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種子島土産に、黒砂糖でまぶした落花生があります。落花生に忘れてはならない人が最上宏です。 西之表小牧最上鹿之助氏の長男。明治16年-昭和39年没。著書(日本食糧史考上巻.下巻は未刊・鹿児島地名考) 長崎医学専門学校卒業後帰島し最上医院医師開業・医院の一室を教会として提供し、高校一年生の時、その部屋で神の愛を知りクリスチャンになりました。もう56年も前になります。 北種子村会議員・熊毛郡会議員・鹿児島県会議員を歴任・西之表町第6代町長、西之表市第2代市長(s34/5~s35/2)など政治活動し西之表市発展の基礎をつくった功績は大きいクリスチャンンでした。 土産の落花生をかじりながら、種子島に落花生を根付かせた、功績を思っています。 種子島の農家の困窮をみ現金収入の道を模索し、大正4年鹿児島県鹿屋より落花生の種子35石(金がないので倍の70石返済するという約束で)を穀物商中村直次郎氏と協力して持ち帰り、西之表市現和に400世帯で栽培して大成功。 以後種子島、屋久島の農家の基幹作物となり、西之表キリスト教会の礼拝の後交わりにも、落花生の煮豆がご馳走で、たくさんいただいました。 西之表市市役所内に胸像。西之表市現和のJA現和支所に落花生栽培初地記念碑などもあり、その功績を讃えています。マタイの福音書5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。 5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。 5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。 5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
2013/07/31
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聖書の一言=創世記28:15 見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。 全能で愛なる神が共におられる約束です。ヤコブは孤独のど真ん中、草木一本もない荒野。環境の孤独だけではなく、父は母の元を離れ、兄には嫌われるどころか命を狙われ、四面楚歌の状態でした。その荒野で、天から枕元に立つ梯子で、天使がやってくる夢を見、約束のことばを受けました。 いま私たちは天からの梯子にも比すべき、十字架の上にいのちを捨て、墓に葬られ、三日目の朝に復活したイエス・キリストの明確な約束を受けています。「わたしは決してあなたを離れず、あなたを捨てない。見よ。わたしは世の終わりまであなたと共にいる」 そのことをアーメンと受けると、一切の孤独や悩みから解放され、輝く笑顔で、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝する、今日もまた天国の一日です。ハレルヤ。 種子島へ25日から29日まで行きました。25日の朝、新大阪駅から鹿児島中央駅まで乗り換えなしで4時間弱。タクシーで港まで行き、高速艇トッピ-で90分で種子島の西之表港着です。 夜は、野間のバプテスト教会が。鹿肉のバーベキューで歓迎夕食会。生れて初めての鹿の肉でした。肉だけでなくトッピ-(飛魚)やカマスなどの魚もあり、豪勢なバイキングでした。 西之表の島一番高いホテル=宿泊費ではなく8階建てのホテルで島で一番の高い建物=20年前にできました。それ以来8階建て以上の建物はありません。 ホテルの大浴場で一緒になった方の祝福を祈り、アーメンと言えば救われると、裸同士で祈りました。大浴場の受付の方にもありがとうと挨拶し握手。信じる祈りをしてくれたので、部屋から本を持ってきて渡すと喜んでくれました。 26日は、ありがとう星原中学校でラーメンボランティアの日。熊本から14名がとんこつラーメン1000食を用意して車3台で来ています。NPO法人こすもの10周年、また、今日もまた天国の一日の披露会。 詩人濱田龍郎、作曲&歌笹川満夫、そして星原卒業の榮義之も歓迎されました。種子島原人がポスターや案内チラシで裏方で大活躍。何と500名を越えての集まり、ラーメン1000食が全ど部出ました。 星原中学校へ片道9キロの山道を休まず通った卒業生紹介され、福音を語る時間もありました。笹川満夫歌披露の時は、歌詞も配布されていたので、今日もまた天国の一日を口ずさむ方々もあり、皆がアーメンと言ってくれる喜びでした。 何と生駒市俵口町からも=たまたま種子島に帰っており=ご夫婦で来てくれました。小学校の時の同級生で、学院の近く=1200歩=に住んでいます。 いろんな出会いがあり、アーメン信じますと祈ってくれたからも、35人もありました。握手すると祈りを受けて下さり、良い出会いが続いた旅でした。 詩篇126:1 主がシオンの捕われ人を帰されたとき、私たちは夢を見ている者のようであった。126:2 そのとき、私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき、国々の間で、人々は言った。「主は彼らのために大いなることをなされた。」126:3 主は私たちのために大いなることをなされ、私たちは喜んだ。126:4 主よ。ネゲブの流れのように、私たちの捕われ人を帰らせてください。126:5 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。 126:6 種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。
2013/07/31
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聖書の一言=創世記27:2 イサクは言った。「見なさい。私は年老いて、いつ死ぬかわからない。イサクがそう言ってから、彼は43年も生きました。死なないのにあれこれ心配しないように! 人は生死を自分でも人にも決められません。家内は余命1年と言われ、3年目になります。余命宣告した主治医に、あとどれくらいですかと聞いたら、余命は宣告できても、いつまで生きるか、死ぬかはいえませんとの。答えでした。人が生きるのは神の言葉により、死もまた神が召してくださるときなのです。いつ召されてもよいように備えだけはしておきたいものです。イサクのようにもう死ぬ、いつ死ぬかわからない、もう死ぬと考えたり、言ったりしないで、命ある限り今日もまた天国の一日ですと、感謝し輝き生き続けましょう。アーメン。
2013/07/30
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今日はこれから種子島行きです。昨年、種子島行き直前に入院し、多くの方にお世話になりました。イエス様のすばらしい癒しと、愛する皆様のお祈りで癒され、一年が早くも過ぎました。今年は例年と違い、九州ラーメン党とラーメンボランティです。熊本から1000食もラーメンを積んで、今朝四時に出発。朝8時のフェリーで種子島へ出かけました。生駒からは3名の神学生が、ハイブリット新車で同じフェリーっで。後発の3人は新幹線みずほで午前7時53分発、午前11時37分着で、午後1時のトッピ-で90分種子島です。今日の夜は、バプテスト教会の庭で、鹿肉のバーベキューで歓迎してくれるそうです。26日は、榮義之物語「今日もまた天国の一日」の歌、新曲発表披露会です。パソコン動画は、屋久島の峰々を見て育ち、海の波で種子島、人生も波のように一定ではないが平穏は来ることを表現しているそうです。高速船は、島を出る、帰る郷愁と、まっすぐ目的の港に着く道しるべ。そして 生駒聖書学院で生きると、歌に作ってくれました。 動画→ http://www.youtube.com/watch?v=HSNj9tg9IOc 2011年に種子島へ行ったときから、種子島原人ブログに、種子島輝ける人と紹介され、多くの出会いが続いています。 種子島出身詩人濱田龍郎さんとの出会いは、福井島県いわき市へのラーメンボランティアの時でした。イエス様をアーメンと信じバプテスマを受け、エッセイ「受洗のとき」も出版されました。お読みいただければと存じます。 すばらしいことに彼の居住地、熊本県益城町(熊本空港のある町)に、益城エリムキリスト教会が開設されました。9月15日に献堂式を行います。 また、彼が榮義之牧師物語、今日もまた天国の一日という詩を書いて、種子島の歌手笹川満夫さんが、26日に初披露してくれます。 26日(金)に種子島の星原中学校跡で、天国の一日の歌披露会。笹川満夫の熱唱で紹介されます。お昼は、九州とんこつラーメンボランティア1000食を行う予定です。 生駒から6名、熊本からも参加し、NPO法人コスモの作業所(星原中学校跡)を会場に行われ、27日には歓迎会もしてくれると連絡を受けました。 星原中学校には家から片道9キロの山道でした。校区は古田中学校でしたが、父が勝手に越境入学を決めてしまい、3年間一度も休まず、一人で山道を通いました。 その思い出の中学校で、クリスチャンでない多くの方々の協力で、歌の披露会がありボランティアができるのは不思議な気もします。同級生にも会えるかな?と思っています。 歌わず、運動もせず、話もしなかった少年が牧師になっているという話が流れているようです。 今日も天国の一日の歌詞です。信じる者は救われる 永遠に変わらぬ信仰を誓ったふるさと種子島 バプテスマの海忘れない今日もまた天国の一日 今日もまた爽やかな朝 ふるさと離れて幾星霜 神の子イエスの名において天国の道指し示す 標(しるべ)となりて揺るぎない今日もまた天国の一日 今日もまた恵みの光生駒聖書学院で 今日も使命の教え説く聖霊この身に満たされて イエス・キリスト讃えつ今日もまた天国の一日 今日もまたやすらぎの夜 種子島は素敵な島です。ぜひ種子島原人ブログで、ご覧ください。 詩篇1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。1:2 まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。1:3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。
2013/07/25
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明日 の夜は、種子島で鹿肉のバーベキューが準備され、少年時代は肉を食べませんでした。 島なのに魚もない山の中暮らし。野菜を中心にすごく自然の生活でした。 脳梗塞になり肉を殆ど食べず、医笑同然で一年を過ごしています。鹿の肉を食べるのは生れて初めてです。 鹿肉は馬肉同様、脂肪の少ない赤 身の肉で豚肉や牛肉に比べカロリーは約3分の1、脂肪分は15分の1程度だそうです。鹿肉は食物アレルギーの原因になりにくい消化の良いタンパク質。しかし、CLA(共役リノール酸)をはじめ多価不飽和脂肪酸に優れ、 鹿肉は脂分が少なくあっさりなのに美味しいのが特徴です。 肉なのにDHAが含まれてアミノ酸やミネラルバランスに優れ、鉄分が牡蠣と同じくらい含まれています。脳内出血にもよさそうです。食べ過ぎないようにと。明日の種子島行きに備えています。 今日もまた天国の一日です。
2013/07/24
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種子島(たねがしま)は、九州の鹿児島県に属し、大隅諸島を構成する島の1つ。 種子島は、鹿児島県内有人離島の中で最も東に位置し、人口(約33,000人)は奄美大島に次いで2番目に多い。高校時代(昭和32年)には、人口75,000人くらいで、西之表市になりました。今は過疎の島です。 面積は444.99km2で、奄美大島、屋久島に次いで3番目に大きい。日本では、10番目に大きい島。 標高は最高点でも282mしかなく、海側から見ると殆ど平らな島。宮之浦岳1936mもある隣の屋久島と比べると対照的です。 宮之浦岳の雪を眺めつつ、星原中学へ片道9キロを3年間休まず通学しました。明日から種子島へ行きます。 26日は、45年の校舎(解体が決まり)に感謝を込めて、 午前11時~午後2時「NPO法人感謝祭。 種子島有名歌手笹川満夫作曲の、星原中学出身で牧師になった「今日もまた天国の一日」(濱田龍郎詩)が、発表披露されます。 歌披露の後、ラーメン1000食無料、やきとり、かき氷、ワタアメなどぜ~ぶ無料です。お待ちしておりまーーす。種子島よかとこ!おじゃり申せ! 今夜3名の神学生は、ハイブリット車で高速&フェリーで明日着で種子島へ。残り3名は、明日朝、新幹線と高速艇トッピーで午後3時には種子島です。 明日の夜は、種子島新生キリスト教会(バプテスト連盟)庭で、鹿肉のバーベキュー歓迎会を開いてくださるとのこと。昨日そのことを聞き、肉を食べないで明日の鹿肉を楽しみにしています。 机上にある、顔が笑う、心が笑う、脳が笑う(中井宏次著)に、医食同源ー免疫力を上げる食物のページ。たまにわ(は)すきになさい!が必須。た=卵 ま=豆類(納豆、豆腐など) に=乳製品(ヨーグルト、チーズ、牛乳など)わ=ワカメ(海藻) す=酢 き=きのこ類 ニ=ニンニク な=生野菜のすすめさ=魚類(青魚) い=芋類 肉は書いてないと思いながら、明日は鹿(しか)たがないと笑いながらの朝です。笹川さんが歌う、牧師物語「今日もまた天国の一日」に、どんな反応があるかと、明後日の事を考えています。以下の歌詞です。信じる者は救われる 永遠に変わらぬ信仰を誓ったふるさと種子島 バプテスマの海忘れない 今日もまた天国の一日 今日もまた爽やかな朝 ふるさと離れて幾星霜 神の子イエスの名において天国の道指し示す 標(しるべ)となりて揺るぎない今日もまた天国の一日 今日もまた恵みの光生駒聖書学院で 今日も使命の教え説く聖霊この身に満たされて イエス・キリスト讃えつつ今日もまた天国の一日 今日もまたやすらぎの夜ローマ人への手紙8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。 8:29 なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。 8:30 神はあらかじめ定めた人々をさらに召し、召した人々をさらに義と認め、義と認めた人々にはさらに栄光をお与えになりました。
2013/07/24
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種子島原人のフェイスブックで知り、今週星原中学校へ行くので、片道9キロ、通った懐かしい学校の最後の姿が見れるので嬉しいです。 星原中学校は半分以上取り壊しになります。 45年の校舎に感謝を込めて、7/26 午前11時~午後2時「NPO法人感謝祭」。 笹川満夫新曲発表会、ラーメン1000食無料、やきとりかき氷ワタアメなどぜ~ぶ無料です。お待ちしておりまーーす。 写真も載せられて、26日のお知らせでした。お祈りお願いいたします。詩篇103:1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな 103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、 103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。
2013/07/23
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聖書の一言=25:8 アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。 人は誰でも死にます。平安は宝です。、どんなときにも心安らかに、心澤がせず生きる愛ある人生は幸せです。 イエス・キリストは、全人類へ平安という遺産を残されました。ヨハネ14:27にあります。 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。 アーメンと言えば遺産相続人です。平安に生きる恵みです。 老年が何歳からかは知らないが、自分が自覚したとき、年齢に関係なく老いて行く。10代で老年のように生きたり、高齢になり夢とロマンに満ちて生きる者もある。老いさらばえるのではなく、志を高く掲げよう。 長寿を全うして、人生を生ききる素晴らしさで、アーメンとお終いの「ン」で息絶えたい。そして永遠の故郷である天国へ。 天国行きの切符をもっていますか。終の住まいの予約はできていますか。アーメンと言えば救われます。 今日もまた天国の一日です。29日は熊本益城エリムキリスト教会へお願い;25日から種子島へ。帰路の29日は、熊本益城エリムキリスト教会へ。25日から30日位まで。聖書の一言だけ掲載します。化石人間、家のパソコンで書くだけで、旅の時は書いて置いた原稿を転載してもらうだけです。今日、明日はなんやかやと自分で書きます。よろしくお願いいたします。
2013/07/23
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昨年の今日は日曜日でした。 奈良市と大阪市の礼拝を終わり堺市へ。その帰り道、運転中の脳内出血。救急病院へ運ばれ、九死に一生でした。詳しくは「天国から追い返された牧師」に書きました。 月曜日から九州で二つの聖会。鹿児島では知覧特攻隊 基地を視察し、平和を祈る予定。予定もホテルもキャンセルでした。 種子島では、公民館で待つ方々との初めての出会い。29日の礼拝は西之表キリスト教会、夜は種子島新生キリスト教会での説教と、予定がいっぱいでした。 集中治療室10日くらい、入院3ヶ月と診断でしたが、イエス様の癒しと多くの祈りに支えられ、一ヶ月で退院。二年目の夏を迎え、今週種子島へ行くことになりました。 主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。(イザヤ58:11) 先日種子島からCD、 「天国の一日 榮義之」の歌が届きました。 パソコン動画説明に、は、屋久島の峰々を見て育ち、海の波で種子島、人生も波のように一定ではないが平穏は来ることを表現しているそうです。高速船は、島を出る、帰る郷愁と、まっすぐ目的の港に着く道しるべ。動画→ http://www.youtube.com/watch?v=HSNj9tg9IOc 2011年に種子島へ行ったときから、種子島原人ブログに、種子島輝きの人と紹介され、種子島出身の多くの出会いが続いています。 種子島出身詩人濱田龍郎さんとの出会いは、福井島県いわき市へのラーメンボランティアの時でした。イエス様をアーメンと信じバプテスマを受け、エッセイ「受洗のとき」も出版されました。 すばらしいことに彼の居住地、熊本県益城町(熊本空港のある町)に、益城エリムキリスト教会が開設されました。9月15日に献堂式を行います。 また、彼が榮義之牧師物語、今日もまた天国の一日という詩を書いて、種子島の歌手笹川満夫さんが、作曲し歌います。 今週26日(金)に種子島の星原中学校跡で、天国の一日の歌披露会があり、笹川満夫さんが熱唱します。 歌披露会の後、お昼に合わせて九州とんこつラーメンボランティア1000食を行う予定です。 生駒から6名、熊本からは14名参加し、NPO法人コスモの作業所(星原中学校跡)を会場に行われ、27日夜には、漁村で魚介類で歓迎会もしてくれると連絡を受けました。 星原中学校には家から片道9キロの山道でした。学区は古田中学校でしたが、父が勝手に越境入学を決めてしまい、3年間一度も休まず、一人で山道を通いました。 その思い出の中学校で、クリスチャンでない多くの方々の協力で、歌の披露会がありボランティアができるのは不思議な気もします。同級生にも会えるかな?と思っています。 歌わず、運動もせず、話もしなかった少年が牧師になっているという話が流れているようです。 今日も天国の一日の歌詞です。 信じる者は救われる 永遠に変わらぬ信仰を誓ったふるさと種子島 バプテスマの海忘れない 今日もまた天国の一日 今日もまた爽やかな朝 ふるさと離れて幾星霜 神の子イエスの名において天国の道指し示す 標(しるべ)となりて揺るぎない今日もまた天国の一日 今日もまた恵みの光 生駒聖書学院で 今日も使命の教え説く聖霊この身に満たされて イエス・キリスト讃えつつ 今日もまた天国の一日 今日もまたやすらぎの夜ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します
2013/07/22
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聖書の一言=創世記24:1 アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。主は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。 誰が考えたか後期高齢者などということば。しかし、それに腹を立てても何も変わらない。後期を読み変えて高貴で光輝な人生を、すべてのことを好機とし、好奇心も失わず、香気を放ちつつ、幸喜に満たされて天国への道を歩いて行きたいものです。年齢を重ねても、あらゆる面で祝福される人生です。 米寿は八十八歳。米=十字架が真ん中にあり、上に向かってハレルヤ!アーメンと両手を上げて神を賛美し、下には地を踏みしめて、ありがとう!感謝です。地上の歩み終わるまで、あらゆる面で祝福されて、今日もまた天国の一日です。
2013/07/22
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朝は奈良市、富雄キリスト教会説教を終え、娘に駅まで送られ近鉄快速急行と、地下鉄御堂筋線で新世界へ。 喫茶店カラ-で待ち合わせ。午後一時の遅いホットケーキの昼食。午後2時のエリムキリスト教会説教。 帰宅は迎えの車で投票所へ。店に立ち寄り注文品を受け取り帰宅。夕食前に孫四人が元気に顔を出し、おやつを渡してバイバイで夕食。 訪問客と祈り、パソコンでメール返信。恵みはあふれ、朝ごと日ごと、主イエスのいのちに、今日も護られ、福音伝える喜びの日、与えに与えて、幸せに満つ。アーメンと、歌いつつの日曜日です。アーメン信じる まっすぐな道 天国仰いで ひたすら進む恐れは消されて 主はともにあり ハレルヤ!アーメン ありがとう感謝... 信仰と希望 愛こそすべて主イエスの十字架 見上げるごとに賛美と感謝の 絶えることなく聖霊そそがれ みことば(聖書)どおり アーメン今日もまた天国の一日でした!感謝します。
2013/07/21
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聖書の一言=創世記23:2 サラはカナンの地のキルヤテ・アルバ、今日のヘブロンで死んだ。アブラハムは来てサラのために嘆き、泣いた。 サラの生涯は127年、聖書にしるされた唯一の女性の年齢です。人は必ず死にます。それが厳しい現実です。 アブラハムは妻サラのために嘆き、泣きました。その死者のそばから立ち上がり、と記録は記します。 嘆き、悲しみ泣き、同時に立ち上がる勇気も与えられます。それは死が死で終わるだけでなく、永遠のいのちと天国に望みをつなぐことができるからです。 今日もまた天国の一日です。アーメンと言えば救われます。大きな恵みを感謝します。 5月22日に召された教会員の記念礼拝を昨日行いました。健康相談や指導で、余命宣告された多くの方々に、それに勝る生きる勇気を与え続けてくれました。 彼は死んだが、信仰によって語る(ヘブル11:4)からメッセージしました。 DVDで健康講演会での姿や声を聞く時間もあり、おだやかでにこやかな顔に感動でした。 彼の召されたことを覚え、聖書のひと言を書き出して、明日で2カ月になります。フェイスブックに掲載するので、できるだけ短くと思いながら、またブログでも長々と書いています。 今朝はまたミスプリント、サラの生涯を障害と書き、年齢を127歳を27歳と書き、化石人間で二重になったまま掲載しています。アクセス数の目標はあります。 自動車の運転をしないで一年、ほとんど外行かずです。でも今日は富雄キリスト教会礼拝で奈良市へ。娘の送迎で行きます。 午後からは大阪市内新世界近くのエリムキリスト教会へ。今日は東生駒駅からなんばへ。なんばから地下鉄で少し早く行き、礼拝前に教会近くの喫茶店で待ち合わせです。 今週は、25日(木)朝7時53分発みずほで、鹿児島へ。高速艇え種子島港着午後3時前です。新大阪までは送りがあり、種子島ではレンタカーですが、運転付き添いがあり、今までで一番楽な(体長は別として)種子島行きです。 今朝も恵みに生かされ、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。 詩篇103:1 わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。 103:2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 103:3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、 103:4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、 103:5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、わしのように、新しくなる。
2013/07/21
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5月に天国へ召された愛兄(教会員)の記念礼拝。生前の講演会DVDで懐かしい姿と声を聞きつつでした。召天記念日 天国仰ぎ へいあん慰め 満ちる礼拝すべての労苦は 解き放たれて御国にいこえる 愛兄思う アーメンエペソ人への手紙 1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神はキリストにおいて、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。 1:4 すなわち、神は私たちを世界の基の置かれる前からキリストのうちに選び、御前で聖く、傷のない者にしようとされました。 1:5 神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。 1:6 それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。 1:7 私たちは、この御子のうちにあって、御子の血による贖い、すなわち罪の赦しを受けているのです。これは神の豊かな恵みによることです。
2013/07/20
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静かな夕べの 幸いなとき主イエスの恵みを 豊かに受けて重荷も悩みの すべて去りゆきあふれる喜び ありがとう!感謝すべてに感謝し すべては益にすなおに信じて ハレルヤアーメン御霊に満たされ 聖書のとおり平安満たされ ありがとう!感謝明日の日委ねて 心配はなし十字架のご愛は 常に変わらず復活のいのちに いかされており恵みに注がれ ありがとう!感謝アーメン
2013/07/19
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デボーションが伝道者の書(コレヘトのことば)になり、どう歌おうかと考えながら。すべてはむなしく 風を追うよう数えられないよ 無くしたものはいまある恵みに 豊かに感謝むなしさの中にも 恵みはあふれ快楽や労苦 すべてむなしく愚かさの中で 風を追うよう労苦と心配 世の常なれどすべてに感謝し 神をたたえる神のなすわざは すべて美し生れた幸い 喜び楽しめ話すにときあり 黙るときにも豊かな導き 天国の日々アーメン伝道者の書 5:18 見よ。私がよいと見たこと、好ましいことは、神がその人に許されるいのちの日数の間、日の下で骨折るすべての労苦のうちに、しあわせを見つけて、食べたり飲んだりすることだ。これが人の受ける分なのだ。 5:19 実に神はすべての人間に富と財宝を与え、これを楽しむことを許し、自分の受ける分を受け、自分の労苦を喜ぶようにされた。これこそが神の賜物である。 5:20 こういう人は、自分の生涯のことをくよくよ思わない。神が彼の心を喜びで満たされるからだ。
2013/07/19
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聖書の一言=創世記22:1 これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ。」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります。」と答えた。 イサクも誕生し、笑いがあふれすべてが順調。 ところが、これらの出来事の後、大きな試練が=しかも神は、アブラハムを試練に合わせられた=やってきました。 信仰生活の試練、こんなはずではなかったと、自分を責め、人を責めるのではなく、信仰の父、アブラハムのように、「はい。ここにおります」徒、素直にアーメンと言える幸い。信仰はアーメンと答えるとき祝福されます。もっとよいのは「はいここにおります。喜んで」と、神をすべてに感謝すると最高です。 こんなことを書いたり話したり(いつも教会ではすべてのことに感謝せよ!と、語り続けていますが)すると、牧師は問題や試練がないから、世の中の現実を知らないからと非難されることもあります。 試練はイヤと思っても、生きている限り困難のない無難な人生より、困難の有る人生が多いことは、生まれたときからj十分に経験しつづけています。 そして、今もその試練から?のただなかに暮らしてています。でも人生は有難い。困難試練は,有り難いこと。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝しますと、元気に起き出す朝です。 いつも天国だから、すべてのことに感謝します。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!はい。喜んでアーメン! 昨日、送迎して訪ねた自宅療養中の部屋へ通されると、今日もまた天国の一日の歌が流れていました。自分のことを歌われた歌を40分も聞きつつ、お話を聞き癒しの祈りをし、家でもまたその歌を聞きました。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝しますの告白が、クリスチャンすべての習慣(習って慣れる)、ドン難しことや、試練の中でも心を貫くことができるように! 習慣になれば、何があってたときえもも、とっさにありがとうという言葉が出ると思います。咄=口+出、差=口+差、咄嗟に口から出る、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。とのことばが天の御国に帰る日までの毎日を、厳しい現実の日々をも天国の日々に変えてくれることでしょう。 種子島出身の濱田龍郎の詩「今日もまた天国の一日」に、種子島の歌手、笹川満夫が作曲し歌ったCDが出来ました。いつも感じることですが、笹川満夫の歌は「ひとの気持ちをやさしくさせる歌声」だなーと思うことです。動画→ http://www.youtube.com/watch?v=HSNj9tg9IOc信じる者は救われる 永遠に変わらぬ信仰を誓ったふるさと種子島 バプテスマの海忘れない今日もまた天国の一日 今日もまた爽やかな朝 ふるさと離れて幾星霜 神の子イエスの名において天国の道指し示す 標(しるべ)となりて揺るぎない今日もまた天国の一日 今日もまた恵みの光生駒聖書学院で 今日も使命の教え説く聖霊この身に満たされて イエス・キリスト讃えつつ今日もまた天国の一日 今日もまたやすらぎの夜
2013/07/19
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恵みの日終えて 天国の一日静かな夕べに 祈りと賛美豊かな守りの 主イエスの愛でへいあん喜び ありがとう!感謝恐れと不安は 消されあとなく主イエスの恵みに つつまれており揺るがぬ信頼 変わることなくありがとう!感謝で 天国の一日恐れず進めば 主はともにあり勇気と力は 弱さとともにいのちは豊かに 恵みは注がれありがとう!感謝で 天国の一日アーメン
2013/07/18
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昨日の検査で、頭に転移したら入院言われていた癌の痕跡も消えて、奇跡の朝を元気で迎えた晴れやかな顔を見て、感謝にあふれて恵みを讃えています。 恵みの朝開け いのちの奇跡 病もいやされ 呪いは消えて元気も豊かに ハレルヤアーメン ありがとう!感謝 天国の日々 主イエスの十字架 愛は絶えなし罪とが赦され 神の子とされ へいあん喜び 勝利輝き ありがとう!感謝で 天国の日々 主イエスは復活 今も変わらず離れず見捨てず 世の終わりまで愛の御手もて すべてを益に ありがとう!感謝で 天国の日々アーメン
2013/07/18
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聖書の一言=創世記21:18-19神があそこにいる少年の声を聞かれたからだ。行ってあの少年を起こし、彼を力づけなさい。 最近の若者はという声をよく聞く。ニュースや様々な報道で、そのやる気のなさ、自堕落、二-トや引きこもり、こころのなやみ、悪習慣におぼれたり、酒や薬でごまかし、いつまでも親の世話になり続けることを聞かされる。 神はその叫びを聞かれ、彼らを起こし、力づけよと、彼らと共に座し、悩みを聞き、真実の道へと伴う器、彼らを起こし、ちからづけよと。きょうも、真実の創造者、まことの愛の神を伝えよう。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に!アーメン。信じますで。今日もまた天国の一日です! 創世記21章は、イサク誕生の笑いと喜びに満ちた章です。ところがその後半、悲劇のできごとになります。 ハガルに生れた息子イシマエルが邪魔になり、追い出されてしまいます。荒野をさまよい、飲み水もなくもう死ぬしかない、その悲しみのさ中に、神の声が響きます.革袋の水が無くなると、彼女は子供を一本の灌木の下に寝かせ、「わたしは子供が死ぬのを見るのは忍びない」と言って、矢の届くほど離れ、子供の方を向いて座り込んだ。彼女は子供の方を向いて座ると、声をあげて泣いた。 神は子供の泣き声を聞かれ、天から神の御使いがハガルに呼びかけて言った。「ハガルよ、どうしたのか。恐れることはない。神はあそこにいる子供の泣き声を聞かれた。 立って行って、あの子を抱き上げ、お前の腕でしっかり抱き締めてやりなさい。わたしは、必ずあの子を大きな国民とする。」 神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。彼女は行って革袋に水を満たし、子供に飲ませた。(創世記21:15-19) 結婚していない男女間に生まれた子の相続分を、結婚した夫婦の子の半分にする民法の規定は憲法にかなうのか。遺産分割をめぐり、最高裁は婚外子、婚内子双方の主張を聞く弁論を大法廷で開いたト、ニュースに報じられました。 アブラハムの時代は4000年前、現代日本には今でも同じ問題があります。生れて来た子どもには、なんの罪もないのに、いじめられたり、のけ者にされたり、果ては遺産相続まで続く悲しい現実。婚外子でもなく、両親が揃っていても、快楽におぼれ、酒や薬でおぼれたり、自分ではどうすることもできなくなっている青少年たちに、渇かないいのちの水を与える使命を神は与えてくださいます。 今、若者たちを救うための働きをしている方々に感謝します。そして、生駒聖書学院では、そのような中で神に召された若者(でなくても刑務所や少年院から迎え)たちを迎え、立派な牧師に養成し、送り出しています。彼らはいまは、「行ってあの少年を起こし、彼を力づけなさい」との御声を聞き、テレビや新聞にもその働きを報道されるほど、活躍しています。 院長は、喧嘩した事もなく、酒やタバコの経験もないけれども、「みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます」(ヤコブ1:21)を徹底的に信じています。 だれであれ、聖書のことばを素直にアーメンと信じれば、その通りに救われます。新しい人生を生きることができるのです。 幸い、生駒聖書学院に入学して来た者は、聖書のことばと聖霊に満たされて、大きく変化し神の栄光のために生きる生涯に変えられています。創世記21章を開き、「行ってあの少年を起こし、彼を力づけなさい」とのことばに、アーメンと言えば救われますと、励まされています。 28日は16歳の時、アーメンと信じ救われた、種子島の西之表キリスト教会礼拝で説教です。テモテへの第二の手紙3:15 また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。3:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です. 3:17 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。
2013/07/18
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いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。ルカ福音書17章21節 神の国に生きる幸い!ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。自己不信に陥ったり、劣等感にさいなまれるとき、「私には・・・がないからダメだ」と言って、諦めてしまわないように。私たちには、十分すぎるほどその必要なものがある。それは神の国が自分の中にあるのです。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。(マタイ6:33-34) きょうも、神の恵みは朝から一日中、十分でした。神の国=天国に生きる者には、すべての備えは豊かです。今日もスゴイ奇跡を体験しました。書きたいけれども書くなと言われているので・・・・。感謝します。イザヤ58:11 主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。
2013/07/17
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しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(第二コリント12:9-10) 弱い時に強い!アーメンですね。 弱いという字、強には弓が一本。弱いには弓が二本。そして羽が二つもある。二つの字が寄り添うように組み合わさっている。強さを誇るのではなく、弱い自分を認め、寄り添い十字架にいのちを捨て、3日目に復活されたいのちの主が、世の終わりまで寄りそって下さいます。イエス様ありがとうございます。弱いからこそ、恵みは十分で、主を待ち望むとき、高く羽ばたける幸いを感謝します。今日もまた天国の一日です!アーメン。 しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。
2013/07/17
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創世記21:1 主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。 神のことばの素晴らしさは、人の思いを越えて実現します。 愛なる全能の恵みに信頼し、恐れることなく、思い煩うことなく信頼し、アーメン。ありがとうございます。みことばの約束に感謝しつつ、恵まに生かされている、今日もまた天国の一日です! 愛なる神様は、正確に落ち着いてことをなさいます。信じ信頼して生きる喜びを、今日も体験したいものです。 今朝も、主の恵みを賛美しつつ、新しい一日がスタートしました。恵みの朝明け いのち生かされ主イエスの十字架 愛は豊かにへいあん喜び 希望輝く福音伝える 天国の日々アーメン。
2013/07/16
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神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。ローマ人への手紙8章31節 天に召された教会員は、102歳までお元気で、このことばをいつも召される日まで告白していました。 さまざまな苦労や問題が一団となってあなたに攻めかかってくるときも、その問題のすべてに打ち勝つ後だてがあることを体験したいものです。 元気を失ったり、欲求不満や失望、敵意、あるいは弱さにぶつかるとき、いったいどうすればいいのか」と自問するときにも、「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵しえようか」と信じて告白してみよう。 しばらくくりかえしてくうちに、すばらしい神の実在感と、力強い勝利の感覚が与えられると思います。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!感謝します。
2013/07/15
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聖書の一言=創世記20:9 それから、アビメレクはアブラハムを呼び寄せて言った。「あなたは何ということを、してくれたのか。 偉大な信仰の父アブラハムが、アビメレク王から言われたことばです。悪いのはアビメレクでしたが、その原因を作ったのはアブラハムでした。 十字架の縦の線は、神を愛せよとのアーメンの真っすぐの関係。横線は隣人を愛せよとのアーメンの真っすぐの関係。神を真実に愛し、人を愛する、今日もまた天国の一日です!人を非難せず、非難されない十字架のもとでの一日を願いながら。 牧師の資質について、パウロは、テモテヘの手紙で書いています。 人がもし監督の職=牧師と理解して良いと思います=につきたいと思うなら、それはすばらしい仕事を求めることである。ということばは真実です。 ですから、監督=牧師=はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、 酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。自分自身 の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう。 また、信者になったばかりの人であってはいけません。高慢になって、悪魔と同じさばきを受けることにならないためです。 また、教会外の人々にも評判の良い人でなければいけません。そしりを受け、悪魔のわなに陥らないためです。(テモテヘ第一の手紙3:1-7) 牧師になるには、神の召命とともに、聖書は資質についても書いていますが、それはキリスト教会が、この世の組織体ではなく、神の国の雛型であるからです。 牧師だけでなく、その資質について、 執事もまたこういう人でなければなりません。謹厳で、二枚舌を使わず、大酒飲みでなく、不正な利をむさぼらず、きよい良心をもって信仰の奥義を保っている人です。 まず審査を受けさせなさい。そして、非難される点がなければ、執事の職につかせなさい。 婦人執事も、威厳があり、悪口を言わず、自分を制し、すべてに忠実な人でなければなりません。 執事は、ひとりの妻の夫であって、子どもと家庭をよく治める人でなければなりません。 というのは、執事の務めをりっぱに果たした人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について強い確信を持つことができるからです。(3:8-13) 「あなたは何ということを、してくれたのか」と、非難されたアブラハムでした。しかし、彼の偉大さは、自己弁護で責任放棄をすることなく、アビメレクとその国民のために祈り、その国がアブラハムのゆえに繁栄したのです。 その後、アビメレクとその将軍ピコルとがアブラハムに告げたことばが、記されています。「あなたが何をしても、神はあなたとともにおられる」「あなたは何ということを、してくれたのか」と言った同じ人から、言われたこばです。 失敗もあり。問題もある人生です。この地上に生きている限り、4000年前であれ、いや現代はもっと厳しいかもしれませんが、神を信じ信頼する人生は、何で?と思うほど、愛され続ける人生です。 そのすべては自らを誇りとすることなく、神に栄光をお返しする歩みを、真っ直ぐに続けるkとができるのです。 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。 私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。(エペソ2:8-10) 恵みにより救われ、恵みのいのちを受け、恵みの働きをアーメンと、真っ直ぐにと願いながらの、今日もまた天国の一日です。アーメン。コリント人への第二の手紙2:14 しかし、神に感謝します。神はいつでも、私たちを導いてキリストによる勝利の行列に加え、至る所で私たちを通して、キリストを知る知識のかおりを放ってくださいます。 2:15 私たちは、救われる人々の中でも、滅びる人々の中でも、神の前にかぐわしいキリストのかおりなのです。 2:16 ある人たちにとっては、死から出て死に至らせるかおりであり、ある人たちにとっては、いのちから出ていのちに至らせるかおりです。このような務めにふさわしい者は、いったいだれでしょう。 2:17 私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。
2013/07/15
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わたしが来たのは羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためですヨハネによる福音書10章10節 今日、メッセージが終わると、光はエネルギーです。キリストの光に照らされると、エネルギーがあふれますねと言われました。 多くの人びとはエネルギーに欠け、生命力に乏しい。人々は、エネルギーを消耗させる内心の葛藤に苦しんでいる。その心は鈍くなり、感動もない。 エネルギーにあふれる生命は、どうしたら与えられるのだろうか。世の光で去るイエス・キリスト、その答えです。 キリストについて「彼の中に、命があった」(ヨハネ1章4節)と言われている。あなたの思いをキリストで満たそう。あなたの心をキリストで埋めよう。そうすれば当然、あふれるばかりのエネルギー、活力、喜び、嬉しさ、また熱情がわいてくる。 あなたもまた世の光として、闇夜を照らす存在になります。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。ピリピ2:15-16
2013/07/14
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愛する教会員が67歳で天に召され、東京行きの新幹線でその連絡を受け、ホテルもキャンセルし、新横浜から引き返しました。 そうだ、聖書の一節を毎日書こうと決心し、5月16日から毎朝、創世記から書き続けています。 昨日はソドムとゴモラ滅亡を書き、英語のSODOMYがSODOMから来ているので、日本語で意味を書いたら、楽天ブログでは禁句になっていました。それくらいに情欲に満ちた古代都市だったのです。 しかし、現代世界の大都会は、ソドム、ゴモラやボンペイよりも汚れと情欲に満ちてます。 世界が終末に近づくのが、インターネットの世界の発言を聞いたり、j受信拒否してもこれでもかこれでもかと入って久くるルール、目にするのも嫌になるような内容が多い現実です。それが青少年や、閑を持て余す主婦たちのまで影響を与えているようです。 神学生のフェイスブックの書き込みに、聖書をちゃんと読んでいるのかと言いたくなるような下品な書き込みもあります。黙示録に、22:11 不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」 22:12 「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。 22:13 わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」 22:14 自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都にはいれるようになる者は、幸いである。 22:15 犬ども、魔術を行なう者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行なう者はみな、外に出される。 22:16 「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」とあるように、時代の終末を思うこのころです。 イエス・キリストの十字架の救いは、地獄への道を封鎖あするため、人類の罪を購うためでした。 この世に生を受けたすべての生きている人は救われ、新しい天国人間になれるのです。 ソドムに住んでいたロトは、アブラハムのとりなしの祈りで、天使に手を取られ、山へ逃げました。妻は塩の柱となり、娘婿たちはロトの言うことが冗談に聞こえ、ソドムとともに滅びてしましました。 ロトの娘は子どもをみごもり、長女はモアブを生み、モアブ人となりました。聖書を読むとルツがその子孫です。 マタイ福音書には、イエス・キリストの系図にモアブ人ルツの名前が記されています。異邦人で、バツ一、正しくない方法で生まれたモアブの子孫です。 イエス・キリストがこの世に来られ、十字架に命を捨てられたのは、この世に生を受けたすべての人を救うためでした。 十字架と復活の福音をアーメンと信じるだけで、恵みにより救われて新しい人生を生きることができるのです。 馬小屋の中で生まれ、十字架上で死なれたキリストによって、どんな生まれ方、どんなどん底、罪の深さも赦され、消されて聖い神の子どもになれるのです。 今朝もアーメン信じますと、イエス・キリストの救いをそのまま体験してください。聖書の一節を毎朝書きながら、心からの祈りは救われて新しい人生を体験してほしいと祈り願いながらの日々です。 今日もまた恵みの朝、いのち生かされ奇跡の朝、今日もまた天国の一日です!テモテヘの第一の手紙1:15 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。1:16 しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。
2013/07/14
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聖書の一言=19:25 これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。19:26 ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。 英語のSODOMY(ソドミー)=情欲=として、SODOM(住民の罪悪と情欲のために天からの火で焼き滅ぼされ町)の名前が残されています。 ロトの妻は、その町に住みその町が滅びることを知らされていたが、それを冗談のように思いました。 後ろをふりかえらず、命がけで逃げなさいとの神の言葉を聞きましたが、アーメンと従えず、目の欲、肉の欲、持ち物だけに心奪われ、ためらい後ろを振り向き,今でも死海(イスラエル)へ行くと、その名残の姿を塩の塊に見る思いです。 今週は、アブラハムと妻のサラが、高齢(100歳と90歳)にもかかわらず、笑いつつも神の言葉にアーメンと告白し、イサク(笑い)を与えられたことを、日々思わされ毎日書いています。 ロトの妻(名前は記録なし)は、様々な特権を与えられていました。創世記19:16 しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。――主の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。 19:17 彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」 天使に手を取られ(主のあわれみ)、滅びの町ソドムから連れ出されたが、信じことができない娘婿たちには、ロトの言葉も冗談にしか聞こえず、妻にとってもそうであったようです。 神の言葉(聖書)にアーメンと信じるとき、そこに書かれているとおりのことが実現します。 若い神学生たちも後ろを振り向いて、塩の柱にならないように、アーメン(本当に真実まっすぐな道を)と目標目指して、天国の道を進んでほしいと祈り願う、夏季伝道の日々です。16歳でクリスチャンになり、聖書を手にしたときから理想を高く、もちろん若さ故の失敗も罪もあったけれども、ナビが正しい道を指示する以上に、聖書の引きもどされて生きてきました。 クリスチャン生活には、目の欲、肉の欲、持ち物の誇り(所有欲)を越えた、希望や目標があり、天国への道には荒野や砂漠もあるが、通り過ぎて振り返ると、美しい花が咲き乱れ、たわわな実り豊かな日々。 荒野に水が湧き、砂漠に川が流れています。最高のすべてが(千回、万回えも)益と変えられつづけます。百万回であれすべてのことに感謝しつつ進める、神ともにおられる平安と喜びの日々です。詩篇119:9 どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。 119:10 私は心を尽くしてあなたを尋ね求めています。どうか私が、あなたの仰せから迷い出ないようにしてください。 119:11 あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。 119:12 主よ。あなたは、ほむべき方。あなたのおきてを私に教えてください。 119:13 私は、このくちびるで、あなたの御口の決めたことをことごとく語り告げます。 119:14 私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます。 119:15 私は、あなたの戒めに思いを潜め、あなたの道に私の目を留めます。 119:16 私は、あなたのおきてを喜びとし、あなたのことばを忘れません。 119:17 あなたのしもべを豊かにあしらい、私を生かし、私があなたのことばを守るようにしてください。 119:18 私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。アーメンと告白しつつ、真っすぐな道を、天国目指して進みゆく朝。今日もまた天国の一日です!
2013/07/13
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だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。(マルコによる福音書11章24節) 祈りがかなえられるためには、確信することです。ありありと思い描くことが必要です。疑いや恐れ、欠乏や否定、挫折や病気のことでなく、成功と繁栄、達成と健康を信じよう。祈りの結果として与えられるのは、信じて祈ったことです。考えたことな本音で求めたことです。成就するようにと祈りながら挫折を思っていれば、その祈りのことばは力をもたない。心がすでに挫折を受け入れ、疑っているからです。 それだから祈るときには、神の限りない祝福を受けつつあるのだと信じよう。そうすれば、祝福は豊かに与えられます。アーメンと本気で祈ったら、ありがとうございます。そうなりました。感謝しますと、大きく告白し喜ぼう!ヤコブの手紙1:6 ただし、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。
2013/07/12
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ありがとう、神さま すべての恵み良きものすべては 神の賜物いのちも力も みことば(聖書)どおり全能の力 いまも豊かにありがとう主イエスよ 十字架の救い罪とがきよめて 神の子となし祝福ゆたかに 平安よろこびしあわせあふれて とわ(永遠)のいのちを希望は耀き 主はいまも生くありがとう御霊よ 正しい導き平和と愛とで 常にみたして福音伝える よろこび与え聖なる臨在 心にあふれアーメン
2013/07/12
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人にはできないことが、神にはできるのです。(ルカ18:27) 素晴らしい約束です。不可能なことをやりとげる方法を教えてくれます。自分の問題について判断し、それについて祈り、そのためにできることは何でもしよう。 不可能のように見えても諦めずに、「人にはできないことも、神にはできる」と確信し、告白しつつやって見ましょう。 まず緊張を解いて、慌てず、騒がず、「できない」などとは決して考えないで、「それはできるはずである。それはなされつつある。神様が、私を通して働いていてくださるのだから」と信じ言おう。神様がそれを今、していてくださると確信しよう! 結果はかならずしも自分が望む通りのものではないかもしれない。しかし、この確信に立っていれば、神が望まれるとおりの解決が与えられるので、平安に物事がすすみます。 今日もまた天国の一日です!。
2013/07/11
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種子島原人から、CDのタイトルは 「天国の一日 榮義之」でどうでしょうか? 動画は、屋久島の峰峰を見て育ち、海の波で種子島、人生も波のように一定ではないが平穏は来る。高速船は、島を出る、帰る郷愁と まっすぐ目的の港に着く道しるべ。そして 生駒聖書学院で生きる と いう感情を込めて作成しました。動画→ http://www.youtube.com/watch?v=HSNj9tg9IOc 2011年に種子島へ行ったときから、種子島原人ブログに、種子島輝きの人と紹介され、多くの出会いが続いています。 種子島出身詩人濱田龍郎さんとの出会いは、福井島県いわき市へのラーメンボランティアの時でした。 イエス様をアーメンと信じバプテスマを受け、エッセイ「受洗のとき」も出版され、すばらしいことに彼の所在地、熊本県益城町(熊本空港のある町)に、益城エリムキリスト教会が開設されました。9月15日に献堂式を行います。 榮義之牧師物語、今日もまた天国の一日という詩を書いて、種子島の歌手笹川満夫さんが作曲し、種子島原人が上記動画も作成してくれました。 7月26日(金)に種子島の星原中学校跡で、天国の一日の歌披露会があり、笹川満夫の熱唱と、濱田龍郎挨拶、そして牧師も紹介され福音を語ります。 歌披露会の後、お昼に合わせて九州とんこつラーメンボランティア1000食を行う予定です。 生駒から6名、熊本からは14名参加し、NPO法人コスモの作業所(星原中学校跡)を会場に行われ、27日には歓迎会もしてくれると連絡を受けました。 星原中学校には家から片道9キロの山道でした。学区は古田中学校でしたが、父が勝手に越境入学を決めてしまい、3年間一度も休まず、一人で山道を通いました。 その思い出の中学校で、クリスチャンでない多くの方々の協力で、歌の披露会がありボランティアができる徒は不思議な気もします。同級生にも会えるかな?と思っています。 歌わず、運動もせず、話もしなかった少年が牧師になっているという話だけが流れているようです。 今日も天国の一日の歌詞を紹介します。信じる者は救われる永遠に変わらぬ信仰を誓ったふるさと種子島バプテスマの海忘れない今日もまた天国の一日今日もまた爽やかな朝ふるさと離れて幾星霜神の子イエスの名において天国の道指し示す標(しるべ)となりて揺るぎない今日もまた天国の一日今日もまた恵みの光生駒聖書学院で今日も使命の教え説く聖霊この身に満たされてイエス・キリスト讃えつつ今日もまた天国の一日今日もまたやすらぎの夜ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2013/07/11
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神への信頼 恵みは絶えず千の試練も 万事は益に意味は豊かに 千回すべて!神の約束は 真実なればアーメンローマ8:28 神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。(新共同訳)8:28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(新改訳)8:28そして私たちは、神様を愛し、神様のご計画どおりに歩んでいるなら、自分の身に起こることはすべて、益となることをしっているのです。(リビング訳)8:28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。(口語訳)真夏日の中も、今日もまた天国の一日です!
2013/07/10
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聖書の一言=創世記17:17 アブラハムはひれ伏し、そして笑ったが、心の中で言った。「百歳の者に子どもが生まれようか。サラにしても、九十歳の女が子を産むことができようか。」 ひれ伏して笑う!何と言う不敬虔な姿と思う。 神の言葉は余りにもすばらしく、すべてを可能にすると信じ告白していても、現実の不可能に直面すると、内面で信じ切れずに笑ってしまう。 聖霊の助けを与えられ不信仰を信仰に変えられ前進したい。今日もまた天国の一日です!恵みに生かされハレルヤ。 笑いは健康にいいと書棚の本が笑いを勧めている。しかし、今朝の聖書の一節は、信じきれない笑い。しかし神様は怒らないで、約束通り100歳と90歳の夫婦に、イサク(笑いと言う意味の名前っで神様のユーモア)を与えられました。 新約聖書に、アブラハムの信仰が称賛されています。このことは、彼が信じた神、すなわち死者を生かし、無いものを有るもののようにお呼びになる方の御前で、そうなのです。彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、「あなたの子孫はこのようになる。」と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。(ローマ人への手紙4:17-21) 現実を認めても、その信仰は弱らず、神の約束を疑わず、信仰がますます強く成る生き方、すばらしいですね。、神の約束を固く信じる姿に感動します。 ひれ伏しながら、ウフッと笑った、どうみても信じきれない笑いですが、神は笑いを受け入れてくださいました。人生ハッハハ。死もハッハハ。喜びハッハハ。悲しみハッハハ。家族ハッハハ(子も孫も親戚も)。自分もハッハハ。彼らもハッハハ。考えて見れば生まれたことも、生きていることも、すべてのことは、ワハッハハ。 アブラハムはひれ伏して笑いました。妻のサラは神様に聞こえるように笑いました。聖書にはこう書いています。彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか。」それで「天幕の中にいます。」と答えた。するとひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」サラはその人のうしろの天幕の入口で、聞いていた。アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていた。それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」そこで、主がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに。』と言って笑うのか。主に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」サラは「私は笑いませんでした。」と言って打ち消した。恐ろしかったのである。しかし主は仰せられた。「いや、確かにあなたは笑った。」(創世記18:9-15) サラが聞いた神の声は、聖書で読む限りこの個所「いや、確かにあなたは笑った」だけです。しかし、神の言葉がサラを信仰の母に変えました。 たとえばサラも、アブラハムを主と呼んで彼に従いました。あなたがたも、どんなことをも恐れないで善を行なえば、サラの子となるのです。(第一ペテロ3:6)信仰によって、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。彼女は約束してくださった方を真実な方と考えたからです。(ヘブル11:11)天地万物は笑いに満ちています。「天の御座に着いておられる方は笑う」(詩篇2:4)全能と愛の真の神の笑いが、宇宙に満ちています。人生ハッハハ。死もハッハハ。喜びハッハハ。悲しみハッハハ。家族ハッハハ(子も孫も親戚も)。自分もハッハハ。彼らもハッハハ。考えて見れば生まれたことも、生きていることも、すべてのことは、ワハッハハ。ワハッハハと笑えなければ、、ウフッとでも笑い、ちょっとでもくすぐってもらってでも、おかしくなくてもワハッハハと口に出してみましょう。鏡の前で百面相でもして見よう。今日もまた天国の一日です!不平不満よさようなら。文句や泣き言もさようなら。微笑みや笑顔の天使たちが回りにいっぱいいるのに気付きましょう。詩篇34:6 この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。 34:7 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。 34:8 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。 34:9 主を恐れよ。その聖徒たちよ。彼を恐れる者には乏しいことはないからだ。 34:10 若い獅子も乏しくなって飢える。しかし、主を尋ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。 ヘブル人への手紙 1:14 御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。
2013/07/10
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夕方少しだけ、ゆっくり歩き。小学1年生くらいの男の子たちと出会い、挨拶すると元気で答え、クワガタを3匹見せてくれた。こんなところにいるの?と聞くと、おると思って捜すと不思議におるで!、と答えてまた捜し始めた。 求めなさい、そうすれば与えられる。捜しなさい。そうすれば見つかります。叩きなさい。そうすれば開けてもらえます。期待のあるところに不思議は起こると、信仰が啓発されるような子どもたちとの会話でした。
2013/07/09
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聖書の一言=創世記17:5 あなたの名は、もう、アブラムと呼んではならない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしが、あなたを多くの国民の父とするからである。 アブラム(尊い父)からアブラハム(多くの国民の父)へ改名されました。名前が変わる、人生が変わることです。その日から、多くの子どもたちのお父さんと自分も言い、サラからも呼ばれました。 自分がそうでないのにそのように言われるのは、おかしかったかもしれません。信仰の告白とはそのようなものです。 昨日不思議なことがありました。視力が良くなっていました。 金曜日に有名な眼科医で眼底検査徒診察を受けました。脳内出血で右側が見えにくくなっているから注意して歩くようにとのことでした。3ヶ月後にもう一度きてくださいと、薬もしなくても良く、白内障もありませんと言われました。 迎えの車で、ハッキリ、スッキリ、クッキリ見えると告白しながら帰りました。 気になっていた目が、気にならなくなり、25日から種子島行きで、サングラスをして行こうと思い、昨日行きつけの眼鏡店に行きました。 視力を測定すると、何と視力が良くなっています。店員も不思議がりましたが、何べんしても良くなっており、それが正常だとサングラスを作りました。 色のない紫外線カットができるメガネで、インターネット礼拝の強い光もカットできます。神のなさることはみなその時にかなって美しい!と感謝しています 身体の調子も守られ、病は気から、気はことばからと言いながらです。ムリができず怠け者になったようで、デボーションの箴言になり、怠け者よと言う個所を読むと、さらにそう思わされます。でも無理せず、恵みにいのちを与えられた感謝で、ボツボツゆっくり早起きの朝です。 今日もまた天国の一日です!感謝します。箴言4:10 わが子よ。聞け。私の言うことを受け入れよ。そうすれば、あなたのいのちの年は多くなる。4:11私は知恵の道をあなたに教え、正しい道筋にあなたを導いた。 4:12あなたが歩むとき、その歩みは妨げられず、走るときにも、つまずくことはない 4:13訓戒を堅く握って、手放すな。それを見守れ。それはあなたのいのちだから。 4:14悪者どもの道にはいるな。悪人たちの道を歩むな。4:15それを無視せよ。そこを通るな。それを避けて通れ 4:16彼らは悪を行なわなければ、眠ることができず、人をつまずかせなければ、眠りが得られない。 4:17彼らは不義のパンを食べ、暴虐の酒を飲むからだ。4:18義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。 6:6 なまけ者よ。蟻のところへ行き、そのやり方を見て、知恵を得よ。 6:7 蟻には首領もつかさも支配者もいないが、 6:8 夏のうちに食物を確保し、刈り入れ時に食糧を集める。 6:9 なまけ者よ。いつまで寝ているのか。いつ目をさまして起きるの 6:10しばらく眠り、しばらくまどろみ、しばらく手をこまねいて、また休む。
2013/07/09
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不思議なこと、視力が良くなっている ここ数カ月、目の調子が良くないようで、家内が白内障ではと言うので、気になり先週金曜日に生駒市内の有名な眼科医院へ。眼底検査を40分以上やってもらい、眼科医診察を受ける。 脳内出血の影響で右側がよく見えていないのではとの診断。白内障でもなく目薬もいらず、3ヶ月後の予約を入れてもう一度診察してみようとのこと。 25日から種子島へ行くので、サングラスを買おうと近くのメガネ店へ。 検査をしてもらうと、5年前に検査したときよりも視力が良くなっているという。 紫外線をカットできる色の入っていないサングラスを勧められ、礼拝でインターネット礼拝のため明るい光も使うのでちょうど良いと思い、新しい眼鏡を一つ購入。予定より早く作成してくれて、来週には出来上がって来ます。 ブログや本を読む機会も多いので、目だけは気をつけていたが、眼科でも眼鏡店でも、良くなっていると言われて、気にし過ぎてはいけないなと思い、病は気から気はことばからと、すべてのことに心から感謝しています。 今日もまた天国の一日です!感謝します。
2013/07/08
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聖書の一言=創世記17:1 アブラムが九十九歳になったとき主はアブラムに現われ、こう仰せられた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前を歩み、全き者であれ。 アブラハムは75歳から愛と全能の神の声に従い歩んできました。サライの声を聞き、神の声を忘れたような13年後《99歳のとき》、再び響く神のお声。アブラハムよ。アーメンとまっすぐ歩め。励ましのことばです。 鼻から息の出入りする人の=この世の常識や哲学、むなしい教え=ことばではなく、まことの神のことば=聖書の教え=に、何歳であろうと恐れなく、全き愛と救いの道を、アーメンと応答しつつ前進しましょう。今日もまた天国の一日です。感謝します。ハレルヤ! 種子島の詩人(熊本県在住)濱田龍郎詩。種子島の歌手笹川満夫作曲・歌で、今日も天国の一日、榮義之牧師のCDが完成し、CDが届きました。 種子島原人からの紹介です。 いつも感じることですが、笹川満夫の歌は「ひとの気持ちをやさしくさせる歌声」だなーと思うことです。動画→ http://www.youtube.com/watch?v=HSNj9tg9IOc 動画は、屋久島の峰峰を見て育ち、海の波で種子島、人生も波のように一定ではないが平穏は来る。高速船は、島を出る、帰る郷愁と まっすぐ目的の港に着く道しるべ。そして 生駒聖書学院で生きる と いう感情を込めて作成しました。信じる者はすくわれる永遠に変わらぬ信仰を誓ったふるさと種子島バプテスマの海忘れない今日もまた 天国の一日 今日もまた 爽やかな朝この歌の披露会が、7月26日午前10時より、片道9キロ駆けて通った星原中学校(2003年廃校)跡地で行われます。披露会のあとは、九州とんこつラーメンボランティアです。1000食分を用意し、NPO法人こすも作業所で行います。生駒から6名、熊本から14名が参加します。 ラーメンボランティアにご支援ご協力をお願いします。箴言30:7二つのことをあなたにお願いします。私が死なないうちに、それをかなえてください。30:8 不信実と偽りとを私から遠ざけてください。貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。30:9 私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。
2013/07/08
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朝日放送スタジオから、ラジオ放送を初めて早いもので42年目を迎えました。毎週日曜日朝6時10分。現在は毎週水曜日朝4時35分になり、現在は、ラジオ牧師も前田基子牧師、榮義嗣牧師と3人で話しています。 友人の牧師と愛知県稲沢市の教会へ行く途中。木曽川の上を走っているとき、「義之君、ラジオ放送をやってみないか」と問われました。 教会も開拓伝道が始まったばかり、話下手で赤面恐怖症もあり、何よりも電波料を払うだけの献金もない、出来ない、到底無理な話でした。 でもあの日に、「できない」と言っていたら、今日のブログはありません。神にはできないことはありません。信じる者には不可能はないと告白していても、現実に直面するとできないと言ってしまい、それでおしまいになります。 しかし、福音を伝えることが出来ればとの思いはあり、伝道会の前に小部屋で祈りました。 聖書を開くと、見よ!との言葉が目に飛び込んで来ました。 黙示録3:8 「わたしは、あなたの行ないを知っている。見よ。わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた。なぜなら、あなたには少しばかりの力があって、わたしのことばを守り、わたしの名を否まなかったからである。 イエス様の直接の語りかけのように、このことばに押し出されてラジオ放送を開始しました。 門が開かれている! 少しばかりの力で、約束のことばを握り、天においても地に於いてもすべての権威を持たれるイエス・キリストの御名を信じました。 見よ、わたしは世の終わりまであなたと共にいますとの約束通り、今月もまたABCラジオから希望の声は放送されています。 毎年7月最初の日曜日は、黙示録3章8節、「見よ。わたしは、だれもとじることの出来ない門を開いておいた」の約束に、声を大にしてアーメンと応答し。開かれている福音の働きの門に感謝し続けています。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です!感謝します。
2013/07/07
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スッキリ、ハッキリ、元気で 入院してもうすぐ丸一年。ここ数カ月、目がスッキリせず、回りからのいろいろ言われ、昨日の朝、有名な橋本眼科に行き、長時間眼底検査を受け、診察で見てもらいました。 眼底検査で右側が見えにくいので、自転車などに気を付けつようにとのこと。原因は脳内出血が原因で、3ヶ月後(10月)にもう一度きてください。眼薬もいらないでしょうとのことでした。 昨日から、スッキリ見え、ハッキリ話せ、元気で歩けるように、祈りの告白宣言を変えました。 幸い、書斎の窓を開けると、矢田丘陵を染めながらの旭日、新緑がきれいに見えるのるので、スッキリと声を上げながら眺めています。 顔を洗いながら、鏡に大きく口を開けて、あ、い、う、えーと舌を思いきり出しながら、アイウエーとハッキリ発声発音です。 歩きながら、元気元気ハレルヤと歌いつつ、左足の痺れを気にしないで、院内やとなり近所を挨拶しながら歩いています。 明日は、ラジオ放送を42年前に朝日放送ABCラジオで放送して42年前に話した記念日です。 現在は毎週水曜に朝4時35分ですが、当時は日曜日朝午前6時10分でした。長年の放送になりますが。自分では発音がトおもういこともあります。ディレクターからOKが出て、1ヶ月休みましたが放送を続けています。 目がスッキリしないこともしばらく気になっていました。昨日の検査で脳内出血が原因で、白内障もなく眼薬もいらないと診断されると、ハッキリ見えるような気になりました。 スッキリ!ハッキリ!元気で。今日は、岡山市から新幹線で会いに来てくれる卒業生を迎えます。友あり遠方より来る。また楽しからずや。 マルコの福音書11:22 イエスは答えて言われた。「神を信じなさい。 11:23 まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。 11:24 だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 11:25 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」 。
2013/07/06
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聖書の一言=創世記15:6 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。 キリスト教信仰の中心となる聖書のことばです。 主を信じる。アーメンと言うときに、それを義と認めてくださる。 イエス・キリストを信じるだけで救われます。 教会に行くまで、己(之)の義によって榮えると思っていました。 真実の義は、義=羊の下に我がアーメンと言う時、認められる分かり、神の小羊キリストを信じる恵みによる救いを体験し続けています。今日もまた天国の一日です。自らを義とする生き方でなく、義なる神に義と認められる幸せを感謝。
2013/07/06
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聖書の一言=創世記15:5 そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」 スゴイ夢とビジョンです。子どもが産めない身体の妻サラ、自らも86歳の身体。とっくに子どもはあきらめ、エリエゼルへの遺産相続も決めていました。 信仰は不可能を越えて、全能の愛なる神の言葉と約束にアーメン。 空を見上げると万天の星々が、アブラハム父さん、アブラハム父さんと呼応し合っている声を信仰で聞く想いだったのでしょう。いま世界には、アブラハムの子孫が、空の星、海の砂、地のちりのようになっています。 神の言葉にアーメン。神に不可能はありません。 今日もまた天国の一日です!ご活躍を祈ります。コリント人への第二の手紙4:16 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 4:17 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。 4:18 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。
2013/07/05
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詩篇;幸せの聖句1:1 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。2:12 幸いなことよ。すべて主に身を避ける人は。18:2 私は、主に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」32:1-2 幸いなことよ。そのそむきを赦され、罪をおおわれた人は。幸いなことよ。主が、咎をお認めにならない人、心に欺きのないその人は。33:12 幸いなことよ。主をおのれの神とする、その国は。神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は。34:8 主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。40:4 幸いなことよ。主に信頼し、高ぶる者や、偽りに陥る者たちのほうに向かなかった、その人は。41:1 幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。65:4 幸いなことよ。あなたが選び、近寄せられた人、あなたの大庭に住むその人は。私たちは、あなたの家、あなたの聖なる宮の良いもので満ち足りるでしょう。84:4 なんと幸いなことでしょう。あなたの家に住む人たちは。彼らは、いつも、あなたをほめたたえています。セラ84:5 なんと幸いなことでしょう。その力が、あなたにあり、その心の中にシオンへの大路のある人は。84:12 万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。89:15 幸いなことよ、喜びの叫びを知る民は。主よ。彼らは、あなたの御顔の光の中を歩みます。104:12 主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに、戒められ、あなたのみおしえを教えられる、その人は。106:3 幸いなことよ。さばきを守り、正義を常に行なう人々は。112:1 ハレルヤ。幸いなことよ。主を恐れ、その仰せを大いに喜ぶ人は。119:1-2 幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人々。幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求める人々。119:112 あなたのしもべの幸いの保証人となってください。高ぶる者どもが私をしいたげないようにしてください。127:5 幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない。128:1 幸いなことよ。すべて主を恐れ、主の道を歩む者は。144:15 幸いなことよ。このようになる民は。幸いなことよ。主をおのれの神とするその民は。146:5 幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。アーメン。ありがとうございます。今日もまた天国の一日、幸せです!感謝します。ハレルヤ!
2013/07/04
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聖書の一言=創世記15:1 これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」人生には、様々なこれらの出来ごとがります。失敗しても成功しても、勝って兜の緒を締めよですね。すべての栄光を神に!どんなときにも恐れず、神の全能の守りで平安、そして豊かな報いの中で、その人は何をしても栄え、繁栄し、成功する。今日もまた天国の一日です。聖書の約束に100パーセント、アーメン。 今日もまた天国の一日(笹川満夫作曲・歌、榮義之物語)動画→ http://www.youtube.com/watch?v=HSNj9tg9IOc
2013/07/04
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聖書の一言=創世記14:19 彼はアブラムを祝福して言った。「祝福を受けよ。アブラム。天と地を造られた方、いと高き神より。 アブラハムの生涯に記録される唯一の戦いの記録。 20万を越える大軍を318人の手勢で、捕虜とされたロとや人々を解放しました。 ソドムの王の連合軍を打ち破り、堂々と引き上げるケドルナオメルの勝利の軍勢に向かう、わずか318名のアブラハムの決死隊です。 局地戦でゲリラ戦ですが、戦いに勝利した栄光は、天地を造られた方、いと高き神へと、アブラハムを迎えた祭司は。神を賛美し栄光を神に帰しました。 どんな勝利も、成功も繁栄も、その誉は愛なる全能の神に!謙遜は栄誉を神に帰しつつ進む恵みです。 今日もまた天国の1日です。栄光は神にあれ。アーメン。 種子島原人からメールを転載します。種子島出身の濱田龍郎の詩「今日もまた天国の一日」に、笹川満夫が作曲し歌ったCDが出来ました。DVD動画UPしました。種子島出身で生駒聖書学院長の榮義之牧師の制作依頼です。いつも感じることですが、笹川満夫の歌は「ひとの気持ちをやさしくさせる歌声」だなーと思うことです。動画→ http://www.youtube.com/watch?v=HSNj9tg9IOcこの曲と笹川満夫の曲が入ったCDが希望の方には無料だそうです。 お申込みは生駒聖書学院 http://www.ibcelim.com/まだ手元にはありませんンが。種子島出身詩人濱田龍郎。種子島の歌手・作曲家笹川満夫。種子島原人。そして種子島出身牧師が、7月26日(金)に、種子島の星原中学校跡(鹿児島県熊毛郡中種子町納官浜津脇)で合います。午前10時より、今日もまた天国の一日新曲披露会です。お昼12時より、九州とんこつラーメンボランティアです。予定では1000食です。種子島のみなさんよろし子願いします。生駒からマンガや福音文書とともに6名、熊本からはラーメンとともに14名、総勢20名がボランティア参加です。その日に向かって体調管理しつつ、神学生たちは自動車で、私は新幹線とトッピーで種子島です。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です.感謝します。ローマ人への手紙8:35 私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。 8:36 「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。 8:37 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。 8:38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、 8:39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。 原人
2013/07/03
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聖書の一言=創世記13:14 ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。13:15 わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。13:16 わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。13:17 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」 甥のロトに目に見える良いと思う所は全部とられたが、神はアブラハムに本当のビジョン=目標へとチャレンジされました、彼はかみのことばを信じて従い、壮大な幻を信じ、受け取りました。 夢や幻は欲望や自己中心だけでなく、神の栄光のため、また回りの人々に幸せをもたらすためにあります。見えるところがどうであれ、信じ告白し実行できる幸いです。今日もまた天国の一日です!創世記13章から、ロトとアブラハムのビジョンを考えました。昨日の聖書のひと言です。創世記13:10 ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。 人は夢を持ちビジョンがあり、目標を設定する。ロトは目を上げて見たが、それは低地全体だった。 自己中心で繁栄だけを追い求める欲ボケの、滅びに向かう夢や幻、ロマンや目標があることにも気を付けて、神の栄光を求める目標を目指そう。今日もまた天国の一日です。創世記13:5 アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。 13:6 その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。 13:7 そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。 13:8 そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。 13:9 全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」 13:10 ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、主の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。 13:11 それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。 13:12 アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。 13:13 ところが、ソドムの人々はよこしまな者で、主に対しては非常な罪人であった。 13:14 ロトがアブラムと別れて後、主はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。 13:15 わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。 13:16 わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。 13:17 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」 13:18 そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに主のための祭壇を築いた。
2013/07/02
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聖書の一言=創世記2:10 さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在するために、下って行った。この地のききんは激しかったからである。 神の言葉の通りに信頼して旅立ったアブラハム。祭壇を築き礼拝し、住居を定め、順調に祝福の旅。ところが約束の地に飢饉。がまんできずしばらくエジプとへ下っていきます。 人生も同じで試練がやって来ます。しばらくという理由で忍耐を失い、安易な道へ下〈逃げ〉りやすく、悩みはさらに大きくなる。神の愛を信頼し、どんなときも神の国と神の義を第一に求める決意の、今年後半の最初の朝。今日もまた天国の一日です。 エジプトでは、モルシ大統領の就任から1年を迎えた30日、大統領の退陣を求める大規模なデモ隊が大統領宮殿を取り囲み、大統領を支持するイスラム勢力との衝突に発展することも懸念されています。と報じられていあした。 エジプトではムバラク政権の崩壊後、イスラム組織出身のモルシ大統領が選挙に勝利して、就任してから30日で1年となりましたが、アブラハムの時代とは異なり、ある意味での飢饉状態です。 人生に飢饉は付きものかもしれません。すべてのことについて感謝し、心配しないで良いと思っていても、飢饉の出会うと愚痴り不平不満に支配されてしまうこともあります。 それは4000年も前、約束の土地で激しい飢饉に出会い、しばらくという理由でエジプトh下ったアブラハムの心情が分かります。 飢饉とは、天候不順や天変地異などで農作物の収穫が少なく、食糧が不足することです。 食物の飢饉だけでなく、現代は精神的な心や愛の飢饉。肉体が病に侵される健康的飢饉。経済的、仕事的飢饉もあり、数え上げたらキリがないような大飢饉の時代なのかもしれません。 しばらく滞在と言う理由で、それから逃げて酒やタバコに逃れ、快楽や遊びなど安易に悪習慣に身を委ねてしまう弱さもあります。 これくらいはいいだろうが命取りになることが多い現代社会です。 さらには、自らのいのちを立つ自殺を選ぶ場合もあり、自殺ではなく自死という言葉さえうまれました。 「殺してはならない」は。他殺だけでなく自殺もその通りです。どんなときにもいのちを大切にしたいものです。 「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です」8第一コリント3:16-17) どんな理由であれ、殺人は他殺はもちろん、戦争は最大の罪です。平和憲法を護持する日本こそ、人類歴史上最高の国です。そのような国に生まれ育った恵みに感謝しながらの朝です。マタイの福音書16:26 人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。
2013/07/01
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