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2月20日開会予定の定例県議会に向けて、知事と各会派代表者の定例の懇談会。 明日から知事査定が始まるという新年度予算の部局別の金額等の概要と提案予定の条例案などについて簡単な説明があり、各会派の代表が要望や意見を述べた。懇談会に先立って、議長招集の、これも定例の会派代表者会議があり、その会議では、「改革・緑新」の倉田議員から、使い勝手が良く、市町村の独自性が生かせるため、市町村から喜ばれている「地域発元気づくり支援金」が今年度の10億円からの一割削減が検討されていることについて、「県の財政難は理解できるが、この予算については、今年度並みを要望するべきではないか。」という意見が出て、来年度予算の編成方針として、財政難から全体としてマイナス一割のシーリングがかけられていることによるものだが、12月議会で決定された中期総合計画の初年度の予算でもあり、県民にとって重要なものは増額するなど、メリハリのある予算編成が必要と、全会派一致の意見として、議長から知事に伝えることになった。 知事との懇談の中では、私は3点について発言。 1点目は市町村が実施する福祉灯油についての県の支援を要望した。 昨年12月17日に、日本共産党県議団と県委員会が村井知事に原油高にともなう県民生活支援について申し入れを行った際、村井知事からは、県立高校などで灯油代が予算をうわまわってしまった時は、実情を調査して必要な予算の増額を行なうこと、市町村などが低所得者向けなどの福祉灯油を実施した場合には県としても支援したい、との答弁があった。これがひとつの弾みにもなって、長野県下の日本共産党の市町村議員は一斉に各市町村に申し入れを行なったり、議会でとりあげたりして、年末までには、1,2の村を除いて、ほとんどの市町村が福祉灯油を実施すると表明している。 しかし、県のこのことについての支援策は、いまだに具体的に表明されていないため、私は、改めて、県の支援を要望した。 2点目は2月県議会に提案される予定の廃棄物条例について。 1月22日に中野市民会館で、県議会の正副議長主催の「こんにちわ県議会です(政策タウンテーブル)」が開かれ、「観光立県長野」と「廃棄物条例」について、北信地域の市町村長や市町村議長などの皆さんから、ご意見を聞く機会があったが、提案される県の廃棄物条例については、「地元同意書」を必要としないことや地元の定義について、賛否両論の意見が出されていたのは事実。 市町村長の中でも賛否両論がある現状の中で、県民が納得し、また、環境の時代にふさわしい、役立つ条例になるように、慎重な審議が必要になっている。 3点目は、道路特定財源と、暫定税率の問題について、自民党の平野議員、改革・緑新の倉田議員がそれぞれ意見を述べていたので、私も意見を述べさせてもらった。 自民党の平野団長は、道路特定財源がなくなれば、地方の道路予算が確保できなくなるため、全国の知事や市町村長は特定財源制度の堅持を望んでいる、村井知事も国への強力なはたらきかけでがんばってほしいと言う趣旨の発言。 改革・緑新の倉田代表は、民主党長野県連幹事長でもあるため、自分たちは、12月県議会で道路特定財源堅持の意見書に賛成していることや、民主党本部にも、連名で党本部の方針とは考え方が違うことを表明したという趣旨の発言。 私は、暫定税率が廃止されてガソリン代が下がることはうれしいかもしれないが、ガソリン代が下がるからとか、逆に道路特定財源がなくなれば地方の道路を造る予算がなくなるというような単純な議論にしないで、現行の道路特定財源の75%が国の財源になっていて、そのうち地方の道路のための補助事業や直轄事業にも使われているかもしれないが、問題はその多くの部分が地方の生活道路の整備の遅れをよそに、政府の道路計画による都市集中の高速道路や大型事業に使われ、それらの事業の莫大な借金返しにも使われていて、地方の生活道路の整備にはなかなか充分なものではなかったこともふまえ、道路整備のあり方や税金の使い方を全体として見直す議論にしてほしいと言う意見を述べた。 国会では、3月末で期限の切れる暫定税率の期限を少し伸ばすだけの法案を自民党が出そうとし、野党は審議する前から期限の延長だけの法案なんて、とそれに反発、とニュースが伝えている。さて、どうなることやら。政局の行方は、ますます流動的。 今日の会議で、村井知事は、深刻な医師不足に対し、医師の個別折衝にも踏み込めるように、現在の衛生部医療政策課医師対策係を対策室に格上げし、2月1日付で6名体制でスタートし、4月1日には8名体制に強化すると表明。また、お昼のNHKニュースでは、信大病院で助産師外来がスタートすると報道されていた。緊急課題の医師確保と、これ以上、お産のできない病院を増やさないために、できることから対策を強化しなければならない。
2008年01月28日
午前中、若穂で、支部長さん、中野早苗さんとともに、支持者の女性の相談にのっているうちに、「ご一緒に、日本共産党でがんばってみませんか。仲間として、人生を助け合って生きていきましょうよ。」と呼びかけたところ、「私にできることでがんばります。共産党は実行力のある信頼できるところだなあと、ずっと応援してきました。」と、思いがけずも入党していただき、感激。思わぬことに、支部長も、「え、無理しなくていいんだよ。ほんとにいいの。」と、確かめたほど。今までも、県政・市政報告会などに、何人も友人を誘ってきてくださった方。昨年の県議選に向けて訪問した時も、私が、インターホンをおすと、カメラに写った私の顔を見るなり、まだ名乗ってもいないのに、「わー、石坂さんなの!」と、玄関に飛び出してきてくれた。いつも、まっすぐな応援がうれしい。 先日も、1月20日の演説会に来てくださった小川村の87歳の男性におすすめしたところ、玄関先で、「微力ではありますが、余命のある限りがんばります。」と入党していただき、とても87歳とは思えない若々しく力強い握手をして、胸が熱くなった。一緒におすすめに行った吉沢村会議員、坂口支部長とも、それぞれ感激の握手。 地元の朝陽南支部が、先日、手作りのおでんやお寿司をはじめ、テーブルに並びきれないほどのご馳走を囲んで、楽しく新入党者歓迎会をしたところ、長年の支持者だったその人が、「共産党の皆さんは温かい人たちの集まりだから、入りたいなあと思っていたんだよ。」と語ってくれて、参加者一同、うれしくもあり、なぜ、こんな風に思っていてくれた人に、もっと早く呼びかけなかったのかと反省したり。 今日の午後は、古里公民館で、朝陽地区9条の会の結成3周年もかねて、東北地区9条の会の講演会。朝日新聞記者の伊藤千尋さんの感動的な講演だった。特に、日本についで軍隊をもたないことを明記したコスタリカの具体的な事例を紹介しながら「憲法は守るだけでなく、使うことが大切。」と語った言葉が胸に響いた。 アメリカの国会議員で、ただひとりイラク戦争の法案に反対したバーバラ・リーの話をはじめ、ひとりのがんばりが確実に広がって、事態を変えていくことの確信も。私たち自身が、そのひとりになって、がんばっていこうと思う。 夜、湯田中温泉で、建設産業労組朝陽支部の新年会。仕事の確保、単価の安定とともに、4月から始まる後期高齢者医療制度の支援金として、建設国保から長野県だけで12億円も負担しなければならないことへの苦情もあり、今さらながら、国民のくらしに二重三重に負担を押しつける自民・公明の政治にやりきれない思い。こんな政治を一日も早く、変えていかなければと思う。
2008年01月27日
私の地元の日本共産党朝陽北支部と日本共産党朝陽後援会の共催で開いた後期高齢者医療制度を考える懇談会。あいにくの横殴りの雪の中、会場の石渡公民館に30名を超える皆さんが集まってくださって、予想以上の活発な懇談会になった。 衆議院予定候補者の山口のりひささん、長野中央病院事務次長の竹内恵子さんと私がパネラーになり、簡単な制度解説と問題提起。 75歳以上の高齢者全員が単独の保険制度に加入することになり、その保険料が介護保険料と合算されて年金から天引きになり、さらに保険のきく医療の対象が制限されるという後期高齢者医療保険制度は、今年の4月から始まるのだが、まだ多くの人がその内容を詳しく知らない。 今日の懇談会の参加者からも、「ここに来て、初めて制度の中身がわかったけれど、国が作った新しい制度なのだから、国は、国民にきちんとわかるように徹底する責任があるんじゃないか。」とか、現に、後期高齢者医療制度の対象者なのに、「私は、国保に加入しているからいいんですよね。」という意見が出るような不徹底さ。 また、20代で夫をなくし、女手ひとつで子供さんを育て上げてきた70代の女性は、「この年になって、子供たちの扶養になって、やっと少し楽ができると思ったら、こんな目にあって、若い時は、子供たちを抱えてこれからどうしようって死ぬことも考えたんだけど、あの時、いっそ、死んだほうが良かったのかねえ。」とつぶやき、90代の女性は、「私は、あまりにも長生きしすぎちゃったのかねえ。」と涙ぐんだ。 長生きするのが悪いことであるかのように思わせる、こんな政治や社会であってはならない。懇談会の参加者たちは、「はやく、こんな制度をなくしてもらうように、共産党にがんばってもらおうよ。」「山口さん、私たちの気持ちを、ぜひ、国会へ届けてくださいよ。」と、激励しあった。 山口のりひささんも、何度説明しても納得できない参加者に、ちょうどあった黒板を使って、わかりやすく制度の中身を解説。会場周辺に配ったビラを見て参加してくださったらしい見知らぬ顔の参加者も、昔からの知り合いのようにざっくばらんに発言してくれ、山口さんを国会へ、と盛り上がった懇談会にもなった。
2008年01月12日
大型バスに乗って日帰りで、長野市長沼後援会の皆さんと日本共産党本部ビルと靖国神社見学ツアーに参加した。幸い、穏やかな日和で、高速道路を走るバスの車窓からは、雪で真っ白な富士山の雄姿も見ることができた。 午前中は、2000年6月から2005年1月までかかって新築した日本共産党中央委員会の本部ビル見学。午前10時半、予定より約30分早く到着。参加者は2つのグループに分かれて、中央委員会の職員のご案内で各階を見学。玄関ロビーには、パソコンの画面で検索すると、このビルの建設に当たって1万円以上募金した人の氏名がわかるようになっていて、私の名前もあったし、何人かの参加者の名前もあって、「あった、あった」とそれぞれ確認。全国からの募金で建設された党本部ビルに、改めて親しみを感じた。 1期棟が地上11階、地下1階、2期棟が地上8階、地価2階の本部ビルは、総工費85億円のうち45億円を積み立て基金、40億円を募金でまかなったと言うことだった。 環境に配慮して造られたこの本部ビルで、太陽光や風力発電の電力を利用しての水の循環で育てている屋上の植物も見せていただいた。アンネのバラをはじめとする数種類のバラ、ろう梅、名前のわからない花々・・・東京は長野より暖かく、沈丁花のつぼみが、もうすぐほころびそうな気配。 ひととおり案内していただいて、ちょうど12時となり、党本部の食堂で、日曜日恒例のメニューらしいカレー・ライスをいただいた。みんな「なつかしい味だね。」と、手作りカレーの美味しさに大満足。たっぷりの大盛りカレーに野菜サラダ、牛乳つきで470円だから、お得。 案内していただいた職員の皆さんにお礼を言って、午後は靖国神社へ。途中、ミッド・タウンで、休憩とお買い物。 新年の日曜日の靖国神社は、おおぜいの参拝客でにぎわっていて、家族連れや若いカップルの姿も目立つ。その風景だけ見れば、長野の善光寺と変わらない。私たちは、約2時間の予定で、神社内の遊就館へ。館名の「遊就」は、「高潔な人物に交わり学ぶ」と言う意味だと言う遊就館には、「英霊」とされている戦死者の遺書、遺品をはじめ、「靖国の神々」としての戦死者の遺影の写真、日清戦争、日露戦争や第二次世界大戦に関する資料が展示され、2つの映像ホールもある。とても2時間では、全部を見ることはできない。いつの映像ホールで「私たちは忘れない」というドキュメント映画が、上映時間50分で上映されていることがわかり、せっかくの機会なので、館内の展示物をざっと見てから、その映画をみることにした。 明治維新以来の日本の戦争の歴史をつづったドキュメント映画だが、歴史の事実を正しく見ようとしない、あまりにも一方的なその内容に、ただただびっくり。この映画では、アジアの小国日本が、ヨーロッパ諸国の植民地になることなく独立国として残ったのは戦争でたたかったからであり、一連の戦争は、アジア諸国をアメリカやヨーロッパの植民地にしないために、やむにやまれず戦った、アジアのための正義の戦争だと言うのである。 日本自身が、中国や朝鮮を侵略し、アジア諸国に大きな犠牲を負わせた事実は全く塗り替えられている。この映画を、もし、あの戦争で、愛する家族を失った中国や朝鮮の人たちが観たら、日本軍による被害を受けたアジア諸国の人々が観たら、いったい、どんな気持ちになるだろう。 もちろん、この映画に出てくる、戦争で尊い命を落としてたたかった多くの人々の犠牲のうえに、現在の平和があることには間違いはなく、そのことには、おおいに感謝するべきことではあるが、日本軍の戦死者のうち、多くの人は、敵と戦って亡くなったというよりも、食糧不足で餓死した人も多いといわれていることや、人間魚雷や特攻隊などの戦術が本当に必要だったのか、正しかったのか、死ななくてもよかった多くの人たちの命が犠牲になった戦争だったのではないか・・・と、疑問と悔しさ、情けなさは、次々に沸いてくる。 映画を観ていた人たちの中には、涙を浮かべている人もいた。戦争犠牲者の無念の死への涙を、うその歴史で塗り固めることには、利用してはほしくない。 戦争犠牲者の死を、本当に無駄にしないためには、都合のよい歴史の塗り替えで、犠牲者を讃えることではなく、真実に正面から目を向けて、二度と、その過ちを繰り返さないことではないだろうか。 私は、そんな思いで、靖国神社を後にした。
2008年01月06日
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