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二つの大惨事が同時に起きてしまいました。ひとつは、私たちの目の前で巨大な社会主義大陸が水中に没してしまうという社会的な大惨事。もうひとつは宇宙的な大惨事、チェルノブイリです。地球規模でこのふたつの爆発が起きたのです。そして私たちにより身近でわかりやすいのは前者のほうなんです。人々は日々のくらしに不安を抱いている。お金の工面、どこに行けばいいのか、なにを信じればいいのか? どの旗のもとに再び立ちあがればいいのか? だれもがこういう思いをしている。一方チェルノブイリのことは忘れたがっています。最初はチェルノブイリに勝つことができると思われていた。ところが、それが無意味な試みだとわかると、くちを閉ざしてしまったのです。自分たちが知らないもの、人類が知らないものから身を守ることはむずかしい。チェルノブイリは私たちをひとつの時代から別の時代へと移してしまったのです。 私たちの前にあるのはだれにとっても新しい現実です。 スベトラーナ・アレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り』 [1] 今年のノーベル文学賞をドキュメンタリー『チェルノブイリの祈り』の作家、スベトラーナ・アレクシエービッチが受賞したことは、大いなる事件である。文明史的な意味でのメルクマールたりうるのではないか、大げさでもなんでもなく、そう思えるのである。 チェルノブイリの大惨事の後、さらに規模の大きい原発事故が福島で起きてから、ドイツという先進工業国が原発廃棄を国家として決断し、オーストリアのような原発を持たない国家でも原発由来の電力の輸入を禁止した。それは、明らかに一直線に進んできた技術文明の変革の兆しに違いないし、そして、そのような未来への新しい意思に呼応するようなノーベル文学賞の発表だった。 しかし、一方で、悲惨な原発事故で汚染された領土と数万の被災民を抱えながら、原発再稼働を画策し、場合によっては新しい原発が必要だと公言する極東アジアの後進国がある。 まるっきり200年以上も昔の産業革命のときと同じような時代錯誤の技術信仰に踊り狂っているとしか思えない愚かな宰相のいる国に生きる私たちは、今日も「原発再稼働反対」、「すべての原発廃炉」を叫ぶためにデモに行くのである。 集会@元鍛冶丁公園。(2015/12/20 14:20、22) スピーチと替え歌の練習。(2015/12/20 14:21~31) 今日は、今年最後の脱原発デモだ。昨日の「安保関連法の廃止を求める市民集会」も昼の元鍛冶丁公園で開かれたのだが、陽が陰っている公園はとても寒かったのだが、今日は陽が射していてずっと暖かく感じる。 二週続けて雨に祟られ、少ない参加者のデモだったが、今日は順調に人が集まりだしている。暮れらしく元鍛冶丁公園に集まった参加者の中には、5、6人のサンタクロース姿が見える。 フリースピーチは、そのサンタクロースの一人、宮城県議の角野達也さんの「脱原発をめざす宮城県議の会」を結成の話で始まった。「女川原発の再稼働に反対する人々、慎重な対応を求める人々と思いを同じくしていく」ことをうたった会には、59人の議員のうち、「県民の声」8人、「社民党」2人、「無所属の会」2 人、「日本共産党」8人の20人が参加している。 呼びかけ人は、前の美里町長で町ぐるみの脱原発を牽引した佐々木功悦議員(遠田郡選出、県民の声)で、このような会の発足は原発立地県では初めてのことだという。これまで、どちらかといえば原発の議論そのものが抑え込まれていた原発立地自治体で、これからの活発な脱原発論議の契機になるだろうという大きな期待が寄せられている。 続いて、11月23日に開催された「市民による女川原発の安全性を問うシンポジウム」の成功に触れられて、放射能対策支援室いずみ顧問の篠原弘典さんが「このシンポジウムを脱原発運動の一つの区切りにしようと思っていた」という旨の発言をされた。 長い間、仙台での脱原発運動の牽引役を果たしてきた篠原さんの発言に少しばかりブーイングのような声が漏れたが、それほどの意気込みでシンポジウムを準備し、開催したということらしい。これは後で聞いたことだが、もう次のシンポジウムの企画がすでに進められているということである。 最後に、ドキュメンタリー映画『東北の新月』の上映案内があった。東日本大震災後に単独で被災地を訪れ、ボランティア活動に携わっていたカナダ人の映画監督リンダ・オオハマさんが、被災地で出会った東北の人々の日々の営みを描いた映画である。 12月4日に仙台メディアテークで試写会が開かれたが、来春に同じメディアテークで公開され、そのあと全国での公開上映が始まるという。 集会の最後に、「赤鼻のトナカイ」の替え歌の練習があって、55人のデモは、人出で賑わう一番町に向かった。 一番町を行く。(2015/12/20 14:40~41)コーラーさん。(2015/12/20 14:43、45、48) 暮れの日曜日、一番町はとても賑わっている。人込みの中で、6人のサンタクロースの一団はよく人目を集めている。それに、「赤鼻のトナカイ」の替え歌の脱原発ソングも時と場所を得ている。 今日は3人のコーラーが、コール、呼びかけ、替え歌と交互に担当して、快調にデモが進む。そのせいで、後方から「もうちょっとゆっくり」と要請があって、カメラを抱えて周囲を走り回っている私が先頭まで伝令役である。 青葉通り。 (2015/12/20 14:57~59) 信号待ちコール、先頭と最後尾。 (2015/12/20 14:58) 青葉通りは日曜日なのに大渋滞である。いや青葉通りというより、東二番町通りに車が詰まっていて、青葉通りから左折する車がまったく捌けないのだ。 1番左の車線を歩くデモの列はしばらく待機状態だったが、誘導しているおまわりさんが業を煮やしたらしく、中央寄りの直進車線にデモを誘導してくれて、左折できない車の列をしり目に大通りを渡ることができたのだった。 まもなくゴール。 (2015/12/20 15:10) 今年の最後の読書をノーベル文学賞作家の『チェルノブイリの祈り』を読んで終わらせようと思ったのだが、じっくりと読むのは難しい。全編、チェルノブイリの人々のインタビューで構成されていて、冒頭の作家自身の言葉も、自分へのインタビューの形になっている。 急性障害で死亡した家族のこと、挽発性障害で苦しむ自分のこと、自分たちを見捨てる政府への不信、住民を指導してきたはずの共産党組織の人の不信と後悔、どれも読み進めるのが辛い話ばかりだ。 同じことが福島で起き、そして今も起き続けているのだ。昨日、トロリ—バスに乗りました。その一場面。男の子がおじいさんに席を譲りませんでした。おじいさんがお説教をします。 「きみが年をとったときにも、席を讓ってもらえないぞ」 「ぼくはぜったいに年をとらないもん」 「なぜだね?」 「ぼくらみんな、もうすぐ死んじゃうから」 リリヤ・ミハイロブナ・クズメンコワの発言『チェルノブイリの祈り』 [2]【左】塩釜から参加の3人。(2015/3/29 14:28)【右】脱原発犬チョモランマさんとご家族。(2015/7/3 18:59) 今年最後のデモは終わって、最後らしく忘年会ならぬ望年会が中央市民センターの一室を借りて開かれた。プロジェクターで写しだされる1年間のデモの写真を眺め、搗き立ての餅などを食べながら、自己紹介や挨拶などを聞いた。 例年のように、今年のデモに貢献した人を代表の西さんが表彰するという企画があった。まず、その圧倒的なアピール力で脱原発犬チョモランマさんが選ばれた。それから、塩釜市から毎回のように参加されている3人組の方が選ばれた(名前を聞きそびれてしまった)。残念ながら、どちらも忘年会に参加されていなかったので、表彰は後日ということになった。 最後に、金デモの専属カメラマンとして私も表彰状を頂いた。カメラマンは私なので、私の写真はないのである(自撮りという趣味もない)。 [1] スベトラーナ・アレクシエービッチ(松本妙子訳)『チェルノブイリの祈り』(岩波書店、2011年) pp.32-33。[2] 同上、p. 219。
2015.12.20
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2015年9月19日未明、参議院の強行採決で可決された安保関連法案の廃止を求めて、毎月19日には全国各地で署名活動、街頭宣伝、集会、デモ(パレード)などさまざまな行動が行われている。ネット情報によれば、今日(19日)だけでも全国80か所あまり、明日20日から23日にかけて24か所で何らかの行動が行われる予定がある。 仙台での今日の行動はその一つに数えられている。「とりもどそう! 立憲主義、民主主義、平和主義/安保関連法(戦争法)の廃止を求める市民集会」(「19日行動」)の集会が正午から元鍛冶丁公園で開かれた。 昨日の日中も家を留守にした。今日は正午からの集会で、二日続けて昼食を家で取れない。私はわが家の昼食担当なので、木曜日の午後、家族2回分の昼食に間に合うようにカレーを鍋一杯に作り置いた。自分が食べられなくても、昼食担当は昼食をつくるのだ。それで、少しは気を楽にして家を出られるというものだ。 集会@元鍛冶丁公園。(2015/12/19 12:09、14、15) 主催者挨拶からフリースピーチまで。(2015/12/19 12:03~58) 日が照ったり陰ったりする寒い土曜日だったが、300人ほどが公園に集まった。主催者挨拶から集会が始まったが、主催者も司会も「脱原発みやぎ金曜デモ」で顔見知りの人である。 政党からの挨拶として、共産党から参議院への立候補を表明している岩淵彩子さん、社民党から県議会議員の岸田清実さんの挨拶があった。民社党参議院議員の桜井充さんの挨拶も予定されていたが、仕事が予定どおりに終わらず、電話の声をマイクで拾う形の挨拶となった。 続いて12月6日に設立したばかりの「野党共闘で安保法制を廃止するオールみやぎの会」(略称:オールみやぎの会)の発起人の一人、森田眞理さんが、会の設立目的や経緯、今後の活動方針などを話された。私も早くに声をかけていただいて参加しているものの、設立に向けての集まりなどには参加できずにいた。 いま全国的な市民活動の形で、来年の参議院選挙において野党統一候補で勝つことを通じて、戦争法を廃止しようという運動が広がっているが、オールみやぎの会もまた宮城でも野党共闘を呼びかける市民の集まりとして発足した。設立趣意書は、次のようなものである。(はじめに)私たちは安保法制が国会に上程以降、個人として、また各団体と協力して様々な反対行動に参加してきました。 多くの国民の声を無視して強行に国会を通過させたことは「立憲主義」「民主主義」に反する行為と考えています。 このような政治の横暴に立ち向かうためには市民一人一人が政治への関心を示し、選挙に直接かかわることの必要性を実感しました。1. 会の設立について 安保法制の廃止のためには、国会で安保法制に反対する議員を多数にする必要があります。私たちは当面、来夏の参議院選挙が安保法制廃止のために欠かせない国政選挙としてとらえ、市民の立場から野党の選挙協力を求め、宮城県選挙区で一人の野党候補擁立と、当選に向けた行動を行うための市民団体として本会を設立しました。2. 会の名称 野党共闘で安保法制を廃止するオールみやぎの会(略称:オールみやぎの会)とします。 オールみやぎの会は、すでに野党各党(の県組織)との話し合いを始めており、17日(木)には記者会見で会の設立報告を行い、新聞、テレビ等で報道されている。野党共闘を実現するためには多くの市民の声が必要で、オールみやぎの会への参加を呼びかけている。オールみやぎの会連絡先は次の通り。E-mail: 2016.all.miyagi@gmail.comTel: 090-3757-2111(葛西)、080-6005-6381(吉田) また、年が明けた1月31には座間宮ガレイさんを講師に参議院選挙の勉強会を開催する。 続いて、板垣乙未生さんが「安保法制廃止みやぎネット」を来年早々発足させるための相談会が動き出していることの報告をされた。こちらも政党や団体の枠を超えて戦争法を廃止させることを目的としている。 さらに、SEALDs_TOHOKUの学生さんたち、安保法案に反対するママの会宮城のママさんたちがステージに並んで挨拶をされた。集会は「ガンバロウ」で終わって。(2015/12/19 13:03、04)公園を出発。(2015/12/19 13:11) 集会が終わるころに陽が射してきて、すこしばかり寒さが緩んだ。元鍛冶丁公園から狭い道を通り、一番町に出る。国分町や稲荷小路などの夜の歓楽街を横切るのだが、昼の光の中では普通の商店街のようにしか見えない(店開きをしているわけではないが)。 一番町を行くデモ。(2015/12/19 13:17~18)金デモなじみの顔も。(2015/12/19 13:15、16、20) 暮れの土曜日の昼、一番町は賑わっているだろうと期待していたが、予想していたほどではない。暮れの買い物にはまだ早いのか、寒さがきついせいなのかわからないが、11月末の脱原発日曜昼デモのときに比べれば、だいぶ人出が少ないように感じる。その分、デモの賑やかさが際立ってはいるが……。 毎週の金デモのようにデモの前後で写真を撮るために走り回っていたが、50人前後の金デモと違って、300人規模では走る距離が違う。それで、信号でデモが2グループに分断されてからは、もっぱら前のグループの写真を撮っていた。 ところが、後ろのグループではSEALDs_TOHOKUの若い人のコールが始まって、その軽快なリズムに足を引き寄せられる気分になるのだった。国会前でも仙台でも、シールズ・リズムは快適なのである。 一番町、まもなく青葉通り。(2015/12/19 13:22、26) 中央通りを越えて藤崎前に来ると、高校生が街頭の小さなステージ上でコーラスを披露していた。そこを通り過ぎて青葉通りに出るまではサイレントデモである。青葉通りを東へ。(2015/12/19 13:32)東二番丁通り(国道4号)を渡る。 (2015/12/19 13:34)最後列グループの到着。 (2015/12/19 13:39、40) 午後1時を回ったばかりだというのに、青葉通りにはだいぶ傾いた陽が射しこんでいる。戦争法はハ・イ・シだ~れの、こどもも、ころさせない憲法違反の戦争法民主主義をとりもどそう平和主義をまもりぬこう立憲主義をとりもどそう独裁者はいますぐ や・め・ろみんなで平和を ま・も・ろ・う 広い青葉通りや東二番丁通りで、私たちのコールはどこまで届いているのだろう。 さて、次回の「19日行動」は、1月19日(火)仙台市役所前市民広場、18時集合、18時30分アピール行進である。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2015.12.19
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先週の金曜日に続いて、今日の金曜日も雨の日である。朝からずっと降り続き、仙台市東部には暴風警報も出て、時々強く降るのだった。幸い、夕方には風も雨も弱まったが、降りやむわけではない。それでも、先週の雨はとても寒かったが、今日はさほどでもない。この時期としては暖かい方だろう。 元鍛冶丁公園、野音ステージで集会。(2015/12/11 18:14、16) 脱原発ソング(替え歌)の練習とフリー・トーク。(2015/12/11 18:13~21) 元鍛冶丁公園に着くと、雨を避けて野外音楽堂のステージで集会の準備が進められていた。2週続けての雨のデモで、参加者は多くならないと踏んだのだろう。 はじめに、脱原発ソング(「赤鼻のトナカイ」の替え歌)の練習があって、それからフリー・トークが始まった。 まず、「原発を考える3・11メモリアルアクション」の呼びかけがあった。2011年3月11日午後2時46分の東日本大震災の発生、それに続く東電福島第一原発の爆発事故と放射能汚染。被害にあわれた人たちへの思いと原発の廃止を願う思いを込めて、次のような一斉行動の提案がされている。 3月11日夜午後8時から9時までの1時間、各家庭で一斉にキャンドルナイトをする。出来る人はブレーカーを落とす。そしてろうそくを囲んで、大地震や原発事故の犠牲者を悼み、原発と電気のことを考える。天気がよければ、星空を眺める。 次いで、仙台の金デモに欠かさず参加されていて、1年ほど前に浦和に転居された方の挨拶があった。浦和での金曜日は、デモではなくスタンディングで脱原発の意思表示をしているとのことだった。手作りの脱原発グッズを土産にいただいた。さっそくザックにぶら下げた。 司会者が、福島第一原発の新しい放射能汚染のニュースを報告された。東京新聞によれば、つぎのような高濃度汚染のニュースである。 東京電力は九日、福島第一原発4号機の南側地下を通るダクトにたまった汚染水を調べた結果、放射性セシウムの濃度が昨年十二月の約四千倍になるなど、放射性物質濃度が急上昇したと発表した。東電は、周辺の地下水の放射性物質濃度に変化がないことなどから「外部に流出していることはない」としているが、原因は分かっていない。 東電によると、今月三日に採取した汚染水で、放射性セシウムが一リットル当たり四八万二〇〇〇ベクレル(昨年十二月は一二一ベクレル)、ベータ線を出す放射性物質が五〇万ベクレル(同一二〇ベクレル)、放射性トリチウムが六七〇〇ベクレル(同三一〇ベクレル)計測された。 このような高濃度汚染が新たに発生する原因となる最悪の事態は、どこかコントロールできない(場所が把握できない)場所で核分裂が起きていて、新たな核分裂生成物を生み出していることである。 汚染水に含まれる様々な半減期の放射線核種の組成を調べれば、2011年のメルトダウン由来の放射能か現在も続く核分裂由来のものか判断できると思うのだが、相変わらず原因はわからないと東電は発表している。これまでのことを考えれば、わからないのか隠ぺいしているのか、私たちは判断できないのである。 原発事故から4年も経ったいまでも関東のどこかで短半減期(8日)のヨウ素131が計測されるという情報がときどき流れてくる。この情報が本当なら、現在も相当量の核分裂が起きていて、核分裂生成物が大気中に放出されていることになる。 メルトダウンした核燃料がどうなっているかまったくわからない(と東電は言っている)状態では結論を出すのは難しいが、不明な時には最悪の事態を想定して対策を講ずるべきだが、日本の政治家や原子力関係の人たちはあえて最良の事態しか想定しないようだ。典型的な人命軽視の思考方法なのである。 最後に、12月9日に生涯学習支援センターで開催された≪後藤政志さんを囲んでの学習会≫に参加された方の報告があった。元原子炉技術者だった後藤さんは、福島原発事故で明らかになった格納容器の設計上の問題が原子力規制委員会の新規制基準に全く反映されていない事実を指摘されたという。 原子炉格納容器は4気圧の内圧に耐えられるように設計されていて、それを超えると弁が自動的に開いて圧を逃がす。福島事故では格納容器の圧力は8気圧まで上昇したにもかかわらず、圧力弁が作動しなかったという。にもかかわらず、新規制基準は4気圧の耐圧設計を容認したままである。つまり、これまでの原子炉の設計基準を踏襲したままに過ぎず、まったく同じ事故が起きることを容認しているに等しいのである。元鍛冶丁公園を出発。(2015/12/11 18:35) 傘デモが行く一番町。(2015/12/11 18:38~47) 集会の最後にもう1度替え歌の練習をして集会は終わった。2週続けての雨デモなのに、先週より多い35人が元鍛冶丁公園からデモに出発した。 12月の集会場所はすべて元鍛冶丁公園なのだが、これは定禅寺通りで「光のページェント」が開かれているためである。勾当台公園や錦丁公園から出発するデモは、定禅寺通りの1部を通るのだが、「光のページェント」の期間中は人と車の両方でごった返すので、そこを抜けてのデモはほぼ不可能に近いのである。 一番町を傘の列がデモっていく。こんなふうに雨の日のデモが続くなら、傘もデモアイテムにするのもいいな、と思ったりする。透明なビニール傘にアピールを張ったのは前からあったが、レインボーカラーの傘が並ぶのも悪くはない。 みんなが同じ傘ではファッショの匂いがして嫌だが、思い思いの傘でレインボーカラーに見えればいいのだが、結構な資金力が必要だろう。まあ、形より気持ちということにしておく方がいいのかもしれないが……。 まもなく青葉通り。 (2015/12/11 18:48) 青葉通り、東二番丁通りを越えて。 (2015/12/11 17:04、05) デモの終わり。 (2015/12/11 17:06、07) ブランドーム一番町のアーケードを出ると、雨はだいぶ小降りになっていて、傘を開かないまま青葉通りを歩きだす人も結構いる。私も、カメラは上着の下に入れて歩くが傘は差さないままである。 濡れた路面に街灯やビルの明かりや車のヘッドライトの光が反射して、カメラ的にはキラキラと賑やかでいいのだが、やはり雨はうっとうしい。「金デモは雨に降られない」というジンクスはどこへ行ったのだろう。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2015.12.11
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人生に宿題が多すぎて読むべき本としんぶんとてがみとうたふべきうた きくべきうたが多すぎてまるで 生きてゐるひまがない 吉原幸子「無意味なルフラン」部分 [1] 朝から強風が吹いて、冷たい雨が降ったりやんだりしている。典型的な冬型の気圧配置で、ちょっとした冬の嵐の感じだ。天気を心配する身をからかうように、ときどき陽が射したりする。 デモに出かける前に夕方の犬の散歩に出た時も、雨が降っていてかなり寒いので、風邪をひかないために着ていく服をあれこれ考えてみたのだが、着るべき服のことまで考えるというのはずいぶん面倒なことだと気づかされた。 忙しいわけではないのに、暇がない。読みたい本が次々出てきて、あれとあれは市立図書館、それは県立図書館、これは買いに出るかアマゾンか、などと思っているが、手もとに重ねている本を読み終えたわけではない。忙しいのである(気持ちだけだが)。 元鍛冶丁公園。(2015/12/4 18:15~31)フリー・トーク。(2015/12/4 18:21、25) 天候のせいでなかなか人が集まってこない。人が少ない分だけ、ゆったりとした親密な雰囲気で集会が始まる。 フリー・トークは、国による電力自由化の話題から始まった。仙台での説明会を皮切りにこれから全国で始められるということだが、周知が徹底されていない印象だという。また、自由化された電力を購入する際、その電力の発電手段を明記するかどうかまだ決まっていない。自然エネルギーへの転換を図るためにも発電手段の明示を求めていくべきだと主張された。 ただ、新聞記事によれば、電力取引等監視委員会は発電方法を示す電源構成の開示を「望ましい行為」と位置づけるものの義務化を見送り、自主的な開示に委ねるとしたという。もっともらしい美辞麗句を連ねるが、結局は既存電力会社に不都合がないように結論付けるあたりはいつものことだが…… 続いて、おそらくデモ参加者のなかで最高齢と思われる方が、これまでとこれからへデモへの思いと覚悟を元気に話された。ご夫婦で毎回欠かさず参加されている方である。 最後に、今年最後の日曜昼デモの予定とそのあとの忘年会(「望年会」という)の案内があった。(訂正あり。「料理室」→「調理室」) 元鍛冶丁公園から一番町へ。(2015/12/4 18:33、34) フリー・トークもあっさり終えて、参加者が30人の小ぶりなデモは、国分町、稲荷小路という東北有数(?)の繁華街を横切って一番丁に出ていくのである。 1ヶ月前の11月6日の金デモもまた元鍛冶丁公園から出発したのだが、珍しいことに国分町をうろうろしている古い知人を見かけた。これからこの飲食店街で遊ぶらしい様子に少し遠慮して、声をかけずに通り過ぎた。 彼も私に気づかなかったようだったが、カメラを抱えてデモの周囲を走り回っている人間が私だとは思いもしなかっただろう。そういう知り合いである。 一番町。(2015/12/4 18:37~39) イルミネーションの一番町。 (2015/12/4 18:44、49) 一番町のイルミネーションは、ほぼ完成形に達したようだ。定禅寺通りと広瀬通りの間は、青緑色のLEDの連なるラインが両サイドのアーケードの間に張られている。 広瀬通りからのブランドーム一番町はアーケードの天井から吊り下げられた空色の星型電飾、さんもーる一番町は植栽の木々を飾る青色の無数のLEDで、どれもほぼ昨年と同じように見える。 青葉通りへ出て。 (2015/12/4 18:55~57)青葉通り、東二番丁交差点。 (2015/12/4 18:59)最後の交差点。 (2015/12/4 19:01) 一番町のアーケードから青葉通りに出ると、わずかに降っていることが感じられる程度の雨だが、濡れた路面は車のライトや電飾を反映して光っている。 並木のケヤキも8割がた葉を振るいおろしてしまい、冬の氷雨にふさわしい姿だ。 冒頭の詩を書いた吉原幸子は、私がもっとも好きな詩人のひとりである。気持ちだけが忙しくてうろたえている私は、同じくらい好きなもう一人の詩人、石原吉郎の次のような詩句で私自身の心を宥めようとするのである。しずかな夜がしずかなままではいけないかはじまらぬものがはじまらぬままではいけないかどこかの隅がたちあがる気配がなくてはいけないか 石原吉郎「帽子のための鎮魂歌」部分 [2] [1] 『吉原幸子全詩 II』(思潮社、1981年) p. 113。[2] 『石原吉郎全集 I』(花神社、1979年) p. 268。 読書や絵画鑑賞のブログかわたれどきの頁繰り(小野寺秀也)日々のささやかなことのブログヌードルランチ、ときどき花と犬(小野寺秀也)
2015.12.04
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