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気温は低くないが、風が強い。風が当たらなければ急ぎ足では汗ばむほどだが、強い風で急激に冷やされる。雪も降り出した。すぐに溶けて積もる心配はないが、量が多くなれば体が濡れるし、強風で傘も差すのも難儀しそうだ。 ときおり吹雪く勾当台公園野音の集会。(2015/2/27 18:12~33) 「さぁ。気合いを入れて始めましょう!」という司会者の一声から集会が始まった。雪はほんとうに小降りでちらつくといった程度なのだが、風は強くて、ときおり吹雪のようになることもある。 主催者挨拶は、辺野古の基地建設抗議テントの強制撤去の話から、脱原発運動のシンボル的存在である経産省前の脱原発テント村(テント広場)に対して東京地裁が撤去命令の判決を下したことに及び、初めから判決ありきの強引な訴訟指揮を強く批判するものだった。 他にも、高濃度汚染水が排水路から港湾外に直接流出し続けていたことを東京電力が1年以上も隠蔽していたニュースにも触れかけたが、時間切れということで省略された。 原発関連では、東京電力ばかりではなく政府も一体となった隠蔽、ごまかし体質は終始一貫していて、数え挙げればキリがない。隠蔽された事実はきわめて深刻なことには違いないが、今ではそんな事実が一つ明らかになったことではもう驚かなくなってしまった。いまさら「信頼関係を損なう」と息巻いてみせる漁業関係者がいることのほうに驚いてしまったくらいだ。原発事故から今日までは東京電力と信頼関係が成立していたというのだろうか。私にはそれが信じられないのである。 ついで、ドキュメンタリー映画『日本と原発』の映画について、実行委員会を立ち上げた鹿股さんご夫妻から紹介があった。映画『日本と原発』――私たちは原発で幸せですかーー弁護士河合弘之発監督作品平成27年4月25日(土)13:30開場 14:00上映開始(2時間15分)仙台メディアテーク7階スタジオシアター入場料1,000円問合せ先:Tel 022-223-4293(仙台実行委員会 鹿股) さっそく、私も入場券を申し込んだ。 さらに、こちらも立ち上げ人の広幡さんから「女川原発を再稼働させない仙台市民会議」の設立集会を4月に開催する案内があって、大勢の参加の呼びかけがあった。設立集会に先行する学習会「福島に学ぶ(その時福島は…そして今) 講師:猪狩俊幸氏」の案内もあった。3月3日(火)午後6時半から宮城民医連事務局会議室(木町通 田村ビル4階)で開催される。 最後に、来週は他のデモと重なって調整が難しいので、デモを延期して街頭宣伝を行なう旨の案内があった。3月6日(金)は平和ビル前(旧佐々重前、中央通りと東二番町通り交差点)に 18時集合 ということだ。私は、その日、朝から東京である。 デモに出発。(2015/2/27 18:34、37) 集会が終ると、「寒い、寒い、早く歩こう!」と言いながら立ち上がる女性がいた。冷たい風でみんなの体はすっかり冷え込んでいた。 集会が終る頃には雪は小止みになったものの、風はまだまだ止みそうにない。幟旗は激しくはためいているし、胸に下げたプラカードは引っくりかえるのだ。 勾当台通りを渡り、市役所前市民広場の横を行く。(2015/2/27 18:40、41) 一番町に入り、広瀬通り交差点へ。(2015/2/27 18:53、54) 「ぶらんどーむ1番町」を行く。(2015/2/27 18:57~58) 少し古いニュースになってしまったが、2月18日の東京新聞の電子版に原子力規制委員会の田中委員長の次のような記事があった。 「地元も安全神話卒業を」 原子力規制委の田中委員長 原子力規制委員会の田中俊一委員長は18日の記者会見で「(原子力施設が立地する)地元は絶対安全、安全神話を信じたい意識があったが、そういうものは卒業しないといけない」と述べた。 田中氏は九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県)と関西電力高浜3、4号機(福井県)が新規制基準に基づく規制委の審査に合格した際「運転に当たり求めてきたレベルの安全性を確認した」「絶対安全とは言わない」と繰り返し説明していた。東京電力福島第1原発事故を受け、電力業界だけでなく地元も意識改革が 必要との考えを示した形だ。 (共同) この記事を読んで、少しびっくりした。原発立地の地元に「安全神話から卒業しろ」と主張しているのである。安全は神話に過ぎないと言い続けてきたのは、反原発、脱原発を主張してきた人々である。一方、「原発は安全だ」という神話を必死になって作ってきたのは自民党政府(と、その走狗の読売新聞)と電力会社であり、それに職業を賭けて全面的に協力してきた田中委員長のような原子力学者ではなかったのか。 「安全神話」で地元住民を騙してきた人間はいったい誰だったというのか。この鉄面皮、無責任ぶりをなんて評していいのか分からない。 奇妙な気分だが、「(原子力施設が立地する)地元は絶対安全、安全神話を信じたい意識があったが、そういうものは卒業しないといけない」という文言自体は、しごくもっともで、私たちが「原発は安全ではない」と主張してきたこととほとんど同じである。 その同じ文言が、高浜原発が再稼働に必要な安全対策の基準を満たしているとする「審査書案」を規制委員会が了承した17日の翌日に当の機制委員長から発せられたのである。 この事実はとても重要だ。福井の人たちに「高浜原発の再稼働を認めるが、原発は安全ではないから、地元の人間は覚悟しなさい」と原子力規制委員長が宣言したに等しい。もちろん、原発が安全でないということは正しい。その原発を再稼働する自民党政府へ職責を賭けて協力している原子力規制委員長がそう語っているのである。人間の論理的行動(そして、行動倫理)としては破綻しているが、言わないよりマシだとしておこう。 地下鉄工事中の青葉通りを左折する。(2015/2/27 19:03、04)青葉通りを行くデモの列。(2015/2/27 19:08) 夜なのに、雪のちらつく暗い曇天という感じが強くする。夜空の不透明感が意外と重苦しく感じるのだ。 青葉通りに出ると、地下鉄東西線の工事のため、本来の道のまん中で信号待ちになる。地下鉄駅ができる1ブロックの間は工事柵で狭められた道を行く。途中には、地下へ行く工事用階段があって、そこからフワッと暖かい空気が上がってくる。 デモが歩く側と反対の歩道に渡って、デモの列を追いかけた。3車線の外側の車道を歩くデモが動いているときは、残りの2車線をデモと同じ方向に車が走る。さらに反対車線の3車線を過ぎる車でデモの列全体を遠目から撮すという試みはとても難しいのだった。 東二番丁通りを越えて、解散地点へ。(2015/2/27 19:10、11)解散。(2015/2/27 19:13) 青葉通りと東2番丁通りの交差点は地下道(地下広場)になっている。階段を駆け下り、斜めに広場を突っ切り、また駆け上がり、デモに追いつく。 この頃には、カメラを持つ手はすっかりかじかんでしまったが、体はけっこう温まっている。
2015.02.27
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金曜日のデモは休みで、2日遅れての月1回の日曜昼デモである。いつもより早めに昼食を作って家を出たのだが、嫌なニュースが続いて気分は良くない。 沖縄では辺野古の基地反対の運動が続いているが、その弾圧に米軍が出てきた。米軍シュワブゲート前で抗議行動を行なっていた沖縄平和運動センターの山城博治議長ら二人が、基地の警備員によって拘束されたというのである。二人は名護署に身柄が移されたが、3000人近い人々によって不当拘束への抗議が続いている(東京新聞)。 この事件は、基地反対運動に対する自公政府による弾圧に加えて、日本に駐留するアメリカ軍も弾圧の前面に現れたということを意味している。 報道では沖縄県警名護署も勾留理由はよく分らないのだという。米軍に身柄を引き渡されたので、引き続き拘留しているという。つまり、米軍は日本の法律によらず二人を拘留したということで、アメリカ駐留軍は日本の法律を越えて行動していることを意味している。 もう一つの反吐が出るようなニュースは、「防衛省が、内部部局(内局)の背広組(文官)が制服組自衛官より優位を保つと解釈される同省設置法一二条を改正する方針を固めた」(東京新聞)ということだ。 いわゆる、「文民統制」によって軍部の暴走を防ぐというのは、太平洋戦争の悲惨な敗北から学んで築いた重要な制度であるが、それを放棄しようというのである。安倍自公政権らしく戦前の軍事国家をめざすらしいのだ。 この二つのニュースは、日本の現状の本質を顕わに示してはいないか。沖縄では、アメリカのために基地を作ろうと自公政権は警察権力(暴力装置)を駆使している。反対運動が強く、業を煮やしたアメリカ軍は直接弾圧の手を下すようになる。 しかし、米軍の直接暴力は植民地支配への反発が強まるので得策ではない。そこで、アメリカの走狗である自公政権(官僚)は軍事国家化を図り、いずれ警察に代わって日本の軍(自衛隊)独自の判断で国民弾圧の前面に出られるように策動しているのではないか。アメリカの意のままに政策を動かす日本人が政権中枢に居座っているのである。それこそ真性の「反日」ではないかと腸が煮えくりかえるのだ。 思えば、長く自民党政権が続いた日本は不幸な国である。ドイツやフィリピンは第二次大戦後の植民地的な占領支配をすでに脱したというのに、独立国家を装っているものの日本はいまだ戦後の占領支配のシステムのままである。「戦後レジームからの脱却」などと阿倍晋三は語るが、それは単に戦前のような軍事国家に戻ることしか意味していない。 日米安保を通じたアメリカの支配を脱して、アメリカによって大幅に制限されている日本の主権を回復して真の独立国家になることがほんとうの意味で「戦後レジームからの脱却」を意味するはずだ。集団的自衛権などという幻想で、アメリカが世界で繰り広げる侵略戦争に国民を送り込みたい安倍晋三には、到底理解できないことだろうが…… 脱原発デモは、当然ながら、原発推進を強引に進めようとする安倍自公政権に対する反対運動に連動する。脱原発というシングル・イシュウの運動でも、その含意するところは本質的なのである。 勾当台公園野外音楽堂の集会。(2015/2/22 14:32、33) フリートーク。(2015/2/22 14:12~35) フリートークでは、まず、先週紹介のあったドキュメンタリー映画『日本と原発』が、仙台上映にむけて具体的に動き出したという報告があった。紹介されたご夫婦が友人を誘って実行委員会を立ち上げたのだ。 続いて、『言語学者によるメディア・リテラシー研究の最前線』というシンポジウムの案内があった。現在、原発をめぐる報道や安倍自公政権による戦争国家への動きに関する報道などに私(たち)は大いに不満を持っているが、私(たち)の課題は、そのメデイアからどのような情報を引き出せるかということだろう。 2015年3月22日(日)10~17時に仙台国際センターで開催されるシンポジウムには、「平和と脱原発を考えるためのメディア・リテラシー」、「原発事故と原発をめぐる新聞の姿勢」、「鹿児島県知事の川内原発再稼働承認記者会見について」など原発をめぐる興味深いタイトルが並んでいる。 宮城県が開いた三回目の「女川原子力発電所2号機の安全性に関する検討会」についての報告もあった。この検討会そのものは、女川原発の再稼働に向けた県のアリバイ証明みたいなもので、物言わぬ(言えぬ?)委員が東北電力の主張をただ聞くだけの会らしいのだが、それでも再稼働承認へのステップにされるので黙過はできないのだ。 検討会は非公開で進められているが、公開するようにと繰り返し申し入れた結果、県は公開に向けて検討するという段階になったという報告があった。諦めずに交渉することが大事という締めくくりである。 デモに出発。(2015/2/22 14:39、41)勾当台通りへ。(2015/2/22 14:42)勾当台通りを渡る。(2015/2/22 14:43)定禅寺通りに差しかかる。(2015/2/22 14:48) 55人のデモは、曇り空の下を出発した。暖かいとはいえ、みんな防寒着で膨らんでいる。デモを歩いている分には問題ないが、写真を撮るため走って交差点を渡ったりしていると、すこし汗ばんでくる。汗をかいてから冷えるという風邪引きのパターンに陥らないように気をつけて歩くのである。 一番町四丁目商店街で。(2015/2/22 14:54~55)それぞれのアピール。(2015/2/22 14:58、15:01) ぶらんどーむ一番町で。(2015/2/22 15:00、01) 日曜日の一番町は人通りが多い。デモと人通りを一緒にフレームに納めたいのだが、デモのかなり先で通行人が道を空けてくれるのでけっこうそれは難しい。 ベンチに座って、手を振り、拍手をして応援してくれる年配のご夫婦がいた。デモが通りすぎると、立ち上がり、お二人で手をつないで、ゆっくりと横丁に入って行った。そのお二人の姿を眺め続けていて、私はデモに置いていかれたのだった。青葉通りを行く。(2015/2/22 15:11) 東二番丁通りを渡っていく。(2015/2/22 15:13) 金曜から日曜にデモが移ってすこし間遠になったが、その間、軽い風邪気味だったので休養期間のようにのんびりと過ごした。先週の日曜日(15日)の秋保温泉での中学時代の同級会の幹事をやって、少し疲れていたということもあった。 太平洋戦争の終戦の年に生まれた私の同級生は、その前後の年代と比べて人数が最も少ない。田舎の小学校、中学校ではほとんどの学年は4クラスあったが私たちだけは3クラスだった。 1961年3月に宮城県栗原郡瀬峰町立瀬峰中学校を卒業した時は133人だったが、2015年2月15日には死亡23名、音信不通17名となり、残った93名に案内を出して参加者33名だった。多いのか、少ないのか…… 過ぎゆくものはみな比喩にしかすぎざれどわが望郷をゆく鰯雲 福島泰樹 [1][1] 福島泰樹「歌集 望郷」『福島泰樹全歌集 第2巻』(河出書房新社 1999年)p. 138。
2015.02.22
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夕方のデモに出かける前に、歯の治療とちょっとした仕事で二度外出した。強風が吹き荒れていた。二度目の外出の時には雪も飛び交っていた。 山の方から吹き飛ばされてきたような雪で積る心配はほとんどないが、こんな日は冷え込むのである。 赤城颪のように「◯◯おろし」という風の呼び名があるが、仙台市街に一番近い泉ヶ岳に因んで「泉颪」という。しかし、校歌に使われるぐらいで、普段はあまり使われていない(少なくとも私のまわりでは)。 北風が寒いというが、じっさいは奥羽山脈から吹き下ろしてくる西風が寒いというのが実感だ。仙台の西の山地にさほど有名な山がないので、市民に馴染みが深い北の泉ヶ岳おろしということになったようだ。「蔵王颪」では、山が有名でも地理的に無理がある。 西の関山峠の近くに寒風山があるが「寒風颪」では「寒風から寒風が吹いてくる」というけっこう間の抜けた感じで具合が悪い、などと何の役にも立たないことを考えているうちに勾当台公園に着く。 凍える集会(勾当台公園野外音楽堂)。(2015/2/13 18:13~28) まだ寒風は吹き残っているが日中に比べればずっと弱まっている。しかし、日中の強い寒風で冷え込んでしまった野外音楽堂には、気のせいか人が少ない。先週の参加者が多かったのでそう思うのかもしれないが。 ベンチにじっと座っているのはけっこうきついので、立ってウロウロして寒さをしのぎつつ、何枚か写真を撮った。 フリートークでは、ドキュメンタリー映画『日本と原発』の映画の紹介があった。原発訴訟に深く関わってきた二人の弁護士、河合弘之さんが監督、海渡雄一さんが監修をした、日本の原発をめぐる実情を暴き、フクシマ事故後の人びとの窮状を取り上げた映画である。トークの最後に、何とか仙台でも上映できるように取り組んで欲しいという訴えがあった。 「女川原発を再稼働させない仙台市民会議」の取り組みの一貫として、「宮城県の避難計画(ガイドライン)」や「福島に学ぶ(その時福島は…そして今)」という学習会や講演会の案内があった。 また、『動かすな、原発……大飯原発地裁判決からの出発』と『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』という本の紹介、推薦があった。前者は読みやすい岩波ブックレットで、河合弁護士や海渡弁護士、小出裕章さんなどが寄稿している。後者は、以前の集会でも紹介された矢部宏治さんの本で、日本国家の政治的決定を縛っているシステムについての極めて重要な知見を集約した本である。日本の政治に向き合う人には必読の本である。 最後に、宮城県が開いた三回目の「女川原子力発電所2号機の安全性に関する検討会」の傍聴報告があった。東北電力が女川原発の機器検査の虚偽報告をしたことについてひたすら弁明するばかりの会議だったらしい。勾当台公園を出て行く。(2015/2/13 18:37)勾当台通り(勾当台公園側から)。(2015/2/13 18:40)勾当台通り(市民広場側から)。(2015/2/13 18:41) 集会が終ってデモに出発という段になって少しほっとした。寒さで体が固まってしまいそうなのだ。寒さで縮こまっていると肩が凝るのだ。 先週よりずっと人が少ないので、かえって声のまとまりがいい。コールの声が聞き取りやすいのではないかと思える。 「一番町四丁目商店街」を行く。(2015/2/13 18:50、51) 定禅寺通りを越えて一番町に入って行く。日中の外出時に、この近くで遅めの昼食で蕎麦を食べたのだが、その店のタウン誌で通りの呼び名を見つけた。 定禅通りから広瀬通りまでの一番町は、「一番町四丁目商店街」である。広瀬通りから青葉通りまでは「ぶらんどーむ一番町」。「ぶらんどーむ」はひらがなである。青葉通りから南町通りまでは「サンモール一番町」になっている。そのせいで、アーケードの造り、照明、電飾などは三者三様なのである。広瀬通りの向こうは「ぶらんどーむ1番町」。(2015/2/13 18:55) 「マーブルロード大町」入口前を過ぎて。(2015/2/13 19:01) 広瀬通りを越えて「ぶらんどーむ一番町」を行くと、藤崎デパートの前で中央通りの入口の前を通る。今では一番町より人通りの多いこの道を、私はずっと「中央通り」と呼んでいたが、ここにも愛称らしい名前が設定されている(もちろんこれもタウン誌情報である)。 一番町から東二番町通りまでは「マーブルロード大町」、東二番丁通りから愛宕上杉通りまでは「クリスロード」、愛宕上杉通りから駅前通りまでは「ハピナ名掛丁」というのである。 さて、一番丁と中央通り(名掛丁)の愛称が分かったのだが、私は一度も使ったことがない。妻が使っているのも聞いたことがない。もっと言えば、私の友人、知人が使うのも聞いたことがない。私(たち)はほんとうに仙台人なのだろうか、と疑ってみるほどだ。 こんなふうに仙台にまつわる知識を身につけて、少しずつ仙台人になっていくというのは、もしかしたら、デモの効用ということかもしれない。新しい仙台人はぜひ脱原発デモに参加されたい。少なくとも、仙台中心部の地理の知識(タウン誌的教養)が身につくというものである。青葉通りの向こうは「サンモール一番町」。(2015/2/13 19:03)青葉通り。東二番丁通り(大通り、国道4号)を越えて来た。(2015/2/13 19:11) 青葉通りに出ると「サンモール一番丁」には入らずに、左折して青葉通りを行くのである。東北大学片平キャンパス北門や良覚院丁公園から出発するデモは、「サンモール一番丁」の南口から一番町に入るのである。 デモが終る頃、雪が少しちらついてきた。この雪も奥羽山脈に降っている雪が飛ばされてきたような雪だ。仙台の風は弱まっているが、山の方ではまだ強風が吹いているのかもしれない。
2015.02.13
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先週の4日間東京で歩き回って。その4日目が1月30日の金曜日だった。当初、4日目は1日を使ってゆっくりと歩き回ってから、首相官邸前に行って見ようと思っていた。しばらくぶりで官邸前の元気なコールを浴びて気合いを入れようと考えたのだ。 ところが、前日から疲労が顕在化し始めて、金曜の昼頃にはピークに達した。折しも、東京は朝から雪降りでびちゃびちゃの雪が積るという、歩き回るには最悪の状態になっていた。諦めて、昼過ぎに新幹線に乗って仙台に帰ってきたのである。 仙台もけっこうな量の雪が降っていて、自宅に帰り着いてすぐに疲れた体で雪かきである。着替えて、居間でひっくりかえって、スマホを眺めていたら、官邸前抗議は中止になったというFB投稿があった。疲れもさることながら、さっさと帰ってきたのは正解だったと、いくぶんほっとした。 仙台の金デモには参加できる時間だったが、続いて、仙台の金デモも中止という情報が入ってきた。これはこれで、また、ほっとしたのだった。 東京の反原発デモで一度だけ会ったことのあるFB友だちが「軟弱反原連が……」と書いた投稿をしていて、「そうだそうだ」などと思った私は、東京も仙台も中止になってほっと安心していた人間でもある。絵に描いたような日和見根性なのだった。日和見というのは、立派な言い訳が見つかったときに完成するのだ。 集会風景(勾当台公園野外音楽堂)。(2015/2/6 18:17~35) 勾当台公園の野外音楽堂に少し遅刻して着くと、「みやぎ金曜デモ」代表の西さんがもう熱弁を振るっている。鹿児島で開かれた川内原発再稼働反対全国集会に参加した報告を丁寧に、そして熱く語った。 また、原発事故のため不通になっているJR常磐線の不通区間を代替バスで輸送する危険についての報告があった。高線量汚染地区を走るバスの乗客と乗務員の被爆被害に取り組んでいるJRの労組の話があった。続いて、仙台市に原発ゼロを求める市民連絡会について、その後の報告がなされた。 東北電力は女川原発の再稼働を目論んでいるが、その地均しのために宮城県が「女川原子力発電所2号機の安全性に関する検討会」を開いているが、構成委員の全員が原発推進派だったり、議論が非公開で進められているなどの問題点が指摘され、私たちの強い抗議と監視が必要だという訴えがあった。 最後に、2月5日の「再稼働阻止全国ネットワーク」の議員要請行動に参加した脱原発デモスタッフの報告、パンフが完成した「ふるさとを放射能から守ろう! 3・21 みやぎアクション」の告知があった。 先週のデモが雪で中止になったことについて、あの雪ではデモはできたのではないかという意見が出て、「多少の雨や雪なら、デモをやる」ことにしましょうということが、拍手多数で認められた(ように私には思えたのだが)。たぶんこれからも「多少の雪」の定義に悩みながらも、なるべくデモは積極的にやる方向で考える、ということだろう。 デモの準備。(2015/2/6 18:39~41) 1週間空いた分だけ、フリースピーチが長くなって、いくぶん遅れ気味にデモ出発の準備が始まった。野音前に3列に並ぶのだが、いつもより列が長い。今日の参加者は70人だという。それに脱原発犬のチョモランマさんが久しぶりに参加している。1匹と70人である。 後に宮城県庁行政庁舎の灯が。(2015/2/6 18:45) 県庁前を後にして、勾当台通りを渡る。仙台市役所の前の道に入るのだが、この道は「表小路」というらしい。デモの列をカメラに納めようと歩道に上がったときにそんな柱標を見つけた。 一番町を行くデモ。(2015/2/6 18:54、56) 定禅寺通りから1番町に入ると、いつもより照明が明るい。写真を撮るのが楽だと思ったのだが大間違い、コントラストがつきすぎてデモの列が真っ黒になってしまう。どこで絞りを決めるか(あるいは、シャッター速度を決めるか)よけい気を使わなければならなかった。 アーケードのないところには残雪が。(2015/2/6 18:56、19:06) 定禅寺通りから広瀬通りまでの1番町の中央部分にはアーケードがない。そのため、先週のデモ中止の理由になった雪が所々にまだ残っている。広瀬通りから青葉通りの間では中央通りとの交差点でアーケードが空いており、そこにはけっこうな量の雪が残っていた。 チョモランマが行く。(2015/2/6 18:52~17:06) 脱原発犬のチョモランマさんは、ずっと元気に歩いている。後肢の不調はだいぶ良くなったのだろう。専用のキャリーカーはなしで、ずっと歩き続けている。大型犬の脚の不調はたいへんなので、まずはなによりである。 大通り(国道4号)を渡るデモ。(2015/2/6 19:15)流れ解散。(2015/2/6 19:19) 青葉通りに出て、デモは終った。多少の雪ではデモを実行するというのは結構なことだが、できれば雪は少ない方がいい。 しかし、皮肉なことに、雪のデモの方がアピール力が強いのだ。13人ほどのデモが雪の中を行く写真がFBに投稿されたときの反響はけっこうすごかった。それは、ずっと頑張っている「脱原発大崎demo金曜行動」の写真だった。 じつは、仙台のデモが中止になった1月30日の吹雪の中で、「脱原発大崎demo金曜行動」は実行されたのだ。大崎市古川あさひ中央公園で18名の参加だった。吹雪の中の集会の写真は、やはり迫力がある。 いずれ、仙台でも猛吹雪の中のデモの写真が撮れるかも知れない。私は少しならずびびっているのだが。一度日和った者はまた日和る、というのは昔からの変わらぬ真理である。
2015.02.06
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