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父のアルトサックスが盗まれた。オーケストラの他のメンバーのも一緒にゴッソリと。そして今日、犯人が誰だか分かった。元メンバーだ。メンバーとして絶対にしてはいけない事を何度もし、とんでもなく迷惑をかけた結果、メンバーから外されたことを恨んでの犯行だと思っていたが、恨みだけではなく、お金目当てでもあったらしい。練習場の鍵を使って真夜中に忍び込み、そこにあった楽器を運び出し、中古楽器店に売りさばいた。父のサックスがヴィンテージ物だったので盗品の疑いですぐに警察に連絡が入り、楽器は無事に全部戻ってきたから良かったけれど、問題はその犯人。犯人がその元メンバーだと知った時は、本当に心の底からドロドロと怒りが湧いてきた。その犯人にはもちろん私も会った事があり、その言動からあまり好きではなかった。でも、音楽が好き、という事で帳消し、という思いは私だけじゃなく、他のメンバーはもちろん、父が一番持っていた筈だ。その思いを裏切った犯人は絶対に許せない。盗んだ楽器が、その持ち主にとってどれほど価値のあるものか、音楽を演る人間には分かるだろう。父のアルトサックス。父の宝物。父の人生そのものだ。父や他のメンバーの気持ちが通じて全部戻ってきてくれたけど、でも、許せない。自分の事だけ考えて、自分の都合だけで、人の気持ちを平気で踏みにじる、そんな奴のことを、私は絶対に許さない。
March 31, 2005
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ナオコさんの叔母様という女性。イメージとしては岸恵子みたいな感じ。そう、やっぱり物凄くカッコイイ人だった。海外に長く住む日本人に共通すると思うんだけど、顔立ちが外人ぽくなる…いや、メークの仕方が変わるのか?とにかく、立ち居振る舞いがもう日本人じゃない。もうすでに日本語よりも英語の方がすっと口から出るようで、時々おかしな言葉を口にしながら、叔母様は「で、カナダでは英語を充分にお勉強してきたの?」「いえ、英語を学びに行ったわけではないので」とは言わず、「半年じゃ足りないですね」と答えておいた。叔母様の行きつけのレストランは、小さいけれどお洒落で、料理もすごく美味しかったのだけど、ローズマリーが毎日大量に料理を作って食べさせてくれたおかげですっかり大食漢になってしまった私には少々物足りなかった。そういえば、ローズマリーは本当に器用にお鍋でご飯を炊いてくれた。あの渦巻きの電熱線が私はうまく使えず、料理に失敗してばかりでローズマリーに「仕方が無い子ね」とよく笑われた。今度はいつ食べられるかな、ローズマリーの手料理。店を出て、叔母様にお礼を言って別れ、私とナオコさんは次の目的地へ。私達はライブハウスへ行く約束をしていた。前の日にライブハウスの予約を取ろうと予定を見ていて、あの有名なブルーノートでグローバー・ワシントン Jr.が出ると知った。私は彼の曲を何度か聴いたことがあって、それをすごく気に入っていたのでブルーノートに行きたいとナオコさんに言うと、ナオコさんも彼が好きらしく、すぐに電話してくれた。前日なのでもう席は無く、立ち見になるらしい。それでも聴きたい!私達の意見は一致した。さすがブルーノート!人が一杯で始まる前から熱気がすごい。静かに彼が登場すると、観客席から拍手と歓声が上がる。演奏を聴いている間、やっぱりまた私は泣けてきて、でも何だかジャズ、それもグローバー・ワシントン Jr.の軽くてお洒落なジャズを聴きながら鼻をグズグズ言わせて泣くのもどうかと思い、壁にもたれて出来るだけ目立たないようにして聴いていた。父がサックス奏者だからだろうか。私は昔からサックスの音色が好きだ。でも父のやるようなジャズではなく、グローバー・ワシントン Jr.とかケニーGのような聴いていて寝てしまうくらい心地良いサックスが好き。心にしみる、ってこういう事を言うんだ。いつまでも止まらない涙を、私はもう放っておいた。泣きはらした目をして、私はブルーノートを後にした。そしてナオコさんと別れて一人バスに乗った。マンハッタンを東西に行を作るストリートが100番台を過ぎるとちょっと危険な地域になるから乗り過ごさないように、と注意されていたので停留所に気を付けながら外を眺めていた。ホテルはMadison Ave.沿いの92ndか93rd st.あたりにあるので、90の表示を見てすぐに降り、途中にあるコンビニのような食料品店でお菓子と飲み物を買う。まだ3日しか滞在していないのに、その部屋はすっかり私の部屋になっていて、興奮さめやらぬ家主を「おかえり」と迎えてくれる。まるでニューヨークにずっと住んでいるような感じ。グッゲンハイムにいた女の子は可愛かったし、 叔母様は素敵で、食事も美味しかった。そして、クリムトとグローバー・ワシントン Jr.。バンクーバー…ボストン…ニューヨーク。あっぷあっぷしそうだ、一杯一杯だ。もうご馳走さま。そう、明日私は日本に帰る。(続く)
March 30, 2005
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ベッドから身体を起こして窓の外を見た。前の建物が邪魔でセントラルパークは見えないけれど、でも目の前にある風景は紛れもなくマンハッタン。嬉しくてニヤニヤしながら出掛ける仕度をする。今日の予定は美術館巡り。まず最初の目的地は一番近くのグッゲンハイム美術館から。今日は沢山歩くことになるだろうな、と思いながらスニーカーの紐を結んだ。部屋を出て1階に降り、フロントにいるジェレミー・アイアンズ(に似ているので勝手にそう呼んでいた)に笑顔で挨拶して私は外に出た。今日も良い天気。グッゲンハイム美術館は、その個性的な外観で地図を見なくてもすぐにそれと分かる。中は円筒型の吹き抜けになっていて、上から渦巻きのようにスロープを下りながら絵を観るようになっている。私は絵についてはサッパリ分からないので、どれが誰の作品か、なんて何も考えずに、ただ「コレ良いな」とか「なんじゃ?これは」と自分勝手に鑑賞した。ピカソの作品とは知らずに、どう観たら良いのか分からなくて首を真横に曲げて観ていた時、気が付いたら隣りで小さな女の子が私と同じように首を傾げて絵を観ていた。金髪の細い髪がダランと下に垂れ下がり、天窓から差し込む光を受けていてとても綺麗だったので、私は「きれいな髪ね」と声をかけた。女の子はちょっとビックリして、そして恥ずかしそうに笑ってくれた。グッゲンハイム美術館は中の絵よりも建物が好き。感想をまとめて次の目的地へ。ニューヨーク近代美術館(MOMA)ここには芸術には疎い私にも、絶対に観たい画家の絵がある。Gustav Klimtの「Hope II」ついに、ついに御対面の時だ。その絵が飾られている部屋に入ると、そんな照明はしてないはずなのに、舞台のように周りが暗く、絵だけにライトが当たっているように感じた。オーラ、というのを実際に自分の目で見た。いつの間にかまた絵が滲んで見えなくなる。絵から目を離さずにハンカチを取り出し、さりげなく目をこする。頭の中を空っぽにして、いつまでもいつまでも見つめていた。時間の経過が分からなくなるくらいその部屋にいて、ふいに低い声が隣りでして驚いた。「この絵が好きなんだね」黒人の警備員が笑っていた。「はい、とても」うん、うん、と頷きながら、彼は元の位置に戻っていった。そして遠くからまた私を見て笑ってくれた。Klimtを観たあと時間があったら行こうと思っていたメトロポリタン美術館には結局行けなかった。「Hope II」の部屋から離れて色んな作品を観ながら、でも中毒のように何度も何度も戻ってあの絵を観てしまったから。最後、諦めるようにショップで「Hope II」のポスターを買い、外に出た。感動の洪水状態で、ものすごく疲れていた。ランチを食べ忘れていたのに気付き、ロックフェラーセンターの地下のカフェでサンドイッチを食べた。もう、これで思い残すことはないかも…。というくらいに充実していた。有名なスケートリンクをボーッと見ながら、日本にいた時の事、カナダでの事、ボストン、ナオコさん、そしてニューヨーク。今までの色んな出来事を思い返していた。日本に帰っても、このままでいよう。このままってどのままか分からないけど、でも日本を出る前の私のまま、じゃない。今夜はナオコさんの叔母さんがディナーを御馳走してくれるらしい。もうお金は底を尽きそうなので本当に有り難い。待ち合わせは紀伊国屋書店。ちょっと早いけど、先に行って久しぶりに日本の雑誌でも立ち読みするか。そうか…本当にもうすぐ帰るんだ、日本に。(続く)
March 29, 2005
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次の朝、ナオコさんと私は天気の良い街に飛び出した。マンハッタンの移動の仕方をレクチャーしてくれるために、初日だけナオコ先生が付いていてくれる。まず、5thアベニューまで出てバスに乗る。最初の目的地はワールドトレードセンタービルディング。展望階に上がり、そこからマンハッタンを見下ろすと、まるでマンハッタンがミニチュア模型のように見え、このビルがアメリカだけじゃなく、世界中を見下ろしているように感じた。何年か後に、このビルに飛行機が突っ込んで行く映像を目にした時、これは、きっとあの時に私が行ったあのワールドトレードセンタービルじゃない、とそう思えて仕方が無かった。そう思いたかった。自由の女神はワールドトレードセンタービルから見た。間近で見たかったのだけど、他にも沢山見たい所があったので時間的に余裕が無く、それは断念した。でも、それで良かった気がする。ワールドトレードセンタービルからの自由の女神。それが私の中の自由の女神だ。ワールドトレードセンタービルからウォールストリート周辺を歩くと、私はある建物に目が釘付けになり、足が自然とそっちに向いた。ナオコさんが「あ、あそこはトリニティ教会」と教えてくれた。そこだけ時代が止まっている。教会を取り囲んでそびえ立つビル群は、世界の流れを最先端で作り出しているというのに、その教会だけはひっそりと、でもマイペースに自分だけの時を刻み続けているようだ。お昼ご飯代わりにホットドッグを食べながら、私たちはずっと歩き回っていた。私は観光名所よりも、ただマンハッタンの日常を見ていたかった。ナオコさんもきっと私と似たようなところがある人だと思う。どうする?と聞かずに自然と一緒にそうしてくれた。夕方近くになり、ナオコさんが言った。「さて、やっぱりマンハッタンの夜景はあそこからでしょ」地下鉄に乗ってミッドタウンへ。地上に出ると、もうすでに周りは薄暗かった。エンパイアステートビルディングの展望台に上がると、そこはものすごい寒さで、私たちは鼻を真っ赤にしながら夕景から夜景に変わって行くマンハッタンを眺めていた。悲しくて泣くことは必死で我慢する私だけど、感動するともう歯止めが利かない。後から後から涙がこぼれてきて、ナオコさんが笑いながらティッシュを差し出す。日本を出てから、私は本当によく泣く。晩ごはんはナオコさんがご馳走してくれた。マンハッタンに来たらいつもここ、と教えてくれた、韓国風焼肉屋さん。「明日は一人で大丈夫?」こんなに美味しそうに食べるナオコさんは初めて見るかもしれないな、と思いつつ、私は「先生が良かったから大丈夫」と答えた。さぁ、明日はどこから始めようか。(続く)
March 28, 2005
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今日は我が家の春休み唯一の予定が入っていたため、仕事は休み。日曜日にお仕事って、家族揃ってお出掛けするのが大好きな我が家にとってはちょっと辛いこと。でも、良い事もあるんですよ。パパと娘の触れ合い、というんでしょうか。近頃彼らは良い感じ。土曜の夜に、「明日はどこ行く?」なんて二人で相談しているところを見ると、少しヤケます(笑)でも今日はみんなでお出掛け。行き先は温泉ランドにプールが付いた、大阪ではわりと有名な所です。温水プールって大抵は水が冷たく、寒い思いをすることが多いと思っていたら、ここは本当に温水で、プールというより大きなお風呂状態。私とダンナ様はすぐにのぼせてしまいました。でも、子供は大好きですよね、プール。流れるプールで一人クルクル回っていました。で、私とダンナ様が二人で座り込んでいると、何周目かに上がってきて、「今な、あの緑のパンツ履いたお兄ちゃんに『何年生?』て聞かれた」と言うのです。「え?どのお兄ちゃん?」娘が指差した方を見ると、緑の海パンを履いた、多分小学校5、6年生くらいの年頃の男の子がいました。「うそっ!」軽い感じじゃなく、本当にごくごく普通の男の子。「どういうつもりで聞いたんかな?」とダンナ様。「決まってるやん、そんなん」と私。「やったやん!初ナンパ!」「なんぱ?って何?」娘は不思議そうに聞きます。「ナンパちゃうわい!」何故か機嫌が悪い父親。そうかそうか、なかなかやるやん、娘よ!こりゃあ楽しみになってきた( ̄ー ̄)
March 27, 2005
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私からスーツケースを奪い取っていった男は、それを黄色の車のトランクに乱暴に放り込み、私たちを手招きしていた。「あー、やられた」とナオコさんが苦笑いした。「値段聞いてから乗ろうと思ったんだけど、先に荷物乗せられちゃったらしょうがないね」まだ凍りついたままの私の背中を押しながらナオコさんは言った。これがイエローキャブか…。緊張が一気に高まり、私は気を引き締めた。さっきまで「一人旅」を内心喜んでいたのに、「出来れば、ナオコさんも一緒にホテルに泊まってくれませんか…」という言葉が、もう喉元まで出かかっていた。泣きそうになりながら、でも初めてのニューヨークを見逃すまい、と必死で窓の外を見つめていると、どんどん風景が色を変えていく。はじめはギラギラして安っぽい玩具のような赤や黄色だったのに、だんだん落ち着いた琥珀色のような街並みになっていた。「ホテルはアッパーイーストと言って、高級住宅街にあるから安心だって叔母が言ってたわ。その分値段は高くなるけど、女の子一人で泊まるんだからその方が良いでしょ、って」その通り!ありがとうございます、叔母様!イエローキャブは落ち着いた雰囲気の小さなホテルの前で泊まった。お金を払うと、運転手はまた乱暴にトランクからスーツケースを取り出し、少しニコッとしてすぐに走り去っていった。HOTEL WALES感じの良い男性が一人、フロントに立っていて私たちを迎えてくれた。ロビーにいるのは殆どアメリカ人のビジネスマン。みんな仕立ての良さそうなスーツに身を包んで格好良い。私のようなカジュアルな服を着た旅行客は一人も居なかった。チェックインを済ませて部屋に入る。ナオコさんは「うん、まぁ、こんなもんかな」と言ってたけど、私はものすごく気に入った。マンハッタンのアパートメントという感じで高級ホテルのような豪華さは無いが、そのシンプルさがすごく良い。ワクワクが、また戻ってきた。ホテルの1ブロック南にあるコンビニのようなお店で明日の朝食を買い、そのままホテルの前でナオコさんを見送った。「じゃ、明日また迎えに来るね」そう言ってナオコさんはバスに乗り込んでいった。表情が、少しだけど明るくなったかな。ガラス越しのナオコさんに手を振りながら、私は思った。(続く)
March 26, 2005
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ボストンのサウスステーション駅でニューヨークまでのチケットを買い、私とナオコさんはコーヒーを飲みながら電車が来るのを待っていた。「課題、大丈夫ですか?」「うん、大丈夫。まだ残っているけど、向こうに持っていくから。私は叔母の家に泊めてもらって昼間は課題、頑張るわ。だから、またほとんど一人で観光してもらう事になるけど、ごめんね。」「とんでもない!こちらこそ、全部手配してもらってすみません」ニューヨークにはナオコさんの叔母さんがいて、その人が私のために今回のニューヨーク滞在のホテルから、帰りの飛行機の手配まで全部してくれた。ナオコさんには悪いけど、実はニューヨーク一人旅、を今回の旅の集大成にしようと思っていた私は、ナオコさんとの二人旅になる、と思って少しがっかりしていたので、ホテル宿泊も、歩き回るのも一人で出来る、と知ってワクワクしていた。アムトラックの一番安いコーチ席に私とナオコさんは向かい合わせに座ってナオコさんの叔母さんの話をした。ワールド・トレードセンタービルで働く彼女は独身。多分今までに色々あったんだろうけど、とにかくものすごく素敵な人で、ナオコさんの憧れの人だという。会えるのが楽しみだ。そうこうしているうちにナオコさんはすぐに眠り始めたが、私は窓の外の景色を見るのが大好きなので、飽きずにずーっと見ていた。途中海が見え、その海の見える街で日常生活を送っている人々の姿が見える度に「今、ここで電車を降りたい」という衝動に駆られる。もしそれが出来たら、もしかしたらそこに私の居場所があって、そこに私の別の人生があるかもしれない。そんな事を考えるのが私はとても好きだ。外が暗くなって、アムトラックはマンハッタンのペンシルバニア駅に到着した。降りた途端、そこは夕方のラッシュアワーでごった返していた。バンクーバーもボストンも、とてもゆったりと時間が流れていたので、マンハッタンの人々の早送りのような足の動きに付いて行けず、おまけにバカでかいスーツケースをのろのろと引きずり、私は人の流れをせき止めていた。何とかかんとか外に出ると、そこはテレビでいつか観た、あのニューヨークだった。お上りさんのように首を90度に曲げ、上を見上げる私に、ナオコさんは「そんな荷物を持ってる人、ここら辺じゃあまり居ないから気を付けて。バスで行きたいとこだけど、スーツケースじゃキツイからタクシーね」と言い、私の腕を引いた。と、その時!誰かが私のスーツケースをひったくるように持っていった!ガラガラガラ!「あ!それ!ちょっと待って!」サーッと血の気が引いた。(続く)
March 25, 2005
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ナオコさんはとても細い。身体はもちろん、精神的にも。抱えきれなくなってたんだろうな。一人では。だからナオコさんの生活に、過去も、これからも決して踏み込んで来ることの無い私を選んで、これでもか、というくらい吐き出せるんだろう。カナダですっかり迷いが無くなった私は、なんだか母親のような気持ちで、うんうん、とただ静かにナオコさんの言葉を聞いていた。何も口出しせず、いつまでもいつまでも聞いていた。相変わらず暗い表情で笑うナオコさんは、色々と気を遣ってくれ、ボストンを案内してくれた。もちろんバークリー音楽院にも連れて行ってくれたが、私はいつナオコさんの元彼とその彼女に会うか、と心配で気が気じゃなかった。だから、案内は今日一日だけで、あとは自分一人でまわるから、山積みの課題を片付けて下さい、とお願いした。ハーバード大学にも行ってみた。歴史の重さがぎゅうぎゅうに詰まっているようで、何だか近寄り難かったのを覚えている。それより、私が一番気に入ったのが、チンチン電車のようなグリーンラインと呼ばれる電車に乗って、その窓からの景色が流れていくのを見ること。私の大好きな映画、「グッド・ウィル・ハンティング」はボストンが舞台。マット・デイモンが電車に乗って窓の外の景色を見ているシーンがあったが、初めてそのシーンを観た時、気が付いたら泣いてたっけ。殆ど何も食べず、コーヒーしか飲まないナオコさんのために、私は毎日一人観光の帰りにスーパーで色んな食べ物を買って帰っては無理やり食べさせ、そして、ベッドでまた話を聞き続けた。そうして一週間が過ぎた頃、ナオコさんが私に言った。「○○ちゃんのおかげで課題が随分片付いたから、○○ちゃんと一緒にニューヨークに行こうと思ってるんだけど」そう、私の最終目的地はニューヨークだった。(カナダ滞在記 - 6~ マンハッタン(1) ~ に続く…長っ!)
March 24, 2005
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ナオコさんの部屋は本当に小さくて、そこにキーボード、ベッド代わりのダブルのマットレス。それしか置いてなかった。ナオコさんはすまなさそうに、「お布団これしかないから、一緒に寝てもらわないといけないんだけど、イイかな?」と言った。部屋の壁に、一枚の写真が貼り付けてあって、ナオコさんが学校の課題を仕上げている時に何気なく見ると、そこには仲良さそうに笑う男女がいた。女の人はナオコさん。男の人は…誰?でも、写真のナオコさんはとても幸せそうで、今私の横に居るナオコさんとは別人のようだ。私が写真を見ているのに気付いたナオコさんは、静かに話し始めた。「それね、彼だった人。ちょっと前まで」「あ、そうなんですか」ちょっと慌てた。「振られちゃって。ていうか、とられた、かな。若い日本人の子に」言葉が出ない。「それで、先生(うちの父のこと)から○○ちゃん(私)の事で電話いただいた時も、本当はひどい精神状態で、正直お断りしようかな、と思ったの。でもね、先生の声聞いて、ジャズで頑張れって言って下さって、で、○○ちゃんにも来てもらおう、って思ってね」「ごめんなさい、そんな時にお邪魔してしまって…」「ううん、気にしないでね。おかげで、やっと課題にも手を出せたんだから」夜、同じ布団でナオコさんと並んで眠る時、ナオコさんはまた独り言のように話をしてくれた。「一緒に住んでたの。ここに。でも、今は新しい彼女のところに居るわ。彼も新しい彼女もバークリーの学生だから、どうしても学校で会っちゃうんだよね。それがつらくて…」狭い部屋なのに、何となくガランとしているように感じたのはそのせいだったのか。剥がせなくてそのままになっている写真。語り続けるナオコさん。これは、かなり、やばいぞ。(続く…長くなるかも…)
March 23, 2005
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カナダに滞在して半年近くたった頃、私は持ってきたお金の残額と相談し、バンクーバーでの滞在を延ばすか、それとも有り金はたいてアメリカ旅行してから帰るかすごく悩んだ末、せっかくだからアメリカを見てから帰ろう、と決めた。ローズマリーは私のその決心を聞いてひどく残念がってくれ、実は留学生の受け入れはあなたで最後にしようと思っている、と話し、最後はあなたで良かった、と泣きながら抱きしめてくれた。アメリカ行きを電話で両親に話すと、父はボストンにいる知り合いを紹介してくれ、ホテル代も心もとない私のために、しばらくその知り合いの家に置いてもらえるように頼んでやる、と言ってくれた。その知り合いは父のアマチュアジャズバンドのピアノ奏者だった女性で、ボストンのバークリー音楽院に留学しているとのこと。バークリー音楽院を見学したい!ハーバードも行ってみよう!ついさっきまでカナダを離れる寂しさで一杯だったくせに、一瞬のうちに心はもうボストンに飛んでいた。最後の日、ローズマリーに空港まで送ってもらい、「絶対にまた帰ってくるから」と約束し、だから涙は無しでサヨナラした。きっとまた帰ってくる。帰ってくるんだ、バンクーバーに。モントリオール経由で飛行機はボストンに到着した。空港まで、ナオコさんは迎えに来てくれていた。ナオコさんとは何度か会った事があったので、私たちはすぐに親しく話すことが出来た。ナオコさんの家までは電車で行く。駅の名前は忘れたけど、とても緑豊かな駅の近くに、ナオコさんのアパートメントはあった。そのアパートメントの一室をナオコさんとアメリカ人の若い女の子と、年齢不詳のアメリカ人(だと思う)の男性の3人でシェアしていた。日本にいた時のナオコさんを知る私は、実は空港で再会したナオコさんを見て、アレッ?と思ったことがあった。痩せている、と言うより、やつれている。にこやかに笑っているのに、どこか物寂しい。影がある。何かあるのかも、と少し思った。(長くなるので続く)
March 22, 2005
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私の担当は親族控室なんだけど、今日は人が足らないらしく、披露宴の料理出しをして下さい、と言われた。が~~~~~~ん!りょ、料理出しって、あの「本日のメインは国産牛ロースのソテー、赤ワインソースでございます」とかいうやつ!?前菜から始まってスープ、サラダ、お魚料理…全部になが~い名前が付いている、それを全部覚えて説明をしないといけない、あれ!?でけへん、でけへん!ぜぇ~ったい無理!と泣きそうになったが、「○○さんなら大丈夫!頑張って下さいね」と言われたら、笑顔で「はい!」と答えてしまう私のバカ!親族控室担当で入ったので、それは困ります。とは、絶対に言えない。だって、今日人が足りないの、知ってるんだもん。他の人がサボってるのにその仕事を押し付けられるんなら文句も言えるけど、この状況は仕方ない。やるしかない。私が今日初めてこの仕事をする、と知った 他のメンバーは私よりももっと不安げだ。「この人、大丈夫なん?」て感じ。で、みんなとっても親切にシャンパンのつぎ方からパンのサーブの方法まで教えてくれる。でも、もう本番まで後何分もないのだ。常にレディーファースト。椅子を引くときと熱い料理を出すときのみ手袋をはめる。シャンパンは静かに注ぎ入れ、入れすぎないこと。入れ過ぎるとグラスからシュワ~ッとふきこぼれてしまう。蓋の付いたお料理はお出ししたらすぐに蓋を取って横に立て掛ける。灰皿は吸い殻が2本になったらお取り換え。お客様の両側からサービスしてはいけない。…etc.えーと、それと、それと…。いかん!まだあったと思うけど、思い出せない!と思っているうちに、お客様が入ってきた!あ~~~!もうええわ!やれるだけやってみよう!とにかく、スマイル、スマイル!お料理紹介は、とりあえず一番の笑顔で、「むにゃむにゃのステーキ、ごにょごにょ風ひそひそ添えでございます」料理の名前は早口でやり過ごし、「お皿が熱くなっておりますので、お気をつけ下さいませ」をものすごく丁寧に言う。「え、これなんですか?」と聞かれたら最後だ。私の担当テーブルのお客様、ごめんなさい!でも、パンのサーブは自分でもうまく出来たのが嬉しくて、これでもか!というくらいお代わりしてもらったから、それで許して下さい。
March 21, 2005
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悩みというほどのこともないんだけど、始めたばかりの仕事先で、とっても疑問に思う事がある。私の職場は結婚式場。親族控室の担当で、ほとんど一人で切り盛りする。私以外の従業員はほとんど大学生なので、歳のかけ離れた私が一匹狼で働けるこの仕事は気が楽だ。しかし、最近ちょこちょこと違う部署の応援にまわされる。今日もガーデンパーティーの際のドリンクサービスのお手伝いをした。慣れないので、色々と教えてもらわないと段取りも分からない。で、もちろん聞く。私の子供、と言えなくもないくらい歳の離れた同僚に。「あ、テキトーでいいっすよ、テキトーで」いや、テキトーじゃなくってさ…。オバサンにはみんな冷たいのだ。仕方が無いので私流にやる。そして、ふと、まわりの同僚を見た。ニコニコしながらドリンクを配っているのは…私だけ?なんで?なんで笑顔じゃないの?まだこの仕事をし始めて日も浅いけど、でも本当に不思議な気持ちになる。会社で事務をしているんじゃなく、この仕事は接客業だ。それも、一生に一度の結婚式。コーヒーショップじゃないんだからさぁ~。精一杯やろうよ、君達。パーティーの後、私以外の同僚達が、キャアキャア言いながらじゃれあって後片付けしていた。「私、今日一杯お仕事して偉かった?偉かった?」「よしよし、よう頑張った、褒めてあげよう!」「わーい!サンキュっ!」ここで初めてニコニコしながら楽しくお仕事をする彼ら。その笑顔、出すとこ違うんちゃう?
March 20, 2005
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うちの父は変だ。(昨日も書いた)でも、実物を見ないで彼の今までの人生を語ると、大抵みんな「かっこいい」なんて言ってくれる。実物を見ないで、だけど。父は大学在学中、軽音楽部に所属し、アルトサックスを吹いていた。ジャズにのめり込み、大学に行かずジャズばっかりやっていた父は、キャバレーやダンスホールなどでアルバイトをするようになり、やがて当時関西では人気ナンバーワンのオーケストラから誘われ、プロとしてデビューする。ジャズ誌の老舗「スゥイングジャーナル」に写真付きで紹介されたことがある、というのが父の昔からの自慢だが、実は家族の誰もそれを見たことが無い。これは怪しい。ただ、私がまだ本当に小さい頃、父がテレビに出ていた事だけは覚えている。いや、出ているというよりは、歌っている歌手の後ろで、運が良ければちょこっとだけ見える、という感じだけど。それと、ものすごく狭い家なのに、売れない芸人さんを度々連れてきて徹夜でマージャンするものだから、ガラス戸を隔てた隣に寝ていた私たち兄妹は、いつも眠れずに大人の会話を聞いていた。今考えると子供にとっては劣悪な環境だったが、それなりに楽しかった。ただ、やっぱり人間は愚かで、ジャズマンとしてそこそこ有名になったり、そこそこ小金持ちになったりして、もっともっと、と欲が出て、父は商売に手を出した。でも結局父はジャズマンにはなれたけど、商売人にはなれず、商売はことごとく失敗し、後には借金と、音楽しか残らなかった。今考えると、母がそんな父とうまくいかないのは当たり前だ。だって、母はジャズマンの父に恋をして結婚したんだから。だから、商売に向いてない自分に気付かず、ワンマンに事を進める父が理解できなかったんだと思う。商売には向いていない、と父がやっと気付いたのは最近だ。でも、父は本当に運がいい。音楽は彼を見放さなかった。もうすっかり老人の父でも、プロ時代の顔がまだ効くらしく、ミュージシャン仲間を何人か集めて、また細々と音楽の仕事をしている。売れない歌手のステージのバックバンド。肺活量が少なくなった父は、一応バンマス(バンドマスター)だ。急ごしらえのオーケストラの前に立って、彼流で指揮棒を振っている。それを見て、「哀れなやつ」と思う人は多いだろう。でも、私は心から、父に音楽があってよかった、と思う。商売に失敗して、一時はノイローゼのようになった父が、今こうして元気でいられるのは、紛れもなく音楽のおかげだ。父が商売を始めた時、どうしてもジャズを続けたい、と地元で結成したアマチュアのジャズオーケストラが、今でも年に何度か市民ホールなどでコンサートを行なっている。そこではまだ父は現役だ。顔を真っ赤にしながらアルトサックスを操っている。そんな父の事を娘は「音楽の大先生」と言う。そして、私がたまに夕飯を作りながら「Take the A train」を無意識に口ずさむと、「あ、それおじいちゃんの曲」と喜んで、一緒に口ずさんでいる。父のオーケストラがいつもコンサートの一番最後に演奏する曲だ。
March 18, 2005
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うちの父は変だ。例えば、お昼から焼肉を食べに行き、調子に乗って食べ過ぎた時、家に帰ってきてすぐ母に、「おい!病院行ってくるから保険証!」と怒鳴っている。「え、調子悪いの?」と聞くと、「食べ過ぎた。きっと腹痛くなるから今のうちに病院行っておく」いつもこの調子だ。ものすごく怖がり。身体の痛みに対してはどうにもこうにも我慢できない性質らしい。まだ私が小さい時、そんな父が入院した。そりゃあもう大騒ぎ!ただでさえ声が大きく、よく通るのに、「痛い~!」だの「助けて~」だの騒ぎまくり、これは尋常じゃないと思って救急車を呼んだら、今度は救急車の中で大暴れ!どんな重い病気だろう、と思ったら急性盲腸だった。もちろんすぐに手術、入院。しかし、術後の彼はもっとすごかった。10分置きか、という位の頻度で鳴らすナースコール。「痛くてたまらんから何とかして下さい!」「いや、でもさっき痛み止めを飲んだばかりですから、まだ薬が効いてないんだと思いますよ。もう少し我慢していて下さいね」はじめは優しくなだめてくれていた看護婦さん達も、半日もしないうちに顔に出して迷惑がるようになった。当たり前だ。そんな父の横で、母は毎日頭を下げてばかりだったそうだ。「ナースコール鳴らしたのに何で看護婦はけーへんねん!」母が「本当に用事があったら私がお知らせします」と看護婦さんに言った、と知らない父は、ひたすらボタンを押し続けてかんしゃくを起こしていたらしい。術後は痛いのも当たり前だから、まぁこういう人もいるかもしれない。でも、父は1週間入院して、その間毎日同じ頻度で看護婦さんを呼び続け、ついには退院の日、あと30分でタクシーが来るよ、というその時にまで「痛いから痛み止めを」と言っていたらしい。誰も聞いちゃくれなかったそうだが。そんな父にいつも私は意地悪をする。「なんか最近咳出るわ」と父が言うと、「えっ…それって、何日も続いてる?痰も出るん?ちょっと顔赤いんちゃう?微熱あるわ~。あ~、やばいで、それは」父の顔がたちまち不安の色で一杯になる。「診察券出して」病院にご迷惑だから、こういう遊びはもうやめよう。
March 17, 2005
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実家の父と母は、私にとって反面教師です。父と母のような夫婦にならないように、と思って今までやってきました。父はワンマンな人なので、母は言いたい事をいつも我慢して、胸にためて、ただただ忍耐で生きてきました。でも、「お父さんはこんな人やから」と割り切れるような奥さんじゃなかったのが母にとっても父にとっても悲劇でした。母はものすごく根に持つタイプで、こういう人は言いたい事を我慢しても、必ずいつかは爆発してしまいます。その爆発の時、聞き役になって味方になってきたのが娘の私。「お母さんにこんな思いをさせて、お父さんってひどい!」と、母の前では父をけなし、でも実は私は父の事をわりと慕っていました。だって、やっぱり自分の父親ですから。父だけが悪いんじゃない。そりゃあワンマンな父のこと。母がどれだけ苦労したかも分かる。子育てにも全く協力してくれなかった。まるで他人の子の様だった。実家の商売でも母はただの労働力で、発言は許されない。あんな非情な人はいない、と母は言う。だけど、そんな父に対して身体ごと、真剣に自分の気持ちを母は言わなかった。真剣にぶつかれば、分かってくれないんならもうあなたとは一緒にいられない、と言えば、その思いは父にも伝わったんじゃないか、ある程度は父も変われたんじゃないだろうか。たとえ変われなくても、少なくとも母の気持ちを知ることは出来ただろうに。何も知らされないまま歳をとって、人間が丸くなってやっと残りの人生を母と共に静かに過ごしたい、と思うようになった父に、小さくなった父に、今になって母は過去のことを話し始め、責め始めたんです。でも、その行為はもう父への愛情や期待では無く、ただ自分の積もり積もった怒りや悲しみを相手にぶつけて自分を救おうとする目的だけの様に見えました。そんな母に、父はただ困惑するばかりです。母は、「あんた達がいたから別れる訳にはいかないし、今まで我慢してきた」と言います。そんな母はもちろん可哀想ですが、父も可哀想。でも、それを聞かされる子供の方が、もっと可哀想じゃないの?私は両親を反面教師にして、自分は絶対に母のようにはなりたくない、と心に誓って今のダンナ様と結婚しました。だから、私はダンナ様にはどんな小さな心のつまずきも、必ず伝えます。「今私、ちょっと傷ついたねん、だってな……」と説明します。結婚前に、ダンナ様にも私の両親の事を全部話し、私の気持ちも話しました。だからダンナ様はどんなに疲れてイライラしている時でもちゃんと聞いてくれます。で、必ず「ごめん」と謝ってくれます。だから私も素直になれるんです。この人で良かった、と思います、本当に。だから娘にもパパの悪口なんて絶対に言いません。今までも、今日からも絶対に。でも、京都行き子連れDE家出(3/11)のことは許してね。(笑)あれも私の大きな意思表示だったんです。仲の良い夫婦のもとで育った子供は幸せになれる、と信じたい。でも、仲の悪い夫婦のもとで育った子供も幸せになりたい!なので、自分の家族と日々真剣勝負です。で、今のとこ、イケてるみたい。ダンナ様と娘に感謝!です。
March 16, 2005
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私には、短大時代からの親友がいます。彼女はものすごく美人で、ゴージャスで、フェロモンのかたまりで、でも性格は良い、という珍しいやつで、(だから親友になれたわけだけど)当然ものすごい数の男達が彼女に言い寄るわけで、女性が一番チヤホヤされるお年頃にいつも彼女の隣にいた私はどれほど情けない思いをしたことでしょう。神様は本当に不公平で、私がカナダに短期留学した次の年、彼女もオーストラリアにワーキングホリデービザを利用して行ったんですが、働きだした途端に日本人の上司に見初められ、何年かお付き合いをした後、結婚することになりました。私はその時もう結婚していましたが、理解あるダンナ様のおかげで結婚式に出席するために一人でオーストラリアに行きました。(イエ~イ!)ウェディングドレス姿の彼女の美しいこと!現地の人達も絶賛の彼女は、彼と抱き合いながら、オペラハウスをバックに美しく写真におさまっていました。出来すぎてる!何もかも!出来過ぎはこれだけではなく、彼女とダンナ様はシドニーの閑静な住宅街にドデカイ家を購入していて、私も滞在中にその家に泊まったんですが、そりゃあもう、テレビでよく見る海外の豪邸そのもの!ジャグジーなんて付いちゃったりしてました。(私も使わせてもらったけど、何だか居心地悪かった…)おまけにおまけに彼女のダンナ様はグリーンカードを持っていて、これで晴れて彼女もオーストラリアに永住できるわけで、カナダに行った後でものすごく海外に永住したい!モードの私は「ええなぁ~、ええなぁ~、私を養子にしてくれへん?」と本気で頼んでしまいました。笑われましたけど。そして、現在の彼女。何年かの結婚生活の後、ダンナ様に愛想を尽かし、離婚して日本に帰ってきたんです。でも、シドニーの家は彼女名義だし、せっかくグリーンカードもあるんだから、また何年かしたらシドニーに戻る、と帰国後彼女は言っていました。そして語学力を活かしてバリバリのキャリアウーマン(死語!)となり、ものすごく多忙でカッコイイ日々を過ごしていた彼女。それが…。2年前の春、なんとうちのダンナ様の友達と互いに一目惚れで即同棲、グリーンカードはもう要らない(泣!)と、グリーンカードを維持するために必要な帰国をせず(泣!)、大工で地元から一歩も出たことない、というようなベタベタの彼と今とても幸せな生活を送っています。まぁ、彼女が幸せなら、私はそれで良いんだけどね。(なげやり)あ、そうそう。今彼女と彼が住んでる所、海が見える新築高層マンション最上階のひろ~い部屋。これ、高給取りの彼女が買ったんです。やっぱり出来過ぎてる!しかし…グリーンカード、もったいないよぉ~!!(号泣)シドニーの家、どうすんねん!
March 15, 2005
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今日、娘が歯を抜きました。娘は歯の噛み合わせが悪いので、矯正歯科に通い始めてもう1年以上になります。今回は乳歯がなかなか抜けてくれず、下の永久歯が変なところから生えてきそうなので虫歯でもないんですが、乳歯を抜いてしまおう、という事でした。こういう抜歯は前にも2、3本経験していて、元気な歯を抜くとすごく痛いらしく、前回、先生の抜歯の説明を聞いていた娘はもうすでにブルーモードでした。でも、そういえば娘は病院では泣きません。本当に小さい赤ちゃんの時の予防接種の時、針が刺さったその瞬間だけふえ~ん、と小さく泣く、という感じです。入院も何度かしてるんですが、小学校1年の時の入院では、点滴の針を刺す時、娘が「私、腕よりも手の甲にするのが好きやからここにして下さい」と、手の甲を指差した事があります。看護婦さんは「手の甲の方が痛いのに、ええの?」と驚いていましたが、「うん、こっちの方が慣れてるから」と答えた娘。看護婦さんに「すみません、すみません」と謝りながら、「あんたは何モンやねん」と思った私でした。本当に、病院では泣かないんです。それ以外では泣き虫で通っているのに。得手、不得手、みたいなもんでしょうか。体の痛みには強いんだけど、心の痛みにはものすごく弱いみたいで。反対の方が、生きていくには楽だろうになぁ~。
March 14, 2005
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今日、久しぶりに友人とミナミで会いました。元会社の同僚で、私はその会社に2年しか居なかったのですが、ものすごく気が合って、それ以来の友人です。彼女とは家が遠いのでなかなか会えず、時々電話で話したりするんですが、最近、彼女は娘さんのことでひどく落ち込んでいるようで、「電話では言われへん、こんな事…」というので、私はとても心配になり、今日会うことにしたんです。彼女の悩みとは…彼女の小6の娘さんが、いじめをした、ということでした。いじめられた、んじゃないか、と思っていた私は驚きました。でも、話を聞いていくと、娘さんははやりたくなかったんだけど、女子のボス的存在の子から命令されてやったらしいんです。「情けない!」と嘆く友人。「私が甘やかしすぎたんかな」「育て方間違ったんかな」ともうものすごい悲しみようで、私には掛けてあげる言葉もありませんでした。そこで私が感じたこと。ボス的存在の子は本当に怖い存在らしく、娘さんのクラス以外でも相当影響力があるそうです。もし彼女の娘さんが「いやだ」と言ったら、次の標的が娘さんになる可能性もあるんです。もし自分の娘が同じような状況に立たされたら、私は娘にきっぱり断りなさい!と言えるだろうか…。本当はこんな事考えるのは間違っています。もし自分の子がいじめにあっていたら、私のこの日記を読んだらどれほどの怒りを覚えるか分かりません。でも、でも、ごめんなさい。答えが出ないんです。母親として、ハッキリと答えてあげられないんです。帰ってからもずっと考えています。答えは…まだ出ません。
March 12, 2005
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したことあるんです、私。あれはまだ娘が1歳半の時でした。理由は…今となっては笑い話なんですが、当時はもう本当に切実で。ま、ダンナ様が全面的に悪い、のは事実。この話題になると、いまだにダンナ様は「そうや!おれが悪い!」と変に開き直っていますが。とにかく、家出です。でも、「実家に帰らせていただきますっ!」じゃあまりにも芸が無さ過ぎ。ダンナ様が迎えに来て、うちの両親が「まぁまぁ今日のところは」なんてなだめて~ていうお決まりのコースでしょ。そんなこと、私はしません。両親にも絶対に言うもんか。で、口の堅い妹の住む京都に行くことにしました。でももちろん妹宅には行きません。だってそれもバレバレのコースだし。で、私はホテルを予約しました。何でこんなとこでケチるかなぁ~なんて思いながら、出来るだけ安い所を探す自分が情けなかったんですが、A型ベビーカーを押していくことを考えて、駅からすぐの四条河原町のホテルにしました。しかし、赤ちゃん連れの家出は大変だ。荷物がハンパじゃない!おむつはもちろん、これが無きゃ寝られない、ってものあるでしょ?この大きな荷物かかえて、そのうえA型ベビーカーを押すのか…。挫けそうになる気持ちを何とか押さえて、「しばらく帰りません」と置き手紙をして、家を後にしました。確か11月頃だったと思うんです。京阪特急を降りて四条大橋を渡るときに、「さむぅ~、もう冬やなぁ~」と感じたのを覚えています。結局、ホテルはすごく古くて怖くて、おまけにフロントの人からはものすごく不審な目で見られたりしてすっかり滅入ってしまった私に追い打ちをかけるように、それまですごく元気だった娘が、その夜中急に熱を出し、持ってきた薬を飲ませたりして一晩中寝られなくて、次の朝妹が来てくれた時にはもうヘトヘトでした。「この子、お姉ちゃんの精神状態、ようわかってるんやね」妹に言われて、すごく後悔しました。この子のことで家出したけど、この子には何の罪も無いもんなぁ~…。ホント、ごめんなさい…。娘には可哀想な事をしてしまいましたが、実家にも居ない、というのがダンナ様には相当不安だったらしく、ところ構わず電話して私の居場所を聞きまくって知らなくてもいい人にまで私の家出の事実は知れ渡り、その後みんなから責められまくり、予想以上の効果がありました。でも、ダンナ様はそれ以降、私の事を「何するか分からん怖いヤツ」と思っているようで…。
March 11, 2005
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先日の参観日の出来事。その日の参観は2時限あって、あいだに休み時間があり、私は他のお母さん達と適当に世間話をしながら次の授業が始まるのを待っていました。すると、娘のクラスのS君が鼻血を出して泣きながら廊下を歩いて来たんです。 S君のお母さんはお仕事らしく、その日は来られてませんでした。私は、「S君、どーしたん!」と言いながら、ティッシュを出しました。ティッシュで鼻をおさえながらS君は、いきなりT君にグーで顔面を殴られた、と泣きじゃくっています。「何にも悪い事してへんのに?」と聞くと、「うん」とS君。そんな時、廊下の向こうからT君が帰ってきました。「うわ、コイツまだ泣いてるぅ~」と笑いながら言うT君。教室に入っていこうとするT君に向かって私は言いました。「あんた、ちょっと待ち。」「S君泣いてんねんけど、あんた殴ったってホンマ?」T君はヘラヘラ笑っています。「S君に謝り」「え~っ」とT君。「謝り、言うてんねん。悪い事したら謝るの、当たり前やろ。自分が同じ事されたら嫌やろ」T君は笑うのをやめ、S君のことを見ていました。まわりのお母さんも私たち3人のことを見ていました。その時、職員室にいた担任の先生が「どうしました?」と走って来たので、今までのことを話して、後は先生にお任せしました。参観日だったので先生はとりあえず軽くT君を叱って、すぐに授業が始まりましたが、まだS君は泣いていました。T君は家庭に問題のある子らしく、母親から虐待を受けていたのを知った父親が、息子のために離婚して子供を連れて実家に帰ったそうです。実家には父親のお母さん、つまりT君のおばあちゃんが一人で住んでいたので、そのおばあちゃんがT君の母親代わりになるわけですが、おばあちゃんも仕事を持っていて、T君はいつも夜遅くまで独りぼっちだそうです。その参観日も、誰も見に来てませんでした。驚いたことに、T君の暴力に手を焼いていた前のクラスの担任教師が、T君が母親から虐待されていたことをクラスの他の子供に話し、「ね、T君は可哀相なんです。だから少し乱暴なところがあっても許してあげましょうね」と言ったそうで、それでT君の事情を皆が知ることになったらしいのです。おかしくないですか?その先生の言う事。どんな事情があろうと、悪い事は悪いんです。それを教えなくて、ただT君の環境に同情して腫れ物に触るような扱いをして、何が解決できるんでしょう。先生の対応はおかしすぎると思います。参観日から数日後、道でT君に会いました。「うぃーっす!」と私は言いました。「うぃっす」横を向いたまま、小さくT君は言ってくれました。「バイバイ」と娘が言い、「バイバイ」とT君も言いました。しばらくして、「そんなに悪い子じゃないよ」と娘が言いました。娘もT君に何度か叩かれたり蹴られたりしています。「うん、そうやろね」と、私も答えました。難しい…な、本当に。
March 10, 2005
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私が滞在していたリーチ家からバスですぐのところにジェリコビーチはありました。私がバンクーバーに滞在したのは秋から春にかけてだったので、人があまりいないそのビーチが私はすごく好きでした。風の強い日にはウィンドサーファーが何人か沖に出ていて、綺麗な色のセールが右に左に行き来するのをただボーッと眺めながら、ウォークマンから流れる音楽を聴いていました。もしカナダに来ていなければ、私は今頃何をしているだろう。そんな事をよく考えていました。いつもいつも他人の目ばかり気にして、誰にでも好かれるように、とそればかり考えてやってきました。結果、私への評価はそれなりに良いものでしたし、私自身もその評価に満足していたんです、学生時代は。でも、社会人になって大きな責任が自分に課せられるようになり、色んなものが見えてくるようになると、今まで通りの「いい子ちゃん」でいる事が大変になってきたんです。自分の許容範囲を超えているのに、それをこなそうとして必死でした。「それは出来ません」「それ、間違ってます」が言えなくて、もう本当にしんどくてしんどくて…。悩んで、あがいて5年経ちました。石橋を叩いても渡らない私。25になって、やっと、やっと、動き始めることが出来ました。とりあえず、誰も私の事を知らない、言葉も分からない所に行ってゆっくり考えてみよう。で、カナダです。言葉が上手く話せない、というのは私にとってすごく都合の良い事でした。とにかく、自分の気持ちを伝える事自体が難しいので、変に相手の気持ちを考えたり、飾ったりする余裕なんて無いんです。自分の要求をシンプルに伝える、相手の言葉をそのままの意味で受け取る、という行為が、私にとっては本当に新鮮でした。逆に自分の意見をハッキリ言わないと、ここではとても生活できない、というのが分かってからは、学校でもホームステイ先でもどんどん自分の思う事を、ストレートに話すようになりました。そうすると、かえってみんな心を開いてくれる、という現実に私は驚きました。ホントの自分でも、良かったんやん。やっと抜け出した、瞬間でした。
March 9, 2005
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今、音楽を聴きながら…いや違うな、歌いながら書いてます。曲は平井堅の「瞳をとじて」これ、歌自体ももちろん好きなんですが、私のストレス解消用の歌唱曲にハマってしまって(平井堅さん、すみません)最近、家の中でも、車の中でも、大声で歌っています。それも、平井堅さんが歌う時のように、片手を斜め上に刺すように動かしながら。(運転中は控えめに…って、危ないやん!)普段は娘が習ってるHIP HOPの先生から借りたCDを聴くことが多いんですが、そんなの歌えないし、第一ラップしてどうすんねんて感じだし、かといって踊ったりしたらダンナ様に取り押さえられそうだし。カラオケに行ったらほら、他の人の歌も聴かなきゃいけないでしょ。私は小心者なので、人が歌っている時に自分の曲をひたすら選ぶ、なんて出来ないんです。で、どんなにひどい歌でも手拍子します。手拍子にすら合わない歌にでもです。そうするといつまでたっても自分の曲を選べない。で、どんどん人の曲が予約されていって、意を決してやっと自分の曲を入れたと思ったら、お店の人から「お時間です」と連絡が入る。うぅ~ストレスたまる!だから行きません、カラオケには!娘とダンナ様からどんなに非難ごうごうでも、お米を研ぎながら、みそ汁を作りながら、エビフライを揚げながら(だから危ないって!)今日も私は歌います!♪ひぃ~とみぃ~をとぉ~じてぇ~♪
March 8, 2005
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私は中退の経験があります。いまだに実家の母はその事を持ちだして、「あんたはほんまにやりにくい子やったわぁ~」と言い、私は「繊細やねん」と返すんです。でも、その時の私は本当につらかった、保育園生活が。小さい時の記憶なんてそれほど多くはないと思うんですが、私の中で、あの時のことは本当にビックリするくらい鮮明で、とにかく母から突然引き離されて全然知らない環境に一人ぼっち、という恐怖感と、ものすごい偏食で少食の私にとっては拷問といえるような給食の事は、今でもハッキリと思い出せます。でも、入園してすぐによくいる、お母さんにしがみついて「帰る~!」と泣きわめくような子じゃありませんでした。誰と遊ぶわけでもなく、ただ待っているんです、終わる時間を。給食の時は全く食べられなくて、さすがに少し泣きましたけど、でも保母さんを困らせる、というようなことはありませんでした。でも、家に帰って夜になり、ベッドに入ると泣いてしまう。明日、また保育園に行かなきゃいけないのが悲しくて、つらくて。二段ベッドの上に寝ていた私は、いつもすぐ目の前にある天井のシミを見ながら泣いていました。そのシミはだんだん涙でモヤモヤになって、保育園にいるいじめっ子の男の子の顔になったり、嫌いなコッペパンになったりしてますます私を悲しくさせるんです。で、我慢できなくなって、とうとう声を出して泣いてしまう。母は最初、どの子にでもある事だと思って適当になだめていたそうですが、三日経っても一週間経っても、とうとう一ヶ月を過ぎても私の夜泣きはおさまらず、でも朝になったら反抗もせず保育園に入って行く娘を不憫に思ったのか、ある日、「明日から保育園には行かなくても良いよ」と言ってくれました。ものすごく嬉しかったのを覚えています。もちろん夜泣きもピタッと無くなりました。そんな私でしたから、もちろん小学校でも中学校でも結構しんどい思いをしました。でも、私は子供の時の記憶を出来るだけ忘れないようにしようと思っています。つらい時の気持ちを沢山沢山覚えていることで、娘がこれから出会う、色んなつらい出来事を、出来るだけ同じ気持ちで迎えてやりたい。時代が違うし、娘と私とは感じ方も違うだろうけど、でも、大人の考え方だけで物事を見ないようにしたい、と思っています。
March 7, 2005
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私の職場は結婚式場です。一生に一度のイベントですから、毎回色んな「ドラマ」に遭遇します。今日は、なかなか礼服に着替えようとしない花嫁の父を見ました。大事に大事に育て上げた娘を、どこの何奴ともわからん男に持っていかれる、という言いようのない悲しさ、寂しさに満ちた背中。それに引き換え、底抜けに明るい花嫁の母。次々に訪れる親族一人ひとりに声をかけ、ひゃあひゃあと明るく笑うその妻の横で、相変わらず花嫁の父は背中を丸めてポツンと座ったままです。「お父さん、いい加減に着替えて下さいよ!」「時間無いよっ!」妻の言葉に背中から急かされながら、ゆっくりと立ち上がるその姿を見ながら、私はほほ笑ましいような、でも気の毒なような、何とも言えない気持ちになりました。そういえば、私の結婚式の時も、父は真っ赤な目で、今にも鼻水が垂れそうになりながら私とバージンロードを歩いたっけ…。娘にデレデレのうちのダンナ様。大丈夫かぁ~!?
March 6, 2005
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ホストファミリーのLEACH家では毎朝クラシック音楽をBGMに朝食を食べます。ホストマザーのローズマリーはイギリス人で、彼女が20代の時にカナダに移住してきたそうです。なので、朝食もブリティッシュスタイル。マフィンやスコーンにジャム、コーヒーは全然飲まずに専ら紅茶です。食事の時には、どんなに簡単なものでも必ずランチョンマットをひき、優雅にいただきます。そして、素晴らしいクラシックミュージック♪正直、慣れるまで時間がかかりました。もともとダンス系のブラックミュージックが好きな私。朝からお上品にしないといけないような気分になって、ミルクティーが何度ノドにつかえたことか!それでも、毎朝ローズマリーから、「今朝のクラシック」の紹介をしてもらいながら、「良い曲ですねぇ~」なんてにこやかに、おしとやかにブリティッシュモーニングをいただいていたのでした。ある日、大学内にあるチケットぴあのようなところ(そんなのもあるんです)で、Princeという文字が目に入ってきました。どうやらバンクーバーでコンサートをするらしくて、チケット発売中!と書かれていました。そのチケット代の安いこと!日本では一万円近くするであろうPrinceのコンサートチケットが、何と半額!行くっきゃない!即買いでした。そして、コンサート当日。夕方からのコンサートだったので、その日の夕食は要りません、とローズマリーに伝えると、「どこかにお出掛け?」と聞かれ、「はい、コンサートに」と私。「まぁ!素敵!誰の(というか、どのオーケストラの?という感じ)?」「Prince」「Sorry?」「Prince」「……。」それ以上、彼女からのコメントは無しでした。嫌いなのかぁ~、だろうなぁ~。だって、あのエロおやじだもんなぁ~。言わなきゃよかったかも、と思いながら、コンサートに行きました。いや、もう、すごく良かった!何人もの良い女をはべらせて登場した時には、もう鳥肌モンでした!その夜はPrinceの紫色の夢を見ましたよ。ハァ~、素敵…。そして次の朝、私を起こしたのは、やっぱりクラシック音楽。「昨日のコンサートはどうだった?」なんて、ローズマリーは聞いてくれませんでした。ホント、嫌いなんだね~。(x_x)ゞでも、日本に帰ってから私、クラシックも聴くようになったんですよ。ジャンル問わず、 良い曲は良いという事がわかりました。でも、ローズマリーがPrinceを聞くことは絶対に無いと思いますけどね。(笑)
March 4, 2005
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まだ私がダンナ様と出会う前のことです。当時すごく好意を持っていた男性に誘われて、二人でスキーに行った事がありました。私の気持ちを彼も気付いていたと思うので、誘ってくれた、という事は彼も私の事を…?なんて、ひそかに期待に胸膨らませる私。付き合う前に二人でスキーなんて、とかなり悩みましたが、きっとこのスキー旅行で彼から告白してくれる、と思って行くことにしたんです。そして、嬉しくて嬉しくて親友達に話しまくってとうとう前日。持っていく物に迷い、服装に迷い、下着に…いや失礼!とにかく迷いに迷って、その上緊張のため、ほとんど一睡もせずに当日を迎えてしまったのです。現地へは電車で行きました。夜行列車は私達を乗せて、白銀の世界へと向かいます。寝台車じゃなかったので、彼と寄り添うように肩を寄せ合って眠りました。いや、私はそのシチュエーションにドキドキして、結局あまり眠れませんでした。現地に到着!超ビギナーの私に、スキー上級者の彼が、それこそ手取り足取り指導してくれ、「スキーは別にどうでも良いのよ~」と思いながらも、彼があまりに熱心に教えてくれるので、私も筋肉痛になるくらい頑張って練習しました。そして、そして、ついに運命の夜がやって来たのです。彼ったら、雰囲気を盛り上げるために、なんとBGM用のラジカセまで持ってきてくれている、という芸の細かさ!で、ワインなんて飲んだりして、二人のムードは最高潮に!「じゃ、そろそろ寝ようか」「うん…そうしようか」部屋の灯を消す彼。流れるBGM。……………。あれっ!?朝!?えっ!?なんで!?記憶が全く無い。電気を消してからの記憶が…。どうして…。彼の態度が昨日までとは全く違い、何となく怒っているような~。「疲れてたん?電気消した瞬間にイビキかいとったで」吐き捨てるように言う彼。ガ~~~~~~ン!マジかよ~!何度も起こそうとしたらしいんですが、蹴っても起きなさそうな勢いで爆睡してたらしいです、私。でも、でも、あんなにスキーさせるんだもん!その前の日も、前の前の日も、ほとんど寝てないんだもん!仕方ないじゃないかぁ~!(泣)…もちろん、彼との恋は成就しませんでした。
March 3, 2005
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少し前にテレビで放映されたんですが、飯島夏樹というプロウィンドサーファーの闘病の記録、観られた方はいらっしゃるでしょうか。私はダンナ様とともにもう長い事ずっとウィンドサーフィンを楽しんでいるので、もちろん昔から飯島夏樹というウィンドサーファーを知ってましたし、静岡県御前崎でのワールドカップも見に行ってましたから、実際に彼を見たこともあります。ウィンドサーフィンというスポーツ自体の人気が衰え、海に行ってもあまりウィンドサーファーを見掛けなくなりましたが、私達夫婦はウィンドサーフィンが大好きで、結婚しても子供ができても、ずっと続けたいと思っていました。でもここ何年かはなかなか時間が取れず、それに道具が大きくて持ち運びも不便なので、つい億劫になり、海に行けない夏が多くなりました。そんな時、彼のドキュメンタリー番組を観たんです。ガンと闘っている彼は、昔私達が御前崎で見つめた、あの頑強な肉体を持った彼とは別人のように痩せ衰えていました。でも、彼の目は光り輝いていて、優しくて、静かに笑っていました。大好きな海のそばで、愛する家族に囲まれて最後の時を迎えたい、という彼の気持ち。涙が止まりませんでした。飯島夏樹さんは日本時間の昨日、夕方に天国に逝かれました。心から、御冥福をお祈り申し上げます。天国の海でウィンドを思う存分楽しんでね。今年の夏は出来るだけ海に行こうと思っています。娘にもそろそろ教えてあげよう、ウィンドの楽しさを。
March 2, 2005
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幸運な事に、私は好みの顔の男性と結婚しました。とダンナ様に言うと、ものすごく嫌がられます。どうしてかなぁ~。ちなみに、私の好みの顔の有名人は…一番に出てくるのはサッカーの中村俊輔。もうあのヌボォ~ッとしたところがすごく良い!似てるんだよね、うちのダンナ様に。あと、ユースケ・サンタマリアに吉本新喜劇の石田靖君。(知ってる?)その二人とも共通点がすごくあるんですよね。あとは、ロバートの秋山竜次とぉ~…とここまで来たらいつも、「やめろぉ~!似てないっ!ぜぇ~ったい似てないっ!」と激怒されるんですが、良いじゃないの、奥さんが好きって言ってるんだから!で、ダンナ様の好みの顔はと言うと、「松嶋菜々子」ダンナ:「理想と現実は違うわけやね、やっぱり!」そうかなぁ~、いや、結構エエ線行ってるとおも…。何故か、ダンナ様が横で物凄く恐い顔してるので、これで失礼いたします、ハイ。(O.O;)
March 1, 2005
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