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良いところだとおもう。広くただ広く、空っぽであり、でも空虚でもなく、威圧的でもないいやなものは何もなかったお釈迦様 あなたが見つけてくれたから、この法は世に出ることができた。迦葉尊者 あなたがいてくれたから、この法は残ることができた。阿難尊者 あなたが覚えてくれていたから、この法は今につながることができた。
2013.03.31
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いろいろ調べてみて、自分なりに瞑想の観点からみて思うこと
2013.03.28
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あまのじゃく(天の邪鬼)について>思考が繁雑に起きる自分の場合は、そうでなくても常に色々な事を考えていました。マハシの歩行をし始めると、確認作業に忙しく考えるひまがなくなりましたよあれ!と気がつくと、なんというか心が静かになってきているんですよ足元からふつふつと、なにかくだらない思考が現れる感じてそれを一歩一歩今を確認することで踏みつぶしているって言うような感じです。それを突破されて思考に巻き込まれる事は多々ありますがそれをまた引き戻すこれこそが一番大切と言う事にきがつきました。思考が出ても良い、それを引き戻すのが一番大切であり思考さんありがとうと言う思いです。そうなってくると、だんだんと思考さんが出にくくなってきているのに気がつくんです。出てやろう出てやろうとしているのですが、出ると踏みつけられるとおもって出てこれなくなるような感じあたかもいじめっ子にいじめられてきた自分が、このいじめっ子をぶん殴る方法を見つけたので、こんどはいじめっ子が怖がって邪魔をできなくなると言うような感じ(これって四天王があまのじゃくを踏みつけている仏像を思い出しました。)
2013.03.27
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悟れないのを妨害しているのは自我(我がある)という存在
2013.03.25
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こういうことなんだろうと思える
2013.03.24
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大都会の歩道橋に立ったとき歩道橋の下を、ものすごい数の人々が次から次へと歩いていたそのとき あ、この人達は100年後は誰もいないのだ と気づいたこの歩道橋も、ビルも100年後も有るかもしれないが、しかし この人達は誰もいないのだとそうするとこの人々の姿はすべて消え、人のいない無人のビル群の姿が現れたそのときの心にながれた、無常の風を今でも忘れることはできない
2013.03.23
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自分では、物理の
2013.03.23
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おぉ、バヒヤよ、色を見るときはいつも、見ることだけがあるようにしなさい。 声を聞く時はいつも、聞くことだけがあるようにしなさい。 香を嗅ぐ時は、嗅ぐことだけがあるようにしなさい。 味を味わう時は、味わうことだけがあるようにしなさい。 身の感覚を経験する時は、感覚であるだけにしなさい。 思いが起こるときは、自然な現象 感覚 だけが心に起こるようにしなさい。 このようであれば、自己はなく 私 はありません。自己がなければ、あちこちさまようことはなく、どこに留まることもないのです。 そして、それが 苦の滅尽です。それが涅槃なのです。
2013.03.23
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病院での検査不安です。
2013.03.21
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こういうことなんだろうと思う。
2013.03.20
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彼の中国へ到着は普通元年(520年)、達磨は海を渡って中国へ布教に来る。9月21日(10月18日)、広州に上陸。このざっと100年前に法顕の仏国記がある法顕三蔵は、隆安3年(399年)に長安から求法の旅に出発し、タクラマカン砂漠を経てパミール高原を越え、パンジャブ地方よりガンジス川流域の仏跡を巡礼した。そこで、仏典の中でも戒律に関する原典を捜索した。その後、スリランカ(セイロン島)に渡り、海路から南洋地方を経由して山東地方の牢山に漂着するまでの旅行記が、本書である。帰着した時は、義熙9年(413年)のことであった。また達磨の時代からざっと100年後に玄奘三蔵(げんじょうさんぞう、602年 - 664年3月7日)が出てくる629年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像等を持って帰還。大唐西域記はその時の旅行記である。達磨がインドから中国に渡来したルートは、100年前の法顕のルートと全くおなじです。達磨が伝えた禅宗というものは、上座部の考え方と非常な関連性を感じるのです。両者とも瞑想作業が必要なのですが、いろいろ訳のわからない禅問答も上座部の考え方でみると、非常に納得いくように思えるのです。
2013.03.20
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こののどの痛みについて、?
2013.03.19
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立っているときはどうすれば良いのかただ単に立っていて、足に今立っていると言う状態を観ればとある。
2013.03.17
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我慢して
2013.03.17
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原始経典を見ていると、仏舎利というものにどれだけの意味があるのかという疑問が出てくるなとは思っています。しかし自分を含めて普通の人間にとって、手っ取り早く、寄るべき存在がほしいのだと思えるのです。どうも心の思い(苦しみの元)と言う輩は、幻想であり、どうも消せるらしいと思えるのですがどうもだれでもできるわけではないみたいだし信という信じるという事はだれもができる事だから、それを使って心のよりどころ安定を得る信仰というものの本質言うなれば、サマタ集中を使ってするのと同じ事だと思えるのです。止観、止はサマタであり、その力を使って観ができる。止めるができる人は、多数いるはず、その方向を観に変えるだけですぐにできる一番はじめに書いたように、観音菩薩信仰が現れるのは、お釈迦様が亡くなってから相当後から出てきます。信仰はある意味、止に通じる部分があると見える。しかし苦しみの元を消せると言う手は、こんな手があるとは消し切れはしないけど、この感情の嵐に巻き込まれたことは多々ありでも一つでも消せたという体験があれば苦なくば悟れず(苦しみがあるから、それが消せる事に気づき、それは悟りに通じる)また信なくば悟れず(またその信頼が出なければ、悟りには通じない)と書いていて、そう言っている私もこれも信(わたしの思い込み)かとも言えますが
2013.03.17
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なぜアショカ王は8つとも仏舎利を集めなかったのか残った一つ残ったものがその銘文から釈迦族のものであったというのはあまりにも当然というか、一つ残すなら、釈迦族の所持していたものにしたのはある意味当然というか、その心意気を感じるのです。同じ心意気をこの日本とタイの仏舎利の関係から思えるのです。またこれを安置する覚王山日泰寺は、どの宗派にも属さず3年交代で管理していると言う点も争わずと言う心意気を感じるものなのです。
2013.03.17
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阿育王(アショカ王)は8つに分割された仏舎利から7つを集め取り出してこれをさらに細分して八万四千の仏塔を造立し、仏法流布に努めたのである。 これは「阿育王経」に説かれている。とあります。つまり、一つは全くその当時のまま残されているものがあるはずとなります。それが発掘されたのが、先ほどのものになるわけです。この骨壺は現在インドのカルカッタにあります。その写真はhttp://mujintou.lib.net/dharma/bukkyo/buddhasarira.htm説明は以下のHPを参照しました。http://mujintou.lib.net/dharma/bukkyo/piprahwa.htmその壺のに書かれてある銘文はこれはシャカ族の仏・世尊の遺骨の龕ずしであって、名誉ある兄弟ならびに姉妹・妻子どもの[奉祀したもの]である(中村元訳)
2013.03.17
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いろいろと調べていくと仏舎利について興味深い事を知ることができた。仏舎利http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E8%88%8E%E5%88%A9仏舎利というものは、非常に多くあり、その真贋は難しいしかしこの発見は非常に大きなものと思う。1898年にインド・ルンビニ近郊のピプラーワーでイギリスの駐在官ペッペが古墳を発掘、その際に発見した壺に刻まれていた紀元以前の文字を解読したところ、釈迦およびその一族の遺骨であると書かれていた。ペッペは英国王室にこの仏舎利を献上、そして英国からシャム国(現在のタイ王国)に譲渡された。その一部はシャム国王ラーマ5世から日本国民へ贈られ、それを納めるために創建されたのが覚王山日暹寺(現在の覚王山日泰寺)である調べてみると、地下6mの場所から発見された点文章の記述から紀元前2世紀から3世紀では無いかと推定されている。仏舎利が入っているツボは、現在インドにある。外務省の記述からhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/thailand/jpth120/knowledge/temple.html
2013.03.17
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電話で不安になってしまった。聞くことで不安になり、言ってもしようが無いことを言ってしまった。それで言われたことにまた不安から、失礼なことを言ってしまった。こころにまたしてやられてしまった。この不安の発火と野火のように広がる様、最後は気がついて相手に謝ったのだけど瞑想状態を組み立ててから、電話を受けるべきだった。まだまだとおもう
2013.03.16
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律蔵からみる1日の行動については律蔵の規定からみる仏弟子たちの一日http://www.sakya-muni.jp/monograph/83-no17/1-2323/2-20.htmlここからは瞑想と食事との関連は読み取れません。
2013.03.16
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意図的にそうしてみました。なぜお釈迦様の戒律に午後以降は食べる事をしないのか
2013.03.15
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以前言ったときと かわりはなく静かで重みがあり、ただ静かに座っていたいあの都会の喧噪の中で、あのような場所が作れるとはすがすがしいというわけでは無く
2013.03.15
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体を観ると言う事は、だれでもしているはずです。ただそれに不安とかなどの感情が入ってくると、本当の状態をあるがままに見れない正しく(正見)理解できないのでは無いかと思います。(つまり八正道か)あるがままに観ることができれば、体は壊れていく一方なので、その状態の変化がわかってしまうと言うことなんだろうと思えるのです。(と書いた後に振り返って読み直すと、当たり前のことを言っているだけにすぎない事に気がつきます。)観るがその人にあれば、すぐにわかるのですけど
2013.03.14
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昔の高僧の伝記に死期を知るという話がでてきます。
2013.03.14
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苦しんでいるもの、
2013.03.14
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静けさが
2013.03.10
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前に書いた方法を使いましたまた常に心を観て(監視する)してみると、やはり小さくプツプツと不安が浮いてきている事がわかります。特に外界の刺激がなくなる暗い寝ている時には、余計にはっきり出ます。見つけたとたんに固定して観ると、大きくなる前に初期消火の要領で対処しています。気がついたことは、電話やメールなど不安を送りつけてくるものは、素の状態ですぐに慌ててとらずに、観る状態を作って、対応すればどうかと思いますのでこんど試してみようと思います。不安の元がでたとき、体をスキャンするように観ると、体が心に自動的に反応していることが特に不安な時に大きい、一種の自動発火回路が心と体の間にありそうだと言う事が感じられるのです。いかにこの不安、なくなることは無いとおもいますが、大火事にしない様に考えています。いままでは、こういう手があるとは思わなかったのですが、手段を見つけたようなので常にテストしているという所です。
2013.03.10
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自分はなにか
2013.03.09
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昨日病院の検査があり、
2013.03.09
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一歩一歩確認するとき、
2013.03.09
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集中ができないし、いらぬ余分なことばかり考えていたように思う何でだろうと思ったときそう 昨日は暖かかった様に思える体が浮ついている感じがある。移り変わる、すべてが留まるところ無く変化していく春が来たのだと思う。
2013.03.07
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自分はいかに、くだらない事を常に考え続けているかと言う事に気がついています。その習慣が知らず知らずに、妄想を誘発して、それが苦しみになってきていたのではと思います。いかにこの無駄な考えを追い出すというか、心にこびりつかないようにするにはどうするかと、動作を観ているのです。でもこれをしようと思うと、何というか素直というか正直というか、道徳的にならざるをえないというか、何なんでしょうか?そうで無いようなことをすると、ちからが落ちてくるんです。
2013.03.05
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どうも自分は
2013.03.05
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お釈迦様の入滅年ははっきりしませんが、この法統から推定できないかと言うことなのです。アショカ王 在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年頃ですが、この大王を仏教に教化した時代の人物は、この10代以下にあるはずです。3代目の阿難尊者以降のはずです。馬鳴尊者が紀元後100年くらいですので、10代でもなく、9代でもないでしょう人の寿命には、限界があります。法統を次ぐには、それなりの修行期間(10年以上)が必要でしょうから、その法統時期は30年~長くて50年くらいではないかと推定できるのです。お釈迦様の入滅時阿難は50歳くらいと推定されます。迦葉尊者は10年~20年くらい阿難尊者は120歳まで生きたとの伝承がありますが、おそらく80歳まで生きられたお釈迦様より長く100年は生きたのではないかと推定しています。
2013.03.05
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首章、釈迦牟尼仏第一祖、摩訶迦葉尊者第二祖、阿難陀尊者第三祖、商那和修尊者第四祖、優婆毬多尊者第五祖、提多迦尊者第六祖、弥遮迦尊者第七祖、婆須密多尊者第八祖、仏陀難提尊者第九祖、伏駄密多尊者第十祖、脇尊者第十一祖、富那夜奢尊者第十二祖、馬鳴尊者 (紀元後80年~150年のwikiの記述あり)第十三祖、迦毘摩羅尊者第十四祖、龍樹尊者 (これがかの有名な龍樹)
2013.03.03
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1代 釈迦牟尼佛大和尚 (しゃかむにぶつだいおしょう) 2代 摩訶迦葉大和尚 (まかかしょうだいおしょう) 3代 阿難陀大和尚 (あなんだだいおしょう) 4代 商那和修大和尚 (しょうなわしゅだいおしょう) 5代 優婆多大和尚 (うばきくただいおしょう) 6代 提多迦大和尚 (だいたかだいおしょう) 7代 彌遮迦大和尚 (みしゃかだいおしょう) 8代 婆須密多大和尚 (ばしゅみつただいおしょう) 9代 佛陀難提大和尚 (ぶつだなんだいだいおしょう) 10代 伏駄密多大和尚 (ふだみっただいおしょう) 11代 婆栗濕縛大和尚 (ばりしばだいおしょう) 12代 富那夜奢大和尚 (ふなやしゃだいおしょう) 13代 阿那菩底大和尚 (あなぼていだいおしょう) 14代 迦毘摩羅大和尚 (かびもらだいしょう) 15代 那伽悶刺樹那大和尚 (なぎゃはらじゅなだいおしょう) 16代 迦那提婆大和尚 (かなだいばだいおしょう) 17代 羅喉羅多大和尚 (らごらただいおしょう) 18代 僧迦難提大和尚 (そうぎゃなんだいだいおしょう) 19代 迦耶舎多大和尚 (かやしゃただいおしょう) 20代 鳩摩羅多大和尚 (くもらただいおしょう) 21代 闇夜多大和尚 (しゃやただいおしょう) 22代 婆修盤頭大和尚 (はしゅばんずだいおしょう) 23代 摩孥羅大和尚 (まぬらだいおしょう) 24代 鶴勒那大和尚 (かくろくなだいおしょう) 25代 師子菩提訴大和尚 (ししぼだいだいおしょう) 26代 婆舎斯多大和尚 (ばしゃしただいおしょう) 27代 不如密多大和尚 (ふにょみっただいおしょう) 28代 般若多羅大和尚 (はんにゃたらだいおしょう) 29代 菩提達磨大和尚 (ぼだいだるまだいおしょう) これが禅宗の始祖の達磨がこれにあたる
2013.03.03
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体がある限り、
2013.03.01
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