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諸法の仏法なる時節すなわち迷悟あり、修行あり、生あり、死あり、諸仏あり、衆生あり。
2013.08.31
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自分も驚いた(できるとは思わなかったから)
2013.08.29
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夢の中なのだと思う
2013.08.27
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まず普通の社会
2013.08.26
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未来を心配し、不安になることが、何も役にたたない理由未来は現在から成り立っているから今を大切にしなければ、未来も台無しになるから未来は 心配するな なんとかなる今と言う瞬間を大切に
2013.08.26
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漢訳経典が残っている、もう滅びた上座部系の部派仏教の有力な一派なのだけどなぜこの部派だけ漢訳経典が残っているのかについて、推測がたったのでこの本拠地はガンダーラーにあった。仏教の本拠地は、元来ビハール州周辺にあったのだが成立は前2世紀ごろ、ガンダーラーという北西にある理由はアショカ王にあるように思う。現在残っている上座部は分別説部からの分派になるが、実はスリランカはアショカ王の息子(マヒンダ)が仏教を伝えた事から始まっている。つまりアショカ王は分別説部を支持していたと読めるつまり本拠地は分別説部に押さえられたので、ガンダーラ地方に本拠をおいたのだと読めるインドの政治は、アショカ王以後北西の部分が優勢になってくるミリンダ王の話とか、カニシカ王の仏教擁護など、北西部分が政治の中心になってくる。仏像の登場なども、これと関連している。仏像はガンダーラおよびマトーラで作られ始めるのだが、これも有部の領域とよく重なるアショカ王が支援した第3回結集には、
2013.08.25
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これを根源的に見てみると、ある共通点がある。自分という物を見ようとしているのだと思える。人の意識は常に、外に向かっている。これは仕方の無いことではあるがよくよく見れば、その判断は自分の内の心で行っている。と言う事に気がついていない外界の事象は、自分という心のフィルターを通して、捏造して判断している。だから、心をまず自分の内側に向けて、観察させようと、訓練しているようにみえる。どこかの時点に、心の視点が外では無く内に向かっているなら、このことわりに気がつくと思えるのだ。このことわりに気がついた時、外界を自分から一歩引いた、客観的な立場で眺められるようになると思える。最終的には自分の心で起こっている事を、客観的に眺められるようになるだろうしかし自分の心とそれを観ている心、何なのだろうか?
2013.08.25
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空の問題は梵我一如の問題を提起すると思う。
2013.08.24
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それは空という物
2013.08.24
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想(思考とでも言うもの)が無いこと、無くなってくること、減ってくること
2013.08.24
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前書いたように
2013.08.24
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涅槃、悟り、彼岸は全て同じにみえる
2013.08.24
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般若心経色即是空 空即是色 についてhttp://www.mikkyo21f.gr.jp/academy/cat48/
2013.08.24
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悟りとは自分の定義では想の無いこと、想が起こらないことこの想は受想行識の想の部分その方法としては、受の段階で気がつくこと難しいけど、方法はあるよく気をつけて全てを見てほしいそのとき自分の心を観てほしいだんだんと想が減ってくることに気がつかないか?
2013.08.24
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眠ってはいけないときに、眠気は起きてくるもの
2013.08.23
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なんと不思議なことか
2013.08.23
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今という瞬間に常に焦点を当てていること
2013.08.22
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ある言葉より智者は「今」を生きている。だから毎日が輝いているのだ。愚者は昨日を悔いまだ来ぬ時を憂い、「今」を見ようとしない
2013.08.22
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時々ではあるけれど
2013.08.19
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曹洞宗道元禅師の著書ですが、ネルケ無方禅師が英語に翻訳してそれを現代の日本語に直しています。この現代日本語に訳した文書が、非常に分かりやすく、露骨すぎるくらいに簡単に書いてあるのが印象的です。現成公案についてはhttp://www.rinku.zaq.ne.jp/syamon-syokaku/genjoukouan.htmlこれは瞑想をされておられる方には、非常に感じるところがある文章でおそらく、ここに書かれてある意味とはすこし違う感触を受けると思います。わたしはネルケ氏の翻訳がまさに露骨にそのままに書かれてあると思います。
2013.08.18
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わたしの両親は、
2013.08.17
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この薄い心、また弱い心、怒りとか不安とかによって容易に消されるもの
2013.08.17
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不安の心を観てほしい、たとえばだが
2013.08.17
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無我であるなら、無いはず
2013.08.16
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瞑想において、
2013.08.11
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これはよく出てくる言葉ですが
2013.08.11
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未来も、過去も まぼろしに過ぎない
2013.08.10
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瞑想をやっていることは、
2013.08.10
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まず五蘊とは
2013.08.09
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そうなってしまうと思う。
2013.08.08
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実在するものは 今しかないと書いたことがあった。
2013.08.08
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これは三法印と呼ばれているが
2013.08.08
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集中が相当あがる。半端ではなく、なるほどと思う サマタであると言われる理由も理解できる
2013.08.07
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真言宗空海の残した言葉「性霊集」より あなたの心が暗闇であれば、出会うものは ことごとく禍となります。 あなたの眼が明るく開かれていれば、出会うものは すべて宝となります。 「一切経開題」の一節より 正しい道は遠くにあるものではありません。 あなたの心ひとつで、目の前に開かれるのです。
2013.08.06
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中国に伝わった最古のアーナーパーナーの経典らしいものが見つかったので記録として安世高(あんせいこう) (生没年不明)2世紀の人 龍樹と同時代の人 安世高の安は安息国の人であることを示す。西アジアの安息国(パルティア)皇太子の地位を捨てて阿毘達磨(アビダルマ≒小乗)を学んだ。中国伝道を志し建和元年(147)に洛陽に入る。『大安般守意経』(=小乗の禅≠禅宗)(これがそれ)『陰持入経』(三十七道品)『人本欲生経』(四諦)『四諦経』(四諦)『道地経』(止観)『転法輪経』『八正道経』など20余年の間に34部40巻を訳出した。しかし、確実な訳経は『人本欲生経』『大安般守意経』『陰持入経』『道地経』の四部である。なお、『道地経』の止観は天台の『摩訶止観』に影響を及ぼしたとの研究もあるそうだ。 後漢末の混乱にあい、廬山、予章を経て広州をめぐり、会稽にて乱闘に巻き込まれ殺された。安世高の翻訳には大乗仏教の影響はみられず、伝統的な部派仏教に根ざした仏教を中国に伝えた。
2013.08.06
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別名を慈氏、慈氏尊、慈氏菩薩、マイトレーヤーまたこの文字(慈) が出てきた
2013.08.05
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以前より ずっと気になっていたのだが
2013.08.05
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優れた方法であること
2013.08.05
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やはりやってみないとわからないことが多いと実感している。
2013.08.03
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やはりサマタ(止)に分類されるだけあって、
2013.08.03
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この5世紀に書かれた大乗仏教の瞑想マニュアルでは
2013.08.02
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この瞑想が不動心というものと、
2013.08.02
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アーナーパーナの。
2013.08.02
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