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以前から行きたいと思いながら、なかなか機会に恵まれなかった上田市にある戦没画学生の遺作の美術館、無言館へ。今日は、新しく、わが新日本婦人の会「竹の子班」の会員になってくださった皆さんとの初行事でご一緒に。 周囲を緑に囲まれた落ち着いたたたずまいの建物の中には、美術学校を卒業し、画家や芸術家をめざしながら、志半ばで出征し、戦地で還らぬ人となった人たちの遺作や遺品が並んでいる。 亡くなった年齢は21歳から31歳くらいで20代が圧倒的。終戦の年だった1945年前後の戦死や、出征して1~2年で亡くなった人が多く、もっと早く戦争が終わっていれば・・・と無念の思いが胸をよぎる。 すでに絵本の挿絵画家として、また俳優としても活躍中だった人、絵画、彫刻、デザイン、鋳金などのさまざまな分野で将来を嘱望されていた若者たち。恋人や妹、妻や家族をモデルにしている人が多い。ガラス越しのケースの中に展示された戦没画学生の写真、戦地から妻に送り続けた手紙や絵葉書、「オリコウニシテパンツヲハイテアソブンデスヨ」との子供へのハガキ、死亡通知、遺品となった絵筆やパレット・・・ 仲の良かった友達同士の戦死者を、遺言のメンデルスゾーンの曲をかけて弔いながら、「二人をもっと生かしておいて、好きな絵を思いっきり描かせてやりたかった。」と、家族が一晩中泣き明かしたという話。思わず涙が出てきた。 ひとりひとりの、二度とないかけがえのない人生。それぞれの家族への限りない愛と希望ある未来を奪い去った戦争。その戦争に、いったいどれほどの意味があったというのだろう。 時あたかも、日本の国会では憲法改正論議が活発となり、小泉首相は、国連の安全保障理事会常任理事国入りをめざすなどとはしゃいでいるが、国連での小泉首相の演説への拍手は、どう見てもまばら。そのあと演説したスペイン代表の、イラクからの勇気ある撤退をして、イラク戦争の終結と世界平和を訴えた演説にはその数倍の万来の拍手。アメリカのイラク戦争を支持したのは国連加盟国の約3分の1にすぎないことや、常任理事国の一つである中国が、小泉首相の相つぐ靖国神社参拝に不快感を示していることなど、世界の流れが小泉首相には、わからないのだろうか。 無言館に遺作や遺品が展示されている人たちにとどまらない、多くの人々のとおとい犠牲と引き換えに手にした日本の憲法と平和。守り抜き、現実の社会にもっともっと生かすために努力したい。 高村京子県議から紹介してもらった、無言館近くの深山というお店で、きのこ汁の昼食を食べながら、私たちは、そんな思いを語り合った。
2004年09月23日
今日から9月定例県議会が開会された。朝から、議会棟の玄関前では、山口村の合併賛成派の皆さんがおおぜいで、おそろいの黄色の布を首にかけてビラ配り。傍聴席は、合併に賛成する約150名の村民の皆さんと、合併に反対する30名ほどの村民の皆さんで埋められたと言う。最後は総理大臣の裁定で、村が二つに引き裂かれた昭和の合併の時の悲劇を繰り返すことのないように、冷静で慎重な審議が県議会に求められていることを、改めてひしひしと感じた。 田中知事は、提案説明の中で、越県合併である以上、長野県民全体にとっても山口村は地元、という理由で、県民1万人を対象にした意向調査を行なうことを表明した。どんな情報を提供し、どんな質問をし、その調査結果をどのように使うのかが問題になる。そして、県の意向調査の結果と、村の意向調査の結果が逆の結論になった場合はどうするのか。 この問題の最終的なカギは、合併の申請の手続きが公正で民主的に行なわれたのかどうかの確認と、山口村の村民の皆さんの選択を尊重することだと思う。県議会としての充分な審議に努力したい。 山口村の合併問題も、県政の重要な課題だが、知事の提案説明のあと、感想を聞きに来たマスコミ関係者のほとんどが、山口村の合併問題ばかりを聞くのには、正直言ってがっかり。 今日の提案説明には、県財政の深刻な借金を解決しながら、県民要望を実現していくために取り組んできた「財政改革推進プログラム」を、政府の地方交付税や補助金の大幅削減という事態の中で見直さざるを得なくなったこと、約34億円の9月補正予算が、生活道路の維持補修や河川の浚渫、緊急を要する信号機の設置、雇用対策、降ひょう被害対策をはじめとする、生活密着型予算であること、今年の夏の豪雨災害の教訓から、従来地震や火事などを中心に想定して行なっていた防災訓練を、洪水被害なども想定した総合訓練に充実させることなどをはじめ、いくつかの重要な提案がされているのだが、マスコミ関係者には、ほとんど無視されている。 私は、6月県議会の一般質問で、道路整備がすすむ中で、信号機の設置がそれに追いつかない現状を指摘し、中野市の若宮バイパス、長野市の北部幹線の事例を具体的に挙げて、早急な解決と、県警と土木部が一体となった部局横断的な検討を提案した。 北部幹線への信号機の設置については、関係地域の老人クラブの会長さんや区長さんたちとも県警の交通規制課へ直接要望に行っていただいたが、その後、スーパー「西友」東交差点の信号機が設置されたのに続き、今日の提案説明では、湯谷小学校東交差点に設置されるとのこと。よかった! 早速、関係地域の地元でがんばっている野々村博美市会議員に連絡すると、「良かった!この間の敬老会でも、早くつけてほしいと話題になっていたところ。実は、76歳のお年寄りが、その場所で交通事故に遭い、幸い命は取りとめたけれど、骨盤骨折の重傷で入院中。これ以上、信号がつくのが遅くなったらどうしようと言っていたの。」とのこと。一緒に県警に要望しに行って下さった老人クラブの皆さんや区長さんたちにも、くれぐれもお礼を言っていただくようにお願いした。 私の友人は、知り合いの70歳をこえたお年寄りが、開通後の北部幹線で交通事故で亡くなったと話してくれた。言葉もない悲しい事故。交通安全対策のいっそうの充実のためにがんばりたいと思う。
2004年09月22日
敬老の日を前に、日本共産党長野県委員会が80歳を超えている党員の皆さんに長寿をお祝いする記念品をお渡しすることになり、私も、永井みえ子長野市会議員と一緒に、地元の朝陽・柳原地区在住の高齢の党員の皆さんのお宅をおたずねした。 お届けしたのは、大岡村出身で、現在埼玉県で活躍されている女性の書道家、森谷明仙さんのすてきな色紙。柔らかな、味のある書体で、「こころ まんまる」とか、「あなたがすき あなたのやさしさがすき あなたのつよさがすき あなたの笑顔がすき」等と書かれていて、一枚一枚に思いがこもっている。 ご家族にしかお会いできない人もいたが、ほとんどの方は、まだまだ現役でお元気。ご夫婦で農作業中の方、ミシンを踏んで帽子を作っている方、時計の修理中の方・・・とても、私たちにはかなわない。現在よりも、まだまだ日本共産党への偏見や困難の多かった時代から、平和で平等な社会を目指して生き抜いてきた方々の、ひとりひとりの人生に思いを寄せて、長寿を心からお祝いし、ますますお元気で、と願わずにはいられない。
2004年09月19日
昨日の記者会見で、田中知事は、9月県議会に提案するとしていた木曽郡山口村の岐阜県中津川市との越権合併に関する提案を、「9月県議会冒頭には提案しない。」と表明した。 私は、今日、たまたま山口村の合併を準備してきた村長さんをはじめとする村の代表の方々にお会いすることになっていたので、午前10時半から議会の控え室でお会いした。当然のことながら、村長さんたちは、困惑の表情。私は、重要な問題なので、慎重な審議をさせていただくことをお約束。 このことをめぐって、今日開かれた県議会総務委員会でも、冒頭、山口村の村長からの「関係議案を早く提案し、合併を承認してほしい。」との陳情があり、質疑が行なわれた。 私も、「9月県議会冒頭には提案しない。」というだけの説明では不透明でわかりにくいこと、もし、この9月県議会に提案するのであれば、一般質問も委員会審議も終わってしまってからの提案では審議が保障されないので、遅くても一般質問の前には提案してほしいと要望した。小林総務部長は、「私も、それが筋だと思います。」と答弁。しかし、開会日が22日、一般質問の初日は28日。県議会冒頭に提案しなくても、一般質問初日に提案するのであれば、提案は5日間遅れるだけ。5日間遅らせることで、知事の言う、「県民の意向をつかむ」ことは、とてもできそうになく、「冒頭には提案しない。」という説明は、納得のいくものではない。 山口村は、昭和の合併のとき、当時の神坂(みさか)村が越県合併を決めたが、県議会が合併反対の決議をし、最後は総理大臣裁定で、村の3分の2が岐阜県中津川市へ、残った3分の1が長野県山口村へと言う悲しい歴史を持っている。 今回の「平成の合併」では、県を超えての合併は全国でも山口村だけと言うことである。県の形が変わるという歴史的な出来事でもあるだけに、私も、「県議会が、歴史の検証に耐えられる議論をしなければならないと自覚している。充分な審議の時間を保障してほしい。」と要望した。 山口村では、すでに村民意向調査で6割の村民が合併に賛成している。しかし、今なお、合併に反対する声も根強い。村民の意志は、尊重されなければならないが、長野県全体の問題でもあるだけに、さまざまな角度からの議論が、県議会にも求められていると思う。 その後、知事は、今日の夕方、合併に反対する住民の代表と山口村の村長や議長などにそれぞれ会い、「9月県議会には提案しない。」と表明した。 12月県議会までに、県が、県議会が、山口村の村民の今後の幸せのために、それぞれ何をなすべきかを、明らかにしなければならない。私たちは、その意味で、今、重い課題を突きつけられている。
2004年09月16日
昨日開会された定例の長野市議会の提案説明の中で、鷲沢長野市長は、「脱ダム宣言」を事実上否定し、はなはだしい時代遅れの認識を示した。 その一部を紹介すると、 ・・・今後、早急に計画されなければならない浅川の「整備計画」の中で、河川の分担量を計画高水流量毎秒350トンと確定することで、残りの流域での最善の対策案がなかなか出てこない現実と、基本高水流量を毎秒450トンと表明している中にあって、7月中旬に新潟県などを襲った豪雨が想像をはるかに超えた降雨量であったことなどを踏まえると、「脱ダム宣言」そのものが正しかったのかと改めて疑問をもつと同時に、「脱ダム宣言」はどう考えても「日本の国土に根づくことはない」と感じております。・・・ というもの。 新河川法の精神も、日本全体の治水対策にかかわる大きな時代の流れや前進も、まるで、ここでは時間がストップしてしまったかのような、時代遅れもはなはだしいこの鷲沢市長の認識には、ただただ驚くばかり。 当初100年確率で計画された浅川ダムの根拠になっている100年に一度の確率の雨は一日あたり130ミリを想定している。今回の新潟や福井の予想をこえた豪雨のように、400ミリをこえるような雨が降れば、130ミリの雨に対応して莫大なお金をかけてダムなどつくっても、それだけでは何の役にも立たない。だからといって、400ミリ、500ミリに対応するダムを造ることなど、財政的にも到底不可能なことで、環境に与える負荷もはかりしれない。そんなばかげたことを考える人は誰もいない。 今回の新潟などの豪雨災害で、最も指摘されているのは、洪水時の住民への情報伝達の悪さである。もちろん、安全度を高めるための効果的な河川改修やさまざまな土木的な対策は必要である。だが、人間の力では防ぎきれない洪水や災害に対し、どうするのかと言えば、より効果的なハザード・マップの作成や、住民への情報伝達のネットワークの確立で、効果的な避難勧告を出すことや、住民の安全確保のための避難場所の確保だと思う。 すでに、国土交通省の河川審議会は、1996年に、「21世紀の社会を展望した今後の河川整備の基本方向について」「社会経済の変化を踏まえた今後の河川制度のあり方」を相ついで答申し、費用対効果や環境への配慮などの点を踏まえてのダム建設の限界を認め、今後の河川行政の基本方向を大きく転換することを求めている。この答申を受けて1997年の河川法の改正が行なわれており、これらの動きを前後して、現在までに、日本全国で国土交通省直轄のダムを含め、100をこえるダム計画が中止あるいは凍結になっている。国土交通省近畿地方整備局の淀川流域委員会では、「今後の治水対策は、まず、ダムによらない方法から検討し、すべての方法を検討したのちに、どうしても他の方法では不可能な場合のみ、最後の手段としてダム建設も検討する。」という報告書が出されている。「脱ダムは日本の国土に根づくことは無い」どころか、今や「脱ダム」は、全国の流れとなっている。 今年の夏の洪水被害は、計画規模を大きく超えるもので、とても防ぎきれるものではなかったことは明らかであるが、だからこそ、かねてから指摘されているように、計画をこえる超過洪水の発生がありうるという観点に立って、被害の集中をできるだけ避けることや、河川改修をはじめとする土木的なハード対策と、情報伝達などのソフト対策の、より効果的な組み合わせがますます大切になっていると言えるだろう。
2004年09月07日
日本共産党県議団の中信地区現地調査の2日目。 拾ケ堰、休止になった小野沢砂防ダム、アルプス安曇野自転車道などの現場を見せていただき、変わり始めた公共事業の実態にふれることができた。(くわしいことはあとで・・・)
2004年09月03日
今日、明日の2日間は、日本共産党県議団の中信地区現地調査。 午前中は、松本駅近くに今年の5月からオープンした若者就業支援センター「ジョブカフェ信州」を視察。午後は、移転が決まった松本児童相談所の現状と移転先を見せていただき、改めて県政の新しい変化の流れを実感した。(くわしいことはあとで・・・)
2004年09月02日
田中知事が、県議会の不信任を受けて再選されてから今日でちょうど2年目。任期4年目の折り返し点になると言うことで、各マスコミなども関連記事を掲載している。 田中知事が誕生してからの長野県政と、それ以前の県政を比べてみれば、さまざまな紆余曲折はあるものの、やはり県政の変化や新しい流れは、さまざまな角度から実感できる。 今日は、基本的に毎週水曜日に開いている定例の日本共産党県議団会議を開き、夕方から、県職員の有志の皆さんとざっくばらんな懇談の機会を持つことができた。 時代と県政の大きな変わり目の中で、さまざまな困難や苦労はあるけれど、県民のための県政改革の流れを見失わず、それぞれの部署で懸命にがんばっている、心ある県職員の皆さんの思いにふれることができ、私も胸を熱くしたひとときだった。(つづきはあとで・・・)
2004年09月01日
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