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現代音楽のコンサートに行った。「N響 MUSIC FOR TOMORROW」だ。クラシック、ポップス、ロック、ブルース、ソウル、ジャズ、演歌、昭和歌謡・・・種々雑多な音楽を浴びながら生きてきたが、現代音楽は滅多に聴く機会がない。そんな中で知人から譲り受けたチケットを手に東京オペラシティーへ。前半は、日本人作曲家の2曲。まず、N響から今年委嘱された鈴木純明が作曲した「リューベックのためのインヴェンションⅢ『夏』」。作曲家本人が、演奏前に「とにかく楽しい曲を作りたかった。」と言っていた。曲は当然のように不協和音オンパレード。現代音楽だもの。情感に訴える和音ばかり聴いているので不協和音ってぐっと来ないなあ。こういう曲って100年後に演奏され聴かれていくのだろうか?次は、第66回尾高賞を受賞した坂田直樹作曲の「組み合わされた風景」。演奏前の本人紹介によると、オケの可能性と限界を表現したかったとのこと。確かに、不協和音を飛び越えて楽器がノイズを奏でていた。面白い曲だった。休憩後の後半は、イギリス人作曲家の2曲。まずは、ジェームス・マクミランの「オーボエ協奏曲」。ソリストはフランソワ・ルルー。いい曲だった。ルルーののびやかで歌心のあるオーボエが印象に残った。フリー・ジャズのアドリブのようなメロディーがオケの伴奏に乗って奏でられるのが新鮮だった。100年後にも受け継がれ演奏されていくんじゃないかなあと思わせた。最後の曲は、コリン・マシューズ作曲の「ターニング・ポイント」。ハープやピアノ、チェレスタなどを含む大編成のオーケストラによるドラマチックな曲だった。こうしたオーケストラ曲が21世紀の現代に産み出されているんだということに不思議さを感じた。そして日本初演の2曲を乱れることなく演奏し切った楽員、指揮者、ソリストに心から拍手を贈りたい気分になった。いや~、音楽には未知の領域がまだまだあることを改めて思い知らされたコンサートでした。最後に一句。 「 梅雨明けや ひと汗増える ランニング 」
2018.06.30
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MAN WITH A MISSIONのアルバムを初めて聴いた。自分で買ったアルバムではない。家族が買ったCDをたまたま故障していたプレイヤーで再生したら何故か再生出来てしまったのだ。CDジャケットの狼の頭部だけの着ぐるみ(?)を装着したメンバーの写真を見て、一度テレビで見た記憶があるのを思い出した。その程度の軽い乗りで偶然が重なった結果、私の耳に入ってきた未知のバンドの音楽は思わぬ感動をもたらした。いいんだよね。メロディーがどこか郷愁を感じさせる。しかも歌詞はほとんど英語なので、我々が慣れ親しんだ70~80年代ロックを聴いているような錯覚に陥る。ヒップホップ的な語り的ボーカルも時たま入るが、基本は一時代前の正統派ロック・ボーカル。野太い声は、KISSとかチェイン・リアクションを思い出させる。DJとサンプリングを担当するメンバーがいるのが正に今のバンドだというのを証明しているが、よく聴くと、ギター、ベース、ドラムの演奏も確かなテクニックに裏打ちされている。そんなバンドが何故、狼の頭部着ぐるみを被ったのだろうか?その疑問を持ちながら改めて彼らの音に耳を傾ける。録音時のミキシングの方針なのだろうか?ボーカルと1つ1つの楽器の音が渾然一体になって聴こえてくる。個々が粒立って聴こえてこないのだ。かつてのロック・バンドだったら、例えばフリーだったら、ポール・ロジャースのソウルフルでタメのの効いたボーカル、ポール・コゾフの奔放なギター、地響きのようなサイモン・カークのドラムと、それぞれが自分の持ち味を存分に出すことがバンドの魅力にもつながっていた。そうしたミュージシャンの個性がバンドの売りでもあったのだ。でもMAN WITH A MISSIONは違う。メンバーの個性を殺してバンドの音世界を構築しているように感じる。私にはそう聴こえた。そのバンドの方針が「狼」を装うことになったのではないだろうか。1人1人が実名の自分としてバンドを担うのではなく、皆が同じ「狼」を演じる。それがバンドメンバーの使命= MISSION(ミッション)なのだ。これが「MAN WITH A MISSION」というバンド名の由来なのだ。うむ、一気に謎が解けた!めでたし、めでたし。いつになく独善的かつ一人よがりなお話になってしまったが、(いつもそうじゃねえか。→影の声)お後がよろしいようで。MAN WITH A MISSION、一度聴いてみてください。最後に一句。 「 狼は使命 音楽は極まる 」
2018.06.24
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許光俊の「人生最高のクラシック」を読んだ。光文社新書で一度読んだ本かもしれない。でも、本屋で見てまた読みたくなって購入。一気に読了。私がクラシック少年だった頃に慣れ親しんだ指揮者が続々登場。しかも名演奏例として今でも持っているLPレコードがしばしば出てくるので、読んだだけで演奏が想像できて楽しい。また、よくここまで音の世界を文章で雄弁に表現できるよなあ・・・と感心してしまう。筆力がある。取り上げられている名演のいくつかを紹介すると・・・・①カール・リヒターの「マタイ受難曲」『もしも、カール・リヒターがいなかったら、今日、日本でこれほどまでにバッハが愛好されること はなかったかもしれない。・・・・リヒターが1969年に初めて来日したときの公演に、異常な衝撃を受けたのである。・・・・人々を魂の根底から揺さぶった大事件だったことがわかる。』②カルロ・マリア・ジュリーニの「ブルックナー交響曲第9番」『クラシックは、重厚で真面目で、品があって、高級で、渋くて、もっぱらある程度以上の年齢の人たちが楽しむものーーーそんなイメージがあるとしたら、もっともぴったりくるのがジュリーニであろう。…・ブルックナーの9番がすばらしい。チェリビダッケやヴァントのように細部の細部まで突き詰めた解釈ではなく、もっとおおらかだ。オーケストラは朗々と鳴っているけれど、いかなるわざとらしさもなく、力ずくの感じがしない。』③ゲオルグ・ショルティの「マーラー交響曲第1番」『ショルティの演奏では、金管楽器が朗々と鳴り響き、チェロやコントラバスは遠慮なくぐりぐりと弾く。音楽は高らかに鳴り響き力一杯駆ける。オーケストラの楽員たちはギリギリまで能力を引き出され、迫力ある演奏が展開される。いわば、健全な肉体性の音楽なのだ。・・・・マーラーの交響曲第1番は、わけてもフィナーレが文句なくいい。最高にダイナミックで、まったく危なげがなく、力強く突進する。そのくせゆっくりした部分ではきわめて滑らかだ。暑苦しさはまったくない。』④ロヴロ・フォン・マタチッチの「ブルックナー交響曲第5番」『彼の音楽は、いかなる感傷も捨て去った、生物的というよりは鉱物的な音楽である。代表作、ブルックナーの交響曲第5番を聴けば、何憚ることのない強靭な鳴りっぷりに肝をつぶすかもしれない。絵にたとえるなら、透明な色彩感の水彩画ではなく、官能的な色調の油彩画でもなく、殴りつけるようなたくましいタッチで描かれたデッサンといえるだろう。』⑤ジョージ・セルの「ヴォルザーク交響曲第8番」『あくまで品格があり、堂々としており、危なげがない。いかにも壮麗な交響作品を聴いているという気がしてくる。・・・最晩年の録音だけになんとはなしに漂う寂しげな情感がとても印象に残る。・・・ともかくドヴォルザークをこれほどまでに均整のとれたすらりとした姿で息を呑むような洗練を持って演奏できた指揮者は空前絶後ではなかろうか。』ちょっと引用が長くなったが、上記の演奏を知っている人には、なるほどとうなずける解説だと思う。まして私など、上記の5つの演奏はすべてLPレコードかCDで持っているのだ。ひさしぶりにクラシックに身を浸そうかと思いきや、LPレコードを聴くためのターンテーブルはもはやない。しかもCDプレイヤーは故障中。聴くすべなし。とほほ。脳裏に刻まれた名演奏を思い出しながら梅雨の週末を過ごすとするか。最後に一句。 「 梅雨に聴く バッハ マーラー ブルックナー 」
2018.06.09
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