全61件 (61件中 1-50件目)
聖書の一言;1:12 すると主は私に仰せられた。「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」エレミヤは若い日に、預言者として神の召しを受けました。まだ若くてどう語っていいかわからないと、言い訳します。まだ若いと言うな。どこででも恐れることなく語れ。今、わたしのことばをあなたの口に授けたと、預言者に定めら、あなたは何を見ているかと問われ、彼はアーモンドの枝が見えますと答えました。アーモンド=あめんどうは、早春に梅が花開くように、イスラエルでも真っ白な花をつけ、とても綺麗です。そのようにエレミヤのことばは速やかに実現すると、保証されただけでなく、神がその実現まで見張っているとの確約です。若い日から牧師を続けています。エレミヤ書のことばに励まされ、無口でしたが聖書の救いを語り続けています。アーメンと言えば救われますを信条に、現役牧師として救いを伝えています。アーメンはほんとうにその通り、真実ですと言う意味です。呪文でも題目でもなく、アーメン=誠=言+成。本音でお願いすると必ず聞かれます。しかし、人間には建前もありうそまであります。聖書のことばに嘘偽り建前はなく、本音=誠だけですから、聖書の約束に真実にアーメンと言えば、そのとおり誠に実現します。愛の神はその約束にアーメンと言うとき、アーモンドの花が速やかに開くように、その誠の約束をその通りに実現します。主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます=使徒の働き16:31=その約束をアーメンと信じ救われました。いつでもどこでもだれでもアーメンと言えば、イエス・キリストの十字架の恵みで救われます。天国行きの予約です。平安で笑顔がアーモンドの花が開くように輝きます。ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日です。感謝します。
2015/02/28
コメント(0)
58歳の1999年11月下旬、それは突然やって来た。今まで一度も、頭痛も腹痛もなく、肩凝りすらも経験がないほどに健康体だった。東京での元気の出る聖会、ホテルで夜着に着替えた時、右手が痺れ、身体中から力が抜けていく。救急車で近くの病院で一晩過ごし、MRIの検査を受け、左脳内出血とのこと。すぐさま、脳内外科のある王子病院に救急車で運ばれた。集中治療室に入れられて、面会謝絶、5日間の治療が始まった。そこに身動きのできなくなっている自分を発見した。昨日まで力強く語っていた自分とは違う自分。声も出ず身体も動かせない全く違う世界にいる自分を発見した。すばらしい癒しを経験し、アサエル宣教聖書学院も、2000年-2004年閉鎖まで、70名の卒業生を出し、現在も各地で牧師として活動している。その後、病を知ることで順調に働きも拡大し、元気で活動していたが、2012年7月に右脳内出血になり、10月には小脳内梗塞に襲われた。昨年は、余命一年を宣告されていた家内が、4年の延命で5月17日に天に召され、一人暮らしにも慣れて来ました。多くの祈りと愛に支えられ、杖をつきながらで、現役で活動する恵みです。生駒聖書学院も今年度の講義や試験、チャペルが今日で終業。3月3-4日の両日、篠田真宏牧師の卒業セミナー=黄金律による愛の実践=を受けます。6日(金)午前10時に、10名の卒業生を送り出します。今年は卒業後の研修生となる一人以外、開拓伝道や教会の働きや協力牧師となり、それぞれ活躍です。働きも、丹後半島や長野県茅野市、山口県下関市、大阪市、堺市、東大阪市と広がります。断食祈祷院や刑務所伝道など幅広い活動になります。ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日でした。感謝します。
2015/02/27
コメント(0)
聖書の一言;エレミヤ書1::5-9 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、あなたを国々への預言者と定めていた。」そこで、私は言った。「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」すると、主は私に仰せられた。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべての事を語れ。彼らの顔を恐れるな。わたしはあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。――主の御告げ。――」そのとき、主は御手を伸ばして、私の口に触れ、主は私に仰せられた。「今、わたしのことばをあなたの口に授けた。エレミヤ書の前にあるイザヤ書は、希望のことばにあふれています。イザヤもすごく恵まれた生き方で前向きな人物です。「ここに私がおります。私を遣わしてください」と、積極的に神の働きに名乗りを上げています。それに比して、エレミヤは涙の預言者と言われています。二人の活動したのは、イザヤは国が繁栄し物が豊かな時代。エレミヤは国が滅びる寸前に活動しました。しかし、時代がどうであれこの世に生を受け、生かされていることは大きな恵みです。さまざまな言い分があり、言い訳だけをしたい時代もあります。しかし、神の与えられた使命が、すべての人にあります。生きていることがその使命です。あるがままに生かされ、イエス・キリストを信じ数われ、平安で幸いに天国へ召される時まで、生き続ける恵みです。ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日です。感謝します。恵みと愛とは 朝ごと日ごとみ神の約束 真実なればアーメン信じて ありがとう感謝平安しあわせ 喜び生きる主イエスは十字架で すべて解決恵みで救われ 恵みに生きて正しく健やか 祝福ゆたかとわ(永遠)のいのち受け 神の子なれば主イエスは復活 世の終わりまで聖霊満たして ともにおられて福音語れば 聞く人信じ栄光輝き 今日も天国アーメン
2015/02/27
コメント(0)
健康そのもので、風邪も引かず、頭痛も腹痛、腰痛も肩こりもない、健康人生でした。酒もたばこの経験もなく、手を置いて祈ると、病が癒され、臨終の床でイエス様を信じ、アーメンと言うだけで平安が顔に浮かぶ、臨終も多く看取りました。1999年(58歳)に左脳内出血になり、東京で一ヶ月入院し、後遺症なく完全に直りました。2012年、今度は右脳内出血と、小脳梗塞で倒れ、交通事故まで起こし、「みたび輝く命を与えられて」出版。再版で「天国から追い返された牧師」と出版社が命名。2冊とも絶版中。後遺症もほとんどなくイエス様の完全な癒しと、多くの方のとりなしの祈りで、杖をついて歩いています。昨年、言語障害もきれいに直り、現役牧師で毎週、礼拝説教や講義、外部教会への奉仕もしたり、43年目になるラジオ放送も継続中です。。「もし、ことばで失敗をしない人がいたら、その人は、からだ全体もりっぱに制御できる完全な人です」(ヤコブ3:2)ありがとうございます。今日もまた天国の元気な笑顔の一日です。感謝します。
2015/02/26
コメント(0)
右脳内出血で左足が少し歩きにくく、医者に相談すると、ほっとけば治ると言われ、杖をシッカリついて歩くよう厳命された。今日は朝から雨だったが、チャペルや試験問題提出、北海道からの帰りに立ち寄ってくれた永井明牧師接待。夕方の洗礼式や動き回ることも多く、8000歩近い歩数になっている。聖書の第ニサムエル22:37 あなたは私を大またで歩かせます。私のくるぶしはよろけませんでした。とのことばもあり、大またで歩いても、よろけない毎日を生かされています。ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日でした。感謝します。
2015/02/26
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書66:13-15 母に慰められる者のように、わたしはあなたがたを慰め、あなたがたは慰められる。あなたがたはこれを見て、心喜び、あなたがたの骨は若草のように生き返る。イザヤ書は66章あり、前半39章までは、厳しい叱責の預言が多く、旧約聖書39巻のように思えます。後半40章から、慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」とあなたがたの神は仰せられる。と、慰めと希望のことばが27章にわたって語られ、まるで新約聖書を読むような預言が語られます。何かあるたびに40章から読み続け、希望に満たされ続けています。父の厳しさと母の優しさ、その豊かな恵みの中で、春を待つ喜びの朝です。ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔に一日です。感謝します。
2015/02/26
コメント(0)
全能で真実の愛の神は、人生にすばらしい関わり方をされます。かがみ-が=かみ。神様は鏡のようなお方。イエス・キリストを信じ、十字架に罪をゆるされると、罪の本質である自我を捨て、十字架を背負う人生になります。その時から自分や人を相手の生き方から離れ、神と向き合う人生がスタートします。鏡に自分が写るように、真実の心を写しつつ、高価で尊い者として愛され、平安で幸せな神の子どもとして。今第ニサムエル22:26-29 「あなたは、恵み深い者には、恵み深く、全き者には、全くあられ、きよい者には、きよく、曲がった者には、ねじ曲げる方。あなたは、悩む民を救われますが、高ぶる者に目を向けて、これを低くされます。 主よ。あなたは私のともしび。主は、私のやみを照らされます」聖書のことばを鏡として、輝き生きる日々です。ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日でした。感謝します。
2015/02/25
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書65:24 彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。大好きな約束です。赤ちゃんを育てる母親は、自分から声をかけ、幼子のしぐさを見るだけで、何が必要かをわかります。神はあいです。親の何十倍何百倍、いや比較ができないほどの広く深く高い愛で平安に守り、導き支え助けてくださいます。祈りをすると最後に、イエス・キリストのお名前によって祈ります。イエス・キリストの約束だからです。「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう」(ヨハネの福音書14:13-14)全能で愛の神は、イエス・キリストのお名前による祈りに答えてくださいます。祈りの最後にアーメンと言います。アーメンはほんとうです。真実、誠の祈りです。誠=言+成る。本音の祈りですが、人間の本音にはたて前や、時には真実でないこともあります。ことばが成るとは、自分のことば=本音もですが、間違いのない聖書のことばどおりになると信じてアーメンなのです。聖書の約束を信じて祈るとき、もうことばが出る前から、愛の神様は必要を知り、答えてくださる約束です。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです=マタイ6:8 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです=ヨハネの第一の手紙。5:15祈る前に聞かれているのですから、祈ったらもう聞かれ、与えられている大きな恵みです。だから、イエス・キリストの名によって祈ります。アーメン。すぐに、ありがとうございます。与えられました。感謝します。そのような祈りをしながらの日々です。ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日です。感謝します。
2015/02/25
コメント(0)
さまざまな問題や、敵=人と言うより自我=に悩まされる人生です。けれども主イエス・キリストの名により、救われ守られ、勝利の人生を歩む幸せ。主はわが巌、わがとりで、わが救い主、わが身を避けるわが岩なる神。わが盾、わが救いの角、わがやぐら。私を暴虐から救う私の救い主、私の逃げ場。ほめたたえられる方、この主を呼び求めると、私は、敵から救われる。(詩篇18篇)愛唱ずるたびに勇気と力を与えられます。愛と全能の神を、幼子の様にアーメンと信じ、信頼する恵み。ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔一日でした。感謝します。おやすみなさい。
2015/02/24
コメント(0)
食事をするように、聖書を毎日読み、それを信じ告白し、行うと素晴らしいことが起こります。教会員の社長があり、多くの人脈を持ち、友人が経営がうまくいかず相談を受けました。その人は何をしても繁栄する(詩篇1:3)と聖書にあるから、読んでみたらとでアドバイスし、聖書をプレゼント。会うたびに友人の顔が明るくなり、調子いいんだなと思い、会社の繁栄を祈り続けました。旧新約聖書を短期間に全部通読し、こころに響くことばを口にし、仕事に打ち込んだ時、半年もしない間に業績が向上し、聖書も全部読み終え、ニコニコ顔でした。いつでもアドナイ・イルエ(主の山には備えがある=問題や悩みがあってもイエス様は解決し、必要を備えてくださる)と、説教したりアドバイスをします。礼拝が終わると一人の婦人が、アドナイ・イルエ(備えがある)を体験しましたと喜びの報告。年末からしばらくご主人が仕事のことで収入が少なく、子どもの進学のこともあり行き詰まっていました。ある日、主人の帰りがいつもより早く、机の上に分厚い封筒がありました、何かと開けてみると何と多額の現金がありました。サラ金で借りて来たのでは?と不安になり、あなた!と大声で呼ぶと、顔を洗っていた主人が輝く笑顔で、不思議なことがあるものだと言うのです。建築関係の仕事で、見積もりを出しただけなのに、あなたは信用できる人だからと、現金で先払いしてくれたのだそうです。彼女は、牧師がいつも言うアドナイ・イルエが実現したと笑顔で報告してくれました。祈らなければ偶然で終わります。しかし、信じて祈るとき、聖書の約束通りになる恵みを経験します。聖書を読み、信じ告白し、祈りながら実行する幸せ。ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日でした。感謝します。
2015/02/24
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書65:16 この世にあって祝福される者は、まことの神によって祝福され、この世にあって誓う者は、まことの神によって誓う。先の苦難は忘れられ、わたしの目から隠されるからだ。聖書は、イエス・キリストの十字架と復活の贖いを、アーメンと信じるだけで、救われると教えています。罪が赦され、正しく健やかに豊かな祝福の人生です。神の子とされ神とおなじ永遠のいのちを与えられ、死後も天国です。生活のことや人間関係の不安から数われ、何よりも不安の最大の問題、死=地獄から数われて、永遠のいのちを持つ豊かな平安です。何事であれすべての恐れを乗り越え、信仰の祈りで可能性へのチャレンジの天国の日々です。死後に行く所を知っているから、必ず来る死を恐れないで、すべてのことに感謝し、ありがとうございますと、ほほえみながら生きる恵みです。どのような苦難や試練があるとも、すべてのことが益となり、過去に支配されることなく、日々新しく祝福の中を歩み、天国へ勝利の凱旋です。ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日です。感謝します。
2015/02/24
コメント(0)
笑いは、人の薬。笑いは良い血をつくる。笑う顔に矢立たず。笑う門には福来る。時々、聖書学院近くで、高齢の隣人に挨拶すると、何歳になったかと言われ、年齢をいうと、ワッハッハッと笑われ、まだひよこだね。ワッハッハッ、私は猛85歳、お元気でもうすぐ米寿ですね。米寿は聖書的ですよ。米の中心に十字架がありますね。上に向かって両手を上げ、ハレルヤ。アーメンで神様を賛美します。下は両足で固く立ち、ありがとう。感謝しますで、ニコニコ笑顔です。そんな話をしながら握手し、幸せを祈ります。笑顔で笑いながら、ワッハッハッと楽しい挨拶の時、幸いな出会いでした。ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日でした。感謝します。おやすみなさい。
2015/02/23
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書63:9 彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。だれでも重荷を背負い苦しんでいる者は、わたしの所に来なさい。休ませてあげよう。最初に聞いた、イエス・キリストの招きのことばです。種子島高等学校の放課後、アルビン・ハモンド宣教師が放課後、学校の教室で英会話教室を開いていた。アメリカ人を見るのは初めて。英語の勉強と思い、教室に入ると英語のプリントが渡された。 "Come to Me, all you who labor and are heavy laden, and I will give you rest. "Take My yoke upon you and learn from Me, for I am gentle and lowly in heart, and you will find rest for your souls."For My yoke is easy and My burden is light."MTT.11:28-30片言の日本語で、Come to Me=わたしのところに来なさい。休ませてあげよう。瞬間思ったのは、薪を山へ取りに行ったり、サツマイモや稲束をかついだり、そんな休みの日は重荷を持つだけだった。このアメリカ人が?体も大きいし助かるなあと瞬間思った。2学期になり西之表キリスト教会へ行き、対馬から来た佐藤文雄牧師の話を聞きました。人の背負う重荷は、罪や病、呪や貧乏、何よりも死という重荷。その重荷をイエス・キリストは十字架に背負い取り除き、3日目に復活し今も生きている。その日1957年11月24日に、アーメンと信じて、その日にバプテスマを受けクリスチャン。57年間、聖書の約束どおり、苦しみの日には、イエス様は共にいていっしょに苦しみ、主の使い=それは目に見えない天使であったり、思いがけない人の助けもあり、十字架の上にいのちまでも捨てて救ってくださった愛は、見捨てることなく救い続けてくださいます。天国に召されるその日まで、贖いの愛は、まるで母親が愛する子どもを背負い、抱くように助けてくださいます。左右脳内出血、小脳内梗塞になり、肺がん末期余命一年を宣告され、4年の延命で昨年天国へ愛妻も召され、一人暮らしの現役の日々です。聖書の約束が、元気な時よりよくわかり、かみのことばは生きていて力があることを体験しつつの日々です。また、愛する者を先に召された方、病になった方の気持ちを、少しでも理解できるよな牧師になれるように祈りながら過ごしています。ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日です。感謝します。
2015/02/23
コメント(0)
みことば(聖書)信じて 主イエスを愛すすべての宝に まさる豊かさ感謝と喜び 絶えることなく 希望と愛との 幸せつづく恐れも重荷も すべて十字架に シャローム 平安 輝きみちて祈れば御霊の 導きあれば 迷わず進める 栄光の道賛美と感謝で 恵みとともに み神は父なり 全能の神いかなるときにも すべて委ねて 雄々しく進める 天国の道アーメン ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日でした。感謝します。
2015/02/22
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書64:8-9 しかし、主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。主よ。どうかひどく怒らないでください。いつまでも、咎を覚えないでください。どうか今、私たちがみな、あなたの民であることに目を留めてください。天地万物の創造者、唯一で真の愛である全能の神様が、天の父であり、イエス・キリストをアーメンと信じるだけで神の子となります。8歳の時、父の家に行くように言われました。父がいることも知らず育ちました。母が病身で37歳で亡くなり、その父の家で7年間を過ごしました。16歳の時、天の父を知りました。人間はだれでも父があります。その父を知らなくても、女性一人で子どもを作る子ことはできません。そのように魂の父を知らなくても、天の父がいなければ人間は、この地上に生を受けることができません。無神論を誇り、自分こそ天下唯一だと威張ってみても、どこから来てどこへ行くのか、分からないままに死を迎える人間です。真の神から生を受け、真の神の元へ帰ることが明確に分かったら、すべての不安は消えて、どんな時にも平安で幸せな人生になります。すべての罪も咎も、イエス・キリストの十字架で赦され、復活のいのちを体験でき、永遠の天国を生きることができます。アーメン信じます。イエス・キリストを心にお迎えするだけです。その恵みを信じるとき、新しい神の子の人生、天のお父様と呼びかけ、すべての恐れや不安から解放される日々です。ありがとうございます。今日もまた天国のニコニコ笑顔の一日です。感謝します。
2015/02/22
コメント(0)
高校生まで音楽の時間も、ひとりの時も歌を歌わず、6歳でクリスチャンになり、初めて歌ったのが、いつくしみ深き友なるイエス(讃美歌312番)でした。すぐ歌詞を覚え、種子島の海岸や、山道を調子はずれで口ずさみ、57年が過ぎ、多くの讃美歌や聖歌、コーラスを歌い続けました。今でも、口を開けば詩がいくらでもでき、朝ごとに、山の獣道や裏庭を歌いながら散歩しています。恵みと愛との 御手に守られ 主イエスの十字架 まことの愛が豊かに示され 信じるだけで 罪とが赦され 神の子となり恵みと愛とは 永遠(とわ)に変わらず 主イエスは復活 世の終わりまで聖霊みたして ともにおられて 病ものろいも 消えて健やか恵みと愛とで 力を受けて 福音伝える 喜びあふれ平安ゆたかに 幸せ感謝 御国が来るまで 栄光の道アーメン。ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日でした。感謝します。
2015/02/21
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書63:9 彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。その愛とあわれみによって主は彼らを贖い、昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。十字架にいのちを架けて愛してくださるイエス・キリストをアーメンと信じ、その日に、種子島の海岸で洗礼を受けクリスチャンになり57年。今朝の聖書の一言は、神の愛と守りが豊かであり、そのままを実体験として生きて来た証です。1945年から70年、平和憲法に守られ、日本の平均寿命は30年以上、驚異的な延びです。100歳まで、いや120歳まで生きると公言する人がいても、だれも笑わない時代になり、高齢でも元気な人が多い時代です。ただこの世界では、いのちある者は必ず死にます。千年も万年=湯島の白梅=も生きたいと願っても、死ぬ時が来たらいのちは終わります。この世界を超えた唯一の愛の神だけが永遠で不滅です。その神の愛が、罪の支払う報酬である死を、イエス・キリストの十字架と復活によって、完全に解決してくれました。その事実をアーメンと信じれば、肉体の死を越えて永遠の天国に生きることができます。永遠のいのちとは神のいのちです。イエス・キリストをアーメン信じ、心にお迎えすれば、いま死んでも永遠の天国です。生きている今も、イエス・キリストのいのちをうちに持つので、天国です。すべての不安の原因の根本にある死から救われたので。いつでも平安で幸せです。ありがとうございます。今日もまた天国のニコニコ笑顔の一日です。感謝します。
2015/02/21
コメント(0)
健康であることだけが、幸せの第一目的ではない。何であれ、毎日平安で幸せです。年齢が上がれば上がるほど、やっかいなのは、健康が最高、健康でなければと、朝から晩まで健康志向になるだけでなく、すべてのことに感謝する幸い。馬場記念病院では歩く練習をしました。ペガサスリハビリ病院へ転院してからは、理学療法士が1日3回もリハビリ治療。右脳内出血でしたから、体の動きがぎこちなく、「ロボットが歩いているみたいですね」と看護師に言われたり。理学療法士は「人間の体に戻してあげます」と、心込めて退院直前の朝までマッサージを続けてくれました。リハビリでは、4名の若い理学療法士にお世話になりました。4年間の学びと実習、国家試験があるので、とても忙しい大学生活だったそうです。そして今も、遊びに行く暇もなく勤務に励んでいました。使命感に溢れた彼らのように、生駒聖書学院の神学生たちも使命感に燃えるよう祈りながら、リハビリに励みました。事故から1カ月が過ぎた8月23日、CT検査の日。ペガサスリハビリ病院から馬場記念病院までの100メートルを、看護師と一緒に歩きました。病院の外へ出るのも1ケ月ぶりです。やっとCT検査が終わり、主治医がレントゲン写真を示しながら、「完全に治っています。1カ月早い完治です。もう大丈夫です」と言われ「ありがとうございます」と感謝のことばが飛び出ました。自動車は運転してもいいですか。新幹線や飛行機も乗ってよろしいですか」。矢継ぎ早にする質問に主治医は微笑みながら、「全部大丈夫ですよ。でもそんなに急がずに、ゆっくりゆっくり、それが大事です」との答えでした。8月24日、迎えに来てくれた息子家族と退院祝いの昼食。「じいちゃん。良かったね、元気になって」と孫たちの喜びの言葉。祈ってくれていた幼い笑顔に、イエス様のお名前による祈りが答えられた感謝が溢れました。ありがとうございます。今日もまた天国の笑顔輝く一日でした。感謝します。からだとこころが 病めるときにも 友なるイエスは そばにおられて慰め励まし 愛の御手もて いやしと回復 元気くださるみことばとともに 聖霊注ぎ 希望が輝き 勇気が満ちる救いの喜び 豊かにあふれ 天国の笑顔で すべてに感謝み神の愛こそ 絶えることなく 病に伏せたる 床の上にも優しき御手(おんて)を 豊かに伸べて 新たな命と 力に満たす主イエスの愛の手 静かに触れて いやしのみ力 今も変わらず病のときにも 平安満ちて 輝く笑顔で ありがとう感謝アーメン
2015/02/20
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書61:10-11 わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。主がわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。地が芽を出し、園が蒔かれた種を芽生えさせるように、神である主が義と賛美とを、すべての国の前に芽生えさせるからだ。今日もすばらしい救いを与えられ、平安と喜び、楽しみの活動です。春の足音を聞く思いの生駒の朝。目白はさえずり、ヒヨドリの声も。もうすぐウグイスも、ひばりも空高く舞い上がります。裏庭には、真っ黄色のタンポポの絨毯。スミレや土筆も芽を出し始めます。春が来た 春が来たと歌いながら。世界と日本の平和を祈りながらの朝です。アーメン!ありがとうございます。今日もまた天国の輝く笑顔の一日です。感謝します。
2015/02/20
コメント(0)
昭和23年(1948年)小学一年生。最初の音楽の時間、戦争帰りの男先生、49名の子どもたちが一生懸命オルガンに合わせて歌います。音が全然合いません。怒った先生は。一メートルもある竹の物差しで、「お前ら!」と頭をビシッビシッと叩きました。やさしい母に叩かれることもなく育ったので、ものすごいショックで、その日から歌うのを止め、小学5年生の時、女の先生になだめられて「垣に赤い花・・・・」だけを口にし、みんなが笑ったのでそこでやめました。小学、中学、高校生の16歳まで歌った歌は「垣に赤い花・・・・」それだけです。16歳の時。キリスト教会へ行きイエス様を信じクリスチャンになりました。そして賛美歌312番「いつくしみ深き友なるイエスは」初めて歌いました。そのメロディは知っていたので、口パクで歌いました。礼拝が終わると種子島の海辺や山の中を歩きながら、一人で音程も外れたまま口ずさみました。そのうちに他の賛美歌も歌えるようになり、30代の牧師の頃にはフェティバルホールの大集会や、その他の大集会司会も多くするようになりました。小学5年まで朝礼で校長先生は「心に太陽を、くちびるに歌を」といつも話し、口に歌がなくても心に太陽があるだけでと、絶対歌わない決心。でも心に太陽も、歌もなく闇でした。16歳で義の太陽(イエス・キリスト)を心に受け入れ、心に太陽を持ったら、くちびるに歌が生まれました。校長先生にも数年前に、種子島で福音をお話できました。いつくしみ深い=やさしい本当の友達のようなイエス様は、罪や病、心配事や悩みの重荷を、十字架に背負ってくださいました。クリスチャン生活は、心も身も軽く平安で幸せです。我らの弱気を=私たちの弱い事を知っているイエス様は、悲しみ、悩み沈んでいるときも、変わらぬ愛もて=本当にやさしい友達のようなイエス様はいつも変わらない愛を持って導いてくださいます。友達に見捨て捨てられた時も、イエス様に祈りとき、必ず答えて慰めて下さいます。この歌を作詞したのはアイルランド人ジョセフ・スクライヴェン(1819-1886)です。スクライヴェンはアイルランドから、25歳の時にカナダに移住した教師でした。彼は、熱心なクリスチャンで、その一生を苦しむ人や貧しい人への奉仕活動に捧げました。1886年にボートの事故で溺死しました。この歌は闘病生活をしていた母親を慰めるため、自らの婚約者を事故、病気で2度も失った絶望の中で、イエス様を信頼する気持ちを綴った詩で、彼の死後ベッドから見つかりました。世界中のクリスチャンに愛唄され続けています。いつくしみ深き友なるイエスの旋律で、朝の目覚めや、散歩のときに詩が生まれ、口ずさんでいます。恵みと愛とは 今日も豊かに主イエスは友なり いかなる日にもハレルヤ アーメン 賛美と感謝よろこび平安 希望に満ちて祈りと賛美で 楽しさは増し使命も新たに 勇気を受けて 新たな出会いに こころ弾ませよろこび平安 みこころの道御霊の導き 神の子なれば聖なる歩みは 神の栄光笑顔で喜び 福音伝えよろこび平安 希望輝くアーメンありがとうございます。今日もまた天国の笑顔の一日でした。感謝します。
2015/02/19
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書60:1-2 起きよ。光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなたの上に輝いているからだ。見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。 教会の目標のことばで、娘もことばが出るころ覚え、朝早く目覚め、お父さん。起きよ。光を放て!と叫び、朝早く起こされました。もうその娘も長男が4月2日で満4歳。4月から幼稚園です。 書斎が東側に面し、朝は太陽の光が輝きます。イエス・キリストは、わたしは世の光です。わたしに従ってくるものは、闇の中を歩くことがないと宣言。信じる者はその光に照らされ、世の光として輝き生きる毎日です。恵みの光に 照らされ輝き主イエスは十字架に 罪とが背負い病ものろいも すべて消し去り貧しさ取り去り とわ(永遠)のいのちを恵みと愛とは 朝ごと日ごと主イエスは復活 今なお生きて アーメン信じて いつも友なり光は輝き 平安豊か恵みに生かされ 活き活き生きる聖霊注がれ 愛に満たされ ありがとう感謝で ニコニコ笑顔ハレルヤアーメン 今日も天国アーメンありがとうございます。今日もまた天国の輝く喜びの一日です。感謝します。
2015/02/19
コメント(0)
何があろうと、すべてのことに感謝し、向きを変える幸い。人を非難せず、自らの責任と特権に向きを変えると感謝だけ。肯定的に、前向きに明るく。 肯定的に、十字架を見上げて神様に向きを変えると、太陽に顔を向けると、影が見えないように、光が輝く笑顔の毎日。十字架上でイエス様に向きを変え、「イエス様。あなたが御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」そのとき、イエス様の御声、「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」の優しいお声。きょう=今この瞬間。今=今日と言うこの日。永遠に=今日よりいつまでも。天国はここに。さあ、今日も新たに向きを変えて、聖霊に満たされ、すべてに感謝し幸せいっぱい。恵みと幸い 豊かにあふれ恵みの光と 愛はそそがれちちと蜜ながれ 約束の土地向きを変えるだけ いのちの道へ信じて感謝し 高らか歌え主イエスの恵みは 豊かに注ぎ御霊は流れる 約束の土地向きを変えゆけ いのちの道へ恵みはあふれて 流れ豊かに十字架のみ救い 永遠(とわ)にわがもの復活のいのちは みなぎる力向きを変えゆけ いのちの道へアーメンありがとうございます。今日もまた天国のニコニコ笑顔の一日でした。感謝します。
2015/02/18
コメント(0)
聖書の一言:イザヤ書59章1-21 見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。 実に、あなたがたの手は血で汚れ、指は咎で汚れ、あなたがたのくちびるは偽りを語り、舌は不正をつぶやく。 正しい訴えをする者はなく、真実をもって弁護する者もなく、むなしいことにたより、うそを言い、害毒をはらみ、悪意を産む。彼らはまむしの卵をかえし、くもの巣を織る。その卵を食べる者は死に、卵をつぶすと、毒蛇がとび出す。そのくもの巣は着物にはならず、自分の作ったもので身をおおうこともできない。彼らのわざは不義のわざ、彼らの手のなすことは、ただ暴虐。 彼らの足は悪に走り、罪のない者の血を流すのに速い。彼らの思いは不義の思い。破壊と破滅が彼らの大路にある。 彼らは平和の道を知らず、その道筋には公義がない。彼らは自分の通り道を曲げ、そこを歩む者はだれも、平和を知らない。それゆえ、公義は私たちから遠ざかり、義は私たちに追いつかない。私たちは光を待ち望んだが、見よ、やみ。輝きを待ち望んだが、暗やみの中を歩む。 私たちは目の見えない人のように壁を手さぐりし、目のない者のように手さぐりする。真昼でも、たそがれ時のようにつまずき、やみの中にいる死人のようだ。 私たちはみな、熊のようにほえ、鳩のようにうめきにうめく。公義を待ち望むが、それはなく、救いを待ち望むが、それは私たちから遠く離れている。それは、私たちがあなたの御前で多くのそむきの罪を犯し、私たちの罪が、私たちに不利な証言をするからです。私たちのそむきの罪は、私たちとともにあり、私たちは自分の咎を知っている。私たちは、そむいて、主を否み、私たちの神に従うことをやめ、しいたげと反逆を語り、心に偽りのことばを抱いて、つぶやいている。こうして公正は退けられ、正義は遠く離れて立っている。真理は広場でつまずき、正直は中にはいることもできない。そこでは真理は失われ、悪から離れる者も、そのとりこになる。主はこれを見て、公義のないのに心を痛められた。主は人のいないのを見、とりなす者のいないのに驚かれた。そこで、ご自分の御腕で救いをもたらし、ご自分の義を、ご自分のささえとされた。 主は義をよろいのように着、救いのかぶとを頭にかぶり、復讐の衣を身にまとい、ねたみを外套として身をおおわれた。 主は彼らのしうちに応じて報い、その仇には憤りを報い、その敵には報復をし、島々にも報復をする。そうして、西のほうでは、主の御名が、日の上るほうでは、主の栄光が恐れられる。主は激しい流れのように来られ、その中で主の息が吹きまくっている。 「しかし、シオンには贖い主として来る。ヤコブの中のそむきの罪を悔い改める者のところに来る。」――主の御告げ。――「これは、彼らと結ぶわたしの契約である。」と主は仰せられる。「あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしのことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、すえのすえの口からも、今よりとこしえに離れない。」と主は仰せられる。
2015/02/18
コメント(0)
1549年、フランシスコ・ザビエルは(天文17年)43才 :8月15日鹿児島に着く前に、種子島に立ち寄り、素朴な島人にっふれ、薩摩のヤジロウに案内され、伊集院で領主島津貴久に会い、宣教の許可を得、すごい勢いで宣教を続け、彼が日本を去るときには3000人もの信徒がいました。 彼は、中国宣教の夢をかなえるため、1551(天文20年)45才 で日本を去り、その途中、種子島の西之表に立ち寄り、領主種子島時堯(ときたか)に挨拶し、当時の赤尾木の港にある慈恩寺宿坊(現在の八坂神社跡)に一週間滞在しました。 「種子島赤尾木(西之表港)は、遣唐使船の食料、燃料、休養のための寄港地でした。ポルトガル船漂着が1553年で、」ビエルが種子島へ寄港市たのがそれからすぐの1559年で、そのとき鉄砲を持っていたポルトガル人もいっしょだったようです。若い領主は、商人とは違う気高いザビエルの姿に触れて、イエス・キリストを心に受け入れたとも言われています。船の都合でわずか一週間のザビエル滞在を残念がったようです。(この辺りは歴史文書がなく伝聞です)ザビエルと会ったキリシタン大名には、高山右近、大友義鎮、大村純忠、有馬晴信、小西行長、黒田孝高、蒲生氏郷、筒井定次などもあり、NHK歴史ドラマの黒田官兵衛も。17歳の領主種子島時堯も大きな感化を受けたと思います。 私がクリスチャンになったのも、種子島で16歳のときに出会ったアメリカ人宣教師との出会いで、500年余の歴史を越えてのロマンを感じながら、イエス・キリストの十字架の救いを語り続けています。今年も7月に種子島に行き、26日午前10時30分ン=西之表キリスト教会と、午後8時=種子島キリスト新生教会でメッセージです。ありがとうございます。今日もまた天国のニコニコ笑顔の一日でした。感謝します。
2015/02/17
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書58:11 主は絶えず、あなたを導いて、焼けつく土地でも、あなたの思いを満たし、あなたの骨を強くする。あなたは、潤された園のようになり、水のかれない源のようになる。昨日、東大阪市内を歩いていると、通りの家の前に雀がいっぱい、生駒でも雀を見かけないので、開けた玄関に立つご主人に挨拶し聞いてみた。雀を飼って?いるんですか。75歳のご主人は笑いながら、鉢植えの水と、広い玄関は砂利がしてありので、小石の間の虫を食べに来るという。パンを上げると家の中でも嬉しそうに食べるそうです。だから寒くても玄関を開けている。多い時は80羽くらい集まって来るそうです。昨日は30羽くらいいました。来週は写真に写せればと、しばらく牧師ですと自己紹介し、握手し祝福と、アーメン信じますとも祈る通りすがりでした。われと来て遊べや親のない雀。小林一茶の句を思う午後です。今日の聖書の一言は、暑中見舞いに良く書きます。雀にとって、街中の家の5つの鉢植えに水があり、寒い時でもこ砂利の玄関に入り、大好きな餌を自分で見つけ、美味しいパンまでもらえるとは、嬉しいことなのだろうなあと思う、心あたたかくなる時でした。心くじけて 思い悩みなどてさみしく 空をあおぐ主イエスこそわが まことの友一羽の雀に 目をそそぎたもう主はわれさえも 支えたもうなり声たからかに われは歌わん一羽の雀めさえ 主はまもりたもう心しずめて みこえきけば恐れはは去りて ゆだぬるをえんただしらまほし ゆくての道一羽の雀に 目をそそぎたもう主はわれさえも 支えたもうなり声たからかに われは歌わん一羽の雀さえ 主はまもりたもうありがとうございます。今日もまた天国のニコニコ笑顔の一日です。感謝します。
2015/02/16
コメント(0)
いのちに満たされ 愛はかがやき十字架に主イエスは いのちを捨てて 血汐であがない 完全(またき)きよめを恵み愛とで 新たな道を かがやけ栄光 世界の果てに十字架の救いは すべての人に悩みや苦しみ 救われ幸に恵みと愛とで 新たな道を主イエスは友なり 世の終わりまで復活と御霊で 力あたえる祝福ゆたかさ アドナイ・イルエ恵みと愛とで 新たな道を第一ペテロ2:24 -25そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。(新改訳)2:24 そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。そのお受けになった傷によって、あなたがたはいやされました。(新共同訳) 2:24キリスト様は、自分の体に私たちの罪を負い、十字架上で死んでくださいました。そのおかげで、、私たちは、罪ときっぱり手を切り、ただしい生活を始めることができたのです。キリスト様が傷つくことによって、私たちの傷が治ったのです。(リビングバイブル訳)
2015/02/16
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書57:15-21 いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、その名を聖ととなえられる方が、こう仰せられる。「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである。わたしはいつまでも争わず、いつも怒ってはいない。わたしから出る霊と、わたしが造ったたましいが衰え果てるから。彼のむさぼりの罪のために、わたしは、怒って彼を打ち、顔を隠して怒った。しかし、彼はなおそむいて、自分の思う道を行った。わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。わたしは彼を導き、彼と、その悲しむ者たちとに、慰めを報いよう。わたしはくちびるの実を創造した者。平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。わたしは彼をいやそう。」と主は仰せられる。しかし悪者どもは、荒れ狂う海のようだ。静まることができず、水が海草と泥を吐き出すからである。「悪者どもには平安がない。」と私の神は仰せられる。説明も解釈もなくても、そのままわかる聖書のことばです。個人であれ、企業や国も驕れるもの久しからず、高ぶりは滅びに先立ち、謙遜は栄誉につながります。平和憲法に守られ70年守られているのに、日本がすごいすばらしい民族の誇りを持てと言う声が聞こえ、愛する国が滅びに向かおうとする時代のように思います。平和憲法、ありがとうと笑顔で、世界中に美しいありがとうを言えるように、ありがとうと言われる国になるよう祈る朝です。武力や腕力ではなく、相手を思う心で、お互いを知り、信頼し合うことで、互いに愛し合うことができる。個人的にも国同士でも同じです。人のためは自分のため、愛は与えるだけで与えられます。相手に真正面からまともに向き合い、話せるような関係を、笑顔と言う誰にも通じることばで。その天使の笑顔で、一歩踏み出し、おはよう。こんにちは。こんばんは。ありがとうと挨拶してみよう。ありがとうございます。今日もまた天国の、ニコニコ笑顔の一日です。感謝します。
2015/02/16
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書57:1-2 義人が滅びても心に留める者はなく、誠実な人が取り去られても、心を向ける者もいない。まことに、義人はわざわいから取り去られて、平安にはいり、まっすぐに歩む人は、自分の寝床で休むことができる。しかし、平和が訪れる。真実に歩む人は横たわって憩う。リビングバイブルは、義人が滅び、神を敬う人が人生の半ばで死んでも、だれ一人として深刻に考え、なぜだろうと不思議に思いません。神様がそのような人を、災いがくる前に取りさることに気づく者は、一人もいません。神様を敬う人は。死んだら平和そのものの安息=天国に入ります。 生き馬の目を抜くような時代、正直者は馬鹿を見ると耳にします。アーメンと言えば食えるのかと、食ってかかられたこともあります。 大阪市浪速区西恵美須、通天閣のある新世界西入口に、エリムキリスト教会は栄光キリストビル2階にあります。15階建てマンションにの2フロアーが教会です。JR環状線新今宮駅、地下鉄動物園駅周辺は、有名な愛りん地区。労務者の町で、三角公園には仕事のない人が大勢います。イエス・キリストの十字架の救いをアーメンと信じ、人生も新しくなる出会いもあり、毎週幸いな出会いを感謝します。 義人とは、義=羊の下に我と書くように、羊=キリストの象徴の下にアーメンと立つとき、だれでも信じる義が与えられる恵みの救いです。 神の義が与えられると平安を体験します。毎晩横たわって静かに憩う。また安らかな熟睡で新しい力を日々受けます。朝目覚めて、今日する仕事がある幸いの日々です。 人間はだれでも死に、地上での生涯は永遠ではなく、最長寿生きる人は珍しいだけです。いつ死ぬのか、死んだらどこへ行くのか。いつ死んでも永遠のいのちを持ち、天国へ行く予約=革新を持っている人は幸いです。イエス・キリストを心に信じる人は、永遠のいのちを持ち、肉体が死んでも永遠の天国へ行きます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれも私の手から彼らを奪い去るようなことはありません。ありがとうございます。今日もまた天国のニコニコ笑顔の一日です。感謝します。
2015/02/15
コメント(0)
33年前、最初の聖地旅行のとき、エルサレムの城壁や、ゲッセマネの園の大理石で祈らせてもらったり、真夜中のドロローサを一人で歩くなど、治安上許されないことを一人で経験。今は絶対できない貴重な時間でした。難攻不落のシオンの要害、ダビデはそこを攻め取り、ダビデの町=現在のエルサレム=神の平和=と呼ばれています。日々の生活の中でも、難攻不落、不可能の要害が立ちはだかるようなことがあります。まるで嘲笑い、軽蔑し、周りからも自分でさえも、絶対無理・不可能とギブアップしそうになります。どんなときでも、万軍の神、主が共におられることを確信すると、平安が内にみなぎり、不可能の山が動く信仰が湧いてきます。イエス・キリストを信じ、聖霊に満たされ生駒聖書学院は、関東大震災や太平洋戦争の悲劇を越え、幾度もの試練や困難を克服し、牧師養成に前進しております。3月6日(金)午前10時卒業式。10名が開拓伝道に巣立ちます。ありがとうございます。今日もまた天国のニコニコ笑顔の一日でした。感謝します。
2015/02/15
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書57:1-2 義人が滅びても心に留める者はなく、誠実な人が取り去られても、心を向ける者もいない。まことに、義人はわざわいから取り去られて、平安にはいり、まっすぐに歩む人は、自分の寝床で休むことができる。しかし、平和が訪れる。真実に歩む人は横たわって憩う。リビングバイブルは、義人が滅び、神を敬う人が人生の半ばで死んでも、だれ一人として深刻に考え、なぜだろうと不思議に思いません。神様がそのような人を、災いがくる前に取りさることに気づく者は、一人もいません。神様を敬う人は。死んだら平和そのものの安息=天国に入ります。 生き馬の目を抜くような時代、正直者は馬鹿を見ると耳にします。アーメンと言えば食えるのかと、食ってかかられたこともあります。 大阪市浪速区西恵美須、通天閣のある新世界西入口に、エリムキリスト教会は栄光キリストビル2階にあります。15階建てマンションにの2フロアーが教会です。JR環状線新今宮駅、地下鉄動物園駅周辺は、有名な愛りん地区。労務者の町で、三角公園には仕事のない人が大勢います。イエス・キリストの十字架の救いをアーメンと信じ、人生も新しくなる出会いもあり、毎週幸いな出会いを感謝します。 義人とは、義=羊の下に我と書くように、羊=キリストの象徴の下にアーメンと立つとき、だれでも信じる義が与えられる恵みの救いです。 神の義が与えられると平安を体験します。毎晩横たわって静かに憩う。また安らかな熟睡で新しい力を日々受けます。朝目覚めて、今日する仕事がある幸いの日々です。 人間はだれでも死に、地上での生涯は永遠ではなく、最長寿生きる人は珍しいだけです。いつ死ぬのか、死んだらどこへ行くのか。いつ死んでも永遠のいのちを持ち、天国へ行く予約=革新を持っている人は幸いです。イエス・キリストを心に信じる人は、永遠のいのちを持ち、肉体が死んでも永遠の天国へ行きます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれも私の手から彼らを奪い去るようなことはありません。ありがとうございます。今日もまた天国のニコニコ笑顔の一日です。感謝します。
2015/02/15
コメント(0)
2012年入院中、病院内の貸し出し本を十数冊読み、健康についての記述を見つけました。「健=人+建つ」と書き、人が自分の足で立つこと。「康=平静」で無事なこと。つまり「健康」とは、人が自分の足で立ち、平静で長寿を全うすること。また、英語のheal(傷や病気を治す、治癒する)=healing。古代英語では、heal=wole+holyとあり、halは「ハレ」と発音していたそうです。癒やされハレルヤ!WHOにおける健康の定義では、「完全な肉体的、精神的及び社会福祉の状態である」と宣言し、さらに霊的健康も主張。聖書は、「平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように」(テサロニケ第一5章23節)と宣言しています。今年は、立つ、歩く、握る、噛む、話すにチャレンジ鍛錬中。杖で歩けとの主治医の厳命を守り、杖で歩き今日も10706歩。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。
2015/02/14
コメント(0)
聖書の一言;55:9-11 天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。雨や雪が天から降ってもとに戻らず、必ず地を潤し、それに物を生えさせ、芽を出させ、種蒔く者には種を与え、食べる者にはパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。昨日、朝から晴れやかな陽射し。娘が今日は雪になるらしいと言っていた矢先に降り出した。屋根の上がすぐ真っ白になってゆく。傘をさして外出。雷や大雨、すぐ降り止んだ雪。自然は神の大きな愛の摂理と計画。春の足音を身近に感じる朝です。雨や雪が天から降り、必ず地を潤し、物を生えさせ、芽を出させ、豊かに実りを与え、農夫には種まく種を与え,空腹な人にはパンを与えます。それが自然の理であるように、聖書のことばはそれと同じで、神のことばが送り出されると、必ず実を結びます。そのことをすなおに単純に信じ、救いを語り、聖書の祝福を語り続けています。いや語る前に、自分に与えられたことばを、アーメンと受け止めます。ありがとうございます。救われました。感謝します。ありがとうございます。癒されました。感謝します。ありがとうございます。何をしても栄えました。感謝します。牧師として、礼拝でメッセージを語るときも、聴く人々にも聖書のことばどおりの結果が起こり、その影響が大きな祝福となる恵みを、体験しています。ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日です。感謝します。
2015/02/14
コメント(0)
身体と気持ち(こころ)が 病めるときにも友なる主イエスは 側におられて慰め 励まし 愛の御手もて癒しと回復 元気をくれる みことば(聖書)とともに 御霊を注ぎ希望は輝き 勇気は満ちる救いの喜び 豊かにあふれ天国の笑顔 すべてに感謝 福音のことば 病院に満ち主イエスの救いが 笑顔とともに信じる人々 アーメンと言う救いの喜び 祈りとともに み神の愛こそ 絶えることなく病に伏せてる 床の上にも優しき御手(おんて)を 豊かに伸べて新たないのちと 力にを満たす主イエスは愛の手 静かに触れて癒しの御力 今も変わらずこころ安すかれの み声とともに勝利の笑顔で ハレルヤ!アーメン御霊に満たされ 愛と喜び平安 感謝で 天国の日々すべては益にと み声が響く新たな旅立ち 使命の道へ
2015/02/13
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書55:-2 55:1 ああ。渇いている者はみな、水を求めて出て来い。金のない者も。さあ、穀物を買って食べよ。さあ、金を払わないでなぜ、あなたがたは、食糧にもならない物のために金を払い、腹を満たさない物のために労するのか。わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。ここを開くと、アドにラム・ジャドソンのことを思い出す。神学生の時、神の栄光を読んだ。ビルマ宣教の彼の伝記小説。牧師の長男として生まれ、大学を首席で卒業し神学校へ。大教会の牧師の道ではなく、ビルマ宣教を目ざし、試練と苦難の中で聖書をビルマ語に翻訳し、ビルマ語辞典を編纂した、ビルマへのバプテスト宣教師。彼は仏教寺院の通りに座し、ビルマ語で、ああ、渇いている者はみな、水を求めて出て来い。と大声で叫び、イエス・キリストの救いを伝えた。1978年生1850年、天国へ凱旋した。ビルマ≈ミャンマーには行ったことがあるが、現在も多くの宣教師が活動している。現在も、渇いている時代。愛に渇き、生きがいを求め、お金が渇きを潤すと思い、快楽を求め、平和に渇きながら、戦争さえ願う恐ろしい時代を迎えようとしている。イエス・キリストの十字架と復活をアーメンと心に信じるだけで、渇きは癒され愛に満たされ、罪とが赦され、神の子とされ、永遠のいのちを受けます。渇かないで永遠のいのちの泉が心の奥底から湧き出る、平安と喜びの人生です。ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日です。感謝します。
2015/02/13
コメント(0)
すべてが益となり、神のなさることはみなその時にかなって美しい。しかし、思いをはるかに越え、ありえないことが起こる現実です。ダビデがサウル王から逃れツィケラグに帰ってみると、アマレク人が急襲し、すべてを焼き払い、妻や子供たちを連れ去った後だった。ダビデとその軍団は声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。信頼できる軍団さえ、ダビデを石で殺そうとするようなあ悲劇が起こります。その最悪の中で、ダビデは彼の神、主によって奮い立ち、600人の軍団で追撃し、アマレクが奪い取ったものを全部、取りもどました。彼らが奪われたものは、何一つ失わず、すべてを取り返しました。すべてのことに感謝するのは、座り込み失望してつぶやくのではなく、愛と全能の神の力を信頼し、主イエス・キリストのお名前によって、打ち勝つ生き方です。健康、家庭、勉強、仕事などすべての分野で、平安と幸せを与えられ、何をしても栄え、繁栄し、成功する実りある人生を、神の栄光が輝く、活き活き人生です。思い切って日々、すべてのことに感謝するとき、生かされている実感が豊かに輝きます。ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日でした。感謝します。
2015/02/12
コメント(0)
豊かな恵みは 天国の朝天使の奏でる 賛美とともに新たな力と 愛も豊かに聖名(みな)を讃える み翼の陰平安 慰め あふれる恵み愛しき者らと 相まみえつつ主イエスの約束 真実なれば微笑み輝く み翼の陰聖書の真実 信じる幸い十字架の救いは 永遠のいのち地上の苦労は 主の手にゆだね感謝と賛美に み翼の陰
2015/02/12
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書54:17 あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、さばきの時、あなたを責めたてるどんな舌でも、あなたはそれを罪に定める。これが、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である。――主の御告げ。――責め立てるどんな舌でも、罪に定める。さまざまな批判、中傷、嘲り、不平不満、文句や泣き言、苦しみやうめき、恨みや憎しみなど、情報過多の時代、あることないことゴシップ好きの現代社会です。文字通りの攻めるために作られた武器もあり、核が使用されたら世界は終わり、地球は破壊されるような時代で、そんな時代に戦争を仕掛ける国は、どこであれ恐ろしいことです。その中でも舌禍による不幸も、国際社会、国内政治、経済、教育、宗教界に至るまで、剣で刺すように物言う最近です。舌は災いの元です。舌をコントロールできると、すべての点で自分をコントロールできます。船でも操縦桿一つで目的地に到着できるように、健康な幸せな人生も、信仰のことばで天国まで平安です。しかし、使い方を誤ると、責め立てる武器に変わり、マッチ一本火事の元というように、舌には地獄の火が燃え盛り、人生を滅びと災いの炎で包んでしまいます。聖書の約束は、すべての舌禍から守られるという確約です。だから何を言われようとも、ありがとうと感謝することが第一です。次に、決して言い返したり、ことばの毒を吐き出さないことです。そして、相手に祝福のことばを与えることです。受けてくれないような相手なら、ありがとうだけで物を言わずに別れるだけです。そして、祝福だけを祈ることです。どんな時でも、愛と全能の神の守りが豊かにあり、心穏やかに平安の日々です。ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日です。感謝します。
2015/02/12
コメント(0)
どんな悲劇や暗闇の中でも、朝の来ない夜はなく、一寸先はひかりです。朝早く起きて、恵みの朝きて、主イエスはともにと、大きく明るく、イエス・キリストを信じ信頼。必ず明るくなり門が開きます。生駒聖書学院、創立者L・W・クートは1923年(大正12年)9月1日の関東大震災のとき、横浜市で教会の働きすべてを失い、悲劇と暗闇の時、大阪に逃れ、狭い借家でミカン箱をベッド代わりの状態で、伝道開始。その記念の大阪救霊会館は、今も365日の伝道を、給食伝道と共に一年中継続しています。その悲劇と暗闇の中から生駒聖書学院は、1929年(昭和4年)創立され86年を.例年、2月11日は、学院長メッセージのヨベル聖会ですが、ペンテコステ大会と重なり、4月29日(祭)午後1時に変更。ぜひご予定くだされば幸いです。著書贈呈。昨日から13日まで、日本ペンテコステ教役者大会に、副院長と榮義嗣教授夫妻、神学生20名は参加中。学院長は体調の関係もあり留守番です。どんなことがあろうとも、イエス・キリストを信じる人生に朝は訪れ、明るく輝く将来と希望の日々です。ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日です。感謝します。
2015/02/11
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ54:14 あなたは義によって堅く立ち、しいたげから遠ざかれ。恐れることはない。恐れから遠ざかれ。それが近づくことはない。今日は建国記念日の日の祝日です。神武天皇即位の年が、日本書紀では紀元600年。国家の形が整ったと思われるのは700年代(律令の制定)。現在の体制の基礎ができたのが江戸時代。現在の日本に直接繋がる「国家」が出来たのは明治維新。法的に日本国が確定したのは明治憲法発布。現在の日本国になったのは終戦の翌年(現憲法発布)。現在の2月11日が国民の祝日になったのが1966年からです。終戦まで紀元節でした。ちなみに今年は皇紀2675年。ユダヤ歴5775年に次いで長い歴史と言われています。アメリカ独立記念が1776年。世界のほとんどの国が、民主国家宣言を記念日としています。日本の場合も建国記念日制定が議論された時、憲法記念日の5月3日、終戦の8月15日やボッタム宣言の日などの意見もありましたが、紀元節の声が多く、1966年に2月11日(旧紀元節)が国会で決定しました。建国記念日と言うより、建国記念の日と言った方が良いと思います。日本はいまおかしくなりかけています。いつか来た道をまた懐かしく、日本文化、日本精神、日本伝統、日本古来の宗教、天応崇拝にまで戻ろうとするような傾向です。日本の歴史に限らず、世界の歴史は人殺しの歴史です。神々として祭上げられている天皇、将軍、英雄豪傑=彼らの名=がどれだけ殺戮を重ね、歴史はその墓場です。教科書は自国を一等国として宣言し続けます。当然と言えばそうかもしれませんが、日本は平和憲法の下で、戦後70年戦争をしない国として、世界の平和の先頭を進んできました。これからもその先陣を平和を掲げ進む国であるよう祈ります。ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日です。感謝します。
2015/02/11
コメント(0)
アンデス山頂に落ちた雨粒が、一つは太平洋に、もう一つは大西洋に行くように、同じ出来事でも受け取り方によって大きな違いをもたらします。どうせ違うなら良い方に変わるよう、前向きに信じ肯定的に生きたいものです。生後3カ月で百日咳になり、ママの必死の心臓マッサージで生き帰った赤ちゃん。その子が9歳の時、両親は離婚し、祖父のもとで、12歳でバレリーナになりました。戦争が始まり、親戚は銃殺になり、兄弟も強制施設に送られます。食べ物はなく、彼女は球根を食べて飢えをしのぎ、栄養失調で貧血、呼吸困難、内臓疾患に悩まされながらも、16歳で看護師になりました。やっと戦争が終わり、今度は無一文からの出発で、やっと19歳の時、映画やテレビの端役。21歳のとき準主役に、23歳で主役に抜擢されました。あの有名な『ローマの休日』で、アカデミー主演女優賞になりました。彼女の名は、オードリー・へプバーン。その後は、マイ・フェア・レディや、ティファニーで朝食をなど19本の主演女優。名曲ムーン・リバーは彼女をイメージして作曲されました。彼女は59歳で引退し、今までに与えられた愛を、今度は世界の恵まれない子供たちに与える生き方を選び、国際連合児童基金(ユネスコ)の親善大使に就任しました。戦争直後のころ、食料と医療の援助を受け命をながらえた彼女は、戦争で苦しんでいる子どもたちに、母の愛と笑顔を届けたのです。63歳でガンで召された彼女は教えてくれます。愛は行動!言葉だけでは伝わらない。生まれたときから人間には、愛する力が備わってると。ヘプバーンの美しさは、心の美しさ、人を愛する美しさ、受けるよりも与えるほうが幸いであることの実証なのです。人生を終えて残るものは、与えたものだけなのです。あなたの笑顔が、微笑みが、周りの人に潤いを与えます。もし生きる意欲を無くし、やる気を失っていれば、与える気持ちを失って、自分のことしか考えているからではないでしょうか。今日も前向きに大きく考え、大胆に実行し、両手を広げて神の恵みを大きく受け取り、イエス・キリストを信じ、神の栄光に輝きたいものです。ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日でした。感謝します。
2015/02/10
コメント(0)
ダビデに、エンゲディの洞穴でいのち救われたサウル王でした。ダビデがアキラの丘に隠れているという情報で、また精鋭兵を引き連れ、ダビデを殺そうとジブの荒野へ。真夜中に陣営に忍び寄ったダビデは、王の枕もとの槍と水差しを取り、誰にも知られず、足音も聞かれず遠く離れた山の頂上から、王とその陣営に呼びかけました。主は、おのおの、その人の正しさと真実に報いてくださいます。主はきょう、あなたを私の手に渡されましたが、私は、主に油そそがれた方に、この手を下したくはありませんでした。きょう、私があなたのいのちをたいせつにしたように、主は私のいのちをたいせつにして、すべての苦しみから私を救い出してくださいます。(第一サムエル26:23^24)ダビデは、勇ましく高尚で高貴な人物。自分のいのちを十数度も付け狙う王を、その手にかける機会があったにも関わらず、王にまともに生きるよう進言し続け、やがてもっとも偉大な王として歴史に輝きます。ミケランジェロの5・75メートルのダビデの彫像は、人間の広大さと真実を象徴しています。やっつけることや復讐ばかり考えないで、真実と愛の道を、豊かな幸せの報いがある人生があります。愛すれば愛され、赦せば赦されて、トラウマやストレスに支配されない、イエス・キリストと共にある、十字架の下での日々です。ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日です。感謝します。
2015/02/10
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書54:10 たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。愛の神様は、あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している。永遠の愛であなたを愛した。たとい山々が移り,岡が動くような転変地があっても、変わらない愛、その愛は契約です。契約の愛、結婚式では変わらない愛を誓約します。現代は成田離婚さえあるという時代で、何のために実印を押したのか、一時の感情、肉体の関係だけという、動物的結婚もあります。聖書は、TESTAMENT=契約の書です。神はその独り子を十字架につけ、私たちを愛いてくださいました。その愛をアーメン=契約のことばと受け入れるだけで救われます。アーメンと信じた日から、その愛は永遠=天国まで変わらず、平安に守られ続けます。生きるとは愛すること、愛されることです。だれでも、愛されることを願っています。生きているそれだけで値打ちがありますが、愛されると、生きていることを実感します。不思議なことに、愛はうけるだけだと無くなり枯れてしまいます。愛を与え始めると、こんこんと湧き出る泉のように愛があふれてきます。受けるよりお与えるほうが幸いです、。愛を与えるとは、相手をあるがままに受け入れることです。相手を理解します。愛のあるところに時間と忍耐があります。愛は見ています。愛は耳を傾け聞きます。相手に伝えます。愛は実践します。花を愛しますと100回言っても,、水を一回もやらず枯らしてしまうなら、愛はありません。もっとも深い愛は、自分の心を、また身体といのちも、すべてを与えることです。イエス・キリストの十字架に、その愛の極致があらわされました。キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです。(第一ヨハネ3:16)人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。(ヨハネ15:13)ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日です。感謝します。
2015/02/10
コメント(0)
サウル王は、ダビデを妬み憎んで、エン・ゲディの荒野へと、えり抜きの3000人の精鋭で追い詰めました。ところが用をたすため洞穴に入ると、その洞穴にダビデと精鋭たちが潜んでおりました。ダビデの部下は今、王殺害のチャンスと言います。しかし、ダビデはサウルの上着のすそを、そっと切り取っただけでした。倍返し、やられたらやり返す復讐が、国を荒れさせている昨今。江戸の仇を長崎で。というほど仇討が好きな日本です。いまでも敵対する者や国を憎む、国際平和の時代に、憲法第九条がありながら、戦争を期待するようでは情けないものです。ダビデを殺すことしか考えていなかったサウル王でした。しかし、その彼も、ダビデのしたことが、豊かな報いとして与えられることが幸いであると、告白せざるを得ませんでした。相手をやっつけることばかり考えないで、真実の幸福が豊かにあふれるよう祈り、努めたいものです。受けるよりも与える方が幸い、与えなさい。そうすれば与えられる。何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。自分も幸せ、ほかの人も幸せ、地球上すべての幸せを祈ります。ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日でした。感謝します。
2015/02/09
コメント(0)
12歳の少女は母親が死に、父に捨てられ、孤児院に入る。孤児院を出た彼女は裁縫の仕事。趣味で作った帽子のデザインが認められ、27歳で帽子専門店を開店。30歳、服飾小売店を開店。33歳、デザイナーとして、オリジナル・ブランドを発売。 当時の女性はコルセットをつけ、重いドレスを着、おとなしくしていることが当たり前。 「なぜ、女性はきゅうくつな服装に耐えなければならないのか?」彼女の「なぜ?」は世の中を目覚めさせる黄金の答えを導き出した。その結果、シンプルで着心地がよく、ムダのないドレスが誕生。「なぜ?女性はドレスを着て、おとなしくしていなければならないのか?」この疑問から、軽快なパンツ・スーツのスタイルが誕生。彼女の疑問は、当時の女性の価値観を変え、女性が社会で活躍するきっかけとなった。さらに彼女の「なぜ、香水はどれも同じ香りなのか?」疑問から、香水の試作品。その内の試作品を、顧客に無料でプレゼント。それが大評判に。特に、人気だった詩作品の一つを、百貨店で販売する。作品は5番目にできた製品なので名前を、「NO.5」。そう、彼女の名は「ココ・シャネル」ドレス嫌いで、ショートヘアのファッション界の革命児は、常に「疑問?」を投げかけ、世の女性に、「古い価値観に捕らわれない」を信条に、「女性の身体と心を解放させる」ビジョンを達成したのだ。 「なぜ?」は、世の中を目覚めさせる黄金の答えを、導き出す。世の中が、目覚める時を待っている!そして「なぜ?」はあなたの人生を変革する!さらに信じると、なに?に奇跡も起こる。祈りと信頼で、全能の愛の神を?とともに信じてみよう!ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした!天国の今夜もアイディアに満たされる、豊かな感謝を。アーメン。
2015/02/09
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書54:4 恐れるな。あなたは恥を見ない。恥じるな。あなたははずかしめを受けないから。あなたは自分の若かったころの恥を忘れ、やもめ時代のそしりを、もう思い出さない。54:8 怒りがあふれて、ほんのしばらく、わたしの顔をあなたから隠したが、永遠に変わらぬ愛をもって、あなたをあわれむ。」とあなたを贖う主は仰せられる。恐れや不安のある人生です。ありえぬことのみある浮世に=考えたこともないようなことが起こるこの世。一人変わらぬはただイエスのみ。主は捨てたまわず、 主に行く身を・・・と歌いながらの朝です。聖書には、恐れるなに類することばが365回あります。生きる恐れ、生活の恐れ、お金、仕事、人間関係≈親子、兄弟姉妹、親戚、学校、職場、施設、あらゆる交友関係、すべての隣人、同国人、外国人、政党関係、国際社会上げればきりがありません。しかし、恐れるな。もはや恥を見ない。恥じるな。もうはずかしめを受けない。過去のそしりを思い出さない。愛の神がその御顔を向けてくださる。神はその独り子=イエス・キリストを、十字架に架けてまで愛しています。アーメンとその愛を信じるだけで、豊かな愛を日々与えてくれます。そのあたたかい愛と聖霊の導きで、恥のない希望に輝く日々を、生きる限り天国、肉体が死を迎えるときも恐れなく、地上の生涯を閉じ、永遠の天国へ凱旋できます。十字架上ですべての罪を赦し、病や呪い、貧しさ、死を解決し、復活されたイエス・キリストは、きのうもきょうも変わらず、信じる者と、世の終わりまでも共におられます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/02/09
コメント(0)
ダビデは、羊飼いの少年でしたが、巨人ゴリアテを石投げひとつで倒し、危機存亡の国を救い、王に気に入られ取り立てられます。連戦連勝で王より人気が高まり、王は精神的にもおかしくなり、ダビデを殺そうと10回も罠を仕掛けます。ダビデのいのちは風前の灯のようでした。エンゲディに王と連隊に追い詰められました。外敵侵入の知らせで王は帰国し、この時も九死に一生を得ました。その場所は、「仕切りの岩」と呼ばれ、そこは荒野で岩ばかりの過疎地です。学校や職場で、私的に公的に妬みや嫉妬、憎しみがあり、国家間国際社会にもあります。オリンピックのように、楽しめばよいだけの世界にさえ、嫉妬や妬み殺意があるから厄介です。しかし、そこがどこであろうと、神は盾となって守り、避けどころ=仕切りの岩となってくださいます。あわてず、恐れず、信じ信頼して平安の中を、幸せに活躍する日々を祈ります。ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日でした。感謝します。
2015/02/08
コメント(0)
2012年7月、運転中の右脳内出血での交通事故。幸い電柱にぶつかり車は修理できないほど大破。祈り守られ馬場記念病院に一ケ月と二日入院。集中治療室から3日目に一般病棟へ、2週間後には、隣接のペガサスリハビリ病院へ転院。病院内では、患者さん、看護師や理学療法士との出会い。素直にアーメン信じますと祈る方たちもあり、退院までに知り合った方たちの健康と長寿を祈り、アーメンと応答してくださった方は、「信じます。アーメン」と信仰告白の祈り。「主の御名を呼ぶ者は救われます!」とのみことばどおり、聖霊に助けられ、救いが満ちる入院生活。16歳でクリスチャンになり、「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。あなたに罪を犯さないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました」(詩篇119篇9、11節)を覚え、聖書を読めば良いと思いました。いやしと回復の約束、これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」(マタイ8:17)をアーメンと信じる幸い。ありがとうございます。わずらいも脳内出血も、十字架の打たれた傷で癒されました。感謝します。どんな暗い夜でも光があると躓くことなく進めるように、聖書のことばが照らし続け、今でも、イエス・キリストの癒しの中を、元気に守られてのメッセージの礼拝です。ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日です。感謝します。
2015/02/08
コメント(0)
聖書の一言;イザヤ書52:13-53章全体=旧約聖書救い主預言中、十字架預言のクライマックスの箇所。彼=イエス・キリストのことです。見よ。わたしのしもべは栄える。彼は高められ、上げられ、非常に高くなる。多くの者があなたを見て驚いたように、――その顔だちは、そこなわれて人のようではなく、その姿も人の子らとは違っていた。―15 そのように、彼は多くの国々を驚かす。王たちは彼の前で口をつぐむ。彼らは、まだ告げられなかったことを見、まだ聞いたこともないことを悟るからだ。私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現われたのか。彼は主の前に若枝のように芽生え、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。しかし、主は、私たちのすべての咎を彼に負わせた。彼は痛めつけられた。彼は苦しんだが、口を開かない。ほふり場に引かれて行く小羊のように、毛を刈る者の前で黙っている雌羊のように、彼は口を開かない。しいたげと、さばきによって、彼は取り去られた。彼の時代の者で、だれが思ったことだろう。彼がわたしの民のそむきの罪のために打たれ、生ける者の地から絶たれたことを。彼の墓は悪者どもとともに設けられ、彼は富む者とともに葬られた。彼は暴虐を行なわず、その口に欺きはなかったが。しかし、彼を砕いて、痛めることは主のみこころであった。もし彼が、自分のいのちを罪過のためのいけにえとするなら、彼は末長く、子孫を見ることができ、主のみこころは彼によって成し遂げられる。 彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。わたしの正しいしもべは、その知識によって多くの人を義とし、彼らの咎を彼がになう。それゆえ、わたしは、多くの人々を彼に分け与え、彼は強者たちを分捕り物としてわかちとる。彼が自分のいのちを死に明け渡し、そむいた人たちとともに数えられたからである。彼は多くの人の罪を負い、そむいた人たちのためにとりなしをする。ありがとうございます。イエス・キリストの十字架の犠牲により、アーメンと言うだけで救われ、義とされ健やかに豊かな祝福、永遠のいのちと天国が保証され、感謝します。今日もまた天国の豊かな愛の一日です。ハレルヤ。
2015/02/08
コメント(0)
一寸先は闇より、一寸先は光です。可能性がもうないようにみえる生活の中に、一筋の光が差し込んできたら、何倍にも生きる力がでます。一寸先は闇の様な相談や、祈りの要請も多い日々。けれども一寸先は光で、幸いですね。昨年の今頃、2011年に肺がん末期余命一年を宣告され、4年目を迎えて幸せと感謝。そう言ってくれるので、心がほかほか暖かくなります。天国へ行って8ヶ月過ぎましたが。「あなたのみことばは私の足の灯、道の光です」聖書のことばは、天国へのナビです。世の光キリストの誕生は、「暗やみの中に座っていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にある人々に、光が上った」(マタイ4:16)事実です。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです」との約束通りに、一寸先どころか、いつも光の中を歩ませてくださいます。「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(マタイ5:14-16)一寸先は闇に生きる人々の光となるよう使命を与えられました。「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです」(ピリピ2:14-16) ありがとうございます。 今日もまた天国の豊かな愛の一日です。感謝します。
2015/02/07
コメント(0)
正しい導きがあると、迷うこともなく、ひと足ひと足、前へ進めます。道を知りつくしている、最高の導き手イエス・キリストによって。疲れ果てても、困っても心配せず、信じ信頼します。私を取り囲んでいるすべてを知り、道を知りつくしているイエスの導きは、確実に正しい方向へ、天国まです。カーナビは、種子島から打ち上げた人工衛星からの指示で、誤差なく目的地を示し、世界中がその恩恵を受けています。間違いなく目的地にガイドしてくれます。今は運転をしないが、人生のナビは聖書です。天地万物の創造者で愛の神のことばです。あなたのみことば(聖書)は、私の足の灯、道の光です。たとえ死の陰の谷を行く時も、主がともにおられるので恐れなく、平安に死を越えて、天の御国へと行けるのです。人生のすべての道を、平安に守られ幸いな道を、導き手であるイエス・キリストを信じ、喜び楽しみながらの日々です。ありがとうございます。今日もまた天国の豊かな愛の一日です。感謝します。
2015/02/07
コメント(0)
全61件 (61件中 1-50件目)
![]()

