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昨年の今日書いたブログ。今年は朝東京上野から帰宅でした。今朝もチャペルだけの参加でした。副院長のメセージは、事実か真実かという話でした。 イエス様は目を上げてご覧になりました。 目に下げるか、目を上げるか、目を見上げるか、目の三つの表現があります。 目を下げる時、自己卑下であり、否定的消極的人を身下げたり、非難したり上から目線で人を裁いたりしてしまいます。 イエス様は目を上げて、貧しいやもめのレプタ銅貨2枚(50円玉2枚くらい?)を入れるのをご覧になりました。 その隣ではお金のある人たちが有り余る中から献金を投げ入れていました。やもめ女は、乏しい中から、持っていた生活費全部を入れたのです。 事実は献金を投げ入れたことです。見える計算をするなら大きい金額と、レプタ2枚が事実でした。 しかし、イエス様はやもめ女の真実をご覧になりました。私たちも事実は大切ですが、目を上げて真実を見る心を持ちたいものです。 人に接する時事実を見る目と、真実を捕える心の目も必要です。 また、目をさらに上に向けて、唯一の愛である真の神様を見上げたいものです。いまサムシング・グレートという言葉を良く耳にします。この宇宙には人間より遥かに偉大な力があると言う考えです。 医者や科学者の中にもその力を信じて研究にいそしんである方もあり。難しい研究や、手術に成功したときなど、サムシング・グレートが力を与えてくれたと、謙遜に語る場合があります。 サムシング・グレートは全能の神であり、私たちの主イエス・キリストであると言えば宗教になると言うのが、サムシング・グレートと言う方たちの言い草です。 真実から目を背けないで、真の神の真実を見つめる方たちが増えることを今朝も祈ります。 日本全国に真の神の真実を見る目を持つ人々が増えることを期待し、イエス・キリストの救いが満たされることを感謝します。
2013/10/31
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ミケランジェロは、イタリア全土で熟達した彫刻家として有名になっていました。彼はローマ法王ユリウス二世の彫像を造るために呼ばれ、興奮して有名な大理石の採石場カララへ出かけ、巨大な大理石を吟味し、選び買い求め、幸せな半年間を過ごしました。 ところが大理石とともにローマに帰ると、彫像ではなくシスティナ礼拝堂の天井画を描くよう法王に言われた。彼は真っ青になり、画家ではないからと抗議し、ラファエロへと願ったが、法王はミケランジェロに描くよう厳しく命じました。カララの有名な大理石を選んだ、もったいない、システィナ礼拝堂の高い天井画を完成するのに何年かかるか、彼は絵など描きたくないという激しい怒りと失望の気持ちをグッとこらえました。絵を描く決心をして、はしご伝いに足場に上ったミケランジェロは。仰向けになって頭上の天井に描き始めました。まさに拷問のように、絵の具が顔にこぼれ落ち、目に入るとヒリヒリ、何よりも私は有名な彫刻家だ、絵描きではない。画家たちに依頼したが、助けになるどころか足でまとい。彼らが書いたところを消してまた書き直す。彼は覚悟を決めて、彼は絵筆を手にして、夜明けとともに描き始め、暗くなり手元が見えなくなるまで描き続けた。いく夜も礼拝堂に泊まり、あおむけになったまま描き続け、不自然な姿勢に慣れてしまい、疲れがたまり具合が悪くなっても、ただひたすら描き続けました。そして徐々に天井いっぱいに、かつて人間の手で創造されたころのないほど完璧で神聖な情景が出現しました。父なる神が光よあれと宣言しているところ、アダムとエバの創造、人間の堕落、ノアの大洪水・・・・。300を超える像がミケランジェロの筆の先から次々と生まれました。どれも崇高で、巨匠ミケランジェロの彫像と変わらない力強さと威光を備えていました。計り知れないほどの疲労と孤独にさいなまれながら戦った四年の歳月が過ぎ、ようやくこの膨大な天井画が完成しました。足場が取り外され、システィナ礼拝堂の扉が開け放たれて、大勢の人々が押しかけて入ってきた。天井を見上げた人々は、驚きの余り立ち尽くしました。ラファエロももやってきて、ミケランジェロと同じ時代に生まれたことを、心から神に感謝しました。システィナ礼拝堂でその天井がを見上げた日を思い出し、鳴門市の大原美術館で、複製画を何度も見たことを思い出します。上野西洋美術館に、ミケランジェロ展を見学しました。
2013/10/31
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聖書の一言=レビ記14:455 わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した主であるから。あなたがたは聖なる者となりなさい。わたしが聖であるか.ら。ひずめが分かれ、反芻する動物は食べてよいが、ひずめが分かれていても反芻しない動物はたべるな。特に豚が禁じられています。魚類ではヒレやうろこのあるものは食べてよいが、ヒレとうろこのないものは,すべて忌むべきもので食してはならない。鳥では、はげたか、はげわし、カラスなど21種類。羽があって群生し四足で歩き回るもので、食べてよいのはイナゴの類、コオロギの類、バッタの類以外は汚れた忌むべきもの。その他、もぐら、とびネズミ、オオトカゲやもり、ワニ、カメレオン。爬虫類で蛇などが禁じられています。かなり厳しく食べるものが禁じられていますが、医学的にも衛生的にも、今でも大切な分離だそうです。しかし、本当の目的は、聖なる神の民としての聖さを、身をもって示すためです。新約に生きる私たちは、祈りと感謝するとき、何を食べてもよいのです。しかし同時に、自分を汚すような、健康を損ない、神の聖から離れるような嗜好品、生活習慣病をもたらすようなものから離れることは当然のことです。飲み食いによって、健康を損なわないように、神の裁きをうけることのないように、食べるにも飲むにも、神の栄光が現れるように!義と平和と聖霊に満たされ続けたいものです。今日もまた天国の一日です。感謝します。今、日本食が注目され、約55,000の日本食レストランが世界中にあるそうです。ユネスコの文化遺産に日本食が登録されるかも?日本の長寿を支えてきたのは、「まごこはやさしいよ」をきーわーどに、毎日バランス良い食生活を、感謝とともにつづけたいものです。ま=豆、ご=ごま、こ=米(玄米)、はーわかめ(海藻)や=野菜、さ=魚、し=しいたけ(きのこ類)、い=いも類、よ=ヨ-グルトまごこはやさしよを基本にして、食塩を控えると良い。塩分を取らなかったころのマサイ族は、高血圧者はほとんど0%、塩分を撮るようになると12%に。脳内出血、脳梗塞は、高血圧が原因と栄養士にしっかり叱られ続けた昨年でした。脂肪、特に動物性脂肪を摂り過ぎない。野菜と果物をたっぷり食べると、カリュウムと食物繊維が食塩の害を減らしてくれます。最近は、種子島の安納イモを食べています。入製品も必要で、最近は家内が地中海ヨーグルトを作ってくれます。魚や大豆で良質なタンパク質をそれるので、黒豆をよく食べます。食事は大勢で賑やかにがいいのですが、家内と二人になり、先週は孫の誕生祝いで10名で賑やかでした。新鮮な食材をバランスよく、学期中は学院の食事を夜は持って来てくれ、栄養士が食事係で美味しくバランスよく感謝です。一日一善、朝昼晩一回くらいは、ヘルシーなバランス食を、安納芋で種子島時代の食生活です。健康力は自分で高めるもの、今まで何も考えずに好きに食べていましたが、昨年の病いらい、少しは食に気をつけるようになりました。世界中で長寿地域に共通しているのは、食事を楽しみ前向きに生きる姿です。いつまで地上で生きるか、神様が天に召してくださるまで、前向きに明るく、聖書が約束するように健康で豊かに祝福され、神の口から出ることばに養われて、与えられた使命を果たしたいと祈り願う日々です。永遠とは後に来るものではなく、永遠は今もすでにここにあり、今日もまた天国の一日です!今日は珍しく朝から一泊で東京行きです。大好きな新幹線で行きます。ありがとうございます。
2013/10/29
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昨年の今日のブログが返送されたので、また紹介します。お祈りありがとうございます。ボツボツ元気の日々で、安納芋を食べながらの食生活です。昨年10月18日(水)の朝、まったく動けなくなり、堺市馬場記念病院まで運ばれ治療室へ。CT検査で小脳内脳梗塞とのことで病室へ。それから21日(日)夜まで点滴を寝たっきりで受け続けました。 食事はおかゆを中心にスプーンで食べ、日曜日夜、個室から交通事故で両肩骨折の方、自治会の祭りで胴上げされ、酒も入っていたのでそのまま落とされ頭を割った方、また産業事故で落下してきた70キロの物体に脊椎骨折した方、脳内出血で右目が見えなく名た方との相部屋に移されました。体調の変化とともにお話しを聞いたり、手を置いて祈ったり、退院の日には「天の虫けら」と「マンガ」も「気持ちよく受け取ってもらいました。 退院した土曜日は一日中ベッドの中でした。熊本での集会の祝福を祈り、天気予報では雨だったけれども晴天に恵まれ盛会とのことをお聞きし、種子島バンザイと叫びました。集まりで種子島縁(ゆかり)の会も結成され幸いでした。 昨日は朝学院教会メッセージ、身体がきつかったけれども昼から大阪エリムキリスト教会礼拝説教へ車で、送迎してもらいました。 帰りにコンビニで牛乳を買ってもらい夕食後はすぐに休みました。月曜日、今学期は通学生メッセージになっているので少しゆっくり、チャペル出席でメッセージを聞き恵まれました。 今日は授業時間を交換し、終日休みにしてもらっています。脳梗塞は手術なしで完治していますが、高血圧と血液をサラサラにする必要があり、今学期いっぱいムリしないで過ごす予定にしています。メール返信が遅れたり、コメント返信も滞ることをお許しください。申命記10:12 今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは何か。それは、ただ、あなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くしてあなたの神、主に仕え、10:13 あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。10:14 見よ。天ともろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、あなたの神、主のものである。10:15 主は、ただあなたの先祖たちを恋い慕って、彼らを愛された。そのため彼らの後の子孫、あなたがたを、すべての国々の民のうちから選ばれた。今日あるとおりである。
2013/10/29
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旧約聖書には、レビ記11:2 「イスラエル人に告げて言え。地上のすべての動物のうちで、あなたがたが食べてもよい生き物は次のとおりである。11:3 動物のうちで、ひづめが分かれ、そのひづめが完全に割れているもの、また、反芻するものはすべて、食べてもよい。牛肉や羊肉は食べても良いのです。11:4 しかし、反芻するもの、あるいはひづめが分かれているもののうちでも、次のものは、食べてはならない。すなわち、らくだ。これは反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。11:5 それから、岩だぬき。これも反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。11:6 また、野うさぎ。これも反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。11:7 それに、豚。これは、ひづめが分かれており、ひづめが完全に割れたものであるが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。 11:8あなたがたは、それらの肉を食べてはならない。またそれらの死体に触れてもいけない。それらは、あなたがたには汚れたものである。豚は食べてはならないと規定され、ユダヤ教では現在もそレをしっかり守っています。イスラエルへの生地旅行では、豚肉は絶対に出ることはありません。そ他、魚や鳥、など禁じられた食物があります。イエス様は食べ物についてどう教えたのでしょうか。イエスは言われた。「あなたがたまで、そんなにわからないのですか。外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。そのような物は、人の心には、はいらないで、腹にはいり、そして、かわやに出されてしまうのです。」 イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた。また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」マルコの福音書7:18-23使徒パウロは、あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。 それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。ローマ14:1-6こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。第一コリント10:30食べるもので救いが左右されるわけではありません。アーメンと信じて、バプテスマを受ければ救われるのです。聖書の救いから遠ざける教えに近づかないようにしたいものです。しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。神のことばと祈りとによって、聖められるからです。(第一テモテ4:1-5終わりの時代には惑わす霊と悪霊の教えにとに心を奪われる時が来ると宣言しています。そして今がまさにそのようなじだいです。ですから聖書の食物に対する結論は、「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。神のことばと祈りとによって、聖められるからです」(第一テモテ4:1-5)今日も日毎の食物をお与えくださいと、祈りつつ感謝して食事をいただけることは幸いです。今日もまた天国の一日です。
2013/10/29
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聖書の一言=レビ記11:44 わたしはあなたがたの神、主であるからだ。あなたがたは自分の身を聖別し、聖なる者となりなさい。わたしが聖であるから。地をはういかなる群生するものによっても、自分自身を汚してはならない。14章には食べてはいけないものが命じられています。今でもユダヤ教では厳格に守られています。医学的に、また栄養学的に見ると、それらを食べない方が健康に良いという説もあります。その規定を論じるよりも、イエス様は口から入るものは人を汚さず、内から出るものが人を汚すと教え、パウロは食べない人は食べる人裁かない、食べる人は食べない人を裁かないように、感謝して受けるなら捨てるものはないと断言しています。自分を汚すような、健康を損ない、神の聖から離れるような嗜好品、生活習慣病をもたらすようなものから離れることは当然のことです。飲み食いによって、神の裁きをうけることのないように、食べるにも飲むにも、神の栄光が現れるような、食生活が願いです。義と平和と聖霊に満たされ続ける、今日もまた天国の一日です。感謝します。テモテへの第一の手紙 4:1 しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。 4:2 それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、 4:3 結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。 4:4 神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。 4:5 神のことばと祈りとによって、聖められるからです。 4:6 これらのことを兄弟たちに教えるなら、あなたはキリスト・イエスのりっぱな奉仕者になります。信仰のことばと、あなたが従って来た良い教えのことばとによって養われているからです。
2013/10/29
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昨年の今日は日曜日。以下の様なブログを書いていました。今朝は退院したばかりですので、朝は学院教会礼拝、身体の調子を見ながら昼から大阪エリムを予定してます。 8日間の脳梗塞入院で早い退院を感謝しています。ゆっくりボツボツ主の豊かな癒しを体験しております。ハレルヤ!今日もまた天国の一日です!感謝します。」神を愛し、人を愛する ルカ10:25 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスをためそうとして言った。「先生。何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか。」10:26 イエスは言われた。「律法には、何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」10:27 すると彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』とあります。」10:28 イエスは言われた。「そのとおりです。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」と、イエス様は有名は良いサマリヤ人の話をしてくださいました。神を愛する=最高の倫理道徳とともに、聖く正しく生きる最高の人生です。第一戒 出エジプト記20:2 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。20:3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。第二戒 〃 20:4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。20:5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、20:6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。第三戒 〃 20:7 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。第四戒 〃 20:8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。20:9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。20:10 しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。--あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。--20:11 それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。人を愛する第五戒 出エジプト記220:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。第六戒 20:13 殺してはならない。第七戒 20:14 姦淫してはならない。第八戒 20:15 盗んではならない。第九戒 20:16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない 第十戒 20:17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」新しい戒め=倫理道徳を越えた、さらに人を裁かず、自らを謙遜に生きる王道の人生です。ヨハネ13:34 あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。13:35 もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。結論として、それは難しい不可能の人生ではなく、イエス様がともに歩んで下さることにより、達成可能な勝利に輝く人生です。豊かな神の愛が聖霊により注がれ続ける日々です。第一ヨハネ5:3 神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。5:4 なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。5:5 世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか。
2013/10/28
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聖書の一言=7:15 和解のための感謝のいけにえの肉は、それがささげられるその日に食べ、そのうちの少しでも朝まで残しておいてはならない。レビ記には、5つの供え物=全焼のいけにえ、穀物のささげもの、和解のいけにえ、罪のためのいけにえ、罪過(とが)のためのいけにえ=一章から七章まで、詳しく規定支持されています。和解のための感謝のいけにえも規定され、その肉はその日に食べ、そのうちの少しまでも朝まで残すなと命じられています。和解とは神との関係が平和、平安であることです。イエス・キリストの十字架の犠牲により、アーメンとその事実を信じるときに、神との平和・平安が与えられます。すべての罪も罪過も赦されたので、不安の根本的原因が解決されたので、もはや死を恐れたり、神の刑罰への恐れは消え、天国への保証が与えられたのです。ですから毎日を全てに感謝して生きる幸いです。日々に感謝、時々刻々感謝の気持ちで生きるとき、不思議に心は落ち着き、判断力、行動力は豊かになり、物事を集中して実行できます。十字架により平安は与えられ、恐れ迷わず心騒がせることなく、今日もまた天国の一日です。感謝します。書き終えて、そうだ、探しだしてでも感謝してみよう。この地上に生まれてきたこと。産んでくれた母のこと。含ませてもらった乳房。生まれ育った種子島の家、毎日食べたさつま芋の食事。今月も安納芋を食べています。また種子島から新しい紅芋?も送られて来た。家内は安納芋より美味しいと食べています。土曜日は、山形からいも汁が届いた。食べるものが毎日あるだけでも感謝!左脳内出血14年前、昨年は右脳出血と交通事故、1ヶ月後には小脳内梗塞で入院直ぐ退院。今日も元気で化石人間と言われながらブログに書けること。もう感謝することがいっぱい。家中に、学院中に感謝が溢れている。神との和解は感謝しか無いと思う朝です。テサロニケ人への第一の手紙 5:18 すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
2013/10/28
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昨年の今日書いたブログが転送されたので、転載です。 またもや、今度は脳梗塞で8日程入院し、退院になりました。前回の右脳内出血(7月22日~8月24日)と同様にブログに書くのは恥ずかしく思いつつも、主イエス様の癒しと多くの皆様のお祈りの恵みに感謝しております。 15日夜中に動けなくなり、朝開けとともに内科医が来てくれ血圧を下げてくれました、火曜日は一日中ベッドでうなっていました。 火曜夜も同じ状態で、天井がぐるぐる回る、今まで経験したことがない酷いめまいと、吐気けが襲います。がまんできず17日朝に車で堺市まで寝て連れて行ってもらいました。 主治医にこんな時は救急車で来るべきだと怒られ、すぐCT検査で何と小脳内梗塞という診断。 すぐひとり部屋に移され点滴を21日(日)夜まで継続し、食事も上げ膳据え膳で世話されました。退院して間がないので看護師たちも顔見知りが多く、天の虫けらやマンガを読んでくださった方も多く叱れれたりもしながら楽しい時を過ごしました。 日曜日の夜に相部屋に移され、交通事故の方、産業事故の方,もう一人は祭りの世話役で良くやってくれたと胴上げをしてもらい、みんなの酔った勢いで地面に落とされ頭を割って入院という不幸に見舞われた青年でした。 自分のベッドに横たわるまで、交通事故に出会った方の手を置いてしばらく祈り、また点滴を受け続ける夜でした。主イエス様のいやしと皆様の祈りに支えられ、脳梗塞でしたが幸い頭の手術もせず、何不自由なく歩くこともでき、ことばもしっかり話せて、思いがけないほど早い退院のなり、同室の皆様や看護師さんやスタッフの皆様の驚きの声の中を帰ってくることができました。 ムリをせずゆっくり安静をいわれております。ブログへのコメントやメールへの返信が滞ることがあれば、ご容赦いただきますようお願いいたします。また明日からは何やかやと書き続けようとおもいます。よろしくお願いいたいます。
2013/10/27
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恵みは輝き いのちは燃えて聖霊そそがれ 新たな能力(ちから)主イエスの十字架 すべて解決恐れも悩みも 消えてあとなし十字架の上にて すべて解決病ものろいも まずしさ死をも悪魔は滅びて とわ(永遠)のいのちが豊かにそそがれ 天国の日々主イエスは復活 すべての勝利我とともにあり 世の終わりまで 福音伝えて 御業あらわれ癒しと不思議は 常に伴うアーメンマルコの福音書6:15 それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。16:16 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。 16:17 信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、わたしの名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、16:18 蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」16:19 主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。16:20 そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。〕 16:21 〔さて、女たちは、命じられたすべてのことを、ペテロとその仲間の人々にさっそく知らせた。その後、イエスご自身、彼らによって、きよく、朽ちることのない、永遠の救いのおとずれを、東の果てから、西の果てまで送り届けられた。〕
2013/10/27
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今日は大阪マラソン、3万人を越えて参加するという。知り合いが二人参加している。大阪エリムは昼からの礼拝で、車で行くがコースからそれていることもあり、阪神高速夕陽ケ丘を出てすぐです。マラソンの名前は、マラトンからアテネまでの40キロを走りぬいたフエィディッピデスにちなんでいます。現在は42.195キロですが、1908年イギリス国王エドワード7世は、自分の死んでいるウインザー城から、オリンピックのスタートを見たいと思い、城からロンドンのオリンピックの距離が、それ以後公式のマラソン距離になりました。マラトンの野でペルシャ軍と戦ったアテネ軍は、勇猛に戦い、ついにダリウスとその軍勢は、自分たちの船を目指して逃げ出しました。アテネの司令官は、フエィディッピデスに、「アテネにできる開け早く、我々の勝利を伝えるのだ」と命じました。戦いで疲れ果てていましたが、フエィディッピデスは槍を放り出すと、かつてないほどの速さで走り5キロ、10キロ、15キロ、30キロ、40キロ。ついにアテネに着きました。心待ちしていた人々が道を開けると、息も切れ切れに中央に進み出た。喜べ!我々は勝ったのだ!歓声が沸き起こった。勇者フエィディッピデスは地面に崩れ落ちた。そして、人々が腕の中に抱き上げた時には、すでにこときれていた。主イエス・キリストは全人類の敵である死を滅ぼし、墓に葬られましたが、その死とその死の力を持つ悪魔を滅ぼし、3日目の朝復活されました。我々は勝った!とのことばが、アテネ市民を救いの感激で満たした以上に、イエスキリストの復活は、全人類に救いと天国の道を開きました。ありがとうございます。救われて今日もまた天国の一日です!ハレルヤ。日々に勝利です。感謝します。
2013/10/27
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聖書の一言=レビ記1:4 その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである。レビ記は、礼拝の規定を詳しく記述しています。カインとアベルが人類最初の礼拝を捧げ、カインは、自分の農産物から捧げ物を持ってきて礼拝しましたが、その捧げ物は受け入れませんでした。アベルは羊飼でしたが、その群れの羊の最上の初子を捧げて礼拝し、彼の礼拝は受け入れられました。カインは怒ってアベルを殺し、人類最初の殺人者となり、真の神を礼拝しない人類の歴史は、殺人と戦争の歴史へと脱し続けて、ついに原爆や今は核の脅威で、地球を滅ぼしかねなくなっています。イエス・キリストは、全人類の身代わりとして、十字架の上で犠牲となり、旧約の礼拝規定で、全焼のいけにえの頭に手を置くと、その身代わりで受け入れられたように、アーメンと十字架の救いを信じるだけで救われるのです。罪とがが赦され、正しくきよく、健やかに豊かに幸せに、死を超えて永遠に生きる恵みが与えられます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2013/10/27
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デボーションがルカの福音書5章。読んでいる時に、いつくしみ深き友なるイエスはのメロディで歌う歌詞が出来ました。恵みのみことば 深みへ漕ぎ出せことばにしたがい 漕ぎ出し網を下ろすと大漁 網破れそう仲間に合図し 船はいっぱい 恐れてひれ伏す 主イエスのみ前怖がり恐れず 我に従え救いと平安 人を漁り豊かに与え とわ(永遠)のいのちへ十字架復活 救いはなされアーメン信じて 神の子とされ正しく健やか 祝福豊か明るく輝き 天国の道御霊にみたされ 世界に福音伝えてそのとき 主イエスは再びこの地に来たりて 御国は実現その日を望みて 栄光のときアーメンルカの福音書5:1 群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、 5:2 岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。 5:3 イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟にのり、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。 5:4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。 5:5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」 5:6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。 5:7 そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。 5:8 これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と言った。 5:9 それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。 5:10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」 5:11 彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。
2013/10/26
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聖書の一言=出エジプト記40:34 そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。神の命じられた指示通り、幕屋は完成し、神の栄光が幕屋に満ちました。35年ほど前、書店で積極人間のXYZを手に取り読んでみると、私を見れば神様がわかるでしょうとあり、著者の夏目志郎と知り合いになりました。東京、目黒の自宅に泊めてもらい、柿の木坂の社屋にも案内してくれました。数年前に天国に召されましたが、すばらしいクリスチャンで、ビジネスセミナーを大阪で数年間いっしょにしました。彼の口癖は、僕を見たら神様がわかるでしょう!、晩年は台湾でもビジネスやセミナーを行い、多くの人々に幸せを提供し続けkました。夏目志郎を思い出すと、神の栄光に輝き生きた彼と、僕を見れば神様がわかるでしょう!とのことばを思い出します。イエス・キリストを信じる人生が、神の指示(聖書の教えと規範)に従うなら、人生の目的が分かり、神の栄光に輝いて、活き活きと生きる事ができます。「オレたちはなんのためにメシ喰ってるんだ?またメシを喰うためじゃねえだろう。自分にできることを探してるのさ。世の中はみんなそれを探してウロウロしてるんだ。 (ぼのぼの)」フエイスブックでシュアした漫画のセリフ。全てのむなしさから開放され、平安と幸せの生きる喜びに輝く人生があります。聖霊の満たしと注ぎの中で、聖書のことばに従う、神の栄光の道を楽しく過ごしましょう。今日もまた天国の一日です。
2013/10/26
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聖書の一言=39:43 モーセが、すべての仕事を彼らが、まことに主が命じられたとおりに、したのを見たとき、モーセは彼らを祝福した。 生駒聖書学院は今年、エレベーターも設置しバリアフリー改装工事完成。創立者クート師来日100年記念も、聖霊に注がれた聖会。 9月には、熊本県益城エリムキリスト教会開設。改装工事できれいな教会が完成し祝された献堂式でした。卒業生が金沢市で300名収容教会が、定礎で来春には完成とのこと。 建物がその設計図通りに完成する喜びは、ことばに表せない喜びです。出エジプト記25章から40章までは、神の設計通りに、神の臨在する幕屋が完成されていく過程が記されて、神の栄光が幕屋に満ちたと、その素晴らしさが記されています。ある意味で人生も同じです。神の計画は災いを与えるものではなく、平安と幸せに輝くバラ色の将来を与え、この地上での肉体のいのちを終え、永遠の天国へ召してくださることです。ひとりも滅びないで地獄へ行かないように、イエス・キリストは十字架に命を捨て、すべての罪、病、呪い、貧しさと死を身代わりとして引き受け、墓に葬られ、三日目に復活されました。 神がともにおられる幸せの設計図が完成しています。アーメンと信じて、そのとおりに生きるとき、この奥義はあなた方の内におられるキリスト、栄光の望みである主と共に生きる人生です。平安で幸せ、きよく正しく、健やかに豊かに祝福された人生を、永遠の天国の喜びです。全ての事に恵まれ、その人は何をしても栄えるとの約束で、小脳内出血退院2年目の朝も、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2013/10/25
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聖書の一言=出エジプト記35:35 主は彼らをすぐれた知恵で満たされた。それは彼らが、あらゆる仕事と巧みな設計をなす者として、彫刻する者、設計する者、および、青色、紫色、緋色の撚り糸や亜麻布で刺繍する者、また機織りする者の仕事を成し遂げるためである。ルネッサンス=文芸復興時代は、キリスト教芸術が豪華絢爛と反映した時代です。今年は、芸術の三大巨匠、レエオナルド・ダ・ビンチ、ラファエロ、ミケランジェロ展が日本で開催された。ミケランジョルは、宗教改革時代まで生きて、天井画を完成したので、サン・ピエトロ教会の実写、鳴門の大原美術間模写でも感動しました。東京上野での、ミケランジョロ展に行こうと思いながら、11月17日までになりました。ミケランジェロがフィンツェのある通りを歩いていました。彼は廃棄物の中に、カララ・マーブル(イタリアのカララ地方で採れる最高の大理石)が捨てられているのに気付きました。最高の大理石は、未熟な職人が切断し、切り刻み台無しにし、廃棄物の中に投げ捨てたものでした。しかし、ミケランジェロは、廃棄物の中に投げ捨てられたカララ・マーブルの中に、天使の姿=壮麗で美しい偉大な姿を見たのです。廃棄物の中から拾い出し、ピエタと並ぶミケランジェロの代表作であるばかりでなく、ルネサンス期を通じて最も卓越した作品の一つであるダビデ像を創りだしたのです。Davidは、人間の力強さや美しさの象徴ともみなされる作品であり、芸術の歴史における最も有名な作品のひとつと言えます。ダビデとは、イスラエル王国の二代目の統治者。大理石で身の丈5.17メートルにかたどられたこの像は、ダビデが巨人ゴリアテとの戦いに臨み、岩石を投げつけようと狙いを定めている場面を表現しています。イエス・キリストは、投げ捨てられたような人生を拾い上げて、神の子としてくださり、限りなく可能性に輝く品性へと造り変えてくださいます。イエス・キリストの十字架と復活の救いをアーメンと信じ、その偉大な愛の御手に人生を委ねてみませんか。永遠の天国への、今日もまた天国の一日です。エペソ人への手紙 4:17 そこで私は、主にあって言明し、おごそかに勧めます。もはや、異邦人がむなしい心で歩んでいるように歩んではなりません。 4:18 彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。 4:19 道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行ないをむさぼるようになっています。 4:20 しかし、あなたがたはキリストのことを、このようには学びませんでした。 4:21 ただし、ほんとうにあなたがたがキリストに聞き、キリストにあって教えられているのならばです。まさしく真理はイエスにあるのですから。 4:22 その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、 4:23 またあなたがたが心の霊において新しくされ、 4:24 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。
2013/10/24
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聖書の一言=出エジプト記34:29 彼は、主と話したので自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかった。化粧品が美白宣伝をしたり、ある石鹸が美肌に成ることでブレイクしたりもしました。でも白斑が広がったり、肌荒れを引き起こしたり、まだ係争中の事件もあります。美しくなりたい!永遠に変わらない女性の願いなんですね。家内の甥は、シミやシワも綺麗にできる名医で、鹿児島県出水市ですが、予約はいっぱいで。市外からも来院が引きも切らないそうです。本当の美しさ、クリスチャン女性の美しさは、品性の輝き、御霊の実=愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制=の内側からの美しさです。主と話す=祈る=時、天国の輝きは与えられ、毎日、栄光から栄光へと、イエス様と同じ姿に変えられ続けるのです。特に、とりなしの祈りが、受けるよりも与えるほうが幸いですと、ギブアンドギブンの輝きになります。アンパンマンのように輝いて生きる、今日もまた天国の一日です!感謝します。26日は、孫の誕生祝いを計画しています。31日で6歳になるので、土曜日のお昼、2歳半、4歳、6歳、8歳、16歳とみんなを招きます。昨日は、小脳内梗塞退院記念で一年間、元気に守られ娘といっしょにランチを楽しみました。その足で送ってもらい、26日の誕生祝い日に、アンパンマンか、ドラエモンの扮装で、6歳のハッピバースディを歌って上げたら、孫たち全員大喜び!じいの株が上がるかも(そうしなくてもみんなが大好きで、顔を見るとじい元気?と、近づいてくるけれど)などと、残念ながらドラえもんもアンパンマンの仮面をさがせず、自顔のまま、ニコニコで行こうと思っています。主と話したので、自分の顔のはだが光を放ったのを知らなかったように、いつでもどこでも、だれにでも、イエス様の十字架の愛をアーメンと、祈ってもらえるような日々でありたいと願い祈る日々です。今日もまた、主と話し顔の肌が光を放つような、すばらしい天国の一日中です。祝福をお祈りします。コリント人への第二の手紙3:17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。 3:18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。 4:1 こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、 4:2 恥ずべき隠された事を捨て、悪巧みに歩まず、神のことばを曲げず、真理を明らかにし、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。 4:3 それでもなお私たちの福音におおいが掛かっているとしたら、それは、滅びる人々のばあいに、おおいが掛かっているのです。 4:4 そのばあい、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです。 4:5 私たちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝えます。私たち自身は、イエスのために、あなたがたに仕えるしもべなのです。 4:6 「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。 4:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
2013/10/23
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聖書の一言=出エジプト記34:19 最初に生まれるものは、すべて、わたしのものである。父は鹿児島県奄美大島郡徳之島(伊仙町阿権)の生まれで、外国航路の船乗りでした。神戸が寄港地でオーストラリアやヨーロッパへ帆船で出かけ、各港に美しいキリスト教会を見かけていました。徳之島から花嫁を迎え、神戸に新居をもちました。自分が外国へ行っている間、信用できる場所はキリスト教会しか無いと思い、新婦と連れ立って訪ねた教会は、竹田俊造牧師の教会でした。竹田牧師に洗礼を授けてもらい、熱心なクリスチャンになりました。1929年に長男誕生。「最初に生まれるものは、全て、わたしのものである」のことば通りに、牧師として神に捧げ、竹田牧師が一仰と命名。榮一仰牧師は、11月の誕生日で84歳。大阪救霊会館(年中無休の教会。数十年間毎晩ホームレスに給食提供)現役牧師として活躍中です。牧師としてささげることをさえ願わなかった(父はその後、信仰を離れ共産主義者になり、60歳を越えて100歳で召されるまでクリスチャンとして生きる)私も、神に召されて牧師になりました。神のみことばにアーメンと応答し祈り行動するとき、人の思いをはるかに越えて。神のみこころが実現される恵みを感謝します。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。毎年、クリスマスの最初のメッセージに、ルカの福音書1章13節「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです」の箇所を話します。ザカリヤは祭司、妻はエリサベツで子どもを祈り願っていました。ふたりとも年寄りで、さらにエリサベツは石女でした。しかし、人の不可能や思惑を越えて、こわがることはない。あなたの願いが聞かれたのですと、神が祈りに答えてくださいました。まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである」(ルカの福音書2:9)の約束通りです。アーメンとは、本当ですという意味。日本語ではハイ。漢字では、真、誠です。特に誠という字は、言+成る。アーメンとは呪文でも題目でもなく、神のことば=聖書のことば=が、そのとおりになりますと、信仰告白のアーメンです。イエス・キリストのお名前によってアーメンと祈リ願うとき、其の祈りは聞かれると信じてアーメンなのです。イエス様の約束は、[またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう」(ヨハネ14:13-14)また、「その日には、あなたがたはもはや、わたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたが父に求めることは何でも、父は、わたしの名によってそれをあなたがたにお与えになります。あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです」(ヨハネ16:23-24)心から素直に、神の言葉を信用して、約束通りにイエス・キリストのお名前で祈る時、その願いは必ず聞かれます。銀行頭取実名入りの白紙の小切手を、受け取ったと同じようなものです。夏に沖縄の高級ホテルを予約してもらい、快適な5日間を過ごしました。すべての支払や予約を招いてくださった方が済ませてくださり、そのことばを信用しホテルへ行っただけです。もし信用しなければ行かないし、自分で別のホテルを探したかもしれません。でもそんな愚かで無駄な努力ななしでした。救いも同じです。本音でアーメンといえば救われます。天国行きの予約はアーメンです。イエス・キリストの十字架と復活により、救いの道は備えられ、そのことをアーメンと言えば救われます。そして、罪赦され、神の子とされ、正しく健やかに、幸いで豊かな永遠のいのちが保証されます。いつ死んでも、その霊魂は天国へ召されます。ばかりでなく、毎日が天国の日々に変わり、神と語らい祈りつつの平安と喜びの日々に変わります。あなたの祈り、願いはきかれるので、毎日、毎時間、毎瞬間、人生のすべての時が、ありがとうございますと、感謝の時になります。ヨハネの第一の手紙5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。 5:15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
2013/10/22
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聖書の一言=出エジプト記33:14 すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」神に選ばれ、愛されているという確信への祈りに、わたし自身がいっしょに行く。大丈夫!安心して良い。平安でリラックスしていて良いよ。聖書のいろんな訳は、私自身がいっしょに行くから、成功するし、勝利できるよ。昨夜は、大阪空港まで迎えに来てもらうと、何と車の中で三人の孫たちが、スヤスヤと安眠中で、生駒に着くまでぐっすり。目が覚めるとニコニコと、おじいちゃんお帰り。おみやげは?と、パパの車ですもの。何も心配しないで平安そのものです。人生という車のハンドルを、全能で愛の天地万物の創造者で支配者が握っているのです。いるでもどこでも、世の終わりまでも、永遠にともにいるとの約束を与えられています。愛されて幸せな、今日もまた天国の一日です!感謝します。19日、20日と熊本空港の町、益城エリムキリスト教会礼拝説教へ行きました。9月15日に開設し、献堂式を行い、NHK熊本児童少年少女合唱団40名が、マザーテレサ愛のことばを猛練習し、全員式にも出席し、天使の歌声で祝ってくれました。私たちのしていることは世の罪を取り除いてくださる神の小羊よ私たちに平安を授けてください私たちのしていることは、大海の一滴にすぎないと感じています。けれど、もし、その一滴がなければ海はその一滴分、確かに少ないということです。」私は一本のエンピツ 私は一本のエンピツ 神の御手にある小さなエンピツ神のおこころのままに描かれる 小さな一本のエンピツ私は一本のエンピツただ それだけなのですまた、九州学院が40名の送迎に、スクールバスを提供してくれました。すごく嬉しかったのは、献堂式の日に、洗礼を受けた50代男性、69歳と82歳の女性たちが、礼拝を一度も休まず毎週教会に出席していることです。11月17日(日)にまた行きますが、信じる方々が増え続け、洗礼を受ける方が毎月あるよう祈り期待します。大阪空港から熊本まで隣席の方が、空の上でアーメンと祈り、ホテルではフロントの肩がけでなく、レストランでも祈ってくれました。帰路は空港ロビーや売店で小冊子を手渡し、飛行機のなかでの導きのために1冊だけ残しました。席へ行くと隣席の女性は目を閉じて、語りかける雰囲気ではなく、大阪空港着直前目を開けたので、声をかけて空港の上でアーメン信じますの祈りをともに出来ました。人々は柔らかい心で、イエス様、信じます。アーメンと祈ってくれます。できるだけ個人的に声をかけ、アーメンで天国行きの予約です。そんな楽しい飛行機での熊本行です。今日もまた天国の一日です。これから朝のチャペルと、昼まで2時間の講義が続く朝です。詩篇4:1 私が呼ぶとき、答えてください。私の義なる神。あなたは、私の苦しみのときにゆとりを与えてくださいました。私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。 4:2 人の子たちよ。いつまでわたしの栄光をはずかしめ、むなしいものを愛し、まやかしものを慕い求めるのか。セラ 4:3 知れ。主は、ご自分の聖徒を特別に扱われるのだ。私が呼ぶとき、主は聞いてくださる。 4:4 恐れおののけ。そして罪を犯すな。床の上で自分の心に語り、静まれ。セラ 4:5 義のいけにえをささげ、主に拠り頼め。 4:6 多くの者は言っています。「だれかわれわれに良い目を見せてくれないものか。」主よ。どうか、あなたの御顔の光を、私たちの上に照らしてください。 4:7 あなたは私の心に喜びを下さいました。それは穀物と新しいぶどう酒が豊かにあるときにもまさっています。 4:8 平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。
2013/10/21
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聖書の一言=出エジプト記33:12 さて、モーセは主に申し上げた。「ご覧ください。あなたは私に、『この民を連れて上れ。』と仰せになります。しかし、だれを私といっしょに遣わすかを知らせてくださいません。しかも、あなたご自身で、『わたしは、あなたを名ざして選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている。』と仰せになりました。 エクソダスという偉大な使命を果たすために、モーセは名ざしで選ばれました。あなたは特に私の心にかなっているということばと共に選ばれました。 昔、チャールトン・ヘストンがモーセに扮した十戒を観ました。産まれて3ヶ月目にナイル川に流され、エジプト王女にモーセ(引き出す)と名付けられました。エジプト王子として文武両道に優れ、40歳の時から80歳まで、ミデアンの羊飼いでしたが、神の選びと召しで、昔、チャールトン・ヘストンがモーセに扮した十戒を観ましたが、その顔さえ神の召しで変えられる映像に感動しました。 今は、イエス・キリストをアーメンと信じるだけで、神の子となり愛され、神の心にかなう人生を幸せに生きる恵みです。 人には罪があり、その罪の支払う報酬は死です。人間である限り、どんなに長寿でも死にます。また、自分自身の生き方で、神に選ばれることはできません。実にその独り子を十字架に釘づけてまで、愛してくださった真の神に、あなたはわたしの目に高価で尊いと、愛されているのです。 十字架の上で全ての罪とが、病や呪いを引き受け、貧乏と死を引き受け、3日目に復活された主イエス・キリストが、わたしがあなたを選んだと宣言しています。 聖く正しく、健やかで豊かに祝福され、永遠の天国に行くまで、毎日を天国の平安と幸せに、受けるよりも与えるほうが幸いな人生です。 不思議なことですが、「わたしは、あなたを名ざして選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている」という直接言及は、モーセに関する箇所にはありません。神に召されたモーセの強い確信宣言です。神はモーセの告白を喜び、「あなたはわたしの心にかない。あなたを名ざして選びだしたのだから」と、受け止めてくださっています。 「お父さん。僕は、お父さんに愛されていますね。間違いないですね。ありがとう」と、息子にいわれると、「そうだよ。あなたの言うとおりに、愛しているよ、息子だからね」実際にこのような親子間の会話は無いかもしれません。イエス・キリストを信じるとき、聖書は神の語りかけている愛の言葉です。そのことばをアーメンと受け止めるとき、不思議な平安と喜びに満たされます。 こちらからの語りかけ=祈りも、不平不満、つぶやきや泣き言、文句ではなく、前向きで明るい信仰宣言になります。 今、「佐和子の部屋」がテレビに写っています。ステキな若い男性俳優(小池撤兵)との対談です。どうしてそんなに明るいのですかと聞かれて、「自分が大好きなんです」と、27歳の俳優人生の秘訣を話していました。神に愛されている確信を持って、モーセのように、しかも、あなたご自身で、『わたしは、あなたを名ざして選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている。』と仰せになりました。と大胆に、愛なる神に与えられた使命に、邁進していきたいものです。 今朝は、熊本空港の町、益城エリムキリスト教会で礼拝説教です。9月15日に献堂式を行い、新しくスタートした開拓教会です。 140坪の敷地に、50坪の礼拝堂、隣に3LDKの住宅もあります。また泉も湧き出し、名前の通り現代のオアシス、エリムキリスト教会です。大きく祝された熊本県での働きです。 今日もまた天国の一日です!益城エリムキリスト教会を覚えてお祈りお願いいたします。 ヨハネの福音書 15:6 だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。 15:7 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。 15:8 あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。 15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。 15:10 もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。 15:11 わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。 15:12 わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。 15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。 15:14 わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。 15:15 わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることを知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。 15:16 あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。 15:17 あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。
2013/10/20
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聖書の一言=出エジプト記32:32 今、もし、彼らの罪をお赦しくだされるものなら--。しかし、もしも、かないませんなら、どうか、あなたがお書きになったあなたの書物から、私の名を消し去ってください。いのちがけのとりなしの祈りです。聖書には、アブラハムとモーセとパウロの必死のとりなしの祈りが書かれています。また、イエス・キリストのとりなしの祈りがあり、その祈りは今も絶えることなく続いており、アーメンと言えば救われ、信仰生活も守られる恵みの源です。キリスト教会の歴史の中でも、とりなしの祈りの勇者たちがあり、世界中で信仰復興が与えられています。クリスチャンは、さばくためではなく、許しととりなしにために、生かされています。家庭の中で、学校や職場で、日本と世界のために、モーセのように愛と情熱のとりなしの祈りをささげる、今日もまた天国の一日です。 アブラハムは、ソドムとゴモラのために、神の前に立ちもし50名の正しい人がいるなら、45人なら、40人、30人、10名の正しい人がいるならと、肉薄して祈りました。残念ながらソドムとゴモラには10名の義人もなく、義人ロトと二人の娘だけが救われました。 使徒パウロは、私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。(ローマ9:1-3)と、自分の同族イスラエルのためにとりなしました。 内村鑑三は、I Love two J's(私は2つのJ=Jesus&Japan=日本とイエスを愛すると、迫害を受けながら日本の救いのために邁進しました。 そして何よりも、イエス・キリストは、ゲッセマネの園で、人類の罪と汚れの毒杯を飲み、十字架の上で罪の刑罰を引き受け、いのちを捨てられました。そして3日後の朝に復活し、今も生きて人類のために執り成しの祈りを続けておられます。だから今、だれでもアーメンと信じバプテスマを受けるなら救われま しかし、キリストは永遠に存在されるのであって、変わることのない祭司の務めを持っておられます。したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。(ヘブル7:24-25) 罪に定めようとするのはだれですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。(ローマ8:34-35) イエス様は、ペテロに、「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」と言われました。全てのクリスチャンが、また全人類が、十字架の救いと復活のとりなしの中にアーメンと言えば救われるのです。 私達もとりなしの祈りができるように、聖霊に豊かな愛に満たされ続ける、今日もまた天国の一日です。
2013/10/19
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聖書の一言=31:2-3 「見よ。わたしは、ユダ部族のフルの子であるウリの子ベツァルエルを名ざして召し、彼に知恵と英知と知識とあらゆる仕事において、神の霊を満たした。神の霊=聖霊は、知恵と英知と知識とあらゆる仕事に望みます。聖霊は現代も働いておられる神の霊です。あらゆる仕事で神の霊に満たされるなら、仕事は何と楽しく神の栄光が現れることでしょう。全世界には20億を越えるクリスチャンがり、現代はその6億5千万人くらいが、聖霊に満たされて聖霊のことば=異言=を語ります。種子島の教会から生駒聖書学院に入学しました。生駒がペンテコステの神学校と知りません。ただ兄が一年先輩で在学していたので、種子島の牧師は、大阪聖書学院ではなく、生駒聖書学院への推薦状を書いてくれました。生駒聖書学院は、牧師や宣教師の推薦状がないと入学できず、それは今も同じです。種子島から出てきて驚いたのは、礼拝や祈り、伝道への情熱でした。ともかく熱心でクリスチャンたちが輝いていました。それは聖霊のバプテスマを体験したからからです。聖霊のバプテスマの証拠は、異言を語ることだとみんなが、顔を輝かせながらその体験を語ります。とても不思議でした。でも異言を語らなくても祈り、歌うことも学ぶこともできるから、別に異言を語らなくても、御霊飲みは、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制だ。聖霊の内在の証拠だから、異言は関係ないと思っていました。一学期の終わりに、異言を語る聖霊のバプテスマを体験し、すべてが変化するような新しい恵みが与えられ、72歳の今日まで継続しています。そのような者が、ペンテコステのど真ん中のような生駒聖書学院長として仕えているだけでも、聖霊の奇跡だと今朝も感謝しています。現代、教団、教派の壁を越えて、神の霊=聖霊の領域はさらに広がり、祈りつつ手当や手術をする医者、教授や教育者、政治家や経済界でのリーダー、高度な技能や技術者、スポーツや芸能社会、すべての学校や職場、そして家庭に及んでいます。それらの人たちが集うキリスト教会が、増え広がり続けています。個人が変わり、家庭が学校や職場、国さえも全てが変えられる奇跡が、起こり始めています。今日も神の霊=聖霊=に満たされ続ける天国の一日です!感謝します。使徒の働き 1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。 1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」 1:6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」 1:7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。 1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」 2:1 五旬節=ペンテコステの日になって、みなが一つ所に集まっていた。 2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。 2:3 また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。 2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことば=異言で話しだした。
2013/10/18
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昨年の昨日、目が覚めたら立つこともできず、内科医が往診してくれ、一日中寝ていました。昨年の今朝目覚めると、やはり調子が悪く、朝早く息子の運転で、堺市の馬場記念病院へ。救急室に入ると主治医に叱られ、なぜ救急車を呼ばなかったのかと診察。何と小脳内梗塞とのこと。そのまま個室に運ばれ、一週間後の退院でした。ちょうど今日が入院して一年目の記念でした。脳内出血になり28時間もそのままで、今ある状態に守られたことは、不注意だったとは言え、神様の守りの奇跡だと思います。小脳はバランスを保つ機能があり、後遺症に足のしびれ、目やことばにも影響が残ります。一年後の今では、自動車の運転はしていませんが、今日も6000歩は歩いています。読書も聖書を筆頭に、継続しています。視力は昨年よりアップしています。 昨年、脳内出血の経験を、「三たび輝くいのちを与えられて」と小冊子を書き、事故現場の写真などがあればと思い、写真を撮るため堺市の現場へ行き、その日17000歩近く歩きました。その直後の小脳内梗塞でした。5000冊発行し、再版で「天国から追い返された牧師」と題して5000冊再版しました。もう500冊ほどになりました。 今日は記念の食事でしたが、道頓堀のカニ道楽で、支払いを終えてレジの40代男性と握手し、アーメンと幸せを祈り、そのままイエス様を心にお迎えしますと祈ってくれました。 またなんばCITYの店で、前に信じる祈りをした婦人がいたので、買い物はなかったが立ち寄り冊子を渡し、はんすこともできました。生駒駅からのタクシー運転手にも冊子を手渡ししました。いつでもどこでも、イエス様の救いを語り、信じる祈りを皆さんが素直にするので、聖霊のお働きがいつもあるのを感じています。 ムリをしないで、ゆっくりボチボチです。今日は出産予定が伸びていた初産のかたも、やっと産まれましたとの嬉しい知らせ。することがいろいろあり、家内からこの頃、若返った見たいと言われ、ありがとう!あなたのほうが元気で若々しいいよと、二人だけの夕食の会話でした。 ふたりともいつ天国へ召されてもいい心得で、恵みにより祈り生かされいる、今日もまた天国の一日でした。感謝します。
2013/10/17
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聖書の一言=出エジプト記 25:9 幕屋の型と幕屋のすべての用具の型とを、わたしがあなたに示すのと全く同じように作らなければならない。牧師になってから、教会建設や改装など10回位上経験。そのすべてに設計図があり、工務店はそれに基づいて建築します。学院建設の時は、アメリカへ行って、建物を見学し、その設計図を事務所で提供してもらい、ツーバイフォーの建築士が来て、一年間で現在の全ての建物を建築しました。今年の改装の時さえ、しっかり設計図を作成し、綺麗に仕上がり快適に過ごしています。イエス・キリストを信じる生活も同じです。聖書のことばにアーメンと応答し、そのことばどおりに信じ、告白し、実行すると、平安で幸せな天国行きの輝きの人生を生きることができます。あれもこれもという自我の欲求も、祈りと信仰により、聖霊によりきよめられて、神のみこころにかなう願いへと昇華され、高尚で高貴な神の設計通りに変えられます。特に、25歳の時に理髪店に行き、奥様の刺繍を見せてもらいました。裏側は糸がいっぱいでしたが、表側を見ると美しい風景画がありました。散髪をしてもらいながら、「あなたに対して抱いている計画はわたしが知っている。主の御告げ。それは災いではなく平安を与える計画であり、あなたに将来と希望、バラ色の未来を与えるものである」(エレミヤ29章11節)とのことばが響きました。その日、25歳までの人生の全ても、神の設計図通りだったと受け止め、それまでのすべてアーメンと肯定出来ました。それから早いもので72歳になりましたが、まさしく聖書の言葉通りの日々を過ごしています。最高の人生の設計図に誤りはありません。その通りに建築士の神が、全てのことをその時にかなって美しく、無駄なく、益として最善に築こあげてくださいます。昨年の今朝は、前日から動けず、息子の車で堺市馬場記念病院まで行くと、何と小脳内梗塞とのことで、なぜ救急車で来なかったのかと怒られ、そのまま入院し治療を受けました。今日はその一年記念の日です。幸い今朝は、こうしてブログも書けるし、チャペルや授業も行い、昼は大阪市内までも出かける予定です。出産祝いや、入院中の方も見舞うことのできます。自動車の運転だけは一年以上続けていませんが、愛娘が通常必要に応じて動いてくれます。明後日は熊本へ飛行機往復。大阪空港まで往復とも愛息が送迎してくれます。車の運転をしないので、動きが緩やかですが、必要なことはできるので感謝です。ありがとうございます。みこころにかなう、今日もまた天国の一日です。お祈り感謝します。詩篇 1:1 いかに幸いなことか/神に逆らう者の計らいに従って歩まず/罪ある者の道にとどまらず/傲慢な者と共に座らず 1:2 主の教えを愛し/その教えを昼も夜も口ずさむ人。 1:3 その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び/葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。 1:4 神に逆らう者はそうではない。彼は風に吹き飛ばされるもみ殻。 1:5 神に逆らう者は裁きに堪えず/罪ある者は神に従う人の集いに堪えない。 1:6 神に従う人の道を主は知っていてくださる。神に逆らう者の道は滅びに至る。
2013/10/17
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聖書の一言=出エジプト記25:8 彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。真の唯一の神は、彼らの幸せと繁栄、全人類の祝福となるために十戒を与えました。彼らは小気味良いほどに、主の仰せられたことはみな行い、聞き従いますと誓います。アーメン。アーメン。ハイ、喜んで。と答えます。そして、神が住む聖所=幕屋建設の約束が与えられました。天地万物の創造者、全能の神がともに住む。しかも「彼らがわたしのために聖所を造るなら」との宣言です。残念なことに、彼らは神のことばである十戒を守らず、聖所=幕屋を建設しても、自分たちの好き放題にし、罪を犯し神に背きました。しかし、神はご自身が受肉され、イエス・キリストとしてこの世に来られ、十字架にいのちをささげて人類を贖い、3日めに復活し、アーメンと信じるとき、信じるものの内に住んでくださいます。この奥義は,私たちの内に住むキリストで、栄光の望みです。今日も聖霊に満たされ続ける天国の一日です。朝ごとに新しい恵みで奇跡の日を元気に迎えました。昨年の今朝、いつもの様に起きたのですが、身体が動きません。トイレに這うようにたどり着きました。やっとベッドまで戻り、往診の医師が駆けつけてくれました。降圧剤で血圧も下がらず、内科医も首をかしげます。そのまま、静かに寝ていましたが、一日中動けず、翌朝(17日)も動けず、息子に堺市馬場記念病院救急室に。主治医になぜ救急車で来なかったのかと叱られ、即入院でした。何と、小脳内梗塞になっていたのです。しかも、24時間以上も過ぎていたのです。看護師達も覚えてイてくれ、個室にかわるがわる来ては、なぜ病院に戻って来たのかと、愛のお叱りを受けました。7月、8月と入院し、退院して1ヶ月半ほどでしたので、ごめんなさい。よろしくお願いしますと言うだけでした。10月の予定を全部キャンセルしてもらい、沖縄のつきしろキリスト教会献堂式説教も行くとができずでした。今年の8月22日に、すばらしくきれいな新しい教会で、朝礼拝と午後4時まで2回の集会でした。そのようなことを思いながらの朝を元気に迎えています。昨夜も講師接待でホテルのレストランへ。自分だけ軽い?料理を頼み、初めて合うウエイトレスと握手し、アーメン信じますと、祈る幸いなときでした。昨夜来の大雨も通り過ぎ、曇り日の生駒の朝です。奇跡に生かされ、今日も人の手で造られた聖所=幕屋ではなく、わたしの心を聖所=幕屋として、ともにおられる恵みを、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。ヨハネの福音書1:14 ことば(神)は人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方」イエス・キリスト)の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方(イエス・キリスト)は恵みとまことに満ちておられた。14:16 わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。 14:17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。 14:18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。 14:19 いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです。 14:20 その日には、わたしが父におり、あなたがたがわたしにおり、わたしがあなたがたにおることが、あなたがたにわかります。 コリント人への第一の手紙3:16 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。 3:17 もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。6:19 あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。 6:20 あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。
2013/10/16
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昨年の今日、レオナード・W・クート師と生駒聖書学院の言を書いています。生駒聖書学院は、1925年の現在地(約5000坪)を購入しました。関東大震災ですべてを失った宣教師家族(レオナ-ド・W・クート)が、横浜から大阪へ被災者として移転し、何もないところから信仰と祈りにより、原罪の奈良県生駒市に山の中に土地を奇跡的に購入しました。 建設するために土地が与えられたので、ビジョン通りに聖書学院もすぐ建設できると、小屋のような家を山の中に建て、家族で大阪より生駒に移住しました。 ところがどこからの支援もなく、母国のイギリスに派遣教団も宣教団体なく、日本で救われ神様だけを頼りにひとり立ちの若い宣教師でした。奥様(エステル・クート)はアメリカ人でしたが、どこからの支援もない、神様だけを信頼する信仰立の宣教師でした。 カナダの友人からの手紙には、クートよ。聖書のみことば土地の真ん中で開いて祈りなさいとありました。 なすすべもないまま、指摘された聖書のことばを草ぼうぼうの土地に跪き、天地万物の創造者である全能の神に、主イエス・キリストの名によって祈り信じました。 その土地の上に、生駒聖書学院は1929年に建設され、多くの牧師、伝道師、宣教師その夫人たちを養成し続けています。 その学院創立の土台となった聖書のみことばは、新約聖書マルコの福音書11章にある、イエス・キリストのみことばです。 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。(11:22-24) 生駒聖書学院は、聖書のことばを信じて祈り、その答えとして創立され、聖霊に導かれ、現在も前進中です。
2013/10/15
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聖書の一言=出エジプト記23:25 あなたがたの神、主に仕えなさい。主はあなたのパンと水を祝福してくださる。わたしはあなたの間から病気を除き去ろう。2011年8月、近畿大学総合病院で、家内の主治医が、牧師家族だからと前置きして、肺がんレベル4で余命一年です.抗癌剤、放射線治療も、手術もできません。私達はその宣告を、ありがとうございます。感謝しますと受け止めました。家内は、その宣告から3年目の秋を迎え、月一度の検査治療にも、今年の春までは自分で運転して一人で行き、今は息子や娘が入ってくれますが。昨日も天国聖会来客や、森祐理コンサートの通訳など、終日奉仕で活動しでした。イエス様の十字架の癒やしと、多くの愛するとりなしの祈りの恵みです。と同時に、聖書の約束を忠実に実行する食生活を続け、活性酸素除去のくサプリメントも愛飲しています。「まごこはやさしいよ」=豆、ごま、コメ(玄米)、わかめ、野菜、魚、しいたけ、いも、ヨーグルト。の食生活を徹底しています。聖書の約束は真実です。食生活にも気をつけながら、ありがとうございます。パンと水は祝福されました。病は直りました。感謝します!今日もまた天国の一日です。
2013/10/15
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昨日は、午後から交通事故を起こした堺市の現場を歩きました。乗っていた自動車は保険でも直せなくぺしゃんこに破壊されていました。その衝突した現場に立った時、自分の身に打身もカスリ傷もなく、五体満足に守られただけでも奇跡と実感しました。 同時に人身事故も損害賠償をするような破壊もなく、しかも脳内出血という突発的な病状でしたが、救急病院も近くであり、回りの皆様の素早い対応もあり、九死に一生を得た恵みに感謝しました。その場に跪きンマヌエルである主イエス様、ありがとうございます。感謝の祈りをささげる昨日の午後でした。退院一ヶ月半で、一万ニ千歩を歩く、現場歩きでした。無理して歩いたので、3日後の17日に、少脳内脳梗塞で倒れるなど、考えてもいなかった昨年の今日でした。あと3日で、感謝の記念日です。 昨年のブログが転送されているので、今日も転載しています。
2013/10/14
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エリムキリスト教会は、毎年秋に、天国聖会を行います。今年は、森祐理さんをお招きしました。阪神淡路大震災で愛弟を亡くし、揺れ動く地に立ちて、なお十字架は輝けリ 、とその告別式で賛美し、それ以後、被災記念日に歌で仕え、東日本大震災地を何回も訪れ、美しい歌の慰問を続けています。また、中国や台湾、アフリカのウガンダやケニアまでも訪れています。今月はほとんどお休みなくコンサートが続き、週末にはロサンゼルス日系人教会慰問で、連続8日間のコンサアートツアーです。その前に宝塚でのコンサートもあります。今日もお税のクリスチャンたちが、美しい歌声と体験談に涙し、もっとお誘いすれば良かったとの声もあり、感動の午後でした。コンサート後、ピアニストやスタッフの方々と時間も忘れるほどのお交わりでした。お送りして、院長室を出ると、若い二人が学院の写真を写しているので、話しかけ牧師ですと自己紹介すると、男性は東大阪市、女性は近くの方。三人で手をつないで幸せを祈ると、ふたりともアーメンと応じたので、手をつないだまま、イエス様を心にお迎えする祈りにもアーメン。天国コンサートの最後に、ステキなアーメンの祈りの出会いでした。嬉しい事が、コンサートの最後にもあり、何と森祐理さんが、今日もまた天国の一日を、アンコールで歌ってくれました。優しい歌声で聞くて天国の一日でもステキでした。
2013/10/14
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昨日は、新世界での礼拝にタクシーと電車で往復し、礼拝前、久しぶりにお菓子屋へ行くと、美しい奥様に、2年ぶりくらいですねと歓迎され、店の繁栄を祈るとアーメンと応答し、信じる祈りもしてくれました。タクシーの運転手に、デパートの店員にも小冊子を手渡し、7名との出会い。また京都国大会館では、淀川栄光教会バザー場で、天国から追い返された牧師を、新学生たちが500冊無料配布してくれ、昨日も福音を伝える幸いでした。 今日は午後1時半より、生駒聖書学院大チャペルで、天国聖会を行います。エリム・キリスト教会は、いつも秋に天国聖会です。父を母を、妻を愛息や愛娘を、森祐理さんは、愛する弟を阪神大震災で天に召されました。誰もが死を迎えますが、永遠とは、のちに来るだけでなく、永遠はすでに、今ここにもあります。今日もまた天国の一日です。やさしく慰めに満ちた歌声とともに、天国を思いつつ、平安なひとときをぜひ、お楽しみください。森祐理コンサート、彼女の優しい歌声が、あなたを包みいやす、穏やかな秋の午後、生駒聖書学院でお過ごしください。駐車場あり。入場無料、自由献金です。 コリント人への第二の手紙1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。 1:5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。 1:6 もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。 1:7 私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。
2013/10/14
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聖書の一言=出エジプト記20:24わたしの名を覚えさせるすべての所で、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福しよう。十戒は祝福のために与えられました。アーメンは、ほんとうにそのとおりです。真実、誠です。美しい日本語ではハイです。何にハイ、アーメンかというと、誠=言+成=神の言葉、聖書のことばが、誠にそのまま実現することを、アーメンと受け止めているのです。十戒は人類を裁く言葉ではなく、いつでもどこでもだれでも、アーメンと応答するとき、全能で愛の神とともに生活でき、その臨在の中で幸せに生きる愛の教えです。神を愛し、父母を尊敬し、隣人を愛する、清く正しく、健やかで豊かに人生です。イエス・キリストは、すべての人類にその救いを与えるために、十字架にいのちを捧げてくださいました。その十字架の死と復活により、新しい愛と恵みは注がれ、アーメンと言えば救われる道が開かれました。主イエス・キリストのもとに、平安で幸せな、今日もまた天国の一日です。感謝します。
2013/10/14
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人間は神に象って創造されました。その最高の姿は外形ではなく、内面に霊=神の永遠いのちであり聖性なのです。そしてそのことを与えられている証が、ことばです。 人間の子どもは人間として生まれたのでことばを話します。孫は二歳半になりました。もういろんなことばを口にします。 幼児のすばらしさは、何も心配しないことです。その理由はマイナスことばを口にしないからです。幼い日から周りからは、否定的なことばをたくさん聞きます。言葉を話せるようになるといままで聞いてきた否定的なことばを口にするようにななります。そうすると悩みや心配が増え、一つ一つ言葉で確認し、納得するのです。18歳まで20万語くらいのマイナスなことばを怯え使います。使わなくても潜在意識にマイナスが刻みこまれると言われます。親は語る言葉に気を付けたいものですね。 そして美しい秩序と調和に満ちた世界が、悩みと苦しみの世界に見え始めます。自分だけでなく、他人のマイナスも口にするようになり、「すべてのものはことばによってできた」の結果を刈り取りはじめます。 イエス・キリストを信じる時、その十字架と復活の救いにより、神の子どもになり永遠のいのちを与えられます。 母国語と言いますが、クリスチャンの母国は神の国=天国ですから、天国語=神のことばを語ります。 聖書のことばは神のことばです。聖書を読むというより、聖書に聞きそのことばをそのまま口にする人は幸いです。 今日もまた天国の一日です!聖書のことばを聞き、そのことばを告白し、そのことばどおりの幸せを体験したいものです
2013/10/13
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アフリカで今、奇跡的な変化と復興を続けている国があります。何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。第一ヨハネ5:14-15アフリカでは爆発的にエイズが増えており、特に、ルガンダは90年代には成人の30%がエイズという最悪の国でした。国が滅びるどころか、エイズが世界に蔓延しかかりました。しかし、現在6%まで劇的に感染者数を減少させました。減少の最大の理由は政治的努力やコンドーム配布によってではありません。国民全体に神をおそれる心が生じ、結婚外での性交渉が激減したからです。 この出来事は、世界中の国の指導者達に希望を与えました。この現象を報道では「禁欲政策」と表現されます。が実際にはその言葉からイメージされるものとは大きく異なります。これは「がまん」によって実現されたものではなく、心の内側が新しく変えられる事によってなされました。 しかも驚くことに、ウガンダのエイズ人口減少の陰には、エイズ患者が神により奇跡的に癒されたからです。神の驚くべき力を目の当たりにし、絶望から希望にあふれる国へと変えられたのです。 またエイズよりも恐ろしいエブラ熱もあり、鎮静するために派遣された医師は、その日に発熱し死亡してしまいました。大統領はキリスト教の牧師にたちとともに、全能の神にひざまずく、驚くべきことにエボラ熱も3日で鎮静化、国そのものが救われました。有名な占い師が、みんなの前で牧師を非難し、3日後に牧師は死ぬと公開の魔術師宣言をいました。みんな恐れたが牧師は平安そのものでした。2日後占い師は震えながら来て、公の場でイエス・キリストを信じる告白をしmクリスチャンになりました。その牧師の教会は、少ない人数でしたが、8000人の礼拝・・・・今では10万人を越える礼拝。今、京都国際会館に来ているので、真偽の程を牧師本人に聞きました。日本でも、靖国や伊勢、皇居などではなく、唯一真なる神、イエス・キリストの前で祈る今であると思います。原発事故被害、放射能汚染や汚染水流失、大災害の前兆、反対ばかり叫ばず、愛なる神の前に膝を屈めて祈る、日本国であることを願い、今日も平和を救いを祈ります。聖霊は神のことばとともに働かれる。聖書の著者。著者と直に話せる。交われる幸い。読書の秋、聖書をしっかり読んで、今日もまた天国の一日です。まことの唯一の神を信じ、日本全国の救いを信じ、告白する実りの秋を楽しみましょう「第一ヨハネ5:14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。 5:15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。
2013/10/13
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聖書の一言=出エジプト記20:17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」隣の芝生は青い。隣の花は赤い。何でも人のものはよく見えることを表します。人には欲があります。その欲が昂じると罪になり、不義を行います。人のものを欲ボケで欲しがることは罪です。隣りはピアノがあるから、塾や習い事、進学や就職、給料や暮らし向きの自慢、持ち物の誇り、コマーシャルはこれでもか、これでもまだ欲しいと思わないかと繰り返し欲望に訴えて来ます。相対的な幸せは、いつまでも満たされません。今持っているもので満足し感謝する、ありがとう人生を体験すると、欲ボケから救われます。いつも、意欲的な高貴で光輝で好機に恵まれる高尚な人生です。ありがとうございます。今日もまた天国の人生です。感謝します。
2013/10/12
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聖書のことばは愛の言葉、勇気を与え、心も体もいやし元気をくれます。今日は電車でえ京都国際会館まで往復7000歩。よく歩きました。明日も送迎車無しで大阪まで電車往復。さあ。元気を出せ。恐れるな。神様があなたの内に住むために来られた。神様は力ある救い主で、あなたに勝利をお与えになる。あなたのことをことのほか喜び、非常に満足なさる。あなたを愛して責めるようなことはなさらない。 ほら、聞こえてくるのは、喜びにあふれた聖歌隊の歌声であろうか。いや、あれは神様が、あなたがたのことで、喜びいっぱいに歌っている声だ。その時,わたしはお前を呼び集め、家に連れ戻そう。そして全世界の国民の間で抜きんでた、立派な称号を授けよう。おまえの目の前で、お前を元通りに繁栄されるとき、彼らはお前を称賛するようになる。このように神様がお語りになるのだ。ゼパニヤ書3:16-17,20わたしは主にあって彼らに力...を与える。彼らは御名において歩み続けると/主は言われる。彼らの力は主にあり、彼らは主の名によって歩き回る。--主の御告げ。ゼカリヤ書10:12 だが、わたしがしようとしていることは、今すぐには起こらない。ゆっくりと少しずつ、しかも確実に、実行に移される。 遅いように思えても、失望するな。必ず計画どおりになるのだ。忍耐して待て。ただの一日も遅れることはない。ハバクク2章3節
2013/10/12
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聖書の一言=出エジプト記20:16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。冤罪ほど悲しく辛いことはありません。痴漢もしていないのに、この人ですと、高校生に言われ、社会的な立場も、人間の尊厳も奪われた社会人。最近はビデオ録画で確認もせず、偽りの証言で犯罪人扱いをされた事件もありました最近はウソを言ったらダメですと、教える親が少なくなっていると聞きました。真実が失われている時代です。ウソ偽りのない誠実なアーメン人生を!十戒は、1-4戒が、唯一の神飲みを信じ拝せよとの基本律法。5-10戒が倫理的道徳律法です。人間としての当然の戒めで、その八戒が「ウソを言うな」です。最初の人間、アダムとエバを堕罪させたのは、悪魔・サタンのウソでした。聖書は悪魔はウソ偽りの父だと証言しています。あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。(ヨハネ8:44)ウソ偽りのない世界、日本、そして各家庭でありたいものです。イエス様は、わたしは道です。いのちです。真理です=I am the way, the truth=と言われました。真実の救いを、十字架の上で完成され、その救いをアーメンと信じるとき、天国への道を、永遠のいのちを受け、真理に満たされて生きる人生となります。永遠とは後に来るものではなく、それはすでにイエス・キリストを信じる時、与えられるものです。この真実の救いを受けて、ウソ偽りのない真理に輝き、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。と、明るく生きて行きましょう。
2013/10/12
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昨年のブログです。昨日、10月10日が目の愛護デーとは知りませんでした。右脳内出血を癒され退院して一ヶ月半になります。CT&MRIの検査と主治医の問診や検査でも完治を告知されての退院でした。 右脳内出血は奇跡的に直り、普通に生活をしています。ゆっくり年内安静を通告され、自動車運転も、飛行機や新幹線もOKですが、自動車の運転はしていません。 一つは、左足にしびれがあり、歩けるけれども万歩はひかえています。 もう一つは目が少し不自由に感じ、眼鏡を新しくしました。それでも少し不自由に思い、生駒市内の有名な眼科医院を昨日の朝訪ねました。生駒市橋本眼科医院で、先生は白内障手術で全国的に有名な眼科医です。 通常の眼底検査を終え、脳内出血だったことを話すとその影響?眼鏡を検査してくれ、再度診察室で眼鏡は完ぺきとのこと。 読書もパソコンも運転も問題なくOKで、一ヶ月後にもう一度来て見てくださいとのことでした。すばらしい目の愛護の日になりました。 脳内出血以来、聞き続けたことばは、ゆっくり、ゆっくり安静に、また気にしないことです。ほっとけば直ります。完治していますよ。そのような前向きのことばを聞き続けています。 しかし、実際にしびれたり、目が不自由に感じたり、:眠たさが襲って来たりする日々に、元気だったときの状態に回復していないのではという思いに捕らわれてしまいます。 情けないと思いつつも完治を宣言し、ありがとうございます。脳内出血は完治しました!感謝します、と告白し続けています。 癒され完治していても思うようにならない自分にもどかしさを感じています。何も言わないで立っているだけだと、だれも脳内出血だったことには気がつきません。 人間と言う者は何であれマイナス的な要素を探す生き物なのかもしれません。聖書のことばをアーメンと信じ、そのまま告白する時、不思議なことが起こります。奇跡と言っても良いようなことが毎日回りで起こっているのです。 それなのにちょとしたことで否定的になったり、マイナスの思いやことばを出したりします。前向きに感謝しながら生きるとき、今年の夏、沖縄や種子島行きで、サングラスを作りましたが、視力が良くなっており、眼鏡店員も驚いていました。 だが、わたしがしようとしていることは、今すぐには起こらない。ゆっくりと少しずつ、しかも確実に、実行に移される。遅いように思えても、失望するな。必ず計画どおりになるのだ。忍耐して待て。ただの一日も遅れることはない。ハバクク2章3節ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!と、高らかに宣言する日々に感謝します。
2013/10/11
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その心は美しく、幸せでした。貧しかった少年時代を振り返り、「私の少年時代は、美しい物語。物はなくても幸せになれる」と、ハンス・クリスチャン・アンデルセンは言ったそうです。人生は美しい!心が幸せをつくる限り、奇跡は毎日起こります。 アンデルセンは、挫折を繰り返す人生を生きていました。家族が暮らす部屋は、たったの一間。病弱の父は11歳の時死去。彼は歌手を目指したが挫折。バレ➖団に入り挫折。大学も中退。極度の心配性、醜い容姿、失恋の連続、孤独で人付き合い下手。挫折挫折の連続で、23歳でひとり徒歩旅行・・・・そして彼は、あたたかい思いやりの心がある童話を書くようになった。「みにくいアヒルの子」「マッチ売りの少女」思いいやりの心は、世界中の人々に伝わった。特に子どもたちの心に響いた。どんな人生も心が美しいと感じるなら素晴らしい!「すべてのことはあなたがたのためであり、それは、恵みがますます多くの人々に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現われるようになるためです」コリント人への第一の手紙4:15 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2013/10/11
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聖書の一言=出エジプト記20:15 盗んではならない。 天地万物、地球は創造者である全能の神のものです。人間はそのすべての管理者です。管理者に求められることは、忠実ということです。この美しい地球の管理を委ねられた人類は、神を第一にせず自己中心に堕罪してしまいました。 人のものは俺のもの、俺のものは俺のものという強欲精神、神のものは自分のもの、なにもかも全部自分のものだという思い上がりが、現在の世界の姿です。神の栄光を盗み、栄光を自分にのみ帰しています。盗みは罪です。人のものを取って、自分のものとして何の幸せでしょうか。 結果として自然破壊、環境汚染、核の脅威、原子炉も廃止にせず、原子炉を輸出しようとさえしています。 愛の神の恵みを無にせず、受けるよりも与えるほうが幸いですと、良いものだけを豊かに与える、幸せ人生を歩みましょう。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。エペソ人への手紙4:28 人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。あなたがたはのろいを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。--万軍の主は仰せられる。--わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。あなたがたのために、いなごをしかって、あなたがたの土地の産物を滅ぼさないようにし、畑のぶどうの木が不作とならないようにする。--万軍の主は仰せられる。--すべての国民は、あなたがたをしあわせ者と言うようになる。あなたがたが喜びの地となるからだ。」と万軍の主は仰せられる。マラキ書3:8-12
2013/10/11
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大げさかも知れないが、7月22日の右脳内での交通事故の原稿を、出版社に渡す時、九死に一生を得た!と書いて渡しました。書名がそのとおりになるかどうかはまだ不明です。昨年の今日のブログですが、「天国から追い返された牧師」という書名になりました。 13年前に東京で左脳内出血で倒れた経験は、「ハレルヤと歌いつつ!」というタイトルで1万部印刷し、定価はなかったがたくさん買って配った教会もありました。 その中から証が寄せられました。教会の前に住んでいる主婦へ牧師はいつも挨拶し集会へのお誘いもした。不思議なことにイエス様を信じるよう勧めると、必ずと言って良いくらいに、他の宗教を求める方だった。長いお付き合いでしたが、もう教会の集会にお誘いするのも止めていました。 ところがガンになったと憂い顔で相談された。イエス様を信じるよう言うとまた拒否されてしまった。そこへ「ハレルヤと歌いつつ」届き、小冊子をプレゼントすると受け取ってくれました。 翌朝、礼拝堂にその隣の主婦が膝まずいて、「ハレルヤと歌いつつ」の、病のいやしの約束を読んでいました。一度も教会に来たことはなかった方だったけれども、自らの病の癒しを求めて毎朝教会で祈られたそうです。 その方とはお会いした事はないけれども、ご自分で「ハレルヤと歌いつつ」の小冊子を注文し配布してくださいました。もう13年も前のことですが、小さな体験が多くの方に、イエス様が十字架の上で死なれたのは、全人類の罪のためであり、また精神と身体にも癒しを与えるためであることを、体験的にお伝えすることができました。 今回の経験もまた多くの恵みをお分かちできればと願いつつ、小冊子を1万部発行しました。ご希望があればお贈りします。
2013/10/10
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愛とあわれみの すべてを注ぎ主イエスは十字架に いのちささげてすべての罪とが 病とのろい乏しさ滅びを その身に負いてすべて完成と 勝利の叫び主イエスは復活 今なお生きてすべてを益とし 平安感謝新たな人生 神の子の道聖霊そそいで 力を満たし福音伝える 喜びあふれ今日も天国 ハレルヤアーメン輝く笑顔で 栄光の道アーメン この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。ローマ人への手紙5:5-11
2013/10/10
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17歳の時、熱い握手に出会いました。田舎のバスで山道を一時間。種子島の西之表港から、鹿児島港まで5時間の船旅。鹿児島から大阪駅まで急行で22時間。大阪駅に出迎えを受け生駒へ。駅から歩いて30分。その日の夜は、大阪新世界の大阪救霊会館で、生駒聖書学院の卒業式。式が終わると大きな手で、よく来ましただと、へんな日本語で学院長のクートに迎えられた。握手は心の情報交換、情熱のバトン。私にとってそれは、熱い熱い握手でした。その日から献身の道を歩み、変えられ続ける人生のスタートでした。母の死、貧しい家、中途退学。辛い挫折の日々を、その握手が一掃し、私はその夜、決断しました。祖国を離れ、日本とペンテコステのために、生涯を捧げ、関東大震災や、太平洋戦争を乗り越え、不可能を挑戦とし、日本の救いを願い続けている学院長に続けと。その日から50年が過ぎ、今もなお私は生駒聖書学院長として、牧師養成の働きと現役牧師としても働いています。今日も、神学生たちの伝道で救われ導かれた二名(62歳&48歳)の男性に、バプテスマを授けました。9月は熊本県でも開拓伝道を開始し、6名が洗礼を受け受けクリスチャン人生を歩みはじめました。出会った方と握手し、幸せを祈りアーメンと応答すれば、イエス様を信じる祈りを共にします。握手をすればアーメンと信じる、多くの出会いを経験している人生です。
2013/10/10
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聖書の一言=出エジプト記20:14 姦淫してはならない。天に星、地に花、人に愛。愛は、もっとも美しいもの。最高の神の愛、その愛の中で、夫婦愛は美しいもの、子どもが生まれ親子愛、家族愛、民族愛、人類愛へと拡大されていきます。しかし、いつの間にかアガペの愛が、エロスの愛に化け、不倫、不品行、汚れ好色の世界に脱している現代です。姦淫してはならないとの、十戒の厳命に目を止め、青少年にも結婚愛の性教育を、親や教師、人生の先達は示し、ITの世界、DVDショップや書籍なども、表現の自由を自らセイブできる社会であるよういのります。今日もまた天国の愛の一日です。永遠の愛とは、後にくるものではなく、その愛は今、すでにここにあります。ヨハネの第一の手紙 4:7 愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。 4:8 愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。 4:9 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。 4:10 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。 4:11 愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。 4:12 いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。 4:13 神はわたしたちに、御自分の霊を分け与えてくださいました。このことから、わたしたちが神の内にとどまり、神もわたしたちの内にとどまってくださることが分かります。 4:14 わたしたちはまた、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見、またそのことを証ししています。 4:15 イエスが神の子であることを公に言い表す人はだれでも、神がその人の内にとどまってくださり、その人も神の内にとどまります。 4:16 わたしたちは、わたしたちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまり、神もその人の内にとどまってくださいます。 4:17 こうして、愛がわたしたちの内に全うされているので、裁きの日に確信を持つことができます。この世でわたしたちも、イエスのようであるからです。 4:18 愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。なぜなら、恐れは罰を伴い、恐れる者には愛が全うされていないからです。 4:19 わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。 4:20 「神を愛している」と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません。 4:21 神を愛する人は、兄弟をも愛すべきです。これが、神から受けた掟です。 5:1 イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。 5:2 このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。 5:3 神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。
2013/10/10
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フランチャイズ事業を始めた青年は、加盟者に誓い、みんなが収入を得るまで、自分は給料を取らない。彼は受けるよりも、与える幸いを決断しました。自分はミキサーセールスで、自分の生活を支えながらでした。事業が軌道に乗るまで、、自分の儲けはだれよりも後回しにしました。やがてこのフランチャイズ店は世界一に!この青年こそ、マグドナルドのレイ・A・クロック。そして、彼はっ創業からなくなるまでの40年間、マクドナルドを世界34ヶ国に、8000店も作りました。現在は世界中に3万店以上、日本には3500店以上、生駒市にもあり孫達も大好きです。私は全然たべませんが・・・・。先に与えることで、彼は自分も幸せになりました。受けるよりの与える方が幸いです。今日私は何を与えただろうか。与えることは与えることです。事業や何かに成功するためにも、普遍的な原則です。微笑みを柔らかな笑顔を、やさしいことばを、思いやりの心を、ありがとうの感謝を、そして幸せの祈りを、家庭の中にも職場にも、与える幸いがいっぱいあります。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。
2013/10/09
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父を母を尊敬できない、父が母が嫌いです。愛することなんかできませんとも聞きます。聖書の教えは、好きだったら、愛していたら、資産家、著名人、優しかったらなどとの条件は一切なしです。あなたの父、あなたの母を敬いなさいです。この世に生まれてきたのは、乳があり母があったからです。そのことのために、父母を敬いなさいです。死んだら位牌を作り拝みなさいではありません。生きているときは邪魔者扱いにし、死んだら位牌を作り、立派な仏壇の納め拝むのではありません。もともと仏教には位牌も先祖崇拝の教えはありません。いつの間にかそうしないと親不孝という思いが広がり、生きているときは話しかけもしないで、老人病院や施設に入れ、見舞いにも来ないで、死んだらあれこれするたたりや呪いを信じる不思議な国です。先祖を大切にと言い、仏壇を拝みますが、先祖をずっとたどれば、天地万物を創造し、人間にいのちを与えた真の神まで行きます。今日から家族上げて、真の神を信じ礼拝し、父と母を敬い、先祖に感謝する愛が満ち溢れる家族となりましょう。使徒の働き14:15 言った。「皆さん。どうしてこんなことをするのですか。私たちも皆さんと同じ人間です。そして、あなたがたがこのようなむなしいことを捨てて、天と地と海とその中にあるすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るように、福音を宣べ伝えている者たちです。 14:16 過ぎ去った時代には、神はあらゆる国の人々がそれぞれ自分の道を歩むことを許しておられました。 14:17 とはいえ、ご自身のことをあかししないでおられたのではありません。すなわち、恵みをもって、天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなたがたの心を満たしてくださったのです。」
2013/10/09
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聖書の一言=出エジプト記20:12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。第一から第四戒で、神を愛するように,第六から第十戒が隣人を愛せよとの命令です。第五戒は、ちょうどヤジロベーの中心がバランスをとるように、その真中にあります。キリスト教は親不孝を教える宗教だと言われたりもしますが、「あなたの父と母を敬え」との十戒の精神を最も尊び、親に孝養を尽くす聖書の教えを実行しているのが、クリスチャンです。昨日の88歳の高齢男性の手術が成功しました。五人の子ども夫婦と、孫、祖孫11名、21名がどれほど祈り、その回復を願ったことでしょうか。祈りを求められた牧師として、電話からさえ父を敬う愛が伝わります。家族が愛し敬い合い、天国に行くまで平安で祈りの中にある素晴らしさを、日本中の家族に体験してほしいと、祈っている秋の朝です。父が父、母が母であることを敬い始めれば、今日も家族関係に奇跡が起こります。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2013/10/09
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ご存知ですか? 五歳で失明した少女は、八歳で母を亡くしました。アルコール中毒の父と別れ、弟と施設に入れられ、その弟も死に天涯孤独になり、うつ病になり個室に閉じ込めらた少女。 少女に希望の光はなく、不可能だけのようでした。でも彼女に愛が届けられました。 すべてが不可能でしたが、少女は愛を受けたときから、不可能を信じませんでした。 少女は愛なる神を知り、希望を本気で信じました。14歳の少女は、自分から盲学校への入学を強く希望しました。そして、何度も目の手術を受け、少しだけ視力が回復し、盲学校を首席で卒業し、教師となりました。 少女は不可能という言葉を知らない彼女は、ひとりの生徒と出会いました。 その生徒の名は、ヘレン・ケラー。目も口も耳も不自由な少女でした。だれもが回復は不可能と決めつけていた、その少女を彼女は闇から救い出しました。 奇跡の人、ヘレンケラーは、不可能を信じない少女によって誕生しました。人はそれを奇跡と呼んでも、彼女はそれを希望と言いました。 希望とは不可能を可能としてしまう不思議な力。希望があればどんなことでも成し遂げられる。 不可能かどうかを決めるのは自分ではない。人に言われて決まるのではない。愛なる神様が決めるのです。 そして愛なる神様は、信じる者には不可能はない!と宣言しておられます。 信仰、希望、愛にあるところに不思議が生まれる。人はそれを奇跡と言うけれど、私にできることは希望を持つことだけです。アーメンとイエス・キリストを信じると希望が生まれます。 今日もアーメンと信じて希望に燃えて取り組んでみよう。ヘレン・ケーラーを闇から導きだした希望の人、アン・サリヴァンのように、自分が希望を持つだけでなく、家族に、隣人に、世界中に希望をもたらす輝き続ける人生を!
2013/10/08
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聖書の一言=出エジプト記20:8-11 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。--あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も。--それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。第四戒です。安息日は今でも土曜日です。だから土曜日を休まないと救われないと主張する宗教もあり、聖書の真の救いから逸脱し、日曜礼拝を守るキリスト教会を攻撃し、混乱を起こしたりします。新約聖書をしっかり読めば、すぐ解決できます。十戒を守らなければ救われないという教えに近づかないように。真の安息は、イエス・キリストの十字架の救いによって完成しました。心も体も癒やされ、この地上の労苦は、天国で永遠の安息を与えられます。ローマ人への手紙 14:5-8 ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。日を守る人は、主のために守っています。食べる人は、主のために食べています。なぜなら、神に感謝しているからです。食べない人も、主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。ヘブル人への手紙 4:3-10信じた私たちは安息にはいるのです。「わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息にはいらせない。」と神が言われたとおりです。みわざは創世の初めから、もう終わっているのです。というのは、神は七日目について、ある個所で、「そして、神は、すべてのみわざを終えて七日目に休まれた。」と言われました。そして、ここでは、「決して彼らをわたしの安息にはいらせない。」と言われたのです。こういうわけで、その安息にはいる人々がまだ残っており、前に福音を説き聞かされた人々は、不従順のゆえにはいれなかったのですから、神は再びある日を「きょう。」と定めて、長い年月の後に、前に言われたと同じように、ダビデを通して、「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」と語られたのです。もしヨシュアが彼らに安息を与えたのであったら、神はそのあとで別の日のことを話されることはなかったでしょう。したがって、安息日の休みは、神の民のためにまだ残っているのです。神の安息にはいった者ならば、神がご自分のわざを終えて休まれたように、自分のわざを終えて休んだはずです。アーメンと信じれば、だれでも救われ、平安を与えられ、霊的精神的に、また肉体的にも安息を与えられます。クリスチャンが日曜日に礼拝するのは、イエス・キリストが死を打ち破り復活されたことを祝い喜ぶためです。日曜礼拝は毎週が、復活記念のお祭りなのです。だから、イエス・キリストを信じる毎日は、安息の日です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。詩篇118:23 これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである。 118:24 これは、主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。
2013/10/08
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聖書の一言=出エジプト記20:7 あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。主は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。第三戒は、日本人にはよく分かる戒めです。家名、門閥、学閥、財閥など、その名に恥じないように生きるよう良く言われます。天地万物を創造された唯一の真の神の御名を、英語のスラングのように、清い御名を汚い隠語として使ったり、苦しい時の神頼みで、その御名を自分の都合に合わせ、無責任の理由にしたりすることもそうです。ともかく、その御名にふさわしく、清く正しい聖なる歩みが出来る人生を祈ります。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。クリスチャンという呼び名は、新約聖書に三回出てきます。 使徒行伝11:26 彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。使徒行伝26:28 アグリッパがパウロに言った、「おまえは少し説いただけで、わたしをクリスチャンにしようとしている」ペテロの第一の手紙4:16 しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい。クリスチャン=キリスト者(新改訳と新共同訳)のことです。キリスト者ですと言わずに、クリスチャンですと一般的には言います。イエス・キリストを信じている者ですから、その名前に恥じないで生きる人生でありたいものです。ともかく、今日もクリスチャンと呼ばれ、真の神の御名をみだりに唱えず、まっすぐに人生を歩みたいと願いながら、これから朝のチャペル、昼まで講義、午後からは、明日手術を受ける高齢者を見舞い祈りの時です。一人でも幸せになれるよう願いながら、きょうも感謝しつつ歩んでいます。詩篇 1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。 1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。 1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。 1:4 悪者は、それとは違い、まさしく、風が吹き飛ばすもみがらのようだ。 1:5 それゆえ、悪者は、さばきの中に立ちおおせず、罪人は、正しい者のつどいに立てない。 1:6 まことに、主は、正しい者の道を知っておられる。しかし、悪者の道は滅びうせる。
2013/10/07
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昨年の今日、こんなブログを書いていました。 艱難、汝を玉にす。我に七難八苦を与えよ。失敗は成功の元。若い時の苦労は買ってもせよ。などと、上げればきりがないほどの金言、ことわざがあります。 聖書にも、試練や悩み苦しみが人生にあり、それらが益となり喜びとなると、多くのことばで励ましています。 確かにそれはその通りです。逆境に出会うとなぜか人は強くなります。刀を作る人が 「焼入強刀=焼きの入った刀は強くなる」と言うとりです。鍛えれば鍛えるほど強くなるという原理は、スポーツの世界や様々な分野に当てはまります。 人生でもその原理は信仰あるなしに関わらず、同じように思います。貧乏しながら苦労して苦労しながら、大成功を収めた話がたくさんあります。 アメリカンドリームは、まさにそのような人生が輝いており、読む者にあるいは映画で鑑賞する時、胸が熱くなり感動します。 授業で、「パッチ・アダムス」を鑑賞しました。本名はハンター・アダムス。失望のどん底で自殺願望に取りつかれ病院に入院しました。病院で挫折と絶望の淵にいる同室の男に出会いました。 ハンター・アダムスは、愛を与えてくれる人の存在が、どれほど大切かということを痛感しました。 入院している人々に必要なもには、薬ではなく、愛なのだと知り、決心しそのような医者になろうと決心し、愛を与える医師となり、愛と思いやりで治療を行う夢の病院を作り上げました。 興味のある方は、「パッチ・アダムス」をご覧ください。前に見た方もぜひもう一度レンタル・DVDを! でも反対に、逆境に出会ったことで、人生がダメになってしまった人々も多くいます。日曜日の午後は新世界にある、大阪エリムキリスト教会の礼拝に出かけます。浪速区、西成区、天王寺区は、大阪市内でもっともホームレスの多い地区です。 その真ん中にあるエリムキリスト教会でも、さまざまな逆境に揉まれた方々と出会います。お話しを聞くだけでも涙を禁じえない人生もあります。 イエス・キリストを信じる時、逆境をどうすることもできないと、マイナス的にとらえていましたが、試練はチャンスだ、すべてが最善になると前向きに考え始めた時、不思議に救われ新しい人生を幸せに生きる力となる方もあります。 牧師としてノウハウを提供するわけではありませんが、前向きに信じる信仰を持つだけで逆風の「向きが転じて幸せを与える方に吹き初めるから不思議です。 逆境はピンチではなく、上昇する一つのチャンスだと信じ、前向きに考え初めてみましょう。ゼパニヤ書3:16-17 さあ。元気を出せ。恐れるな。神様があなたの内に住むために来られた。神様は力ある救い主で、あなたに勝利をお与えになる。あなたのことをことのほか喜び、非常に満足なさる。あなたを愛して責めるようなことはなさらない
2013/10/06
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