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「わたしを呼べ。そうすれば、わたしはあなたに答え、あなたのしらない理解を越えた大いなることを、あなたに告げよう」エレミヤ33:3神様はすばらしいことばで呼びかけてくれています。わたしを呼べ!と。天のお父様。アバ、父。お父ちゃん。パパと子どもが呼ぶように、イエス様に呼びかけることは幸いですね。 お母さんは生まれたばかりのわが子の泣き声で何を求めているかを理解できるそうです。愛なる神様はあなたが求める前から、必要をご存知ですが、ハッキリと呼ぶときに、はっきりとした答えを体験します。聖書のことばは生きている愛の神が今、語りかけてくださることばです。神のことばは生きていて力があるので、そのことばにアーメンとすなおになって応答するなら、フシギにそのことばどおりのことが実現します。 今日、救いを求めていたら、「イエス様救ってください。私の心にお入りください」と主の名を呼んでください。今、救われます。ラジオの聴取者の方から手紙をもらいました。 高校生のとき、いじめと家庭内暴力により病気になり、5年間で高校は卒業したけれども、何の望みもなく強い自殺願望に支配されていました。22歳のとき自殺を決断しました。そんなときこの番組を聴きました。イエス・キリストを信じれば救われる。「イエス様。信じます。私の心にお迎えします。アーメン」と祈ってみませんかという呼びかけを聞きました。 死ぬ前にこのイエスとかいう人に賭けてみようと思いました。そしてラジオ牧師とともに声を合せて、「イエス様。信じます。私のこころにお迎えします。アーメン」と祈りました。彼は救われました。そして6年間、毎週欠かすことなくラジオ放送を録音して聞いてくれているそうです。 現在、28歳家から離れて一人暮らしですが、毎週キリスト教会の礼拝に参加し、ラジオ放送も欠かすことなく聞きながら生活しているとのことでした。 苦しいときの神頼みということばがありますが、私はそれでもいいと思っています。神様が私を呼べ!と語りかけていてくださるのです。 苦しみがあればその苦しみや悲しみを通して、人生のすばらしさを理解させてくださいます。 信仰のため迫害に合い、牢獄に入れられ、いじめられ虐待された一人のクリスチャンが釈放されました。彼の姿は惨めに曲がり見られたものではりません。特に背中は大きく曲がりまっすぐ伸ばすことはできませんでした。しばらくぶりにあった彼の子どもは、「背中に何を背負っているの!」彼はことばに窮しました。 息子は言いました。「お父さんの背中にあるのは箱だね。ぼくはそう思うよ。神様がプレゼントをくれたんだ。その箱の中には天使の羽が入っているんだね。ある日、その箱が開けられたとき、お父さんはその羽で天国へ飛んでいくんだよ。」息子のむじゃきなことばにその父親は感極まって泣き出しました。 あなたも背負いきれいないような重荷を背負っているかもしれません。苦しくて仕方がないし、なぜ自分がその箱を背負わなければならないか理由も分からないかもしれませんね。 一つは神様の贈り物・プレゼントだと考えてください。 あの子が迫害を受けて不自由な身体になって帰ってきたパパに語ったように、その箱の中には天使の羽が入っているんだよ。私が苦しみにあったことは私にとって良いことでした。なかなか言えないかも知れませんね。 「わたしを呼べ。そうすればわたしはあなたに答え、あなたの知らない隠された大きなことをあなたに示そう」とおっさやった愛の神がハッキリと理解させてくださいます。人の慰めに勝る何倍もの豊かな理解を与えてくださいます。 すべての人は何かしら醜いものや重荷を背負っています。肉体的の場合もあり、精神的な場合もあります。あるいは家族の中の問題の場合もあります。 イエス様に呼びも求めてください。 「だれでも重荷を負って苦労している者は、わたしのところに来なさい。あなたを休ませてあげよう」マタイ11:28 イエス・キリストの十字架の下に下ろすことができます。 十字架は私たちの重荷を自ら背負って死なれた場所です。罪ものろいも貧乏も病気も死も、全ての醜さを恥をイエス・キリストは十字架に引き受けたのです。 どんな罪もどんな重荷も解決されて行く人生と変わります。そして苦しみが大きければ大きいほど、与えられる恵みも大きく、祝されて行く約束が与えられています。 今日も十字架に死に、3日目に復活されて生きている方が、あなたとともにおられます。イエス様。信じます。私の心にお入りください。アーメンと祈ってください。人生の妙味を体験しながら生きる喜びに輝く日々が始まります。アーメン。
2005/09/30
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キリスト教とはどんな宗教ですか?と聞かれることがあります。宗教と聞くだけで嫌がる人もあります。この文明の進んだ時代に宗教なんて古臭い。科学の時代なんだから宗教なんか必要ないと断言する人もいます。 19世紀から20世紀にはそのような考えが世界を多い、21世紀は科学文明が花開き、全人類が豊かになり、幸福と平和を楽しむユートピアが実現すると期待されていました。 9.11の世界貿易センター大爆破のテロにより、その夢は無残にも打ち破られてしまいました。アフガニスタン戦争やイラク戦争が起こり、世界は今も明るい希望よりも破滅に向かって進んでいるようです。日本も北朝鮮の核の脅威に脅かされています。人災だけでなく、アメリカを襲ったハリケーンの猛威や、アジアの大津波、日本各地で起こる大地震の前兆・・・。それに対してなすすべもない私たちです。人々が平和だ、無事だと言っている矢先に滅びがにわかに襲ってくると、聖書は警告しています。 そのような出来事の続く中で、科学の夢は破れたと言っても言い過ぎではないでしょう。科学がさらに発達すれば、21世紀はもっともっと血なまぐさい世界になって行くかもしれません。科学のもたらした世界は確かに豊かさや便利さ、楽しみや喜びなども多くあり、日本人はそのすばらしさを世界中で最も堪能しているのかもしれません。 しかし、その結果を静かに考えれば、科学がもたらした世界は、第一に血の臭いが漂う世界です。広島や長崎の原爆を思うだけでもそうですし、イラク戦争でもそうです。 第2に、全人類が不安と恐怖におびえる時代を造ってしまいました。使い方を間違ってしまうととんでもない世界になってしまいます。科学は絶対必要です。火と同様に必要ですね。日はご飯を炊いたり、部屋を暖めたり、動力を動かしたりなどと正しく使えば大きな祝福を与えます。科学も同じように正しく利用されるとき、大きな祝福となり今もわたしたちはその恩恵に浴しています。感謝なことです。残念ながら、それを用いる人間の心が間違っていれば、科学文明が大きな災害を人類にもたらしてしまいます。私たちはその現実を毎日のように見せ付けられてきました。 堕落した意地の悪い、自分のことしか考えない人間の本性を、誰がどこで、正しくすることができるでしょうか。 人間は自分自身で自分を正しくすることはできません。聖書には人間の本性は罪であると教えています。ローマ人への手紙に書かれています。 それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない。神を求める人はいない。3:12 すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない。」「彼らののどは、開いた墓であり、彼らはその舌で欺く。」「彼らのくちびるの下には、まむしの毒があり、」3:14 「彼らの口は、のろいと苦さで満ちている。」「彼らの足は血を流すのに速く、彼らの道には破壊と悲惨がある。また、彼らは平和の道を知らない。」 「彼らの目の前には、神に対する恐れがない。」ローマ3:10-18 人は誰でも自分で自分を正しくすることはできません。その人類の罪を取り除くために、神が人となってこの世界に来られたのが、イエス・キリストです。人の心はよろずのものよりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっています。その悪をキリストは自ら十字架に引き受けて死なれました。そのとき、科学でも何でもどうにもできなかった人間の心は、神によってきよめられ新しい人生を生きるようになるのです。そのとき、罪人は正しくされます。罪が赦されて神の子と、永遠の命を持つことができるのです。 そして神の心を実行する力と勇気が与えられます。パンだけで生きるのではない、心のむなしさから解放され、平安の心が与えられます。心を騒がすことなく平安な平和な決断ができるようになります。死の恐れからも解放され天国に行く確信の人生を生きることができます。イエス様。信じます。私の心にお入りください。アーメンと祈ってみませんか。今朝からあなたの心は豊かになり、平安と希望に満ちた人生へと歩みだすことができます。 愛する者よ、あなたのたましいがいつも恵まれ栄えしあわせであるように、あなたが全てのことに恵まれ栄え幸せであるように、また健康が恵まれているよう祈ります。3ヨハネ2節
2005/09/29
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昨夜から降り始めて、久しぶりに雨の朝。毎日ゆとりの1万歩と歩き続けてもうすぐ満2年になる。雨の朝は歩くにのは都合が悪い。毎日ウォーキングを続けている方は雨の日はどうしているのかな? 大阪へ出かけるときは地下街を歩いたこともあった。夜遅く広い教会の中を祈りつつ歩いたり、ちゃんと傘をさして歩いたり、ともかく毎日1万歩以上を歩き続けている。今日はどうしようか!?と、書いているうちに少し晴れ間が見えてきた。 娘は阪神ファン、明日木曜日甲子園に行く予定。優勝決定戦に立ち会えると張り切っている。今日の雨は晴れて試合はできるはずだと、弾んで会社に出かけた。御堂筋パレードも楽しみにしているようだ。 リーガロイヤルホテルでは大阪婦人ランチョンが開催され、家内や教会員は参加することにしている。今日の講師は、生駒聖書学院卒業生の金沢泰弘牧師。元ヤクザでお父様の死の床で改心を誓い、生駒聖書学院に入学、必死で祈りと学びに献身し、神学生時代より大阪桃谷で弟子教会を設立。卒業後、神戸改革派神学校も卒業し、現在、大阪日本橋の近くに6階建ての立派な教会があり、暴走族や薬害に悩む若者やその親たちの良き相談相手にもなり、立派な牧師として活動している。 イエス・キリストの十字架の救いを信じるとき、新しい人生が始まる。だれでもキリストにあるならその人は新しく造られて人。古いものは過ぎ去り、すべてが新しくなる。生まれ変わった新しい人生への旅立ちを、お手伝いするのが牧師の祈りと働きである。 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。 私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。 どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。アーメン。 テモテへの第一の手紙1:13-17
2005/09/28
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初めに神が天と地を創造した。創世記1章1節 聖書を手にした方が一番最初に接することばです。このことばを見ただけで、聖書を読まない方もあります。 聖書の神は天地万物の創造者。全知・全能・遍在・永遠・不変の神です。科学はこの宇宙の成立をまだ解明しつくしていません。いろんな仮説があり論議があります。その第一原因を神が創造したと信じているのがクリスチャンです。 信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです。ヘブル11:3 創造の神を信じるとき、人生は楽しく有意義なものとして輝きはじめます。神が光よあれ。と宣言したら光がありました。私たちが目で見るすべての物は、神のことばによって想像されました。 その神は永遠不変のお方ですから、今でもすべてのものにいのちを与え、その全能の働きをなさいます。 信じる者にも何でもできる力を与え、神の栄光の人生を歩ませてくださいます。 初めに、ことば(イエス・キリスト)があった。ことば(イエス・キリスト)は神とともにあった。ことば(イエス・キリスト)は神であった。 この方(イエス・キリスト)は、初めに神とともにおられた。 すべてのものは、この方(イエス・キリスト)によって造られた。造られたもので、この方(イエス・キリスト)によらずにできたものは一つもない。 この方(イエス・キリスト)にいのちがあった。このいのちは人の光であった。 光(イエス・キリスト)はやみの中に輝いている。やみはこれ(イエス・キリスト)に打ち勝たなかった。 ・・・・・ すべての人を照らすそのまことの光(イエス・キリスト)が世に来ようとしていた。 この方(イエス・キリスト)はもとから世におられ、世はこの方(イエス・キリスト)によって造られたのに、世はこの方(イエス・キリスト)を知らなかった。 この方(イエス・キリスト)はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。 しかし、この方(イエス・キリスト)を受け入れた人々、すなわち、その名(イエス・キリスト)を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。ヨハネ1:1-12 イエス・キリストを心に信じ、心のお迎えするとき、天地万物の創造者である全能の神の子となれるのです。 アーメン(本当・真実です)と言えば救われます。
2005/09/27
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私たちが滅びうせなかったのは、【主】の恵みによる。 主のあわれみは尽きないからだ。 それは朝ごとに新しい。 「あなたの真実は力強い」(アイカ:2-23) その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。詩篇30:5 朝が来る!すばらしいことだ。聖書の創世記には、夕があり朝があったと表現されている。 夜は試練や苦難の象徴でもある。暗闇や暗黒に支配され、どうにもならない苦痛にさいなまされることもある。 しかし、希望の朝が来る。朝とともに新しい輝きが必ずやってくる。そのような期待と喜びで朝を迎える幸い! それは朝ごとに新しく、今日という新しい日の始まりに感謝する。 昨日は日曜日。牧師として最も充実した幸いな日。 朝一番に60代主婦のバプテスマ式。 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。ローマ6:4 朝の礼拝を終え、娘の運転で末期ガンで入院中の50代男性を見舞い、大阪エリムの礼拝。 夕方も堺の病院にガンで入院中の30代女性を見舞い、堺エリムの礼拝。 帰りは車の中で軽い夕食をすませ、メールを送ったり電話をしたり・・。 月曜日は朝のチャペル説教や2時間の講義。その準備をと思いつつ、猛烈な眠たさで熟睡・・・。 朝ごとに新しい恵みと、朝とともに喜びが来る幸いで新しい日がスタートする。 これは【主】のなさったことだ。 私たちの目には不思議なことである。 これは、【主】が設けられた日である。 この日を楽しみ喜ぼう。 ああ、【主】よ。どうぞ救ってください。 ああ、【主】よ。どうぞ栄えさせてください。詩篇11:23-25
2005/09/26
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わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。ヨハネ10:10-11 豊かな人生を生きる秘訣 豊かに生きる!と言うと、猛烈に反対するクリスチャンもあります。名もなく貧しく美しく生きることこそ美徳であり、心の豊かさこそすべてであると言うのです。お金の話を教会でするとは思わなかったと、つまずく場合もあるようです。 しかし、豊かでなければ順調な人生を過ごすことはできません。豊かでなければ自分の可能性や才能を最大限に広げることもできません。 なぜなら心をはぐくみ、才能を伸ばすためにはいろんなものを利用する必要があるからです。それらを手に入れるためにはお金も必要です。私たちはさまざまなものを活用して、身体と心と知力を成長させますが、現代社会は、経済力がなければそれらのものを手に入れることができない仕組みになっています。ですから人間として成長するためには、まず豊かになる秘訣を知っていることが大切です。あらゆる生命の目的は成長することです。生き物はみな、可能な限り成長する権利があります。 人間にとって生きる権利とは、知力と心と身体を生き生きと活動させるために必要なものをすべて、自由に無制限に使える権利と言ってもいいでしょう。 本当の豊かさとは、少ないもので満足したり、それでいいと思ったりすることではありません。 手に入れないもので満足するのは、神の摂理に反することです!私たちが救われたのは、少ないままで満足するためではなく、いのちの成長と輝きであり、そのいのちの活力や気品、美しさや豊かさを十分に発揮するためなのです。 イエス様は言われました。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。ヨハネ10:10 その前のことばには、「盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです」とあります。盗人とはだれのことでしょうか。それは悪魔・サタンです。 私たちは盗人に奪われてはいけません。奪われると貧しくなります。イエス様はサタンが奪ったものを全部取り戻してくださいました。 それが十字架の救いです。恵まれて生きることを望むのは、何も悪いことではない。豊かさに対する願いは、いっそう恵まれて充実した、実りある人生を送りたいと言う願いであり、その願いは非難されるべきものではなく、むしろ称賛されるべきもの。 イエス様は、「あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです」(ヨハネ15:8)と言われました。 恵まれた豊かな実を結ぶ人生を望まないクリスチャンは、ひねくれものです。悪魔にだまされて恵まれている人をうらやんだり、非難したり裁いたりしてしまうのです。 また、必要なものを十分に持ちながら、そのように生きていないならずいぶん変わり者だと思います。 ここでもう一度イエス様の十字架の意味を再考してみましょう。1.2コリント5:21 罪のために=すべての罪は赦された!アーメン。2.1ペテロ2:24 すべての病はいやされた。もう病人ではない!3.ガラテヤ3:13 すべてののろいはもう一つもない!祝福の人生!4.2コリント8:9 すべての貧しさはなくなった!豊かで無限な神の富!5.ヘブル2:14-15 死の恐怖から解放された!永遠の楽しい天国へ!豊かに生きる秘訣の原点を確認しよう。あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。2コリント8:9そのことを確信するのであなたがたは、すべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちから出てあなたがたの間にある愛にも富んでいるように、この恵みのわざにも富むようになってください。2コリント8:7神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。2コリント9:8 人間として、神の子として私たちは、心豊かに、知力も鍛えられ、丈夫な身体も与えられています。これらのうちのどれかが優位に置かれたり、神聖視さたりしてはいけません。それぞれが同じように大切なのです。へんに霊的ぶるのはやめてください。聖霊に満たされることは大切です。聖霊に満たされるとすべてが満たされますが、ほかのものに満たされる必要はないなどと聖書は教えていません。聖霊に満たされるとき、心も知力も健康もすべてが豊かにされるのです。聖書の約束が実現するから幸いです。3ヨハネ2節には、「愛する者よ。あなたが、たましいに幸い(恵まれ・栄え)を得ているようにすべての点でも幸い(恵まれ・栄え)を得、また健康であるように祈ります」とあります。健全な信仰は健全な常識を生み出し、不健全な信仰は非常識になります。心のめだけに生きるのは正しいことではないし、尊いことでもありません。知力だけ鍛えて身体や心をないがしろにするのは、誤りです。知力や心のことを省みず、肉体の赴くままに過ごすなら、いまわしい結果を招きます。心が生き生きと活動するためには、愛が必要です。クリスチャンはその愛を豊かに与えられいます。ヨハネ3:16 ローマ5:8 イザヤ43:4 十字架の元に立つとき愛は豊かに注がれてくるのです。なぜなら聖霊によって神の愛が豊かに注がれているからです。ローマ5:5 神に愛されていないクリスチャンなんて一人もいません!人間の最大の幸福は、愛する人に祝福を与えることです。愛のもっとも自然で自発的な現し方は「与える」という行為です。与えることのできない人は、夫や父親として、あるいはクリスチャンとしての役目をはたすことができません。聖書は、マタイ7:12 ゴールデンルール(黄金律) ルカ6:38 使徒20:35それは知力や健康にも当てはまります。人間は十分な食べ物と、着心地のよい衣服と、あたたかな住まいがなければ、身体を生き生きと活動させることができません。過酷な苦労にさらされるのもよくありません。身体のためには、休息し気分転換をはかることも必要です。安息日!また書物や読書をするための時間や、旅行や観察をする機会がなく、あるいは知的な会話のできる相手がいなければ、知力をしっかりみがくことはできません。知力を十分に伸ばすためには、知的な娯楽が必要ですし、工芸品や美術品を身の回りにおいて、使ったり、鑑賞したりすることが欠かせません。美術館や博物館。クリスチャンがイエス・キリストの救いを受け、聖霊に満たされ、豊かに生きることは、神と自分自身と人類への果たすべき責任なのです。なぜなら人間は、神と全人類に対して自分自身を最大限に生かす以上に大きな奉仕はできないからです。そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。」マタイ22:37-40クリスチャンとして最高に豊かな人生をともに生きていきましょう。
2005/09/25
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赤ちゃんが生まれたとの嬉しい知らせがありました。教会員の娘さんに男の子誕生!予定日より10日過ぎでした。初産だったので家族中やきもきしたとのことです。海都(かいと)と命名されました。 イエス様は、 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜ぶのです。あなたがたは悲しむが、しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。 女が子を産むときには、その時が来たので苦しみます。しかし、子を産んでしまうと、ひとりの人が世に生まれた喜びのために、もはやその激しい苦痛を忘れてしまいます。 あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません」(ヨハネ16:20-22)とおっしゃいました。 新しいいのちの誕生!まさしくめでたい、嬉しい喜びです。 人間のいのちは神の愛に中に永遠に定められています。 神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。 神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。エペソ1:3-6 そのことは母の胎に宿る前からの選びです。 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」エレミヤ1:5 具体的には、 それはあなたが私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。 私は感謝します。あなたは私に、奇しいことをなさって恐ろしいほどです。私のたましいは、それをよく知っています。 私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。 あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが、書きしるされました。 私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。詩篇139:13-16 この地上に一度きりの生を与えられた人生。イエス・キリストの十字架の救いを信じて、きよらかに美しく天国に帰るその日まで。与えられた使命を全うし、神の栄光のために幸せに生き続けたいものです。
2005/09/24
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午前10時半より、エリム天国聖会。和歌山県橋本市・橋本バプテスト教会・平岡修治牧師がメッセージを語る。午前9時より4名がバプテスマ。 10時より今年、母が召された家族とともに納骨式。聖会後は天国の饗宴さながら?の持ち寄りの昼食会。100名ほどの集まりになる。 奈良市で富雄キリスト教会の開拓伝道を始めた頃、ある真夏日の礼拝で説教のために聖書を開いた。玄関から1人の老齢の紳士が入ってくると、そっとイスに座した。真っ白なスーツに真っ白な帽子。背筋をピンと伸ばしてまっすぐに正面の牧師を見つめている・・・。 当事は赤面恐怖症、少人数(7名くらい)の礼拝で聖書も朗読が終わり、話し始めようとした瞬間だった。聖書の箇所を変えるわけにもならず、そのままドギマギしつつ説教を終わった。てっきり引退した牧師?と思ったが、元海軍(戦艦・南雲に乗っていた)の軍人で青年時代にクリスチャンになり、第二次世界大戦中富雄に疎開して来た84歳の方だった。 キリスト教会の礼拝には30年間出席しないで、山の中(一番近い家が300メートルも離れている一軒家)で奥様と引きこもった生活をしていた。 50年前にキリスト教会で再婚の挙式。相手はクリスチャンではなかったが、自分の信仰でクリスチャンにしてみせる!との確信だった。 50年過ぎたが奥様はクリスチャンにはならなかった。そこで30年ぶりに富雄に教会があると知り、山の中から1時間以上も歩いて出てきたのだ。家内を信仰に導いて欲しいと、若い牧師に頭を下げて頼んだ。 その後、山の中の家を訪ねいろいろお話を聞き、奥様にも会うことができたが、なかなかすなおに「アーメン、信じます」とは言わなかった。 翌年、ご主人が召されたとの連絡を受け、牧師になって始めての葬式だった。納棺や前夜式、葬式や斎場行き、骨上げから納骨式。初めてのことばかりだったが、神様の助けで真剣に必死になって行った。 大森米吉といい新潟出身だった。 奥様はその後、富雄キリスト教会の礼拝に出席し、あんなに頑固でかたくなだったのに、ご主人を天に送ってからすぐにバプテスマを受けクリスチャンとなった。礼拝を一度も休まずいそいそと山の中から出てきてくれた。 村の人たちは、「大森さん。どこへ?」彼女はにっこりと、「いいところへ!」みんなは主人が亡くなってすぐなのに、もう恋人?ができたのかと噂しあった。 数ヵ月後、「いいところってどこですか?」と聞かれた。「富雄です」「富雄のどなたさんですか?」具体的に聞かれた彼女はにっこりほほえむと、「富雄キリスト教会です!」と答えた。村人たちは失望?(うわさの種がなくなったので・・・)もしたが、安心もしてくれた。 大森美乃姉はそれから16年間、富雄キリスト教会を愛して礼拝を守り、誕生日が来るたびに、この年まで生かされたのはイエス様の恵みです。感謝しますと、記念品を教会に贈り続けてくれた。93歳で感謝!感謝!のことばを残して愛するご主人の待つ天国へと召されて行った。 だれも引き取りてのない二人の遺骨を引き取り、富雄キリスト教会開拓伝道の初期に導かれた高齢の夫婦の励ましに感謝しつつ、アーメンと言えば救われます!と、イエス・キリストの十字架の救いを語り続けている。 天国聖会はそのような思い出の残る50名以上の兄弟姉妹を思い、信じる者に永遠の天国が約束されていることを感謝し、天国の喜びを先取りして味わう楽しい祝福のとき・・・。ハレルヤ。 天国は幸いな場所。最高の喜びと楽しみの場所。天国があることを信じると今、生きていることがどんなにすばらしいかがさらに分かるし、充実した人生を輝いて生きることができる。 天国は敗北者が行くところではなく、人生の勝利者が凱旋する栄光の場所。 たとえどのような病や問題に囲まれていても、その中でイエス・キリストの救いをアーメンと信じた瞬間、神の子とされ、罪が赦されて人生の勝利者に変えられる幸いを体験できるのです。アーメン(ほんとうですの意)! 黙示録より 7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。 7:10 彼らは、大声で叫んで言った。 「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」 7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、 7:12 言った。 「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」 7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。 7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。 7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。 7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。 7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
2005/09/23
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19日に財布を紛失(盗難?)。免許証を財布に入れていたので、すぐ生駒警察に紛失届けを出した。 生駒警察では免許証再交付に3週間かかるので、運転するんだったら橿原市の運転免許更新センターへ行くように言われた。 昨日、生駒駅まで歩き、新の口駅からも歩きで手続きに出かけた。紛失の理由などを記入し、3,000円を支払い、窓口に提出した。 しばらく待つ(本を一冊読了)と呼び出しがあり、写真を写し5分もしないうちに再度の呼び出し。新しい免許証の交付となった。 紛失しないようにするのが一番だが、結構再交付に訪れる人が多いのに驚いた。同時に係りの方のあっさりした事務的手続きに感謝した。 再交付の免許証を手にしながら、人生の更新・再交付に思いを馳せた。 イエス・キリストを心に迎えるとき、新しい人生を生きることができると、聖書は約束している。 人は神の愛から失われ、悪魔に支配されて、罪や病、のろいや貧乏、何よりも死と言う恐ろしい運命に捕えられている。失われた状態を更新し、再交付しなければ地獄に行く。 免許証を失って再交付を受けないままで運転すれば、ちょうど処罰を受けるように。お巡りさんに見つからなければいいというようなズルイ考えを持つ人はいない。 一度きりの人生をイエス・キリストの十字架の贖いを信じて、更新したらいかがなものでしょう。新しい免許証のように、人生の再生を経験できること請け合いだ。 「だれでもキリストのうちになるなら、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。見よ。すべてが新しくなった」と聖書に約束されている。世界中で多くの人々が、その約束された新しい人生を歩んでいる。 手続きは簡単だ。「イエス様。信じます。私の心にお迎えします。アーメン」今、この瞬間に神の愛はあなたを新しい人生に迎えてくださるのです。聖書の美しい話をお読みください。ヨハネの福音書3章です。 3:1 さて、パリサイ人の中にニコデモという人がいた。ユダヤ人の指導者であった。 3:2 この人が、夜、イエスのもとに来て言った。「先生。私たちは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神がともにおられるのでなければ、あなたがなさるこのようなしるしは、だれも行うことができません。」 3:3 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」 3:4 ニコデモは言った。「人は、老年になっていて、どのようにして生まれることができるのですか。もう一度、母の胎に入って生まれることができましょうか。」 3:5 イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに告げます。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。 3:6 肉によって生まれた者は肉です。御霊によって生まれた者は霊です。 3:7 あなたがたは新しく生まれなければならない、とわたしが言ったことを不思議に思ってはなりません。 3:8 風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」 3:9 ニコデモは答えて言った。「どうして、そのようなことがありうるのでしょう。」 3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こういうことがわからないのですか。 3:11 まことに、まことに、あなたに告げます。わたしたちは、知っていることを話し、見たことをあかししているのに、あなたがたは、わたしたちのあかしを受け入れません。 3:12 あなたがたは、わたしが地上のことを話したとき、信じないくらいなら、天上のことを話したとて、どうして信じるでしょう。 3:13 だれも天に上った者はいません。しかし天から下った者はいます。すなわち人の子です。 3:14 モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。 3:15 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」 3:16 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 3:17 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 3:18 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。 3:19 そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。 3:20 悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。 3:21 しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。
2005/09/22
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神は祝福に満ちた唯一の主権者、王の王、主の主、ただひとり死のない方であり、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれひとり見たことのない、また見ることのできない方です。誉れと、とこしえの主権は神のものです。アーメン。 この世で富んでいる人たちに命じなさい。高ぶらないように。また、たよりにならない富に望みを置かないように。むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。テモテへの手紙第一6:15-17 聖書は神を上記のように紹介しています。 神は全知全能,永遠不変に遍在する天地万物の創造者、唯一の主権者、霊であり生きている神、天の父。 聖にして義であり、公平と完全な神ですが、同時に豊かな恵みと祝福に満ちた愛なる神。 私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神です。 ほんとうに豊か(霊も心も身体も物質的なすべての物)な人生を楽しむためには、「すべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神」を信じることです。 イエス・キリストを心にお迎えすれば、その十字架の贖いにより神の子となります。アーメンと言えば救われます。 神の子とされたのですから、天の父がすべての望みをかなえてくださると信じて求めることができます。 聖書には、何でも求めなさい。そうすれば私たちのためにそれがかなえられる!と約束されています。その約束を全面的に信用すればいいのです。 そして、心からの深い感謝を現せばよいのです。 ほかのことでは申し分のない生き方をしている人の多くが、感謝の気持ちを持たないために豊かになれないで、不平不満のままで生きています。 お金があり健康で知的にも優れていても、すばらしい住む家やステキな自動車、可愛いこどもやすばらしい家族があっても、豊かな気持ちを持たないままで生きている人がたくさんいます。 簡単な理由です。感謝の気持ちを忘れているのです。真の神への感謝は、豊かさの源に近づくことです。 感謝に満ちた生活を送れば、感謝の気持ちをもたずに神から顔をそむける人よりもずっと神に近いところにいられるのです。神は私たちから遠い存在ではなく、もっともみじかにおられる愛のお方です。 神に感謝すればするほど、多くのものがもたらされます。より良いものがますます多く与えられるのです。 それは、感謝に満ちた心や気持ち態度が、恵みと愛の神にもっとも近くあることになるからです。 いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべてのことについて感謝しなさい。 これが神がキリスト・イエスに合ってあなたがたに求めて(望んで)おられうことです。テサロニケ第一5:15-17 今日から感謝の心を豊かにするなら、今、この瞬間から豊かな気持ちになり、さまざまな恵みが与えれていることに気がつきます。 感謝の気持ちをもてば、ありとあらゆるものが感謝のしるしとなり、限られたものしか与えられていないという、せせこましい気持ちから解放されます。 感謝の気持ちを持てば、現状に不満を感じないで改善したり、前進したりすることがさらに可能となります。回りにあるすべてのものが輝きはじめます。スッキリした目で見ることができます。 日本中に感謝の気持ちがあふれ始めたら、すべてが良くなります。愛と希望の輝きが日本を変えてしまいます。 すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父から下るのです。父には移り変わりや、移り行く影はありません。ヤコブ1:17 私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。ローマ8:32
2005/09/20
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昨日は敬老の日、午前中90歳の方とお交わり昼食をともにしました。午後は70歳で入院中の男性を見舞い、あれやこれやでしたが、気付いたら財布がありません。どこをさがしても??? 生駒警察署まで行き、紛失届けを記入し提出。 急いで家に帰り、銀行カードの紛失係へ片っ端から電話をかけまくり、幸いどの銀行も丁寧に応対してくれ、まだ一円も引き出されていないことを確認してくれました。すべてのカードの処理も終わりホッとしています。 親切な方が警察へか、免許証も入っていたので、郵送されてくるかもと平安な気持ち?で待っています。 1枚のカードを失っても大騒ぎをしてしまう自分を見ながら、「わたしが来たのは失われた人を捜し出して救うためである」(ルカ19:10)と、言われたイエス様の愛を思いました。 病院や拘置所、1人暮らしの高齢者を訪ねたり、何やかやと忙しくしていますが、もっとキリストの愛に満たされて、熱心さを持って福音を必要としている人々に届けたく願います。ルカ福音書15章の美しい話をお読みください。 15:1 さて、取税人、罪人たちがみな、イエスの話を聞こうとして、みもとに近寄って来た。 15:2 すると、パリサイ人、律法学者たちは、つぶやいてこう言った。「この人は、罪人たちを受け入れて、食事までいっしょにする。」 15:3 そこでイエスは、彼らにこのようなたとえを話された。 15:4 「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を 野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。 15:5 見つけたら、大喜びでその羊をかついで、 15:6 帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。 15:7 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。 15:8 また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。 15:9 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください』と言うでしょう。 15:10 あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。」 15:11 またこう話された。 「ある人に息子がふたりあった。 15:12 弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい』と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった。 15:13 それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。 15:14 何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。 15:15 それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。 15:16 彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。 15:17 しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。 15:18 立って、父のところに行って、こう言おう。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。 15:19 もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」』 15:20 こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。 15:21 息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。』 15:22 ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。 15:23 そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。 15:24 この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』 そして彼らは祝宴を始めた。 15:25 ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえて来た。 15:26 それで、しもべのひとりを呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、 15:27 しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。』 15:28 すると、兄はおこって、家に入ろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。 15:29 しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って、子山羊一匹下さったことがありません。 15:30 それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。』 15:31 父は彼に言った。『子よ。おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。 15:32 だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」 [
2005/09/20
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新聞を手にしたら、国民の5人に1人の文字。 今日は敬老の日。高齢化社会を向かえ、日本は世界一の長寿国。男性78歳、女性85歳だ。 65歳以上、初めて2割に…19日は敬老の日(読売新聞) 19日の「敬老の日」に合わせて、総務省は18日、高齢者の推計人口(15日現在)を発表した。65歳以上の高齢者は前年比71万人増の2556万人(男性1081万人、女性1475万人)だった。 総人口に占める割合は同0・5ポイント増の20・0%で、初めて2割に達した。人数、比率ともに過去最高で、国民の5人に1人が65歳以上となった。 欧米諸国の高齢者の割合(2004~05年の統計)は、イタリアが19%、フランス16%、米国12%などで、日本の高齢化が際だつ。国立社会保障・人口問題研究所の推計によると、高齢者の割合は10年後には26%に上昇し、「国民4人に1人」になる見込みだ。 高齢者に占める就業者の割合(04年)は、日本が19%で、米国の14%、英国の6%、フランスの1%などを上回る高率だった。 高齢者が1人で暮らす単身世帯(03年)は338万世帯で、5年前に比べて39%増。夫婦の両方か片方が高齢者の夫婦世帯は27%増の447万世帯で、若い世代と別居する高齢世帯が急増している。 昨日、高齢の祝福を約束している聖書のことばを紹介。またサムエル・ウルマンの詩、「青春」も掲載した。興味のある方は昨日のページを・・・。 聖書の人間観は、天地万物の創造前に神がみこころの中に私たちを定め、母の胎内に形造る前に選び、この世に生まれることを命じてくださったので、命が与えられ誕生したことを教えている。 人間がこの地上に生まれてきたのは神の栄光を現す目的のためです。しかし、残念ながら人間は罪(原罪)の結果、神の栄光を現し生きると言う目的を失い、自分の欲と自我を満足させるために生きてしまいます。そこに悩みや苦しみが生じ、心の罪だけでなく思いやことば、行いにでも罪を犯してしまいます。法律上の犯罪は法律によって処罰されます。また見つからなければ法律は何もすることはできません。ですから法律の裏を行く人々が輩出することになるのです。 聖書は必ず正義の神の裁きがあると宣言しています。「人は一度だけ死ぬことと、死んだ後に裁き「受けることが定まっている」(ヘブル9:27) 人間である以上、だれもこの最後の審判から逃れることはできません。原罪の遺伝子を持って生まれてくるので、どのような善行も徳育もその罪から私たちを解き放つことはできないのです。 神は愛です。髪の目的に反する生き方をする人間を愛しています。しかし、聖と義と公平と完全な神は、罪を見逃すことができません。また天国は一転の罪も存在することのできない聖なる清らかな所なので、罪を持つものは入ることができません。 どのような善行も徳育も、教育や修養、修業や訓練も天国に入る資格を与えることはできません。宗教さえもその信心深さや祈りも天国に入る資格にはなりません。なぜならどのような行いも、罪(原罪)をきよめる力がないからです。 愛なる神は、罪に汚れ自我と欲との固まりになってしまった人類を愛してくださいます。ご自身の大きな愛の心で命を与えられた神です。その愛を現してくださったのが、イエス・キリストの十字架の救いなのです。 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ローマ5:5-8 十字架に示された神の愛を信じるて、アーメンと言えば救われます。罪が赦されて神の子とされ、永遠のいのちを与えられます。すべての最後の審判を、イエス・キリストがすでに受けてくださったので、もはや裁かれることはないのです。 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。夜はね:24 永遠の天国に行き、もはや死もなく病みも苦しみもなく、楽しみと喜びに満ちる天国を経験できるのです。 敬老のこの日、長寿を喜ぶだけでなく、永遠の天国行きのチケットを手に入れてください。ほんとうの平安と喜びの中で、地上で与えられたいのちをを輝かせて生き続けたいものです。 あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは【主】である。レビ記19:32
2005/09/19
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高齢化社会で、長寿が普通になった感の日本です。平均寿命が延び、特に女性は世界一の長寿国になりました。 祝福の中に長寿を楽しめる国になり、天国への希望に輝く高齢者が、キリスト教会にも群れ集う国となるよう期待し祈ります。 エリムキリスト教会は、今日の礼拝で敬老の祝福を祈ります。やく30名の方々が65歳を過ぎているので、ともに恵みを受けたいと思っています。 敬老にちなんで、サムエル・ウルマン(ユダヤの詩人)の青春という日を紹介します。 青春 サムエル・ウルマン青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、たくましい意思、豊かな想像力、燃える情熱をさす。青春とは人生の深い泉の清新さをいう。青春とは臆病さを退ける勇気、安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。ときには、二十歳の青年より六十歳の人に青春がある。年を重ねるだけでは人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。歳月は皮膚にしわを増すが、熱情を失えば心はしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥になる。六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、驚異に引かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生の興味への歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から美・希望・よろこび・勇気・力の霊感を受ける限り君は若い。霊感が絶え、精神が皮肉の雪におおわれ、悲嘆の氷に閉ざされるとき、二十歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、八十歳であろうと人は青春にして巳む。 人生行路の贈り物私はいばらのない道を求めない 悲しみが消えよとも求めない日の当たる毎日も求めない 夏の海も求めない輝く太陽と 永遠の昼のみでは 大地の緑はしぼみ衰える涙の水がなければ 歳月を通じて 心の奥底は 希望のつぼみを閉じる人生のどんなところでも 気をつけて耕せば幸いな収穫をもたらすものが 手の届く範囲にたくさんある聖書のみことばの約束も!アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。【主】は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。創世記24:1、25:8【主】は約束されたとおりに、私を生きながらえさせてくださいました。今や私は、きょうでもう八十五歳になります。しかも、モーセが私を遣わした日のように、今も壮健です。私の今の力は、あの時の力と同様、戦争にも、また日常の出入りにも耐えるのです。どうか今、【主】があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。ヨシュア記14:10-12 年老いた時も、私を見放さないでください。私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください。年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、後に来るすべての者に告げ知らせます。詩篇70:9,18あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。イザヤ46:4 彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。詩篇91:14-16 彼らは、【主】の家に植えられ、私たちの神の大庭で栄えます。彼らは年老いてもなお、実を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう。詩篇92:13-14あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは主である。レビ記19:32
2005/09/18
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昨日は松江刑務所に面会に行き、日帰りで出雲空港より帰宅しました。 朝、新大阪の改札口で待ち合わせをしたのですが、時間になっても現われず携帯で連絡。まず第一の失敗。新幹線のときは常に地下鉄を利用するので、新幹線改札口は西になる。待っていたのはJR側の改札口。やっと出会えたときは予定していた岡山行きは発車した後。 次の列車で岡山へ、松江行き特急「やくも」発車まで時間があるので喫茶点でモーニングサービスとおしゃべり。 付き添いの旅だったが、特急の発車時間も知らないでいっしょにいたので、あっ24分発車です!と声を上げたときは何と23分。大急ぎで8番線へ走り、発車のベルが鳴り続ける特急にやっと二人とも間に合った。 中国山脈を電車で通るのは初めて!車窓から眺める景色は美しい。秋は紅葉で彩られ、冬は雪で真っ白とのこと。秋や冬にも乗ってみたいと思った。 松江に着きマグドナルドでコーヒーだけを飲み、タクシーで松江刑務所へ向かう。 午後1時からの面会に間に合い、面会時間のトップで面会室へ。42歳の男性で自分の無罪を主張し、拘置所で裁判を待っている。 初めて会った方だが、「雪よりも白く」を呼んでいたので、会うことを喜んでくれた。 一人暮らしだったのでここの方が良いなどと強がりを言っていた。掃除も洗濯もしなくて良いし、シャワーとトイレつきの三畳の部屋にいるので、ブリズンホテルだとブラックジョークを言い、刑務官も少し苦笑い。 ともかく、「私が悪かった。迷惑をおかけしてすみません」と、裁判の席で自分の過ちと罪を認め、イエス様を心にしっかりと向かえるよう話した。 すなおに聞いてくれ、ガラス窓に両手を置いて信仰の祈りを共にすることができた。 この面会(15分)だけのために、約15時間(往復)をかけたことになる。ひとりの魂の救いのために時間を使えた一日だった。 三番目の失敗は帰りの飛行機で・・・。出雲空港から大阪伊丹空港へ約1時間。バスで帰国通路まで来て、メガネを忘れたことに気がついた。係り女性に連絡を頼み、飛行機の座席を見てもらった。 今月誕生日だったので、自分でプレゼントした少し高価な新しいメガネだった。 牧師だと自己紹介し、二人の若い方に福音を語ろうとしたとき、自転車に乗った係官が大急ぎで飛行機からメガネがありましたよ!と、届けてくれた。 最後の失敗(失敗とは言えないかもしれないが・・・)は、空港バスが渋滞に巻き込まれ普通30分だが、難波まで70分近くかかってしまった。バスの中では携帯メールを送り続けたが、電池切れ! 帰宅したときは夜の9時前だった。感謝とともに眠りに着く、長い一日。 あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。コリント第一の手紙10:13
2005/09/17
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今日は朝早くから新幹線で岡山へ。岡山から特急で出雲市へ出かけます。以前は15日が敬老の日でした。40代の息子が出雲の拘置所にいる母親といっしょに出かけます。 今年は大阪で7名、滋賀の女子拘置所に2名、出雲に一人と拘置所面会が多いときでした。教戒師の仕事はしていないが、拘置所の中で牧師に相談したら・・・という話があり、クリスチャンでない者同士が紹介しあって、面会を求める手紙が届きます。 時間的なこともあり、神学生にも面会を応援してもらいながらです。大阪拘置所は満員で面会時間も一日一人10分間だけで、何回も通わないと面会もままなりません。 国選弁護士も大忙しで、微罪でも裁判を受けるまで日数がかかり、長い間拘留されているようです。面会時に信じます。助けてくださいと祈りますが、驚くことに罪を犯していても自分は正しいのだと主張する方がほとんどです。 自分の犯した犯罪を正当化しても、冤罪だと主張しても(中には冤罪もありますが・・・)それでどうなるわけではありませんのに・・・。 すなおに法律に違反する罪を犯したことを認めるのが、一番早い解決方法だと思いますが。 初めて拘置所で会う方がほとんどです。 神が愛していてくださる。罪のためにイエス・キリストは十字架に死なれ、墓に葬られ3日目に復活されたこと。今、イエス・キリストを信じて心にお迎えすれば、全ての罪が赦され(た平安で法律違反は償うのは当然だが)、神の子となり永遠の命が与えられることを話します。 ほとんどの方が、「イエス様。信じます。わたしの罪をお赦しください。いま心の中にお迎えします。アーメン」と、面会室でガラス窓を隔ててはいますが、祈ってくれます。 ガラス窓越しに手を差し出し、お互いに手を合わせて別れる、そのような面会風景です。ルカの福音書 18:9 自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。 18:10 「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。 18:11 パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不 正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。 18:12 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』 18:13 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』 18:14 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」
2005/09/15
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これこそ神様のなさることで、人の思いをはるかに越えています。 きょうこそ、主がお造りになった日です。 さあ、この日をぞんぶんに楽しみましょう。 ああ神様、どうかお助けください。 お救いください。 することをすべて成功させてください。 感謝の祈りをささげましょう。 神様はあわれみ深く、その恵みはいつまでも尽きないのです。詩篇1118:23-29 これは【主】のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。 これは、【主】が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。 ああ、【主】よ。どうぞ救ってください。 ああ、【主】よ。どうぞ栄えさせてください。 朝ごとに新しい日が訪れる!何という幸い。古いものは過ぎ去り、全てが新しくなり、日々感謝だ。 明日のことを心配することなく、与えられた新しい日を思い切り生ききる恵み。 昨日までの過ぎ去ったことを悔やみ反省し、まだ来ない明日を心配しながら生きるのではなく、今日と言う日。歴史の中のたった一回だけの今日という日を、恵まれ満たされて生きる! 過去にどのようなつらさ苦しみや悲しみを経験していても、そのすべてが今日の幸せを形造る源になっていることを感謝しつつ、今日も生きる。 明日にどのようなことが起ころうとも、今日と言うにを感謝して100パーセントの命で生きれる幸い。 ああ、主よ。どうぞ救ってください。 ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。 すばらしい一日に今日も感謝!
2005/09/14
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昨日は学院教室講義に京都からの講師を迎えました。お昼に弁当を頼むのですが、忙しいので時間に間に合わないと断られました。 軽いものでいいとのこと。近くのファミリーレストランで秋の味覚マツタケご飯と天ぷらそばの定食を注文。1時間近い接待でした。 午後、朝日放送スタジオで10月放送分の録音。ガンで入院している55歳の男性を見舞い、ご飯が食べられない、リポビタンが飲みたいとのことで、近くの店に走り買ってきました。イエス様が痛みを引き受け病を背負ってくださったといやしと平安を祈りました。 医者は最後の楽しみは食べることだと言っていました。食べることのできなくなった彼は、顔は輝いていましたが、さすがに身体は衰弱し細くなっていました。一日2時間の点滴が身体を支えているようです。 今日も、入院している男性を二人見舞い、健康といやしを祈ります。 水曜日は富雄キリスト教会水曜礼拝。 学院の授業は講師に依頼し、水曜礼拝に出かける。午後は病院見舞い。夜は大阪エリムの「リバイバル集会。 朝から晩まで主の恵みがいっぱいの一日です。ハレルヤ。 コリント人への手紙第二4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。 4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。 4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。 4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。 4:13 「私は信じた。それゆえに語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。 4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。 4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。 4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
2005/09/14
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今日は10月放送分のラジオ放送希望の声の録音で、朝日放送スタジオへ行きます。 早朝4時35分ー45分の10分番組です。信仰の時間・希望の声として32年間、毎週水曜日の朝聖書のことばを語り続けいています。 早朝、タクシー運転しながら救われた方も数人あり、特に9月23日には、洗礼を受けてクリスチャンになる家族もあり感謝です。 録音をして何年も聞き続けている方。病床で聞いているからさまざまですが、多くの人が救われクリスチャンになりました。 先週、手紙が届きました。22歳のとき自殺を決意した朝、希望の声を聞きました。「イエス様。私の心にお入りください。イエス様を信じます。アーメン」と、私の声に合せて祈りました。その瞬間、救われた!との喜び。それから6年、早朝のラジオ放送希望の声を録音して聞いているとのことでした。6年分の放送が全部MDに残してあるそうです。 「また私は、もうひとりの御使いが中天を飛ぶのを見た。彼は、地上に住む人々、すなわち、あらゆる国民、部族、国語、民族に宣べ伝えるために、永遠の福音を携えていた。 彼は大声で言った。「神を恐れ、神をあがめよ。神のさばきの時が来たからである。天と地と海と水の源を創造した方を拝め。」黙示録14:6-7 2000年前に書かれた黙示録です。上記のことば、「もうひとりの御使いが中天を飛ぶのを見た」は、聖書の福音を伝える電波を示唆しています。 全世界にイエス・キリストの福音を伝える電波が飛び交っています。 イエス・キリストを信じれば救われます。アーメン。
2005/09/13
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昨日の礼拝、生駒はオーストラリアから久しぶりに一時帰国の姉妹。午後の大阪はケニアのパラダイス孤児院スタッフのオウマさんと、孤児院で育ったジョン・オモンディ君を迎えました。 オモンディ君は5歳のとき父親が、6歳のとき母親が亡くなり、祖父母の元へ引き取られました。その祖父母も死に、11歳のとき妹といっしょにパラダイスに入りました。最初はものも言わず悲しみにくれていたそうです。だが年長者としての自覚もあり、他の子どもたちの良いお兄さん代わりともなり、現在20歳になりました。 パラダイスの子どもたちはキスムの町しか見たことがなく、自分たちを育ててくれている日本を見たくてたまりません。全員が日本へ行きたい!お願っています。 オモンディ君はその代表で最初の来日です。2メートルも身長がありたくましいですが、はにかみながら挨拶し、スワヒリ語で2曲の賛美を歌ってくれました。 参列者一同、毎年の自分たちが支援しているパラダイスの生の報告を聞き、感動の1時間余でした。 総選挙では自民党が歴史的な大勝利を果たしたので、今年のサミットで首相がアフリカ支援を強く宣言したことも、実行されると期待しています。 パラダイスへの直接的なものは何もありませんが、アフリカのさまざまな問題が解決するきっかけになることを期待します。 日本が平和憲法を高く掲げて世界の平和を達成する国になることを祈ります。エペソ人への手紙 1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。 1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。 1:5 神は、みむねとみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられました。 1:6 それは、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。 1:7 この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。
2005/09/12
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今週は3日間浜名湖のほとりを散歩した。今朝、久しぶりにいつもの散歩コースを歩いた。早朝のため誰にも会うことなく、山道や小川のほとり、色づきはじめた田んぼのあぜ道を1万歩(90分)。 朝市もまだ出ていないので、帰宅早々車で戻って見ると、安価で提供する農家の朝市が開いていた。 前回は少しだけ買ったのに、たまたまそこにいた(普通は無人)朝市の方が、みょうが(茗荷)をたくさんプレゼントしてくれた。 今朝はたまねぎ5個が100円だった。四国から奈良に嫁いだという高齢の主婦は、自分が作ったものを皆さんが楽しんでくれるのは嬉しいと喜んでいた。出品した野菜があっという間に売切れてしまうのは、この方の豊かな気持ちが並べられている野菜にも伝わっているのかもしれない。 今日は、東大阪エリム(地下鉄中央線長田下車5分ちょっと)の土曜礼拝午後2時ー3時。3時ー4時過ぎまでティータイム(美味しいお菓子もたくさんある)気楽に参加してください。詩篇(リビングバイブル)133:1 兄弟たちが一つになって仲良く暮らす様子は、なんと楽しげで、すばらしいことでしょう。 133:2 それは、頭に注がれた香り高い油のようです。 かつて、アロンに注がれた油はひげに流れ落ち、服のえりにまでしたたったではありませんか。 133:3 それは、ヘルモン山やイスラエルの山々に降りる露にも似ていて、新たな息吹を呼びさますのです。 こうして、神様はイスラエルに、永遠のいのちの祝福を与えると約束なさったのです。
2005/09/10
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パラダイスの責任スタッフ。ラバンとオウマの二人が孤児院設立時から9年間、子どもたちの世話をしながら孤児院を運営している。これからは資金面でも自立できるよう、オウマと孤児院で成長したラウンディが3ヶ月間、仕事の研修をしながら準備している。ケニアではいつもオウマが通訳をしてくれる。ヤコブの手紙より 2:14 私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。2:15 もし、兄弟また姉妹のだれかが、着る物がなく、また、毎日の食べ物にもこと欠いているようなときに、2:16 あなたがたのうちだれかが、その人たちに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言っても、もしからだに必要な物を与えないなら、何の役に立つでしょう。2:17 それと同じように、信仰も、もし行いがなかったなら、それだけでは、死んだものです。2:18 さらに、こう言う人もあるでしょう。「あなたは信仰を持っているが、私は行いを持っています。行いのないあなたの信仰を、私に見せてください。私は、行いによって、私の信仰をあなたに見せてあげます。」2:19 あなたは、神はおひとりだと信じています。りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。2:20 ああ愚かな人よ。あなたは行いのない信仰がむなしいことを知りたいと思いますか。2:21 私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇にささげたとき、行いによって義と認められたではありませんか。2:22 あなたの見ているとおり、彼の信仰は彼の行いとともに働いたのであり、信仰は行いによって全うされ、2:23 そして、「アブラハムは神を信じ、その信仰が彼の義とみなされた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。2:24 人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことがわかるでしょう。2:25 同様に、遊女ラハブも、使者たちを招き入れ、別の道から送り出したため、その行いによって義と認められたではありませんか。2:26 たましいを離れたからだが、死んだものであるのと同様に、行いのない信仰は、死んでいるのです。
2005/09/09
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11日(日)午後2時45分、大阪エリムの礼拝でケニアの孤児院スタッフオウマさんと、孤児で成長したオモンディ君(19歳)の二人が、話をしてくれます。 オウマは日本語が上手です。オモンディはスワヒリ語で話します。アフリカのことやパラダイス孤児院のことをレポートしてくれます。 アフリカへは16年前に初めて行きました。 それ以来16年、毎年欠かさずのケニア訪問を続けています。何回も書きましたが、パラダイス孤児院の働きを続けています。 来年には学校も開校予定です。アフリカに愛の手を!
2005/09/09
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今日は東北より訪問者があり、数時間楽しいときを過ごせて感謝だった。 11月に結婚しオーストラリアへ2年間行くとのこと。優雅な結婚生活のうえに祝福を祈った。 生駒駅まで送ったが、今夜は駅前に長野県知事が来るとの看板が乱立。選挙もたけなわだ。 日曜日の朝は歩いて投票所へ行く。神よ。日本をあわれみ正しい政治が行われる国としてください!ハレルヤ。
2005/09/08
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来週の日曜日(11日)午後2時45分-4時の大阪エリムキリスト教会礼拝に、アフリカより孤児院のスタッフと少年(18歳・身長2メートル)がアフリカ報告と証をします。楽しい珍しい時間になると思います。 お近くの方ぜひご参加ください。 大阪エリムは、大阪市浪速区恵美須西3-2-4 JR環状線新今宮駅東口より北へ3分/地下鉄動物園前/南海新今宮駅/阪堺線や市バスなどすごく便利な場所にあります。フェスティバルゲイト斜め前・ユニクロからすぐです。
2005/09/07
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鳥がいっぱい。来週の日曜日(11日)午後2時45分-4時の大阪エリムキリスト教会礼拝に、アフリカより孤児院のスタッフと少年(18歳・身長2メートル)がアフリカ報告と証をします。楽しい珍しい時間になると思います。 お近くの方ぜひご参加ください。 大阪エリムは、大阪市浪速区恵美須西3-2-4 JR環状線新今宮駅東口より北へ3分/地下鉄動物園前/南海新今宮駅/阪堺線や市バスなどすごく便利な場所にあります。フェスティバルゲイト斜め前・ユニクロからすぐです。
2005/09/06
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生駒聖書学院は牧師・伝道師・宣教師養成の神学校。1929年創立のペンテコステ信仰に立脚する日本ではもっとも長い歴史の神学校。戦争中の中断はあるけれども、戦後の歴史も55年を越えました。 全寮(家族寮・男子寮・女子寮)制で、5000坪の広々とした場所です。生駒山北麓の環境明媚の土地に、12棟が建ち並び、運営母胎は違いますが、関西クリスチャンスクールも併設されています。 9月入学もあり、今年度は近くの大学助教授も家族で入学。大学の講義は午後からの講義に切り替え、将来牧師の道を歩むとの決意で入学しました。 これからの日本の精神席あ世界をリードする立派な牧師が輩出する神学校でありたいと念願しています。 聴講制度、通学生も認めているので、午前中の講義なのでぜひ入学して、聖書のすばらしさに触れてください。 今日は入学・始業式後、浜松市で行われる大会の委員会に7日まで参加のためでかけます。8日(木)より通常の授業が始まるので、ちょうど都合よく動くことができ感謝しています。 明日と明後日はアフリカ・ケニアを紹介します。 来週の日曜日(11日)午後2時45分-4時の大阪エリムキリスト教会礼拝に、アフリカより孤児院のスタッフと少年(18歳・身長2メートル)がアフリカ報告と証をします。楽しい珍しい時間になると思います。 お近くの方ぜひご参加ください。 大阪エリムは、大阪市浪速区恵美須西3-2-4 JR環状線新今宮駅東口より北へ3分/地下鉄動物園前/南海新今宮駅/阪堺線や市バスなどすごく便利な場所にあります。フェスティバルゲイト斜め前・ユニクロからすぐです。ローマ人への手紙より 12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。 12:3 私は、自分に与えられた恵みによって、あなたがたひとりひとりに言います。だれでも、思うべき限度を越えて思い上がってはいけません。いや、むしろ、神がおのおのに分け与えてくださった信仰の量りに応じて、慎み深い考え方をしなさい。 12:4 一つのからだには多くの器官があって、すべての器官が同じ働きはしないのと同じように、 12:5 大ぜいいる私たちも、キリストにあって一つのからだであり、ひとりひとり互いに器官なのです。 12:6 私たちは、与えられた恵みに従って、異なった賜物を持っているので、もしそれが預言であれば、その信仰に応じて預言しなさい。 12:7 奉仕であれば奉仕し、教える人であれば教えなさい。 12:8 勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれをしなさい。 12:9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。 12:10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。 12:11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。 12:12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。 12:13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。 12:14 あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。 12:15 喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。 1
2005/09/05
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ルカの福音書 5:1 群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、 5:2 岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。 5:3 イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。 5:4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。 5:5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」 5:6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。 5:7 そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。 5:8 これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言った。 5:9 それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。 5:10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」 5:11 彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。 朝の散歩のとき、聖書のCDを聞きながら歩いている。誕生日の朝、「深みに漕ぎ出して、網を下ろして魚を取りなさい」との、主の声をハッキリ聞いた思いがした。 と同時に聖歌597番を思い出し、歌いながら歩き続け恵まれた。 1、父なる神の恵みは 限りなき海ぞ とも綱を解きて 沖へこぎいでて見よや 沖へいでよ 沖へいでよ 岸辺は離れ 主の恵みのただ中へ いざこぎいでよ 2、世の人は岸に立ち手て 沖をば見るのみ 主の恵みの深さなど あえて知らんとせず 3、ある者はわずかこぎて 遠く乗り出さず かえる波に飲まれたり 船ともろともに 4、乗りいだせ沖をさして 恵みのうしおの 瀬に流されてすべてを 主のまかすまでは 沖へ出よう!沖へ漕ぎ出!そう!もっと信仰の深みへ!みことばの真理の中へ!と祈りながらの日々です。 人間的な常識から考えるなら不可能でした。「私たちは夜通しはたらきましたが、何一つ取れませんでした」ペテロは、「でも、おことばどおり網を下ろしてみましょう」と、主のことばに従い網を湖に下ろしました。 100パーセント従ったわけではありません。イエス様は、網(nets)を下ろして魚を取りなさいといったのですが、ペテロは、網(net)をおろしてみましょうと答えたのです。 彼がイエス様のことばに義理かもしれませんが従ったとき、その通りにしたとき、たくさんの魚が入り網は破れそうになるほどの大漁でした。 人生の節々で、どうしてこんなことがと思うような場面に出会うことがあります。 夜通し働きましたが何一つ取れませんでしたという現実にぶつかります。 でもそのときも失望せず、おことばどおり網を下ろしてみましょうと、主のことばを信じて告白し実行する人は幸いです。「たくさんの魚がはいり網は破れそうになった」ほどの奇跡を体験できます。 昨日も書きましたが、末期がんで入院中の55歳男性の主治医に経過をきいたとき、医者は医学的には考えられない。不思議だ、不思議だということばを繰り返しました。奇跡としか言いようのないことが起こっているのです。医学的に見た治療ではもう終わっていてもおかしくない命、イエス様のおことばを信じる信仰が、まだ使命があるという確信を与えているんだと思いました。 自分の健康のことでも沖へ漕ぎ出してください。 イエス様の恵みは豊かです。信じることにためらいを持っているなら、沖へ漕ぎ出してみてください。 聖書もチョコちょこっと読むだけではなく、思い切り沖へ漕ぎ出しつもりでよんでみてください。 勉強や仕事など、夢やビジョンも沖へ漕ぎ出す勇気を与えられて、聖霊に満たされ前進の9月でありますよう、祝福を祈ります。ハレルヤ。
2005/09/04
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4年前胃がんで全部を摘出した55歳の教会員が、再発で入院したので病院を訪ねた。 医者は家族でなければ病状を背説明しないが、本人も牧師に説明することを了承したので、医務室で詳しく説明を受けた。4年間一度も入院せず元気で過ごしたのは奇跡に近いとのこと。 また現在も食事を取れるのはフシギだと話してくれた。非常に厳しい状態であるけれども、礼拝に出席することも許可してくれた。 病院と教会は車で10分くらいの距離で、本人も礼拝出席を楽しみにしている。 人間である限り必ず死ぬ。だが案外その事実に目をつぶり、死を無視して暮らしているのが人間である。 牧師として多くの末期に方々との出会いを経験してきた。臨終の床でアーメンと告白し、安らかに召された方々も多くいた。 聖書はハッキリ死後の世界を教えている。 「一度だけ死ぬことと、死んで後に審かれることが定まっている」とヘブル人への手紙9章27節にある。 一度だけ死ぬことに反対する人はいない。死んで後に審きがあることも定まっている。このことも真実なのだ。 イエス・キリストが十字架の上で死んだのは、人間に定まっている死を経験し、同時に人間の持つ罪(原罪や実際の罪)の審きを受けて死なれたのだ。 だから、イエス・キリストの十字架の救いを信ずる者の審きは終わったのである。聖書は、全人類の罪は十字架によって贖われたと宣言している。 その十字架の事実を、アーメンと信じるだけで救われるのだ。このブログを読みながら、「アーメン。信じます。自分の罪はイエス・キリストの十字架によって赦されていることを感謝します。イエス様、私の心にお迎えします。どうぞお入りください。信じます。アーメン」と言うなら、あなたは救われ神の子となり、永遠のいのちを持ち、天国へ行くことができるのです。 天国行きを確信すると人生は変わる。早く天国へ行きたいというあきらめの人生ではなく、永遠のいのち(神のいのち)を与えられたので、輝きに人生を生きることができる。 死を自覚すれば、その後の人生の生き様も変わってくる。ほんとうにやりたいことを命のある間にやりたい!と実行に移すとき、残された人生はさらに充実するのだ。 今、健康であれ、病んでいたとしても、若くとも高年齢でも天国に希望を持つ人の生き方は輝きはじめる。 若くても高齢でも、健康であっても病んでいても、貧しくても豊かでも、学齢があろうがなかろうが問題ではない。 本当のいのちに生きているかどうかが大切なのだ。 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。ヨハネ5:24 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。 ヨハネ10:28 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。ヨハネ14:6
2005/09/03
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今日、2日に64歳の誕生日を迎えました。数年前、64歳を迎えた牧師からもう64歳になり・・・とすごく悲観的なお便りをいただいたので、すぐ64=無視しましょうとお返事しました。すごく喜んでお元気に活躍されたことを思い出しています。 今日は自分がその年齢を迎え、天の虫として神の栄光に輝いて前進したく願っています。 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。 見よ。あなたに向かっていきりたつ者はみな、恥を見、はずかしめを受け、あなたと争う者たちは、無いもののようになって滅びる。 あなたと言い争いをする者を捜しても、あなたは見つけることはできず、あなたと戦う者たちは、全くなくなってしまう。 あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける。」と言っているのだから。 恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。わたしはあなたを助ける。――主の御告げ。――あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。 イザヤ41:10-14 「虫けら」といわれたら腹が立ちます。「一寸の虫にも五分の魂」とあります。見かけは小さくても弱虫でも、それ相応に意地や根性をもっています。 聖書には虫けらのヤコブとありますが、詩篇22:6には、「しかし、わたしは虫けらです。人間ではありません。人のそしり、民のさげすみです」とあり、この箇所はメシア預言の一つです。 イエス・キリストは、「五分のたましい」も認められないほどに、あざけられさげすまれて、十字架の上で死なれました。 その十字架の贖いに余って救われました。クリスチャンとして無視されたり、あざけられそしられることもあります。虫以下に扱われルことがあっても、イエス様のkとを思い感謝して生きていきたいものです。イヤむしる、虫であることを自ら認めてへりくだり、胸を張って生きていきましょう。 虫は虫でも「天の虫」です。特別な虫、神様の愛されている高価な虫、尊い虫です。天の虫ですから、無視去れたりバカにされ、腹を立てたり怒ったりしているなら、まだ天の虫であることに気がついていないからです。 天の虫と書けば=蚕(かいこ)=という字になります。虫の中で人間に一番大事にされている虫です。 蚕は新鮮な桑の葉っぱだけを食べて、美しい糸を吐き出し、まゆ(繭)を造ります。それが絹市です。絹は蚕(かいこ)のいのち、その存在のすべてです。このいのちを尊重するために、日本人は美しい糸で織り上げた布を、一ミリも無駄にしない仕立て方で、美しい着物を作り上げました。蚕(かいこ)は虫です。けれどもそのエネルギーのすべては、桑の葉を食べ繭を作り、絹糸となることにより、美しい着物として人間の身をまとうことにより、人々のからだを守り、さらい美しく輝かせているのです。 人間は神から離れて、「自分は虫ではない」ことを強調し、好き勝手な人生を過ごしています。 虫にも劣るような恥ずかしい生き方をしている者も多くいます。そして自ら高ぶり、人を踏みつけてでも這い上がろうとしている。 蚕が新鮮な桑の葉を食べて絹糸になるように、聖書のことばをしっかり食べ(読む)て、ゴールデンルールを実行する人生を、神の栄光のために輝いて生きていきたいものです。詩篇19:7 【主】のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、 【主】のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。 19:8 【主】の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、 【主】の仰せはきよくて、人の目を明るくする。 19:9 【主】への恐れはきよく、 とこしえまでも変わらない。 【主】のさばきはまことであり、ことごとく正しい。 19:10 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。 蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。 19:11 また、それによって、あなたのしもべは 戒めを受ける。 それを守れば、報いは大きい。 1
2005/09/02
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今日から9月。聖書学院門前も登校の子どもたちの声でにぎやかです。私には2つの誕生日があります。 一つは生まれた日。1941年9月2日、明日が種子島で生まれた日です。もう一つはクリスチャンとして生まれた日、1957年11月24日、種子島の海でバプテスマを受けました。早いものでもうすぐ48年になります。 今日は63年の人生を思い切り感謝しながら、秋の気配を感じつつ実り豊かな田んぼや小川のほとりを歩きました。 主イエスとともに歩きましょう どこまでも 歩きましょう いつも うれしいときも かなしいときも 歩きましょう いつもと歌いながら・・・さらに・・・ 主にすがるわれに 悩みはなし 十字架のみもとに 荷を下ろせば 歌いつつ 歩まん ハレルヤ ハレルヤ 歌いつつ 歩まん この世の旅路を 恐れは変わりて 祈りとなり 嘆きはかわりて 歌となりぬ 主はいと優しく われと語り 乏しきときには 満たしたもう 主のみ約束に 変わりはなし 御許に行くまで 支えたまわん 歌いつつ 歩まん ハレルヤ ハレルヤ 歌いつつ歩まん この世の旅路を(聖歌496番) 16歳までは歌も歌わず、話もせず、孤独な少年でした。イエス様を信じてクリスチャンになり、どんなときも心にお迎えしたイエス様が、一緒におられる信仰が与えられました。 聖書の確実な約束を堅く信じる幸い! 主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたから離れず、あなとを見捨てない」(ヘブル13:5)「わたしは世の終わりまでいつもあなたとともにいる」(マタイ28:20) 「恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしはあなたの神である。 わたしがあなたを強め、あなたを助け、わたしの勝利の右の手であなたを支える」(イザヤ41:10) 「あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43:4) 時間と空間を越えて語りかけて来る、生きている真の神の愛のことばに、人生が日々新しく造りかえられ続けています。 主の恵みは朝ごとに新しく、今日と言う新しい日がスタートする感激。 ハレルヤと歌いつつ、63年の人生を朝の清らかな空気を胸いっぱいに吸い込みながらの63歳最後の朝でした。詩篇(リビングバイブル)103:1 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。 私のうちにあるすべてのものよ。 聖なる御名をほめたたえよ。 103:2 わがたましいよ。【主】をほめたたえよ。 主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、 あなたのすべての病をいやし、 103:4 あなたのいのちを穴から贖い、 あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、 103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。 あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。
2005/09/01
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