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「熱意は、はしか、おたふくかぜ、はやり病のように流行しやすい!」ということばがあります。 しかし、はやり病と違うのは、熱意はよいものだということです。この熱意に取り付かれると、心の中に自分で築いた牢獄から、自分自身を解放することができます。 あなたは変わり始めます。あなたが変わると、それに応じて、あなたの人生も変わり始めます。あなたは今まで経験したことのないような、ワクワクするような幸福感に毎日満たされ続けるでしょう。 あなたの変化に気づくのは、あなたよりも回りにいる愛する家族や友人たちの方が先かもしれません。そしてあなたの幸せな姿に影響され、環境さえも輝くようい変わり始めることでしょう。 「熱意=エンスージアズム」と言うことばは、ギリシャ語のエンティオスから派生したもので、「あなたの中にいる神」あるいは「神の熱意」と言った意味があります。従って、熱意には試練や問題を乗り越え解決する奇跡的な力を秘めているのです。 今日も生きている喜びとともに、熱意に燃え輝くような人生を生きて見ましょう。祝福を祈ります。 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。 勤勉(熱心)で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。ローマ12:9-15
2005/10/31
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今日は、28日(金)に33歳の若さで召された濱野諾子さんの召天式。式に際して、愛娘を先に天国へ召され、その悲しみの中でなされたお母様の挨拶を紹介します。ご挨拶I'm very proud of you. 成人式を前に、「振袖に使えるお金があるなら、留学に使わせて欲しい」と、諾子は申しました。 英語を得意科目とした彼女が将来、その語学力を生かした仕事をする上で、ネイティブ・イングリッシュの発音をマスターするために、留学したいと考えたのは、ごく自然なことでした。 振袖姿が居並ぶ中を、「決意表明」とも言うべき、「スーツ姿」で成人式に出席しました。 振袖も着て、留学もしてと、両方を手に入れることもできましたのに、親に負担をかけまいと、一つを選んだ娘でした。 もちろん、自分でもせっせとアルバイトをして、費用をためておりました。出発にあたっては、「出世払いで返すからね」と、借用証書を書いて行きました。 留学中、4度にわたる現地の教育実習科目では、10人ほどいた仲間が次々と挫折する中で、最後までやり通し、アメリカでの英語教師の資格を取得しました。 「I’m very proud of you. (あなたを誇りに思います) 次に続く留学生の励みになるはずです」と、ねぎらっていただいたことを、たいへん喜んでおりました。 通訳・翻訳者として、アメリカ・ミシガン州での就職後も、将来は同時通訳もやりたいからと、講習が行われていたオハイオ州まで、ハイウェイを5時間かけて出かけて行くという情熱を持ち、常に前向きに生きておりました。 その褒美とも勲章とも言うべき、「グリーンカード(アメリカ永住権)」も昨年取得し、「アメリカでずっと仕事ができる!」と喜んでおりました。 ところが今年2月、病に倒れ治療のために、志半ばで帰国することになりましたことは、さぞかし残念であったろうと思います。 33年の人生のうち三分の一の10年余を、大好きなアメリカでクリスチャンとして洗礼を受け、賛美とみことばの中、「なぎちゃん。なぎちゃん」と多くの友人、知人、職場の皆さまに愛され暮らせたことは、何よりも幸せな時間であったろうと確信しております。 これまで慈しみ、励まし、ご指導いただきました多くの皆さまに、心から御礼と感謝を申し上げます。 すごく優秀で頑張りやさん。意志も強く勇ましく生き、アメリカでクリスチャンになり、志半ばで召された娘を偲びつつ、挨拶に立たれた母親のことばに、参列者一同涙しました。 娘の病床で苦しむ姿を見て、神の愛を知った母親は、9月に洗礼を受けてクリスチャンとなり、今は天国での再会を確信し、悲しみの中にも希望に輝くお顔での挨拶でした。また私は、天からこう言っている声を聞いた。「書きしるせ。『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである。』」御霊も言われる。「しかり。彼らはその労苦から解き放されて休むことができる。彼らの行いは彼らについて行くからである。」黙示録14:13 そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」黙示録21:3-4 イエス・キリストの救いをアーメンと信じるなら誰でも天国に行くことができます。
2005/10/30
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33歳(1972年3月18日生まれ)の姉妹が、昨日天国に召されました。病室を見舞い、詩篇23篇を朗読し祈りをした直後に、召されたとの知らせを携帯電話に受けました。 濱野諾子(なぎこ)姉妹は、鹿児島市で誕生。父親の仕事で北九州市、三島市、宝塚市などを経て、小学5年生のとき奈良市に転入。奈良高校から国立京都教育大学欧米言語学科を卒業。ノースタン・ミシガン大学で修士課程を履修後、アメリカ英語科教師資格を取得。 その後、クオリティ・スプリング・トーゴー株式会社に就職。通訳・翻訳業務で活躍中、昨年はグリーンカード(アメリカ永住権)も取得しました。 1998年6月、ミシガン州イーストランシング日本人教会で、イエス・キリストを信じてバプテスマを受けクリスチャンとなりました。 その後、クロスロード・バプテスト教会日本語礼拝に属し、通訳やJCPMカンファレンス企画実行委員として奉仕を続けていました。 今年2月にステージ4の末期がんで手術も不可と診断され、ミシガン州キャンサーセンターで放射線治療。 4月末、治療のため帰国。堺市の大阪労災病院に入院し、外泊のおり数回ほど礼拝に出席することができました。 日曜日は堺エリムの礼拝が午後5時半からなので、大阪エリムの礼拝が終わると高速道路で病院を見舞い、みことばを読み祈る毎週でした。病状は非常に厳しく痛みもあり、医学的には帰国したときから末期という状態でした。 しかし、本人の信仰は揺らぐことなく、お母様はその姿を通してイエス様を信じ、9月の洗礼を受けてクリスチャンになり、祈りつつ看病を続けました。 日曜日に見舞ったときは、まだ話ができましたが、連絡を受けて昨日午後駆けつけたとき、まさしく死の陰の谷を歩んでいるときでした。 詩篇23篇23:1 【主】は私の羊飼い。 私は、乏しいことがありません。 23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、 いこいの水のほとりに伴われます。 23:3 主は私のたましいを生き返らせ、 御名のために、私を義の道に導かれます。 23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、 私はわざわいを恐れません。 あなたが私とともにおられますから。 あなたのむちとあなたの杖、 それが私の慰めです。 23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、 私の頭に油をそそいでくださいます。 私の杯は、あふれています。 23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと 恵みとが、私を追って来るでしょう。 私は、いつまでも、【主】の家に住まいましょう。 今夜、学院教会で前夜式。明日礼拝をともにしつつ召天式を行います。 濱野姉妹の好きだった聖書のことば あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。第一コリント10:13
2005/10/29
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1857年9月、セントラル・アメリカ号は、サウスカロライナ州360キロの沖合いでハリケーンに遭って沈没しました。 この船には4億5千万ドル(約675億円)相当の金貨が積まれていました。 1987年7月18日、オハイオ州の宝探しグループによって、ついに発見され引き上げられ、ノーフォーク連邦地裁は、同グループが沈没船の権利を持つことを正式に決定しました。 このすばらしいニュースは世界中に発信され、日本の新聞にも掲載されました。 しかし、それ以上にすばらしいことは、あなたの中には無限の価値ある資源が眠っているということです。 それを眠らせたまま一生を終わるのか、それとも引き出して、自分と世界のために活用するかはあなたにかかっています。 あなたはそれを引き出す権利も、所有権も持っているのです。あなたの可能性をイエス・キリストのよって引き出してもらってください。 するとイエスは言われた。「できるものならと言うのか。信じる者にはどんなことでもできるのです」(マルコ9:23) あなたの人生には確かに不可能なことがいっぱいかもしれません。しかし、どんな不可能も挑戦として受け止め、乗り越え克服し、勝利者となることができるのです。 そう考えただけでも楽しくなり、心が燃えてきます。生きることはすばらしいことです。「私はできる!勝利者だ!」と大きく叫んでみましょう。 あなたは広く大きくすばらしい世界に生きることができるのです。 あなたの中にある無限の可能性、無限の豊かさ、無限のエネルギーが、活用されるのを今日も待っているのです。 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」 神は仰せられた。「見よ。わたしは、全地の上にあって、種を持つすべての草と、種を持って実を結ぶすべての木をあなたがたに与える。それがあなたがたの食物となる。 また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地をはうすべてのもので、いのちの息のあるもののために、食物として、すべての緑の草を与える。」そのようになった。 神はお造りになったすべてのものを見られた。見よ。それは非常に良かった。夕があり、朝があった。第六日。創世記1:26-31 あなたの指のわざである天を見、 あなたが整えられた月や星を見ますのに、 人とは、何者なのでしょう。 あなたがこれを心に留められるとは。 人の子とは、何者なのでしょう。 あなたがこれを顧みられるとは。 あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、 これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。 あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、 万物を彼の足の下に置かれました。 すべて、羊も牛も、また、野の獣も、 空の鳥、海の魚、海路を通うものも。 私たちの主、【主】よ。 あなたの御名は全地にわたり、 なんと力強いことでしょう。詩篇8:3-10
2005/10/28
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25日の深夜3時に、生駒聖書学院神学生の家が火事になりました。東大阪市六万寺町にあるレムエル・キリスト教会岡本牧師の留守宅でした。奥様が聖書学院神学生なので、学院家族寮で学んでおり、週末だけ自宅に家族で帰り、教会活動をしていました。 真夜中の3時ごろ、隣家の方が火を発見し、119番してくれました。玄関からの漏電で、消防車が来たときには半焼状態でした。周辺は隣家との隙間もないくらいに密集した地域です。 神様の守りで類焼もなく、自宅だけが半焼状態で鎮火しました。 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。第一コリント10:13 その知らせを聞き呆然としながらも、深夜自宅へ戻った二人はまず類焼していなかったことを、心から神様に感謝しました。 また、真夜中に火事に気づいた隣家の方に感謝しました。 生駒聖書学院家族寮に住んでいたことも感謝でした。自宅だったら幼い二人の息子が助からなかったかもしれないからです。 自宅だといつも2階に寝ていました。出火は玄関からであっという間に、出口がふさがれてしまっていたからです。 すべてのことに感謝しなさい!をムリではなく、心から受け止めて感謝の祈りを、火事場見舞いに駆けつけた私とともに祈ってくれました。 これからの片付けやリフォームなど、またすべての家具やフトンなども水浸しで使えなくなりましたから、いろいろ事後処理があります。 しかし、二人とも心から感謝しつつ立ち上がる勇気を持っている姿に感動しています。 どんな出来事の中にあっても、立ち上がり克服する力が与えられていることは、何とすばらしいことでしょう。 私たちの人生にも不可能やどうにもならないように思えることは確かにあります。 しかし、どんな不可能も挑戦として受け止め、乗り越え克服し、勝利者となることができるのです。 そう考えただけでも、人生はすばらしいものとなります。心が燃えてきます。「私は勝利者!です」と、大声で叫びだしたくなります。 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 「あなたのために、私たちは一日中、 死に定められている。 私たちは、ほふられる羊とみなされた。」 と書いてあるとおりです。 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。ローマ8:35-39
2005/10/27
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悩みがあろうが、喜びがあろうが、前に向って進み続けよう。 雨が降ろうが、晴れていようが、雪が降ろうが、嵐が来ようとも、ただ前に向かって進み続けてみよう。 座って嘆きないていてもしょうがない。 魚がかかってこなくても、針にえさをもう一度つけ、ただ、続けてみよう。 気候が悪くて穀物が実らない、しかし、続けてみよう。 頂点まで行くのは容易じゃない。しかし、上り続けてみよう。 十円に事欠くときも、無一文が罪なわけでもないし、 最高の気分だ!と大声で叫んでみよう。 そして、前進し続けて行こう。 あきらめるほかないと思えるときにも、前に向って進み続けよう。 苦しみの杯からも、甘い汁が流れ出るだろう。 だから前進し続けてみよう。 空の鳥を、野の花を見つめてみよう。 甘く美しく鳴り渡る鐘の音に耳を傾けてみよう。 天使の翼がやさしく包んでくれる愛を感じてみよう。 何よりも十字架にいのちまで捨て、 愛してくださった方がいることを思ってみよう。 心は平安と喜び、愛されている感激に震えるだろう。 泣きたいときには泣き、笑いたいときには笑い、 歌いたいときには、ハレルヤと歌いつつ、 前に向って前進し続けてみよう! シオンの娘よ。喜び歌え。 イスラエルよ。喜び叫べ。 エルサレムの娘よ。心の底から、喜び勝ち誇れ。 【主】はあなたへの宣告を取り除き、 あなたの敵を追い払われた。 イスラエルの王、【主】は、 あなたのただ中におられる。 あなたはもう、わざわいを恐れない。 その日、エルサレムはこう言われる。 シオンよ。恐れるな。気力を失うな。 あなたの神、【主】は、あなたのただ中におられる。 救いの勇士だ。 主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、 その愛によって安らぎを与える。 主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。ゼパニヤ3:14-17
2005/10/26
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するとイエスは言われた。「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」マルコ9:23 人生にはいろんな妨げやマイナス要因もあります。問題に直面すると、もうだめだとあきらめてしまい、すべてを投げ出してしまいたくなることもあります。 じかし、そんなときこそ大きなチャンスが与えられているときと考えたら良いと思います。 たとえば、松下幸之助氏は、9歳のとき父親が米相場で無一文になってしまいました。彼は小学校もろくに行けず、自転車屋の丁稚になりました。 夜になるといつも夜空を見上げながら、なぜ十分だけが・・・と嘆き悲しんだそうです。 ところが15歳のとき、大阪に市電が走りました。彼はこれからは電気の時代だとひらめき、電灯会社に転職しました。電気の世界に入ったからと言っても、苦労は絶えませんでした。 22歳のとき、質の良いソケットを製作したけれども、無名の小さな会社だったこともあり、全く売れず自滅に追いつめられたとき、思いがけない大量の注文があり、窮地を脱することができました。 実に彼は、このような苦難を何回も味わいました。しかも、生来身体が弱く、かつ不眠に悩まされ、心身ともに散々苦しんだそうです。 しかし、どんなときにも前向きに進み、不幸の中でも燃える情熱を持って取り組み、あらゆる悪条件の中で成功しました。ある意味では最悪の試練こそが、彼を大実業家として育てたのです。 学歴が不要だと覇思いませんが、学歴がなくても考え一つで大きく成長し、世界に羽ばたくことができるのです。 発明王エジソンは、3ヶ月しか学校教育を受けていませんでした。小学校1年生のとき、この子は頭が悪くて教えることができないと、教師から見放されて退学を余儀なくされたからです。 1914年12月9日、ウエルすと・オレンジにあったエジソンの工場が、火災で焼け落ちてしましました。 彼はその火事で00万ドルを失い、研究中の発明品の労作もすべて灰になってしまました。 火災保険は20万ドルだけ入っていただけでした。当時、コンクリート造りの建物は火事になることはないと信じられていたからです。 火災の翌朝、彼はこう言ったそうです。 「災難と言うものは良いものだ。失敗も全部、燃えてしまったのだから。すべてを新しくやり直せる!ありがたいものだ」と。 それから3週間後、彼の新しい研究所は、世界で初めての蓄音機を作り出したのです。 これが、避けがたい不運に見舞われたとき、不屈の精神と勇気、信仰をもって、「できればと言うのか。信じる者にはどんあことでもできる」と、立ち上がったエジソンのエピソードです。 彼は67歳とと言う年齢も意に介しませんでした。いつでも建て直しができると信じていたからです。 信じることには勇気がいるかもしれません。しかし、信じる者は不可能を可能として行くことも事実です。 いや、エジソンは大丈夫でも、自分はだめですよと言う人もあります。 確かに草もいえますが、正しく物事を考える人なら、どんな逆境のときも、正しく信じ、正しく前向きに考え行動できるのです。 どんなことが起こっても、乗り越えることができると信じていると、世界はその信仰に答えてくれるのです。
2005/10/25
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話すのが苦手だと言う人は、結構多いようです。私も幼い頃からほとんどものを言わない子どもでした。 牧師になってからも赤面恐怖症が直らず、前に立つだけで真っ赤な顔になり、しどろもどろで自分でも何を話しているのか分からないほどでした。聞いている方はもっと分からなかったと思います。 そん頃、ギリシャの大雄弁家、デモステネスのことを知りました。彼は生まれつき舌が短く、しかもどもりの癖もあったそうです。雄弁家を志しましたが、最初の演説は散々でした。やじり倒されたデモステネスは、もう二度と演説家となるのは無理だと皆が認めるほど打ちのめされてしまいました。 しかし、彼は自分のはハンディキャップを克服するために、髪の毛を半分そり落とし、社交界をはなれ、どもりを克服するために、口に砂利を含みながら、エーゲ海の怒涛に向って、しゃべる練習をしました。 彼にもう一度演説の機会がやってきました。論敵の演説に、人々は大喝采をしました。 デモステネスが演説を終わったとき、人々は大喝采舌だけではなく人々は、「スパルタと戦おう!」と叫びだし、大勝利を得たのです。 私たちには苦手と思うことや欠点が多くあります。そのために人生をダメにしている場合も多いのです。 その小さな?苦手なことや欠点のため、ときどき気乗りがしなくなったり、やる気をなくしたりしていませんか。 意気消沈し、弱気になり、絶望感の襲われて、自分のカラの中に閉じこもってはいませんか。 それを自分の環境や、学歴、失敗や運がなかったんだとしたり、周りにいる家族や隣人のせいにして、ねたんだり恨んだりしてはいませんか。 こうした気持ちはだれにでもあるものです。問題はそれを乗り越えるために、勇気を出すか出さないかにかかっているのです。 勇気を出せば、方法はいくらでもあります。勝利の冠はあなたの頭に輝くのです。その気になりさえすれば、あなたはどんな状態でも乗り切ることができるのです。 私も阪奈道路の暗渠の下や、生駒の山の中で練習したり、大阪の話し方教室に通ったりしながら、少しずつ話ができるようになりました。 朝日放送のABCラジオでも毎週1回6分30秒の話を続けています。また毎日テレフォンメッセージで、2分間の話もしています。継続は力です。一回や2回失敗したからと言って、くよくよしないことです。 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。ヨハネ16:33 私は、私を強くしてくださる方(イエス・キリスト)によって、どんなことでも(話すことも、勇気を出すことも、必要なすべてのことも)できるのです。ピリピ4:13
2005/10/24
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ハンディキャップを数え上げれば、数限りなく出てくるだろう。しかし、人生にどのようなハンディキャップがあっても、自信を持って乗り切ることができるのだ。そのような不利とも思えるものを利用して成功することもできる。だれにでもハンディキャップや条件付け、失敗や挫折はある。重要なことは、それらとどのように付き合い、どう対処するかで結果は変わってくる。 三重県鳥羽市には、有名なパールアイランドがある。そこで養殖真珠の実演を見たが、真珠貝の中にアマゾンで取れた、バカ貝の殻を小さくした核を入れる。 真珠貝は痛いので何とかそれを出そうとする、しかし、絶対に出ないように入れられているので、それを3年~5年と真珠貝は抱き続ける。その間、真珠貝は液を分泌し続ける。 その分泌液が、何の役にも立たないバカ貝の核をゆっくりと包んでゆく。その痛み中、苦しみの中からあのきれいな真珠の輝きが生まれてくる。真珠はハンディキャップの輝きなのだ。 ヘレン・ケラーは、三重苦を背負っていた。しかし、「神様が私にハンディャップを与えられたことを感謝する」と言い、世界中の多くの人々に、生きる勇気と希望を与えた。 ベートーベンは、耳がほとんど聞こえなくなってから、あの有名なシンフォニーを作曲した。 ヘンデルがメサイアを作曲したときは、お金に困り果て、身も心もドン底、借金取りに監獄にぶち込んでやると脅されている最中だったそうだ。 どんな不利な条件も、新しい人生を始めるチャンスに過ぎない。ハンディキャップに勝利にすばらしい人生を歩みだそう! ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。ローマ5:5 今日は日曜日です。聖書のみことばをまっすぐに語るキリスト教会の礼拝に出かけて見ませんか。 エリムキリスト教会では、午前9時、学院教会一部礼拝(神学生説教) 午前10時、学院教会(榮義之牧師説教) 〃 富雄キリスト教会(榮義嗣牧師説教) 〃 東大阪エリム(神学生説教) 午後2時 大阪エリム(前田基子牧師説教) 午後2時45分 〃 (榮義之牧師説教) 午後5時30分 堺エリム( 〃 ) と各所で礼拝が行われています。 お近くのキリスト教会へ、またエリムキリスト教会の礼拝へもぜひお出かけください。祝福を祈ります。
2005/10/23
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パブロフ博士は、「人間はことばによって条件反射を起こす動物である」と言っている。 確かにそのとおり、梅干ということばを聞くと、梅干を食べてもいないのに、聞いただけで口の中につばが出てくる。 梅干くらいのことでは、そんなに大きな問題ではないが、日々の生活では、条件付けから逃げられない仕組みなっている。 プラスの条件付けだったらよいが、マイナス条件付けから多いから困ったものだ。 人は生まれた瞬間から、自分を取り巻く環境の影響下に置かれてしまう。 たとえば、サーカスの象は、ほんとうは大きな杭を引き抜く力があるのに、小さな杭につながれたまま、一生を終わってしまう。 怪力の象も、幼く力のない弱い頃から、ビクとも動かない杭につながれ続けると、杭は絶対抜けないと条件付けられるのだ。 バンコクに行った時、数等の象が大きな丸太を引いたり、動かしたりしている光景を見た。スゴイ怪力だった。 条件付けられた象はある意味では気の毒だが、やればできるのに、できないと思い込んで座り込んでしまっている人間はもっとかわいそうだ。 さまざまな思考や行動、失敗に終わった経験に妨げられて、自分の枠から一歩も踏み出そうともしない、自分をつなぎとめている見えない杭はないだろうか。 教育による条件付けや、経験による条件付け、年齢や運などいくらでも条件付けに取り巻かれている。 ハンディキャップもまた条件付ける。背が低いとか、やせている肥っているとか、容貌の美醜、身体的な障害など、それこそ上げたらキリがないほどのハンディキャップに取り囲まれている。 どんなハンディキャップも、神の栄光が現れると聖書は宣言している。 またイエスは道の途中で、生まれつきの盲人を見られた。 弟子たちは彼についてイエスに質問して言った。「先生。彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」 イエスは答えられた。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。ヨハネ9:1-3 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。第一コリント10章13節
2005/10/22
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自信にあふれている人は、無気力や憂鬱、不安や退屈や披露、自己嫌悪や罪責感などとは縁がない。 ダイナミックな喜びと活力に満たされ、バイタリティに満ち、楽しく生き生きとしている。 だれも中途半端に生きたり、無気力に過ごさなくても良い。生き生きと生きることができる。 その秘訣は? 喜びとバイタリティに満ちているかのように振舞うことだ。いのちに輝き情熱にあふれ、健康ではちきれている態度を取るとそうなる。 新しいスーツやネクタイも必要なら助けになる。持ち物も変えてみる。 態度は事態を変えてしまう。不可能でないかのように行動すれば、問題は消えてしまうものだ。 自信を養う五つの行動様式1.前に座るよう心がけてみよう・・・前に座るのはいつもVIP(重要人物) 前に座ることは自分を重要人物と認めることになる。引っ込み思案から自 分を解き放とう。2.じっと相手の目を見る習慣を持とう・・・おどおどせず、相手の目を見 つめながら、にこやかに語りかけてみよう。 アイ・コンタクト=愛・コンタクト3.25パーセント速く歩く・・・眉を引き締め、頭を高く上げ、普通より少し 速く歩いてみよう。自信が次第に大きくなるはずだ。背も2センチは伸び る。4.自分から進んで話しかける・・・自分から話しかけることは、もっとも 友好的な方法だ。気軽に声をかけて話しかけてみよう。自信がわいてくる こと請合いだ。5.大きく微笑む・・・笑顔や相手の心を開き、まわりを明るくする。微笑 みのあるところに人々は近づいてくる。微笑みと笑い声で回りの人々とを 明るくしてみよう。 毎日、やってみよう。家族に会社で学校で、近隣の人々や出会う方々に、心からの愛と祈りで幸せを運ぶ人生を生きていきたい。 生きることは愛すること、愛することは行動することだ。 与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。人々は量りをよくして、押しつけ、揺すり入れ、あふれるまでにして、ふところに入れてくれるでしょう。 あなたがたは、人を量る量りで、自分も量り返してもらうからです。 ルカ6:38
2005/10/21
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わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。 イザヤ43:4 自信を持って生きるために、自分の価値を認めることが大切だ。どんなに上手に、「私はできる!」と宣言しても、自分の価値を認めなければ意味がない。 いのちは全世界よりも価値がある、一番尊いものだ。世界の人口は60億をこえているが、その中のあらゆる歴史や時代を貫いて、たった一つしかないいのちである。 生物学的に言えば、一回に射出される精液の量が1-6ccで、1cc中の精子の数は6000万から1億あるという。 人間の誕生は奇跡である。この世に生を受けた、生まれてきたことは、処理者として誕生してきた証拠なのだ。 なぜなら膨大な数の精子の中から、1億から6億のライバルに勝ち抜いて、卵子と結合し誕生してきたからである。 たとえ間違って生まれて来たとしても、いのちが存在していること自体が、勝利であり偉大な価値あることなのだ。 すばらしい勝利者!全世界にたった一人しか存在しない人間、それがあなたなのである。 自分自身の価値を認め、勝利の栄冠をかぶせて見よう。鏡をしっかり見つめて、私はすばらしい価値ある存在なのだと自分自身に語りかけ、自分を重要人物(VIP)として認めるとき、自信ある自分へと変身してゆくのだ。 聖書では、天地万物を創造され、人間に命を与えた愛なる神が、「あなたはわたしの目にあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」と、語りかけている。そのことにアーメンと応答してみよう。一度だけでなく毎日、朝ごとに夕ごとに、しっかりと告白しつづけるのだ。 あなたは愛されている! この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ローマ5:5-8
2005/10/20
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私たちの心はコンピュータのようです。パソコンがインプットされたものだけをアウトプットするように、私たちの心に与えられたプログラムどおりに行動しています。 本来、私たちには神様が良いものだけをインプットしてくれた。ところが悪魔・サタンが罪のウイルスをインプットし、その上に自分自身でもマイナスの情報をどんどんインプットし続けてしまった。 マイナス情報や消極的な考え方は、心の中に抵抗器を作り上げてしまう。 心の中に抵抗器を持っていると、すべてを否定的に考え、回りからも冷たく扱われ、結局は自信をなくしてしまうのだ。 イエス・キリストを心に迎えるとき、心は急激な変化を体験するようになる。イエス・キリストが心を訪れるとき、悪魔のウイルスは排除され、聖霊が心を支配される。 そうすると心(知性・感情・意思)は、すばらしいものだけをアウトプットするようになる。 健康面はもちろん、仕事や家庭生活、経済的にも社会的にも、趣味や教養、精神的にもゆとりが生まれる。 内側に良いものがいっぱいあるので性格も変わり、愛・喜び・平安・寛容・親切・誠実・忠実・柔和・自制のすばらしい品性が輝き、行動のスケールも一段と大きくなる。 こうなればもう以前のようなおどおどした態度や、びくびくした行動、力のない話し方からもサヨウナラだ。 欲求不満やイライラ、短気や怒りの感情、憎しみやねたみ、あらゆるプレッシャーやストレスに悩まされることもなくなる。 自信にあふれ、勇気を出して物事に取り組み、あらゆる事柄に正しく対処できるよいうになる。 周りにいる家族も友人たも頼もしさを感じ、大きな好意と愛が返ってくるようになる。 そのようになっても、キリストの心を心としているので、決して高慢にならず、相手を愛し尊重するので、ますます祝福される人生を、ゆとりを持ってたのしむことができるのだ。 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。 御霊を消してはなりません。 預言をないがしろにしてはいけません。 しかし、すべてのことを見分けて、ほんとうに良いものを堅く守りなさい。 悪はどんな悪でも避けなさい。 平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。 あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。第一テサロニケ人への手紙5:16-24
2005/10/18
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「私は、私を強くしてくださる方(イエス・キリスト)によって、どんなことでもできる」ピリピ4:13 知り合いのある電気会社の社長は、とても気の弱い男だった。社長業を継ぐ自信がまったくなく、恐れて蒸発を考えるほどの毎日・・・。 そんなとき聖書の一節が彼の目に留まった。彼はそのことばを洗面所の壁に張り、毎朝、鏡に映る自分の顔に向って宣言した。会社に行く途中もいつでもくじけそうになるときも、帰宅途中も、夜寝る前にも告白し続けた。 それからもう数十年、バブルの大嵐も乗り越え、社員も増え業績は今も伸び続けている。 何がこの男を変えたのか。多種多様の原因はあろうが、ハッキリしているのは、「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできる」と繰り返し、繰り返し宣言することばが、彼の心と思いを占領し、自信に満ちたことばとなり、態度と行動力となったのである。 それは難しいことではない。だれでもスグできることだ。自信を身に着ける秘訣、変身への第一歩は、「私は、私を強くしてくださる方(イエス・キリスト)によってどんなこと(自分が今必要としていることを具体的に)でもできる!)と告白し、大胆に宣言することである。そこからスタートしてみよう。祝福を祈ります。ハレルヤ。
2005/10/18
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アメリカのゴールドラッシュ時代、R・U・ダービーは、彼の叔父に誘われて、ショベルとピッケルを担いで西部へやってきた。 まもなく、コロラド州で最も良質の金鉱脈を掘り当てた。 採掘設備を整え、喜び勇んで働き始めたが、ある日突然、金鉱脈が消えてしまった。 それでもダービーたちは、絶望と戦いながらも祈るような気持ちで、さらにドリルを使いながら堀り進メタが、結局は徒労に終わった。 金の鉱脈はなくなり、彼らの夢も努力もはかなく消えてしい、最後の決断を下した。 採掘設備のすべてをわずか数百ドルで屑鉄屋に売り払い、同時に権利書も譲ってしまったのだ。 ところが賢明な屑鉄屋は、スクラップにする前に、鉱山技師を呼び再調査することにした。何とダービーたちがあきらめた地層からわずか2メートル下に、無数の金鉱脈が眠っていたのである。 そのことを知ったダービーは、すぐあきらめる男から、決してあきらめない男、食いついたら離さない男へと変身した。 彼はその時代の全米保険業界トップセールスパーソンとなり、巨額の富を築き上げるだけでなく、「見込み客がノーと言っても決してあきらめるな。鉱山での失敗は二度と繰り返してはならない!」と、多くのセールスパーソンたちに希望を与え続けたそうだ。 どんな時代場合でも、成功を勝ち取るまでは、挫折と絶望、失敗と涙の連続、試練や苦痛の連続だ。アメリカで成功者と呼ばれている500人の共通している体験談がある。 「偉大な成功と言うものは、人々が敗北に兜を脱いだ時点を、ほんの少し過ぎたときにやってくる!」と。 どれほどの困難も,どこまでも初志を貫徹してゆけば、必ず乗り越えることができる。 自信を持てば、どんな試練をも乗り越える勇気と力が湧いてくる。「私は、私を強くしてくださる方によってどんなことでもできる」と、毎日告白しつつ、あきらめないで取り組んでゆこう! ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。 あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。 「もうしばらくすれば、 来るべき方が来られる。おそくなることはない。 わたしの義人は信仰によって生きる。 もし、恐れ退くなら、 わたしのこころは彼を喜ばない。」 私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です。 信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。ヘブル0:35-11:1 今日は春日井市8春日井市民病院前)に新しく完成した、主イエス恵愛キリスト教会 マカリオス・チャペル(高橋務牧師)の献堂式が行われます。新しいキリスト教会のスタートに祝辞を述べるために参加します。祝福をお祈りください。ハレルヤ。
2005/10/17
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人間には限りない可能性が与えられている。今まで気づかずに眠っていた可能性、やる気を起こすと、人間としてすばらしく成長するとともに、世界に偉大な影響を与える人間となる。 ほんとうの自信は、エゴイズムの固まりのような自尊心とは別のものだ。自分の内面や欠点を恐れないで開示し、心のふれあいを深め、周りにいる人々の人生をさえ豊かにする力である。 ほんとうの自信を持つとき、人生は充実する。他の人に対する影響力、豊かな人間関係、決断力、実行力、想像力、愛や可能性への魅力、健康管理など人生を充実させ、豊かな成功を引き付け、輝いた日々を過ごすことができる。 聖書はそのような自信を身に着ける秘訣を教えている。 「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできる」(ピリピ4:13)のことばを毎日良い続けるとき、フシギなように自信がみなぎるようになる。 どんなことでもできる!と言うとき、どんなことでものところに、自分に必要なことを入れて言えばいいのだ。それだけで豊かな自信が身につくようになる。早速実行してみよう。 私は、私を強くしてくださる方によって、どんな(勉強に集中する)ことができる!仕事のこと、家族のこと、経済のことなど思い切り宣言してみよう! タバコを一日4箱(80本)吸っていた男性が、あるときビジネス書でこのことばを知り、毎晩寝る前に宣言した。1週間も立たないうちに彼は長年の悪い週間から解放された。 強くしてくださる方がイエス・キリストだと知ったのは、タバコをやめたあとだった。彼は今も健康的に人生を生きている。 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 その人は、 水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。詩篇1:1-3
2005/10/16
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朝、散歩していたらタクシーが止まった?窓が開いて、163号線はこの道で良いですかとのこと。 全く逆の方向だったので、反対側に向うように説明した。すぐUターンして正しい方向へ向った。 人生の道に迷ったときも、正しい導きがあれば幸いだ。自分では正しいと思っても、その終わりは死に至る道がたくさんある。 人生の正しい道を歩むためには、イエス・キリストが真理の道であることを知ることが第一である。 イエ スは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」 イエス・キリストは道を教えるのではなく、道・真理・いのちなのです。これが正しい道ですよと言う人や教えは数限りなくあり、それが正しいと思っていても、最後は滅びてしまう地獄への道もある。 イエス・キリストを信じるとは、今朝のタクシーが道を間違えたことに気づきユーターンしたように、神に向うことである。悔い改めるということは反省することよりも、強い意味がある。反省は後悔しもう二度としませんと決心することだが、悔い改めは方向転換することだ。 太陽に背を向けて歩めば自分の影を見ながら歩くことになる。太陽に向うなら影を見なくなり、太陽の真下に立てば影が一番見えないように、イエス・キリストの十字架の元に生きているのがクリスチャンなのだ。 人生の案内図である聖書に導かれながら進む人生は迷うこがない。 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。詩篇119:105 何よりもすばらしいのは、「わたしは道である」と言われたイエスご自身がともに歩いてくださり、導いてくださる幸いを経験できることだ。 それゆえ、【主】は あなたがたに恵もうと待っておられ、 あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。 【主】は正義の神であるからだ。 幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。 ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。 あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれるとすぐ、あなたに答えてくださる。 たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜っても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。 あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。イザヤ30:18-21 迷うことなくまっすぐに天国の道を歩いて行こう!ハレルヤ。
2005/10/15
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朝、散歩していたらタクシーが止まった?窓が開いて、163号線はこの道で良いですかとのこと。 全く逆の方向だったので、反対側に向うように説明した。すぐUターンして正しい方向へ向った。 人生の道に迷ったときも、正しい導きがあれば幸いだ。自分では正しいと思っても、その終わりは死に至る道がたくさんある。 人生の正しい道を歩むためには、イエス・キリストが真理の道であることを知ることが第一である。 イエ スは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」 イエス・キリストは道を教えるのではなく、道・真理・いのちなのです。これが正しい道ですよと言う人や教えは数限りなくあり、それが正しいと思っていても、最後は滅びてしまう地獄への道もある。 イエス・キリストを信じるとは、今朝のタクシーが道を間違えたことに気づきユーターンしたように、神に向うことである。悔い改めるということは反省することよりも、強い意味がある。反省は後悔しもう二度としませんと決心することだが、悔い改めは方向転換することだ。 太陽に背を向けて歩めば自分の影を見ながら歩くことになる。太陽に向うなら影を見なくなり、太陽の真下に立てば影が一番見えないように、イエス・キリストの十字架の元に生きているのがクリスチャンなのだ。 人生の案内図である聖書に導かれながら進む人生は迷うこがない。 あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です。詩篇119:105 何よりもすばらしいのは、「わたしは道である」と言われたイエスご自身がともに歩いてくださり、導いてくださる幸いを経験できることだ。 それゆえ、【主】は あなたがたに恵もうと待っておられ、 あなたがたをあわれもうと立ち上がられる。 【主】は正義の神であるからだ。 幸いなことよ。主を待ち望むすべての者は。 ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。 あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれるとすぐ、あなたに答えてくださる。 たとい主があなたがたに、乏しいパンとわずかな水とを賜っても、あなたの教師はもう隠れることなく、あなたの目はあなたの教師を見続けよう。 あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳はうしろから「これが道だ。これに歩め」と言うことばを聞く。イザヤ30:18-21 迷うことなくまっすぐに天国の道を歩いて行こう!ハレルヤ。 119:106
2005/10/15
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私は、私を強くしてくださる方(イエス・キリスト)によって、どんなことでもできるのです。ピリピ4:13 最近、朝お目覚めとともに、あるいはチャペルで賛美しているとき、車を走らせているときも山道を散歩中のときも、夜ベッドの入るときも、上記の聖書のことばが心に響きます。 そのまま口に出して告白し、元気を与えられ続けています。 奈良市富雄に開拓伝道に出かけた若い日の頃を思い出し、話も苦手、人と会うことさえも得意ではなく、礼拝に出席する人は一人と言う状態でした。 朝早く起きて教会案内をポストに入れたり、ポスターを貼ったりもしました。 生駒聖書学院では今以上に路傍伝道が強調されていました。曲がりなりにも神学生の頃は、生駒市内で3年間毎週街角に立ち伝え続けました。 富雄でもやらなければと思いながら、駅前に立つ勇気がありませんでした。 そんな迷いの中で、聖書のことばが心に響きました。私はできる!というより、私は私を強くしてくださるイエス・キリストによってできる! そして勇気を与えられて駅前に立ち、イエス・キリストの十字架の救いを大声で語りました。 あるときは8月と9月の60日間、毎晩叫び続け4名の方が救われました。やればできると言うより、私を強くしてくださるイエス・キリストによって、路傍伝道ができます。その告白するみことばの通りに、駅前で福音を伝えることができました。 クリスチャンでなくても可能思考や積極的・肯定的に考えバリバリやる人はいくらでもいます。俺はできる!私はできる!と強い信念と行動力で生きています。成功している人もあります。しかし、その終局は悲惨です。新聞のニュースは成功者の破産や悲劇的な死のニュースで持ちきりです。傲慢は滅びへの一里塚です。 クリスチャンは、私はできる!と言うより、私は私を強くしてくださった方によって何でもできると告白します。ですから自分ではないので、高慢になることはありません。クリスチャンでも私を強くしてくださる方を忘れると、高慢になり倒れてしまいます。 私は私を強くしてくださる方(イエス・キリスト)よって、どんなことデモできるのです。その約束のことば、どんなことでものところに必要としていることばを入れると約束が具体的になります。 どんなことでもですから、どなことでもです。 私は私を強くしてくださる方によってどなこと・・・感謝すること、喜ぶこと、愛すること、仲直りすること、仕事で成功すること、勉強に集中すること・・・何でも)できるのです。 そのように前向きに考えるだけでなく、前向きい告白し、力強く人生を生きて行きたいものです。ハレルヤ。 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。第一テモテ1:12
2005/10/13
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昨日はラジオ放送録音日。婦人牧師が風邪で声が出ないため、一人でスタジオへ行く。 1万歩歩いていなかったので、帰りに買い物をするついでに店の周囲を歩く。必要なものを少々買い求めて帰宅。襲い夕食を済ませ、書斎に入ると携帯電話。 天王寺警察からの電話。大阪エリムに来た60代男性が、窃盗で捕まり警察で取調べを受けているという。置き引き忘れた携帯を取ったとのこと。すぐつかまり所有者もスグ携帯も戻ったことだし、穏便に済ませてくれと言ってくれたとのこと。 警察ではすぐ釈放したいが、身元引受人が必要で、本人が教会に行ったことがあるというので連絡したとのこと。 すぐ天王寺警察まで来て、身元引き受け書に署名して欲しい。今夜中に釈放するので・・・。 着替えるとすぐ自動車で第二阪奈と阪神高速で森之宮まで行き、そこから天王寺警察はすぐなので、取調室へ。 何と5人のお巡りさんに取り囲まれてしょんぼりしている。署名をすませると、お巡りさんたちが彼に、二度と悪いことをするなよ。しっかり悔い改めて、毎週教会に行くんだぞ。教会に行かないからこんなことをしてしまうんだぞ」と口々に声をかけていた。 教会に来てイエス様を信じますと祈り、救われていても古い生活習慣、お金に困るとつい盗み心が働いてしまうのだろうか。 今回の場合は、置き忘れた携帯電話だったので、無傷で所有者の手に返り、告訴することもなく穏便にとのことだったし、警察官たちも本人の反省とキリスト教会の牧師が身元引受人になることで、即釈放となったから幸いであった。しっかり悔い改めて礼拝に参加するよう励ました。 彼の手にお金を握らせ、天王子警察署に別れを告げ、深夜の高速を祈りつつ帰宅した。思いがけない一日だった。 ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。 ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。 悪魔に機会を与えないようにしなさい。盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。エペソ4:21-32
2005/10/12
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昨日は、カナ共同体(愛知県豊田市)10周年記念聖会のため、朝早くでかけた。 体育の日でしたがあいにくの雨。名古屋湾岸高速道路を経由して220キロ。早朝のため思ったよりも早く勘八インターまで来た。勘八から20分で着くので、ゆとりの一万歩で屋根つき遊歩道のあったサービスエリアで、小止みになったのを感謝しつつ歩いた。 カナ共同体は断食祈祷院だが、9日にNPOカムカム友の会を結成し、食養を中心とした祈りの場でもある。到着するとすぐにしっかり煮込んだ玄米粥を朝食として出され、一口48回噛むことを強調。説教をするので途中のサービスエリアで菓子パンを食べていたが、せっかくの好意を感謝してゆっくり?いただく。ご馳走様でしたの声とともに聖会が始まるアナウンス。 70名ほどの参加者が超教派で集い、10周年の挨拶とともに賛美をともにし、特に食養を指導している若い先生が、詩篇91篇を朗々と暗唱した。 彼は5年間で新約聖書を全部暗記すると意気込んでおり、毎日聖書を1章暗記し、毎朝礼拝のときにみんなの前で大きな声で暗記した章を朗々と告白することを日課にしているそうだ。 昼食は食養の理論で作られた自然食の弁当。食膳の感謝の祈り。一口48回以上噛みましょう!との掛け声で始まる。 食卓は自然食がどれほどすばらしいかの講義さながら・・・。すべてがそのとりだなと思いつつも・・・反論する必要もないし・・・。 何を食べ何を飲もうかと心配するなと言われたイエス様のことばを思いながら、熱心に一口48回かみながら食べる。結構美味しい弁当で、愛をこめて作られたことがわかる。 「感謝して食べるなら何も捨てる物がない」との聖書のことばをも味わいながら食べる。 土砂降りに雨の中を、先生たちや参加者に見送られ帰路に。祭日だったが名阪国動が比較的スムースに走れ、奈良市内に入って24号線から少し混雑。 比較的早い帰宅で感謝! 今日はラジオ放送希望の声の録音日で朝日放送スタジオへ出かける。 毎週水曜日朝4時35分ー45分の10分間放送。約8万人くらいが聞いているそうだ。目に見えない聴取者に語りかける。一人でも多くの方が、愛の神を知り、イエス・キリストの十字架の救いを体験し、何をしても栄える幸せな人生を生きて欲しいと願いながら。そして必ず訪れる死を越えて天国に行く確信を持ち、永遠のいのちの喜びに輝いて生きる幸いを感謝するように! 「イエス様、信じます。私の心にお迎えします。アーメン」と祈る方が、一人でも多くこの国に増えるよう願いながらのラジオ放送です。アーメン。
2005/10/10
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カナ共同体10周年記念の説教のため、朝早く豊田市足助町まで出かけます。行きは一人のドライブ。帰りは参加している神学生が同乗します。 昨日、カナ共同体では、NPOカムカム友の会も発足。断食祈祷院とともに食養訓練の場としても活躍します。 昔から、健康についての知恵は語られていました。 肉を少なく野菜を多く 塩類を少なく酢を多く 砂糖を少なく果実を多く 少なく食べてよく噛む(カムカム運動では一口48回以上噛む) なるべく薄着でよく風呂に入る おしゃべりを謹んで多くを実行する 欲望をひかえて与えることを多くする くよくよしないで熟睡する 聖書のことば 野菜を食べて愛し合うのは、 肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる。 激しやすい者は争いを引き起こし、 怒りをおそくする者はいさかいを静める。箴言15:17-18 一切れのかわいたパンがあって、 平和であるのは、 ごちそうと争いに満ちた家にまさる。箴言17:1 車に乗らずによく歩く とっとしたことで怒らずよく笑う
2005/10/09
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土曜、日曜と4回の礼拝が続いています。雨も上がり秋晴れに近い朝です。 明日は体育の日。 愛知県豊田市にあるカナ共同体が10周年を迎えるので、記念礼拝が行われ、限りなき可能性への挑戦と題してメッセージをする予定です。 午前10時よりの礼拝なので、自動車で朝早い出発。幸い四日市から名古屋湾岸高速(第2名阪)道路ができたので、ずいぶん豊田市が近くなりました。 カナ共同体は今日の午後、豊田市足助交流館でNPOカムカム友の会を発足します。 カムカム友の会は、ニュー・スローフード運動を世界に宣言することを目的にしています。 徳川家康が生涯実践した健康十訓の第一訓、「すべての食物は、一口48回以上を噛むべし」という健康訓を現代にリバイバル(蘇生)して、ゆっくり噛むこと(ニュー・スローフード)を実践し、病気を予防することを推進する市民運動です。(発足式の案内状) しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。 神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。 神のことばと祈りとによって、聖められるからです。テモテ第一3:3-5 食物を神に感謝して受け止め、食前にもいただきますと感謝の祈りをするとき、聖められると聖書は宣言しています。 その与えられた食物を48回以上(固い食物は100回でも)しっかりと噛みながら味わうとき、天国の食卓になるでしょう。 人はパンだけで生きるものではない。神の口から出るひとつひとつのことばによる(マタイ4;4)のです。 イエス・キリストを信じる信仰で、神が与えてくださった良い食物を感謝しつつ味わいましょう。 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。ヤコブ1:18
2005/10/09
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昨日は講義の合間に、近くの医院で市役所の基本検診を受けた。血液採取のとき昨年と同じ看護師だった。昨年は採決後にうっ血が残り10日間ほど腕に青あざが残っていた。とても良い看護師だが・・・注射がと思いながら、腕を出すとこのごろ良く見えなくてそろそろ老眼鏡が必要なのと言う。メガネはかけていない。見えにくいわね!と注射器で血管を捜す。大丈夫よ。心配しないで!と言いながら、注射器を刺し採決された。幸いうっ血も残らずだったが・・・。 今朝は散歩中にコスモスの咲き乱れる小道を通った。何箇所も群生している。秋にふさわしい花だ。 金木犀の香に包まれる小道。ススキのゆれる山道。小川のせせらぎ沿いに歩ける道。 6時ちょっと過ぎには朝日が昇る。いつの間にか朝日を雲が包み、家に帰った頃にはどんよりとした曇り空。 昨日上海から帰国した方のメールでは、一週間の滞在中雨ばかりだったとのこと。 今日は寒露(二十四節気の一。太陽の黄経が一九五度に達した時をいい、現行の太陽暦では一〇月八日頃。露が冷たく感じられる時季。九月節気) 晩秋から初冬の頃の露。冷たい露の季節。 近くに住む牧師の母親は90歳になる。骨粗鬆で外へは出れない。家の中でも寝ている時間が多い。多趣味で俳句は毎日一句は必ず作る。何べんも推敲し新聞に投稿する。四大新聞からミニコミ新聞まで投稿先は多い。朝日新聞だけはまだだが、すべての新聞に掲載されもう100句以上になる。 散歩の帰りに季節の花々を届けるようにしている。稲刈りの季節には、農家の方に稲を5,6本もらってとどける。 栗のイガやススキ、コスモスや野菊。なんでも喜んでくれて俳句の題材となさっている。 ラジオ放送希望の声を、朝4時35分に変更になっても必ず起きて聞いてくださる。長寿と健康を祈り続けている。 今日は土曜礼拝。東大阪市長田東で土曜礼拝をスタートし、今月末でちょうど満一年になる。日曜日も神学生が礼拝を責任を持って守り続けている。 ますますイエス・キリストの十字架の救いが東大阪53万の人々に届くことを願い祈りながらの毎週土曜日です。 イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。 また、私たちには、神の家をつかさどる、この偉大な祭司があります。 そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか。 約束された方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白しようではありませんか。 また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。 ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。ヘブル10:20-25
2005/10/08
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昨年、つめ水虫になり苦労していた。水虫になった方が直るように祈ると、直りましたと感謝されたりだった。自分のために祈るが良くならず、皮膚科に出かけた。塗り薬ではなく内服薬を使うことによって完治した。案ずるより生むが易しで、神様のいやしは医者と薬を通して与えられ、感謝している。 お医者さんとも懇意になり、時には先生の話を1時間近くもお聞きすることもあり、どちらが患者か分からないカウンセリングになるようなこともある。 今日は生駒市の基本健康診断をしてくれると言うので、午前中時間を見つけて出かけることにしている。 毎年、人間ドックで検査しているが、基本健康診査を受診すればいいとのことで、今回は料金無料で基本的な検査をしてもらうことにした。 問診、血圧測定、検尿、心電図検査、血液検査(循環器・肝機能・貧血等) 6年前に左脳内出血で倒れたが、イエス様のいやしと適切な治療でスッカリ直り、後遺症もなく元気に過ごしている。 愛する者よ。あなたのたましいがいつも恵まれ・栄え・幸せであるように、あなたがすべてのことに恵まれ・栄え・幸せであり、かつ健康であるように祈る。第3ヨハネ2節
2005/10/07
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昨日は朝3時半の雨の降りそうな山道を歩いた。5時前に家に着くと同時に雨が降り出しセーフ。 水曜礼拝を終え、大阪の病院に末期ガンで入院中の50代男性を見舞う。抗がん剤の投与をストップしていることもあり、比較的元気で安心。運動も必要だと近くのスーパーまで好きなものを買いに行き、そんなに食べられないようだが、ちょと食べるようにしているという。 病院にはシャワーだけなので、近くの銭湯まで一週間に一度は出かけているそうだ。 9日の日曜日はエリムキリスト教会の礼拝に出席するんだと輝いた顔で語ってくれた。 主治医もフシギな病人だと言うくらい、イエス様の大きな愛と守りがその上にあることを祈り続けている。 夜は大阪リバイバル集会。30名ほどの集まりだ。焼肉店を経営している婦人が嬉しそうな顔で雨の中をやってきた。イエス様を信じ牧師に祈ってもらっているので、店が繁盛していると言う。 お客さんからこの店はなかなか美味しいとほめられ!。従業員の方々も文句を言わないで仲良く働いてくれる!感謝だ、感謝だと繰りかえし輝かしい笑顔で話し続けてくれた。 教会に来る前に読んだ聖書の箇所に線が引いてあり、神様のことばは現実ですと話してくれた。 彼女が恵まれた聖書のことばを紹介します。 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。 「目が見たことのないもの、 耳が聞いたことのないもの、 そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。 神を愛する者のために、 神の備えてくださったものは、みなそうである。」 第一コリント2:9
2005/10/06
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毎週水曜日の朝は、ABCラジオで希望の声が流される。今朝、久しぶりにラジオから流れる自分の声を聞いた。何しろ朝4時35分という早朝なので、なかなか聞くことがない。 32年前のスタート時は、日曜日朝6時10分だった。すぐに土曜朝5時50分になり、さらに局の番組編成で水曜日朝5時5分になり、長い間その時間帯で放送が続いた。 3年前に朝4時35分とさらに早くなったが、局の説明によると聴取者の数は変わらないとのこと。その時間帯で焼く8万人ほどが聞いていると言う。 6分30秒の聖書の話し。森山良子の歌う賛美歌が流れ、東大阪エリムや大阪エリムへの礼拝案内。新約聖書のプレゼントのアナウンスで10分があっと言う間に過ぎてしまう。 ラジオを聴いて救われた方々がたくさんいることは、ラジオ牧師として大いに励まされる。 朝、車庫に向うタクシーの中で救われた方がいる。朝早い豆腐屋さん。夜通し勉強していた大学生。眠られない夜を過ごした方々。朝の目覚めが早い高齢になった方々。病院のベッドでイヤホンをつけてラジオを聴いていた方々。 5時5分のころはラジオ片手に散歩を楽しんでいる方など、多岐に渡って聞かれていた。 聞いてくださる方からレスポンスのハガキが届く。631-0077 奈良市富雄川西1-19-18 富雄キリスト教会 私書箱も使わず教会の住所でお便りを待つ。 礼拝に来られる方。電話で相談される方。いろんな出会いがある。 幸せを祈りつつ、「アーメンと言えば救われます!」と、毎週ラジオでも呼びかけている。詩篇より23:1 【主】は私の羊飼い。 私は、乏しいことがありません。 23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、 いこいの水のほとりに伴われます。 23:3 主は私のたましいを生き返らせ、 御名のために、私を義の道に導かれます。 23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、 私はわざわいを恐れません。 あなたが私とともにおられますから。 あなたのむちとあなたの杖、 それが私の慰めです。 23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、 私の頭に油をそそいでくださいます。 私の杯は、あふれています。 23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと 恵みとが、私を追って来るでしょう。 私は、いつまでも、【主】の家に住まいましょう。
2005/10/05
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今朝はいつものように早く起きて少し散歩。 聖書学院の朝の祈りとチャペルを神学生とともに守る。朝食が終わるとすぐ、今週の講師が兵庫県から到着。いつもより高速が空いていて早く来れたと喜んでおられた。授業が始まるまでお茶をともにし、講師は神学者なので難しい話にも花が咲き、少し賢くなった思いがする。 「天国に行く前に読むと楽しくなる不思議なフシギな天国ガイド」を紹介する。終末論の参考にしたいというので、軽い読み物ですよ!とあわてて紹介しなおす。神学者は頭から生まれたような考えを持っているので・・・。 今日は講師の接待やそのほかの所要で合っと言う間に時間が過ぎる。 すべてが守られ、すべてが祝福されると期待しながら。 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。 ピリピ4:4-13
2005/10/04
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久しぶりに朝早く歩くことができた。金木犀の香がまだ明けきらない朝の山路にあふれ、秋が来た!という思いのなかを、聖書のCDを聞きながら歩く。 月曜日の生駒聖書学院は、朝8時30分のチャペルからスタート。火曜から金曜は朝5時30分スタートなので、学期中は朝早い時間の散歩はできない。神学生と同じような生活を何年間も続けているので、健康的にも精神的にも楽しい毎日を送れるから感謝! 土曜礼拝、日曜礼拝と続き、特に日曜日は礼拝の合間に2つの病院(大阪市と堺市)見舞いがここ数ヶ月続いている。顔を見て聖書を読み祈るだけだが、イエス様のいやしと慰め励ましが病床にあることを信じながら・・・。 夜は幸い熟睡できるので、朝の目覚めも心地よく感謝である。 本屋で立ち読みしていたら、健康雑誌「壮快」に、五木寛之さん絶賛{古謝美佐子さんの歌}で血圧・血糖値が正常化!免疫力が増強すると新判明とあった。 血圧が正常化!に引かれて購入。「涙があふれて止まらない!」感動のCDが閉じられていたので、「ちゅらさん」挿入歌で有名な沖縄の歌を聴いてみた。意味は説明文を読まないと分からないが、童神、家路、黄金ん子の3曲を聞いてみた。言い歌だと思い、CDを3枚注文した。 賛美歌や聖歌しか歌ったことがないが、沖縄のことばで歌われる優しい子守唄や、家路はドボルザークの家路を沖縄方言の誌で歌っているので懐かしく聞くことができる。 涙が流れることもないが、良い歌だと思った。沖縄に詳しい方、いろいろ教えてください。 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。 ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。 私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。コリント第二2:14-17
2005/10/03
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どうすれば神の愛を体験できるか 聖書はこのように分厚い本ですが、聖書の中心を要約すると、「神は私たちを愛しておられる」ということです。私たち人間の側から言うと聖書の主題は、「どうすればこの神の愛を自分のものとして体験できるか」ということです。 聖書は、神の愛を自分のものとして経験するために,私たちが知らなければならない大切なことが三つあると教えています。その三つのこととは何か、今日いっしょに聖書から見てみましょう。1. すべての人は罪を犯した まず第一は、この点です。ここを声に出して読んでくださいませんか。「すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉をうけることができず」(ローマ3:23) ここに、「すべての人は罪を犯した」とあります。罪とは? ところで、聖書の言う「罪」とは「犯罪」のことではありません。「犯罪」というのは、泥棒をしたり、詐欺をしたり、人を殺したりする、いわゆる刑法上の罪です。聖書で言う「罪」とは「神」自身の完全な正しさ、清さの標準から外れることを言うのです。この世の中に神と同じ正しさをもった完全無欠な人はいないですね。 たとえば、一つの身近な例として嘘をつくことを考えて見ましょう。嘘は罪ですね。それでは、嘘を何回つけば嘘つきになりますか。一回ですね。同じように、多くの罪を犯さなくても、一回でも罪を犯すと神の前には罪人なのです。 一生の間、一度も嘘を言ったことのない人がいると思いますか。いないでしょうね。ですから、私も罪人です。あなたがたも神の前には罪人ですか?2. 罪の罰は死 第二番目に、罪には罰があると教えています。この箇所を読んでくださいませんか。「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。(ローマ6:23) ここに、「罪から来る報酬は死です」とあります。つまり、私たちは神の前に罪を犯したからその結果、「死」という罰を受けると聖書は教えているのです。 ところで、「死」には二つの意味があります。一つは「肉体の死」です。肉体の死というのは、葬式をしてもらう、あの死です。もう一つは「霊の死」です。 霊の死とは、死んだ後、私たちの魂が神から離れて地獄で永遠を過ごすことです。これを「永遠の滅び」とも言いますが、それはこの私たちがこの地上で経験しうるどんな災難や苦しみとも比較にならないほど恐ろしい苦しみであると、聖書は教えています。 「罪からくる報酬は死です」というのは、聖書の中でくり返し教えられている神の鉄則です。神は矛盾されないお方ですから、その鉄則を変えたり、変更したりすることはありません。それは守らなければならないのです。その「死」という報酬を私たちが受けるか、もしくは、だれか別の方が代わって受けてくださるか、どちらかなのです。 ところが、神様は私たちを愛してくださっています。私たちが永遠の滅びに行かないために、私たちの罪の身代わりをしてくださった方がいるのです。3. 身代わりの十字架 聖書を読んでください。「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます」ローマ5:8 ここに「キリストが私たちにために死んでくださった」と書いてあります。それも私たちが神に喜ばれるような生活をしていたときにではなく、「私たちがまだ罪人であったとき」にです。 つまり、私たちが「神など居ても居なくても自分には関係がない」と考えて神を無視し、神に対して反抗的な態度で生きていたときに、神のほうから私たちを愛し、あわれみ顧みてくださったのです。 そしてキリストは、永遠の地獄での滅びに向かって進んでいた私たちのために、自分から進んで、ご自分のいのちを捨ててくださったのです。この十字架の神の愛の最大の現われがあるのです。むごい拷問 拷問され、歩くこともできないほど弱りきったキリストは、無理やり重い十字架を背負わされました。ゴルゴダという処刑の場所に着くと、キリストの両手と両足に釘が打たれて、十字架刑につけられました。十字架刑というのは、人間が考え出した死刑の中で最も一番むごいものだといわれています。丈夫な人は釘付けになったまま、数日間も虫の息で生きていたそうです。 なぜキリストはそのようなむごい死に方をされたのでしょうか。それは、ほんとうは私たちひとりひとりが受けなければならなかった神の刑罰を、キリストが代わりに受けてくださったからです。コリント人への手紙第二・5章23節 今までに説明したことの総まとめが、この聖句に書かれています。 「神は罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって神の義となるためです」 ここで「罪を知らない方」とは、キリストのことです。「義となる」というのは聖書の中の特別な用語で、「罪が赦されて完全に正しい者とされる」ことです。 この聖書の箇所を手まねで説明しますから良く見てくださいね。1. この手(左)を私やあなたとします。2. 私たちの上には多くの罪(病・呪い・貧乏・死)があります。いま仮にこれが罪を表すものとします。人を憎むこと、嘘を言うこと、ねたむこと、人のものを取ること、貪欲になること、高慢になること、悪いことを考えること。あなたにはそんなに多くはないかもしれませんが、私たちには数え切れないほどの罪があります。3. 神は私たちをお造りになった方ですから、私たちを愛しておられます。4. しかし、この罪を嫌われます。5. なぜなら、罪が私たちを神から離しているからです。6. もし私たちが神から離れたまま死ぬなら、永遠の地獄での滅びです。その滅び殻私たちを救うために、イエス・キリストをこの地上に遣わされたのです。7. この手(右手)をキリストとします。キリストには罪は全くありませんでした。8. ところがキリストは私たちの罪をご自分で受けてくださいました。9. それでは、今のこの説明によると、私たちの罪の罰は今どこにありますか。私たちの上にありますか。ないですね。キリストのうえですね。キリストが私たちに代わって罪の罰を受けてくださったからです。10. こんなすばらしい立場に私たちはすでに置かれているのです。実感はしなくてもよい 「キリストが身代わりに死なれた」ということを急に聞いても、実感がしないと思います。実は、実感がしなくても当たり前なのです。十字架の場所にいなかったのですから。 もし私たちがキリストの時代に生きていて、キリストの十字架の苦しみを目撃したとしましょう。イエス様の釘付けの苦しみは、私の罪を赦してくださるためなのだということを、自分の目で見たならば、実感がするでしょう。実感がするどころか、声を上げて泣いたでしょう。 しかし、私たちは、そこにいませんでした。ですから、実感がわかなくても不思議ではないのです。市内にもかかわらず、これはあなたのためになされた事実だと、聖書は教えているのです。感謝して祈りませんか。キリストの身代わりによって、神のほうからはすでに私たちの罪を解決済みにしてくださったと聖書は教えています。そのことに感謝して短くいっしょに今、祈りませんか。それではいっしょに目を閉じて祈りましょう。 「神様。私はあなたの前では、自分が罪人であることを知っています。イエス・キリストが十字架で死なれたのは私の身代わりであり、私の罪を赦すためであったことを聖書から知りました。私は今、イエス・キリストを、私の主、救い主として信じ受け入れます。アーメン」ヨハネの福音書1章12節 それでは聖書を1箇所読んでみましょう。 「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」 ここで「この方」とは、イエス・キリストのことです。先ほど、いっしょにこう祈りましたね。「イエス・キリストを私の主、救い主として受け入れます」それがキリストを受け入れるということなのです。 ここはキリストを受け入れた人々、すなわち信じた人々には、どんな特権が与えられると書いてありますか。「神のことされる」 そうですね。ここで神は嘘を言っておられると思いますか。「いいえ」 それでは、この聖書のことばによるとあなたは今、神の子どもとしての特権が与えられていますか。「はい」そうです。ここにあるとおり、キリストを救い主として受け入れたので、あなたは神様の子どもになったのです。今日はあなたが神様の子どもとして生まれた誕生日です。感じに頼ってはならない ある人たちは、自分が神の子どもになっているがどうかを、自分の感じで判断しようとします。それは大きな間違いです。気分の良いときは「ああすばらしい気分だ。神の子どもになっているからだ」と感じるかもしれません。別の時には、「ああ気分が重い。もう神の子どもではなくなったにちがいない」と感じるかもしれません。しかし、またしばらくたつと、神の子どもであるような気分がし、また別の時には、ないような気分になりかもしれません。人間の「感じ」は変動しますのであてになりません。この世界で絶対に変わらないものがあります。それは聖書の神の約束です。自分が神の子どもであることをハッキリ知る方法はただ一つ、聖書のことばによるのです。 それでは最後に一言、神様に感謝して祈りましょう。自分のことばで、「神様。今日あなたの子どもにされたことを感謝します。アーメン」と祈りましょう。
2005/10/02
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東大阪市長田東で、マンション1階のコーヒーラウンジが閉店し、その場所を家主が3年間無償で提供してくれました。 東大阪エリムキリスト教会として昨年10月にスタート。満1年には少し早いけれども、1日が土曜礼拝なので1周年記念礼拝を行います。 土曜礼拝参加者が20名を越えるときもあり、ロー礼拝や教会学校、日曜礼拝も行っています。2年目を迎えて日曜礼拝中心の開拓教会へ向おうとしています。 一人でも多くの方が愛の神を知ることを期待します。 だが、今、ヤコブよ。あなたを造り出した方、【主】はこう仰せられる。 イスラエルよ。あなたを形造った方、【主】はこう仰せられる。「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。 あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。 火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。わたしが、あなたの神、【主】、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。 わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。 イザヤ43:1-4 アメリカ建国後まもなくの頃でした。一人の旅人が疲れきって、ようやくミシシッピー川の岸辺に着きました。しかし、渡りたくても橋も渡し場もありません。真冬だったので、川の表には氷が張り詰めていました。この上を渡ることができるかなあ?この氷は大丈夫だろうか?身体の重荷を支えることができるだろうか?暗くなってくる。早く向こう岸へ行かなければ。散々ためらった後で、彼は恐る恐る氷の上を四つんばいになって渡り始めました。 やっと半ばまで来たときです。後ろのほうで陽気な歌声がしました、もやの中から、一人の男が四頭立ての馬車に乗って、氷の上をやってくるではありませんか。彼はビックリし立ち上がりました。氷は大丈夫だったのです。 彼は四つんばいをやめて、堂々と恐れることなく向こう岸に渡って行きました。 あなたもイエス・キリストを信じて見ませんか。 人生のあらゆる分野において、喜びも悲しみにも、成功にも失敗にも、健やかな日も、病むときにも、いかなることが起ころうとも、イエス・キリストは信頼するに余りあるお方です。 キリストを信じる者を、主は支えてくださり対岸へ無事届けることができるお方なのです。しかもこの保証は、絵に描いた餅ではないのです。 神は愛です。とこしえにいます神はあなたの住処であり、下には永遠の腕があるとの約束のように、愛である神がその大きな愛の手で守り支えてくれるのです。 神の約束は真実であり、神の約束にウソ偽りはありません。十字架の上に命を捨てて愛してくださったイエス様は、墓に葬られ3日目に復活した救い主です。 2000年の歴史の中でイエス・キリストを信じた人々は救われ、その人生を幸せに全うしました。 神に愛されて確信は、人生にゆとりと平安をもたらします。あなたはそのような確信を持ちませんか。どんな嵐がやってきても、問題に直面しても、揺るがない確信を持って生きることができるのです。。 イエス・キリストは、人間の持つ全ての悩みを引き受けて十字架上に死なれました。死んだだけでなく墓に葬られ3日目に死を打ち破って復活した真の救い主です。 そのキリストなる神が信じる者の中に来て住んでくださいます。神がともにいる人生とは、心の中に神を持つ人生です。 新しい勇気と希望に輝き、恐れることなく生きることができるのです。 何が起ころうとも驚き惑うことなく、神とともに歩むことができるのです。 神があなたの名前を呼んでくださるのです。川の中?のような試練や困難の象徴です。水はあなたの上にあふれることはありません。 火の中?を通るような試練や問題。火はあなたを焼き尽くすことはできないのです。。 どんなときでも神がともにいてくださいます。聖書はそのようなすばらしい約束で満ちています。 今日、イエス・キリストを信じて心にお迎えさえすれば、その約束は現実となります。アーメンと言えば救われるのです。 主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。 「主は私の助け手です。私は恐れません。 人間が、私に対して何ができましょう。」ヘブル13:5-6
2005/10/01
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