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絵巻物に見る日本庶民生活誌(著者:宮本常一|出版社:中公新書) 絵物語に描かれた人々の姿をもとに、かつての日本人の生活ぶりを探るもの。衣食住や農耕、人生、動物など多岐にわたるが、どうもあまり面白くない。 絵にこういうことが描いてあり、それによってこういうことが分かる、という説明が多く、絵を参照することが前提になっているのだが、肝心の絵が、白黒図版で小さくわかりにくい。 どうしてこんな本を書いたのだろう、と思ったが、「あとがき」で納得。「日本絵巻大成」の月報に連載したものをまとめたものなのだ。 月報なら、「日本絵巻大成」を手に入れた人が読むわけで、簡単に絵を参照できる。絵の解説としても役に立つ。 巻末に宮本常一著作目録がついている。どうしてなのかは分からない。
2002.04.30
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物語大江戸牢屋敷(著者:中嶋繁雄|出版社:文春新書) 時代劇や時代小説に登場する小伝馬町の牢屋敷。 それがどのようなものだったか、という概説に始まるが、書名に「物語」とあるように、牢屋敷に関わりのある人物のエピソードを並べて実態を明らかにしていくという方法をとっている。 牢内の人を感化した吉田松陰、牢名主にまでなった高野長英の話が最も印象に残った。 牢内は、とにかく、金がものを言う世界で、賄賂が横行しているのだが、それは、牢屋敷特有の現象ではなく、どこでも同じだったのだろう。 牢屋敷のほか、流刑、人足寄場、切支丹屋敷もとりあげている。 人足寄場を更正施設として非常に高く評価しているが、これは、著者が、かつて保護観察所に勤務していたことが影響しているのだろうか。
2002.04.18
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イエスタデイ・ワンス・モア(著者:小林信彦|出版社:新潮文庫) 高校3年生の「ぼく」が、1989年から1959年にタイプスリップしてしまって……という物語で、設定はSFのようだが、内容は風俗小説である。 タイムスリップしたことによって起こる物語が重要なのではなく、1959年を描くことが重要なのだ。 後書きで、第16章は、雑誌に連載していた時は資料がなくて書けず、あとから追加したということが明かされている。物語の展開上必要な章ではない。1959年を描くために必要な章なのである。 主人公は映画とミステリが好きで頭がいい。著者の分身そのもの。テレビ業界については、著者の見聞によるところが大きいのだろう。 表紙とイラストは、なんと、吉田秋生。
2002.04.17
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空想科学漫画読本(著者:柳田理科雄|出版社:日本文芸社) 以前からこの著者の本は気になっていた。読んでみると、予想に違わず面白い。 マンガの一こまから、そこに描かれている現象が現実に起こったらどういうことになるかを科学的に検証するのだが、決してあら探しではなく、愛情が根底にあるので好感が持てる。 読んだことのないマンガも多かったが、知らないものについての説明も面白い。 電車の中で読んだのだが、こんなものを他人がいるところで読んではいけない。必死に笑いをこらえ、涙を浮かべているのを他人が見れば、あぶない人にしか見えない。 これを読んで初めて知ったが、著者はプロレス・ファンなのだ。これによってさらに好感度アップ。 ジャイアント馬場さんの修行を描いた「ジャイアント台風」の特訓の荒唐無稽さも笑える。おそらくこれは梶原一騎の創作だろう。 一つ「違う」と思ったのは、8マンを「ロボット」と表現しているところ。(p197) 8マンはロボットではなくサイボーグのはず。 また、「天才バカボン」も取り上げているが、ありえないことを前提にして書いているものを分析しても意味はない。(「マカロニほうれん荘」に関するところで、著者自身それに近いことを言っている) 科学的に分析するとどんなに無理なことでも、それを越えるのがマンガのすごさなのだ。 実際、著者も、「12人もいるんだから、バイクを降りて袋叩きにしたほうが早いはず。でも、そんな普通の攻撃より、電柱攻撃のほうが迫力満点に見えるのも事実だ。漫画とは、本当に不思議なものだなあ。」(p166)と感嘆している。 マンガのすごさを再確認させる本でもある。
2002.04.13
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暦のからくり(著者:岡田芳朗|出版社:はまの出版) 暦がどのように作られてきたか、十干十二支や七曜というのはどのように生まれてきたのか、ということから、暦がどのように使われてきたかなど、あれやこれや盛りだくさん。 七夕などの行事は太陰太陽暦の方が季節にはあっているということは知っていたが、単純に太陰太陽暦がその行事の時期にぴったり合うわけではないということを初めて知った。 また、閏月のある年には、立春が二回あることがある、という。 これまでの知識が不十分であったことを思い知らされた。 何事も奥が深い。(再読) 著者は暦の専門家で関連著作も多い。 そもそも暦とは何かから始まって、太陽暦、太陰太陽暦、純粋太陰暦と説明していく。 イスラム暦は今でも純粋太陰暦だと初めて知った。 二十四節気は、陰暦の暦日だけでは季節がわからないので、太陽の動きを暦に割り付けて季節を分かるようにしたものだということをこの本で初めて理解した。 陰暦の日付と二十四節気は一致しないのである。 最も驚いたのは「七曜」。これは明治になってから入ってきた者と思いこんでいたが、平安のはじめに密教と友にもたらされたもので、朝廷の編纂する「具注暦」には記載されていた。 もとはユダヤ教徒からキリスト教徒に伝えられたもので、千年を経ても曜日がずれることなくぴたりと合っていたのだから驚く。 また、年中行事は陰暦の方が季節にあっていると思っていたのだが、陰暦でやはり行事と季節のずれがあったという。 世の中知らないことばかりである。
2002.04.12
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幕末百話(著者:篠田鉱造|出版社:岩波書店)(初読) 幕末のことを覚えている老人に当時の思い出を語ってもらった聞き書き集。内容も面白いが、語り口が、生き生きとしていていい。 例えば、 「昔の家督というものは無雑作で、今と違い、面倒なことはありません。御届けさえ済めば故障はないので。先達(せんだって)のお話の通りの大名はイザ知らず、その頃は相続は容易(たやす)いものでした。当今はこの間も孫を養子にするので、区役所へお百度を踏みましたよ。ホイ余計な愚痴を申した。ソコで家督のお礼というのは弁じようか。その御礼の前にこういう御書付が上(かみ)からまいるんだよ。」(177ページ) また、明治になってから世相が変わったことを嘆いた言葉にこんなのがある。 「ソレに「徳義」という二字ではなかったが、「義」という一字のためには随分と肩を入れて争ったもので、しかるに当今は「徳義」の二字はサテ置いて、「義」の一字のためにも力を尽す人はない。「利」の一字のために一生懸命で、真(しん)に我々老人株から見ると、行末が案じられます。」(183ページ) どんどんどんどん人間が「利」ばかりを追い求めて来て現在に至るわけだ。(再読) 本屋で見た時に、読んだような気もすると思ったのだが、確信が持てず買ってしまった。途中、足を脱疽で切断した役者の話で「おや」と思い、髪結いが、カミソリで剃る練習を自分の膝でする、というところで思い出した。 しかし、読み直せば、発見はある。 「買込むばかりで売口(うれくち)が鈍いから、果はバッタ[バッタに傍点]に売ったりして、損耗(そんもう)になってしまった。」(p81)は、バッタの用例としてかなり古いのではないだろうか。 「江戸の大町人、お大名をお招き申して、便所(はばかり)には香を沢山焚き、余程贅沢を尽くした積りであったところ、お大名は頻(しきり)に鼻をヒコツカせ、「恐ろしく便所(はばかり)の匂いが強い」と言った話もありますが、」(p257) 現代でも金木犀の香りをかぐと、「トイレの匂いだ」という子供がいるとか。 明治になってからは一市井人として暮らしていた人に限って話を聞いており、生活が感じられるのがいい。
2002.04.08
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