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衆議院選挙が始まり、生駒市も自民・民主・共産・新党日本の4名が立候補しています。前回は民主党が当選。自民党は比例で当選でした。今回は自民党議員が郵政法案に反対、自民党はマドンナ候補を投入、前議員は新党日本で立候補、代表の田中知事も長野から駆けつけ応援演説。自民党は安部幹事長。今日は奈良市に小泉首相が来県。 新聞もテレビも大騒ぎの選挙です。ほんとうに日本を思い国を愛する候補者を選びたいものです。 日本国憲法を厳守する議員が増えるよう祈ります。主権在民の国です。投票することでその権利を行使したいものです。内村鑑三は、I love two J's と宣言しました。一つのJはJEesusのJ。もう一つはJapanのJです。 真のクリスチャンはイエス・キリストを主とし、全ての愛をささげ従います。聖書の教えに100パーセント従う決心をして、天国への道をまっすぐ進みます。 と同時に、自分が住んでいる国を愛します。グローバル的な視野に立ちつつも、自分の祖国を心から愛して忠誠をささげます。テモテへの第一の手紙2:1 さて、次のことを勧めます。 すべての人のために、神様のあわれみが注がれるよう熱心に祈り、とりなしなさい。 そして、やがて彼らにも恵みが与えられると信じて、感謝しなさい。 2:2 王のため、また権威と重い責任を負っているすべての人のために祈りなさい。 それは、主を敬い、主を深く思いながら、平安のうちに落ち着いた一生を過ごすためです。 2:3 そうすることはたいへん良いことで、救い主である神様に喜んでいただけることです。 2:4 神様はすべての人が救われて、真理を理解するに至ることを、切に望んでおられるからです。 2:5 -6その真理とは、こうです。 神と人間とは、それぞれ別の岸に立っています。 そして、人となられたキリスト・イエスがその間に立ち、ご自分のいのちを、全人類のために差し出すことによって、両者の橋渡しをされたのです。 これこそ、神様が時にかなって私たちに示された教えにほかなりません。 2:7 この真理を外国人に教え、救いは信仰によって与えられるという、神様の計画を伝えるために、私は宣教者また使徒として選ばれました。 これは、うそ偽りのない真実です。
2005/08/31
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8月は朝日放送のアンテナ移転工事のため、早朝の番組が休みになり、ラジオ放送希望の声も1ヶ月休みました。32年間ではじめてのこと。聴取者の皆さまに迷惑をかけましたが、9月7日(水)朝4時35分よりお届けできます。 昨日もらった手紙で、自殺寸前にラジオ放送希望の声を聞いた救われたとの体験が寄せられました。 高校2年生のとき学校でのいじめと、家ではお兄さんの暴力とで、総合失調症を発病。 病気と世親安定剤の抑圧で、人とのコミュニケーションがとれなくなり、友人も一人もいなくなり、家では家族にも迷惑がられ、兄からの暴力は依然として続いていた。 曲がりなりにも高校は5年かけて20歳のとき卒業。 発病以来、自殺願望が強くなり、死ぬことだけを考えていた。22歳当時、新聞配達をはじめたが、「確実に死のう。絶対に死ぬ」との決意がかたまりました。 そのころからラジオ放送希望の声を聞き始めていた。 本当に死のうと決意した朝、死ぬ前に一度大きな賭けをして見ようと思った。そのときの信教を彼は次のように書いている。 イエスとかいう人を信じます。と言うことに、自分の全部を架けてみよう。自殺だって、死と言うものに、自分の全部を賭けることなのだから・・・。自殺はいつでも近いうちにできる。 でも、イエスという人に、自分全部を賭けるのは、生きているうちにしかできない。 死ぬ前の最後の大一番の賭けをしてみよう。イエスとかいう人に、自分全部をあずけて信じるという賭けを・・・。 榮牧師のあとにつづいて祈ってみました。 「イエス様。私の心にお入りください。信じます。アーメン」 短かったけれど、本当に心をすべて賭けて祈りました。いろいろあったけれど、私は救われていました。 私は明るく活発になり、コミュニケーションがうまくとれるようになりました。ユーモアを交えて話せるようにもなり、友達も新しくどんどん増えていきました。新しく生まれ変わり、人間が180度変わったようになっていました。 8月13日にこの青年と出会いました。現在28歳、ラジオ放送を聞いてクリスチャンになっていると嬉しそうに話してくれました。そして昨日その間の事情を詳しく書いた手紙をもらいました。 今でも朝早い番組を録音して聞き、彼のところには6年分のラジオ録音のMDがあると嬉しそうに報告してくれました。 新しい人生を生きることができる!何とすばらしいことでしょうか。ここrから祝福をお祈りします。ローマ人への手紙(リビングバイブル)10:8 というのは、キリスト様を信じることによって与えられる救い〔私たちが宣べ伝えているのは、まさしくこの救いです〕は、すでに、私たちのすぐ手の届く所にあるからです。 実際それは、自分の心や口のように、すぐ近くにあるのです。 10:9 なぜなら、もし自分の口で「イエス・キリストは私の主です」と告白し、自分の心で、神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 10:10 人は、心で信じることによって、神様から正しい者とされ、その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。 10:11 聖書は私たちに、「キリスト様を信じる者は、決して失望させられることがない」と教えています。 10:12 この点では、ユダヤ人もそれ以外の外国人も同じです。 同じ主がユダヤ人にとっても外国人にとっても主であり、求める者にはだれにでも、ご自分の宝を惜しみなく与えてくださるのです。 10:13 主の御名を呼び求める者は、だれでも救われるのです。 今日、「イエス様。信じます。私の心にお入りください。アーメン」と、あなたも口に出して言ってみませんか。アーメンと言えば救われます。
2005/08/30
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日曜日は牧師の喜びの日、充実のときです。祈りとみことばとともに1時間の散歩。テレフォン・メッセージ。ブログに書き込み、奈良市富雄キリスト教会の礼拝へ。 昨年、53歳で召された兄弟の記念礼拝。東京、沖縄、三重県より家族が駆けつけ、息子さんが父親の作詞作曲の歌を力いっぱい手拍子に合せて歌う。奥様が主人の思い出を語り、天国を一言で言えば楽しい所、最高の幸せと喜びのパラダイスとのメッセージに、大勢の兄弟姉妹の顔が輝き、聖霊の慰めと愛が降り注ぐ。 昼から娘の運転で大阪エリムへ。一人の兄弟が末期ガンで入院したが、本人が教えた病院にいないので、心当たりの5つに病院へ電話で問い合わせるがどこにもいない。 自宅を訪ねてもマンションの管理人も知らないとの答え。そこへひょっこり本人が現れ病院が分かる。今日もまた見舞いに訪れようと思う。 大阪の礼拝が終わると大阪労災病院へもう一人の方を見舞い、堺エリムへ。 30日で72歳になる兄弟の誕生日の祝福を!もうひとりは31日で63歳。私は9月2日なので大きなケーキが要されており、ハッピー・バースディの歌とともに祝ってもらい、みんなで楽しい歓談。 近くのコンビにでお握り1個の夕食を車中で・・・。帰宅すると24時間テレビのフィナーレ。59歳の丸山弁護士が100キロマラソンで、娘さんの伴走ともに武道館に感涙の到着。世界で一番の花の大合唱でフィナーレ! 全てに感謝しつつの日曜日が感謝と喜びの中で終わり熟睡の中へ・・・。 今日は朝から大阪拘置所へ・・・。新しい一日が恵みの中でスタート。詩篇(リビングバイブル) 118:5 苦しみの中から祈り求めると、神様は答えて、救い出してくださいました。 118:6 神様は私の味方です。 ですから、こわいものなどないのです。 ただの人間に何の手出しができましょう。 118:7 神様がそばにいて助けてくださるから、私を憎む者どもよ、用心するがいい。 118:8 人をあてにするより、神様を信頼したほうがよいのです。 118:9 力ある王にかくまわれるより、神様の保護を受けるほうがよいのです。 118:10 たとい、世界中の国が攻めて来ても、私は神様のあとについて進軍し、敵を全滅させてやります。 118:11 敵に包囲され、攻撃をしかけられても、私は高々と翻る神様の旗のもとで、勇気百倍し、相手方を皆殺しにしてやります。 118:12 蜂のように群がって来る敵は、ごうごうと燃え上がる炎さながら襲いかかります。 しかし、私は神様の旗のもとで彼らを滅ぼします。 118:13 私を亡き者にしようと図る彼らは、あらゆる手を打ってきましたが、神様はいつも助けてくださいました。 118:14 激戦のさなかに、神様は私の力となり、歌となってくださいます。こうして、私は勝利を手にしました。 118:15 -16私たちの勝利の知らせを聞いて、神様を信じお従いする人々の家には、喜びの歌がわき起こります。 神様はめざましい働きをしてくださいました。 118:17 死なずにすんだ私は、生き長らえて、神様のなさったことを人々に語り伝えましょう。 118:18 神様は私を懲らしめられたものの、死には渡されませんでした。 118:19 神殿の門よ、開きなさい。 私は中に入って、神様に感謝します。 118:20 神様を信じお従いする人が、この門から入って神様の前に出るのです。 118:21 ああ神様。 祈りに答えて私を救ってくださったことを、心の底から感謝します。 118:22 大工の捨てた石が、今では一番たいせつな土台石になっています。 118:23 これこそ神様のなさることで、人の思いをはるかに越えています。 118:24 きょうこそ、主がお造りになった日です。 さあ、この日をぞんぶんに楽しみましょう。 118:25 ああ神様、どうかお助けください。 お救いください。 することをすべて成功させてください。 118:26 神様の代理として間もなくおいでになる方に、祝福がありますように。 私たちは神殿であなたがたを祝福します。 118:27 -28神様は私たちの光です。 私はいけにえを祭壇にささげます。私は神様に感謝し、賛美の声をあげます。 118:29 感謝の祈りをささげましょう。 神様はあわれみ深く、その恵みはいつまでも尽きないのです。
2005/08/29
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朝の早い時間、秋の気配を感じるこのころの生駒です。日中は残暑が厳しく、奈良は35度にもなりました。 26日は母の54年記念日、昨日は102歳の兄弟の記念日、今日は昨年53歳で召された三重県の兄弟の記念礼拝、東京や三重県からも家族の方が来られます。 牧師としての働きの中で葬式もその一つです。葬式は悲しくつらいときです。何歳で召されても愛する者を失う悲しみはつきません。 クリスチャンは、イエス・キリストにより永遠のいのちを与えられ、天国に行くことができます。死は終わりではなく新しい始まりです。永遠の天国の約束を信じる人の死は安らかです。臨終の床で何度もそのような場に立会いました。 その労苦を解かれて休みに入る幸いです。 しかし、残された者には悲しみです。その悲しみがいやさず、涙に暮れながら生きている方もたくさんあります。 あるとき、70台のご婦人二人が礼拝に来られました。ラジオ放送希望の声を聞いているとのこと。悲しみに沈んでいたのはクリスチャンのほうでした。ご主人が召されて教会で立派な式もでき、牧師も良く訪ねて来て慰めや励ましのことばを語ってくれました。 彼女の心には慰めも平安もなく涙の日々、病床で聞いたラジオ牧師を訪ねてみたいと思いました。一人で奈良まで出かける元気もなく、クリスチャンでない友人に頼んで連れて来てもらいました。 礼拝が終わり挨拶もそこそこに、その寂しさ悲しみを話されました。手元の聖書を開き、「恐れることはない。わたしはあなたとともにいる。たじろいではならない。わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強め、あなたを守り、わたしの勝利の右の手であなたを支える」(イザヤ41:10)と示しました。 その瞬間、彼女の顔から悲しみの色がなくなり、そうでした!イエス様がいっしょにいてくださるのですね。私に必要だったのはこのことばでした」と喜びで輝きました。 その彼女の変わりようを見ていた同年齢の友人も、その日以来礼拝に出席し、洗礼を受けてクリスチャンになりました。90歳の高齢を迎えれいますが、今でも礼拝に出席し天国に望みを置きつつ励んでいます。 神のことば生きていて力があります。みことばには人を救う力があります。 清書のことばの慰めは、人の慰めを越えるものです。死を越えて永遠に続く命、天国に生き得る幸いを感謝します。黙示録より7:9 その後、私の目には、おびただしい群衆が映りました。 あらゆる国民、民族、言語の人々で、とても数えきれたものではありません。 彼らは白い衣をまとい、しゅろの枝を手にして、王座と小羊との前に立っていました。 7:10 そして、声を張り上げ、「救いは、王座にざしておられる神様と、小羊とから来ます」と叫んでいました。 7:11 御使いはみな、王座と長老、それに四つの生き物の回りに集まり、ひれ伏して神様を礼拝してから、 7:12 こう言いました。「アーメン。 祝福と、栄光と、知恵と、感謝と、誉れと、力と、勢いとが、永遠に神様にありますように。 アーメン。」 7:13 その時、二十四人の長老の一人が、私に尋ねました。 「この白い衣の人たちがだれだか、わかりますか。 どこから来たか知っていますか。」 7:14 「わかりません。 どうか教えてください」と答えると、こんな答えが返ってきました。 「あの人たちは、激しい迫害をくぐり抜け、小羊の血でその衣を洗って、白くした人たちです。 7:15 だから、こうして神様の王座の前にいて、昼も夜も、神殿で奉仕しているのです。 そして、王座にざしておられる方によって、安全にかくまわれています。 7:16 もう二度と飢えることがなく、また渇くこともありません。 彼らは灼熱の太陽からも、完全に守られているのです。 7:17 それは、王座の正面に立たれる小羊が、羊飼いとして彼らを養い、いのちの水の泉に導いてくださるからです。 また神様は、彼らの目から、あふれる涙を、すっかり、ぬぐい取ってくださるのです。」
2005/08/28
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昨日も一昨日も雨が降りそうだったが、散歩の間は大丈夫だった。今朝はさわやかな秋を感じる朝、歩き始めて10分程でパラパラと降ってきた。そんまま気にしないで歩き続けた。しばらくたつとザアーと大降りになり、あわててハンカチを頭にかぶり、ずぶぬれになって山道を歩いた。 雨がやみハンカチを絞ると水が滴り落ち、自分で水もしたたる好い男だと笑いながら歩いた朝だった。 昨日は母の46年目の命日、一人でささやかに母のことを思いながら、神のなさることはみなそのときにかなって美しい!(伝道3:11)とのみことばを深く味わった。その後、母と同年齢の方とお茶をともにし、母が生きていればこんなだろうかなどと思いつつ、健康と長寿が与えられるように祈った。 今日は、教会員で3年前102歳の高齢で召された兄弟の記念礼拝を自宅に招かれて行う。22歳のとき淡路島で結核になり死を宣告された。看護師の方がクリスチャンで聖書をプレゼントされ、イエス・キリストを信じ心にお迎えしてクリスチャンとなった。戦争中も自宅を開放して日曜学校を開き、戦後は大阪市内の自宅の庭にメソジスト教会を設立。現在も同地で教会は幼稚園とともに活動を続けている。 奈良に移転したので教会を変わり、3年前102歳で召されるまで信仰生活を守られた。「神、もし我らの味方なれば、誰か我らに敵せんや」の聖書のことばを座右の銘としてしっかりと握り、召される1週間前に祈りをともにしたときも、そのことばをもって力強い祈りをささげてくれた。 生卵健康法を編み出し、1日6個の卵の黄味(白味は捨てる)を健康に秘訣として長生きされた。私にも牧師は健康が大切だから、少なくても4個の黄味は飲まなければとよく勧めてくれた。家に帰って卵を割り、白味を捨てていたら家内に叱られ、実行しないままできている。生卵健康法という小冊子もあるが、生卵は少々苦手でもある。家内がテレビを見ていて卵は午前中に半熟を食べるのが健康に良いなどと話していた。食物は余りくよくよと気にせず、バランスよく食べるのが良いと思っている。 102歳まで生きて5人の子どもに恵まれ、孫、曾孫合計で50名を越える家族で、先に召された良心と娘婿の3人以外は、皆さま健康でクリスチャンとして幸せに暮らしておられる。 主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われる。使徒16:31の約束の真実を照明する家族でもある。 明日は昨年召された53歳の兄弟の記念礼拝を富雄キリスト教会で行う。家族は三重県と東京からの参加だ。 人生、どんなことが起ころうとも、愛なる神の御手が支え慰め励ましてくれる。天国に行くまで其の愛の御手に導かれて進める幸いを感謝している。黙示録の天国7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。7:10 彼らは、大声で叫んで言った。 「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、7:12 言った。 「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか」と言った。7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」
2005/08/27
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1951年8月26日は忘れることのできない日。小学4年生の夏休みのときだった。暑い日差しの中で遊んでいた。近所の方が大声で呼んでいる。 「お母さんが・・・」その呼び声ですっ飛んで母の枕元に駆けつけた。母は病んでいた。若いときの火傷の傷が治りきっていなくて再発し、そこから病状が進み、医者も病院のない田舎のこと、適当な薬もなく日々衰弱していた。 母と別れて暮らすようになっていたがいつも母のところに帰っていた。母はやせ細った手でしっかりと私の腕をつかんだ。「義之。ごめんな」とか細い声でささやくように言った。何でこんなときにと思った。そしてそれが地上での母の最期のことばとなった。母の手から力が抜けて腕からはなれ、母は息を引き取った。 種子島の夏は暑い。ドライアイスがある時代でもない。その翌日はもう葬式。まだ土葬の時代。村はずれの墓地に向かって葬列は進む。先頭に旗を持って歩かされた。 墓地に着くと、棺が墓に下ろされ最初に私が一掴みの土をかけ、隣の大人が最後の別れをと言う。と同時にどさっと周りの土でたちまちのうちに棺が覆われ、土まんじゅうができ白木の墓標が立てられた。 母が死んだ!もうあの美しい顔も、優しいことばも聞こえてこない。人は死んだらお終い。愛も喜びも楽しさも消えていく。歯を食いしばった。泣くものか。我慢した。もう何もかも終わりだ。自分は生きているが母は死んだ。 物も言わないで生きよう。歌も歌うまい。心の寂しさをそのような形でしか表現できなかった。 16歳のとき、キリスト教会へ初めて出かけた。神は愛ですと聞いた。目にも見えない姿形もない、刻んだ像もない。生きている得る唯一の神。全知全能、遍在、永遠不変の神。聖く義なる神、公平で完全で愛なる神の存在を知った。 その愛は、ひとり子イエス・キリストを十字架に釘付け死なせるほどに大きな愛。 母は自分の病に勝てず37歳で死んだ。死にたくなかったはずだ。愛する子どもを残して死ぬことはできないと思っても、「ごめんね」としか言えなかった。 イエス・キリストは、私を愛して十字架に死なれた。全ての罪と病、のろいも貧乏も引き受けて、死と滅びも自分が背負って死なれた。そして3日目に復活した。 その日にクリスチャンになった。以来48年、聖霊によって注がれる神の愛に守られ支えられて生きている。 もう黙り込まない。心からハレルヤと叫び、声の限り歌うこともできる。喜びと平安、感謝と永遠の希望に輝く人生。 神のなさることはすべてときにかなって美しい(伝道3:12)と、すべてのことに感謝しつつ、天国に向かって日々喜びつつ前進できる幸い! 先日は自殺寸前の青年が、自殺から救われた。「イエス様。信じます。私の心にお迎えします。アーメン」 今朝、私とともに祈りませんか。そのように語る私の声を聞き、その声に合せて祈ったとき救われました。 人生にどのような悲劇があり、悲惨な出来事や試練があろうとも、イエス・キリストを心にお迎えすれば新しい展開が始まる。今日を其のスタートの日にして欲しい。祝福を祈ります。 ところが、あなたがたは言います。 「神様は私たちを見捨て、私たちをお忘れになった。」 「そんなはずはない。 母親がわが子を忘れ、愛さなくなることがあるだろうか。 だが、たといそんなことがあっても、わたしはおまえを忘れない。 わたしはおまえの名をてのひらに入れ墨した。 イザヤ49:14-16
2005/08/26
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土曜日にパラダイスのスタッフ、ラファエル・オウマと孤児で大学生になったオモンディが来日しました。 大阪の会社で11月(ビザが切れる)まで仕事の研修です。オウマは20年前にも会社研修で日本にいたので、日本語も上手です。毎年のケニア宣教では通訳をしてくれています。日本語で説教するときは英語へ。英語で説教するときはスワヒリ語に通訳。長いこと日本語を使わないと忘れてしまうので、今回の3ヶ月滞在は大きな祝福になると思います。 いずれにしろパラダイスが自立するよう祈りつつです。 学校建設は始まりましたが、これから机やイス、教材やさまざまに準備する必要があります。それらのものは学校を始める教師たちの尽力により、ケニアで準備するようにと言ってはおりますが・・・・。 台風の影響で少しだけ雨の生駒でした。今朝の散歩は傘を持って出ましたが、少しずつ晴れてきて手に持って歩きました。 散歩道には何箇所か朝市があり、ポケットに100円玉があったので、大きなかぼちゃと大きな冬瓜を200円で買いました。 傘をそこに置き忘れたので戻り、たまねぎ5個もなすび10本も100円だったので、重かったけれども下げて帰りました。 昨日は朝の農作業をしている方が、ものすごい量の唐辛子とオクラを届けてくれ、毎朝新鮮な野菜に恵まれています。 朝市で100円で買えるものは、苦瓜(ゴーヤ)3本、たまねぎ3-5個、ナスは最近良く取れるとのことで5-10本、かぼちゃ1個(ところにより200円)、オクラ20本ほど、明日葉やうまいや(ふだん草)、ほうれん草、ジャガイモやその他いろいろ季節の採り立ての野菜があります。 5時頃から並べますので、6時過ぎにはほとんどなくなるほど人気があり、ときどき話を聞きながらポケットに100円玉があれば買うようにしています。 朝の1時間は、祈りつつ聖書のCDを聞き、出会う方々におはようございますと挨拶し、ときには朝市で野菜を買いながら歩いています。 誰とも出会わずひたすらに歩くときは1時間で7000歩余。立ち話をすると歩数が落ちもう少し余分に歩きます。 ラジオ放送が朝5時5分のときは、聞いている方にであったりしました。現在は4時35分なので、そんなに早く歩くこともなく出会えなくて残念です。 今朝は秋の空が広がっている穏やかな朝です。ハレルヤ!詩篇 19:1 天は神の栄光を語り告げ、 大空は御手のわざを告げ知らせる。 19:2 昼は昼へ、話を伝え、 夜は夜へ、知識を示す。 19:3 話もなく、ことばもなく、 その声も聞かれない。 19:4 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、 そのことばは、地の果てまで届いた。 神はそこに、太陽のために、幕屋を設けられた。 19:5 太陽は、部屋から出て来る花婿のようだ。 勇士のように、その走路を喜び走る。 19:6 その上るのは、天の果てから、 行き巡るのは、天の果て果てまで。 その熱を、免れるものは何もない。
2005/08/24
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そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。 苦しみや悩みを経験しながら人生は進みます。苦難を乗り越え、立ちはだかった壁を乗り越えようとする、そのことによって私たちは育ちます。 苦難も何もない楽チンな人生などと言うものは、決していいものではありません。 「日照り続きは砂漠になる」ということわざが、アラビアにあるそうです。今年の夏雨が少なく日照りが続きました。香川県はダムの水量が減り、電力用の水を放出しながら雨の降るのを待っているとニュースが報じていました。 信じる心が与えられ、心の深みに平安が与えられ、恵みと愛を感じながら、ことばに表せない喜びと感謝があふれる人生を体験することができます。 イエス・キリストを信じる人生は、苦しみや悩みが一切なくなるのではなく、どんなときにも平安と喜び、感謝と希望にあふれる人生を力強く生きることです。 それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。 この希望は失望に終わることがありません。 なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。ローマ5:3-5 私たちはさらに、さまざまの問題や困難に直面した時も喜ぶことができます。 それは忍耐を学ぶのに役立つからです。 忍耐によって、私たちの人格は筋金入りにされ、ひいては神様への信頼を深められるのです。 こうしてついに、私たちの希望と信仰は、強く、何ものにも動じなくなるのです。 そうなった時、どんなことが起ころうと失望落胆せず、また、万事が益であるとわかります。 それは、神様がどんなに深く愛していてくださるか、わかるからです。 私たちは、そのあたたかい愛を全身で感じています。 それは、神様が聖霊様を与えてくださり、その聖霊様が私たちの心に、神様の愛を満たしてくださっているからです。(リビングバイブル) さまざまな問題に直面したときも喜ぶことができるのは、苦難の中でこそ忍耐を学ぶことができるからです。 現実に苦難の只中に投げ込まれ傷つき、もだえ、嘆き苦しみ、悲鳴を上げながらも忍び耐える。人にバカにされ笑われあざけられながらも忍耐の限りを尽くしていくうちに、やがて強く、たくましく、大きくなった自分を感じるようになります。 そのような人生を生きた方々の話を聞くとき、涙しながらもその真実に心打たれ勇気が与えられます。 忍耐する力を蓄えることによって、どんなことが起ころうとも、あらゆる事態に対処することができるようになります。練達が生まれ、もはや失望の中に座り込むことがなくなります。必ず道が開かれることを信じ、太陽はいつも雲の上に!と、雨の日も曇りの日もハレルヤと心晴れ晴れ生きてゆきます。ローマ人への手紙より 8:28 そして私たちは、神様を愛し、神様のご計画どおりに歩んでいるなら、自分の身に起こることはすべて、益となることを知っているのです。 8:29 というのは、神様はあらかじめ、だれが自分のもとに来るかご存じで、そのような人々がご自分の息子と同じになるようにと、最初から定めておられたからです。 それは、ひとり息子を大ぜいのクリスチャンの中で長子とするためでした。 8:30 神様は私たちを選び、招いてくださいました。 そして、私たちがおそばに行くと、私たちに「無罪」を宣言し、キリスト様の良い性質を下さり、神様との正しい関係を結ばせ、さらに、栄光を与えると約束してくださいました。 8:31 こんなにすばらしい恵みに対して、いったい何と言ったらよいでしょう。 神様が味方なら、だれが私たちに敵対できるでしょうか。 8:32 神様は私たちのために、たった一人の息子をさえ惜しまずに、死に渡してしまわれたほどのお方ですから、ほかのすべてのものをも下さらないわけがあるでしょうか。 8:33 神様がご自分のものとして選ばれた私たちを、あえて訴えるのはだれですか。 神様ですか。 とんでもない。 神様は、私たちを赦し、ご自分と正しく関係づけてくださった方ではありませんか。 8:34 では、私たちに有罪を宣告するのはだれですか。 キリスト様ですか。 とんでもない。 キリスト様は、私たちのために死に、そして復活し、今は天で、神の右の最も名誉ある座で、私たちのために祈っていてくださるお方ではありませんか。 8:35 では、いったいだれが、私たちをキリスト様の愛から引き離せるでしょうか。 私たちは困難や災難に会い、また迫害され、殺されるかもしれません。 しかしそれは、神様が、もう私たちを愛しておられないからでしょうか。 また、もし私たちが飢え、文なしになり、危険にさらされ、死に脅かされるなら、神様に見捨てられたことになるのでしょうか。 8:36 違います。 旧約聖書にこう書いてあるからです。 「神様のためには、いつでも 死ねる心がまえでいなければならない。 私たちは殺されるのを待つ羊のようだ。」 8:37 しかし、こうした中にあっても、私たちは、いのちを投げ出してまで愛してくださったキリスト様によって、圧倒的な勝利を得るのです。 8:38 神様の愛から私たちを引き離せるものは何一つない、と確信しています。 死にもいのちにも、そんなことはできません。 御使いにもできません。 地獄の全勢力を結集しても、神様の愛から遠ざけることはできません。 今日の恐れも、明日の不安も同様です。 8:39 あるいは、私たちがどこにいようと――空高くのぼっても、海の底深くもぐっても――私たちの主キリスト・イエスの死によってはっきり示された神様の愛から、私たちを引き離せるものは、何一つありません。
2005/08/23
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ニュースでアフリカのサファリツアーに行った婦人が、ライオンに襲われて死亡した事件が報じられていました。悲しい事件です。サファリでは車外に出ることは禁じられています。いつ猛獣が襲ってくるか分からないからです。 このツアーでは写真撮影のために車外に出る場所があったと報じられていました。ケニアのマサイマラでは考えられないことです。ジンバブエのサファリはライオンの放し飼い区域とあったので・・・、詳しくはわかりませんが。詩篇より 91:1 いと高き方の隠れ場に住む者は、 全能者の陰に宿る。 91:2 私は【主】に申し上げよう。 「わが避け所、わがとりで、 私の信頼するわが神」と。 91:3 主は狩人のわなから、 恐ろしい疫病から、 あなたを救い出されるからである。 91:4 主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。 あなたは、その翼の下に身を避ける。 主の真実は、大盾であり、とりでである。 91:5 あなたは夜の恐怖も恐れず、 昼に飛び来る矢も恐れない。 91:6 また、暗やみに歩き回る疫病も、 真昼に荒らす滅びをも。 91:7 千人が、あなたのかたわらに、 万人が、あなたの右手に倒れても、 それはあなたには、近づかない。 91:8 あなたはただ、それを目にし、 悪者への報いを見るだけである。 91:9 それはあなたが私の避け所である【主】を、 いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。 91:10 わざわいは、あなたにふりかからず、 えやみも、あなたの天幕に近づかない。 91:11 まことに主は、 あなたのために、御使いたちに命じて、 すべての道で、あなたを守るようにされる。 91:12 彼らは、その手で、あなたをささえ、 あなたの足が 石に打ち当たることのないようにする。 91:13 あなたは、獅子とコブラとを踏みつけ、 若獅子と蛇とを踏みにじろう。 91:14 彼がわたしを愛しているから、 わたしは彼を助け出そう。 彼がわたしの名を知っているから、 わたしは彼を高く上げよう。 91:15 彼が、わたしを呼び求めれば、 わたしは、彼に答えよう。 わたしは苦しみのときに彼とともにいて、 彼を救い彼に誉れを与えよう。 91:16 わたしは、彼を長いいのちで満ち足らせ、 わたしの救いを彼に見せよう。
2005/08/22
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20日(土)21日(日)の両日、第6回絵本ギャラリーin奈良が、奈良教育大学を会場に開かれた。 土曜日の朝、「今なぜ、読書なのか?」-いのち輝く本の世界ーその感動を伝えることの意味と題するする講演会に参加した。 講師は中川良孝氏。 活字離れの時代と言われているが、現状は子どもたちの読書傾向は増えてきており、家で本を読む親の姿を見ればモット増えるとのこと。 子どもを本好きにする方法は、読書にふさわしい社会的な環境と、個人的な環境が必要。 読書に関しては、絶対避けたい強制と禁止のことば。「この本を読みなさい」「そんな本は読んじゃあダメ!」 ともかく子どもが読みたい本を読ませたら良い。本を読むと非行がなくなり、集中力がつき持久力を持つ子に育つ。 本の読み聞かせがどんなに大切かを強調しつつ、前に並べてあった絵本を読み聞かせつつの1時間半でした。 絵本の読み聞かせは、大人も子どもも、しみじみ・わくわく・どきどき・しんみりと、時間の過ぎるのを忘れるような楽しいひと時でした。 絵本はささやかな趣味。本棚には数冊しかないが、読んだらあの子にこの子にとプレゼントしてしまう。 講師の第一推薦絵本は、ラブユーフォーエバー 第二は大きな木だった。この2冊はまだ本棚にある。 私の推薦絵本は、「もっと、なにかが」(絶版中)だ。絵本の美しい世界に、あるいはユーモラスな世界にホッとする。 聖書を読む喜びも体験して欲しい。聖書を読む喜びは何にも変えがたい感激。聖書は難しいということをよく聞く。先入印象だ。読書百遍自ずから通ずで、読めば分かります。15歳のときから読んでいます。 我が家の子どもたちは3年生のとき、聖書全巻を通読しました。理解できたか?って、読んだという満足感が大きな祝福になったと思います。 聖書の絵本や児童向けの聖書もあります。でもじかに聖書を読むほうが楽しくおもしろい。聖書には振り仮名がついているから、字が読めたら誰でも読めます。 聖書のことばを栄養に、真の幸せな人生をスタートしよう。天国に行くまで・・・。ハレルヤ。詩篇 1:1 幸いなことよ。 悪者のはかりごとに歩まず、 罪人の道に立たず、 あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、 昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、 水路のそばに植わった木のようだ。 時が来ると実がなり、その葉は枯れない。 その人は、何をしても栄える。19:9 【主】への恐れはきよく、 とこしえまでも変わらない。 【主】のさばきはまことであり、ことごとく正しい。 19:10 それらは、金よりも、多くの純金よりも好ましい。 蜜よりも、蜜蜂の巣のしたたりよりも甘い。 19:11 また、それによって、あなたのしもべは 戒めを受ける。 それを守れば、報いは大きい。 119:9 どのようにして若い人は自分の道を きよく保てるでしょうか。 あなたのことばに従ってそれを守ることです。 119:10 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。 どうか私が、あなたの仰せから 迷い出ないようにしてください。 119:11 あなたに罪を犯さないため、 私は、あなたのことばを心にたくわえました。
2005/08/22
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【主】は仰せられた。 「必ずわたしはあなたを解き放って、 しあわせにする。 必ずわたしは、わざわいの時、苦難の時に、 敵があなたにとりなしを頼むようにする。エレミヤ15:11 チーフと言う名前で雑種でしたが、犬を飼っていました。毎朝夕の散歩で山へ連れて行き、鎖を解いてやるとものすごいスペードで駆け回り、楽しく喜びを表現しました。犬が自由になるということは大げさな表現?かもしれませんが、自由の大切さ、喜びを教えられました。 人間はさまざまな鎖でつながれています。 罪の鎖=心の汚れや醜さに、みんながしていると言い聞かせても心がザラザラする悩み。罪を隠して何食わぬ顔でいることの偽善。そのまま罪を持ち続けていると、どんな幸せそうに見えても良心の呵責のため、夜も眠れない人もあります。死の恐れは罪を持ったままだと地獄に行くという潜在的恐れなのです。 劣等感から解き放たれる必要があります。 経済的な鎖、借金や無駄な支出から。 酒やタバコ、パチンコやそのほかのギャンブルからの解放。 そのほかの悪習慣の鎖から解放されるとき、本当の幸せを体験できるのです。 固く結んだ紐を手で解くことができないとき、よく切れるナイフでスパッと切るように、イエス・キリストは十字架の救いによって解放してくださるのです。 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。ガラテヤ5:1 私たちがそのように信じるとき、回りからそんなに簡単にはいかない、ムリだ、ことばだけで解決ができるかと言われます。 時代によっては迫害や苦難をなめさせられてしまったこともあります。しかし、どんな状態になっても逆転が起こり、すばらしい奇跡的な転換が始まるのです。 そして、私たちを苦しめた者がとりなしの祈りを頼むようになるのです。 クリスチャンは地の塩、世の光です。存在は小さいかもしれません。しかし、コマにたとえるなら心棒なのです。心棒がなければコマは回転できません。今、世界が保たれているのは、クリスチャンたちが世界の平和のために祈り、存在しているからなのです。 主の祈りをすべての人が祈れるよう期待します。6:9 だから、こう祈りなさい。 『天にいます私たちの父よ。 御名があがめられますように。 6:10 御国が来ますように。 みこころが天で行われるように地でも行われますように。 6:11 私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。 6:12 私たちの負いめをお赦しください。 私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。 6:13 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕
2005/08/21
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昨日は朝から夕方まで子どもといっしょでした。前から夏休みの約束だったので、マダガスカルという映画を見ました。動物園の人気者ライオンやシマウマ、かばやキリンがひょんなことから野生の島に流れ着き、野生を取り戻しながら友情を固く守るというアニメ。小学2年生も結構楽しく観てくれ、家に帰ってお母さんに詳しく話してくれたそうです。 もう一本のアニメは子どもはものすごく楽しいだのですが、さっぱりわかりませんでした。話についていけなくて・・・眠ってしまい、いちばんいいところ(ぼく、涙を流しながら観たよ!)で寝るんだから!と怒られてしまいました。今朝になってもアニメの題名が思い出せない・・・。 アニメの後、ラーメンで腹ごしらえをして健康ランドでプール。ものすごい数の子どもや大人の中で、久しぶりに水に入りプール遊びを楽しみました。 どうしても欲しいもの(ガチャポン)があり、いつも行くスーパーまで大雨の中を車を走らせ、200円のガチャポンを買う。 もう6時前、近くのレストランでハンバーグをいっしょに食べて、おばあさんが待つ家に送り、長い長い楽しい一日は無事終わりました。 元気だから動きも活発。また機転も聞きいろんな話をしてくれた。ゲームあアニメのことはほとんど分からず、別の世界のように感じた。 イエス様は子どもが大好き!マタイ福音書18章より ◆小さい子供のように 18:1 そこへ、弟子たちがやって来て、「私たちのうち、だれが天国で一番偉いのでしょうか」と尋ねました。 18:2 するとイエスは、近くにいた小さい子供を呼び寄せ、みんなの真ん中に立たせてから、話しだされました。 18:3 「よく聞いておくのですよ。 悔い改めて神に立ち返り、この小さい子供たちのようにならなければ、決して天国には入れません。 18:4 ですから、小さい子供のように自分を低くする者が、天国では一番偉いのです。 18:5 また、だれでも、この小さい者たちを、わたしのために受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。 18:6 反対に、わたしに頼りきっているこの子供たちの信仰を失わせるような者は、首に大きな石をくくりつけられて、海に投げ込まれたほうが、よっぽどましです。 18:7 悪がはびこるこの世はいまわしいものです。 誘惑されるのは避けられないとしても、誘惑のもとになる人はいまわしいものです。 18:8 罪を犯させるものは、手だろうが足だろうが、切り取ってしまいなさい。 五体満足で地獄へ行くより、片手片足になっても天国に入るほうが、よっぽどましです。 18:9 また、目が罪を犯させるなら、そんなものはえぐり出しなさい。 両眼そろって地獄へ行くより、片目でも天国に入るほうが、よっぽどましだからです。 18:10 この小さい子供たちの一人でも、見下げたりしないように気をつけなさい。 言っておきますが、天国では、子供たちを守る御使いが、いつでもわたしの父のそば近くにいるのです。 18:11 メシヤ(救い主)のわたしは、神から離れ、迷っている者を救うために来たのです。 18:12 ある人が百匹の羊を持っていたとします。 そのうちの一匹が迷い出ていなくなったら、その人はどうするでしょう。 ほかの九十九匹はその場に残したまま、いなくなった一匹を捜しに、山へ出かけるでしょう。 18:13 そして、もし見つけようものなら、何でもなかったほかの九十九匹以上に、この一匹のために大喜びします。 18:14 同じように、わたしの父も、この小さい者たちの一人でも滅びないようにと願っておられるのです。
2005/08/20
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今年はゴーヤを育てようと思い立ち種を蒔いてみた。なかなか芽が出ずやっと1本だけ目を出した。 苗木を買って植えて見た。毎朝夕、水を注いだり水生の肥料をやったり、そのうちに黄色い花が咲き出した。なかなか実が見えない。やっと1本実がついた。ぐんぐん大きくなりとても美味しかった。 子どもの頃は種子島の田舎にいたので、時期がくると毎日のように苦瓜(ゴーヤ)だった。その名のように苦かった。嫌いだった。ほとんど食べなかった。 沖縄でゴーヤチャンプルをご馳走してもらい、美味しかった。ゴーヤが苦瓜と知り子どもの頃は、毎日食べてさせられていたのに、こんなに美味しいとは思わなかった。 朝、農作業していたご夫婦に挨拶すると、たくさんのゴーヤをいただいた。 家内もゴーヤチャンプルを作るのが、だんだん上手になってきた。教会員の主婦も今年はじめて、ゴーヤを植えたら実がなること、でも彼女の家族は誰もゴーヤを食べない。 集会のたびごとに見事なゴーヤを持ってきてくださる。今年もゴーヤづいている夏だ。でもゴーヤチャンプルは沖縄で食べるのが一番だ。マタイの福音書 13:1 その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。 13:2 すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。 13:3 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。 13:4 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。 13:5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。 13:6 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。 13:7 また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 13:8 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。 13:9 耳のある者は聞きなさい。」 13:10 すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」 13:11 イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。 13:12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。 ・ ・ ・ 13:18 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。 13:19 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。 13:20 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。 13:21 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。 13:22 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。 13:23 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」
2005/08/19
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夕方、元気で遊ぶ小学生たちと会いました。夏休みももうすぐお終い。宿題もいっぱい残っているけど、くったくのない笑顔で夕食の待つ家路を急いでいました。 ケニアには家も着るものもない、食べる物もないストリートの子どもたちがたくさんいます。朝早く歩きながらパンを配りました。目が覚めたら目の前にパンがあったので驚く子どもたち。 1年にケニアに行くのは一回だけ。少しでもと願いつつの7月のケニアの朝でした。
2005/08/18
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朝夕はずいぶん涼しさを感ずる生駒です。日中は残暑の厳しさ。毎日の出来事に感謝しつつの日々です。 感謝することについて、聖書のことばを引用します。 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。テサロニケ第一5:18 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。ピリピ4:6-7 キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。 あなたがたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。コロサイ3:15-17 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるためです。第二コリント4:15 残暑が続きます。いろんなことが内外で起こっています。恐れないですべてのことに感謝して祈り、勝利に輝く毎日にしたいものです。 祈りは神に求めること。求めると与えられます。 感謝は神に感謝すること。どんな祈りをしてもその祈りを聞いてくださった神に感謝をしましょう。 賛美は神をほめたたえること。ハレルヤ!といつも神を崇めたいものです。 天国には二組の天使がいて、朝早くから大きなバスケットを持って地上を訪れるそうです。 祈りの天使のかごには、次々と求めることや願い事が投げ込まれ、天使は行ったり来たりで朝から大忙しです。 感謝の天使のかごきは、ポツン、ポツンと感謝が投げ込まれるだけで、そのバスケットは夜になってもいっぱいになることはないすです。 何事にも感謝できる日々でありたい!祝福を祈ります。ハレルヤ!
2005/08/18
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パラダイス孤児院の食事作り。鶏肉を小さくちぎり、食べやすいように用意している。完備した台所もなく・・・。 神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。神のことばと祈りとによって、聖められるからです。テモテ第二4:4-5
2005/08/17
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昨日は宮城県を中心に地震があり、生駒市は震度1でした。日本列島は衆議院総選挙で揺れています。どんな結果になるか?。9月11日の投票日に国民の権利として投票したいものです。 「正義は国を高くし、罪は国民はずかしめる」箴言14:34 総理大臣から投票権を持つ国民にいたるまで、正しい選択ができるよう祈ります。 今日は富雄キリスト教会水曜礼拝。夜は大阪エリムのリバイバル集会です。昼間には病院訪問や不動産屋との出会いなど、毎日いろいろあり充実した日を過ごしています。詩篇49:1 -2身分の高い者も低い者も、金持ちも貧しい人も、世界中のだれもかれも、私のことばに耳を傾けてください。49:3 この口から出ることばは、心の底まで見通して、知恵に満ちているのです。49:4 竪琴の伴奏に合わせ、奥深い人生の問題に答えて歌いましょう。49:5 悩みが訪れ、敵にぐるりを囲まれようと、少しもこわがることはありません。49:6 彼らの信じるものは金だけで、その誇りは財産だけなのです。49:7 しかし、王に負けないくらい裕福な彼らも、兄弟の罪を帳消しにしてやることはできません。 罪の赦しは金では買えないのです。49:8 -9たましいは余りにも高価なので、この世の富をいくら積んでも買い戻せません。 世界中の金をかき集めても、ただ一人分の永遠のいのちも買ってやれません。 もちろん、地獄から救い出してやることもできないのです。49:10 あなたがた金持ちも、傲慢な者も、賢い者も、結局、同じように死ぬ運命にあります。 ばかで、まぬけな連中より長生きできるわけではありません。 しかも、一銭だって持って死ねはしないのです。49:11 あなたがたは、まるで永久にその土地に住めるかのように、自分の名をつけています。49:12 しかし、どんなに羽振りのいい人間でも、死ぬのは犬や猫とそう変わりません。49:13 全く、あほらしい存在です。 それなのに、そういう人々は死後も、非常に賢い人物として引き合いに出されたりもするというわけです。49:14 死が全人類を飼い慣らしています。 別世界に目覚めたその朝、邪悪な者たちは正しい人々の奴隷となるのです。 死と同時に、金にものを言わせることは不可能になります。 なにしろ、金を持って行くことはできないのですから。49:15 しかし、私は別です。 神様はこのたましいを死の力から買い戻してくださいます。 私を迎え入れてくださるからです。49:16 ですから、悪者の金回りがよかろうと、りっぱな邸宅を構えていようと、目をむくことはありません。49:17 死ぬ時には、名誉はおろか、何一つ持って行けないのですから。49:18 生きている間中しあわせ者だと自分でも思い、世間からも出世頭だと拍手を送られるような人でも、49:19 やがては皆と同じように死に絶え、永遠のやみに沈んでいくのです。49:20 どんなに華やかな生涯を送ろうと、人は犬や猫とそう変わりなく死ぬことになっています。
2005/08/17
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5時前に目覚める。いつも目覚めとともに祈りつつ歩き始める。みことばのテープも聞く。今朝は生駒駅を過ぎて東生駒益を回り約10000歩だ。足は第二の心臓といわれている。ムリするといけないが楽しく歩ければ感謝だ。心も身体もわくわくしながら、主とともに歩むその楽しさよ!と賛美しつつ歩き続ける。 朝の涼しさは秋を感じさせる。ひんやりした風がさわやかだ。一昨日まで山の中にいたが、もう生駒の朝も同じように涼しくなった。太陽が昇るとやはり残暑。自然の移り変わりを身体で感じる日本はすばらしい国。 ケニアには四季がないそうだ。7月、8月が気候的には一番良い季節。正月が一番暑いとのこと。 正月にケニアに行く予定なので、今から暑さを覚悟している。今、学校建設中で来年正月に学校をスタートする予定。 詩篇 指揮者のために。ギテトの調べに合わせて。コラの子たちの賛歌 84:1 万軍の【主】。あなたのお住まいは なんと、慕わしいことでしょう。 84:2 私のたましいは、【主】の大庭を恋い慕って 絶え入るばかりです。 私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。 84:3 雀さえも、住みかを見つけました。 つばめも、ひなを入れる巣、 あなたの祭壇を見つけました。 万軍の【主】。私の王、私の神よ。 84:4 なんと幸いなことでしょう。 あなたの家に住む人たちは。 彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。 セラ 84:5 なんと幸いなことでしょう。 その力が、あなたにあり、 その心の中にシオンへの大路のある人は。 84:6 彼らは涙の谷を過ぎるときも、 そこを泉のわく所とします。 初めの雨もまたそこを祝福でおおいます。 84:7 彼らは、力から力へと進み、 シオンにおいて、神の御前に現れます。 84:8 万軍の神、【主】よ。 私の祈りを聞いてください。 ヤコブの神よ。耳を傾けてください。 セラ 84:9 神よ。われらの盾をご覧ください。 あなたに油そそがれた者の顔に 目を注いでください。 84:10 まことに、あなたの大庭にいる一日は 千日にまさります。 私は悪の天幕に住むよりは むしろ神の宮の門口に立ちたいのです。 84:11 まことに、神なる【主】は太陽です。盾です。 【主】は恵みと栄光を授け、 正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。 84:12 万軍の【主】よ。 なんと幸いなことでしょう。 あなたに信頼するその人は。
2005/08/16
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ケニアでは何でも売っている。市場でも道端でも・・・キャンディ1粒でも買える。 キスムの町はビクトリア湖のほとり。湖に沈む夕日が美しい。今年は例年より曇り日が多く、輝きの落日に出会うことが少なかった。 終戦記念日、小泉首相の不戦の決意を聞き、平和憲法が世界の憲法になるよう祈った。詩篇23:1 【主】は私の羊飼い。 私は、乏しいことがありません。23:2 主は私を緑の牧場に伏させ、 いこいの水のほとりに伴われます。23:3 主は私のたましいを生き返らせ、 御名のために、私を義の道に導かれます。23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、 私はわざわいを恐れません。 あなたが私とともにおられますから。 あなたのむちとあなたの杖、 それが私の慰めです。23:5 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、 私の頭に油をそそいでくださいます。 私の杯は、あふれています。23:6 まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと 恵みとが、私を追って来るでしょう。 私は、いつまでも、【主】の家に住まいましょう。
2005/08/15
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今日は太平洋戦争が終わった日。日本が敗戦を認めた日です。 私はその日、4歳になる18日前でした。戦争の思いではアメリカの戦闘機が飛来し、焼夷弾をじゅうたん爆撃し、空から落ちてくる美しい輝きにそれを拾おうとして飛び出すと、母に防空壕に引きずりこまれた思い出があります。我が家は種子島の田舎の田舎でした。その焼夷弾で死んだ人がいたかどうか分かりません。 しかし、大阪や東京は住宅が密集し、無差別爆撃で爆弾を落とされました。大阪だけでも9000人近くの民間人が戦死しています。東京もそれ以上の死者でした。 戦争を終結するという名目で広島と長崎に原子爆弾が投下され、今でもその被害に苦しむ方々があります。 戦争は害悪です。人間が犯す最大の罪です。イエス・キリストは、「剣を取る者は剣で滅びる」と宣言しました。人類の歴史はそのことを照明しています。古代帝国はその証拠です。アッシリアもエジプトも、バビロン、ぺルシャ、ギリシャ、ローマ帝国も滅び去りました。ナポレオンもヒットラーも、スターリンも同じです。 どのような人間であれ帝国であれ、剣の上に打ち立てられたものは滅びるのです。現代も変わることはありません。アメリカは戦争が好きです。いまだに原爆を日本に投下したことは当然だと思っています。その悔い改めをしていません。イラクに平和を与えるためにと戦争を始めました。戦争は一応終わりましたが、死者の数は増え続けています。 日本は平和憲法を持つ国です。押し付け憲法だとか何やかやと議論があり、憲法改正論が強くなっています。第九条を取り除けたいのがその中心です。 戦争は最大の罪です。二度と同じ道を歩んではなりません。靖国参拝は、私が生きていたら戦争はしなかったという意味での参拝ではありません。靖国は国を安らかにするから、そこに詣でるのは国の平和を祈るから当然だという考えがありますが、ウソです。憲法の下にある国が、その指導者が憲法を守らないで何が平和でしょうか。 平和を造りだす者は幸いです。彼らは神の子と呼ばれますと、イエス様は教えました。平和のために祈るとともに、平和を造るだす者として前進したいものです。十戒 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、【主】であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。 あなたは、あなたの神、【主】の御名を、みだりに唱えてはならない。【主】は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も── それは【主】が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。 あなたの父と母を敬え。あなたの神、【主】が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。 殺してはならない。 姦淫してはならない。 盗んではならない。 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。出エジプト20:3-17
2005/08/15
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12日(金)より今日まで三田市の奥になる千刈の山の中にいた。携帯も圏外で通話できずだ。 有名な日本キリスト教団高砂教会の夏季修養会で6回のメッセージ。今日は礼拝も千刈セミナーで行こなわれた。同時に高砂教会でも礼拝は副牧師によって行われている。 学院教会と大阪エリムは、アドラムキリスト教会の野田詠氏牧師が説教。野田牧師は東大阪市の元暴走族。少年鑑別所や少年院の5回も収監された経験がある。少年院にいたとき母親に聖書の差し入れを求め、聖書を読んでイス・キリストを信じて救われた。 生駒聖書学院で学び牧師となり、暴走族時代に荒らしまわった東大阪市で活動している、学院卒業生と結婚し二人の元気な男の子がいる。聖書を差し入れたお母様もバプテスマを受けてクリスチャンになっている。 野田牧師はマスコミにもしばしば取り上げられ、暴走族や薬中毒になった息子や娘を持つ親にとっては、最後のより所で多くの悩みが持ち込まれている。信じれば救われる!だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。見よ。すべてが新しくなった。2コリント5:17 私は、私を強くしてくださる私たちの主キリスト・イエスに感謝をささげています。なぜなら、キリストは、私をこの務めに任命して、私を忠実な者と認めてくださったからです。 私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです。 私たちの主の、この恵みは、キリスト・イエスにある信仰と愛とともに、ますます満ちあふれるようになりました。 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。 どうか、世々の王、すなわち、滅びることなく、目に見えない唯一の神に、誉れと栄えとが世々限りなくありますように。アーメン。1テモテ1:12-17
2005/08/14
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ケニア・パラダイスの子どもたち
2005/08/14
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ケニアの町で出会ったこどもたち
2005/08/13
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今日午前中から14日の日曜日まで、関西学院・千刈セミナーハウスで行われる、高砂教会聖会メッセージです。今日2回、明日3回、礼拝で1回のメッセージ。お祈りください。ブログではケニアの写真を紹介しています。学校の建設も始まりました。ピリピ人への手紙より4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。4:5 あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。4:7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。4:8 最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。4:10 私のことを心配してくれるあなたがたの心が、このたびついによみがえって来たことを、私は主にあって非常に喜びました。あなたがたは心にかけてはいたのですが、機会がなかったのです。4:11 乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。4:12 私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。4:13 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。
2005/08/12
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早い目覚めだったが歩き始めた。降るかな?と思ったが逆戻りは面倒と少し歩いたら降り出した。しとしとがザーザー降りになり、そのまま濡れながら歩いた。聖霊の雨に注がれているようで気持ちよかった。30分ほど歩くとまたしとしと降り。雨が止んだと思ったら地面が濡れていない。歩いてきた山側を振り返る。雨雲がかかりまだ降っているようだ。 何とこちら側は一粒も雨が落ちていない。そのまま渇いた道を家まで歩き続け、1万歩達成。 明日から日本キリスト教団高砂教会の夏季修養会が、三田市の関西学院千刈セミナーハウスで日曜日まで開催される。講師として分科会を含め6回のメッセージをする。 今日は朝からその準備と仕上げに時間を使う。高砂教会修養会は、今回で出2回目。前回より大きく成長した教会で奉仕するのは楽しみだ。 高砂教会のホームページをご覧ください。 http://takasago-church.com/ 昨日からケニアとメールで交信。学校建築がスタート下との連絡。今日もケニアの子らの笑顔を紹介します。
2005/08/11
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ケニアは赤道直下の国。孤児院から30分ほど車で走ると赤道直下になる。赤道と言ってもなにかしるしがあるわけでもない。小さな看板が山道に立っているだけだ。そこまでレンタカーの運転手を案内してやってきた。 赤道を越えても越えたという実感はない。しかし、事実は赤道を越えたのだ。 聖書のことばを信じてアーメンと言えば救われる!信じますと言っても、特別な感動があるかと言うとそうでもない。自ら決意したことがイエス・キリストの十字架の救いを受けたことになる。罪が赦され神の子となり永遠のいのちが与えられたのでだる。信じるということは考えが変わることだ。聖書のことばをしっかり信じてアーメン。その事実は永遠に変わらない。ただ信じて救われる恵みは、赤道を越えることと同じだ。 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
2005/08/10
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先月、沖縄へ行きました。日中の暑さに那覇のダイナハ7階書店に涼を求めた。本を眺めながら歩いていたら、「天国に行く前に読むと楽しくなる 不思議なフシギな天国ガイド」(定価1,900円+税)が目に飛び込んできた。 天国を見てきたとか、地獄に言ったという類の本は、キリスト教書でも余り興味がなく、ほとんど読まない。 イエス・キリストを信じれば罪が赦され神の子となり永遠のいのちを与えられる。死後は永遠のいのちを持っているから天国に行く。それだけで十分だと信じている。だからああだ、こうだという論議は必要ない。聖書に書かれている天国の約束だけで十分だと確信し、クリスチャン生活を楽しんで知る。 本を手に取り裏を見ると、主婦の友社とある。もう一度題名を見る。英語で「A Travel Guide to Heaven」日本語では長い題名。フシギに心がイヤだと騒がない。 帯に書かれている文章は、 想像してみてください。亡くしてしまった愛しい人、大切な人がいる天国ってどんなところか。 想像してみてむださい。これから行く天国が人気のテーマパークや南の楽園よりも楽しいところかもしれないと。 ニューヨーク・タイムズのベストセラー作家が贈る、究極も「天国ガイド」ブック。天国の存在を信じないあなたも読めばきっと行きたくなる! 訳者からのコメントは、 大切な人を失う悲しみは、人生の中で誰もが経験するものです。そんな時、この本を読めばきっと希望の光が見つかるでしょう。 愛する家族、若くして往った友、かわいがっていたペット・・・いつの日かみんな天国で再開し、ともに幸せに暮らせるのです。 その日がくるまで強く生きる勇気を与えてくれる、夢いっぱいの天国ガイドをお楽しみください! ぜひ一度お読みください。どんなガイドブックよりもおもしろい!と思った。 それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです。」 神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。 神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。 御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。 そのさばきというのは、こうである。光が世に来ているのに、人々は光よりもやみを愛した。その行いが悪かったからである。悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうに来ない。 しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。(ヨハネ3:15-21) わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。ヨハネ10:28
2005/08/10
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穀物市場で会った子どもたちです。人なつっこくて写真が大好きです。この子らのためにも学校が必要です。
2005/08/09
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残暑お見舞い申し上げます。 【主】は絶えず、あなたを導いて、 焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、 あなたの骨を強くする。 あなたは、潤された園のようになり、 水のかれない源のようになる。イザヤ58:11 暑中見舞いから残暑見舞いへと季節が移って行きます。四季折々の恵みを体験できるのはすばらしいことです。地球上には常夏の国や厳寒の続く地域もあります。 地球がエデンの園のように回復され、天国が実現することを期待しながらの日々です。 種子島で神の愛を知りました。イエス・キリスト様が十字架の上で死なれたのは、全人類の罪や呪い、病気や貧乏、死と滅びに向かう人間を救うためだったことも聞きました。 母は死ぬまで愛してくれました。自分の病に勝てずに37歳の死でした。どんなに愛してくれていても死には勝つことができませんでした。最後のことばは、「ごめんね」でした。 父も愛してくれました。その愛は厳しく幼い子どもには理解できない愛でした。 好きだといってくれるガールフレンドもいました。けれども父も母も友達も、いのちを捨ててまで愛してくれる人はいませんでした。 しかし、イエス・キリスト様は、罪の中にいた自分のためにいのちを捨てて十字架上に死んでくださいました。 その大きな愛と赦しを、「アーメン。信じます」とすなおに受け入れてクリスチャンになりました。 その日以来48年、救われた人生を歩む恵みが与えられています。天国に向かって輝きながら生きる恵みに感謝しています。 十字架上に死んだだけではなく、3日目に死を打ち破り復活されたイエス様は、「わたしは決してあなたを離れず、あなたを見捨てない」と約束しています。 「この奥義はあなたの心の中におられるキリスト、栄光の望みである」と、コロサイ人への手紙1章27節) 金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」 そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。 「主は私の助け手です。私は恐れません。 人間が、私に対して何ができましょう。」ヘブル13:5-6
2005/08/09
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暑い日が続いています。アフリカのケニアは7-8月、気候が一番良い時期。四季がないので日本のような優雅さはないけれども、日差しは厳しく真っ黒に日焼けする感じです。 この子(孤児)らの笑顔がいつまでも続き、たくましく成長するようお祈りください。
2005/08/08
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昨日から暦の上では立秋。早朝、日の出前に歩いたが、山道に秋の気配を感じるが、日の出とともに残暑の厳しさを感じる新しい日のスタートです。 毎日1万歩は歩こうと決め、歩き始めて1年10ヶ月。いつでもどこでも、雪の日も炎天下も雨が降ろうが風が吹こうが歩いている。一昨年11月にはさいたまで急にわき腹が痛くなり、深夜に救急車で運ばれ検査を受けた。 原因は石(胆石?結石?不明)かもしれないと医者は語り、多分おしっこで流れたんでしょうと、首を振りながら説明してくれた。原因は分からないけれど、とりあえず2日分の薬を出しておきますとのこと。原因不明なのでその薬は処分してしまった。 夜明け前にホテルに帰り、その日もちゃんと1万歩を実行した。 昨年12月30日は、府県境を流れる天野川の上流で足をすべられ水の中に落ちてしまった。低い堤防だが右腕が動かずなかなか上がれない。冷たい川の中にしばらく座っていた。やっと足場を見つけて這い上がり、ずぶぬれで20分かけて自宅にたどり着いた。 シャワーをしたが右腕が痛く動かない。自分で119番で救急車を呼び、病院を捜してもらった。年末で担当医がいないとのことで、やっと大和郡山に見つかり、1時間半後、右肩脱臼を直してもらったり・・・。 昨年も今年もアフリカでも歩き続けた。ケニアでは早朝強盗に教われたことがあるので、娘が心配して朝早くホテルの外に出ないで、ホテルの中を歩けという。しばらくはそうしたが、夜明けとともにホテルの外へ。ストリート・チルドレンたちに朝食を配りながら歩く。 サバンナのサファリの中は安全地帯。端から端まで何回も往復し1万歩を確保。 7月末は沖縄へ。毎年の訪問だから楽しい散歩道を見つけている。炎天下でもちょっとした距離は歩いて訪問。 1万歩確保するには、90分歩けばいい。距離にして約6キロ。消費カロリー260くらいを万歩計は表示している。そんなに必死にならなくてもと助言をしてくれる者もいる。必死と言うより楽しい!というのが本音だ。 結果はどうか?1,2年歩いたくらいで結果を求めるのは早急だ。ともかく1日の中で1万歩のゆとりくらいはあってもいいと思いながら、毎日必ず歩き続けている。 結果は別としてどんな効果があったかを書いて見ます。・ 歩くのが楽しい!・ 食事が美味しい!・ 体重が減りはしないが平均を維持している!・ 熟睡する!・ 歩いている間、聖書のテープを聞くので楽しい!・ 歩きながら神様と話(お祈り)ができるので嬉しい!・ 出会う方々の、「おはようございます」と挨拶すと必ず答えが返ってく るのも嬉しい!・ 季節季節の移り変わりを、美しい野の花や草木に見るのも喜び!・ 山道を歩くのでうぐいすや目白、山鳥の囀りも楽しい!・ 畑作業をしている方に野菜や花をもらうのも、早起きは三文の徳!・ 朝市で採れたての好きな野菜を100円で買うのも楽しい!・ その他、キリがないほどの喜びや驚きがあります。イザヤ書より 43:1 だが、今、ヤコブよ。 あなたを造り出した方、【主】はこう仰せられる。 イスラエルよ。 あなたを形造った方、【主】はこう仰せられる。 「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。 わたしはあなたの名を呼んだ。 あなたはわたしのもの。 43:2 あなたが水の中を過ぎるときも、 わたしはあなたとともにおり、 川を渡るときも、あなたは押し流されない。 火の中を歩いても、あなたは焼かれず、 炎はあなたに燃えつかない。 43:3 わたしが、あなたの神、【主】、 イスラエルの聖なる者、 あなたの救い主であるからだ。 わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、 クシュとセバをあなたの代わりとする。 43:4 わたしの目には、あなたは高価で尊い。 わたしはあなたを愛している。 だからわたしは人をあなたの代わりにし、 国民をあなたのいのちの代わりにするのだ。 43:5 恐れるな。 わたしがあなたとともにいるからだ。
2005/08/08
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パラダイス孤児院にいる期間は短く、子どもたちとの交流も時間が限られている。学校へ行っている日は会えない。土曜日が一番長い時間ともに過ごせる。日曜日は礼拝のため集会の中での出会いだ。この子らの笑顔がいつまでも輝き続け、一人ひとりが受けるよりも与える方が幸いであることを実行するまで、祈りつつ支え応援したいと思いつつ・・・。
2005/08/07
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暦の上では今日が立秋。とは言え猛暑はまだまだ続きそうだ。昨日、東大阪土曜礼拝に出かけようとしたら、ものすごい土砂降り。生駒山を越えると東大阪は晴れていた。ラジオをつけると甲子園の中継アナウンス。 午後3時20分、説教をしようと聖書を開くと同時に、ものすごいカミナリの音。瞬間近くに落ちたのではと思うほど。窓ガラスもビリビリ震えた。そして大雨になり礼拝の途中まで降り続いていた。 キリスト教会が2000年前に誕生した日、ペンテコステの日も同じようだった。10日間ともに集まり祈っていた120名の弟子たちは、ペンテコステの朝、とつぜん激しい風の音を聞き、同時に部屋の中に炎のような火の舌が現われ、待ち望む一人ひとりの上に留まりました。 彼らはその炎の舌が留まった瞬間、聖霊に満たされて、今まで語ったことのないことば(異言)で話し始めました。 120名がいっせいに声を張り上げたので、その音は2階座敷の部屋から回りに鳴り響いた。 ちょうど祭りの日だったこともあり、多くの群集が集まってきて、「酒によっているのだ」「気がふれた者たちだ」などと大騒ぎになった。 そのときペテロが立ち上がり、「今は朝の9時だ。酒に酔っているのではない」と話し始め、その朝に3000人がバプテスマを受けてクリスチャンになった。 キリスト教会は、ペンテコステの日にスタートした。キリスト教には大きな祝祭日がある。 ・ クリスマス=キリストの誕生を祝う(12月25日) ・ イースター=キリストの死からの復活を祝う(春分の日後の満月のあ との日曜日。今年は3月27日) ・ ペンテコステ=キリスト教会の誕生を祝う(イースターから50日目の 日曜日(今年は5月15日) 3つに共通するのは、誕生日(いのちの始まり)ということです。3月7日に初孫が生まれました。子どもの誕生はものすごく嬉しいものです。その誕生日を祝うことはまた楽しみです。 9月2日が誕生日です。あと1ヶ月のありませんが、やはり楽しみです。 キリスト教はいのちの宗教。律法や戒律にしばられることもなく、信じる自由の中で大きく羽ばたくことができます。最高の道徳と倫理をもっていますが、それを行って救われるのではなく、イエス・キリストの十字架により全ての罪が赦されたことを信じています。聖霊により復活のイエス・キリストが心の中に住んでいてくださいます。イエス様。信じます。私の心にお迎えします。アーメン。と受け入れた瞬間に、全ての罪が赦され神の子とされるのです。 キリストのいのちを持っているので、そのいのちの力で罪から解放されて自由に生きていくことができるのです。実行する力も与えられている、すばらしい恵みです。 恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。 わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。 見よ。あなたに向かっていきりたつ者はみな、恥を見、はずかしめを受け、あなたと争う者たちは、無いもののようになって滅びる。 あなたと言い争いをする者を捜しても、あなたは見つけることはできず、あなたと戦う者たちは、全くなくなってしまう。 あなたの神、【主】であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、「恐れるな。わたしがあなたを助ける」と言っているのだから。イザヤ41:10-13
2005/08/07
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ケニア・パラダイスをできるだけ知ってもらいたい願いで、子どもらの写真を紹介しています。ケニアでは子どもたちが1ヶ月30ドル(3,300円)で生活しています。食べて学校へ行って、生活の全てで30ドルです。一日1ドルの生活。決して豊かでなく贅沢でもありません。もう9年間継続して日本側の送金で養育しています。自立を願いながら、現地のスタッフにいつもチャレンジしています。お祈りください。 ですから、今、それをし遂げなさい。喜んでしようと思ったのですから、持っている物で、それをし遂げることができるはずです。 もし熱意があるならば、持たない物によってではなく、持っている程度に応じて、それは受納されるのです。 私はこのことによって、他の人々には楽をさせ、あなたがたには苦労をさせようとしているのではなく、平等を図っているのです。 今あなたがたの余裕が彼らの欠乏を補うなら、彼らの余裕もまた、あなたがたの欠乏を補うことになるのです。こうして、平等になるのです。 「多く集めた者も余るところがなく、少し集めた者も足りないところがなかった」と書いてあるとおりです。ニコリント8:11-15
2005/08/06
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昨日、大阪府豊中市は38.8度。全国一の暑さを記録したと報じられていました。奈良も結構暑く、真夏日だから当然といえば当然ですが、涼しく過ごす秘訣は,暑い!熱い!ということばを連発しないことと心得ています。 気候だけでなく、すべてのことについてマイナスことば(そのように言っても何の効果もないことば)を口に出さないと、物事はすんなり行くことが多いからフシギですね。 たとえば、お金がないときに、お金がない!と言ってもお金はきません。かえって心の中まで貧乏になり、お金がないと言えば言うほど惨めになります。そんなときには、「アドナイイルエ!」(主の山には備えがある・創世記24:14)といいます。「主は、私の羊飼い。私の必要は満たされる」(詩篇23:1)と告白し、「また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、私のの必要をすべて満たしてくださいます」(ピリピ4:19)と、聖書のことばを宣言します。 なぜそうするかと言うと、イエス・キリストの十字架の贖いを信じているからです。十字架は全人類の 罪を病、呪いと死から救い出し、神の子とし、永遠のいのちを与え、天国に行く保証をくださいました。 さらに十字架は、豊かな富をも与えているのです。 あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。ニコリント8:9 十字架の救いを信じるとき、全ての貧しさをキリストが背負ってくださったことに気がつきます。そのことを本気で信じるとき、神の豊かさが天からの流れとなって心に注ぎ込みます。 あなたがたは、すべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちから出てあなたがたの間にある愛にも富んでいるように、この恵みのわざにも富むようになってください。ニコリント8:7 心豊かに生きるとき、考えることも、口にすることばも、行動も自然と豊かになります。少々に暑さも寒さも、乏しさも問題も気にならなくなり、心からすべてのことに感謝して生活できるようになります。 その結果、神の約束のように、「その人は何をしても栄える(繁栄する・成功する・勝利する)」人生を、神の栄光に輝きながら天国に向かって、喜び感謝し平安な人生を生きることができるのです。 暦の上では明日が立秋、涼しい秋に向かいます。暑さはきつく続きます。心の中にさわやかな神の愛と慰めがあふれ、気持ちよく清書のことばを告白しつつ前進して行きたい物です。 今日は日が東大阪市長田で土曜礼拝です。明日は富雄キリスト教会、大阪エリム、堺エリムと礼拝が続きます。楽しく喜びの礼拝のとき、お近くのキリスト教会へ明日の日曜日はぜひお出かけください。 今やいつくしみの時です。定めの時が来たからです。 こうして、国々は【主】の御名を恐れ、地のすべての王はあなたの栄光を恐れましょう。 なぜなら、【主】はシオン(キリスト教会)を建て、その栄光のうちに現れ、窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかったからです。詩篇102:13-17
2005/08/06
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子どもたちにミルクを与えるために乳牛を飼うことにした。牛一頭が500ドル。5万円と少しだ。
2005/08/05
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ケニアはスワヒリ語の国。ジャンボ!が挨拶のことば。 おはようございます。美しいことばだ。朝、散歩に出ると会う方たちに、おはようございます!と声をかける。100パーセント近く、おはようございますの挨拶が返ってくる。 畑作業をしている夫婦にも道端から挨拶をする。今朝、散歩が終わりシャワーもすませ、聖書を開きつつ窓から見ると、学院に見慣れない車が停まっている。 下へ降りて行くと、今朝早く畑で作業をしていたご夫妻だ。手にはきゅうりやオクラ、ねぎやニラ、ピーマンやしその葉などをいっぱい下げている。 歩くと20分くらいのところにある四条畷市の畑からだ。持って帰ってもらおうかと思ったのですが、重たい思いをさせたくなかったので持ってきてくれたとのこと。感謝します。ありがとうございますとお話することができた。 ご主人はこれから新大阪まで出勤とのこと。夏の朝は早いので早起きして畑の手入れをしている。来年は退職するので畑をもう少し広く借りて野菜作りに力を入れるんだと、嬉しそうに話してくれた。 このご夫妻との出会いは2年前に山の畑で挨拶したとき、どこから歩いているのかと問われ、生駒聖書学院からですと答えた。するとビックリして一度行ったことがあるという。 沖縄から来た神学生がバスの中で話しかけて、彼が降りたとき財布を忘れたそうだ。その財布をわざわざ学院まで届けに来てくれた。そのときの話を聞いていたので、あのときの方ですかと急速に親しくなった。 ここしばらくその道を通らなかったのでご無沙汰になっていたが、今朝,出勤前にもかかわらずわざわざ野菜を届けてくださったことに心から感謝している。 ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。 悪魔に機会を与えないようにしなさい。 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。 お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。エペソ4:25-31
2005/08/05
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ケニアはサファリの国。ナクル湖は世界一のフラミンゴが集まる湖。多いときは200万羽も集結する。フラミンゴだけでなくペリカンやその他の水鳥もたくさんいる。同時にここではサイを見ることができる。 ナイロビから155キロ。クルマで3時間半ほどだ。 狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。 雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。 乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。 わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。 【主】を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。イザヤ11:6-9 アフリカのサファリを訪れるたびに、聖書のことばの実現を期待し祈る。アーメン。
2005/08/04
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水曜日は富雄キリスト教会で水曜礼拝をしている。昨日は、小学2年生の孫と東京から来たいとこの3年生も参加した。大人が少なかったので、もっとなにかが・・・」という絵本を読むことにした。絵と文:トリーナ・パウルス 訳:片山厚・宮沢邦子。1983年、篠崎書林刊(絶版・重版未定) これは 生きていることと 新しい世界と さらに多くの希望について おとなにも だれにでも(字が分かる毛虫たちにも) 読んでもらう物語です 表紙のとびらにあることばです。 一匹の毛虫、しまくんは今の生き方に満足できない。なにかがあるに違いないと求め始める。自分と同じような毛虫たちが急いでいる。どこへ行くのか誰も教えてくれない。遅れないように着いていくと、天にも届くような大きな柱が立っている。その柱に虫たちがよじ上る柱に、しまくんも上りはじめる。 上に何があるの?と聞いても、教えてくれないし、誰も知らない。なにかがあるに違いない。押し合いへし合い上るうちに、しまくんはキーちゃんと言う毛虫に出会う。 上るのをやめて二人は仲良く暮らし始める。とっても優しく愛らしいキーちゃんといるとほっとする。 けれども、しまくんはその生活にも満足できなくなり、やはりあの柱の上に上りたいと切望し、キーちゃんの制止を振り切って上り始める・・・。押し合い、へし合い、踏みつけられ踏みつけ、上へ上へと何かを求めて・・・。 その頃、残されたキーちゃんはまゆを作り古い自分に死んで、新しいいのち、蝶に生まれ変わる! 頂上を目ざすしまくん、誰に聞いても上に何があるか教えてくれない。そんなことを考える暇があったら、上を目ざして上れ、上れ。やがてすべての障害を乗り越え柱のてっぺんに登りきった???。ところが何もない・・・。頂上も毛虫だらけ・・・しかも同じような毛虫の柱が、見渡し限り無数うに立っている。 そこへ蝶に変身したキーちゃんが飛んできて、やさしくしまくんにささやきかける・・・そして、しまくんも蝶に変身し、キーちゃんと幸せの飛行を・・・。 20数年も前に感動をこめて呼んだ絵本。もう一度朗読しながら感動した。 しまくんは、「ちょうになうんだ!」と気づいたときから、考えが変わってしまった。押し合いへし合いの毛虫に憎しみと敵意しかなかったのに。 「どの毛虫の体にも、ちょうが隠れているんだ。そう思うとすっかり嬉しくなって、仲間たちの姿に見とれてしまうのだった」 「シマ君は、仲間たちが皆様々に、美しいのの驚いた。どうして、今まで気づかなかったんだろう」 人は新しく生まれ変わることができるという聖書のメッセージを、キリスト教の絵本ではないけれども如実に教えてくれる。子どもたちどう伝わったか分からないが、新しい幸せな人生は、欲望や肉欲を満足させるだけにはないことは、誰でも知っている。働いて食べて寝て遊んですき放題をして幸せだと思っても、本当の満足はない。もっと何かが・・・と心はうめいている。 イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」ヨハネ4:13-14 ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。 さあ、金を払わないで、穀物を買い、代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。 なぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。 わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。 耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。 わたしはあなたがたととこしえの契約、ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。イザヤ55:1-3 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。第二コリント5:17
2005/08/04
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パラダイスで孤児たちの世話をしている方や牧師たちの家族。可愛い子を写真に写しました。全世界どこでも母子の愛は変わりませんね。神の大きな愛に包まれて、母のない子も幸せに成長する恵みに感謝します。9歳のときに母は37歳で死にましたが、母が産み育ててくれたので、今の自分があります。 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。 いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。 神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。 私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたのを見て、今そのあかしをしています。 だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。 私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。 このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちが、さばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。 私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。 神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。 神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。第一ヨハネ4:7-21
2005/08/03
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沖縄では時間的なゆとりがあれば、しっかり歩くことにしている。朝の目覚めはいつも早い。ホテルから出て足の向くままに歩き続ける。国際通りまで30分、市場はまだだれもいない。通り抜けると朝の早い野菜市場。お腹がすいたので市場関係の方が食べている朝の早い食堂へ。 子どものとき種子島の田舎で育ったので、野菜ばかり食べていたのがなつかしく、へちまチャンプルを食べてみた。おいしかった。 午前中のオリーブ山病院訪問だったので、ホテルから歩こうと思った。もう日差しがかなりきつい。国際どおりまで30分歩いただけでも汗がにじむ。病院は首里石嶺。約束の時間まで着きそうにもないと思ったので、歩いたらどれくらいで着きますかと訪ねたら、その男性はビックリしてバスに乗りなさいと親切に教えてくれた。 生駒聖書学院の卒業生が、オリーブ山病院のチャプレンとして働いている。 病院の基本理念 「私たちはキリスト教精神にもとづき、病める者の肉体的、精神的、社会的、さらに霊的ないやしを含めた全人医療の実践を通して、主の栄光のために奉仕する。(わたしの兄弟である、これらの小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。マタイ25:40)」とある。 基本方針一、私たちは、病気や障害を抱えている人々とともに歩みます。ニ、私たちは、キリストの愛にならい、聖書に基づいた全人医療を目指します。三、私たちは、安全で安心できる、医療の提供を行います。四、私たちは、より良きチーム・ケアを目指します。五、私たちは、他の医療機関や在宅施設等と連携し、地域医療に貢献します。患者さんの権利に関する宣言1.あなたは、どんな場合でも、ひとりの人間として大切に扱われる権利があります。2.あなたは、個人的な背景(宗教や国籍など)の違いなどのかかわらず、適切な医療を受ける権利があ ります。3.あなたは、病気や治療について納得のいくまで説明を受ける権利があります。4.あなたは、治療方針を決めるときに自分の意見を述べることができ、その治療方針を選ぶ権利があり ます。5.あなたは、あなたの責任で、治療を断る権利があり、医療機関を選ぶ権利があります。 *ただし、精神健康福祉法が適応される場合は除きます。6.あなたの、身体や病気についての個人情報は保護されます。 卒業生がこのような病院のチャプレンとして働くことに誇りと喜びを感じています。土曜と日曜日は教会で伝道師として奉仕し、イエス・キリスト救いを多くの方々に伝えています。詩篇16篇16:1 神よ。私をお守りください。 私は、あなたに身を避けます。16:2 私は、【主】に申し上げました。 「あなたこそ、私の主。 私の幸いは、あなたのほかにはありません。」16:3 地にある聖徒たちには威厳があり、 私の喜びはすべて、彼らの中にあります。16:4 ほかの神へ走った者の痛みは 増し加わりましょう。 私は、彼らの注ぐ血の酒を注がず、 その名を口に唱えません。16:5 【主】は、私へのゆずりの地所、また私への杯です。 あなたは、私の受ける分を、 堅く保っていてくださいます。16:6 測り綱は、私の好む所に落ちた。 まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。16:7 私は助言を下さった【主】をほめたたえる。 まことに、夜になると、私の心が私に教える。16:8 私はいつも、私の前に【主】を置いた。 【主】が私の右におられるので、 私はゆるぐことがない。16:9 それゆえ、私の心は喜び、 私のたましいは楽しんでいる。 私の身もまた安らかに住まおう。16:10 まことに、あなたは、私のたましいを よみに捨ておかず、 あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。16:11 あなたは私に、いのちの道を 知らせてくださいます。 あなたの御前には喜びが満ち、 あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。
2005/08/02
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写真はアフリカ・ケニアのパラダイス孤児院子ども 初めて沖縄を訪ねたのは1988年。その年、輝き・可能性への変身という本を書いた。その原稿を読んだ大阪の商社社長が、「マンオブプロミス」というテーププログラムと題して作成してくれた。そのテープを聞いた沖縄の化粧品会社が、沖縄の女性にもっと美しく輝いてもらうためには心の美しさも必要だと、販売してくれることなった。 そのときから沖縄につながりができ、やがて大勢の方々がクリスチャンになり、年間多いときは8回も訪沖するようになった。99年に脳内出血になってから訪問の回数は減ったが、毎年沖縄を訪ね続けている。 今回は、うるま市(具志川市・石川市・勝連町などの合併で新市となる)の宮里サレム教会(中部病院隣)、オリーブ山病院(那覇市首里石嶺)、つきしろゴスペル教会(佐敷町)、FM201(宜野湾市)の「いやしの小部屋」でラジオ放送「6日(土)朝9時ー9時50分」の録音。さらに納骨式も予定されていたが完成が遅れて延期になった。 飛行機を降りたとたん、暑い!と思ったが、暑いより熱い!という感じだった。特に火曜日は奈良も大阪も台風の栄光で雨だったので、そう感じたのかもしれないが・・・。 いつでもどこでも、アフリカだろうがサバンナでも毎日1万歩は歩くことにしている。沖縄は時間的にゆとりがあるので、朝早くホテルの近くの公園や海岸を歩き回った。汗ばむけれども朝の風は気持ちよい。 日中はさすがに暑いができるだけタクシー(初乗り450円)を使わずに、2万歩以上も歩いてしまった。 集会はいずれも数十人だが、心を開いて聞いてくれるので気持ちよく話すことができ感謝だった。 わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。──【主】の御告げ──それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。エレミヤ29:118(新改訳) わたしは、おまえたちのために立てた計画をよく知っている。 それは災いではなく祝福を与える計画で、ばら色の将来と希望を約束する。 その時になったら、おまえたちが祈る時、わたしは聞き耳を立てる。 おまえたちが真剣にわたしを探し求めるなら、見つけることができる。(リビングバイブル)
2005/08/01
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