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先週は26日(火)-30日(土)まで沖縄でした。土曜礼拝後の洗礼式に間に合うように帰り、洗礼を受けた高校3年生のキリッとした顔の輝きに、参加者全員感動でした。 今朝はアルツハイマーの兄弟がいつも送迎してくれる隣人が休みのため、奈良市富雄キリスト教会へ送迎。 今日は奈良市市会議員選挙に立候補した兄弟も礼拝に出席し、結果を主にゆだねた平安の顔で証をしていました。 礼拝の奏楽も楽しく賛美があふれています。ピアノ、シンセサイザー、ドラム、ベース、ギター4本、ウクレレにボンゴ、さらにクラリネットが2本。奏楽者の中には5歳のギターと8歳のウクレレがあり、ほほえましく完璧な奏楽をしてくれます。 10時より11時半までの礼拝、子どもたちも加わり賛美とメッセージに耳を傾けます。礼拝が終わると祈りや相談、聖歌隊の練習、来週の賛美訓練、食事の交わりなど、どこのキリスト教会でも行われる礼拝後に風景です。 牧師は大阪エリムの礼拝にみんなより少し早く退出。午後2時より聖書研究会。2時45分より礼拝。4時に終わるとそのまま車で境エリムの5時半からの礼拝。26号線を走ります。病院訪問のときは高速で大急ぎでお見舞い。7時過ぎに堺の礼拝を終え、近くのコンビニで夕食用の食材(ほとんどおにぎりかパン)を買い求め、娘が運転してくれるので車中で夕食です。富雄まで息子を送り自宅に帰るのは8時過ぎ。 今夜は10時半から選挙の開票が始まるので、教会員2人の選挙事務所を訪問。結果を祝福します。 あなたは知らないのか。聞いていないのか。 【主】は永遠の神、地の果てまで創造された方。 疲れることなく、たゆむことなく、 その英知は測り知れない。疲れた者には力を与え、 精力のない者には活気をつける。若者も疲れ、たゆみ、 若い男もつまずき倒れる。しかし、【主】を待ち望む者は新しく力を得、 鷲のように翼をかって上ることができる。 走ってもたゆまず、歩いても疲れない。イザヤ40:28-31だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。マタイ6:33-34
2005/07/31
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ケニアの写真は随時紹介しますが、レポートは昨日のお願いで一応終わります。 26日(火)家内が通っている生駒市の手話サークルより講演依頼を受け、1時間の講演と1時間のディスカッションに午前中参加。終わると同時に電車に飛び乗り沖縄へ30日(土)まで行って来ました。 手話教室では小部屋が一杯になるほどの集まりで、アフリカ・ケニアのことやパラダイス孤児院について話しました。手話通訳の方が隣で通訳をしてくれ、何不自由なく言いたいことを伝えることができました。 富雄キリスト教会では手話通訳が二人いて、毎回メッセージを的確に伝えてくれています。最初、教会には手話通訳者がいなくてロー者の兄弟姉妹のために筆記をしていました。そのような時知的障害を持つ青年が礼拝に出席するようになりました。手話サークルで手話を習っており、通訳をしたいとのことでお願いしました。ところが手話通訳では通じないとのこと。家内をはじめ数人の姉妹たちが手話を必死で習い始め、賛美や簡単なことは手話でできるようになりました。 教会の礼拝に手話があることを知った方が集い始め、やがて洗礼を受けてクリスチャンになり、手話通訳の奉仕を長年続けてくれています。 すばらしいことにそのことを通してご主人も娘さん夫婦もクリスチャンになりました。今では手話通訳、礼拝の司会や奏楽の奉仕はギター、クラリネット、5歳の孫は子ども用のギターで演奏に加わり、上手に賛美を奏でています。 手話の恵みが広がり、日曜日の午後は東大阪市長田でローの方々の礼拝も行われています。 大阪エリムには盲の方が出席し、今日もその方のために点字の文書と新垣勉さんのCDをプレゼントするために、わざわざ来てくださる方があります。 それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。マタイ7:12 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。ルカ6:38 このように労苦して弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が、『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを思い出すべきことを、私は、万事につけ、あなたがたに示して来たのです。使徒20:35
2005/07/31
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Impossibilities Become Challenges!!ケニアレポートパラダイス孤児院を訪ねて 6月28日(火)-7月7日(木)の10日間、今年で16年目になるアフリカ宣教でした。今年も二人の神学生が同行。出かける直前に格安航空券の旅行社が倒産し、前払いしていた航空券もないとの電話があり驚きました。やっとの思いで手に入れた高額のエミレーツの航空券で待ち時間も少なくケニアに到着できた。ちなみに28日(火)午後11時15分関空発で、翌29日(水)昼の12時10分にナイロビ国際空港に着く。時差が6時間あるので21時間でケニアということになる。家を出て24時間だ。パラダイス孤児院はナイロビから来るまで約7時間、ケニア第三の都市キスム近郊のマンボレオ村にあります。キスムは人口60万、ビクトリア湖の辺の町で、世界一のマラリア発生地。またケニア一のストリートチルドレンの町だそうだ。パラダイス孤児院はMFA(ミッション・フォー・アフリカ)が1986年に設立した孤児院で、45名を養育しています。9年間、すべて日本の支援でケニア人のスタッフたちが忠実に運営してくれている。2000年にケニア共和国が2万坪の土地を2009年までの100年間無償提供してくれた。喜だのもつかの間、100年分の使用税をまとめて要求され、昨年6000ドルをアドナイイルエの支援を受けて支払うことができ感謝でした。昨年、その土地に5棟(男女寮・ホール兼礼拝堂・スタッフハウス2軒)を、全国から寄せられた600万円で建設し、完成式を行いました。すべての必需品(ベッド・マット・いすに机・蚊帳や食糧等々)し、新しい孤児院に引っ越すことができました。今年、新しい家に住む子どもたちは笑顔で門の前に勢ぞろいし、「この日は主が造られた」(詩篇124:24)と、日本語で歌いながらの歓迎に迎えられました。今年も45名(男30人、女15名)の学習用品(教科書・ノートなど文房具等)の登校用靴や学校カバン、ゴム靴やサンダル、ユニフォームにカーデガンや下着、何よりもマラリア予防のために蚊帳を50張りなど、必需品を購入。昼からは青空市場で3ヶ月分の食糧(コメや豆、トウモロコシやその他の備蓄できるもの、砂糖に塩、油など)を購入。さらにナイロビまで出かけて中古車(8人乗りのバン)を12000ドル(130万)で購入したりもした。ビザカードで支払おうとしたが、帰国してからの外国送金になり面倒でした。送金しているとき、ケニアへの支援金を送りましたとの連絡もあり感謝でした。 これから、昨年よりお願いしている学校の校舎建設をスタートします。来年正月(ケニアでの学期スタート)に設立式を予定しています。まず250万円くらいでできる建物を建て、とりあえず開校しようということになりました。 教師はキスム教育委員かから派遣してもらうことにし、ミッションスクールとして幼稚園から教育します。孤児院の子供たちも通うことになると、通学費用もずいぶん助かるようです。 現在、高校生が15名、大学生が2名になっています。大学までの教育を考えないとケニアでは就職事情もあり、孤児たちが職に着くのが非常に難しいようです。恐らく大学まで面倒を見る孤児院はケニアでパラダイスだけだと思います。 来年は大学生になると顔を輝かせ、誇らかに報告する子どもたちの姿に、ケニアの将来を見る思いでした。 一口5,000円で、ケニア・パラダイスの子ども支援と学校建設支援を、引き続きお願いいたします。郵便口座番号 00990=5=245213 エリム宣教会630-0243 生駒市俵口町951 エリム宣教会 代表 榮義之電話・Fax. 0743-73-8868 E-mail p sakae@yahoo.co,jp「わたしは、あなたをよく知っています。 あなたは、決して強くはありませんが、わたしの教えを守ろうと努力し、わたしの名を否定しませんでした。 それで、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を、開いておきました」(黙示録3:8)心よりご健康と祝福をお祈りいたします。 牧師 榮義之 Ikoma Bible College : 951 Tawaraguchi-cho,Ikoma-city,Nara-Ken,Japan 630-0243Tel. Fax.0743-73-8868 携帯 090-1593-1269 E-MAIL psakae@yahoo.co.jp HP http:blogs.yahoo.co.jp/psakae テレフォン・メッセージ 0743-73-3740(毎日変わる2分メッセージ)ラジオ放送希望の声 ABCラジオ(1008kHz)水曜朝4時35-45分)
2005/07/30
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キリンです。
2005/07/29
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木の上で気持ちよさそう。
2005/07/29
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ケニアの子どもたち
2005/07/28
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ケニアの子どもたち
2005/07/28
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2000年にケニア共和国が孤児院に土地を無償提供。契約書は2099年まで、7ヘクタールの広い土地を提供してくれた。昨年その土地の上に新しい建物を5棟建設。予算は整地や広大な敷地に張り巡らされたフェンスも含めて日本円で600万円。 エリム宣教会は、エリムキリスト教会の海外宣教の窓口。教会はラジオ放送希望の声や、特に大阪エリム(レンタルチャーチ)の家賃が高く、いつもアドナイイルエ(主の山には備えがある)と信じて前進している小さな教会。 幸い、キリスト新聞、クリスチャン新聞、リバイバル新聞がアフリカでの活動を報じてくれたり、ホームページを見てもらったりで、多くの祈りとともに支援金も与えられた。建設資金600万円が奇跡的に短期間で備えられ建設に着手。昨年の6月に完成式を行い、前の孤児院から新しい孤児院に移転した。 貨幣価値が違うこともあるが、これらの建物が一棟1万ドルくらいで完成する。夢はアフリカ全土にこのような孤児院を250くらいは建てたい! パラダイス孤児院が自立した孤児院となるためのアイデアを教えて欲しい。また自立した孤児院があればそのケースを知らせていただけたら感謝です。 不可能は挑戦となり可能となることを信じて、ささやかなアフリカ宣教を16年継続しています。お祈りとご支援をお願いできればと願っています。 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」マルコ11:22-25 写真は男子寮(1万ドルで建つ)
2005/07/26
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ケニアのサファリはマサイ族の土地、サバンナの地で牛を飼っている。ライオンもサバンナの中で彼らの衣装を見ると恐れて牛には近づかないそうだ。 牛を何頭持っているのカが、大金持ちのしるしだという。夜はサファリでマサイダンスを踊る。 この日は昼間、村の近くで思い切りのいいジャンプを思い切り楽しませてもらった。 アフリカ旅行のささやかな楽しみだ。
2005/07/25
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1988年最初のケニアに行き、ケニア最大の飢餓地帯トルカナ地方への食糧支援を決心し、脳何出血で倒れるまでの10年間継続した。 89年の2回目のアフリカのとき、ケニアの現地教会が孤児院を始めました。支援を約束し10名の子どもの写真を受け取り、一人6000円のサポートで教会員たたちは毎朝その写真を前において祈り続けた。 サポートも2000ドル贈ったが、領収書も礼状も来ない。 90年に行ってびっくり! 前年にもらった写真の子が一人もいない。孤児たちはみすぼらしいなりをして、食事も満足に食べていない状態。教会員への約束は1年間サポートした子どもたちの元気に成長した姿をカメラに収めて帰ること。さまざまな言い訳を聞かされたが、机の上を見ると写真が百枚以上も積まれており、その写真には日本のキリスト教会の名前が書き込まれていた。何百と言う孤児のサポートを受けながら、孤児院(といっても狭い家屋)にいるのは30名くらい。失望と同時に怒りを覚え他が、子どもたちに罪はない。また支援金をささげ、孤児のために支援金は子どもたちのために使うように、厳しく注文をつけて帰国。 そんな中で現地教会の建設(5教会と洋裁教室など)や、トルカナに食糧を運んだり、地方教会で集会をしたりしつつのケニア宣教だった。 しかし、現地の事情が分かるに付けてこのままではいけないとの思いが強くなり、トルカナへの食糧は現地で自分で購入し運ぶことにした。驚いたことに1000ドルでトラックいっぱいの食糧購入ができ、今まで何だったのかと思った。 孤児院も同じだった。決心して自分たちで運営することにした。幸い日本に「企業研修に来た青年たちがいたので、彼らに忠実な運営をしてくれるようゆだねた。 幸い9年間、パラダイスは祝福されて継続している。子どもたちの顔も私が訪問するからと作った笑顔ではない。心から笑い楽しむ姿を見、大きく成長した彼らの感動する。衣服もこざっぱりしたものをまとっている。多分、私が行くときは一番いい物を着るんだろうが。 今年で16年になるアフリカ。考えて見ると高い授業料を払った気もするが、授業料が高ければそれ相当の良い学びをすることができると感謝して、前向きに楽天的にハクナマタータ(何とかなるさ)と、ケニア人のようにポレポレ(ゆっくり、ゆっくり)前進して行こう。感謝、感謝。第二コリント人への手紙より9:6 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。9:7 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。9:8 神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。9:9 「この人は散らして、貧しい人々に与えた。 その義は永遠にとどまる。」と書いてあるとおりです。9:10 蒔く人に種と食べるパンを備えてくださる方は、あなたがたにも蒔く種を備え、それをふやし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。9:11 あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して、神への感謝を生み出すのです。9:12 なぜなら、この奉仕のわざは、聖徒たちの必要を十分に満たすばかりでなく、神への多くの感謝を通して、満ちあふれるようになるからです。9:13 このわざを証拠として、彼らは、あなたがたがキリストの福音の告白に対して従順であり、彼らに、またすべての人々に惜しみなく与えていることを知って、神をあがめることでしょう。9:14 また彼らは、あなたがたのために祈るとき、あなたがたに与えられた絶大な神の恵みのゆえに、あなたがたを慕うようになるのです。9:15 ことばに表せないほどの賜物のゆえに、神に感謝します。
2005/07/25
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なぜアフリカ?へ行くのか? 日本にはまだキリスト教会がない地域がいっぱいあるのに、なぜ? また昨夜はラジオ放送希望の声の聴取者からも長い電話があり、なぜ?エリムキリスト教会の回り(大阪市浪速区・西成区・天王寺区)には多くの飢えている人々がいるのに、アフリカの子どもを養うのか? ケニア政府に任せておけばいいのでは・・・と、いろいろ質問されました。 イエス様は、「全世界に出て行って全ての造られた者に福音を伝えなさい」(マルコ16:15) 「聖霊が臨むとき、・・・地の果てまでわたしの証人となる」(使徒1:8)と言われました。 また、 「畑は世界である」と、常に全世界を視野に入れてお話なさいました。2000年前に語られたことばですが、生きていることばです。今、私たちはグローバル化された世界に生きています。その中で日本は矮小化された国家観、民族意識に縛られようとしているように思います。 平和憲法改正、靖国参拝、重税課税、上げたらキリがないほどの問題ばかりです。もっと広い国際意識を身に付けた指導者が輩出するよう祈ります。内村鑑三は、二つのJを愛すると宣言しました。JesasnoJとJapanのJです。 新渡戸稲造は、私は太平洋の架け橋となると宣言し、世界平和に貢献しました。5000円札の肖像が樋口一葉に変わり残念です。 全人類を愛して十字架にいのちを捨て、全人類の罪を贖い、3日目に復活したイエス・キリストの愛を全世界に伝える使命が与えられています。 今、与えられている使命はケニアの地で子どもたちを養育し、教育するという働きと自覚しています。 小さな働きです。奈良市の一角にある小さなキリスト教会の祈りと愛の支援を応援してください。 写真は、パラダイスの子どもたちです。1年に一回の楽しい食事です。前にも書きましたが、200ドルで70人がお腹いっぱい食べられます。ささやかなアフリカ宣教を狭い民族意識で非難しないで、自分で周りにいるホームレスの方々を助ける勇気を持ちたいものです。イザヤ書より12:1 その日、あなたは言おう。 「【主】よ。感謝します。 あなたは、私を怒られたのに、 あなたの怒りは去り、 私を慰めてくださいました。」12:2 見よ。神は私の救い。 私は信頼して恐れることはない。 ヤハ、【主】は、私の力、私のほめ歌。 私のために救いとなられた。12:3 あなたがたは喜びながら 救いの泉から水を汲む。12:4 その日、あなたがたは言う。 「主に感謝せよ。 その御名を呼び求めよ。 そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。 御名があがめられていることを語り告げよ。12:5 【主】をほめ歌え。 主はすばらしいことをされた。 これを、全世界に知らせよ。
2005/07/24
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パラダイス孤児院を紹介してるが、今日は閑話休題。サファリのライオンを紹介。マサイマラはライオンの王国だが。短いサファリ滞在でライオン(特にオス)に出会えるのはラッキーだ。野生の王国そのままのサファリ!ライオンに出会えた。【主】を恐れよ。その聖徒たちよ。 彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。 若い獅子も乏しくなって飢える。 しかし、【主】を尋ね求める者は、 良いものに何一つ欠けることはない。 詩篇34-9-10
2005/07/23
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45人もの子どもたちを養育するスタッフたちの働きにに感謝。全体的な管理運営だけでなく、多くの隠れた労苦もある。 最重要なのは子どもたちの心の健康であり、牧師がいつもいてくれることはありがたい。日曜日はホールが教会となり、マンボレオの村の人も礼拝にやってくる。地域とのつながりもある孤児院だ。村の子どもたちもいるので、どの子が孤児なのか分からないときもあったほどだ。 もうひとつは身体のための食事だ。幸いスタッフの方々は料理上手だ。土曜日の交歓昼食会の料理を美味しく作る手際は見上げたもの。 次回は、日本からカレーを持っていって、いっしょに作りたいと神学生たちが話していた。スワヒリ語勉強しなさいよ!と、言っておいた。 更に必要なこともある。それは警備だ。土曜の夜も泥棒がフェンスの金網を切って侵入した。取るもものが何もなく、ホールにかけていた時計だけを持って行った。侵入したのは真夜中の3時で、警備室から一番遠いところから侵入していた。子どもたちに危害が及ばないように祈っている。 パラダイスの正面入り口には、詩篇91篇と掲げられている。91:1 いと高き方の隠れ場に住む者は、 全能者の陰に宿る。91:2 私は【主】に申し上げよう。 「わが避け所、わがとりで、 私の信頼するわが神」と。91:3 主は狩人のわなから、 恐ろしい疫病から、 あなたを救い出されるからである。91:4 主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。 あなたは、その翼の下に身を避ける。 主の真実は、大盾であり、とりでである。91:5 あなたは夜の恐怖も恐れず、 昼に飛び来る矢も恐れない。91:6 また、暗やみに歩き回る疫病も、 真昼に荒らす滅びをも。
2005/07/23
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パラダイス孤児院が設置されて9年。最初からいる子はもう大学生2人、高校生15名にもなりました。この子らの幸せを願っています。
2005/07/22
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ケニア・パラダイスの子らの輝きの顔、顔、顔
2005/07/22
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パラダイス孤児院はケニア人のスタッフによって運営されている。日本からの仕送りを彼らがしっかり管理し、MFA(ミッション・フォー・アフリカ)の事務局長が日本でチェックしている。 パソコンという文明の利器が発達し、距離や時間(時差)を超越して物事が進む。パラダイスのケニア人はルオー族(キスムはルオー人の町)だから、この町での働きはルオー人のほうが有利。容貌も現地語も、さらにルオーの文化も自然と身についているから、子どもたちもなじみやすい。 孤児院開設のときからラバンとオウマ夫妻が責任を持っている。ラバンはアメリカで1年間孤児院運営を学んだこともある。 オウマは日本語が堪能で英語、スワヒリ語、そしてルオー語もできる。通訳としていつも奉仕してくれている。 二人とも企業研修で大阪に来て学んだ経験があり、日本の文化やしきたり、日本語(大阪弁なまり)も話すことができる。孤児院ではパパ代わりの二人だ。奥様たちは日本語は分からないが、とてもステキな奥様たちで料理が美味く、子どもたちにとっては最高だ。 パラダイスの45名の子どもたちと同時に、ラバン夫妻、オウマ夫妻のことも覚えて祈って欲しい。 私が御子の福音を宣べ伝えつつ霊をもって仕えている神があかししてくださることですが、私はあなたがたのことを思わぬ時はなく、 いつも祈りのたびごとに、神のみこころによって、何とかして、今度はついに道が開かれて、あなたがたのところに行けるようにと願っています。 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。 というよりも、あなたがたの間にいて、あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。 兄弟たち。ぜひ知っておいていただきたい。私はあなたがたの中でも、ほかの国の人々の中で得たと同じように、いくらかの実を得ようと思って、・・・いるのです。ローマ1:9-13
2005/07/22
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ケニアパラダイスの子どもたち。
2005/07/21
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2000年にケニア共和国より、100間無償で土地の提供があり、昨年、その敷地に孤児院を建設し、こどもたちは前の孤児院から引っ越し、新しい場所での生活を楽しんでいる。結構広い敷地で、野菜を作ったりしながら少しでも役立てようとしている。 敷地内をみんなで歌いながら案内してくれた。平面的広がりをもつ敷地の中に水路を流し、野菜畑にしている。トウモロコシやトマト、それにスクマ(ケニア人の大好きな野菜・ほうれん草に似ているが、とても美味しい)などを植えている。 自給自足にはほど遠いが、自分たちで何とかしようということは素晴らしいと賞賛した。一人の少年はぼくがこの畑の手入れをしているんだと案内してくれた。少年少女たちは自分のことは自分でする。当たり前かも知れないが、洗濯、掃除、食事の後片付け、ホールの整備、教会の礼拝準備,奏楽奉仕、それぞれの持ち味を生かしてがんばっている。 将来、この子達がケニアの希望になることを夢見ながら、パラダイス孤児院は前進している。 さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。 イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された。マルコ10:13-16 詩篇より・・・ 68:3 しかし、正しい者たちは喜び、 神の御前で、こおどりせよ。 喜びをもって楽しめ。68:4 神に向かって歌い、御名をほめ歌え。 雲に乗って来られる方のために道を備えよ。 その御名は、主。その御前で、こおどりして喜べ。68:5 みなしごの父、やもめのさばき人は 聖なる住まいにおられる神。68:6 神は孤独な者を家に住まわせ、 捕らわれ人を導き出して栄えさせられる。 しかし、頑迷な者だけは、焦げつく地に住む。68:7 神よ。あなたが御民に先立って出て行かれ、 荒れ地を進み行かれたとき、 セラ68:8 地は揺れ動き、天もまた神の御前に雨を降らせ、 シナイもイスラエルの神であられる神の御前で 震えました。68:9 神よ。あなたは豊かな雨を注ぎ、 疲れきったあなたのゆずりの地を しっかりと立てられました。68:10 あなたの群れはその地に住みました。 神よ。あなたは、いつくしみによって 悩む者のために備えをされました。 Posted by
2005/07/20
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パラダイスの子どもたちは大半が9年前からここで暮らしている。孤児院にきたときは、やせてひもじくて、おどどして恐れに満たされていた。今も豊かとはいえないけれども、毎日の食物があり、父母代わりのスタッフに可愛がられ(厳しいけれども)、学校へ行くことができる。 勉強も夜は電気の光が暗くて十分できないように思うが、もう高校生が15名にもなる。大学には2人が通っている。後に続く子達の希望の星になっている。 ステファン・オティエノはスケッチが好きだ。絵がうまい。昨年、娘にリクエストした。来年、来るときはスケッチブックと絵の具を持ってきて! 娘は今年は行けなかったが、リクエストの品を託してくれた。彼はお礼に娘の絵を描いて渡してくれた。 子どもたちも彼がスケッチブックの土産をもらったことを、喜んで拍手を送っていた。 喜び者とともに喜び、悲しむ者とともに悲しみなさい。ローマ1:15
2005/07/19
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パラダイスの高校生は、寮に入る、自転車通学、自動車で送迎(学校が遠く寮もない女生徒)の方法で学んでいる。 食事会が終わると自分たちの自転車を観て欲しいと寮の前に連れて行かれた。26インチの自転車が並んでいる。 フェリックス・オモンディーが、これが自分のだと教えてくれる。高校1年生の彼は背がずいぶん低い。自転車は26インチ、サドルに座ると足が届かない。どうやって乗ってる?と聞くと、たったままで学校まで40分こいでいるという。自転車もほとんど壊れかけている。回りの友達もこれは彼には大きい。新しい自転車を彼に用意してくれないかと頼んでくる。 子どもたちからの直接のリクエストは聞かないのが鉄則だが、半年間も不自由を忍んで自転車通学を続けた姿に感動。また実際に壊れてしまっている。他の自転車も50歩100歩だが、彼のをかって欲しいという友人たちの声に押されるようにスタッフのところに行き、いくらくらいで買えるかと聞く。 5,000ケニアシリング(日本円で7000円くらい?)必要だという。そこで5,000シリングを渡して、フェリックスの自転車を買うことにした。彼は月曜日から新しい自分用の少し小さな自転車で学校へ行けると大喜びだった。 帰国前に、もう一度スタッフに会うことができたので、確認すると新しい自転車を買ったと報告を受けた。 日本に「帰ると駅前や商店街に放置してある自転車を見ると、ケニアに運んでいってプレゼントしたい切に思わされる。そのような働きをしているNPOやNGOもあるかもしれないが・・・。ただ組織が大きくなればなるだけ、末端まで支援が行き届かないという現象が起こるから不思議だ。 ある団体もケニアのナイロビに事務所はあり支援金は届くけれども、実際に飢餓地帯や難民のところまで届ける人がいなくて、そのままになっていると聞いたこともある。 パラダイスはMFAとELIMの働きだが、確実に支援金が食糧となり、必需品購入となります。8月からは学校建築工事に着工する。ケニアの子どもたちの教育の機会を提供できることは感謝である。 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから
2005/07/18
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ケニアはイギリスの植民地だったので、自動車もイギリスと同じ右ハンドル。日本人に自動車は違和感はない。日本の中古車が大人気な理由も分かる。最初にケニアに来たときは、新車のパジェロを自分で運転してトルカナまでぶっ飛ばした。レンタカーを利用するようになり、サファリ観光もするので運転手付きだからもう数年、ケニアでは自分で運転はしなくなった。 パラダイス孤児院の中心スタッフは、ラバン夫妻とオウマ夫妻。日本のTRPという環境保全の会社に社員研修で来日したメンバーで、TRPで製作した水質改善の機械をアフリカ全土に広げ、アフリカの水をきれいにし乳幼児の死亡を減少するという壮大なビジョンとともに設立された会社だ。 専務は生駒聖書学院の卒業生で牧師でもある。ものすごい勢いで会社は発展し、水質改善の第一号機をケニア政府に贈呈し、孤児院の中に設置した。が残念なことに機械は電力事情などで稼動せず、今でも孤児院は水を買い続けている。まだマンボレオには水道がないため。 ラバンとオウマは日本語を話し理解することができる。もちろん100パーセントではないが・・・。英語はもちろん上手に話し、メールも英語でくるのでコミュニケーションに不自由はしない。 幸い、水に機械が再び作動する日が近くなっているようなので、孤児院の自立にも大いに役立つ。その機械が稼動し始めるなら、ケニアの水は清められ飲んでも大丈夫になる。 日本ではスイミングスクールの水や、病院での水などいろんなところで用いられている。すべての雑菌を除去し、ばい菌の害から守ってくれるから幸いだ。アフリカの水をきれいにするために、ODAのお金を用いることができればと思う・・・。 30日(金)の夜、孤児院のスタッフをインペリアルホテルのレストランに招待、夕食会をするのを常としている。昨年は18名(幼稚園の先生たちも)今年は10名を招いた。 驚いたのはこのホテルが始めてという先生方もいたことだ。確かにキスム一のホテルだが、特別にどうちうことはない。ホテルで食事が始めてというスタッフもある。 10人全員がそれぞれ好きなものをオーダーしても、一番高いものが1000円くらいだ。だから4日間の自分たちが食べた夕食を含めて1万円ちょっとの支払いだったので、チェックアウトのとき驚いてしまった。まあ、ありがたかったけれども。 食事のオーダーがすむと何人かが席を立つ。何だろうと隣に座るラバンに聞くと手を洗いに行ったとのこと。食べ初めて分かったのは、手で食べる習慣があることだった。ウガリも大きな骨付きの魚も、鶏肉やチャパティも手で食べている。 中にはナイフとフォークだけで食べているスタッフもいるが・・・。 ともかく2時間余りの楽しい交わりと食事のときを持つことができ、みんなにも喜んでもらって嬉しいケニア3日目の夜だった。詩篇133:1-3見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、 なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。 それはひげに、アロンのひげに流れて その衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりる ヘルモンの露にも似ている。 【主】がそこに とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。
2005/07/17
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土曜日は学校が休み。子どもたちは全員パラダイスの寮にいる。午前10時にマンボレオの孤児院へ向かう。 パラダイスの門前に全員が今日も歌いながらレンタカーの到着を待っている。そこで車を降りスタッフに案内されて広い敷地を子どもたちと回る。 学校を建てる予定地。トウモロコシやトマト、スクマを植えている菜園。牛が長いロープでつながれている。男子寮・女子寮や洋裁教室を見学しホールに入る。 ホールでは近隣のクリスチャンたちも集い、賛美が始まる。歌って踊って楽しい時間が過ぎ、しばらく聖書の話をする。 黙示録3章8節 「わたしは、あなたをよく知っています。 あなたは、決して強くはありませんが、わたしの教えを守ろうと努力し、わたしの名を否定しませんでした。 それで、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を、開いておきました」 誰も閉じることのできない門があることを強調。 1 救いの門 2 祈りの門 3 祝福の門 4 勝利の門 5 成功する働きの門 話を終えると、一人ひとりを抱きしめて、I love you. God bless you.to祝福を祈り続ける。45人全員のために祝福を祈るのでかなりの時間を使う。日曜日は参列者全員のために祈る。 集会が終わりいよいよ楽しい昼食の時間。食事のために300ドルを渡しているので、子どもたちにとって一番嬉しいとき。牛肉、鶏肉、シチュウやスープ、ライスも山盛り、ウガリやチャパティも大きなトレイにいっぱい。コーラもファンタもある。デザートのクッキーも。 ここで食べる食事がケニア一美味しい。いっしょに来るメンバーたちが毎年同じことを言う。そして思い切り食べる。食べる。伝道者の書10:16-17より わざわいなことよ。 あなたの王が子どもであって、 あなたの首長たちが朝から食事をする国は。 幸いなことよ。 あなたの王が貴族の出であって、 あなたの首長たちが、 酔うためではなく、 力をつけるために、 定まった時に、食事をする国は。
2005/07/16
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ケニアで一番最初にすることは、子どもたちの必需品を購入することだ。食料品や学校用品が優先する。今年は遊び道具を買うことはできなかったが、京都福音教会や江南ミッションセンターからのお土産や衣類もあり、キャンディやビスケットなどもスーツケースいっぱいあったので、それなりに子どもたちは大喜びだった。 エコノミークラスは20キロを過ぎると料金を取られる。今回3名で80キロ近くになり、出国の窓口で機内持ち込みになさったらとアドバイスを受け、70キロまで減らして持ってきた。 寮は個室ではなくて広い部屋に2段ベッド(昨年新しいベッドとマットレス等すべて購入)で寝ている。トイレとシャワールーム(水道がなくバケツの水で身体を洗う場所)、勉強は明かりのこともありホールで。小さなロッカーが各一人ずつあるがほとんど何も入っていない。女の子なのにロッカーには、ふたも鍵もない。今、持っているもので満足しなさい(ヘブル13:5)と聖書に書いてあるが、子どもたちは嬉しそうに自分のロッカーを見せてくれる。・・・ない。ほんとうになにもない。 一年に一回だけの新しい靴、カーディガン・・・。下着ももしかしたら一枚か二枚だけ・・・。靴下も一足かも・・・と思い昨年はたくさん買ったが・・・。 みんなで集合写真を写し、子どもたちを一人ずつ名前と年齢を確認しながら写す。日本でこの子らの顔と名前を見ながら祝福を祈るためである。 力強い信頼は【主】を恐れることにあり、子たちの避け所となる。 【主】を恐れることはいのちの泉、死のわなからのがれさせる。 民の多いことは王の栄え。民がなくなれば君主は滅びる。 怒りをおそくする者は英知を増し、気の短い者は愚かさを増す。 穏やかな心は、からだのいのち。激しい思いは骨をむしばむ。 寄るべのない者をしいたげる者は、自分の造り主をそしり、貧しい者をあわれむ者は造り主を敬う。箴言14:26-31
2005/07/15
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パラダイス孤児院は今年で9年目。すべてを日本からの援助だけで運営している。早く自立をと願いながら何をしてもまだ成功していない。 養鶏をしたり、診療所を持ったり、幼稚園を開設したり、いますべては中断。かろうじて洋裁教室だけが細々と続いているが、自立するどころか布もなく紙で練習している現実。 新しい広い土地に子どもたちが野菜を植えていた。トウモロコシ、トマト、スクマ(ほうれん草に似た野菜でケニア人が一番好きな野菜)などを育てている。係りの子どもが自慢そうに案内してくれた。 朝一番に銀行に行き、1ドル75シリング(一般銀行は72シリング、ホテルは69-70シリング)で換金。用意されたリストの従い、まず子どもたちの必要品を問屋?街に行く。屈、サンダル、ラバーシューズ、カーディガン、ユニフォーム、下着、学校用カバン、教科書やノート、文房具などの教育用品。 キスムは世界一のマラリア発祥地のためどうしても蚊帳(カヤ)が必要のため50張り購入。買い物にはすごく時間がかかる。日本と違ってスーパー以外は直接手に取ることができない。あれこれと棚から下ろしてもらって品定め。それから値段の交渉。支払い。荷造りして車まで運ぶ。 あっと言う間に昼になり、ホテルに戻り昼食。昼からギラギラと照りつける太陽の下。食料品の買出しへ青空市場に行く。 メイズ、ビーンズ、米にトウモロコシ、塩に砂糖に油に・・・、約3か月分の保存できる食糧を、これもああでもないこうでもないと時間をかけて交渉。 その間、市場をウロウロしているストリートのために、バナナや食パンを買って配って回る。ストリートと思うようなこどもがたくさん手を出してくる。 全部、市場の子どもたちだ。日本からのキャンディがポケットにある。上げると親も手を出し、お互い片言の英語でコミュニケーション。デジタルが珍しく、写真を撮って送ってくれと紙切れに住所を書いて差し出す女性たち・・・、そのにぎやかなこと・・・。夕方までかかる買い物の一日だった。箴言より11:24 ばらまいても、なお富む人があり、 正当な支払いを惜しんでも、 かえって乏しくなる者がある。11:25 おおらかな人は肥え、 人を潤す者は自分も潤される。11:26 穀物を売り惜しむ者は民にのろわれる。 しかしそれを売る者の頭には祝福がある。11:27 熱心に善を捜し求める者は恵みを見つけるが、 悪を求める者には悪が来る。11:28 自分の富に拠り頼む者は倒れる。 しかし正しい者は若葉のように芽を出す。
2005/07/14
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毎日、1万歩を歩く。それは毎朝の習慣で、どこへ行ってもいつでも欠かさないで続けている。 ケニアの朝は遅い!娘が心配して、アフリカでは暗いうちに外へ出ないよう、歩くんだったらホテルの階段を歩けと言う。6時半ころになるとやっと白み始め、ホテルの前の公園も散歩をする姿が見え始める。 ホテルを出て歩き始める。万歩以外にもキスムでは目的がある。ストレートチルドレンたちにパンを配ることだ。もう10年以上もこの町に来る度に続けている。夕方の歩きのときも。 近くの朝一番に開く市場にパン屋がある。1斤半くらいが20シリング(25円くらい)で買える。5個ー10個を買い、町中を歩いていると、毛布(ボロ着れ)?にくるまって寝ている。寒いのか2,3人がかたまって寝ている。そっと肩をゆするとパッと目を開け、差し出すパンをわしづかみにすぐ口に入れる子どももいる。中には、God bless you とお礼を言う子もいるが例外だ。 夕方の散歩のときはスゴイ。パンが入っている袋だと分かると遠いところから走ってくる。一人が走り始めると、どんどん集まってくる。パンを分けてあげようとすると押し合いになり、あっと言う間に袋が引きちぎられ、パンが奪われてしまう。 中にリーダー的な子どもがいると、みんなに行き渡るように手配してくれるが、分けてあげないと全部自分のものとして逃げて行く。 可愛そうだではすまないような現実がある。年に一度、しかも数日ほんの1斤半くらいのパンをあげてどうなる!と言われる。その通りだと思う。しかし、目の前にその現実を見ると目をつぶることもできない。できることは少し。でもやらないよりはましだと言い聞かせつつ、キスムの町を歩き続ける毎日だった。ヤコブの手紙より2:12 自由の律法によってさばかれる者らしく語り、またそのように行いなさい。2:13 あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。 2:14 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。2:15 もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、2:16 あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。
2005/07/13
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89年に最初にアフリカへ行った時、親のない子どもが大勢いることを知った。小さな孤児院を訪ね、そまつな衣服、少ない食事、やせこけた身体に少しでもと援助金を渡した。日本に帰ってからも送金したり、いろいろしながら1年後訪ねたら、前よりも酷い状態。次の年も、そして96年まで援助を続けたが、少しも良くならずお金が消えていくようなむなしさを覚えた。 思い切って自分たちで新しい孤児院を開設することにした。下川牧師は環境改善の樫者の専務jでもあり、その会社にケニアから研修に来ていた青年たちに孤児院の働きを任せることにし、新しいスタートとなった。 会社は倒産言う試練もあったが、孤児院は日本の運営で順調に滑り出し、2000年にはケニア共和国が2万坪の土地を2099年まで100年間無償提供してくれた。今までの孤児院から、昨年6月に新しい建物に移住し、45名の子どもたちが快適に暮らしている。 夕方、孤児院に到着したが、子どもたちは学校とのことで半分もいなかったが、大喜びで顔を輝かせて出迎えてくれた。 キャンデーやそのほかのお土産を置き、キスムの街の真ん中にあるインペリアルホテルにチェックインした。 キスムにはビクトリア湖の見えるサンセットホテルもあるが、街の中のこのホテルは快適で、散歩や買い物にも適しているので、毎回利用している。1泊日本円で5千円くらい。キスムで一番いいホテルだ。 夕食をホテルのスナックで終え、シャワーを使おうと思い、コックをひねるとものすごく暑いお湯だった。いつも水みたいで苦労していたのに、今年は手も入れないくらい熱い。水が出なくてフロントに電話した。やっと適温になりゆっくりと汗を流し熟睡。 キスムはルオー族の中心地で、人口は60万人くらい。ケニア第三?の町だがナイロビと違って、華やかさもなく、いかにも田舎町という感じで、第一印象も薄い。しかし、最近はスーパーも多くでき、インペリアルホテルの前から孤児院に行く途中まで、街路には露天も朝早くから店を出し、賑わいをみせている。 残念なことに滞在中、ビクトリア湖に涼む雄大な夕日を見ることはできなかった。ほとんど曇り空のため・・・。詩篇19:1 天は神の栄光を語り告げ、 大空は御手のわざを告げ知らせる。19:2 昼は昼へ、話を伝え、 夜は夜へ、知識を示す。19:3 話もなく、ことばもなく、 その声も聞かれない。19:4 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、 そのことばは、地の果てまで届いた。 神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。19:5 太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。 勇士のように、その走路を喜び走る。19:6 その上るのは、天の果てから、 行き巡るのは、天の果て果てまで。 その熱を、免れるものは何もない。 トラックバック(0) トラックバックされた記事 この記事にトラックバックする URLをクリップボードにコピー http://blogs.yahoo.co.jp/psakae/trackback/101111/6827915 トラックバックされている記事がありません。 トラックバック先の記事 トラックバック先を追加 トラックバック先の記事がありません。
2005/07/11
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ナイロビのホテル・ヒルトンに1泊して、夕食はホテルのレストランで取る。昨年まではカーニバルでさまざまな焼肉料理を楽しんだが、今年の同行者は肉は苦手とのこと。ホテルでは淡水魚のテラピアの淡白な味が美味しい! それぞれが好きなメニューを選んで、紅茶やケーキのデザートもつき、こちらのほうが長旅にはふさわしいみたいだ。 ナイロビの夜明けは遅く、日の出は7時ごろ。まだ薄暗い通りを朝食までの1時間、ひとりで歩き続けた。 ナイロビで93年に泊まったホテルの前で、朝の散歩のときに強盗に襲われたことがある。ナイロビの朝は14度くらい。ホテルの庭を歩いていたが余りのさわやかさに、ホテルの外へ歩き出した。バス停にいた二人の男が挨拶。挨拶を返すと、「タバコをくれ!」と言う。「持っていない」と答えた瞬間、二人はバス停から飛び出すようにして襲い掛かった。ひとりが鋭い刃をむき出しにしたナイフを羽交い絞めにしたまま突きつけ。もうひとりはスラングで何かわめきながら体中をチェック。 思わず手を振りほどき、金ならあると1ドル紙幣とケニアのわずかなお金を取り出し渡すと、奪い取るようにしてホテルに帰るなと命令した。大通りを大きく迂回してホテルに戻りガードマンに告げたが、もうその当たりにはいなかった。 同年は、ナイロビはものすごく物騒で日本人学校の校長先生が、校門の入り口で射殺されたり、学術研究中の大学教授が半殺しの目に会ったり、一般旅行の若い女性がパスポートや所持品すべてを奪われた事件もあった怖い年だったことを思えば、1ドルとわずかのケニアシリングですんだのは不幸中の幸いだった。 そんなことを経験したナイロビの朝だが、気持ちよく歩いてバイキングの朝食を終え、目的地のキスムへレンタカーで出発した。 ナイロビを出てしばらくすると、グレート・リフト・バァレー(アフリカ大地溝帯)を通過する。幅35メートルー60メートル。長さ7,000キロに及ぶ陥没地帯で、地殻の変動によってできた正断層だ。 世界一のフラミンゴ(約200万羽)の生息地であるナクル湖の町で昼食を取る。ビーフシチューがあるとのウエイトレスのことばで注文したが、辛い、辛い味付け。チャパティの料もものすごく多い。残ったチャパッティがもったいないので、ストリートを捜して食べてもらった。 ケニアは世界一?の紅茶の国。紅茶の町ケリチョのテーホテルで一休み。そこからさらに1時間余り走るとビクトリア湖のほとりキスムに着く。ホテルにチャックインする前にパラダイス孤児院を訪問した。明日、詳しく書きます。God bless you.主は今よりとこしえまで、あなたの出ると入るとを守られる。詩篇121:8
2005/07/11
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89年、最初のケニアを訪れたとき、ジョン・ドロー牧師が空港まで迎えにきてくれた。今夜はホテルに泊まるとのこと。アフリカの教会は貧しいと聞いていたので、ホテル泊と聞いてほっとした。 ホテルについて驚いた。場末の安ホテル。ベッドは一つ。そこに大きな黒人牧師と寝ると思っただけでも大変。シャワー室をのぞくとねずみがいる。一晩中男と女の争う声が響き、酔客の嬌声やだみ声の歌。 幸い、どこでも熟睡できる恵みをいただいているので感謝。朝、食パン1枚で食事をすませると、キスムへタクシーで帰るという。あっそうか!タクシーに乗るためにホテル代を節約したのか?と、安ホテルも感謝しつつ、車乗り場へ向かう。 5人乗りのタクシー?のドアが開いている。乗ろうとしたら運転手に止められた。お前の席はそこじゃない。」じゃあどこ?何と何とシートとシートの間。両側は大きな黒人女性と、ジョン・ドロー牧師。8人がぎゅうぎゅう詰めで8時間のドライブ。死ぬ?思いでキスムまでデコボコ道を走った。 それに比べると今年は雲泥の差。ナイロビ国際空港にはナイロビの旅行社社長じきじきの出迎え。レンタカー(運転手付)でヒルトンホテルへ。 サファリカーにもなる車は日本のバンで8人乗り。かなり使い込んだオンボロ車だが、運転手と4人でゆっくりすぎるくらい。 28日に家を出て24時間でナイロビ着。29日(火)はナイロビ市内のクリスチャン・ブックショップへ。 近くのスーパーマーケットで食パンを買い込み、道ばたに座る母子や、盲目の家族、物乞いに近づくストリート・チルドレンに手渡す。 夕食はホテルでゆっくりとくつろぎ、明日からのキスム行きに備える。昨年までは、カーニバルという有名な焼肉店で食事をした。カーニバルには、ワニ肉やいろんな種類の肉があり、食べ放題の観光店だが、今年は肉はいや!という者もあり、ホテルでの食事となった。 テラピアの魚料理が美味しかった。 野菜を食べて愛し合うのは、 肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。箴言15:17 一切れのかわいたパンがあって、 平和であるのは、 ごちそうと争いに満ちた家にまさる。箴言17:1
2005/07/09
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このレンタカーでナイロビからキスム、パラダイス孤児院、赤道直下まで移動しました。マサイマラではサファリカーになります。チップは一日10~20ドル!!運転手もご機嫌です。
2005/07/09
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約2万坪の土地を100年間(2000-99年)、ケニア共和国から提供されました。96年にスタートしたパラダイス孤児院(千坪=土地代年間2千ドル)のすぐ近くの土地に、日本の支援で5棟を建設し、昨年のケニア行きのとき落成式をし、45名の子どもたちとスタッフが移住しました。 来年1月には、幼稚園と小学校を開設する予定です。ケニアは学期初めが1月第一月曜日だそうです。 「少年ケニア」や「愛と悲しみの果てに」と言う「映画でしか知らなかったケニアでした。 一度訪れて二度と行かない人もいるアフリカですが、16年間も行き続けています。 トルカナの飢餓地帯のことを帰国した日曜日に、毎年食糧を運ぶことを決心したことを礼拝で話しました。夜、家に帰ると中学1年生の息子が、「お父さん。これ!」と手をシッカリ握って差し出しました。手を開くと100円玉がポトッと手に乗りました。「ケニアの人たちに」とボソッと言うと部屋へ引き上げました。 ケニア宣教の最初の献金が、わずかしか小遣いのない少年の100円から始まりました。 すでに16年、奈良市の小さなキリスト教会のささやかなアフリカ支援は、継続中です。 今年のサミットでアフリカ支援が決議され、世界がアフリカの地に目を向けてくれうようになたことを感謝します。 ケニア共和国は、人口32,2002,000人(2004年推計)民族構成はキクユ族17.7%ルイア12.4% ルオ10.6%(孤児院はルオ族の町キスムにあります)カレンジン9.8% カンパ9.8% その他39.7% 有名な部族にマサイ族があり、サファリのほとんどの地域は彼らの土地です。また、10年間食糧を届けたトルカナ族は、ビーズを巻きつけている首の長さが美人の基準です。200人ほどの部族もあると聞いていおり、全部で53部族。さらにインドやパキスタン系(経済の中心を握る富裕族)、北欧系の人々もあります。スワヒリ語、英語、部族語を使えるとはスゴイなといつも思います。 首都はナイロビ(都心部人口214万人(99年推計) ナイロビは標高2000メートル。7ー8月が一番いい気候で朝晩は15度くらいにまで下がります。日中でも22度くらい。一番暑いのは1-2月。年間平均気温は22度。 トルカナ地方は40度近くなることもあり、立っているだけで汗がにじみ出てきました。 年収は390ドル。日本の100分の1にも及ばない経済力です。富裕層と貧困者の格差が酷く、難民もたくさんあります。 宗教はキリスト教79.3% イスラム教7.9% その他13.4%です。偶像のない国なので自然がスカッとしている感じです。 大統領は、ニワイ・キバキ。 ノーベル平和賞を2004年に受けた環境活動家のワンガリ・ウータイは、アフリカ最初の女性受賞者で、「もたいない」ということばを全世界に紹介しています。イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。 それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」マタイ28:18-20God bless you.
2005/07/08
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1998年に初めてアフリカの大地を踏みました。以来16年間、毎年ケニアを訪れています。昨夜、今年のケニア訪問を終えて帰国しました。6日(水)の朝6時にマサイマラを車で出発し、午後6時半ナイロビよりドバイまで6時間弱。3時間のウエイトで関空の午後6時半到着。車で帰宅したのが夜の8時。約38時間もかかる帰国の道でした。 ケニアではパラダイス孤児院を運営し、45名の子どもたちを9年間養育し、すでに大学生が2人、高校生15名になりました。 来年1月には幼稚園と小学校を設立する予定です。イザヤ12:1 その日、あなたは言おう。 「【主】よ。感謝します。 あなたは、私を怒られたのに、 あなたの怒りは去り、 私を慰めてくださいました。」12:2 見よ。神は私の救い。 私は信頼して恐れることはない。 ヤハ、【主】は、私の力、私のほめ歌。 私のために救いとなられた。12:3 あなたがたは喜びながら 救いの泉から水を汲む。12:4 その日、あなたがたは言う。 「主に感謝せよ。 その御名を呼び求めよ。 そのみわざを、国々の民の中に知らせよ。 御名があがめられていることを語り告げよ。12:5 【主】をほめ歌え。 主はすばらしいことをされた。 これを、全世界に知らせよ。
2005/07/07
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WHO(世界保険機関)は、人間の健康を「身体的健康」「精神的健康」「社会的健康」の3つに分けていた。人間が求めているのは、基本的にこの3つが満たされることであった。しかし、この3つが満たされたから幸せになれるものではない。WHOもそれに気付き、「霊的健康」という概念を取り入れた。WHOの健康の定義を完全に満たすことは、人間には不可能だが、イエス・キリストを信じれば可能である。「愛するものよ。あなたが、たましいに幸い(恵み、繁栄)を得ているように、すべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります」(3ヨハネ2)「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださるように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められることのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます」(1テサロニケ5:23~24)
2005/07/07
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21世紀を迎え、人間ドッグで検査してもらうことにした。生まれて初めて自分の意思で病院の門をくぐった。胃カメラを含めて最新の機械で検査が終了し、問診の時にもカルテの報告にも、脳内出血の痕跡も見出せず、いっさいの後遺症もなく、完全にいやされていた。問診の内科医に福音を語り、イエス・キリストを信じる決心に導くこともできた。 私は今日も元気で生かされている。聖書の約束は真実であり、神のことばは生きていて力がある。「わたしは主であってあなたをいやす者である」(出エジプト15:26)「キリストの打ち傷によって、私はいやされたのです」(1ペテロ2:24)との約束は、そのまま真実である。 人生だれでも順風満帆とはいかないことが多い。いつ苦境に陥るか分からない。そんなとき深刻に追い込んではいけないと思う。気分を変えて、ハレルヤと歌いながら、また次のチャンスが来るのを待つのも良いのではないか。ピンチはチャンスだ。ネバーギブアップ。主は今も生きている。イエス・キリストを信じれば救われるのだ。イエス様は語られた。「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネ16:33)「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません」(ヨハネ14:27)聖書は告げている。「あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道もそなえてくださいます」(1コリント10:13)
2005/07/06
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明けて2000年、生駒聖書学院の三学期、教室で講義中だった。立っておれなくなり家に連れて行くように神学生に頼んだ。脳内出血で倒れ退院したばかりだったので、気を利かして救急車を呼ばれてしまった。運ばれる途中、一瞬あの夜の恐怖が頭をよぎった。「わたしは主であってあなたをいやす者である」「キリストの打ち傷によって、私はいやされた」と聖書の約束を告白した。「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの勝利の右の手であなたを守る」(イザヤ41:10)とのことばに励まされた。 採血、胸部検査、MRI、MRA等すべての検査が済み、脳外科の医師は、レントゲンを見ながら二ヶ月前の脳内出血の後を見つけることができず首をひねった。内科医の検診に移され、「風邪の菌もないですね。点滴でもしましょうか」と言われた。「それよりお腹がすきました」と答えると、笑いながら、「早く帰ってお昼を食べなさい」と、期せずして再検査が終わってしまった。 堺市での開拓伝道のスタート、アフリカ宣教への旅、1日4回の礼拝、九州巡回聖会や沖縄への伝道の旅、名誉神学博士号授与、総長からの猛声祈祷の日々、365日連続の奉仕の日々が続いた。 スーパーミッション(東京、大阪)、NRAや内外での働き、東京の元気が出る聖会、アサエル宣教聖書学院のスタート準備、目まぐるしいほどの日程をこなしながら、一年は瞬く間に過ぎた。 入院先の病院を、退院後一年、感謝で訪れた。婦長さんは、顔を見るなり、「榮さん。ほんとうは去年、あなたは死んでいた人ですよ」と言われた。死んでいたなどと考えたことはなかった。主がいやしてくださった。信仰によりいやされたと一年間宣言し続けてきた。涙がこぼれそうだった。生きているのではない。生かされたのだ。思いがけない発見だった。いやされた喜び以上の感激だった。「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によって生きているのです。(ガラテヤ2:10)の聖書のことばを体験する思いだった。
2005/07/05
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幸いにして、99年のクリスマス前に何の後遺症もなく、迎えに来てくれた家族とともに、新幹線で5時間かかったが、なつかしい生駒に無事に帰ることができた。帰宅後の2日目が日曜日だった。四ヶ所の愛する兄弟姉妹の前で、元気に礼拝メッセージを語ることができた。クリスチャンになって43年目のクリスマスプレゼントは、いやされた元気な身体だった。帰宅してすぐ電話があった。「牧師先生、良かったですね!」当然、退院の喜びの声と思った。「病気になられてほんとうによかったですね!」とことばは続いた。「先生は悲しみの人でしたが、病を知りませんでした。でも倒れられて病を知って、ほんとうによかったと思います」その声に励まされて聖書を開いた。「彼(イエス・キリスト)は、さげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた」(イザヤ53:3)とのことばが、胸を打ち、涙した。人々の悲しみを理解し、病を知ることの少なかった自分を知らされた。 60歳になったら本物の牧師になれると信じて歩んできた。そして初めて自分の身体で病を知ることができた。病んでいる方々の気持ちを少しでも理解できるように祈った。
2005/07/04
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いつも語ったことは、「神様があなたを愛しておられる。あなたはわたしの目には高価で尊い。わたしはあなたを愛している。あなたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いではない。あなたに平安を与え、将来と希望を与えるものである」と神の愛を伝えた。しかし、そんな愛の神がおられるのに、人間は病気やのろい、貧乏や悩みや悲しみがつきないのは、あなたに罪があるからだ。罪を持ったままでは決して幸せになれないし、そのまま死ねば永遠の地獄に行く。罪は人間の努力や頑張りではどうにもならない。イエス・キリストが十字架の上で死なれたのは、あなたの罪を背負って死なれたのだ。あなたは罪や病気を背負ったままで生きなくても良い。イエス・キリストがあなたの身代わりになって死んでくださった。「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見出されませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれるお方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたはいやされたのです」(1ペテロ2:22~24)十字架にしなれ、墓に葬られたイエス・キリストはまことの神だったので、死に支配されず三日目に死人の中から復活され、今も生きている神であることを紹介した。心を開いて、「イエス様。私の心にお入りください。信じます。アーメン」と言えば、イエス・キリストはあなたの心に来てくださる。アーメンとは「ほんとうです。真実です」という意味で、「本音です」ということだ。本音で救いを信じれば、今日救われると語るとき、多くの方々が、心を開いて信じてくれた。入院したのもこの方々に福音を語る目的があったのだと、心から神様がすべてのことを益にしてくださり、髪のなさることはみなその時にかなって美しいことを確認した。 神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし、人は、神が行なわれるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。(伝道者の書3:11)
2005/07/03
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「信じるものが手を置けば病人はいやされます」と語られたイエス・キリストのいやしを常に信じて、病人の上に手を置き祈るとき、多くの方がいやされた。自分の頭に手を置き不自由な右手と右足に触れて、「わたしは主であったあなたをいやす者である」「キリストの打ち傷によって、私はいやされたのです」と宣言し、祈り続けた。そして、脳内外科の療養中の患者さんたちを励まし、勇気付けることができた。何しろ牧師の私も患者だから、よく話を聞いてくれた。入院中に7名の方が、イエス・キリストを受け入れ、信じる決心をした。「私は福音を恥とは思いません。福音は、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力だからです」(ローマ1:16)
2005/07/02
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6日目に一般病棟に移され、できるだけ早く用便、洗面などをひとりでするように車椅子を供与された。脂汗をかきながら、必死で車椅子を押し、できるだけ立ち上がり歩けるように練習した。「榮さん、無理してはいけませんよ。ゆっくりね」と言われながら。車椅子も上手に動かせるようになったと思ったら取り上げられ、歩く練習をするように命じられた。ソロソロ歩きだができる。何と素晴らしいことかと私は感激した。これからの人生を、こうして一歩一歩歩いていくぞと胸に刻んだとき、再び涙が流れた。私のリハビリは、7階の病棟から1階まで、下がったり上がったりだった。やがて病院の廊下を行ったり来たりしながら、介護士の方や患者さん方とお交わりするようになった。牧師が脳内出血で入院したことは、脳外科で知られてしまい、「牧師でもねえ」と言われることもあった。見舞いのお花も名物になった。次々と配達されてくる花は、受付の台を飾り、「また榮さんのですか」と言われた。東京での入院ということもあって、親しい何人かの牧師の見舞いと祈りを受けた。また東京の姉妹たちが愛と親切をもって身の回りの世話をしてくれた。奈良からの見舞いもあり感謝だった。しかし、主との交わりが与えられたことは、最高の喜びだった。東向きの窓際だったので、朝の輝きに照らされながら、聖書を入院中一回通読し、祈りの時間もたっぷり与えられた。自分のことだけ考えているとボケてしまう。病気も同じだ。自分の病気のことばかり考えていると治らない。主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌うことは。朝に、あなたの恵みを、夜ごとに、あなたの真実を言い表わすことは。(詩篇92:1~2)
2005/07/01
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