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聖書の一言=ヨシュア記1;5あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共にいよう。わたしはあなたを見離さず、あなたを見捨てない。新年の朝、聖書のことばと共に目覚め、告白しています。新しい年、全能で真の愛の神が共におられるので、無敵の天国の日々を、365日ありがとうございます。平安と喜び、感謝で生きる幸い!不平や不満、文句や恨みつらみ、泣き言や悩み事を吐き散らすー人生よ、サヨウナラ。吐くからーを取ってしまうと、叶うと言う字になり、口に+=プラスは、+=十字架で、いつも口のことばをーではなく、口に+のことばを語るとき、人生は変わります。聖書のことばを口に+で、ありがとうございます。365日が日々に天国の一日です。感謝します。新しい年、ご健康とご活躍の上に豊かな祝福をお祈りいたします。今年もよろしくお願いします。
2013/12/31
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今朝も、今日もまた天国の一日です!と元気に目覚めました。365日、日々天国の毎日でした。昨年7月22日(日)脳内出血と交通事故。車は修理もできないほど破壊されましたが、かすり傷なく九死に一生!救急車で馬場記念病院に搬入されましたが、血管の破れもなく完治宣言で8月26日に無事退院で9月2日歳誕生日。3日には、新入生を迎えて元気での71歳。減塩食事厳命で神学生とバイキングレストランにも行かず、家で家内と食べる。学期中も教授食事接待もなく、外食もなく自宅で減塩65パーセントポン酢で家内が作る食事だけ。事故のことを小冊子に書き、写真があればリアルと思い、堺市の現場と病院まで電車と徒歩で行く。タクシーも使ったが16000歩にも。今度は朝体が動かず、再び馬場記念病院へ。小脳内梗塞と診断され入院で、幸い手術はなしでした。退院後も学院講義は続け、日曜日午前の礼拝、午後は送迎車で大阪エリムキリスト教会礼拝説教。さすがに堺エリムまでは行けず、また月曜から学院チャペルや講義をつづけました。昨年11月23日には、白方誠彌先生(元淀川キリスト病院院長・脳内外科専門医)を迎えて、満席の天国聖会。お交わりの中で厳しく脳内出血や脳梗塞への注意を受けました。24日が種子島で洗礼を受けて56年目の記念日。「みたび、輝く命に生かされてと小冊子発行。(5千部発行したが再版で、天国から追い返された牧師改題でまた5千部発行)読んでいただければ贈呈できます。メール;elimyoshi@kcn.jp へどうぞ)昨年は学期終了と同時に、院内改装工事(予算2000万円=お祈りとご支援できれいに完成)、卒業式はきれいになったチャペルで行い、今年開拓教会スタート。タイで宣教活動している卒業生もあります。神様の恵みに生かされたすべてが働いて益となる一年でした。多くの尊いお祈りありがとうございます。今年もまた天国の日々でした。新しい年も毎日が天国の日々です!感謝します。これは昨年書いたものが返送され、そのまま転載したものです。明日は午前11時より、生駒聖書学院チャペルで、元旦祝福礼拝です。お出かけください。
2013/12/31
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聖書の一言=申命記34:7 モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。人の命は120年と神様は宣言し、現代医学もまた寿命は120年は大丈夫。年齢100歳を超えても活躍されている方が多い時代です。人が生きるのはパンだけではない。神の口から出る一つ一つのことばによる。全能で愛の神のみこころで、地上の使命を終えるとき、神がここに来なさいと召してくださいます。余命一年を宣告された家内は4年目の正月、脳内出血、小脳内梗塞と死の影の谷を歩み2年目の正月を迎え、元旦礼拝説教をする恵みを明日に控えています。生かされている神の恵みに奇跡を思い、ありがとうございます。今年も毎日が天国の一日でした!感謝します。お祈りありがとうございます。豊かな実り2014年の祝福をお祈りいたします。昨夕は、愛知県から卒業生の牧師が、新年度献身入学者の願書と4名の希望者といしょに、面接に来てくれました。生駒聖書学院は、今までも中国や韓国(の場合はビザを取得している場合)人を多く受け入れ、すばらしい牧師として活躍しています。タイ人もいまタイで大きく活躍しています。またアメリカから、ルーマニアから生駒聖書学院に入学し、活躍している日本人牧師もいます。今回は、二人はブラジル人でオブリガータと挨拶。と言っても一人は20年、家族とともに滞在し、日本教師もしています。もう一人も長年家族と共に来日し、今は一人で仕事をしているとのこと。日本語だけの授業でも十分です。神学生たちがポルトガル語にも興味を持ち、ブラジルやポルトガル宣教へのビジョンを持つ者が起こされればなどと思っています。一年最後の日です。今年も毎日ブログを書けました。遠方へ出かけるときは、原稿を書いてそれを転載してもらいました。早く化石人間を卒業し、PC持参で旅行できればと思いながら、フェイスブックもノートPCも使いこなせず、何とかと思いながらです。一昨日は、フェイスブックに、日曜日10000万歩と書き、指摘され今朝気づき、大笑いしながら訂正しました。毎日一万歩を30年以上歩いたことになると指摘されました。種子島では一日往復40キロは歩いたこともあります。小学6年生の修学旅行は、2泊3日の種子島徒歩旅行でした。中学時代は往復18キロを毎日休まず通学したこともあります。今月から、毎日7000歩のチャレンジし、12月5日から継続しています。日曜日に電車で大阪の教会往復で1万歩だったので、0をたくさん書いて万を書いたので、一生かけても歩けない歩数になりました。ほんとうにありがとうございます。2014年、さらに豊かな癒しと健康の中で、福音に仕えたいと願いつつ、元旦礼拝=生駒聖書学院チャペルで午前11時=に備えています。イザヤ書43:18 先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。 43:19 見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。 43:20 野の獣、ジャッカルや、だちょうも、わたしをあがめる。わたしが荒野に水をわき出させ、荒地に川を流し、わたしの民、わたしの選んだ者に飲ませるからだ。 43:21 わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を宣べ伝えよう。
2013/12/31
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ほんものの愛(アガペの愛)を出す方法アガペ、アガペと言っても、アガペの愛が出て来ない。断食し徹夜で祈り、黙想に黙想を重ねても愛情も愛念も出て来ない。思いと願いはあっても行動が伴わず、ついつい愛がまだ足りないと自分を責めたり、人をとがめたりします。秘訣はアガペを言うことです。ああ、この人が救われ、よくなって欲しい。健康になってほしい。幸せになってほしい、この方にアガペの愛が届くように。このような思い考えが、聖霊により、胸の奥、イヤ腹の底から想いが湧きあがり、告白のことばが出て、口にに出てくるのです。なぜそう告白できるか、そのようなアガペの愛が胸の奥に、腹の奥底にあるからです。聖霊は愛です。イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。(マタイ14:14)and He was moved with compassion for them, and healed their sick. Compassion=あわれみ, 思いやり, 同情。 [ラテン語「一緒に苦しむ」の意 (COM‐+patī 「苦しむ,耐える」)]いくら愛。アガペの愛を下さいと願い、祈って出て来るものではない。告白すると行動になって出てきます。スッと出るか、ボツボツかは分からないが、絶対出てくるのが聖霊に満たされているあなたから出る愛なのです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:5)御霊の実は愛だからです。あなたの心が愛に満たされているなら、アガペの愛を信じ告白し実行できるのです。相手を思いやることばが告白なのです。それが胸の奥=腹の奥底から絶えず出ている状態になって、初めてアガペの愛の実践です。「あんな奴、早く地獄へでも行ってしまえ!」と思ったり、告白したらアガペの愛とはとても言えません。そんな思いが胸の中や腹の奥底にあったら怖いですね。聖書を読むとイエス様のアガペのことばがいっぱいあります。いつも聖書に親しみそのことばを自分の告白としたいものです。 腹の底で思うことと、口で言うことばが一致し、行動する時奇跡が起こるのです。 悪い例です。 腹の底=「馬鹿やろう!お前なんか知るもんか。前から別れようと思ってたんだ。もうじき別れるからな」口では=「あらあなた、お帰りなさい。今日もお仕事お疲れさまでした」表面はニコニコ、内面は鬼です。 胸に愛のことば=「この人のおかげで、私も幸せになれた。この人と結婚してほんとによかった。ありがとう。感謝しています。愛しています」口に=「ダメ!ダメ!バカ親父」を連発する方、口癖よ、悪気はないのよ。ではどうにもなりません。 告白は両方です。腹の奥底も、口のことばも同じ句、アガペーの愛が常に流れることです。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。(マルコ11:23)愛は実行です。良いことの実行です。愛は善行です。御霊の実は、寛容、親切、善意です。[こうすれば、こう受けるだろうからやってみよう」偽善です。「こんなことをしてなにになるかしら。まあ、しなけりゃならないことだし、いいことだからやりましょう」と頭で考えてやるのも霊的には偽善です。だから、何か行動するとは、腹の底でどんな告白をいっているのかを、自分でチェックするのもいいですね。ありがとうございます。今年もまた毎日アガぺの愛の天国の日々でした。感謝します。
2013/12/30
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2012年を愛で閉じ、新しい年を愛で開こうと祈りつつの年末。昨年の今日、書いたものです。 愛とは何か頭では分かっているつもりでも、毎日の生活の中でどう考え,どう実行していくのかを、考えてみましょう。 聖書の教える愛はアガペの愛です。でもアガペの愛を哲学的、概念的に考えるとまた分からなくなります。 イエス様の時代には、「モーセの十戒」がユダヤ人の生活を支配していました。 十戒の中心は愛です。そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。(マタイ22:36-39) 律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。と、イエス・キリストは宣言されました。 十戒は神から直接与えられたものでしたが、ユダヤ人たちは様々な戒律を定め、イエス様の時代には630を越える戒律が定められていました。600以上もありました。 その戒律に従ってラビが裁きをする。あなたのしたことは、第何条に反するから違反。あなたの妹は第何条違反、と責めるのがラビの仕事でした。だからラビの仕事は、検察官か裁判官のようでした。 イエス様は、神様は律法を与えたたけれども、律法ではない。神様は人を裁くのが趣味で律法を定めたのではなく、人々の幸せを願って律法を定めた、神様の人々への愛によって、十戒を与えたのです。それを守れば生きるという教えです。 当時のユダヤ教は、「律法、律法、律法、規則、規則、規則」(イザヤ28:13)でがんじがらめになっていました。 イエス様は、律法は裁き罪を定めるためではなく、人を愛する神様が人の幸せのために与えた。と教えるとともに実行されました。 その愛を実践が隣人を愛することです。神様の愛は大きくて深く、人間の目で見たらわからない。でも神の形に象って造られた人間にも、その神なる部分があり、それが愛です。 ストルゲの愛=親の子への愛、家族愛です。フィレオの愛=友愛、友情です。またエロス=男女間の愛、夫婦愛です。それを愛情とも愛念と言っても過言ではない。特にエロスの愛は誤解され、エログロナンセンスに堕落しています。 東関東大震災、津波、原発事故へのボランティア活動は、その同胞愛、世界中からは人類愛が現わされました。あれはアガペではないと批判する人たちは、律法を持って裁く人たちです。足りない、足りないではどうにもなりません。実行するのが愛です。 そこで、イエスは彼に言われた。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』これがたいせつな第一の戒めです。 『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。(マタイ22:36-39) だから愛は実行されることによって有効になるのです。見えない神をアガペの愛で愛していますといくら言っても、見えている隣人、いちばん身近にいる夫や妻、子どもや、親や兄弟姉妹を愛するのが、実際的な愛です。お正月はその愛を実践できる最高の時かもしれません。 里帰りを愛する日本は幸いな国です。我が家も子どもや孫たちが正月2日にやってきます。 5歳の孫と1歳9か月の孫は、ご飯党なので家内はご飯を炊いて、両家とも降りかけ持参でやって来ます。家内も私もおせち料理も食べませんので、子どもたちはそれぞれ食べ物持参での正月です。それでもアガペとストルゲの理屈は別として、神の愛あふれる日々を感謝して過ごしています。 ありがとうございます。今日もまたアガペの愛の天国の一日です!愛で過ごす年末、愛で迎える新年に大きな期待を!感謝します。
2013/12/29
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聖書の一言=申命記33:12 「主に愛されている者。彼は安らかに、主のそばに住まい、主はいつまでも彼をかばう。彼が主の肩の間に住むかのように」世界で最高のものは愛です。可愛いこどもが、親に愛され平安に、その母の胸に憩い、泣いても笑っても怒っても拗ねても、親は正直?であり、!で頬ずりします。叱責の鞭を加えてもそのムチを愛の手に握り、傷つけたり痛めることはありません。そんな愛はおかしい自己愛に過ぎない。そんな愛に騙されるな。真の愛の神は、その愛を惜しみなく注ぎ、ひとり子なるイエス・キリストを十字架に身代わりとしてまで、地獄へ行かないように愛してくださいました。その豊かな愛に愛され、今年最後の日曜日です。午前中は奈良市富雄キリスト教会で礼拝。午後は大阪市新世界通天閣近くのエリムキリスト教会礼拝です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2013/12/29
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送迎者があるので病院を見舞いました。帰宅するとガレージに野菜の山。ものすごく大きな農家を訪問した牧師が、帰り道に立ち寄りいただいたと、大根、水菜、サトイモ、熟柿等を降ろして行ったと家内も途方に暮れた顔で側に立っていました。 健康のために野菜は必要ですが、早速仕分けして、周りに少しづつ持って行き、「今日は水炊きたけど、水菜買うのを忘れたのに嬉しい!」と、喜んでくれた家もあったり。やっと終わると娘が孫を連れて来たので、いっしょに遊ぶ(と言ってもまだ幼い)しばらく大騒ぎしてバイバイ。学院内や少し外も7000歩ほど歩き、出会う方に元気そうですね。すっかり治ってよかったですねと声をかけられたり。イエス様に癒しをいただきすっかり大丈夫です。大事をとって体調を整えているんです。と親切なお見舞いの言葉に感謝する、早い夕暮れでした。 ありがとうございます。今日もまた最高に気持ちの良い天国の一日でした!感謝します。 安眠で熟睡、明日の礼拝は富雄キリスト教会。午後からは電車で大阪エリムへ。コリント人への第二の手紙4:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 4:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 4:10 いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。 4:11 私たち生きている者は、イエスのために絶えず死に渡されていますが、それは、イエスのいのちが私たちの死ぬべき肉体において明らかに示されるためなのです。 4:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。 4:13 「私は信じた。それゆえに語った。」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っている私たちも、信じているゆえに語るのです。 4:14 それは、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをもイエスとともによみがえらせ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを知っているからです。 4:15 すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです。 4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
2013/12/28
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70代なら7000歩位は歩けとチャレンジされ、12月5日から毎日の日課に。12月8日は、愛知県知多半島半田市で一泊した朝、礼拝の迎えが来るまで、ホテルの周りを歩いたが、道に迷いワンメーターはタクシーで間に合った。12月15日は、熊本県益城町のホテル周辺を、野菜畑ばかりだったが7000歩。7000歩になるには一時間少し必要。普段は生駒聖書学院内のキャンパスを、書斎から院長室までは200歩だが、院内をロ回りして往復2000歩になるよう歩きます。明日の礼拝に備えて準備していたが、きょうはコンビニやパン屋にも用があり一時間ほど散策。家に帰ったら7500歩に。山道までは行かなかっただ。山茶花や真っ赤な花が冬空に鮮やか。黄色くなった橙や自然の美も楽しみつつの午後。足もよろけずつまずかず元気な、礼拝前の土曜です。ありがとうございます。今日もまた元気な天国の一日でした!感謝します。詩篇121:1 私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。 121:2 私の助けは、天地を造られた主から来る。 121:3 主はあなたの足をよろけさせず、あなたを守る方は、まどろむこともない。 121:4 見よ。イスラエルを守る方は、まどろむこともなく、眠ることもない。 121:5 主は、あなたを守る方。主は、あなたの右の手をおおう陰。 121:6 昼も、日が、あなたを打つことがなく、夜も、月が、あなたを打つことはない。 121:7 主は、すべてのわざわいから、あなたを守り、あなたのいのちを守られる。 121:8 主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。明日は午前中、奈良市の富雄キリスト教会へ。午後はその足で大阪新世界での礼拝。
2013/12/28
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聖書の一言=申命記33:1-3 これは神の人モーセが、その死を前にして、イスラエル人を祝福した祝福のことばである。彼は言った。「主はシナイから来られ、セイルから彼らを照らし、パランの山から光を放ち、メリバテ・カデシュから近づかれた。その右の手からは、彼らにいなずまがきらめいていた。まことに国々の民を愛する方、あなたの御手のうちに、すべての聖徒たちがいる。彼らはあなたの足もとに集められ、あなたの御告げを受ける。必ず終末がやってきます。ひとつは個人の。そしても一つは世界の終末。今年も愛する多くの方々が召され、喪中お見舞いが多く届きました。イエス・キリストをアーメンと信じて、永遠の命を受け安らかに天国へ凱旋して行かれました。死を前にして祝福のことばだけを残したいものです。おぎゃあと泣いて,まわりの笑顔に包まれてk生まれ、死を迎えるときもまわりに笑顔に包まれ、おやすみなさい。天国の輝きでまた会いましょうと、幸せなアーメンで召されたいものです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2013/12/28
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健全な精神は健全な肉体に宿る」と言う有名なことばがあります。しかし本当の言葉は、健全な精神は健全な肉体に宿る(が宿るように祈らねばならない)と言う意味です。若者が体を鍛えるだけで勉強しないことを嘆き、『健全な肉体には健全な精神も!』(肉体だけ鍛えてもダメ!)という意味です。聖書は精神と肉体だけでなく、「あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように」と述べています。人間は健全な霊と、健全な魂=精神、そして健全な身体=肉体とが調和した時がいいのです。その中での最優先は霊的であることです。真の神が三位一体であるように、人間も霊・魂=精神・肉体が調和している時、幸せで平安なのです。霊は真の神を体験できるます。魂=精神は、知性・感情・意志であり、自分を意識するものです。体は五感=視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触角があり、世界=他を意識します。精神と体で生きているのが普通です。霊は最初の人間が堕罪した瞬間に死にました。だから外観がどんなに美しいタレントたちが半裸で踊っていても。ほんとうは死人(骸骨)・ゾンビが腰振りダンスをしているのです。そう思うとイエス様のおことばのとおりです。「しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです」夜の巷をさ迷い歩く、霊的死人がゾンビのように多くなる、年末の繁華街です。イエス・キリストのことばに、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです」とあります。十字架の上に死に、墓に葬られ3日目に復活された、イエス・キリストをアーメンと信じる者は、霊的いのちがああてられるのです。内にある霊が信じるときに再生されると言ってもいいでしょう。それは永遠のいのちです。神のいのちが与えられますだから肉体が死んだら神の国=天国に行けるのです。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです」(ヨハネ5:24)主イエス・キリストを信じると、新しい人生がはじまります。そのことを新生と言います。輪廻ではなく、この世で新しく生まれ変わり、神の子となり、天国に生きる者とあるのです。 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(コリント第二5:17)その新しさは霊的新生、新しさです。肉体の変化ではありません。身体はもとのままです。けれども内面に霊が与えられたので、平安でニコニコ顔になったり、イライラが消えたりするので姿型も美しくなる(特に女性は)人が多いです。精神=心の考えがだんだん聖書的になるので、高貴なことを考え口にするので穏やかで高尚な人に変わります。たとえそのような外見的変化が無くても、神に霊が与えられたので神の子である事実に変化はありません。だからもう人と比較して落ち込んだり、高慢になって人を身下げたりもしなくなり、謙遜がその人を満たします。御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制の実を結びます。そのような霊的新生の経験を年末になさり、新年がカレンダーが変わるだけでなく、人生そのものが新しくなりますよう祝福を祈ります。
2013/12/27
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笛吹き男のパレードという絵本があります。いま日本が少しおかしいと思っているのは、おかしいだろうか。何かしら笛吹く男のパレードのような思いがする。「そのパレードは何処からやって来たのだろうか…」いつか来た愚かな道へ、国民を導いて迷わせて、右向け右への号令で、国のために国のためにと、国民を忘れて叫んでいるように思います。そのパレードは何処までも続いてゆく…、どこべ行くのか滅びの道へ。ついて来る者は拒まないが、去る者や反対する者は決して許さない。まるで金の亡者の葬列みたいだ。先頭で仮面の男が笛を吹く。本音を見せず言わず、滅亡の道を嬉しそうに進んでいく。 → 景気が良くなる、オリンピックがやってくる。国威発揚、思ったように法律変え、憲法まで捻じ曲げようとしる。被災地復興もままならず。故郷を失った人もたくさんいるのに、原発を廃止もしないで再興を言い出している。反省のかけらもなく、消費税を上げるから復興が進むなどとうそぶく。どうなっている?愛する国は。地震のニュースは多く、津波が来る、戦争にあこがれる人も多くいる。どうなっているの。笛の音に誘われ、一人また一人と列への並びが増えていく。笛の音に誘われて、列が長く長くなっていくように思う。日本よ、愛する国よ。どこへ行こうとしているのか。日本が滅亡への先頭にならないことを祈るのみです。国の救いを祈りの声を上げよう。テモテへの第一の手紙2:1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。 2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。 2:3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。 2:4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。 2:5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。 2:6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。 2:7 そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ――私は真実を言っており、うそは言いません。――信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。 2:8 ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。
2013/12/27
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聖書の一言=申命記32:28 まことに、彼らは思慮の欠けた国民、彼らのうちに、英知はない。日本には世界一すばらしいものがたくさんあります。その第一は、日本国憲法です。日本国憲法が世界遺産になれば、世界は平和になります。今は、その憲法のもとにありながら、押しつけ憲法とか、自虐的だとか、改憲論者は喧々諤々です。その愚かさに気づいて欲しいのに、首相自らが違憲の道を突進して、周りにいるものもイケイケどんどんのおかしな状態、経済が良くなればいいじゃないかと、滅びへの道をまっしぐらのように危惧します。虚心坦懐、全文を読んでみるとすぐわかります。天皇陛下も憲法に守られ、政治に利用されないだけでも平和だと思います。富士山も大好きです。元気で何度でも登りたいものです。日本の大自然を創造し、四季折々の美しさを与える創造のまことの神を拝する国民んに早くなりましょう。創造された太陽な自然、壮大な寺院や神社を崇拝する偶像崇拝から離れ、その愚かさに一日も早く気づいて、真の愛の唯一も神をアーメンと信じ、世の終わりまでいつも共におられるイエス・キリストにより、幸せに生きる日本を、いつか来た愚かな道を再び歩まないように祈ります。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2013/12/27
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「主よ。私をあわれんでください。私は衰えております。主よ。私をいやしてください。私の骨は恐れおののいています」(詩篇6:2)「主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」(詩篇23:3-4) 主イエス様の癒しと、とりなしの祈りにより、完治しすばらしいクリスマスでした。12月初めに読んでいた健康本に、70代は7000歩くらいは歩けとあり、チャレンジされ12月5日から7000歩を歩き、昨日坂道を歩いていたら、全部治ったと身体が声を上げました。運転はしないでとの家内の願いに応え、大阪の集会やラジオ放送、お見舞いなどは送迎で動き、ほとんど院内やイノシシの通る山道を、みことばを告白し、賛美し祈りながら、ボツボツゆっくり過ごしています。「あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした」(詩篇18:36)ありがとうございます。ハレルヤ!今日もまた天国の一日です!感謝します。
2013/12/26
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聖書の一言=申命記32:11 わしが巣のひなを呼びさまし、そのひなの上を舞いかけり、翼を広げてこれを取り、羽に載せて行くように。わしは巣のひなの巣立ちのとき、巣をひっくり返し、ひなを放り出すそうです。また百獣の王ライオンも、崖の上から子ライオンを下へ突き落すそうです。鳥獣の王わしの子育ても厳しいけれども、ひなの上を舞かけ、飛べそうもないのを見ると、翼を広げて羽に乗せて飛べるようにする、すごい自然界の愛の姿です。神は愛です。わしのように愛する者が生育するように、思いがけない試練を与えます。神は愛です。試練は神が愛する者を、より強く、より高めるための方法です。信じる者は下(地獄)へ落ちることはなく、天国へ行くまで、愛する者を守り、わしが翼を広げて羽に乗せるように守り導いてくださいます。しばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2013/12/26
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堺エリムキリスト教会は、堺市堺区のマンション2階にある教会で、阪神高速道路からも、夜空にくっきり浮かび上がる十字架が美しく輝いていました。2006年に新築マンションにできた教会(36坪の美しい礼拝堂)を6年間無償で提供してもらいました。新しい方々が良く来る教会で、毎週日曜日の夜はアーメンと信じる方々でいっぱいでした。最初からアドナイ・イルエ(主の備え)の教会でした。例を上げれば、献堂式は3月3日でしたが、教会正面十字架や講壇、長椅子やスクリーン、屋根や壁にあるきれいな十字架のネオンや看板に至るまで、わずかの期間でお金も満額与えら備えました。式後の祝賀会は、すぐ近くのカニ道楽が70人席の会場で、数十万円必要でした。その4日前に大阪ヒルトンホテル喫茶店で、その少し前に救われたばかりの方と会い、必要にためにと渡されたお金が、何とカニ道楽での祝賀会必要額とちょうど同額。会堂無償提供の約束が過ぎ、牧師が元気で福音を宣教できる限りと言う条件付きでとの念書でした。昨年に脳内出血で倒れ、堺へ行くことがムリになり、榮義之牧師が伝道師続ける限りの条件を果たせなくなり、昨年のクリスマスで返却しました。堺エリムキリスト教会は、最初からアドナイ・イルエ(主の備え)の進行で、現在は南海高野線堺東駅前の一等地のビルの中に、会場を借り毎週礼拝を続けております。種子島で洗礼を受けクリスチャンになり、57年目のクリスマスを迎え、昨夜も今まで味わったことのない静かなイブとクリスマスを静かに迎えています。お祈りありがとうございます。 クリスマスの今日は、行事を全部終え、孫たち5人が我が家に朝から来てくれ、にぎやかに楽しく、イエス様お誕生日おめでとうと、ケーキまで用意してクリスマスの平和と祝福をお祈りし、みんなでおいしくいただきました。
2013/12/25
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聖書の一言=申命記 32:10 主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた。要するに苦しい時の神頼みでしょう。アーメンと信じるよう言うと、自分には神様はいらないと拒否する出会いもあります。荒野、ほんとに何もない獣のほえる荒野です。人生にも同じような孤独、無味乾燥、意味不明のような寂寥感に襲われる日もあります。幼い日から荒野のような、中を通りました。16歳でアーメンと言う人生になり、獣のほえる地で見いだされ、いだかれ世話され、57年目のクリスマス。イエス様が馬小屋に生まれ、十字架の上で死なれ、すべての罪を背負い、病の呪いも消し去り、貧しさと死から解放してくださいました。今日どんな荒野にいても、獣のほえるところであれ、アーメンと共に救われ、平安に守られ、幸せに生きる恵みがあります。そのような平安と喜びにあふれる幸せを与えるために、生まれたイエス・キリストの救いを、あなたの心にお迎えください。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2013/12/25
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クリスマスおめでとうございます。ルカの福音書2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。 2:11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。 2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」クリスマスの平和が全世界に!心に平安と喜び、幸せが豊かな日々、毎日がクリスマスです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。イブのキャンドルサービスでも、アーメン信じますと祈ってくださった60代男性。クリスマスは、すばらしい救い主が来られた杵の日。今日という日は毎日あり、アーメン信じますという人に、救いは何時も訪れます。今日は、家族がみんな訪れます。孫たちはじい、ばあが元気でクリスマスをいっしょに祝えるので、みんなおお喜び。クリスマスプレゼントを用意して待つ朝です。それだけでなく夕べサンタクロース?からの、孫たちへだけでなく、私たちにまでも、名前入りで用意されたプレゼントが届きました。ステキな暖かい部屋ばき。絨毯敷の書斎で初めて部屋履きを使い、暖かいサンタさんの心があたっかく伝わり、さらに楽しい書斎になりました。イエス様を種子島で信じて57回目のクリスマスを迎えています。平安と喜び、この幸せを全世界に伝えたいと祈り願いながらの、クリスマスの朝です。
2013/12/25
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毎日をクリスマスのように生きるルールがあります。それは第一に、みことばを思いめぐらすことです。クリスチャンになると、聖書を読みます、読むだけでなく、神のみことばを思いめぐらすようになります。聖書に時間をかけると言った方がよいかもしれません。この律法の書=聖書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。ヨシュア記1:8新約聖書的には、「神のことば=聖書=をあなたの口から離さないことです。 聖書のなかにあることを、昼も夜も思い巡らし、その中に書かれているすべてのことに従って、守り行うことです。なぜならその時、あなたの道は繁栄し、またあなたは成功するからです。みことばを思い巡らす時間を毎日確保楽しむことです。 詩篇1:2-3 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 聖書のことばを口ずさむ(つぶやく、ぶつぶつ言う、ささやく)人に約束されています。そうすればあなたのすることで繁栄し、また栄える=成功する=繁栄する ことができる。」 第二に、みことばを実行する、みことばを行うひとになることです。みことばを話す人はいっぱいいます。論じる人も。みことばを考える人、聖書のことばを暗唱する人、みことばを喜ぶ人もいます。けれども聖書は、 また、みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません。(ヤコブ1:22)と言います。どんな状況でも、みことばがしなさいと言っていることをすることにより、みことばを行う人になる訓練をスタートしましょう。みことばを行う人になることは十戒を守ることだと考えるたり、教えたりする人もいます。 新約の戒めは一つです。愛しなさい。だけです。あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ13:34)みことばを行う人は愛の人。愛は律法の成就。愛のある人は十戒を守れます。ガラテヤ5:14 律法の全体は、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という一語をもって全うされるのです。(ガラテヤ5:14) 「姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな。」という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」ということばの中に要約されているからです。 愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。みことばを行う人になるためには、新約聖書の手紙に書かれていることを実行してみることです。 何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。(ピリピ4:6) 思いわずらわないで=どんなことにも、いらだったり心配してはいけません。イラダッタリ、いらいら心配して願いごとをしても無駄。そんな祈りはしんどいだけです。みことばを実行し、思い煩わず、心配しないで、感謝し始めると不思議なことが起こります。すると、「 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます」(ピリピ4:7)結果が出ます。 多くの人が7節を望みますが、6節は実行しないで、祈りと願いだけ捧げても、祈り終わった後はまだイライラして、当たり散らしたりしてしまいます。 6節のいらだちから解放されるには、いつも聖書が勧めているように、すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに」心を留めて感謝することです。そんなことはムリだ、できないと聞くこともあります。「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」(ピリピ4:13)を信じ、告白し、今日から実行し、すばらしい年末と新しい年を迎えましょう。ピリピ4:9 あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。キャンドルサービスとクリスマスおめでとうございます!
2013/12/24
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聖書の一言=申命記32:5-6 主をそこない、その汚れで、主の子らではない、よこしまで曲がった世代。あなたがたはこのように主に恩を返すのか。愚かで知恵のない民よ。主はあなたを造った父ではないか。主はあなたを造り上げ、あなたを堅く建てるのではないか。愛と平和のクリスマス。今夜は、生駒聖書学院チャペルで午後7時より、ローソクの光の輝きで賛美し、聖夜を祝います。世相を見ると、ピストル強殺事件など物騒なことばかりかと思うと、韓国に武器輸出を報じています。日本がいつも間にか右へ右へと傾斜して行くのに、それに気づかず、気付いても快哉に思う、世の終わりの兆しが強まるこの頃です。真の愛の神が、そのひとり子イエス・キリストとしてこの世に人間として生まれた夜、キリスト誕生を告げたその御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように」あなたも今夜、お近くのキリスト教会で、聖夜を静かに、そして心あふれる喜びと共に、力強く賛美をささげてください。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2013/12/24
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昨日、「言葉で治療する」を紹介し、医学用語で言葉でいやす、「ムントテラピー」があると知りました。 長い牧師生活で、イエス・キリストのお名前によって祈り、多くの病ある方々が癒される姿を目にし、主イエス・キリストこそ最高の医者だと、感謝し賛美しています。 昨日で脳内出血&交通事故1年少し、今朝を元気に迎えています。午前中は平群町斎場で葬儀司式。午後は納骨式。今日7500歩も歩いていた。」ゆとりを持って動ける恵みも与えられています。昨日、主治医のイエス様だったら、どんなムントテラピー(ことばで治療する)かなと思いつつ、今までも用いていた「癒しと回復と健康」の言葉をスッキリ書きなおしましたもし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ(健康)全体もりっぱに制御できる完全な人です。(ヤコブ3:2)天国ことば=いやしと回復、健康も聖書を信じ、口ずさみ、主に感謝しよう!明日は、学院チャペルで午後7時よりイブのキャンドルサービスです。
2013/12/23
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朝刊に、面倒だからしよう、渡辺和子新著の広告。幸せは、いつもあなたの心が決めている。・価値があるから生きるんではない。生きているからかちがある。・美しく歳をを取ることは、アンチエイジングより大切。・よりよく生きるということは、自分中心に生きようとする傾向と戦うこと。・一日一回が仕事始めで、仕事納め。・同じことは二度とない。だから、今という時を大切にする。・つまずくのはあたりまえ。つまずいたおかげで、気付くものがある。・この世に雑用というものはない。用を雑にしたときに、「雑用」は生まれる。・不満を言う前に、物事を裏返して見るゆとりを持つ。・当たり前のことが、ありがたいものだと気付けば、幸せの度合いは高まる。・ふがいない自分を受け入れ、機嫌よく感謝を忘れずに生きる。・自分がされてうれしかったことは、ほかの人にもする。まだまだたくさん列挙されていました。広告を読むだけでも、おかれた場所で咲く(前著130万部突破の大ベストセラーの実践編だそうです。(幻冬舎刊;1000円)
2013/12/23
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教会隣りの古本屋店長から、「言葉で治療する」(鎌田實著)をいただきました。医療者の言葉しだいで、治療の日々が天国にも地獄にもなる。衝撃の現場を紹介しながら、鎌田医師が心と体が立ちなおっていく言葉を具体的に提案する。医師・看護師も、患者さん・家族もお互いに救われる、新しいコミュニケ^ション術。表紙の帯に書かれています。 「言葉には癒しの力がある。かって、医学界では『ムントラセラピー』というドイツ語が使われてきた。直訳すると『言葉で癒す』という意味。ムントは言葉。テラピーは治療である。 相手の心理状態を考慮しながら、丁寧で分かりやすい言葉で、具体的に説明することが大切なのだ。相手の心に届くことが大事。難しい言葉は一般的に使われる分かりやすい言葉に言い換える必要がある。ムンテラ(ムントとセラピーの略)という説明は、患者さんやその家族を癒すためにある。説明の裏に「癒し」の意識を忘れないことが大事だ」と本文にありました。 今月は、天国ことばと言う概念を学び、毎日天国ことばを使い続けている。今までも用いていた「健康といやし」の言葉を少しアレンジして、朝夕、寝言でも告白し、脳梗塞の不自由さも完治し、毎日を元気に過ごしています。 病む人の健康と癒しのためにずっと用いている聖書の約束が、自分を癒す言葉になったことに感謝しながらの毎日です。 その一部を転載し、言葉が癒す経験をお分かちします。 聖書のいやしと健康の約束いつも健康を考え信じ、健康を告白し、健康に生き続けます。ヤコブの手紙3:2 もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。 口にすることばが、身体全体も立派に制御するとあります。身体が病んだり、弱ったりすると、どうしても口から出る言葉も弱くなり病んでしまいます。強気になれと言うのではなく、聖書の言葉を口にしたらいかがでしょうか。 私は主であってあなたを癒すものです(出エジプト15:26) あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。私は主であってあなたを癒すものです(出エジプト15:26) 食べる物は祝され、病は除き去りました!身体は元気です。長寿と必要はゆたかにあります。平安です。感謝します。ハレルヤ!アーメン。
2013/12/22
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聖書の一言=申命記32:1-2 天よ。耳を傾けよ。私は語ろう。地よ。聞け。私の口のことばを。私のおしえは、雨のように下り、私のことばは、露のようにしたたる。若草の上の小雨のように。青草の上の夕立のように。いつもことばには気を付けているつもりです。地を潤す雨のようであれば、豊かに目を出した作物を育て育み、実を結ぶまで見守ります。露のようにしたたるなら、疲れてしおれた草花を元気づけます。また小雨のように若草を目覚めさせ、青草の上の夕立のように勇気百倍、やる気を起こさせます。歌わず物言わず運動もしない少年時代でした。牧師になり、良い知らせだけを伝える決心をして72歳。現役牧師で今日もクリスマス・メッセージを語ります。今朝の聖書のことばのように、語らせてくださいと祈り願いつつ、天国ことばのメッセージを語らせてくださいと、助け主=聖霊=真理の御霊に信頼しつつの、クリスマス礼拝です。はじめにことばがあった。ことばは神であった。すべてのものはことばによってできた。できたものの中で、ことばによらないものはなかった。ことばは想像します。人間が人間であるのは、ことばを使うからです。言葉によって何事も始まります。でも無駄なことばが多いのも現実です。特に否定的なネガティブはことばの洪水にさらされています。新聞、テレビ、インターネットにはあふれています。隣近所に、学校や会社にいっぱいです。2歳半の孫が保育園に行きました。覚えてくる覚えてくる、どんどん話します。その言葉のほとんどはマイナス用語、汚い言葉もいっぱい。家では言葉の掃除に大変です。何べんも聞かされえるので定着してしまいます。世の中ってそういうもんだと思われますか。言葉遣いに立ち入り禁止の立札を、しっかりと唇の戸に立てておきたいものです。天国言葉の酒匂のことばは、ありがとうございますです。すべてのことに感謝しますで、応答できれば大丈夫です。不信仰やマイナス言葉お断り、立ち入り禁止にしてみましょう。人生は大きく変わります。特に、だが・・・という言葉を立ち入り禁止にしてみませんんか。悪いとはわかっているんだが・・・、しないですめがいいんだが・・・、自分によくないのはわかtっているんだが・・・、紺こば使ってはいけないと持っているんだが・・・。周りにいっぱいにだが・・・が落ちていませんか。天国言葉でクリスマスの時期を生きて、2014年が悪習慣からも解放され、すばらしい幸せの年にしてください。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。ヤコブの手紙 3:2 私たちはみな、多くの点で失敗をするものです。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。 3:3 馬を御するために、くつわをその口にかけると、馬のからだ全体を引き回すことができます。 3:4 また、船を見なさい。あのように大きな物が、強い風に押されているときでも、ごく小さなかじによって、かじを取る人の思いどおりの所へ持って行かれるのです。 3:5 同様に、舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。 3:6 舌は火であり、不義の世界です。舌は私たちの器官の一つですが、からだ全体を汚し、人生の車輪を焼き、そしてゲヘナの火によって焼かれます。 3:7 どのような種類の獣も鳥も、はうものも海の生き物も、人類によって制せられるし、すでに制せられています。 3:8 しかし、舌を制御することは、だれにもできません。それは少しもじっとしていない悪であり、死の毒に満ちています。 3:9 私たちは、舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。 3:10 賛美とのろいが同じ口から出て来るのです。私の兄弟たち。このようなことは、あってはなりません。 3:11 泉が甘い水と苦い水を同じ穴からわき上がらせるというようなことがあるでしょうか。 3:12 私の兄弟たち。いちじくの木がオリーブの実をならせたり、ぶどうの木がいちじくの実をならせたりするようなことは、できることでしょうか。塩水が甘い水を出すこともできないことです。 3:13 あなたがたのうちで、知恵のある、賢い人はだれでしょうか。その人は、その知恵にふさわしい柔和な行ないを、良い生き方によって示しなさい。
2013/12/22
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アメリカでクリスマスになると、貧しく困っている人々に現金をプレゼントする男性がいた。彼はいつしか「シークレットサンタ」と呼ばれるようになった。 1971年11月、23歳のラリー・スチュワートは会社が倒産し路頭に迷っていた。あまりの空腹に耐えきれず、ついレストランに入って取り憑かれたように注文してしまった。請求書を出されようやく我に返り、お金を持っていないことに気づいた。そして、なんとかその場を取り繕おうとポケットの中を探すフリをしながらも、警察に突き出されても仕方が無いと思っていた時だった。一人の男性店員がラリーの横でしゃがんで、20ドル札が落ちていたと渡してくれたお陰で、彼は会計を済ませることができた。だがこの人生最大の苦境に偶然手に入れた20ドルが、後に彼の運命を変える重大な鍵となる。 1972年、運良く拾った20ドルの残りを旅費にカンザスシティに移り住んだラリーは、警備関係の会社を起こして懸命に働いた。結婚し子供も生まれたラリーは幸せな生活を手に入れたかに見えた。 だが1977年12月、不況で会社が倒産しその日の食事代にも困るほど追いつめられた。貧しさのせいでラリーは我を忘れ、銃を手に銀行に入り、強盗を働きそうになった。だが、20ドル札を見てふと我に返り銀行強盗をすんでの所で思いとどまった。改心したラリーは1978年、妻の兄からの援助を受けてセールスマンとして懸命に働いた。だが彼はまたしても試練を与えられる。 1979年12月、会社の経営が思わしくないということで、ラリーは解雇されてしまったのだ。もう助けてもらうあてがないと途方に暮れていた時だった。ふと目についた売店に立寄り、ポップコーンを注文した。店員の女性は暗い表情で、違う商品とおつりをラリーに渡した。 ラリーは彼女が困っているのだと思い、おつりの中から20ドル札をプレゼントした。彼女は受け取れないと言ったが、ラリーはクリスマスプレゼントだと言って手渡した。この日はクリスマスだった。 女性は嬉しそうに礼を言った。その笑顔がラリーを明るくし、彼は思いも寄らない行動をすることになった。 そのままラリーは銀行に行くとなけなしの貯金を引き出し、白いオーバーオールに赤い服とベレー帽という姿で町に繰り出した。そして困っているような人や貧しい人に20ドル札をクリスマスプレゼントとして手渡したのだ。 シークレットサンタが誕生した瞬間だった。20ドルは大金ではなかったが、困っている人々にとっては大きな助けとなり喜んで受け取ってもらえた。それがラリーの人生にも思わぬ影響を及ぼすことになる。 家に戻ると、妻から銀行にお金が残っていなかった、と聞かれた。ラリーは落としてしまったと答えた。すると妻は怒るどころか、仕方がないわね、でもあなたは幸せそうね、と微笑むだけで文句を言わなかった。 翌年の1980年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し、懸命に働いた。そしてその年のクリスマスにも道に立って人々に現金をプレゼントする活動を続けた。そしてその金額は少しずつ多くなっていった。 不思議なことにシークレットサンタとなって施しをすればするほど会社の業績が上がり、長年の切り詰めた生活から抜け出し家族のために家や新しい車を買えるまでになった。 ラリーの妻も町中でシークレットサンタの噂を耳にするようになった。彼は家族にも言っていなかったのだ。 彼はそれからも一年も休むことなくシークレットサンタの活動を続けたのだが、9年目の1987年12月、ついに妻にシークレットサンタがラリーであることがわかってしまった。すまないと謝るラリーに、妻は「素敵なことじゃない。これからはもっと節約してたくさんの人を助けられるように協力するわ」と答えた。 以後、家族もラリーの活動を知って陰から支えることになった。1995年、地元ではすっかり有名になっていたラリーは匿名を条件に取材に応じた。 カンザスシティ・スター紙のマクガイヤー記者は、彼も家族も一切表舞台に出ようとしなかったと話す。 しかし報道されてから、シークレットサンタの正体への関心はさらに高くなった。一方ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、ある人物に会いたいという思いが募っていった。そして1999年12月、ミシシッピ州のトゥペロという小さな町のある 男性宅を訪れた。 7. その男性とは、シークレットサンタの生みの親だった。 28年前の1971年、一文無しだったラリーが落ちていた20ドルに救われた日のこと。本当の落とし主が現れたら困るので逃げるように店を後にしたラリーは、我に返って真実に気づいた。20ドルは、落ちていたものとして男性店員が彼にくれたものだったことに。 男性店員はテッド・ホーンといい、当時のことを思い出した。ラリーは彼がしてくれたことをいつか誰かにしようと思ったのだと話した。そして、テッドの20ドルがなかったら刑務所に入っていただろうという。 自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、ラリーはテッドに1万ドル入った封筒を渡した。 受け取れないというテッドに、ラリーは自分が今あるのはあなたのおかげだと引かなかった。当時テッドは、警察に突き出すのではなく、自らの過ちに気づき、他人への優しさを知って欲しいと思って20ドルを差し出した。それをずっと覚えていて、サンタ活動を続けたことには頭が下がるとテッドは話している。 テッドさんはラリーさんから渡された1万ドルを、近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちのために使ったという。人を思いやる気持ちは健在だった。 そしてラリーのサンタ活動は全米に広がった。2001年には世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドルを配った。 2005年にはハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に7万5千ドルを配り、27年間で配った総額は150万ドルになった。 だが昨年、シークレットサンタがついにカメラの前に現れ正体を明かした。彼は昨年4月、食道ガンのため治療しなければ1ヶ月生きられないと宣告されたのだ。 正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け、身近な人への思いやりを広げて欲しいというメッセージを送りたかったからだろうと、マクガイヤー記者は話す。 その反響は大きかった。2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届いた。大半は自分もシークレットサンタになりたいというものだった。 その年のクリスマスも彼は病気を押してサンタの活動を行った。そのお陰で多くの人が笑顔でクリスマスを迎えられた。同年1月12日、ラリーは58歳で静かにこの世を去った。それでも彼の笑顔と優しさは数えきれないほどの人の胸に永遠のサンタとして刻み込まれただろう。 生前ラリーは、シークレットサンタ協会を設立、会員資格は少なくとも1回他人への親切な行為を行うこと。今でも世界中から登録の申し込みが後を絶たない。 人にうけた恩は石に刻め! かけた情けは水に流せ!ということば があります。今年もクリスマスの時期、日本全国にもシークレット・サンタが、たくさん登場すると思います。またそんな、人間になりたいものです。
2013/12/21
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訃報や様々な知らせが届き、そのたびに祈りまた見舞い(と言っても自由に動けないので)等が続いています。 元気になったとか、仕事をしています。手術が思ったより早くでき成功しました。病状が安定という朗報も届いています。 普通に目覚め、普通に暮らせることこそ、素晴らしい奇跡の毎日です。 これは主がなさったことだ。私たちの目には不思議なことだ。この日は主が造られた日!この日を楽しみ喜ぼう。(詩篇11:23-24)と聖書にあるとおりです。 病にある方々のために、主イエス様のいやしを体験してもらいたいと、聖書からいつもお届けしています。昨日はもう一度聖書の約束を新たな気持ちで書き出し、お便りにしたり家内に渡したり、自分でもそのことばを声に出して読み、今朝もその言葉を祈っています。もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です。(ヤコブ2:3)とあります。 ことばで「からだ全体を立派に制御できる」とあります。天国ことばは、身体の弱さや病気のことを口にすることなく、ことばを変えることで健康を回復できれば最高です。箴言3:2-3 そうすれば、あなたに長い日と、いのちの年と平安が増し加えられる。それはあなたのからだを健康にし、あなたの骨に元気をつける。3:16 その右の手には長寿があり、その左の手には富と誉れがある。 詩篇 91:16 わたしは長寿をもって彼を満ち足らせ、わが救を彼に示すであろう。健やかに生きることを聖書が約束していることは確実です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2013/12/21
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聖書の一言=申命記31:23 ついで主は、ヌンの子ヨシュアに命じて言われた。「強くあれ。雄々しくあれ。あなたはイスラエル人を、わたしが彼らに誓った地に導き入れなければならないのだ。わたしが、あなたとともにいる。」リーダーとは先頭に立ち、目的と目標をしっかり持って、迷うことなく、ぶれることなく、雄々しく強く前進する人です。大切なのは愛と勇気のバランスで、主なる神を第一、最優先にして生きる人生の模範となることです。神に仕える人生に不自由はなく。常に全能の神の助けがあります。ありがとうございます。感謝しますと、飛びきり良いことに感謝し、飛びきり良いことは、今朝目が覚め恵みに生かされていることです。それだけでなく、まあまあよいことに、普通に良いことに、それからあんまりよくないことに、そしてかなり良くないことに、最後に悲惨なことに感謝します。そうすると悲惨な物事にも感謝の感情で接し、感謝の感情はとても快いものです。つらいことも悲惨なことも、自分の人生の一部です。それが存在する理由があり、その理由が見えてくるまで感謝し続けるなら、いつも間にか、すべてのことの感謝することが、大きな幸せであることに気づくでしょう。強くあれ。雄々しくあれ。聖霊なる神の助けが今日も豊かにあります。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2013/12/21
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きょうの生駒はしばらく雪が舞いました。昼過ぎから太陽の照り、大阪へ出かけようと思い準備していると、施設に入っていた教会員の母親(71歳)が突然亡くなった知らせ。生駒市も平群町も斎場が式でいっぱい。結局23日に本葬だけでお送りすることになり、クリスマス礼拝やイブ礼拝に量ならなくて、自分の体調のこともあり祈りつつの一日です。19日に病院で主治医と話し、毎日7000歩は歩いているというと、それだったら足のしびれを気にしなくていいですよと言われ、夕方何時もの山道を歩いていると、一つ年上の方に出合いました。脳梗塞で20日間入院し、糖尿病もあるし年齢を重ねるのはいやだなあと、y間の中でのお交わりでした。イノシシが出るから気を付けてと。でも夜中だから今の時間は大丈夫。お互い長生きしましょうとの別れ。種子島から来たときから、新しい住民が400世帯も増えたそうです。今日であった方の妹は5年生。腕にぶら下がったり首にかじりついたり、仲良しで今も一人住まいで、行くと大根や白菜など家庭菜園の野菜をいっぱい持たせてくれます。生駒聖書学院院長が脳内出血や小脳内梗塞で、天国から追い返されたそうなと思われています。出会う方々との話のきっかけになり幸いです。もう天国から追い返され牧師を一万部発行し、ほとんど配り終わり、再販して新しい年の福音宣教に役立てたいと思う、かなり寒い生駒の一日でした。
2013/12/20
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聖書の一言=申命記31:8 主ご自身があなたの先に進まれる。主があなたとともにおられる。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。恐れてはならない。おののいてはならない。」聖書には、恐れてはならない。またそれに類することばが365もあるといわれています。それくらいさまざまな怖れを感じながらの人生です。最大の恐れは死です。人はだれでも死にますが、死後にどうなるかを知らないので、行き先不明の旅です。三日の旅でも、ホテルが決まっていれば安心して旅路を楽しむことができます。ホテル予約があれば、歓迎され迎えられます。アーメンと言えば天国行き予約です。幾たびも臨終の床に駆けつけました。アーメンの祈りとともに、平安に満たされて死を迎える出会いが多くあります。死の影の谷を過ぎるときも、主ご自身が先を進んでくださり、あなたと共にあり、見放すこともなく、見捨てることもありません。恐れず、おののかず生きる勝利の日々です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2013/12/20
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11日にMRI検査があり、今日午前中予約診療で馬場記念病院へ送迎で往復でした。予約ですが、時間内に受付順番ですから、病院について1時間くらいは待ちます。やっと順番が来て、MRI検査の結果は不可もなく、てんごくことばの診察では完治です。主治医は来年6月に念のために首の血管と血流を検査しましょうとのこと。先生一回で終わりませんかというと、自分もそう思いますが規則ですから、一度来てMRI検査日を決め、2回目が検査です。三回目に診療ですとのこと。血液をサラサラにする食物には調べてみました。よい水を一日1,500~2,300リットル。ウーロン茶、緑茶、麦茶。にんにく、たまねぎ、ネギ、わけぎ、ヨーグルト、らっきょう、しょうが、梅干し、きのこ類、海藻類、酢、大豆、納豆、ピーマン、大根、白菜、緑黄色野菜、青魚=イワシ、アジ、サンマ、サバ、カツオ、ブリなどが検索されました。考えてみると昨年から今日まで、大体同じものを食べていました。特に家内と同じようなものを食べているので自動的にそうなってしまいます。バランスの良い食事。70代は一日7000歩ほどと読み、ゆっくり歩きも今日は花屋まで。花屋で知ったこと。胡蝶蘭をと思ったが。胡蝶蘭は贅沢な花です。温かいところでないといけませんよ。シンビジュームが牧師さんにいいですよ。これ綺麗でしょう、雪ぼたんというシンビジュームでしたが、新種ということでもありすごくきれいでした。もっときれいなシンビジュームもあったが、胡蝶蘭より値段が高く驚きました。健康の秘訣は、ストレスのない生活、バランスの取れた食生活、適度な運動の3つだそうです。福音に仕える生活を心から願いながら。今日もまた天国の一日でした。ありがとうございます。
2013/12/19
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聖書の一言=申命記31:6 強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。 先週11日に馬場記念病院へ。完治一年後のMRI検査をと言われ、今日は主治医予約診療で、朝から病院です。入院中は2週間で全聖書を完読し、榮さんはいつも聖書といっしょですね。聖書ってそんなに面白いんですかと、看護師たちに聞かれ、アーメンと言えば救われますと、福音を伝え続けました。退院後に書いた三度輝くいのちを与えられ(天国から送り返された牧師に改題して再販)を、検診の時、主治医や理学療法士、看護師へ渡しました。待合室でも脳内出血と小脳内脳梗塞でしたと、挨拶ができた方に話すと興味を示し、冊子を受け取ってくれます。外見は全く健康体そのままです。自分さえ言わなければ、一年前に度も入院したようには見えません。ブログにはよく書きますが、秘密にする必要はないけれども、イエス様の十字架の完全ないやしだけを告白する幸いです。何事があれ平安で幸せです。恐れず、おののかず、慌てず焦らず、いつも見放すことも見捨てることもなく、世の終わりまで共におられるイエス様の恵みを受け続けています。お祈り感謝します。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2013/12/19
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人類みな神の子と言う言葉があります。一つは神が人間を創造されたということで、この世に生を受けた者は、神が命を与えているので神の子どもです。尊い命、全世界よりも尊いいのちです。殺してはいけません。他殺も自殺も大きな犯罪です。戦争は最大の犯罪です。二つ目は、確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのですからです。ところが神の子であると言っても、この世には不幸があり悩みがあり、天国と言うより地獄だと思っている人もたくさんあります。 人類がみな神の子なら、世界は天国で当たり前だと思います。しかし世界は毎日地獄のニュースを発信しています。その理由をイエス・キリストは教えてくださいました。 「あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです」(ヨハネ8:44)世界の混乱は人類みな神の子(最初は神の子)でしたが)、悪魔・サタンに誘惑されて、悪魔の子になったからです。イエス様は悪魔とは、欲望の塊り、最初から人殺し、真理に立たず偽り者であると喝破しました。あなたがたは、あなた方の父である悪魔から出た者であり、悪魔は偽りの父であると教えました。この世界の、また日本の現実を思う時、まさしく人殺しや嘘ツキが大手を振るっているような現実に出会います。しかし素晴らしいことにイエス・キリストはその十字架の死によって、悪魔を滅ぼし、人類をその殺りくと偽りから救いだし、解放してくださったのです。ヘブル人への手紙2:14 そこで、子たち(人間)はみな血と肉とを持っているので、主(イエス・キリスト)もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。悪魔は、死の力を持つ者と言われいますが、イエス・キリストの十字架の死と墓からよみがえった復活の力により、悪魔の支配と力はすべて打ち砕かれたのです。 そして本当の意味において人類が神の子とされるのです。「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります」(ローマ8:14-17)十字架の上にいのちを捨て、三日目に復活されたイエス・キリストを救い主、主としてアーメンと信じる者は、その瞬間に神の子として救われるのです。そればかりではなく「子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼ら(悪魔&悪霊)に勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方(主イエス・キリスト)が、この世のうちにいる、あの者(悪魔)よりも力があるからです」(第一ヨハネ4:14)だからイエス・キリスト信じて神の子とされたクリスチャンは、悪魔のウソや欺きに騙されれてはいけないのです。悪魔は十字架の死によってもう滅ぼされれているのです。悪魔ができることは、そのウソと欺きによって騙しているだけです。クリスチャンたちは欺かれないように気をつけましょう。神によって生まれた者はだれも罪の中に生きないことを、私たちは知っています。神から生まれた方(主イエス・キリスト)が彼を守っていてくださるので、悪い者(悪魔)は彼に触れることができないのです (第一ヨハネ5:18) 「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます」(ローマ16:20)「堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます」(第一ぺてろ5:9-10)ヨハネの福音書1:12ー13しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。1:13 この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
2013/12/18
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聖書の一言=申命記31:2 言った。私は、きょう、百二十歳である。出エジプトの偉大な指導者モーセのことば。人はだれであれ肉体の衰えと死を迎えます。聖書では、人の命は70年、健やかであっても80年、消えていく露のようだとモーセの述べた言葉です。預言者イザヤは、100歳で死ぬ者も若かったという時代が来ると預言しました。神様は、人の命は120年と宣言しています。聖書には年齢について,この三ヶ所だけに言及され、イエス様は死んでも生きると、永遠の命を約束されました。イエス・キリストの救いをアーメンと信じるだけで、永遠のいのちが与えられ、天国行きの切符、天国の予約ができます。昨夜読んでいた本に、上手な死に方10の提案とありました。1.身辺整理をする2.遺言状を作る3.さようならを言う4.一緒にいたくない人と時間をすごすのをやめる5.ひとりだけで過ごす時間を作る6.楽しむ7.リラックスする8.祈る9.一瞬一瞬を楽しむ10.いざ時が来たら、行くイエス様の十字架により、死は滅ぼされました。聖書へブル人への手紙2:14-15 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。その救いをアーメンと言うことで、体験し天国行きです。また詩編23:4 たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。とあり、肉体の死の谷を過ぎるときも、復活のイエス様が、天使とともに迎えに来てくれます。地上の人生を無限に超える永遠の天国へ導いてくれます。アーメンと信じるだけで永遠のいのちが与えられる恵みを感謝します。ヨハネの第一の手紙5:11-13 そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子=イエス・キリストのうちにあるということです。御子=イエス・キリストを持つ者はいのちを持っており、神の御子=イエス・キリストを持たない者はいのちを持っていません。私が神の御子=イエス・キリストの名を信じているあなたがたに対してこれらのことを書いたのは、あなたがたが永遠のいのちを持っていることを、あなたがたによくわからせるためです。クリスマスの良きとき、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2013/12/18
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天国言葉で生きてみよう。天国でどんな言葉が使われているのでしょう。あるとき関東の牧師から、榮義之はヘブル語が話せるか?という電話がありました。話せないというと、天国へ行ったらどうするのか?という変な電話でした。ヘブル語もギリシャ語も話せなくて、聖書学院で教えているなんてという本当に侮辱したような口調でした。九州の牧師?からは、聖書は言語で読めなければ意味がない。もう生駒聖書学院からの通信や著作は不要だと、きつい手紙がありました。礼儀も常識もない対応に驚いたことがあります。天国言葉は、美しいことば、楽しいことばを使えば、身体もイキイキ元気百倍、ことば一つで体も元気になるなら、心はもっとことばで豊かになります。健康的な生活にビタミンは必須です。ストレスやトラウマのない生活には、ことばのビタミンが必須です。聖書のことばは、身体にも心にも豊かな栄養を与える、天国のことばですね。ありがといございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。今夜も大阪市新世界、通天閣で伝道と集会です。私は生駒で祈りの応援。今夜は前田基子牧師の声を聴くだけでも元気になるメッセージです。
2013/12/17
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聖書の一言=申命記30:14 まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行なうことができる。朝の目覚めと共に、机上の聖書は、読むものではなく、聞くものだと若い日に思い、そのように喫き続けています。みことば=聖書のことば=は、ごく身近にあります。識字率の高い日本です。書斎には何冊も手を伸ばせばすぐ届くところに聖書があります。覚えている聖書のことばもたくさんあります。神様は霊ですから肉眼ではみえません。けれどもそのみ声は、聖霊の霊感と啓示の聖書によって、しっかり聞くことができます。それは心にあります。聖書を読むとき、そのままアーメン信じます。ありがとうございます。おことばどりこの身になりますように!感謝しますと、すなおに受け取り、聖書のことばが実現する恵みを経験しています。心で信じるとおりになると、イエス様はよく教えてくれ、また、口にありとあるように、心で信じたことを口で告白すると、山さえ動いて海に入るとも教えてくださいました。また、あなたはこれを実行することができるとあるとおり、聖書のことばどおりの人生を生きることができるのです。こう書くと、できないようなことだけを見つけ出して、これはできるか。これもできるかといわれることもあります。聖書的信仰は、そのようなひねくれた考えではなく、すなおにアーメンと信じ、信頼して生きることがどれほど素晴らしいことか、クリスチャン生活はスリルに富んだ祝福あふれる道です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。ローマ人への手紙10:8 では、どう言っていますか。「みことばはあなたの近くにある。あなたの口にあり、あなたの心にある。」これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。 10:9 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 10:10 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。 10:11 聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」 10:12 ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。 10:13 「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。 10:14 しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。 10:15 遣わされなくては、どうして宣べ伝えることができるでしょう。次のように書かれているとおりです。「良いことの知らせを伝える人々の足は、なんとりっぱでしょう。」 10:16 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。「主よ。だれが私たちの知らせを信じましたか。」とイザヤは言っています。 10:17 そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。
2013/12/17
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毎日が奇跡、奇跡が普通! 普通が奇跡!と思う朝です。 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。(詩篇118:23-24)朝の目覚めとともに、今日もまた天国の一日です!イエス様、おはようございます。神様、ありがとうございます。主の御名をほめたたえ、賛美します。ハレルヤ!アーメン。感謝します。幸せです。愛します。嬉しい!楽しい!喜びいっぱいです。今日も素晴らしい、天国の一日感謝します。次々に口にする天国ことばでの朝です。顔を洗いながら、鏡の汚れを磨きながら、天国ことばも磨き、何よりも心を磨きます。気持ちがスッキリ奇跡の朝です。 奇跡とは、人間の力や自然現象を超えたできごと。神の力でなされることです。キリスト教では、正教会、カトリック教会、聖公会・プロテスタント教会は、キリストの処女降誕、キリストの肉体的復活など、キリストの生涯に超自然的な奇跡が起きたことを信じています。その現実であるクリスマスを、心から祝います。人間にはできないことをするために聖霊が遣わされ、その人の救いや必要なことをしてくださいます。それは、聖書の時代だけでなく、今も変わらず奇跡はなされています。歩いていると散歩中の高齢の婦人に出会い、しばらくお顔を見ませんでしたねと声をかけられ、脳内出血&小脳梗塞で入院していたことをお話ししました。すると、奇跡ですね。今の姿からは病み上がりとは見えませんよ。牧師さんの人生は奇跡ですねと言われました。クリスチャンでない方から奇跡ということばが出たので、ありがとうございますとお別れしながら、奇跡とは何か特別のことだけではなく、生かされていること自体が奇跡だと思いました。普通こそ奇跡だ!感謝しますと、心から叫びました。普通に歩ける、食べれる、話せる、普通だと思ったことが実は全部奇跡だと、神様を賛美しています。生かされて今日も7000歩も歩けた。それだけでも感謝! ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!ハレルヤ。アーメン。
2013/12/16
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伸びやかで、豊かなことばがメールにあり、今はそのまま、その気持ちです。 何不足 宇宙はわが屋 神は父、無限は我の持ち物ぞかしですから、だれも人間を誇ってはいけません。すべては、あなたがたのものです。パウロであれ、アポロであれ、ケパであれ、また世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてあなたがたのものです。そして、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものです。(コリント第一3:21-23)愛用の聖歌を口ずんでいます。汚れしこの世のさざめきより 離れて静かに憩う我 再び恐れを持つことなし こはベウラの地なれば家は雲なき大空の元 水は乾かぬいのちの真清水 糧は豊かに天下るマナ ああベウラ我が地よ恵みの数々思い返し み声を静かにうかがえばみ旨を知り得ぬことはあらじ 長く住まわんベウラに 家は雲なき大空の元 水は乾かぬいのちの真清水 62:4(文語訳)糧は豊かに天下るマナ ああベウラ我が地よ*ベウラとは、配偶=夫と言う意味です。聖書イザヤ書 「あなたはもはや「捨てられた者」と言われず、あなたの地はもはや「荒れた者」と言われず、あなたは「わが喜びは彼女にある」ととなえられ、あなたの地は「配偶ある者=夫のあるもの=ととなえられる。主はあなたを喜ばれ、あなたの地は配偶を得るからである」(イザヤ62:4) 歌うだけでも気持ちが伸びやかになります。 何不足 宇宙はわが屋 神は父、無限は我の持ち物ぞかし! 家は雲なき大空の元、天地万物の創造者、全能で愛の神の子どもとされた幸いに、ハレルヤと胸躍らせながら、今日もまた天国の一日です!感謝します。
2013/12/16
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聖書の一言=申命記30:11 まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。聖書はむずかしいという言葉をききます。ところが神は愛です。天の父です。親は子どもがわかるように語り教えます。全能の愛なる父なる神様は、それ以上に語り教えてくださいます。真理の御霊により、義や罪やさばきについてだけでなく、理解させ、思い起こさせ、将来をも見通させ、導き助け教えてくださいます。聖書はむずかしいという思いや言葉を使わず、虚心坦懐にアーメン信じます。ありがとうございますと真心から受け止めるとき、聖書のことばは難しすぎるものでもななく、遠くかけ離れたものでもなく、人生の歩みを確実に導くナビとなります。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2013/12/16
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熊本空港でチャックインしたとき、3番乗り場のチケットだったので、そこへ行き時間もあり本を読んでいました。ふと目を上げると表示が東京行き。どうも乗り場変更のアナウンスに気づかないままで、慌てて5番へ急ぐと、係官情勢が榮さーんと手を振っている。急いでください、すぐ出航です。プロペラ機だからタラップまで外へ出て乗る。乗るとすぐという感じでドアが閉まり、大阪空港までのフライトを楽しみました。おじいちゃんお帰りと、3人の孫たちがパパと一緒に迎えに来てくれ、にぎやかに話しながらの帰宅でした。今回から飛行機は、今までのようにチケットは発行せず、データだけでのフライトの変わっていて、便利になったというのか、化石人間では動けないような激変の時代になった感の、熊本往復のときでした。
2013/12/15
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聖書の一言=申命記30:9 あなたの神、主は、あなたのすべての手のわざや、あなた の身から生まれる者や、家畜の産むもの、地の産物を豊かに与えて、あなたを栄えさ せよう。まことに、主は、あなたの先祖たちを喜ばれたように、再び、あなたを栄え させて喜ばれる。 昨日の朝は、大阪市西区に新しいキリスト教会が誕生し、新設入堂式が行われ、式説 教と入堂宣言をし、その足で熊本に今朝は来ております。 3月に生駒聖書学院を卒業した柴田=阿部共子伝道師が、日本キリスト中津扇城教会 大阪伝道所として、JOY CHACHEをエリムキリスト教会でスタートし、10から現在地 に、貸しビルに住居と教会を新設し、昨日の入堂式となりました。 聖書のまことの約束に従う、すばらしいキリスト教会が大阪市内に生まれました。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。 卒業後すぐ大阪市内で開拓伝道は無謀とも思えますが、アドナイ・イルエで礼拝の場 所が備えられ、10月には新し場所に礼拝を移し、11月には、中津扇城教会で阿部光志 兄と結婚式を挙行し、ものすごいスピードでの入堂式となりました。数年後にはJOY CHACHEの献堂式も行われると思います。 あなたの始まりは小さいが終わりは大いなるものとなる(ヨブ4:8)との約束の成就 を祈る朝です。 今朝は熊本県上益城郡益城町で目覚め、益城エリムキリスト教会の礼拝で説教し、夕 方には娘の迎えで大阪空港です。 毎日、主の恵みに支えられて、ぼつぼつ動いております。お祈りありがとうございま す。
2013/12/15
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聖書のことばです(ヨハネの福音書1:1-3) 初めに言があった。 言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった」 人間は神に象って創造されました。その最高の姿がことばを使うことです。すべてのものがことばによって創造されたように、今もなおことばによってすべてが形成されています。ことばを大まかに分けると、天国ことばと地獄ことばにわけることができます。この世界に満ちているのは地獄ことばが多くあります。エペソ人への手紙 5:3 あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。5:4 また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。5:5 あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者――これが偶像礼拝者です。――こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。5:6 むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。コロサイ人への手紙3:8 しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。3:9 互いに偽りを言ってはいけません。 地獄ことばは、むなしいことば、怒り、憤り、そしり、口にするだけでも恥ずべきことば、偽りのことばです。 不平、不満、悪口、文句,イヤだ、嫌いだ、憎い、許せない、悲しいイ、苦しい、不運だ、不幸だ、ついていない、できない、仕方がない、あきらめた。 地球上に地獄ことばがあふれています。死んで地獄に行く前から、地獄ことばの練習をしているのが人間の姿です。 天国言葉を使う練習をすれば良いと思います。 最高の天国ことばをいくつか紹介します。 ハレルヤ!アーメン。主をほめます。賛美します。唯一の全能で愛の神様を、主イエス様を讃えるのが、最高の天国ことば葉です。 感謝します。ありがとうございます。何事があれすべてのことに感謝します。口にするだけで自分だけでなく、人にも不快感を与えません。 幸せです。愛しています。救われました。祝福されています。健やかです。豊かです。 今夏、脳内出血や脳溢血になり、入院生活があり、今も自動車も動かせず生駒聖書学院内での生活です。 朝の目覚めとともに、ありがとうございます。主の御名を賛美します。今日もまた天国の一日です!感謝します。幸せです。祝福されています。豊かで楽しく喜びいっぱいです。ハレルヤ!アーメン。 天国ことばに満たされています。間違って地獄ことばを口にすると、すぐ天国ことばに言い変えます。 しんどいなあと思わず出たら、主を待ち望む者新しい力を受けます!と告白します。むずかしいなあ、できないなあと口にしたら、信じる者にはどんなことでもできる!アーメン。ハレルヤと告白します。 天国ことばの辞書は聖書です。難しい字や知らない言葉に出会ったら辞書を調べるように、天国ことばの聖書を開いて言い直します。 年末の日々、天国ことばを使い、新しい2013年が天国言葉があふれる毎日をお過ごしください。日本中に万国共通の天国ことばが流行りますようにと祈る朝です。 詩篇1:1 いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず1:2 主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす
2013/12/13
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ハレルヤ!神戸キリスト栄光教会・菅原亘牧師のメール転載です。E21ではご協力をありがとうございました。E21は祈りの結集による大会であったと言えます。引き続き祈りの連携を広め深めて参りましょう。さて、提案ですが、神戸キリスト栄光教会では新年1月3日に短いですが1日断食祈祷会を開きます。この日には全国の教会にも呼びかけてAM6時~PM6時まで12時間を「日本救国」の一致したテーマで祈りの結集を呼びかけたいと思います。賛美と祈りとみことばで主に近づきましょう。混迷の度を増す日本と世界、闇路を照らす真の光なるキリストの栄光が日本の救いを通して現されますようにお祈りいたしましょう。E21は日本のリバイバルのきっかけをもたらすために備えられた大会でした。ここからが本番です。気を緩めることなく、必死に主の御顔を求め、日本の救いの完成を祈りましょう。賛同されましたら、おしらせください。Eメールと言う便利なツールがありますので全国に拡大したいと思います。転送、転送で呼びかけてくださると一気に拡大して行きます。すべてはキリストの栄光のために、日本の救いの完成のために。最高、最善のクリスマスをお迎えください。シャローム
2013/12/13
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聖書の一言=申命記29:5-6 私は、四十年の間、あなたがたに荒野を行かせたが、あなたがたが身に着けている着物はすり切れず、その足のくつもすり切れなかった。あなたがたはパンも食べず、また、ぶどう酒も強い酒も飲まなかった。それは、「わたしが、あなたがたの神、主である。」と、あなたがたが知るためであった。聖書のことばにそのままアーメンと応答する朝です。72年間、今朝の言葉通りの人生、着るものも暑さ寒さの中も守られ、その足の靴もすり切れず、毎日7000歩は歩けます。食べるものも制限はあるが食べて、毎日恵みに生かされ、ぶどう酒も強い酒も飲んだこともなく、最高のいのちの水を飲み続けています。唯一のまことの神、天地創造の全知全能、永遠不変の偏在の神を、天のお父様と祈り願い,その愛に守られながら、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。種子島から生駒聖書学院入学のとき、靴は一足、シャツは一枚の何もないような神学生でした。先輩に呼ばれ注意されました。義之君、お金がない、あれがない、これがない、そんな言葉を使っていると、一生涯困ることになり、貧乏精神から抜け出せないよ。その日から意地でもマイナス言葉は言わないと決めました。それは父からも教えられ続けていたことでした。義之。大切なのは命の尊さだ。金や物だけを求める世の中と違う生き方こそ大切だよ。今、72歳になり、クリスチャンとして57年、牧師も長くなり、人生の酸いも辛いも、悲しみも病も経験し、幾たびも輝くいのちに生かされています。経験が多くなればなるほど、今朝の申命記のことばの真実が、身につまされて分かるだけでなく、多くの人々の悩みに寄り添う牧師として、今も現役で仕えています。多くの牧師が引退するのが早いのではないか。生涯の終わるまで、その臨終のとこまでも、イエス・キリストの救いを伝え続けることができれば幸いです。伝道者の書11:1 あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう。 11:2 あなたの受ける分を七人か八人に分けておけ。地上でどんなわざわいが起こるかあなたは知らないのだから。 11:3 雲が雨で満ちると、それは地上に降り注ぐ。木が南風や北風で倒されると、その木は倒れた場所にそのままにある。 11:4 風を警戒している人は種を蒔かない。雲を見ている者は刈り入れをしない。 11:5 あなたは妊婦の胎内の骨々のことと同様、風の道がどのようなものかを知らない。そのように、あなたはいっさいを行なわれる神のみわざを知らない。 11:6 朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。 11:7 光は快い。太陽を見ることは目のために良い。
2013/12/13
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二冊のマンガ、「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」と、「今日もまた天国の一日」、ひとりでも多くの方に、救いを知って欲しいと願い、6万部発行しましたが、残部はほとんどありません。「歌えない、踊れない、無口の牧師物語」はプロの漫画家が書き、マンガを描くのが夢だった牧師の娘が、生駒聖書学院に入学し、在学中に「今日もまた天国の1日」と題してマンガを描きました。種子島出身の書家が題字を書き、出版の日に洗礼を受けてクリスチャンになり、今年の9月に益城エリムキリスト教会ができ、15日には熊本行きです。。 マンガが出版された日に、洗礼を受けてクリスチャンとなってくれました。たかがマンガ、されどマン。ご覧のただ得る方は、種子島原人ブログで、種子島輝きの人を検索ください。 そこに、「歌わない、踊れない、無口の牧師物語」が、神学生ナレーションの動画で紹介されています。必要な方には無料でお贈りいたします。コリント人への第一の手紙 9:16 というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。 9:17 もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているのです。 9:18 では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。 9:19 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。 9:20 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。 9:21 律法を持たない人々に対しては、――私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが、――律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。 9:22 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。 9:23 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。
2013/12/12
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聖書の一言=申命記29:3 あなたが、自分の目で見たあの大きな試み、それは大きなしるしと不思議であった。恵みの朝明け、奇跡は今日も。自作の詩を口ずさみ、聖書のことばを告白し、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。自分の目で見たあの大きな試み、牧師として院長として、さまざまな人々の大きな試練や悩みを見てきました。ところが2011年に、診察室で主治医から家内が肺がん末期と告げられ、余命一年です。抗がん剤も手術も放射線治療もできません。運転もスイミングも何でもしてください。あの日から3年目のクリスマスを迎え、大きなしるしと不思議を経験し、炊事、洗濯、掃除はもちろん、教会生活や奉仕、孫たちも守りも続け、25日にはみんなでクリスマスを祝います。イエス様の恵みの癒しと、多くのとりなしの祈りに支えられています。家内だけでなく、昨年運転中に右脳内出血になり、電柱にぶつかり救急病院入院。完治し退院後ムリをして小脳内梗塞で再度入院。完治し一年が過ぎ、今年は熊本県益城エリムキリスト教会も誕生しました。8日には熊本行きです。自分でも経験した大きな試み、そのさなかで大きなしるしと不思議、奇跡を経験する恵みの日々です。聖書の約束は真実、誠です。アーメンでどんな出来事の中でも、大きなしるしと不思議を経験できます。祝福を祈ります。
2013/12/12
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家畜小屋で「マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」と。飼葉おけに寝かされた、イエス・キリストの誕生を昨夜も語りました。ミケランジョロがフィレエンツェのある通りを歩いていました。彼は傍らのゴミ捨て場の中に、カララ・マーブル(イタリアのカララ地方で取れる最高の大理石)が捨てられているの気付きました。この最高の大理石は、未熟な彫刻家が、切り刻んで台無しにし、ゴミ捨て場に投げ捨てたものだったのです。しかし、ミケランジェロはその投げ捨てられらカララ・マーブルの中に、天使の姿を見たのです。 ごみの山から拾い出し、のみと木槌を使い、人類が創作した中でも指折りの名作、ダビデ像を作り出したのです。全能の愛なる神は、人間としてこの罪の世に生まれ、最も低い家畜小屋の飼い葉おけに寝かされました。それは投げ捨てられたような人生であれ、人や悪魔に、あるいは自分自身であきらめたような目茶苦茶な生活であれ、イエス・キリストは愛し、見出しくださり、その十字架と復活の救いを与え、限りなく美しく可能性に輝く、神の子の姿に造り変えてくださるのです。クリスマスの目的は、神からの最大のプレゼント、新しい神の子としての人生が始まるときなのです。 ただ十字架の救いを、「アーメン。信じます。イエス様を心にお迎えします」と、救い主、主イエス・キリストをお迎えください。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。(ヨハネ1:12) 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。(黙示録3:20)
2013/12/11
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聖書の一言=申命記28:2 あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。イエス・キリストは十字架の上に、すべての呪いを取り除き、消し去ってくださったので、アーメン。ありがとうございます。祝福されました。感謝します。信じ告白し続けるとき、毎日がどんなときでも天国の日々です。説明よりも、聖書そのままを読むと、 28:3~13 あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。あなたのかごも、こね鉢も祝福される。あなたは、はいるときも祝福され、出て行くときにも祝福される。主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。主は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださることを定めておられる。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。あなたが、あなたの神、主の命令を守り、主の道を歩むなら、主はあなたに誓われたとおり、あなたを、ご自身の聖なる民として立ててくださる。地上のすべての国々の民は、あなたに主の名がつけられているのを見て、あなたを恐れよう。主が、あなたに与えるとあなたの先祖たちに誓われたその地で、主は、あなたの身から生まれる者や家畜の産むものや地の産物を、豊かに恵んでくださる。主は、その恵みの倉、天を開き、時にかなって雨をあなたの地に与え、あなたのすべての手のわざを祝福される。それであなたは多くの国々に貸すであろうが、借りることはない。私が、きょう、あなたに命じるあなたの神、主の命令にあなたが聞き従い、守り行なうなら、主はあなたをかしらとならせ、尾とはならせない。ただ上におらせ、下へは下されない。
2013/12/11
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ABCスタジオへ2014年1月放送録音へ。来年は元旦が水曜日、何と大晦日も水曜日。希望の声で始まり、希望の声で締めくくる祝福の年。録音を終えて新世界へ。少し早く集会までの時間、串カツ店の呼び込みの店員に、イエス坂のことを話すと、アーメン信じますと祈ってくれた。写真を上手に写したつもりが、ちゃんとできていなくて、久しぶりの新世界なのに残念。集会で説教の後、出席していた医者が、予防接種の注射を特別にやってくれ、子どもが先生痛くないと顔を見ながら声をかけてくれる。9時過ぎには帰宅でき、何と今日は朝からよく動いたので、一万歩を越えて歩いた、今日もまた天国の一日でした!ありがとうございます。
2013/12/10
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聖書の一言=申命記23:23 あなたのくちびるから出たことを守り、あなたの口で約束して、自分から進んであなたの神、主に誓願したとおりに行なわなければならない。ハイはハイ、イイエはイイエ。どちらかで返事をし、ハイだったら返事のとおりに実行すれば、世の中は何と暮らしよくなることでしょう。結婚式でその最高のハイ=誓います=と宣言しながら、直ぐ離婚ということも多い昨今で、いつの間にか人前結婚ばやりだそうです。原子力発電再開はしないと言いながら、いつのまにか原子炉新設まで、さらにその輸出までしている、世界最初の被爆国の悲劇を忘れ、経済復興だけに国威発揚を目指し、正しい政治理念を失い、オリンピックまでも国威発揚に利用する国になりました。日本の救いと平和を心から願い、今日もまた天国の一日です!マタイの福音書5:33 さらにまた、昔の人々に、『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ。』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。 5:34 しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。 5:35 地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。 5:36 あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。 5:37 だから、あなたがたは、『はい。』は『はい。』、『いいえ。』は『いいえ。』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。
2013/12/10
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イエス・キリストは、ユダヤの国ベツレヘムの馬小屋で生まれました。2000年前、ローマ帝国の人口調査があり、それぞれが生まれ故郷で登録せよとの命令でした。ナザレからの長旅でベツレヘムへ着いたとき、マリヤは赤ちゃんが生まれる寸前でした、宿屋には彼らのいる余地がなく、近くの家畜小屋で赤ちゃんが生まれ、マリヤは飼葉桶=馬のえさ箱に赤ちゃんイエスを寝かせました。宿がない経験をしたことがありますか。19歳の時はじめて東京へ行きました。約束していた方と出会えず、一晩中皇居の周りを歩き回り朝を迎え、皇居交番で温かいお茶を飲ませてもらい、危険だからホテルを捜すよう親切なアドバイスでした。宿なしの辛さをイヤと言うほど経験した、初めての東京でした。イエス・キリストは天地万物の創造者です。有名ホテルのオーナーが、ホテルに来て宿泊を求めたのに、それを知らない従業員が追い返したのと同じような振る舞いを、人類がしたのです。宿屋には彼らのいる余地がなかったのです。イエス・キリストは馬小屋で生まれ、十字架の上に死なれました。その目的は人類の罪を身代わりとなり、人類の上にある病、呪い、貧困、死をすべて取り除くためでした。 「あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです」(第二コリント8:9)聖書のことばは明白に告げています。キリストが貧しくなられたのは、信じる者が富み豊かになるためでした。心の豊かさであり。知識的、社会的、家族的、仕事や経済的豊かさも含まれます。また文明の豊かさ、芸術や文化の豊かさも含まれます。あなたがたは、すべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちから出てあなたがたの間にある愛にも富んでいるように、この恵みのわざにも富むようになってください」(第二コリント8:7)と、その豊かさについて、聖書はアーメンと信じる者に約束しています。平安と豊かさのあふれるクリスマスが、全世界を満たすよう祈る、クリスマスの時期です。
2013/12/09
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聖書の一言=申命記17:16 王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない。」と主はあなたがたに言われた。申命記には王に対する律法があり、人々が真の神より、目に見える指導者を求める姿を描いています。偉大で強力な王はいつの間にか、自分を独裁者にすることは歴史が証明しています。その特徴は馬を増やす=軍事力の強化です。現代も同じで、核兵器や軍事力の均衡の上に、世界が動いいといます。日本も与党勢力が圧倒的に強く、軍事力増強やあれだけ原子力発電に頼らないといっていたのに、原子炉再開に向かうだけでなく、新設原子直発電まで言い出しました。もう一つの禁令は、「二度とこの道を通ってはならない」です。太平洋戦争の悲惨さと、広島・長崎への被曝を体験したのに、治安維持法にも似た秘密保護法案を国会通過させてしましました。平和憲法を守るはずの為政者たちが、自ら憲法を自分たちの都合の良いように解釈し始めている時代になりつつあります。聖書の箴言に「 王は正義によって国を建てる。しかし重税を取り立てる者は国を滅ぼす」とあります。真の神の義ではなく、己の自我自賛の義を指導者が主張し、国威発揚を言い始める時、国民の事を忘れ、重税を取り立て、ついには国を滅びに導くのです。歴史が証明している実例が、人類の歩みの中に記録されています。日本よ、為政者たちよ。二度と同じ過ちの道を通るなと祈る、今日もまた天国の一日です。
2013/12/09
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