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成績を上げるための最も重要な条件は、生徒が自分や自分の塾を信じていることだと思う。人の数だけ勉強方法があり、塾の数だけ勉強方法がある通り、万人受けする最良の方法というのは存在しない。ダメな方法はあるけど。自分で塾をやっている人は自分のやり方を当然信じているわけだけど、それは唯一無二の絶対ではなく、あまたある方法のひとつであって、あるタイプの人間には合致するといった類の物に過ぎない。そのやり方に合った子は成績が上がるが、合っていない子は上がらない。そのやり方が一般的であればあるほど多くの子にほどほどの成果を与えるだろうし、個性的・特殊であれば一部の子に大きな成果を上げると言うことになる。「オレのやり方なら成績が絶対上がるのに・・・」と思いながらも生徒が増えなかったり、ついて行けずやめていく子がでている場合は、そのやり方が特殊で万人受けしない場合が多いと思う。しかし一部の子にはぴったりはまって、ものすごい成果を上げるようなこともでてくるから客観的に自らを問い直す目を曇らせることになるから始末が悪い。10人の子に8の成果を上げさせるを良しとするのか、2人の子に10の成果を上げさせるのを良しとするのか。その違い。本質的には。しかし細かいことを言うと実は10人の子に3か4くらいの成果しか上げていない塾も存在し、そうした塾ほど宣伝集客がうまかったりするのが現実なので、そういった(悪い意味での)商業主義に異を唱えるならば、正当な方法でそれらを凌駕しなければいけない。「あんな金儲け主義の塾なんて・・・」と少ない塾生の前でほえてみたところで、結局は負け犬の遠吠えでしかない。これはなにも、自分を含めて小さい塾を「小さいくせに黙ってろ、この負け犬が!!」と卑下しているワケではない。小さいということはひょっとしたら極一部の子にしかマッチしない、非常に特殊なやり方なのではないか、と疑わなければいけないのであり、すなわちほとんどの子にとっては成果が上がらない危険な方法をスタンダードだと勘違いしている可能性をはらんでいるということだ。子どもにとってたった数年間しかない受験期という大切な時間をもらっている以上、裸の王様の独善につきあわせるのもほどほどにしなければいけない、ということだ。ま、そこら辺の細かいところはおいといて。いずれのケースにせよ、成績が伸びるには「信じているか」ということが重要である。もっと言えば「盲信しているかどうか」ということだ。信仰、崇拝の領域に達した子は、成績が伸びやすい。そもそも、大概の塾のやり方は塾長なり講師なりの成功体験に基づく。少なくともそれをやって上がった人が現にいるということだ。だから、信じ切ることでその人に限りなく近づき、自分がそのやり方にあった人間になれる可能性が高まるということになる。一方で、例えば塾を掛け持ちする子や、渡り歩く子は、ご存じの通り成績が伸びない。塾のやり方はたいていひとつの「ある思想」に基づいて作られているので、その塾が提供する物にどっぷりつかることで最大限に効果を発揮すると思うのだが、掛け持ちするような子というのはそこら辺が分かっておらず、いろいろな塾の良いトコどりをしようと調子よく考えている物だから、実際はどっちつかずの中途半端で終わる場合が殆どである。こういった子にはなにがしか強力なカリスマパワーで引き込んで信者にしてしまうのが一番なのだが、残念ながら僕にその力がないのでどうしようもない。ので、僕だったらどうするか・・・といえば、「お客さん」として接することになる。向こうがこちらを信用しないのであれば、こちらも心血を注げるわけがない。お金をもらっている以上、最低限は提供するが、積極的にこちらから何かをすることはしない。人間ができていないので、万人に注ぐほどの大きな愛を持ち合わせていないんだ、これが。
May 25, 2008
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初めて人を雇うときにすごく悩んだのは、生徒とのつながりが薄くなっていくんじゃないかということ。生徒が増えていけば、自分一人で見るのに限界が出てきて、どうしても人の手を借りるということになってくる。そうすると、当然生徒一人一人に関わる時間は減っていくので、どうしてもつながりが薄くなっていくという「危惧」が出てくる。しかし、そもそもこれを「危惧」ととらえるのは、実はそこに「生徒の成績を上げられるのは自分のやり方だからだ」という奢りに近い考え方があると思う。確かに、経営者=塾長としての「生徒の成績に対する気合い」と、雇われ人=講師としてのそれには大きな隔たりがあるように感じてしまう。しかし、いろいろ考えていくうちに、「気持ち」は経営者と雇われ人との間には隔たりがあるかもしれないが、現実的な「指導力」という点では、果たして本当にそれだけの隔たりがあるかといえば、決してそうではないと思うようにした。だから最初に人を雇ったときは、「何が何でも上げてやる!だから、自分では成績を上げることが難しかった生徒を他の人に任せてみる!」という、逆転の発想で臨んだ。それ以降僕は「オレだからこそ上げられる!」という考え方は、常々排除することで、「今の自分よりもっと良い指導」とか「自分だけの指導よりもっと良い体制」を追求する事がデキルと考えている。僕らには当然のごとく「向き・不向き」があり、「合う・合わない」がある。それが、より繊細な生徒たちならなおのこと。塾長一人だけでやっているとどうしてもこれは避けられないんだけど、講師が何人もいれば、ある程度それは希釈される。そうして時間が経過してお互いに成長していくうちに何かのきっかけでうち解けることが出来て、自分が創ってきた「素晴らしい塾」に馴染んで成績を上げてくれるときがくるかもしれない。ひょっとして自分とはうち解けることが出来なくても、他の講師の力でそれが実現するかもしれない。心のどこかで「オレが上げてやるんだ!」という気持ちはあったとしても、なんつーか子どもじみた虚栄心ぽくて、生徒たちの人生に比べればなんとも小さくせこい。前フリは長くなったけど、そんなわけで正社員講師を抱えることになるわけである。ま、人を雇うと何かと大変になるんだけど(単純に事務的な意味で)、これはこれでスリリングでおもしろいモノだ。もっと長く書くつもりだったけど尻切れ御免!
May 15, 2008
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業界紙なので関係ないひとはナンヤソレ的な話ですが、「塾ジャーナル5月号」にインタビュー記事が載っています。もし良かったらご覧くださいね!
May 9, 2008
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「○○点以下お断り」とか「○○高校を目指す」とか「大学進学」と書くだけで成績がよい子が集まってこれば、こんな楽なことはない。関市内のいくつかの塾のチラシを見ていると、明らかにかいち塾のチラシのフレーズをぱくっているところがいくつかある。3~4校舎くらいあるところがぱくってくださる。うちは2校舎しかないので、ありがたいというかおそれおおいというか。まぁ上に書いた3つのフレーズが主にぱくられているワケだけど。そのうちのひとつは高校部がないので、「中学時代に△△塾にいました」という子が高校生になって入ってきてくれてたりする。で、聞くと、もうなんやそれ的な。成績が良い子も悪い子もいっしょくたにされて。携帯とかいじってる子もいて。宿題なんてほんの少しあるかないかくらいしか出なくて。テストがあってもろくに成績を聞きもしないで。「お前は○○点あるから大丈夫だよ」とか言われちゃって。サービス業の存在意義が「顧客満足」にあるとすれば、成績を悪い子に対する顧客満足はやりやすい。点数を上げれば良いだけだから。(うちはやらないけど。成績が悪い子は敢えて取引させて頂かないようにしているから)難しいのは、「成績が良いお客様の顧客満足」である。500点中450点を越えるような子達は、そう簡単に成績が上がるもんじゃない。そういった意味では、満足を与えにくいお客さんということになる。それでも450点を越える子達がかいち塾にはたくさん通ってきてくれている。それは、一番にいつも考えていることが「成績がよい子を満足させるにはどうしたらよいか」という事であり、それをずーっと提供してきているからだと思う。成績がよい子の満足といっても、内容は複雑である。成績がよい子の満足には、成績が悪い子の満足とは異なる価値観・軸がある。ただ単に点数が伸びて「良かった、満足」というわかりやすいサービスの提供が難しい以上、学校の期末テストだけでは計れない軸を与えてあげなければいけない。そこで、僕らが提供するもののひとつは、ある種の「飢餓感」という軸である。これは、他のサービス業では当たり前に行われている「潜在的ニーズの発掘」と言えるモノである。例えば、簡単な話で言えば、ある若い夫婦が車を買いに来たとする。二人で週末出かけるようなツーシーターの車がほしいという。そこで営業マンは何をセールスすれば良いのか。トヨタならMRS?マツダならユーノスロードスター?答えはNOだ。その夫婦の将来設計にあわせ、お子さんが生まれたときのために・・・といって、セダンなりミニバンなりを「提案」しなければいけない。もちろん、それは夫婦が気づかなかった軸の提案であって、ごり押しするようなものであってはいけないが、お客さんに新たな価値観を提案することで、お客さんの満足と、そしてこれが重要だが、自社の利益を同時に満たす営業をしなければいけないということだ。ちなみに、一般的なツーシーターは、ミニバンなんかよりも安い。(車という例を出したのは、車が「単なる乗り物」ではなく、「ライフスタイルの演出」に重要な役割を担うツールだからこそ、こういったセールスが有効であるからだ) もし何年か後にこの夫婦に子どもが産まれたならば、「あのときツーシーター買わなくて良かったね」ということになる可能性が非常に高く、そして営業マンも販売会社も、お客さんが当初望んでいたより高いモノが売れ、さらに高い満足を売れるというwin-winな結果を得ることができる。こうしたことが、意外に塾では行われていないと思う。地域によって事情は異なるが、当地ではトップの進学校に入るのが簡単である。他地域では3番手ランクの子たちでも、余裕で「地域トップの進学校」に入れてしまうのだ。だから、そうした価値観をぶっ壊して、勉強に対する「飢餓感」を与えることになる。「いや、きみはトップクラスじゃないから」という新たな価値観を提供し、「450点で満足しないで2年後3年後を見なきゃ」という新たな軸を提供する事が有効となってくる。これらは一見すると「満足」とは対極にある「飢餓感」であるが、これこそが成績のよい子の求めているモノのひとつであり、それを提供することがひとつの「満足」に結びつくのである。「まだまだダメやな、やる気になってきた!ありがとう!」って感じ。もちろん言いっぱなしではダメで、相応のカリキュラム、満足感、自尊心を満たす演出が必要になってくる。ここら辺がノウハウの部分だろう。これらがないまぜになって、「成績がよい子の満足」が提供できるようになると思う。授業の中で何をやるかという所にも、結構なこだわりを持っていないと、一端は入ってくれた成績のよい子たちも長くいてはくれないわけで、チラシのフレーズをぱくったり内装に金をかけたりするだけではダメだって事かな。
May 7, 2008
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