来てくれたりする。これまでに45カ国から27000家族が、この村に招待されています。「私の奇跡のような人生に対し、なにか恩返しをすることが、私の役目だと思うのです」とランドワースは語ります。 (NHK「未来への教室」参照) ・・・しかし 彼は わたしの歩む道を知っておられる。 彼が わたしを試みられるとき わたしは金のように出てくるであろう。 (ヨブ記 23;10)〈 日本最大の会堂で奉仕する 大川牧師の下積み時代を支えた聖句のひとつ 〉
2006.08.13
きのうのケーキです。このなんとも言えない「品のなさ」が上海ローカルケーキの魅力です。最下層に ナタデココの クリームが入っていて 味はけっこう良かったです。最先端のケーキ屋さんも たくさん出来ていますが、ボクには 日本の昭和40年代に神前式結婚式で出されたような サイケなデコレーションの これで じゅうぶんです。さて、亀田の話題です。といってもボクシングではなくて、せんべいのことです。台湾の康師傳(カンシーフ)という大手食品会社があります。中国に拠点を移して 大成功した会社のひとつです。ここが亀田製菓とジョイントして、せんべいを出し始めています。このせんべいを買って広げたところ、なんとも見るからに お粗末な内容。これは、言うなれば亀田製菓にとって汚点です。本場の品物とはだいぶかけ離れています。味は やっぱり 中国人向けで 甘辛い。これではリピーターがつかないでしょう。最後に ヨーグルト。いつもは 光明食品という 大食品企業グループの 乳製品を 食べています。つい最近も いくつかの企業を買収したばかりです。珍しく 見慣れない三元乳品という会社の ヨーグルトを 飲んでいましたところ、はたと気づきました。人民大会堂宴会専用 ヨーグルト と明記してありました。 ※ 人民大会堂天安門広場の西側にあり、日本の国会議事堂にあたります。3階建て。内部中央には1万人を収容できる「万人大会堂」があり、ここで全国人民代表大会などが開かれる。言わば 宮内庁御用達みたいな アピールの仕方なのでしょう。味は 酸味のパンチが効いていて おいしいです。むかし良くあった名糖のビンのヨーグルトに近い硬さと味。水のようなヨーグルトが多すぎますからね昨今。これが 人民大会堂の味なのでしょうか。。。
2006.08.12
きょうは ダンナの誕生日 兼 結婚記念日。12年前に イギリスロンドンに 行って 教会で2人で式を挙げました。その事の経緯は 昨年のブログに書きました。まあ、何と言っても ダンナが今までの人生でもっとも感動した場所は 中学2年の時に訪れた ロンドンの ウェストミンスター大聖堂でこんな 荘厳な雰囲気が 世の中にあるものなのか、と 中(あ)てられた ような体験でした。時を経て その近くの よくわからない 教会でやったんですが、おごそかなムードは 今でもきのうのように 思い出せます。いつもながら そのこととは ほとんど関係ないのですが、先日 長野県知事に 村井仁さんが 当選したことを知り、あの人 まだ政治家になろうと していたんだ、 とダンナが 長野県の松本で 仕事をしていたとき、会社に 村井仁さんが 一票入れてください、と訪問して握手を要求されたことを思い出しました。このことから ふと政治家としてでだけでなく じぶんの人生を執念をもってつかみとろうとう不屈の精神で アメリカ大統領までのぼりつめたアブラハム・リンカーンのことを 思い出しました。リンカーンの経歴は、 この人くらい 多くのひとに勇気を与えてくれるものはないのでは、というものです。 アメリカ南部の貧しい農村に生まれたリンカーンは9歳の時に生みの母を失い、第二の母に育てられました。幼少の時から貧しさの中にあって畑仕事、船夫、柵木割り、教師の助手、商店、測量、郵便局など様ざま な職業を経て弁護士となりました。教育は12カ月ほど受けただけで、学校教育は実質ゼロです。12歳のころから、本を片時も手放さなくなり、リンカーンが本を手に持っていないところを見たことがないと周囲は述懐しています。この本とは もっぱら聖書です。リンカーンはこの習慣を大統領になってからも変えないで、執務室ではいつも 聖書を読んでいたそうです。さて、 その後リンカーンの 目覚しい経歴ですが。。。22歳 事業に失敗。23歳 州議会議員に落選。25歳 再度事業に失敗。26歳 婚約者が病死。27歳 神経病。33歳 結婚 妻は 肝癪持ちで、後に名だたる悪妻。 結婚生活は忍耐 (これは タイタイとは 関係ないですよ)34歳から5年の間に 3度 下院議員に落選。46歳 上院議員に落選。47歳 副大統領を目指すも失敗。49歳 上院議員に落選。51歳 「第16代大統領」となる。 奴隷を解放 南北戦争終了の5日後凶弾に倒れる。・・・ というものです。何かこれだけ見ていると、前頭にもなっていないのに、いきなり 横綱になってしまった ような話です。よくもあきらめずに チャレンジしつづけたものだ、と 脅威の大逆転劇に 驚嘆してしまいます。 いまでも アメリカで 最も尊敬される大統領に1、2を争うリンカーンの魅力は、業績もさることながら、その不撓不屈の精神だったのではないか、と思えます。。。。 不撓不屈ならぬ 夫唱婦随(婦唱夫随?)のわたちたちは タイタイと ケーキでも食べて 祝います。
2006.08.11
中国では、事物のグレードを5つの星で示すのが好きです。この 特集では いまの不動産市況は 誰にとって 悲しいのか(泣いているのか)を5つの星で示しています。星が多い人ほど 悲しんでいるということです。上海の不動産は、 大雑把に言うと、2002年に買った人 → 2006年の今は、買ったときより上がっている 2004年に買った人 → 2006年の今は、20%下がっている さらに 「上海の不動産これからは?」 という不動産関係者への質問には「将来、3~5年先は、上がる」 が 圧倒的な数を占めています。中国では 「不動産関係者」 というのは、決して 不動産業に 専属的に携わっている人だけを指すのでなくて、「ふつうのひと全て」を指す と考えた方が いいです。とにかく 不動産でお金を得るのが どの人も 大好きですので。上海の不動産の関心は、どうですか の質問には、「株と同じで、いつが底値か?」の一点に絞られています。要するに、 買い気はまんまんなのです。そういうことを踏まえて、では 以下に現在の 悲情指数を 転記します。個人的に不動産を買いたい人 の場合悲しい指数…買いたい人は、やすく買いたい → 今は下がっているので、買い時投資家 の場合 悲しい指数…今、2年前よりは 20%下がっているので、投資としては、良くないいつまで下がるのか??政府 の場合悲しい指数……値段が下がっていれば、税収も少ない値段が上がっていれば、税収も多い不動産の価格に比例している不動産仲介会社 の場合悲しい指数…この先、下がる可能性がある → 家を買う人も少ない会社としての収入も少なくなるデベロッパー の場合悲しい指数…建て終えた物は、売れるまでそのままにしておくのは、上がっても、下がっても同じ下がっている時は、お金もゆっくり入ってくる団体の投資家(会社で買うなど) の場合悲しい指数…お金があるなら、今は安いのだから、将来、3~5年後には上がる可能性が大きいため買ってもいいかな、というスタンス・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・上海市内でも一番高い物件があるところは、人民広場や新天地辺りの物件ここは、平米5万元を超えるものもあります。これが中心から少しずつ遠くなるにつれて、下落幅が目立ちます。まだ、 地下鉄が整備されていない現段階では、郊外は、通勤は不便という以前に 実質不可能なところが多いです。なお、何度もこのブログでも指摘していますが、不動産そのものの品質は 日本のそれと比べると、「相当」落ちる、 といって 過言ではありません。
2006.08.10
聖書では「あなたの富があるところに あなたの心があるのだ」と指摘しますが、上海に住んでいますと、特に その不動産の価格の高さに 心を奪われ、どうしても 不動産の話題も多くなります。まず、基本的に不動産の価格が 一般的な所得水準からしてべラボーに 高すぎる、 ということを頭に入れておくべきでしょう。通常の家庭のサラリーが おおよそ3千元(日本円で4万5千円程度)という報告がありますが、販売されているマンション価格は、平米あたり 1万元から 2万元。90平米だとしても 90万元から 180万元します。たとえ家族総出で5000元程度の収入があるにせよ、まるでさらの状態からでは、なかなか不動産を買うまでには及びません。数年前 政府は ひと月 2000元で 暮らすことを前提に、 1000元貯蓄 あるいは 住宅ローンの返済などにあてることを 基本的に考えていたようです。ですが、どこに この通りで 生活していける根拠があるのでしょうか。基本政策は計画経済の名残があっても、実行段階で 市場経済に完全に移行していますから、投資家の格好の狙い先として、上海の物件は 注目されています。日本のバブルのときにも、一生働いても都心に家が持てない、という話がよくありましたけれども、いまの上海では 一生どころか 二生働いても家など買えない 労働者のほうが圧倒的多数います。要するに、「持てるものが ますます持つ」ことは もはや中国では当り前です。 8月から 不動産売買益に対して個人所得税20%がかかるということで、今までの膿だしを行ない始めましたが、先日 「上海証券新聞」には「上海の不動産 悲情指数」 なる特集が組まれていました。汗して働かなくとも 「不動産に稼いでもらう」ことが ふつうに 肌身についている中国人にとって いまの不動産市況は どういう ような見方をしているのか 少しは参考になるでしょう。次回に その内容をご紹介しましょう。
2006.08.09
日本から電話がきました。「オマエ何してんだ?」 オヤジからです。何をしているんだ、という質問には 仕事の方は どうなってるんだ?というニュアンスを多分に含んでいると思われましたが、ボクは その時点で スイカを食べていたので、まるで 小学生のようですが、「スイカを食べている」 と正直に応えました。「・・・安いから そんなのばっか食ってんだろう」続いて、「オマエ 本の方は 出来たのか?」と 詰問してきました。ブログでカウンティングしたまま、日本に戻ってその後 すっかり 頓挫している話題でしたが、その原稿のことを 言ってきたのです。ええと、ボクとしては 3テーマで 進めていたのですが、途中で 話題が分裂状態になってしまって、脱稿どころか、 まだ 道半ばの状況にあります。オヤジが逆に、「こんどできた本送るから、読んでみろ」と 言ってきました。タイトルは「ジャンキンの悪妻の書」12世紀の歴史家ウォルター・マップや前3世紀ラストゥス4世紀の聖ヒエロニムスのテキストを集めたもので、(ボクは 誰一人 知りません...)ヨーロッパ中世から続いていた女性蔑視の伝統がどのようなものだったのか何が忌み嫌われていたのかを考察する書物です。オヤジは こういう資料を 中世ラテン語から日本語に翻訳して、 書籍にすることをライフワークにしているのです。40代後半に最初の本格的な本を上梓してから、ほぼ毎年一冊のペースで このような ずいぶん肩がこるような本を出していますが、最初の一冊目は その翻訳に10年かけています。その作品が 当時 一橋大学の学長であった阿部謹也さんに書評で取り上げられ、もともと自信家だったのが さらに自信を深めたようです。念願の一冊を仕上げたとき、寝るときも抱えてオヤジは もういつ死んでもいい、 ということを口にしていましたが、 あれから まだ 生き続けています。いい作品をつくり上げるということは、丹念な資料調査などを必要とします。ところで、ボクはここのところ毎日聖書を読んでいますが、ルー・ウォーレスというアメリカの作家は、聖書はでっち上げだ、それを証明して見せると言って、聖書を丹念に調べあげ、結果的に、当初の志とはまったく逆に、イエス・キリストの救いを多くの人に知ってもらいたいと思い、あの偉大な名作「ベン・ハー」を書いた、というエピソードがあります。ボクもある事を着手していくうちにいい方向で 変っていけばいいのですが。。。
2006.08.08
タイタイの作ってくれるジャンボハンバーグです。大きさがわかるように隣に 打火機(ライター)を置いてみましたが、かえってあまり大きさがわからないように写ってしまいました。厚さもあって、ボクの大好物です。ソースも特においしいです。さて、全然関係ないのですが、中国語で「ヘビメタ」のことを 「重金属」と表記します。 見るたびに傑作だなぁ と思えるもののひとつです。野球のセーフ を 「安全」 と表記します。これも 「腑に落ちる」表記のひとつです。そんなことを中国語では、よく遭遇しますが、下の表記も傑作ではないでしょうか。ことばに 大変な偉力があることは 異国に住みだして特に感じているわけですが、そこへきて また 新たなネタを 大手O社の監査室長M氏から いただきました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いろはにほへと ちりぬるをわかよたれそ つねならむうゐのおくやま けふこえてあさきゆめみし ゑひもせすん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・色は匂へど 散りぬるを 香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。諸行無常(しょぎょうむじょう)我が世誰そ 常ならむこの世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。是生滅法(ぜしょうめっぽう)有為の奥山 今日越えてこの無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて生滅滅己(しょうめつめつい)浅き夢見じ 酔ひもせず悟りの世界に至れば、もはや儚い夢を見ることなく、現象の仮相の世界に酔いしれることもない安らかな心境である。寂滅為楽(じゃくめついらく)平安時代末期に流行。『涅槃経(ねはんきょう)』の「諸行無常 是正滅法 生滅滅己 寂滅為楽」を表すと言われます。 (参考出典 にほんごであそぼふぁんさいと ) いわゆる有名な「いろは歌」です。この日本固有ともいえる 美しいひらがな表記をこのように均等分解しますと、最初の文字が アラム語(ヘブライ語と同じ北西セム語族に属し、キリストやマリアが日常話していたとされる)で意味すると上記のように 散りばめられた暗号メッセージ的なものが見つかるのです。同様に 「ひふみうた」でも 最初の十文字を古代ヘブライ語で読むと、逆に天照大神を岩戸から呼び出すことば、と一致するということが判明しています。涅槃経の意味といい、 このイエスの暗示といい、こじつけにしては かなり凝ったものというか、人間業を超えた奇遇です。ボクは、かなり昔から 本来 こういうものはじつは おおもとは同じで、日本人も ユダヤの地域から流れて渡ってきた一派である、という憶測をちょっと 信じているところがありました。(聖書的には実際そうなんでしょうが)涅槃経の意味と同じモノは聖書にはいくらでも出てきます。だから 聖書を読んでいても すんなり受け入れ易い面もあるのかな、と思ったりもしています。
2006.08.07
「まともにやっていたら、儲からない」というと誤解を生じかねない表現です。だけども、企業活動をしていれば、どこで どう儲けを出そうか、とアタマを悩ますのは フツウのことです。長者番付の恒例者斉藤一人さんの講演テープで、「商売は 儲かるところと 儲からないところにジェット気流のようなものが 流れていて、そのグレー・ゾーンはくねくね 蛇行している。そのスレスレの瀬戸際(グレー・ゾーン)に 儲かるポイントがある。」というのようなことが言われていました。これは、ボクの浅い経験からも何となくナットクできることです。年間売上が2500億円を超える先日の 会長さんにお話をうかがったとき、ちょうど 似たような話題がありました。要するに、最近では ライブドアも 村上ファンドもその時点では、 まるまる 法律に抵触していないことで 事業が発展していった。しかし、変化する社会のニーズや認識が もともと 灰色地帯だった 彼らの事業を変貌させた。つまり、本人たちは それが法律などの盲点をついて、 問題がないと おもっていたが、気づかぬうちに 背景がグレーから ブラックの中に入ってしまっていた。グレー・ゾーンは ジェット気流ではあるけれども壁のスレスレであって、ライブドアならばまさにオン・ザ・エッジ(旧社名)であったわけです。きのうのビジネスマンの集いでは、そのことも含めて事業の社会性に触れて盛り上がりました。株式公開している企業はどうしても株価を維持することにアタマをひねらざるをえない(前出の会長さん談)、というのが 市場社会のサガです。じぶんたちは、生活もあるし、出発地点では社会性があると、おもってやり始めたつもりが・・・何か目的が逸(そ)れて、まったく本末転倒になってしまっていることってないだろうか・・・そういう 原点回帰も 折に触れて論じ合っています。
2006.08.06
久しぶりの会食です。雲南省から戻ったばかりのつっちーさん から お誘いがあり、 タイタイとともに「東北人」という 中国東北料理のお店へ。 他に 上海起業ストーリーさん と上海日本総領事館にお勤めのだーれんさんご夫妻。さらに日本からつっちーさんの高校時代の同級生で、 ラグビー部の仲間でもあった株式会社CSKホールディングスの福山代表取締役が来られ、上海CSKの小橋総経理も見えられました。CSKといえば、創業者である大川功氏は そのカリスマ的存在が世に知れ渡りました。今では 各種ITサポートから開発・BPOさらに金融まで幅広く 持ち株会社として30以上にのぼる会社を傘下に治めている大グループ企業です。ボクは、 かつて草野球でCSKチームと 対戦した経験がありますが、 よりによって その総指揮官である方にお会いして、交わりの時が持てるとは考えたこともありませんでした。しかも中国で。 社長が入社したときは 創業わずか3年目だったそうで、周囲からはCSKって 何の会社? と言われていたそうです。そこで立志伝中の人物 大川氏の後を継いで、さらに 拡大されているのだから、ほんとうの生え抜き社長です。つっちーさんは ラグビー部時代 当時の福山さんをかなりしごいていたそうですが、方や はるか 雲南の土壌から、方や 青山のオフィスビルから、上海に 来られて、まったく対照的な印象を受けました。とにかく ご両人とも何も共通点を 見出すことができない、 そんなイメージでした。しかし、それぞれに与えられた職務を全うすべく ひたすらにトライに向っているのだという点では、同じなのでしょう。 同じ釜の飯を食おうが、時が経てば、セパレート・ウェイズ(分かれ道)を歩むのが人生。ボクにとっては 一部上場企業の 社長の普段着の一面を垣間見ることができたことも大変興味深かったです。いつもながら、つっちーさんにはこういう機会を与えてもらいまして、感謝しています。
2006.08.05
先日「運のいい二人」に書きましたが、 ふり返ってみると、さらに ああ、じぶんは 何て運がいいのだろうか、と思える出来事はあるものです。1978年に初めてヨーロッパに家族旅行をする機会がありました。 まだ中学2年のボクは、ヨーロッパがどんなところなのか、サッパリ検討もつかない時でした。そんな時代に 家族でヨーロッパ旅行をする(しかも一ヶ月に渡る長期)ことなんか、それこそ 「運のいい」 出来事なのですが、(今から考えると当時両親ともまだ30代後半だったのですからズイブン大胆な行動だったのはうなずけます。)じつは もっと 「運のいい」 ことは、帰りの飛行機のことです。行き帰り 当時ソヴィエト連邦のアエロフロート機を利用しました。帰りは フランスのド・ゴール空港から戻ってきたのですが、前に出発していたアエロ機 と後に出発していたアエロ機 が 立て続けに墜落しているのです。これは日本に戻ってからすぐに知りました。おそらくどなたかはこのようなこともあったなぁ と思い出す方もいらっしゃるかも知れません。タイタイにしても、あのロサンゼルス大震災のとき、アメリカ西海岸のツアーを終えて発生直前数時間前に ロサンゼルスから飛び立っており、日本に帰国した時に、よく 無事だったねぇ、と周囲からさんざ言われたそうです。また彼女が 東京赤坂見附の旅行会社に勤めていたとき、乗車していた一本手前の電車で「地下鉄サリン事件」が発生しており、間一髪というところで難を逃れています。人には寿命があって、いつ何時どうなるのかは、絶対にわからないことでしょう。でも「運がいいんだな」と言えば、今もその延長上のまま であることがすぐに わかります。・・・数えてみよ、主の恵み・・・ ナットク。
2006.08.04
上海では、情報を得ることにほとんど不自由することがなくなりました。何しろ、次から次へと日本人向けのフリーペーパーは 発行されますので、かえって情報が氾濫気味とも思えるほどです。ブログが 次々に 立ち上げられると、立ち寄るブログが 限られてきます。同じように、あれもこれも読みきれません。すでに上海にあるフリーペーパーを全て確認するだけでも、ヘタすると一ヶ月はかかってしまうかも、しれないほど情報が満載なので、ボクは 意識して 逆にその情報を取り入れないことにしました。自分で見て感じる ことだけでは とても不十分なことも 時にありますが、ふだんの生活で そんなにたくさんの 情報が必要なわけではない、とも 感じています。
2006.08.03
まだ中国にそれほど 旅客機が飛んでいなかったとき、耳にしたことなのですが、中国の飛行機は直滑降に 離陸して、直滑降で 着陸する という形容でたとえられていました。どういうことかというと、ほとんどの パイロットが空軍出身で ジェット機の操縦方法で運航している ということでした。もちろん あくまでも ウワサに過ぎず、ボクも 飛行機の 操縦のことなど皆目わかりません。でも、急に飛び立ったり、急に降り立ったり、 というイメージはいかにも中国人の行動様式をあらわしているようにおもいます。中国本土市場は全体に大幅に下げました。昨年からすると 反転上昇後の 9月ころにも まるきり似たような動きをしていました。このときの動きが 上がり始めると、直角に、下がり始めると、これまた 直角に という ものでした。一般に中国の投資家は投資を長期的な視点で 見ません。あす、何が起こるか わからない、いつ どんな 態勢に変わるか わからない、という ことが 歴史的に からだに染みついているせいか、ぽっ、ぽっと 乗り換えようとします。これは就職でも、商売でも、人間関係でも 同じようなことがうかがえます。良く言えば「執着」しない、というところがあります。電力王福沢桃介は「投資でいちばんたいせつなのは 執着しないということである。しかし、 事業経営で いちばんたいせつなのは 執着する ということである。」というようなことを 言っています。変りの激しい時代、中国株投資に限らず、この加減が体得できると、ひとつの成果が 現れるかもしれません。
2006.08.02
7月の上海本土市場は中国銀行を筆頭とするいくつかの新規公開株に だいぶ翻弄されたカタチになりました。ことしに入って全体に急速な上げ基調が続きましたので、いつ調整段階に突入してもおかしくなかったのですが、先週末に 土地の規制強化 発表や中長期金利上げのニュースが報じられたことも手伝って、四営業日連続で 下げに入っています。その中国銀行を 少し持ってみたい、という話を 日本から 依頼された件がありました。折り悪く 手続きのために仲介してくれるLGさんが長期北京出張のため不在だったので、買いを入れることができませんでした。でも、いまのところ 災い転じて福となし慌てて買わなくてもよかった、という状況で推移しています。買いたい、と指定されてきた時が3.7で 7月末現在 3.36ですので。 新規上場時は 4.05(公募価格は3.08)ちょうど昨年を思い出します。この ちょうど 猛烈に暑い時期。じぶんが 街頭で炙られている羊の肉にでも なったかのようにさえ感じるこの 暑いときに中国株の操作を 開始したのですが、やはり LGさんが ホンコン出張のため不在で何をどうやって やったら いいのかおろおろうろたえていたものです。 じぶんで出来る限りの小手先のテクニックを 駆使しても津波のような 大波がくると、市場は一転してしまいます。日本の市場も 急に冷えたかなとおもったら、 短期で息を吹き返し、乱高下する そんな状況が続いています。中国本土市場も ちょうど同じような動きをしています。毎日 市場を観察しながら 以下の訓戒を留意することが いかに難しいかを 感じています。「株を買うのにこの世で最も愚かな理由は、値上がりしているからという理由だ」 (ウォーレン・バフェット)
2006.08.01
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