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論語の人間学 人間と知恵とを語り尽くす(著者:守屋洋|出版社:プレジデント社) 論語の解説書といえば解説書なのだが、出版元がプレジデント社であることからも分かるように、サラリーマン向けの本なのである。 普通の論語入門書ではあるのだが、論語の中から、サラリーマン社会に役に立ちそうなものを選び、現代社会にもこういう点はそのまま通用するのではないか、と説くという面がある。 例えば、「子曰、不在其位、不謀其政。」を解釈した後で、「たとえば課長のポストにあるときは……」と説く。 参考にした書籍の中に宮崎市定『論語の新研究』があり、論語にひんぱんに現れる「君子は」という文は、「諸君はこうしてほしい」という意味だという解説もあるが、基本的には、伝統的な解釈にのっとっている。 論語の、さわりだけ読むにはちょうどいい本だ。
2002.03.20
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君を見上げて(著者:山田太一|出版社:新潮文庫) NHKでドラマ化されたのを見たので、原作を読んでみた。 ドラマと原作とでは設定の違うところがいろいろあるが、読んでいると、ドラマで演じた俳優の声でセリフが聞こえてくるか不思議だ。 山田太一が脚本をかいだドラマは幾つか見たことがあるが、小説を読んだのは初めて。 読みやすい文章で、わかりやすい。 163センチの男と、182センチの女の組み合わせ、というだけでなく、開かなくなった金庫を開ける金庫屋という職業の設定が独創的で面白い。 うまくいったりいかなかったりした後、事件が起こり、話が結末へ向かって走っていく。 なるほど、こういうふうに話を作っていくのか、というお手本のようだ。 表記の面では、「聞く」ではなく「きく」、「言う」ではなく「いう」とかな書きを多用しており、字面がやわらかい。 なお、ドラマはDVD化されている。
2002.03.18
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日本語に主語はいらない(著者:金谷武洋|出版社:講談社)カナダで日本語を教えている著者が、日本語教授の経験から、今までの、日本語の文法に疑問を抱き、英文法を日本語に当てはめるのではなく、日本語を日本語として考察し、あたらしい文法大系をうち立てようという意図のもとにかかれている。 今までに、生成文法や、三上文法という言葉は聞いたことがあったが、それがどのようなものか、この本を読んで初めて知った。 なるほど、そうだったのか、の連続で、まさに「目から鱗が落ちる」思いを何度も味わった。 英語では、主語によって動詞が変化するので、主語が不可欠だが、日本語においてはそうではない。主語がない場合、主語が省略されていると考えるのが主流になっているが、もともと主語が不可欠ではないのだ。省略しているのではない。最初から必要ないのである。 よくある、助詞の「は」と「が」の比較も、そもそもがナンセンスであると論断する。 「は」というのは、その文を越えてほかのところまで作用するスーパー助詞なのである。 根底にあるのは、どのように物を考えるか、という姿勢の問題である。 その点で、高島俊男『漢字と日本人』に共通するところがおおい。 たとえば、明治時代の日本人研究者が、なぜ日本語にも、英語と同様に「主語」があると主張したかというと、「英語に主語があるのだから、日本語にも主語があるべき、という差し迫った衝動に囚われていたからであり、それが彼らにとっての脱亜入欧の姿勢だったからである。」(p136)ということなのだという。 基準を欧米におくことが今でもずっと行われていることを、終章で嘆いている。 瑕疵もないわけではない。 「理」と「解」は二つとも「分ける」意味の漢字であることに注目したい。「理」の訓読みは「ことわり(=事+割り)」である。 というように、漢字の字義を日本語の訓読みによって説明してしまっている。 たまたま『漢字と日本人』を読んだあとなので、気になった。
2002.03.06
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