2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全6件 (6件中 1-6件目)
1
今月に入ってから退塾が連続している。原因はほぼ特定。いくつか要因があるがまぁいいや。毎度思うけど、自分のことながらこれは自分のいいところだと思うのは、「うわ~」ってことが起こったとき、寝るとわりと忘れられること。その原因を割と冷静に分析してすぐに手を打てること、最後は「だったら取り返してやるよ」と思えること。いかに退塾の理由であろうとも、直すべきところは直すけど、直すべきじゃないところは直さない。これ、後者の方が重要じゃなかろうか。「直すべきじゃないところは直さない」というのは、「誰になんと言われようとも頑固に自分のやり方を(盲目的に)貫く」と言うこととはちょっと違うと思う。お客様あっての商売だし、時代もおおきく変わっている。そして変わり続ける。そこに柔軟に対応することは絶対に重要。でも、生徒がやめたときってそれがとても大きくクローズアップされすぎて、大半の「残ってくれている子」のことを忘れがち。考えてみると変な話ですよね。もういない子のことを考えて、いる子のことを考えていないなんて。もちろんそれも原因は分かってるんだけど。「ひょっとして今いる子たちもみんなやめるんじゃないか」っていう恐怖。でもやはりそれは杞憂で、塾の本質「あう子は残る、あわない子はやめる、だからあう子を探し続ける」と言うことから腰が引けている状態。あわない子をあの手この手でつなぎ止める労力は、まさに徒労でしかない。そんなんするくらいならあう子を探したり、あっている子の求心力をもっと高める方に労力を使いたい。先へ進まなきゃ。こんなところで止まってる訳にいかない。上を目指します。
Sep 23, 2008
コメント(0)
塾生の大半が口コミによる・・・という話をよく聞く。たいていの場合、どっちかっていうと「宣伝をしていないから、口コミ以外考えられない」→「聞いてみたら、やっぱり既存塾生の紹介だった」=「口コミ」ということではないだろうか。本来?なのかどうか分からないけど、口コミは「伝播するもの」だと思う。その点、こういった場合の「口コミ」は伝播というよりは単なる既存塾生一人の紹介であって、ほとんどその既存塾生のパーソナリティに依存していると思う。つまり、運良く紹介してくれる塾生がいただけの話で、運悪く全く紹介しない塾生だらけになったらつぶれてしまうと思う。それくらいに口コミ=伝播は起こりにくい。そういった意味で、先日のサンボー先生のセミナーは非常にすばらしいと思う。さすがだ。「口コミは簡単には伝播しない」。その通りだと思うし、さらに大手塾様方どもは、僕らが思う以上に口コミではないと思う。そこら辺のところをすべて含めた上で、集まった塾の規模に合わせて「口コミ」を定義し直して実践的内容を紹介するという芸当は、なかなかできることではないと思う。やはりさすがサンボー先生だ。ここしばらく「伝播させる」口コミというのを考えてきたが、やはりクロスメディアは非常に重要だと思う。大手塾は確かにチラシをたくさん爆撃するが、それは最後の一押し(一押しどころじゃないが)、背中を押しているに過ぎない。立地やテレビなどでの露出、地道な校門配布活動、体育祭見学などなど、たくさんの「目に触れる機会」を持っている。日々地道に「生徒・親の潜在意識に」植え付けている。よく言われることだが、「100円ショップと言えば?」の問いに対して、おそらく世のほとんどの人は「ダイソー」と答えるだろう。現実にはSHOP99も最近かなりがんばっているし(いや、100円ショップじゃないやんとかそういうことはおいといて)、他にも100円を売りにしている店は多い。でも、やはりダイソーが一番なのだ。ここに、大手の集客の強みがあると思う。必要になったときに一番に思い出してもらえるからこそ、一番に客が集まるのだ。ま、100円ショップの場合は一つ店を思い出せれば事足りるのでいいが、塾の場合はやはり多少は比較検討される。その際の俎上にのるためには、「塾と言えば?」の問いに対して2~3番手以内には入っていなければいけないと思う。そうでなければ、検討すらしてもらえない、つーかたぶん、認知されていない。まず選択肢の中に入れてもらうには、いつも目に入る場所にあるというのが一番ではないか。立地のいいところ、そうでなければ立地のいいところに看板を立てるなど。記憶の奥にすり込む感じ。それでもなお、「そろそろ塾考えなきゃね~」となってから、実際にどこかの塾を探し出すまでは時間がかかり、そのときにふと手元をみるとチラシが・・・そんな「いつ来るか分からないチャンスのために」大手塾はたくさんのチラシをまいているのだろう。口コミが多重で発生する以前に、ふと思い立ったときにぱっと思い浮かぶか、そこにかかっているのではないだろうか。
Sep 19, 2008
コメント(0)
痛恨のミスを犯すこともある。退塾は親子からのダメ出し。「あんたのやり方ではダメだ」と言われているのと同じ。だからといって、それにとらわれすぎてもダメだ。やめていった数人の原因を分析することは必要。しかしそれに沿ってどこまで変更を施すか。「あれがダメだ」と言われたからと言って、それが今いる子たちにダメなのかというとそうとは限らない。絶え間なくトライアンドエラーを繰り返し、少しずつバージョンアップしていくしかない。
Sep 16, 2008
コメント(2)
最近、に限らず私立中学校の先生の営業がいらっしゃる。季節的にこれからさらに本格化するだろう。(岐阜の場合・・・?)で、それはいいんだけど、「で、カウンターメリットは何?」と聞きたくなる。岐阜の場合は小学生の95%(以上か?)が公立中学に進学する。特に当地の場合は99%と言ってもよいのではないだろうか。で、ご存じの通り少なくとも今までは公立高が優秀な結果を残しているので地域の人たちも公立中→公立高→国公立大が進学の王道だととらえている。その現状がいいのか悪いのかともかくとして、現実的にそういった地域柄である以上、私立中学校のなすべき方針は「少ないパイを全力で奪う」もしくは「パイを広げるように啓蒙する」しかないはずだ。その方策をいくつか提案しているのに、全く検討するそぶりがない。お互いにとってメリットがあるのに。実現が大変だけど、不可能じゃない。なのに、なぜ・・・なぜ・・・キミたちは「うちに生徒ください」しかいえないのか・・・僕ら塾にとっては、私立中学に生徒を送り込んでもほぼ何のメリットもない。むしろ、「あそこは中受だよ」とかなんとか言われてしまったら、その他90%以上の生徒は離れていってしまうことになる。それでも「ください」というならちゃんとwin-winになる提案をしてもらいたいものだ。
Sep 11, 2008
コメント(0)
モンスターペアレンツ?というのかどうかわからないが、時々無理な要求をしてくる保護者がいらっしゃる。まぁ幸いにしてかいち塾の場合はほとんどそういうのはないんだけど、たとえば「うちの子、水曜日は●●をやっているので、授業の時間を変えていただくわけにはいかないでしょうか?」とか。言い方こそ丁寧だけど、「ちょっとそれはいくらなんでも・・・」という話だ。うちは集団授業なので。これは極端な場合だけど、細かいことはたぶんいろいろある。「たぶん」というのは、ほとんど「無茶な要求だと感じない」こちらの考え方にあるとおもう。塾は学校ではなくサービス業なので、お客さんの求めるものを提供して対価をいただいている。基本的には。思うに、この「お客さん」という言葉にあまりに多くの記号がつきすぎているような気がする。簡単に言えば「セグメント化」と言うことになるかもしれないけど、世に言う「お客さん」と、自分にとっての「お客さん」は必ずしも同一ではない。たとえばかいち塾は対象の生徒層をはっきりと平均点以上、大学進学希望に絞っているから、そういう意味では平均点以下の子や実業高校を希望する子はお客さんではない。だから、サービス業としての立場に照らし合わせて言えば、平均点以下の生徒や大学に行かない子の希望は聞く必要がないということになる。こう書くと「なんと不遜な塾だ」と思われるかもしれないので自身の名誉のために言っておくと、だからこそ、入塾の段階で「平均点以上・大学進学希望のみ」と謳っているのだ。自分の本意に反してお客さんをとっておいて、自分の範疇ではないのでまともに指導できません、ではあまりに不義理だと思う。さて、一方で「じゃあ現在通塾している子はすべて平等か」と言われれば、全くそんなことはない。もちろん明確に表立って言うわけではないが、成績のよい子の申し出にはこちらが折れることが多々ある。時間外での対応とかなんとか。(これは、成績のよい子は普段からきちんと勉強していて、それでもイレギュラーな出来事で時間繰りがつかずに・・・という場合がほとんどなのである意味当然ともいえる)対お客さんということを考えると、どんな商売でもお客さんとの力関係というのはある。小さな工場が大きな工場と取引するとき、規模の違いから取引条件が交渉されていくのは当たり前の話だ。それは塾も決して例外ではなく、塾にとって「いてほしい生徒」の要求は、ある程度飲まなければならない。いる子すべてに平等に、なんて言っていると、成績がよい子にやめられてしまって大やけど・・・なんてことになりかねないんだから当然だ。つまるところ、お客さんの要求は「答えるべきお客さんか否か」にかかってくるので、それが「可能か無理か」という判断はずっと後の部分にあるのだ。したがって、「無茶な要求をしてくる」みたいな感じ方はあまりない。一方で、企業としての効率化も常に考えなければいけない。成績がいい子の要求をすべからくのめばいいのかといえばそうでもなく、自塾にとって無理があるようであれば、妥協点を探らなければいけない。実はここがおそらく一番大切で、言われるがままに対応できない時に、「断るのか、妥協点を探って話し合いをするのか」の違いは非常に大きい。こうした場でいかに保護者・生徒ときちんと話をして、コンセンサスを得るかというのは大切な能力であろう。保護者・生徒の納得する形で、なおかつ塾にとっても無理のない形の妥協点が作り出すことが重要なのだ。こうした要求が出てきたとき、その子のその後の動向は注視しなければならない。くすぶった気持ちが残ることがほとんどだからだ。上に書いたことと矛盾するように見えるかもしれないが、結局こちらがどれだけ相手を信用していようが、そして相手が心底信頼してくれることがあったとしても、それに甘える訳にはいかない。あくまでもお金をいただいてやっていることだから、大切なお客さんの様子を注意深く見ることは当たり前のことだ。とかなんとか、うちはお客さんのセグメント化に「成績」という軸を使っているから成績によって対応を柔軟にしているわけだけど、その軸が成績でない場合はまた違った視点で対応を帰ることになるだろうと思う。基本的にかいち塾の場合は大きなトラブルもなく、退塾も多くないと思う。交渉力なのかもしれないし、イベントなどの力かもしれない。何がよいのかはっきり検証したわけではないけど直感的に感じるのは、そうした「軸」が、はっきり保護者・生徒に伝わっていることが大きいと思う。つまり、お客さんは「成績で生徒をみる」塾に来ているという自覚がはっきりあり、「成績」という軸に応じた対応を当方が取っていれば、たいがい納得のいく結論に落ち着くことになるのだ。「あぁ、やっぱりそうですよね・・・」という感じかな?これも直感だけど、僕が見ている限り、はっきりと塾の軸を「成績」においている塾はそう多くないと感じる。ほとんどの塾が「みんながんばろうね」路線で、「成績が悪かった子ががんばってこれだけあがったよ!」なんて広告をしているのを見ると、逆にうちのような「平均点以上の方で、大学進学希望の方のみ」とはっきり謳っている塾はわかりやすいし、入った後の「来てがっかり(c)超~塾長」感は特に成績のよい層にはとりあえず少ないと思われる。もう一つ、ここも大切なことだが、お客さんの要求に対して何か妥協点を探るとき、必ず何か一つ形になる提案をするようにしている。たとえば成績のよい子が「どうしてもその時間は無理なので、別な曜日の下のクラスに変えていただけますでしょうか・・・」みたいな話があったとき、「わかりました、じゃあ来週から下のクラスに来てくださいね」ではだめだ。お客さんの要求は確かにのんだといえるが、それよりさらに一歩進んだ対応がほしい。「下のクラスだから●●くんにはちょっと物足りないでしょう、別のテキストを渡しておきますから、他の子に合わせなくていいからどんどん進んでください。」と。これでお客さんは思っていた以上の結果に満足してくれることになる。ついでに「さすがにつきっきりでみるわけにはいかないから答えを渡しておくね、●●くんのことは信用してるから答え渡しても大丈夫だよね、わからんとこあったらタイミングみてどんどん質問してね」という一言も付け加えておく。集団授業を担当している人であればこの一言がどれほど重要かおわかりになるだろうと思う。こうして双方が納得いく形ができあがっていくのだ。な~んて偉そうに書いてるけど、それでもやっぱりうまくいかなくて成績がいい子が抜けてしまう・・・なんてことはあり得るわけですよ、実際。
Sep 9, 2008
コメント(2)
中学生なんかに方程式の問題を教えるときは、僕らからみればすぐ「あ、これはあのパターンだな」という問題がほとんどである。「こういう問題は表にすれば式はできるんだよ」という言い方でやり方を教えていくことになるんだけど、それだけだとまだちょっとわかりにくい。たとえば【昨年の生徒数は男女合わせて470人でした。今年は男子が6%減少、女子が5%増加、全体として4人減少した。今年の生徒数は男子女子それぞれ何人か。】中2の連立方程式では定型パターンなので、まぁ僕の場合は表にして式を作ることを教えるわけだけど、ここで講師はただ単に「表にすればデキルよ」というだけでは足りないと思う。ほとんどの子は、これが「表にするパターンの問題である」ということがわかっていない。それどころか、違うパターンの問題を見せられても「さっきのとは違うの??」という状態になっている。僕らはぱっとみればすぐそれがどの定型パターンなのかわかるんだけど、それはパターンの全体像が見えているからわかるのであって、今新しい分野に取り組んでいる子どもたちには全体像は見えていない。だからこそ、文章のどこをとらえて僕らは「あ、これは表にするパターンだな」と判断したのか、そこを教えてあげなければ、そもそも表を作ることすらできないのだ。今回の問題だったら「昨年度・今年度」とか「男子・女子」とか出てきたら表だからね!ということをいってあげなければいけないし、同様のパターンとして「工場で先月・今月の生産台数がどーたらって書いてあったら同じパターンだからね!」ってこともいってあげなきゃいけない。もし問題集の問題が足りなければ、同じパターンになる典型問題を列挙して何回も同じような表を作り式にしていくという作業を訓練しなければいけない。ここまでして初めて「みんなが点を取れる」という状況に近づく。講師は知っていることを伝えるのでは足りない。身につけた知識をなぜここで使ったのか、何を持ってパターンを判断したのか、そこをきちんと伝えることによって、子どもが自分でパターンを判断できるようになるし、それでこそ訓練した成果を発揮できるということだ。表を作って式に持ち込むなんてことは誰にでもいえるし、訓練すれば誰でもできるようになる。しかし、訓練するという点では通常の学習塾は公文式に劣る。それ以前に自分の脳がどう動いているのか、どう判断して答えを出したのか。そのプロセスを分析し、子どもたちに伝達することこそが大事なのだと思う。
Sep 5, 2008
コメント(0)
全6件 (6件中 1-6件目)
1

