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マーケティングの本とか見ていると、「動線」という言葉が出てくる。人がどう動くから、どこに店舗を出すとか、どこに商品を配置するかとか。基本的に一瞬通りすがる人を、いかにして店内に引き込むかというのがポイントなので、地図に図を書いたりして人の動きを予測するのだが、塾のように生徒たちが長く通ってくれるような商売の場合は、それだけでは足りない気がする。店舗の配置はまぁいいとして、店舗内の物の配置、ビラの配置など。ここら辺は、今の動線がこうだから・・・というのからさらに一歩踏み出して、「これをここにおいておくと、その後子どもたちがどう動くようになるか」とか、「どのように意識が変わっていくか」という所まで考えたいと思う。例えば。かいち塾は建物の2Fにあるんだけど、階段を上がったところ真正面に靴箱がある(入り口は上がって左)。最初は見た目を考えて、上がって右手に靴箱を配置し、正面は何もない状態にしようとした。しかし、「右側が靴箱だと、気づかない子が出てくるのではないか」と考え、さらに「ここまで上がってきたお客さんが正面の靴箱に嫌悪感を抱いてやめることはないだろうから、わかりやすく正面に靴箱をおいたほうがいい」という結論に達した。たかが靴箱と思うかも知れないが、一時が万事で、ひとつひとつのことに「1ヶ月後、半年後、1年後、数年後」という時間軸を取り入れることで「こうした方がいいだろう」という視点が大きく変わってくる。これは何も物の配置だけではなく、日常の所作ひとつとっても同じだと思う。これも当塾の話だが、入り口を入ると真正面にダイニングテーブルが置いてあり、そこには小さな水槽やら観葉植物やらが配置されている。新しい方の面談なんかはここで行われる。ところが、高校生の一部の子がここを使いたがる。高校生専用の自習室があいているにも関わらず。こうした子は、少し「おおちゃくい(岐阜弁:ちょっと粗暴な感じ)」子が先陣を切る。「いいよ」と言われてない、人と違うことを自分の判断で勝手にやるのはこうした子が多いのだが、これを放置すると、「高校生はこっちの自習室使ってね」というこちらからのお願いが、一部の子によって放棄されることになる。この時点ではたいした問題ではないのだが、こういったことに無関心になると、たくさんの事がほころんでくる(ような気がする)。靴が整頓されなくなる、壁に落書きをされる、机の中にガムの食べたあとのゴミを放置される、など。かいち塾的には靴の整頓がされていない子が30人に1人くらい、ガムのゴミが1週間に1つか2つ。あとは驚くほどきれいに使ってもらっている。特に何も言ってないんだけど。こうした空間になってきたのは、常々先の事を考え、小さな事がいかにして大きくなっていってしまうかという負のシミュレーションを繰り返してきた結果だと思う。ま、学校でも「なんでこんな細かいこと・・・」という点まで指導されたりした記憶があるけど、それは逆の立場になってみるとなるほどと思えてくるわけだが、常に意識していないと忘れがち・見逃しがちになってしまうのも事実。「なんでそんな細かいこと・・」ってイヤな顔をされるしね。でもここら辺は本当に重要なポイントなので、これから塾をやっていこうと思っているひと(1講師以上の仕事をしている人)は最も気をつけるべき所だと思う。
Jun 25, 2008
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かいち塾では英語の暗記テストに落ちた場合、別の日に出てきて追試を受けることになっている。テストは毎週あるから、毎週落ちる子は毎週追試になる。この追試は、誰が何点で落ちたか、追試に合格したかどうかを誰がみても分かるように、誰でも監督できるようにしてあるが、それだけのための物ではない。毎週毎週、このめんどくさい「暗記」という作業をきちんと継続して出来ているか、時々手を抜くのか、または出来なかったのが出来るようになってきたのか、ひとめにして分かる利点がある。僕は常々「勉強は生活である」と言っている。そしてそれを塾HPのブログで保護者向けに書いている。ブログで自分の思いを書くというのは、それを見て共感してくれた人が来るということだし、そういう人たちは当然それを期待してくる。また、今通ってきている方たちにも、こういう塾であるということを再認識してもらえるし、ただ友達につられて入ってきてくれた方も、「そうか、こういう塾だったのか!」と理解を深めてくれるきっかけになる。だけど、それだけで終わらせてはいけない。「うちはこういう塾です」と言っている以上、入ったあとそれを実践している何かがないといけない。「言ってるだけ」では、失望落胆は大きい。冒頭の「英語の暗記テスト追試連絡票」は、例えば面談の機会などで「お宅のお子さんは5月頃追試が多かったですが、やはりこのときの数学の単元もイマイチですね、なんかありましたか?」とか(もちろんこれは普段から見て、5月の時点で親と相談すべきであるが)、「お宅のお子さんは月に1回くらいのペースで落ちてますね、気分屋さんなところを直したらもっと上がると思いますので、○○なことをしましょう」とか、いろいろなアドバイスが「具体的に」できる。極端なケースでは、「これだけ毎週きちんと追っかけてもやってもらえないならば、やめて頂くしかありません」という話にも出来る。ハッキリと情報のソースを提示して、具体的な提案が出来るのだ。そういう話が面談で出れば、「うちの子をきちんと見てくれているんだな」と思ってもらえるし、もちろん成績を上げる事も簡単になる。塾に対する信頼度も上がる。特にかいち塾の場合は勉強は生活だと言っている以上、その生活に大きく踏み込む体制にしている。自習室は土日祝日含め毎日12時まであいている、きちんとデキナイ子には自習室に来ることを強制する(=生活を変える)、など。一端だが、これらは大手塾にも学校にもなかなか実現できないことだとおもうし、これがかいち塾のひとつの売りになっているのは確かだ。大手塾にも学校にもデキナイことを個人塾はやれるようにしていかなければいけない。塾長や講師の思いを発信していくことはその大きなひとつだが、それを具体的な形に落とし込んで実行していかなければ「所詮個人塾はダメだな」で終わってしまう。(だから逆に、実現できないこと、継続して実行できないことを謳ってはダメだ。人はこれをウソ・誇大広告という)たくさんの人が「大手塾とは違った特色を」とか「塾の個性を」なんて言っているが、それはブログやチラシだけではなく、もちろん単なる箱ではない。「こうあって欲しい!」という思いが正しく、そしてそれがきちんと形に出来るからこそ、個人塾が強く生き残っていけるんだと思う。地域に長く根付いて、しかもそこそこの生徒数がいる個人塾の先生方は、こういう事が実はひとつひとつきちんと出来ている場合が多い。チラシやHP、箱の作りはお金とちょっとした努力だけですぐマネされてしまう。これだけ見ていては、最も大切な事を見失う。
Jun 16, 2008
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ま、極論だけど。不動産の価格は実際にはあってなきがごとしで、普通の商品のように需要と供給が値段を決めていく・・・なんて事はあまりない。「近隣の土地が●●円/坪」で取引されたっていうのはあくまでも参考価格であって、実際はどうやって取引が成立していくのか?一度手に入れた土地は誰だって手放したくない物。特に上物(建物)まで作っちゃった場合は自分の子どものような物(?)。それでも手放さなければいけないときにやっとこさ動くのが不動産。お金が有り余って現金で買っちゃう大富豪はいいですが、たいてい商売していると不動産を手に入れるのに借金をしてる。それが返せなくなったときに、不動産を手放さざるを得なくなるというわけ。で、いくらで手放すか。これはもう所有者の状況によりけりだけど、「とにかく銀行への借金を返済出来るくらい」がまずスタート。まぁだいたい担保になっているわけだから、売却するには担保がはずれなきゃいけない。銀行が「担保外すよ♪」というのは「借金が返済できた時」が基本なので、こうなる。そうすると、売買価格はある程度相場を考えるものの、とにかく銀行の「完済させたい」という思惑が1番にはたらくようになる。業況が悪くなった会社への融資はとにかく早く何とかしないと、金融庁さんに怒られて引当を積まなければいけなくなる。ま、怒られる前に積むんだけど。完全に破綻している融資に対する引当は100%積むとか、事実上破綻状態にある場合には●%とか、そんなのが金融庁によって決められているから仕方ない。不動産を売っても返済デキナイ・・・なんてことになると、さてどうするか、悩みどころ。そんなのを塩漬けしていきゃ、立派な不良債権の出来上がり。さて何でいきなりこんな話なのかというと、そんな話があるから。さてどうするんでしょ?他人事~笑////////////////////塾の場合は立地は重要だと思う。でも1番ではない。特に100人未満の初期段階の場合は、場所は重要ではないと思う。「そうは言っても、立地が良い方が集まりやすい」とは言うけど、本当にそうかな?塾の本質は成績を上げること。自分が親の立場になってみれば、塾を選ぶ1番の条件を「立地」に上げる人は実はそう多くはないと思う。特に田舎の場合は。立地やら看板は重要だけど、それらは「もっといい物」が出てきた時とか「もっと金をかける人が出てきたとき」に負けてしまう類の物だと思う。あくまでマーケマーケで大手と勝負したい人はたまらなくおもしろいかも知れないけど、少なくとも僕みたいに好きで塾をやっている人にはかなり厳しい消耗戦になると思う。で、トータルで見たらそういう勝負だと負けるんじゃ?塾は他人から見て違いがすごく分かりにくい商売だと思う。だから看板やら立地で差をつけようとか、イメージ写真なんかでイメージ戦略!なんて言うのかも知れないけど、消費者は、特に「子どもの事を想う親」はそんなにバカではないと思う。入り口の敷居を低くして、出口も同じように低いんじゃ意味がない。敷居を低くして入りやすくして、入ったらこの塾いいね!なんて言われるのが理想と思った時期もあるけど、この場合の「この塾いいね」ってのは、他と比較した結果ではない。成績が上がるとか、一生懸命勉強するようになったとか、そういった具体的成果をさして言っているだけだ。看板やら立地やらをほめているワケではない。入ってもらう努力をしつつ、入ったあとの「ここでよかった」感を同時に作っていかないと、生徒が大量に入って大量にやめていく塾ができあがってしまうと思う。かいち塾の場合は、毎日通ってくる事への心地よさの演出成績が良い子が通ってくる塾というブランドイメージそのブランド塾にいるという帰属意識を、その時々に応じて段階的に少しずつ演出して作ってきた。(客観的に見れば地域への認知度は1~2を争うけど、まだまだと思っている。)これらに加えてちょっとした苦痛を与える。これがないと心地よさに「飽きる」だけになるので。そんな感じ。
Jun 11, 2008
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