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冬期講習のチラシを入れるのを1週まちがえた!他塾はみんな冬期講習チラシなのになぜかうちだけふつーのチラシ。とほほだよ。
Nov 30, 2008
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どんな形であれ、塾をやめてもらうのはつらい。全くやる気のない、というより、勉強を拒否する生徒がいた。怒ってもなだめてもすかしても言われた宿題をやってこない。見た目に分かる反抗的な生徒ならまだ対処のしようがあるが、全く喋らない(学校ではよく騒いでいるらしい)、とにかく塾での時間のすべてを否定する生徒だった。要するに、僕のことが嫌いなのだ。まだ中1の内に他へ変わった方がその子のためだと思った判断は間違っていると思わない。しかし、確かにそれをいきなり伝えられた親の気持ちは・・・単純に親を怒らせないためには、今回の面談あるいはもう少し前に状況を伝え、テストの結果をもって「やはり変わられた方が・・・」と勧めるべきだったと思うが、そしてまた無為な3ヶ月を過ごすことが正しいのか?商売人として、どういった形であれお客さんを怒らせるのは良くないのは確かだ。しかし、それがために失ってしまうであろうその子の数ヶ月はどうするのか。「もっと早く対処していれば」「中1の1学期の時点ではそこまで悪くないのだから仕方ないだろ」「もっと円満に退塾を促すことも出来た」「迷いに迷って出した結論だからこれ以上どうしろと?」様々に判断を迷いながら、プライオリティを最高値に引き上げたのは「時間」だった。その子の時間を少しでも無駄にしないために、と。結果としてその子よりも親を傷つけることになった。親は親であって大人ではない。客観的な判断を欠くものだ。だから時間をかけて理解を得なければいけない。でも、子どもの時間は帰ってこない・・・//////////////悪貨は良貨を駆逐する、じゃないけど、勉強しない子が集団の空気を悪化させることはある。そしてそうした子が複数となると、問題は大きい。経営している以上、全体を見る目は持たなければいけない。しかし、子どもは一人一人だ。決して全体の中のポジションで見てはいけない(それは一つの判断要素であって、それがためにその子の扱いを決定づけることがあってはならない、と思う。「こういう子だからこうしとけ」、みたいなのはダメだ)。「全体における悪い部品」と見てはいけない。その子の歴史の中で今、たまたま良くない時間の中にいる、だから良い方向へ向かわせてあげなければ、という視点は重要だ。しかしやはり全体のベクトルも堅持しなければいけない。堂々巡りだ。///////////////塾は学校じゃない。お客さんに通わせる義務はない。僕らにも、「教育」する義理はない。お金をもらわなければ一切の責任から逃れられる。力が及ばないと悟ったなら、またはその可能性が高いのなら、すぐさまお金をいただくことをやめて無理だと伝えなければならない、それが商売人の正しい姿だと思う。「平気な顔して頭を下げてでもお金をもらう」ことは、塾に関しては当てはまらないと思う。特にかいち塾のように相場よりも高くいただいて、成績も上位層に絞っているならなおさらだ。集団のクオリティ維持、塾内の「空気」そのものが商品だからだ。無理なら無理とはっきり伝えることが、やはり正しいと思う。確かに「じゃ、今までお金もらってたのはなんだったの?」という思いもなくはない。が、過去と整合性を持たせる必要があるのかと問うてみると、そんなものはありはしない。気づいたその瞬間に取れる最善の方法を瞬時に選択肢続けるしかない。///////////////////もっとシビアにも考えてみる。やめた子のたてる悪評は一瞬だし、限定的だ。特にやめた子になにがしか弱い点があればなおさらだ。人は表面では話を合わせながらも、心の底では「○○ちゃんじゃやめさせられても仕方ないね」と思ってくれる。もっと好意的に解釈すれば、「○○ちゃんみたいな子をちゃんとやめさせてくれていなくなれば安心」と思ってくれるかもしれない。一方で、現に通ってきている子のたてる悪評は根が深い。話はリアルであり、通い続けている限り悪く言い続ける。こちらの行いすべてがネガティブフィルターにかかり、何をしても悪く言われる。こうした子は親の手前「やめたい」と言い出せないが、学校で友達に悪評をばらまき続ける。/////////////色々な考えがまとまりもなく脳内をぐるぐる巡り続け、整理がつかないまま結論を出さなければいけなくなる。判断を遅らせてしまったり謝ったりすると、どういった言い方であれ、痛みを伴う結論になる。良い話ばかりではない面談は疲れる。それでも立ち止まっていられない。進むしかない。現時点で出来る最良の判断だったと信じるしかない。かいち塾は上位層に特化した塾だ。最も大切にしなければいけないのはそこだ。それを礎にしてすべての判断をしていかなければ軸がぶれる。/////////////////今回の判断を講師に話した時に、「あの子は先日も○○でしたからね・・・まったくやる気が見られないんだから仕方ないでしょうね・・・」と返してくれたのは救いだった。僕が感じているのと同じように感じてくれている。同じものを見てくれている。それが今回の判断が正しかったことの証明だ。
Nov 30, 2008
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異業種の方と話をしていると、やたら「差別化」という言葉が出てくる。塾業界ではそれほど聞かないんだけど、「差別化」という言葉が魔法のように語られていて、まるでそれを見つければ必ず成功するんだけどなぁみたいな発想になっているのがちょと怖い。10年くらい前は「ネット」が魔法の言葉だった。小さな商店でも、HPをもってネットで売れば世界中から注文が舞い込む、早いモン勝ちそれ急げ~のようなイメージがあった。ネット商店に関して言えば、本当に「勝った」のは楽天だった。楽天に参加した商店はみんな、楽天に利益を吸い上げられて、持ちこたえられなくなったところから撤退していった。所場代高すぎでしょ。HPを持てば注文が来るというのは嘘だと分かってしばらく、今はそれが「差別化」という言葉に変わったようだ。「差別化」という言葉には2つのアプローチがあって、一つは「差別化出来るものを探す」という言葉に代表されるような「ベクトルが差別化に向かう」アプローチ(※1)。もう一つは、「売れる原因を考えてみると、他にないものだった」という、結果として差別化されていたというアプローチ(※2)。この2つのアプローチは別のものではなく、コンサルなどの手によって商品化されるプロセスの断片だ。売れている商店を探す→コンサルが分析する→「他と差別化されてる!」※2→売れてない商店に「差別化」という言葉を売る→売れてない商店が信じて差別化しようとがんばる※1こんな流れ。差別化というものは、どこかに埋まっているのを掘り当てるような宝探しではないと思う。特許を取れるような技術はほとんどの場合血のにじむような研究努力を重ねて生み出されるものだ。主婦の思いつきのようなものは、あくまで思いつきであって、継続的に事業継続していく企業ではそれに頼るわけには行かない。メーカーが恒常的に研究開発費を投入し続けるのは、少しずつ商品の開発改良をし続けなければ(そして特許を取り続けなければ)収益を獲得し続けることが難しいことを意味する。メーカーですらそうであるなら、サービス業ではどうやって差別化すれば良いのか。塾のような形のある商品を持つ訳ではない業態も含めて、「差別化できた!」なんて思っていると、結局「売り方がちょっと違う」という程度のものになってしまう。そしてそれは、ほとんど消費者には気づかれていない。本当に「大手が手をつけない」「他の人がやらなかった」ものであったとしても、ただの「ニッチ」だったりする。そういえばニッチって言葉はいつ消えたんだろ?ニッチは悪くない。でも僕は人生のうち1度は大勝負したいと思っているので、ニッチはいらない。隙間ではなく、ど真ん中の大きな市場に行かないと、会社も大きくなれないと思う。大きな市場で勝負するノウハウを積んでいかなければ、いつまでたっても隙間の帝王から脱却できない。ま、とはいっても大手とガチで勝負するほど肝が据わってないので、隙間ではない大きな市場を開拓していこうと思う。
Nov 28, 2008
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塾講師の適正の話題でよく出てくるのが、「高学歴の講師は成績の悪い子の指導がヘタだ」というものがある。こういう話の根拠となるのは大きく二つあって、一つは成績が良かった人に、成績が悪い子の気持ちは分からない、もう一つは成績が良かった人には「何が分からないかが分からない」ということらしい。結論を言えばそれは個人の資質によるもので、学歴云々ではない。さらに、だからといって個人の資質に頼ることなく、誰でも一定のクオリティを維持できるようにすることが塾としての努めだろう。もし前述の2点が真であるとするならば、逆はどうなるのか。「学歴の低い講師に成績のよい子の気持ちは分からない」「学歴の低い講師に成績のよい子の求めるものは分からない」が成立することになってしまう。ところが実際の運営では、学歴が高くない講師を使いつつもそれを隠し、成績のよい子をたくさん集めようとしている塾が多い。一方で成績の悪い子を飼い殺しにしておきながら、成績のよい子を求めるのは、お客さまからお金をいただく商売として正しいのか。それが平気で成立してしまうのがこの業界だと言えばその通りだが、少なくとも僕はそれはしたくないと思っている。僕自身は冒頭の「学歴が高い講師は~」について、それは間違っていると思っている。しかし単なる独善に陥るのもいやなので、長くこの業界で生き抜いてこられた方々の経験知には敬意を表することにしている。従って、成績の悪い子の気持ちも分かるしその子たちの成績を上げることも可能であるが、先輩方がおっしゃるのなら、僕の得意な層は成績上位層であろう、と考えている。かいち塾は受け入れる生徒層を平均点以上と公言しているので、単純にマーケットは半分になる。それでも学区で1~2を争う生徒数にたった5年でなれたのは、これまでの塾がやってきた「成績がよい子で成績の悪い子たちを釣り上げる」ということをしなかったからだと考える。学年トップのような成績の子と、学年最下位のような子を同じ教室で同じように教えるのは不可能だ。個人の力量では可能な方もいらっしゃるだろうが、そういう話ではなく、あくまでシステムとしてそれを維持することが可能かどうか、という点において、不可能だと考えている。それは学校教育を考えれば火を見るよりも明らかだ。それでもいまだそういった「商売」は、厳然として蔓延っている。確かに上場なんてしちゃうと、どうしてもボリュームゾーンを狙って行かざるを得ないし、さりとてその後継続的に入塾を求めるためには「成績が良いふり」をしなければいけないだろう。しかしそれは投資家の欲求であって、生徒たちや親御さんの要請では決してないと思う。一度そこに手を染めてしまうと、抜け出すのは大変だ。塾を単なる投資対象として考えるならそれも良かろうが、少なくとも何をか考えて塾をやっている人間は、自分の理想に正直にあらねばならないと思う。口で言っていることとやっていることは別というのでは、投資家でも塾屋でもない中途半端な代物でしかなく、いずれにも勝てないだろう。(しかし中途半端に饒舌なのでブログなどでは立派な文章を書いていたりする)かいち塾は2年目終了時まで生徒は27名だった。その後3年目65名、4年目130名(次年度予約30名)、5年目160名、6年目200名と順調にがんばってこられた。これは自分が求めるものとお客さんが求めるものとが合致したからに他ならない。面倒見たくない子は見ない。面倒見れない子は見ない。お金がなくったって、出来ないものは出来ませんと、きちんとお断りする。お金をいただく以上、それに見合ったものを提供できなければそれは詐欺だ。お金をもらうということに真摯にならねばならない。
Nov 26, 2008
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12月14日(日)の授業研修会では、12月から着任する新入社員研修もやろうと思う。普段バタバタしていると、なかなかきちんと授業などについて伝える機会が持てず、また、これが一番気になるところだが、模擬授業などをしても、自分としては「これくらいは当たり前でしょ?」というのがどうしても出てしまうということがある。たとえば、かいち塾では授業の最初と終わりに挨拶みたいなのはやっていない。特に今後やるつもりも今のところはないのだけれど、これなんかも「当たり前だから言わなかった」けど、知らない人にとっては「あ、ないんだ」という類のもののような気がする。授業研修会は、他塾と授業を見合うことによって、自塾の授業の特性が際だつというメリットがある。もちろん良いところは取り入れるんだけど、実質ほとんどのものは「うちではいらないかな」というものだったりもする。今度の授業研修会は志向が近い方にも来ていただけるようで、かなり内容の濃い時間になりそうだ。ちなみに参加される方ではないけど、「かいち塾見学はあるの?」という話がありました。ご希望ならご案内いたしますが、見ても特に得るものはないような気が。。。まだ多少空きはありますのでご希望の方はお早めにご連絡くださいな。
Nov 24, 2008
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授業研修会自分が子どもの頃塾に通っていて疑問だったこと。夏期講習とか冬期講習会になると、最後の方がなぜか「次の学期の予習」になること。休み明けに学校では復習テストやら実力テストやら、要するに「前の学期の内容」のテストがあるのに、なぜその直前に塾では次の学期の予習をやるのかというのがとても非合理的に感じられた。また余計なお世話だが、実際に休み明けにまた同じことを塾では平常授業でやるわけで、次の学期になったらやることがなくて困るんじゃないか?と心配したものだが、要するにまた同じことをやるだけなので塾としては困っていないということもなんとなく理解した。ま、いま他の塾はどうかしらないが、テストの直前になって予習分野をやるというのは子どもたちの目線から考えると非常に無駄というか、「ちょっとやめてくれ」状態なわけで、開智塾はそういったことはしないことにした。講習会は前の内容の復習をしっかりする、できればさらにその分野の力を伸ばしてあげるほうに専念した方が良い。というわけで、開智塾はとにかく点数を上げる主義なので、予習はしません。
Nov 19, 2008
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授業研修会をかいち塾でやります。先日とあるセミナーで同様のことがあり参加したのですが、とても良かったです。他塾の講師がどうやって講義をしているか、一気にみることが出来る上、塾長の方々の考え方が分かりました。同じ授業をみても、こういった見方もあるんだなぁというのが強烈でした。対象は生徒数150 人前後の塾の塾長・講師…10 塾程度、各塾講師1~2 名日時は12 月14 日(日) 2:00pm~6:00pm費用は各塾2 万円(塾長1 名+講師1名までの分。講師1名追加につき3000 円)(本気の方だけでやりたいので)おおまかなフローは自塾紹介 … 各講師による(塾長は別室で打ち合わせ)模擬授業 … 決められた内容での模擬授業(各8 分)講評 … 各塾長による総評・挨拶懇親会こんな感じです。各塾の塾長さんが、一人一人の講師を評価します。模擬授業の内容は・3学期で学習する単元を想定(冬期講習での予習分野となる)・完全に新しい分野に入る際の単元紹介から授業内容の最初まで。英語…比較級分野第1 回目、導入部から比較級へ数学…図形の証明問題導入から証明の基礎・各塾での使用テキスト・プリントなどにおける1 ページ目を使用するものとする。(各塾でそのまま実践できるように)参加10塾くらいを想定しています。参加ご希望の方は下記アドまでご連絡ください。折り返しご案内をお送りいたします。master @ kaichijuku.jp
Nov 13, 2008
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ランチェスター戦略に強者の戦略というのがある。市場シェアのン%とったら強者の戦略に切り替えるとか、そんなことを考えた時期もそういえばあったなぁ。というか。鵜呑みにしすぎはやはりよろしくないようで、かいち塾的にはこの「強者の戦略」に切り替えた時の生徒層がヤバイ。マーケットシェアの拡大のために入塾というか退塾というか、バーを下げた時期があった。「ちょっとどうかな?」と思う子の入塾を認めて、そのまま退塾を促せないままにズルズルと来てしまっている学年がある。人数的には一番多いんだけど、やはり質は良くない。この2学期末テストが終わった時点で点数をみて、何人かやめてもらうつもり。幸い経営的には今は余裕があるので、一時的な売上減少は気にならないけど、「そんな子でもちゃんと出来るようなシステムにすべき」という言葉を聞くと気持ちがぐらつかないでもない。確かに時間をかければ塾になじむ子になるかもしれない。実際、かつて塾になじんで勉強をするようになり、成績を上げた子もいた。しかしそこまでの疲弊は結構大きいとも思う。さらに、その子が良くなるかどうかは確率問題だし、少々良くなってもしれていると思う。そのリターンと、その子のためにどれだけの人間が我慢しているかというデメリットを思うと、さっさと切った(あえての表現)方が良いと、やはり思う。一学年何人いようと、空気を壊すのはたった一人で十分だ。特に学年が下に行けば行くほどそういった子がまき散らす害悪の伝播は速い。これは完全にミスだな。今度のタイミングを逃したらヤバイ。今はランチェスターよりもブランド戦略の方が気になっている今日この頃。
Nov 12, 2008
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授業をどうやってやろうかと考えると、どうしてもわかりやすい授業をしなきゃ、という思考に行きがち。暴力的に言えば、「わかりやすい授業」ってのは、「点が上がらない授業」だと思う。もちろん、昔の塾のように「分からんこと言いまくって自分で考えさせるんじゃい!」みたいなあほなことを言っているのではない。「わかりやすい授業をしたい」という視点には、「生徒が自分で解く」ということが抜け落ちていることが多いということ。説明を丁寧に丁寧に考えていくと、それはもちろん結構な話なんだけど、「分かった気になって」終わってしまうのだ。点を上げるプロセスは、「理解する」「覚える」「自分で解ける」の3段階がある。「わかりやすさ」を心がけすぎた授業は、この「覚える」「自分で解ける」という視点が欠けてしまい、結局「先週あれだけ説明したのに・・・」という事態になることが多いと思うのだ。このうち、「覚える」というプロセスは、暗記テストやらである程度カバーすることが可能だ。出来なければ追試などして追っかけまくれば、ある程度出来るようになる。ただ気をつけなければいけないのは、塾の場合次に同じ科目をやるのは1週間後ということだ。そうすると、8割以上の子は「次にその科目をさわるのが1週間後」ということになってしまう。あれだけ「その日の内に復習しておけ」と言ったにも関わらず。(言うだけだったら何もしないのと同じなんだけど)そうすると、1週間後に開いてみた子どもたちは「今日テストなんだけど・・・ん~、先週聞いた話なんだけど思い出せないな~」なんてことになり、「しゃーない、丸暗記しよっ」となる(でもこれはまだマシな方ですよね)。暗記テストをその中間地点、たとえば数学のテストを英語の時間でやるなんてのも一つの方法だけど、科目によって先生が違っているような場合はなかなか実施が難しい。(やるだけならいいけど点数の管理とかなんとか)だから授業中に出来るだけ「出来るように」することが大切だと思う。教えて演習教えて演習の細かい繰り返しをして、その場で「出来る」ようにしてしまう。ただ聞いて分かっただけと違って、その場で解いて、しかも自分なりの解き方がそこに残っているというのは、仮に次にさわるのが1週間後だったとしても大きく効果が異なる。結局僕ら塾は、生徒の点数を上げることが商売なので、点数が上がる、すなわちテストで解けるためにはどうしたら良いかということを考えなければいけない。そうすると、単に「わかりやすい」授業をやるだけでは、点数なんて上がるわけがないのだ。もしそれが出来るなら学校の授業でとっくに上がっている。(学校の先生の授業研究は塾よりも遙かに上だと思う)僕らはわかりやすい説明方法とかじゃなく、点数の上がりやすい授業運営、時間の使い方を研究しなければならない。そしてそれが学校よりアドバンテージがある部分だと思う。
Nov 9, 2008
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当たり前っちゃー当たり前だけど、ちょっと管理がゆるむと手を抜くというのは、もちろん塾業界でもあり得る。常に目を光らせて小言を言い続けるのが好きな人はそれでいいんだろうけど、僕は好きじゃないっていうかそんなのは限界が見えているので、やらざるを得ないシステムを構築しなければいけない。コンピュータを使うこともさることながら、いくつかの決まり事をマニュアル化する必要がある。金がかかる。大変だが仕方がない。マニュアルは、縛られると思ってしまえば面倒なものにしか見えないが、それがあることで身を守ることが出来るというのが本来の趣旨ではなかろうか。マニュアルを守っているからこそ、マニュアル外の部分では自由度が高まると考える。もしマニュアルがないと、思った以上に窮屈なんじゃないか。「こういうときはどうしたらいんだろう?」というときに、明確な判断基準なく、「ボスならこうするだろう」という基準で動く必要に迫られる。ボスとツーカーならいいが、そうでない人はどうして良いか分からなくなるだろうし、いざふたを開けてみたらボスは全く違う判断だったなんてこともあって、「なんだよ、こないだこうしろって言ったじゃねーか!」なんて経験をしている人も多いんじゃないだろうか。「これを守ればあなたは責められない」というのがマニュアルであり、そこにいかにして能力を引き出す仕掛けをしていけるかが、マニュアルを作る醍醐味な気がする。ここでマニュアル作りを人に任せると、きっと「非常に安全志向の」マニュアルができあがってしまうんだろうな。ちなみに僕がいた会社のマニュアルは、幅5メートルの棚2段に渡ってマニュアルがぎっしり詰まっていた。業務のすべてが事細かに決められ、あらゆることはマニュアルをひもとくことで解決するべしとされていた。ま、これは特異な例だとおもうけど。大きくするにはやらなきゃいけないことがいっぱい。大きい組織がどうやって回っているかを知っているだけ幸せだと思う。////////////////やんなきゃいけないことをやらなかったらペナルティがあるのは当然。きっちりやっていただきましょう。忘れてました、スミマセンでは済まされない。
Nov 6, 2008
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そういえば去年も早かったな、と。だいたい12月くらいから申し込みが来て、1月2月くらいがピークだったような。今年は過去最速?記録更新。来年に向けて、すでに冬期講習の申し込みが小学5年生で。もちろん来年なんてけちなこと言わず、冬期講習→3学期スタートという話になっていますが。今年度も結構良い感じか??
Nov 5, 2008
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同業種・異業種に関わらず、すごい人もいればすごくない人もいる、という当たり前の事実。ただ異業種の方が新しい出会いが多いのは確か。ただ、単純に商売上のメリットはこちらにはない場合が多い。たまに出る分には良いかもしれない。//////////////////こちらは同業。教室長セミナーっつーことで、各塾の先生方が授業をして、塾長連がコメントをするという企画(?)。(小林先生、河野先生、他みなみなさまありがとうございました。お疲れ様です)短い時間だからこそ、ごまかしなくその人の「思想」が出ていたと思う。塾の授業は、理解させるためのものではない。点を取らせるためのものだ。理解させることで点を取らせるという方法論は間違いで、点を取らせるために理解が必要な場合には理解を求める、ということになる。僕はよく言っているが、板書なんかは学校の先生はとても上手だし、すごく研究されている。本質を理解させようという努力はとても塾人の及ぶところではないと思っている。そこに、真っ向勝負を挑んではいけない。全国に何万人学校の先生がいるのか知らないが、その人たちが毎年毎年、いかにしてうまく授業を展開するか研究し蓄積されているのに対して、そういった意味での授業ノウハウの蓄積の少ない塾業界が勝てるわけがないのだ。(もっというと、そういった学校の授業ですら分からない子たちに、果たしてどういった授業をしたら理解をしてもらえるというのか?)僕らは点を取らせてなんぼの商売。ただ点を取らせるということに対して真摯であらなければならないと思う。点を取らせるということをなめてはいけない。相反するようだが、その「点を取らせる」ということを突き詰めた先に、「点を取らせるための本質理解」というものがある。中学も高校も、内容の本質は見た目よりシンプルだ。点を取らせることを最優先に突き詰めた先には、非常にシンプルな内容理解がある。それを追いかけていったのが、当塾講師の8分間であった。あの8分間は、実はほとんど授業内容を準備していない。僕も事前にはみていない。連絡疎漏で作る必要もないプリントを作らせるという無駄時間を使わせてしまっただけだ。普段言っていることがどれだけこういった場で出てくるかみてみたかったのだ。結果はとてもすばらしかった。開智塾の高い平均点は、日々の「点を取らせるための」授業によって支えられているのだと実感した1日だった。よし。見事な自画自賛だ。
Nov 4, 2008
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