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2月17日から開会されることになった定例県議会に向けての各会派代表者と知事の懇談会が開かれた。 会議の冒頭の知事および県当局の説明によれば、来年度の長野県の地方交付税は、今年度よりさらに80億円ほど減額の見込みだという。えーっ!年末のマスコミ報道では、地方交付税の総額はほぼ今年度並みが確保される見込みとされていたのに、なぜ?という怒りと疑問がわいてきたが、牛越参事の説明によれば、総額は今年度並みだが、市町村に厚く、県に薄くという方針とのこと。理由は、県段階よりも市町村のほうが、投資的経費の借金が多く、決算段階での見込み違いが大きいためとか。 地方交付税は今年度並みといっても、その今年度が、全国の地方自治体から悲鳴があがったほどのかつてない大幅削減だったのだから、それだけでも大変なことなのに、さらに県レベルには厳しい風。実質今年度を下回るということだ。 折から始まったばかりの通常国会では、整備新幹線を始めとする従来型の公共事業などの無駄使いをやめられない国の財政運営に野党からの厳しい追及が始まっているが、かえすがえすも腹立たしい、地方自治体いじめ、国民いじめの小泉内閣だ。 今日の説明では、地方交付税以外の国庫補助金でも、義務教育費(中学校の教員の人件費)の補助金削減や、来年度から県の負担が増える国民健康保険会計などについては、その分に見合う税源移譲があるが、まったく廃止される補助金や、国負担分が減る補助金が他にもあるとのこと。 長野県政は、厳しい財政状況の中で、県民の切実な願いに応えながらも、前県政が作った莫大な借金を、必死に減らし始めた矢先に、またまた厳しい財政運営を強いられることになる。 他会派の代表からは、財政状況がこれだけ厳しいのだから、国からの補助金が来ないで県の単独予算を使う比率が多くなる「信州モデル創造枠予算」に、聖域なくメスを入れて削るべきだという意見があった。 知事は、「財政状況が厳しいのだから、全部を予算化できずに柔軟にしなければならないが、ちぢみ思考にならないことが大切。」「信州モデル創造枠に何でも逃げ込んで事業化しようというのではだめだが、長野県として必要な事業であれば予算化する。」と応えた。 私も、知事の意見に同感。もともと、深刻な借金財政の建て直しのために、「財政改革推進プログラム」が検討され始めたとき、日本共産党県議団としては、「財政難だからと、一律に予算を削減することはやめてほしい。借金のできた原因にメスを入れ、厳しいからこそ、無駄使いをなくして、県民にとって切実な要望には、むしろ充実した予算をつけてほしい。」と、30人学級の実現などとあわせて申し入れてきた。 長野県ならではの、国の制度に縛られないで、県民要望に応えていこうという「モデル枠予算」は新年度で3年目。厳しい中でもきらりと光る、県民に喜ばれるものとしてほしい。 私は、新年度の長野県予算が、国からの削減の影響をどの程度受けるのか、歳入不足の中での予算編成の基本的立場について質問し、合わせて、きのうの団会議で意見が出た2点について知事に質問、要望した。 ひとつは、企画局の「人権・共生のまちづくり事業」。 この事業は、従来、同和対策として実施されてきた「隣保館運営事業」への補助金を見直し、国と県から補助金が出ているこの事業を、障害児や外国籍児童も受け入れる児童クラブの支援やDVの相談事業を行なう事業として見直し、現在隣保館がない中南信へも拡大しようというもの。 私は、県政を大きくゆがめてきた同和対策がせっかく終結したのに、時代に逆行することのないように、「隣保館」と言う建物ではなく、事業の中身が重要なので、教育委員会や社会部とも部局横断的な土俵を作って取り組んでほしいこと、また、「隣保」という同和対策を連想させる名称は使わないでほしいと主張した。 2つ目は、養護学校への看護師の配置。 医療的ケアが必要とされる子ども達は、かつての県政では、養護学校高等部への入学を拒否されるなど、教育の権利が認められていなかった。田中県政になってから、医療的ケアを必要とする子どもが契約するという形で基本的には公費負担で看護士師配置がされるようになり、関係者からはずいぶん喜ばれている。 しかし、各学校への看護師の常駐ではないため、修学旅行を希望したとき、付き添いは保護者が自費で参加しなければならず、旅行への参加そのものをあきらめなければならないなど、改善が望まれている。今年こそ、養護学校への看護師の配置をと願っている関係者の声を代弁させてもらった。 知事は、「最近、日本共産党県議団とは意見の違うことも多いが、この2点については、まったく考え方は同じ。もともと隣保館というものが長野県中に設置されているわけではなく、地域的な片よりもあるわけで、事業の中身が重要。養護学校への看護師の配置は必要と考えている。自立教育課長も一生懸命がんばっているので、実現できるように検討していきたい。」とのこと。 きのうの団会議では、各部局からの予算要望や、事務事業の見直しなどについて検討したが、昨年末に私たち日本共産党県議団が知事に申し入れた予算要望の中で、いくつかの切実な県民要望が予算化されている。全体として、今までなかなか届かなかった県民の願いが、きめ細かく、一歩一歩実現していくことを感じさせるものになっているという印象だ。それらの願いを、是非、現実の予算として実らせたいもの。 会議の冒頭、古田議長が、議会側の要望として、かねてから要望していた議会事務局職員2名の増員について再度要望した。全快の要望の際には前向きな答弁と思われた田中知事だったが、今日は、知事部局、教育委員会でも、今後さらに200人、230人規模の職員削減の計画を進めていること、議会事務局職員だけが、過重労働という実態ではないこと、などの理由をあげて、消極的な姿勢だった。 議会側からは、議員提案の条例作りなどのために、法律に明るい職員を配置してほしいとか、最近の選挙区等調査特別委員会が視察に行った広島県の職員の対応振りを紹介し、「あのような優れた職員が議会には必要。」と主張する意見が相次いだ。 しかし、条例作りのために、法律に強くならなければならないのは、むしろ、私たち議員自身であり、議員自身がもっと勉強することをぬきに、議会事務局職員に、なんでも下請けのように、仕事をさせようというのは、少し、考え方が違うような気がする。 また、先日の特別委員会の視察の際に私が感じたのは、長野県に比べて、他県の議会では、議会事務局や県の理事者側のペースに議員がのせられているような気がしてならなかったことである。議会の自主性、自立性、活性化という点で、長野県はいい意味での独立性が出てきているように感じた。 事務局職員の存在は、ありがたいし、日常的に大変なご苦労をしていただいていることには、感謝、感謝だが、なんでも事務局職員だよりでは、議会の自殺行為ではないだろうか。 知事と、議長や他会派の代表とのやりとりを聞いていて、そんなことを感じ、私は、「経過として、前回、知事の前向きなお答えがあったので、議会として再度要望する形になったが、現時点で、全体の職員配置の中で、議会だけが増やしてほしいともいえない気もするので、増員できない場合は、知事に納得の行く説明をいただければいいのでは。」と発言した。
2005年01月25日
朝からあいにくの大雪。 せっかくの、地元朝陽地区の「9条の会」の結成総会だというのに、この雪の中をいったいどれだけの皆さんが来てくださるのかと内心ハラハラ。 会場の朝陽公民館には、畳の大広間いっぱいに座布団が敷き詰められ、ストーブが部屋を暖めてくれていた。「そういえば、準備会の時も、台風で大雨だったけど、40人くらいの人たちが来て下さって、とてもいい会だったよね。」「憲法を守ろうという会だもの、雨や雪なんかに負けているわけにはいかないよね。」などと話していると、開会の午後1時半近くなって、見知らぬ顔の人たちもおおぜい来て下さり、なんと会場はいっぱいに。 良かった。案ずるより、産むがやすしとはこのこと。うれしい。 私のご近所のKさんの司会で始まった結成総会は、事務局のWさんご夫婦のハーモニカ演奏で幕をあけた。病気の後遺症をのりこえての奥様の「埴生の宿」等見事な演奏、仲むつまじい演奏に拍手喝采。続いては、あでやかな衣装のMさんによる「南京玉すだれ」。小さなすだれをさまざまな口上を述べながら、おもしろおかしく次々と橋や旗、門、つりざお、柳の木・・・などに変身させてみせてくれるこの「南京玉すだれ」は、Mさんが同じ地区に住んでいる友人であることもあり、私は今までもあちこちの大小さまざまな集まりで見せてもらったが、今日は、初めてその由来についてMさんから聞いた。 鎖国をし、いくさもなく、太平の世が続いた江戸時代、人々は、暇つぶしに趣味やお稽古事、大道芸などに興じるようになり、そんななかで生まれた庶民の楽しみとしての芸のひとつが「南京玉すだれ」であり、平和でなかったら生まれなかった芸だとのMさんの説明に、一同納得。 平和な世の中であってこそ、楽しめることの数々を思えば、9条と日本の憲法を、なんとしても守りたい、と述べて、Mさんは「南京玉すだれ」を演じて盛大な拍手。 続いて「朝陽地区9条の会」の呼びかけ人のおひとりでもある声楽家の伊東朝子さんのミニ・コンサート。「浜辺の歌」「この道」や、残念ながら越県合併が決まった山口村や島崎藤村への思いをこめての「小諸なる古城のほとり」など、いつもながらの迫力と心にしみる歌声。 記念講演もやはり「朝陽地区9条の会」の呼びかけ人代表の元長野市医師会会長の石黒慶次さん。終戦を広島県の旧海軍江田島兵学校で迎え、被爆直後の広島の惨状を目の当たりにした御自身の戦争体験や、日本の戦争の被害とともに中国をはじめとする他国への加害の現実にもふれながら、「この60年は9条が歯止めになって、戦争をせずにすんだが、今は危険な方向に進もうとしている。こうした会で行動することが必要だ。」と、平和への熱い思いが語られた。 記念講演も、文化行事も、すべて地元朝陽地区の人材による手作りの集会になったことにも、私は感動をおぼえた。 会場の朝陽公民館の畳の大広間を埋め尽くした参加者の中からも発言。 「自分自身に戦争体験はないが、子供の頃、街角に白い着物を着た傷痍軍人が足元に募金箱を置いて楽器を弾いたりしていた姿が悲しかった。日本が平和憲法をもって戦争をしない国になったことに誇りをもってきた。自衛隊のイラクへの派遣がイラクの平和に役立っているとは思えない。多くの尊い犠牲の上に実現した憲法9条を守りたい。」と、お舅さんの介護をしながらがんばっているAさん。 「障害児学校の教師をしていて、自分自身も視覚障害者。戦争になれば、真っ先に被害を受けるのは、弱い立場にある障害者。平和でないと障害者は生きていけない。現に、太平洋戦争の当時、障害者は、役立たず、ごくつぶし、と非難され、冷遇された歴史がある。そんな時代を二度と作らないためにも、何ができるかわからないが、改憲反対に立ち上がり、9条を守る活動を広げたい。」「満蒙開拓や義勇軍に協力した長野県で、戦後の復興には様々な苦労があった。昭和27年ごろ、芦田内閣の首相が長野へ来て、自分も講演を聞きに言った。その時の講演のテーマは、真の戦力とは何か、ということで、芦田首相は『小銃ひとつ持たないこと、武器を持たないことが平和のための最大の戦力だ。』と言った。自分も心からその言葉に共感した。9条を守る活動は、誰になんと言われても、立場を超えて、みんなで一致してやらなければならない。自分のその気持ちは揺るがない。」これは、朝陽地区でも保守的な立場をとり、自民党の議員の後援会の有力者でもある人の発言。 私も、新年からの小泉首相や政府首脳の発言、県内や長野市内での「9条の会」の広がりなどを簡単に紹介しながら、自分自身の経験にもふれて、署名運動などの取りくみで、草の根の世論を広げていくことが大切だと発言させてもらった。 日本国憲法の規定では、憲法改正は国会議員の3分の2の賛成で提案でき、国民投票の過半数の賛成で成立するとされている。決定的に重要な鍵を握っているのは国民の世論だ。草の根からの世論を広げていくために、がんばる年にしなければならないと思う。 平和を守る思いをこめて、広がれ、「9条の会」。
2005年01月16日
新年になってからのテレビ報道を聞いていると、憲法改定の論議が急を告げていることを痛感する。 昨日のNHK報道番組では、自民党の武部幹事長が、「これからは実際に(改憲)草案を作る作業に入ってくる。」「国民投票法案について、与党として提出は決めている。通常国会で必ず出す。」と述べた。 公明党の神崎代表も、憲法改正の手続きを定める国民投票法案を通常国会で成立させることについて「異論はない。5月頃に衆参両院の憲法調査会が一定の方向を出す。報告を受けて法案を国会に提出するタイミングでいい。」と、容認。 民主党の岡田代表は、小泉首相が、改憲にあたり民主党の協力を得るべきだと表明していることについて問われ、「われわれは3月をめどに(改憲案を)まとめるが、各党が案をまとめた上で協議することはあるかもしれない。」と述べた。 これに対して日本共産党の志位委員長は、「(憲法9条は)『二度と戦争はしない』という、いわば“国際公約”でもあり、“平和の誓い”」「しっかりこれを守り抜いていく。その運動を強めたい」と述べて、ひとつの動きとして大江健三郎さんや加藤周一さんら9氏の呼びかけで作られた「9条の会」のとりくみの広がりを紹介し、たとえば長野県の信濃町では、町議17人全員が呼びかけ人になって「9条の会」を作ったことにも触れ、「草の根からの運動も含めて、9条を守り生かしたいという国民の願いは非常に強いものがある」と強調した。 大江氏らの呼びかけに応えて、長野県の各地でも草の根の「9条の会」が作られ、長野市内でもそのとりくみが広がっている。 私の住んでいる朝陽地区でも、地元に住んでいる医師や看護師、保険師、助産師、声楽家、農業者、商店主、主婦などの幅広い皆さんが呼びかけ人となり、昨年の10月9日に準備会が開かれ、約40名の参加者で、県の「9条を守る署名推進の会」代表委員のおひとりでもある小布施町にある栗菓子の桜井甘精堂の桜井佐七さんの講演をお聞きし、参加者の9条や平和への思いを語り合った。 その後も呼びかけ人や賛同者を広げ、「9条を守る署名」運動に取り組みながら、いよいよ今月の16日に結成総会を迎える。16日の総会では、朝陽地区内に在住の医師、石黒慶次さんの講演、声楽家伊東朝子さんのミニ・コンサートが計画され、その宣伝のための手作りのポスターの作成依頼が、事務局の方から私の夫のもとへ。 そのため、夫がパソコンで作り、カラー・コピーで印刷した手作りポスターを、急きょ、みんなでお手伝いして張り出すことになり、私も永井みえ子市議とまわって15枚ほど張ってもらった。みんなで手分けしてお願いしたポスターが、明日になれば、朝陽地区内のあちこちに見られることだろう。 憲法改正は最終的には国民投票で決める、というのが日本の憲法の規定。だからこそ、草の根の世論の力を広げていくことが、今、大切になっていると思う。
2005年01月10日
昨年12月末におこったスマトラ島沖地震・インド洋津波の被害は死者15万人、被災者500万人とも言われ、被害は時間の経過とともに予想をこえて拡大している。安否不明の日本人も200人をこえるといわれている。地形が変わったとまでいわれる被害で、家や財産を失った人々や、食料、衣料をはじめとする生活必需品、医薬品などの不足も指摘され、保健衛生状態の悪化も懸念されている。 すでに国連中心の枠組みでの各国政府レベルの支援のほか、NGOの支援も開始されてはいるが、被害の規模が大きすぎて、支援はとても追いつかない現状だろう。 日本共産党長野県委員会と長水地区委員会は、毎週土曜日にJR長野駅前で宣伝行動を続けているが、今日の宣伝は、スマトラ島沖地震・インド洋津波の救援募金の呼びかけをすることになり、私も参加した。 募金箱を持ち、ハンドマイクで呼びかけた。1月9日付の「赤旗」日曜版の1面が「インド洋津波――500万人が救援を求めている」という特集記事なので、通行する人たちに良く見えるように、その新聞をかざして訴えた。あいにく、今日は気温が下がり、風は冷たい。でも、高校生くらいの男の子や、若い女性たち、40代くらいのサラリーマン風の男性達などが、立ち止まってお財布からお金を出して募金箱に入れてくれ、暖かい思いが胸にあふれる。 昨年10月の新潟県中越地震のときも、この場所から募金のお願いをさせていただいたっけ。街頭募金をはじめ、日本共産党長野県委員会に寄せられた新潟の震災被災者への募金は約650万円。募金とともに、りんご600箱、野菜、毛布をはじめとする生活支援物資が多数寄せられ、トラックに分譲して何回かに分けて直接現地にお届けした。私もりんご300箱、えのきだけをはじめとする野菜などをトラックに積んで、日本共産党の魚沼支援センターに行き、そこから広神村の避難所などにお届けした。 日本共産党県議団も交替でボランティアに行き、片付けボランティアや障子張り、生活上必要なものをお聞きしての買い物などに協力し、日本共産党長野県委員会を通じて190名をこえる人たちが支援のボランティアとして行動した。 それらの支援によって、被災された皆さんが、少しでも安心や安らぎを得ていただけたとすれば、うれしいことだ。 寒さや雪の中、新潟の被災者の暮らしを思うと胸が痛む。 今日は、1時間弱の行動で、3万2606円の募金がよせられた。善意の募金をよせていただいた皆さんに感謝。これからも、長期にわたるであろう復興に向けて、必要な支援を強めていきたいものだ。
2005年01月08日
12月県議会で、やむなく議員提案で可決した山口村の越県合併を総務省に申請することを、田中知事が午後の記者会見で表明した。 私自身も苦悩の末、住民自治尊重の立場からやむを得ず議員提案という異例の形となった山口村の越県合併が、民主主義のルールに従って総務省に申請されることになり、正直言って、安堵している。 今回の問題をめぐっては、日本共産党県議団も議員提案の共同提案者、賛同者となったため、売国奴ならぬ「売県奴」と言われたり、「自民党と共産党が一緒になって知事に敵対するとは何事か。」などと批判されたりもして、私たちの立場が一部の人たちに誤解されたことは、大変残念で、悲しいことだった。 しかし、憲法に保障された「法のもとの平等」からも、たとえ、越県合併であっても、その村の進むべき道は、最終的にはその村の村民自身に決める権利がある、という大原則を私たちは尊重せざるを得ない。山ノ内町は、町長自身は合併推進だったが住民投票の結果、14票差で合併反対が上回り、町長はそれを尊重して、合併協議会から離脱の道を選んだ。最近では野沢温泉村が、住民投票の結果、合併反対多数となり、合併を推進してきた尊村長は、「事実上の不信任」として、村長を辞任することになった。これらの住民の選択を、知事や県議会も当然、尊重しなければならず、県レベルで、それをくつがえしても良いということになれば、市町村には、また、市町村の住民には、自分たちの町や村の運命を決める権利が認められず、結論は県が出すということがまかり通ることになってしまう。 山口村の村民が、アンケート調査や村長選挙、知事も勧めた投票方式の意向調査(賛成派も反対派もこの方法を同意して行なわれた)など、3度にわたって合併賛成多数という結論を出したことは、「平成の合併」に基本的には反対の立場の私たちにとっては、とても残念なことではあるが、その意味で尊重されなければならない。 大切な長野県の一部が引き裂かれる思いに居たたまれない気持ちはあっても、島崎藤村や馬籠、信州木曽路、山口村の豊かな自然や文化に断ち切れない思いがあっても、長野県に残ることこそ正義だと、私たちが村民の皆さんに、その思いを押しつけることはできない。 意向調査にあたっての情報提供が不充分だった、合併に賛成した人たちは、生活の利便性に目を奪われて、山口村の価値に気がついていない、という人たちもいる。 しかし、そう言う人たちも、私たちも、一体、どれだけ山口村の人たちの本当の思いに寄り添うことができたのだろうか。昭和の合併のとき、知事や県議会の反対で村の意思は無視されて、総理大臣裁定で当時の神坂村が二分された傷跡の、いったいどれほどを私たちは理解し、共有できたのだろうか。 山口村の村民の皆さんの気持ちは、当事者が一番わかっているはずだ。その村民の皆さんの選択を認めない、という権利は誰にもない。「少数であっても長野県に残りたいという人々を護らなければならない。」という知事の主張も、痛いほどわかるけれど、村民多数の選択を否定したとき、否定された人たちの人生に、誰が責任をおえるのだろうか。 「越県合併は、県民全体の問題」と言う知事の問題提起、そのための1万人意向調査には、私たちは賛成したが、その意向調査がもし実施されたとしても、その結果が結論ではなく、それは、あくまで、山口村の村民の皆さんの最終判断の参考にしてもらうものだったはず。 情報提供について言えば、知事が、県として派遣したまちづくり支援室の職員のアドバイスを得て、「財政シュミレーション」や、住民説明会の資料は作られた。意向調査の前も、後も、その情報提供が間違っているという公式な指摘は知事からは一度もなかった。そればかりか、意向調査の結果を受けて、山口村が合併申請を県に正式にあげた4月以降も、知事は、山口村村長や中津川市長に、「困ったことがあったら何でも言ってください。まちづくり支援室の職員がお手伝いします。」と言い続け、現に、県の職員と協議しての合併の事務手続き(600項目以上の)や、合併後を予想しての子ども達の交流などの準備を着々と進めさせてきた。 2月13日の合併期日に間に合わせるための最終段階の9月県議会の直前になって、反対を表明したり、議案提出を見送るくらいなら、ここまではしごをかけてはずすようなやり方で、山口村からの合併申請をもてあそぶようなことを、なぜ、やったのか、と、私は知事の道義的な責任を痛感せざるを得なかった。 山口村の村民の皆さんに、長野県に残ってもらう、長野県を選択してもらうためには、少なくとも、4月の申請直後に、「もう一度、考え直してほしい。」と、知事自身が、村民の皆さんに直接呼びかけるべきだったのではないだろうか。 記者会見の中で、知事は、この越県合併を認めてしまうと、道州制につながりかねず、「長野県が溶けて流れてしまう。」と、従来の主張を繰り返した。 また、県議会に対し、「仮に山口村に続いて今後、他の県内自治体から『越県』合併の申請がなされた場合にも、今回と同様の議決を下さねば、整合性に欠けるであろうからです。県庁所在地から遠く離れた山口村だけの特例とするのでは、憐憫という名の無関心が斎した議決だと、歴史の厳しい審判を受けるでありましょう。」と述べている。 そんなことはあってほしくはないが、仮に、今後他の県内の自治体から「越県」合併の申請がされれば、それが住民多数の意志であるならば、残念ながら、私たちは認めざるを得ないことは明確である。山口村が、県庁から遠く離れた村だから、越県合併しても良い、などと考えたことは一度もない。知事が、何を根拠に繰り返し、そのことにふれるのかわからないが、そんな議論は皆無だった。 私たちは道州制にも賛成できないが、長野県が「溶けて流れる」か、流れないで踏みとどまれるかは、ひとえに、長野県民の意志の力、住民自治の力を強力に作ることができるかどうかだと思う。 政府の方針で、たとえ道州制の嵐が吹き荒れようとも、魅力ある長野県作りを県民とともに成功させ、県民自身の意志で長野県を選んでもらえるように、長野県に残り、住み続けたいと願う県民の多数派を作ることに成功できるよう、私たちは努力しなければならないのではないだろうか。 合併しても、しなくても、小泉内閣のもとでの地方自治体を取り巻く環境はますます厳しさが予想される。 年末のニュースでは、新年度の地方交付税の総額は、ほぼ今年度並みが確保される見通しとのこと。その「今年度並み」というのは、多くの自治体が、「これでは予算編成ができない」と悲鳴をあげた、かつてない大幅削減の地方交付税だった。しかも、今年度は補助金として確保されていた義務教育費の国庫負担制度の段階的廃止をはじめ、地方への抜本的な財源以上がないままに、各種補助金は次々に廃止されて一般財源化、つまり地方交付税に参入されていくのだから、「今年度並み」の交付税というのは、実はすざまじい交付税の削減なのだと言える。 地方自治体が、住民の福祉向上という、憲法にうたわれた地方自治の役割を果たすためには、今年はまさに正念場になると言えるのかもしれない。県民の願いの届く県政をめざして、いっそう、がんばらなければならないと思う。
2005年01月04日
毎年1月2日は朝陽地区の公民館主催の成人式。 我が家の息子も対象者だ。長女とは10歳、次女とは8歳はなれている息子も、ようやく成人式を迎えたと思うと、親としてはほっとした気持ち。 ところが肝心の息子は、「僕、成人式なんて出ないよ。」と、電話で知らせてあったにもかかわらず、1着しかない背広を下宿先に置いて来てしまう始末。「小学校や中学校のときの同級生に会えるよ。」という私や娘たちの説得で、ようやく出席する気になったのに着る物がなく、結局、スーツと靴は娘の夫に借り、ワイシャツとネクタイは夫に借りて、何とか格好がつき、来賓で出席することになっている私の車で一緒に出発。 会場に着けば、心配することもなく、久しぶりに会うかつての同級生達と楽しそうにおしゃべりに花が咲いている様子。振袖姿の女の子達はなおさらのこと、男の子達もずいぶん大人びて、胸の名札を見なければ、誰だったのかわからない子もいたり、面影が残っていてすぐわかる子もいたり・・・例年、マスコミなどを通じて問題行動が報じられるような規模の大きい成人式ではなく、同じ小学校区内の地域の成人式は、なつかしい雰囲気と、旧交を暖めるきっかけにもなって、よいものだと思う。 案の定、「出ない。」といっていたはずの息子は、「お母さん、先に帰って。」ということになり、夕方からは小学校の時の同級生達と急きょの同級会、その後もまた、クラスを超えた友人との「飲み会」とやらで、結局帰宅したのは午前様だった。帰宅してからの息子の弁は、「お母さん、やっぱり行ってよかったよ。久しぶりに友だちといろんな話ができたし、また、春にみんなで集まろうとか、同級会しようっていうことになった。」とのことだった。
2005年01月02日
こんなに積もったのは数年ぶり、というほどの雪。きのうから、何度も雪かきをして、いささか疲れてしまったが、今朝も、家の周りや駐車場の雪かきで、大仕事。長野で、こんなに降ったんだから、新潟の被災地では、さぞかし大変な雪なんだろうな、とお気の毒な気持ち。 午前9時半から善光寺仁王門前で恒例の原水爆禁止長野県協議会の街頭署名行動。雪の中を駆けつけた約20名の人たちで1時間、初詣の参拝客に呼びかけて、核兵器の廃絶を求める署名193筆、募金は5700円余が集まった。大変な雪の中ではあったが、行動中は太陽の光がさし、良いお天気になった。行動終了後、これも恒例になっている参加者の記念撮影を終え、これまた恒例の日本共産党の新春街頭宣伝。 雪が積もり、道路も狭くなっているため、例年は大型宣伝カーの上から初詣の参拝客の皆さんにごあいさつしていたが、今年はハンドマイクでごあいさつ。今井誠県委員長、衆議院長野1区予定候補の中野早苗さん、原田誠之市議、永井みえ子市議、私の5人でそれぞれ交代でごあいさつし、今年の抱負や日本共産党へのいっそうのご支援を訴えた。 今日から長野市は、戸隠村、鬼無里村、大岡村、豊野町と合併し、面積が約1.8倍に、人工は1万8千人ほど増えて38万人都市になる。新たな課題も大きい。 よい年になりますように。よい年にしなければ。
2005年01月01日
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