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選挙後の県議会の会派結成や再編の動きもようやく一段落したようで、今日、解散した旧創新会の3名に下崎、下村両県議が加わって緑新会が結成され、これで県議会は当面10会派と無所属議員という構成でスタートすることになりそう。 自民党(9名)、県民クラブ(7名)、日本共産党(6名)、志昂会(6名)、県民協働ネット(5名)、トライアルしなの(5名)、緑新会(5名)、政信会(4名)、フォーラム改新(4名)、公明党(2名)、無所属(5名)。 議会規則による交渉会派は6名以上なので、自民党、県民クラブ、日本共産党、志昂会の4会派ということになるが、5名の会派の中から交渉会派を5名以上にするべきだと言う意見が出ているという。 もともと私たちは人数の大小で会派を差別する交渉会派制度には反対してきた。かつて日本共産党県議団が2名から3名になった時、それまで認めていたオブザーバー参加さえ認めない規約改悪を行ない、議会運営や議会内の人事などをとりしきって来た交渉会派。4年前の選挙で日本共産党が5名になり、次に大きい会派が7名の社会県民連合、県民クラブは8名のとき、やはりわずか2名や3名の違いで権利を差別して日本共産党だけを排除することはおかしいと、私たちが交渉会派制度の改善を申し入れても事実上無視した会派の皆さんが今では5名以下の会派の中におおぜいいる。 人数で会派を議会運営から排除したり差別する交渉会派制度は、この際、無くせばいいと思う。議会内の人事や運営上のことは、人数の大小にかかわらず、全会派の代表による代表者会議や議会運営委員会、全員協議会の組み合わせで対応できるし、人事などは比例配分を基礎にして話し合いで決めればよいと思う。 私たちは今日開いた第2回の団会議で、このことを主張していくことを確認した。今日の団会議では、任務分担として、団長が私、副団長小林伸陽さん、幹事長藤沢のり子さん、副幹事長高村京子さん、政策委員長毛利栄子さん、財政委員長備前光正さんと決めた。また、選挙中に掲げた公約実現のための知事への申し入れを5月14日に行うことを決めた。
2003年04月30日
午前中は原水爆禁止長野県協議会の定期総会、午後は地元朝陽地区の市政100周年記念事業完了祝賀会に出席。選挙後、メールのやりとりしかしてなかった堀内瑛さんにも初めてお会いでき、原水協理事長でもある堀内さんの元気な姿にふれることができてうれしかった。それだけに、改めて、長野市でのかけがえのない1議席を失ったことが無念でならない。 今日は初夏を思わせるような暑さ。我が家のまわりも、県議選、一斉地方選挙後半戦と息つく暇もない忙しい日々が続いてほったらかしだったが、夕方少し雑草を取り、プランターや鉢植えに土を足したりして、遅ればせながら花いっぱいの季節にふさわしくちょっとお手入れ。気がついてみたら花ニラの紫色の花は今が盛り、ライラックも紫色の房のような花がびっしりと重そうに枝にあふれて、もうすぐ満開になりそう・・・。次々と芽を出し、葉を伸ばし、きそって伸びているバラやグラジオラスや紅輪タンポポ。今年もまた花々が、精いっぱいの美しさで楽しませてくれることだろう。
2003年04月29日
きのうで終わった一斉地方選挙は、後半戦の市町村議員選挙で長野県では日本共産党の候補者95名が当選し、前回比6名増で、非改選議員とあわせて長野県内の日本共産党議員は195名で史上最高の峰に到達した。全県で55名もの定数削減のなかでの前進だけに、議席占有率は大きく前進したことになる。残念ながら大町市で現職の平林さんが37票差で落選してしまったが、あとはパーフェクトだった。立科町の竹花さん、南牧村の片桐さん、波田町の松葉さん、堀金村の松沢さん、奈川村の伊藤さん、四賀村の両角さん、山口村の園原さんの7名はトップ当選で、そのうち奈川村は今まで日本共産党の議席がなかった村だけに二重の喜び。 坂北村の党員村長の青柳さんの再選、与党である朝日村の上条村長の再選もうれしいニュース。 女性候補も立候補した26名全員が当選して、これで長野県の日本共産党の女性議員は59名で、これも史上最高!4年前に女性議員が50名になったときに、記念集会を開いてみんなでお祝いして喜びあい、励ましあったものだったが、それが今では59名。歴史の確かな前進を感じて、本当にうれしい。 本日付の信濃毎日新聞によれば、今回の長野県内の市町村議選の党派別当選者は、 計 (うち女性) 前回 共産 95 26 89 公明 33 10 32 社民 4 0 9 民主 0 0 2 無所属 876 67 932 となっている。史上最高になった長野県下の日本共産党地方議員が住民要望実現の大きな力になれるように、掲げた公約実現のため、力をあわせてがんばりたい。 今日は、知事与党としての新会派「トライアルしなの」が、旧「無の会」の島田基正議員の呼びかけにこたえた総勢5名で結成された。早速「トライアルしなの」の木内、田中両議員が日本共産党の控え室に、今後の議会運営について、交渉会派中心の運営でなく、議会運営委員会や全員協議会中心の運営に改善するべきではないかと言う趣旨の申し入れにみえた。私は、日本共産党としては2名の会派だったときからずっとそのことを主張してきたこと、今年の2月県議会で各派交渉会規約を改正し、5人以下の会派も各派交渉会に出席できるようにさせたので、規約どおりの運営をまず実行することからはじめたいとお答えした。 昨年9月の補欠選挙後6名になるまで、私たちの繰り返しの申し入れにもかかわらず、非民主的な交渉会派による運営で差別され続けた私たちこそ、議会の民主的運営の先頭にたってがんばらなくてはならないと思う。
2003年04月28日
今日でようやく一斉地方選挙が終わる。 「住民こそ主人公」をかかげて、県下各地で粘り強くがんばっている日本共産党の候補者が一人でも多く当選することを願って、私も一昨日、昨日と、大町市、八坂村、阿南町、塩尻市、茅野市、原村、南牧村、川上村の各候補者の応援に回った。県議選で壊した喉がまた逆戻りして、今日もまだカエルのような声である。 全員の当選を心から願っているが、さて、結果はいかに。 県議会は、相変わらず、会派再編、結成が繰り返されている模様。私たちは、どんな力関係や会派の状況になろうとも、日本共産党県議団として公約実現に力をあわせてがんばるのみなので、しばらく落ち着くまでは静観のかまえ。新年度予算や財政改革推進プログラムが県民要求実現の方向に向かって前進できるように、さあ、がんばらなくては。
2003年04月27日
県議選後初めての治水・利水ダム等検討委員会が開かれた。 辰野町に計画されている駒沢ダムでは、駒沢川に流れ込むとされている流域面積のうちの一部が分水嶺の反対側の高橋川に流れ込むので、駒沢川に流れ込む水の量は、実際はもっと少ないのではないかと言うことが駒沢部会の特別委員から部会の最終段階で指摘され、4月のはじめにこの検討委員会として改めて現地調査が行なわれた。 今日の検討委員会で、その現地調査の報告がされ、調査にあたった河川工学専門の高田委員、地質学専門の松島委員から、それぞれ、特別委員の指摘どうり流域面積は少なくなると言う報告がされた。特に松島委員からの現地の地図による土地ごとの傾斜角度や詳しい説明で、そのことはかなり具体的に、根拠のあるものと私には思われた。 ところが宮地委員長が幹事である河川課の職員に改めて見解を求めると、「確かに通常はそう言うことになるが、大量の雨が降った時には、農業用の水路の流下能力不足であふれてしまい、また水路が土砂や草などで詰まってしまって流れなくなることも予想され、溢れた水は尾根を越えて駒沢川に流れ込む。」という従来の説明を繰り返した。 私は、「常識で考えて、実際にそうならば、なぜ、水路をもっと深くするか広げるかして、大雨が降っても流れるようにしないんですか。土砂や草がつまらないように改修すれば、水があふれないのであれば、そうするべきじゃないんでしょうか。そのことが何億円ものダムを造るか造らないかにかかわるんですから。」と発言した。他の委員からも、「ダムをつくる、という結論が先にあって、そのためには流域面積が広くなければ、という考え方はおかしい。」という意味の発言や、このダム計画のずさんさに対する疑問の意見があいついだ。 大雨が降ったら、農業用水路があふれてしまい、溢れた水が尾根を乗り越えて反対側の川に流れ込むからダムをつくらなければならないということが実際にあるのだとしたら、普通は私が発言したように、まず、ダムよりも水路の能力を高めるように改修を考えるのではないだろうか。 すでにダム建設中止が決まった蓼科ダムの計画も、渓谷の山側にトンネルをあけて水路で反対側に水をひき、溜池のようなダムをつくって農業用水や治水対策に使う多目的ダムにすると言う全国でも珍しいダム計画だったが、駒沢ダムの計画にも、かなりの無理があり、こっけいにさえ思われる。 今後の答申の中で明らかにしていかなければならないことだが、私は改めて、もし、この検討委員会や各部会の検討がなかったら、こんな計画がまことしやかにまかり通っていたのだと思うと、ぞっとした。その意味でも、県政が変わったことの意味ははかりしれない大きなものだ。
2003年04月24日
一斉地方選挙後半戦の応援で、今日は立科町、浅科村、北御牧村、軽井沢町とかけめぐって、日本共産党の候補者の皆さんの応援。 どこの町や村でも、さまざまな困難を乗り越えて、住民の願いを代弁し、その実現のためにがんばっている日本共産党の議員の皆さんの活動にふれて頭が下がる。巡回バスの実現、医療費の無料化制度の対象年齢拡大、役場の窓口業務の時間延長、子育て支援等々・・このかけがえのない議席を引き続き議会へ!との思いをこめて候補者とともに訴え、出て来て下さった人たちに握手。 軽井沢町では、今日、ちょっとした感激の出会いがあった。実は、県議選になる前、軽井沢町から私のもとへ1通の手紙が届いた。それは、「知事を不信任にした2名の現職が、このままでは無投票で当選してしまう。それだけはなんとしても許せない。しかし、あちこち働きかけてみたが自分たちの力ではどうにもならない。不信任にきっぱり反対し、県政の改革のためにがんばっている石坂さんなら信用できる。何とか自分たちが投票できる人を立候補させてくれないだろうか。」という切々たる内容のものだった。今日、そのお手紙の主が、私が軽井沢町に来ることを知って、お仲間の皆さんと「是非お会いしたい。」ということになり、初めてお会いしたのだ。 私は、そのお手紙をいただき、その手紙の主の純粋な思いに心うたれ、党の県委員長に相談した。私たちの力不足で、とても無理、とこの手紙を無視していいものだろうか、と。勝つか負けるかではなく、誠意をもって答えるべきではないだろうかと言うことになり、いろいろな経過と努力があって、無党派の皆さんと今井正子さんを応援することになり、手紙の主の皆さんも一緒にがんばっていただいて今井さんは見事に当選し、現職が1名落選した。 喫茶店でお会いした5人の方からは「軽井沢クリーンクラブ」の名詞をいただいた。あの昨年7月5日の知事不信任を決めた県議会も傍聴に来て、私の反対討論も聞いてくださったとのこと。固い握手を交わして、お互い、初めてお会いするような気がしない雰囲気で盛り上がり、あっという間に時間がすぎてしまった。お見受けするところ、私よりは高齢の皆さんだが、県政改革への純粋な思いが熱く語られ、その情熱に心うたれる。再会を固く誓い合ってお別れした。
2003年04月23日
今日から一斉地方選挙後半戦が始まった。私は大町市会議員選挙に立候補する平林栄市さん、太田欽三さんの出陣式と街頭演説を応援。平林さんは3期目に挑戦、太田さんは40年間北アルプス交通の運転手さんとして、労働組合の委員長としてもがんばってきた新人。前回新人として当選した大和さんが、今回日本共産党を離党して無所属立候補するという中で、議案提案権のもてる2議席を引き続き確保して市民の皆さんの要望実現のためにがんばろうと言う選挙だ。 お二人とも誠実な人柄がにじみ出る訴えで、朝からのあいにくの雨にもかかわらず、窓をあけて演説を聞いてくださったり、手を振ってくださったり、傘をさして外に出て、最後まで演説を聞いてくださる人も何人かいて、手ごたえはあり。 二人そろっての当選を祈りつつ長野へ戻り、午後は長野市民劇場創立40周年祝賀会。俳優の角野卓さんはじめ劇団関係者も多数駆けつけて盛大。 続いて私の地元朝陽地区の消防協力会総会。消防協力会は各地区の区長さんと消防団で構成される地域の防災ネットワークと言うべきもの。毎年の総会は消防団の入退団者の歓送迎会もかねる。今年の退団者は分団長以下7名、新入団者は6名。 総会後の懇親会で、何人かの区長さんや区の役員が、「同じ地区でTさんも石坂さんも二人当選してもらわなければ困るから、本当は両方に顔を出さなければいけなかったんだが、石坂さんのほうには失礼して申し訳ない。その代わり、女房と話し合って票は両方に半分づつ入れたから・・・まあ、石坂さんが立派な成績でよかった。」等と言い訳がましく弁解したが、私は心の中で、古い地域締めつけ型選挙を乗り越えて、勇気と良識を発揮してくれた有権者が、私の地元でも多数いたことが、T議員と私の得票差が5000票以上開いたことに現れていることを確信していた。 T議員が地域の水害防止対策委員会会長をつとめていることもあって消防団との関係も深く、消防団の役員の多くも後援会に組み込まれて選挙で動いていることも聞いていたが、消防団員のなかには、「家族全員で石坂さんを応援したんで、本当にうれしかったです。」「早くに当確が出てうれしかった。県政の改革でがんばってください。期待しています。」と声をかけてくれる人も多くうれしかった。 新入団員の若者達も、「僕は外に出て行かなくて悪かったんですけど、前に須坂の駅で石坂さんの街頭演説を聞いたときから石坂さんのファンです。選挙のときだけの活動じゃないところが大切だといつも感心してます。」「毎週朝陽駅で宣伝してるのも知ってます。今度また県政の話を聞きたいです。」「いつもテレビや新聞でしか見ていない県会議員とじかに話せる、こういう集まりはいいですね。田中県政になってすごく身近になって関心を持っているんで、石坂さんの質問や発言にいつも共感してます。応援してるんでがんばってください。」等々、とても新鮮で前向き。 朝陽地区では、消防団は火災や行方不明のお年寄りの捜索のほかに水害への対応も重要な任務だ。しばしば見舞われるこの地区の水害は、典型的な都市型水害と近くにある千曲川との関係でのものが大半であり、浅川ダムとは何の関係もないにもかかわらず、ダムができなければ、朝陽地区の水害は解決しないかのような宣伝が長年にわたってされてきた。この誤解を解いて、地域の協力関係を作り上げていくことがこれからの大切な仕事だ。私も微力ながら、力をあわせてがんばりたいと思っている。
2003年04月20日
今回の選挙でお世話になった方のなかに、前回の選挙では他の現職議員の後援会の有力幹部だったが、県政の変化の中で勇気ある決断をして、役員を辞任して私を応援してくださったかたがたがいる。今日は、そんな方々や、地元の朝陽地区で、自宅にポスターを貼っていただいたお宅などを中心に、お世話になったお礼を言いながら、ポスターをはがしたり、今後の議会活動のために、改めてご要望などお聞きしてまわった。 前回の選挙で他の議員の後援会の有力幹部だったあるお宅では、「田中県政の改革を一番誠実に支えてきたのは石坂さんたちなんだから、まず石坂さんや共産党の皆さんの当選があって、その上に新しい応援団も増やさなければと意思統一したんですよ。」とお話があり、田中県政発足以来の、私にとっても新しい経験だったこの2年半のさまざまな出来事が思い出され、胸が熱くなった。 やはり、今回勇気ある決断をして下さったあるお宅では、ご家族全員で玄関先に出て来て下さって、「子供が今年小学校3年生で、30人学級になってクラスがえになったんです。去年までのクラスもとてもよいクラスだったので、30人学級のためのクラスがえだからみんな納得しているんですけど、このままだと、来年4年生になってまた40人学級に後戻りしてクラスがえなんて残酷なことは困るんです。来年までに、全学年で30人学級のみとおしを作ってほしい。」「先生が、あまりにも忙しすぎるんです。先生の研修の間の代わりの先生の配置とか、以前よりとても充実はしてきてうれしいんですけど、それでも、あまりにも忙しくて、子供たちと休み時間に触れ合ったりする時間はとてもないんです。もっと、先生方にゆとりの時間をあげてほしい。」「不登校の子は、実際に言われている以上におおぜいいます。不登校になる前に手をさしのべられるようにするためにも、先生方を忙しさから解放してあげてほしい。」・・・「こんなにいろいろ言ってごめんなさい。」と言いながら、若いお母さんの必死の訴え。 地元の朝陽地区では、ポスターのお礼を言ってまわると、「激しい選挙だったね。でもいい成績でよかった。」と涙ぐんで、私の手を握ってはなさない女性もいた。私も一緒に涙ぐんだ。地元のT候補の選対から、まるで当然のことのように、「炊き出し」をはじめとする依頼や、頻繁な役員の訪問を受けながら、それを乗り越えて良識ある選択をして下さった人たちの思いが、私の胸に迫る。 当選した新県議会のメンバーのなかでは、目下、新会派結成の水面下での動きが活発に行なわれ、またしても「大きいことはいいことだ。」とばかりに多数派工作も行なわれていることが、連日のマスコミをにぎわせている。もちろん、会派の人数は少ないよりも多いほうがいいが、理念や政策があいまいなまま、数だけを競ってみても、その会派の存在意義は薄れるばかりで、何よりも有権者との公約実現にとって効果的とはいえない。 しばらくすれば目鼻が付くだろう、会派結成や再編に振り回されず、公約実現のための取り組みに、決意新たに立ち向かっていきたいと思う。とりわけ、私にとっては、前回せっかく実現した長野市での日本共産党の2議席が、今回1議席に後退した責任もあり、4年後になんとしても2議席を回復して県民要望の力になれるよう、今から、そのためにもがんばっていかなければ、と思う。 午後、しばらく自宅で休んでいたら、久しぶりにお会いする方が、「お焼き」と畑から取ってきたばかりの菜花の差し入れ。両方とも、私の大好物だが、まだ暖かい手作りの「お焼き」に、届けてくださった方の気持ちの暖かさを感じて感激。 今日1日だけでも、たくさんの方から寄せられたたくさんの思い。公約実現に、そのひとりひとりの皆さんの思いをこめて、がんばりたいと思う。
2003年04月19日
今日は「野の花コーラス」の練習日。今年の秋に大胆にも「20周年記念コンサート」をしようということになっているので、いよいよこれからその準備を始めなくてはならないのだが、あくまで「自然体」のわが「野の花コーラス」。 私と来たら、選挙の終盤の「声が出なくなった事件」がまだあとをひいていて、声は出るものの、とても歌が歌える状態にはない。歌おうとすると、「ひっ!」と言う感じにのどがくっついてしまって、声にならないという始末。しかし、「野の花コーラス」の仲間の皆さんには、「励ますつどい」や「県政報告会」「女性のつどい」等で歌っていただいたり、いつも練習会場としておうちを貸していただき、お母さんにおいしいお茶もご馳走していただくとし子さんには、信濃毎日新聞の企画記事の「候補者はこんな人」で私を語っていただいた等々・・・大変お世話になったので、歌えなくても御礼に行かなくては、とやや遅れて顔を出すと、ちょうどお茶の時間。おいしいお漬物や、指導にあたってくださる宮崎先生差し入れのクッキーをいただきながら、私からお世話になったお礼を述べた。 ひとしきり、選挙の話題に花が咲く。 お茶タイムが終わると、「ちほさんが来たら、みんなでお祝いに歌おうって相談してたの。」「とし子ちゃんは『青い空は』がいいんだって。」と言うことで、「あなたに花束を」と「青い空は」の2曲をプレゼントしていただき、胸が熱くなる。改めて、多くの人たちのさまざまな思いと支えで、私の選挙戦の勝利があったことを思い、そのひとりひとりの人たちの思いにこたえていかなければと、固く心に誓う。
2003年04月16日
選挙で忙しくて気がつかなかったのか、ここ1日2日の暖かさで咲き始めたのか、いつのまにか長野市内の桜が咲き始めている。柳町公園の桜はもう満開状態。4年前の選挙のときには、選挙後5名になった県議団で、党の県委員会の近くの公園の満開の桜の下で記念写真を撮ったのだから、4年前よりは、やや遅れ気味と言えるが、今度の日曜日あたりは、ちょうどお花見日和かもしれない。 我が家の水仙の花も、ご近所のもくれんの白い花もいっせいに咲き出して、あたり一面の春。 孫の萌花ちゃんは、選挙中の4月6日に1歳のお誕生日を迎えた。その翌日の4月7日、昼食を食べていた私の携帯電話が鳴って、出ると娘から「お母さん、今、萌花ちゃんが5歩歩いた。もう、感動!それだけなんだけどさ・・・」と弾んだ声。私も、ジーンと胸が熱くなって、「おめでとう!おめでとう!よかったね。」と、月並みな言葉しか出てこなかった。 忙しく、激戦の選挙を戦っている間に、季節はすっかり春めいて、花々は一斉に咲き始め、孫の萌花ちゃんは歩き始め・・・一瞬たりともとどまっていないこの世の生命の不思議。 さあ、また新しい出発だ。今日は当選証書の交付があり、私はマスコミの取材や会議、うちあわせが重なり、事務局の和田さんに代わりに行ってもらった。県議会の新会派結成の動きも各方面で盛んにすすんでいる気配。
2003年04月15日
激しかった県議選は終わり、私たち日本共産党県議団は、現職の藤沢のり子さん(松本市)、小林伸陽さん(上伊那郡)、高村京子さん(上田市)と私(長野市)、新人のもうり栄子さん(岡谷市)、備前光正さん(塩尻市)の6名が当選し、改選前の議席を維持した。駒ヶ根市で党推薦の林奉文さん、北佐久郡で無党派の皆さんとともに支援した今井正子さん、諏訪市で同じく支援した宮川さんが当選した。現職の堀内瑛さん(長野市)と丸山茂さん(南安曇郡)が残念ながら落選した。 田中知事の改革を支持する勢力は改選前の8議席(日本共産党6、無の会2)から17議席に前進し、改革の流れはすすんだといえる。 私たち日本共産党県議団としては、定数が4名削減されたなかで6名を確保でき、62名中6名から58名中6名になって議席占有率は高まったことになり、長野県としては初めての2人区での勝利を岡谷市と塩尻市で実現できてうれしい。 しかし、変わり始めた県政の流れをさらに大きく前進させるために、私自身の選挙区である長野市で前回初めて実現した複数議席を、定数1名削減のなかで確保することが大前提であったのに、1議席を減らしてしまい、責任を果たせなかったことが、本当に悲しく、残念である。。定数9名中、私は2位で16858票、堀内瑛さんは8737票で10位、次点で、9位当選者との得票差は636票だった。前回より私の得票が約2000票増えただけに、有権者の期待が大きかったことを思えば、何とかならなかったのかと悔やまれる。 今日は早速新しいメンバーでの県議団会議を開き、私は引き続き県議団長を務めることになった。新進気鋭の毛利さん、備前さんを加えて、このメンバーで力を合わせて、県民要望実現と県政の改革を前進させるためにがんばっていくことを確認した。 昨日深夜の、私も出演したNBSテレビの生番組でも、自民クラブの萩原清会長は、「自民党県議団の結成をめざす。」と語っていたし、ビデオで登場した石田治一郎県議も、「みそぎは終わった。」と語っていた。今日の夕方からのABNテレビに一緒に出席した石田県議は、そのことについて「まだ白紙の状態。」と言っていたが、自民党県議団結成へのレールがひかれ、すでに動き出していることは事実。自民党と民主党系の県議が「県政会」と言う大会派を結成して県議会の主導権を握り、自民党県議団のない全国でも珍しい県といわれてきた長野県で、再び自民党県議団がつくられ、田中知事の改革を支持する新人の当選、20名に及ぶ引退議員など大幅な新旧交替となった新県議会。 新県議会の会派再編がどうなろうとも、公約実現のための私たちの活動を、いっそう強めていくことが大切。 選挙期間中、私は、「力をあわせてがんばれば、政治は変えることができるという、希望あるメッセージを、さらに大きく広げていきたいのです。」「長野県政の改革はいよいよこれからが正念場です。県政の本物の改革のために、どうか私、石坂千穂を働かせてください。」と訴え続けた。街頭からの訴えは、連日約20回ずつ。最終日は45回。街頭演説の後は周囲のお宅を全速力で走り回って握手し、激戦の中での支援をお願いした。最終日の朝には、ついに、声がかれてほとんどでなくなり、お昼休みにお医者さんに注射を打っていただき、何とか最後まで自分の声で訴え続けることができた。 最終日の夜8時、4年前と同じ自宅そばの駐車場で、最後の訴えをさせていただいた。夜の闇のなかで、家々の窓があいて、まるで切り絵のように黒いシルエットになって家族中で大きく手を振ってくださるお宅や、二階の窓が開いて、そこから大きく激励の手を振ってくださるお宅・・・。心ある多くの人たちの暖かいご支援に支えられて、全力を尽くしたことに悔いはない。 それだけに、長野市での1議席減という取り返しのつかない結果は、私たちを信頼し、期待を寄せてくださった多くの人たちに対して、本当に申し訳なく、つらい。 県民の皆さんへの責任が果たせるよう、今まで以上に県民要望実現に全力を尽くさなければ、と固く心に誓う。
2003年04月14日
いよいよ明日は県議選の告示日になった。 朝、毎週木曜日の定例である地元朝陽駅で、選挙前としては最後になる街頭宣伝。思えばこの駅で、私が毎週朝の街頭宣伝をするようになってもう21年。いよいよ明日からは、4期目の県議選に挑戦するのだと思うと感慨深い。 今度の選挙は、変わり始めた県政の流れを、確かなものにできるかどうかの大切な選挙。県政の改革の流れは、確実に始まっているが、それだけに、逆流の流れも強い。昨年夏の知事不信任で、県民から強い批判を受けた現職議員たちも、私の選挙区の長野市で見る限り、そう簡単に議席を明渡す状況にはなく、なかなか各陣営とも強力な選挙戦を展開している。 かつて、村の選挙などでは、地域の推薦候補を当選させるために、半ば強制的に各戸を借り出して、炊き出し、事務所当番、後援会集めをさせ、選挙本番には候補者カーのあとを「必勝」や「日の丸」の鉢巻をしめた地域の人たちが満員で乗車した乗用車を何台も大名行列のように連ねて「遊説」し、夜ともなると、他地域からの運動員が票を取りにこないように、辻々に火をたきながら「張り番」が立ったものだ。 そんな笑い話のような時代遅れの村の選挙を思い起こさせるような、地域ぐるみ選挙が、多少の現代的な装いをこらして、この県議選で復活しているのを見ても、県政の改革を押し戻そうという勢力の、なみなみならない生き残りへの執念と必死さが伝わってくる。この逆流を乗り越えてこそ、改革はすすむのだ。負けられない。 午前中、今回事務所をお借りしたご近所の地域で、まだごあいさつが終わっていない地域をご挨拶にまわる。前回の事務所のご近所に比べると、ほとんどのお宅が広大な敷地と大きな門構え、どこが玄関か探すのに苦労する大きな家が多く、一歩敷地に入ると、ほとんどのお宅が、まるで旅館顔まけの立派なお庭。枝ぶりのいい松の木に囲まれ、池には錦鯉が泳ぎ、石灯籠や銘石が配置され・・・といった具合。おたずねしたあるお宅では、年配の女性が「今度の選挙はむずかしくてねえ。」とのこと。今までどおりにはいかない変化の流れと、今回の選挙の激しさを物語っているようにも思えた。 定数1名削減のなかで、前回初めて獲得した長野市での日本共産党の2議席、堀内瑛さんと私の議席を引き続き確保することは、やはり生易しいことではないと思う。でも、この2議席あってこその現有6議席が、県政改革の抵抗勢力に立ち向かい、県民の願いを実現するために大きな力となってがんばってきたことを思うと、絶対に譲れない2議席である。 季節はすっかり春めいて、あの厳しかった冬がウソのような今日の暖かさ。 夕方は地元の北掘商店街の皆さんにも、「いよいよ明日から本番でお騒がせしますが、よろしくお願いします。せっかく変わり始めた県政をどうしても前進させたいんですよね。いっしょうけんめいやりますので・・・」と1軒1軒ごあいさつ。 全体として多数激戦の今回の選挙で、私たち日本共産党県議団がどこまで前進できるかは、最後までのがんばり如何。現有6議席の確保も現状ではそう甘いものではない。時代の大きな変わり目の中で、また不幸にも始まってしまったイラク戦争の真っ只中で、県政改革勢力の大きな前進のために、悔いのない戦いをしたい、と自分自身に言い聞かせた。
2003年04月03日
今日は、4年前の県議選のときに事務所をお借りした場所のご近所のお宅をご挨拶でまわった。駐車場をお借りしたり、第一声の場所をお借りしたり、お騒がせしたり・・・と何かとご迷惑をおかけしたが、ご近所の皆さんはとてもこころよく協力してくださり、その暖かさは今でも忘れられない。 あるお宅を訪問すると、「今度はどこに事務所を借りたのかな―って心配してたんだよ。元気でがんばってることはいつもテレビで見てるから、会えてうれしいよ。」と言ってくださり、やっぱりおたずねしてよかった、と思った。 次のお宅で、ちょうど外出先から帰ってきた方にご挨拶すると、厳しい顔をして、「言いたいことが山ほどあるんだけど、まあ、なかへ入って。」と言われ、そのお宅の中へ。 何かお叱りを受けるのかも・・・と思いながらお聞きすると、その方の言いたいことは2つ。 今の政治は結局利権がらみ。国会は特にひどいが県会も同じ。これが正されなければ、庶民のくらしはよくなりっこない。自分も商売をしているが、踏んだりけったりで、先のみとおしもない。 地元のT議員の陣営の選挙のやり方はひどい。まるで時代が逆戻りだ。区長や常会長や組長などの役員をやったことを理由に、そのルートを使って後援会や役員体制を作っている。思想信条にお構い無しに、「地元だから・・・」というやり方。不信任を受けての県知事選挙では良識を発揮した県民が、県会議員の選挙になったらまたこんな選挙をやっているのだから情けない。こんなことでは、やっぱり政治は変わらないのでは。 この方の二つの主張はもっともなこと。T議員に限らず、日本共産党以外の現職議員の陣営では、多かれ少なかれ同じパターンの選挙が展開されていると聞く。 最後に、この方は、「だから、私は、本当に、ごまかしのない気持ちで、今回は自分の一票を石坂さんに入れます。本当に正しいことをいっているのも、やっているのも共産党の皆さんだけなんだから。でも、共産党という名前だけでみんな誤解しているんです。」といって固い握手をしてくれた。そして、そのあとに、「共産党って言う名前だけ、もう、変えてくれませんかねえ。」と言っていたけれど。 午後、息子の同級生のお宅をたずねたら、同級生のお母さんが、「私、もう、選挙は大きらい。選挙の無い国へ行きたいくらいだわ。」というので、「どうしたの?」と聞くと、やはりT議員の陣営で、区の役員さんが何回も「後援会に入ってください。この申込書に名前を書いて。」とまわって来たと言う。最初は断っていたのだが、そのうち住宅地図に色を塗ったものをもってきて、「後援会に入っていただいたお宅は赤く塗ってある。お宅はまだ白い。この白い部分を早く全部赤くしないと、この地域の何軒分かが私の責任なので、困るんですよ。」と半ば脅迫じみた言い方で、これ以上断れば、ご近所づきあいが気まずくなっても困るとしぶしぶ後援会の用紙に名前を書いて、その日は帰ってもらったという。 すると数日たったら、またやってきて、「婦人部の役員をしてください。」と。もういいかげんにしてほしいという思いで、「私は選挙はきらいだからできません。」とお断りしたとか。 彼女は、浅川ダムにも絶対反対で、署名運動にも協力してくれ、知事選でも田中知事を応援してくれた人。この人が、ダムを推進してきた、知事選でも、不信任で退席したとは言え、長谷川候補を応援したT議員の後援会になど入りたくないに決まっているのに、区の行政機構を事実上使っての否応無しのやり方で、結局後援会に入会させられるのだから、本当にひどい。 先日もT議員の地元では、このようなやり方で、支持するしないにかかわらず、「地元だから」と、協力せざるをえないやり方で、炊き出しやお茶当番、事務所当番などに地域の人たちが借り出されているという話を聞いた。私のれっきとした支持者の人まで、「何で私が・・・と思うけど、断れないんですよ。」と言う。 午前中に、私たちに厳しいご意見を言ってくださった方も、「知事選で、県政の改革を願って田中知事を再選したのと同じ県民がこれでは情けない。時代がまったく逆戻りじゃありませんか。」と言っていたが、本当にそのとおり。 私たちの、時代を逆戻りさせないための民主主義の戦いは、まだまだ道のりは長いことを痛感する。負けずにがんばりたい。
2003年04月01日
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