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本日開かれた県公共工事入札等適正化委員会は、浅川ダム本体工事入札で「あらかじめ入札参加者間で談合が行なわれたものと判断する」との報告書をまとめ、田中知事に提出した。県の設置した第三者機関が談合を認定するのは全国的にも異例とのことで、夕方の各テレビ局のニュースはいっせいにこのことを報じていた。 浅川ダムに反対し続けてきたこの10年間余のことをふりかえっても、県土木部が、「まだ本体工事の工法は最終的に確定していない。」と言っている時期に、つまり、まだ入札など行なえる状態にないはるか以前から、すでに巷では、「浅川ダムの工事は前田建設がやることになっている。」と、まことしやかにささやかれていた。「そんなことがあっていいのか。」と、私が議会で質問したのは、まだ私が県会議員となって1期目の駆け出しの頃のこと。土木部長の答弁は、もちろん、「そんなことはありません。まだ、何も決まっていません。」というものだった。 地すべりの危険性やダムの治水効果への疑問から進めてきた反対運動を押し切って、池田前副知事が出馬した県知事選の直前に、浅川ダムの本体工事の入札が行なわれた。入札の前日に、「浅川ダムは前田・フジタ・北野に落札することに決まっている。」という内部告発の談合情報が寄せられ、住民達は入札会場前で「入札中止」を訴えて反対したが、入札は強行され、結果は談合情報どおりの企業に落札された。 これだけの状況証拠がそろえば、「談合があった。」と考えるほうが素直な受け止め。しかし、関係者は知らぬ存ぜぬの一点張り。本来チェック機能を発揮するべき県議会は、私たち日本共産党県議団の再三の申し入れにもかかわらず調査委員会さえ設置しなかった。 「赤信号、みんなでわたれば怖くない。」といわんばかりに、談合はそこに参加した当事者が、「談合しました。」と正直に言わない限りは、明らかにならず、そんなことをしようものなら、次の仕事の保障はまず無くなり、業界からも締め出されてしまうから、限りなく「黒」に近くても、絶対ばれない、というのが今までの常識だった。その結果、談合の仕切り業者に従わざるをえず、価格も高値安定。発注の公正さと、事業費の節約はいつまでたっても実現できないこととなる。 本日、知事に渡された報告書によれば、浅川ダムとほぼ同規模で、同時期に、似通った業者が入札に参加した県外の浄土寺川ダム、琴川ダムは一般競争入札で行なわれていて、落札率は予定価格に対して浄土寺川が69.63%(2番手の入札は79.97%)、琴川が63.77%(2番手は69.23%)であるのに対して浅川はほとんどの業者が予定価格前後の極めて接近した価格で入札しており、落札率なんと96.32%(2番手は99.45%)。あわせて検討された工事費内訳書の積算内容の分析でも、入札に参加した10の共同企業体の積算価格がほとんど違わないと言う事実と合わせて、浅川ダムの入札にあたって「入札参加者間に競争が成立していない。」という判断は妥当なものと言える。 報告書を読めば明らかだが、今回の浅川ダム工事の談合疑惑解明に大きな貢献をしたのが、新聞「赤旗」がスクープした「談合の結果一覧表」ともいうべき、全国のダム事業の「本命」企業を掲載した山﨑建設の営業用資料(報告書では「山崎文書」)だ。山崎文書は、平成8年のはじめ頃、当時ダム談合を仕切っていた奥村敏昭飛島建設副会長が、「ダム工事の本命企業はこれを見るとわかる」といって業界関係者に渡したものを「赤旗」記者が入手したものだが、新聞「赤旗」でのスクープまでに落札された全国の26ダムのうち、実に22ダムがこの文書の本命企業と一致している。それぞれのダム別の担当者名は資料作成時(平成7年12月)の山﨑建設の実在の営業担当社員名であり、この文書の信憑性を裏付けている。浅川ダムについては、実際に本体工事が発注される4年半も前に、すでに共同企業体の組み合わせまで正確に予測しており、かなり早い段階で談合で本命企業が決まっていたことになる。 おりしも、今日は新聞「赤旗」の創刊75周年。タブーを恐れず、真実を報道する新聞「赤旗」の面目躍如と言うところ。 談合が成立するためには、予定価格をもらしたものの存在が欠かせないということで、県職員の関与、あるいは県会議員の関与が無かったのかという問題の解明が残されているが、そのためには、「赤信号」を渡った人たちの良心において、自浄能力が発揮されるか警察力の発揮に待たねばならないだろう。強制捜査などの権限を持たない「適正化委員会」が、客観的事実の積み重ねで「談合」を認定した手腕と勇気に、私は浅川ダムの工事契約が正式に解除されて、ダムが中止になった時に続く、ある種の感動を覚えた。このことがひとつのきっかけになって、長野県の公共事業の公正な発注と税金の無駄使いをなくす改善がすすんでいけば、どんなにうれしいことだろう。 ところが、夕方のテレビ信州(TSB)のニュースを見ていたら、「浅川ダムの『談合』認定」のニュースに続き、「一方、長野市では、ダム推進派の住民集会が200名の参加で開かれました。」という報道で画面には「5人の県議が参加」の文字が・・・激励のあいさつをしていたのは石田治一郎県議、画面には鈴木清県議、竹内久幸県議がうつっていた。なんということ!「浅川総合治水対策連絡協議会」という名のこの団体は住民団体とはいうものの実際には浅川流域の区長中心の半官製団体で、「総合治水」をうたいながら、「ダムに反対しているから」という理由で私たち日本共産党の県議・市議だけを顧問から排除して結成された差別的な団体。しかも運動経費は募金でも会費でもなく「負担金」という名の事実上の区費。 かたや、下諏訪ダムが中止になった下諏訪町の高橋町長は、今日、県庁をおとずれ、町が立案した「御柱の里整備事業」を来年度の県予算案の「長野モデル創造枠」に盛り込むように田中知事に要請したと言う。「御柱の里整備事業」は、中止になった下諏訪ダム建設予定地の東俣川の水を活用した「名水」づくりや、ダム建設予定地だった周辺の森林を育成して遊歩道やハイキングコースを作り、「緑のダム」の調査研究や廃校を使った小中学校の総合学習などの構想。下諏訪商工会議所が試作したペットボトル入りの「御柱神水」やもみの木の種と御柱祭の「木落とし坂」の土を入れた缶詰の見本を持参して「雇用や福祉にも役立つ。」と提案したと言う高橋町長。 前述の長野市の「ダム推進の住民集会」は、メンバーの構成からも運営経費の出元からも長野市の行政がらみのことだが、同じようにダムが中止になった下諏訪町と長野市でのこの対応の違いには、私も一長野市民として、長野市の行政の旧態依然の発想に、がく然として恥ずかしい思い。
2003年01月31日
きのうに引き続き、決算特別委員会の現地調査。今日の調査箇所は松本地方事務所、波田学院、計量検定所、畜産試験場、豊科建設事務所。 調査は午前中で終了し、午後は松本で、藤沢のり子県議の事務所をお借りして県議団会議。2月20日から開会予定の定例県議会での質問内容やそのための調査についてなど打ち合わせ。 小雪舞う中を事務局の和田さんの車で長野に向かったが、長野が近づくに連れて雪は激しく降っている。今日は、以前からのお約束で、お忙しいなかをM医師が、一緒に県議選での支援をお願いにまわってくださることになっているため、雪で渋滞してのろのろ運転の道路状況が心配でハラハラ。約束の時間は午後7時だが、県庁の議員公舎に着いた時にはすでに6時半をまわっていて、仕方なく遅れることを連絡した。 渋滞のなかをあせる気持ちを抑えながらM医師宅に向かっていると、携帯電話がなり、党県委員会の山口典久書記長から。本日行なわれた黒沢川部会で、黒沢川の治水・利水対策について、ダムなし案でまとまったとのこと。よかった! 予定より30分遅れてM医師宅に着くと、なんとそれから降りしきる雪のなかを、私は駆け足でM医師のご近所を駆け回ることになった。「滑らない靴、はいてるから大丈夫よ。」と、彼女はまるで少女のようにすばやくお知り合いの家から家へと駆け回る。私とTさんは、遅れてなるものかとそのあとを走って着いて行き、みるみる体中がぽかぽか。こんなに走り回ったごあいさつまわりははじめて。1軒でも多く、というM医師の思いが伝わってきて、胸がいっぱいになる。彼女のようなたくさんの人の思いに支えられて私はがんばることができるのだ、と改めてその幸せをかみしめる。その、多くの人たちの思いを、決して裏切ることなく、がんばっていきたいと思う。
2003年01月29日
今日と明日の2日間、決算特別委員会の中信地区現地調査。平成13年度の決算を認定するかどうかを判断するための決算状況の調査である。今日の調査箇所は木曽地方事務所、木曽保健所、木曽養護学校、木曽警察署。(くわしいことはあとで・・・)
2003年01月28日
私たち夫婦の仲人さんでもある弁護士の冨森啓児さんの兄である冨森叡児さんの著書「うろんなり助右衛門」の出版祝賀会にお招きをいただき、出席した。 冨森啓児さんはかつて長野1区の日本共産党の衆議院候補として当選まであと一歩に迫る健闘をした人、その兄にあたる叡児さんは朝日新聞政治部記者、東京本社編集局長をつとめ、東海大学教授、退任後政治評論家という人。そのため、祝賀会の参加者は多彩な面々。私は著者の叡児さんとは今日が初対面である。 以前から冨森さんが忠臣蔵の討ち入りをした赤穂浪士の47士のひとりである冨森助右衛門の末裔と言うことはお聞きしていたが、その冨森家へ長野市真島の北村家から討ち入りをした助右衛門の2代あとに養子に行っていたこと、その北村家はかつて長野市と合併前の真島村の村長をつとめた旧家で、現在の当主北村武夫さんは、なんと私もよく知っているかただったとは!北村さんは長野県の「心臓病の子供を守る会」の責任者でもあり、国立東長野病院の心臓血管外科が廃止されようとしたとき、反対運動を一緒にがんばった。「とべ、タンポポの綿毛」という詩集を出された心臓病で亡くなられた奥様や息子さんのことも知っている。 冨森助右衛門にかかわる子孫や縁者の方々が、現在のこの日本で、長野の地で、それぞれ社会進歩を進める運動に参加され、私がその方たちともかかわりがある・・・ということの不思議なめぐりあわせ。なんだか、私にとっても忠臣蔵が急に身近な存在になってきた。人と人とのつながりと歴史のめぐりあわせの不思議な縁にはただただ驚くばかり。 出版祝賀会での冨森叡児さんのお話によると、冨森助右衛門は俳人で資産家、マイホーム主義で家族を大切にした人であるとともに有能な武士官僚だったのだという。その助右衛門がなぜ討ち入りに参加したのか。「うろんなり」というのは、「疑わしい」「うさんくさい」という意味だそうで、大石内蔵助も冨森助右衛門が討ち入りに参加するのかどうかを「うろんに」思っていたと言う。歴史の糸をたぐりよせるように、興味の尽きない1ページ1ページを、心おどらせて読ませていただくつもり。 夜、更埴市屋代公民館で、県政懇談会。あの知事不信任の立役者、旧県政会団長の下崎保県議の地元である。県議選では1人区のこの選挙区で、今度は無党派の皆さんと私たち日本共産党、幅広い皆さんとが力をあわせて、新しい県政の改革にふさわしい県会議員を当選させることができたら・・・と、今、共同のための話し合いがすすんでいる。実家が更埴市にある高村京子さんも参加してごあいさつ。私からは、主に財政問題を中心に県政の現状についてお話し、質問、意見を出していただいた。この懇談会には、下崎県議の後援会の役員をしていたという人も参加していただいた。 県議会の力関係を変える確かな力をつくることができるように、共同のとりくみがみごと実ることを願っている。
2003年01月25日
きのうからの雪の降ること降ること・・・。朝、雪の中から車を掘り出すだけでも、重い雪の片付けに、肩がこってしまった。今日は午前10時から知事と各会派の代表者との新年度予算の懇談会があるため、きのうのように遅刻しないように早めに出て、会議には間に合ったが、いつも30分で着く県庁まで、今日は1時間かかった。 知事との懇談会のあと、お世話になっているかたのお父さんのお葬式でお焼香を済ませ、地元の生活道路である「東外環状線対策委員会」の会議に出たあと、夜は野々村博美市議の地元の後援会の新年会。あいにくの大雪の中を集まっていただいた方々にお礼を言い、県政の最近の様子と県議選をめぐる情勢などお話させていただき、ご支援をお願いする。参加者からは、日々の選挙に向けての取り組みなども報告され、多くの参加者から、出足早く、電話ではなく直接対話で支持を広げているという地道な活動の様子が語られて胸が熱くなる。 そこに参加していた建設業者の方の話では、今日、県の公共事業の入札方法が変わることの説明会があったとのこと。今後、基本的にはインターネットなどによる電子入札に切り替わることになる。説明会に参加した業者の皆さんは、「これで談合は難しくなる。」「県議にお願いしたり、介入することはほとんどできなくなる。」と言う感想が語られ、このような改善がすすめば、もう、談合を取り仕切る業者への気兼ねや、県議などに頭があがらないと言うことも無くなる、と期待する声もあったとか。 これからも試行錯誤はあるだろうが、実施しながら改善点は率直に出し合い、透明性を高め、公正な価格で公正な公共事業の発注がされることを願っている。
2003年01月24日
朝おきて、カーテンをあけると、車のフロントガラスも凍っていないし、道路は乾いているし、「今日はあまり寒くなくてよかった。」と思っていたら、なんの、なんの、街頭宣伝に出かける頃には急に雪が降りだして、みるみる雪野原。 今日は伊藤市議が都合が悪くて来ないとのことなので、ハンドマイクを私の車に乗せて朝陽駅で恒例の朝のごあいさつ。車もハンドマイクもみるみる雪に覆われて、とにかく大変な雪だ。今日は治水利水ダム等検討委員会のため、急いで会場の百景苑へ向かう。雪のため道路を走る車はのろのろ運転。信号が変わってもびくとも動かず、これでは検討委員会に遅刻確実なので遅刻の連絡をする。気持ちはあせるが車はすすまず、いらいらしながらやっとの思いで15分ほど遅刻して会場へ着くと、待ちかまえていた係の職員が、「雪のため皆さん遅れていて、石坂議員さんが4人目の到着です。」とのこと。4人では過半数にならず、検討委員会として成立しないので、結局検討委員会は約1時間遅れて始まった。 今日の検討委員会では、蓼科ダムの計画があった上川部会のダムなし案の報告を受けて、検討委員会としても部会報告の結論を尊重してダムなし案とすることを了解し、最終報告をまとめる起草委員のメンバーを決めた。私も起草委員のメンバーのひとりになった。また、前回の検討委員会や各部会に、利水ワーキンググループとして私が提供した討論のための参考資料に反論するためらしく、土木部河川課と砂防課から、「暫定豊水水利権はあくまで暫定であり、根本的な解決策ではない。」「砂防ダムからの生活用水の取水は基本的には目的外であり、水利権は取れない。」という説明が、またしてもわざわざされた。いやはや。制度や法律を「できない」ことの理由に使うのではなく、現状の解決のために「柔軟に生かす」発想に、彼らはいつになったら変われるのだろう。 検討委員会が終わって県庁の共産党控え室に行くと、「夕方5時から部落解放同盟が記者会見をする。」というので、何の記者会見かと思ったら、昨日の知事との懇談の結果に不満を持った部落解放同盟が、知事への抗議文を渡して、その後会見するのだとのこと。 昨日の懇談については、本日付け信濃毎日新聞でも報道されているが、県が来年度から同和対策事業を大幅に見直す方針を打ち出した問題で、部落解放同盟側の約130人と知事が懇談したもの。同和対策の終結については、すでに昨年3月で、国の「特別措置法」の期限が切れ、部落差別をなくすための「同和対策」を特別に取り出して行なうのではなく、一般対策として、他の差別解消の問題と一緒に取り組んでいく、つまり、もう、「同和だから」という特別扱いはしませんよ、ということで、私たちはかねてから、その方向を望んでいた。昨年9月県議会での初めての代表質問でも、私はこの問題を取り上げ、知事から積極的な終結への決意が答弁された。 長い間、多くの県民が、部落差別を理由にした「同和対策」の特別扱いのために、まるで腫れ物にでもさわるように、「逆差別だ。」「おかしい。」と思っても、そんなことをひとたび言ったら、「差別者」のレッテルを貼ってつるしあげられるのを恐れて、不当な優遇ぶりや破格の補助金も見て見ぬふりをせざるを得なかった現実。 昨日の懇談でも、今日の抗議文を渡す際にも、部落解放同盟側はかなりの紛糾ぶりで、昨日は激しい怒号も飛び交い騒然とした雰囲気だった模様。部落解放同盟側は、部落解放審議会が「依然として差別事象があとをたたない。」と答申した点を強調し、「削減する事業に変わる具体的な対策を一般対策の中で示すべきだ。」という主張で、結局名前は一般対策に変わっても、特別扱いをやめてはならないと言う主張だ。これに対して知事は「部落差別の解消のためだけに一般対策を行なうわけではない。」「あらゆる差別と同じ土俵で解決をはかる。年齢、性別や国籍の別にかかわらず公正なチャンスが与えられる社会をめざしている。」と答えた。部落解放同盟側が、「部落差別が現在もあることを認めないのか」と迫ったが、知事は「世の中にはさまざまな差別があり、部落差別だけが特別な問題ではない。」と応じて平行線。 従来、このやり方で、結局は逆差別ともいえる特別扱いを認めさせてきた部落解放同盟が、自分たちの意のままにならないからと、今日の抗議集会と知事への抗議文となったわけだが、長い間、多くの人たちが、「部落差別」や「同和対策」については矛盾を感じても自由にものも言えず、そのために、どれだけ多くのエネルギーと多額の税金が使われてきたかを思えば、毅然とした態度を貫いている田中知事には心からの拍手を送りたい。 部落解放同盟の知事への抗議の申し入れの様子を取材に行って帰ってきた新聞「赤旗」の記者の青野さんは最近転勤してきたばかり。「僕は、関西にいたこともあるんですけど。関西は部落解放同盟が強くて、どこでも市町村長や知事は解放同盟に頭が上がらないんですよ。いやあ、田中知事には感動しましたね。まったく動じないで正論でがんばっていましたね。」と、興奮気味。
2003年01月23日
私たち日本共産党県議団が、昨年12月議会でも取り上げ、年末の知事への申し入れでも見直しを要望し、知事も現地調査をできるだけ早くしたいと言っていた須坂市豊丘に計画されている洞入沢砂防ダム建設予定地の現地調査が今日行なわれた。 夕方のSBCテレビのニュースには、小雪舞う中、現地調査をする田中知事と同行の県職員、賛否両論の住民が画面にうつしだされ、過去の災害を理由にこの砂防ダムが計画されたと言う説明がされたらしく、「なぜ、災害から20年もたってから砂防指定がされたの?」と質問する知事の現地でのコメントが紹介されていた。 計画を知った住民が、「こんなところになぜ、あんな大きな砂防ダムを造るのか?」という疑問を持ち、その声が私たちに届けられ、議会の質問や申し入れになり、知事がそれにこたえて現地調査する。多分、以前の県政だったら、住民は疑問を感じても、その思いを自分の中に閉じ込めてしまっただろう。「どうせ、自分が何か言っても変わらない。」と。現に昨年末、私たちが現地に行ったときには、「息子が県の職員だから、黙っていようと思ったが、逆に息子に、遠慮することは無い、と言われた。」と、現地で私たちに現状を説明してくださった人もいた。納得できないことは、発言し、行動する県民の皆さんとともに、私たちは県政をより県民のものにしていくことができるのだろう。 この砂防ダムをどうするかは、今後の検討と知事の判断を待つことになるが、いずれにしても4億5000万円と言う多額の県費を使う事業である以上、県民の納得のいく結論を出してほしい。
2003年01月21日
「是非懇談を」と、お申し出のあった長野県行政書士政治連盟の役員の皆さんと初めての懇談をした。(くわしいことはあとで・・・)
2003年01月20日
県議選での村松直美さん(飯田市区)、木下まさいくさん(下伊那郡区)の勝利をめざして開かれた「春を呼ぶ女性のつどい」に参加するため、「午後からは雪」の天気予報を気にしながら、今日は、下伊那地区で他の用事もあり、ハードスケジュールになると言うので事務局の和田さんが車の運転を申し出てくれ、和田さんの車で出発。 会場の松尾公民館は、フリーマーケットですでににぎやかに華やいで、控え室では、村松さん、木下さんの替え歌で踊る「きよしのずんどこ節」の練習。参加者でびっちり埋まった会場の熱気を感じながら、私は、県政の変化と、日本共産党県議団の果たしている役割を紹介し、「力をあわせてがんばれば政治は変わると言う希望あるたくさんのメッセージを発信できる年にしましょう。」「県政の改革を進める確かな力をつくるため、是非とも村松さん、木下さんを県議会へ送ってください。」と訴えた。 会場を出ると、案の定みぞれ。車を走らせているとみるみる大粒の雪に変わり、横殴りの吹雪に。あたり一面がもやで覆われて視界が悪くなり、これでは長野は大雪かしら、と心配になったが、梓川をすぎると、うそのように雪は無く、道路も乾いていて一安心。 少し遅刻して長野民商の新年会に。昨日、民商の皆さんは商工業者の要望で県と懇談したが、民商の長い歴史のなかでも初めて知事と直接の懇談が実現したとうれしい報告があった。公共事業を生活密着型に切り替えて、地元業者に優先発注する方針を是非進めてほしい、一部大手企業や銀行の横暴をただしてほしい、と多くの人から訴えられた。なつかしい顔、そして初めてお会いする方たちとも、長野市での県議選で、堀内瑛さんと私の2議席を、なんとしても確保したいとエールを交歓しあった。
2003年01月19日
長野県を相手取って、浅川ダムの建設差し留めを主張してきた私たち浅川ダム反対訴訟原告団は、先日の原告団総会で、ダムをやめさせると言う本来の目的を遂げることができたことから、裁判の今後の進め方を決める進行協議の期日にあわせて、正式に裁判を取り下げることとなり、すべての手続きを終えて、昨日、山岸かきわ原告団長をはじめとする代表者による記者会見と知事への報告が行なわれた。この日に至るまでのさまざまな出来事が思い起こされて感無量。 午前中は地元朝陽地区の後援会員やご近所の皆さんにご挨拶まわり。午後は長野市東部地域の「ちほさんの輪を広げる女性のつどい」に出席した後、長野県自治労連の新年旗開きでごあいさつ。夕方からは小林義和市議と支持者の皆さんや地域のお宅を訪問、ご挨拶や新聞「赤旗」のおすすめ・・・と、今日も一日が忙しく終わった。 自治労連の旗開きで、参加している若い人から聞いた話。彼は、県の職員としての採用試験で、自治会の役員をやっていたことなども包み隠さず正直に書き、面接のとき、「小泉構造改革について、もし長野県がそれに従わずに不利益を受けるようなことになるとしたら、あなたはどうするか。」と聞かれ、「お年寄りの医療費の負担を増やしたり、中小企業に犠牲を押し付けるような小泉さんの構造改革に従わずに、長野県が国から不利益な扱いを受けるとしたら、それは仕方がないこと。そんな構造改革には従うべきではないと思う。」と答えて、「ああ、これで採用はされないな。」と覚悟していたところ、無事採用されたということ。 「面接したのは知事?」と、思わず参加者から質問が出たが、答えは「知事ではありません。」。県民に犠牲を負わせる政府のやり方を批判する発言などすれば、およそ今までの常識では採用試験はパスできない。それが今の長野県では、公務員本来の立場にたって、県民の利益にならないことはできないと、たとえ政府のやり方についてでも、純粋に批判することが不利益にならず、県の職員として採用された。長野県政はここまで変化しているのかと、参加者一同、喜びあった。 若槻、古里、浅川、吉田など、原田のぶゆき市議の担当地域である長野市東北部地域の「ちほさんの輪を広げる女性の集い」は、実行委員会が目標とした100人を上回る120人が参加。マジックあり、抹茶コーナーあり、フリーマーケットありの楽しいつどいで、「ちほさんが有権者の中を走り回って選挙に勝利できるように・・・」と、かざぐるま保育園の保母さんたちが作ってくださった赤い張子のかわいい靴を会場にまわしてお願いした「魔法の靴カンパ」は5万円をこえて、参加者のずっしりと重い期待とともに私に渡された。責任重大と胸が熱くなる。 私は、3期12年間の県議会での活動をふりかえり、「弱い立場の人たちに暖かい県政の光を」とかかげ続けた思いをこれからもかかげて、変わり始めた県政の流れをさらに確実に前進させていくためにも、4月の県議選に勝ち抜く決意をこめてご挨拶をした。
2003年01月18日
第8回の角間川部会。久しぶりにお忙しい専門家の皆さんもそろい、15名中14名の出席。 北陸新幹線高社山トンネルの掘削にともなう湧水の状況について、鉄建公団からは出席困難とのことで、県の新幹線交通局から阿久津次長が出席しての質疑応答。水脈や湧水の詳しい資料をいただくことになった。 今日はダムによらない利水対策が可能かどうかの議論が中心で、今までの議論の中で各委員から提案された利水対策案について議論した。農業用水の水道用水などへの水利権の転用問題については、利水ワーキンググループから討論資料を配布して参考にしていただくようにしてあるが、この流域でも、すでに1000ヘクタールの耕作面積が減っていると言う現実があっても、用水組合の代表である委員からは、「志賀高原の水は基本的には用水組合のもの。一滴たりとも渡せない。」との強硬意見。「譲り合い」「話し合いによる合意」を主張する他の委員とは最後まで意見は平行線。予定時間の午後4時を大幅にすぎてしまった。 2月12日に行なうことになった公聴会にむけてあと2回の部会で治水・利水対策案をまとめ、2月18日を最終部会とすることが確認されたが、ああ、忙しい。 夕方から、朝陽地区に工場が作られ、住民の反対運動にもかかわらず、すでに操業がはじめられた廃プラスチック処理工場の問題での学習会。廃プラスチックを集めて圧縮し、再利用するための処理工場だというが、住民の不安は消えない。何よりも、処理量などの情報を住民に開示しない姿勢が住民の不安を拡大している。 朝陽地区に続いてお隣の大豆島(まめじま)地区でも廃プラスチックの圧縮再処理工場の計画が持ち上がり、住民の声に推されて、これを検討するために長野市が設置した検討委員会は、わずか1日の審議で、建設を認めてしまった。 容器包装リサイクル法が施行してから、皮肉にもますます製造量が増えていると言うペットボトルなど、プラスチック類は安全処理の技術も確立していないのに、製造企業は処理に責任を負わず、そのために自治体と住民が振り回されて苦労し、最終的には処理業者の利益の対象になると言うこの構図を、早く断ち切らなくてはならない。 会場の朝陽支所の2階は、50名近い地域の住民の真剣な姿。時間も忘れて質問が続いた。(廃プラスチック再処理工場に反対する会のHPはこのページからリンクできる。「よく行くページ」を。)
2003年01月17日
平成13年度決算認定のための東京事務所の現地調査で、東京都千代田区平河町の都道府県会館12階にある長野県東京事務所へ出向いた。 高見沢賢司東京事務所長は、あいさつの中で、東京事務所の役割も大きく変わり、中央省庁からの情報収集などはインターネットの普及などで容易になってきたなかで、従来の中央省庁依存体質を改善し、良い意味での政策提言や情報発信をしてほしいという田中知事の方針に基づいて、東京事務所を運営していると話された。知事の発案で、知事応接室を廃止し、応接室だった場所は、東京在住の有識者との接触や企業立地の情報交換をはじめ、「千客万来」の精神で、いろんな人のディスカッションの場として提供しているという。全国レベルの知恵を長野県のために吸収できる機会になって行けばすばらしいことと、私は所長の説明を聞いた。 ところがS議員からは、「知事のそのような理念は良いことと理解できるが、いったい、そんなとりくみに、どれほどの経費がかかっているのか、職員の配置はどうなっているのか。」と、やや非難めいた質問がされた。所長の答弁では、「原則として手弁当でご協力いただいているので、経費はかかっていません。予算も職員もゼロです。」とのこと。出鼻をくじかれた形のS議員は、「長野県出身の国会議員や中央省庁との良好な関係を保つためには、会食などの機会もあると思うが・・・」と質問し、所長の答弁では、「公費による食料費の支出はゼロです。会食などする場合でも会費もちよりです。」と明快。S議員は、最後まで、「いくらインターネットで情報が取れるといっても、それでよしとするのではだめだ。公表される前の情報を血の出るような取り組みで入手しなければ・・・」などと、暗に「飲食、宴会も必要では・・・」と言いたげ。 遅れて到着したM議員は、「今回の財政改革推進プログラムでも、公共事業の大幅削減を打ち出しているが、従来路線とのあまりにも大きな違いに中央省庁も戸惑っているのではないか。これでは、長野県は国の協力を得られないのではないか。」と質問。所長は、「長野県は国土交通省へいきづらいのではないか。全国には46都道府県しかないなどと言われている、などという話を聞いたこともありますが、国は結構冷静に見ています。そんなこともありません。」と答弁。 そんなやりとりを通じても、長野県政の変化の一端を垣間見た思いだが、質疑を終えて決算特別委員会の現地調査が終了したとき、ベテラン議員のK県議は、はからずも、「やあ、東京事務所の現状を聞いて、隔世の感だねえ。」とつぶやいた。国からの予算獲得のために、陳情に明け暮れ、宴会や接待も華やかに繰り広げられた当時のことを思い出しているらしい。 県政も、そして人々の意識や時代も、確実に変わり始めている。それに比べて、変わり方が遅すぎる県議会の面々は、今日の東京事務所の現地調査でいったい何を感じたことだろう。
2003年01月16日
今日は、すでに提案されている「財政改革推進プログラム」に対する県議会各会派の提言についての知事との懇談会だったが、私は、第20回の治水・利水ダム等検討委員会のため、堀内瑛議員に代理出席してもらった。 治水・利水ダム等検討委員会は、今年6月までの任期中に、すでにダムなし案を答申した浅川、砥川に続いて、残る7河川の流域についての答申をまとめなければならない。この検討委員会には、私を含めて各会派の4名の県会議員がメンバーとして参加しているため、6月までの間には、約1ヶ月間の予算議会があり、4月の前半は4日告示、13日投票の県議選がありで、実質審議できる日程が極めて限られてしまう。このような制限のなかで答申をまとめていかなければならないのだから、宮地委員長のご苦労も並大抵のものではない。私は、高齢の宮地委員長が、この委員会の運営に心を砕きながら、みずからも情熱的に議論に参加している姿勢に、いつも敬服している。 今日は、大仏ダムの中止決定後の薄川流域の治水対策をどうするのかという問題で、最新のデータを使って計算し直した基本高水の問題をめぐって議論した。薄川の基本高水は、従来のダム計画では580トン。今回の新しい計算では474トン。松本建設事務所の説明では、松本市街地を流れる川という条件のなかで、従来の考え方には余裕を多く見積もりすぎていたきらいもあった、採用する24時間雨量のデータの見直しで今回の計算結果になった、とのこと。国土交通省の現時点での統一見解である「合理的な理由無しに基本高水を下げることは認められない。」という主張に大きく振り回されてきた検討委員会のメンバーからは、当然のことながら、「この新しい計算結果は、合理的な理由として認められるのか。」という質問が出た。答えは、「大仏ダムは国も中止勧告をしたダムであり、認められるという希望的立場で検討していきたい。」というもの。 しかし、大仏ダムの中止勧告は、治水安全度の問題や流域の状況に対する科学的な根拠を理由にしたものではなく、公共事業の再評価制度のもとで、事業は採択されたが何年たってもすすんでいないことで出されたもの。「合理的な理由無しに基本高水を下げることは認められない。」といっている国土交通省自身が、合理的理由を科学的に示すことなくダムを中止しているというこの矛盾。検討委員会としては、国土交通省へ代表者が意見交換に行くことを確認したが、混乱の元になっている国の無責任さには腹が立つ。 検討委員会は、その他、郷士沢川、上川の答申についての議論を進めたが、今日のところは時間切れ。毎回午前10時から午後4時まで、びっちりと議論するこの委員会は、来週23日にまた開かれる。殺人的スケジュールの委員会である。 夕方から県議団会議。午前中の各会派代表者会議の報告を堀内議員から聞く。堀内県議は、日本共産党県議団として団会議で検討した4点の提案について発言し、あわせて、昨日も長時間にわたった人件費問題での知事と県職員労働組合との交渉に関連して、従来の副知事対応だった労使交渉に、知事みずからが職員の理解を深めるという立場で先頭に立って出席している誠意を評価しながら、「人件費の問題は、今回のような特別の財政困難の中での財政再建という、県民共同の課題の中で位置づけるべきもの。労使の真剣な話し合いに期待し、痛みを分かち合うという必要性は理解できるが、職員に対する何らかの配慮も検討される必要があるのではないか。」と発言した。 それに対して知事からは、「職員の理解を得るべく最大限の努力をしたいので、当初の期限としていた1月24日を最終交渉とせずに交渉を続けたいので、県議会にもご理解をいただきたい。」「交渉のなかで、職員からさまざまな現場の生の声や生活の状況をうかがっており、職員の生活への配慮、職員士気の問題について何らかの配慮を検討したい。」との発言があったという。 借金が全国ワースト2位の長野県。困難な財政状況を打開していくためには、職員の協力と意識改革は欠かせない。新しい歴史を開く真剣な労使交渉で、合意ができるように、県民の目線での解決を期待したい。
2003年01月15日
長野市の一番北東のはずれの長沼地区の後援会で、今日は新年会。選対本部長をしてもらっている原田のぶゆき市議が、「出足早い活動を!」と情勢報告をし、私から県政報告をさせていただいて、新年会にうつる。 目の前には、手作りの煮物やてんぷら、お漬物、フルーツポンチ、おすしなどがところせましと並び、乾杯をして、新年会が始まった。長沼地区は、古くから、浅川の内水災害や千曲川の洪水被害に悩まされてきたところだ。中止になった浅川ダムのことや、中止後の水害対策のこと、今、その一環として地域で取り組んでいる「桜堤」のことなどが話題になった。「桜堤」構想は、堤防の強化と景観上の問題から、千曲川の土手に桜の木を植えようというものだが、すでに桜の苗木はライオンズクラブから提供の申し出があるとのこと。問題は、洪水防止のために必要な堤防の根本的な改修の話はすすまないまま、桜を植えたあとは、堤の管理は地元へ移される、というような話ばかりがどんどんすすんでいること。根本的な対策はどうなるのか。地元で管理といわれても、5キロメートルにわたる長い距離の草刈りをはじめとする管理が、本当に地元だけでできるのか。生活道路のこと、選挙のことなど話題は尽きない。 乾杯の音頭をとっていただいた、今日の参加者の中では一番の年配の男性が、私のところへお酌に来て、「実は、私は、若い頃の一時期、共産党員だったんです。当時は、村八分同然の扱いも受けて、本当に大変な時代でした。その頃のことを思うと、今ではこんなにたくさんの人が共産党後援会の新年会に集まってくれて、しかも、正々堂々と公民館で新年会ができて、本当に夢のような話で、感無量。これも、石坂さんたちががんばってくれているおかげだ。」と言われるので、私はそのかたが共産党員だったことも、そういうご苦労をされたかただったことも知らなかったのを申し訳なく思いながら、胸が熱くなり、「いいえ、先輩の皆さんのそういうご苦労があったからこそ今があるわけですから、本当にありがとうございます。」と、感謝の思いを告げた。 新年会の最後に、パトカー追跡事件でわが子を亡くした芝波田さんから支援の訴えがあり、県議選の勝利を誓い合って「一本締め」をして、散会した。 今日は、午前中と夕方、主にポスターのお願いで回ったが、今までにない県政への強い関心と、知事不信任に走った県議たちへの強い怒りの声がどこでもあふれている。責任重大だ。
2003年01月12日
今朝の寒さはまた一段と厳しく、定例の本郷駅での街頭宣伝に出る前に、朝食の支度のため、自宅の外に置いてある野沢菜漬けを出しに行くと、なんと、桶の中で、野沢菜漬けの表面が凍っている。子供の頃には、「お漬物を出してきて。」といわれて出しに行くと表面が凍っているということは良くあったけれど、温暖化がすすんでいるせいか、最近なん年かはそんなこともなかったので、やっぱり今年の寒さは、並みではない。 本郷駅に着くと、野々村市議は、湯たんぽにお湯を入れてきて、凍りついた宣伝カーのフロントガラスを解かし、残ったお湯で温まるという新アイディア。中野早苗さんと女性3人で、新年のそれぞれの思いを込めたごあいさつ。 今日は、中野早苗さんが責任者をしている「子育てネット」のお母さんたちと県教育委員会の30人学級や少人数学習集団の問題での懇談があるのだけれど、私は議長招集の団長会議があり、残念ながら堀内瑛県議に代わりに出てもらった。あとから様子を聞くと15名ほどの参加で、リアルで切実な実態が出され、教育委員会も国の制度と厳しい財政状況のはさみうちとも言えるなかで、苦悩しながら、何とか前進させたいという思いも感じられた懇談だったそうだ。 各会派の団長会議は、7日締め切りで各会派が提出した「財政改革推進プログラム」に対する提案の共通部分を確認し、この問題で15日に知事と各会派の代表が懇談することになっているための簡単な打ち合わせ。各会派の提案のなかには、予想通り、公共事業の削減に対する抵抗、反対、逆に公共事業をもっと増やすべきだというものや期間を延長して削減するべきだなど、結局、長野県の深刻な借金の大半をつくった大型公共事業偏重の財政運営に何の反省も無いものが多かった。それでは、どうやって借金体質から抜け出そうというのか。 午後からは、1月早々の選挙となる小諸市の現職市議の高橋要三さん、小林より子さん、新人の柏木ひろみさんのそれぞれの後援会の集会に参加。2箇所は平日の昼間にもかかわらず、どこも会場いっぱいの集まり。私はそれぞれ30分づつお話させていただいたが、質問や意見がどこでも活発に出て、県政への関心の高さ、県民にとってすっかり県政が身近になったことを改めて実感。
2003年01月10日
今日は定例の長野電鉄朝陽駅頭の朝の街頭宣伝。びっくりしたことに、電車に乗るために自転車や徒歩で来る人たちの前髪が、雪も降っていないのに白くなっている。寒さのために、自分の吐いた息が髪の毛に凍りついたためだ。寒い地方ではあたりまえの出来事かもしれないが、長野では珍しい。あたり一面もやがかかり、気温は時間がたってもなかなかあがらず、本格的な冬の寒さ到来というところ。 その寒さをついて、衆議院候補の中野早苗さん、伊藤邦広市議、私の3人で交代に新しい県政報告のビラをまきながら宣伝カーから朝のごあいさつ。「寒いですね。」「がんばって。」と、顔見知りの通勤者の皆さんが声をかけていく。私は、県の財政改革のこと、新年度予算のこと、県議選への決意などを今朝は街頭から訴えさせていただいた。 思えばこの長野電鉄朝陽駅での毎週木曜日の朝の街頭宣伝は、もう21年続いている。私が初めて選挙の候補者を引き受けたのが33歳のとき。2人の娘は2歳と4歳、まだ息子はいなかった。まったく無名の新人の一主婦に過ぎない私の知名度を少しでもあげようと考えたのが、長野駅をはじめとする駅頭での朝の街頭宣伝。その時は、まだ私が住んでいたのは他の地区だったが、その後朝陽地区の住人となり、家も建てて、ここが私の地元になった。 毎週毎週この場所から、私の思いやその時々の政治にかかわる問題を私なりに訴えてきた。議員になってからは、私を議会へ送り出してくださった人たちへの議会報告の意味もこめて、この駅頭からご挨拶をさせていただいてきた。この駅の宣伝を通じて、多くの人たちとお知り合いになれた。駅の近所の家の人たちは、「新聞を読むように、石坂さんの朝の街頭宣伝を楽しみに聞いているのよ。あれを聞いて、ああ、今大事なことはそういうことなんだな、とか、ああ、あれはそういうことだったんだとか、いろいろためになりますよ。」などと激励してくれて、お世辞でもうれしいもの。 寒さに負けず、がんばりたい。 今日は午前中は、神楽橋団地の党員の方と支持者の方や浅川ダム反対の運動に署名などで協力してくださった人たちのところをごあいさつまわり。どこでも、浅川ダムが中止になったことが本当に喜ばれていて、「これで、やっと安心して眠れます。」と、従来は政治的立場が違った人たちも含めて歓迎された。団地内の道は日陰がカチンカチンに凍りついているので、転ばないように恐る恐る歩きながら、「浅川ダム反対」でともにがんばってきたからこその絆が広がっていることを感じた。 夜は長野市薬剤師会の新年会。会長のご挨拶では、当然のことながら政府の医療改悪への怒りが語られ、来賓であいさつした自民党の小坂憲次衆院議員は、そのことに対して、「財政難の折やむをえないこと。」といいながら、「皆さんのお気持ちを届けられるようにがんばりたい。」などと、自分自身が自民党国会議員の一員として医療費値上げの提案に賛成しておきながら人ごとのような無責任な態度。
2003年01月09日
今年2回目の県議団会議。当面の日程の打ち合わせ、年末から年始にかけての活動の中で感じたことなどを出し合う。 すでに田中知事から提案されている県の「財政改革推進プログラム」(案)に対して、各会派からの意見を求められており、知事および議長宛には昨日締め切りで各会派が提出した。(日本共産党県議団の提言については左の「申し入れ」をクリック)各会派の提言については、10日に議長招集の各会派代表者会議で意見交換し、15日に議会として知事に申し入れすることとなっている。 これに先立ち、本日日本共産党長野県委員会としての「提言」を、県庁5階の表現センターで記者会見して発表した。今井県委員長、有賀副委員長・政策責任者と私の3人で記者会見に臨んだ。「提言」は、知事提案の「財政改革推進プログラム」を基本的には支持しながら、財政危機の原因をつくった公共事業の思い切った見直しと国の財政運営改革への地方からのはたらきかけを改めて強く求めるとともに、県民や職員の知恵と協力が不可欠であること、財政再建についての県民的討論を呼びかけるものになっている。 今後の県民的議論を期待し、提言の内容の実現をめざしてがんばりたい。
2003年01月08日
今日は角間川部会の日だが、実は角間川部会は当初9日の予定だったのに、部会長の都合で急遽今日になったため、午前中、先にお返事を出してしまった消団連(長野県消費者団体連絡協議会)新春賀詞交歓会に出席。 冒頭の主催者のあいさつのなかで、12月県議会で長野県消団連が提出した「長野県食品安全条例と長野県食品安全委員会設置」を求める陳情が可決されたことが報告された。陳情が可決されたからといって、直ちに条例や委員会が設置されるわけではないので、陳情の求めたものが現実になるように、可決した私たち議員はひき続きがんばらなければならない。 県議会からは、創新会、社会県民連合、日本共産党から私の3名が出席しており、それぞれ紹介されたあと、一言づつご挨拶を、と言われ、突然のご指名に答えての私のごあいさつ。「先ほど12月議会で、皆様の陳情が可決されたとご報告がありましたが、食の安全が大きな問題になっているおり、私も大変うれしく思っています。8年前には、長野県で食品安全条例の制定を求める直接請求の運動が大きく広がり、直接請求という大変重い請願だったにもかかわらず、私の記憶では、当時、日本共産党だけの賛成で、あえなく否決されてしまいました。実は、今回関係者の皆さんからこのお話を最初にお聞きしたとき、私は当時のことも思い起こし、こんなにたくさんの要望項目がある陳情が簡単に可決されるのは難しいんじゃないかと申し上げてしまいました。それが8年たった今、今度は陳情という形にもかかわらず(長野県議会では陳情は紹介議員がいらない)、県議会でそんなに大きな問題にもならずに、全会一致で可決されたわけですから、私はそこに歴史の大きな前進というものを感じます。今、時代はめまぐるしく揺れ動き、厳しい面もありますが、去年1年間を振り返っても、私たちが確信にすることができるのは、力をあわせてがんばれば変えることができる、ということではないでしょうか。全国に希望あるメッセージを発信した長野県から、今年もたくさんの希望あるメッセージを、皆様と力を合わせて発信していきたいと考えています。どうぞよろしくお願いします。」 各テーブルごとに参加者のご紹介と代表の方の簡単なご挨拶がすすむ。消費税反対の運動をご一緒に取り組んで以来、何かと激励をいただいているHさんに久しぶりにお会いしてエール交換。Hさんは上田市に住んでおられることもあり、「上田の高村京子さんもなかなかがんばってるね。暮れに、高村さんのおすすめで医療生協にも出資したんだよ。」と言いながら、「石坂さん、今度の県議選は本当に重要だよ。上田で、もし千曲会の候補者が出せなかったり、出しても当選できなければ、民主党王国のこの長野県で、民主党副代表の羽田さんの地元で、直系の県会議員がいなくなるんだからね。4区の民主党現職の衆院議員の後藤氏も離党するようだから、民主党の求心力はガタガタじゃないの。宮下創平さん(自民党長野県連会長・衆院議員)は、『自民党県議団をつくれ。』なんて号令かけてるけど、もし、共産党県議団が2桁になったりして、自民系、旧県政会系がそんなに伸びないとか、現職を落とすとかすれば、誰も自民党県議団なんかに参加したくないよ。そうなったあとの総選挙、どうなると思う?楽しみだねえ。自民党も民主党も目じゃないよ。日本の政治が長野県から変わっていくかも知れないよ、これは。石坂さん、そういう責任のある県議団の、あなた、団長なんだから、がんばってよ。」と、すごい激励。 事態は、そう甘いものではないけれど、長野の変化が確実に日本の変化につながるだろうことは私にも想像できる。長野県政の改革を阻み、県民にさまざまな苦難を押しつけている根本的な原因が国の悪政にあることを思えば、希望ある未来に向かって、まさにがんばりがいのある年にしなければ、と思う。 午後は角間川部会に駆けつける。今日の部会で、ほぼ、治水のダムに替わる対策案がまとまり、次回から、ダム案との比較検討をはじめることになる。
2003年01月07日
朝から雪が降り続き、一面の銀世界。眺めているには美しいけれど、今日は恒例の消防出初式。降り止まぬ雪の中での行進は、寒風にさらされて、なかなか大変だ。会場の市民会館前で、到着する消防団の皆さんの行進を、激励の意味でお迎えするために雪の中で立っているだけでも、楽なことではないのに、規律正しく行進してくる消防団の皆さんには心から敬意を表する次第。 午前中は長野市全体の出初式。午後が地元朝陽地区で、朝陽分団の出初式。夕方からは、朝陽分団の各班の懇親会。というのが恒例のプログラムだが、午前中の長野市全体の出初式に、例年は基本的に全員が出席する長野市選出の県会議員が、今日は2名欠席であり、消防関係の長年ご苦労された功労者をねぎらうその後の懇親会には、なんと長野市選出の10名の県議のうち、出席したのは私と堀内県議、竹内県議の3人だけだった。すでに、事実上の激しい選挙準備が始まっていることを感じさせる。 私の地元の朝陽分団は、市民会館での出初式で、無火災特別表彰を受けた。これは、めったに、他の地区でもなかなか無いことと聞いたが、午後の朝陽分団の出初式でも話題になり、こればかりは、消防団がどんなにがんばっても、地域住民の協力が無ければ続かないことだけに、逆に、おおいにアピールして、地域の協力関係を作る良い材料にしていくべきだという話になり、盛り上がった。現に、この表彰の期限となっている昨年9月までは無火災だった朝陽地区も、その後10月に人命を失う火事を出してしまった。改めて、ひとりひとりの心構えの大切さを考えさせられた。 「火の用心」。気をつけよう。
2003年01月05日
昨夜から降り始めた雪も、心配したほどではなく、ほっとした。今日は、松本市にある県民文化会館で、一斉地方選挙や予想される総選挙をはじめとする今年の選挙戦での前進を願って、日本共産党長野県委員会と県後援会主催の「新春のつどい」があった。 最初に、今日の午前中、日本共産党中央委員会本部であった「党旗開き」での志位委員長のあいさつを県民文化会館のホールの舞台に設置した大型スクリーンで見る(聞く?)。東京の党本部で開かれている「党旗開き」の様子を、衛星通信で長野でリアルタイムで見ることができ、それをビデオでとったものをすぐに長野県で大型スクリーンに映して見ることができるのだから、便利な時代になったものだ。 志位委員長のあいさつのなかでは、期待はずれの「小泉旋風」や、年末からの政党再編の動きのなかで、今、再び、日本共産党に対して、「時流に流されない党」「ぶれない政党」等の評価が、識者からも寄せられるようになったことが紹介され、保守と言われる人々を含めた広大な無党派層と日本共産党との、これまでに無い大きな共同の新しい可能性が目の前に広がっていること、「この人々とおおいに胸を開いて対話し、ともに新しい日本の進路を見出す、開拓者の気概を持った奮闘を」と呼びかけられたことが、私の印象に残った。 新年早々、来賓として激励にかけつけてくださった、「脱ダム」ネット代表の市村さんのひと言ひと言にも、長年浅川ダム反対などの運動をともにがんばってきたもの同士の信頼の思いがあふれて暖かい。 木島日出夫衆院議員の記念講演も、最近起こったさまざまな出来事を思い起こしながら聞いていて、あっという間に時間がすぎてしまった。年末の保守新党結成の動きについては、私も年末にあちこちのお宅を訪問した時に、「身勝手もはなはだしい。政党助成金目当てと自己保身だ。」「ああいう自分勝手な国会議員たちを見ていると、税金を払いたくなくなる。もう、政治に期待するのもばかばかしくなる。」と訴えられ、国民はすでにその正体を見破っているが、木島さんの話によれば、永田町界隈では、彼ら(元民主党副代表の熊谷氏などのこと)のつくった「新党」なるものの別名を「保守新党→ほしんとう→保身党」または「新党ぬけがけ」などと皮肉っているとか。多くの心ある国民の軽蔑の対象になっているこれらの政治家や政党が、またしても根深い政治不信を生んでいることを、彼らには思い知ってほしいものだ。 休憩後に、舞台せましと今年の選挙に立候補を予定している候補者が勢ぞろい。現在までに決まっている候補者が約80名とのこと。なつかしい顔もあれば、私が全然知らない顔もたくさんあって、「人材豊富な共産党」を感じさせた。まさに壮観のその風景にも胸が熱くなったが、改めて、舞台からホールいっぱいに集まってくださった人の波を見て、また胸が熱くなる。約600名の人たちが、新年早々、降り積もった雪のなかを、私たちのために集まってくださった。なかには、今日、この会場に来てから、入党された方もいるという(現豊野町町会議員で、今回の県議選に上水内郡・大岡村選挙区から立候補予定の佐藤久美子さんの報告)。2月に行なわれる伊那市議選には、なんと私のたった1年間の教師時代の教え子が立候補すると聞いて、うれしいやら、驚くやら。私は、彼が共産党員になっていたことも知らなかったくらいだから。伊那市議選のもうひとりの新人候補者も、私が青年団で一緒に活動した人で、彼は私が入党をおすすめした人なので、歴史の前進ってこういうことなのかしら、と感慨深い。 120市町村を抱える、この広い長野県のすみずみまで、「住民こそ主人公」の立場でがんばっている議員や候補者がいて、党の支部があって、それを支えてくださる後援会や支持者の皆さんがいて、日常的に結びついている・・・このことこそ、日本共産党が「ぶれない政党」としてがんばれる原動力ではないだろうか。 志位委員長も年頭のあいさつの最後に、日本共産党の大きな財産であるこの「草の根の力」を発揮して、「来るべき政治戦での勝利を必ず勝ちとろう」と呼びかけた。変わり始めた県政のなかでの知事不信任、続いての知事選・・・さまざまな経験を通じて広がった新しい出会いやつながりを生かして、「力を合わせてがんばれば、政治は変わる。変えることができる。」という希望あるメッセージを、おおいに広げられる年にしたい。私は、そんな思いをこめて、「つどい」の閉会のあいさつと「団結がんばろう」の音頭をとった。 「つどい」が終わったあとは、会場を移して、今年最初の県議団会議。新年から、また忙しい日々が始まる。
2003年01月04日
今日は毎年恒例の朝陽地区の成人式。久しぶりに会える同級生や恩師との出会いが一番の楽しみらしく、比較的出席率の良いこの地区の成人式は、今年も晴れ着の振袖姿や大人びたスーツ姿が目にまぶしい。 第一部の記念式典、第二部の津軽三味線の演奏、第三部の懇親会とプログラムはすすみ、あちこちで新年のご挨拶が交わされているなかで、ご近所の支持者の息子さんが、「母がいつもお世話になっています。」と私にあいさつしてくれて、「僕も選挙権がもてたので、今度の選挙、応援させていただきます。」と激励されて、感激。この青年のお母さんは、いつも私たちの活動に協力してくださっていて、浅川ダムの建設差し止めの住民監査請求の署名をすすめていた時に、「息子も、浅川ダムは絶対反対だって言って、署名したがっているんだけど、だめかしら?」という会話があったことを思い出した。親子ともども頼もしい家族。若い世代に私たちの思いが引き継がれていくことは、未来につながることでもあり、本当にうれしいことだ。我が家の娘たちは二十歳になった時、こんなにしっかりと他人に自分の意思表示をしたり、ご挨拶ができたのだろうか、と、この青年の態度には、ただただ感心してしまった。 決して晴れ着やスーツのせいばかりでない、輝いている新成人の顔、顔。若い世代の力に、大いに期待したいものだ。
2003年01月02日
2003年元旦。天気予報では、初日の出も見られないということだったので、どんよりとした曇り空かと思っていたら、予想に反して晴れた青空。例年に無い穏やかな新年だ。 昨夜遅くまで、あわてて作った栗きんとん(実は栗の甘露煮いり芋きんとん)や浸し豆などに、買ってきたかまぼこや昆布巻き、田作りなどをお重箱に詰めて、お雑煮を食べて、一応お正月らしい食卓になった。 今朝の新聞「赤旗」には、一面トップで、田中知事が設置した、県公共事業入札等適正化委員会が、浅川ダムの工事の入札にかかわる「談合」を認定する報告書を1月末までにまとめる方針だと報道されている。ダム談合を行政側が独自調査して認定するのは全国初とのこと。 この調査の根拠のひとつになった、新聞「赤旗」の記者が入手した中堅ゼネコン山﨑建設の内部文書がスクープされたとき、私たち日本共産党県議団として、知事に、真相の徹底究明を申し入れてきた。この「適正化委員会」はその結果置かれた委員会でもある。私たちは、そのとき同時に、県議会側にも、真相究明を求める調査委員会の設置を申し入れたが、残念ながら、県議会側は事実上不問に付した。チェック機関としての役割をおよそ果たしていない、当時の県議会の様子がよくわかる。 また、浅川ダム建設中止を求めて、ともにがんばってきた「浅川ダム建設阻止協議会」の市村さんは、入札の前日に、かねてからうわさのあった「前田・フジタ・北野」に落札されるという内部告発の電話を受けている。だから、当日は、「会」のメンバーが、入札会場の前をみんなで取り囲み、「疑惑のなかでの入札はやめるべきだ。」と抗議したが、県は業者に、「談合の事実が明らかになったときは、契約を解除されても異議を申し立てない。」という誓約書を書かせただけで入札を強行し、結果はうわさどおりになった。 黒い霧の中に隠されている事実が、認定されるとなれば、公共事業の透明性を高めるうえでは、歓迎すべきこと。今後の経過に注目したい。 さて、毎年元旦には、善光寺仁王門前で原水爆禁止長野県協議会で核兵器廃絶の署名行動を行なっている。今年は、イラク情勢も緊迫している折、イラクで核戦争が引き起こされる事態にならないように・・・と、思いをこめて、署名・宣伝行動には、例年より多い30人を超える参加者があった。善光寺へ初詣にくる参拝客にうったえて、午前9時半から10時半までの約1時間で集まった署名は約630。これも例年にないこと(例年の約2倍)。平和を願う県民世論は健在だ、と感じてうれしかった。 そして、これも恒例の日本共産党の新年街頭宣伝。私も宣伝カーの上から、変わり始めた県政への思いと、この流れをさらに確実なものに進めていくためにも、4月の県議選で勝ち抜きたいと決意を述べさせていただいた。あの理不尽な不信任にきっぱり「NO!」を突きつけてくれた長野県民の良識を信じ、力をあわせてがんばれば、政治は変わる、変えることができるという希望あるメッセージをおおいに発信する年にしたいものだ。
2003年01月01日
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