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今日は本当にご来光という感じで陽が昇った。 あゝ、きょうは よい天気だそう心で思う時には、いつも同じ詩を思い出す。 柱も庭も乾いてゐる 今日は好い天気だ 縁の下では蜘蛛の巣が 心細さうに揺れてゐる 山では枯木も息を吐く あゝ今日は好い天気だ 路傍の草影が あどけない愁しみをする これが私の故里だ さやかに風も吹いてゐる 心置なく泣かれよと 年増婦の低い声もする あゝ おまへはなにをして来たのだと…… 吹き来る風が私に云ふ中也の『帰郷』。この詩が、中也を知った最初の詩だったように記憶するが、あの頃は、学校から帰ると屋根の上で絵を描き、詩を諳んじていた。今、この『帰郷』は、私の中で随分簡略化されて、 柱も庭も乾いている 今日は好い天気だ ・・・・あゝおまえは何をして来たのだと・・・・と、大抵こうなる。別に今となれば、何も後悔しているでなく、若い頃のように焦燥感があるわけでもないが、何もしてこなかった人生ではあるな~とは思う。
2014.09.17
お気に入りさんが書いていた、千日回峰行より厳しいという比叡山「静の荒行二十年」の宮本祖豊という人の、その本を読みたいと、ネットで探してみたがない。もう一度見返すと、ないも当然、天台宗務庁発行の「ともしび」とあった。惜しい!久しぶりに奥の奥まで澄み切った、宇宙を写す目をした坊様だと思ったのに!その前、感動的な目に出会ったのはもう七八年も前で、あれは京都熊野神社の若い若い神主?さんだった。そういえば、あの頃だった、赤山禅院に初めて行ったのは。それもその筈。比叡山から月一、阿闍梨が下りて来て下さるからと、半ば強引に薦めてくれたのは鬼道に入りたいと行っていた青年で、その彼が熊野も薦めてくれたのだった。当の本人からは、プレアデスの写真と共に、熊野古道を歩いて野宿している旨のメールが届いた。そういうことがあった。護摩法要の後、阿闍梨が頭に手を置くと、ポンと頭頂が開いて、何かが勢いよく飛び出して行ったが、あそこではあらぬ声も聞こえてきて、時にそんなことを思い出す。が、それよりも、一年後かくらいにプラトンにせがまれて行った時、つき従うように阿闍梨の後を歩いていた小僧さんと、一瞬だが何十秒かに思えるように目があって、それが彼ではなかったかと、そのことも時に思い出す。鬼道なんて、自分で志願してなるようなものではないと思ったし、そう言いもしたが、彼が鬼道を目指すと言ったのはこのことだったのかと、その時、そう思ったのだった。それで比叡山の麓に一人で住んでいたことに合点がいった。私はずっと、あの小僧さんは彼だったと思っている。思っているというのは、一週間ずっと会って話していたとはいえ、彼は黒髪ふさふさで髭もあったから、丸坊主になってしまうと確信はもてなかった。それは彼だったかもしれないし、違うかもしれない。しかしいずれにしても彼は荒行を選ぶのだろうと、熊野古道のメールをもらった時、そう思ったのだ。神降ろしをして、突然に目覚めた彼だったが、今はもう、自分が宇宙そのものになり、どこまでも澄み切った目の持ち主になっているかもしれない。話が彼との短い夏の贈り物に終始してしまったが、宮本祖豊という人の本が出たら、ぜひ読んで見たい。
2014.09.13
どうして女性達が活躍する社会を目指すのだろう?少子高齢化。子供増やしたいこの時代に。私の目には、今もうすでに多くの者が育児放棄者にうつる。無自覚、無意識的に。ノルゥエーの育児政策の方がよりよい。八島遥雲の言っていた男女のあり方のほうが正しい。下り坂の歩き方はうまくそれに合致する。男女それぞれの価値を問うのなら、石川達三の母の思い出でも読めばいい。吉本がいつか言っていた女性進出、男女逆転時代というのは、本当の大逆転時代の訪れであるとしても、それは滅びの姿である。このまま行けば何十年か後には、子供は機械的に産まれ、国の子として育児担当の者に育てられ、教育担当の者に学び、と、そういう世の中になりそうだ。はれて誰かが描いていた宇宙時代到来というわけである。
2014.09.10
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