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詩篇22;6ー8しかし、私は虫けらです。人間ではありません。人のそしり、民のさげすみです。私を見る者はみな、私をあざけります。彼らは口をとがらせ、頭をふります。 主に身を任せよ。彼が助け出したらよい。彼に救い出させよ。彼のお気に入りだから。58才の時、「天の虫けら」と体験記を出版。4年前にカラー写真で、生まれ故郷の種子島や、アフリカ・ケニア宣教なども、再版で紹介しました。小説、サバンナに愛の光永遠に(生まれてから16歳でクリスチャンになるまでの小説)は絶版、アマゾン古本で見つかるからなくなった。富岡製糸場と絹産業遺産群(群馬県)が、世界遺産に決まりました。絹糸は虫から取られる。でも虫は虫でも、無視できない虫、天の虫=天の下の虫と書いて=蚕です。蚕は家の中で飼われて、桑の葉を与えられ食べて絹の糸を吐く。その絹糸を紡いで上等の着物やドレスを縫い上げる。一本糸も端切れも無駄にはならず、その存在のすべては、人のいのちを守り育む高級な衣服となった。 私も虫は虫でも、そのような虫、桑の葉ならぬ聖書のことばに養われ、絹糸のような聖書のことばを、そこから生まれる信仰のことばを、いつも告白し祈り願い、福音を伝えたい。 口からでることばが、人々の心を絹衣のように救いをもたらし、永遠の天国に導き、平安と幸せに耀く人生を、もたらすような現役牧師です。27日から水俣市、阿久根市、川内市、広島市から30日夕方帰宅。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2015/06/30
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聖書の一言;マタイの福音書7章12節それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。このことばが黄金律で、この一言が律法であり預言者=旧約聖書です。 様々な倫理道徳があり、規則や規約があっても、黄金律で十分です。黄金律は愛です。神を愛し、自分を愛するように隣人を愛する、必然の黄金律です。受けるよりも与える幸いな人生を、平安に満たされ、笑顔輝き、喜びが広がる人生。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/30
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聖書の一言;マタイの福音書7:7ー8求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。叩きなさい。そうすれば見つかります。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけだし、たたく者には開かれます。ありがとうございます。求めて与えられ、捜して見つかり、叩いて開かれました。感謝します。 鹿児島県川内市のルートインホテルの朝。午前7時15分発さくら542号で広島駅で待つ二人と出会いです。 川内市は曇りの朝です。求め、捜し、叩く人生。イエス・キリストの約束は、アーメンと信じるだけで、約束通りに実現。 今朝も思い煩いも心配もなく、平安な気持ちで幸せです。天国は、いつまでも存続する信仰と希望と愛の国。その中で最も大いなるものは愛です。天国のことばは愛のことば。日本語は愛のことば。あいうえおと字を習い使います。あい=愛。しかもあいがうえですから、天国を母国語とすると、愛のことばを使えます。平安で幸せです。愛します。大好きです。嬉しい、楽しい、喜び、何をしても栄えます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/29
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聖書の一言;マタイの福音書6:26ー34空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれどもあなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。あんたがたのうちだれが、心配したからと言って、自分のいのちを少しでも伸ばすことができますか。なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、良くわきまえなさい。働きもせず、つむぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、明日は火の中に投げ込まれる野々の草さえ、神はこれほども装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらない訳がありましょうか。信仰の薄い人たち。そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものは異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であると知っておられます。だから、神の国と神の義を第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべてあたえられます。だから、明日のための心配は無用です。明日のことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。 湯の児温泉ホテルの早い目覚め。聖書を開きゆっくり読んでいます。何も心配せず、思い煩わないで良い。イエス・キリストの約束は真実です。今朝は、水俣福音キリスト教会礼拝説教。午後には、阿久根市からの迎えで、車で一時間くらいです。ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/29
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聖書の一言;マタイの福音書6:24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。この聖書のことばは、所有物が生活の領域に占めることへの警告です。イエス・キリストは、富と所有物について、第一に、すべてのものは神に属していると教えた。地とそれに満ちているもの、世界とその中に住むものは主のものである。(詩篇24:1)森のすべての獣は、わたしのもの、千の丘の家畜らも。わたしは、山の鳥も残らず知っている。野に群がるものもわたしのものだ。わたしはたとい飢えても、あなたに告げない。世界とそれに満ちるものはわたしのものだから。(詩篇50:10-12)この基本を理解すると、すべての物質的=富、時間、知恵、知識、肉体、所有物について、これは神様のものだから、神様の栄光のためにと考える。そこにクリスチャン生活の醍醐味がある。だから、常に人間が物品よりも重要であり、人のいのちは、は全世界より尊い存在です。財産をつくり、金を貯め、富を増やすために、人間が物品として利用されるなら、そのような富は罪悪です。どんな方法でその財産があり、作られたかによって、富裕者の人生が問われます。しかし、聖書は富は結果的な善であり、イエス・キリストが来られたのも豊かさを与えるためと宣言しています。あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。(コリント第二8:8)富や金銭、物質を所有することは、罪ではなくて厳粛な責任です。クリスチャンは、すべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、愛にも富み豊かにされて、名誉ある独立を保ち、家族を養い育て、助けの必要な働きのため、恵みのわざにも富む人生を生きることができます。快楽に快楽、贅沢に贅沢を重ねるだけに、富を求め続け、富にのみ生きがいを感じたり、金があれば何でも買え、何事でも解決できると思うなら、金銭を愛することがすべての悪の根になります。そんな悪の根を刈と取り、神の栄光のために、繁栄する人生を今年の後半も力強く生きる人生です。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ちたりて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。(コリント第二8:9)ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/27
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詩篇20:4 主があなたの願いどおりにしてくださいますように。あなたのすべてのはかりごとを、遂げさせてくださいますように。主があなたのすべての願いのすべてを遂げさせてくださいますように。アーメンは真にその通りです。ほんとうですと同意し、ハイという返事です。クリスチャンになって57年、牧師としても長年、祈り願ったように守られて来ました。 特に天国に行った家内は、14歳でクリスチャンになって、ひたすら素直に信じ、結婚生活49年、良い妻であり、牧師夫人でした。昨年3月4日に入院し、5月17日に召され、一人暮らし自炊生活も1年4ヶ月。 神様が出会わせてくれた、すばらしい結婚生活に感謝します。 願いを感謝と共に祈り、召される日に5名、召天式の朝に5名が洗礼を受けました。 主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたとあなたの家族は救われます。その約束を信じ、祈り願いが天国に行くまでに、かなえられました。神様のことばは真実、誠のことば。そのことばに本音でアーメン。人生は不思議なほど平安と幸せに輝き明るくなります。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します
2015/06/26
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聖書の一言;マタイの福音書6:19-21 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。長く使えるものを買うのが生活の知恵。イエス・キリストは、虫が食うものや、さびできず物にならないもの、盗まれるようなもの、このような快楽と財産を求めるなと教えた。着る物はいつか古びたり、やがては傷んでいく。単なる肉体的な快楽は、次第に色あせ、楽しむたびに喜びが減少する。そのような快楽に支配されないように。時が立って喜びが薄れていくものに執着しないように。盗まれるもの=物質には永遠性はない。物質的なものを宝にすれば、やがて必ず失望し、平安も幸せも奪われてしまう。自分の宝は、天にたくわえなさい。地上で行う親切や善行は、天に宝を積むことです。自分のために積んだ宝は失われるが、喜んで与えた宝は天に貯えられる。また、品性がその宝です。この世から去るとき、持って行けるものは、その人の品性だけです。ペテロの第二の手紙1::5-7 こういうわけですから、あなたがたは、あらゆる努力をして、信仰には徳を、徳には知識を、知識には自制を、自制には忍耐を、忍耐には敬虔を、 敬虔には兄弟愛を、兄弟愛には愛を加えなさい。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるのは真理です。心に思うことがすべてこの世のことなら、永遠について何の興味も持たない。宝がすべて地上にあれば、必ず来る死を迎える時、不安と悲しみや辛さに中を、地上に残された宝を惜しみつつ、後ろ髪を引かれる思いで、地獄への道へ向かいます。この世に価値がないとは、聖書は教えていません。しかし、この世は人生の目的ではなく、目的地への行程です。この世とこの世のものに心を奪われず、天国を思いつつ、神の国と神の義を求めつつ、愛に生きた者は、その時が来たら喜んでこの世を去ります。神のもとに行く時が来たからです。このようにいつまでも存続する者は、信仰と希望と愛です。その中でもっとも大いなるものは愛です。日本人はその愛に生きる民族です。最初に覚えるのは、愛=あいうえおです。しかも、愛が上=あいうえです。その愛は十字架上に現されています。今こそ日本人すべてが、その愛を知り、愛を上に置く国になるときです。ヨハネの第一の手紙4:7-9 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。神はそのひとり子=イエス・キリストを世に遣わし、その方=イエス・キリストによって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。ありがとうございます。今日もまた豊かな愛の天国の一日です。感謝します。
2015/06/26
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詩篇19:14 私の口のことばと、私の心の思いとが、御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。 風天の寅さんで有名な渥美清は、俳優を目指して夜も遅くまで、クタクタになって働いていました。劇場が終わり、帰りがけの女性が声をかけて、あなた俳優は目よ。帰って自分の目を見てごらんなさい。彼は深夜、鏡で小さな細い目を見つめ、思い決心しました。日本人の目を引き付けるようになった、名優渥美清の誕生は、他の人にどう思われようとも、自分の前向きの強い思いでした。イエス様は、あなたの信じ=思うようになれ。あなたの言うとおりになれ、そのように語り、多くの奇跡が実現しました。 祈りと願いをイエス・キリストの御名前でアーメンと信じていますか。あなたの言った通りになれと言われたら、悩みをもっと増やすような思いや、ことばを使っていませんか。思いきって今朝から、本音だけで=神の子にふさわしい願いを持ち、日々聖書のことばにを、告白し続けましょう。2012年脳内出血と小脳内梗塞のことばの乱れが、昨年6月に完全に直りました。2012年11月から癒されたと信じ、ありがとうございます。声がもどりました。感謝します。昨年6月の朝、腹の奥底から直ったという思いが突き上げ、思いきり大声で歌ったら、正常になっていました。杖で歩いていますが、院内の住まいは急坂ですが、一足一足、直りました。快癒でした。感謝します。駅の階段でも、いつでもどこでも直った、直ったと信じ告白です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2015/06/25
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聖書の一言;マタイの福音書6:913 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。』〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕全世界のクリスチャンが祈っている主の祈り。時間にすれば30秒、しかし、永遠に通じる祈りです。その中で、わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。日ごとに必要なものを、率直に願求める祈りです。愛の神は、私たちの肉体を顧みてくださいます。イエス様は多くの病を癒し、肉体の飢えを満たされました。霊も心も肉体も全人格の救いです。日ごとの糧、その日のパン、その日のための食物を求めます。遠い将来を心配するのではなく、日々を天国として生きる秘訣の祈りです。明日のことを心配しない、思い煩わない人生です。この祈りをしたら、何もしないでパンが手の中に落ちて来るのを待つという意味ではない。そんなことをしていたら餓死します。日ごとの糧を与えたまえ。と祈ったら働きはじめます。思い煩いや心配なく、種を育て手入れして、豊かな糧を日々与えられる恵みを感謝して、日々祈りつつ生きるのです。日ごとの糧が全世界に行き渡るようにとの祈りです。分け与えることにより、世界の飢えは満たされます。政治家や投資家たちも、私たちの日ごとの糧をお与えくださいと祈ると、軍事費や膨大な儲だけにこだわらず、日ごとの糧を他の人に分け与えていく祈りなのです。受けるよりも与える方が幸いである。真実の幸せを世界中が体験するよう祈る朝です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/25
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詩篇19:7ー8 主のみ教えは完全で、たましい生き返らせ、主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、 主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。 聖書は、主の教え、主のあかし、主の戒め、主の仰せです。アーメン=誠=言+成と信じて告白宣言するとき、その通り実現します。聖書のことばが実現するためには、もうそうなったと完了形で受けとめ、そのように確信し実行します。アーメン。たましいは生き返りました。賢くなりました。心は喜びで満たされました。目は明るく輝きました。聖書のことばによって、何をしても栄え,繁栄する成功=成幸の道が、天国にまで続きます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2015/06/24
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聖書の一言;マタイの福音書6:5-8 また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。義務感や名誉欲での施しは、もう報酬を受けたのと同じで、神様からの豊かな報酬は、そうせずにはいられない、愛と親切に満ちあふれて、与えないではおられない人がいる。どんなにしても、困っている人に対する愛から逃れることができない場合です。尊いボランティアに生涯をかけている人がいる。義務感や自分の名誉からでなく、愛の心があふれてすること、イエス・キリストが、ご自身のいのちを与えられたように愛を与えるとき、何物にも代えられない豊かな報いを受けるのです。祈りにおいてもまったく同じことです。義務感や形式的でなく、神との愛の対話です。密室での祈り、ジョン・ウエスレーの母は多くの子どもがいたが、子どもたちは母が台所でエプロンで顔を覆っていると、静かにしていたそうです。母の祈る姿を見る子どもたちは幸せです。その母の祈りから、イギリスを流血革命から救い、産業革命をもたらしたと言っても過言ではありません。同じことばをただ繰り返し、そのことばの回数が多いことを自慢するような祈りも、祈りではないとイエス・キリストは教えました。父なる神は、お願いする先に、あなたがたの必要なものを知っておられるからです。何という幸い。だから祈らなくてもいい、与えたらいいじゃないかという傲慢不遜にならいで、必要なものを、率直にお願いできる恵みです。今日も、素直に率直に祈る幸い。ありがとうございます。必要なものは与えられました。感謝します。豊かな天の報いで喜びです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/24
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詩篇19:1ー3 天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。話しもなく、ことばもなく、その声も聞かれない。書斎は東に面し、毎朝矢田丘陵を真っ赤に染めて昇る朝日と共に、天国のー日がスタートします。就寝が早いので太陽より早い朝です。世界中には、その太陽を神とする国々が多くあり、日本人は太陽を神とする神話の国です。その太陽系だけでなく、全天全地の創造の真の神を認め信ずると、山や海、草木を神とする人々は、聖書の民となり、平安あふれる神の子となり、天国へ行く保証が与えられます。アーメンと信じます。救われて、天国行く予約チケットを持っているので、いつ死んでも大丈夫です。午後に電話があり、奥様が天国へ行って、もう1年1ヵ月も過ぎましたねと言われました。早いものですね。お元気ですか。左右脳内出血、小脳内梗塞、話しが出来ているだけでも奇跡ですね。いろいろお話し、お祈りや励ましに感謝する午後でした。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/23
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聖書の一言;マタイの福音書6:1-4 人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません。だから、施しをするときには、人にほめられたくて会堂や通りで施しをする偽善者たちのように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが隠れているためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。報いられるか報いられないかは、人生において大切なことです。クリスチャンの報いは何かあるのか。この箇所で,善行や施し、祈りでさえその動機が問われています。これ見よがしの姿に、周りにいる人々佐江、ほんとうは辟易しているのに、与えられる物質に目がくらみ、ほめたたえニュースにさえなり、もうそれで十分、つまり自分の前でラッパを吹き鳴らす行為、偽善者にならないようにと警告されました。右の手のしていることを左の手に知られないような善行、施し、献金、祈りさえも。動機も行いもすべての隠れたことを見ておられる愛の神が見ておられます。天知る、地知る、我知る、人も知る。イエス・キリストは物質的な報酬を約束しなかった。その第一の報酬は満足です。信じる道を歩むなら、心の奥に何物にも代えることのできない満足がある。お金では買えない満足です。人を相手にしないで、愛から出る、無償の行いでありたいものです。第二の報酬は、さらに多くの使命感が与えられることです。この世の報酬は、もっと楽をすることです。クリスチャンは、神と人のためにより多く、善行、施し、祈りができ、働く恵みです。毎日が充足で、安眠で熟睡、恵まれた天国=御国の心地す。ハレルヤ。第三の報酬は、神をますます近くに感じ、やがて恐れず平安に、神の身元に引き寄せられ、天の御坐近くに進む。永遠のいのちを受けて、天国が最大の報酬です。コリント人への第二の手紙5:7-10 確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。私たちはいつも心強いのです。そして、むしろ肉体を離れて、主のみもとにいるほうがよいと思っています。そういうわけで、肉体の中にあろうと、肉体を離れていようと、私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです。なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/23
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恵みと愛との 幸い受けて十字架により 罪は消されて信じる心に 平安ゆたか あふれる喜び 恵みに生きる 勇気と力で 雄々しく進む復活のいのちに 生かされ活きる聖霊注がれ 喜び深く涌き出るきよさは あふれにあふれ希望に耀き 新たな元気 試練と困難 すべてを益に ありがとう感謝で 乗り越えて行く主イエスの恵みは 真実まこと=誠アーメン
2015/06/22
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聖書の一言;マタイの福音書5:43-48 『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。山の上の教え=山上の垂訓で最も中心的で、もっとも有名な箇所です。人間関係のキリスト教倫理の集約で、一般的にも知られています。ギリシャ語では愛を表現する4つのことばがあります。1. ストルゲ―=家族愛。2.エロース=情愛、新約聖書では使われていない。エログロ性愛。3.フィリア=友愛。4.アガペー=くじくことのできない慈愛。愛をもって隣人を愛するとは、その人がどんな事をしても、侮辱しても、傷つけても、悲しませても、心に憎しみを持たずに、その人に対してくじかれることのない慈愛、善意を持って接し、その人のためになることだけをするのがアガペーの愛。イエス様は、この愛が人間関係の基盤です。この愛はイエス・キリストの十字架を体験し、聖霊によって注がれる神の愛により可能となります。復活のイエス・キリストが心に住んでくださるとき、憎しみが消えて愛が新たにされます。天の父の愛は、今日も豊かに注がれています。それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。取税人でも、同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、どれだけまさったことをしたのでしょう。異邦人でも同じことをするではありませんか。人が、その生活の中で、絶えず赦しつつ愛する時、天の父が完全なように、完全になるのです。敵を愛し、迫害する者のために祈る、愛の人生は何事があろうと平安です。ヨハネの第一の手紙4:18-21 愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。神を愛する者は、兄弟をも愛すべきです。私たちはこの命令をキリストから受けています。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/22
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豊かな恵みの 今日も天国まことの幸い 正しい道をみことば蓄え 口ずさみつつ流れのほとりの 植木のように試練の時にも 弱ることなくいつも満たされて 生気にあふれありがとう感謝で 賛美を歌い豊かな実りの 繁栄の道十字架の福音 信じた日より復活のイエス様 世の終わりまで 御霊に満たされ 輝きながら救いの福音 伝える恵み アーメン
2015/06/21
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詩篇18:30 主、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。リビングバイブル訳。なんとすばらしい神様でしょう。神様はあらゆる点で全く完全です!そのお約束がすべて真実、であることは、明らかです。その背後に隠れる者には、盾となってくださいます。もう解釈も説明もなくて、アーメン。ありがとうございます。そのお約束は、純粋で真実、誠の約束。そのまま今日も実現しました。秘訣は文法的には別として、すでにそうなったと完了形で受けて、告白宣言するとき、平安が支配し、心配や思い煩いがなくなり、頑張らなくてもがんばれる生き方になり、ストレスもなく思いきり生きる、恵まれた何をしても栄え、繁栄し成功=成幸する日々です。父の日、息子と孫たち、父3名にありがとうで、にぎやかな夕食。ありがとうございます。今日もまた天国のー日。感謝します。
2015/06/21
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聖書の一言;マタイの福音書5:37 だから、あなたがたは、『はい。』は『はい。』、『いいえ。』は『いいえ。』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。子どもの時から、ものを言わず無口でした。ただ、ハイはハイ。イイエはイイエということはできました。16歳のとき、イエス・キリストが十字架の上に死に、3日目の朝に復活し、アーメンと信じれば救われると聞き、そう信じた日に、種子島の海で洗礼を受けました。クリスチャンになり、この言葉に接し感激しました。アーメンは聖書のことばにハイと答えることです。イエス・キリストの救いにハイと返事して、新しい人生が始まりました。然しこの世界では誓が必要な場合が多くあります。それは人間の中に悪があるからです。もし、悪が無ければ誓はいりません。早く誓がいらない、悪や偽りのない世界になるよう祈るのみです。なぜ嘘が多いのか。それは真の愛の神を知らないからです。あなたがたは、あなたがたの父である悪魔から出た者であって、あなたがたの父の欲望を成し遂げたいと願っているのです。悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。彼のうちには真理がないからです。彼が偽りを言うときは、自分にふさわしい話し方をしているのです。なぜなら彼は偽り者であり、また偽りの父であるからです。(ヨハネ8:44)国会論戦や政治家の話には、欲望を成し遂げたいために、人殺しをしたいために法案を通そうとすることが見え見えです。憲法はあっても、自分たちに都合のよい話し方をし、法律を変えてでも、憲法違反をしてしまいます。今こそ、わたしたちはハイはハイ、イイエはイイエとハッキリ言える国民になりましょう。主権在民ですから、選んだ責任は私たちにあります。ともかく、日本国憲法にハイと言える政治家を選ぶだけです。神の国は飲食ではなく、義と平和と聖霊による喜びです。1. 日本国憲法第九条;日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2. 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/21
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主イエスのご愛は 絶えることなく我に来たれとの 御声は響く血潮に洗われ 罪赦されて すべてに感謝し ハレルヤアーメン御霊に満たされ 福音伝え輝く笑顔に 心開かれ アーメンと信じ 平安みちる喜びあふれる 天国の日々 主イエスの恵みは 朝ごと日ごと みことばとともに ハレルヤ幸い流れのほとりの 植木のように豊かな実りで み神に栄光アーメン
2015/06/20
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詩篇17:15 しかし、私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、目覚めるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。創立者レオナード・クート夫人エステルは、体質で戦後日本には来たことがなく、アメリカの墓碑に、詩篇のことばが刻まれています。召されたとき枕元に開かれていた聖書のことばでした。召された知らせがアメリカから届いた時、創立者は天を仰ぎ輝いて見えました。 死はさようならでなく、おやすみなさいです。御顔を仰ぎ見、目覚めるとき、あなたの御姿に満ち足りる幸い。神の子とされ天で目覚める祝福を、イエス・キリストをアーメンと信じる時、保証されます。その平安と幸せ満ちて、ありがとうございます。今日もまた天国の一日感謝します。
2015/06/20
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聖書の一言;マタイの福音書5:17-9 わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。律法と福音。律法とは何か。第一に十戒。第二に聖書の最初の5巻=創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記。第三に律法と預言者=旧約聖書39巻。第四に口伝=律法学者律法規定。イエス様は、律法全体の原則、真髄を示されました。十戒の原則は、尊敬であり畏敬です。その神髄は愛です。尊敬することは、無数の細かな法則や規定で縛り、禁止することではなく尊敬し愛すれば良いだけです。イエス・キリストは、「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか。」と質問され、「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 これがたいせつな第一の戒めです。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです。律法の神髄を教えました。律法の要求を成就しようとすると、人間の能力には限界があり、、愛にはさらに高い動機と行動が必要です。イエス・キリストは、罪は犯さず、その口に何の偽りなく、律法を守り完成し、十字架にいのちを捧げる愛で、律法の要求を成就しました。3日目の朝に復活し、信じるだけで救われる恵みの救いを実現しました。その救いを体験すると、神を愛し自由に生きる贅沢な恵みの人生になります。十字架にいのちを捨ててまで愛され、聖霊により注がれている愛を日々経験する時、その愛に答えたいとのひたむきな願いを持ちます。この神への愛が、高尚で崇高な使命になり、責任ある人生を神と隣人に対して果たすことができるのです。イエス・キリストは、いついかなる時も共にいて、助け守り力を与えてくださいます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/20
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詩篇17:8 私を、ひとみのように見守り、御翼の陰にに私をかくまってください。 目に入れても痛くないほど。と言いますが、中学生と小学生姉弟がバプテスマを受け、クリスチャンの両親の嬉しさを、ともに喜び祝福の時でした。 今日が神様の子となった誕生日だよね。ニッコリほほえむ笑顔は天使のよう、いや神様の子どもです。これから天国へ行くそのときまで、ひとみのように見守られ、御翼の陰にかくまわれ、日々に新しい力を受けながら、鷲のように高く舞い上がる高貴な人生を祈ります。 16歳の時、種子島でアーメンと信じ、その日に海岸でバプテスマを受けて、クリスチャンになりました。 山を越え谷間も通りました。先月17日には、余命一年を、四年延命され守られ、平安と幸せに生きた妻も天に召され、一人暮らしになりました。どんなときも、愛の御翼の陰にかくまわれ、瞳のように守られ、愛される恵みの豊かさです。... もっと見る
2015/06/19
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聖書の一言;マタイの福音書5:14-16 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。イエス様は、わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。と自己紹介しました。そして、イエス・キリストを信じる人も、世の光ですと語られました。光は人に見られます。光は人を導きます。光は警告します。種子島の暗闇で生活しました。中学生の時は往復18キロを歩いて通学しました。冬の夜は帰りが遅くなると、真っ暗闇の中でした。5キロくらい坂道を上ると、遠くの方に明かりが見え、ぽっとしたものです。家に帰るとまだランプの生活でしたが、ほの暗いランプの光に、安心しました。朝早く目覚めると太陽の光が輝き、朝日に送られて通学でした。光は輝かすためにあります。光というギリシャ語はカロスで、良い行いも意味し、魅力的で美しいという意味もあります。世の光として輝く存在を見て、神の御名が賛美されることは、素晴らしいことです。ピリピ人への手紙2:14-16 すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行ないなさい。それはあなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代の中にあって傷のない神の子どもとなり、いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/19
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聖書の一言;詩篇17:6-7神よ。私はあなたを呼び求めました。あなたは私に答えてくださるからです。耳を傾けて私の申し上げることを聞いてください。あなたの奇しい恵みをお示しください。聖書の素晴らしさは、書かれていることばおりに、アーメンと信じ、そのまま受け止める時、そのことば通りに体験できることです。2012年7月、運転中に右脳内出血で電柱に激しく激突。自動車は修理も出来ない大事故、幸いいのち守られ一ヶ月後元気で退院。その体験を書き、現場を写真でもと思い、1万6千歩も歩きました。直後に小脳内梗塞で倒れ救急入院。幸い手術もなく癒やされました。ところが言語に乱れがあり、それでも礼拝説教、聖書講義、ラジオ放送、テレフォンメッセージ、聖会や召天式などを継続していました。毎朝、声を戻してちゃんと話せるように、恵みの癒しをお与えください。イエス・キリストのお名前でお祈りします、アーメン。ありがとうございます。声が戻りました。感謝します。アーメンと祈ると同時に、ありがとうございます。告白し続けました。昨年6月の朝、目覚めると同時に、声が癒され直った!深い感動が腹の底から沸き上がりました。思わず大声で、恵みの朝に声は戻った。ハレルヤ、アーメン、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。と叫びました。それから歯の治療になり、流動食中心の食事、昨年の水俣市や阿久根市の礼拝では、流動補給持参でした。今年も6月28日に、水俣福音キリスト教会礼拝。午後は阿久根弟子教会礼拝です。癒された声でメッセージを語れるよう祈りつつです。イエス・キリストの癒しと豊かな愛。多くの祈りと支援に支えられています。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2015/06/18
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聖書の一言;マタイの福音書5:13 あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。太陽と塩ほど役に立つものはない。いつも変わらず大切な働きをしている人を、地の塩のような人と評価します。塩には3つの特徴がある。一つは光り輝く白さから純潔です。塩は太陽と海からでき、古代からすべての物の中で一番清らかなものと考えられてきた。道徳水準の低い時代、地の塩とは純潔が必要です、塩は防腐剤です。現代の悪を防ぐ働きが必要です。もう一つは、塩の最大の特質で、ものに味をつけることです。塩気のない食物は美味しくなく、食べづらいものです。食卓にヒマラヤで取れた岩塩があり、ちょっと振りかけるだけで、さらに美味しくなります。キリスト教は、人生に味と香りを与えます。イエス・キリストの救いをアーメンと信じる時、平安が与えられ、純潔に輝く幸せな日々が始まります。昨日、机の整理をしていたら、ほほえみと書いた紙が見つかりました。紹介します。ほほえみ、それは少しも元手はかかりません。しかし、多くのものを人に与えてくれます。ほほえみ、それは人に与えてもいっこうに減りはしません。しかし、もらった人を限りなく豊かにします。しかし、このほほえみは、お金で買うことも、人から借りることも、盗むこともできません。ほほえみ、それを生み出すのに、少しも時間はいりません。しかし、それを受けた人の記憶の中には、永遠に残ることさえあります。ほほえみ、それがなくても生きて行けるほど、強い人はこの世にいません。それがなくてもいいほど豊かな人もいません。ほほえみ、それは家庭の中を幸せにします。職場を明るくします。微笑みは友情のしるしです。ほほえみ、それは人生のあらゆる問題に対して、神が与えてくれる妙薬です。ほほえみ、それはあなたの心の奥底から湧き出て、惜しげなく与えた時だけ、値打ちが出て来るものなのです。ある人は、ほほえむことができないほど疲れているかもしれません。だからその人に、あなたのほほえみを上げてください。あなたのほほえみを、最も必要としているのは、その人かも知れないのですから・・・・・・。あなたがたは地の塩です。純潔に輝き、清さを保ち、味付けをするほほえみの人生です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/18
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詩篇17:3ー5あなたは私の心を調べ、夜、私を問いただされましたが、何も見つけ出されません。私は、口のあやまちをしまいと心がけました。人としての行いについては、あなたの口びるのことばによりました。私は無法な者の道を避けました。私の歩みは、あなたの道を堅く守り、私の足はよろけませんでした。 心の思い=思考と、口にすることば=告白、そして行いが一致する人生は幸いです。イエス様は、あなたの信じる通り、あなたの言った通りになると話しました。叶うという字は、口に+と書きます。前向きに積極的な告白がすばらしい結果をもたらします。反対に時にはプラスでも、マイナスで否定的な言葉ばかりだと・・・。叶うが=吐くになり、どろどろと吐き出す人生になります。夢ででもマイナスでない楽しい夢を、また有言実行で品行方正の人生を。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2015/06/17
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聖書の一言;5:10-12 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。あなたがたより前に来た預言者たちも、そのように迫害されました。イエス・キリストの救いは、偉大な人生を生きる力と勇気を与えます。イエス様をアーメンと信じると救われます。何も問題のない人生ではなく、迫害されたり、ののしられたり、悪口雑言を言われることもあります。憲法で信教の自由が認められています。しかし、習俗上の様々なことがあり、仕事場や隣近所の付き合いで苦労することもあります。正しく生きることで迫害されると幸いです。ペテロの手紙に、人がもし、不当な苦しみを受けながらも、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、それは喜ばれることです。罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。とあります。そのイエス・キリストを信じ従うクリスチャンも、勇ましく高尚な生き方できるから幸せです。人生何があろうと平安で幸せです。喜び踊るほどの感激の人生です。今すぐ報われないからとつぶやいたり、不平不満や文句や悪口を口にせず、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。雨に濡れた紫陽花が綺麗に輝く季節です。試練や困難、涙や苦労、反対や迫害があればあるほど、聖霊の雨に注がれ、笑顔は輝き、赦しと愛の恵みは香ります。ヤコブの手紙1:2-4 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。1:12 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。
2015/06/17
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詩篇16:あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。 聖書を読む楽しみは、そのことばどりに受け止め、アーメン。ありがとうございます。感謝します。そのことばが実現し、自分の人生が変わったと告白するだけです。あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいました。あなたの喜びが満ち、楽しい人生でした。もうそうなっている、所有している、持っている確信でいきるとき、喜びも幾数倍に増すこと受け合いです。イエス・キリストをアーメンと信じ、救われ平安になりました。 健康で幸せ、豊かにされました。永遠のいのちを与えられ天国でした。アーメン。 家内が天国へ召され一年一ヶ月一人暮らし。脳内出血や小脳内梗塞から来ていた言語の乱れも、完全にきれいに癒され直りました。ホスピス理事長が、しっかり栄養補給するようにと、流動食6種類も贈ってくれたり、野菜不足にならないようビタミンまで。教会員が水質を変える機械を設置してくれたり、祈りと愛の親切に守られ、平安で幸せに、楽しく元気です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2015/06/16
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聖書の一言;マタイの福音書5:9 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。平和=シャローム=争いが完全になく、最高の幸せが大丈夫、相手に悪いことが起こらないばかりか、すべての良いことだけが起こるように願う事です。聖書の言う平和とは、すべての心配事がなくなり、すべてに幸せを楽しむことです。地上に生きる平安、死の床でも平安、永遠に天国で平安=平和。そのような平和をつくり出す人は幸いです。平和を叫ぶ人、平和のためと言って争う人、平和を愛すると言って何もしない人。平和をつくり出す人は、問題を回避せず、それと取組み、相手を受け入れ赦し、平和への道が苦難であっても、あえて平和をつくり出す人になりことです。平和をつくり出す人は幸いです。平和をつくり出す国は幸いです。その人は神の子ども=神の息子と呼ばれるからです。憲法9条を守る日本に!1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。ローマ人への手紙15:13 どうか、望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。
2015/06/16
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天使の歌声 さやかに聞こえ目覚めて歌うは 天国の歌 十字架の血により 罪きよめられ朝ごと新たに いのちを受けて天国思えば 心も踊り心配恐れは すべて消え去り主とともに歩く 新たな希望ハレルヤ賛美し いのちを受けて幸いあふれて 輝き満ちる感謝と喜び 祈りは聞かれ備えは豊かに アドナイ・イルエ!アーメン告白 いのちを受けて アーメン
2015/06/15
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詩篇16:5主は、私へのゆずりの地所、また私への盃です。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださいます。 生駒聖書学院の敷地周辺は、阪奈道路や村の家々に囲まれ、測量され登記所に登記も完了。地境のことで問題はありません。人生では自分が何を持っているかを明確に知っていると、平安で安心して生きることができます。主が私へのゆずりの地所。主とは天地万物の創造者で保持者、イエス・キリストは、天地万物の上に権威を持つ主です。その十字架と復活の福音を、アーメンと信じ神の子とされ、永遠のいのちを受け、天国は保証されます。何と大きなゆずりの地所。その神の子という立場をゆるがされることはありません。あなたは、私の受ける分を、堅く保っていてくださるのです。と確信し、神の子として祈り備えられつつ、義の道を健やかに、豊かに祝福のなかを、恵みに輝きながらの日々です。今日は、丹後半島与謝野町に、マハナイムキリスト教会開所式。天橋立も近く、天国への階段となるようなキリスト教会誕生。生駒市から2時間少しで到着。帰りも午後3時出発、5時35分帰着。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2015/06/15
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詩篇16:1ー2 主よ。私をお守りください。私はあなたに身を避けます。あなたこそ、私の主。 私の幸いは、あなたのほかにはありません。聖書の素晴らしさは、書かれている通りに体験できることです。三つ子の魂百まで、といいますが、人間の行動の性格は、幼い頃ににつくられ、その後、容易に変わるものではない。幼い頃に聞かされたり、おぼえたことは、潜在意識にしっかり刻み込まれ、人格形成の土台となっているのです。アーメンと言えば救われます、を信条に牧師の生活を継続しています。無神論で何も信じない高校生でした。イエス・キリストが十字架で死なれ、墓に葬られ、3か目の朝に復活され、今も生きている主で救い主。そのことをアーメン=ほんとうです=誠に聖書のことばどりですと、心で信じアーメンと言い救われました。そのことをアーメンと受けとめた日から57年。三つ子の魂百まで、今も。変わらず、私の幸いは、イエス・キリストのだけです。 一人暮らしも,家内が天国へ行って17日で、一年いヶ月。心も生活も幸せ。平安で感謝。脳梗塞の言語乱調は直り、 歯の治療で話し難さもどんどん良くなり。食事も普通にでき、流動食にもサヨウナラ。主の守りと助けが豊かにあり、毎日元気です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2015/06/14
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聖書の一言;マタイの福音書5:7 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。あわれみ深いということばは、単なる同情や、気の毒に思うことだけではない。その人の心と同じ思いで、その人の立場でものを見、その人の身になって考え、その人が感じるように感じることです。単なる同情ではなく、相手が経験していることを、自分も同じように、相手の立場に立って考えたり、同じように感じたり経験することです。そのような憐れみを、イエス・キリストは実現されました。神が真実に人間になられ、人間目で見、人間の情で感じ、人間として生活された。へブル人への手紙2:18 主イエス・キリストは、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。4:15-16 私たちの大祭司イエス・キリストは、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。あわれみこそ、イエス・キリストの恵みです。聖書は、赦されためには赦しなさい。マタイの福音書6:14 -15もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません。お互いの個人的な生活、夫婦や親子の家庭での暮らし、隣人との付き合い、何よりも国が国民に対する考えでも、もう少し思いやりがあれば、日本はすばらしい美しい国になる。政治家が国のためというとき、国民のことを真剣に考えていない時代になる前兆です。聖書の真実の神は、人間となられ人間の世界に来られた。愛の神は遠く離れ、生活とは関係のない毛に者ではない。憐れみを示し、十字架に自らのいのちをすら捨てて、大きな憐れみで赦しを与え、平安と幸せを、神の子として永遠のいのちを与えてくださいます。ありがとうございます。今日もまた憐れみ豊かな幸いな天国の一日です。感謝します。
2015/06/14
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十字架の癒しは 変わることなく助けと救いの 愛の手あれば罪とが消されて 神の子とされとわ(永遠)のいのち受け 今日も天国主イエスに愛され 新たなちから福音伝える よろこび溢れアーメン信じる 出会いは続くとわのいのち受け 今日も天国主イエスの恵みを 日ごとに受けて悩みも痛さも 十字架の上に背負われ消されて すべてが益に とわのいのち受け 今日も天国アーメン
2015/06/13
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聖書の一言;5:6 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。アフリカ宣教で、ケニアのトウルカナへ食糧支援を続けた。食べる物がなく、タイヤのゴムでも何でも口にするような飢餓。水を求めて何日もさ迷う状態。種子島の貧しさの中で白米のご飯を食べることもなく、肉や魚を口にすることもなかった。中学生の頃は片道9キロを歩いて通い、弁当はサツマイモだけだった。それでも山は青く、水は清い島だったので、飢えることなく、元気に守られている。現代も食に事欠き、のどの渇きに苦しむこともあるが、この至福の教えは、チャレンジしてくる。餓死する人が食物を求めるように、渇いて死にかけている人が水を求めるように、義に飢え渇いているか。飢え渇いている人が食物を求めるように、渇きで死のうとする人が水を求めるように、義を求める人は幸いです。その人は満ち足りるからです。そのような義をどこで得ることができるのか。人の行いの義では、到達できません。イエス・キリストが来られたのは、人間の不義=罪やとがを、全て引き受けてくださるためでした。十字架上の渇くとのことばは、全人類の義に飢え渇く幸いを表現しています。十字架上にすべての不義を引き受け、贖いを完成してくださいました。その事を信じるだけで義とされ、ほんとうの幸いを経験できる恵みの救いです。義という字は、羊の下に我と書きます。羊は聖書では、世の罪を取り除くキリストの表徴です。羊の下に行かなければ、我だけです。自分だけが義だ、ただしいんだという人は、我=自我だけです。だから我=があがあとうるさいだけです。十字架の救いをアーメンと信じて、我=自我だけの人生ではなく、救われた幸いを、満ち足りる人生を味わいましょう。ありがとうございます。今日もまた天国の完全な義の一日です。感謝します。
2015/06/13
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詩篇10:17ー18主よ。あなたは貧しい者の願いを、聞いてくださいました。あなたは彼らの心を強くしてくださいました。 耳を傾けて、みなしごと、しいたげられた者を、かばってくださいます。地から生まれた人間がもはや、脅かすことができないように。すばらしい祈りと願いです。アーメンと本音で祈る幸い。誠実にまごころ込めて祈り、アーメン。ありがとうございます。祈りは聞かれました。感謝します。誠=言+成。祈ったことばのように成りました。それ以上に、神のことば=聖書の約束が成りました。祈りは聞かれました。ありがとうございます。感謝します。 2012年7月から、右脳内出血やl小脳内出血で、言語乱調になり、昨年はインプラント治療で15本も歯を新しくし。流動食生活もあり不自由に。いやされ音声がしっかり出るように祈り、アーメン。ありがとうございます。きれいに発声ができました。直りました。感謝します。毎朝告白し、脳梗塞言語乱調はスッキリ直り、歯の治療も完了し、礼拝説教、学院講義、対外でのご奉仕もしっかり話せるようになりました。ありがといございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2015/06/12
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聖書の一言;マタイの福音書5:5 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。柔和=すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。最初に聞いたイエス・キリストの言葉です。また、御霊の実に柔和があります。柔和で心のへりくだったお方が、イエス・キリストです。心がへりくだる=謙遜です。謙遜でないと何も学ぶことはできない。それは、生駒聖書学院でもそうです。学問の第一歩は、自分が知らないという事を知ることです。幼児が分かった、わかったと言うけれど、なにも分からずただ聞きたくないから、わかったもうわかっているのにと、口をとんがらせるように、大人になっても、信じられるか、自分がすべてであるような、わからず屋にならないように。柔和でへりくだって、十字架にいのちを捨てるまで、謙遜になられたイエスキリストに学ぶとき、その柔和なアーメンが救いをもたらし、平安で幸せな永遠のいのちをもたらします。自分の無知と弱さ重荷を知り、それを謙遜に認める人は幸いです。その柔和な幸いな人が、地を相続するのです。偉大なモーセは、その人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていました。自制力の強い人、激情や本能、衝動を抑えることができる柔和さです。柔和とは優柔不断で、骨なしに人という意味ではなく、正義のために勇気をもってふるまえ、怒りを遅くする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は、城を攻め取る者にまさるのです。ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。柔和に生きる恵みに感謝します。
2015/06/12
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創世記3:7 このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。ここが着物の始まりです。 装うことにより、自らの本質を見せかけで変えようとする。 着物の歴史だけでなく、哲学、宗教、道徳、教養、政治や経済等で見せかけの幸せで飾り立てる始まりの箇所です。イザヤ書 61:10-11 わたしは主によって大いに楽しみ、わたしのたましいも、わたしの神によって喜ぶ。主がわたしに、救いの衣を着せ、正義の外套をまとわせ、花婿のように栄冠をかぶらせ、花嫁のように宝玉で飾ってくださるからだ。地が芽を出し、園が蒔かれた種を芽生えさせるように、神である主が義と賛美とを、すべての国の前に芽生えさせるからだ。このイザヤの預言は、イエス・キリストの十字架により実現し、アーメンと信じるだけで神の義の衣をまとう救いが与えられます。花嫁が純白のドレスに身にまとうように、十字架の血汐に罪とが消されて、雪よりも白い心で生きる幸せを体験できます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2015/06/11
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聖書の一言;マタイの福音書5:4 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。ギリシャ語で、悲しさを表現する一番強い言葉です。死んだ人を慕い狂うばかりの悲しみです。いつまでも心に痛みを感じ、抑えても、抑えても涙する、果ては涙も出てこないほどの悲しみです。その人は幸いです。家内を1年前に天に送りました。悔しさもあり悲しみもあります。けれども幸いですと、イエス様は語ります。ありがとうございます、慰められました。幸いになりまいた。感謝します。強がりでなく、意地っ張りでもなく、聖書の約束通り幸せです。日照りばかりでは砂漠になると言われます。日照りばかりの砂漠に果実は実らず、雨がないと作物は育たない。悲しみがあるから、神の慰めと、恵みの御霊の愛、ともにおられるイエス・キリストの現実も強く体験できる。同時に、何にもまして尊い祈りと助けと人の情けもしみじみと感じる。また、悲しみ、苦しみや痛みにある人々とともに悲しみ、悩みを共有できるようにもなる。昨年は、多くの教会員が7名も愛する母や夫、奥様を召された。それ以上に多くの方が、愛する者を召された悲しみにある。それはこれからも地上に命ある限り続く現実。しかし、そのような悲しみが幸いであり、慰めが豊かなので、悲しみの涙を振り払って、生きることができます。同時に、自分の罪と自分の価値=貧しさを、絶望するほどに悲しむ者は幸いです。キリスト教信仰は、罪の意識が特徴です。自分の罪を深く悲しむ者、神に対してなした罪の業を思って嘆き悲しむのです。その中から十字架を仰ぎ見る時、これこそ罪の仕業だ。罪が世界中で一番尊い命を奪ってしまった。そして、イエス・キリストが自分お罪を背負って死なれたのだ。アーメン信じます。その十字架と復活を受け入れるとき、豊かな天の慰めに守られる。どんな悲しみも、雨に濡れて紫陽花が輝くように、輝き生きることができる。そして悲しみ嘆く世界に慰めを与える人生を生きようとの決意も与える。ありがとうございます。今日もまた悲しむ者は幸いな天国の一日です。慰めを感謝します。
2015/06/11
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詩篇9:18 貧しい者は決して忘れられない。悩む者の望みは、いつまでもなくならない。心の貧しい者は幸いです。ルカの福音書では、貧しい人たちは幸いです。イエス・キリストの言葉です。 経済の向上を政府は叫び、お金の豊かさだけを叫びます。貧しい者は忘れられ、消費税を平気で上げ、年金を切り下げり、年齢を引き上げて、国のためと叫びます。誰が国の借金を増やしたのか、その国のために辛抱せよと言い続けます。為政者が国のためにと声高に言い始める時、国民のことは考えていなくなってき始める時です。太平洋敗戦からもうすぐ70年、いつか来た道をもう一度歩もうとしている時代になりました。積極平和主義と言う言葉が、大手を振って歩み始めています。平和のためにという大義名分を掲げて、戦おう、人殺しを積極的にやろう、戦争だ武器を作り、作った武器を使おう、人形だけの模写ではなく、生身の人間に爆弾を使おう、人殺しを大いにやろうとさえ言っているように聞こえます。憲法を守らない政治家に国を蹂躙されては行けません。政権党のみなさん、本気に平和憲法を考えてください、戦争は罪悪です。世界中が日本が平和憲法を守る国になることを期待しています。 貧しい者、悩む者の悩みは忘れられ、国のためだ辛抱しろと、国民のための憲法をさえ捻じ曲げて、だれも何も言えないような風潮になったように思う昨今です。噴火口の上で、浮かれてダンスをしている、今度どこかで戦争が起こると、第三次世界大戦、地球最後の時に向かうことは必然です。日本がその旗振りにならないよう祈り、まずは原発を廃止し、豊かな心、愛の絆でお互いを愛し、世界の国々をその豊かな愛で、平和の絆でつなごう。そのように祈る日々です。ありがとうございます。今日もまた真の平和あふれる天国の一日です。すばらしい平和憲法の国日本です。感謝します。アーメン。.
2015/06/10
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詩篇9:1ー2 私は心を尽くして主に感謝します。あなたの奇しいみわざを余すことなく語り告げます。私はあなたを喜び誇ります。いと高き方よ。あなたの御名をほめ歌います。聖霊に満たされた証拠の一つは、すべてのことに感謝する幸いと語りました。酒に酔う=満たされると、笑い上戸、泣き上戸、怒り上戸、果ては頭も身体もフラフラ、二日酔い、そして依存症。酒に酔うと、その人の人格の欠点や悪い影響が出てきます。酒の経験がないので、伝聞で書いています。 聖霊のバプテスマを受け、満たされると、品性は輝き、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制などの結果が出てきます。語ったことも聞いたこともない異言も語ります。能力に満たされ、イエス・キリストを地の果てにまで伝えます。 聖霊はイエスを主として受け入れるよう臨むので、アーメン信じますと、救いを受け入れる恵みの御霊です。夕方ケーブルテレビの社員が、新しい機材を取り付けてくれ、テレビがきれいに映ります。専門家ですから、取り扱いも良く分かるように説明してくれました。聖霊が臨むとき、福音を信じるように導いてくれます。仕事が終わり握手し、幸せを祈るとアーメン。そのままイエス様を信じ受け入れる祈りもなさりアーメン。40歳男性、アーメンと祈ったのは初めてですと、喜んで帰りました。 聖霊により今も生きて働くイエス・キリストの救いは、アーメン信じますで現実になります。良い出会いの書斎です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。
2015/06/09
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聖書の一言;マタイの福音書4:23-24 イエスはガリラヤ全土を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、民の中のあらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。イエスのうわさはシリヤ全体に広まった。それで、人々は、さまざまの病気と痛みに苦しむ病人、悪霊につかれた人、てんかん持ちや、中風の者などをみな、みもとに連れて来た。イエスは彼らをお直しになった。イエス様は、ベツレヘムの馬小屋に生まれ、ヘロデ王の虐殺をエジプトに逃れ、ナザレで30歳まで大工として過ごしました。30歳の時、バプテスマのヨハネのバプテスマを受け、聖霊に満たされて、ユダヤの荒野で40日の断食をし、ガリラヤの海辺でペテロたちを弟子とし召されました。イエス様の3つの主な働きを要約しているのが、今朝の箇所です。御国の福音を述べ伝えました。福音=良い知らせ=good newsです。会堂で教えた。教えることと、宣べ伝えることとの違いは?。宣べ伝えるとは、妥協しないで、確実な救いを宣言することです。教えるとは、その意味と内容を説明することです。3番目は、あらゆる病と、あらゆるわずらいを直された。真理と救いをただ言葉でしめすのではなく、現実の苦痛を一掃されました。それは今もなお変わりません。主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。救いは無償の恵み、十字架と復活をアーメンと信じるだけで数われます。わたしは道です。真理です、いのちです。聖書はイエス・キリストのついての教えです。そして、聖書にある通り、身体の病も、心の病も、生活の苦しみからも救われ、思い煩いや心配なく、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝する、理想の生活が天国に行くまで実現します。救いは現実生活を変え、天国に行くまで平安で幸せに、力強く生きる力となります。考えも言葉も行いも天国に変わります。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。笑顔が輝き、すべてのことに感謝します。
2015/06/09
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詩篇6:9 主は私の切なる願いを聞かれた。主は私の祈りを受け入れられる。 詩篇は祈りであり、魂の叫びです。羊飼いの少年ダビデが、大自然の中で羊と戯れ、羊飼いと羊の関係のように、愛の神と信じる者との関係を見たように、呼べば応えてくださる全能の神。 切なる願い=嘆き=泣き声を聞く神。母親は、赤ちゃん声を聞くだけで、お腹が空いているのか、おむつが濡れているのか、体の具合が悪いのか、抱いてほしいのか、全部わかるそうです。まして激しくなく声に気づかないはずがありません。イエス・キリストを信じる時、神の子です。子どもの声を聞かない親がいないように、全能なる愛の神は、祈りを受け入れ聞いてくださいます。アーメン。ありがとうございます。祈りは聞かれ与えられました。感謝します。み言葉の約束通りです。今日も天国の一日。ハレルヤ。
2015/06/08
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聖書の一言;マタイの福音書4:18-20 イエスがガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、ふたりの兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレをご覧になった。彼らは湖で網を打っていた。漁師だったからである。イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」 彼らはすぐに網を捨てて従った。新野での40日の断食を終え、ガリラヤ湖のほとりの町カペナウムで、悔い改めなさい。天の御国が近づいたからと、宣教を開始されました。ガリラヤ湖のほとりで漁師ペテロに出会い、最初の弟子にしました。ルカ福音書にそのことが詳しく記録されています。5:1-11 群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟にのり、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と言った。それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。魚を取る漁師が、人々を救い平安と幸せをもたらすようになりました。現代も同じように、イエス・キリストの召しを聞いて、救いを伝え平安と幸せをもたらしています。広い意味では、イエス・キリストの十字架と復活を信じて救われたクリスチャンすべてが、福音を伝える働きをしています。生駒聖書学院は、その中から召されて牧師として働く器を養成する所です。すばらしい十字架と復活の救いを、アーメンと信じるだけで恵みにより救われます。昨日の礼拝に広島から来た二人の美しい女性も、信じます。アーメンと祈って礼拝に出席しました。またお会いする日が楽しみです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/08
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昨年6月8日(日)の朝、小脳内梗塞での声が、元通りになった強い確信の目覚め。2012年10月に、脳梗塞で声が乱れ、退院後から、主よ声をハッキリ発声できるよう癒してください。イエス・キリストのお名前によっていのります。アーメン。ありがとうございます。言語の乱れは直りました。感謝しますと、いつも告白していました。8日の朝も祈って、ありがとうございました。直りました。感謝しますと言ったとき、きれいに発声しており、腹の底から直ったと感じました。午前の礼拝も、午後の礼拝でも、説教を聞いた教会員は、言語の乱調が直ったことに気づき、感謝してくれましました。ちょうど歯の治療に入っており、言語のはっきりしないところありましたが、脳梗塞の言語の不調は消えてしまいました。前歯を臨時的応急処置で入れ歯にし、抜いた歯肉が固まらず、話すのと食べるのに窮し、6月27日に前上歯8本をインプラント治療で手術。また、歯科医が前下歯も7本きれいに植歯にしてくれたので、上下15本もきれいになりました。だが話しにくいいこと、カラオケ教室の先生や、音声指導の先生に発声訓練をしてもらいながらです。娘に、話しにくいいと言うからだと注意され、説教や講義、ラジオ放送やテレフォンメッセージにも励んでおります。歩きにくさも直してください。アーメン。ありがとうございます。直りました。感謝します。朝に夕に、気づくたびに信仰の宣言です。ヨハネの第一の手紙5:15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。ありがとうございます。今日もまた癒された天国の一日です。感謝します。
2015/06/07
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聖書の一言;マタイの福音書4:4 イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」4イエス様は、ヨルダン川で洗礼を受けた後、、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行きました。そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられました。すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」石がパンになるなら、食糧問題は一挙に解決です。20数年間アフリカのケニアに、特に最大の飢餓地帯トウルカナに11年間も食糧を運びました。石をかじるほどにひどい飢えです。今、日本でも輸入がすべてストップされたら1千万人が餓死すると言われています。食欲が満たされないと、生きる気力も失せてしましまいます。しかし、イエス様は答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」有名なことばですね。世界保健機関WHOでは「健康」を「完全な身体的、精神的及び社会的 福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」と定義しています。現代日本は食料不足で餓死することはない。けれどもどんなに豊かになっても、食べる物だけの人生は空しく寂しいものです。人はパンだけで生きるものではない。=物質的満足だけで生きれないことは、歴史も現代も証明しています。しかし、どこで本当の満足が得られるのか、捜し求めています。神の口から出る一つ一つのことばによるのです。神の口から出る一つ一つのことば=聖書のことばです。WHOでは身体的、精神的に霊的を考えております。人間の本質的な霊的部分が満たされてこそ、人は生きるのです。聖書は神の霊感による神のことばです。聖書は霊的食糧の宝庫です。パン、肉、蜜にも例えられています。食卓には聖書のことばがあり、一人暮らしの生活ですが、聖書のことばを読みながら、日ごとの糧を与えてくださいの祈りの日々です。身体的健康も守られ、神の口から出る一つ一つのことばで生かされています。7月7日(日)最初の日曜日です。星に願いをするよりも、天地万物の創造者、太陽も月も星の大宇宙の支配者である唯一の神を、イエス・キリストをアーメンと信じ、神の子とされ祈る幸いを今朝から体験し、祈ったら聞かれます。脳梗塞でしたが、ありがとうございます。癒されました。感謝します。そう告白し、病はあっても気まで病まないで、元気に日曜礼拝メッセージ。午前10時生駒聖書学院教会、午後2時お大阪市新世界エリムキリスト教会芽セージです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/07
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詩篇5:8 あなたの義によって私を導いてください。私の前に、あなたの道をまっすぐにしてください。クリスチャンになるまでは、之=これ(己れ)の義によって榮えると、思っていました。イエス・キリストをアーメンと信じ、その日に、種子島の海岸でバプテスマを受け、クリスチャンに。聖書を読み、己れの=自我=義が罪であると理解でき、自己義では聖なる神の前に立てない。その罪=原罪のためにイエス・キリストが、世の罪を取り除く神の小羊として、十字架で身代りとして死なれたことも分かりました。 義という字は、羊の下に我があり、羊=世の罪を取り除く神の小羊=は、イエス・キリストの象徴です。十字架の下にアーメンとへりくだり立つ、それだけで救われ義とされる、何という恵みでしょうか。義とされる、イエス様をアーメンと受け入れた日から、之の義=イエス・キリストの義=よって榮える人生に変えられ、救われた平安人生です。自己義ではない、神の義の道を、天国へまっすぐ歩める幸い。ありがとうございます。今日もまた天国の一日を感謝します。ハレルヤと歌いつつ、耀く勝利の道を。アーメン。
2015/06/06
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聖書の一言;マタイの福音書3:15 ところが、イエスは答えて言われた。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」そこで、ヨハネは承知した。バプテスマのヨハネがヨルダン川で、悔い改めのバプテスマを授けている所に、イエス・キリストが来られました。ヨハネは、イエスにそうさせまいとして、自分こそあなたからバプテスマを受けるはずですのにと言います。その時、今はそうさせてもらいたい、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。そこで、ヨハネはヨルダン川でバプテスマを授けました。水から上がると、天が開けて御霊が鳩のようにくだってきました。また天から、これは、わたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。天から告げる声が聞こえました。開拓伝道の頃、25年も信じているが、洗礼を拒否していた小学校教師が来ました。洗礼は儀式だから必要ないとの論議。この箇所を開き、幸い素直に洗礼を受けてくれました。また、40年間も信じているけれどもという主婦も洗礼を受けました。さまざまな論議や弁明もあっても、素直に信じてバプテスマを受ける恵みを体験し、平安で幸いな神の子になります。わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行うなら、あなたがたはわたしの友です。もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。信じてバプテスマを受ける者は救われます。アーメンと信じて、16歳の時、種子島の海でバプテスマを受け、今年で58年。正しいことを実行し、イエス・キリストのことばに従い行い、いつまでも変わらない友として、愛されながらの恵みの朝です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/06
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よく耕した黒い土。ぽろりと落ちた麦の種 恵みと愛との日を受けて、百倍麦が取れました。 種子島の農家で育ったので、種が良い地に蒔かれると、豊かな収穫があると知っています。稲が成長し豊かに米がとれる秘訣は、昼間の照りつける太陽と豊かな水で、ぐんぐん成長。夜は、静かに昼の栄養を受け止めて休みます。なるほど東北の米が美味しいのは、それだから、こしひかりなんだと変な納得。左右脳内出血、小脳内梗塞になるまでは、病知らずで真夏の太陽のような聖書のことばと、豊かな聖霊に潤され輝くような日々。今は、トラクト配りに行こうと思っても自由に動けず、稲にたとえたら夜の休みの時のよう。朝ごとに恵みと愛で、いのちを生かされているのは、試練の夜が明けるまで、静かに祈り待ち望み、コシヒカリの様な味わいある人生を体験する準備なんだと思死い、左右脳と小脳梗塞で、バランス良い牧師になれたと感謝し、笑いながら6000歩ほど、院内散策の雨の日でした。熊本県益城町名産のスイカが届き、初物の美味しいスイカのデザートで。一人暮らし1年3ヶ月過ぎ、家内ががを天に召され、1年3週間、静かな恵みの夕べです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。
2015/06/05
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聖書の一言;マタイの福音書3:2 「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」反省とは、自分のしてきた言動をかえりみて、自分のよくなかった点を認めて、改めようと考えることです。ところがそう思いつつも、また同じことを繰り返してしまいます。しかし、悔い改めは、反省するだけでなく方向転換です。悔い改めをギリシャ語ではメタノイアと言います。それは心の転換を意味します。反省が自分の行いの良くなかった点を認めて、改めようと思いますが、また同じことを繰り返えします。それは自分で何とかしようとするから、太陽に背を向けて影を踏みながら、なぜ影は消えないのかと言うのと同じです。ところが悔い改めは、影に生を向けて太陽に向き直ることです。もう影を踏みながらではなく、光に輝かされながら生きる人生です。だから悔い改めにふさわしい正しい結果が出てくるのです。同じことを繰り返すのは、アーメンと神様への方向転回をしないで、自己義を立てようとして、自分や人の影を踏みながら歩いているからなのです。だから同じことを繰り返し、毎日反省しながらの人生です。しかし、悔い改めるなら、問題や悩み、罪や汚れを見ながら歩く人生にサヨウナラして、イエス・キリストの十字架の前で、向きを変えて光を豊かに受け続ける天国人生になります。神のみこころに添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせますが、世の悲しみは死をもたらします。ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。また、弁明、憤り、恐れ、慕う心、熱意を起こさせ、処罰を断行させたことでしょう。あの問題について、あなたがたは、自分たちがすべての点で潔白であることを証明したのです。コリント人への第二の手紙8:10-11ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/06/05
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