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NHK で、ドラマスペシャル『白洲次郎~カントリージェントルマンへの道』を観る。彼が留学していたのはケンブリッジ。しかも9年間という。同じ英国でも、私が留学したのは労働者の都市シェフィールドだし、ジェントルマンシップもノブレス・オブリージュも身につけたとは言えない(汗)。が、それでも、「日本から距離を置くことで、かえって日本が見えてくるものだ」ということを、青春時代に実感した者としては、感じ入るものが少なくなかった。続きも観ることになろう。
2009.02.28
知人の娘さんが高校受験の真っ最中なのだが…、私が高校を受験した1982(昭和57)年の今頃は、『戦国魔神ゴーショーグン』や『最強ロボ ダイオージャ』、また放映開始されたばかりの『戦闘メカ ザブングル』を観ていたなぁ、などと記憶が蘇る。実は数週間前から、どういうはずみかは知らないが、時折「ゴーショーグンを、もう一度ちゃんと観てみたいなぁ」と思うようになっていた。放映当時は、最後の数話を観ただけだったし、映画版は私の地方では上映されなかったし、再放送にも恵まれなかったし。しかし、だからと言ってわざわざ DVD を買うのもなんだよなぁ。TSUTAYA でレンタルしているわけでもないし…。
2009.02.28
早くも2月が終わる。最後の1週間は曇天続きだったが、今日は昼近くになってようやく晴れつつあるようだ。それにしても、私は背中と腰と右足のすねが痛い。妻は、首と頭が痛いという。運動不足は明らかだ。特に、職業柄、デスクワークの多い私は…。留学時代は車などない貧乏学生だったから、よく歩いていたものだったが、帰国して13年、すっかり背筋が弱くなってしまったようである。
2009.02.28
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政治と道徳、多元主義、グローバリゼーション…。読んで分かったような分からないような。多くの人が引用し言及するということは、重要な思想家なのだろうが。・M. ウォルツァー、芦川ほか訳『道徳の厚みと広がり』(風行社、2004年)・C. ムフ、篠原訳『政治的なものについて』(明石書店、2008年) (2月28日記す)
2009.02.27
以前から計画していた、御殿場・時の栖での湯治。悪天候になるかと思っていたが、雨も止み(雪にならずによかった)、想像していたほど寒くなかったのは救いであった。しかし湯治とは、温泉に入った日だけでなく、その翌日の休養を必要とするのだな。もっと言えば、1泊2日程度でなく、7~10泊ぐらいして、それを2、3回繰り返すことで、ようやく疲労が取れるものなのかもしれない。もちろん、そんな贅沢は許されないのだが。(2月28日記す)
2009.02.26
朝から強い雨の三島。ひと雨ごとに、春が近づきつつあるか。悪天候のまま、2月も終わってしまいそうである。
2009.02.25
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正午過ぎあたりから、原稿書きに没頭。気がつけば、14時を回っていた。「一瞬」というのはいささか誇張だが、あっという間に2時間が経っていたのには我ながら驚いた。しかし、「自分の言葉」にならない状態で原稿を書くというのは、なかなかしんどい。言葉が「錆びついている」というか、「なまくら」になっているというか。そして、疲労を残すのであった…。夕刻、少々ぼけっとするために観たのが、かつてビデオでさんざん繰り返し観た NHK ドラマ『新撰組!! 土方歳三最期の一日』の一部であった。買った DVD を再生したのは初めてである。
2009.02.24
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『伝説巨神イデオン』第23話「戦慄・囮の星」。バッフクランによる準光速ミサイル攻撃で、廃墟と化した植民星キャラル。ドラマのラスト、主人公ユウキ・コスモが涙を浮かべながら「殺し合いが好きな奴が……いるもんかっ」とつぶやき、「新たな人びとに会える。さらに孤独を味わうことにもなる。それが、ソロシップに与えられた運命なのだろうか」との意味深なナレーションで終わる。何回見ても、名シーンである。オーメ財団の重機動メカ、ガンガ・ルブと、イデオンとの本格的な戦いが最初に描かれたのも、このエピソードである。作画と画面の動きがよい。特に、イデオ・デルタとガンガ・ルブの空中戦は見ごたえ十分。なるほど、イデオンのプラモデルがシリーズ化される際、このガンガ・ルブが早い段階でモデル化されたわけよ。確かにカッコヨイ。本作のアニメーション・ディレクターを務めた湖川友謙氏をして、「よくできたプラモ」と言わしめるあたり、青島文化教材社の力量は決してバカにできない(技術的にひどい模型も、なくはなかったが…)。ちなみに、ロボットもののアニメーションで、メカの光沢感を出す独特の描き方をするようになったのも、このイデオンあたりからではないか(ファースト・ガンダムでは、モビルスーツに関しては必ずしもそうではなかったろう)。このガンガ・ルブに、戦闘機ズロオ・ジックなどは、明らかに光沢塗装しているという描かれ方である。当時のプラモファンの間でつや消し塗装が主流だったのとは、見事なまでに対照的ではある。(2月24日記す)
2009.02.23
ここのところ、ブログ書き込みに費やす時間が著しく短くなっている。かつてのような長文の書き込みをすることも、極端に減った。当日は書けずに、後日、過去にさかのぼって更新することも、まれではない。その影響でかどうか、1日のアクセス数も減ってきている。ひと頃は、自分が考える以上の速さで1日平均アクセス数が伸び、現在の172まで至ったのだが、ここ数ヶ月、現状維持である。そのうち、171とか170に減るんじゃないか。まぁ勿論、アクセス数が多きゃいいってもんでもないのだが。
2009.02.23
いざ、大事な戦いを開始すると、体調不良が襲う――そんなことを繰り返して、もう20年前後になろうか。無理に無理を重ね、一つのものを仕上げるとヘトヘトになる。これまではそうだった。もう、そういうことは繰り返したくない。だが、やはり今日も、決して快調な朝ではなかった。雨がやみそうでやまない、寒々とした曇天の中を、あえて出勤。体調がすぐれなかろうが、気分が前向きにならなかろうが、とにかく「戦場」に身を置くことは大事だな。あとは、無理せず勝利を勝ち取れるように…。
2009.02.23
妻の右手の中指に菌らしきものが入り、炎症を起こして早くも2ヶ月あまり(現実にひどくなったのは今年に入ってからだが)。そのために、硫黄泉の温泉に行ったり、皮膚科からもらった強い塗り薬などを使い続けている。ところが数日前、私の留守中に、妻が料理中にシンクでガラスを割ってしまい、左手の指を切った。それも、よりによって中指だ。それはまぁ、軽く済んだ。だが今日の午後は、通っている生け花教室の花を部屋で手入れしている最中に、枝を切り落とす際に鋏の取っ手で思い切り手のひらをはさみ(!)、血豆を作ってしまった。うぅ、受難続きである。
2009.02.22
「グローバル市民社会におけるシティズンシップ」に関する原稿。本来だったら今月末に書き終えるはずが、今日やっと書き始めたというお粗末さである。しかも、読むべき文献を全部読み切ったわけではない(それを待っていたら、いつまでたっても書き始められまい)。むしろ、書き進めていく中で、読むべきものが見えてくる、といういつものパターンだろう。当たり前のことだが、書き、論じ、主張するのは、あくまで私自身なのだ。だからこそ、逡巡もするのだが…。
2009.02.22
手足のつめを(いばるなっ)。
2009.02.21
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なかなか面白い。アンドリュー・ドブソン、福士ほか訳『シチズンシップと環境』(日本経済評論社、2006年)。原著の刊行は2003(平成15)年だという。フェミニズムを重視した「ポストコスモポリタン・シティズンシップ」概念は興味深い。
2009.02.21
学年末、毎年この時期には1年間の成績表を学生に配布するガイダンスが行われる。私は午前中、「担任」(!)であるクラスのガイダンスを実施。土砂降りだったからか、集まりは悪かった。その後、「成績の結果に対して質問がある学生への対応のため」という理由で、数年前から、16時まで自室で待機しなければならないことになっている。午後には3年生と4年生のガイダンスがあったようだが、私は今年は担当でなかったので自室で読書をしていた。すると、15時頃、部屋をノックする音が。成績への問い合わせの学生かと思いきや、先週送別会をした2人の4年生、H谷川さんと T中さんであった。4年生卒業ガイダンスを終えた後、わざわざ私の研究室に足を運んでくれたのだ。それぞれの進路が決まっているわけだが、最後の春休みは2人とも、(国内と海外の違いはあれ)旅行に時間を使うらしい。よいことだ。旅は、できるうちにしておくのがよい。正式なゼミ生でなかったにもかかわらず、私のゼミナールに積極的に参加してくれた H谷川さんと T中さんの将来に、幸多かれ、と祈らずにはいられない。「卒業式で会いましょう」である。おや、気がつけば外は青空ではないか。
2009.02.20
冬の曇天の早朝。こういう朝には決まって、修士課程1年を終えようとしている私がロンドン大学に資料収集に行った1990(平成2)年2月のことを思い出す。あの当時は、ロンドンでは比較的天候に恵まれ、今日みたいな土砂降りではなかったのだが、なかなか夜明けが来ないというあの感覚が蘇ってくるのだ。その後訪れた、「壁」崩壊直後のベルリンは、雪だったのだが…。今朝の出勤の車中では、当時を想起させる曲――石川優子「春でも夏でもない季節」、竹内まりや「目覚め」「ジャスト・フレンド」――を流した。
2009.02.20
ガンジー「抵抗するな、屈伏するな」。ドラゴン山田「油断するな、緊張するな」、もういっちょう「全力を尽くせ、肩の力を抜け」。(2月20日記す)
2009.02.19
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妻がイトーヨーカドーで、なかなかのスグレものを入手してくる。あずきのチカラ。一種の枕である。電子レンジで60秒チン。おなかに当てると、蒸気で体を内部から温めてくれる。ここのところ、冷たいものを飲み食いするなどしておなかを冷やすと、体力そのものが奪われることが増えていたから、これは結構使えるかも知れない。桐灰 あずきのチカラ おなか用 定価924円(税込)
2009.02.19
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昨日に引き続き、徒歩で出勤。会議まであと1時間を切った。職場の自室の片づけを少々やりつつ、西川長夫『[増補]国境の越え方――国民国家論序説』(平凡社ライブラリー、2001年)を手に取る。文明と文化。いずれも「civilization」や「civility」といった、私が手こずっている問題に関わる。ヒントは数々散りばめられていたが、私自身の理解力はいかばかりなるや…?
2009.02.19
学内の研究会で、戦時国際法の話を興味深く聞く。職場で、久々に知的な時間であった。「久々」というのが致命的であるが(苦笑)。
2009.02.18
・N. Dower, An Introduction to Global Citizenship (Edinburgh: Edinburgh University Press, 2003).・C. Hay et al. eds., The State: Theories and Issues (Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2006).・D. O'Neill et al. eds., Illusion of Consent: Engaging with Carole Pateman (University Park: The Pennsylvania State University Press, 2008).またしても、読むものが増えた…。(2月19日記す)
2009.02.17
あまりにも左肩から背中、腰、脚と、左側の凝り固まり方がひどい。夜、プロである妻に左の腰~脚をマッサージしてもらった。だが、肘で集中的に押してもらった左腰があまりに痛すぎ、思わず出た言葉が「た、たんま」。妻が噴き出して、肘の力が抜けた。「たんま」――「ちょっと待って」とか「ストップ」といった類の意味の言葉だが、考えてみればもう死語ではないか。私自身、こんな言葉を口に出すのは、中学生時代以来ではなかったか。「ちょい待ち」でさえ、死語かも知れぬ。(2月18日記す)
2009.02.17
寒さが戻り、早朝には雪が降った、静岡県東部と伊豆である。日中、晴天なのは救いだが、空気は冷たい。やはり、まだ2月なのであった。
2009.02.17
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左肩から背中にかけての痛みのせいで、全身がだるい。こんな時に読書するのは、難儀以外の何物でもないのだが…まぁ、無理のない程度で。・M. ウォルツァー、芦川ほか訳(2004)『道徳の厚みと広がり――われわれはどこまで他者の声を聴きとることができるか』風行社。原著は1994(平成6)年だという。(2月17日記す)
2009.02.16
凄まじい疲労感の午前中。夕べ妻に揉んでもらった左肩は、張り返しのため痛すぎる。その痛さ、まるで打撲である。要するに、筋肉を痛めたのだな。ラジオ体操をして、体を後ろに反らせることができないなど、初めての経験であった(涙)。
2009.02.16
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神奈川に住む妻の従弟夫婦と会うために、上京。妻にとっては久々の東京である。8時50分に自宅の玄関を出、三島駅北口まで歩き、9時22分のこだまに乗る。インフルエンザなどの予防のために、夫婦そろってマスクをしていたことは言うまでもない。午前中、妻の昔の同僚 O金氏と新宿区内で会い、その後にふかひれラーメン。小田急デパートに行き、従弟夫婦へのお土産(正確にはお供物)の果物を仕入れる。少々空き時間ができたので、デパート内の三省堂書店をうろつく。三省堂書店と言えばクォカードが使えるはずで、それを当て込んで岩波新書を3冊レジに持って行ったら、何と、「新宿店では使えません」ときたもんだ。何だ、それ?で、13時過ぎの小田急線急行に乗り込む。小田急線など、10数年ぶりではないか。海老名だか厚木だかで信号機か何かのトラブルが起こったらしく、列車は遅れていたが、ともあれ向ヶ丘遊園駅で従弟ご夫婦と合流。実は妻も、従弟さんの奥さんに会うのは初めてだったのだ。お宅にお邪魔し、気がつけば4時間もおしゃべりをしていた。ご夫婦にあざみ野駅まで車で送ってもらい、地下鉄で新横浜へ。三島に戻った20時過ぎ、駅北口の寿司店・魚がしで夕食をとる。帰宅したら、20時50分。ほぼきっかり、12時間の「旅」だったことになる。そして帰宅すると同時に、朝苦しんだ左肩の痛みが、またも復活したのであった。ちなみに、仕入れた3冊の岩波新書は以下の通り。最後の1冊は妻のものである。・森岡孝二(2005)『働きすぎの時代』・湯浅誠(2008)『反貧困』・阿岸祐幸(2009)『温泉と健康』 (2月17日記す)
2009.02.15
いてて。朝、上京する前の三島で、異常に左肩が痛くなる。その痛みが、背中にまで尾を引いている。どうしたんだ? 全身がだるく感じるぞ。(2月16日記す)
2009.02.15
報告すべきことは、やはりどこまでも自己申告である。
2009.02.14
夕べ遅くから今朝にかけて、大風が吹き荒れ、雨も激しく降っていたようだ。起床すると、どんよりとした鉛色の空で、風もかなり強かったが、雲の切れ間から太陽光線がさし出した。まるで春のような気温である。まだ2月だろ~。気持ち悪いくらい、ぬるい気候である。これでまた、来週あたりドーンと気温が下がるのだろう。この気温差に、みな体調を崩すのである。
2009.02.14
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ここのところ、J9シリーズから遠ざかり気味だったが、気まぐれで急に観たくなって、『銀河旋風ブライガー』第19話「襲撃のメロディー」を再見。しぶい子ぶりっこジャン・ビーゴが出てくる、粋な話だ(エンディングのテロップでは「ジャン・リーゴ」となっているが)。なぜ、このエピソードを急に観たくなったのか。最近、日本の大学でもスポーツ界でも、大麻などの麻薬が問題になっているためか。(2月15日記す)
2009.02.13
2000(平成12)年春に三島に転居して、もう満9年になろうとしているのに、気の利いた店を少しも開拓していない私。その点、三島に全く縁のなかったはずの妻の方が、アンテナは高い(汗)。芝本町の「mugi」という店に初めて行き、ランチを食す。小ぢんまりとした店だが、なかなかのお味。生き残るのは、こういうお店なのかもしれないな。(2月14日記す)
2009.02.13
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『伝説巨神イデオン』第38話「宇宙の逃亡者」では、イムホフ・カーシャがささやかな休息の時間にイデオ・デルタのコクピットで仮眠をとるシーンがあるのだが…、ここ数日、朝目覚めてみると、そのカーシャのような格好で寝ていた自分を発見し続けている。つまり、両腕を布団から出し、頭の後ろに組んでいるような寝方である。2月に、上半身がほとんど丸出しのような形で寝ていることになる。よくも風邪をひかないものだ。確かに今日は、九州などで春一番が吹いたくらいだから、明け方も暖かかったのかも知れないが…。妻によれば、そういう寝方をしてしまうのは、肩が凝っているかららしい。う~ん、しかし肩こりは今に始まったことじゃないしな。
2009.02.13
夕刻、新宿の N野氏と電話。また夜、送別会から帰宅後に、修善寺の Y野氏から電話。大変な社会情勢で、みなが自分のことで精いっぱいの時に、なおかつ人のため、恩返しのため、忍耐に忍耐を重ね、悩みに悩んで、一歩でも半歩でも前進する。そういう人は、誰が何と言おうと「人間の王者」ではなかろうか。世雄、能忍――。(2月14日記す)
2009.02.12
ドラゴンゼミナールの送別会である。と言っても、正式なゼミ生に4年生はいない。ゼミ生でもないのに、ゼミに参加してくれ、活性化してくれた、H谷川さんと T中さんに感謝。また、彼女たちを送り出すために集ってくれた、現役のゼミ生にも、これまた感謝である。
2009.02.12
英国の学術雑誌 European Perspectives on Politics and Society から依頼され、John Keane ed., Civil Society: Berlin Perspectives (Oxford: Berghahn Books, 2006) の書評原稿を執筆したのが、おととし2007(平成19)年の体調どん底の11月。掲載されたのが、去年2008(平成20)年の6月。現物が手元にやっと届いたのは、11月になってからだ。その、てめえの書いた書評原稿を、改めて自分で日本語に直してみる。なぁんだ、自分で書いたくせに自分で忘れていた大事な論点が、多々あるではないか。今かかえている仕事にも、大きなヒントになるではないか。今更ながらに、気づかされている私(汗)。
2009.02.12
『水曜ノンフィクション』なる番組があるのだな。今夜のテーマは「婚活」。まず、「就活」ならぬ「婚活」という言葉があること自体、初めて知った。しかも、リストラなどによって、この両方の活動を同時にしなければいけない状況を、「両活」と呼ぶとは…。ライフスタイル、経済変動、社会変動、意識や価値観、そして法制度。なかなか考えさせられる内容だった。
2009.02.11
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今さらと思わずに、やはり目を通すべきだろう。D. ヒーター(田中ほか訳)『市民権とは何か』岩波書店、2002年。原著は1999(平成11)年刊行である。訳語には気をつけなければならないので、原著と照らし合わせて読むべきなのだろうが…。
2009.02.11
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昨秋から今年の1月にかけて『ガンダム』を一通り見た後、1年ぶりに妻と共にこりもせず始めたイデオン・オデッセイ。2クールの開幕となる第14話「撃破・ドク戦法」では、後のアニメーションに多大な影響を与えた例の「全方位ミサイル」が初登場であった。最近は、私自身が「全方位ミサイル」を放出することは減ったようだが…(苦笑)。
2009.02.11
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Will Kymlicka, Contemporary Political Philosophy: An Introduction (Oxford University Press). 第二版の邦訳は、『新版 現代政治理論』として日本経済評論社より2005(平成17)年に発刊されている。原著の初版は1990(平成2)年、第二版は2002(平成14)年刊である。ここ数日、腰を据えて、本書の邦訳を(部分的に)読んできた。「新版への序文」の中でふと目に留まったのは、著者 Kymlicka が、本書の初版を書いたのが大学院を修了してすぐのことだった、と述べている点だ。はるかに熟達した政治学者が、最新の政治哲学の議論をまとめたテキストを書かないことに対して、大学院修了直後の者が持つ特有の「過度の自身」によって、野心的な本の執筆を試みたことについて、著者は、いささかの反省と懐かしさとを抱いているようである。私にとっても、本書の初版にはある種の懐かしさが伴う。シェフィールド留学時、リベラル・コミュニタリアン論争をフェミニズムの観点から批判しようという論文を書こうと思い立った1995(平成7)年当時、Mike Kenny 氏より紹介されたいくつかの本の中の一つが、この Kymlicka の書だったからだ。しかし、それ以降、自分の本来の Ph. D. の研究に多年を費やしてしまい、現代政治哲学をフォローすることからしばらく遠ざかってしまった。今では日本でも、Kymlicka はビッグネームとして知られるようになっている。2009(平成21)年となった今、改めて、その第二版の邦訳を読んでいる自分が、著者の「新版への序文」に接して、自分自身の記憶(過去の勉強とその後の不勉強)をまたしても掘り返している。それにしても、邦訳書の序説(5頁)には、「伝統的に理解されてきた政治哲学の一つの目的は、対立する政治的価値のあいだに決着をつけるための一貫した包括的規則を発見することにあった」と。思わず「へぇ~、そうだったのか」と、自分の無知さ加減に改めて呆れた。政治理論と、政治思想と、政治哲学との相違を、私はおそらく弁えないで、勉強のまねごとをしてきたに違いない(汗)。
2009.02.11
職場にかかる、「マンション経営しませんか」的な迷惑電話。これが嫌なばかりに、しばしば私は電話線を抜いておく。しかし、接続している時に限って、かかってきて、出てしまう。大体は大阪かららしい。無論、私はさっさと切ってしまうのだが、しかし敵もさる者ひっかく者。しつこいぞ。
2009.02.10
職場には郵便物がたまり放題。その中に、いささかショッキングなものが1通。年末年始に John Keane 教授に送ったはずのグリーティング・カードが、住所不明ということで返ってきてしまっているではないか! 昨年8月にロンドンで再会したが、秋以降、こちらの電子メールに対してなしのつぶてだった Keane 教授。転居でもしたか? 今年は彼の The Life and Death of Democracy が刊行予定で、『極東書店ニュース』2009年2月号(No. 561)にも掲載されていたが…。
2009.02.10
妻の指の膿みと胃痛、そして私の異常な(しかし恒常化した)肩コリを治すため、今年3度目の箱根湯の花温泉へ。前2回よりも、硫黄のにおいがきつく感じたが…、やはり恐るべし。帰宅してからの疲労の出方が、半端ではない。今度行く時には、翌日に何の用事もない時に行かなければ。(2月11日記す)
2009.02.09
振り込め詐欺の被害は後を絶たないが、それをやっている側からすると、詐欺は「職業」なのだそうな。背筋が凍る話ではないか。ここのところしばらく、「労働」とは何だろうと漠然と考えることが増えていた。と言っても、きちんと経済学を勉強しているわけではないのだが。「労働」を「職業」と同一視してはならないのだろう。また、何かを「生産」しなければ「労働」に値しない、と言い切るつもりもない。しかしだからといって、「労働とは、金を稼ぐことである」とはミスリーディングだろう。まして、「稼ぐが勝ち」「稼ぐためには何でもあり」などという言説を、そのまま受け入れてよいはずはない。詐欺とは、「信頼」を裏切ることで成り立つ行為と言ってよいだろう。それ、そもそも「職業」というカテゴリーに入るのか?(2月10日記す)
2009.02.09
漢字検定協会が不祥事をおこしたというようなニュースが流れている。早や10年余りになろうと思うが、日本の「資格ブーム」や「検定ブーム」には、首を傾げざるを得ない。もちろん、自分の将来の仕事に必要な資格や検定であれば、大いにチャレンジして、取得すべきものを取得するのは当然だ。だが、「資格」を持っていれば「有利」だからという(根拠の薄弱な)理由で「検定」がブームになるというのは、いったいどういうことなのだろう? まぁ、私自身、10代にそうした発想が皆無だったわけではない。英検やペン字検定を受けていたのを思い出す。だが、そんな風に思っていたのは、せいぜい中学卒業までだ。今、二言目には「100年に一度」と喧伝される経済危機。就職に有利な大学に行こうとか、むしろ専門学校にしようだとか、公務員を目指そうとか、経済が下向きの時にそうした方向に人々が流れるのは今に始まったことではあるまい。だがやはり、「資格を持っていれば就職に有利」という思考回路は、少なくとも私には理解困難である。「何のためにその資格なの?」という点が、もっとも肝心なのであって、資格そのものが進路を有利にしてくれるなぞ幻想だろう。まして「検定ブーム」とは…。(2月10日記す)
2009.02.09
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晴天、温暖。午後はとにかく読書しようと決意し、W. キムリッカ『新版 現代政治理論』(日本経済評論社、2005年)の第7章「シティズンシップ理論」を改めて読む。読みやすい翻訳書を読むと、自分の翻訳したものが恥ずかしくなる(汗)。それにしても、グローバル市民社会論と、多文化主義論とは、どの程度重なり、どの程度ずれるのか…。
2009.02.08
やるべき研究はやらなければ。そんな思いで、R. D. Germain and M. Kenny eds. (2005), The Idea of Global Civil Society, London: Routledge 所収の論文を読んではいるのだが…、どうにも集中力に欠ける。しかも、テーマがテーマなだけに、論点が錯綜していて、読書すればするほど分からなくなる。えぇい、ままよ!(2月8日記す)
2009.02.07
妻によると、私が東京に行っている間に、実家の母から電話があったと。河津桜の切り枝が、もう届いたのだそうな。10本はリビングに、10本は玄関に、飾ったという話である。母は最初、私が河津まで行って桜を送ったのだと勘違いしたらしい。インターネット販売でした。(2月7日記す)
2009.02.06
17時半過ぎ、水道橋駅近くの焼肉屋・京城へ。今年度、東京での私の授業を受講してくれた学生諸君5人と、会食会である。次に会う日は、いつのことか…。(2月7日記す)
2009.02.06
晴天の中、上京。久々に、東京駅丸の内側出口の OAZO に立ち寄る。政治・経済関係の書物が置いてある1階は、一方ではオバマ・オバマ・オバマ、他方では経済危機・経済危機・経済危機。時代が時代だから当然と言えば当然なのだが…。結局、何も買わなかった。(2月7日記す)
2009.02.06
母の誕生日(77歳)は近い。といって、何か気の利いたプレゼントができるわけもない。先週、インターネットで適当に調べていたら、河津桜の切り枝20本をヤフーオークション上で販売しているのが見つかった。夕べ落札し、今日の昼過ぎに入金したら、午後「発送しました」との通知が来た。今年の河津桜は、去年より1週間早く開花していると言われるが、母の手元にはどんな状態で届くのか。
2009.02.05
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