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古い友人から暑中見舞いが届いた。東北大学理学部を卒業し、東京で職業人を終え、今は故郷の北九州で暮らしている。厳しく労働運動を生き抜いた友人らしい葉書だ。涼しげな花火模様の暑中見舞葉書の中央に朱文字で書かれているのはたった2行だけだ。 安保法制断固反対 原発再稼働許さじ 暑中見舞などほとんど書いたことのない私は、さてどんな返事にしたものか思案中だが、この2行以外はすべからく枝葉末節に思えてしまうのが辛い。 集会@錦町公園。(2015/7/31 18:45、46) 仙台としては珍しく暑い日が続く。いや、この時期は毎年こんなふうに暑い日が続いていて、年ごとに老いる身がその年の分だけ暑さが増すように感じているだけかもしれない。 集会の司会も、デモの途中で倒れたりしないようにご自分の体調に十分に留意されたいという言葉で始まった。 フリー・トーク。(2015/7/31 18:44~56) 東京第五検察審査会が、東京電力の元会長ら3人を業務上過失致死罪で強制的に起訴すべきだという議決したというニュースを、主催者が報告した。これは、検察審査会による二度目の議決で、これで福島原発事故の責任をめぐる裁判がやっと始まるのである。 九州電力が8月中の川内原発再稼働を目論んでいるというニュースも流れる中、福島事故の責任を問う裁判は大きな意味があるだろう。あれだけの甚大な人的被害をもたらしながら誰も責任をとらないようにしてしまう政治・行政、社会のシステムの過誤を問うばかりではなく、各電力会社の再稼働への姿勢を押しとどめ、再考させる効果もあるのではないかと思う。 続いて、脱原発をめざして太陽光発電施設を市民の手で作ろうという運動に対して宮城県から補助金交付がなされることが決まったという報告があった。「脱原発をめざす」と明示する市民活動に原発推進の宮城県が補助金を出すというのがこの話のミソである。 「ひだんれん(原発事故被害者団体連絡会)」についての話もなされた。2011年4月、福島県飯舘村から強制避難させられたことを苦にして102才の大久保文雄さんが自殺したことに触れられて、福島県民の苦難は何ら解決していないこと、支援打ち切りで高汚染地区への帰還が進められていることなどを強く批判された。 仙台市議選候補者への原発問題に関するアンケート結果がいくつかのURLに公表されていることや、最終処分場の候補地の一つ、加美町の町長選で現職の猪股洋文さんが無投票当選されて、引き続き町民一体となって処分場反対運動を行っていくことなどの話があった。ミンミンゼミ(集会だけ参加)。(2015/7/31 18:52) 集会の途中、ミンミンゼミが飛んできて「さよなら原発」の旗竿に止まっていた。声を出さなかったので、メスのミンミンゼミらしい。この夏、こんなに間近でセミを見たのはこれが初めてである。 いちおう、集会参加者にカウントするが、デモには不参加らしく錦町公園の樹間に消えていった。 錦町公園から定禅寺通りへ。(2015/7/31 19:07~15) 先週の日曜昼ゼミの参加者は35人だったせいか、今日の55人はとても多く感じる。もちろん、デモは参加者が多いほどいいに決まっているが、これぐらいの人数はカメラの納まり具合がとてもいいのである。 これ以上の人数の場合には、広角レンズに替えたりしながら写すこともあるのだが、今日は1本のレンズですませられる。 一番町へ入る。(2015/7/31 19:20、21) 一番町へ入ると、デモの交通安全担当のスタッフが駆け寄ってきて、「配ってましたよ」とチラシを1枚渡してくれた。SEALDs_TOHOKUが主催する「戦争法案ヤバいっしょ! 学生デモパレードin宮城」のパンフである。 広瀬通りを渡ると、フォーラス前でSEALDs_TOHOKUのメンバーが街宣していたのだが、顔見知りがさきほどのチラシを配っていた。どちらかといえば「ミドルズ」なのだが、応援を買って出たらしい SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy-s)が主催する「戦争法案に反対する国会前抗議行動」が圧倒的な動員力を発揮し続けている。それをきっかけに学生を初めとする若者たちが全国各地で声を上げ始めた。 仙台でもSEALDs_TOHOKUが発足し、8月9日(日)に最初の抗議行動を起こす。私はミドルズをさらに越えていて「ジールズ」とでも呼ばれるべき年齢だが、せめて後方からでも応援したくて花京院緑地公園には行ってみるつもりだ。 SEALDsのめざましい動員力をマスコミが積極的に報道するようになったせいか、一方でSEALDsに対する卑劣な中傷、恐喝が始まっている。ネトウヨ市議がSEALDs に参加する学生は就職が難しいなどという脅迫じみた内容をフェイスブックに投稿したり、堀江貴文なる人物が「私なら採用しない」などと、その脅迫投稿に便乗したような発言をしている。挙句の果てに、SEALDs は革マルから資金提供を受けているなどいうデマを政権中枢で口走っているというニュースまで流れている。 こうした動きは、自公政権がSEALDs を初めとする広範な国民の反対行動に恐れをなして、焦っているためだろうというのが大方の見方である。その辺のことは、7月30日付けの朝日新聞や31日付けの日刊ゲンダイが取り上げている。 朝日新聞の記事では企業の人事採用担当者がデモに参加することと人事採用とはまったく関係がないと断言しているし、日刊ゲンダイの記事はこのような権力サイドの誹謗中傷で国民の抗議行動を抑えるのは難しいというコメントで締め括っている。いずれにせよ、安倍自公政権ないしはその周辺の悪あがきに過ぎない。 私も定年間近の2年間、学科の就職担当教授なるものを引き受けて、多くの企業の人事担当者と話をしたり、就職活動する学生の推薦書を書く仕事を担当いたことがある。その経験から言えば、SEALDsのような活動を立ち上げたり、それに参加するような学生ほど就職に有利だとしか思えないのである。 優良な企業ほど学生を見る眼がしっかりしていて、学生の社会性、積極性、自発的な解決能力などを高く評価する傾向にある。そして面接などを通じてそのような人材を見抜く目を持っている。短期的に使い捨てるような人材なら何も考えないような学生でもいいだろうが、長期的な視野を持つ会社ほどその傾向が強い。 多くの人間を組織し、社会のルールに則った抗議行動を企画し、そのうえで自治体や警察ときちんと交渉して公園の使用許可やデモの許可などをもらうという一連のことができる能力を持つ学生をまともな企業が放っておくはずがないのだ。 証券取引法違反で自らも有罪判決を受け、ライブドアを上場廃止にした堀江貴文が、抗議活動をするような学生を「私なら採用しない」と言ったことは、学生を送る側の立場からは歓迎すべき発言なのだ。そのような経営者がいる企業に優秀な学生を就職させたくはないのだから、経営者の方で採用しないというのはたいへん喜ばしいのである。ブラック企業に就職したい学生なんていないのだから。 広瀬通りから青葉通りへ。 (2015/7/31 19:26~30) 戦争法案反対が喫緊の政治課題であることは間違いないが、川内原発の再稼働が近日中と予想される情況の中で脱原発、反原発の行動も緊急性を増している。 おそらく、このデモを歩いている参加者の多くは、戦争法案反対を強く胸にしまい込んで脱原発コールを叫んでいるに違いないのである。 東二番丁通り(国道4号)。 (2015/7/31 19:40)解散地点。 (2015/7/31 19:43) 夕方になれば涼しくなる仙台でも、夢中でデモを歩き、大声でコールに応えれば、けっこうな汗をかくのである。 仙台七夕を過ぎ、お盆が来れば、仙台には秋風が吹く。季節の変化を楽しみに待ち望むというのも、デモの効用のひとつであろうか。
2015.07.31
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仙台も「本日、梅雨明けをしたと思われる」というニュースが流れる猛暑日となった。我が家から錦町公園まで徒歩で25分ほどの距離だ。日射しをさえぎるもののない橋の上では、熱をたらふく溜め込んだアスファルトからの輻射が厳しい。 さすがに今日は日陰を辿るルートを考えて歩いた。 集会は木陰で(錦町公園)。(2015/7/26 14:16、23) 「暑いので参加者が少ないんですかね」と、若い人が話しかけてきた。「意外と日曜は参加者が少ないんですよ」などと答えてみたが、この暑さということもあるには違いない。 昨年は、7月27日が月1回の日曜昼デモだったが、やはりとても暑い日で参加者も少なかった。その三日前の24日に姉が亡くなって、仙台人には厳しい大阪での葬儀を終えて帰ってきたばかりの身には、とてもこたえた暑さだった。 昨年は元鍛冶丁公園の屋根のあるステージの上で、日射しを避けながら輪になって集会をしたのだが、今日は木陰に集まっている。風邪が通り抜けるときはけっこう涼しい。 本日の参加者は35人。昨年の7月27日の昼デモも35人だった。増えもしないが、減りもしない。いったん原発反対の行動を決意した人は、ずっとその意志を持続しているということだろう。「持続する意志」の大事さを書いていたのは、大江健三郎だったか。 フリー・トーク。(2015/7/26 14:14~25) 主催者挨拶は、川内原発の再稼働準備や伊方原発を新規制基準合格とする判断が出されたことなどとても重要な動きがあるのだが、戦争法案の強行採決やその反対運動のなかで脱原発運動が埋もれている気配だが、けっしてそんなことはない、暑さにめげず頑張りましょう、という趣旨だった(と思う。暑さで集中力が落ちていてボーッとして聞いていた)。 続いて、昨日25日に開かれたイベント「さようなら原発inいしのまき」への参加報告があった。このイベントは、女川原発に隣接する石巻で2012年から続けられていて、音楽ライブ、出店、講演会、アピール行進などを行っている。今年は、放射能汚染地の福島県浪江町で「希望の牧場」を続けて吉沢正己さんの講演があった。 「さようなら原発inいしのまき」の音楽ライブに出演した苫米地サトロさんが、青森県大間町に建設されている大間原発の敷地に隣接する共有地で行われたロックフェスティヴァル「反核ロックフェス 大MAGROCK」に参加されていて、その報告をされた。 かつて、大間原発建設地付近から飛ばした風船が津軽海峡を越え、函館のさらに60キロ先まで飛んだことなどから函館市が大間原発差し止め訴訟を起こす切実さが浮き彫りにされている。 今年もまた〈「大間原発」で事故がもし起こってしまったら、放射性物質は風に乗ってドコまで行くんだ〉という趣旨で「大間風船計画III」が8月23日に計画されているという。 最後に、政治学者の中野晃一さんが最近の政治状況について話されたことの紹介があった。政治学者丸山真男によれば「政治」の語源は「まつろう・まつろわす(従う・従わせる)」にあって、たとえば、天皇を頂点にして「まつろい・まつろわす(従い・従わせる)」関係の連鎖が戦前の日本の政治だった。 戦後はアメリカに「まつろう(従う)」のが国体になった。率先してアメリカに「まつろう」政治家にとって、「まつろわぬ」者を「まつろわせる」のが平和を意味するから、戦争推進法制を平気で「平和安全法制」と呼んで憚らないのだ。「まつろわぬ」者を「まつろわせる」のが平和だと考えるので、あの侵略戦争も平和のためだったなどと歴史を歪曲するのである。 おおむねそんな話だった(たぶん。詳細はスピーカーのFB参照)。 錦町公園の木陰を出て行く。(2015/7/26 14:35、36)大通りの照り返しはきつい。(2015/7/26 14:43) 集会の途中で、一瞬陽が陰るときもあっったが、デモの出発する午後2時半は暑さのピークである。日射しを避けるように自在にコースを変更することができないのがデモというものである、残念ながら。 一番町は夏休み気分? (2015/7/26 14:49~50) 一番町はひときわ人出が多い。加えて、市議会選挙が始まったばかりで、二組の候補者の列と出会った。一組は若い自民党候補者で、もう一組は保守系無所属の人だった。 どちらの候補者も原発推進派で、コールを控えて静かにすれ違う私たちに「暑いのにご苦労様です」とマイクを通して呼びかけるもののいくぶん顔がこわばっているように見えた(私の思い過ごしかもしれないが)。 ある脱原発市民グループが仙台市議選候補者にアンケートをとっていて、私たちは候補者たちの原発への態度をすでに知っているのである。青葉通りの欅並木が愛おしい。 (2015/7/26 15:04)元気に大通りを越える。 (2015/7/26 15:12) みんな無事に最終地点へ。(2015/7/26 15:13) 私もそうなのだが、デモの参加者には高齢の人も多い。熱中症の一人も出ないで無事にデモが終えられることが、こんなに喜ばしいことだとは思っても見なかった。暑さがわが身に降りかかってはじめて、こんなことを考えるのである。 カラフルな脱原発日傘があるといいな。そんなことも考えているうちにデモは終った。
2015.07.26
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【続き】 傘を差したまま走ったのでけっこうズボンが濡れてしまった。そのうえ、たっぷり汗をかいて、錦町公園に到着したのは18時50分ころで、かろうじて集会の最後に間に合った。「人数は少ないですが、質のいいデモをしましょう」というスピーチがちょうど終わるところだった。数えると私を入れても13人ほどしかいない。金曜デモ集会中@錦町公園。(2015/7/17 18:56、58) 雨を避けて、ザックと胸のプラカードを戦争法案反対から脱原発へと変えている間にデモの時間となった。 毎週、こうやって脱原発デモのブログを書いているが、デモ報告(それはみやぎ金曜デモの公式ブログが書いている)ばかりではなく、何か原発とかデモとかに関連した私なりの考えなどを書き足したいと考えている。ところが、なかなかネタがみつからない。 30分の集会の間にいろんな人のスピーチに刺激されて、書いてみたいあれこれが見つかることもあるのだが、今日はその時間もなく、汗まみれのまま2度目のデモに出発である。勾当台通りを渡る「少数精鋭」。(2015/7/17 19:16) 錦町公園を出てすぐに3人が加わったものの、広い勾当台通りを渡るときは道路幅の3分に1にも満たないデモの長さである。まぁ、少数精鋭のデモだね、と心のなかで冗談を言ってみる。 少しずつ参加者が増えていく(一番町)。(2015/7/17 19:19~21) じつは今日の朝くらいまでずっと考えていたブログのネタがあった。「反戦歌」と「レーニン」と「深夜食堂」で、三題噺ができないかとあれこれ考えていた。 何のことはない。数日前まで読んでいた塚本邦雄の『定本 夕暮の諧調』に取り上げられていた坪野哲久の反戦短歌と白井聡さんの『未完のレーニン』、それにテレビの再放送で見ていた「深夜食堂」という連続ドラマをくっつけようと思ったのだが、これはどう考えても脱原発に結びつけようがない。反戦と革命という点において、前の「戦争法案ゼッタイ廃案」のデモの流れの中の話である。 「深夜食堂」は、どちらかと言えば社会の底辺に近いところで生きる都会人の現代版の人情ドラマである。深夜12時から営業する食堂で繰り広げられるドラマでは、もちろん政治も社会問題も戦争もあからさまには出てこない。新宿ゴールデン街の夜中の〈日常〉が満ちている人情話だ。 そんなドラマの1シーンにかの有名な渡辺白泉の「戦争が廊下の奧に立っていた」という俳句を重ねると、〈日常〉を襲う戦争のリアリティがいっそう深く味わえるのではないかと思ったのが、そもそもの初めである。そんなときに、塚本邦雄の本に坪野哲久が取り上げられていたのを読んだのだ。残念ながら、かつての私の抜き書きメモの中にはたった一首だけ坪野哲久の歌が記されているだけだった。胸元に銃剣突きつけられても怯まぬかああ今のおれは怯むと思ふ 坪野哲久 [1] こういう歌を抜き書きで残しておくのは、こういう歌を自分に突きつけておかないと臆病で愚かな私はどこまでも頽落していくのではないかという怖れがあるからである。 さて、塚本の本から坪野哲久の短歌二首を引用しておこう [2]。きやつらは婪(むさぼ)るなきか若者の大いなる死を誰かつぐなふ議事堂を遠目にみつつ通へれどこころ富みたる一つだになき 戦争は若者の死をむさぼるのであり、かつても今も戦争を推し進める法案を議事堂では採決している。今、その議事堂の前では、法案に抗議してSEALDsの若者たちが豊かな感性に満ちた反対運動を重ねている。そして、若者たちが動き出したことに感動している多くの大人がいる。私もその一人だ。 いま若者たちが取り組んでいるのは戦争法案反対という政治イッシュウだけだが、社会の変革への1歩を踏み出していることには違いない。そこに大きな可能性を見いだすのは、白井さんがレーニンの思想の中に指摘した「革命の現実性」そのものが見えるからではないか。この場合、もちろん〈革命〉を社会の〈変革〉に置き換えた方が誤解がないだろう。 かつてマルクス主義は、革命は歴史的必然であるとして「革命の必然性」を説いた。しかし、白井さんが指摘するレーニンは、革命は現に今ここに存在しているのだと考える。「「客観的必然性=革命」を世界そのものとみなすということである。こうして「革命の必然性」は「革命の現実性」に転化する」と白井さんは述べている [3]。それは、「必然的な未来」を私たちの現在がすでに包含しているということだ。 間違ってしまうかもしれないが、もう少し具体的にいえば、私たち老人は「子どもや孫のために戦争のない国を遺したい」と考えるが、若者は「自分たちは戦争のない現在(=未来)を生きたい」と考えている。若者たちの運動は、必然的に彼らの未来を現在の中に包含した運動、「変革の現実性」を具えているのだ。私が豊かな可能性を彼らの運動に見るのはそのためだ。 そして、彼らの未来は彼らのものなのだから、基本的には、応援しながら見守るしかできないような気もしている。少なくとも、大人ぶったりお節介をしたりして邪魔にだけはならないようにしなければならない。コーラーも替わって。 (2015/7/17 19:28、30) いつもと同じ人数になる。 (2015/7/17 19:31) デモが一番町に入っていくと、「戦争法案ゼッタイ廃案」デモの流れらしい人が拍手で迎えてくれる。見知った顔はそのままデモに加わる。そうして少しずつデモは膨らんでいく。 毎回参加人数を計数する担当スタッフは、数え直しに追われている。少し進むだけで明らかに人が増えているのが分かるのだ。 大通りを渡る。 (2015/7/17 19:41) 東二番町大通りの地下鋪道を潜ってデモの先回りをして待ち構えていたとき、カメラの設定の間違いに気付いた。絞り優先なのだが、その絞りを明るい県民集会の時に設定したままだった。かなり絞っていたので、夜のデモではシャッター速度が落ちて動きのある写真ほどピンぼけがひどいのである。 まもなく、デモは終るのだが諦めるしかない。今は脱原発犬。 (2015/7/17 19:44)お疲れさま。 (2015/7/17 19:43) 流れ解散の地点に着いたら、50人のデモになっていて、いつのまにかチョモさんまでも参加している。私の気付かないうちに列に加わったのだろうが、今日は反戦犬から脱原発犬と、ほんとうにご苦労様でした。 [1] 現代日本文學大系95巻『現代歌集』(筑摩書房 昭和48年)p. 261。[2] 塚本邦雄『定本 夕暮の諧調』(本阿弥書店、1988年)p. 149。[3] 白井聡『未完のレーニン――〈力〉の思想を読む』(講談社、2007年)p. 50。
2015.07.17
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今日は、二つのデモをはしごする。一つは「安保法案ゼッタイ廃案! 7.17緊急県民集会」、もう一つはいつもの「脱原発みやぎ金曜デモ」である。ザックに括り付けるプラカードも裏表でそれぞれのデモに使えるように作った。 当然のことだが、ここずっと安全保障関連法案と呼称する戦争推進法案をめぐるニュースばかりが体の周囲に立ちこめているような具合である。法案が衆議院で強行採決されたこともあるが、それに至るまでの国会での政治家の言説、あるいはマスコミに登場する言説にたいがいの人々は、苛立っていたのではなかろうか。 少なくとも、私が政治家の言語と私(たち)の言語との隔絶にあらためて驚かされ、苛立っていたのは確かである。それは、法案が衆議院を通ったということよりも、現実の政治問題に関するコミュニケーションの可能性の欠如によるところが大なのだ。 このコミュニケーションの不可能性は、私たちの側に問題があるのか。けっしてそうではない。首相、外務相、防衛相の国会答弁が応答の態をなしていないことを考えても、政治家の知的劣化によるとしか言いようがない。 もっと正直に言ってしまえば、あのような知的劣化物を対象に自分の人生の時間を浪費するのが口惜しいのである。しかし、その知的劣化物が権力を握ってしまったがゆえに、どれもこれもきちんと対応しなければならない不幸が恨めしいのである。その辺のネトウヨの雑言(ほとんど同じレベルだが)のようには無視できないのだ。 たとえば、首相補佐官の磯崎陽輔参議院議員がツィッター上で若い女性に論破されてその女性をブロックして逃亡しただとか、安倍首相が私的なネット放送で対談相手の丸川珠代参議院議員のネトウヨ情報にあおられて民主党の辻本清美衆議院議員を中傷して陳謝したとか、程度の低いニュースが流れてくる。こんなことがあっても、とくに誰も恥ずべきことだと思っていないらしいのだ。 「恥ずかしさが哲学の出発点である」とスティグレールは語っていたが、自公政権の政治家にはきっと恥の概念は存在していないのだろう。ましてや、哲学だとか思想を求めるのは、「馬の耳に念仏」どころか「馬に念仏を唱えさせる」ほどに困難だろう。いくら私でもそんなことはとっくに諦めている。 あるいは、政権の支持率が逆転してから政権批判へと態度を翻したマスコミが増えたなどというニュースが流れる。しかし、実態は何も改善しない。普段から権力批判の視座をもって自らの論理を鍛えていないマスコミが態度を翻してみたところでどのような力が発揮できるというのか。「人は、日々自分で掘りあげた塹壕の中でしか戦えない」と断じたのは吉本隆明だっただろうか。 結局は、ニュースに惑わされることなく、自らの行いとして一人ひとりが意思表示をするしかないという単純な結論しか出てこない。私は、政治家にも政治にも向いていないのである。 緊急県民集会@元鍛冶丁公園。(2015/7/17 18:05~07) 今年の仙台は空梅雨だというのに、今日に限って小雨模様である。降ったり止んだりで、写真を見るとよく分るが、傘がいっせいに開いていたり、閉じていたりする。私もなんどもザックの折畳み傘を出し入れした。 元鍛冶丁公園に集まっている人々の数は、6月24日の緊急県民集会のときと同じくらいか、それよりも多いような気がする。写真を撮るために会場内をあちこちと移動したのだが、先日の集会よりははるかに人の間をすり抜けるのが難しい。 6月24日は1200人の参加だったので、今日は1500人くらいかと思ったのだが、それぞれが拡げる傘で全体が膨れあがっているということかもしれない。 意見表明。(2015/7/17 18:15、20) 集会は主催者挨拶に始まり、仙台弁護士会からの連帯の挨拶、大崎九条の会からの活動報告と続き、さらに「「女の平和」ピースアクション」、「平和サークルPEACE」、「戦争法案やばいっしょ@学生デモin宮城」の意見表明があった。 いま、戦争法案に反対して全国で若い人の運動が立ち上がっている。SEALDs(Students Emergency Action for Liberal Democracy – s)は、連日、国会議事堂前に何万人もの人々を集めて戦争法案に反対の意志表示をしているし、関西でも何千人もの反対デモを行っている。札幌では「戦争したくなくてふるえる」と掲げた19才の女性の呼びかけに高校生を含む大勢の若者が応えてデモに参加している。 そして、いよいよ宮城県でも若者が声を上げ始めた。二人の学生さんが代表して意見表明した「戦争法案やばいっしょ@学生デモin宮城」は、8月9日(日)16:00から仙台・花京院緑地公園で集会後にデモを行う。 学生を含む大勢の若い人たちが一つの政治イッシュウで行動を起こすのは一九七〇年以降では初めてではないだろうか(もちろん、勢力を極度に縮小した新左翼セクトの運動は続いていたが)。なんとか応援ができればと願ってはいるが……声を合わせてコール。(2015/7/17 18:27) アピール提案の後に、全員がプラカードを高く掲げて、戦争法案廃棄のコールをして、そしてデモである。 集会アピールは、こう締め括られている。 戦後70年、二度と戦争はしないと世界に誓って、海外での武力行使を禁止し、戦争で一人も殺さず、殺されることのなかった日本の平和主義は、世界の人々から高い評価を受けてきました。日本の歩むべき道はこれからもずっと憲法9条が示すこの道しかありません。 私たちは衆議院での強行採決に強く抗議し、憲法違反の安保法案はただちに廃案とするよう、かさねて強く求めるものです。 元鍛冶丁公園から一番町へ。(2015/7/17 18:32、35) 個人参加・学生・金デモのグループが一番はじめに出発する。途中でこのデモを抜け出して錦町公園での脱原発金曜デモに参加するつもりだったので、先頭にくっついて歩き出した。デモの中で声を上げる時間はほんのちょっとで、たいていは列を抜け出して写真を撮っていた。広瀬通りを渡るデモの先頭。(2015/7/17 18:42) デモに先だって広瀬通りを渡り、広い交差点を渡ってくるデモの列を待つ。幸いなことに今は雨が降っていない。信号が変わってデモの列が動き出すが、大勢の通行人が左右を歩くので写すタイミングが難しい。先頭が渡りきる直前にシャッターを切ることができた。 まだ信号は青だったので、デモとは逆方向に交差点を渡った。後に続くデモを写しながら歩いて、デモの列が過ぎたら脱原発デモの錦町公園へ走るつもりなのである。 広瀬通りを越えるまでの長い停滞。 (2015/7/17 18:43、44) そういえば、国会議事堂前の抗議の最中に二人の逮捕者が出たというニュースが流れた。一人は警察官の肩を押した(こづいた?)ことで、もう一人は警察官の胸ぐらを掴んだということだったらしい(警察発表によるマスコミ報道なので真偽は定かではないが)。 もちろん、けっして褒めることはできないが、苛立つ我が身からすればむしろ同情の気持ちが湧く。あまり批難する気分も批判する気分もないのだ。むしろ、救援体制がどうなっているのかを心配している。 どうやら私は、いつのまにかサルトルの徒ではなくフーコーの徒に近いらしい。逸脱、あるいはディオニソス的心性のなかにも人間の真実があると思っているのである。 脱原発犬から反戦犬へ。 (2015/7/17 18:46、47)また降り出す雨。 (2015/7/17 18:44) 広瀬通りの信号を越えるのはけっこう時間がかかるようで、デモの列はほとんど立ち止まったままである。けっこう見慣れた顔がちらほらと見える。脱原発犬のチョモランマさんは、俳人の金子兜太さんが書いた「アベ政治を許さない」というプラカードを下げて、今日は反戦犬として参加している。じつは、今日の私の胸にぶらさがっているのもこれである。 ついでに言えば、背中のザックには、「憲法違反の法律は強行裁決しても、憲法98条によって無効」ということを書いたプラカードが括り付けられている。憲法98条には、「この憲法は国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない」とある。 ネトウヨよ、よく聞け! 天皇の発する詔勅であっても憲法に反すれば無効なのだ。いわんや、首相ごときの憲法違反の法律においてをや…… デモの列が終り、錦町公園へ急いだが、また雨が少し強くなったのでザックから傘を取り出した。 【続く】
2015.07.17
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心が不調である。4、5日前からはっきりした徴候は続いていたのだが、いつものように無視していれば何とかなるだろうという予想ははずれてしまった。早朝の犬の散歩から帰り、鉢植えの水やりも終えても、気分は回復しない。 テレビをつけてみる。どのチャンネルにしても音が煩いだけである。妻が起きてきて、犬を相手におしゃべりを始める。それも我慢できないほど煩く感じて、きつい声を出してしまった。 心理的状況を変えたくて、冷蔵庫から冷えた白ワインを取り出した。朝まで酒を飲むというのは若いときには数え切れないほどの経験があるが、朝から酒を飲むというのは、70年近い人生でたぶん初めてである。朝から酒を飲むというのは少し大げさで、ワイングラス一杯だけの飲酒である。 少しだけエネルギーレベルが上がって、金デモの写真の整理に取りかかることができた。ブログに使う写真を選び、サイズと組み合わせを決めた。フェイスブックに投稿する写真も選び、サイズの変更をした。そこで力尽きた。また、ワインを一杯だけ飲んだ。 ここまでは、7月11日の朝、8時10分までのことである。 夕方の5時、このブログの文章書きになんとか取りかかった。昼飯の親子丼を作った時以外は、どこかに深く沈み込んでいたようで記憶がない。昼食時にもワインを一杯飲んだ。 いま、パソコンデスクの前に座っている私は、右手にマウス、左手にワイングラスである。このまま「前に進め!」である。たぶん、酔い始めているのだろうが、本人は飲めば飲むほど白々しい感じが膨れていると感じている。 さて、時間を24時間巻き戻して、7月10日の金曜デモのことである。 集会@勾当台公園野音。(2015/7/10 18:47、50) 梅雨入りしても仙台はずっと雨が降らないし、今日は朝から太陽が照りつけてまさに真夏である。私に残された唯一の公的な仕事で自宅と県庁を往復した後に、また県庁前の勾当台公園に向かう。一日の歩数稼ぎにはなるが、多少過剰気味である。 まだ、日が高くて暑さが残っているので、早めに家を出てゆっくりとした歩調である。現職のころ、沖縄への出張で、沖縄の人を見習ってそのペースで歩くとあまり汗をかかないということを知った。久しぶりにやってみたが、微妙に調子がのらない。フリー・トーク。(2015/7/10 18:42~19:02) フリー・トークは、主催者の川内原発の核燃料装填が今日の早朝に完了したという話から始まった。一機でも動き出せばすべて決したかのような経済界の発言があるが、とんでもない。川内原発だって再稼働そのものは始まっていないし、まだまだ多くの原発があり、再稼働反対の運動は続くのである。 東北電力本店前の抗議活動や仙台市への抗議や働きかけの活動報告、関西電力が仙台新港に建設を計画している石炭火力発電所への反対運動の取り組みの報告が続く。関西電力の石炭火力発電所が首都圏にその電力を売り、地元には大量の二酸化炭素や硫黄酸化物、窒素酸化物を押しつけるという構図は、東京電力の福島第1原発が電力は首都圏へ福島には大量の放射能を、という構図とまったく同じである。 7月17日の金曜日には当然ながら金デモがある。しかし、その日には「安保法案ゼッタイ廃案! 衆議院採決を許さない! 7.17緊急県民集会」(元鍛冶丁公園18:00集会。18:30デモ出発)が同時に開催される。主催者のみやぎ憲法九条の会の人が国会の動きに絡んでの日程決定のいきさつや開催意義などの説明をされた。 金デモは錦町公園、県民集会は元鍛冶丁公園と集会場所は離れているが、開始時間が30分異なるので、その差に賭けて両方に参加したいと思っているが、どうなることやら。 勾当台公園を出て行く。(2015/7/10 19:08) 集会中に少しずつ気温が下がってきた。仙台のいいところは、日中がどれほど暑くても朝晩が涼しいことである。 快適な夏の夕方、デモは街に繰り出す。このような夕べの味わい方があることを誰彼となく教えたくなる。「デモと夕暮れ」、あるいは「黄昏どきのデモ人」って人文的にも絵画的にも素敵だとは思いませんか? 先週とはすこしばかり違って、全天ほとんど雲がないので夕焼けがそれほど目立たない。空色から藍色へと少しずつ変化するばかりである。勾当台通りを渡る。(2015/7/10 19:12)定禅寺通りから一番町へ。(2015/7/10 19:18) 一番町へ入ったデモの先頭と最後尾。 (2015/7/10 19:19、20) 今日のデモは60人。先週よりもさらに増えた。先頭は、電動車椅子の人である。けっこうスピードが出るので、あっさりと後続と離れてしまうが、少しずつデモのスピードに合ってくる。 ふだんあまり考えないで歩いているが、デモの進むスピードはデモ独特のスピードである。デモは、「立ち止まってはいけない」という規制に引っかからない程度にぎりぎり遅く歩く方が望ましい。その辺は、急がせたいお巡りさんとゆっくり進みたいデモ人との呼吸で決まりそうなのだが、できる限りゆっくりと進み、街を行く人々にアピールするのがいいのだ。今日のコーラー。 (2015/7/10 19:21、22) 夕闇は濃くなっていく。 (2015/7/10 19:22)それぞれのアピール。 (2015/7/10 19:23~31)中央通り入口前、通過。 (2015/7/10 19:29~31) デモはいつものように賑やかで元気だ。しかし、正直に言えば、集会中もデモのときも、あまり人と話す気分ではないのだった。もともと社交的ではないのだが、こういう精神状態の時はことさら話すのが辛い。 長い人生でこんなことを何度も繰り返せば、何事もないように挨拶する術は身につけたが、まったく楽しくはないのだ。目の前のことどもから逃げ出さずに対処することができれば問題ないはずなので、さしあたって逃げ出さないで耐え抜くというのが経験的な知恵である。その程度で何とかなってきたので、病気までは進んでいなくて気質の問題なのだと自分では思っている。 そんな気分の時によりによって辺見庸さんの文章を読んだりするのである。エマニュエル・レヴィナスとかプリモ・レーヴィ、そして辺見庸などなど、その文章を読むと自分の精神がいかにフワフワと軽いものだということを思い知らされる思想家がいるのだ。 底知れないほど低級な、ドブからわいたような、およそ深みなどまったくない力に、げんざいがやすやすと支配されていること。 [1] 私たちが置かれている政治的情況をみごとに切り取って見せた一節である。辺見さんの文章は、いつでも現実をひたすら見据えたすえの深い絶望を経たうえで、いっそう勁い精神で言葉を紡ぐのである。 誤解のないように書いておくが、私の心の不調はけっして現在の政治的情況のせいではない。単なる個人的な情緒の問題に過ぎない。「ドブからわいたような」政治家のために私の心が左右されるなどあり得るはずがない。ちっぽけなプライドとはいえ、そんなことを自分に許すことはけっしてない(はずだ)。青葉通りへの信号待ち。 (2015/7/10 19:32) ゴールまで15メートル。 (2015/7/10 19:41~42)お疲れさまでした。 (2015/7/10 19:42) デモの中で声を張り上げる。デモの列を追い越してカメラを構えて待ち受ける。そんなことの繰り返しで私のデモの時間は進んで行く。 デモは私の健康法だとずっと言いつのってきたが、身体ばかりではない。心にとっても健康方法の一つになりそうな気がする。もう一つ、政治状況への怒りが回復のエネルギーになりそうな気配が出てきた。 [1] 辺見庸「1★9★3★7 『時間』はなぜ消されたのか ㉑」『週間 金曜日 1045号』(株式会社金曜日、2015年6月26日)p. 34。
2015.07.10
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安倍政権は、この15日くらいに衆議院で戦争法案の強行採決を図るだろうというニュースが流れている。いつものように、朝4時くらいに目をさました私は、少しの間ネットを眺める。そこからは、多くの人の緊張感が伝わってくる。 まだ薄暗い朝の4時、読むべき本の手持ちがなくなって、アガンベンの『開かれ』を引っ張り出した。アガンベンは、ナチスを生み出した現代政治を批判的に考察している哲学者だが、『開かれ』は少し趣が変わっていて、「人間とは何か」、「人間と動物を分ける境界はあるか」という主題の本である。 あまりにも現実的な生臭さ(腐臭)がまとわりつく戦争法案や安倍政権をめぐるもろもろとは対極的な主題でその安倍的生臭さを消そうと思ったというわけでもないが、いくぶん距離を置いた本を読みたいとは思ったのだった。 しかし、何度読み返してもアガンベンは厳しいのである。人文主義による人間の発見とは、人間そのものの不在の発見であり、人間の尊厳=序列(ディグニタース)の取り返しようのない欠如の発見である。 [1] ここで言う「人文主義」とはヒューマニズムと呼ばれる人間中心主義のことで、アガンベンは「人文主義のマニフェスト」と呼ばれるピコ・デッラ・ミランドラの次のような言葉を引用したうえでそう断言するのである。 汝自身のいわば自由意志を具えた誉れ高き造形者にして形成者として、汝は、汝が望むような姿で汝自身を模(かたど)ることができる。汝は、下位の存在にある獣へと頽落することもできるだろうし、また心がけしだいでは、上位に存する神的なものへと転生することもできるだろう。 [2] 政治権力を得て独善的にその権力を振り回す安倍政権は、あたかも自分たちを「上位に存する神的なもの」と信じ込み、思い上がっているようだ。 しかし、あたかもフクシマは存在しなかったかのごとく原発再稼働を推し進めて、日本の地に住む人々の未来の生命、健康を危うくしているばかりではなく、戦争法案によって世界中に戦争の危機をばらまき国民にその命を差し出せと言わんばかりの政策に邁進しているその姿は、人間の歴史や積み重ねてきた人間の思慮というものが完全に欠落していると言うしかない。「獣へと頽落」した姿そのものである。 私たちは今、自民党や公明党に「人間そのものの不在」を発見している。何のためにアガンベンを読んだのか、思いはふたたび元へ戻ってしまった。 勾当台公園野外音楽堂。(2015/7/3 18:46、51)フリー・トーク。(2015/7/3 18:46~59) 梅雨入りしてから、どういうわけかデモは雨に降られない。今日も少し蒸し暑いものの、上天気である。 フリー・トークは、主催者の川内原発の核燃料装填がまもなく始まるという話から始まった。電力需要期の夏までに再稼働する目論見は崩れたが、できるだけ早く再稼働にこぎつけようという動きは止まっていない。向こうが諦めないのなら、こちらも諦めずに行動を続けるしかない。 35人ほどのミニツアーに参加して、指定廃棄物の最終処分場候補地の一つになっている加美町の田代岳へ行ってきた人の報告もあった。先頭に立って最終処分場建設に反対している加美町の猪俣町長の1時間あまりの丁寧でわかりやすいお話に感動したという。 また、最近、電動車椅子で毎回参加されている人は、朝のラジオ体操などで出会う人に積極的に原発の話をしているという。お孫さんの将来を心配するお年寄りの人たちが向こうから話しかけてくることもあって、普段の語りかけが大事だという話だった。 戦争法案の強行採決が目前に迫っていることもあって、話題は自然にそちらに向かう。「武力によらない平和を!」と題する志賀勝明さん(小高九条の会)の講演会(7月4日13時~、カトリック元寺小路教会)の告知があった。 また、「戦争法反対、仙台市民の声」という市民団体が主催する『戦争法反対! 強行採決するな! 仙台市民緊急連続行動』の告知もあった。日曜日を除く7月6日~18日の毎日18時~19時半に仙台平和ビル前でリレー・トークを行うので、積極的に参加されたいという訴えであった。 最後に、脱原発犬チョモランマさんの挨拶もあった。勾当台公園を出発。(2015/7/3 19:04)県庁前。(2015/7/3 19:05)勾当台通りを渡って市民広場の道へ。(2015/7/3 19:07) 空の雲があかね色に夕焼けている下をデモは勾当台公園を出発した。集会の時からいつもの金デモより人が多いと思っていたが、今日の参加者は55人ということだった。これぐらいの人数で10人の増減はかなり効果がはっきりする。 デモが勾当台通りを渡って仙台市役所と市民広場の間の道に無言で入っていく。市民広場では「秋田県湯沢雄勝広域観光キャンペーン」というイベントをやっていて、秋田の民謡を演奏し、歌い、踊っている最中だった。 私の知らない民謡だったが、演奏の邪魔をしないように、市民広場を周回して定禅寺通りを渡る頃まではサイレントデモである。 市民広場から定禅寺通りを越えて。 (2015/7/3 19:09~13) デモを先回りして定禅寺通りの向こうでデモ列を待っているとき、ビルの間の空の夕焼けに気付いた。少し時間が過ぎて「暮れ残り」の風情だがいい色である。 定禅寺通りを越えて一番町に入ってしまえば、夕焼け空はもう無縁である。 一番町へ入る。 (2015/7/3 19:13~16) 暮れ残りでまだ明るいせいか、日曜昼デモと同じくらいの人出がある。人出が多いといっそう元気がでるのがデモの常である。 私も最近は大声がでるようになった。ときどきは喉が痛くなることもある。3年前の金デモの始め頃は、あまり声が出なかった。少しはデモ慣れしたのである。今日のコーラー。 (2015/7/3 19:14、16) 脱原発犬・チョモランマさん。 (2015/7/3 19:14、22) 広瀬通りを越え青葉通りに向かう。(2015/7/3 19:21、22) チョモさんは、最近はだいぶ良くなったようだが、後肢に不調を抱えている。元気に歩いてきたが、気がついたらいつのまにか専用キャリーに乗っている。 あんまり無理をしないで、脚を大事にして、なるべくたくさん参加して欲しいと願っている。なにしろ、アピール力が抜群でチョモさんがいるといないとでは反応がまるで違うのである。なかにはチョモさんについて歩く犬好きもいる。見た目にはデモと一緒に歩いているので大歓迎なのだ。 [1] ジョルジョ・アガンベン(岡田温司、多賀健太郎訳)『開かれーー人間と動物』(平凡社、2011年)p. 58。[2] 同上、p. 57(原典:ジョヴァンニ・ピコ・デッラ・ミランドラ(大出哲、阿部包、伊藤博明訳)『人間の尊厳について』(国文社、1985年))。
2015.07.03
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