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詩篇42:8 昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにありあります。私のいのち、神への、祈りが。過去も未来も、時間的には今=思い出として振り返った瞬間に現実になります。未来=明日も良くなると思ったり、望んだ瞬間的に今の現実になります。過去も未来も、思考の中で悩んだり、恨んだり憎んだり、恐れたりはかなんだり・・・.。永遠の今を知ると、現実=思考の中の過去も未来も=をプレゼントとして、ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日です。感謝します。と、受け取ることができます。詩篇の作者の経験=あなたの大波のとどろきに、淵が淵を呼び起こし、あなたの波、あなたの大波は、みな私の上を越えて行きました=昨年、曽木の滝へ行きましたが、大雨の時は物凄いと聞きました。人生でも、波ひとつ立たない平温で順調なとき、大波に翻弄されるような逆境の日、それが何であれ今の現実を、真っ正面からプレゼントと受け止め、すべてのことを感謝すると、不思議ななほど平安で、新しい知恵も与えられます。 朝ごとに恵みを受け、昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への祈りとともに。今日の現実も、ビッグプレゼントと受け止め、ありがとうございます。これもまた聖なる天国からの贈り物です。感謝します。ありがとうございます。きょうもまた天国の一日でした。感謝します。
2015/07/31
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聖書の一言;マタイの福音書15:11 口にはいる物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」レビ記には食べてはいけない食物の規定があり、食べる物によって聖となるか、汚れた者となるかに規定されていました。厳しい宗教的既定の中での発言ですから、そう信じて頑なに規定を守り、人々の生活までも規則で縛る人々にとっては耐え難い教えでした。その意味は、口にはいる物はみな、腹にはいり、かわやに捨てられることを知らないのですか。しかし、口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしりは心から出て来るからです。と、イエス・キリストは教えました。口から出るもの=ことばです。ことばは口から出るから、それは人の心の思いです。心の思いが良ければ、良い言葉を語ります。叶うと言う字は、口に+と書きます。口からプラスの聖書のことばを語れば、その通りにかないます。吐くと言う字は、口に+ではなく土です。マイナスのことばを吐き散らせば、どろどろ人生です。今日も天国ことば=前向きで、肯定的で積極的なプラスことばで、祝福の人生を歩みましょう。恵みと愛とは 朝ごと日ごと 主イエスの十字架 罪を贖い 呪いを消し去り 病も癒して心をきよめて ことばも変わる豊かな恵みに つつまれ生きる雪よりも白く 心洗われ聖なる思いと 聖なることば今日も天国 ありがとう感謝主イエスは復活 共におられて聖霊注いで 真理の道を真すぐに歩ませ 実り豊かにハレルヤアーメン 天国の日々アーメンありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/31
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月曜日に、タイ式マッサージと、台湾人佳佳整体指圧を受け、腹筋など体に負担がかかる運動をしないようにとのアドバイスでした。今日も5500歩ですが、立禅は、立派な健康法で、まず、両足を肩幅に開き、少し高い椅子に腰かけるような感じで立つ=ちょっと膝を曲げ、軽く中腰になる。両腕は大きなボールを抱えるように円を作る。両手はソフトボールを持っているように、指の間にビー玉を挟んでいるように。あごもボールを挟む感覚で軽く引く。目は軽く伏せるように半眼にし、ゆっくり長く息を吐き出し、今度は鼻からゆっくり長く吸い込む。まっすぐ立つよりも少々は疲れるが、それなりに筋肉を使っている。立ち続けることで足の筋肉が強くなる。少々不安定な姿勢なので、バランスを取るために、日ごろ余り使っていない筋肉を使います。 手を上げることにより、背筋・方が強くなる。腹式呼吸になるなど効果があるそうです。 立禅は立ったまま動かない健康法で、身体を動かすのが苦手な人や、激しい運動が禁止されている人、体に負担をかけたくないときなどに適切だと思います。ムリせず2,3分静かに動かないで立っているだけ、立つスペースさえあれば簡単にできます。 静かに心をイエス様に向けて、豊かな聖霊の恵みに満たされたいものです。ありがとうございます。今日もまた天国の聖なる一日でした!感謝します。
2015/07/30
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恵みと愛との 光り輝き主イエスの栄光 いまここにあり病も癒され 呪いは消えて聖霊注がれ ありがとう感謝主イエスは復活 世の終わりまで見捨てず離れず 常に共なり試練や困難 打ち勝つ力聖霊注がれ ありがとう感謝信仰希望と 愛に満たされ福音語れば アーメン信じ神の子とされる 天国の日々聖霊注がれ ハレルヤアーメンアーメンありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/30
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聖書の一言;マタイの福音書14:271-33 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」イエスは「来なさい。」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください。」と言った。そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です。」と言った。ガリラヤ時は地中海より250メートル海面下にあり、周辺を山で囲まれており、大嵐になることが多く、その波の上を歩いて近づく姿に、幽霊だと恐れ惑いました。シッカリしなさい。わたしである、恐れることはない。イエス・キリストのことばに、すばやく反応したのはペテロです。ペテロは後さき考えないで感情的人格です。感情に支配され、ますが、その心情は常に正しく、その根底には愛があります。この時も衝動的に、主よ。もしあなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。来なさい。と言われ、船から出て、水の上を歩きました。しかし、厳しい現実に直面しました。風を見て、こわくなり、沈みかけました。叫びだし、主よ。助けてください。そこでイエス様はすぐに手を伸ばし、彼をつかんで、信仰の薄い人だな。なぜ疑うのかと、彼を助けました。アーメン信じますで救われます。イエス・キリストの十字架の救いは、ただ信じるだけで救われます。ところが人生には、ガリラヤ湖の嵐のように、突然襲ってくる試練や困難もあります。そんな時その環境や状況だけを見ると、躓いてしまうことがあります。ペテロのは感情的で衝動的で、良く失敗もしますが、決してイエス・キリストにつまずきませんでした。それは、この嵐のときも波を見て、こわくなり沈みかけましたが、主よ。助けてください。その瞬間、すぐ手を伸ばして、ペテロの手はシッカリつかまれ、彼は溺れることもなく助かりました。そして、二人が舟に乗り移ると、風はやみ、向こう岸に無事に着きました。16歳の時クリスチャンになり、その日から57年、最も多く祈った祈りは、主よ。助けてください。主の名を呼び求める者は救われる。約束のように、助けられ続け、救われ続ける人生を歩んでいます。二人が舟に乗り移ると、風がやみ、目的地に着いたように、生駒聖書学院もエリムキリスト教会も、嵐や突風に襲われる時があっても、いつも平安と感謝の中で守られ続けています。多くのとりなしの祈りもあり、信仰に満たされています。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/30
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26日は台風12号で航路も高速艇も欠航。種子島へ行けず、11月1日の日曜日に再度訪ねることになりました。種子島(たねがしま)は、鹿児島県大隅諸島を構成する島の1つ。種子島は、鹿児島県内有人離島の中で最も東に位置し、人口減で3万減になり、それでも奄美大島に次いで2番目。高校時代(昭和32年)には、人口75,000人くらいで、西之表市になりました。今は過疎の島です。面積は444.99km2で、奄美大島、屋久島に次いで3番目に大きい。日本では、10番目に大きい島。標高は最高点でも282mしかなく、海側から見ると殆ど平らな島。宮之浦岳1936mもある隣の屋久島と比べると対照的です。宮之浦岳の雪を眺めつつ、星原中学へ片道9キロを3年間休まず通学し、高校時代友人に出身地を聞かれ、生姜山と答えるほとんど知りません。島の山の中、鴻峰小学校のある地域で、10年の歴史を刻んだ小学校も廃校です。現在は種子島空港ができ、生家まで歩いて3000歩位です。生家の入り口も分からないくらいの山になっています。今年の11月24日で、アーメンと信じ洗礼を受けクリスチャンになり58年。何としても種子島の教会で体験を語りたい願いもあり、11月に訪ねる幸いが与えられました。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。
2015/07/29
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聖書の一言;マタイの福音書14:22-33 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ。」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われた。奇跡をすなおに信じる人生は幸せです。波の上を歩く、そんなことはできないと頭から否定するか、合理的解釈で、岸辺を歩いている姿を見て、弟子たちが幽霊だと思い、波の上だと勘違いした。聖書の記述をそのままアーメン。ハレルヤ=疑いも晴れる幸い人生を。弟子たちが困り苦闘していたとき、ただちに助けと救いの手がさしのべられたのです。人生の逆風吹くとき、困難試練が行く手をふさぎ、境遇、誘惑、悲哀、病や苦労のなかで、孤独で苦闘しなくても良い。イエス・キリストは両手を広げて声をかけ、しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはないと、声をかけてくださいます。今月は、10日に台風11号のさ中、沖縄空港まで行き関空へ返し、最終便でやっとフライト。11日のリゾートチャペルでの結婚式司式をするスリルを経験。26日は種子島の西之表キリスト教会、種子島新生キリスト教会礼拝説教でしたが、台風12号で飛行機も高速艇トッピーも欠航。幸い11月1日の日曜日に、再度行くことになり喜んでいます。人生の逆境に行き悩み、打ちひしがれている者のために、イエス・キリストは十字架にいのちを捨て、墓に葬られ3日目の朝に復活し、ガリラヤ湖の波の上で声をかけたように、しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはないと声をかけ、世の終わりまでいつも導き、助けの手を差し伸べてくださいます。ありがとうございます。きょうもまた奇跡の天国の一日です。感謝します。
2015/07/29
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作年の今日は、朝、7時に高速艇トピーで種子島出航。べた凪の海を鹿児島港に疾走。鹿児島中央駅から新水俣駅へ。神薗悟牧師夫妻と神薗房子牧師に迎えられ、名物の鯉料理でランチタイムをご一緒しました。今年は台風の影響で種子島に行けず、息子家族6人と、娘と孫は三重県伊勢市へ出かけたので、孫たちも来ない一日。静かな憩の夜です。種子島には、今年は行かないと思いました。でも西之表キリスト教会で、アーメンと信じ教会前の海で洗礼を受け58年。11月3日が火曜祭日。学院は火曜祭日の時は月曜が休みになります。10月31日に種子島へ。11月1日(日)礼拝メッセージ。1957年111月24日にクリスチャンになった体験をお話できればと思う今日です。昨日からのタイ式マッサージで体調も良くなり、昨年と違い声もはっきり出るようになっています。今回会えなかった中学同級生にも、会えれば幸いです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/28
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聖書の一言;マタイの福音書14:15-21 夕方になったので、弟子たちはイエスのところに来て言った。「ここは寂しい所ですし、時刻ももう回っています。ですから群衆を解散させてください。そして村に行ってめいめいで食物を買うようにさせてください。」しかし、イエスは言われた。「彼らが出かけて行く必要はありません。あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい。」しかし、弟子たちはイエスに言った。「ここには、パンが五つと魚が二匹よりほかありません。」すると、イエスは言われた。「それを、ここに持って来なさい。」そしてイエスは、群衆に命じて草の上にすわらせ、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂いてそれを弟子たちに与えられたので、弟子たちは群衆に配った。人々はみな、食べて満腹した。そして、パン切れの余りを取り集めると、十二のかごにいっぱいあった。食べた者は、女と子どもを除いて、男五千人ほどであった。5つのパンと2匹の魚で、女と子どもを除いて、男5千人が食べて満腹になり、パン切れの余りが12のかごにいっぱいあった奇跡です。書かれている通り、5つのパンと2匹の魚が、そこにいたみんなの飢えを満たしたと、そのまま信じる恵みです。奇跡は実際に起こったのです。余りにも単純だと非難するのは簡単だが、神の全能の力を信じると、人生ワクワクです。 そんなことはないと、何もかも否定する良い、信じる方が楽しいから幸いです。ヨハネの福音書には、この奇跡のもととなった5つのパンと2匹の魚は、一人の少年のものでした。その少年が弟子のアンデレにそれを渡しました。アンデレはこれだけしかありません。何の足しにもなりません。しかし、イエス・キリストはそのパンを受け取り、天を見上げて、それらを祝福し、パンを裂き、みんなは食べて満腹しました。それをここに持って来なさいと、イエス・キリストの愛の手に任せると、奇跡が始まります。これだけで何になりましょうと、小さなこと少ないことを嘆いていたら、何事も怒らず持っているわずかな物も雲散霧消します。しかし、愛なる神の全能の手に、イエス・キリストのお名前で委ねられるとき、今でも5つのパンと2匹の魚が、増え続けたような奇跡が起こり続けています。この奇跡を信じないと言わないで、また合理的に解釈しないで、ただ一つのことをしっかり受け止めたい。それは、イエス・キリストの手に委ねる時、どんなに小さなものでも存在価値を与えられ、多くの人の人生を祝福するようになります。イエス・キリストの下で飢えは満たされ。重荷は下され平安になり、満たされた人生を生き、受けるよりも与える方が幸いな、ゴールデンルールの人生を生きるようになります。ありがとうございます。きょうもまた奇跡の天国の一日です。感謝します。
2015/07/28
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恵みと愛との 光り輝き愛のうち歩み 聖霊ともに高らに賛美し 祈りをささげ主イエスに従う 天国の日々光の子として 賢く歩み聖書にアーメン 確信の道福音伝える ほほえみ豊か主イエスに従う 天国の日々御霊に満たされ 輝きの道みこころ求めて ひたすら進む十字架のイエスは いつもおられて主イエスに従う 天国の日々アーメン生まれて初めてのタイ式マッサージ。最初はタイ人男性が、足首から腰、上腕までを力強くもみほぐし、思わず痛いと言いたいくらい。一通り済むと台湾女性院長が、さらに揉み解し痛みも強い、堅いですね。首の周りが大切です。頭もマッサージ。一通り終わると、血の巡りが良くなったから、ゆっくり休んでとベッドで30分ほど熟睡。目覚めて着替えると、マーボ豆腐と玄米の昼食まで用意してくれ、ご馳走になる。握手して幸せと、台湾のひとり娘と中学生孫、タイ式マッサージの祝福を祈る。初めての出会いだが、イエス・キリストを信じる祈りまでアーメン。タイ人男性は日本語が十分でないようだが、祝福の祈りにアーメン。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。
2015/07/27
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聖書の一言;マタイの福音書14:14 イエスは舟から上がられると、多くの群衆を見られ、彼らを深くあわれんで、彼らの病気を直された。当時のガリラヤ地方は、南北80キロ、東西40キロの間に、204の町村があり、それぞれ1万5千人以上だったそうです。イエス・キリストは、病を癒し奇跡をすることで良く知られ、領主ヘロデでさえ、その噂を知り、自分が虐殺したバプテスマのヨハネが、死人の中から生き返ったんだと恐れるほどでした。そんな中でガリラヤ湖の対岸に、難を避け、群衆から離れて休むために、船で逃れました。しかし、人々は町々から歩いて、イエス・キリストの後を追いました。休む間もない中で、多くの群集を見られ、彼らを深くあわれました。平和と静寂と孤独を求めたのに、もう群衆に取り囲まれたのです。家得あう・キリストは、腹を立て、うるさいという気持ちを、声を荒げて追い返しませんでした。彼らを深くあわれみました。あわれみは、単なる気休めの同情心ではなく、はらわたがよじれるほどの断腸の思いです。英語=compassion=人の痛みを理解し、何かをしてあげたいという、断腸の人道的な性質の現れです。そこから生まれる辛さや悲しみを自分のものと感じ、助け癒し救う力です。へブル書2:18 主=イエス・キリストは、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。4:15 私たちの大祭司=イエス・キリストは、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。そして、彼らの病気を直されました。奇跡は見世物や人寄せの手段ではなく、神の愛の現れです。愛=LoveL=Listen=聴くことO=overlook=大目に見ることV=voice=声をかけることE=effot=努力すること愛は、それなりの努力や時間を割くことなど犠牲を伴います。その犠牲とは思わない生き方です。愛こそが最高の憐れみです。その愛を十字架に見ます。ヨハネの福音書15:13 人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。あなたがたはわたしの友です。ペテロの第一の手紙2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。ありがとうございます。今日もまた憐れみ豊かな天国の一日です。感謝します。
2015/07/27
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恵みと愛との 幸せ満ちて信仰希望の 愛は豊かにゆるがぬ信頼 恐れは消えて静かに微笑む 神の子なれば恵みは朝ごと 日ごとに新た絶える間もなく あふれみなぎる恵みと愛とは 常に伴い聖霊注がれ 天国の日々主イエスは友なり 世の終わりまで復活のいのちは 変わることなく変わらぬ愛の手 伸ばして助け喜び平安 天国の日々アーメン
2015/07/26
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聖書の一言;マタイの福音書13:5152 あなたがたは、これらのことがみなわかりましたか。」彼らは「はい。」とイエスに言った。そこで、イエスは言われた。「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」13章の7つのたとえ話=天の御国の特徴は、100倍の実り、豊かな良い実り、からし種のように成長し、パン種のように拡大し、隠された宝、高価な真珠のようにすばらしく。地引網のように義が支配するのが、天国です。イエス・キリストをアーメンと信じると、天の御国の弟子=学者です。自分の倉から新しいものでも、古いものでも取り出す主人のようなものです。愛の神様は、いのちの賜物をたくさん与えてくださっています。イエス・キリストをアーメンと信じる時、温故知新、自分の内側から良いものをいくらでも取り出し、新しい神の賜物=聖霊の賜物に満たされます。イエス・キリストを信じる時、今まで持っていた知識を忘れるのではなく、その知識が新しい光に照らされ、知識は以前にもまして豊かになります。さらに深まり神の栄光に用いられます。仕事もさらに楽しく働けるようになり、歌や踊り、演劇、絵画ができる芸術性も向上します。スポーツマンはさらに能力が向上します。もう人の能力をうらやんだり、ねたんだりしないで、自分の中にすべてがあることが分かり、すぐできない!とあきらめたり、実行しないまま座り込んだりしないで、限りない可能性へ挑戦することができます。イエス・キリストが十字架にいのちを捨て、墓に葬られ3日目の朝に復活されたのは、アーメンと信じる人生を、平安で幸せに豊かに充実させ、その人生を神を愛し、隣人を愛するゴールデンルールを実践するようにするためです。あなたに与えられている賜物を、アーメンと信じてさらに豊かにするだけでなく、新しい聖霊の賜物に満たされ、神の栄光に輝く人生を、活き活きと生きて行きましょう。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/26
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昨年の今朝は、城山観光ホテルで、5時から桜島を見ながら大浴場。受付の男性係員と話す。握手し幸せを祈るとアーメンと信じますと祈る。勤務は午前5時ー12時半まで。今年は23日の夜、大浴場受付で女性係員が、素直にアーメン信じます。部屋へ帰り冊子2冊を持って来て手渡し、喜んで受け取ってくれた。朝食は午前6時30分からで、7時に行くともう大勢が並んでいる。一人席に案内され、ウエイトレスがお取りしましょうといってくれた、流動食一ヶ月後、初めての朝食。いや3月6日以来かも。写真を写してくれた主任ウエイターもインプラントで三ヶ月苦労したと言う。何でも=インプラント手術、流動食、杖=いつでもどこでも、福音の証ができる喜びの時。23日は、6時58分の新幹線始発で新大阪へ引き換えしたので、朝食バイキングなしでした。結果的に台風で種子島へ行けなくなり、明日は、午前10時聖書学院教会礼拝。午後2時、大阪新世界通天閣近くの大阪エリムキリスト教会記念礼拝。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。
2015/07/25
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聖書の一言;マタイの福音書13:47-50 また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。13章から海辺の垂訓=教えのたとえ話の7番目です。2番目の毒麦のたとえと同じく、必ず最後には正しい裁きがあり、決着がつきます。聖書は、罪の支払う報酬は死である。そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている(へブル9:27)100パーセント確実なことは、人間は死ぬことです。そして、死後に裁きを受けることも定まっています。それから逃れることはできません。最後の審判のとき、全てが裁かれます。イエス・キリストは、自分のいのちを十字架に犠牲にして、私たちが受ける裁きを自らに受けました。その事をアーメンと信じるだけで、投げ捨てられる魚のようにはなりません。まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです(ヨハネ5:24)最後の審判を恐れることなく、罪の報酬である死からも救われ、永遠のいのちを持ち、さばきにおびえることもなく、死からいのちに移った平安と喜びの毎日です。今日は、午前11時から愛する教会員の召天式で、明日は召天記念礼拝です。いのちあり生かされる限り、恵みと愛に満たされ、使命を果たし続ける幸いな一日です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/25
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聖書の一言;マタイの福音書13:44-46 天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。また、天の御国は、良い真珠を捜している商人のようなものです。すばらしい値うちの真珠を一つ見つけた者は、行って持ち物を全部売り払ってそれを買ってしまいます。ほんとうに価値あるすばらしものを見つけたら、全てを投げ打ってでも惜しくないものです。聖書は,人間のいのちは全世界よりも尊いと教えています。高校一年生の時、講堂で鍼灸師の方が、見えない眼をまるで見えるかのように語るのを聞きました。その時から、自殺も自死も、殺人や戦争もすべて大罪悪と受け止め、聖書を読むようになって、人が全世界を手に入れても、自分の命を失えば何の意味もないと言ったのは、イエス・キリストであることを知り、イエス・キリストを信じる人生を生きています。あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している。自分には何の価値もないと思っても、イエス・キリストは私たちのいのちをみて、畑に隠された真珠のように、また畑に隠された宝のように、十字架の上にいのちを捨ててまで贖いだしてくださいました。私たちもまた、人間御存在をしっかり認めて、受け止め赦し、愛する人生をお互いに愛しながら過ごしたいものです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/24
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聖書の一言;マタイの福音書13:33 イエスは、また別のたとえを話された。「天の御国は、パン種のようなものです。女が、パン種を取って、三サトンの粉の中に入れると、全体がふくらんで来ます。」学院の神学生はパン作りが上達し、良くパンを焼いています。パン種でふっくらした美味しいパンができます。天の御国はパン種のようだと、イエス・キリストは教えました。アーメンと信じれば救われます。アーメンは天国行きの予約です。聖書のことばは、ウソ偽りのない誠のことばです。アーメンは、本音の願いですが、聖書の真の約束を、その言どおりに成りますと信じるアーメンです。アーメン=誠=言+成るです。心から神の言葉にアーメンで、奇跡が起こります。どんなに上等のパン生地があっても、パン種がないと、美味しいパンができないように、素晴らしい十字架の救いと、すばらしい聖書の約束があっても、変化がない理由は、パン種に比する、聖霊の恵みを無視するからです。聖霊は聖書の著者です。聖霊に満たされて生きることこそが、クリスチャン生活の醍醐味です。神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です(第二テモテ1:7)イエス・キリストは約束されました。しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。御霊はわたしの栄光を現わします。(ヨハネ16:13-14)今日も聖霊に導かれ、純粋な混じりけのないパン種で、神の愛と恵みを豊かに受け、祝福の人生を過ごしましょう。今日は新幹線で鹿児島市に行き、城山観光ホテルで1泊。明日種子島へトッピーで行きます。昨日宅急便を出しましたが、フェリーが欠航しているのでと、荷物だけっだったら受け付けますが、着替えが入っていたら受け付けないと、返されてしまいました。キャリーバックを杖代わり、杖はキャリーバックに入れました。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/23
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聖書の一言;マタイの福音書13:31-32 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、生長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」からし種を見たことがありますか。種はほんとうに小さく、けしつぶのようです。けれども成長すると高さ2~5メートルにもなり、4月から10月頃まで黄色のチューブ状の花が咲き、種がいっぱい入った実がなります。その実がすぐ弾けて飛び散ります。からし種は、小さくて目立たない存在。口に入れて噛み砕くと、酸素が働いてやがてじわぁと独特の刺激です。アーメン信じますと、イエス・キリストを信じるとき、味わい深く奥深い人生になります。24日に種子島へ行きます。西之表キリスト教会で26日礼拝説教です。1957年1月24日に、アーメンと信じ、教会の前の城の浜海岸で洗礼を受けました。からし種のような信仰でしたが、いつも間にか聖霊の働きで成長し、からし種が飛び散り芽ぶくように、生駒聖書学院卒業生たちが、大きく用いられています。からし種の特徴は、種の中で一番小さい種。100粒蒔けば100粒芽生える生命力。どんな環境でも育つ征服力。2~5メートルにもなる成長力。実を結ぶと弾け飛び散る繁殖力。自分の信仰は小さいなどと卑下しないで、イエス・キリストのいのちが、聖霊によって豊かに満たされている信仰で、いつも喜び、絶えず祈り、聖霊に満たされて、すべてのことに感謝し、祝福の中を前進!ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/22
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詩篇34:4ー10私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救いだしてくださった。 彼らが主を仰ぎ見ると彼らは輝いた。彼らの顔をはずかしめないでください。この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、主はすべての苦しみから彼を救われた。 主の使いは主を恐れる者の回りに陣を張り、彼らを助け出される。 主の素晴らしさを味わい、これを見つめよ。幸いなことよ。彼に身を避ける者は。 若い獅子も乏しくなって餓える。しかし、主を訪ね求める者は、良いものに何一つ欠けることはない。詩篇34篇は、気が違ったふりをして、九死に一生を得た時の詩です。主よ。助けてください。すなおに助けを求める幸せを、詩篇のことばで体験。解説も解釈もしなくても、そのままアーメン。ありがとうございます。天使の守りが今日もありました。感謝します。ただ素直に単純に、アーメンと信じ、現実に体験できる恵みです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。
2015/07/21
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聖書の一言;マタイの福音書13:24-30 イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。麦が芽生え、やがて実ったとき、毒麦も現われた。それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」二番目のたとえは、毒麦の話です。どんなに慎重に種を蒔いても、稗や雑草も出てきます。このたとえ話のように、敵が来て毒麦の種を蒔いたら、芽生え実り、収穫の時まで分からないから大変です。キリスト教会には間違った教えや、異端やカルト的教会など、多くの毒麦があります。イエス様は、敵がやったことだと教えました。如何したらいいのか。我慢できない。早くすべてを処理しないと焦り、非難し、否定し裁きます。しかし、『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」ちゃんとハッキリする日が来ます。イエス・キリストを信頼して、真の福音の種を蒔き続け、良い収穫を期待しましょう。イエス・キリストの説明です。13:36-43 それから、イエスは群衆と別れて家にはいられた。すると、弟子たちがみもとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください。」と言った。イエスは答えてこう言われた。「良い種を蒔く者は人の子です。畑はこの世界のことで、良い種とは御国の子どもたち、毒麦とは悪い者の子どもたちのことです。毒麦を蒔いた敵は悪魔であり、収穫とはこの世の終わりのことです。そして、刈り手とは御使いたちのことです。ですから、毒麦が集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそのようになります。人の子はその御使いたちを遣わします。彼らは、つまずきを与える者や不法を行なう者たちをみな、御国から取り集めて、火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。そのとき、正しい者たちは、天の父の御国で太陽のように輝きます。耳のある者は聞きなさい。ありがとうございます。今日もまた太陽のように輝く天国の一日です。感謝します。
2015/07/21
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詩篇34:1ー3 私はあらゆるときに主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。 大好きな詩篇34篇です。表題はダビデによる。彼がアビメレクの前で、気が違ったかのようにふるまい、彼に追われて去ったとき。サムエル上21章に詳述。四面楚歌。絶体絶命。その悲劇の真っ只中での詩篇です。あらゆる時に、主をほめたたえる恵みは、平安と幸いです。不平不満、泣き言、文句や怒り声でなく、いつも主への賛美がある。 人生には順風満帆の日、疾風怒濤の日、天国へ行くまで、肉体にある生活は、さまざまです。それを呟くか、感謝と受けとるかで、結果は雲泥の差です。2011年、家内は主治医に肺がん末期余命一年と宣告され、ありがとうございます。感謝しますと、真っ正面から受け止めました。その日から4年、詩篇34篇そのままに、賛美しつつ感謝と祈りの日々を生き生き生きて、昨年5月17日平安と幸せに、天国へ召されました。その召される日に5名、召式式の朝5名が洗礼を受けました。家内が召されて1年2ヶ月がすぎました。余命一年の幸せや、愛・・・ありがとう・・・愛。闘病の記録の小冊によっても、イエス・キリストの十字架の救いが、広がっています。今日は午前中、カラオケ教室で大声でリハビリの発声練習。帰りに生駒まで送ってもらい、ステーキランチをご馳走になり、デザートは美味しいぜんざいでした。夕食は抜きですが、海の日の美味しい昼食でした。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。
2015/07/20
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聖書の一言;マタイの福音書13:3-19 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。耳のある者は聞きなさい。」5章から7章は山上の垂訓≈山の上での教え。13章は海辺の垂訓=海辺での教えです。7つのたとえ話の第一が、四つの土地と種です。イエス・キリストの説明そのままを引用します。13:18-23 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。イエス・キリストをアーメンと信じ救われ、良い地に巻かれた種のように、ほんとうに実を結び、100倍、60倍、30倍もの実を結ぶ、祝福人生を生きる約束です。詩篇1:1-3 幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ。その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。真夏日がやって来ました。時代がどうであろうと、どんな時でも良い地に蒔かれた種のように、実を結ぶ人生、ゴールデンルールを実行する祝福の約束です。エレミヤ書17:7-8 主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。その人は、水のほとりに植わった木のように、流れのほとりに根を伸ばし、暑さが来ても暑さを知らず、葉は茂って、日照りの年にも心配なく、いつまでも実をみのらせる。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/20
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詩篇33;18、22 見よ。主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。 主よ。あなたの恵みが私たちの上にありますように。私たちがあなたを待ち望んだときに。38年前の7月、スエーデンの白夜の時期を旅した。目覚めると、カーテンの隙間から差し込む朝陽が、ベッドの横の壁掛けの、 主の恵みは朝ごとに新しい。聖書の哀歌のことばを照らしました。アーメンと信じ、恵みにより救われ、朝くるごとに恵みにつつまれ、いのち生かされ、神の愛に愛されています。太陽の光がない朝も、恵みの光は輝き、神の贅沢な恵みは豊かです。あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛している。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/19
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聖書の一言;マタイの福音書12:46-50 イエスがまだ群衆に話しておられるときに、イエスの母と兄弟たちが、イエスに何か話そうとして、外に立っていた。すると、だれかが言った。「ご覧なさい。あなたのおかあさんと兄弟たちが、あなたに話そうとして外に立っています。」しかし、イエスはそう言っている人に答えて言われた。「わたしの母とはだれですか。また、わたしの兄弟たちとはだれですか。」それから、イエスは手を弟子たちのほうに差し伸べて言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。天におられるわたしの父のみこころを行なう者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」神の家族。その家族に加えられ、全世界にアーメンと言い合える真実の仲間がある幸いです。今週は、種子島へ行き、16歳の時アーメンと信じた西之表キリスト教会で礼拝メッセージです。種子島へ徳之島から移住した父でした。8歳で母が亡くなり、その父の家に引き取られ7年。それ以後、家を離れ家族のない生活でした。結婚し長男長女が生まれ、家族ができました。2011年に家内が余命一年を宣告され4年生かされ、昨年5月17日に天に召されました。それ以来、ひとり暮らしの日々です。現役の牧師なので、聖書のあるとおり、年寄りをしかってはいけません。むしろ、父親に対するように勧めなさい。若い人たちには兄弟に対するように、年とった婦人たちには母親に対するように、若い女たちには真に混じりけのない心で姉妹に対するように勧めなさい。の牧師人生です。キリスト教会は一つの家族のようです。教団教派を越えて、愛なる神を父と呼び、イエス・キリストを長男とする大家族です。その大きな愛が全世界を包み込む、平和のあふれる世界を祈る朝です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/19
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詩篇34:9 まことに、主が仰せられると、そのようになり、主が命じられると、それは堅く立つ。 神のことば=聖書のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。 聖書のことばにアーメン=ほんとうです。誠です。と、信じ応答し告白すると、祈りは聞かれ無からさえ有を生じる奇跡的ことが、毎日のように起こり始めます。恵みはいつも豊かにあり、主が命じられると天地万物が創造されたように、新しい恵みに取り囲まれ続けます。今日は久しぶりに、いつもの美容師に髪を綺麗にしてもらい、明日の礼拝に備えています。来週は種子島へも行くので、サッパリとなりました。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。
2015/07/18
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聖書の一言;マタイの福音書12:33-37 木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」裏庭に柿の木があり、下記が大好きで実るのを待ち、美味しそうなのでガブとひと噛み。苦いと思った瞬間渋みが口中に広がりました。渋柿の実が何故なったのか、渋柿だったからです。人間の良しあしも、その実によって知られます。戦争法案も原発を廃止せずにいるのも、関東大震災東北復興もほとんどせずに、国立競技場を巨額の費用で作ろうとするのも、マムシのすえだから、心に満ちていることを欺きのことばで言いくるめるのです。今年は口ぐせを変えるをテーマに、天国ことばを語ろうといつも語っています。来週は種子島へ行きますが、西之表キリスト教会で、イエス・キリストの救いを聞き、アーメンと信じ洗礼を受けました。すべての重荷を十字架の下に下し、罪が赦され、正しく健やかに祝福され、永遠のいのちを与えられた神の子になりました。天国が国籍となり、天国語が母国語になりました。悪口や不平不満、避難や中傷、泣き言や雑言罵倒のことばを捨てて、神の愛と恵みのことばを使います。聖書が天国ことばのテキストです。聖書のことばをいつも口にするだけでも、心楽しく平安にみたされます。ありがとうございます。きょうもまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/18
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詩篇32:7、10 あなたは私の隠れ場。あなたは苦しみから私を守り、救いの歓声で、私を取り囲まれます。悪者には心の痛みが多い。しかし、主に信頼する者には、恵みがその人を取り囲む。 16歳の時、種子島でイエス・キリストの十字架により、すべての罪とがが赦され、神の子とされ、永遠のいのち=神のいのちを体験。十字架に救いを成就して墓に葬られ、三日目の朝に復活し、天地万物の上に一切の権を持つ、主イエス・キリストが、世の終わりまでいつも共におられる。すばらしい救いが与えられ、アーメンと信じた幸い。その日から救いの歓声で取り囲まれ続けています。ただ信じただけです。主に信頼する、助けてくださいと祈れば、助けられ解決が与えられます。そして、無敵の勝利者として、恵みに取り囲まれ続ける毎日。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。幸せです。
2015/07/17
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聖書の一言;マタイの福音書12::17-21 これは、預言者イザヤを通して言われた事が成就するためであった。 「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。わたしは彼の上にわたしの霊を置き、彼は異邦人に公義を宣べる。争うこともなく、叫ぶこともせず、大路でその声を聞く者もない。彼はいたんだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない、公義を勝利に導くまでは。異邦人は彼の名に望みをかける。争うこともなく、叫ぶ=犬のほえる声、カラスのなく声、酔客のどなる声やわめく声=ことで、相手を罵り罵倒する。イエス・キリストには、静かな力強い落ち着きがあります。それは言葉の論争ではなく、愛を持って勝利する人の落ち着きです。怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈る平和な人生を祈ります。また、痛んだ葦を折ることもなく、くすぶる燈心を消すこともない。イエス・キリストの限りないやさしさと愛です。打つひしがれた者をさらに傷つけたり、ほの暗い燈心を吹き消したりせず、立ち上がる勇気を与え、明るく強い炎として輝かせてくれます。イエス・キリストの救いは全世界全人類の希望です。その十字架上に釘付けられた両手は、全宇宙と全世界を抱き寄せる愛の御手です。神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。(ヨハネの福音書3:16,17ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/17
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聖書の一言;マタイの福音書11:28-30 すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。15歳の時、アルビン・ハモンド宣教師が、種子島高等学校の教室で英会話クラスを開いていました。出席すると、"Come to Me, all you who labor and are heavy laden, and I will give you rest."Take My yoke upon you and learn from Me, for I am gentle and lowly in heart, and you will find rest for your souls. "For My yoke is easy and My burden is light."変な日本語で、私の所に来なさい。休ませます。荷物は軽いです???当時は休みの日に家に帰ると、山で薪拾いやヤギの草刈、稲束やサツマイモの袋運び、休むどころではありません。瞬間、このアメリカ人が背負ってくれるのか?と思いました。Come to me,というお方は、イエス・キリスト様です。当時は無神論で、自分には縁がない、英語クラスだけにしようと思いました。2学期になり英会話クラスはなくjなりましたが、市内の最上医院で開かれていた礼拝に行き、その年=1957年11月24日に、種子島の海で洗礼を受けました。今年も来週7月26日の日曜日、洗礼を受けた西之表キリスト教会(池田公栄牧師)で礼拝説教です。夜は日本バプテスト連盟種子島新生キリスト教会(沼田俊昭牧師)で礼拝説教です。また、星原中学校の同級生との会食もあり、昨年は4名が来てくれました。今年も5名がホテルへ来てくれます。重荷を負う人生が、イエス・キリストをアーメンと信じただけで、心に平安と喜びあふれる人生に変えられました。ありがとうございます。今日もまた重荷もなく、キリストのことば通りの天国の一日です。感謝します。詩篇55:22 あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない。
2015/07/16
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神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。ローマ人への手紙8章31節 天に召された教会員は、102歳までお元気で、このことばをいつも召される日まで告白していました。20代で結核になり、看護師に死ぬ前に読んだらと聖書を渡され、新約聖書を読み、イエス・キリストを信じ救われ、同時に、わたしは主であってあなたを癒す者である。その十字架の打たれた傷により癒されたと、完全に癒されました。召される2週間前に訪れた時、認知症にもならず力強いはっきりしたことばで、若い榮義之牧師が、福音のために用いられるようにと祈ってくれました。さまざまな苦労や問題が一団となって攻めかかってくるときも、その問題のすべてに打ち勝つ、後だてがあることを体験したいものです。 元気を失ったり、欲求不満や失望、敵意、あるいは弱さにぶつかるとき、いったいどうすればいいのか」と自問するときにも、「もし、神がわたしたちの味方であるなら、だれがわたしたちに敵しえようか」と信じ告白してみよう。しばらく繰り返してくうちに、すばらしい神の実在感と、力強い勝利の感覚が与えられます。聖書のことばは生きて働く神の言葉です。ガタガタ言うより、聖書のことばをはっきり宣言する方が気持ちもよいし、結果は雲泥の差です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。
2015/07/15
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強行採決で可決されるとニュースが報じています。政権党議員の良識と良心を正しい判断に戻してくださいと祈る日々でした。日本を70年続いた平和から、滅びの中へ引きずり込む、強行採決です。憲法違反がこれほどはっきりしているのに。権力の座についてしまうと、いつか来た道も忘れて逆戻りです。 年頭の天皇のことばを思います。個人お意見が言えない天皇陛下が一番の平和憲法護持者だと思います。 本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各線上で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に、満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本の在り方を考えていくことが、いま、極めて大切なことだと思っております。(2015年1月1日新年の感想) 昨日まで沖縄でした。 天皇のことばです。払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によって贖えるものではなく、人々が長い年月をかけてこれを記憶し、一人一人、深い内省の中にあって、この地に心を寄せ続けて行くことをおいて考えられません。 戦後70年、日本は戦争だけはしない、それ一本で70年、平和憲法を守ってきました。聖書では、70年は完全数です。今それが強行採決で破られようとしています。国会延長までして押し通そうとするひどい国になりそうです。自民党、公明党の支持者は、あなたの選んだ議員がゴリ押しをしています。主権在民です。ムリが通れば道理引っ込むようにならないように、被害は全部自分たちに及んでくることを自覚しようではありませんか。 第二次世界大戦の日本人犠牲者は310万人。多くの若者たちが悲しくも失われました。第三次世界大戦になれば、日本は消滅します。ともかく、今まで平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を守り、試練を乗り越えて、現在の日本を築き上げてきました。それを教条採決で一気に突き崩そうとしています。 日本を愛し、救いを祈ります。テモテへの第二の手紙2:1-8 そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。 わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです。
2015/07/15
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聖書の一言;マタイの福音書 11:56 盲人が見、足なえが歩き、らい病人がきよめられ、耳の聞こえない人が聞こえ、死人が生き返り、貧しい者には福音が宣べ伝えられているのです。 だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」聖書には、すばらしい奇跡が多く記録されている。奇跡のある人生は素晴らしい。今も世界中で、イエス・キリストの名前によって、奇跡が豊かになされています。最大の奇跡は、今朝目が覚めて生かされていることです。私たちが滅びなかったのは主の恵みによる。その真実は絶えることがなく、朝ごとに新しい恵みです。その生きている、あるがまままの人生が支えられていることも奇跡です。支えてくれる人がいる幸いを感謝します。イエス・キリストの十字架と復活を信じて救われ、新しい生まれ変わりを経験し、新しい人生を生きている奇跡です。神の子とされ、平安で幸せです。1999年11月、東京で左脳内出血、2012年堺市で右脳内出血、同年10月には小脳内梗塞。左右脳内出血と小脳内梗塞で、バランスよく整えられ、元気に生かされていることも奇跡です。福音=良い知らせ=が、今日も世界中で伝えられ、アーメンと信じる新しい人生がスタートしています。神の愛をいっぱい受けて、奇跡が輝く歩みを祈ります。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/15
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詩篇31:14 ー18しかし、主よ。私は、あなたに信頼しています。あなたに告白します。あなたこそ私の神です。私の時は、御手の中にあります。御顔をあなたのしもべの上に、照り輝かせてください。あなたの恵みによって私をお救いください。主よ。私が恥を見ないようにしてください。私はあなたを呼び求めていますから。朝来るごとに恵みは豊か。新しいいのちが耀き、活き活き生かされ、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。幸せです。平安いっぱいハレルヤ! 全知、全能、遍在、永遠不変の愛の神に、十字架にすべての罪も病やのろいと貧乏を引き受け、死をも滅ぼし永遠のいのちを与え、神の子とされる不思議な救い。死に打ち勝ち復活し、今も生きておられる主を信頼しています。恐れは消え、人生の時を支配し、恵みの光で照り輝く日々を感謝します。どんなときでも、何があろうと、恥を見ないように、道の光となり、栄光の耀きを与えられます。主の名を呼び求めれば、助けの御手に助けられます。 沖縄から帰宅しほっとしています。9日は、那覇空港上空まで行き、台風で着陸できず、関西空港へ引き返し、最終便で恩納村んリゾートホテルに24時にチェックイン。10日は雨もなく、無事結婚式司式。夜は3時間30分の沖縄式披露宴。4泊5日の沖縄でした。8月は5泊6日でまた沖縄です。 今日も賛美と祈りの、聖霊注がれ導かれる幸い。ありがとうございます。今日もまた天国の1日でした。感謝します。ハレルヤ!
2015/07/14
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聖書の一言;マタイの福音書10:40あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。 心を優しく、癒しの沖縄で過ごし、今朝の便で関空へ。10日は、那覇空港まで来たが、台風で着陸出来ず、関空へ引き返す。11日結婚式司式のため、沖縄の旅行者がANAの最終便を手配し、那覇空港の22時過ぎに到着。送迎の軽自動車で恩納村リゾートホテルに23時45分着。フロントマンがイエス様を受け入れる祈りをしてくれる。結婚式までにレストランや売店で8名。チェックアウトの時もおひとり。 150名参列の披露宴でも、最後に指名され、祝辞とエス・キリストのお名前で祝福を祈りアーメン。参列者の皆さまが大きな声でアーメンと唱和。 ほとんどがアーメンと初めて告白。 11日に那覇市へ。ホテルチェックイン時にひとりのボーイ。ラウンジのウエイトレスもアーメン信じます。国際通りの石垣牛女店員もアーメン信じますと祈る。 今回は、漫画も冊子も恩納村とうるま市で全部無くなり、8月に持って来ると約束。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/14
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聖書の一言;マタイの福音書10:29ー31一羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。また、あたたがたの頭の毛さえも、みな数えられえています。だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれたものです。 ルカの福音書では、二羽の雀は1アサリオンとあり、おまけの雀でさえ、そこにあるだけで値打ちあると言う大きな意味です。人間の価値は、全世界よりも尊く価値があります。あなたはわたしの目に高価で尊い。わたしはあなたを愛してる。 神に愛され尊く価値あるいのちを、自殺、自死、殺人、虐殺の戦争をすことは、最大限の罪悪です。 今、那覇市のホテルですが、沖縄で親が、祖父母が目の前で虐殺されたりした経験を聞いたり、あそこだったと教えられたりしています。 70年継続している平和を守り続けるよう祈る朝に、マタイ福音書を読んでいます。 あるがままで尊い存在です。愛の神の中で、与えられたいのちの限り、天国に召されるまで、恵みを豊かに注がれています。いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝します。 ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/13
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聖書の一言;マタイの福音書10:19ー20どのように話そうか、何を話そうかと心配するにはおよびません。話すべきことは、そのとき示されるからです。というのは、話すのはあなた方ではなく、あなたがたの内にあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。 28年前、沖縄グローバル株式会社創立会に来た。今回の結婚式は、その時アーメンと信じクリスチャンになった女性と、2012年春に沖縄の海で洗礼を授けた男性の式。50名の参列で式を終え、150名参列の3時間を越える披露宴。終わりに司会者に奈良県から来た牧師様にと、突然指名された。 明るい愛に輝く、栄に満ち楽しく仲良く、晴れやかに真っ直ぐ、ラッキーな新家庭をと短く語る。最後に、新婚夫婦と両家、参列の皆様の健康と祝福を、イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。披露宴会場は、ほとんどが牧師の話を聞くのは初めてだったが多くのアーメンが響きました。 今朝の礼拝は、うるま市の中里サレム教会説教です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/12
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聖書の一言;マタイの福音書10:13その家に入るときは、平安を祈る挨拶をしなさい。その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。 12人の弟子が選ばれ、汚れた霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやす権威が与えられました。 宣教に送り出され、平安を祈るよう命じられました。祈りは天の権威です。アーメンは、誠ですという意味で、呪文でも題目でもなく、聖書=神の言どおりになります。ハイ。そのとおりです。心から素直に信じる応答です。 祈りのことば、特に平安を祈ることばは。もっとも強く力があります。相手が受け取ってくれたら、平安がその人に与えられます。拒否されたら、祈った人が平安に満たされます。平安を受けるにふさわしくないなら、祈ったほうに平安が与えられます。 昨夜12時前に恩納村ルネッサンスリゾートに到着。フロントマンの平安を祈り、2歳の女の子があるとのこと。奥さまと家族の平安と幸せを祈りました。イエス様を信じますアーメン。固い握手でお休みなさい。 台風の中、午後からルネッサンスリベーラ教会で、50名参列の結婚式です。素晴らしい祝福の結婚式です。恩納村は残場岬のあるリゾートです。
2015/07/11
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明日の恩納村リゾートホテルでの結婚式&披露宴のため、沖縄行きです。大夫接近ニュースのため、沖縄からも電話です。何も心配しなくていいですよと、答えています。結婚式では伝道者の書のことばを読みます。ふたりはひとりよりもまさっている。ふたりが労苦すれば、良い報いがあるからだ。どちらかが倒れるとき、ひとりがその仲間を起こす。倒れても起こす者のいないひとりぼっちの人はかわいそうだ。また、ふたりがいっしょに寝ると暖かいが、ひとりでは、どうして暖かくなろう。もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる。三つ撚りの糸は簡単には切れない。結婚したら、ふたりは一体です。アイウエオ夫婦になってください。あ=明るい愛でい=いのち輝きう=嬉しいえ=笑顔でお=大きな幸せ明るい愛で、いのち輝き、嬉しい笑顔で、大きな幸せ!あかさたな夫婦もいいですね。明るい愛が輝き、最高の宝で仲良く ハレルヤまっすぐ やさしく楽に アーメンコリント人への第一の手紙13章; 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。ありがとうございます。最高の笑顔輝く天国の一日です。感謝します。
2015/07/10
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聖書の一言;マタイの福音書9:3538 それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」イエス・キリストの働きの一つは、御国の福音を宣べ伝えること。二つは、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。もう一つは、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている群衆を愛することです。宣教と、癒しと、愛の行いが、キリストを信じるクリスチャンと教会の使命です。救いがあると告げる伝令です。アーメンと言えば救われます。癒しが必要な人に手を置いて癒しを祈り、神の愛を実行します。愛は行いになって初めて分かります。そして、救われる人がいっぱいいます。収穫は多いのです。刈入れ時が来ています。けれどもは働き手少ないのです。すべてのクリスチャンが、イエス・キリストの救いを伝える時です。また、生駒聖書学院に来て、聖書を学び、聖霊に満たされた愛を実行する牧師になってください。男女単身寮、家族寮もあります。9月入学生も募集中、9月7日入学式です。年齢、学歴、経歴、性別、国籍に関係なく、神に召された働き人を求めています。通信科もあります。どうか、収穫の主に、収穫のための働き手を送ってくださるようお祈りください。神様が、あなたですと言われたら、入学をお待ちします。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/10
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詩篇27:14 待ち望め。主を。雄々しくあれ。心を強くせよ。待ち望め。主を。昨年歯の手術で流動食生活が続き、今年も流動食を愛用しています。歯はインプラントや差し歯と15本も直したので、きれいに完治し、何でも食べれるようになりました。今日もゲストと焼き肉バイキングランチでした。主イエス・キリストを信じるとき、信仰、希望、愛が与えられ、復活のいのちに生かされます。 御霊の実の愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制の人格が与えられます。 心で決めてことばに出せば、告白どおりの結果になります。アーメンと本気で言えば、その通りになります。悪い習慣からすぐ解放されます。思っているだけでは何も起こりません。 朝から蕎麦が食べたいと思い続けていても、食堂に入ってラーメンと言えば、ラーメンがでます。そこで思った通りに、蕎麦が出されなくて怒っても、ラーメンと自分が言った通りになっただけ。不信仰なことばや、ネガティブなこばばかり口にしていると、ひどい目に遭います。言葉の不思議さは、自分が言った通りのことが、繰り返し起こります。主を待ち望み、心を強くし、本音でアーメンと祈り、健全な信仰を告白するよう、心、コロコロにならないように、ことばのエネルギーは聖書のことばです。、しっかり宣言し告白どおりになります。神の子どもですから、神のことば、天国ことばをいつも使いましょう。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/09
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聖書の一言;マタイの福音書 9:20-22 すると、見よ。十二年の間長血をわずらっている女が、イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と心のうちで考えていたからである。イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。「娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」すると、女はその時から全く直った。福音書には、イエス・キリストの奇跡が多く記録されています。その奇跡は、イエス・キリストの愛と力が、その中から流れで出た結果です。12年の長血の女は、イエス・キリストのことを聞いた時から、きっと直ると、心の内で考え、きっと直ると言っていました。そして、その考えとことばを行動に移して、群衆に紛れこみ、イエス・キリストのうしろに来て、その着物のふさに触り、その時からまったく直りました。イエス・キリストは、娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。すっかり直って達者になりなさい。優しい愛のことばで、彼女の信仰を称賛されました。私たちは、その動機が何であっても、だれでも重荷を負って苦労している者は、わたしのところに来なさいと、優しく招いてくださっているイエス・キリストの十字架ももとへ、アーメンと言うだけで良いのです。その愛の手をひろげて、受け入れてくださいます。いつも書きますが、16歳の時、種子島の高校生時代、西之表キリスト教会でアーメンと信じてバプテスマを受け、クリスチャンになり、重荷のない人生を平安に守られております。イエス・キリストの助けを求める時、動機や信仰、神学や行動が完全になるまで待つ必要はありません。ありのままの姿で行くことができます。大事なのは、イエス・キリストのもとに行くことです。イエス・キリストは喜んで、あるがままの私たちを受け入れてくれます。そして、私たちをあるべき姿に変えてくださいます。私たちには、他人を批判したり、非難する権利はありません。その人が、イエス・キリストのもとに行き、受け入れられ変えられ続けていることを喜び、祝福を祈ることが最高です。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/09
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詩篇27:3 たとい、私に向かって、陣営が張られても、私の心は恐れない。たとい、戦いが私に向かって起こっても、それにも、私は動じない。小雨は降っても、心は晴れ晴れ、スカッと青空。種子島の空や海のように、ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。朝のうちに病院見舞い。すぐ鳥取市から29年前に、アーメンと信じて洗礼を受け、鳥取でも熱心に信仰生活。今は教会の中心で活動。くら寿司昼食の後、孫が来て夕方まで,欲しかったオモチャで遊ぶ。マンゴ一個の夕食。 恵みの朝来て ハレルヤアーメン賛美と祈りで 幸せ満ちて主イエスは復活 いつもともにて豊かな奇跡の 平安の日々恐れも不安も 十字架の下で残らず消え去り 神の子なればアーメン信じて 信頼しつつ よろこび溢れて ありがとう感謝 聖霊注がれ みことば豊か み神のことば 誠となれば信じて告白 実現楽し繁栄成功 主イエスは共に アーメン問題や試練もあり、四面楚歌の日もあるように思えても、戦いばかりと感じても、心は晴れ晴れ、恐れず動じない。向かう所に敵無し。無敵の勝利。天国まで続くチャンピオン生涯です。日本は平和憲法に守られ70年続く平和憲法。このごろおかしくなりかけている。強いぞ!!戦うぞ。かかって来い。やっつけるぞ!!悪がきが一人で騒いでいるみたい。平和憲法を誇りに、日本を世界の平和遺産の模範にするくらいの偉大な器の出現を祈る朝です。政権党も野党も仲良く、平和憲法を守る国に。それから平和に話し合い、心を一つに美しい日本を形成して行こう。祝福を祈る夕べです。ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します。ハレルヤ!
2015/07/08
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聖書の一言;マタイの福音書9:9-13 イエスは、そこを去って道を通りながら、収税所にすわっているマタイという人をご覧になって、「わたしについて来なさい。」と言われた。すると彼は立ち上がって、イエスに従った。イエスが家で食事の席に着いておられるとき、見よ、取税人や罪人が大ぜい来て、イエスやその弟子たちといっしょに食卓に着いていた。すると、これを見たパリサイ人たちが、イエスの弟子たちに言った。「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人といっしょに食事をするのですか。」イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」マタイの福音書の著者が、キリストの弟子になった記録です。短い言葉=わたしについて来なさい。収税所で働いていましたが、彼は立ち上がり従いました。マタイはその筆で、マタイの福音書というキリスト伝を残してくれました。それが気にいらないパリサイ人たちがいました。彼らは宗教に熱心でしたが、それは本質的に利己主義で、彼らは人を救うよりも、他人の誤りを指摘し、罪を裁き断罪するだけでした。病気を診断しながら、何の治療もしない医者のようです。医者を必要とするのは丈夫なものではなく、病人だけです。わたしが来たのは。義人を招くためではなく、罪人を招くためです。その意味は、わたしが来たのは、自分に満足し、自分は正しい人間だから誰の助けもいらない、と思い込んでいる人たちを招くためではない。わたしが来たのは、自分の罪を強く自覚し、救い主の必要を求めている人たちを招くためです」その十字架の死は、全ての人の罪を引き受け、罪を赦し消し去り、義としてくださり、神の子として生きて、天国への道を歩ませてくださいます。そして、人々に救いを伝え、励まし導く栄光の人生を与えてくださいます。どこにいても、どんな状態であっても、イエス・キリストをアーメンと信じるなら救われ、新しい人生を生きることができます。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/08
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主イエスの恵みは 優しく注がれ憂いも悩みも 消え去り平安 十字架にいのちを ささげ愛して復活のいのちに 今日も包まれ心は晴れ晴れ 賛美と感謝...聖霊注がれ 力にあふれ主イエスの救いを 伝え続けて信じる人々 幸せ満ちて新たな旅立ち 信じる道を祈りで告白 山さえ動く主の御名高らか あがめて歌う ありがとう感謝で 栄える道を アーメンありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/07
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聖書の一言;マタイの福音書9:1-7 イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰られた。すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている。」と言った。イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。『あなたの罪は赦された。』と言うのと、『起きて歩け。』と言うのと、どちらがやさしいか。人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに知らせるために。」こう言って、それから中風の人に、「起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい。」と言われた。すると、彼は起きて家に帰った。病や問題がなぜ起こるのか。人生の謎?です。原因を追究し?に答えようと、多くの答えが考えられています。しかし、?で問い詰めても正しい答えはありません。イエス・キリストは、中風の男に、子よ、しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。とだけ言われた。彼は、イエス・キリストのことば通りに、起きて家に帰ったのです。聖書は、心であれ、身体であれ、その問題の本質は罪が原因であると教えています。その罪は具体的な犯罪だけでなく、根本的な原罪です。キリスト教会の礼拝で、あなたは罪人ですという説教を聞くと、怒って教会に来ない人もいます。それは罪人=犯罪者というイメージがあるからだと思います。三つの罪があります。一つは法律を破ることです。それは法律が裁き、罰則があります。もう一つは、道徳律です。うそや妬み憎しみ、怒りや非難中傷殺意など、法律で裁くことのできない罪です。それを裁くのは良心です。今の時代、良心がマヒした時代の感がします。もう一つが原罪です。原罪とはいのちの源である真の神から離れていることです。唯一の神を信じていない状態であり、全ての人は罪人です。その終局は死であり、死んだのちに裁かれて地獄行きです。ところが、唯一の義なる神は愛であり、ひとりも滅びることを望まず、見えない神がひとり子イエス・キリストとして来てくださいました。罪ある人間としてではなく、処女マリヤを母として、原罪のない人間として誕生しました。そして、33歳で十字架の上に、全人類の罪を背負い贖いとなって死なれました。墓に葬られましたが、3日目の朝に復活し、今も生きておられる救い主であり主なのです。イエス・キリストの十字架の救いをアーメンと信じるだけで、すべての罪=原罪も赦されて、義とされ新しい人生へと変えられます。すばらしいことに?マークの人生が、!マークの人生へ変えられ、全て=病も悩みや試練も、神の愛と信じて感謝できるようになります。イエス・キリストの救いをアーメンと信じて、輝きに満ちて天国の日々を生きてください。平安と幸せ、輝く笑顔で、人々をキリストのもとへお連れしましょう。今日は午後5時から、ABCスタジオで8月ラジオ放送録音日です。午後6時過ぎにホスピスへ見舞いに行き、午後7時より大阪エリムキリスト教会説教。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/07
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詩篇26:3 あなたの恵みが私の目の前にあり、私はあなたの真理のうちを歩み続けました。ダビデの告白です。誠実で真実な素晴らしい人生。さいわいですの詩篇の大半がダビデの詩篇です。主イエス・キリストの十字架と復活により、全人類に恵みの道が開かれ、アーメンと救いの恵みを体験できます。 救われるために何をしたら。幸せになるには。天国に行くには、万巻の経典やハウツー本があふれています。唯一の本の中の本=バイブル(本という意味)は、何もしなくて良いと宣言しています。十字架の救いは、愛の恵みです。あれをせよ、こうせよ、そうすれば救われるということばや教えの呪縛から解放され、アーメンと信じる贅沢な恵みを、幼子の心で受け取り、恵みの道を今日から歩みましょう。 16歳の時、種子島でアーメンと信じ洗礼を受けクリスチャン56年。今日の聖書のことばどおり、平安で幸せな恵みの道を歩んでいます。...午前10時=東大阪市小阪前カラオケ教室。サボテンの白い花が綺麗。 午後1時30分=牧師会で祈りの時。為房ゆみ子牧師自叙伝刊行。 午後4時=ハガキ5通と手紙2通。宅急便も沖縄へ。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。エペソ人への手紙2:10 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。――キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。それは、あとに来る世々において、このすぐれて豊かな御恵みを、キリスト・イエスにおいて私たちに賜わる慈愛によって明らかにお示しになるためでした。あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。
2015/07/06
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聖書の一言;マタイの福音書8:23-27 イエスが舟にお乗りになると、弟子たちも従った。すると、見よ、湖に大暴風が起こって、舟は大波をかぶった。ところが、イエスは眠っておられた。弟子たちはイエスのみもとに来て、イエスを起こして言った。「主よ。助けてください。私たちはおぼれそうです。」イエスは言われた。「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」それから、起き上がって、風と湖をしかりつけられると、大なぎになった。人々は驚いてこう言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」新聖歌 248番 (聖歌472番)人生の海の嵐に もまれ来しこの身も 不思議なる神の手により 命拾いしぬいと静けき港に着き われは今安ろう 救い主イエスの手にある 身はいとも安し悲しみと罪の中より 救われしこの身に 誘いの声も魂 揺すぶること得じいと静けき港に着き われは今安ろう 救い主イエスの手にある 身はいとも安しすさまじき罪の嵐の もてあそぶまにまに 死を待つは誰ぞただちに 逃げ込め港にいと静けき港に着き われは今安ろう 救い主イエスの手にある 身はいとも安し教会員をホスピスに見舞いました。昨年、家内が入院した隣室で、奥様もこのホスピスだったんですねと話しながら、共に手を取り合って祈りました。陣営の海の嵐で、一番過ごし嵐は死です。突然のように襲う、ガリラヤ湖の嵐にも比することができます。しかし、その船にイエス・キリストがおられるので、大丈夫です。何故怖がるのか。風と波をしかりつけられると、大なぎになったように、大丈夫守られます。詩篇107:28-31 この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。主があらしを静めると、波はないだ。波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。主の恵みと、人の子らへの奇しいわざを主に感謝せよ。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/06
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聖書の一言;マタイの福音書8:14-15 それから、イエスは、ペテロの家に来られて、ペテロのしゅうとめが熱病で床に着いているのをご覧になった。イエスが手にさわられると、熱がひき、彼女は起きてイエスをもてなした。ペテロの家で、その姑が熱病で床に着いていました。熱は微熱でも大変です。百人隊長の願いに答え、悪霊につかれた男を解放し、やっと家につかれたのですが、家でも熱で苦しむ婦人。イエス様は、ここでも愛とやさしさをもって、その手で触られ、熱は引き、彼女は起き上がらり、もてなしました。家の中でも、人が見ていようといまいとに係らず、愛の手は伸ばされます。信じる者が手を置くなら癒されます。手当ては大きな癒しの手です。子どもが病むとき、痛がるとき、医者よ、薬よとあわてないで、優しい母の愛の祈りの手で触れることです。また、自分が病むとき、痛むときも自分の手で触れ、イエス・キリストのお名前で直れと祈ります。右脳内出血と小脳内梗塞で、右足に不自由があり杖をついています。朝夕に手を置いて、アーメン。ありがとうございます。癒されました。感謝します。と宣言します。起き上がりもてなしたように、今日も朝の礼拝を終え、ホスピスに見舞い、喫茶店で面談し、午後の大阪での礼拝説教。私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。(コリント人への第一の手紙9:23-27)ありがとうごあいます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/05
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詩篇25:4ー7主よ。あなたの道を私に知らせ、あなたの小道を私に教えてください。あなたの真理のうちに私を導き、私を教えてください。あなたこそ、私の救いの神。私は、あなたを一日中待ち望んでいるのです。主よ、あなたのあわれみ=愛と恵みを覚えていてください。それらはとこしえからあったのですから。私の若い時の罪や背きを覚えていないでください。あなたの恵みによって、私を覚えていてください。主よ。あなたのいつくしみ=愛のゆえに。聖書のことばに、朝ごとに恵みを受け、わたしはあなたを愛している。あなたは私の目に高価で尊い!との声を聞きながらの一日でっした。すべてはイエス・キリストの十字架の救いを、アーメンと信じた16歳の種子島から、スタートし57年になります。信じてバプテスマをその日に受けクリスチャンになりました。その日から、真理のうちに、小道=日常茶飯事も安全に守られ、デッドエンドにぶつかっても、誰も知らないような新しい道も開かれ、通り抜けて来ました。タクシー運転手は19歳で結婚し、今年50年で金婚式。今年が金婚式でしたが、49年共に歩いてくれた愛する妻は、昨年5月17日に天国へと指文字を書き、平安で静かに天国へ。 今日は66歳で召された兄弟の納骨式で、大阪府営岬墓地まで、往復タクシー5万円。朝から雨の中でした。ありがとうございます。今日もまた天国の一日。感謝します。ハレルヤ!
2015/07/04
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聖書の一言;マタイの福音書8:5-13 イエスがカペナウムにはいられると、ひとりの百人隊長がみもとに来て、懇願して、言った。「主よ。私のしもべが中風やみで、家に寝ていて、ひどく苦しんでおります。」イエスは彼に言われた。「行って、直してあげよう。」しかし、百人隊長は答えて言った。「主よ。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは直りますから。と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私自身の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」イエスは、これを聞いて驚かれ、ついて来た人たちにこう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません。あなたがたに言いますが、たくさんの人が東からも西からも来て、天の御国で、アブラハム、イサク、ヤコブといっしょに食卓に着きます。しかし、御国の子らは外の暗やみに放り出され、そこで泣いて歯ぎしりするのです。」それから、イエスは百人隊長に言われた。「さあ行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどその時、そのしもべはいやされた。聖書をそのまま転載しました。百人隊長のことば、ただおことばをいただかせてください。すすれば、私の僕は直りますから。キリスト教信仰は、おことば信仰です。アーメンは、真実です。誠ですという意味です。何が真実で誠なのか。それは神のことば=聖書のことばが生きていて力があるから、神の約束に対してアーメンなのです。呪文でも題目でもなく、アーメン=誠=言+成。おことばどおりにこの身になります様にとの願いです。イエス・キリストの誕生は処女降誕。マリヤは、処女なのに身ごもって男の子を産むと、天使の御告げを受けました。神にとって不可能なことは一つもありません。マリヤは、ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。神のことばをアーメンと受け入れました。イエス・キリストの誕生は、マリヤのアーメンから全世界の救いが実現したのです。聖書のことばにアーメンと言えば、時空を超えて、百人隊長の信じたとおりに僕が癒されたような奇跡が起こります。今日も聖書のことばをそのまま信じます。主イエスを信じなさい。そうsればあなたもあなたの家族も救われます(使徒16:31)アーメン。ありがとうございます。私も私の家族も救われました。感謝します。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。アーメン。ありがとうございます。罪から救われ義に生きました。そのうち傷で心も身体も癒されました。感謝します。ありがとうございます。今日もまた天国の一日です。感謝します。
2015/07/04
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