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会津藩始末記(著者:永岡慶之助|出版社:中公文庫) 著者は会津出身。当然会津よりの視点から書いているのだが、一字一句に悲憤、痛憤の思いが込められている。春秋の筆法どころではない。読んでいてその情念に圧倒され、読み進めずにはいられない。 すべては京都守護職就任から始まる。容保も藩の議論も固辞で押し通そうとするのだが、慶喜と春嶽が許さない。この二人の変節漢ぶりも著者の批判の的になる。 京都に赴いてからは苦難の日々。朝廷を利用した長州の策略に苦しめられる。守護職として京都の治安を守るため、騒動を起こす者を取り締まったことが長州の恨みを買い、戊辰戦争における執拗な会津攻撃の原因となるのだ。 最初は、京都に集まり幕府を批判する浪士に、意見を述べる場を設け、力による弾圧を避けようとしていたことを初めて知った。 長州の唱える「尊皇攘夷」など、自分たちが権力を握るための口実でしかないのだから、言論によって対応しようというのは無理だったのだ。 批判されるのは長州だけではない。 たとえば、蛤御門の変で、長州の兵を素通りさせた津藩については、「その信義を無視した行為には眉をひそめずにはいられない。それもこれも、藤堂家の家風といわれても仕方があるまい。」(p180)と罵倒し、さらに鳥羽伏見の戦いで裏切った時には、「津藩藤堂家の背信行為は、まったく同家の家風とみるよりほかにテがない。新撰組の爪の垢でものませたいところである。」(p222)と痛罵する。 戊辰戦争が始まってからも、会津はあらゆる手づるを頼って恭順の意を示そうとするのだが、西軍の参謀世良修蔵が許さない。 かつて年末ドラマで「白虎隊」を放送した時、泉谷しげるが演じた人物で、「こんなやつを寄越しちゃいけないな」と思ったが、この人物、余程の問題人物らしく、同じ陣営の戸田主水という人物は、厳しい世良批判の文書を残して姿を消してしまうほど。 会津の人は、これだけひどい目にあっていれば、とうてい長州を許す気にはならないだろう。 混乱の内に成立した列藩同盟も、圧倒的な軍事力の差の前に浮き足立つ。三春藩が裏切って会津の恨みを買ったのは知っていたが、この本によると大きな影響を与えたらしい。わずか三万石の小藩なのだが。 藩主は当時十一歳で、重臣が「列藩同盟に加盟する一方、ひそかに藩臣を京都政府に送り、政府軍来攻のおりには、これに参軍するという密約をむすんであった」(p290)ということだ。 こうして裏切った三春藩の話のすぐ後が、死を覚悟で抗戦を選んだ二本松藩の話になる。三春出身者としては居心地が悪い。
2002.09.28
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華国風味(著者:青木正児|出版社:岩波文庫) 出版されたばかりの頃、買ってはみたが歯が立たず、少し読んで放り出してあったのを読み直してみた。 文体は軽い読み物調なのだが、次から次によりどころを挙げて考証していくので、知識のない読者としては難解に感じてしまう。 「日に曝(さら)し乾かしてから粉をこさぎ取るのである」(p31)の「こさぎとる」や、「砂糖は多い目が佳(よ)く」(p33)の「多い目」は、は耳慣れない言葉だが、方言だろうか。 下関に生まれ、京都に長く住んだ。 博学多識で驚くが、大正十三年の北京滞在中、王国維を訪ねて茶菓の饗応を受けたというのにも驚いた。(p99) これまでの思いこみをくつがえされたのは、米飯に関するところ。 「南方、江蘇・浙江(せっこう)あたりには粘気のある良質の米を産出する」が、「北人は、かえってそれを好まない」(p110)という。 北方の米は、粘り気がないから手で食べることができ、箸では食べにくいから匙で食べたのではないか、米飯を食べるのに箸を使うようになったのは、南方の米を食べる風習から生まれたのではないか、というのである。 チャーハンやお粥には南方のぱらぱらの米が適しているので、南方の米は粘り気がないものと思いこんでいた。 それにしては、十年以上前に中国を旅行したときは、北方の米の方が日本の米に近いと感じたが。東北地方に日本の米が持ち込まれて変わったのだろうか。 古今の様々な食べ物が登場するが、家庭で簡単に作れるものは少ない。 その中で、最後の「陶然亭」に出てくるものだけは作れる。「浅草海苔を一枚炙(あぶ)り、揉(も)んで小皿に入れ、花鰹(はながつお)を一撮(ひとつま)みつまみ込んで醤油をかけ、擦山葵(すりわさび)を比較的多量に副(そ)えて、燗酒(かんざけ)と共に差出した」(p195) 著者が人に聞いた話の中に出てくる。華国の風味ではないのだが。実際に試してみたところ、たしかに酒の肴としてはすぐれている。少量の肴で大量の酒を飲みたい人にはぴったり。 現在岩波文庫版は品切れ。ワイド版が出ている。
2002.09.18
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国語一〇〇年(著者:倉島長正|出版社:小学館) 「国語一〇〇年」といっても、日本語のここ百年の変遷という意味ではない。 国語問題がどのように扱われ、現状がどのようにしてもたらされたかを明らかにしたものである。 明治33年(1900)に、「国語調査会」が設置されて以来、ローマ字表記推進派、仮名遣い改訂派、漢字廃止論者など、日本語のあり方を大きく変えようとする人々がいる一方、それを阻止しようとする人たちもいた。 どちらかというと、漢字廃止論者が多いようなのだが、かろうじて今日の「漢字仮名交じり文」にたどり着く。 それにしても、現代仮名遣い、常用漢字の字体制定は拙速だった。 そして今、JIS規格によって、勝手に字体が変えられつつある。 国語審議会、文化審議会は、しっかりした指針を示せずにいるとしか思えない。 どうにかしろよ、と言いたくなる。 著者も、「あまりにも節操のない審議会運営です」(p120)とあきれている。 漢文訓読が、現在のような助詞を略した棒読み風となったのが江戸末期だったとはしらなかった。それまではもっと自然な文章になっていたそうだ。 また、山本有三が「ふりがな廃止論」をとなえていたこともしらなかった。それで、『真実一路』で変わった表記の仕方をしていたのだ。 そもそも、ローマ字論を展開するする心理が理解できないのだが、同じ事を考えた人はいるようだ。大西雅雄という人は、「白人及び横文字に憧れ、支那人及び漢字を蔑む」かたちで展開されてきた国語政策を「時代の罪」と表現したという。(p216) 文章はですます調。 この本で困るのは、ルビが一切ないこと。 「書牘(しょとく)」「鳧(け)り」などは辞書を引けばいいのだが、人名は困る。 さすがに、「時枝誠記(ときえだもとき)」「福田恆存(ふくだつねあり)」あたりは読めるが、長沼直兄、佐野利器はわからない。山田孝雄だって、しらないひとは「よしお」ではなく「たかお」と読んでしまうのではないか。
2002.09.12
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語られざるかぐやひめ(著者:高橋宣勝|出版社:大修館書店) 出版された時に読んだのだが、思い立って読み直してみた。 ほとんど忘れていたので、興味深く読んだ。 「I 昔話の世界」は、西洋と日本の昔話の比較。 自明のことは語られない、というのは、言われてみればその通り。 西洋では異類は変身しないが、日本では「変身するのは異類と相場が決まっている。だから異類女房譚では異類が人間となって男のところを訪ねてくるときに、異類が人間に変身したなどとあえて語らないのだ。」(p71)語らなくても聞き手はそれが異類だと知っているのだ。語られていることだけでなく、語られていないことに目を向ける、というのが新鮮。(研究者にとっては当たり前のことなのかもしれないが) 次は語られていることから。 「外来昔話の変容」で、「手なし娘」が挙げられているが、娘への迫害が、西洋では近親相姦を拒んだため、父親が悪魔と約束したため、など5種類あるのだが、日本では「継母の迫害」のみ。取捨選択や代用が行われ、日本に根付いたのである。 さて、「竹取物語」が昔話にならなかった理由だが、それは「流謫思想がわが国の文化と相容れなかったということに尽きる」(p250)と結論付けている。 変身するのが異類であることが暗黙の了解であるように、悪魔との約束が受け入れられないのと同じように、昔話として受け入れられる論理があり、それにはずれる「竹取物語」は昔話とならなかったというのである。 「竹取物語」の研究書であり、日本文化の概説書である。
2002.09.06
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